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「とある配信と、そのリスナー」

 彼女の日課は世界最大級の動画配信サイト『TryTube』であらゆる動画を見る事だった。一日の大半を自室のパソコンの前で過ごす彼女にとって、TryTubeこそが唯一外界との繋がりだ。尤も彼女から何かを発信することはなく、ただ動画や生配信の情報を一方的に受信するだけの繋がりだった。


 つい、数日前までは。


「ご主人候補の皆様、おかえりなさいませ。本日は如何お過ごしでしたか?」


 ディスプレイには生配信の画面、そこにはアニメキャラの様な男性が居た。

 彼の声と同時に口元が動く。最近、俄かに注目を集めているバーチャルTryTuber、通称「Vtuber」だ。

 イラストの様な2Dとゲームキャラの様な3Dまで、老若男女はおろか種族すら自由な彼らは新たな文化の萌芽としてジワリジワリとインターネットにおいて存在感を増しつつある。


 彼女が見ているのは、一か月前にデビューしたまだ新人の域を出ないVtuberだった。執事服と、オペラ座の怪人の様なマスクで顔の右半分を隠したミステリアスな男性。

 ベンチャー系映像制作企業『リザードテイル』が運営するグループ『Re:BIRTH(リバース) UNION(ユニオン)』……通称、リバユニの第二期デビュー組の一人、謎の執事系Vtuber『正時廻叉(しょうじかいさ)』だった。


 リバユニ自体はグループとしてもまだ若く、彼を含めて5名しか在籍していない小さなグループだ。彼女はそのグループが設立される前にデビューしたバーチャルシンガー『ステラ・フリークス』のファンだった。

 そんなステラが自ら立ち上げを企画したグループこそがRe:BIRTH UNIONであり、ステラの熱心なファンであった彼女もまたリバユニの箱推しのファンになっていた。三ヶ月前には一期生が二名デビュー、どちらもステラ同様音楽を活動の主軸に置いていた。そして一ヶ月前にデビューしたのが廻叉を含めた、これもまた二名の二期生である。


 何かとハイテンションであったり、ゲームで興奮して絶叫したりする女性が多いという認識が持たれていたVtuber業界で、正時廻叉はまだ数少ない男性Vtuberであり、なおかつ無感情だった。初配信の約一時間を全くの無感情を貫き、なおかつ流暢なトークを続けて数百名ほどの視聴者の度肝を抜いた。

 一部で話題になりはしたが、リバユニ自体が若い『箱』であり、ステラと一期生の活動から箱自体が楽曲中心と見られていた事から、トークと朗読を中心とする正時廻叉のチャンネル登録者数はおよそ3000、平均同時接続者数は100名前後という、企業勢としてはやや少ない人数であった。


 とはいえ、彼女は廻叉の無感情なトークと、普段とは真逆の感情を全開にした朗読という独自性が琴線に触れたのか、廻叉の配信のファンにもなっていた。その中でも特に彼女が気に入っていたのが週に一回のペースで行われる「お悩み相談配信」だった。


「それでは、最初のお便りです。『廻叉キュン、こんばんわ☆ アタシは廻叉キュンのガチ恋勢です☆ どうしたら廻叉キュンをアタシだけの執事に出来ますか?』……38歳公務員男性の方からです」


 思わず噴き出しそうになったのを彼女は必死にこらえた。視聴者からの悩み相談、という形で視聴者からのメールを読むのだが、その内容にまで朗読同様の感情の乗せ方をするため、一部の視聴者が悪ノリで怪文書やネタメールを送って来るのだ。


「お答えします。年齢と職業相応の落ち着きを身に着けてからまたお越しください。はい、以上です。次に行きましょう」


 そして廻叉もまた律義に無感情でツッコミを入れて、さっさと次のメールへと行く。普段ならもっと心から楽しんで笑えるのだが、今日の彼女はそれ以上に気が気でない状態だった。


 何故なら、家族にすら打ち明けていない本気の悩みを廻叉へと送ってしまったのだ。


 採用されるかは分からない、いっそネタメールに埋もれて採用されない方がいいかもしれない。

 少なからず好意を持って視聴しているVtuberに、自分の悩みをくだらないものとしてバッサリ切られてしまったら、と考えると背筋が寒くなる思いだった。ただ、廻叉も本気の相談には本気で答えてくれる事を知っているので、採用されてほしい気持ちも同時に持ち合わせていた。彼女はそんな二律背反を抱えたまま、画面の向こうで廻叉が淡々とネタ系メールを処理していくのを聴いていた。


「さて、次は……18歳の女性の方からですね。……御主人候補の皆様、ハシャギ過ぎです」


 ドクリ、と心臓が跳ねた。


 若い女性からのメールに湧き上がるコメント欄の加速と同じくらい、自身の心音が加速しているのが分かる。


「では読みます。『私は今、不登校です。学校に居る人達、先生やクラスメイトと馴染めません。イジメではないけど、どこか白眼視されてる様な気がして、どうしても教室に居る事が苦痛です。家族は無理をしなくていい、と言ってくれますが気にしないなんて無理です。私の居場所が、見つからないです』……との事です」


 呼吸が上手く出来ているかどうかも、彼女には自覚できなかった。


 それは、確かに彼女自身がなけなしの勇気を振り絞って投稿したメールだった。


 画面上の廻叉から思わず目を逸らしてしまい、コメント欄が目に入る。

 《重っ》

 《見たら分かるマジなヤツやん……》

 《おいおい、昔の俺か?》

 《JKリスナー登場に興奮してごめんな……》

 内容の深刻さにどう触れていいかわからない、という反応だった。尤も、本気のお悩みメールが来た時は往々にしてこういう反応となるのでそこは彼女にとってはどうでもいい事だった。それ以上に、廻叉が何を言うのか――それだけだった。


「ふむ……貴女の正確な状況がわからないので一般論と自論にこそなってしまいますが、御家族の理解を得た上で学校に通わない事を選択したのであれば、それは必要以上に引け目を感じない方がよろしいかと。強いて言うのであれば、申し訳なさを謝罪するよりも感謝として伝える事をおすすめします。家族に謝るのも謝られるのも、どちらもそれなりに気が重いものです。ならば、感謝という形にする事でお互いに安心する方がいくらか生活しやすいのでは、と思います」


 ヘッドフォン越しに流れる廻叉の言葉は、今この瞬間だけは自分だけに宛てられたものだ。淡々と、流暢に語られる言葉には相変わらず感情が乗っていなかったが、だからこそ彼女の心にも引っかかりなく受け入れる事が出来た。知らぬ間に涙目になっている目元を拭いながら、無言で何度も頷く。


「居場所がない、というのは貴女に限らず様々な人が抱える問題でしょうね。私自身、かつて仕えていた主人を失い――居場所を求め、彷徨った果てに辿り着いたのが、このRe:BIRTH UNIONです。まぁ私の場合は何かと特殊なケースであるので参考にするのはおススメしませんが」


 コメント欄は《エモい》と《わかる》が中々の早さで流れていた。時折、自論を長文で書き込んでいく者もいたが、彼女の眼には入らない。彼女は真っ直ぐに廻叉だけを見据えている。


「執事、という一つの家に仕えるべき身である私がいうのも如何なものかと存じますが、居場所なんていくつあったっていいのです。定住しようと考えず、自分の居心地のいい場所をいくつも作っておけば、自分の人生に幅を持たせられる上に、いざという時のセーフハウスの役割にもなるでしょう」


 これは廻叉の自論だろうか。そんな簡単に居場所なんて見付かるとは思えないが、と彼女の表情が僅かに曇った。


「居場所、と言ってもそれは物理的な場所ではないです。貴女の中に、好きなもの好きな事をたくさん作りなさい。貴女の心の中を占めていた学校というスペースを除去したのならば、その空き地に貴女の好きな建物をたくさん建てなさい。音楽でも書籍でも料理でもゲームでもなんでもいいんです。ああ、でも勉強は――テナントの一室分くらいは作っておきましょう。学校の人間関係はともかく、勉強する習慣は間違いなく必要だと私は考えていますので、そこは甘やかしません」


 今度こそ、彼女は涙が堪え切れなくなった。まさかここまで肯定してもらえるとも、具体的に道筋を示してくれるとも思わなかった。


 自分は、まだやり直せるのだろうか。

 自分の中に新しい居場所を創れるだろうか。


「とはいえ、Vtuberの――それもド新人の言う事です。話半分のそのまた半分くらいに聞いておいて頂ければ結構。最終的に、考えるのも決めるのも貴女なのですから。いいですね?……では次のメールに行きましょう」


 その後の配信は彼女は正確には覚えていない。自分のメールが読まれた事と、それに対するレスポンスがあった事、好感を持って配信を追っていたVtuberから親身な言葉を貰えた事は彼女にとっては大きな衝撃だった。


 彼女は現状の自分を嫌っている。当たり前を当たり前に出来なかった、普通を普通に出来なかった事を酷く根に持っている。

 自分自身の無価値を狂信している彼女にとって、本来ならばこのような悩みや弱みは自分自身の心の壁に塗装して、より分厚くするための材料でしかない。

 それでも、自分が本当におかしいのかどうかを確かめたくなってしまった。機械的な、無感情な執事ならば先入観も上辺の励ましもなく私の心の壁とその奥の闇を見てくれるのではないだろうか、と。


 少なくとも廻叉の言葉は世間一般からすれば、実際に一般論と自論のカクテルだ。ただ、彼自身はドロップアウトをネガティブな物として捉えていない事が、無感情ながらも伝わって来た。


 彼女は、ほんの少しだけ前向きになれたのだ。


 相変わらず自分の事は大嫌いだし、褒め言葉や励ましもまだ素直に受け取れない。ただ、それでも彼の言葉を信じてみたいと――そう思った。


 数十分後、配信が終了するのを見届けると彼女は愛用のゲーミングチェアから立ちあがり、自室のドアから外へと出た。時刻は現在午後十時前後。恐らく両親はまだリビングに居るだろう。兄はアルバイトで家に居ないかもしれないが。部屋に閉じこもってから、もしかしたら初めて――これからの事を家族と話そうと思えた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「それでは、本日の配信はこれにて終了となります。最後に告知となりますが、有名無実でお馴染みのRe:BIRTH UNION公式チャンネルにて近日中に公式生放送が御座います。詳細は追って各種SNS等にアップされる予定です。参加者はリバユニ全員、何故か新人の私がメインMCです。曰く、他に進行を任せられる人がいないらしく、スタッフが天の声をやるよりは所属タレントにやらせた方がいいと。なんて事務所だ」


 青年は淡々と報告を画面の向こうのリスナーへと告げた。ほんの少しだけ感情を乗せた溜息と共に。


「とはいえ、任されたからには責任を持って務めさせていただきます。では、改めまして――おやすみなさいませ、御主人候補の皆様方――」


 画面がED用の一枚絵に切り替わる。数十秒ほどBGMを流した後に、配信用ソフトの配信停止ボタンをクリックする。別のディスプレイで表示させていたブラウザ上でも配信が終了した事を示していた。機材周りのスイッチもあらかたオフにすると、青年は椅子の背もたれに体重を預けて大きく息を吐いた。


「ああ、疲れるけど面白い……早く、これで飯が食えるようになれるといいなぁ」


 意図的な無感情から、普段通りの自分へとシフトする。


 彼にとってライブ配信は舞台だ。


 “正時廻叉”という謎の執事による、一人舞台だ。


 そして配信が終われば、彼はまるでスイッチを切り替えるかの様に、一人の人間に戻ってくる。ごく普通に喜怒哀楽を表に出す、どこにでも居る様な青年に。


 電脳世界で役者をしている――と認識している青年、境正辰(さかいまさとき)はいつも通り、配信の余韻に浸るかのように微笑んでいた。


 この日の配信を切っ掛けに、彼自身のVtuberとしての立ち位置、そして現実世界での人生が大きく変わり始めた事を彼は未だ知らない。


 配信時間:1時間32分

 最大同時接続者数:124人

 チャンネル登録者数:3180人

Vtuberの配信を享受するだけの一ファンに過ぎない自分が、自分なりに何かしらVtuberへの興味の導線を引けないか考えた結果、小説を書いてみる事にしました。

仕事の合間に執筆を行っているので、週に1~2回程度の更新ペースになるかと思います。

もしよろしければ、感想・評価など頂けますと幸いです。

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