第三章 誰にも気づかれないように
最終列車は思ったより空いていた。
志央はドア付近の席に座ってザッと辺りを見渡す。
サークル帰りの大学生グループ、仕事帰りのサラリーマン、デート帰りのカップル。そして、車内ではビールの空き缶が床をコロコロと転がってる。
そんな車内で華恋が安心したような様子で言った。
「誰も何も言わないね」
「どういうこと?」
有名人じゃないんだし当たり前だろと思って返す。
「この時間に中学生が乗ってても何も言ってこないってこと。普通なら補導されるよ?」
「あーそういうことか」
「あーそういうことかってもし補導されたらどうすんの?」
華恋が慌てた様子で志央の腕を強く掴んで言う。彼女に掴まれてる部分が少し痛い。
「それはその時考えるよ」
「その時じゃ遅いよ」
志央は、めんどくさいなーと言いたげな目で華恋を見る。
そういえば、志央は華恋がどういった理由で家出をしているのかまだ知らない。だけど、彼女の様子から大人に見つかったらまずいということだけは分かった。
華恋が理由を話すまで聞くつもりはないけど彼女にもそれなりの事情がありそうだ。
「逃げればいいじゃん」
「は?」
華恋が眉を顰める。
「逃げる。それしかないだろ」
「でも、いつかは捕まるよ。アニメやドラマの家出のシーンでもそうでしょ?」
「でも、それはアニメやドラマの話でしょ?現実はどうなるか分からないじゃん」
「そうだけど、それでもいつかは捕まると思うよ」
華恋の言葉に志央はもうなにも言い返さなかった。これ以上彼女と争ってもお互い自分の意見が正しいと思っているし一歩も譲る気はないだろう。ここでこれ以上口喧嘩をしても何も変わらない。
志央は黙ってリュックの中から家を出る前に作ってきた鮭おにぎりを1つ取り出して華恋の方に向けた。
「やるよ」
「中身は?」
華恋が不機嫌そうに返す。
「鮭」
「私が1番好きなのは海老マヨだけどせっかくくれたんだし食べてあげる」
「嫌なら食べなくていいよ」
志央がおにぎりを引っ込めようとすると華恋が慌てて志央の手からおにぎりを奪いとった。
「私、2番目に鮭が好きなの」
華恋は自分のリュックからペットボトルのお茶を出すとそれを膝に置き志央から奪い取ったおにぎりのラップを剥がしもそもそと食べはじめた。
「あんたってさ、意外と料理上手いのね」
「おにぎりは料理には入らないだろ」
「でも、美味しいよ」
そう言うと、華恋はお茶を一口飲んだ。
「普段料理するの?」
「するって言うか親にさせられてる」
「得意料理は?」
「オムライス」
「へー、いいなー」
華恋は最後の一口を頬張ると志央が食べているおにぎりに視線を向けた。
「それもう1つある?」
「あるけどまだ食う気?」
「お腹空いてるもん」
華恋は「何か悪い?」と言いたげな目で志央を見た。
志央のクラスの女子は給食を減らす女子や残す女子が多くて増やす女子は見たことが多かった。お腹が空いてるからかもしれないけどこういう子は少し珍しかった。
「晩ご飯食べてないの?」
「うん。食べずに家出た」
華恋は短い返事を返すと再びおにぎりをもそもそと食べた。
結局、1人2つ鮭おにぎりを食べたため明日以降はご飯をどこかで買わないといけない状態になってしまった。
本当ならこの鮭おにぎりは志央の今日の夜と明日の朝の朝ご飯でお昼以降はファストフード店か安い牛丼屋かファミレスで済まそうと考えていた。
自分の計画が狂ってしまったのは嫌だったが、それは華恋と一緒に行動すると決めた時からそうなることが確定していたし仕方ない。
そうこうしているうちに電車は終点の駅に到着した。
他の乗客に釣られるように志央達も降りてエレベーターに向かった。華恋の重いスーツケースを持って階段を登るのはめんどくさかったのとエレベーターなら一応個室だし他の乗客とすれ違わなくて済むと考えたからだ。
志央がエレベーターのボタンを押すと、エレベーターの扉はすぐに開いた。そこに2人で急いで乗り込む。もし、大人に見つかったら補導されるかもしれない。
やがて、エレベーターが改札に着いくと、志央は乗客達に笑顔で「ありがとうございました」と声をかける駅員に目を向けた。あそこで捕まったらせっかくの家出が台無しになる。
志央が駅員の顔色を伺ってタイミングを見計らってると、後ろにいた華恋が怪訝そうな表情を浮かべた。
「さっきから何をチラチラ見てるの?」
「駅員」
「駅員さんが何?さっさと行けばいいでしょ?」
「そういう訳にはいかないんだって」
志央はイラついた声で返すと、別のホームについた最終列車の客が改札を通るのを見計らって駅員から1番離れた改札へと向かった。
「ねぇ、これいつまで続ける気よ」
後ろにいる華恋が交通系ICカードをタッチしながら言う。
「明日の朝まで」
志央が再び駅員の方を見ると、駅員は出張中のサラリーマンと思われるスーツケースを持った若い男の人に道案内をしていた。今、駅員が話をしているのは若いサラリーマンでこっちを見ていない。
それを確認すると、志央は足早に改札から離れ駅の出口を目指した。
「お前さ、ここの駅来たことある?」
「何回もあるよ」
華恋がめんどくさそうな表情を浮かべて答える。
何でもいいからはやくして、と言われてもないのに言われたような気分になる。いや、華恋のことだから実際に思ってるのかもしれない。
気が強くてマイペース。思ったことははっきり口にしないと気が済まない。嫌いな訳じゃないけど、華恋は志央が苦手なタイプの女子だった。
「じゃあさ、どっか24時間営業の店知らない?」
「駅近のファストフード店とファミレスと安い牛丼屋くらいしか知らない」
「その中で店員の目が遠いところは?」
「ファストフード店じゃないのー?2階席に行けば掃除以外には滅多に来ないでしょ」
華恋がめんどくさそうに返す。
そんな彼女に対し、志央は心の中で「めんどくさい女」と呟くと駅近のファストフード店を目指した。
駅前のファーストフード店は、駅を出て横断歩道を渡ってすぐのところにあった。きっと、この近くの学校に通う学生や会社員に向けてつくられたのだろう。かなり便利な位置にある。
志央はファーストフード店を目指して横断歩道を渡ると店の扉を開いた。その瞬間。驚いた。
なぜなら深夜なのにそこそこ客がいたからだ。それも不良みたいな如何にも夜遊びが好きそうなタイプの客ではなくて普通の大学生がフロートを飲みながら勉強していたりサラリーマンがポテトを齧りながらスマホをいじったりしていた。
「深夜の飲食店って意外と客いるんだな」
そう隣にいる華恋に志央が耳打ちすると「どうせ終電を逃した人達よ」と返事が返ってきた。
「そんなことよりさ、お腹すいたー!志央何か奢ってよ」
「えっ、さっき食べたばっかりだろ」
本当はそんなに驚いてない。自分もおにぎり2つじゃまだ足りなかった。食べ盛りの男子中学生はおにぎりだけじゃ満足しない。
でも、華恋にまた奢るのが嫌で志央は空腹じゃないフリをした。
「じゃあ、私のだけで良いから買ってよ」
「そんなこと言われてもお金ないし」
華恋は一瞬ムッとした顔をしたが、すぐに「じゃあ座って待ってて」と言って注文カウンターへと向かった。
志央はそんな彼女を見送ると、階段を上って2階席の1番端のソファー席に座った。端っこの席ならあまり目立たないだろうと思った。
席に座ったことを機に電源を切っていたスマートフォンに電源ボタンを押す。
きっと、お母さんやその再婚相手からのメッセージや着信はきてないだろう。だが、もしきていたら後々面倒だから一応無料メッセージアプリの通知を確認してみる。
通知は志央が追加しているニュースの公式アカウントからきていただけでそれ以外は何もきていなかった。
まだ大丈夫だ。まだ誰も自分達の家出に気付いていない。
志央は次にスマートフォンのニュースアプリを開いた。男子中学生がニュースアプリを入れているなんて梅田達や華恋に知られたら絶対笑われるだろう。
でも、世の中のことを知っていて損することはないし高校受験のことを考えたらこの選択は間違っていない。面接で「最近気になったニュースは何ですか?」なんて聞かれた時に助かるだろう。そう考えると、ダウンロードしていて損はない。
ニュースアプリで全国ニュースと地元のニュースを目にする。自分達のことがニュースに載ってないか目を通す。もし、「中学生男女が行方不明!」なんて記事が書かれたら折角の家出の計画が台無しになる。
幸い全国ニュースにも地元のニュースにもそのようなニュースは載っておらず志央はほっとした。
志央がスマホから目を離すと、料理を注文した華恋がトレーを待ってキョロキョロと辺りを見渡していた。志央が彼女に手を振ると、彼女は頬を膨らませた。
「あんたさ、2階席に行くなら行くって言ってよ」
「華恋だって何も言わずにカウンターに行ったじゃん」
「普通注文してくる以外何も言わないでしょ?」
華恋はテーブルにトレーを置くと「これあげる」とぶっきらぼうに言うと志央の前にハンバーガーとポテトとオレンジジュースを置いた。
「私の奢り。文句はなしで」
華恋はそう言ってハンバーガーにかぶりつく。彼女が食べているのは、チーズと薄いハンバーグが入ったこのファストフード店で1番安いハンバーガーだ。
志央もハンバーガーを食べようとすると、前に座っていた華恋が机の上に置かれたスマートフォンを見た。
「志央ってスマホ持ってたんだ」
「うん」
「私も持ってる。連絡先交換しよ」
華恋はそう言って自分のスマートフォンを操作し、無料メッセージアプリのQRコードを出した。
志央がスマートフォンをかざすと、「華恋」という名前と共に志央も知っているクマのキャラクターのアイコンが表示された。普通の女子中学生という感じだった。
やっぱり、志央には普通の中学生っぽい華恋がどうして家でなんかするのかがよく分からなかった。
目の前で志央の母方の祖父母のポメラニアンの写真の志央のアイコンを見て「可愛いところあるんだねー」とケラケラ笑う華恋を見て志央はそんなことを思った。
その日は、アラームを設定して交代で仮眠をとった。幸いこのファストフード店は、フリーWi-Fiが繋がっていたこともあり志央も華恋もお互い荷物の見張りをする時はスマホゲームをしたり動画サイトを見たりして時間を潰した。
本格的な旅のはじまりは明日の朝9時だ。