キッズウォー
今日は日差しが強い。
梅雨入りもまだだと言うのに、すでに初夏の兆しを感じる。
まだ学校が始まる前の、朝の時間だと言うのに紫外線が肌をピリピリ焼く感覚がある。
そんな早朝の公園にやってきたのは、顔を青ざめさせた少年。
少年の足取りは幽鬼のように重く、周りの様子が見えていないようだった。事実、公園にいる私に気づいてない。
そんな少年の様子と、彼が手に持っているソレを見て、私は自分の推理が正しかったのだと確信する。……確信してしまう。
「おはようございます、少年。昨日ぶりですね」
私が声をかけると、少年は飛び上がるほど驚き、しばし茫然と私の顔を見つめ、慌てて手に持つソレを背中に隠す。
「な、なんでここに?」
信じられないような目で私を見る少年に、少し傷つく。
だけど、私は少年の目を見つめ、はっきりと答える。
「少年、これから君がやろうとしていることを止めにきました」
「懐かしいですね、少年。ここで私は君と出会いました」
朝の公園はとても静かだ。二人っきりのこの空間は都合がいい。
「覚えていますか? あの時君は私に悪戯好きのオバケの噂を教えてくれたんですよ。信じない私を連れて、自販機に向かうと『マムシ一本』て書かれたアルミ缶タワーがありました。フフ、今思い出してもあれはちょっと笑っちゃいますね」
あまりにも非日常的でばかばかしい光景。
その衝撃で気づくことができなかった。
「これって、おかしいですよね? アルミ缶タワーが積み上がったのは、自販機の作業員がジュースを入れ間違えたからです。同じようなことが何度も起き可能性は低い、悪戯好きのオバケの噂なんてたつわけないんです」
体をわずかに震わせ無言だった少年は、気丈にこちらを見つめ返す。
「い、イタズラ好きのオバケは他にもいろんなイタズラをするんだ。あの時はたまたまアルミ缶タワーがあっただけだよ」
「他の悪戯があると言うなら、あの時君はなぜ真っ直ぐ自販機に向かえたんですか? まるでその場所が悪戯されている事を知っているかのように?」
「ほ、本当は! あのタワーがあるのを知ってたんだ! 一度見て公園の外に出たんだ!」
よく頑張っていると思う。
この少年はとても頭が回る。よくこの短時間でこれだけの言い訳を考えつくものだ。
だけど、全部予想通りの答えだ。
「では聞きます。あの時君はこう言いましたよね? 『ほら見てよ、蓋開いてないでしょ』って。……何をどうやったら、私のおへそぐらいの身長の君が、私の胸ほどの高さのタワーの頂上の缶が開いてないことに気付けるんですか?」
「そ、それは……」
諦めてください少年、もうチェックメイトです。
「少年、本当は見てたんですよね? あの自販機でマムシ一本を購入してしまった誰かを。そしてあのタワーが積み上がるその瞬間を」
「悪戯好きのオバケの噂が、あの時少年がとっさに考えついた嘘だというなら、他の噂話にも疑問が生まれます。この街に流れる噂話はどこからきたものなのか? 少年知っていますか? 噂話の大元を探す方法を」
それは、あまりにも簡単な方法だ。
「噂話をしている人に、その噂は誰に聞いたのか? と尋ねればいいんです。噂話というものは人から人へ流れます。その逆を辿ればいいんです」
実際に私もそうした。街の主婦から主婦、主婦から中学生の子供、中学生からその友達、その友達からその兄弟、その兄弟から小学校のクラスメイト。
噂話の流れを逆流し、たどり着いたその先。
「君なんですね、この街に流れる噂、そのすべては君が流したものなんです」
少年を俯き、目を合わせてくれなかった。
「ここで一旦、話は私と少年の出会いに戻ります。なぜあの時偽の噂話をわざわざでっちあげたのか?」
今だからこそはっきりとわかる。あの時少年と出会ったのはただの偶然ではない。
「あれはテストだったんですよね? 噂話を子供の戯言だと思わず、その謎を解明できる探偵役を少年は探していた。そして、その条件を満たしたのがたまたま私だった」
悪い少年だ、この私を利用しようなんて。将来有望もいいとこだ。
「なぜ君がそんな存在を必要としていたか? その答えはすぐに見つかりました……いえ、思い出したというべきですね」
思い出したのは、小学生に囲まれたときの事。
あの時思い思いに喋っていた小学生たちのセリフだ。
「確か、『4組のあっくん、つちのこ探そうとして怪我したんだって!』 でしたっけ?」
私のセリフに、少年は肩をビクリと動かす。
「君が流した噂話のせいで、けが人が出てしまった。そのことに責任を感じた君は、噂話を鎮静化しようとしたんです。この私を使って」
実際に少年の目論見はうまくいった。
謎を解き明かすことによって、小学生は噂話に興味を失い始めたのだ。
少年は震えている。
彼を今追い詰めているのは私だ。
その事実に胸が痛むが、止めない。
「では、この謎の核心、なぜ君が噂話を街に流したのかを説明しましょう」
「まず考えたのは、ただの悪戯である可能性。でも違いますよね? 君はこんなことを意味もなくする子じゃありませんから」
これは推理でもなんでもなく、願望に近かった。
だがこれが正しいことは確信できた。
「きっと意味がある。そう思って考えた時、ある噂話がひっかりました」
この街に流れていた数多くの噂話、どれも取るに足らない眉唾なものばかりだった。
でも一つだけ、他の噂話とは毛色の違うものがあった。
「……犬を拐って食べる鬼。この噂話だけ明確な実害があります」
他の噂話など、たとえ実在しても大した影響力などない。
だがこの噂話だけは違う。
「子供達の間ではただの妖怪の噂だと思うでしょう。ですが、大人はもっと現実的な考え方をします。……ペット泥棒だと」
「…………。」
「そう、君の目的はこの噂話を街に流すことだったんです。他の噂話など、ただのカモフラージュに過ぎない」
「…………。」
「あとは……そうですね、より信憑性を持たせるために外に繋がれたペットをじっと見ている人がいた、なんて噂話を流せば完璧ですかね? そうすれば、この町でペットを飼っている人たちは存在しないペット泥棒を警戒します」
以前その噂を話しているおばさま方を目撃している。
「一番簡単で効果的なペット泥棒対策は何か知ってますよね? ペットを家の中で飼えばいいんです。事実として、外飼いをやめるお宅が増えたみたいです。君の目論見通りにね」
そこで一息つく。
もうあと少しだ。
ここで攻め切る。
「この公園、随分静かですよね? ……私たちが初めてここで出会った時、犬の吠える声でうるさかったぐらいだったのに」
そう、この公園の隣のお家も犬を中で飼い始めたのだ。
「全部……この子たちのためなんですね」
私が向ける視線の先、雑木林の木の影。
隠すように置かれたダンボールの中には……数匹の子猫がいた。
「あれだけ大きな声で吠えられたら、ストレスで食べ物を食べなくなってもおかしくないですよね」
そう、すべてはこのため。
噂話を町全体に流したのは、彼なりにこの子猫たちを守るためだったのだ。
「……全部あってる。すごいよお姉ちゃん」
観念したように笑う少年。
「ここまですごいなんて、僕の計算違いだったね」
いつもの無邪気な少年…………そう見える。
だけど、その笑顔が嘘だと私は知っている。
「まだです」
「え?」
「私の推理はまだ終わっていません」
「っ! な、何を!?」
「この子猫たち、怪我をしていますね? おそらく中学生たちの仕業。昨日揉めていたのはそれが原因ですね?」
「ち、違……」
「良識のある中学生ではなかったようですね。おもちゃのつもりで、子猫たちをいじめたのでしょう。これでは子猫たちが危ない。だから、君は今日ここに来た」
昨日の少年の剣幕、そして子猫たちのために彼が今までにやったこと。
そのことを考えれば、彼が何をしようとしているのか簡単に推理できる。
私は少年の手を掴んだ。
「は、離してっ!!」
「この推理だけは! 外れて欲しかったです!!」
そのまま少年が背中に隠し持ってたソレを奪い取る。
ソレは、錆びてボロボロになった草刈り鎌だった。
「……公園を襲うカマイタチ、君はこれで自分を傷つけるつもりだったんですね?」
「…………。」
「公園で子供が鎌で切りつけられるなんて事件が起きれば、中学生といえど公園に近寄らない。そうやって君は子猫たちを守ろうとしたんですね!」
「…………。」
「どうなんですか!? 答えて!」
「しょうがないじゃん。……他にどうすればよかったんだよう…………」
弱々しく呟く少年は、涙を流していた。
「この子たちをずっとお世話してたんだ。家じゃ飼えないからこの公園で。だけど隣の犬が吠えて、怯えてどんどん痩せて。他に飼う場所もないのに」
ポツリポツリと独白する。
「お姉ちゃんのいう通り、そのために噂話を流したんだ。最初は上手くいったのに、あっくんは怪我するし、昨日のあいつら、ツチノコ探してたら子猫を見つけたみたいで。ひどいんだ、蹴ったり、石投げたりしたんだよ」
その姿は目を背けたくなるほど痛々しかった。
「僕のせいだ、僕が噂を流したりしなかったら、あっくんは怪我しなかったし、子猫が虐められることなんてなかったんだ」
だから、自分で自分を切りつけようと。
あんな鎌で斬ったら破傷風になるかもしれない。……いや、そもそも自分を傷つけるという行為がどれだけ難しいことか。
彼はずっと戦っていたのだ。
幼い正義感と、悲壮なまでの覚悟を胸に。
たった一人で、ずっと。
でも、だからこそ私は言わなければならない。それは彼よりもちょっとだけ大人な私の役割だ。
「少年、君は間違っています。ペット泥棒なんて噂を流して、大切な家族を拐われるかもしれないと怯える人たちのことを考えたことはありますか? 君がその子猫たちを失ったら、どう思いますか? それに、君が怪我をして、それを見たお父さんとお母さんがどれだけ悲しむか、考えなかったんですか?」
「じゃ、じゃあ……どうすればよかったの? もう、わかんないよ……」
「頼るべきだったんです、大人を。……私を」
一人で抱え込まなくてもよかったのだ。
「初めて私と出会った時、君がいうべきセリフは、『助けて』 だったんです」
「……お姉ちゃん、今からでも助けてくれる?」
「はい、君が抱えていたもの全部、お姉ちゃんにお任せあれです」
放課後の公園、そこには少しがらの悪い中学生が三人集まっていた。
「ほら見ろよこれ」
「うわまじで? エアガンじゃん!」
「兄貴の持ってきた。あの猫的にしてやろうぜ」
「昨日のガキも一緒に撃っちまうか?」
ハハハと笑う三人組、だが今日はそんな上手くいかない。
「オイ」
野太く、力強い声。
中学生たちが振り向くと、そこには金髪で強面の大男がいた。
「お前ら、何を撃つって?」
大男に睨まれ、声も出さず震える。
「テメエら!!! ふざけたことしてんじゃねえぞ!!!」
「ヒ、ヒイイ!!!」
凄まれ、そのまま退散していく中学生、一目散に公園から逃げ出していった。
「いやーありがとうございます」
私は同じ部活の男の子に心からのお礼を言う。
これであの中学生も公園には近づいたりしないだろう。
流石学園一の不良と恐れられることだけある。ちょっと粋がった中学生なんてひと睨みだ。
「……なあ、これ俺捕まったりしない? 公園で中学生脅す高校生って、字面も絵面も最悪なんだけど?」
「まあ、大丈夫でしょう。何かあっても私が弁護してあげますよ」
図体はでかいくせに肝っ玉の小さい男だ。
「で、こいつがお前の言ってた悪ガキか」
そう言って少年に目線を向ける。
さっきの中学生よりもはるかにがらの悪い男に少年は怯えている。
そのまま彼は、少年の頭をガシガシと撫でた。
「…………一人でよく頑張ったな」
「あ、ありがとう」
あーあ、全くずるいなそういうところ。
頑張ったのは私なのに。
「うちの高校の知り合いに、子猫を買える人を探してもらってます。すぐに見つかりますよ」
「うん、お姉ちゃんもありがとう」
「いえいえ、もう変な噂流しちゃダメですよ?」
「うん!」
そのまま少年と少し言葉を交わし、別れる。
これで、この街に流れる噂話も時間と共に消えていくだろう。
少し寂しい気もするが、これでめでたしめでたしだ。
「ふう、これで肩の荷がおりました。あー疲れたー!」
「最近やけに忙しそうだったな?」
「ええ、まあそうですね」
でも、ちょっとだけ楽しかった。
ああいう謎解きもたまにはいいかな、なんて思ったりする。流石に妙な噂話はこりごりだが。
すると、何やら神妙な顔つきをした彼に話しかけられる。
「なあ、頼みがあるんだけど」
「……なんです?」
なんだろう、すごい嫌な予感がする。
「ほら、なんか最近噂の? 不幸の手紙ってのを受けとたんだけど……どうすればいい?」
「うっさい、もう知んないです」




