フェンスの向こうの白い悪魔
今日の私はご機嫌斜めだった。
夏服の新鮮さを忘れかけてきたこの頃、いつも通り部室に顔を出したときの出来事だった。
部室にいたのは同学年の部員の男の子。仏頂面の彼が部室に入った私をじっと見つめてきたのだ。
なんだろう? と考えたとき、私は夏服を着ていることを思い出した。
初めて夏服をお披露目した時なんのリアクションもなかった彼。そんな彼が私の夏服の素晴らしさに気がついたのかと少しワクワクした。
だが、彼があまりにもこちらを見つめてくるものだからだんだん気恥ずかしくなり、ワクワクとした胸の高鳴りが、妙に落ち着かないものに変わった。
『な、何なんですか?』
たまらず彼に質問をした。
彼は一体何を言うつもりなんだろう?
少しの静寂の後、彼は見たことがないほど真面目な顔をしながら口を開いた。
『なあ、お前…………』
「言うに事欠いて! 『胸しぼんだ?』 はないでしょうっっっっっ!!!」
私の大声に、隣で話を聞いていた少年はビクっと肩を動かした。
「何なんですかあの男は! 風船じゃあるまいし、胸がしぼむわけないでしょう!!」
「お、落ち着いてよお姉ちゃん……」
「……確かに! 最近暑くて蒸れるので、パッドを入れてませんでしたけど!!」
「しぼんでんじゃん」
違う、そうじゃないのだ。今ここで大事なのははそんな些事ではなく、女の子にセクハラまがいの質問をしたあの男がいかに愚かかということだ。
「いいですか少年! 大きくなってもデリカシー皆無のあんちくしょうみたいになってはなりませんよ!!」
「う……うん」
この少年と出会い、街の噂の謎解きを始めてからもう2週間ほどになる。
放課後や、朝の通学の時間を利用して様々な噂の謎を解いてきた。
異世界から聞こえるチャイム(学校のチャイムが遠く離れた場所の建物に当たって、本来ならあり得ない場所から山彦のように響いただけだった)
いつも濡れている地面 (登下校をしている小学生が熱中症にならないよう、地域の人が打ち水をしてくれていた)
などなど、数多くの謎を解いてきた。
初めの頃は評判を聞きつけた小学生たちが押し寄せ、一時期は30人近くの子供を引き連れて調査をしていたが、今ではめっきり少なくなってしまった。
まあ、私がやっていることは手品のネタバラシをしているようなものだ。最初は面白いだろうが、すぐに飽きてしまう。
小学生にとっては、面白みのない現実よりも、ワクワクする非日常がいいのだろう。
だが解き明かしても解き明かしても、噂が尽きることがない。
「で、今日はどんな噂なんですか?」
この少年は一体どこから噂話を仕入れてくるのだろう? 小学生ながらなかなかの事情通だ。
「うん……今日の噂は……うん、見て貰えば早いよ」
……? どうしたんだろう? 珍しく歯切れが悪い。
そのまま少年についていくこと少し、着いたのは街を流れる用水路が交わる場所。
子供間違って落ちたりしないように、四方を隙間なく高いフェンスに囲まれたその場所からは、いつもよりも水の流れが強く聞こえる。
その場所に小学生が数人、フェンスの一角に集まって何かに注目していた。
しゃがみ込んだ小学生たちの視線の先、フェンスの向こう側には……
「…………何でこんなところにガン○ムが?」
見事なポージングを決めたプラモデルが直立していた。
「少年……説明をお願いします」
なんと言うか、シュールだ。
フェンスのほんの少し向こう、水の流れる場所一歩手前ぐらいに置かれたプラモデルは、妙に凛々しく、街の景観と妙なマッチングをしている。
「いや……見たまんまなんだけど。ちょっと前から置かれてるんだ。でも、どうやってあの場所に置いたかわからないんだ」
「……なるほど」
その奇妙な出たちで気付くのが遅れてしまったが、プラモデルが置かれている場所は普段一般人が立ち入れるような場所ではない。
その場所にたどり着けないように立ちはだかるフェンスは高く、少し頑張ったところで登れそうな代物ではない。
またフェンスは格子状の金網でできており、プラモデルが通るほどの隙間がない。
「なるほど、指は入るけど手のひら全体は入らない。プラモデルまでギリギリ手が届きませんね」
少年の言う通り、プラモデルをどうやってあそこに飾ったのか検討がつかない。
「投げたんじゃない?」
小学生の一人が自分の考えを口にする。
フェンスは高いが、投げれば容易に飛び越えられそうだ。
確かに真っ先に思いつくことだが……
「いえ、それはないでしょう。そんなことをしたら壊れてしまいます」
そもそもプラモデルは直立してポージングしているのだ。どうやって投げればそんな器用な着地を決められると言うのか。
「じゃあ、紐をくくりつけておろしたんじゃない?」
「ほう、考えましたね」
最近私に触発されて、自分で謎を解いてやろうと考える小学生が増えた。
なかなか面白い考え方をするが、まだまだ甘い。
「でもそれだと結局上まで投げなければならないから、ポーズが崩れます。それにほら見てください。プラモデルはフェンスから少し離れた位置にあるでしょう? もし紐で吊り下げておろしたのなら、フェンスのすぐ近くにおりてくるはずです」
「あ、そっかあ」
少し悔しそうに頬を膨らませる小学生が微笑ましい。
だけどそんなに呑気にしていられない。
小学生にダメ出しをしているが、私もまだ何も考えついていないのだ。
どうにか侵入したのだろうか? 例えば脚立か何かを使って。
……いや、それはない。フェンスの向こうには割とすぐ側に用水路があり脚立を置くスペースがない。行きはなんとかなるかもしれないが、戻ることができなくなる。
そうだ、ドローンを使えばどうだろう? フェンスを余裕で飛び越えられるし、スペースも関係ない。
紐か何かで吊るして、ドローンを飛ばせば! …………紐をどうやって解くと言うのか。
自分の考えを自分で否定してしまい、少し落ち込む。
「うーーん、どうやってプラモデルなんて複雑なものをフェンスの向こう側に?」
思わず独り言を呟く。
すると、その独り言に少年が反応を示した。
「複雑じゃないよ。あれ一番安くて簡単に作れるやつだから」
「……え? そ、そうなんですか?」
「うん、僕も持っている」
あえて言わせてもらうが、私は普通の女の子。
プラモデルなんて作ったこともないし、触ったこともない。
当然プラモデルの知識なんてない。
「そ、それを早く言ってくださいよ! なら話は簡単ですよ!!」
「え? えっ?」
「謎は解けました! 明日またここに集合してください!」
「さて集まりましたね皆さん」
翌日の放課後、同じ場所に集合した私と小学生たち。
こうやって彼らに推理を披露するのも何度目だろう? もうすっかり慣れたものだ。
「今回の謎は、フェンスの向こうに存在するガン○ム。このプラモデルがどうやってあの手の届かない場所に飾られたかと言うことです」
私は頑丈な金網を軽く叩く。
「ポイントは、飾られている物がウルトラ○ンのフィギアじゃなく、リ○ちゃん人形でもない、ガン○ムのプラモデルであるという点です」
そう、これはガン○ムのプラモデルだからこそできた芸当なのだ。
「そして今回、私持ってきました」
そう言って鞄からあるものを取り出す。
「え? お姉ちゃんプラモ買ったの?」
「はい、このためにわざわざ買ってきました」
まあ、そんな高いものではなかったが。
取り出したのは飾られているプラモデルと同じシリーズのもの。これを昨日の夜に組み立て、学校の鞄に入れて放課後まで過ごしたのだ。
…………誰にも見つからなくてよかった。冷静に考えれば、学校の鞄に裸のプラモデルを入れている女子高生なんて痛すぎる。
「このプラモデルですが、当然このフェンスの隙間を通りません」
サイズが合わない。どんな角度で入れても引っかかる。
「ですがここで、プラモデルであると言う利点を生かします」
そう言って私は、プラモデルをバラバラにした。
「…………あ」
これを見て、小学生たちも気づいたようだ。
プラモデル全体はフェンスの隙間を通らない。ならば、各パーツに分けてそれぞれを金網にねじ込めばいいのだ。
「腕、脚、胴体、顔。このプラモデル組み立てて気づいたんですが、一度各パーツを組み立てて仕舞えば、あとはそのパーツを組み立てて作れる簡単仕様なんですね」
昨日少年の言った通りだった。安い分、複雑な機構が存在しない。
「そしてパーツをフェンスの向こうに移動させたら、そのまま組み立てます」
金網には指しか通らないが、逆に言えば、各格子から指全部は通るのだ。
組み立てるのがちょっと大変だが、この簡単なプラモデルならフェンス越しでもなんとか組み立てられる。
「あとはポーズをつけて……ジャジャン、ここで菜箸の登場です」
鞄から取り出した菜箸をフェンスに通し、プラモデルの脇の下を挟むようにして持ち上げる。
「そしてそのまま奥に移動させれば……はい! ガン○ムフェンスの向こうに立つ!」
二体仲良く並ぶガン○の完成だ。
「お、お姉ちゃん、今日もすごかったよ」
「……慰めなんていらないです」
見事な推理を披露したと思ったのだが、小学生たちの反応はよろしくなかった。
中には『えー、つまんない』と言う声も聞こえてきた。
仕方ないじゃないか。我ながらフェンス越しにプラモデルを組み立てる作業は地味だとは思っていたのだ。
だけどこれが真実なのだ。華々しい真実など存在しないのだ。
「しかし、これで次の謎解きの時は、また人数減っちゃいますね」
少し寂しい。だけど、こんなものかと思う。
小学生の流行り廃りんなんて、光陰矢の如しだ。
だけど、この少年はよく飽きもしないものだなと思う。
当然この子が言い出しっぺなのだから、飽きたなんて言ったら思わず引っ叩いてしまうかもしれないが。
「そうだね、もうそろそろかもね」
「……え?」
「またね! バイバイ!」
呼び止める暇もなく、少年は去っていった。
今更になって思うのだが、私はあの少年のことをよく知らない。
この近くに住んでいる噂話好きの少年で、小学校低学年ぐらいと言うことしかわからない。
基本的には物静かだけど、ちょっと強引なところがある少年といった印象だ。
ここ数週間でそれなりに親しくなったとは思う。少年の人柄というものもある程度理解していたと思っていた。
……その日までは。
「どっか行けっっ!!」
ある日の放課後、公園の前を通り帰路に着いていた私の耳に、聞き覚えのある、だけど聞いたこともないような絶叫が聞こえてきた。
「なんだこのガキ!」
「消えろ! 消えろっ!!」
そこには、先日見かけた中学生たちの足にすがりつく少年がいた。
「邪魔なんだよ!!」
中学生はそのまま少年を蹴り飛ばした。体重の軽い少年はそれだけで地面をゴロゴロと転がる。
「何をやっているんですかっ!?」
慌てて駆け寄ると、中学生たちは舌打ちを返しながら、公園を立ち去った。
「大丈夫ですか!? 一体何があったんです?」
少年は擦り傷だらけだった。心配のあまり体に手を伸ばそうとした。
しかし……
「うるさい!!」
少年からは、まさかの拒絶を返された。
「お姉ちゃんには関係ない!」
「か、関係ないって……」
見たことのない少年の形相に、思わずたじろいでしまう。
「お姉ちゃんもどっか行って! この公園から出てって!!」
冷静に考えれば、ただの子供の駄々だったんだろう。
だけどこの時の私は冷静ではなく、逃げるように公園から立ち去ってしまった。
わからない、あの少年のことが。
「私って、あの子のこと何も知らないんですね」
思わず出た呟きが、胸に突き刺さる。
知った気になっていた。この数週間一緒に謎を追いかけ回していた少年のことを。
だけどそれは幻想だったのだろうか?
初めてあったときのことを思い出す。
あの公園で、悪戯好きのオバケがいるからついて来てなんて言われたんだっけ?
そして実際に少年を追いかけると…………
「……あれ?」
妙な違和感を覚える。
思わず立ち止まり、違和感の原因を探す。
すると、自分の脳味噌が不思議なぐらい活性化を始める。
「あれ?」
走馬灯のようにここ数週間の出来事が頭に流れる。
街に流れる奇妙な噂、小学生たち、黒魔術の儀式、あっくん、異世界のチャイム、マムシ一本、つちのこ、人面犬、鬼、ガン○ム、
そして…………アルミ缶タワー
「……………………あ」




