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「もう……もう嫌だ……帰りたい」
図書室を後にし次の目的地へと向かうが、その足取りは重い。
図書室で起きた怪奇現象、それは俺の精神に致命的なダメージを与えた。
今は……夜の10時か。この調査を始めてまだ1時間しか経っていないのかと驚く。この1時間で大幅に寿命が減った気がする。
「吉岡さん痩せました?」
「……かもしれん」
鏡を見ればビックリするぐらいやつれた自分の顔が映るだろう。……まあ今では鏡を見ることすら怖いが。
そんな俺を見かねたのか、桐花が珍しく俺を気遣う言葉をかけてきた。
「今からでも吉岡さん一人で帰ったらどうです?」
「……馬鹿野郎、お前を置いて……いけるか」
「はあ……セリフだけはかっこいいのに……」
足元がおぼつかなくてフラフラする。非現実的なことが続け様に起きたせいで今が本当に現実なのか夢を見ているのか分からなくなってきた。
……いかん、意識をしっかり持たねば。こんな時は……
「……吉岡さん、流石に数珠と十字架の同時持ちはどうかと」
「……和洋折衷、和洋折衷……ダブルで効果2倍」
「それは和洋折衷じゃなくて、ただのチャンポンです」
古今東西、ありとあらゆる神々に祈りを捧げる。……どうか、無事に生還できますように。
神楽坂先輩に連れられてやってきたのは、旧校舎1階の1室。
「あれ? 電気つかないわね」
先輩はスイッチを何度も入れようとしているが、明かりがつかない。どうやら壊れているようだ。
だが窓から正面玄関の外灯の明かりが差し込んでいるため、室内はお互いの顔が確認できる程度には明るい。
そしてその窓だが……
「何で障子張りなんすか?」
ガラス窓の内側には障子窓が取り付けられていた。外の景色が一切見えずほのかに光だけが差し込んでくる。
この旧校舎を回って見てきたが、障子が使われているのはこの部屋だけだ。
「それは情報秘匿のためね。だってここ、旧新聞部の部室だったんだから」
「ここが?」
薄明かりの差し込む室内を見渡せば、並んだ作業机に、何やら資料がびっしりと詰め込まれた本棚。
なるほど、言われてみれば新聞部らしい雰囲気がある。
「当時の新聞部がネタが外に漏れないようにするため障子窓を取り付けたみたいね。まあ、覗き見防止よ」
「覗き見防止って……大袈裟すぎませんか? ここ、障子窓を取り付けるために改装した形跡がありますよ」
「新聞部が集めた情報には個人のプライバシーに関する物もあるから、万が一すらないようにしていたんでしょうね。情報を扱うというのはそれだけの責任がある行為なんだから」
「……なるほど」
桐花はそのまま神妙な顔をして何か考え込む。
珍しく真面目な顔しているところ悪いが、俺はさっさと終わらせたいんだ。
「この部屋に来たってことはここが七不思議の舞台なんですよね? どんな話なんすか?」
神楽坂先輩に話をするように促す。さあ、幽霊でも何でもかかってこい。
「……七不思議その6、七不思議を調査する新聞部員よ」
「……え?」
全く予想だにしなかった先輩の言葉に唖然とする。
七不思議を調査する新聞部員。それって……
「それって、先輩たちのことじゃないですか……」
神楽坂先輩、百目鬼先輩はマスメディア部だ。だがその原型は新聞部のはず。
意味がわからない。何で先輩たちが七不思議に組み込まれているんだ?
「……実を言うと、七不思議の調査を行なったのは私たちが初めてではないの」
どういうことだ? こんなケッタイな調査を行なったのが俺たち以外にいるのか?
「……なるほど、先輩たちよりも前の代のマスメディア部員、そして新聞部員ですね?」
桐花の言葉を神楽坂先輩は肯定する。
「新聞部は10年に1度七不思議の調査を行なっているわ。ただしそういった伝統があるわけじゃない、そんなこと知らないはずなのに、10年に1度必ず七不思議の調査をしようと言い出す部員が現れるそうよ。まるで、何かに導かれるように……今回は私がそうだった」
先輩の言葉を聞いて体の感覚がおかしくなったかと思った。
足元が急に無くなってふわふわ浮いているような錯覚に陥った。
先輩の言っていることはわかるが、頭が、理性が追いついていかない。
現実味がなさすぎて夢でも見ているみたいだ。
「じゃ、じゃあ何ですか? 俺たちがこうやって七不思議の調査をしていることが、七不思議そのものだと?」
「……そうよ」
無意識に身体が震える。
得体の知れない“何か”に操られているようで、気味が悪かった。
「前に七不思議は私たちがいくつかある怪談話の中から選んだものだって言ったわよね? それは10年前も20年前も……さらにその前も同じ、怪談を調べて、選出して、自分たちだけの七不思議を作り上げる」
でも……と先輩は続ける。
「でも、七不思議の6番目と、7番目だけは同じものになる。調査の過程で気づくの、10年前にも同じようなことが行われていた事に。そして最後、土地神サマに祈りを捧げて七不思議の調査を終わらせる。……私たちはそれをずっと繰り返してきた」
耳が痛くなるほどの静寂。
先輩の口から語られた衝撃的な怪談に、どのような反応を返せばいいのかわからない。
俺たちは一体何をしてきたんだろう? 自分の信じてきたものが音を立てて崩れたような気分だ。
神楽坂先輩はノートを取り出した。少し古ぼけた厚手のノート、それがただのノートでない事は容易に感じ取れた。
「これは今まで調べられ、作り上げられた七不思議が全てまとめられたノートよ。七不思議その6はこのノートに自分たちが調べた七不思議を書き込むことで完了するわ。そうやって代々の七不思議がこのノートに収集されてきたってわけね」
「そんな物があったんですか?」
「ええ、今のマスメディア部の部室にね。……不思議なことにこのノートの存在を誰も知らなかったの、でも七不思議の調査をして5番目の七不思議を決めた後いきなり見つかったわ。……ふふ、中身を読んで流石の私も腰を抜かしそうになったわ」
先輩に渡されたノートを桐花はパラパラとめくる。……おい、呪われたりしないか?
「“生徒指導室から聞こえる呻き声” “無人の廊下で弾むサッカーボール” …… 本当ですね、書かれている七不思議が全部バラバラです。……その6とその7以外は」
桐花は俺にノートを渡してくる。正直怖くて仕方ないが、恐怖よりも好奇心が上回った。
暗くて見辛いが、窓からの明かりを頼りにノートを読む。
ノートには歴代の七不思議が綴られていた。内容は桐花の言った通りバラバラであったが、その6とその7だけは奇妙に揃っていた。
「きっと歴代の新聞部員も七不思議を5つまで決めた直後にこのノートを見つけて、真実を知ったんでしょうね」
もしそうだとしたら、このノートそのものが何かしらの怪異じゃないのだろうか?
俺は慌ててノートを神楽坂先輩に返す。
「こ、このノートまだ今回の七不思議書いてなかったすけど、今から書くんすか?」
「ええ、七不思議その6はこの場所で完了させなければならないそうだから」
そう言ってノートにスラスラと七不思議を記述していく。
……こうやってまた七不思議はつづいていくんだな。10年後のマスメディア部もこのノートを読むんだろうな、そう思うと妙に感慨深くなってしまう。
これで完了か。奇妙極まりない話だったが、今回はそんなに怖いことも起きなくてよかった。
そう胸を撫で下ろしているうちに、先輩はノートへの書き込みを終える。
「よし! これで終わり、次に……」
顔を上げた先輩の表情が固まる。
「先輩?」
先輩の視線が一点に固定されたまま動かない。
その視線は障子窓が取り付けられた窓に向けられていた。
視線を追うと、そこには……
障子に映る少女の影があった
「ひっ」
短い悲鳴があがる。誰のものだろう? ひょっとしたら俺のかも知れない
忘れ物を取りに来た学園の生徒……なんて楽観的な考えはできない。ここは旧校舎、一般の生徒が立ち寄ることはまず無いのだ。
じゃあ、この影は一体なんだ?
少女の影は障子の中でゆらゆらと揺れながら、少しづつ大きくなっていった。
(近づいてくる!)
全身の細胞が全力で警報を鳴らすが、まるで金縛りにあったみたいに一歩も動くことができない。
影はどんどん大きくなり、障子全てを覆い尽くした。
その時、神楽坂先輩が動いた。
「ちょ、先輩!」
何するつもりなんすか!?
先輩は窓に近づくと、少女の正体を確かめるべく障子窓を開いた。しかし……
「……誰も……いない」
そこには少女の姿はなかった。
そんなバカな……今窓の外には少女が、すぐ側まで近づいていたんだぞ!!
どこに消えた……
「先輩、今のは一体?」
「……わからない、こんなこと書いてなかった」
緊張がとけ、そのまま尻餅をつく。
身体に力が全然入らない、腰が抜けるというのはこういう事なのか。
何なんだ今のは? 今までの七不思議とは違う、決して勘違いなんかじゃない、目の錯覚でも幻覚でもない。この目ではっきりと“何か”を目撃した。
体が震える、呼吸が早くなる、心臓が痛いぐらいに早鐘を打つ。
この感覚を俺は知っている。ガキの頃、あの山で“アレ”を見た時と同じ感覚。
どこまでも純粋な恐怖。
「だ、大丈夫ですか? 吉岡さん」
「……。」
「立てますか?」
「……ヒクッ」
「え?」
「ううう、ヒクッ、グスッ、ウエエエエエン」
「え? え! 嘘!? 泣いてる!?」
「も、もうダメだ! ヒクッ お、俺は……今日ここで ウッ し、死ぬんだ! ウワアアアン!!」
「し、死なない! 死なない! 大丈夫ですから!!」
読んでいただきありがとうございます。




