4
我らが晴嵐学園は生徒数千人を超えるマンモス校である。そのためか、学園の敷地もとてつもない広さを誇る。
その中には、野球グラウンド、サッカーグラウンド、テニスコート、プール、などの部活専用設備が揃っている。
この学園は進学高でありながら部活動にも力をいれており、全国大会でも上位の成績を残すような部活が多数存在する。
そしてこの学園の大きな特徴、金を持っており、気前のいいことだ。
良い成績を残せば部費は大幅にアップし、場合によってはなんと、新しい設備を建てることすらやってくれるそうだ。
そのため……
「デカイな」
全国大会常連である、我が学園の柔道部の道場は随分と立派だった。
木で造られたた和の趣がある柔道場。かなり古風な作りだが、建てられたのは結構最近のことであるらしい。
中からは部員たちの活気ある声が聞こえてくる。
今からこの中に入ってタケルと話さなきゃならんのだが……自分で提案しておいてなんだが、完全にアウェーな空間に入るってのは緊張するな。
しかしそうしなければ事が進まないので、意を決して道場の扉を開けた。
「って、汚ねっ」
扉を開けた瞬間感じたのは、汗臭い男どもの熱気。これはまだいい、去年の夏休みの経験で慣れているし、むしろ懐かしいぐらいだ。
だが次に感じたのは異常な臭気。玄関に散乱したゴミ袋の山と、脱ぎっぱなしの靴。よく見ると靴箱が壊れて入りきらなくなっている。
そして次に目に入ったのは、部員が練習に励んでいる道場内。ここは流石に比較的綺麗ではあるが、これもよく見ると畳が擦り切れてかなり古くなっている。・・・・蛍光灯もいくつか切れてやがる。
「もー、またこんなに散らかして」
柔道部の可愛いお手伝いさんは、これまた可愛らしくプンプンといった感じで怒っている。
いや、これ散らかっているとかそういうレベルじゃないだろ。綺麗なのは外観だけかよ。
まあ、それは置いておいて今はタケルだ。柔道部の連中は流石の集中力と言うべきか、俺たちが扉をあけて入ってきたことに気づいていない。
「ほら、吉岡さん行ってくださいよ」
そう言って桐花は俺の背中をグイグイ押してくる。こんな汚ねえとこ入りたくねえんだが。
しかたがない。俺は靴を脱ぎ、足の踏み場も無いような玄関をなんとか割って進み、
「ちわーっす、1年の吉岡 アツシです! 剛力 猛はいますか?」
と、声を張り上げた。
すると部員たちはこちらを見て、明らかに不審そうな顔をした。……まあ、学園の不良と呼ばれている俺がここに来ればそんな反応になるのは目に見えていたよ。
すると部員たちの中から、柔道着姿のタケルが慌ててやってきた。
「よ、吉岡!? どうしたんだいきなり?」
「よお! タケルくぅーーん!! 久しぶりだな!」
たったの1カ月会ってなかっただけなのに、随分と久しぶりな気がする。それはやはり、彼女がいて俺の手には届かないような存在になっちまったからだろうなっ!!
「こんにちは。私、桐花 咲と言います」
「桐花まで!? 何の用だ!? 俺はお前が興味を持つような話は持ってないぞ!!」
「……あの、私のイメージってこんなんですか?」
何を今更。
しかしそれよりも、タケルは今明確に嘘をついた!
「タケルくぅーーん! ちゃんとあるだろう? 俺にも話してなかった恋愛話がよぉ!!」
「な、なんの話だ?」
しらばっくれやがって。こいつには言いたいこと、聞きたい事が山ほどある。
だが、今回ばかりは俺の役目じゃない。
「タケルくん……」
「……マユミ」
恋人を前に苦々しげな表情を浮かべるタケル。その表情の理由は、気まずさか、罪悪感か。
「……もうここには来るなと言ったはずだ」
静かな口調ではあったが、それは確かな拒絶だった。
「なんで! 私何かした? メールの返事もくれないし、学校でも避けるからどうしてなのかわからないの!」
「なんででもいいだろう。お前はここに来るべきじゃない、それだけだ」
「なんででもいいって……それじゃわからないよ!! せめて理由を話してよ!!」
小柄な彼女からは想像もつかないような大きな声で抗議する九条。理由のわからない拒絶に対する不安と恐怖が、彼女の中に溜まっていた感情を溢れさせた。
しかし、
「迷惑なんだよ!!」
タケルは、さらに強い拒絶で返した。
「そんな……」
「……柔道部の手伝いをしてくれたことには感謝している。だが、お前がいると俺は弱くなる」
絞り出すような声、何かに耐えるかのように固く握られた拳は震えている。
「浮かれていたんだ、お前に告白されて付き合うようになってから。嬉しかったさ、俺みたいな男にも恋人ができるんだって。だけど、お前と一緒にいると、自分がどんどん軟弱者になっていることがわかった。……こんなんじゃ、俺の夢である世界一の柔道家になんてなれやしない」
それは九条を、九条と恋人であった時間全てを否定する言葉だった。
「タケルっ!!」
「吉岡っ!! お前には関係ない! すっこんでろ!!」
あまりの言い草に、止めに入った俺すらも拒絶した。
「関係ないだと? テメェ……本気で言ってんのか?」
「……本気だ。」
タケルの眼には強い決意が見えた。
「出て行け!! 俺の夢に、お前たちの存在は邪魔だ!!!」
タケルに無理矢理柔道場を追い出され、俺たちはまた教室に戻ってきた。
「わ、私……迷惑って、邪魔って……タケルくん」
「九条さん……」
道中、まともに言葉にならないほど泣く九条を、桐花は慰め続けていた。
「いくらなんでも酷すぎます!! こんなにも恋人思いの九条さんを迷惑だなんて!!」
「……。」
タケルを強く非難する桐花。しかし、その言葉は俺の頭に入ってこなかった。
怒りで、それどころではなかった。
「……条がいることが迷惑だと?」
自分でも驚いていた。あいつの言葉、その1つ1つがここまで俺を苛立たせるなんて思ってもいなかった。
「俺たちの存在が邪魔だと!?」
最初はその理由がわからなかった。その訳のわからない熱が俺の中で膨れ上がり続ける感覚が不快で仕方なかった。
「そのせいで弱くなるだと!!」
そして怒りの理由がわかった時、感情が抑えきれなくなり、
「ふざけんなっっっっ!!!!」
ついに爆発した。
「お前がそんなこと、本気で思ってるわけねえだろうがっっっっ!!!!!!」
あいつは大嘘つきだ。
「よ、吉岡さん!?」
「恋人ができて浮かれた? そらそうだろうよ! あいつは今まで柔道一筋のバカゴリラだ! 浮かれないわけがねえ!! そのくせそのことを俺に言わねえ、とんだ薄情者だよ!!」
そうだ、タケルのことは俺が誰よりも良く知っている。
「あいつはバカで、ガサツで、無神経で! 下手すりゃダチの俺より、恋人の九条より柔道を優先するかもしれない様なクソ野郎だよ!! だけどっ!だけどあいつは!!」
だからこそ、俺は許せなかった。
「俺の親友は! 自分の弱さを誰かのせいにする様な卑怯者なんかじゃない! 絶対に!!」
俺が誇れる親友が、誰よりもかっこいい男が、あんな事を言ったという事実が許せなかったんだ。
「何か理由があるはずだ! あんな嘘をついてまで九条を拒絶した理由が!」
あいつが言った事は全部嘘っぱちだ。それだけは確信を持って言える。
「絶対に突き止めてやる……あんなふざけた嘘をついた理由を!」
「突き止めるって?そんなの、一体どうやって!」
九条の顔には不安と絶望が入り混じっている。……ああ畜生っ、せっかくできた彼女にこんな表情させやがって!!
「わかんねえよ! チクショウっ!! だけど、どうにかするしかねえ!!」
どうする?どうすればいい? あのバカは頑固だ。こうと決めたらテコでも動かない。あいつを問い詰めたところで吐く様な事は絶対にしない。
そうやって、頭を悩ませていると、
「吉岡さん、剛力さんは先ほどの様な態度をとるような人物ではない。間違い無いですね?」
桐花が今までになく真剣な様子で話しかけてきた。
「……ああ、絶対だ」
俺をじっと見つめてくる桐花のその眼差しに、少し気圧されるが肯定する。
そして、桐花は九条に向き直り、
「九条さん、どうしますか? あんなに一方的に振られて、あれで本当に納得しましたか?」
「……そんなの、納得できるわけないじゃない!! 私だって知りたいよ! なんであんな事言われなきゃならなかったのか。タケルくんが本当はどう思ってるのか! 知りたいよ!!」
袖口でゴシゴシと涙を拭き取り、叫ぶように自分の思いを告げる。
そんな九条を見て桐花は、
「なら、改めて協力させてください。九条さんと剛力さん。お二人が以前の様な恋人関係に戻れるように」
力強く協力を申し出た。
「私は恋愛が好きです。誰かを好きになって、その想いに焦がれ、想いをぶつけ、お互いを想い合う。そんな恋愛が大好きです。恋愛は素晴らしいものだと信じています」
それはまるで告白の様だった。自分の想いを精一杯告げる愛の告白。
俺はここきて初めて、桐花の事が少し理解できた気がした。
「だからこそ、私はありとあらゆる恋愛話を集めてきました。全てはこの時のため、悲しい結末に終わりそうな恋愛を、少しでも助けるために」
そして桐花は胸を張って堂々と宣言した。
「恋の悩みは全て、この恋愛探偵、桐花 咲にお任せあれです!!」