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「吉岡さん、ちょっとデレデレしすぎです! もっと真面目にやってください!」
「いや……あれはしゃあねえだろ……」
桐花から苦言を呈される。言い返してみるが、デレデレしてる自覚はあるため強くは言えない。
……いい匂いだった、正直女の香水なんて強い匂いで自身の体臭を誤魔化すだけの物かと思っていたが、今日の出来事で認識が改められた。香水は自分に合った物を使う事で自身の体臭を、自分の匂いをより引き立てる物だったのだ。
あの時、神楽坂先輩を至近距離で接した時、柑橘系の爽やかな香りと共に神楽坂先輩の女子特有の柔らかく甘い香りが鼻腔から脳味噌を直接揺らした。あのインパクトはしばらく忘れられそうにない。
「……吉岡さん、今とんでもなく気持ち悪い事考えてるでしょ?」
「……。」
仕方ないだろっ、だって男の子だもん!!
「そ、それよりもあの階段! あれは一体なんだったんだ!?」
分が悪いことを感じ取り、とっさに話を切り替える。
桐花の冷たい目線は変わらないものの、話題の変化に乗ってくれた。
「……どうせ数え間違いでしょう、段数が変わったのはあれ一回でしたし」
俺が転倒しそうになった直後、桐花が1人で何度も階段を上り下りして段数を数えたが、上りも下りも変わらず12段だった。
桐花のいう通り、段数に変化があったのは俺の時の一回だけ。だが……
「あの時は俺と一緒に神楽坂先輩も数えていたんだぞ? 2人揃って間違えることなんてあり得るか?」
「……。」
「やっぱりこの校舎ヤベーって、ゼッテー何かあるって。祟られる前に退散しようぜ」
「……神楽坂先輩には乗り掛かった船だから、なんてカッコつけてたくせに」
「うぐっ……」
ジト目で睨まれる。
そうこうしているうちに次の目的地、図書室へとたどり着く。
図書室の扉の前に立ち、神楽坂先輩はカメラに目線を向ける。
「ここが七不思議その5、悪戯好きの少年、の舞台よ」
……ここ含めてまだ3つもあるのか。とてつもなく濃い夜になっちまったな。
「なるほどなるほど、図書室も七不思議の定番ですね。それではその怪談の説明をよろしくお願いします」
桐花の小慣れた感が若干ムカつくな。コイツ、まさか飽きてきたんじゃねえだろうな?
「この図書室の七不思議は、簡単に言えば幽霊が出てくる怪談よ。この図書室に住み着いている少年の幽霊が本の配置を変えたり、静かに読書をする生徒を驚かしたりと言った悪戯をする話」
「幽霊ですか? 先程幽霊の出てくる怪談は除外したとおっしゃってませんでしたか?」
「ええその通りよ、歴史があるだけあってこの学園は幽霊の噂には事欠かない。屋上から飛び降りた女生徒、交通事故で他界した野球部員、病死してなお教壇に立ち続ける教師……ざっとあげただけでもこれだけあるわね」
どれも定番ではあるが、だからこそあってもおかしくないリアルさがある。
「では何故、この少年の幽霊だけ七不思議に?」
「それはこの怪談は他の幽霊の噂にはない特異性があるためよ。さっきあげた例は幽霊の正体がはっきりしてるの、女生徒も野球部員も教師も、生前この学園にいたことがちゃんと記録されているの」
「なるほど、実在した人物が死後、幽霊の噂となりそのまま怪談となったわけですね」
「そうよ、だからこそいるいないの真偽はともかくとして、いてもおかしくない状況は出来上がってるの。……でもこの少年の幽霊だけは違う、その正体も、出自も、噂の出所も一切不明。ただその存在だけがまことしやかに囁かれているの」
「ほおほお、正体不明の幽霊ですか……、ん? それってただのデタラメな作り話ってことなんじゃないですか?」
七不思議に限らず、怪談話の目的は人を怖がらせる事にある。そのために怪談話というものは、荒唐無稽な作り話をでっち上げたものがほとんどだろう。
神楽坂先輩の話を聞く限りだと、この話も誰かがでっち上げた作り話のように思えるが?
「……ええ、私たちも最初はそう思ったわ。そもそも高等学校であるこの学園の図書室に“少年”が住み着いているというのも不可解な話だもの。……まあ男子高校生も広義では少年かもしれないけど、その場合生徒って表現するでしょうしね」
「でしたら、なおさら……」
「目撃情報が多すぎるよ、この少年の。調べれば調べるほど出てくるものだからゾッとしたわ。決定的だったのが当時の学園長の手記、その中で学園長自身がはっきりと目撃したと記されているの」
「お、お茶目な学園長っすね! 生徒をビビらせるためにそんな冗談を言うなんて!」
「この学園長は、自分にも他人にも厳しいとされた人物で、誰も笑った顔を見たことが無いそうよ」
「……勘弁してくれ」
違うだろ、幽霊ってのはそこまで自己主張が強いもんじゃないだろ? そしてできれば結局人前には一切姿を見せないのが理想だろうが。
何でここまではっきりとした存在感を出してくるかな!? これじゃあ絶対にいますって言ってるようなもんじゃないか!
「俺は嫌だぞ! こんな図書室絶対に入んねえからな!」
「まあまあ吉岡くん、別にそこまで怖がらなくても。この少年に危害を加えられたなんて話はないし、案外座敷童子みたいに幸運をもたらす存在かもしれないわよ?」
「いーや、違いますね! 死んでなおこの世に残り続ける連中にろくな奴はいないって身をもって知ってますから!!」
断固とした強い意志で拒絶する。俺はここを動かねえからな!
「まあ良いんじゃないですか? 吉岡さんにはここで待っててもらえば」
「……ここで?」
「ええ、私たちが図書室を調べている間、1人で待っててもらえますか?」
「……1人で?」
図書室前の廊下は薄暗く、蛍光灯が不規則に点滅しており異様な不気味さを放っている。
……こんなところに1人で?
「……俺も……一緒に行きます……!」
嫌だ、こんな怖いところに一人でいたくない。
「……さっさと入りましょう」
桐花から呆れたようなため息が聞こえた。
旧校舎の図書室、今は使われなくって久しいため旧図書室といったところか。その中はずいぶんと埃っぽかった。
「それで、少年の幽霊が出る条件というのはあるんですか?」
桐花の催促にウンザリしてしまう。この女、幽霊見る気満々だ。
「それが特に無いのよね、目撃された時間帯は朝から夜まででバラバラ、一人っきりの時に出てきたと言う証言もあれば、複数人が一斉に目撃したなんて話もあるわ。随分気まぐれな幽霊みたいね」
「……どうやって検証するんですそんなの?」
「出てくれることを祈るしか無いわね」
俺は出てこないことを祈るね。
俺たちはそのまま旧図書室を調べて回る事になった。少年が出てくるまで手持ち無沙汰になったこともあるが、この図書室には古い本なんかもそのまま置いてあり、桐花も神楽坂先輩も興味深そうに本棚を見て歩いている。
「しっかし、こんな保管状態で大丈夫なのか?」
古ぼけた本棚に放置されている本は埃をかぶっている。それに空気がジメッと湿っぽい。
とても本を保管するのに適した空間とは思えない。これじゃ痛む一方だろう。
「重要な資料や文献は本校舎の保管室に移設されてるみたいね。ここに残ってるのはそこまでの価値がないと判断された物なんじゃないかしら?」
「そんなもんすかね?」
本の価値などわかりはしないが、立派な装丁がずらりと並んでいるのを見れば、この現状がもったいないなと思ってしまう。
「あっ、これ」
そう言って神楽坂先輩が本棚から取り出したのは、普通の本よりも大きいサイズの本だった。
なんだろう? 装丁も他とは少し違う。なんというか……雑? 手作り感であふれている。
「これは私たちマスメディア部の前身、旧新聞部が作った新聞記事をまとめた物ね。……まさかこんな所にあるなんて」
ああ、既視感があると思ったら、あれだ。中学を卒業する時に作った卒業文集に似てるんだ。
「これ……すごいわよ。何十年も前の学園の様子が生徒の目線で語られている。その時生徒たちが何を考えて、何を思っていたかがわかる重要な資料よ。……こんなところで放置されていたのが信じられない」
そのまま神楽坂先輩はパラパラとページをめくり、先人の記録に没頭していく。
夢中になるのはわかるが、今回の目的を忘れてやしないか?
「か、神楽坂、し、少年の幽霊も出てこないし次に行こう。そ、それを読むのはまた別の機会に」
カメラマンに徹していた百目鬼先輩も流石に止めに入った。
「うーーん、これ持って帰る訳にはいかないわよね? ……仕方ないわ、名残惜しいけど次に行きましょう」
そう言いながら本当に名残惜しそうに本棚に戻す。貴重なお宝を傷つけないように慎重に差し込む。
「結局何も起きませんでしたね」
「良いことじゃねえか。幽霊なんて関わるとロクな目に合わねえぞ」
残念そうな桐花を先頭に俺たちは旧図書室から出る。
ややたてつけが悪くなっている扉を閉めた直後の事だった。
バタンっ、と何かが落ちたような音が扉の向こう、部屋の中から聞こえてきた。
「ひっ! な、なんだ!?」
驚きで心臓が変な跳ね方をした。
当然だが部屋の中には誰もいない、音なんてするはずがないのだ。
音を聞いた桐花は即座に扉を開け、旧図書室に飛び込む。
「お、おい! 待てよ!」
入んのかよ! 明らかに何か起きているこの部屋に!?
慌てて追いかけると、桐花は本棚の前で茫然と立ち尽くしていた。
桐花の視線の先には、神楽坂先輩が持って帰ろうとした旧新聞部の新聞をまとめた本が、静寂とともに床の上に落ちていた。
「おい……さっきの音……まさかこれが落ちたのか?」
ありえない。
この本を神楽坂先輩がしっかりと棚に戻したのを見ている。
何かの拍子に転がり落ちることなど、絶対にないほど慎重に……
背筋にヒヤリとしたものが流れる。
図書室に現れる悪戯好きの少年。
これが、彼の悪戯だとでも言うのか?
読んでいただきありがとうございます。




