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「あ、エルク先生もトーマ様もおはようございます」
エルク様の背中で少女の顔は見えないが、声のトーンが少し上がった。まだ幼いのに媚びるような声を出すその様子に不快感が募っていく。
「ディトリッヒさん、それとファルルゥさんおはよう。昇降口の入口で立ち話は邪魔になってしまうよ」
「あ、はいそうですね!」
元気よく頷いた少女は少年の手を引いておそらく自分のものであろう下駄箱の元へと駆けて行った。
それを見送ってしまったが、エルク様に促されて私も靴を履き替える。
すると先程までの迷いはどこへ行ったのか、すんなりと手を握られて思わず笑顔で見上げると、エルク様の耳がすぐに赤くなった。
可愛いなあと萌え萌えしていると、
エルク様のいる方と反対隣にトーマが付いた。
守られるなんて情けないなあと思いつつも、あの少女はとても不快だったので黙って甘えることにする。
そしてすぐに少女は私たちの元へ戻ってきた。
「あ、だからリリア先生!お願いしますよー」
一瞬私たちを見て何かを考えた少女…ファルルゥはそれでも果敢に私に強請ってきた。
生徒と先生としての頼みならば吝かではないが、これは教師の仕事では無いので。
「ダメです。正式販売を待ちなさい」
「何かを買いたいんですか?」
「エルク様」
「ええ。光る髪飾りをせっかく買ってあげるって言ってるのに、リリア先生が頷いてくれなくて〜」
食いついたエルク様を止めたけれど、時すでに遅く。
ファルルゥは爆弾を放った。
私は伯爵位以上の人の名前なら覚えている。
つまり彼女がどこの誰かは分からないが、私が名前を聞いて分からないということは伯爵位以下なのは決定だ。
それなのに彼女は人前で侯爵令嬢をバカにした。
いくら学園内は多少は無礼講とはいえ、これは無い。
「残念だけど、リリアの手作り品は国宝級の物ができてしまう可能性があるから王太子様の許可が必要だから君に売ることはできないよ」
「え〜一個くらい良いじゃないですか〜。じゃあ代わりに作れるお店を紹介してくださいよ〜」
「それも、光る装身具はまだショールディン家と取り決めをしている最中だから無理だよ」
キッパリエルク様も私もダメだと言っているのに、ファルルゥ令嬢の態度にいらだちが止まらない。
「貴方、名前はなんと言うの」
厳しい声音で言うと何を勘違いしたのかファルルゥ令嬢がぱっと笑顔を輝かせた。
「ファルルゥ・レティーズです。爵位は子爵ですけど、もうすぐ伯爵位を貰えるくらいなんですよ!」
レティーズ、その名前は最近宝石の鉱山が見つかった地方の名前だ。透明度の高い宝石が産出されて確かに今現在風向きが来ている家なのだろう………が。
所詮はただの子爵家だ。
「そう。ならば分を弁えなさい。私もエルク様も貴女如きが気安く話しかけて良い存在じゃなくってよ」
私は侯爵家で、その中でも上位だ。
エルク様は言わずもがな王族だ。
いくら生徒とはいえ彼女のやっていることは生徒の枠に収まるものでは無い。
キッパリ言い切ると少年は顔を青ざめさせ、逆に少女は顔を真っ赤にさせた。
「なっ、何よ!落ちぶれた侯爵家なんでしょ!」
「貴女の言う落ちぶれたとはどういう意味かは分かりかねますが、少なくとも私は子爵程度であれば潰すことは容易いですけれど?」
やる気はないけど、それくらいの権力は持っている。
賢者としても、次期侯爵としても、アイエル商会の会頭としても。
何故ここまで舐められた態度を取られるか分からないが、少なくとも私はエルク様にまで舐めた態度を取るのは許さない。
「…そこまでにしておけ。国有数のお前が牙を向けてはレティーズが哀れだ」
ファルルゥ令嬢と睨み合っていると、トーマが呆れた様子で止めに入った。ファルルゥ令嬢はそれまでの険しい顔を一瞬緩めたが、再度キッと私を睨んだ。
その根性は、認めましょう。
「レティーズ、お前は他の令嬢にでもキャロル家について聞いて学んでこい。同じクラスのよしみで助けてやるけど、正直お前がやってる事は無謀すぎるぞ」
「……お心使いありがとうございますトーマ様。………この学園に通うことも出来ない程度の癖にっ……」
トーマの気遣いもなんのその。
ファルルゥ令嬢は最後まで私に悪態を吐いて去っていった。
「リリアも、下手なことするなよ。あんな小物相手にしたらお前の名折れだ」
「……相手にしませんよ。ええ、相手にしませんとも。今後レティーズの者は一切相手をしません」
アイエル商会としても、賢者としても、侯爵家としても。
たとえレティーズ家がどんなに望んでも、一切相手をすることはもう二度とない。
相手にするとすれば、教師としてのみだ。
我ながら酷い顔で笑っている自覚はあるが、走り去っていく彼女の後ろ姿を見るとそんな笑みが自然と込み上げた。
「……ほらリリア、行くよ」
「はい!!」
まあそんな悪役令嬢のような微笑みも、エルク様に声をかけられたら一瞬で霧散してしまうんだけどね。
「身体を、鍛えたいんですか?」
「ええ。だから今日からお昼はトーマととってもらってもいいですか?最近なまっているので修練場で身体を動かそうかと」
「嫌ですお付き合い致します」
ああ、運動で煩悩を飛ばすわけですね。
でも。
汗を拭うエルク様。
暑いと言って上着を脱ぐエルク様。
剣を振るう凛々しいエルク様。
見たい。とても全力で見たい。
言われた瞬間即断で言い返せばエルク様は困ったように笑ってから、頷いた。
3時間目の授業が終わり、片付けをしてからヴァン先生とネリア先生に少し鍛錬をして来ますと言付けて。
売店でパンを買ってから、修練場に向かった。
魔法、武道両方の鍛錬を目的とした修練場は今の時間は使われていないことは確認済みだ。
教務主任と、修練担当の教師……ダストン先生に許可は貰い四時間目から昼休みまでの使用許可は貰った。
先生が設備を使うのは、実はうちの学園では推奨されている。
より優れた授業を行うため、教師も訓練を重ねた方が魔法や勉学、武道の精度が上がるからだ。
修練場に入ってすぐ、ストレッチを始めたエルク様。
机に向かう姿も素敵だけど、身体を動かす姿も素敵だ。
こっそりと何枚も隠し撮りをしながら、ついでに私も魔力操作の訓練をするべきか少し迷う。
最近は特に操作精度に不満はないから訓練らしい訓練をしていなかった。
せっかく私も修練場に居るんだから。
エルク様を堪能しながら久しぶりに修練をしようと思う。
「じゃあ行くわよリリ」
「うん」
人型になったリェスラが手を軽く振ると、
空中にいくつもの氷塊が現れ、それらはすぐに複雑な形に変化した。
氷塊を魔力で包んで、形状を把握し。
私も氷塊を作って一つ一つ、同じものを再現していく。
昔はとても辛かったリェスラの訓練は、今は息をするように容易くクリアすることが出来た。