10
「…これ、明日見ても…」
「お嬢様」
疲れて帰ってきたのに勘弁して欲しい。
現実を先延ばしにしようとしたらメルトスにニッコリ笑われるし、エルク様にもポンポンと背中を叩かれるし。
「ドレスを脱ぎながらみるわ」
諦めて、途中で読み上げてとレティシアに渡した。
初めに髪に沢山編み込まれたもろもろをレティシアとルチルが取り出したので、空いてる手でダッテバルダ夫人からの手紙の封を開ける。開けた途端、ふわりといい香りが風に乗って出てきた。
柑橘系の、爽やかな香りだ。
中には手紙と、白い小さなボロボロの紙片が入っていた。恐らく小さな紙片には送風の魔法陣が描かれていたのだろう。
紙片は手に取るとすぐにボロりと崩れてチリになって消えた。
一回限りの使い切り。それも、ダメになる前提での耐久性の脆いものを使って後を濁さない。
面白いなあこれ。
風を出させるだけじゃなくて……雪とか出てきても楽しそうだなあ。
そんなことを思いながら手紙をあらためる。
『月明かりが煌めく夜、柔らかな夜を伴った艶やかな炎の妖精に出逢えた喜び……』
手紙を一度閉じて、目を瞑って目元をグリグリする。
「お嬢様?どうかされましたか?」
「うん。疲れたのかな」
もう一度開いてみる。
『月明かりが煌めく夜、柔らかな夜を伴った艶やかな炎の妖精に出逢えた喜びをなんと表現したら良いのでしょうか。
燃えるような艶やかな妖精の、キラキラした輝くような瞳と戯れられた幸福は忘れられません。今宵の出来事を思い出す度、私の胸は少女のように高鳴り…』
もう一度閉じる。うん。うんんん?
ちょっとこれは何かの暗号かなにかかな?
さらに再度開いてみても、当然の事ながら文章内容は変わらず。
二枚にわたる難解な詩の様な文章を訳すと要は
逢えて嬉しかった
話せて楽しかった
ショールディン夫人と日程について話し合ったら茶会しましょうね
リリアはいつなら空いてる?
今度うちに視察に来てね?友達でしょ
だった。
またなんか友達増えた……
きっとまた数回あったら親友になってるんだろうなあ。
しかしそれ以上にこれ。
お返事書ける気がさっぱりしないんだが。
念の為にショールディン夫人からの手紙も開けてみたけれど、中身は似たような内容で似たような書き方だった。
うーんと頭を捻っても、こんな文章は出てこないし。
困り果てて、貴族令嬢だしルチルに手紙を見せてアドバイスを仰いでみることにする。
「ねえルチル、今ってこういうのはやっているの?」
「うーん。初めて見ましたけどねえ。でもこれって、内容がまるで恋文みたいですね」
恋文。確かにその通りだ。
なんか派手に脚色をしすぎて、まるでラブレターみたいな内容になっている。
そう思ったら、余計に似たような感じで返事が書けなくなってきた。
何が悲しくてエルク様以外にラブレターを書かないといけないんですか。髪の装飾を外し終え。コルセットを外して、ドレスが脱がされていく。
服を脱ぎ終えると浴室に連れていかれて、湯船に沈められながら化粧を落とされて体を洗われる。
いつもは自分で洗ってもいいが、今日はとても疲れたので大人しく揉まれ洗われる。
わしゃわしゃにされて、石鹸を流されて。
一人、手足が伸ばせる浴槽に浸かりながら、手紙の返事をどうするか考える。
ダッテバルダ公爵夫人。青いドレスの……一見は優しげなマダム
。
例えるなら……夏の空のような力強い麗しさ…?
魔力で空中に文章を書くも、そのセンスの無さに溜息をついて消すこと数回。
完全にこれは無理だと思いながら作っていた文章の端っこが、突然消えた。
『リリ』
「リェスラ食べたの?今日はずっとそばにいてくれたでしょ、ありがとうね?」
『リリのそばに居るのは当たり前のことよ』
きゅうきゅうと甘えた声で鳴きながら、浴槽のヘリに乗るリェスラに手を伸ばすと憧れの小動物のように腕に乗り移ってくれた。
「イェスラも居るんでしょ?」
『ここは男子禁制だろー』
「疲れたから癒してよー」
『しょうがないなぁ』
オネダリすれば、イェスラも小鳥の状態で現れてくれた。
本来は生肌で触れると痛いはずだが、二人とも気遣ってくれているのか腕の上や肩に乗せても痛くない。
「疲れたああああああああぁぁぁ。今日はリェスラのツルツルとイェスラのもふもふに包まれてゆっくり寝たい」
『明日も仕事だろリリ』
「そうなんだけど」
うん、明日ももちろん学園のお仕事だ。
同学年以上の令嬢はみんな社交と学園の両立をさせているのかと思ったら、ちょっと乙女ってすごいって思う。
『なあ、リリ。嫌なんだろ?なんで嫌なことするんだ』
足を伸ばして腕と肩を水上に出した状態をキープしていたら、私は水に沈めてもいいわよとリェスラに言われてそういや水竜だった。そんなことを思いながら、頭だけ出した状態で頭の上にイェスラを乗せて和んでいるとそんなことを聞かれた。
『そうね、私も不思議だわ。やらないといけないこともあったでしょうけど、今のリリは嫌なことをたくさんやっている気がするもの』
『それこそ好きな領地経営の一部を他の人にやらせてまでさー』
嫌なこと……社交と、接待と。あと商会経営かな。厳密に言えば教師もやりたくないけども。学校の方にも魔法操作の教師はいるし、私はそろそろ第一線を退いてもいいかも知れない。
そんなことを考えながら口元まで湯に沈んで、ブクブクと口から空気を出す。
そして少し考えてから口元を出す。
「色々とあるけど要約すると、エルク様にカッコつけたいかな」
『カッコつける?』
「うん。エルク様に見せる私は、カッコイイ私でありたいの。あとはまあエルク様を守るためとか、牽制とか本当に色々とあるんだけどね」
『よく分からないけど、好きでいいのかしら』
「そうだね。その一言に集結するかな」
お腹の上に乗っているリェスラが顔だけちょこんと水面上に出してきた。リェスラを抱き上げて湯から出して軽くキスをすると、尻尾が嬉しそうに腕に絡みつく。
『好きな人の前だから、嫌なことでも頑張る?』
「そうそう。好きな人に失敗するところなんて見られたくないでしょ?」
『リリのお願いはなんでも聞いてあげたい、と同じ感じか?』
「似たようなものかな。リェスラもイェスラも私の前で大失敗とかしたらどう?」
『すごく嫌だ』
『絶対にしたくないわ』
「うん。そんな感じかな?」
なるほどカッコつける…真面目な声で考え込む優しい二人に、疲れた心が癒される。
『じゃあ私、全力でリリを癒すわ』
「ありがとう?」
嬉しそうに甘えた声を出すリェスラ可愛いわーと、和んでいると不意に扉の外が騒がしくなった。
バタンという乱暴な扉の音や、荒い足音が聞こえて……近づいてくる。
剣呑な雰囲気に警戒をするのは私だけで、リェスラとイェスラはマッタリモードのままなことに私は早く気づくべきだった。
浴室の外の喧騒の原因が、リェスラだと言うことを知ったのは。
「リリア!無事ですか!!」
脱衣所でバタバタ音がした時点で誰かが入ってくるかもと思って身体は軽く隠していたけれど。
まさか、まさかエルク様が入ってくるとは思わず。
ポカーンとしてエルク様を見上げる。
エルク様も慌てた表情から呆然と私を見て。
その視線が顔から、下……浴槽の方に動いた瞬間。
「うわああああああ!ご、ごめ、ごめんんっ!!」
真っ赤になったエルク様は浴室から飛び出して行った。
それを見送ってもなお、私は呆然としていた。