ある上官の一ヶ月後 〜家族の反応と混乱〜
薄毛対策の秘薬を入手したつもりが、根源的な解決にいたってしまってから一ヶ月。
俺は悟りを開いていた。
つまり、スカートを履くことに慣れてしまったし、ガニ股にならないように気をつけるようになった。
今まで振り回していたバカでかい愛剣に固執するのも、涙をのんで諦めた。
だから黙って座っている姿は、目つきの悪い普通の小娘だ。
もっとも、母上が用意したドレスのスカートの下には短剣を三本ほど隠し持っている。
爪のお手入れは渋々受け入れたが、長く伸ばすことだけは拒否。
だって短剣を握る時に邪魔だからな。
「……だが、俺はまだ諦めてはいない……!」
「まだ言っているんですか、グレン隊長」
俺の心から漏れ出たつぶやきを、向かいに座っている男が聞きつけたらしい。
相変わらずイケメンすぎる顔は呆れた表情……だったらまだ許せたのに、奴めはニヤニヤしている。
くそっ、ロリコン野郎めっ!
「おい、ニヤついている場合ではないぞ! 肘をつくな! カップはもっと優雅に持て!」
「おっと、しまった。……たいがいのマナーは覚えたんですがね、このお茶とやらの飲み方は必要なんですか?」
「さあ、俺は気にしたことはないな」
「……聞いた俺がバカだった。隊長殿は未来の公爵閣下として育てられていたんでした。しかし、教育もろくに受けていない庶民には辛いなぁ……」
浅黒い肌に波打つ黒髪のイケメンが、珍しく弱音を吐いた。
……ふん、たまにはこういう優越感に浸るのも悪くはないな。
と思いたいが、困った顔やおぼつかない手つきも、女性の母性本能をくすぐるらしい。鬼のようなマナーの先生が、十代の乙女のように頬を染めている。
だが、顔に騙されてはいけない。
奴はもっとも命の安い最下層の傭兵から王国騎士にまで成り上がったバケモノなのだ。
しかも、今度はさらに成り上がるらしい。
もう、バカかと。
ありえない。
何で当事者の俺が最後に知ることになるんだ。親父殿は、ただ一人の息子がかわいくないのかっ!
……かわいいと言えるような年齢じゃなかったけどな。自分で言うのもなんだが、俺は筋肉だったし。
まあ、親父殿は親父殿でアレだが、もっと頭が痛いのが母上だったりするんだ。
本気で困る。困っている。
この人、本気でどうにかしてくれ!
「ねぇ、グレン。このドレスにはこう言う大ぶりの宝石が似合うと思うのよ。ほら、あなたの細い首が引き立つでしょう?」
「母上っ! 息子を女扱いするのはやめてくださいっ!」
「でも、もう男には戻れないのでしょう? あの人は跡取りを失って泣いているみたいだけれど、わたくしは気にしないわ。娘も持ってみたかったし、あなたが孫を産めばいいだけですからね」
「……は、母上。……まさか俺に、子を、産めと?」
「産める体になったのなら、産んでおかなければ損でしょう」
違う。
そう言う損得は違う。
我が一族に続く薄毛の呪いを解いたと思ったら、結果は女体化って普通じゃないんですが!
この一ヶ月、俺は猛烈に働いた。
周囲の奇異の目を無視し、若干引き気味な部下はもちろん、親父殿の権力や母上のネットワーク、それに個人的なツテを全て使って、やっとのことで黒幕を突き止めて締め上げたんだ。
そこまでは、いいんだ。
なのに、憎き黒幕に「ザマァミロ超カワイイよ一晩いくら?」と嘲笑された俺の身になってくれ。
しかもだ。
怒り狂って殺してやろうと思ったら、サクッとファザルの野郎に先を越されてしまったんだぞ。
あっさり殺すなよ。
もしかしたら有用な情報を持っていたかもしれないだろ。
そうでなくても、死ぬより苦しい目に合わせるのが定石だろ。
と言うか、「でかした」とか意味不明に褒めるなよ!
腹が立つことに、奴は自分の知りたいことだけは聞き出しやがった。
……どうやら俺は、この身長と体型からほとんど成長することはないらしい。
「くそっ! 俺のマッチョ人生を返せっ!」
「中身が隊長と思うと萎えるかと心配でしたが、今以上の成長はないと言うご褒美があれば余裕です。今夜にでも仮祝言をやりますか?」
「しない! 俺の寝室に入って来たら即殺す! 本気で殺す! 俺が巨乳に成長するまで、俺に指一本でも触れたら切り落としてやるからな!」
「……何を切られるのかわからねぇけど、とりあえずイヤだな」
「俺だって男に襲われるのはイヤだよ! なのに、なんでお前が俺の婿なんだっ!」
俺が唸った時、背後で恐ろしく陰鬱なため息が聞こえた。
振り返りたくはないが、そこにいるのは親父殿だ。
王国第二位の大貴族、ロイヴァー公爵閣下その人だ。
……上機嫌な母上も困ったが、親父殿の底なしの暗さもうんざりする。
「あの、親父殿?」
「……つまりお前は、巨乳になったらその男を受け入れるのだな」
「どうしてそんな話になるんですか」
「お前がそういっただろう」
「言葉のあやですから。俺は男ですから」
「今は女だ。我が国の法律では、女になってしまったお前は公爵の地位を継げない。だから婿を取らせて、孫を期待するしかない」
「だからといって、そこでなぜこいつが……!」
「あやつの生まれの低さゆえに、出世が頭打ちなのが惜しい、と言っていたのはお前だっただろう」
ああ、確かに言ったよ。
ファザルの野郎は、ただの副隊長で終わっていい男ではない。
貧乳な少女にしか反応しない変態野郎ではあるが、騎士団長にだってなってもおかしくないんだ。それは否定しない。
だが、それはそれ。
これはこれ。
俺は男で、奴も男だ。
たとえ今の俺が女になっていても、奴が少女と女性の狭間の限定的な年齢にしか反応しない変態野郎なのは否定できない。
……そんな変態に高い地位を与えるなんて、実はかなり危険な気がしてきた。
ほのかに青ざめた時、また重々しいため息が聞こえた。
「……しかしだ。女になるだけでよかったなんて、目から鱗ではないか……。なあ、グレンよ。今からでも間に合うと思うか?」
おかしい。
親父殿が何か変なことを言い出した。
目から鱗って、もしかして薄毛のことか? だったらそれは俺も同じように感動を覚えたけどな。
でも今からって、何がどう間に合えばいいと思っているんだ?
……聞いていいよな?
聞かないままだと、絶対に後悔する。
「あー、その、まさかとは思いますが。つまり……親父殿が女体化したらって話ですか?」
「他に何がある。我が弟どもはお前以上の筋肉なオッサンだぞ。しかも頭髪の薄さは私以上だ。そう言うオッサンどもが、髪だけフサフサで中途半端に女体化でもしたら大変ではないか」
いや、うん、まあ、想像すると怖いけど。
だからと言って、なぁ?
「その点、私は細身だし物腰も柔らかい。今の姿のままで女体化したとしても、ドレスが似合わないことはないから安心だろう?」
「はぁっ? 安心?」
このオッサン、どうやら本気で言っているらしい。
……くそっ、何が安心だよ。頬を染めるなよ、バカ親父めっ!
俺は短い髪をかきむしった。