ある部下の朝 〜不幸でご機嫌な男〜
王国軍騎士団の第四隊は精鋭で知られている。
その副隊長を務めるファザルという男は、不幸な生い立ちを持っている。
親の顔は知らない。
押し込まれたのは王都でも一、二を争う劣悪な孤児院で、少し成長すると院長の小遣い稼ぎのために傭兵団に売り飛ばされた。
実際に何度も死にかけたらしい。不幸な半生だ。
しかし、ファザル自身はそれほど不幸だとは思っていない。
捨て子だったし、最悪な孤児院で育ったが、死なずに生き抜いている。
傭兵として売られたのは、年齢のわりに体が大きかったからだ。今ではたいていの同僚を見下ろす高身長となった。
始まりは使い捨ての傭兵だったのも事実だが、気が付けば王国騎士団に籍を置く一人になっていた。しかも第四隊の副隊長という地位まで手に入れている。
最下層の庶民出身としては、最高の出世と言っていいだろう。
しかしその地位は、昨日の夜までわりと不幸寄りだった。
ファザルは変わり果てた上官から無理矢理に目をそらし、ため息をついた。ついでに髪をバリバリとかき乱す。
「……グレン隊長。こんなことは言いたくないんですがね」
「い、言いたくないことは言わない方がいい。それがお互いのためだぞ!」
「いや、これは言わせてもらいます。変な薬は二度と買うな、と言いましたよね?」
「な、な、な、何を言っているんだ!」
元・筋肉過多な大男、現・貧乳の女神サマ……もとい細身の少女はあからさまに動揺している。やましいことも思い当たることもたっぷりあるのは明白だ。
だから、バカなんだよ。
しかし大男だった時はバカで腹立たしかったが、少女の姿だと可愛いのはなぜだろう。
追求をやめてやろうか、とまで考えた。
しかし相手がたまに本気でムカつく上官だったと思い出し、ファザルはあえて苦言を続けた。
「先月買ったのは毛生え薬でしたか? あれ、全然効きませんでしたよね」
「そ、それは消費期限が切れていたからだろう。本来はよく効くと有名だったじゃないかっ!」
「有名って言いますけどね、その話をしていた連中は全部グルですから。あの薬だって、墓場の隅で適当に混ぜたものを水に解いただけですよ。詐欺事件として報告があがっていたでしょう?」
「えっ、そんな事があったか?」
はいはい、どうせあんたは報告書なんて見てねぇんだよな。
知ってるよ。骨身にしみて知っている。
その女神サマな外見じゃなかったら、イラついて舌打ちしているところだ。
ファザルはまた、はぁっと長いため息をついた。
「先週も変な薬を飲んだばっかりだったはずです。大臣の視察直前という時に、腹を下して便所に閉じ込もられて、本気で殺意を覚えたんですがねぇ」
「仕事を全部押し付けて悪かったと思っているぞ! それにあれは、古いパンをたらふく食ったからで……!」
「古いミルクじゃなかったんですか?」
「りょ、両方食ったんだっ!」
このバカ、本気で殺したくなる時があるよな。
あの外見じゃなかったら、今ので剣の柄に手をかけていた。
ため息をついたファザルは、しかし忍耐強い男だった。
そうでなければ、貴族出身者の多い騎士団で副隊長なんて地位を手に入れられない。
だから、抱きすくめてかわいい耳をハミハミとか、首筋をペロペロなんて欲望に負けた行動はしない。
ちょっとどころではなく手を強く握りこんで、薄汚れた天井をにらんだだけだ。
「……いったん、部屋の外に出ます。その間にもう少し服を整えてください」
「うん、わかった」
グレン隊長は素直に頷いてくれた。
ロイヴァー公爵の嫡男という高い生まれのわりに、グレン隊長は部下の言葉はよく聞いてくれる。だから貴族嫌いのファザルも本気で嫌うことはない。
もう少し賢くなってくれと思うだけだ。
いや、それは公平な評価ではない。
グレン・ロイヴァーという男がバカになるのは、頭髪に関わる薬に限定されるのだから。
ファザルはもそもそと立ち上がる上官を見た。
厚手の毛布をかぶっていても、華奢さは隠しきれていない。
頭部からは白に近い金髪がこぼれている。女性にしては短すぎるが、それもまた悪くない。
三十年近く生きてきて、ファザルは長髪至上主義を初めて撤回した。
しかし、それにしても。
グレン・ロイヴァー隊長といえば二十四歳の大男で、高貴さと端正さと同時に獰猛さがあった。
男の目から見ても、文句なしのいい男だった。
それが、完全な美少女になっている。
公爵家と王家にしか出ない特徴的な紫色の目がなかったら、その場で傅いて口説いていた。
見覚えのある顔立ちに気付いていなかったら、うっかり押し倒していたかもしれない。
「今さらですが、隊長の隠し子だったりはしませんか?」
「ファザル、お前一度死ねよ! 俺の年齢を勝手に増やすな! これだからロリコンは嫌なんだよ! と言うかお前のロリコン性癖を知っているのが俺だけって、王国の治安のためには本気でまずいと思うぞ!」
「……やっぱりグレン隊長か。実にもったいない」
「何がもったいないだ! この変態めが!」
グレン・ロイヴァー隊長を名乗る少女は、いかにもおぞましそうに吐き捨てた。
その姿は、しかし若い少女であるためになんだか背徳的だ。
「……貧乳少女に罵られるのも、悪くねぇな」
「黙れ、変態! さっさと部屋を出ろっ!」
「はいはい」
廊下に出て扉を閉めた途端、背後で何かがぶつかった音がした。
この音は壊れ物ではない。
軽い音だから、おそらく枕だ。
「あー、隊長のくせに、ヤバイほどかわいい。足首を舐め回してぇな」
小さく笑った背後で、扉にまた何かが当たる音がした。
今度は硬い音だ。
しかも、ガツッ!と突き立ったような音もした。
たぶん短剣だろう。
あの腕の細さでは斧が飛んでくることはないだろうが、元々が重度の脳筋だから油断はできまい。
ファザルは今度は口を閉じたまま、軽く肩をそびやかした。
しかしその整った口元は、タチの悪そうな笑みが浮かんでいた。