達成の速度
執筆者:雪村夏生。
最近、急に寒くなりましたね。早くもしもやけができて、自分がつくづく末端冷え性なのを実感させられます。早く春になれー。
ごめんなさい。最後の一文字にインクにじみが起きていた。残されていた書き置きは、一文字一文字が角張っている。見慣れた文字だ。持っていた手が紙をぐしゃぐしゃに握りつぶす。目頭が熱くなり、奥歯を強く噛み締めた。無造作に紙をポケットに押し込み、家を出る。
武装警察。その名の通り、武装している警察組織。主に裏社会で起きた事件を解決する。基本、二人一組で行動する。
相方の名前は、実花という。顔を合わせたときから、同い年の少女にしては雰囲気がおぞましいと感じた。復讐のために武装警察となったと聞いて、合点がいった。兄を殺した人物をつきとめて葬り去る。そのことばかりを考えて生きてきたそうだ。しかし一度共に行動してみれば、復讐以外の点では純粋無垢な少女でしかないことを知ることになる。
五年間、武装警察として徐々に功績を上げていき、指折りに入る程度になった。勝手に任務を請け負うことを許され、さらに活動的になっていた頃。都内の大学に通っているという女から依頼を受けた。どうも死んだはずの人間が生きていて、生きているはずの人間が死んでいるとのこと。捜査を進めていくうちに、イザナミという人物に全てが収束していることを知った。イザナミの所在をつき止めようとするも、本部から禁止命令が下されてしまう。そのときの実花の狂乱具合は今でも頭に焼きついている。
都内にある武装警察本部のエレベーターに乗り込む。乱暴に八のボタンを押した。緩やかに上昇する箱の遅さに苛立ちが増していく。全面ガラス張りで夜景がよく見えるが、そんなものに浸っていられるほどの余裕もない。
軽快な音と共に止まってドアがゆっくりと開く。無理やり押し開けるかのようにドアの間に手を入れて箱から出る。ノックもせず、本部長室に駆け込んだ。
「なんで実花を行かせたんだよ」
本部長はパソコンの画面と向き合っていた。ゆっくりと視線を上げる。
「どうして実花一人で行かせたんだ」
本部長はデスクの引き出しから、白い封筒を引き抜いた。差し出す。「もし君がきたら見せるよう、実花から言われていた」ひったくるようにして受け取る。中の紙は三つ折りにされていた。目を通す。しばらくして元のようにしまうと、デスクに叩きつけた。
「あんたは、知ってたんだな。知ってて、行かせたんだな」
「我々はそれぞれに目的を持って武装警察をやっている。言い換えれば目的を果たすことが武装警察としての務めだ。それまでの過程として、世の中の秩序を守ろうとしているに過ぎない。よって、他人の目的を邪魔することはできない」
「これが、実花だけの目的だって?」手が下敷きになっている封筒を握りつぶす。「これは、俺の目的でもあったことを、あんたは知ってたはずだろ」
「だったら問おう。今さら君に目的が果たせるか?」
封筒を握る手が弱まった。
一度、目的を果たす機会があった。だが、できなかった。恐れたのだ。
「それでも」改めて本部長を見据える。「実花を失うわけにはいかない」
本部長室を出て、エレベーターに乗り込む。
ごめんなさい、私は本日づけで武装警察をやめます。あれから、イザナミの所在を掴むことができました。イザナミは、一度耕一くんと任務で行ったことのある廃工場を拠点にしているそうです。
ずっと、お兄ちゃんは私を守って死んだのだと思っていました。だからお兄ちゃんを殺した人間を殺すことが、最大の報いになるのだと信じてきました。でも実際は違いましたね。私がお兄ちゃんを殺したんです。本当は生きているのがお兄ちゃんで、死んでいるのが私です。イザナミは、生きている人間と死んだ人間を一度だけトレードする能力を持っています。お兄ちゃんはその力を借りて、自分と私の生死を交換しました。イザナミに確認も取れました。彼女は今までに同じことをした人間を一人残らず覚えているのです。
私は、彼女に申し出をしました。決闘をしてくれ、と。お兄ちゃんを返してくれ、と。そうしたら、もし私が勝てたら私の生死だけは戻してくれるそうです。本部長はこのことをご存知だったようですね。お兄ちゃんが生前に語っていた、友だちの人相にとてもよく似ています。今までありがとうございました。
耕一くんには変わりに謝っておいていただけると助かります。そして次に彼の相方となる人は、復讐にとらわれていない人物にしてあげてください。そして、彼の目的はおそらくお姉さんの救出だと思います。イザナミが何年か前に自分のところにやってきた少年について語ってくれました。耕一くんにそっくりです。でも私がイザナミを殺すので、もうお姉さんは生き返れないと思います。その点も合わせて謝っておいてください。
お世話になりました。さようなら。
「実花っ」
廃工場についた。日本刀を持った実花と目が合う。足元が光っていた。
「耕一くん、間に合っちゃったんだね」
力なく笑う。驚いている様子はなかった。
「目的、達成したんだ」
「読んだよ、手紙」
実花は日本刀を収めた。「そっか。じゃあ、わかってるんだね」
「ったく、そういう決闘申し込んでるなら、俺も誘えよ。俺も本当は死んでんだぜ? 生きてんのは姉貴の方なんだぜ?」どうしようもなく声が震えた。ごめんね。謝る実花の目は足元のコンクリートを見ていた。
距離を詰める。足元の光は、徐々に彼女を飲み込んでいくようだ。膝のあたりまで伸び上がっている。目の前で立ち止まる。
「俺さ、好きな人がいたんだ」
顔が上がった。目が丸くなっている。「う、うん」
「そいつさ、普段は普通に女子なのに頭の中では復讐のことでいっぱいでさ、俺のことなんて見向きもしてくんねえ。ひどくね?」
「うん、ひどいね」ぎこちない笑み。凝縮された光粒子は胸のあたりまでいたっている。「次は、いい人見つけないとね」
「ああ、そうだな」
視界が歪む。馬鹿野郎。ぐっと噛み締めた。