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祖父との共通点

グダグダと長い文章ですが、全て実話です。

物語考える暇がなかったのもあり、エッセイにしました。

読んでいてあまり楽しいものではないので、その点はご注意。


今年の6月、筆者の祖父が86歳で亡くなった。

それは突然な知らせだった。

いつものように筆者は夜の仕事を終え、職場で相方と会話に花を咲かせていた。

会話も一段落し、そろそろ帰ろうかなと思ったところで携帯電話が震える。

着信は母からだった。

開口一番、母は



「おじいちゃんが亡くなったのよ。すぐに○○に来て頂戴。お父さんと一緒に。

多分、もうすぐ仕事終わって帰ってくるはずよ」


「え、あの、俺も今仕事終わったばかりなんだが…?今すぐ来いと?」


「とにかくよろしくね。○○の〇〇っていう葬儀会館だから」




その場所は名前だけは知っている有名な場所だった。

筆者が知っていたのは、そこに原付の試験場があるからだ。

家で父と合流し、電車で向かうこと1時間。

着いたものの、場所がわからず、道行く人に声をかけて教えてもらった。

そして、葬儀会館に着いた。一見すると、葬儀場というよりは大きなホテルのようだ。

受付の人に祖父の葬儀で来たと伝えると、すぐにエレベータで6階案内してくれた。

部屋は和室で既に母と祖父の内縁の奥さんが待っていた。

奥の部屋には布団がしかれ、祖父の遺体が静かに横たわっていた。

彼はまるで眠っているかのような、ほっとした表情をしていた。

部屋では母と奥さんに担当者の人が丁寧に説明してくれていた。

でも、奥さんが急に口を挟み、会話がややこしなくなることが多々あった。

この奥さんは一度話し出すと止まらないくらい話す、少々面倒な人でもあった。

何回か電話をかけてきたこともあり、父が出ると、大概、喧嘩して終わっている。

父はそんな奥さんが嫌いで、必要以上に関わりたくなかったようだ。




説明によると、祖父は既に葬儀会館での必要な費用は払い終えているとの事だった。

家族はおろか、奥さんですら、その事実を知らなかった。

また、お寺さんも既に手配済みであり、その人は祖父が長年親しくしてきたお坊さんだという。

説明が終わるとお昼になったこともあり、筆者と父は昼ごはんを取ることにした。

奥さんは家族で行ってきたらと提案したが、やんわりと断った。

奥さん一人だけにして何かあったらいけないからだ。

これは彼女の身を案じているのではなく、こちらの貴重品やお金などの盗難などがない為の配慮である。

筆者も父と同じぐらい、奥さんを嫌っていたので当然の配慮だ。

でも、顔は嘘という名の仮面の表情でごまかしておく。

昔、国語の教科書で習った「素顔同盟」という物語を思い出した。

誰も彼もがストレスを貯めない為に仮面をつけている世界での話だった。





田舎なので近辺には何もなく、駅前の店で筆者と父は食事を済ませる。

戻ってからお坊さんが来て下さり、さっそくお経を唱えるとのこと。

家族総出で祖父を持ち上げ、棺桶に入れる。

周りに花や木の葉などを入れていく。

三文銭さんもんせんという三途の川を渡るための通行料も入れる。

そのまま、棺桶は1階の葬儀場へ運ばれた。




歌のようなお経が終わり、明日には火葬場に運ばれるとのこと。

お金は祖父が生前払い終えているので、こちらが出す金額は最低限度で済んだ。

そのおかげで今日一日は葬儀会館に泊まってもOKとの事。

筆者も仕事が休みなのでゆっくりできる。

話し合いの結果、筆者と父は家に戻り、母と奥さんは残ることにした…。

家に戻ると、既に夜の8時を回っており、疲れた身体を引きずりつつもスーパーで買い物をし、帰路についた。2人で野球を見ながら飯を食い、24時には寝た。





次の日。

朝7時起きで8時前に家を出た。

葬儀場に着くと、何人かの親戚も来てくれていた。

BGMは祖父の好きな北島三郎が流れていた。

やがて、お坊さんの読経が始まる。

それが終わると火葬場までバスで移動することになった。

移動中、とても晴天だったことが印象に残っている。

本当に雲ひとつない空だった。

祖父は迷いなく成仏できたのだろうか…。

その後、葬儀は無事に済み、筆者は一足先に家に戻って眠ることにした。

夜から再び仕事だからだ…。





筆者と祖父はほとんど思い出がない。

元々父と祖父は仲が悪かった。

父は祖父相手に裁判を起こしたこともあるという。

詳しいことは知らないが、二人はほとんど疎遠だった。

年賀状も送ってこないし、孫である筆者に何も贈り物をしたことがないと

父はいつも憤慨し、ずっと仲違いしたままだったという。

故に祖父とは小学校時代と中学生時代に父、筆者、祖父の三人で食事に行った思い出しかない。

しかもたった二回である。

そう、小学校で1回、中学校で1回だけである。




筆者は父の家族にも、母の家族にも興味がなかった。

なのでこちらから関わろうとはしなかった。

祖父も自分から関わろうとはしなかった。

それが筆者の家では当たり前のことだった。




だが、亡くなる数週間前…。

祖父から電話がかかってきたことがあった。

その時、家には筆者だけだったのでたまたま電話に出た。


「○○か?」



祖父は筆者ではなく、父かと尋ねた。

父と筆者は電話越しの声だけだとほとんど一緒で区別がつかない。




「いえ、息子の小夜子です」




「おお、小夜子か。お前でもいいんだが、マンションどうや?」




祖父はマンションを所有しているが、不動産屋に売ってもなかなか売れないらしい。

なので、所有権を筆者たち家族に渡そうとしていると前々から聞いていた。

案の定、祖父からの話はそのことについてだった。

しかし、職場から非常に遠くなるのと、そんな話は筆者一人で決めていいものではない。

なので、やんわりと断った。




「お父さんにまた伝えといてな」




「あ、はい。それでは失礼します」




これが筆者と祖父の最後の会話となった。

この時はまさか亡くなるとは思っていなかったが・。





共通していることは筆者も父も6月生まれであり、祖父が亡くなったのも6月なのだ。

ただの偶然なのか、それとも意味があるのか…。





これで父方の祖父も母方の祖父も亡くなった事になる(母方の祖父は筆者が中学生の時に他界)




その共通点はどちらの祖父とも思い出というものがないことだ。




そう、何もない。故におじいちゃんを大切にという気持ちがわからない。

今もその気持ちは現在進行形で続いている。

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