今日から御世話になります。
アト「ロドさんです!」
※今回の章は"アト"仕様の語り口となります、ご了承ください。
マインド家では珍しくも 騒がしいくも楽しい夕食の後、 アトは "ザヘト兄弟"用に準備をして貰った部屋に1人で戻って、”お絵かき“をしています。
その部屋の広さは、ロブロウで2人で生活していた“使用人部屋“が6つぐらいくっついてしまった位の大きさです。
夕ご飯の前に扉を開いて案内されて初めて見た時には、兄弟はそろって大きく丸く口を開いてしまいました。
弟のアトはその広さに直ぐに喜びの声をあげて、部屋の中に駆け出し、お兄さんのシュトは丸く開けていた口を閉じて、案内をしてくれた"ロドさん"事、ロドリー・マインド氏に"すみません"という言葉を口にします。
けれども、蛇の様な眼をした未だに軍服の姿のロドさんの方も、表情を余り動かさないながらも、申し訳なさそうな表情を浮かべて、口を開きます。
『―――いや、こちらこそ済まない。
2人部屋というのに、丁度良い広さがなくて、結局1人部屋で、2人分の調度品や家具で急いで整えた次第だ。
極力単調な物が良いという事で、揃えたのだがシュトやアトの都合の良い様にしてくれて構わない。
……何だ、その呆れた表情は?』
『いえ、こういった広い部屋 まで用意してもらった身としては、それだけで十分なんすけれどロドリー様も所謂貴族なんだなあと……。
取りあえず、十分広いんで有難いです、ありがとうございます、今までの人生の中で、宿屋を含めて一番広い兄弟の部屋です』
シュトはそう言って、呆れながらも心からの感謝をし、アトもありがとうございます!と元気よく言います。
広い部屋にはシュトとアトの年齢を考慮されてか、2人分の勉強机丁度良い距離感に用意をされてもありました。
夕食が終わってから、シュトはこれからのことをロドさんと話すという事でした。
アトは新しい部屋が新しくて、興奮しているのと、初めての王都で迷子になったりとして疲れていたので、部屋に残ると口にします。
お兄さんのシュトとロドさんは、てっきりついてくる物とばかりに思っていたのに、部屋に残りたいという言葉にとても驚きました。
でも、今日あった事を振り返ったなら、アトという少年からしたなら、1人で落ち着きたい時間を持ちたいというのも判ります。
ただ、1人で残したのなら眠ってしまうことがあるので、先に寝る準備をしてしまってから、部屋でのんびりさせようという事に決まりました。
『……そうだな、私もいい加減軍服から私服に着替えたい。食事も済ませた事だし、互いに寝支度を済ませてからでも構わないだろう』
アトに気遣って、結局出会いから軍服のままで本日は徹してくれていた貴族で軍人が、白い手袋を嵌めた手で、軍服の襟元に指を指し込んでいます。
『そうすっね、アト、風呂に入ってから、寝る準備をしてから、遊んでもオーケーです』
『お風呂入って、寝る準備してから、遊んでオーケー、アト、判りましたシュト兄』
お兄さんの言葉を鸚鵡返しで繰り返して、いつもの様に最初だけ一緒に部屋に備え付けの浴室に入って、使い方の確認をした後に、順番で頂きます。
それから今回は、1人でお留守番という事もあって、特別机の上ではなくて、部屋の広くあいた場所に敷かれている絨毯の上にお腹をつけて、寝っ転がってお絵かきを始めていました。
「ボリジおくさま、本が大好きです。シズクさんはお歌が、大好きです。
"ちゅーべろーず"さまは"たてもの"の勉強のせんせいです。
マインドけでは、アレルギー以外は好き嫌いはいけません、でも苦手な物があるなら、コックさんにいったなら、おいしくしてくれます」
楽しかった夕ご飯で、覚えた事を何度も同じ内容を口にしながら、ロドさんに貰ったクレヨンとスケッチブックで、今日食べたご飯の内容や出逢った人々を、描いていきます。
本当は今日知り合った人たちを描きたかったのだけれども、"きぞく"のお家のテーブルはとても長くて、距離があったので細かい所は見えなかったので、アトなりの"せつめいぶん"を添えて書いていきます。
「大きな机のときには、ちゃんとしないといけません、綺麗なお洋服を着ましょう―――」
ロブロウでも"執事みならいのお手伝い"をしている時、新しい領主邸で、ともだちの“リリ"や"ルー"がかわいいお洋服、グランさまはりっぱな洋服、アルスとアルセンさまも軍服に、飾りみたいなのを着けているのをアトは覚えていました。
「仲良しさんとごはんを取る時は、小さな机で大丈夫です―――」
それにシズクさんは、とてもボリジ奥様と仲良しに見えたのだけれども、夕食の食事は一緒に取らないとも教えて貰いました。
『お昼ごはんは、シズクと殆ど一緒にたべているわね。今度から、アト君もお屋敷にいる時、暇だったなら一緒に食べましょうね』
『はい、一緒にごはん、美味しいです!。ご飯作る人はえらい人です!』
ロブロウでも口にしていた、師匠から教えて貰った言葉を口にしていたなら、兄であるシュトは恐縮していたが、屋敷は主を含んだ住人と使用人達の空気を非常に和ませていた。
そんな中マインド家の当主となるロドリーと、その伯父で後見人で且つてこの国で最も長く"宰相"という仕事をしていたチュベローズは、食事中淡々と厳めしいとも受け取れる表情を浮かべて、質問をザヘト兄弟に向ける。
シュトは前に勤めていた、この国の西の果てにある領地である、領主のビネガー家に仕えていた老執事に、言葉遣いを指導して貰って何とか失礼のないように答えていた。
アトの方は、チュベローズからは厳めしい面構えながらも、少年が抱えている事情を十分弁えてくれている、判り易く短い質問に元気よく答えていた。
そして夕食の時間は、ボリジ夫人の
『こんなに旦那様とロドリーさんの楽しそうな御顔での食事は、本当に何十年ぶりでしょう。
これからも、お時間が合う時は夕食をご一緒にいただきましょうね』
という言葉によって締められて、シュトは両方の眉毛を上げて大いに驚き、アトは笑顔と大きな声で"はい"と返事を行っていた。
「―――"セリサンセウム"のおうとでは、まだあまり、ライスはありません。だから、明日のあさごはんはパンです。
あさってから、塩味のライスボールの準備してくれます、たべれます」
そして、夕食時の前以て言われた、明日の朝ごはんの事を繰り返し口にしながら、アトは自分の心を落ち着かせて納得させます。
アトは拘りがとても強く、いつも決まっている行動を取れないと心が落ち着かずにパニックをおこしてしまうのです。
それでも、前以て"思っている事と違う事が起きる"と知る事が出来ていたなら、頭に浮かべ口に出す事で、その時までに自分の気持ちを落ち着かせる事が出来ていました。
今は、明後日の朝ごはんには食べる事が出来るというライスボールをスケッチブックに描きながら気持ちを落ち着かせています。
何個目かのライスボールを描き終わった時、やはり疲れているのかアトの口から大きな欠伸が漏れ出ます。
『寝る時は、灯りをつけたままでいい。でも、遊んだ後は片付けはしてから寝なさい』
食事が終わる前に、本日はもう会う事がないというロドさんから、寝る時に出された指示を思い出しながら、アトはスケッチブックを閉じます。
それから使ったクレヨンを箱にしまって、片付けをちゃんとしたなら、アトの寝台と言われている方に進んで横に入ろうとしました。
すると窓の方から"コンコン"という音がします。
「……鳥さんが来ましたか?」
シュトとアトに用意して貰った部屋は2階なので、人がくるような事はないとアトは思っています。
鳥が寝ぼけて透明な窓ガラスに勘違いをして、嘴で叩いているのかと考えて、窓に近づきますが何もいません。
けれども、シュトとアトの部屋の側に大きな木が生えていて、それが窓のすぐ側にまで大きく太い枝を伸ばしているのが判りました。
もしかしたなら、その枝に鳥さんがぶら下がっているかもしれないと思って、アトは窓を開いて気を付けながら身を乗り出してみましたが、枝の上には何もいません。
「鳥さん、いません……」
残念そうに声を出して窓を閉めようとした時、枝の"下"の方から声が響きます。
「空を飛べるけれども鳥さんではないかな。アト・ザヘト君、申し訳ないが部屋の中に入っても宜しいかな?」
アトがこれまで聞いた事がある声の種類で覚えている限り、"お爺さん"の声が聞こえました。
「!?、誰かいますか!?」
そんな事を口にしながら、声が聞こえた、枝の“下“の方を見つめます。
するとそこに、何かしら揺れているのが目に入ります。
「……逆さんぼの“コウモリ“さんですか?」
動物が好きではあるけれど、小さい動物以外は実際に触れる事が苦手なアトは、絵本図鑑をよく読んでいたので、直ぐに夜の暗さに溶け込んでいる動物の姿が判りました。
「……でも、コウモリさんはお喋りできますか?」
「普通は、お喋りは出来ないが、儂に関しては、特別ですな。さて、もう一度尋ねますが、儂はお部屋に入っても良いですか?」
眠たかった眼がすっかりと眼が覚めしまったアトは、コウモリさんからの質問を考えます。
「……アト、わかりません。でも、知らない人は勝手に部屋に入れてはいけませんと、”エリファスせんせー”にもシュト兄にもいわれています」
一生懸命考えて応えた時、コウモリさんの口の端が上がりました。
「成程、“知っていれば良い“のですな?」
とても楽しそうな声を出して、コウモリさんは羽ばたいて、部屋の中に入って、先程アトがスケッチブックとクレヨンを片付けた広場の上に、飛んでいきます。
「まってください、ああ、えっと……」
動物については、入れても良い物かどうかがアトには判りません。
ロブロウでは、仲良しの人の前だけで”ウサギの姿をしたけんじゃさん”は、領主邸のお部屋の中を自由に動いていました。
でもここはロブロウではなくて、セリサンセウムの王都で、今日から御世話になるお屋敷の”主”は、ロドさんこと、ロドリー・マインド氏です。
「ロドさん、動物さん好きでしょうか……」
動物が好きなら、勝手に入って来た”コウモリさん”に対しても許してくれると考えます。
でも、もし嫌いだったら、昼間シャボン玉のような水晶玉を砕いたロドさんの武器で叩かれてしまうかもしれません。
「……あれ?」
アトがお昼にお菓子屋のまがれっとさんのお店でしゃがみ込みながら、見たことを思い出していると、不意に頭を何かに撫でられている様な気がして、自分の頭に手を伸ばします。
けれどもそこにあるのは、お風呂に入ってから一生懸命にタオルで拭いたから、何とか 半渇きになっている髪の毛でした。
「いやはや、あの様な武器でこのコウモリの姿で叩かれたのなら一溜まりもないので、早々にアト・ザヘト君が安心出来ることも兼ねて、知っている人の姿に戻りましょう―――」
アトが不思議がっている内に、再び頭の上からお祖父さん声でそんな事を云うのが聞こえます。
次の瞬間には、大きな風が羽ばたいているコウモリさんの方向から物凄い風が吹き荒れました。
「―――ふわああっ!」
アトは余りの風の強さに、腕で顔を庇う様にして声を漏らしている内に、“コウモリさん“はいつも逆になって、”足”から部屋の床に着けようとします。
「さて、コウモリさんの爪で上手く鳴らせるかどうか」
そう言いながら、コウモリさんは固い爪を激しく3度弾き鳴らしたのなら、その小さな足元に三角形を2つ重ね合わせた六芒星が白い光の粒子を伴って、線となって浮かびました。
次に六芒星から、兄弟の部屋を揺るがすような白い粒子を伴った旋風が巻い上がります。
スケッチブックの閉じてしまった蓋は開いてしまって、風に乗って舞い上がりそうなほどです。
けれども、コウモリの小さな身体は、確りと六芒星の上に止まったままです。
「ふむ、何とか上手くいきそうだが、これはコツを掴むまでは少しばかり時間がかかりそうですな」
吹き荒れる風の中心に、コウモリさんは不動のままパチン、パチン、パチン、パチン、パチンと今度は5回爪を弾きます。
「……さて、あの賢者よりも整頓事は苦手でもないが、正直綺麗に整頓するのは得意ではないからな。
いつも、整頓上手な妻とその親友の水の天使に任せていたから……ああ、確かにこれは"匣"からは慎重に取り出さないといけないわけだ」
コウモリさんの声もお爺さんの声で落ち着いていましたけれども、更に落ち着いた声が部屋の中で響いたのなら、六芒星の内側に今度は黒く光る線で五芒星が浮かび上がります。
黒い五芒星の線は、白い六芒星の線と同じように、黒い粒子を旋風に伴っていました。
風の渦巻きが更に激しくうねりをあげて、コウモリさんを包み込みます。
やがて、六芒星と五芒星から出て来た白と黒の粒子は混ざり合うことはなく、白と黒の縞模様と渦巻きとなって、コウモリさんの身体をすっかり包み込みこんでしまいました。
「ふむ、巧くいったようですな」
コウモリさんの時より、更に落ち着いた低いお爺さんの声が響き"人の指"が弾ける音が、部屋に響き渡ります。
そしてコウモリさんのを包んでいた白と黒の粒子の旋風が、一気に飛び散りました。
「さあ、これで"アト・ザヘトは知っている、けれども逢った事はない人"の姿になったと思うのですが、如何ですかな?。
……あの耳の長い賢者の様な詭弁を使っている様で、多少アト・ザヘト君には申し訳ないのですが」
背の高い、白髪の、長い立派な紅黒いコートを身に着けたお爺さんが、コウモリさんが立っていた場所に悠然としながらも、顔には"苦笑い"を浮かべて佇んでいました。
アトの胸と頭の中では、不思議の気持ちを表す"???"が沢山溢れています。
けれども、確かにその姿はお爺さんの言う通り"アト・ザヘトはしっている、けれども逢った事はない人"の姿になっていました。
「……はい、アトはお爺さんを知っています。ロックさんの、"だんなさま"で、アプリコットさまのお祖父様のピーン・ビネガー様です」
アトの覚えている中で、知っているその人の姿の当てはまる名前を口にします。
ロブロウで"執事見習いのお手伝いさん"をしている時に一番最初に、執事のロックさんに見せて貰った旧領主邸にか飾られている、肖像画に描かれているお爺さんの姿でした。
でも、最初に時見たのは立派だけれども、とても重そうな鎧を身に付けていて、顔も少しだけれ怒っているような、困っているようにも見えたのをアトは覚えています。
そんなアトが少しだけ怖がっているのが判った、執事のロックさんは優しく笑って、身長はもうそんなに変わらない男の子頭を優しく撫でてくれました。
『こちらの肖像画は、旦那様であるピーン・ビネガー様が領主としてのお勤めをなさるために、鎧を身に付けているんです。
厳しいお顔をなさっていますが、お仕事で仕方なく何ですよ、本当は全く怖くない、優しいかたなのですよ。
それで、イタズラちょっと好きではありますが賢く優しい御方なんです』
ロックさんが頭を撫でながら楽しそうに嬉しそうに、教えてくれたのを思い出した時、同じ様に頭を撫でてくれる感触をまた感じます。
「……アトのあたま、誰か撫でていますか?」
思わず口に出して驚いて、もう一度自分の頭に手を伸ばしたなら、さっきはまだ半分位濡れていた髪の毛 がすっかり乾いてしまっていました。
それは先程、六芒星と五芒星の魔法陣から吹き荒れた風の為でもあったのですが、アトにはその事が判らずとても、驚きます。
「……あれ?!」
思わず声を出して眼をどんぐりの様に丸くしていたなら、ロックさんがピーン・ビネガー様と呼んでいたお爺さんは、それは愉快そうに笑います。
それから自分が起こした風が、アトの髪の毛を乾かしたのは良いのですが、あまりにも"無造作"が過ぎるので、アトの側によって指の長い手を伸ばしました。
不思議とその手の伸ばし方が、ロブロウで短い間だけれども色々と優しく教えてくれたロックさんととてもよく似ています。
アトは何にしても、"初めて"がとても苦手なのに"ピーン・ビネガー様"とも、初めてのはずなのに、素直に受け入れていました。
"手櫛"で整え終わると、ピーン・ビネガー様は笑顔を浮かべながら、話を続けます。
「そう、儂がこの世界に具現化するにあたっての姿は、器となった、"執事のロック"さんの主の物。
肖像画の鎧の姿もそうだが、この紅黒いコートの服装は、些か拙い物があるかもしれませんな」
姿はロブロウで見た"ピーン・ビネガー様"なのに、頭を撫でてくれている手の感じはやっぱり執事のロックさんで、さらに鎧や服の話まで出てきて、アトは混乱します。
それに言われてみれば、今"ピーン・ビネガー様"が身に着けているのは、ロブロウであったネツさんが着ていた"こーと"ととてもよく似ています。
更に、その"こーと"と言えば、ロブロウで"しゅんせつ"の儀式をする時に、ともだちの"リリ"とお留守番をしていたなら、"お館様"であるバン・ビネガー様が持って来たものともよく似ていました。
「……ううう、えっと、シュト兄は"しゅんせつ"の儀式の後に、こーとをアプリコット様にかえしました。
アプリコット様はウサギのけんじゃさんに返しました。
"こーと"はウサギのけんじゃさんの、とってもなかよしの仕立屋さんが"おさいほう"すると言っていました。
でも、今、ロックさんの旦那様のピーン・ビネガー様が着ています?」
ごちゃごちゃとして、アトの頭の中での考えをまとめようとしていたなら、思っていた事も言葉も口から一緒に出てきます。
でも、アトの頭の中はやっぱり"???"で一杯になってしまって、とうとう口の形を" へ"の字にしてしまっていました。
実を言えば、"ピーン・ビネガー様"の姿をしている存在は、部屋に入った時から闇の精霊の魔法を使ってアトの心や考えている事を読んでいました。
頭を触られた様に感じたり、昼間のロドさんについて思い出した時に、"ピーン・ビネガー様"は、考えている事を読んで、"器"の中に残っている情報でアトという男の子に合わせて話をしていたのです。
でも今は、そんな闇の精霊の魔法を使わなくてもが、アトがとても困っているのが、判ってしまいます。
「とりあえず、人の姿の際には、儂のこの姿は止めておいた方が良さそうですな。
本当は、アルス殿の前で披露としようと思いましたが、はっきりと区別が着く、儂が昔来ていた装束に戻らせて頂きましょう」
そう言って、ネツさんやウサギのけんじゃさんがする様に指を弾いたなら、今度は白い風の渦巻きが起きて"ピーン・ビネガー様" の身体だけをを包み込みました。
これを見たなら、ごちゃごちゃしていた事が引っ込んで、不思議な出来事にアトの心は夢中になります。
「わあ、魔法ですか?、ピーン・ビネガー様?」
そうアトが良い終わる頃には、白い竜巻は消えていて"ピーン・ビネガー様"は、アトの見たことのない形の紺色の服に着替え終わっていました。
「ええ、魔法です」
目の前で起こった不思議な出来事に興味を向けて、困った表情が消えて素直に質問を向けるアトに、紺色の服になった"ピーン・ビネガー様"は満足そうです。
それからふと、難しそうな表情を浮かべて腕を組んで、眼を瞑ります。
お爺さんの姿なので、顔にシワが多いのは当たり前なのですが、横向きが多い中に2つの眉の間に出来ているのは、縦のシワです。
それからアトに近い方だけの眼を開いて、ゆっくりと口を開いて話を始めます。
「……、アト・ザヘト君、儂の姿は執事のロックさんが話してくれた、旦那様の"ピーン・ビネガー様"と同じ顔で身体だ。でも、心はピーン・ビネガー様ではないんだ」
自分の眷属でもある闇の精霊を魔法を使ったり、"器"の中に残っている記憶と情報を使ってアト・ザヘトと接してみて、このままではいけないと、"ピーン・ビネガー様"の姿をした存在は思った様でした。
なので、2回程月が満ち欠けする前、"アルス殿"とコウモリの姿で言葉を交わしたのよりは小さくなりますが、ドキドキとしながらその事を告げます。
「……では、誰ですか?。お名前教えてください。
ロックさんが教えてくれたピーン・ビネガー様と、顔と身体と同じなのに、どこが違うんですか?」
「ふむ、やはり、アト・ザヘト君の捉え方としてはそうなるか」
凡そ予想していた通りの返事に、片方だけ閉じていた眼の方も開けて、"ピーン・ビネガー様"ではないという白髪の背の高い紺色のお爺さんは考え込みます。
「いやはや、それなりに叡智を治める存在としてアルス殿に、儂なりの助言をしてはこれたのだが……。
受け取り側にこういった偏りがある存在は、初めてだからどう伝えたら、これ以上混乱を招かない物だろうか。
中身が違うかといえば、人のいう所の学術的な表現を使ったのなら、儂の身体を形成して構築しているのは、ピーン・ビネガー様の物と遜色ない。
いや、寧ろ、違う所がないぐらい"器"の魔術は完璧だった。
ピーン・ビネガーではないという証明をする方が逆に困難だ」
それにどちらかと言えば、"どうしても知りたい事がある"という存在のほうが、昔住んでいた西の果ての、あるとても高い場所に尋ねてくることが殆どでした。
尋ねてくる方が、自分の力で調べてもどうしても判らないとう事で、ある程度考えを纏めていたり、それなりの学問を修めている者が殆どです。
こうやって、自分から尋ねてきて状況を説明をするという事は、背の高い白髪のお爺さんに見える存在にとっては、この世界にあらわれてからは、ある意味では初めての事でした。
「……アト、むずかしいのわかりません……」
今度は唇を窄ませて、そう言って哀しそうに俯きます。
「うむ、やはりアト・ザヘト君という存在に、儂というの教えるのは難しい事の様だ」
"ピーン・ビネガー様"にしか見えないお爺さんがはっきりそう言うと、更に悲しそうな顔をして俯きました。
"何がわからないのかが、わからない"
そういう事が、アトが小さなころから覚えている中でも本当に沢山ありました。
アトという男の子が生きて来た時間は、決して長い物とは言えないけれども、もう両手の指の数字は超えて、更に折り返してもいる位です。
その数えてた指の本数以上 に、アトは殆ど覚えていないのお父さんとお母さんが"旅立って"から引き取られていた教会で、判らない事で俯いたり、拘りをだして泣き出したりする度に、からかわれ馬鹿にされました。
でも、からかわれたり、拘っている事をわざと邪魔されたりして、混乱を起こす度に、一緒に引き取られ小さかったたシュト兄が庇ってくれます。
でも、小さかったシュト兄も疲れている顔を浮べはじめているのが、当時の小さいアトにも判ってはいました。
とても感謝をしているし、ありがとうという気持ちもあるのだけれども、小さい頃のアトはそれを心で思っても、口にだしたり、表現するのが出来ません。
表現に繋げるまでに、頭の中や心の中で色んな物が絡まってうまく出来なくて、いつもシュト兄の服の袖を引っ張って、側にいることしか出来ませんでした。
そんな不安でいっぱいの日々の中に、手を伸ばして"引っ張りあげて"くれたのが、エリファス師匠で、この時もふとその姿を思い出します。
するとまた、あの頭を撫でられる感触がアトは感じて、顔をあげました。
「そこで、"伴侶"であった存在を思い出されたなら、引くに引けませんな」
シワだらけのなかで、本当に困った表情を浮かべながらも、白髪の背の高いお爺さんは、口の端は本当に嬉しそうに上げています。
「神という存在は、それなりの物語を形成する力のある人が、この世界の勝手に定義と理屈を整える為だけ、拵えた判ってはいるつもりだが……。
アト・ザヘト君にとっては、私の伴侶であった存在は、救いを求めて出来なりの努力をしている者にとって、本来の意味で女神の役割を熟していたのだな。
それならば、儂も出来るなりの応用で、アト・ザヘト君に判り易く話してみようかな」
「女神さま?」
白髪の背の高いお爺さんが言葉にする中で、アトがなんとか理解出来るのはその一言だけでした。
けれども、アトの思い出している"エリファス師匠"と、女神さまという昔から教会という場所で"みんなが元気でしあわせあるように"と祈ってくれているという姿が自然と重なって、気持ちが落ち付きます。
アトが落ち着いたのが見るだけでも判る程だったので、白髪の背の高いお爺さんは自分の"器"となっている存在が、培った"学び"として捉えた記憶を辿っていきます。
すると、丁度頃合いな記憶を見つけました。
「……これは、私が器と契約をした後の、"思い出"だな。
だが、まだあの絵本がロブロウには届いていないそんな時―――。
ふふふ、正しく"嵐の前の静けさ"という言葉が相応しい出来事」
眼を半眼にして、更に培った思い出を手に取るように、器が丁寧に仕舞い込んでいた情報を手にします。
ただ、少しばかり因縁のという物がある、大地の女神の縁者が関わっている事で眉を潜めました。
しかしながら、アトとの交流を取るのなら、致し方なしといった調子で"嵐の前の静けさ"の出来事を眺めます。
どうやら、"アトの感覚"を"一般的な感覚"に置き換えたなら、どういう風にしたなら伝えやすいかという事を、この世界で言う"ロブロウ"という場所を治める領主の屋敷で話し合っている所でした。
その場所は領主の図書館という場所で、どうやら"客人"という立場の中に因縁のある女神の末裔と、人ながらに複雑な縁を絡ませている癖っ毛に八重歯が目立つ少年もいます。
背の高いお爺さんからみたなら、器と一緒に、アトとお茶を運んできている所になります。
伴侶だった女神は、どうやらロブロウの"代理領主"に頼まれて、お客さんになる女神の末裔と、因縁の多い癖っ毛八重歯の少年のそれこそ本当に"先生"をしている様でした。
思い出の流れからすると、休憩中から"アトにも判り易くする為には"という話になっているみたいです。
どうやら、子ども達―――癖っ毛八重歯の少年に、女神の末裔となる女児が特に一生懸命な様子でした。
様々なごく簡単な具体例を出して、話を進めているもので、いつもどちらかと言えば"知識の深淵"系と回り諄く、捻くれた理論ばかりの話しが多い、白髪の背の高いお爺さんにはそれは新鮮な物なります。
『それよりロックさんの手を借りていいかな?』
『後でお返しくださいね』
幾度目かの例え話の中で、"手の話"が特に印象深く、器《執事のロックさん》には自分も手伝った事もあって残されている。
より具体的に、アトにも判り易くする為に、癖っ毛八重歯の少年は、腰のカバンからハンカチを取り出して、器《執事のロックさん》の右手を拳にさせて綺麗に包み込んでいました。
『もしも"利き手を使ってはいけない部屋"で、部屋に入る前にこうやって利き手をハンカチに包んだり、何らかの方法で"判りやすく"使えないようにする。
それなら咄嗟の時でも"利き手を使ってはいけない部屋"の約束は守れるってのはリリィはわかるか?』
『うん、それは分かる』
器のハンカチに包まれた右手を眺めたなら、女神の末裔が癖っ毛八重歯の少年の言葉に素直に頷いています。
白髪の背の高いお爺さんからしたなら、その情景は少しばかり、心苦しい物になりました。
忌々しい女神が、白髪の背の高いお爺さんが主と崇める存在に対しても、少しでもこの末裔の女児の様に素直な振る舞いをしていたならという気持ちが、今も尚燻っているのです。
けれども、主の心がこの世界の何処かに隠れてしまった事も、今器の記憶を見ている事も、"過去"の事であってどうしようないと判っているので、改めて癖っ毛八重歯の少年の語りを見つめました。
『で、アトさんにとってはこの"利き手を包み込むハンカチ"みたいなぐらいに
"わかりやすくて、はっきりしていないと"
オレが"カップを正しく持たなくてもオッケーです"って理由がアトさんにはわからないんだよ』
シワだらけのなかで、本当に困った表情を浮かべながらも、白髪の背の高いお爺さんは、口の端は本当に嬉しそうに上げています。
「神という存在は、それなりの物語を形成する力のある人が、この世界の勝手に定義と理屈を整える為だけ、拵えた判ってはいるつもりだが……。
アト・ザヘト君にとっては、私の伴侶であった存在は、救いを求めて出来なりの努力をしている者にとって、本来の意味で女神の役割を熟していたのだな。
それならば、儂も出来るなりの応用で、アト・ザヘト君に判り易く話してみようかな」
「女神さま?」
白髪の背の高いお爺さんが言葉にする中で、アトがなんとか理解出来るのはその一言だけでした。
けれども、アトの思い出している"エリファス師匠"と、女神さまという昔から教会という場所で"みんなが元気でしあわせあるように"と祈ってくれているという姿が自然と重なって、気持ちが落ち付きます。
アトが落ち着いたのが見るだけでも判る程だったので、白髪の背の高いお爺さんは自分の"器"となっている存在が、培った"学び"として捉えた記憶を辿っていきます。
すると、丁度頃合いな記憶を見つけました。
「……これは、 私が器と契約をした後の、"思い出"だな。
だが、まだあの絵本がロブロウには届いていないそんな時―――。
ふふふ、正しく"嵐の前の静けさ"という言葉が相応しい出来事」
眼を半眼にして、更に培った思い出を手に取るように、器が丁寧に仕舞い込んでいた情報を手にします。
ただ、少しばかり因縁のという物がある、大地の女神の縁者が関わっている事で眉を潜めました。
しかしながら、アトとの交流を取るのなら、致し方なしといった調子で"嵐の前の静けさ"の出来事を眺めます。
どうやら、"アトの感覚"を"一般的な感覚"に置き換えたなら、どういう風にしたなら伝えやすいかという事を、この世界で言う"ロブロウ"という場所を治める領主の屋敷で話し合っている所でした。
その場所は領主の図書館という場所で、どうやら"客人"という立場の中に因縁のある女神の末裔と、人ながらに複雑な縁を絡ませている癖っ毛に八重歯が目立つ少年もいます。
背の高いお爺さんからみたなら、器と一緒に、アトとお茶を運んできている所になります。
伴侶だった女神は、どうやらロブロウの"代理領主"に頼まれて、お客さんになる女神の末裔と、因縁の多い癖っ毛八重歯の少年のそれこそ本当に"先生"をしている様でした。
思い出の流れからすると、休憩中から"アトにも判り易くする為には"という話になっているみたいです。
どうやら、子ども達―――癖っ毛八重歯の少年に、女神の末裔となる女児が特に一生懸命な様子でした。
様々なごく簡単な具体例を出して、話を進めているもので、いつもどちらかと言えば"知識の深淵"系と回り諄く、捻くれた理論ばかりの話しが多い、白髪の背の高いお爺さんにはそれは新鮮な物なります。
『それよりロックさんの手を借りていいかな?』
『後でお返しくださいね』
幾度目かの例え話の中で、"手の話"が特に印象深く、器《執事のロックさん》には自分も手伝った事もあって残されている。
より具体的に、アトにも判り易くする為に、癖っ毛八重歯の少年は、腰のカバンからハンカチを取り出して、器《執事のロックさん》の右手を拳にさせて綺麗に包み込んでいました。
『もしも"利き手を使ってはいけない部屋"で、部屋に入る前にこうやって利き手をハンカチに包んだり、何らかの方法で"判りやすく"使えないようにする。
それなら咄嗟の時でも"利き手を使ってはいけない部屋"の約束は守れるってのはリリィはわかるか?』
『うん、それは分かる』
器のハンカチに包まれた右手を眺めたなら、女神の末裔が癖っ毛八重歯の少年の言葉に素直に頷いています。
白髪の背の高いお爺さんからしたなら、その情景は少しばかり、心苦しい物になりました。
忌々しい女神が、白髪の背の高いお爺さんが主と崇める存在に対しても、少しでもこの末裔の女児の様に素直な振る舞いをしていたならという気持ちが、今も尚燻っているのです。
けれども、主の心がこの世界の何処かに隠れてしまった事も、今、器の記憶を見ている事も、"過去"の事であってどうしようないと判っているので、改めて癖っ毛八重歯の少年の語りを見つめました。
『で、アトさんにとってはこの"利き手を包み込むハンカチ"みたいなぐらいに
"わかりやすくて、はっきりしていないと"
オレが"カップを正しく持たなくてもオッケーです"って理由がアトさんにはわからないんだよ』
『ああ、そういう事なのね』
末裔の女児が、具体的な例えでとてもよく理解出来たの表現するように明るい笑顔を浮かべていたが、直ぐにまた細い首を横に傾けていました。
それから器の記憶を見なおしてみたなら、元々こういった話題の流れになったのは、癖っ毛八重歯の少年が、休憩中に呑んだ紅茶のカップの持ち方が正しくなかった事が発端の様でした。
"カップの正しい持ち方をしない事"に、アト・ザヘト少年が拘りを発揮した事で、どうやったなら前以て見通しをつけて、教えておくことで互いに"我慢"というものをしないで済むのだろうという具合で話は、進めていたようです。
『じゃあ、アトさんが"カップを正しく持たなくてもオッケーです"を理解するには部屋をどうすればいいのかしら?』
『そこはアトさん次第だろうなぁ。
でも"分かり易い"に越した事はないんだろうけれど。
エリファスさん、そこらへんはどうなんすか?』
結局、癖っ毛八重歯の少年の少年は判り易くする方法として、何かしらの道具を直接使う事で抑止するということで、アイデアは打ち止めになってしまったようでした。
最終的に、当時は人として、この世界で傭兵や用 心棒という生業で生計をたてており、アトとその兄となる存在の世話をしていた、伴侶に意見を求めています。
その伴侶の方と言えば、まだ"旦那様"としての白髪の背の高いお爺さんが、器の中から、"その日の朝に目覚めた"ばかりという事もあって、"まだ"人としての心が充ちていました。
それに実を言えば、"人"として産まれた時に初恋の相手となってしまった器が側にいる事で、密かにとても大きな胸の内側で緊張してもいた様です。
「……思えば、"ロブロウ"では、目覚めて再会したはいいが、二千年分の情報を整頓することでどたばたとして、こういった事は全く話さなかった。
儂も、アルス殿があんなに近距離にいた事と、思いがけず出逢って気が急いた上に、あの小賢しい賢者に邪魔をされていたからなあ」
少しばかり器の思い出を探る事で、今更ながら少しだけ残念そうに背の高いお爺さんが口にします。
「?、ウサギのけんじゃさん、ピーン・ビネガー様……お爺さんの邪魔をしましたか?」
「お、儂が"ピーン・ビネガー様"と別物という事は少しばかりご理解いただけたかな?」
確認をとったなら、アトはまだ少しだけ困った所を表情に残していますが、深く頷いてくれました。
それから、ウサギの賢者と言う言葉も出て来たので、序とばかりに尋ねます。
「それに、賢者についてはどうやら"ウサギ"の姿の方で認識をアト・ザヘト君は定着している様子ですな」
「はい、フワフワのウサギさんがけんじゃさん―――リリが"賢者さま"、アルスが"賢者殿"と呼びます。
それに、ピーン・ビネガー様に似ているけれども紺色のお洋服を着ている、御爺さんは違う人だと、アトはわかります、わかりました!」
どうやら"服の色"が明らかに変わった事は、背の高いお爺さんが"ピーン・ビネガー様"ではないと言われた事は、アトにとっても少しばかり受け入れやすくなってはいるみたいでした。
”賢者"という言葉を聞いて、アトが思い出すのはどうもウサギの姿の方という確信も、背の高いお爺さんはここで漸く得る事が出来ます。
そして、仕上の様に先程の続きから伴侶の言葉を、器《執事のロックさん》から見つけ出す事が出来ました。
『ルイ君の言う通り、分かり易いに限るわね。
素っ頓狂な例えだけれど、それこそ"部屋の中が全体が真っ赤"で"この"赤い"部屋はカップを正しく持たなくてもオッケーです"といったら、アトも納得しやすいかもしれないわ。
常に視界には《赤》が入っているし"カップを正しく持たなくてもオッケーです"という約束がちゃんと心に残りやすい』
更に、器の中で眼が覚める直前に、最初の説明としてアト・ザヘトに関して説明している物も、発見する事が出来ました。
『人によりけりのなんでしょうけれど、アトの場合は情報の理解力は、『耳で聞いた』ものより『目で見た』方が処理力が高い様子です。
メモと同じで、紙に書いてあった方が、確実でもあるし不安になってもメモを見直せば大丈夫なんで安心出来るみたいです。
幸いにも簡単な文章なら、理解も出来るまでアトの知恵は育ってくれました』
「―――アト・ザヘト君にしたのなら何にしても先ずは"視界"から入って来る情報が、理解しやすいという事か」
そう呟いて、風が吹き荒れても飛ばなかったスケッチブックを拾い上げました。
「アト・ザヘト君、済まないがスケッチブック、それにクレヨンを使っても構わないだろうか?。判り易くなるように、自己紹介をさせて頂きたい」
一応返事を待ちますが、既に使う気持ちで紺色の服を着た背の高いお爺さんはクレヨンにも、人差し指に大きな傷跡ついた手を伸ばしています。
"耳で聞いたものより、目で見た方が処理力がアトの様な障碍を抱えた者は高い"。
伴侶の言葉を確りと受け止めた、人からは叡智を司るともされている背の高い紺色の服をお爺さんは早速活用するつもりでいます。
ところが、アトからしてみたなら"スケッチブックとクレヨン"を手に持つという事は、先ず何にしても"絵を描く"という考えしか頭にありません。
ある意味、これもアトの障碍として抱えている拘りの一端でもあります。
アトにとっては、スケッチブックという道具に字を書くとしたのなら、絵を仕上げた後に"題名"と"作者"として認めると決まっています。
当然、紺色の服を着る背の高い白髪のお爺さんは、まず最初に"お絵かき"をしてくれるという期待に満ちた視線を、アトは上目遣いになって注ぎます。
そしてこれまでは、人の世界 で言う二千年程前には西の果ての高所に住んでいて、わざわざ赴く努力をしてきたのなら質問にはそれなりに答えてくれた存在は、子犬の様に見上げる眼差しから、十分そういった物を察せました。
「お爺さんは、絵を描きます!」
「ふむ……」
簡単な文章なら、理解も出来るということなので、道具を借りてこの世界で、この姿で人として使っている名前を、スケッチブックに認めてアトに見せて教えるくらいのつもりで考えていました。
けれども、アト・ザヘトという少年と出逢って本当に短時間ではありますが、少年が抱えている事情も障碍も、器《執事のロックさん》の思い出や伴侶が辿った旅路を見届けたのと、叡智を司るだけあって概ね理解出来てしまっています。
「こうなると"絵"ですかな……、描かないとアト・ザヘト君は納得を出来なさそうですな。
正直に言わせてもらって、魔術で方陣を描く事以外そこまで描いた事がない……。
いや、描く必要性に迫られたことがないので、どうでしょうな」
これまでに考え込んだ事がない程の、叡智を使って白髪の背の高い紺色の服を纏ったお爺さんは考え込みます。
絵画に関して言うのなら、器《執事のロックさん》の思い出によれば、今の己と全く同じ姿をした"ピーン・ビネガー"は趣味程度に嗜んでいた姿が、残っています。
けれど、心置きなく描く時間というものは、人として生きている時間には、ピーン・ビネガーが子ども時代くらいにしか持てなかったという事を、器《執事》の中では、どちらかと言えば悲しい事として捉えていました。
「……絵画に関しては、"器"の記憶を頼るのは止した方が良さそうですな」
器と心は別である―――となれば良いのですが、そうでもありません。
この世界に出てくるために、"器"となってくれる存在が、それこそ血を吐くような努力をして、それに耐えられる様に心身ともに成長を為さなければ、幾ら望まれ、"鍵"を持っていたとしても、出てくる事は叶いません。
"器の努力があってこそ、この世界に出てくる事が可能になっている"
叡智を治めている存在としてそれを十分に弁えているから、器の心がもうこの世界にないともわかっていても、調子が下がるような事はしたくはありませんでした。
「……幸いと呼べるかどうか判りませんが、絵画に 関しては"儂"の方に、天使も絡みますが、少々愉快な記憶もありますから、そちらを参考にしましょうか」
「!?、お爺さん"天使"さまを知っていますか?!」
アトが白髪の背の高いお爺さんが行った、"天使"発言にアトは再び団栗の様に眼を丸くして、紺色の服を思わず掴みます。
白髪の背の高いお爺さんはそれには敢えて返事をせずに、片方の口の端を"ニィ"と上げて不貞不貞しく微笑みスケッチブックを開きます。
「まあ、そこの所の記憶を頼りに、アト・ザヘト君に、似顔絵込みで儂の自己紹介をさせていただきましょうか―――」
そして、アト・ザヘトに負担を与えずに、ある事を伝える為に先ずは黒いクレヨンを手に取ったのでした。
―――現在と同じ様に身体を自由に動かせていた、まだこのような事態になるなどと想像だにしない頃の昔の話を、白髪の背の高いお爺さんは思い出してしまいました。
色んな沢山の出来事が起こる前の、伴侶もまだ、女神として一緒に生活を共にしていたくらい昔の話です。
今ではこの世界では殆ど残っていない、古い暦には辛うじて記されているのですが、白髪の背の高いお爺さんは、世界の西の果てとされる所の高所に住んでいました。
その当時、現在懸命探している"主"としている方とは、友としての付き合いを、縁を深める日々を重ねている時期でした。
やがて主となる方は、人の世界のいう所の、"星の天使"という例えと共に、その後に人の暦にも深く強く刻まれる出来事を起こし、広く知られる事になります。
けれども、この時点では、暦に刻み付けるような事になるなんて、世界中のどんな存在も、叡智を納める白髪の背の高いお爺さん自身も、予想だにしてはいませんでした。
ただ、"もしかしたのなら"という思える出来事が1つだけあります。
元々白髪の背の高いお爺さんが、伴侶として女神を迎えるという事に当たっては諸事情があり、"身元を引き受ける事が出来ませんか"という形で"星の天使の配下"とされている水の天使から相談されていたのでした。
世界が違うので、正確な具合を聞いてはいませんでしたが、星の天使を筆頭にして四大精霊の長を司る天使を配下にす るという構造で、彼等にとっての"父なる神"が創造した世界を管理しているとの事でした。
ただ、構造こそ星の天使が筆頭ですが、その姿は人で言う所の、黄金色の髪に空色の眼をもった好奇心旺盛の、凛々しい少年です。
そして、"配下"という表現になりますが、四大精霊、"火・風・土・水"の長となる天使たちの姿は、双子の弟になるという火を司る天使以外は、皆それぞれ姿が異なる成人した大人の姿でした。
星の天使は筆頭でその力も最も大きくははありますが、その外見に併せるように心は少年の直向きさそのもので、世界を管理する事に心は砕きます、
けれどもそれだけでは足りない、そういった所をを補い支える様に双子の弟の炎を司る天使は兎も角、他の天使は配置されて、働いているようでした。
そして白髪の背の高いお爺さんに、秘密裏に伴侶となる女神の相談を持ち掛けたきた水の天使は、星の天使を特に気にかけている様子でした。
その姿も、星の天使と違うのは眼の色が緑色と違う位で、人の世界なら見様によっては性格の違う年の離れた兄弟のと判断されても、何らおかしくない印象を受けました。
相談を持ち掛けられた際に、はっきりと言葉にはしてはいませんが、星の天使を弟の様にも思っているのが、話に聞くだけでも伝わって来ていたのを、白髪の背の高いお爺さんはよく覚えています。
実は"伴侶として迎える事になる女神"について言えば、水の天使は自身と同じ立場で、星の天使が管理する世界で、知恵というよりも情報を管理する風の天使に、相談と計画を持ち掛けたとも話してくれました。
けれども、風の天使はいつもの不貞不貞しい態度ではなく、実に真面目な表情を浮かべ、
『悪い、その刻限には異国の日の女神と重大な話があるんだ……済まないが、あとガブリエルとウリエルに頼むよ』
と、水の天使に対して申し訳なさそうに断ったと、白髪の背の高いお爺さんは伝え聞きました。
空に吹く雲を流す飄々とした、それこそ本当に風の様な掴みどころのない性分の天使が、何時になく真面目な態度に、水の天使は素直に協力を諦めました。
次に、折に触れては星の天使から何かと相談をしている″異界ではあるけれども、叡智を納めた方がいる”と話して貰っていた、白髪の背の高いお爺さんに協力を持ち掛けました。
白髪の背の高いお爺さんは、星の天使以外に接点のない異界の天使からの相談をされた事に、最初は驚きましたが、その内容が"友″に関わる事を聞いたのなら、快く承諾し協力をしてくれました。
そして相談された内容は星の天使が明るい表情を浮かべながらも、その事で気に病んでいるのを伺わせる、丁度、友として気にかけている事でもあったので、寧ろ自分にしてくれた事を嬉しく感じていました。
結局、星の天使が抱いていた不安を取り除く為に提案した事には、何かと水の天使を気にかけてはついてくる、人の姿で言ったなら褐色の大男の姿となる土の天使も手伝ってくれる事になります。
そして、星の天使が気に病んでいる事を取り除く事に関しては、結果的に予想以上に巧く行く事になりました。
けれども、″オマケ"というべきかどうかは判りませんが、誘いを断った風の天使は、実際はその異国の月を司る美人の神と面談していたという事が土の天使から、悪気無く(?)暴露されます。
白髪の背の高いお爺さんは、水の天使が事実を知って怒り心頭になっているのを、女神になったばかりの伴侶に、事情を説明しながら苦笑しつつ聞いていました。
ただ、苦笑を浮かべ、土の天使が大きな身体と合わせたような6枚の羽をわさわさと動かして、綺麗な顔ながらも荒れる水の天使を宥めているのを眺めつつ、この場にいない風と"知識"を司るとされている天使について、少しばかり考えました。
風の天使はもしかして、水の天使から相談される前から、何かしら掴んでいたかもしれない。
けれども、何らかの理由があって"仲間"とされる水の天使を欺く様な言葉を口にして、敢えて加わらず、何か裏で行動を起こしていたのではないかとも、思いました。
実際、その様な片鱗を白髪の背の高いお爺さんは、女神を伴侶に迎える為の行動をしている際に感じ取れる部分はありました。
でもそれが、"風の天使が行った"という確信まで得られていないので、敢えて水の天使にも、土の天使にも伝えはいません。
いつか、何かしらの機会があったなら、常時飄々と不貞不貞しくしているという、風の天使から直接話を聞けたならと思いましたが中々その時間はもてませんでした。
やがて星の天使に、友の関係から主従の関係を白髪の背の高いお爺さんの方から望んだのなら、無邪気な笑みを浮かべ"こちらこそ、ありがと う"という言葉と共に受け入れてくれます。
それから程なくして叡智を司る白髪の背の高いお爺さんは、四大天使を筆頭とする、主となった星の天使が管理を任されている世界と相対する存在と暦に刻まれる事になりました。
そんな事があって、二千年という時間を超えても尚、風の天使に直接尋ねる機会を白髪の背の高いお爺さんは得る事は、叶えられていません。
ただ、星の天使が、"天使"という立場を捨てて、これまで仲間であった"天の使い"と決定的な相対すると決意を固める時までは、それなりに時間もありました。
その時間の間に聞けなかった事は惜しい事をしたと、白髪の背の高いお爺さんは思います
けれど女神を伴侶として迎えた時間からの、"星の天使"と"友"としての付き合いの時間は、和やかな時間も多くて惜しい事をしたと思いつつも、後悔はしていない事に今更ながらに気が付きます。
星の天使は構造状、長として単独行動を多く取る事は良くは思われてはいないと、話してもらって知っていました。
護衛となろうとする他の天使たちを振り切って、白髪の背の高いお爺さんの住いである西の果ての高所に赴いていると、得意気に語られた事もありました。
しかしながら、白髪の背の高いお爺さんが女神を伴侶に迎えてからは、ガブリエルがほぼ専門の護衛となり連れ立って、一緒その高所に赴く様になります。
『これまでは、"星の天使"にも息抜きの時間が必要かと思いましたが、異界の西の果ての高所に住まう方の、伴侶となる女神殿は私も"親友"ですからね。これから、御一緒させていただきます』
白髪の背の高いお爺さんと並びたつ伴侶となる女神に、水の天使は整い過ぎた様な美しい顔立ちに、綺麗な笑みを浮かべ、密かに弟の様に思っている星の天使の横で少しだけ澄ました調子でそう告げていました。
『あと、星の天使が望むなら、より一層早く飛べる方法をお教えしますよ。
能力は貴方の方が確かに上ですが、速度に関しては"1人でこっそり行こうとしても、水の天使なら、追いつけてしまう段階"ですからね。
宜しいですか?、ルシフェル様』
これまでは少しばかり礼節を持つ意味もあって遠慮をし、距離を置いている振る舞いをしていましたが、白髪の背の高いお爺さんが、女神を伴侶に迎えた事で、水の天使の方から距離を縮めます。
その事は、星の天使にとっても嬉しい事の様で、力強く頷いていました。
ただ、伴侶である女神が誕生する際にはもう1人、綺麗な水の天使を気にかける、褐色の身体の大きな土の天使がいて、彼も伴侶となった女神とは良好な間柄となっていました。
それは、夫という立場になる白髪の背の高いお爺さんは、与り知る所です。
伴侶として"妻"という形容で迎えている女神ですが、それは人が定義している夫婦の様な物でもなく、どちらかと言えば眷属、最も簡単に言うのなら、家族と含むという意味でした。
それでも一応伴侶という事で、人の言葉の例えに当てはめるとすれば、妻という事で、白髪の背の高いお爺さんを筆頭とする系統の中でもその立場は、相当"高位"となります。
星の天使の配下となっている、水の天使も土の天使も、丁度人の暦の見立てとしては結構な"高位”に属している事になっていました。
伴侶となる女神、水の天使、土の天使は丁度立場として同じ場に立っている様な物でした。
人の暦の中でも、不思議とこの所の話は極わずかではあるのですが、伝承として二千年後にも残されているところがあり、白髪の背の高いお爺さんは知った時には、大層驚くことになります。
加て、どうやら白髪の背の高いお爺さんと仲の良い星の天使と、水の天使に執着する褐色の土の天使の関係は特筆はされてはいないのですが、他の配下の天使と比べて友好的な逸話があるのに比べて、殆ど存在しないという事でした。
ただ、白髪の背の高いお爺さんが知る限り、星の天使が頭となって治めている世界では、土を司る天使として確りと役割を熟してくれていて、不仲とまでする表現は当てはまらない様に思えます。
伴侶となる女神を迎えてから、白髪の背の高いお爺さんの元へ赴く際には、星の天使と共に水の天使が赴く事が殆どでしたが、時折、土の天使も愛想のない面持ちででついて来ていました。
しかしながら、西の高所に辿り着いた後には、来客となる星の天使と場所の主で、もてなす立場である白髪の背の高いお爺さんは、伴侶と水の天使、たまについてくる土の天使はそれぞれ別の場所で歓談を行うのでそこまで空気が悪くなるという 事も、ありませんでした。
白髪の背の高いお爺さんは、大きな力を持つ星の天使が自分の力では調べきれない、または理解がしがたい事象に関して 相談をされて話をする事が殆どです。
土の天使が共に赴いている場合は、彼は決まりきった様に水の天使の真横の位置を陣取って、不動となります。
伴侶となる女神と、水の天使は土の天使のその行動を全く意に介さず、自身達が司るのが"優しさ"や"慈愛"といったものなので気が合ってよく話し合っているようでした。
その延長でどうしても、人の子どもに関しての話題には良くなるようで、更にその延長で説明をするにあたって何やら絵を描いて話し合ったりすることもあります。
ある時、この時は土の天使が不在の際に、星の天使と白髪の背の高いお爺さんはいつもよりも話は早く終わってしまいました。
帰還するにはまだ早いけれども、時期はそちらの話しが一段落ついてからでも構わないと告げる為に護衛の元に戻ったなら、丁度女神と天使は、紙になにやら描いて話し合っている最中でした。
好奇心が旺盛でもあった星の天使は、自分の配下と親友の妻が描いている物がどんなものか、勿論興味を抱いて、少々無遠慮にも感じさせる勢いで空色の瞳で覗き込みます。
どうやら、動物の絵やその他諸々を描いている様子で、2人もどちらかと言えば子ども向けの様に可愛らしく、羽根ペンにインクをつけて単純に描いていました。
でも、性別の不思議と言うべきなのでしょうか女神というだけあって、伴侶となる女神の方は、線が柔らかく人の女の子が好みそな柔らかい印象の、"丸い"印象を与える絵です。
そして、星の天使は自分の配下で護衛である水の天使が描いている絵と親友の伴侶殿が描いた作品を空色の眼で見比べたなら、ある事に気が付きました。
『ガブリエルは伴侶殿の絵を参考にして、真似て描いているんだよね?』
『御明察、その通りですルシフェル様』
"様"という接尾辞をつけてはいますが、水の天使が星の天使に口する言葉は、出来の良い弟を誇らしげに褒めている"兄"そのものの言い方でした。
星の天使の方も、以前よりも水の天使が、積極的に自分に声を馴れ馴れしくかけてくれるのが嬉しくて、精悍な少年の姿に子どもらしい笑顔を浮かべていました。
その笑顔を見たなら"作者"の了承を受けた後に、綺麗な天使は頷いて自分が描いた物と、親友が描いた物を差し出して、星の天使と白髪の背の高いお爺さんに差し出します。
それを好奇心旺盛な星の天使が代表して、手に取り横に並ぶように立っている親友となった白髪の背の高いお爺さんと共に見比べました。
水の天使が綺麗な顔に、眉を"ハ"の形にして困った様な笑顔浮かべながら、説明の為に形の良い唇を開きます。
『何気に手元にお手本というものがないと、絵というものはスムーズには描けない物ですね。
少しばかり話の流れで、絵を描いてみようという事になって、ペンを手に取ったのですが、頭には浮かぶのですけれど、いざ紙に描こうとすると巧く描けません。
だから伴侶殿に、先ずはお手本を描いて貰ってからそれを模写をさせて頂きました』
そう言って、眉を"ハ"の形から綺麗な微笑みを浮かべると、伴侶殿の方を見て"ありがとうございます"と言葉を向けました。
『伴侶殿はこういった絵って、描き慣れているの?』
綺麗な水の天使の感謝の言葉に"どういたしまして"と言葉を返してから、夫の親友である精悍な眼差しをしている空色の眼をした、星の天使に返事をします。
『そうですね、描き慣れているというまではいきませんが、比較的描いてはいる方だと思います』
『うん、とても判り易くて良いと思う、でも実物に比べたなら可愛すぎるっていうか、丸いっていうか……』
親友の伴侶の絵に関して、星の天使に褒める言葉を口にはしますが、素描が正確かと言えば、そういったものとはかけ離れてはいます。
描かれている対象は、改めてよく見ると動物に始まり、人の世界に置いて触れ合う事や、直接手にする事の多い動物や植物や、静物が複数です。
親友の伴侶殿が描いた物は、殆どが真っ直ぐである筈の線であるものでも、滑らかに曲がっていて柔らかみを出しています。
そして伴侶殿の絵を参考にしたといいますが、水の天使の絵はその必要以上に丸く柔らかい線を止めていて、真直ぐにしたものや、丸みを抑えた曲線で描かれています。
どちらも、"とても似ている"というものでもないけれど、"何を描いた"というのは、はっきりと伝わる画力で描かれていました。
ただ星の天使は配下の天使と、その親友の女神が手掛けた作品に対して正確に似てはいないのだけれども、良い絵だと感じる作品を、どう褒めた物か悩んでいる調子です。
当時、新友となっていた白髪の背の高いお爺さんは、隣にいて星の天使が言葉に詰まっているのを察し、朗らかに言葉を補助する。
『星の天使殿が感じられている通り、妻はとなる女神は写実よりも柔和と優しさを印象に与えることを優先して、描いています。
水の天使の方も、手本というよりは参考にして素描を描いたのでしょうが、儂の妻が実物よりも変形されているというのは、判っているのでしょう。無意識に写実的に描いたのでしょう』
白髪の背の高いお爺さんの言葉に、同意する様に2人揃って頷いた後に、伴侶の女神が艶やかな唇を開きました。
『私は"西の果ての高所にいる叡智を治める者"の伴侶で"女神"という性別も与えられている事もあって、旦那様の世界での子ども達の成長を加護するのが役割です。
成人した人と、幼い子どもでは何にしても受け取り方が違いますからね、やはり優しさを意識して描いているのはあります』
白髪の背の高いお爺さんの伴侶という立場だけあって、"夫"の親友であり、自分の親友が弟の様にも思っているけれども、上司でもあるそうなので、失礼のないように返事を行います。
『それと、貴女はそういった絵だけの物語が好きですよね。もしかしたら、そういった物を描いていたりするのではないのですか?』
ただ、親友の方は、弟の様に思っている上司で天使が、この場所に赴く事で、気持ちを解している様子が嬉しく、普段では見せない調子で口数が多くなっていました。
いつもの澄ました、水の天使という事もあって多少冷たさを感じさせる所を引っ込めて、新友の立場で、女神に対して少しばかり揶揄う様な調子で言います。
すると、女神の方も綺麗な天使が楽しそうにふざけているのに便乗して、今度は女神という立場を少しばかり頭の隅に少しばかり頬り込んでm年頃の娘の様に口を開いていました。
『ええ、旦那様の伴侶としての役割をこなしつつ、暇な折を見てガブリエルとウリエルのそういった物語を描くぐらいには好きよ』
『な?!』
この答えには水の天使は星の天使と同じ黄金色だけれ ども、サラサラとした髪を揺らして、両眉をあげて、緑色の眼を丸くするという反応をします。
流石にこんな水の天使の様子は、星の天使も初めて見たので、少しばかり遅れるような形で、こちらも驚きの為に両眉を上げていました。
そこまでは、微笑ましく”若人の話を聞く好々爺”といった調子で白髪の背の高いお爺さんはは話しを聞いていました。
ただ、楽しい事も悪くはないのですけれども、土の天使の当人がいないのに、この話の流れは、良くはないと思います。
なので、話題を変える一言を言葉を一言をする事にしました。
『仲が良いのは一行に構わないが、少々羽目を外し過ぎですかな。
ところで、ガブリエル殿と、我が妻に尋ねようか。
そもそも本日はどういった流れで、こういった"絵を描こう"といったとなったのかを教えてもらえますかな?』
するとこれには、水の天使が先程の驚いていた面差しを、いつもの綺麗な顔に戻して少しだけ躊躇いながら口を開きます。
『元々の発端は、ウリエルの配下であるシャムシエルから、私が相談されたことからなんです』
そう言って水の天使が纏っている青を基調とした衣の袂から、小さな折りたたんだ洋紙を取り出しました。
『先ずは何にしても、こちらを見て貰えますかルシフェル様、西の果ての高所の翁殿』
そういって紙を広げたなら、にはその中央には茶色の染料を使った筆記用具で、描かれた何かしらの生物の姿がありました。
『……ガブリエル、この犬?の絵がどうかしたの?。この絵が、ウリエルの配下のシャムシエルからの相談事?』
星の天使が語尾に"犬?"という疑問符を付けながらも、洋紙に描かれている生き物の名前と思えるものを口にしたのなら、水の天使と女神は揃って苦笑を浮かべて、見つめあい、揃って肩を竦めます。
その様子で、白髪の背の高いお爺さんは、星の天使が"犬?"と発言した物が"犬"ではないのだと察しました。
星の天使の方も、水の天使と親友の伴侶の反応で自分の答えが間違っているのだと判った様子で、少しだけ頬を紅潮させつつ、まだまだ張りのある少年の肌の眉間に、縦シワを刻みます。
そして改めて、水の天使が差し出した洋紙に空色の眼を向けて、腕を組んで再び考え込んでいる所に、白髪 の背の高いお爺さんは、声をかけました。
『ははあ、成程。どうやら、そのウリエルの配下となる天の使いは、恐らくはその洋紙に描かれている動物に対して何らかの指示を伴って渡された。
けれども、その洋紙に"ウリエル"の"直筆"によって描かれた動物の正体が判らなくて、その配下というシャムシエルという天の使いは行動を取るに取れない。
それで、ウリエル《土の天使》と最も親しいとされるガブリエル《水の天使》殿に助けを求めたという所でしょうか。
配下の自分達には判らなくても、ルシフェル殿と共にこの世界現れたという四大天使殿なら、ウリエル《土の天使》殿が、大真面目に描いただろう絵の意味を理解出来るだろうと』
『―――はい、概ねその通りです。彼等も遠慮をせず、その場でウリエルに尋ねれば良かったんでしょうけれども―――』
"―――とても自信たっぷりに渡されたので"
"その時に、訊くに聞けなくなりまして―――"
声を二重に響かせながら、ウリエルの補佐官はそんな風に訴えたといいます。
『いつもは"土を司る大天使"として、肌の色と同じ様にどっしりと大きく構えてもいるのだけれども……。
変な所で純粋っていうか、天然っていうか、子どもみたいなところがあるから"兄さん"。
そういった所見せられると、多分本人的には会心の出来栄えの絵を預けられて尋ねるなんて余程性格捻くれてないと、出来ないわよ』
水の天使に続いて、伴侶の女神が"土の天使"を"兄さん"と呼んで、そう評すると隣に座っている綺麗な水の天使が、"尤も"という感じで頷いていました。
伴侶の女神が土の天使を"兄さん"と呼ぶことについては、出逢い当初から、そういった旨の話が当事者達の界隈であったとの事で、自然と定着している所もある様でした。
そして星の天使の前で理由は判りませんが、極力感情が豊かな側面を抑えている所があるのは、この場にいる者には周知の事でもあります。
その事については、尋ねようという雰囲気にするだけでも、勘の良い土の天使は気が付き、それは見事な殺伐とした空気を醸し出すので、誰も踏み込んで尋ねようとはしませんでした。
この世界に姿を現した時から、土の天使が執着する様に傍らにいようと する水の天使は、何かしら事情を掌握してはいる様でしたが、それを誰かしらに語るという事はありません。
そうして、この場では"本来の土の天使の性分を承知の上でで話は進められていきます。
親友の、"ウリエル"に何を描いたか、尋ねるにはどんな存在もいないだろうという言葉に、頷きつつも思い浮かんだ事を形の良い唇から零しました。
『そうですね、ただ風の精霊の長の癖に、自分の領分でもあるにも関わらず敢えて空気読まない奴がいたなら、ウリエルが何を描いたかを訊いたかもしれません。
ただ、訊いた後に土と風の精霊が揉めた事で、ルシフェル様が管理する世界に、陸上竜巻《ランドスパウト※Landspout》が多発しかねません』
ただ、その水の天使の発言に関しては、星の天使の親友である白髪の背の高いお爺さんが、苦笑いを浮かべるところになりました。
『それはルシフェル殿の親友として、聞捨てなりませんな。
それでは、そのウリエルが描いたという"猪"に話を戻しましょう』
『猪』
『イノシシ』
ここで、綺麗な水の天使と伴侶の女神が、驚きの声で以て共鳴する事で、白髪の背の高いお爺さんは、自分の予想が外れている事を察しました。
"叡智を治める"とされている新友の予想が外れてしまった事に、星の天使は空色の眼を丸くしまいます。
しかしながら、土の天使が描いた現物を見たなら、幾ら叡智があっても外れても無理がないと思えてしまいます。
知識と芸術の分野は違うのだという事は、これまで経験し学んできたことで、星の天使にもそれなりに理解をしているつもりです。
加て以前に、星の天使が加護をしているとされている"創造力"は、芸術に関してはなくてはならない物だと、叡智を治める白髪の背の高いお爺さんに話して貰いました。
けれども、本当の所をいうと星の天使自身は、何かを創ったりするのは確かに好きではありますが、自分が造っている物に"芸術"があるのかと言えば、首を傾ける事になります。
ただ、白髪の背の高いお爺さんには、"貴方はそれでいい"とも言われました。
―――貴方は、意識せずとも何にしても"与える"という役割と立場を熟しているのですよ。
―――それに芸術というものは"理解"をしたなら、それではダメだと宣う女神―――まあ、これはうちのエリファスとは違うの異界の者ですがいますからね。
―――これはまた、ルシフェル殿に機会と興味があったのならお話いたしましょう。
その時は他の話しを主題にしていて、序にといった具合にしてくれたので、星の天使自身も、自分が持ち掛けた話題の方に話の流れを戻していました。
過去に"芸術"について、話した事を思い出しつつ、星の天使は自分の配下である褐色の身体の大きな天使が描いた物の"正解"が気になります。
『え?、でも"イノシシ"も外れなら、この茶色の……動物は一体何なの?。
ガブリエルや伴侶の女神殿は、ウリエルが何を描いたのか、判っているみたいだけれども』
星の天使も白髪の背の高いお爺さんも、さっぱり分からなくて思わず今度は、この2人で顔を見合わせていました。
けれども白髪の背の高いお爺さんの方は、空色の好奇心旺盛な空色の眼に見上げられて、時間的に言うなれば数百年ぶり"ムキ"になります。
『それでは熊、ウォンバット、カピバラ、ビーバー、それとも大穴で猫ですかな?』
しかしながら、叡智を治めるとは言ってのその意味は、深く物事の道理に通じる事を考察する力というものです。
"正体不明の茶色動物を当てる為"の物ではないので、結果的にそれなりに当て嵌りそうな動物を羅列させる事になりました。
『……ある意味叡智を治める旦那様にそこまで例えを出させる、ウリエルの画力は凄い物があるような気がするわ』
伴侶の女神が半ば呆れる様に言ったその直後に、快活な少年の笑い声が響きます。
『ふふふ、"ゼブル"をそこまでムキにさせるなんて、やっぱりウリエルは、ガブリエルが親友というだけあるなあ』
「―――"ぜ・ぶ・る"。お爺さんは、"ゼブル"……さんという名前なのですか?」
お爺さんがスケッチブックに自身の白髪の背の高い身体を、変形させ、単純な劇画の三頭身程の、今身に着けている紺色の衣に姿で書 き終えます。
そして仕上の様に"ゼブル"という3文字をスケッチブックに書いたなら、白髪の背の高いお爺さん―――ゼブル翁に殆ど引っ付いた状態のアトが、ゆっくりと読み上げました。
「はい、そうですよ、アト・ザヘト君。
"ピーン・ビネガー様に似ているけれども紺色のお洋服を着ている、御爺さん"の儂の名前は、"ゼブル"といいます。
宜しくお願いします」
指先はクレヨンで汚れてしまったので、器用に掌で自分に引っ付いている少年の頭を撫でながら、この世界では名乗る事に決めた、古語で言う"ゼブル"という名前を告げます。
自己紹介兼ねて描いた似顔絵と共に、中々長い話をゼブルは行いました。
アトにも理解出来る様に、昔話を語る調子で少年が大好きな"天使"を交えて話したのなら、拘りを良い方に向かせて少々長い話でも確りと付いて来てくれました。
「アト、わかりました"ピーン・ビネガー様に似ているけれども紺色のお洋服を着ている、御爺さん"の名前はゼブルさんです。
ゼブルさんは、お絵かきが得意です、女神様も水の天使さんも、お絵描き出来ます」
アトの言葉に、ゼブル翁は楽しそうに微笑み借りたクレヨンを確りと仕舞いつつ、謙虚な態度で答えます。
「ふふふ、得意という程ではないのですが、取りあえず周囲に混乱を与えない作品になる程度には修練をいたしましたよ。
ただ、現在も"お爺さん"ですけれども、当時も随分と年でしたから手習いを始めるのは中々新鮮でした」
「しんせん……アト、知っています、新鮮は新しいこと、おいしい事です、いい事です」
姿見は" 主の器と確信した存在" とそんなに年齢は変わらないのに、心は澄み切る程幼く、良くも悪くも自分の心に正直な言葉に、ゼブル翁はまた上機嫌に笑みを浮かべます。
「そうですな、新鮮は良い事ですな」
器から引き継いだ記憶から、それなりにアト・ザヘトの情報は掴めているつもりでした。
けれども、こういったやり取りを行う事で、この世界のでの身体となっている器の調子が思った以上に上がっていくのを感じていく事に、ゼブル翁は遥か昔に覚えた、新鮮さを再び味わう事になります。
そして味わう事で、それなりに想像はしていたけれどもいざ 実際にとなったなら、やはり考えていただけの事と現実の差がありました。
―――遥か昔に旅人と契約をして"大地の女神"の世界に自分の能力を極力保持したまま現れる方法として、鍵と器について話を、ゼブル翁は聞いていました。
契約を行う際にそこの所は確りと聞いてはいたのですけれど、今は予想以上に器の培った感覚に影響を受けていることに、良い意味で驚きの連続となっていました。
「……南国に渡って、少々"懐かしい"事が判って、雇い主がセリサンセウム王国に赴くというので、密かについて来てみれば、こちらも中々面白い事になっている。
それに雇い主殿が、儂の物とは違う絵本を使っているときた。
儂の目的は決まり切っているというのに、さてはて、これからどう動いた方が面白い事になるか」
「面白いこと?、楽しい事です!、アトは今日は沢山楽しい事、ありました!」
"今日は楽しい事がありました"という無邪気な報告には、"南国での雇い主の行動"を観察していたゼブル翁にとっては流石に苦笑いを浮かべるものとなります。
「……今日は、アト・ザヘト君に本当に楽しい事ばかりでしたかな?。
何かしら、大変な事があったのではないのですかな?―――大丈夫だったかな?」
概ねの"アト・ザヘトの本日の行動"を、ゼブル翁自身は把握していました。
そしてアトには通じない事だと判っているのに、やってしまう自身を愚かと感じながらも、ほんの少し意地悪と皮肉の感情を込め、訊いてもいました。
けれども、質問の言葉をシワに覆われたゼブル翁が口元から紡ぎだす時、最後の方は"心配"の感情ばかりを含んだ柔らかな口調になっています。
そして声に感情を含んでいる様な声というならば、その器の心がが、どうにかしなけれ含ませることも出来ない筈でした。
("心"は―――この器に未練等は、残滓など、微塵も残ってはいない筈なのだがな)
契約完了際に、器の希望を全て叶えたことでのこの世界への未練を全てを捨て、"執事のロック"の心は旅だったのを、この"身体"に禁術を施し、蝙蝠となった状態で、見届けていました。
"浄らかな河のほとりと樹の木陰の涼しい場所に座って瞑想に入ると次第に求める思想が明らかになってきて、"暁の明星の輝 き"を見た刹那、ついに覚りを開いて、旅人となる。
旦那様、カリン奥様、お待たせしました、ただいま参ります。それでは、貴方様も"主"であるお方と、再会できますように"
(儂にかけた言葉には、清々しさに満ちていたというのに……。
だが、やはり"器《執事のロック》"はこの世界執着しているわけではない。
これは南国に戻ってから、"呪術師"にでも土産に頼まれた酒を持って行って、話してみるか)
ゼブル翁が、自分の器の内側で自身の視界では確めきれない事もあるのを自覚している横で、"今日起きた事"を尋ねられたアト・ザヘトは元気よく答えてくれています。
「はい!楽しいいっぱい、ありました!。
アトは王都に、アプリコット様とシュト兄とシノちゃんと来ました。
それで、アプリコット様が思ったより早くついたと言っていました。
アトは、まがれっとさんのお店のチラシを見つけました、拾いました。
そうしたら、迷子になってアルスのせんせ―と同じ服を着たロドさんがいたから、チラシを見せたら"まがれっと”さんのお店につれ来てくれました」
それから昼食は、"まがれっとさん"のお菓子屋さんで食べる事になった事。
"ロドさん"がお金を出して、"まがれっとさん"が美味しい野菜のスープを買いに行った事。
ロブロウで"友だち"になった、ネツさんが今日はお休みだというパン屋さんから、いきなり姿を現した事。
ネツさんは初めて見る青いコート着た姿で現れたのなら、ロドさんが物凄い顔になったと、実に楽しそうに話してくれます。
次に兄であるシュト・ザヘトが"まがれっとさん"と共に、スープの鍋を抱えて迎えにきた事を話し始めますが、"ポップコーン屋"については、アトは一言も口にはしません。
「そうでしたか、それは楽しい一日でしたな」
まだまだアトは、"今日起きた楽しい事"についても話したそうにしていましたが、白髪の背の高いゼブル翁は、そこで話を留めます。
ゼブル翁にとっても、この話の先に出登場してくるだろう、少年の兄の親友となったという"空色の眼をした少年"の話には大変興味を持っていました。
けれども、今はアトの記憶を喪っている状態についてが、気になっているところです。
迷子になったアト・ザヘトの記憶を吸収したのが 、"人としてのゼブル翁"が、現在身を寄せている事になっている、現在の南国の英雄でした。
人の事はそれ程気にかからない、ゼブル翁ではありますが、アト・ザヘト少年が"アルセンさま 、どうしてグランさまみたいなお肌の色になっていますか?!”と口にした意味。
それと極短い時間ではありますが、この国の法王と崇められる存在の本棚に"世話になっていた"事で、この国の近代史については詳しいゼブル翁です。
"グランさまみたいなお肌の色をしたアルセンさまにそっくりな南国の英雄"が、
この世界に誕生した経緯は少なからず予想は出来たし、別段おかしくはないと、普段のゼブル翁なら考えるでしょう。
けれども、アト・ザヘト君が"アルセンさま"と呼んだ人とその母親バルサム・パドリックから、良質な魔力を結構な量と、セリサンセウム王国の近年の情報も貰った立場となると、少なからず"恩"を感じています。
加て、ゼブル翁がいずれ主でである星の天使の器として、相応しいと思える少年アルス殿が、アルセンに懐いている所も気になります。
「……出来れば皆、穏やかに過ごせればそれに越したことはないのですが」
アルス少年が、ガブリエルの器となる力を培った人を兄の様に慕っていたり、ウリエルの器となる存在が側にいる事で、何かしらの縁が確立されているのは、ゼブル翁は想像するのに難しくはありません。
「何にしても、旅人が広めたあの"絵本"が、何かしらのきっかけとなって儂を含めて今更になって、一斉に動き始めてはいる事は確かのようだ」
「……眠たいです」
今までより声を抑えて言った時、不意に静かになっていたと思っていたのならゼブル翁に引っ付いているアトが呟く様に言いました。
「そうですか、それならそろそろ寝台に移動したならどうですかな?。それとも、膝を貸しておきますから枕代わりにしておきますかな?」
この部屋に赴いた当初に、闇の精霊の力を借りてアト・ザヘト君の心を除いたのと同時に"寝る準備"をしていた事もあって、昔まだ"師匠"がいた頃には、良くしてもらっていたのを見かけたので、ゼブル翁はそう提案します。
「……膝枕がいいです」
ゼブル翁の提案に素直に従って、紺色の衣を纏い胡坐をかいた腿にアト・ザヘト君は素直に頭を置いて横になります。
実を 言えば少しだけ、闇の精霊を呼び出し少年を寝かしつける方向に持って行こうとはしていました。
眠っている間に、少しだけ深く心に入り込み、"記憶を喪っている具合"を丁寧に調べようと、ゼブル翁は考えています。
"アト・ザヘトがポップコーン屋にいったのに忘れている矛盾"については、既に結構な人数が気が付いています。
実兄であるシュト・ザヘトを筆頭に、少年を保護したこの国の軍人で貴族で、この屋敷の主あるというロドリー・マインド、そして"ウサギの賢者"となっているネェツアーク・サクスフォーン。
特にウサギの姿から、人の姿に戻った、ネェツアークという存在については、ゼブル翁も捜している、この世界に恐らく数冊残っていると魔法の絵本について知っています。
その魔法の絵本の正確な仕組みや成り立ちは、かつて"住まい"としていた叡智を治めるゼブル翁も解りません。
けれどもその絵本が人の"記憶"を吸い込み、糧とすることで普遍的に大地の女神が作ったとされている世界に、居場所を得ている事は、ゼブル翁には理解っていました。
ゼブル翁も、友人から主となった星の天使を捜す為に、この世界で縦横無尽とまでは行きませんが、それなり行動しやすくする為の"器"を得るまで、その絵本の能力を利用させて貰っていたからです。
特に良質な糧となったのは、相手を慕い想う心というもので、人で言う"恋心"というものが近い物があるかもしれません。
「ある意味では、アト・ザヘト君の慕う気持ちは最上級のものかもしれませんなあ……」
汚れた指先を器用に避けつつ、微睡んでいるアトの頭を撫で、その記憶を浚い吟味します。
それはまるで絵本を眺めるかの様に、明快で判り易い物ばかりで、特に対人に関しては"好き・嫌い"の2択くらいしかありません。
"好き"と"嫌い"を両極、恐らくは普通を真ん中にしてはいるのでしょうが、その位置には不思議と誰もいません。
ただ、それもおかしな事だと思って、目を凝らす様にしてよくよく探ってみたならば、薄い影の様な形で、複数名いる事に気が付きました。
薄い影という所から、アトの記憶に明確に残っていないのだと、ゼブル翁は解釈します。
「これは恐らく、アト・ザ ヘト君と出逢いもしたが、時間をかけて縁を紡ぐ程ではなかった関わりの具合なのでしょうな。
それとも好きにも嫌いにも、記憶にもなる時間がなかったという具合か。
ある意味"はっきりしないもの"というのが、アト・ザヘト君にとっては記憶に留めておくのは、抱えている障碍にとっては大きな負担となる。
無意識の防衛本能と行った所か」
ゼブル翁は自分の中でそう結論づけて、先ずは"好き"の方を見てみる事にしてみました。
全体的にそちらの方向は明るくて、その人物達もただいるだけではなく、アトの中で抱いている印象が、その人物の雰囲気を色で表現しているようです。
そして直ぐに遭遇するのは、どうやら本日よりこの屋敷で世話になる事になった、使用人の人達です。
屋敷はセリサンセウム王国の富裕層が暮らす東側でも、丁度中間的な屋敷で、それなりの広さがありますが、使用人は"少数精鋭"といった具合の様です。
以前は執事を行っていた"器"の情報からすれば、やはり人数は少ないけれども、アトの記憶で辿れる限りで見たなら、世俗にいう"良い職場"というものだと受け取れました。
次に出てくるのは、本日から世話になっている屋敷に居住している、ある意味で主の様な立場の人々でした。
「こちらの御婦人2人と御仁は、この部屋にお邪魔する前にアト・ザヘト君が描いていた方々ですな」
そう言ってスケッチブックを捲ると、直ぐにアトが手掛けた3人の絵が出てきたなら、窓の外で聞き耳をたてて聞いていた言葉を思い出しました。
『ボリジおくさま、本が大好きです。シズクさんはお歌が、大好きです。"ちゅーべろーず"さまは"たてもの"の勉強のせんせいです』
不思議と着ている服と、心の"好き"という場所で纏っている雰囲気の色は、クレヨンで表現できる中でも同じ色となっていました。
「ふふふ、実に判り易い……そうだな、戯れに余計なお節介でもしておこうかな」
単純に明快で、判り易い作品に思わず笑みを浮かべて、片付けていたクレヨンを取り出します。
アトが描いていた"ボリジおくさま"、"シズクさん"、"ちゅーべろーず"にそれぞれ大きく花丸をつけました。
「―――これで気が付くか気が付かないかは、縁と運次第ですな」
そう言って"シズク"さんの所に、青いクレヨンで一筆書きで五芒星を記したなら、何事もない様に再び自分の膝 で眠る少年の頭を撫でます。
「さて、引き続きアト・ザヘト君の好きな人々を拝ませていただきましょう―――」
それからは、ロブロウで出逢った面々が、アトからの好印象の順番で次々と姿が現れます。
ここでゼブル翁からしてみたなら、意外な人物が早めに登場する事に、白い眉を潜める事になります。
それは"アルス・トラッド"という、ゼブル翁にしてみたならもっと後半に出てきて欲しい人物でもありました。
ただ、アトの事情やこれまでの事を考えたなら、これでも仕方がないとう考えで(何とか)気持ちを落ち着かせます。
「うむ、好印象を抱いていないというよりも、これは普通の人達と一緒の様に、縁を深く紡ぐ機会というものが少なかったということなのだろう。
それに、アト・ザヘト君にしてみたならどちらかと言えば、アルス・トラッドは"シュト・ザヘト"との親友という位の位置かもしれませんな。
取りあえず、|悪人面をしたこの国の諜報員と同じ位置という事も少々気に障るが、子守が巧いから仕方ないか」
そのネェツアーク・サクスフォーンの姿も、アトが心で浮かべているものがあるので、丸い眼鏡が、特徴的に表現されています。
丸眼鏡のレンズの奥にある、髪と同じ色をした鋭い眼は殆ど隠れているみたいなものでした。
「……ふん、剽軽な眼鏡のお陰で、アト・ザヘト君からの株を上げている様なものだ。
アルス殿は全く自然に、媚びる事もなく自分の能力のみで、この無邪気な少年の好印象を得ているのだから、流石というべきだな」
そこまで無意識に早口で語り終えると仕切り直す様に、自分の腿に頭を載せる少年の"好き"の部分の詮索を行います。
すると眼鏡をかけた悪人面の次に姿を現したのは、衣服は前者と全く同じ物を身に着けた、茶色のフワフワとしたウサギぬいぐるみの姿が現れました。
ただ、こちらは剽軽さを丸眼鏡で表現するまでもなく、円らな瞳で、普通にぬいぐるみらしくて可愛らしい物となっています。
そして、隣り合う様にしてゼブル翁が"禁術"でコウモリとなったの姿もありました。
こちらも茶色のフワフワとしたウサギに負けず劣らず、モフモフとした紫色の毛に覆われた物で、円ら な丸い眼をしています。
ウサギが"好き"の位置あることはどことなく予想出来ていましたが、殆ど同じ場所にコウモリの姿で自分がいる事に、ゼブル翁は戸惑う事になります。
「子供はぬいぐるみや玩具の類が好きかもしれないが、コウモリもこちらに配置してくれるとはな」
戸惑う理由としては器の記憶よりも、これまでの暦の中で"コウモリ"という動物の扱われ方が、諺にしても、子供向けの逸話にしても、良い物がなかった事があります。
てっきりアトの中でも、そういった考えが根付いているようにも考えていたのですが、想像以上に好評ましい事に、驚いていました。
「この少年の物事の受け止め方は、やはり一般的には違うという事になってしまうだろうか」
結論が出せぬまま、好きの先へ進んで行くとロブロウで共に行動を共にした、癖っ毛八重歯の少年と、件の女神の縁者の女児の姿が直ぐに見えます。
その次に、ロブロウでは御館様と呼ばれていた、今はロブロウの領主に”戻った"、ビネガー夫妻の姿と、執事服の壮年の人物の姿が出てきました。
「これは、これで……アト・ザヘト君の"好き"の基準が判らなくなりますな」
そう呟きながら、殆ど眠りに入っている少年の横顔を上から見つめます。
ゼブル翁がからしたなら"気にくわない"という存在ではありますが、アト・ザヘトという少年にとっては、きっと大切だろうと考えていた、女児の姿の早々の登場に再び戸惑わされる事になりました。
正直に言って、ゼブル翁の先入観ではありますがアト・ザヘトという少年にとって、"ともだち"という存在はもっと後方の方で、登場してくるものだと考えていました。
「この子にとって、"ともだち"よりも、"世話になっている"という感覚の方が好きになる比重が大きいという事になるのか」
ゼブル翁の考えを裏付ける物として、それ程接触のなかった筈の現在の領主となった夫妻の姿もありますが、自分の器の後に、領主邸の執事となった人の姿のあるからでした。
器が"旅立った後"には、元は御館様の従者であったクラベル・フクライザが新しく執事に就任し、王都に来ることになるまで兄弟そろって、世話をやいて貰った様子です。
「儂の器程ではないにしても、アト・ザヘト 君の様な子どもの扱いに関しては、それなりに通じていたという訳か。
それに、時間の流れ的にも思えば過ごした時間は、"ともだちのリリとルー"よりもこちらの方々は月が二回りする程度、世話にはなっているという事もあるだろうしな」
印象的な出来事ばかりが残るという所もあるかもしれないが、穏やかに流れた日常の積み重ねた記憶も、確りと残っている様でした。
「それで、"世話になった"ということで、こちらの2人の女性騎士殿達が出てくるとという事になるのかな」
次に出てくる姿が猫の鳴き声の語尾をつける騎士"ライちゃん"と、ポニーテールに髪を結い上げる王族護衛騎士という、"リコさん"の2人でした。
時間で言うのなら友だちになった癖っ毛八重歯の少年と、忌々しい女神の縁者の女児よりも短いのですが、アト・ザヘトの抱えている障碍の具合を前以て診断をした事で"世話になっている"という、思いの外気持ちを根付かせた様です。
それに"リコさん"が、王都から専門の資料を取り寄せて行った物は、"師匠"が、アトの発達具合を定期的に検査を行う際にした方法と同じである為に強く印象に残った様でした。
ライちゃんの方も、アトの好きの度合い計る調子で見てみたのなら、彼女が自称する"歌って踊れる王族護衛騎士"というよりも、"リコさんの助手"という具合が強くイメージとして残っている様子です。
でも、その検査だけでそこまで根付く物かと考えて、アトの記憶の方を辿ったなら、"リコさん"と"ライちゃん"に"世話になるだろうな"と強く意識するきっかけは直ぐに見つかりました。
ゼブル翁の記憶に残っていない理由は、"器"と、"住い"であった絵本がロブロウに到着したばかりの頃で、接続と調整に掛かり切りだった為です。
"掛かり切り"になっている間に、どうやら"リコさん"は白衣を身に着けて、当時、諸事情で佯狂の疑いがあった"癖っ毛八重歯の少年"を診断した為でした。
その時、アト・ザヘト少年は使用した自分の銃の手入れを終えて、のんびりと話を聞く側になっていたようです。
少年自身が覚えているかどうかは兎も角、交わされた会話に関しては、アト・ザヘト自身にとって、興味深く聞いていた形で残っています。
けれども意味を理解しているかどうかでいえば、そうとも言えません。
ただ言葉は確り残っているし、音声 で"誰"が発言したのか見分けがつける事が、ゼブル翁には出来ました。
その中には、まだ好きの部類の中でも奥にいる、アト・ザヘトにとっては"とても好き"に分類している存在もいます。
ここで膝に載せている少年の頭を撫でている手を止めて、ゼブル翁は少しばかり思案します。
「これはこちらで、元の会話を形成したなら、"好き"としている順番が前後するかもしれないが……まあ、良いか。
儂が知りたい方に関しては、この件には関わっていないみたいだし、アルス殿と、ガブリエルの関係を知るのにも丁度いいだろう」
正直に言ったなら、"星の天使の器"が出てくるのが判明した瞬間から、普段がどういった様子なのかが気になって仕方がないゼブル翁です。
早速、アトが記録しているだけの言葉を、当時行われた会話に組み立てなおしてみました。
勿論最初に、白髪の背の高いお爺さんが手に取るのは、星の天使の器の声で記録されている言葉でした。
そして話しかけているのはこの世界で、兄の様に慕っているガブリエルの器であるアルセン・パドリックです。
このアルセン・パドリックという存在に関していえば、アトという少年にとってはどうやら段階的に捉え方が変わっている様子です。
今現在お世話になっている、"ロドさん"ことロドリー・マインド卿と全く同じ仕立ての軍服や私服の時には、"アルセンさま"で、2人女性騎士を超えた直ぐ先の、"好き"の位置にいました。
そして、どういうわけだか軍服の上着を脱ぐか、白い衣を主体として纏っている時には、がガブリエルという訳ではないのですが、アルセン・パドリックの事を"天子さま"として捉えている様です。
アルセン・パドリックが白い衣を基調とした衣をみにつけたなら"天使さま"と、アトが捉える事で一気に好きな位が跳ね上がり、好きな度合いの一番最奥まで移動をするようでした。
「"アルセンさま"がガブリエルと知らない上で、白い衣だけの恰好を見たなら天使さまと判断する何かしらが、アト・ザヘト君にはあるという事ぐらいしか、考え及ばんな……。
まあ、取りあえず話を進めて見るかな。
絵本をロブロウに運んでくれるきっかけにもなった、癖っ毛八重歯の少年が疑われた症状、佯狂について語るくだりを見させていただこう」
そう言って手早くゼブル翁は、形成し直した記憶を再生したなら"新人兵士アルス・トラッド"の声が伝わってきます。
『アルセン様、佯狂ってなんですか?』
星の天使の器がガブリエルの器である、アルセンに尋ねたなら、同じ様に"佯狂"の意味が理解出来ていない、癖っ毛八重歯の少年と女神の末裔も揃って視線を向けた様でした。
そうすると、この世界ではアルセン・パドリックとなっているガブリエルは、それこそ幼い子供達に判り易く話す先生の様に、語り掛けていました。
『そうですねえ。簡単に言えば"変になってしまった人のふり"をする事ですかね』
ガブリエルの時の様な生真面目さありませんが、子ども達が相手なので、言葉を選別しながら意味を説明しているの、アト・ザヘト君の記録から形成しているかたちでも、伝わってきます。
『?、変になってしまったふりなんかして、意味があるんすか?』
ゼブル翁も感じた事ですが、その説明だけでは納得できずに癖っ毛八重歯の少年 が代表して尋ねていました。
加えて、アト・ザヘト君の記憶を拾い読み、器の記録を辿って考察するに、佯狂の疑惑をかけられた事もあって、癖っ毛八重歯の少年食い下がっている所もあるようです。
女神の縁者となる女児も、"変な人なってしまったふり"する意味が分からないという雰囲気を醸し出している所に、頭を下げて話に割り込む形で加わる新たな人の姿が見受けられました。
その時、現実の方に脚の上で、アト・ザヘト君の頭が少しだけ動かします。
「……どうかしましたかな?」
「……ゼブルさん……その人はディンファレさんです。
本当の名前はデンドロビウム・ファレノシプスさんです、長い名前です、でも短くしてディンファレさんで言いそうです。
もっと仲良しになったなら、短くした名前を教えてくれます……言ってました……」
それだけ告げると、明らかに寝ぼけているといった調子で、膝の上で笑顔を浮かべ再び気持ちよさそうに微睡み始めると、思わず真っ白な両眉をゼブル翁は上げしまいます。
けれども間を置かずに、記憶を読む為にアトの側にいた闇の精霊が、直ぐに使役している翁に"ホントウニネボケテイルダケ"と伝えてきました。
それと アトにとっては、ゼブル翁が好きの度合いを確めている状況は、同じ様に
"仲良しの人が順番に登場してきているのを、夢の中で確認している"
といった感覚だとも告げてきます。
なので、アトにとってはこれまでの事に関して言うのなら、ゼブル翁の後ろにくっついて、"自分の好き"に該当する人物を"夢の中"で眺めている様な状況だったそうです。
白髪の背の高いお爺さんは、"アト・ザヘトの記録"を見ている事もあって、少年の気配を感じるのが当り前でもあったので、まさかついてくるような感覚をしていたとは気が付いてもいませんでした。
そして気が付かない内に、ゼブル翁がアトの"記録"から過去に体験した事を形成し、ロブロウでの事での確認を始めています。
そのことで、今度はアトが戸惑っている内にゼブル翁とこれまで見てきた仲良しさん中で"初めて登場する人物"として、王族護衛騎士のデンドロビウム・ファレノシプス女史が姿を見つけました。
このデンドロビウム・ファレノシプスという婦人は、これまで好きを辿り始めた時から、誰ともそこまで繋がりを表現する為に、姿も名前も登場してはいません。
登場からして、いきなりになるとゼブルさんが困ると思ったアトは、思わず呼びかけたのでした。
ただ、それが夢の中での事なのか現実なのかは、アトには区別がつけられてはいない様です。
夢と現を繋げて伝言されるという出来事は、流石に叡智を治めたゼブル翁も初めての事でしたが、有難くその言葉を受けとめる事にしました。
「それでは、アト・ザヘト君にとっては、発達の検査をしたリコさんやライちゃん以上に頼れると思っているディンファレさんの行った佯狂の説明を聞きましょうか」
そしてアトの好きの度合いから、栗色の髪をした見た目も麗しくも凛々しさを伴った女性騎士が姿を現し、その姿のまま記憶から形成した状況にスライドして、ディンファレは口を開きます。
『どこの領地でも適用されるか分かりませんが、"変な人"、俗に言う"気が狂った人"は、罪を犯した際に気が狂っていたり、正気を保てていなかったなら、"罪を犯しても罰せられない"という法があるんですよ。
だから罪の有無を問う際に、加害者側が稀に罰を逃れる為に
"あの時は狂っていた"
"あの時は正気でなかった"
などと、正気だったのに、言う人もいるわけです。
そういう理由で佯狂なんて言葉がある訳です、リリィ嬢。
これで言葉の意味と、使用する意味がわかりましたか?』
「……ああ、思えばこの女性の騎士は、絵本を始めにあの部屋から運んでくれた人物でもあったか」
佯狂の子ども向けの解釈を聞き、改めて凛々しいその言い様を聞いたのなら、アトがわざわざ起き上がって説明をしてくれた存在の詳細を、ゼブル翁なりに思い出します。
白髪の背の高いお爺さんにしてみたなら、"絵本"から器に移れるかどうかの初めての機会の時だったので、微塵も気にかけていませんでしたが、わざわざ言われ仲れば、ここまではっきりとディンファレについて思い出せないという所でもありました。
一方、ディンファレさんの説明を聞いた事で、癖っ毛八重歯の少年は結構な憤慨を起こしていました。
『何だぁ、オレが領主様を襲ったのは、気が狂っていたからとかそんなのもあったのかよ!?』
そしてそれを窘めるのは、ガブリエル器となる、アルセン・パドリックでした。
『でも、まあ実際領主に向かって剣を向けようとするんて、封建的な政治が主流のセリサンセウム王国では、色々疑われても仕方ありませんよ、ルイ君』
この時から既にアトからしてみたなら、"アルセン・パドリック"は時間的に出逢ってまもないはずなのですが、興味の対象ではあった様子です。
ゼブル翁がそうお思える理由はアトが記憶をしていないにしても、頭の中に記録として残っているガブリエルの器となる、アルセン・パドリックの姿や当時行った仕種が鮮明にあるからです。
貴族で軍人だけが身に着ける衣装を白い手袋を嵌めた腕を組み、形の良い眉を上げていて、形成し直した記憶を見るだけでも怒っているのが伝わってきます。
それはその当時、その場にいるすべての者達にも伝わっていて、向けられた先にいる癖っ毛八重歯の少年には十二分に伝わっている様子でした。
これまでも、周囲は女神の縁者の女児以外は全て年上でも遠慮することなく八重歯の覗く口を大きく開けて意見をしていましたが、今回は素直に頭を下げます。
『すんません。オレが失敗したら、グランドールのオッサンが責任とるんですよね』
『まあ責任とるのが保護者の仕事だ』
そ こでウリエルの器となる人物、グランドール・マクガフィンの"声"だけが、アトの記録の中から登場しました。
それからガブリエルの器となる、アルセン・パドリックがウリエルの器となる人物、グランドール・マクガフィンの体調が良くない事もあって、やけに心配している話しが続きます。
これも、変な例えの話しのようになりますが"天使時代を知っている"ゼブル翁が聞いたなら、瞬きを繰り返して少しばかり考え込む事になります。
あの当時はどちらかといえば、ウリエルの方が、ガブリエルに拘ってというよりも、執着するレベルで極力傍らにいようとしていました。
ガブリエルが少々邪険に扱っても、ウリエルは一向に構わず、側にいて、役割の支障がない限り何かと意見を口に出し、この世界でいう"過保護"という表現が当てはまっています。
その事を、伴侶の女神が揶揄ったしても、別に否定する事もなくガブリエルの傍らにウリエルは、ゼブル翁が覚えている限り居続けました。
だが、この世界における立場少々はあの当時とは違うのが感じ取れました。
グランドール・マクガフィンもアルセン・パドリックも、この世界に具現する際の器であって、ウリエルでもガブリエルでもないという事は解ってはいます。
けれどもその外観は、衣服や長い髪と6枚の羽根を覗いたなら、それは本当に瓜二つと言った物ですし、伴侶の女神も殆ど同じ姿でした。
なので、この世界においては土の天使の器に、水の天使の器が懐いているとも、気を使い過ぎる面を見ると軽く戸惑う事になります。
ただそれに関しては、伴侶の女神から水の天使の器と土の天使の器の生い立ちや、軍学校時代の話を聞いたなら納得出来るものもありました。
更に、伴侶の女神が人の世の"邪"の方に取り込まれない様に、これまでの因縁に関係なく水の天使の器が助けようと"こちら側"に一時来た際に、更に深く器のその過去を覗き込んだなら、土の天使の器に父親を重ねている所も 拾い読めてもいました。
しかしながら、ゼブル翁からしたならどうしてもこの時代の器の事情よりも、自身が知っているウリエルやガブリエルが優先されるので、情報を整理をするのにも、そういった意味での混乱を伴います。
幸い、自分の主ルシフェルの器である、アルス・トラッドの人としての立場は、本人にも接して感じた事ですが、比較的居心地が良い場所にいる様にも思えました。
ガブリエルの器であるアルセン・パドリックともその関係は師弟といったものになっていますが、やはり兄と弟の様な所が多く見て取れました。
出逢った当初には、傲慢とも感じられる溢れる自信が器から全くなくなっている事に、大きな戸惑いを覚えもしました。
―――大丈夫ですか?。
それでも器として自分の身体を翻弄していたに違いないゼブル翁が、身体を傷ついた際、労りの言葉をかける心の広さは、ルシフェルを感じて仕方がありませんでした。
"大切な存在が、安らげる居場所を新しく創りたいと思うことは、傲慢ですか?"
信じて疑ってはいけない存在に対して疑問を抱いた時、兄の様に信頼している仲間でもなく、叡智を修めている異国の世界の自分に零した言葉が、どんなに時間が過ぎても瑞々しく思い出せる事が出来ます。
ルシフェルは自身が管理を任された世界の、生きとし生ける存在の幸せを心から願っている優しく、凛々しい声でした。
―――大丈夫ですか?。
例え"星の天使の器"に、自信はないにしてもそこに納まるべき心がルシフェルならば、それでゼブル翁にとっては、空色の眼をした少年を贔屓にする心構えは出来ていた。
「……それにウリエルとガブリエルが意識してか無意識にしてかは判らんが、側にいるという状況で、アルス殿がルシフェル様の器で間違いもないだろう。
何にしても、仲介者で中立となる賢者の元にいるから、その間はアルス殿がこの国を動くという事もないだろう。
その間に、恐らくはこの世界の何処かに何らかの形で存在しているだろうルシフェル様の心を、儂が捜しだせば良い事だ」
己と同じ とは限りませんが、ルシフェルの心は、本来持ち合わせている筈の溢れるほどの誇りと自信とともに、器の内以外の何処か他の場所にあってもおかしくはないとも考えました。
それに、星の天使の器は、ゼブル翁の立場からしたなら虫唾の走る様な思いではありますが、主が堕天するきっかけとなった女神の末裔となる少女とも友好な関係を築いてもいるのも、理解をしているつもりでした。
けれども、"あの時"の事を思い出してしまうとそれまで浮かべていた好々爺とも例えても障りのなかった、お爺さん顔が翳ります。
星の天使と共に堕天した際に、大地の女神が造り管理を任された世界に住む事になった人々から、勝手に割り振られた"地獄の宰相"という役割に相応しい面差しを束の間浮かべました。
けれども、その束の間が過ぎたなら直ぐに、好々爺の顔に戻ります。
「……あの女神もこの世界から失せているのだから、こんな感情を抱いても無駄というものか。
それに、こうやって時に思いよらずに興味深い者が現れるのも、女神の未熟さゆえか、それとも恩恵か」
ある意味では、自身を落ち着かせる為に吐き出した言葉と共に、この世界では白髪の背の高いお爺さんのゼブル翁と、なっている"人"は俯きます。
そこには自身が携わる"叡智"では、出逢う事の無かった上で、この世界で動き回る事に必須の器を、不思議と癒すアト・ザヘトが相変わらずうとうとする横顔がありました。
「何にしても、大地の女神を基準として人の暦に関してはどうでもいい。
それにあの出来事以外はルシフェル様と我々の間を阻むような事をしなければこちらとしても文句はない」
人の暦を辿るにしてもアト・ザヘト君の抱えている記録を辿るには、ここまで登場してきた人々で"きり"も良いので、止める事にしました。
それから先のアト・ザヘトにとっての好きに該当する存在は、これまでゼブル翁が調べた人々や存在で十分に補う事が出来ます。
ただ、少年が今まで事あるごとに口にしていた様に、"ご飯を作る人えらい人"という言葉の通り、好きな人の中でもご飯を作れる事で"特別"な扱いになっている者がいました。
それを見つけた時には、叡智を携わるとするゼブル翁にはなかった価値観に例えようのない温かい笑いが浮かんできて、それを抑える為に肩を震わせる事になります。
その中で、再び器が反応する存在が、1人いました。
「ほほう、これは"儂"にとっても懐かしい御婦人だな。―――健勝のようで、何よりだ」
ゼブル翁が思わず口に出してしまうのは、ロブロウの領主邸でもう長年竃番として、そして今も頑張っている"マーサ小母さん"でした。
器《執事のロックさん》が長年共に働いた"友"で唯一心から信頼する事の出来た"仲間"を気にするのも判るのですが、ゼブル翁も個人的に少々深い思い出のある人物でもあります。
「思えば、この"ピーン・ビネガー"という人の型を取るきっかけになったのも彼女、傷ついた恋心を吸い上げた事だったか。
まあ、まだ人の年齢的には不惑前だったが」
そんな事を口にしながらも、掘り返されるのは絵本の内から見上げた、ゼブル翁が使っている顔が悪魔の様に、年若いマーサに悪魔の様に囁く姿でした。
―――可憐に芽生えた気持ちを摘み取る代わりに、その辛い思い出をこの絵本に与えてみないか。
―――胸が弾むような気持ちとは縁がなくなるが、自分の心の狭さと向き合う辛い事はなくなるから。
その唆す姿をゼブル翁は鼻で笑います。
「大地の女神の世界の価値観で、"地獄の宰相"などと大層な物にされてはいたが、人の心を弄ぶのは所詮人に過ぎない。
まあ、この御婦人の場合は弄びというよりも、相手が真摯に接したからこそ芽生えた恋心だったのだろうがな」
アト・ザヘト少年の"特別好き"の心を拾い読む事で初めて知りましたが、このマーサ小母さんは本当に料理が大好きで、それは物心がついた子どもの時からという事です。
とても素晴らしい、何より美味しい料理を自分の手で作って、それを皆が笑顔で食べて、元気に幸せなってくれたのならそれだけで十分満足が出来る―――。
そんな風に、にこにこしながら自分の握ったライスボールを食べるアトの前でマーサ小母さんは自分の"居場所"となる、ロブロウ領主の領主邸の厨房で大らかに語っていました。
真直ぐに自分の生き様を貫き通し、恐らくはそのまま穏やかに人としての旅路を全うしようとしているのが、ゼブル翁にも十分伝わる老齢ながらも張りのある、マーサ小母さんの良い声です。
「……どうやらこの御婦人にとっては恋心、"失恋"した記憶を吸い取った事は悪い事ではなかったようで、何よりだ」
記憶を吸い取る前に聞こえた、賢くも潔くある婦人の"想い人"への想いを断ち切ろうとするけれども、胸の内だけでは塞き止められないような震える声は、不思議とゼブル翁の中にも残っていました。
『アタシは料理に一生を捧げようと思うぐらい、料理が大好きで、料理を思うのと同じくらい――――さんにドキドキさせて貰った。
料理とは、どんな困難があっても続けていきたいと思えるんだ。
でも、―――――さんはそうはいかないのは分かるんだよ。
―――――さんを見ていたなら、その一番中心に大切な人の気持ちを抱えているのが、アタシにはわかっちまう』
マーサ小母さんの想い人の名前は、ゼブル翁の記憶には留まってはいません。
あくまでも、"地獄の宰相"とも例えられる存在にも響いたのは、生涯を捧げようと誓っていた物ですら、手放してすら慕って、"堕ちて"しまいそうになる、料理人の"想い"でした。
でも、それは堕ちるばかりではなくて、そこまで想う事で産まれた能力もありました。
マーサの場合はその人の役に立ちたいと願う事と、己の才能を兼ね合わせた癒しを齎す"お菓子"です。
でも、夢を手放してしまいそうな程惚れ込んだ相手への想いを断ち切り、絵本に吸い込ませる事で、その能力はこの世界から消えてしまいました。
『調理は、手順を守り、計量を行い、時間を計ることで、それなりにどんな物でも上手いくものだと思ってはいたが。こういった"傑作"と出会ってしまうと、それだけのものでもないんだろうと、考えてしまうなあ』
悪魔の様に婦人に囁き、唆した賢者が、自分の館の使用人でもある婦人が"2度と作れない味"と言った御菓子を口に含んだ際に、そう言わしめる力のある物でした。
「あの時は、思いの外良質な"想い"を貰った。ただ、やはりアト・ザヘト君の事の好き具合を見なかったなら、思い出す事も出来なかったな」
今でもそうなのですが、"ゼブル翁"の最大の目的としていることは、ルシフェルとの再会です。
こうやって動ける器を手に入れるまでは、古い絵本という形でその再会を果たすまでに、存在の糧となる人の記憶を吸い取るという事を行っていました。
どれでも吸い込めればという訳でもなく、主に純粋な感情という物を"絵本"は好みます。
こうやって今でこそ器のお陰で、動きの自由を得る事は出来ていますが、当時は出来るだけ質の良い物をと思って集めていました。
けれどもその姿は"絵本"なので、自分で動き回る事が出来ないので移動は正しく他力本願という状況になります。
ただ、他力本願ながらも造った存在が存在なだけに、どうやら"巻き込まれる型の因縁"の機能も兼ね備えていたのだと、絵本をでた今となってゼブル翁は思うのでした。
絵本の中にいる内は、今膝の上で寝ている少年の様に微睡むに、力を使わない、ある意味で待機状態となっていました。
振り返ってみて気が付いたなら一箇所に数十年いるような事もありましたが、一定の周期で人手に渡り、この世界を結構な距離を移動しています。
そんな中で糧を得る機会を逃さずに、吸い取れたのは偏に絵本の持ち主の運命や縁が、俗に言う波乱万丈といった物が多かった故だと思います。
マーサ小母さんにとっての"悲恋"を吸い取った事は、ゼブル翁にとっても、印象に残る出来事でした。
【辛い記憶はなくした方が良いのか。
――それとも乗り越えられそうなら、多少辛くとも乗り越えた方がよいのか】
婦人から想い人への、恋に繋がる想の一切合切を綺麗に抜き取った後に、絵本を住いとする自身が当時漏らした感想の言葉を思い出しました。
絵本を住いにしていた事で、その様子を間近で見てはいましたが、それは見事な抜き取りで、料理人を志す婦人が恋に堕ちるに至った経緯や出来事だけが"空"としていました。
マーサの場合はその堕ちる経緯を抜き取ったので、想いを抱いていた相手について忘れた訳ではありません。
その後、記憶や情報としては確り残った上であるのですが、人間関係という繋がりでは"縁があって知り合った人"と例えるしかない、それ以上でも以下でもない付き合いをこなしました。
加て、元々マーサ自身が捌けていた人物であるので、深く繋がりを持たない人物以外、きっと彼女の"悲恋"であり、"失恋"後の変化には気が付かくことはなかった様でした。
元々、誰に対しても公平な態度をとる人なのでやがて想い人だった存在との別れの時も、笑って、ロブロウからの旅立ちを見送りました。
そして、彼女が若い頃に志に掲げた様に料理人として過ごしているという結果を、ゼブル翁からしたなら、偶然に近い形で出逢ったアト・ザヘト少年との交流(?)で知った次第となります。
「成程、マーサという御婦人はあの時の"悲恋"を吸い取った事は、彼女の人生の指針に関しては、特に影響も及ば差なかったという事か」
これまで人の記憶、特に純粋な想いとして吸い上げ、その後の事なども気にした事もありませんでした。
とはいえ、偶然だとしてもいざ目の当たりにすると、感慨深いという事もないのですが、少しばかりスッとした気持ちにもなります。
ただ、スッとした分だけ次には入れ替わるようにして、ゼブル翁には新たな心配事が出てきました。
それはマーサの場合はあくまでも、目に見えて判るといった部分ではない物を抜き取ったことで、何も影響を及ばさないという考察でした。
しかしながら、今回ゼブル翁の膝の上でうとうとしている少年の場合は、"南国の英雄"との出逢いに関する一連を、そっくり綺麗に抜き取られています。
けれども綺麗に抜き取られすぎているのが、白髪の背の高いお爺さんには心配事となっていました。
「もし、アト・ザヘト君の人間関係の捉え方がこういった形ではなかったのなら、ここまで心配をせずとも良いかもしれないのだがな……」
それから再びアト・ザヘト少年が"好き"と分類する中で、上位で特別となる箇所を眺めます。
先程見つけた"ご飯を作る人えらい人"の他にも結構分類はあるらしく、先ずゼブル翁のめについたのは昔から教会等で聞いたのだろう"天使さま"がありました。
ただ天使の方といえば絵本等で見たことのある、劇画的な姿をしているものばかりな物の中に、先程も見ましたが白いシャツ姿の水の天使の器も混ざっています。
ここで改めて見る事でゼブル翁はシワの目立ちますが、逞しい首を少々傾ける事になります。
水の天使の器の浮かべている表情も、相変わらず整っているのですが、何とも言えず微妙な表情でありました。
「……これは、アト・ザヘト君が拘りを発揮して、白い衣の時は天使という所に水の天使の器を、当人は不本意ながらも、当てはめているという事でしょうな」
劇画の様に描かれている天使に混ざっている水の天使の器の共通点と 言えば、そこの所位なものなので、そう解釈しました。
そして更に好きな度合いを強めた箇所である"家族"という分類中には、シュトと、伴侶の女神の"人"としての姿があります。
それから、これもアトからしたなら最近で来ただろう分類に"たよりになる人"に、褐色の大男である土の天使の器や、通常(?)水の天使の器、そしてアプリコット・ビネガーと、ゼブル翁の器がいました。
そしてその場所よりも好きの度合いは下がりますが、恐らくは今日初めて出来た物がありました。
その分類は"アトをたすけてくれた人"という物で、そこにいるのは蛇の様な眼をした背の高い、この国の軍服でも貴族である立場の者だけが纏えるものです。
「……ロドさんです、ゼブルさん。アトが今日から御世話になるお家の人です。とっても、強い蛇さんみたいな武器を使います」
「ああ、これは済まない。初めての人なので、儂には咄嗟に名前が出てこなかった」
相変わらず、うとうとと微睡みながらも、アトは"一緒に行動をしている"つもりらしく、ゼブル翁が直ぐに名前が出せないでいると、直ぐに教えてくれました。
ついでに、少年の中で強く記憶に残っている、"アトをたすけてくれた人"を特に強く残っている印象を口にしていました。
「ロドさんの名前は"ロドリー・マインド"です」
確りと名前を出す事で、アト・ザヘト少年が出会って間もない"ロドさん"に向けている信頼の強さと大きさがゼブル翁にも伝わってきます。
けれども、"アトを助けてくれた人の場所"には、ロドさんの隣に、もう1人が十分入る事が出来る場所がありました。
それは傍目から見たのなら、偶然空いているとも言える場所なのかもしれません。
ただアト・ザヘトという少年抱えている障碍に関して、結構な情報と知識を拾得している叡智を修めているともされているゼブル翁からしたなら、それがおかしいというのが判ります。
ほんの短い時間ですが、同じ時間を過ごした事で"もう1人入れそうな場所があったのなら、その余計な部分を作るはのはアトの拘りに触れてしまいます。
これ程綺麗に繰り抜い たように空いている場所など作らずに、"アトを助けてくれた人の分類"に"ロドさん"を中央におくのが、アト・ザヘトという少年です。
「……あれぇ?」
"ウワアアア?!"
それまでうたた寝状態だった頭をアトが上げると、それにタイミングを合わせた様にゼブル翁は器用に腕を上げて、ぶつからない様にしている間に、少年は瞬きを繰り返します。
そして瞬きを繰り返しているとゼブル翁が、アト・ザヘト少年が健やかに眠りにつく為に招いていた、ごく小さな闇の精霊も零れ落ちます。
多分、アトには聞こえていませんが小さな悲鳴を上げて、零れ落ちた小さな精霊達は、先程まで膝枕にしていたゼブル翁の脚をクッションの代わりに様にした後に、ポンポンと跳ねたなら、そのまま霧散して消えて行きました。
「ほう、これは珍しい」
白い眉を上げながら、それなりに世界の見聞を持っている存在でもあるゼブル翁でも、眠気を誘う闇の精霊を身体から遠ざけるにしても、魔法的な方法ではなくて、こういった方法は初見になります。
ただゼブル翁が白い眉を上げて大層珍しがっている間も、アトは両方の眉を使って、困り切った時にしか出来ない、縦のシワを作って混乱をしています。
「ロドさんの横、広すぎます、それならロドさんは真ん中です。でも、あれ?あれ?」
どうやら、ゼブル翁が確めやすくする為に、好きの度合いや分類を一時的に視覚化した事で、それを微睡み・うたた寝といった状態で"ついてきた"アトにも理解出来てしまっている状態でした。
ロドさんのことは、この王都にやってきて迷子になったアトを助けてくれた、とても良い人と確りと残っています。
しかも、アトに何かと教えてくれる時のやり方は、"大好きな人とどこか遠くに旅立った"と聞いている師匠ととても似た方法で、色々と教えてくれます。
"おうぞくごえいきし"のデンドロビウム・ファレノシプス、ディンファレさんも上手だったけれども、ロドさんの伝えてくれている言葉の方が、やっぱり師匠にアトにはとても馴染みやすくて、好きです。
そんなロドさんに出逢えたのは、王都で迷子になったからだというのはアトにも判っていました。
それも迷子になったのは、王都の大 きな時計台の下で一杯のハトに囲まれて怖くて、泣いて走り出してしまった時、迷子になって、また不安で泣いていた時に―――。
そこで、先程ゼブル翁と一緒に見たような、"アトを助けてくれた人"のロドさんの横に"ぽっかり"と広がる空間に瞬きを繰り返します。
「……アト、ロドさんと会った時泣いてません」
寧ろ、シュト兄の親友のアルスの"せんせー"である、白い服を着ている時にはエリファス師匠が話してくれた、天使さまとそっくりなアルセンさまと同じ服を見つけた時、嬉しくて笑っていました。
"……アルスのせんせ違いますか?"
"……どちら様だろうか?"
驚きの為眠気も吹き飛んでしまったアトは、自分の頭を抱え込んでしまっていました。
それから、座っても白髪の背の高いお爺さんのゼブル翁を見上げて先程からの困り切った顔で尋ねます。
「……アト、忘れている?。大切なこと、忘れている?。
エリファス師匠言いました、助けて貰った、ありがとう忘れちゃいけませんて。
ちゃんと、お礼を言いましょうって。
丁寧にちゃんとありがとう伝えたら、みんな優しくなれるそうです」
"エリファス師匠"が教えてくれた事を懸命に伝えながら、自分が忘れてしまった事を気が付いてしまったアトはゼブル翁に訴えます。
本当は自分の力でどうにかしたいのだけれども、考えたとしても、どうしても思い出せなくて、その事がアトの心の中にまた沢山の"わからない"を一杯出して、満たしていました。
「ありがとうを忘れるいけません。忘れたら、哀しいや、怒りたくなる気持ちが出てきます。
"たすけてもいいよ"という気持ちが、なくなってしまいます」
ゼブル翁に一生懸命に伝えながら、エリファス師匠に教えて貰った事を思い出していました。
―――アトはきっと、どんなに頑張っても出来ない事の方が、この世界では多いだろうからね。
そう教えて貰う時、アトの身体はまだ小さくて、エリファス師匠を見上げていました。
いつもみたいに優しいけれども、この時はほんの少しだけ哀しそうに、ゆっくり伝えられました。
―――アトなりに、一生懸命に頑張った後でなら、出来る人にお願いしましょう。
―――でも"迷惑だ"と言われたなら、その人から離れましょう。
―――出来ない事で、とってもアトの心が苦 しくなって嫌な気持ちが一杯になるかもしれないけれど、我慢をしましょう。
"迷惑"と"我慢"いう言葉を使う時、とても悲しそうだけれども、エリファス師匠はとてもはっきりと、言いました。
けれどもそのすぐその後に、いつものようににっこりと笑って、お話を続けてくれました。
―――ただ、アトが出来ない事を、諦めたくない、出来る様になりたいと思ったなら、アトが"優しい"と思える人を捜して、お願いして、頼んでみましょう。
―――そして、もし助けて貰えたなら確り、心込めて"ありがとうございました、助かりました"と言葉に出して伝えましょう。
でも、今は何をどうお願いをしたなら良いのかが、わかりません。
だけれども、心の中で"アトを助けてくれた人"のロドさんの横にいた筈の人を忘れてしまう事が、とても悲しい事に繋がってしまう様な気がしてなりませんでした。
そこまで一生懸命ゼブル翁に伝え終えた時、人差し指に大きな傷がある手が、クレヨンの汚れに気を付け乍ら、嘗てのエリファス師匠の様に、少年の頭を撫でます。
それから少しだけ考えて、言葉を選んで安心させるように自分を見上げる少年に語りかけます。
「……大丈夫、アト・ザヘト君は"忘れている"のではない。
アト・ザヘト君の心に空いている所の事を、その場所にいる筈の人が"預かっている"だけだから、心配をする事はない」
平時なら繋げて長々と告げる言葉を、アトでも伝わる様に短く区切って伝えます。
ゼブル翁が白髪の背の高いお爺さんでもある為、丁度アトがエリファス師匠の事を思い出した時と同じ様に、見上げる形になります。
「"預かっている"?。アトは、ありがとうをすることを忘れてはいませんか?」
師匠に教えられた大切な事を、忘れている事にも動揺しているアトはその事もゼブル翁に尋ねます。
「ああ、大丈夫だ儂も一度だけ、 似たような事があった時に、記憶を預かった―――というよりも、力を借りていたのを"返した"時にはちゃんと相手側に忘れていた事は戻ったよ。だからアト・ザヘト君は、忘れているわけではないから、心配しなくても良い」
そう言って穏やかな表情を浮かべつつも、自分の場合を思い出してみたなら紺色の衣を纏っている胸の内で、苦笑いを うかべつつ小首を傾げる事になります。
"厳密に言うなら少しばかり違う"
それは判っているのですが、今回の場合も、"魔法の絵本"の能力で吸い取った物が、持ち主に戻る際に記憶が共有する場合も起きうると、翁の中で結論付けました。
何より、自分が始めた事で、予想外にアト・ザヘトという少年の心を乱してしまった事とに少なからず責任を感じてもいたので、"戻る"という可能性があるのならそちらに賭ける事になります。
加えて器の方も、アトの心がが落ち着かない事に心配をしているのが伝わって来てもいました。
(まあ、これは儂の自業自得という所もあるかもしれませんな)
ちなみにゼブル翁が"似たような事というのは、件のロブロウにおいて、"水の天使の器から吸い上げた魔力で、髪も眼も鳶色の賢者と雨の中で戦った時の事を指しています。
後に水の天使の器と合流(?)をした際に、ゼブル翁が|吸い取った魔力で行った事象《悪人面の賢者の肩を細剣で貫いた》を知っているからでした。
ゼブル翁はアトに対しては表向きは真摯な対応を崩さずに、内心ではなかなか不穏な事を考えていました。
ただ、不安がる子どもに見える範囲では、それは見事な安心させる面差しに穏やかな口調の為に、純真な少年は素直に言葉を受け入れてくれていました。
「忘れていない、良かったです。……アトのありがとうの持って行った?……人、何時戻ってきますか?」
そう言いながら、心の中で空いている場所にいる人がしてくれた事をアトなりに考えます。
けれども、色んな言葉が沢山頭の中や心の中でいっぱいになるばかりで、やっぱりうまく纏める事が出来きません。
だから、そういった時にどうしたら良いか師匠に教えて貰った事をする事にしました。
「スケッチブック使います、考える時、順番にしましょう。アトは直ぐに忘れてしまいます、文字に書きましょう」
すっかり目が覚めてしまったアトは、考えを纏めようとスケッチブックを開きクレヨンに手を伸ばそうとします。
その手をゼブル翁がスッと掴んで、アトがとしているとキョトンと所に先程から浮かべている穏やかな表情のまま、提案を口にしました。
「アト・ザヘト君、文字を書くというのなら スケッチブックではなく、メモ帳を使ったらどうだろう?。
クレヨンだと手が汚れてしまうし、序に汚れたままでいるのも何だから、手を一緒に洗っておかないか?。
さっき、アト・ザヘト君は少しだけお絵かきをしていたが、儂程ではないにしても手は汚れているだろうからね。
そうしたら、また眠たくなっても手の事を気にしなくて直ぐに眠る事が出来る様になる」
器《執事のロックさん》の記録の中に、"執事のお仕事"というよりも、"お手伝いのお手伝い"を教える際に、アトがメモ帳を使っている姿が確りと残っています。
シンプルなメモ帳には上手い下手でいえば下手ですが、"味"のある筆跡で「アトのメモ帳」と大きく書かれているものでした。
アトの方も、"メモ帳"という言葉を聞いて実に判り易く"おおっ"という反応をしてクレヨンに伸ばした手を引っ込めます。
「そうです、字を書くならメモ帳です。アト、自分のメモ帳を持っています、ロックさんが造ってくれたカバンに入っています!。
"まがれっとさん"のお菓子のチラシと……お菓子もちょっとだけ入っています!」
今まで忘れていましたが、まがれっとさんのお店で"試作品だから気にせずに食べてください"と、店の去り際に焼き菓子を紙に包まれて少しだけ貰った物も、執事のロックさんが造ってくれたカバンに入っている事を思い出します。
乾いた髪の毛がふわりと舞い上がる程の勢いで、アトが自分の荷物を纏めている方を見たならば、ゼブル翁が穏やかな顔から不意に目元を鋭くして、片眉だけを上げて反応をしました。
「―――ほう、何はともあれ、一度手を洗ってからにしましょう。手洗い場を案内していただきますかな」
「はい、アトが案内をします!」
それから言葉の通り、ザヘト兄弟の部屋となった客室に備え付けてある洗面所と浴室に案内をして、共に手を綺麗に洗った後に、部屋に戻ります。
部屋に戻ったなら、スケッチブックにクレヨンをゼブル翁が抱え上げて寝台の方に移動しようと提案すると、アトも自分がウトウトしているのを覚えているので素直に従います。
それにロックさんが造ってくれたカバンも、その近くに置いてあるのでその方が良いとアトも考えたのでした。
そして、アトがロックさんが造ってくれたカバンを間に挟んで寝台に並んで座って早速メ モ帳を取り出した後に、ゼブル翁が何度目かの提案をします。
「それでは、良かったらですがアト・ザヘト君の持っている荷物を全て……というよりは、"全部"見せてくれますかな?。
今日、迷子になった時に身に着けていた物―――ああ、お洋服以外でお願いできるかな?」
どうやらここに来た時点で、入浴を済ませていた寝間着の恰好なのと、アトの拘り具合を考えての具体的な提案でした。
アトは既にメモ帳を取り出していたので、小首を傾げます。
「?、全部ですか?。ロックさんのカバンだけじゃないんですか?。
アトの中で無くなっているいる、"アトを助けてくれた人"の事、考えませんか?」
一応、メモ帳を取り出した目的をアトなりに覚えているので、そう尋ねます。
すると、白髪の背の高いお爺さんのゼブル翁は、雛型にしている人物の事もあって、かなり不貞不貞しい笑顔を浮かべました。
「ふふふ、考えるにしてもどうせなら現場に居合わせた"者"を参加させることで、より具体的、判り易くなると思うので、お薦めしましょう」
「"もの"?」
ゼブル翁が、普段の調子で朗々と語る中で特に力強く聞こえた二文字をアトは繰り返しました。
「そうです、取りあえず、迷子になっていた時に身に着けていた物を、ゼブル爺さんに見せていただけますでしょうか。
そうしたら、"アトを助けてくれた人"については、更に良く判り易くなる方法が見つけられると思いますよ」
「!、わかりました、ゼブルさんに見せます、アト、ゼブルさんに見せます!」
そう言って執事のロックさんお手製の、厳密に言うならゼブル翁の器が造った白い袋の口を、大きく開けました。
「ハンカチに、はながみ、お財布、ふでばこ、人がいない場所で迷子になった時にだけ吹く笛、それにまがれっとさんにもらったお菓子に、……あと耳栓です。
いつもは、シャツの"えり"の所に紐を通してつけています。
でも今日は、マインド家のランドリーメイドさんが洗濯をしてくれています。
洗濯の時は、無くさない様に外してカバンに入れておきます」
アトが口に出している通り、一般的にとアトが必要としている携行品や道具が一通りと、本日お土産に貰ったお菓子が出てきます。
その中で一般的でないとすれば、最後に説 明をしてくれた耳栓という道具になるのですが、これはアトの抱えている障碍と"お仕事"には欠かせない物でした。
そして、その"耳栓"をゼブル翁は発見すると、興味深げに見つめて声をかけます。
「ほう、耳栓はいつもは洋服の襟元に着けているのを、今日は洗濯をして貰っているから外しているのですな」
実を言えば、器の記録に、初めて執事服に着替える時に、兄であるシュトからも説明を受けているので、残ってはいるのです。
けれどもアトとの会話に、自然な流れの雰囲気を楽しむのも込であえて知らない振りをしました。
ゼブル翁のごく自然な会話を雰囲気と会話を楽しむ様子と、尋ねられるという事でアトの方も嬉しい物があるらしく、少しだけ自慢げな感じで説明をしてくれます。
「はい、アトはうるさい場所は苦手です。
うるさいと思ったなら、耳に着けます。
でも、一番つけるのは"傭兵のお仕事"の時です。
練習の時も着けます、着けないと大きな音すぎて、耳が聞こえなくなってしまいます」
「……それは、何の練習の時ですかな?」
ゼブル翁はにっこりと笑って尋ねました。