相談に乗りますよ②
『シトロン、"家族"という言葉はトリフォリウム殿に対しては禁句だったんだろうか』
『いや、別にそういうものでもないのだとは思う』
僅かばかりだが不安そうな兄に対して、間もおかずにはっきりとそう断言をする。
『あの癖っ毛八重歯の宰相殿は、本当に家族という集団に対して、そこまで思い入れも拘りもないのだろう。
寧ろ、私の話しを聞いたのなら、"煩わしい"物位の認識にもなったかもしれない』
" 俺は私は、"家族"というものを生まれた頃から知らない"
何も感情が籠っていない声で、淡々とそう告げられていた。
産まれた時から知らない存在という言葉は、それは今でも独り身である宰相殿には通じている様にも魔術師には思える。
そして、"家族を知らない"という言葉を口にした傾国の宰相をほんの少しばかりではあるけれども、シトロン・ラベルは羨ましく思ってしまう。
(……しまった)
『シトロンは家族……というよりも、一族の柵で苦労してきているものね。
それで魔術の才能も抜きに出ているのに、婦人というだけでその将来の幅を隙あれば縁戚の方々が、婚姻を進めてきて狭められようともしている』
その頭に浮かべてしまった思いに対して、"しまった"と考えた時には全く表情にも出していないつもりだったのに、案の定、双子の兄に気持を察せられてしまっていた。
『でも、シトラスが……兄さんが家督を継いでからは、これまでとは全く違う。
結婚もしてくれた事で、私は独身ながらも"若夫婦に気を使わせてしまうといけない"からと、良い様に利用させて貰って、屋敷からも簡単に出れた。
それだけでも十分有難い』
それにそもそも"貴族の婦女子が社交の場以外で働く、活躍する"という事も、異色の存在の様な扱いもされていた。
魔術の才能があるとしても、精々貴族の子女や子息の家庭教師になれるくらいの学問や技術を修める程度を学校で学ばせてもらう程度で、魔導を極めるなどは程遠い物だった。
もし、シトロンが"1人"で、産まれてきたならば学術や魔術を修めたくてもやはり"家庭教師"になれるぐらいまでしか、親族一門が許さなかったと思われる。
それに女性で学ばせるとしたならば、教育の方面の事で、育児や発育に関しての知識や、それに伴っての医療に関係も許容されていた。
この時代の流れでシトロンが一般的に"殆ど男性しか存在しない"魔術師社会の中で、上位にいられるのは、兄の存在があってこそだといっても過言でもない。
ラベル家に男女の双子として産まれた事で、家督争いにもならないと安堵した面もあったけれども、学者や研究者を多く輩出している家柄という事で、"根っからの貴族"というわけでもなかった。
なので、男女の双子教育に関しては比較的鷹揚としている所もある。
一般的な貴族なら最初から男女別々の教育を施すのだろうけれども、基礎として教える内容が同じならばと、家庭教師を分けて雇う事もなく1人を雇っていた。
一緒に学ぶ事で1人で学ぶよりも2人で学ぶ方が双子の性に合っていたのと、競争相手ではなく協力者として共に勉学に励む事で、効果もあり、男女の双子は当時の同世代の子ども達よりも抜きに出て賢く優秀と評価される事になる。
学者や研究者の一族でもあることで、親族達は相応の観察力もあり、シトラス・シトロンの男女の双子が"一緒に学ばせた事で、才能の伸びが著しく良くなった"という事は、直ぐに理解していた。
"優秀な跡取りを育てる為ならば"という事で、一般的には別々に教育を受ける年齢に至っても、分けることなく―――少なくとも、家督を継ぐシトラスにとって益になる内は認められる形となる。
その形は、双子がやがて成人するまで続き、シトラスは社交界ではそれは優秀な学者であり魔術を使える貴族の青年として名を馳せる事になる。
加て整った外見に、産まれついた穏やかな気質の効果もあってで、学者や研究者にありがちなとっつきにくい雰囲気もなく、当然縁談の話に困る事もなかった。
そんなに時間をかける事もなく、互いの家との調整や取引も行われたりも勿論あったのだろうが、新郎新婦となる2人が認め合い尊重できる相手として縁談が纏った。
そしてその裏で、シトロンはあくまでも兄の縁談を応援するという態を通して、屋敷を出て工房に移り住む。
そこで魔術の研究で国の求める成果を出して、ラベル家の姓をセリサンセウムに知らしめる。
これでシトラスが夫人との間に後継ぎを授かったなら、ラベル家はセリサンセウムという国おいては、安泰。
ここまで盤石な一族の将来が約束されたような環境に整ったなら、元は学者や研究者から成り立っている一族は、これ以上の栄光を求める事もないだろう。
思慮深い男女の双子はそう考えていたのだが、残念なことながら、その思惑は大きく外れる事になる。
考えていた以上に自分達を輩出したラベル家という"貴族"は、これまで歴史を紡いできたことで、学者や研究者である事で満足できていた事以上の誉を、更に欲する様になってしまっていた。
もし、シトラスとその夫人の間に子供を授かり無事にこの世に産まれたのなら、今度はシトロンという"才女"を求める、どちらかと言えば武力を誇る貴族との縁談を密かに進めてることを、知る所になる。
しかも、性格はシトラスの様に穏やかとはいかないがその容姿は社交界でも十分通じる美しさを携えた婦人である事は、これまで渋々ながらも参加していた夜会で知られている。
魔術に生涯をささげると宣わっているけれども、嫁がせてしまえば、他家の屋敷の中で研究も満更に出来やしない。
それに何れ"貴族の夫人"として嫁がせてくれた事を、最初は反発してもいずれ感謝をしてくれる。
シトロンからしたなら、背筋が凍り吐き気を催す様な話でしかなかった。
それを報せてくれたのは、シトラスの伴侶となった夫人だったのだが、本当は報せるつもりはなかったと、謝りながら伝えられたという。
シトラスに嫁ぐまで、名高い貴族に嫁ぎ相応しい、淑女、そして夫を支える夫人としてばかりの価値観こそが第一だと考えていたという。
けれども、嫁いでからあくまでも自分個人を尊重してくれる夫に戸惑いを覚えると同時に、夫人としてラベル家が進もうとしている方向を知らされる事に不思議と罪悪感を抱える事になる。
自身がラベル家の家長のシトラス・ラベルの伴侶として嫁ぎ、貴婦人として熟す役割を十分弁えていた。
そうする事が求められていたし、嫁いで来てからもそれに応えられている手ごたえを確りと感じていた。
夫は義妹に比べたなら、余程社交的ではあるのだけれど、それでも"上手"と表現できるのものではない。
ただ幼いころから社交界に馴染む様にと教育されている夫人にしてみれば、夫の補助に回る事に関しては全く負担にもならない。
寧ろ、手助けを行ったことでシトラスに感謝されると、嫁いできた時に喜んで受け入れると口にしながらも、無言で夫以外から与えられていた圧力が漸く和らいだような様な気がした。
それから程なくして、ラベル家一族の人々に、男女の双子の耳に入らぬ場所で念を推すように幾度となく話されたのが、シトロンの縁談の話となる。
"シトラスとシトロンに話したとしたなら、流石に何かしらの行動を起こしかねないから、内密にする様に"
ラベル家の家長の夫人としても、それが聞かされた当初は正しいと信じていた。
その筈なのだけれども、夫と義妹から、その補助に関して素直に感謝され、そ れを自分達には出来ない素晴らしい才能だと言葉をかけられる度に、夫人自身の中で信じてきたものが揺らぐ事になる。
ラベル家の一族の人々に"ラベル家の家長の夫人として素晴らしい"と言葉をかけられるよりも、男女の双子からかけられる感謝の言葉が嬉しかった。
そして何よりも自分の伴侶となるシトラスから、"ありがとう"と尊敬の想いが籠った言葉をかけられる事が、これまでの人生の中で与えられた賞賛よりも、余程充足感を与えて貰える。
加て、シトラスと伴侶となった事で判って来たというよりも実感出来るようになったものでもあるのだけれども、ラベル家の一族が
"義妹が幾ら反発をしても、何れ"貴族の夫人"として嫁がせてくれた事を、感謝をしてくれる"
という言葉が、本当に見当はずれなのだというのが、感じて取れてしまう様になってしまっていた。
それは"義姉妹"となったことで、一応同性として"女同士の会話"を行った事で、この魔術師には少なくとも今はまだ、家族を迎える事に関しては、向いていないと、感じる事になる。
決して、シトロンに思いやりがないとか、冷たいという事はない。
けれども誰かしら異性の伴侶を迎えて、夫婦という形で家族になり、子どもを授かり産むというのが、彼女の"幸せ"に繋がるようには、とても見えなかった。
とても失礼な発言になるかもしれないと思いながらも、義妹から、女同士の会話の途中で目敏く見抜かれて、
『歯に衣着せぬ自分を義妹を参考に、言いたい事を言ってみたらいい』
と、唆されて少しばかり勇気を必要としたが、自分の"シトロン・ラベル"に対する意見を口にすると、義妹に大喜びされた。
『流石、兄が伴家族になる事に選んだ人だ。
ラベル家の"家族"でも、その事をはっきり言ってくれたのはまだ兄しかいない。
それを嫁いで来て、何年も共に過ごしたわけでもないのに、兄に話を聞いたわけでもないのに、義姉さん自身の意見で言って貰えるなんて』
一般的な、"夫に嫁ぎ、子どもを授かって家庭を築いて当たり前"という価値観を有している貴族ではなくても、婦人なら、言われた瞬間に顔を顰められても仕方ない言葉でもあるのに大喜びされて、凄く脱力し、安堵の表情を浮かべていた。
そして、夫人なりに決意を行い義姉として、義妹の性格を十分掌握した上で夫と義妹にラベル家の思惑を密かに告げる。
すると、双子は男女で顔の造りに僅かに差異はありながらも、見事な顰め面を鏡合わせの様に作ってしまって、新妻は随分と驚くことになった。
取りあえず、"知っているけれども知らない振りをする"という事で、3人の中で話は纏った。
ラベル家の方は、工房を与えられて、研究に没頭できるとシトロンが"気を緩ませている"と思われている。
それなら、その間に密かに実地調査の支度を進めて、ラベル家の家長である兄には許可を取っている態をとり、旅立った後に、義姉は何も知らなかった。
そういう、少しばかり子どもの悪戯の様なことを新しく"家族"になった義姉と併せて3人で目論んでいた。
けれども、それは傾国の宰相の呼び出しによって潰された。
『私は、"兄さんと義姉さん"がいるから、家族に絶望が出来ないし、希望を持つことを諦めきれないんだ』
『……それなら、希望はまだ捨てないでくれ。
この状況が終わったなら、シトロンが気兼ねなく実地調査に行けるようにして見せる。
ラベル家の一族にも、何も言わせない。
これは家族として、私達夫婦の義妹の当たるシトロンに対するケジメみたいなものだから』
帰りの馬車の中で俯き絞り出すような声を出すは兄、産まれてからこれまでで、初めてここまで悔しそうな表情を浮かべるのを見た。
初めての事もあって、どちらかと言えば言葉の応酬や切り返しも鋭い魔術師にしては珍しく反応が遅くなってしまったが、いつもの様に歯に衣着せぬ正直な気持ちを口に出していす。
『そうだね、それなりに期待して待たせてもらうよ。
ああ、でも、取りあえず義姉さんが出産して落ち着くまでは、私は王都から何があっても絶対に離れないよ』
ただ、幸か不幸なのか判らないなのが、シトロンは魔術学校の教官になったことで、縁談の類の話が"国"の方針もあって、全くこなく事になる。
それは本当に、拍子抜ける程、様子が変わる事になる。
その来なくなった国の方針の理由の内訳が、学術にしても魔術にしても、指導をしている者が自身や周囲の不安定等の事で途中で抜ける事は、教わる側の大いなる負担と不審に繋がるという事だった。
しかも、王都に国中からかき集めらえた、優秀な学生の才能と成績の伸びが悪くなるのが、教える側の都合など、言語道断。
なので万が一にも、教える側の都合で、その責務を放棄した場合には、親族縁戚に関わる、処罰が下るという国言葉が公布される。
そう言った旨の理由で、指導側に回ったのは殆ど若い独身男性の教官、若しくはある程度の子育てが落ち着いてもう新たに子どもを授かる予定のない、教職に携わった玄人だった。
ただ、教える立場の人材は、身分に関しては平民も貴族も関係なく集められていた。
その事もあって、ほんのごく少数ではあるけれども平民の中にもシトロンと同じ様に魔術ではないにしても、何かしらの学術に生涯をささげる気構えでいる同性と出逢える事が出来る。
そして平民の間では、女性が世間的に適齢期に達したなら、やはりそれなりにお節介で鬱陶しい縁談話を進められる事があっても、貴族達の様に策略的な物はなかったという。
そういう流れがあり、年齢の割にそれなりに達観しているつもりのシトロンだが成人間近に、世間のちょっとした"波”にもまれて、判っていたつもりだけれども実感したことがある。
何にしても貴族だろうが平民だろうが、一般的に"普通"と言われる人生から外れようとしたならば、
"貴方の為だから。貴方の事を思っているから"
と人に、合わせる事を強要とする存在は何気に多い事。
それは本当に思いやりにある物から、自分の中にある普通の劣等感をぶつけて来たりと、理由は様々であるけれども周囲と違う事を責める成分は含んでいた。
(本来なら、やろうと思えば努力さえすれば出来なくはない、普通に出来る生活を出来てないという所も、相手にとっては攻めたくなる点なのかもしれない。
それに、普通に結婚して子どもが誕生をしなければ、国がなりたたないと言われたなら、まあ、その通りだしねえ)
そんな斜に構えた見方をしていたけれども、何にしても、もし国が傾いている様な状態で絶対君主制の政治体制でなければ、シトロン・ラベルは"普通の世間"に余程叩かれていたと思われる。
シトロン・ラベル自身は何と言われよう とも聞き流せる自信はある。
それに兄もその伴侶である義姉も、前に言った通り自分の意志を尊重してくれるだろう。
けれども、この様な世情でなければ、恐らく挨拶の代わりに、"生涯独身"と宣わっている義妹の事を嫌味を含め、ラベル家の家長夫妻は言われていたのも容易に想像できる。
兄は、穏やかな人柄ながらも、"必要ない"と感じる話には、真面目に聞いている様で全く聞かず、その上で的確に相槌を打ちながら好きな事を考えている特技を持っている。
この特技に関しては妹だけが知っていれば良かったのだろうけれども、流石にそれなりに親しく、幼い頃から付き合いのある家族は知っている。
だから兄が聞き流していると知ったなら"義妹が何時までも結婚しない"という愚痴と"どうにかしなさい"という非難は、恐らくは義姉に集中していた事だろう。
ただ、それも"傾国の宰相"殿が言うには、国王陛下の"ラベル家に対する命令"のお陰で一切が封じられている。
考え方を変えたのなら、国の王が命令をして阻むくらいしないと、抑えきれないような話だったのだと思うと、自然と魔術師の顔には苦笑いが浮かんできてもいた。
『魔法や学術なんかよりも、人の思惑の方が余程面倒くさくて鬱陶しくて恐ろしい』
後年、志した通り孤高を貫き、国において稀代の魔術師とも例えられるようになったシトロン・ラベルは、元"職場仲間"のユンフォ・クロッカスにそう告げていた。
兄も義姉も、妹が家族の柵を抜けさせて、実地調査の為に王都から送り出せなかった事を、当時はとても気にしてはいた。
でも、そうやって旅立てたとしても妹の立場として、シトロンは実地調査の間も、兄と義姉の事を気にしていた様に思える。
何せ賢いだけあって、医学の方にも手を伸ばし妊娠出産に関する学問も修めている。
もし義姉が兄との間に子どもを授かり、体内で育んでいる間に、自分の関する事で、ラベル家の縁戚関係から、責められ負担を与えられていたとなったなら、己の婚姻話が勝手に進められていた時と同じ様 に、背筋が凍れる位の話である。
だから時代が流れ、その当時の文化環境から照らし合わせて見たなら、暗愚陛下の治める王都に留められはしたけれども、大きな不満はシトロン・ラベル自身はそこまでなかったりもする。
実地調査に出ようと目論んでいたのも、兄が家督を継いだ事で夜会の誘いは格段に減ってはいたけれども、搦め手で進めてくる縁談話もあったからである。
もし、その話が無いのなら王都の工房で、もう数年研究を行い、医術の知識がある事で兄と義姉が、子どもを授かったのなら気楽に相談に乗れるようにしてもおきたいという、"家族"としての想いもあった。
結果的には、その家族としての"想い"は殆ど叶う。
傾国の宰相が口にした通り、義姉は兄との子どもを授かり、兄は研究さえ行えばそれなりに自由な、役割で伴侶の傍にいる事が出来た。
シトロンも、教官としての役割さえこなせば、それ以上は親戚からも、本来は噂話が好きでたまらないであろう、貴族社会からは何も言われない。
それまでも王宮の図書館の資料室も、兄と共に赴かなければ、注がれた煩わしい視線もあったが、それも教官という立場もあって必要があって訪れる事で失せていた。
王都に軽い軟禁状態ではあるけれど、元から義姉が懐妊中という時期には相談事があれば直ぐに乗れる距離にいるつもりがあったし、何にしてもラベル家の家族として、義妹として落ち着くまで側にはいるつもりだった。
そして義姉が無事に出産を終えて赤ん坊も健やかに成長し、幼児になろうしていた頃、興味深い教え子としてチューベローズ・ボリジ、ユンフォ・クロッカス、連続してバルサム・サンフラワーが入って賑やかな事になる。
細かい規制も所々にあって、王都で魔術師として日々に不満がなかったと言えば嘘になるけれども、正直に言って、ラベル家の為に嫁ぐ事という事をうるさく言われる日々よりはマシだった。
そんな少しばかり歪みながらも楽しんでしまえる日々が続くような錯覚を魔術師が覚え始めた頃、傾いた国の政権は終焉を迎える事になる。
その際にはラベル家は、研究者と教官という立場ながらも、“暗愚陛下”側についているという事で、最 優先で義姉は子どもと共に、後宮を纏めているという上臈と呼ばれる、最も寵愛を受けているという側室に案内され避難をさせて貰えた。
シトラス・シトロンの男女の双子は”少々”危険な目にはあったけれども、最終的に命に別状はなく、セリサンセウム王国クロッサンドラ・サンフラワーとその宰相であるシャルロック・トリフォリウムが強いた絶対君主制の政権の終わりを、見届ける。
暗愚と例えられた王様が最期を迎えた場所は玉座と呼ばれる場所で、双子が辿り着いた時には決着はついていた。
グロリオーサ・サンフラワーとその右腕と呼ばれ"じゃじゃ馬"の想い人であるアングレカム・パドリックの姿越しに、漆黒の衣装を纏い敗れた暗愚の王様は、自身の宰相が傍に跪いて支えられているのを確認する。
暗愚の王は、満身創痍の癖っ毛と八重歯の宰相に抱えられながらも、既に事切れているのは、遠目から見て医術に関する立場で双子同時で察した。
そして次の瞬間にシャルロック・トリフォリウムは、愛用している2振りの曲刀を玉座の床に突き刺し、異国の炎精霊を呼び出し、まだ生きている己共々を、炎の幕で暗愚の王と共に包みこむ。
そして、ラベル家の男女の双子の気のせいでなければ、癖っ毛に八重歯の宰相殿は、炎の幕の内側に、王の亡骸共に身罷る、その間際に笑っている様に見えた。
確りと、もう息絶えた暗愚と例えられた王様を後ろから支えて、抱え上げて、まるでイタズラが大成功した事を喜ぶやんちゃ坊主の様に、得意気に笑っていた。
"大地の女神の元に還る"という国を超えて世界に通じる宗教に則り、殆どの遺骸という存在が土に葬られる中で、国を傾けた国王と宰相はその身を塵になるまで焼き焦がした。
皮肉な事と言うべきなのかどうなのか判らないが、医術に携わっていた事が合った事で、"人の燃えた匂い"というのが判り、焦げた2つの遺骸は、形を保つことなく塵になる端から崩れ去っていっていく。
現場を見ていないので判らないが、恐らくは決戦の余波の為であるのだろうけれど、玉座の間の外部と繋がる窓や入り口はどれも吹き飛んでしまったのか全くなかった。
そこから吹き込んでくる風の力も強く、かつて人の遺骸だった者達を、まるでこの場所から連れ出す様に焼けこげ塵になっていく端から、次々と連れ去って行く。
『……こうなった場合を想定して、風の精霊に、前以て頼んでいたということでしょうか』
『……』
"じゃじゃ馬"の想い人である褐色の肌の美丈夫がそう口にしたけれども、共に戦った鬼神と例えられるグロリオーサ・サンフラワーは無言だった。
それから直ぐに、別行動をとっていたという仲間―――後の、法王バロータも、何かしら大きな戦いを行ったらしく、傷だらけの状態で合流する。
その後、シトロンとシトラスは、"家族を人質に取られていた"という事で考慮もされたが、一応国軍の捕虜として、他の似たような面々と共に馴染みの場所である学校に集められる。
そこには既に同じ様な配慮をされた上で捕虜となっていたユンフォ・クロッカスと、平定の四英雄の"内通者"として実は暗躍をしていたチューベローズ・ボリジもいた。
チューベローズが内通していた事には軽く驚いていたが、何にしても無事な事を喜び、同時に"クロッサンドラ・サンフラワー"の指示の元に避難している義姉と子どもの事を心配する。
だが、それはあっけなく杞憂に終わり時間にして一夜を跨いだが1日も経たず、再会は叶った。
衣服は多少汚れており表情から疲れているのは窺えたけれども、義姉は勿論、その子ども無傷で男女の双子は心から安堵をする。
無傷の再会を先ずは喜んだけれども、シトラスは妻が、シトロンは義姉が疲労しているのもあるが、心の方に何かしらの負担を抱えているのを感じ取った。
『すみません、危険から最も遠い場所に、僅かながら近衛の兵士達に守られて避難させていただいたというのに。
どうにも出来ない立場ながらも、私には衝撃が強すぎる事がありました。
……良かったら2人でお話を聞いて頂けますか?』
ラベル家の家長の妻となる人は、夫と義妹が自分を心配しているのを察したなら、ほんの僅かな時間瞼を閉じ、迷いはしたけれども、直ぐに開きその原因を話したいと口にする。
男女の双子は、どことなく彼女抱えているといる心労に共鳴する物を感じ、取りあえず話しを聞こうという形になる。
有難い事に、同じ様に収容されている中に乳母の経験があり、喜んで世話をしましょうという婦人がいたので、感謝を述べた後に子どもを託し、少しばかり人盛りを避け、話しを聞く。
『―――私を含めた、"クロッサンドラ・サンフラワー陛下側"として行動した、貴族の婦女子は、上臈様の指揮下の元動いていました。
王宮の地下に城下町の東側に通じる地下の通路があって、そこに避難をするという、丁寧な説明をしていただきました。
城下街に出る事も可能でしたが、レジスタンスと国軍の戦いもあるという事で、決して外には出ず"事が済む"までと、大人しくと指示を出されました』
最早過去のた王となった存在に最も愛され信頼され、国の王の側室達を取りまとめている貴婦人は年齢で言うのなら、暗愚の王と傾国の宰相とそれ程変わらず、本来なら"孫"という存在がいてもおかしくはなかった。
けれども、彼女は"上臈"と呼ばれる役目を国王から命じられるにあたって、自ずから"薬"を煽り、決して子供を授からぬようにしたという。
『そうする事で、クロッサンドラ・サンフラワー陛下が側室との間に授かったお子様達を、公平に慈しむ事が出来るからと仰っていました』
実際子供が大好きらしく、避難している間も幼い子ども達をとても上手にあやしていたという。
最初に避難の手筈を説明をする時には、それは気高く誇り高く扇子を指揮棒の様に振り回し、これで軍服を纏っていたなら、当時では1人も存在しない女性将校の様にも見えた。
そして彼女は実際身に着けていたのは、随分とデザインが懐古ではあるけれども、実に動き易そうなドレスだったという。
実際、避難の指揮を執り、その後にその動き易いドレスで以て暗い通路の中を巡回する。
自分が責任をもって預かる、国王側についた、民の子女に安心与え、余裕を感じさせる雰囲気で以て、恐らく意味が解らず親と行動をしている子ども達を元気づけていた。
それでも決して"クロッサンドラ・サンフラワー国王陛下が、直ぐに悪者をやっつける"と言った旨の励ましに使ってもおかしくは言葉は、全く使わなかったという。
『それに、これも口には出しませんでしたが、上臈様は、王宮で殿となる前国王陛下と宰相様の勝利を信じているという風にも、感じられませんでした』
そして大人が緊張して眠れぬ中で、子ども達は上臈のお陰もあって、大人しく寝る時間がある 程度過ぎた時、気高い貴婦人はふと顔をあげたという。
それから年齢の為ではない深い縦のシワを眉間に刻み、それまで極力体力を消耗品しない様にと敷物を敷いてはいたが、地べたに座っていたのをスクっと立ち上がる。
一緒に避難していた、婦人の集団の中を縫うようにして進んで行くと一番端にいる人物の元で止まった。
それからしゃがみ込んで、これまではよく通って聞こえた声を、籠らせ潜めて何かしらを熱心に話しかけているのが、窺えた。
上臈が話しかけている人物は、全身を覆う様なローブを纏っていて、影でしか姿は判らないけれども、腹部に当たる箇所が綺麗な丸みを作っていた。
その胎内に命を宿しているのが解る。
(―――あれは、懐妊されている。
しかも、随分と大きいし、多分もう臨月間近というところかしら。
上臈様は、あの方を気遣っていらっしゃるのね)
子どもの頭を膝に乗せて寝かしつけながら、そんな風に考えて眺めていたのなら、その丸い腹部が目立つ婦人は上臈に支えられながら立ち上がった。
そして直ぐにその傍に、人数は10に満たなかった護衛の兵士が2人と、座り込んでい貴族の子女の集団から、1人が立ち上がって、上臈と胎の膨れた女性の元に集まる。
それから何かしら話し合が行われ、側によった近衛兵2名と子女の集団から立ち上がった1名を伴って、臨月間近であろう夫人達は、これまで来た王宮とは別の方向に向かい、歩き始めていた。
一方通行でしかない地下通路なので、彼らが向かう方向が"城下街"だというのは、直ぐに同じ様に避難している子女達にも判る。
ただ自分達と異なる行動を取る数人の集団に対して、不思議と誰も声を出す事はなく、臨月ではあるだろう夫人を護衛して進んで行く近衛兵2人、付き添いの様に進んで行く1人の婦人を見送った。
様々な憶測が、暗い地下通路の中で起こってはいたのだろうけれども、殆どのものが一通り子育ての経験者か、若しくはその最中であるので、大方の予想は頭の中で浮かんでいた。
恐らく、この場でその事態になったなら殆どが経験者の為、対処は出来るだろうけれども満足な処置をするには難しいのが解る。
貴重な水も、恐らく多様する事になるし、それなら地上に通じる場所の付近に行けば水道はあるので安心出来るだろうとも思える。
それから上臈は元の場所に戻り、再び座る。
灯りが乏しいので表情ははっきりと解らないけれども、疲れながらも、安堵の雰囲気が滲み出ていた。
『こういった状況でも、"産まれる"時は、産まれますものね。出来れば、健やかに誕生為されると良いですね』
比較的、近い距離にでもあったので、ラベル夫人がそう語りかけると、最初はいつもなら毅然としている雰囲気の上臈が目に見えてビクリとしたので、言葉をかけておきながら驚いてしまったという。
けれども直ぐに上臈がいつもの毅然とした雰囲気を取り戻し、貴婦人は先程は灯りが乏しい中で判り難かった筈なのに、確りと伝わる笑顔を浮かべたという
『そうね、ありがとう』
それから、少しだけ考え込む様に沈黙を取った後、貴婦人は再び口を開いた
『……"彼女”は、私の親友で好敵手の娘なの。
だから是非ともこの状況でも無事に生まれて、生き抜いて欲しいと思っています』
『そうなのですか』
ラベル夫人は、ここで少しばかり違和感を感じる。
夫や義妹に代わって、嫁ぎ先のラベル家の貴族社会における社交界に関わる部分に関しては、当時既に全権を握るような立場になっていた。
それなりに精通している情報の中で、貴婦人の頂点にいるのが、上臈だった。
真実とされる理由は公然とされてはいないが、王妃を持たなかった国王の為にそれらに関する役割を見事に熟す。
多少、気高すぎる面は振る舞いに発言は、あるけれども、それも"魅力"と感じさせる能力を貴婦人は持っていた。
クロッサンドラ・サンフラワーが国王とする国の社交界で、上臈の"敵"になり得る貴婦人などは、いなかった。
それは役割と立場上、常に国王の傍らにいる状況になる、この国の宰相、シャルロック・トリフォリウムにさえ、何かしら細かな事でも国王にとって不易になりそうなら、食ってかかって喧嘩腰で話す。
癖っ毛で牙の様な八重歯の、やんちゃ坊主の様な笑みを浮かべる宰相は、普段はどちらかといえば人当たりの良い人物でもある。
けれども一度でも、国王に対して不義のその耳に入 れようものなら直々のその旨を発言した本人の前に現れ、その真偽を尋ね、かなりの圧力をかけるという噂が、誠しやかに流れていた。
事実は兎も角、この癖っ毛八重歯の宰相の情報収集力は、並々ならぬ力を持っているのは、身を以て知っている。
数年前、義妹をラベル一族には内密に実地調査に夫共に送りだそうとした直前、知識だけは知っている懐妊の兆候が自分の身体に現れた。
それは予想よりも早い出来事で、けれども家長夫婦には授かっても特に困るわけではない状態でもあった。
ただ、送り出そうと考えている義妹は、はっきりした性格をしているのできつく見られがちだが、根が優しいのは家族としての縁が出来てから知っている。
懐妊した可能性を知ったなら、気にするだろうと考えて、夫にあくまで"かもしれない"程度で相談をする。
そうすると、何にしても検査を受けてからと決めた矢先に、双子で揃って登城する様にという連絡があって、戻って来たなら、義妹に問い詰められて、正直に話した経緯がある。
夫と義妹にしたなら、癖っ毛八重歯の宰相殿はその事があってから、気は許せず油断など全く出来ない存在だと、レジスタンスが王都にくるまで気を張っていた。
そんなシャルロック・トリフォリウムに対して、上臈は、意見があろうものなら全く引かず、余程の事がない限り、場所や時間や宰相の都合も立場も考えず、王宮ではすれ違った時にでも、言葉をかけていた。
なので夫人から見たのと、殿方から見る社交界の違いはあるのかもしれないが、上臈の敵、ましてや"好敵手"になろうとする存在などいない様に思えた。
(それに上臈様は、御自分から誰かしらを"友人"という言葉を使う事を極力避けていた筈なのだけれども)
薄暗い地下通路の中、警戒して上臈が話してくれ内容に、辻褄が合致しない事に感じた疑問を表情に出さない様にしてはいた。
けれども、社交界の頂点いる貴婦人の前では、無駄だったらしく口元に薄手の絹手袋を嵌めた手を添えて、上品にわれ笑われてしまう。
『ウフフ、色々と考えている所があるみたいだけれども、知りたい?』
《……少しばかり、知られたくない内容だから、声で良くって?。
知りたかったなら、"滅相もございません"と断ってくださいな》
『……滅相もございません』
少しも間もおかずに"知りたい"という意思表示の口にした事に、貴婦人は上品に笑った。
『それではまだ時間がかかるみたいですから、静かに待ちましょうか』
《それでは、暇つぶしにお話を聞いてくださいな》
それから、地下の通路は再び静寂に占められていたけれども、ラベル夫人の頭の中では、気高い夫人の声が響いた。
これまでも茶会や夜会で話した事がないわけではないけれども、それは社交界の対外的な物であって、個人の会話という物ではなかった。
《私はね、元々は異国の者でね、とはいっても、その国はもうないの。
物心ついた時にはセリサンセウム王国の片田舎に、"弟"といたわ。
そこで、当時はまだ王太子だったクロッサンドラ陛下と、当時は陛下の学友扱いのシャルロック・トリフォリウムとあったのよ。
それで私は、陛下に惚れ込んでしまって、弟の許可を得て王都まで付いて来てしまったの》
先ず、ざっくりとそう伝えて来た。
《私と親友―――シャルロックとの友としての付き合いはそれからでしたわ》
(上臈様の御親友というのは、宰相トリフォリウム様の事でしたか)
声が響いたと同時に、直ぐに納得も出来るが、純粋に気がつかなかった事に驚いていた。
社交界でも男女の友情があり、流れでそれ以上の関係の話しがあったとしても"貴族"としての振る舞いを暗黙の了解で、この社会に属すると決意したと同時に弁えなければならない。
ただ、ラベル家は"貴族としてそういった付き合いも縁もある"程度に捉えており、否定はしないが、シトラス夫人自身も茶会や夜会で"誘い"があっても、笑顔と機知の利いた冗談で流している。
上臈は、王から長年の寵愛を受ける婦人であるので、一途というよりも、その人物以外を受け入れることなどないと思った。
ただ、そこは先走り過ぎた様子で、感情の揺れを機敏に察した貴婦人は直ぐに注釈の声を飛ばしてきていた。
《あら、もしかして勘違いをなされるといけないからいっておきますが、シャルロックとは、先程も言いましたがクロッサンドラ陛下を介しての、親友 で、"好敵手"ですよ。
陛下は王でもありますから、この国の関しての政にも関わらなければならなりません、内政は兎も角外政に関しては、私よりもシャルロックの方が得手ですからね。
それに私は陛下の側室とお子様のお世話がありますからね、昔ほど話す時間がなくて、近年はすれ違いざまに意見してましたわ》
そこで一息つく様に間が空いて、直ぐに続けられる。
《昔は……今の王都の現状では、もう予想もつかないでしょうけれど、今よりも随分と融通が利きすぎるところがあってね。
シャルロックも、元々孤児だったのを養父が引き取られていたのが亡くなって途方に暮れていた所を、まだ幼い陛下が拾い上げられたそうよ。
丁度、貴方の伴侶であるシトラス・ラベル卿が妹のシトロン・ラベルと共に育てる事で、その成長に伸びが出る様にとね。
だから、シャルロックはラベル家の話を聞い時、とても懐かしんで興味を抱いていたわ。
少しばかり事情は違うと言われるかもしれないけれど、男女が一緒にと、王族の子が孤児の一緒に、本来ならあり得ない組み合わせに対して、共鳴を感じていたみたい》
(そうなのですね)
宰相に城に呼び出された後に、義妹が随分と憤慨し、夫が結構な落ち込みをと警戒を見せていたので、"共鳴"という言葉にラベル夫人は、当惑をせざる得なかった。
ただ上臈の方は、ラベル夫人を気にせずに話を進めて行っていた。
《私、学業の方は社交界に置いて必要な物はそれなりに学んではいますけれど、基本的には一般的な常識の部分くらいしか修めていませんの。
数字に関する学問なんて、生活に必要な範囲ですわ、それこそ、王宮の見習いの使用人に採用されるのに必要にされるくらいの事。
ただ、田舎に残してきた弟共々、頭が回るという表現が妥当でしょうね、そこが気に入られて採用されました。
それからも、物凄く深くは知らないのだけれども、浅く広く世間に通じていて気が回ったのと、この美人でもないけれども不美人でもない顔で上手く渡ってきましたわ。
それに何より、当時のクロッサンドラ陛下が、片田舎で一度会っただけの私の事を覚えてくれていましたの。
それで"わざわざ、ここまで会う為にきてくれたんだ"という事で世話係での 側女として置いてくれました。
丁度、年頃的にも王太子として"側室"を迎えてもおかしくはない年頃でしたからね、
流石にシャルロックも"そういった方面"は、共に学び教えるという事は出来ませんから。
ただ、シャルロックの場合は貴族の御息女からは大層モテていましたよ、クロッサンドラ陛下と分け合って別行動の度に、文を直接渡されたりしてね。
孤児という立場ですけれど、何れ国王になる方の信頼厚く腹心になる事は間違いないと言われていましたからね。
御息女達の親御さん達は、"是が非でもシャルロック・トリフォリウム殿を婿養子"にとクロッサンドラ陛下に掛け合ってもいましたのよ。
でも、あのやんちゃ坊主、手紙は開きもせずに全部私室の木の箱に放り込んでいたのです。
幾ら、クロッサンドラ陛下に気にいられているからといっても、無碍にしたなら陛下の政に触りがあるような、高官の息女の淑女からのお手紙もあるというのに。
余計なお節介ですけれども、私が選別させていただきましたわ》
少々長い声は、上臈呆れの感情を含んで締められる。
こんな状況でなかったなら、愛想ではなく、心から楽しませてもらっている事を伝える為に、貴婦人と同じ様に薄絹の手袋を嵌めている手で、口元に添えて笑みを浮かべていた。
これまで、こうやって昔話を聞くような機会がなかったのだから、仕方がない事な野だけれども、この時期に耳に入れる事になってしまったのは、ラベル夫人は心から残念に思う。
(こんな風にお話を聞かせて頂ける機会が、これまでなかったですものね。
それに、こんな情勢だから、王宮との関わり方にも警戒して、敢えて必要以上に王宮に近づかない様にしておきましたし)
現在の宰相からは思いもよらない話を声で聞いている内に、今度はラベル夫人の方が、少なからず共鳴を貴婦人に対して抱く事になる。
シャルロック・トリフォリウムや上臈を家族と例えるのは恐れ多いかもしれないが、役割として貴婦人が王宮で行っている事は、側室の教育や管理は兎も角、その他は殆どラベル夫人が、担っている同じ様に感じた。
ただそれを思うと同時に、ある事実を思い出す。
(確かシャルロック・トリフォリウム様が過去に結婚していた話なんて、聞いた覚えがない。でも先程、上臈様は……)
"……"彼女”は、私の親友で好敵手の娘なの。
だから是非ともこの状況でも無事に生まれて、生き抜いて欲しいと思っています"
宰相の名前こそ口には出さなかったけれども、確かにはっきりと、そう言葉に出していた。
("お子様を授かる程の御息女"が宰相殿にいたという事?。
そして、それをひた隠しにしていたという事?、でも、そんなこと可能なのかしら?。
それに成人する程の御息女がいらっしゃるとして、臨月になる様なお付き合いがある殿方がいたなら、そういった事を含めて全く噂や話にならないものなの?)
自分の考えている事が、何かしら"外して"いるのをラベル夫人は判っていた。
でも、何処で何を外しているのかが分からない。
外している点さえ分かったなら、一気に今の状況から、抜け出せそうに思えた。
《……ああ、ごめんなさい。そうね、先程の私が口にした事は、そういう風にも受け取れるのね》
声で上臈にそう告げられた直後、頭上で大きな音が轟き、次の瞬間揺れの振動が、自分達が避難してきた王宮の方から伝わってくる。
当然、それまで保護者となる婦人達の膝の上で寝ていた多くの子ども達も、目を覚ます。
ただ、本当に少数ながらも、余程寝つきが良いのか、まだ寝ておる子ども達もいた。
そのことも確り掌握している上臈は目覚めたばかりで寝ぼけてもいるが、大きな音に動揺する子ども達に、落ち着く様に上臈は呼びかける。
その声は最初に子ども達を落ち着かせたのと変わらず、はっきりとしているが穏やかさと安心感を与える効果を含んでいた。
『上で、何か大きな動きがあった様ですが、まだ休んでいる子がいますから、静かにしていましょう。
外に出るにしても、何が起きたかはっきりするまで、ここで待っていましょう、その方がきっと安全です。
―――落ち着いたら、きっと兵士さん達が皆さんに"外に出ても大丈夫"だと報せにきてくれますからね』
数人の子ども達が素直に返事をするのを聞いてから、上臈は膝の上に手を重ねて置き、"ふうっ"と息を吐き出して瞼を閉じて眼を瞑ってしまう。
つい先程まで、声の形ではあるが楽しく話しを聞いていたけれども、先程の大きな音で何かしら心労を重ねる事を想像したのか、酷く疲れている様にも見えた。
"今は話しかけない方が良いだろう"
ラベル夫人は先程の音で目覚めかけたが、再び寝入ろうとする子供の頭を撫でながら、上臈の疲れた様子に気が付かない振りをして俯いていた。
ただ、自然と頭に浮かぶのは、大きな音で強制的に終了した貴婦人との声による話となる。
"……ああ、ごめんなさい。そうね、先程の私が口にした事は、そういう風にも受け取れるのね"
(上臈様は、私がもしかして"何処で何を外しているのか"を判っていらしたという事なのかしら)
それならば答を聞けば早いという事なのだろうけれども、今は聞ける雰囲気でもないし、非常に緊張しているのを感じ取れた。
そして、ラベル夫人の気のせいでなければ、上臈の意識は先程城下の方へと通じる道の方へと向けられている。
自然とラベル夫人も、城下に繋がる方に意識を向けていた。
ただ、一旦上臈の呼び掛けで治まった筈の不安は、先程の大きな音が日頃物騒な事とは程遠い生活を送って来た貴婦人達の間に滲むように広がっていた。
それが直に触れあっている母子の間に伝染し、そんなに時間が過ぎない内に、幼い子供の泣き声が、どこからなく出てくる。
泣き声が出る度に、保護者とな貴婦人達は、纏め役となっている上臈に対して、慌てて"すみません"と謝罪をし、あやそうとするけれども巧くいかない。
これまで王の側室として、若しくは王族の縁戚として"貴婦人"として過ごしてきた人々は、母親として子に接してきてはいるけれども、子育ての殆んどを乳母に委ねている為、こういった場面に不馴れでもあった。
決して母子間に愛情がないわけでもないのだが、乳母という仕事を生業としている婦人達がいる文化が成り立っている為、それは仕方がない事でもある。
今回の"避難"に際し、極力少数でということになり全ての貴婦人達がそれぞれの乳母を伴うわけにはいかなかった。
ただ、避難の指揮を執る上臈自身が子守の玄人であることと、その弟 子となる少女がいる事で、大事はないとしていた。
そんな配慮がされて避難をしている中で、子どもが不安に泣き出す事で、謝罪する声が瞬く間に広がった時、上臈が大きく息を吐き出し、ラベル夫人と弟子の少女を除いた周囲が"ビクリ"と震えた。
ただ上臈が浮かべていた表情は、苦笑いというもので、出される声色に込められている感情は、日頃指導してきた側室達に呆れながらも、暖かみを含んだものとなる。
『何時私が、"避難中に赤ん坊や子どもを決して泣かせないように"と口にだしました?。
日頃明るい場所に慣れていて、暗くなったら眠るという生活の慣れている大人も子どもも、この状況に不安にならない方がおかしいでしょう。
それに無理に泣き止ませる必要はありません、クロッサンドラ陛下が宰相殿とお忍びで息抜きの為、城下に出るために掘った地か通路です。
余程の事がない限り、音というものは王宮まで届くことはないでしょう』
上臈だからこそ、出来る冗談を口にしながら更に続ける。
『それよりも、今は子供の気持ちに寄り添ってあげなさい。
そして貴女方も暗くて大きな音に不安なら、一緒に不安になっていればいいのです。
どんなに可愛いくて、愛しくても幼い内にしか、親は子供にそうやってよりそってあげる事は出来ないのですから』
ほんの少しだけ、寂しそうにそういった後に、それは見事ににっこりと笑い、薄絹の手袋を嵌めた両掌を、胸の前に静かに重ね合わせた。
『そうですわね、気持ちの仕切り直しというのは変かもしれませんけれど、私何か歌でも歌いましょうか。
でも、まだ寝ている子もいる事ですし、煩くならないものが良いですわねえ』
『―――上臈様、それなら子守歌をお願いします。
寝ている子にも良いでしょうし、私もまだちゃんと最後まで教わっていませんから』
そこで初めて聞くことになった声の主は、これまでもずっと上臈の側についていた弟子となる少女となる。
他の共に避難している夫人達が、子どもを連れて歩くのと同じ様に貴婦人の側にいるので、周囲にはこれまでどこかの貴族の子女と思っていた者もいた様だった。
そんな周囲の驚きに構わず突如として始まった会話は 続いて行く。
『あら、そうだったかしら、シズク?』
『はい、上臈様は、ここ暫く忙しかったですから。
他の歌は教えて貰ったのですけれど、子守歌だけは"大切に教えたいから"と、もうかれこれ年単位で伸ばされています』
貴婦人が弟子の方に振り返りながら唇に薄絹の手袋を嵌めた手をあてて、思わず考え込む様に口にすると、少女は直ぐに答えた。
その答え方と声に弟子となる少女が、本当に教えてもらう事を強く願っているのが感じられた。
『まあ、それは弟子とはいえ、随分待たせてしまって申し訳ない事をしたわね。
それじゃあ、最後まで歌って見せるから、聞いて頂戴……ああ、皆さんもそれでよろしいかしら?』
『はい、構いません』
不思議とラベル夫人が代表する様に答えた時、周囲は誰も異論を応えなかった。
『―――それでは、一節、謳わせていただきますわね』
貴婦人はスッと姿勢よく立ち上がり、胸元に手を添えて、紅が僅かに残った唇を開いて歌う。
それは異国の言葉の歌で、母が子どもの幸せを願う物だった。
国王の側室となる事で、ある程度の教養も修めている貴婦人達は上臈が口から紡ぎだす歌の異国歌詞の意味を、それなりに理解できる。
ただ、まだ幼い子供達は意味がわからないけれど、いつも厳しいけれど最後のは優しくて嬉しい言葉をかけてくれる"じょうろう"様の綺麗な優しい歌声が、何を伝えてくれているのかを知りたい。
でも、素敵な歌の邪魔をしたくなくて、きっと意味を知っているだろう母親の耳元に内緒話をするように尋ねたなら、親は優しく同じようにして言葉を返す。
歌声を子守歌に眠り続ける子ども達には、母となる貴婦人は優しくその身体を撫でていた。
親子がそのように寄り添うやり取りを視界にいれ眺めながら、上臈は嬉しそうに微笑みつつ更に歌い続ける。
そして、その弟子となる少女はまるで、その姿と声を自身の心に焼き付ける様に側で控えて見上げていた。
"恐らく、二度と見ることは出来ない"
幼い子ども達以外その事を理解して、気高い貴婦人が奏でる"母が子どもの幸せを願う歌"に身を委ねる様に、聞き入っていた。
やがて歌が終わっても、寝ている子ども達を配慮して、上臈が悪戯っぽく"静か に"の手信号を行うので、拍手は起こらない。
起きている子ども小さい子ども達は、それを見て楽しそうに真似をしてみたりして、安堵の満ちる雰囲気は柔らかい。
歌が終わったので、子ども達は声を潜める事なく先程"じょうろう様"が口にしていた歌の意味を尋ね、母親はそれについて応える。
一方の上臈は弟子に何か、2、3語りかけた後にその肩に優しく手をかけた時に、少女はそのまま俯いてしまっていた。
俯いたままの少女頭を撫でたなら"区切り"をつける様に、ラベル夫人の方を振り返り見つめた後、何回目かの声を送られて来ていた。
《……本当は黙っていようかと思っていたのだけれど、折角の機会だから謝らせてもらうわね。
ごめんなさい、シトラス・ラベル卿の細君が、貴女が身籠っただろうとシャルロック・トリフォリウムに告げたのは、私なの。
私は"子どもを授かれなく"なる代わりに、そういった能力を陛下の”賢者”が造った妙薬で得ていた。
シャルロックが、ラベルの双子を気に入っていると上機嫌に珍しく話していたから、話題の繋がり程度に話していたの》
それは本当に申し訳ないという感情が込められており、一方的に送り付けられる形の声で謝られるといでもあるのだけれども、腹立たしい物は何もなかった。
寧ろ、世間の評価的にも十分賢いとされている学者の夫や、魔術師の義妹でも掴めなかった、ラベル夫人の懐妊発覚の理由が知る所になり、どことなくスッキリとしている気持ちすらある。
(そうだったのですか。
でも、こういうのは何ですけれども、過ぎた事ですし、謝罪の言葉もいただきましたから、もう気になさらないでください。
それに義妹がいてくれたから、この子を不安少なく産め、懐妊中の体調に関しても、気軽に相談できました)
上臈がラベル夫人が声で返すまでもなく、心を拾い読んでくれているのは判るので、膝の上で眠る子の頭を撫でながら、"謝罪"について素直に感想を述べた。
(それにあの時、懐妊を報せずに、義妹が、実地調査を行っていたなら、きっと双子で送り出した方も送られた方も後悔をしていたと思いますから。
この事については、結果良ければ全て良しという事で、宜しく お願いします)
これ以上、気高い貴婦人の謝罪を伝えられるのがどことなく心苦しくて、こちらの声を拾い読んでくれるのを利用させて貰い、ラベル夫人は別の話題をその旨に浮上させた。
(でも、流石というべきなのでしょうか、陛下の"お友達"という方は、凄い妙薬を作られましたね。
子どもを授からなくなるというのは、私の様な後継ぎを求められる夫人の立場からしたら、とても恐ろしい毒の様な気しかしません。
でも、上臈様のお仕事からしたなら、それは本当に役立つ能力ですよね)
最初は軽い話題転換のつもりで"お友達"の話題にしてみたのだが、言葉にしてみたなら結構な際どさを覚える。
後世に"暗愚"という例えを使われる国王では、あるのだが、その周囲を固める面々は、上臈、宰相を筆頭に底知れぬ力を持つ者が多かった。
"愚"という文字は、国を傾け転覆させるような政を容認した事でもあるのだが、"暗"については様々な"判じ物"の様な言葉が、後世に囁かれていた。
特に有名なものといえば、一度暗愚の王と直に関わりを持ったのなら、その暗い闇に惹かれ、心を取り込まれ囚われてしまうという逸話となる。
その敬い服従する姿勢は、まるで御伽噺で呪いにかけられたことで、惚れ込むようにして操られているからに仕方なく。
そんな風に考えなければ、納得がいかないような所も見えたという。
狂信的にも見える忠誠に、己の犠牲を厭わない国王への貢献という、優秀な人材の振る舞いに、接触を持たな一般的なの臣下でしかない者は、大きな戸惑いを与えてもいた。
"愚"の政さえを除いたなら、文化的にも価値のある業績を産み出し残している者が多いのも、またこの"時勢"の特徴でもあった。
だがその殆どは、暗愚の王が傾けた国を、打倒した事で均した鬼神の王が新たな国の王になった時期に前後して、この世界から"旅立ち”、姿を消すことになる。
ただこの時は"まだ"、"暗愚の王"と共に、多くの国の人材が姿を消えていくなど知らない、ラベル 夫人は軽々しく国の王の"お友達"と口にしてしまった事を恐縮していた。
だが、恐縮しているラベル夫人に構わず、貴婦人の方は特に気にしている様はなく、穏やかな声で、"王様の友達"に返事を返してくれていた。
《……ええ、私に妙薬をくださった賢者は、陛下とシャルロックが政の話しをしているその間で、のんびり読書をしている様な方でした。
そうですね、その友達は賢いと例えるのが一番当てはまるのでしょうけれども、より具体的に言うのならば、見えないけれど、大切な存在という感じですね》
("見えないけれど、大切な物”でございますか)
普段はっきりとした物言いをする上臈という貴婦人にしては、珍しく抽象的な例え方に、膝の上の子どもの頭を撫でつつ当惑している間も、"王様の友達"を語る声は続く。
《表現するなら、信頼や友情……いいえ、気楽というのが宜しいかしら?。
何にしてもこの世界で、人として生きていく上で、必要は勿論ですが、"生きているのは、悪い事ではない"……"存在の肯定"を教えて下さった》
殆ど使った事もないけれどもラベル夫人の恋愛経験の状の"勘"が、外れていなければ上臈自身も、とても尊敬もしているのだけれども、軽く嫉妬もしているのだといっていた。
但しそれと同時に、それ以上に貴婦人も"国王のお友達"に対して、感謝と敬意を払っているのは感じられる。
子どもを授かる事はできなくはなったかもしれないが、陛下の役に立つ能力を得る事が出来る方が、上臈という人の人生にとっては、重要なことだった。
一番その人にとって一番必要としている能力を、最良の時期に授けてくれた賢い人が、国王の側に存在していた。
(でも、これで旦那様と義妹さんに、どうして宰相殿が、いち早く懐妊についた判った理由を説明する事が出来ます。
ただ2人とも魔術師にしても研究者にしても、先ず学者一族のラベル家でありますから、今度は、上臈様が使われた妙薬と、そのお友達の方に興味を持つ事と思います)
容易に想像できる2人の反応を想像しながら返事を胸に浮かべたなら、嫁ぎ先における役割として 社交界について把握し、王宮における人員配置関係も掌握しているラベル夫人は、それとなく記憶を掘り返し、その"賢い人"に該当する存在を探す。
学者としての功績が認められ、貴族の始まりとしている一族としては、上臈の身に付けた能力が仕込まれた"妙薬"を作れるくらいの存在は、学者としての繋がりで、直ぐにでも見つけること考えていた。
けれども、いざ予想をつけて、"もしかしたのなら、この方かしら"と数名な著名な魔術師を思い浮かべては、先程の貴婦人の例えに出された内容と当てはめると、"いや違う"と己の声で直ぐに打ち消してから、直ぐに夫人はある事に考え至る。
(思えば、現状の社交界で上臈様が、感謝と敬意も払われている御方なんて、陛下以外にはいらっしゃらない)
《ええ、その通り。
……残念ながらその方は、色んな事情があってね。
勤勉な貴女が知らなくても仕方がないくらい、ラベル家に嫁ぐ遥か以前、もしかしたら産まれる前かもしれない、とある田舎に隠遁されてしまったの。
ただ、クロッサンドラ陛下やシャルロックや私に、いつまでも友達でいさせて欲しいとも、言っていたわ》
ラベル夫人に送られてくる上臈からの声には、十分な程、懐かしさに加えて、言葉にした通り"残念"という気持ちが滲んでいた。
《隠遁してからは数度、便りを陛下にくれていたのですが、ある時期を境にそれも無くなりました。
私の覚えている限り、とても賢いのですけれども、普通なら出来るところができない、"おっちょこちょい"な所があった御方でした。
思い出す度に、どうしても懐かしいと同時に心配をしてしまいます》
"賢いのだけれども……"という上臈による声の件には、ごく自然に男女の双子の夫と義妹を思い出し、ラベル夫人は共鳴を覚えながら話しの続きを待っていた。
《……最後の手紙に認めてくれた内容は、私に与えてくれた件の妙薬以上の、それは凄いある武器を、隠遁先の田舎で造ったという事でした。
けれども、それは数年後盗まれてしまったそうで、
"これから、造った者の責任として、武器をを捜す旅に出るから、隠遁先から旅立つ。
これまで手紙を送れたけれども、もう送れない、今まで本当に、ありがとう"
結構な癖字で送られてきた手 紙にはそうあって、何とか続いていた"友達"との縁も、随分と呆気なく切れてしまいました。
縁が切れた事で、陛下やシャルロックや私の王都での宮殿の生活が特に何が変わったという事は、ありません。
もう、この世界を"旅立つ"時まで、この流れは変わらない。
それは悪い事ではないし、私もシャルロックも旅立ち―――死ぬまでクロッサンドラ陛下に忠誠は盤石である。
そう覚悟を決めた頃、貴族の男女の双子の話が社交界に上がってきました。
それが、ラベル家の双子、夫人ラベル、貴女の御家族です。
そもそも、ラベル家の事でシャルロックが興味を持ったのは貴方とラベル卿の婚約が決まった時に、情報が上がって来て、そこで優秀な婿殿の経歴です。
それは、普通の貴族の子女ならあり得ないけれども、才能を伸ばす為に共に競い合う様に男女に公平な教育を施したという事でした。
……シャルロックにしてみたなら、男女が一緒に教育を受けるという事は、孤児と王子様が友達になって一緒に教育を受けるという、自身の境遇と少なからず重ねた部分はあったのでしょうね》
上臈の声には、夫人と呼ばれたラベル夫人も頷いた。
(そうですね、一般的にはあり得ないことです。私はシトラス・ラベル様の求婚を申し込もまれた際には、周囲から少なからず言われました。
中には、男女一緒に教育を受けたということだけで、本当に下品で下世話な言葉を頂いてしまったのもありました。
でも、それはラベル家の当主から求婚をされたことへの、嫉妬が多かったと受流しましたけれども)
《フフフフ、そうね、ラベル卿は優秀な学者一族の貴族の跡目でもありますが、その御容姿は双子で揃って随分と端正でいらっしゃるもの。
それにもし妹のシトロン・ラベル殿と服装が一緒で遠目にみたなら、女性に対して失礼ですけれども一瞬では、どちらがどちらだか判らなくなりそうです。
特に、怒った顔は男女の双子でもよく似ていたと、初めて間近で謁見をした時、シャルロックが随分興味深く機嫌良さそうに言っていましたわ。
"血縁"という繋がりが、誰一人いないやんちゃ坊主にしてみたなら、本当に純粋に好奇心を抱いたのでしょうね。
時間がもっとあったなら、もしかしたらシャルロックにとっては、ラベル家の皆さんと面白い縁が紡げたのかもしれません》
癖っ毛八重歯の"好敵手"が珍しく、国王や上臈昔馴染み以外で興味をもつ発言をするのが、純粋に親友として嬉しかった。
《でも、だからと言って、御両親が確信も得ていない状態だったのに懐妊していた事を、当事者以外に勝手に報せてごめんなさいね》
(いえ、だから、その事は気にしないでください。その事で私としても夫も義妹も助かったんです―――)
上臈が再び謝罪の言葉を口にして、ラベル夫人が遮ろうとした時、薄闇の地下通路の中で、母子の会話以外の音が不意に入り込む。
その音に気が付いた者から、静寂が始まって波紋の様に広がって行く。
『――――』
上臈が伏目で声での会話の中断をラベル夫人に詫びて、スッと立ち上がる。
俄かに緊張するのは、その"音"がこれまで聞こえていた和やかな声などではなくて、武器や甲冑といった、金属物がぶつかり重なり合う音の為だった。
そしてその音が、王宮ではなく城下街の方に続く方から響いて来た為でもある。
そして見慣れた国軍の甲冑の姿が、薄暗い通路の視界でもはっきり捉える事が出来る。
それでも油断をせず、上臈が護衛の兵士を伴い、城下街かに繋がる通路からこちらに向かってくる兵士の方に移動する。
ただ貴婦人のその背後にはいつの間にか、"弟子"というシズクという少女が確りとついて行っていた。
それから最初は兵士同士の会話があった後に、上臈との会話が始めて2・3言葉を交わして直ぐ、ラベル夫人に声が届く。
《……どうやら、私の好敵手の娘は無事に産まれたようです。
地下通路の出口となる城下町の店に辿り着いた所で、産気づいて、丁度屋内という事もなってそのまま。
一緒に行った方は助産師の資格を持っているので、後の処置も心配ない様です》
どうやら、こちらに来た兵士は先程の妊婦と共に移動していた者が、"戻って来た"らしく、更には、"お産"についての報告を上臈に行った様だった。