悪魔のように繊細に 天使のように大胆に②
米に注がれた水は、その周囲を僅かに白くする程度となり、賢者は満足そうに頷く。
『薫りっすか……。でも、それって普通に気が付くもんじゃないっすか?。
その会った事もない方達の事を言うのもなんですけれど、それでグランドール様の、そのネェツアークさんとロドリー様や、その同僚のキングスさん?スタイナーさん?』
『キングス・スタイナー。一般的に親しい者はキングスと名前の方で呼ぶことの方が多い。
……シュトやアトはこれからの事を考えたのなら、キングス"様"と、名前の方で呼んだ方が良いだろうな』
もう1人いるというシュトとは面識のない"鳶目兎耳"の副官にあたるという人物が、ネェツアークとロドリーによって呼び名が違う為、シュトが少々戸惑っていると、同僚に当たる軍人で貴族が助言を行ってくれた。
『ああ、それじゃあキングス様がグランドール様の所に行って、漸くその違いに気が付くっていうのが、個人的には余計なお世話かもしれないけれど、心配になるんですけれど。
その、マクガフィン農場にいる時は国の英雄って立場ではないかもしれないですけれども、そのキングス様に相談した2人さんは役割的には"副官"みたいなもんでしょう?』
通信機から伝わってくる声は少しばかり険を含んでおり、シュトが元から皮肉屋の所があるにしても、訝し気に思っている感情が窺がわれた。
勿論それは間近にいる、諜報部隊としての部下も感じ取った様で、少々荒業だが、通信機を通じて声でもって、上司に語りかける。
《……隊長、私から少しばかりシュト・ザヘト説明をしましょうか?。
その"無知"故の批判という事もあるでしょう》
《そうだね、シュト・ザヘトはマクガフィン農場の規模と、その副官……じゃなかった、"両腕"の多忙さも知らないから出している言葉でもあるだろう。
でも、まあいいや、今回は馴染みがある私からしておこう。
このお兄さんも、アルス・トラッドと同じで、何気に取り扱いが難しい。
まあ、グランドール・マクガフィン"大将"が欲しがっている人材だから、強烈な個性がない方が変と例えるのが妥当かな。
あとはシュト・ザヘトーーーザヘト兄弟にとっては、グランドール・マクガフィンは、大恩がある存在の縁者だから、少しでも不備があったなら許せないって少々独善的な判断をしている所もあるから》
《判りました、今回はお任せします。
どうぞ、穏便に言いくるめてください》
通信機越しの上司が声で以て、人ではなく"存在"という言葉を伝わってきた事で、ロブロウで関わったという事象の詳細の報告受けている部下は引いた。
《言いくるめるというのも、何だけれどもねぇ》
引いてくれた事に感謝しつつも、今後は"銃の兄弟"に関しては、弟の後見人を引き受けた事も込で、部下に任せようと考えを賢者は纏める。
(ロドリーなら、シュト君もアト君とも巧く付き合っていってくれるだろう。
それに私は―――ワシは、今の所、新人兵士と巫女の女の子を扶養するので手一杯だ)
ここ暫くで、"人"に戻らされてしまう事が多く、ウサギの賢者の役割が揺らいで仕舞いそうな心に、釘を刺して打ち付けるような気持ちでそんな事を思い浮かべていた。
急遽通信機越しに声でもって、険と皮肉を含んだシュトの発言について、どうするべきかといったやり取りが行われたが、要した時間は賢者が頼まれた米研ぎが終了した物を竃の位置に運ぶ程度だった。
恐らく、通話相手側―――ロドリーの私室にいるザヘト兄弟にも、不自然さは感じさせない程度の間を開けて、鳶色の人は部下の言う"言いくるめ"の為に口を開く。
「―――まあ、副官みたいなものだけれども、私が厭々ながらに国王ダガー・サンフラワーに押し付けられている鳶目兎耳の国の部隊の副官と、グランドールが個人的に始めた農場の補助をしてくれる人達を同等に扱うのはどうだろうかな。
それにキングスが気が付けたのは、グランドールの私室に"久しぶりに入った"という事もあるだろうから。
シュト君は物心ついた時から、旅の事が多いだろうから気が付かないかもしれないが、"家"や"部屋"には、その主や生活に合わせて出来上がっている匂いが染みついている。
加えて、知っていると思うけれども、奴さん、1日に1箱は必ず吸い尽くす愛煙者でコーヒー大好きだから、大方自室にはそれなりに匂いが沁みついている。
副官……ではなくて、補助をしているお兄さん達は、仕事の都合上、部屋の主のグランドール以上に出入りをしている事もあるだろうね」
『……そういうもんですか?』
ただ、まだ言いくるめるのには言葉が足りないのか、ネェツアークの長々とした諄いけれども、尤もらしい言葉にも疑いの念を感じさせる声を、通信機越しに出してくる。
(うーん、やはりそう簡単には、言いくるめられてはくれないかぁ。
ロブロウで私に魔法鏡越しにでも喧嘩売って来る程、怖い物知らずでそれなりに度胸もあるからなあ)
"―――俺だって三十路過ぎて、禁術使ってウサギのぬいぐるみに化けて、美少女に抱っこされて、コソコソ暗躍している賢者に、説教垂れられる謂われねぇーんだわ"
かつて西の果ての領地で、まだ人という存在について詳しくは知らない時期に、大層威嚇されたのを思い出し、誰も見てない事もあって苦笑いを浮かべた。
それからふと気が付いたなら、無意識にまだ袖口を上げたままの状態の手を懐に突っ込んで、愛煙家の旧友に倣う様に、煙草を捜す。
つい数時間前、"吸わなくてもいいんだろうけれど、考えが幾分か纏め易くはなったという実績といいわけもある"と口にした相手に対しての、言いくるめを考えている現状に、再び苦笑いを浮かべていた。
(流石に台所では喫えないよね)
「さて、米研ぎも終わったからちょっと息抜きに中庭に出るね。
外にいた方が、アルス君とリリィが戻ってきた時に判り易いから、ギリギリまで話しやすいからね」
煙草を吸う為の口実に中庭に出るという旨を伝えたなら、シュトの少しばかり複雑そうな感情を含んだ声を出していた。
『別に、ギリギリまで話しをしなくても大丈夫いいんすけれども……。
そのキナ臭い部分の話しが聞かせてもらえて、グラドール様に心配がないって判ったなら俺はそれで』
『アトはネツさんと沢山をおはなししたいです!』
「アッハッハッハ、アト君は嬉しい事をいってくれるねえ」
《でも、ロドリー、アト君にはネツさんの部分に関しては、|3人のお子様《アルス君・リリィ・ルイ》達の耳に入らない様に言い聞かせをよろしくね〜》
《言われなくても、判っております》
言葉と声で伝えた後、台所の作業台の上に置いておいた通信機を手に取り、中庭に続く扉を開き進んで行く。
やがて新人兵士が、平日には時には毎朝自主練を行う広場の近くに生えている、大きな木の傍に向かっていた。
晴れた日には丁度良い具合に木陰になる場所に、趣味の休日大工で自身の休憩用に造った、シンプルな丸椅子に腰かけた。
人の姿に戻った賢者には、丁度良い大きさに有難く思いながら先程見つけた煙草を取り出して咥えて、"キナ臭い話"を続ける。
「えーと、ああ、そうだ、部屋の匂いの話しでシュト君は、キングスが気が付いて補助のお兄さん達がどうして直ぐに判らなかったのかが、不満だったんだよね。
さっきの説明で納得は出来たかな?」
『別に不満だったわけでもないですけれども……』
通信機を膝の上に置いて、煙草に火の精霊を呼び出して灯してから、わざと煽る様にも感じる物言いをしたなら、少しばかり皮肉屋の少年は怯むような声で反応する。
出逢って間もない頃は、魔法鏡越しにでも銃口を向けようとしてしてもいたが、"その後"にこの国の賢者でもある人が行った事の大方を、目の当たりにしてからは"下手に喧嘩を売らない方が良い相手"とは、認識してくれた様子ではあった。
「別に補助のお兄さん達を庇うわけではなくて、事実を言うけれども、キングスが"匂い"に気がつけたのも、お兄さん達自身が"キナ臭い"と思っていた調査表を、それこそ山の様にある物から予め意見を聞きたくて抜粋していたからなんだよ。
私は現物が側にあるから言える事なんだけれど、調査表自体の紙一枚からは、本当に微量だ。
多分、芸事やそういった洒落事に精通しているキングスだから、気が付いたという事もある。
そう考えたなら、お兄さんたち自身は匂いなんて気が付かないで、筆跡も違う調査表、まあ、相当な文句量という共通点はあったけれども、自分達の観察と洞察だけで見抜いたんだから、そこは十分評価に値すると思うよ。
それに、元々キングスは仕立屋として、セリサンセウム王国の英雄グランドール・マクガフィンの英雄の服の調整の為に、それを回収しに農場に行ったんだ。
その偶然を活かして、一番自分達が感じるけれども、確証が持てない不安を見抜ける存在にその話題を世間話にして振ったという事は、ある意味では鋭いと思うけれどもね」
『……確かに、俺がそういう状況になったなら、そこまでは出来ないかもしれないっすね』
シュトの声からは、全てというわけではないけれども、先程に比べたならグランドールの補助をする兄さん達の苦労や力量を、朗々と諄く語る賢者の話しで察し、納得をしている様子を感じさせる。
取りあえず皮肉屋の少年が、国の英雄でもあるが一般的には大農家として親しまれている恩人グランドール・マクガフィンの現在の環境に、不満を持たなくなった。
これ以上シュトが必要以上に、穿ち過ぎな見解はしないだろうと感じられた賢者は、話しの"向き"がずれた箇所を煙草の煙を揺らしながら思い返し口にする。
「それじゃあ、さっきのシュト君が疑問を口にする前にやっていた"キナ臭い"話の続きをしようか。
えーと、どこらへんだったかな」
『シュトが言葉を挟む前なら、
"キングスの予想にしたなら、ここ数年に行われているマクガフィン農場のカレーパーティーに置かれている調査表を、わざわざ持ち帰って、恐らく同じ場所で集まって、手を替え品を替え……ああ、"人を変え"て文句書いているという事だ"
と、隊長が仰った所です。
そこから、シュトが件の文句を"同じ場所で集まって書いてるなんて予想が出来るんですか?"
という話になりました。
それからキナ臭い内容が認められている調査表には、インクの色は他の物と同じ。
だが、筆跡や内容まで違うという配慮までされたのに、使用されているのは柑橘系の芳香があるインクという事でした。
これから話しを進めるとしたなら、インクの芳香はさておき、どうして同じ場所で書いている考えをスタイナーが予想し、隊長もそれに賛同した理由への説明でしょう。
私はそれなりに、隊長や同僚が考え思いついた理屈は想像できますが、シュトにはやはり説明をしておいた方が、宜しいでしょう』
案の定、副官が確りと覚えてくれた事と口に出して説明をしてくれた事に感謝していたなら、これから自分がしなければならない所まで、話しの取っ掛かりまでを支度してくれている。
『いやあ、ロドリーありがとう。
それじゃあ、折角ここまでお膳立てして貰ったんだから、説明させてもらおうかな、うん』
ただ、”そこまでしてくれるのだったなら説明までしてくれたなら良いんだよ”と思いつつも声に出さずに、礼を述べてから説明を始める。
「まず同じ場所で書かれていると予想しているのは、インクの匂いが同じこともあるけれど、この文章の量だね。
シュト君はさ、いきなり感情表現豊かに文章を書いてくれって言われたなら書ける方?」
部下の親友であるに少年に、どう話したなら内容を理解した上で説明を聞いてくれるかを考えながら煙草を吸っていたなら、早々に一本目を終えた。
減煙中でもあるので、普段ならそこで止めるのだけれども、吸い殻地に落としていたって普通にもう一本を取り出して口に咥えた同時に、長い指を弾いた。
すると賢者が咥えている煙草の尖端と、先程吸い終え、吸殻となり足元落ちていしている煙草の2か所同時に、小さな茜色の蜥蜴の姿となって姿を現す。
咥えている方には、比較的穏やかに火を点したが、庭地に落ちている吸殻の方は、瞬く間に、先程の火気厳禁の書斎でメモを塵にしたような勢いで燃え上がる。
そのあからさまな魔法の二面性を目の当たりにしたなら、火の精霊を呼び出したのが同一人物という事には、精霊術の心得がある者は、余程鳶色の人物と親しくない限り恐らく戸惑いを抱えてしまう。
少なくともこの屋敷に住んでいる女の子は必要以上の力を以て、余計な物を排除しようとする自分の姿にはきっと戸惑いを抱いてしまうだろうと思えた。
ただ、今は誰もその姿を見られる事もないとある意味では安心して、本来の自分の力を自大胆にも繊細にも使ってもいた。
そして、余計な火の粉が万が一にも大切な姪っ子にかからない様に、予防線を張る為の作業に繋がるだろう話しを続ける。
『一応、アトに説明するのに、眼から入る情報、文章の方が理解しやすいってのはあるから、ただ書けっていうなら、それなりには慣れているつもりはありますよ。
ただ、感情豊かに長文みたいなの、スラスラ書けって言われて、無理すかねえ。
いつも、判り易く端的にが主ですから。
まあ、俺の性格によるところもあるんでしょうけれども』
「今回も良い例題になりそうな回答をありがとう。
日頃、日常的に書物を家族の為にするシュト君でも、文句を含んで長文の文章を考えて書けと言われたなら、まず最初は"無理"という。
でも、それを1日のお祭りみたいな喧騒の中で、調査表にびっしり書き込む。
色々、現場でするには無理そうな所があるよね〜」
それから仕立屋が聞き及んだという、マクガフィン農場のグランドーの”両腕”と例えられる双子の秘書的業務を行うお兄さん達の話を、
「取りあえず言葉を挟まず、最後まで聞いて欲しい、よろしくね」
と前置きをした後に、通信機越しでシュトが”理解しやすい”といった箇条の形で伝え始める。
「調査表自体は、農場のカレーパーティーが後半になった辺りに、受付の場所や、食事処と人が集まり易くなる場所におかれる。
本来は簡単な感想とか改善点、気安く意見を述べやすい様にという配慮もあって、直ぐに書けるように筆記具と共に台を設置しておいた。
調査表を持ち帰ること自体は十分可能。
但し持ち帰る事は出来ても、提出、意見を出せるのは、カレーパーティー当日だけ設置されている箱にのみ。
ここ数年は調査表用紙の形式は変わっておらず、全く同じ物を使っている。
マクガフィン農場のカレーパーティー中は、迷子等の保護も兼ねて役員になっている農夫が巡回している。
それは主にセリサンセウム王国軍隊経験者をもって編成していた為、十分に機能としては果たしていた。
農夫が警邏の様に巡回している状況下で"誰かが調査表を書ける場所を独占して意見を書いている、若しくは窺が わせる、そう言った状況を見かけたという報告は、受けてはいない」
ネェツアークが、まさに紙に認めている物を箇条に読み上げる様に口にした時には、吸ってもいない煙草は半分程になっており、少しだけ勿体と思いつつ、一口含んで煙を吐き出し更に続ける。
「そういった事を鑑み、総合して考えてキングスが至った考察は、以下の物となる。
①まずは調査表は、マクガフィン農場のカレーパーティーの時に持ち帰えられていた。
②同時に取り組んだかどうかは定かではないが、恐らくは”同じ状況”となる場所で、道具は準備されている物を使って調査表に長々と文句を書いた。
③恐らくは、文章は予め考えられていて、それを件の柑橘系の香りのついたインクで持ち帰った調査表に、それぞれ違う人に認めさせた。
④それを調査表の用紙を持ち帰った、次回以降のマクガフィン農場のカレーパーティーの意見箱に投函した」
『隊長、同じ芳香がするインクを使ったという事は解るのですが、"同じ場所"で書いたという考えは、何処から出てきたのでしょうか?。
マクガフィン農場のカレーパーティーで、書いていないのはほぼ確実だとしても、インクは小瓶にでもいれて持ち運ぶ事は出来ると思うのですが?。
それこそ、文字が書ける者に幾らから金を掴ませて、茶店でないにしてもどこかの部屋に招き、調査表の用紙を差し出し、この内容を書き写して欲しいと頼めばいい。
セリサンセウム王国においてはマクガフィン農場に好印象を抱いている民が殆どでしょうが、悪意は持たずとも"どうでも良い"と思っている者も、昨今の若人には無きにしもあらずです。
"それくらいのイタズラ"と浅く考えて、参加してもおかしくはないと思いますが』
同僚の意見という事を重々承知している、ロドリーから素朴な見解と意見が通信機越し返される。
聞かされた方も、"自分"に向けられた意見ではないという事を念頭に、あくまでも部下が返すだろうと思われる意見を、残していた伝言を元に口にする。
「それについてはね、キングスがこちらに参考にと寄越してくれた調査表の現物がないから、言葉だけの説明になるのだけれども……。
調査表の裏側に何らかの痕跡として、ほぼ共通する跡が見られたんだよ。
因みに、言っておくと"共通する"のは指紋ではない。
指紋は勿論あるのだろうけれども、マクガフィン農場で係りになった人達を筆頭に、まさかカレーパーティーへ長文の文句が書いて寄せられるとは思いもしないからね。
最初の方の文句が認められている調査表については、やはり珍しいこともあって、回し読みをされている為か、多数の指紋が付き過ぎて判別できなくはないけれど、"意味がないだろう"と、キングスは判断した。
それで、農場の方のカレーパーティーを取りしまる従業員のも、回数が重ねる度に調査表については、特に触れずにグランドールに報告する双子のお兄さんにだけに報せて、そのまま回す様にしたらしい。
それで一番最新で、グランドールに一応見せる為に選別していた物から1つ、簡易の道具を使って指紋を採取して、出てきたのは双子のものと、頼まれたキングスの物だけだった」
『あ、あの、すみません、"指紋"なんてそんな簡単に取れるものなんですか?。
というか、そのキングス様は表向きには仕立屋なのに、そういった事が大ぴらっていう言葉も変ですけれど、出来るというか、しても良いものなんですか?』
ロドリーもネェツアークも結構な長いやり取りを終えた後、そろそろ言葉を挟んでも良いだろうと、空気を読めるだけ読んで黙っていたシュトが、聞いていた中でも疑問に思えて仕方がない箇所を言葉にして挟んでいた。
挟まれたシュトの疑問に、意見を交わしていた"代理"でネェツアークとロドリーは、この少年が不思議に思うのは最もだ"という感情が込められた”ああ”という感嘆の声が見事に重なる。
ほんの僅か間が出来たその時間に、互いに離れた場所にいるのだが、ネェツアークとロドリーが目配せする様に、緑色に透けた風の精霊石をはめ込んだ通信機に視線を向けた後、鳶色の人の方から説明が始まった。
「指紋採取については、仕立屋のキングス・スタイナーはそういった知識があるか無しで言うなら、ある。
勿論、鳶目兎耳でもある事で、探索系や情報を収集する方法や手段の玄人でもあるけれど、 セリサンセウム王国最高峰の仕立屋としても博識であるというのは周知の事なんだ。
だから、そういう"自分達以上に博識であると考えた"のもあって、グランドールの所の補助のお兄さん達は、調査表の文句について、世間話も兼ねてキングスに相談をしたんだと思うんだよ。
あと、今回の指紋の採取方法も、国王ダガー・サンフラワー直轄部隊の"鳶目兎耳"としてではなくて、あくまでも"世界中を仕入れの旅をしている為に物知りの仕立屋さん"とい立場で、行っているからね。
シュト君が心配する様な事は一切ないよ」
『えっと、その、じゃあ、今回のキングス……"様"の指紋の取り方が、グランドール様の補助のお兄さん達にも全く怪しまれるっていうか、そんな事が全くなかったという事ですか?』
『その通りだ、シュト・ザヘト』
自分の説明にシュトが少々考え込みながらも反応する言葉に、部下が補強をする様に、言葉を口にしていた。
「ちなみに、軍学校の初等教育でごく簡単ではあるけれど、そういった"捜査"の科目もあるよ」
そんな事を告げつつ気が付いたなら、殆ど灰になっていた煙草を先程と同じ様に足元に落とし、火の精霊を呼び出して処分をするけれども、新しい煙草は手に取らなかった。
「グランドールの所の補助のお兄さん達も軍隊経験者だから、指紋採取の方法は知ってはいただろう。
けれども、まさかその事をマクガフィン農場の調査表に使う事になるとは考えなかったし、キングスみたいな応用力もなかっただろうしね。
まあ、その指紋採取も意味がなかった……いや、意味があったんだよね、うん」
そこで煙草を止めていた手が口元に回り、長い指が直ぐ傍にある唇から次々と言葉を紡ぎだす。
「―――でもって関係者の意外の指紋が"残っていない事”が、ロドリーの
"柑橘類の芳香がするインクは使用されたけれども、同じ場所で文句を書いた事にはならない"
という考えを、打ち消すキングスの
"柑橘類の芳香がするインクは、調査表に文句認める際には同じ場所で使用されていた"
裏付けになっているのであって……」
『……隊長、そのまま喋りつづけても、配下の私は慣れていますが、シュトには結構な説明不足で、置いてけぼりとなっています。
加えて"仕立屋の応用力"という言葉は使われても、名前でしか"キングス・スタイナー"の情報がないシュトには、どういう方法で指紋採取行ったかに結び付けるには、勉強は苦手ながらも、頭は回ると事前情報で報せて貰った皮肉屋の少年には、まだ困難過ぎると思いますが。
それと、指紋が残っていない事で"柑橘類の芳香がするインクは、調査表に文句認める際には同じ場所で使用されていた"というスタイナーの考察については私なりに納得をしました。
そして、シュト・ザヘト、改めて確認するがこれまでの話しの流れについて来れているか?』
"賢者にしても鳶目兎耳の隊長にしても、考えを纏めるのに頭に浮かんだそのままを口に出す"という上司の行動になれている部下が、自室に滅多に訪れない来客用のソファで頭を抱えている少年を、蛇の様な眼で見ながら確認する。
頭を抱えている少年の弟がその横で、小首を傾げながら
『ロドさん、シュト兄は頭が痛いですか?』
と、尋ねる声が、通信機に新たに加わる形になっていた。
『いや、シュトの頭は痛くはない。
しかしながら、色んな話をネツさんが沢山一杯で頭の中で片付けが大変なのだ。
それで頭の中が大変で、考えて整理整頓に忙しいから、今は頭を抱えている。
大変ではあるけれども、痛くはないから心配しなくてもいい』
間を置かず、心配をする弟の不安を拭い去る様に、ロドリーの言葉が響いた。
それなりの付き合いで、似たような状況に幾度となく(主に鳶色の人に)貶められ、自力や補助もあって這い上がってきた、青年貴族で軍人は少しばかり懐かしむような気持ちで、懸命に考え込んでいる少年を眺めてもいる。
「え〜、アト君への説明で"ネツさん"の名前を出さないでよ。
私がシュト君を悩ませている問題発言の発端みたいじゃない」
『みたいではなく、事実です』
ただ後に続いた賢者の訴えは、即答で退けた。
アトの方は、ロドリーから兄が考え込んでいるというのを知らされて、何かしら思い出した事でもあったのか、それまで通信機越しにでも聞こえていた上機嫌な独り言は一切止まった。
『どうした、アト。急に口を押えて黙り込んで』
通信機越しでは流石に姿が見えないので様子が解らないだろうと、ロドリーが状況を告げたなら、未だに頭を抱えて考え込んでいる兄の横で、先に言った通り口を抑えている少年は、尋ねた人を見上げる。
それから好奇心旺盛な子犬の様に眼をきょろきょろとさせて、兄と後見人を見比べた後に、ロドリーの方を見上げて抑えていた手を外して口を開く。
『シュト兄、頭の中で、考えてお片付け大変です。
アト、知っています。
"人が考えている時は、静かにしていなければいけません"
静かにします、でも息はしてもいいです』
それだけ言ったなら再び口を抑えてしまった。
『どうやら、シュトがこの状態から抜けるまで喋らないつもりみたいです』
「おや、お兄ちゃん想いで健気だねえ。
というわけで、アト君が鼻呼吸ばかっりでは苦しいだろうから、シュト君、最終的な"キナ臭い”話しについての情報共有といこうじゃないか。
どっちにしろ、仕立屋の指紋採取方法に関しては、キングス・スタイナーの人となりを知らないと、思いつけるものでもないからね。
"下手の考え休むに似たり"だ。
それに、君の頭の回転の良さを否定する物でもないから、安心しなさい。
アルス君だって、多分そうするよ」
『何でそこにアルスの名前を挟んでくるのかわからないんですけれど……。
でも、ネェツアークさんの言う通り"下手の考え休むに似たり"だと思うんで、そうします。
種明かしお願いします……と、もう考えるの辞めたから、アト、口を抑えなくても良いぞ』
親友の名前を出された事に少しばかり複雑な気持ちになっていたけれども、賢者が弟の事を気遣ってくれた発言をしてくれた事を、その家族として"有難い"と考え、提案も素直に受け入れる。
それに、なんやかんやで時間も過ぎているので、アルスとリリィとルイの3人が魔法屋敷に戻って、このまま"キナ臭い話"が中途半端に終わるのが、シュト個人としてストレスとなると考えた。
賢者に対して、ウサギや人だの配慮をせずに話せるのも、この機会を逃したなら当分ないようにも思える。
『ただ、アトが口から手を離したアトでも、ネェツアークさんが大切なお話をします。
だから、アトはネツさんのお話が終わるまで"しぃー"です』
『はい、ネツさんのお話します。
そのお話が終わるまで、アトは"しぃー"をします、お喋りをしません』
通信機越しに聞こえてくるのは言葉だけなのだが、そのやり取りが容易に想像出来てしまう部下の造った丸椅子の上に腰掛ける賢者は、いつの間にか微笑んでいた。
20年近く前、丁度似たような場面を今と同じ様に外野として幾度となく眺めていた。
交流がとても困難な人に、その方法を学び、丁寧に手ほどきをしていた紅い髪の女性達を、通信機の向こう側にいる部下は自分より間近にそれを見て、影響を受けて学んでいた。
もし、その影響が続いていたなら、彼が貴族であっても恐らく軍人の道は選ばず、そちらの方面で学者として間違いなく頭角を現し、どちらかと言えば"先生"と呼ばれる立場になっていたのがいまでも、容易に想像出来る。
(……そう言えばシュト君やアト君の"師匠"も、彼女から影響をうけて、こういった事を学んだだったか)
自分には不思議と縁がなく、旧友や後輩とは、 強い繋がりを持っていた存在も、妻の影響を受けて、学び、正にそれを必要としている兄弟に手を差し伸べた。
『ネェツアークさん、話始めてください。アトも黙っていられない事はないんすけれど、長くするとやっぱりストレスなんで』
シュトの少しばかり急かす様な言葉は、無意識に過去へと振り返りそうになっていた衝動を止め、賢者は意識を現へ留める。
「ああ、そうだね、そうしよう」
そう応えているネェツアークさの顔には、誰も見ていない事もあって、あからさまに安堵の表情を浮かべていた。
それでも"妻"の関する事を思い出したなら、高確率で伴う吐き気が喉元まで気が付いたなら、容赦なくせり上がってくる。
軽く返事の言葉を口にする事で、口内には苦みを伴う胃液が広がっていくのを、言葉を連ねる事で唾液で誤魔化し堪えて、平常を続ける為に話を続ける。
「シュト君はキングスについては、全く情報がないわけでもないんだよね?。
今日は短い時間だけれども、喫茶店でアルス君やリリィに会う事で少しは話しを聞いているんじゃないかな。
どんな風にキングスについて話を聞いているか教えて貰っていいかな」
決して忘れるわけではないけれども、思い返す事で"今"一番守りたい、妻にとっても姪にあたる存在に向け る力が、どうしても削がれてしまう己自身を忌々しく思いながら、親友の話しを続ける。
どういう理屈か判らないけれども、大切な姪の事と、妻と共に掬い上げた、異国の地で出逢った親友の事を思い出したなら、せり上がってくる吐き気は抑えられる。
でも、決して妻となってくれた人を忘れるつもりはないとしながらも、その姿を胸の奥へと大切に仕舞い込む。
『あ、えーと、そうですね、リリィ嬢ちゃんとは挨拶程度しか出来なかったんですけれど、アルスとは短いけれど話はしましたね。
ちょっと釣り眼の、凄く綺麗だけれど、凄く恥ずかしがり屋さんで、なんか普段はアプリコット様みたいに東の国の仮面をつけているとか。
でもアプリコット様みたいに傷を隠すとかの為の物ではなくて、金属でもなくて木で掘って作っている、東の国の文化の物で、見た目も結構個性的な面だって教えてもらいました。
あ、でもそう言えば……』
もし同じ場所にいたとしたのなら、シュト・ザヘトなら賢者の様子に、何かしらあったのを十分察する事が出来ただろうけれども、通信機越しの声だけでは流石にわからず、質問に答え続ける。
それは体調に不調が出てしまったとしても、せめて声位は平気な振りをするので"気取らないで欲しい"という個人の意地を、無駄に刺激しないでくれた。
もしかしたなら、副官には何かしら気が付かれてしまっているかもしれないけれども、彼は姉の様に慕っていた、妻の名前をザヘト兄弟の前では、"まだ"出さないと思える。
けれど、"アト・ザヘト“という少年との関わりで、いずれ何らかの形できっと話す事にはなるだろうとも予想は今でも十分出来ていた。
(ロドリーが”どこまで”を話すかはわからないけれども、伝えられている事を知ったなら、シュトというお兄さんは、私の事をどう思うかねえ)
旧友からは、"軽く話しておいたぞ”とロブロウで事後報告されていたけれども、夫婦として迎えた結末までをきっと話していない。
(あ、いけない)
口元を掌で抑え込み、吐き気がまた昇ってきそうになって、急いで親友の言葉と声を思い出す。
―――どんな風に周りが貴方の事を思っていても、私は味方です。
―――それはきっと、例え口でどんなに罵ってきても、側に残ってくれている他の方達も同じ気持ちだと思います。
『アルスから、東の国の綺麗な人とは聞いても、キングスさんの性別を聞いてはいないです。
それに、シノさんとも昨日から話を聞いているけれども、"恩人"というか凄く尊敬をしているみたいなのは凄く判ったけれども、やっぱりどちらかってのは聞いていない。
普通なら綺麗って聞いたなら、女性って考えるんでしょうけれど、男性でも美人って表現が当てはまる人がいるの最近知ったから……って、ロドリー様、顔が凄い怖い事になってますよ?!。
てか、別に俺何も悪い事は口に出してはいませんよね?!』
『シュト兄、ロドさんがすっごく怒っています?!。悪い事しましたか?!』
『してねえ!』
親友の名前が口に出された事もあったけれども、後輩と部下の因縁をまだ巧く掴めていない皮肉屋の少年が、やってしまった出来事と、思わず声を出してしまった無邪気な弟の反応に、不思議と吐き気のせり上がりは止まっていた。
「そうか、わかったよ。まあ、ロドリーはほっといて良いから続けようか」
相変わらずな、過剰で複雑な感情を抱いている幼馴染への見慣れた部下の反応に呆れ、"放っておけ”と素気ない言葉をネェツアークは口にしながらも、ある意味では変わらない風景に心の底からホッとしている。
『本当にほっといていいんですか?!』
ただ、拗らせて怒れるロドリー・マインドを見慣れていない皮肉屋の少年は、その様子に恐縮をしながら確認を行うと、賢者は軽く返事をする。
「いいよ。そうだ、アト君がロドさんに"良い子良い子”してあげたら直ぐに機嫌は直るかもね」
"いつもの調子"を取り戻した感謝のつもりとついでに、新しく加わった縁者を使っての揶揄いの言葉を口にする。
『はい!良い子良い子します。ロドさんの怒っているのなくなります!』
『良い子良い子はしなくて、よろしい!。機嫌も特に怒っているわけではない!。
それよりも、話しがまたずれていますから、早々に戻して頂きたい!』
「はいはい」
『返事は1度で!』
その後も通信機の向こう側で、マインド邸では随分と珍しいだろう次期当主の荒ぶる声と、無邪気な少年の攻防が響いるのを耳にし、賢者は笑いながら、答え、考えていた。
(後輩《 アルセン》にも、弟みたいに思えるアルス君がいるんだ、ロドリーに弟みたいなアト君がいても良いだろう。
それにロドリーの性格からしたなら、アト君くらい"無邪気すぎる"くらいで甘えて世話をやける方が、互いに遠慮なく関わりを持ちやすい。
本当のお兄さんのシュト君の方は、恐らくこの後、随分と忙しくなるし、"自分の将来"と向き合う時期必要だろう)
自分の妻の事とザヘト兄弟の師匠の関係を軽く伝えたと、ロブロウで旧友から事後報告をされた後に、更に新たな事後報告を賢者は受けていた。
"シュトの意志を一番尊重するつもりではあるがのぅ、アイツを王族護衛騎士隊にいれようと考えておる。
無論、弟の事を心配せんで良い様に配慮を行ったうえで、シュトがその気になったならだがのぅ"
自分程ではないにしても、旧友もそれなりに企てを使うこともあるし、その際には必ずといって良い程褐色大男の"一番の親友"だと公言している後輩も絡んでくる。
もし仮にその"企て"を止めるという役割を国王にでも割り振られ、誰かしらの助力を出すといわれたしても、出来る事なら、謹んで辞退をする。
それでもしなければならないとなった時には、困難を極め、苦労を乗り超え"骨を折る"位の労力を伴なって、運がよければ阻める事が漸く出来るだろうと思える。
それなら旧友の企てする際には、阻み邪魔をする様な事は一切考えずに、寧ろ恩を売り付けておく位の事をして置いた方が、得策だと思える。
そして旧友は、シュト・ザヘトに王族護衛騎士隊に迎えるという企てについては、取り得ずマクガフィン農場のカレーパーティーが終了した後に、着手を始めるだろうと賢者は予想をしていた。
恐らくは、王族護衛騎士隊に入る為のきっかけの為に一度は彼を軍学校に入隊させる事になる。
シュト・ザヘトが入校するとなったのなら、彼は家族として兄として一番の心配事は弟の生活で、出来る事なら自分の不在の間は安心して任せられる相手に委ねたい。
その委ねる相手を、賢者側の人脈を使っておけば、間接的には旧友に恩を売る事 が出来る。
ただ、これまでの付き合いの流れからしたのなら、個人的には、グランドール・マクガフィンに"恩を売る"というよりも、"恩を返す"という心境に近かった。
(うむ、我ながら実に面倒くさくて臭くて諄い思考回路だな)
部下を散々揶揄った挙句、ロドリーとアトの相性を見極めて、鳶目兎耳の隊長は、親友であり部下でもあるキングス・スタイナーの詳細を告げる事にする。
「さて、ロドリーから怒られちゃったし、話しを進めよう。
これまでの話を纏めたなら、アルス君はキングスの人となりを話し、シノさんは鳶目兎耳ではあるけれども、大恩人で尊敬していると話したという事だね。
確かに、東の国からやって来た少し釣り眼の非常に恥ずかしがり屋の美人で、セリサンセウム王国最高峰の仕立屋って情報があれば、それでキングス・スタイナーを説明するのには十分な情報。
それで、だ、シュト君。
今回の調査表においてキングスが簡易式ながらも、指紋を採取出来たのは、"白粉"を持っていたからだよ」
少しばかり、謎かけの様な物言いで賢者はキングス・スタイナーについて口にする。
謎かけの様に言われたけれども、キングス・スタイナーとの直接的な面識のないシュトからしたなら、言葉を額面通りに受け取り考えるしかない。
なので、先ずは指紋採取を可能にした、仕立屋が手にしていたという道具について考える。
『オシロイ?ああ、あれですよね、何か肌に塗るやつはファンデーションとかいう、肌を整えて綺麗に見せる為の粉とかクリームみたいな化粧道具の仲間でしたよね』
そして、シュトの知っている限りの知識を口にする。
傭兵や用心棒稼業の3代目であり、つい最近まで寝床の定まらない日々で、本来なら恋人でも出来ない限り、全くそういった方の情報には縁も興味もなかった。
ただ奇遇というか、機会があったとしか例えようがないが、本日マインド邸に世話になる直前まで護衛をしていた、"アプリコット・ビネガー"という一応貴族の御婦人との縁で、シュトは纏った、そういった方面の知識を得ていた。
しかしながら、その知識を与える事になった御婦人が、化粧の”説明”というよりも”理屈”でシュトに話していた為、少しばかり捉え方としては一般的な物とは異なってしまっていた。
ただ、社交界や対人の職務に携わって いる"御婦人や淑女"には必要不可欠な道具というのは強く印象に残っている。
『でも、そんな化粧道具で指紋採取出来るんすか……て、いうよりも、今の話からしたなら、キングス様はオシロイを日常的に持ち歩いて使うっていう事は、女の人って事なんですか?』
「うんうん、素直に受け止めたなら、確かにそういう風に受け止めてしまうだろうねえ。
でもキングスが化粧をするのは、勿論身嗜みでもあるのだけれども、アルス君が言ったみたいに"恥ずかしがり屋"であるため、自分を隠す為でもあるんだよ。
ある意味では、"面"の延長でもあるんだ。
まあ、化粧なんてしなくても素顔も、東の国独特の肌理の細かい吸いつくような肌で、民族的魅力に溢れた美人さんなんだけれどもね。
っと、また話が脱線しかけた。
まあ、指紋採取に関してはさっきも話に合った通り、グランドールの農場の兄さん達とキングスの分しか出なかった。
それで、白粉を使った採取方法に関しては、アルス君にでも後日訊けば良い。
今、注目するべきは"指紋が出なかった"とシュト君がキングスの性別をどう捉えているかだ」
幾度目かの長々と語る賢者の言葉に、シュトは鼻から小さく息を吐き出す。
仕立屋の性別の方には相変わらず煙に巻かれるような語り口だけれども、"キナ臭い"と感じる事になった調査表に残っていたという指紋については、明解な"言い回し"を貰えた。
(何というか、ここまで話が伸びてしまったのも俺が"指紋の出し方というか、キングス様がどうしてとれたとか、その方法に拘って変に話を拗らせた原因にもなっているな)
そこに拘り過ぎたから、賢者が前以て考える為の材料としてとっくに出されていた言葉の見過ごしに、今更になって気が付く。
"指紋が出なかった"
"調査表の裏側に何らかの痕跡として、ほぼ共通する跡が見られた"
性別は未だに知らないが|恥ずかしがり屋の仕立屋が、鳶目兎耳として"キナ臭い"と、感じた意味がどことなく繋がる物が見えてきたような気がしたのだった。
とりあえず、自分が進みを滞らせてしまった話を進めるべく、皮肉屋の少年は自ずから口を開く。
『それじゃあ、キングス・スタイナー様の性別は、俺には相変わらずわからんです。
でも、3人分しか指紋が出 なかった意味で、キングス様が"キナ臭い"って感じたのは何となくわかりました。
それで関係者の以外の指紋が"残っていない事”ですけれど、調査表の裏側に何らかの、ほぼ共通する指紋以外ではない痕跡があったとも話してくれましたよね?』
「ああ、言ったね。
それが"柑橘類の芳香がするインクは使用されたけれども、同じ場所で長文で文句を書いた事にはならない"というロドリーの考えを、打ち消す事になったとも言った。
じゃあ、何となくのわかった部分をシュト君の言葉で、よろしく頼もうかな」
仕立屋の性別の答には触れずに応えるシュトの言葉に、鳶色の人は肯定も否定もしないが、"取りあえず自分が考えている事は、間違っているとされていない"という安心感を得る。
けれど、心は何処か綱渡りをしている様な気持ちで己の考えをシュトは口にする。
『えっと、指紋についてなんですけれど、残さなかったというよりも、"結果的に残らなかった"が当てはまるんじゃないかって思うんです。
その庶民の俺とかじゃ、考えも及ばないけれど"貴族"って、特に御婦人は日常的に手袋を嵌めているんですよね?』
そう応えながら、シュトの視線は背伸びをした弟から"良い子"をされようと手を伸ばされる腕を、恐らく体術と見られる手さばきで見事にさばいている、ロドリーの白い手袋を嵌めている手に向けられている。
親友の話しによれば、貴族で軍人というのは昨今の平穏な世情では珍しいらしく、彼が知っているだけでも、アルセン・パドリックと本日初めて出会ったロドリー・マインドだけらしい。
貴族が必要があって軍服を身に着ける際には、その雛型にもなっているデザインで、一般の軍人との一番の違いは、ロドリーが纏っている軍服の仕立てもあるけれども、もう一つ特徴的なのは、その手に嵌めている手袋である。
軍人が手袋を嵌めないという事は無いのだけれども、それは式典行事や催事に参加する際に限られ、平時は素手で、課業や訓練をする時には武骨な革手袋であると、アルスにロブロウで世間話の延長で教えて貰った。
丁度その時期に、数日後辞めると決まってはいたが、一応セリサンセウム王国の西の果ての領地を治める貴族の領主邸で、見習い執事として働いていたシュトは親友が話してくれるに"手袋"の話題に興味を持ってを聞いていた。
"アルセン 様から教えて貰ったんだけれど、貴族や富裕層の方は大体どんな時も普段から手袋を嵌めているそうだよ。
だから軍部の方も貴族である人が纏う軍服の仕立てやデザインも変えているんだけれども、更に同じ様に常に手袋をつける形になっているんだって。
ただ、アルセン様は産まれた時からど魔力の量が多くて、その調整の関係で手袋を普段から嵌めているから、そこまで面倒くさいという事もないみたい。
それで、普段の生活の中でも、貴族と平民を見分けるのに手袋を見れば良いって教えて頂いたんだ。
それでも、最近はお洒落の延長で、普通に手袋しててもおかしくはない服装の人も多い。
更に見極めたい時は屋内に入った時に、手袋を外すか外さないかどうかだって言うのを、話して貰った。
実際、手袋したままだと余程慣れていないと、食事の際とか、それこそお茶を飲む時とかは、思いの外滑りやすい。
多分、余程生活習慣で慣れ親しんでいない、大体失敗してしまうから、そういった際には普段しない人は外してしまう事が多いんだって。
「貴族やるのにも、気合がいるんですよ」って、最後に冗談言われた時には笑ってしまったけれど"
シュトも"貴族をやるのに気合がいる"という言葉を聞いた時には、思わず笑ってしまっていた。
けれども、思い返してみたなら見習い執事として働いていて、現在の貴族の似たような場を少なからず眼にしていた事を思い出せる。
ただし、雇い主の貴族の方は、貴族としての振る舞いをしなければいけない時には"面倒くさい"と口にしていて、卒なく熟し、そこまで気合に関しては入れていなかったようにも見えた。
ただそれでも、彼女も手元を隠す様な服装をしつつ、周囲に"貴族アプリコット・ビネガー"として周囲から見られる可能性がある状況下においては、普段から薄手の手袋をしているのを見かけていた。
王都の喫茶店でも、上着は脱いでも薄手の手袋を外す仕種をは確認できていない。
「ああ、そうだね。軍属や王族護衛騎士でも所属してないなら、飲食関係を除いた人と応対する主とする職業の場合、昨今は寧ろ手袋をしている方が主流かな。
まあ、私的な時間までは、調査をしていないから情報を掌握をしてはいないけれどもね。
流行の文化的に調査の価値はあるだろうから、今度賢者として国王陛下に調査 の進言でもしようかな」
『ああ、良いんじゃないっすか』
空返事をしながらもまるで、今までのシュトの考えを眺めて、そしてその感想を応えたような通信機越しのネェツアークの言葉に、呆れ苦笑いを浮かべる。
けれども、相手は年齢からしても実際倍近く取っている事もあるだろうが、それ以上に人生の経験も豊富という事もある。
それこそ、シュトも一般的な同世代よりも豊富な人生経験をしているとは思うけれども、通信機の向こう側にいる鳶色の人は恐らくそれ以上の経験をしている。
"シュトが考えている事を、考える"というのも、"情報"さえあるならば、きっと”あの人"とう存在は、容易に出来てしまえるという事は何となくわかっていた。
(それを"全部わかった上で俺に考えさせている"のなら、やっぱりいい性格しているよなあ)
そんな感想を抱きながら、つい先程考えた雇い主の貴族としての振る舞いと、仕立屋が上司にキナ臭いと感じて届けたという事案を重ね、考えてシュトは口を開いた。
『俺が最初に考えた、マクガフィン農場の調査表に文句をいれた"犯人像"って言い方が妥当なんですかね。
それで以て、その犯人像というのはもしかしたらロドリー様が最初に考えたものに近いんだと思います。
えっと、俺もそうですけれど、この国では、グランドール様が代表になっているマクガフィン農場に好印象を抱いている人が殆どだと思います。
でも中には凄く明確な悪意は持たないにしても、"どうでも良い"と思っている人も、やっぱりロドリー様が言ったようにいるとは思うんです』
そう言って弟の対処をしてくれている、蛇の様な眼をした人に視線を向けると、無言で頷き、その眼を伏せ、シュトはそれを肯定として受け取り更に続ける。
『とりあえず平穏な王都で普通に暮らしてて、日常がつまらなくて、暇じゃないけれど何か感情とか気持ち持て余した馬鹿な一般の人が、すんげえ捻くれた悪戯心を起こした。
ある意味では、平和だからこそやっている事もある、セリサンセウム王国の国中の人々が楽しみにしているっていう、半年に一度のマクガフィン農場のカレーパーティーです。
最初の頃はもしかしたら、そ こに置かれていっていう調査表に簡単な文句を書いているぐらいだったかもしれない。
で、話しを聞く限りには、農場の人達の方も度量があるっていうか、ある程度の難癖は寧ろ改善点として対処してしまっていたかもしれない。
そこの対応を、どう受け取ったか分からないけれど、相手側の何て言うんすかね、対抗心に火をつけてしまった。
わざわざ持ち帰って、ばれない様に筆跡変えて、指紋も残さずに文句書く様になってしまう。
しかも短文の簡単な煽り文句だったら、相手も、"難癖かな?"と思わない様に、微妙に引っかかりそうな、内容と長文で。
文面が運営する側を困惑させ、結果的にカレーパーティーの準備を、行おうとする側に余計な手間を増やす。
こうなってしまうと、悪質で、面倒くさいけれど、文句送った側も目的を何だか見失っているっていうか……。
取りあえずマクガフィン農場でカレーパーティーをする事で、楽しめる人が減る様にしているみたいな感じですかね』
何とか自分が最初に考えた事を纏め口にして、一息をつく。
「でも、ロドリーはその考えを"撤回"したよね?。
それで、キングスの意見に合わせた」
シュトが言い終えた後に、間を置かずにネェツアークの返事が来るが、皮肉屋の少年は特に怯むことなく返す。
『そうですね、それで俺はキングス様側の意見も併せて考えてみたんですよ。
でもそっちのほうも、俺の意見としては、結局は手の込んだ"嫌がらせ"に見えます。
正直に言って平穏なのが、暇だとか面白くないからとか、今の自分の現状に不満があるから、誰かの粗を捜して時間を潰そうと、手間暇かける奴の気持ちなんて判りたくはない。
だけれども、家もない俺からすれば恵まれた環境でにいるのに、やってしまう奴もいるのも知っています。
ネェツアークさん達やアルス達に出逢う前、アプリコット様の用心棒になる前に、これまでの旅の中で実際見てきてもいるんすよ』
「おや?。じゃあ、ちょっとばかり考え込んでいたのは、指紋云々の事もあっただろうけれど、こちらの知らない昔の事を思い出していたのもあったんだねえ。
何にしてもそれは実に興味深い、今度時間があった時にでも聞かせてもらいたいなあ」
その時"ゾワリ"とした不思議な感覚に、シュトは包みこまれ"襲われる"。
伝わってきたのは、通信機越しの賢者の声だけの筈なのに、”興味深い”という発言と共に、不思議と自分の中の頭の中を、敢えて例えるのなら、幾度か注目して見たことがある、彼の長い指でなぞられている様な感触を受けたような気がした。
それから、直ぐに弟にスケッチとクレヨンを渡して、"良い子良い子"を回避した、ロドリーから、同情的な視線を注がれている事気が付く。
―――大丈夫か?。
言葉でも声でもなく、唇だけを動かされて尋ねられ、そうされる事で頭の回る少年は、直ぐにある事を察して、自分も唇だけを動かして返事をする。
―――大丈夫です。それに"御疲れ様"です。
"お疲れ様です"というシュトの唇の動きに、最初は大きく眼を見開いたが、直ぐに蛇の様な眼を細めて笑みの形を作りながらも、眉根を寄せて苦笑いを浮かべられた。
『それじゃあ、機会があった時にでも、その話をしますよ、ネェツアークさん』
(諜報部隊って役割の事もあるんだろうけれど、何にしてもこの人は、情報に対して本当に貪欲なんだ)
もしかしたなら、貪欲になるだけの何かしらの理由があるのかもしれないけれども、決してそれを向こうは口には出さない。
聞き出そうとしても、十中八九いつもの話術で話題をすり替えられてしまうのが、若造のシュトでも判る。
(それに、訊きだすだけの技量も根性も、まだ俺にはないしな)
"好奇心の塊は、興味を持ったなら、相手や対象がどうであろうと容赦なくあらゆる手段できっと聞き出そうとする"
それだけは出逢ってから時間は短いが、濃く深い関わりを持ってしまったので身を以て知っている。
今の所、シュトがこうやって王都に赴くまでに旅をしてきたなかで経験した事を"話す"と返事をする事で、"ネェツアークは満足をしていた。
「それでは、後日楽しみにしておくよ。
それじゃあ、今はマクガフィン農場の場合をシュト君の旅の経験に重ね合わせての見解の続きを、話して貰えるかな?」
『わかりました。先ず、旅の中で流れ的に関わった物は、偶然の部分もあるんですけれど、何やかんやで、俺達が途中で入ってきたことで、解決した時があったんです。
それで、今回の 話しの場合は、キングス様みたいな位置だと思ってください。
……それで、これからの俺が言う事が何か、生意気を言うみたい聞こえても、勘弁してくださいよ』
理屈の玄人の前で、自分の経験に基づいて今回の出来事と重ね合わせ、シュトはスケッチブックに"お絵かき"を始めている弟を見ながら、当時の心境を思い出しながら話し始める。
『今回の出来事も、俺達が旅の途中で経験したのも、ああいうのって"第三者"って言うんですか?。
"外"から見たなら、当時は今以上にガキだった俺でも"何が怪しい"って目星は簡単につけられてしまうんですよ。
それで”犯人"に該当する奴らにもそれまで見つかってないから、変に小賢しくてプライド高くて、それで……どこか、"抜けている"事も多かった』
そこで一度言葉をきって、束の間だ考え込んで、少年は話しを続ける。
『だから、当時俺等の保護者に当たる"師匠"が用心棒や傭兵の仕事の片手間に解決しまえるくらいの物でした』
"師匠"という部分だけ、極力早口で言って弟に聞こえない様にしてその時起こった出来事を伝えた。
「……まあ、確かに"彼女"なら傭兵の仕事の片手間に、解決出来ただろうね」
シュトがアトに気遣いながらも、極力聞こえない様に口にした存在に考慮をして、賢者も代名詞となる言葉を使って表現をする。
ただ返事をしながらも、如何にこれ以上"彼女”を登場させずに話を進めらるか考えながらも、"傭兵・銃の兄弟"が解決したという、人側が起こした出来事に関して調査を行う決意をしていた。
(何せ元は"叡智を司る神様の伴侶"で、その1頁が、禁術で"ピーン・ビネガー"の孫の遺骸を元にこの世界に具現化した存在だからなあ。
それも相俟って、人の小賢しい思惑の系統は簡単に見抜いただろう。
特に"地獄の宰相"の方になってから、人の浅はかさに無意識で辟易ともしていただろうから、そんなもの簡単に淘汰した事だろう)
賢者のそんな思惑を察したか、それともシュト自身も"師匠"の名前を出すのが実は辛いのか、あくまでも表現の例えとして出しただけかもしれない。
直ぐに少年は、話しの道筋を自分で戻し、話しを続ける。
『それで重なったというか、似ていると思ったのは、物凄く" 犯人"だとばれない様にしているのに気を付けているように見えるのに、一か所だけ、決定的に"抜けて"いる所です。
その時は、それが糸口になって解決しました。
今回の場合は、わざわざ調査表を持ち帰って、指紋を残さないまでの配慮や、筆跡を変えて文句書いているのに、良い匂いがするっていう、決定的ではないにしても、特徴的過ぎるインクを使っているって所ですかね』
シュトが一息に言うと、賢者もそれには大いに納得出来る"抜けている"疑問でもあるので、考える際の癖で、口元に手を当てていた。
「ただ、繰り返しっぽくなるけれど、今回は調査表が置かれていた場所が場所だからね。
愛煙家で珈琲大好きの褐色の大男のオッサンの部屋は、そういった特徴的な物も、影を潜めてしまっていただろう。
あと、何気に血液の型が土で、良く言えばおおらかの大雑把で、きっと自分の武器の整備する油とかもおいているだろう。
屋敷の家政婦さんが、毎日換気をしていても、何かしらの仕事に集中しているなら、精々インクの匂いだと気が付かない確率の方が高いだろうね」
そんな賢者の声が通信機越しの上司の声が聞こえてきた時、アトのスケッチブックに赤いクレヨンで花丸を書きながら、ロドリーが割り込んでいた。
『隊長、話しの途中で蛇足とは思いますが、お伝えします。
血液の型で性格を云々言うのは、最近では不評の一途を辿っているので、何かしらで使う機会があっても、ごく親しい冗談の通じる相手以外には使わない方がよろしいかと。
"賢者"の立場としては関われないからご存知ないかもしれませんが、貴族議会、国民議会等の政治の場では小さくではありますが、それでつまらない揉め事も起きてはいるそうです。
―――シュト、突然の割り込み済まなかったな。
だが、こういった世間の情報に全く疎いし興味を持たない上司なので、機会があったならその都度押し付け伝えておかねば、あっという間に貯まるし置いて行かれる』
『いえ、必要なら、構わないです』
唐突に割り込まれた事で、シュトは当惑はしてはいたが、"ウサギの賢者"としては、日頃隠者の様に魔法屋敷で引き籠っているという話は、親友から聞いて知っていた。
興味がある事―――一般的に魔術や学術と呼ばれる物や自身の抱いた興味の物に関 しては貪欲な程な行動力を発揮する、それ以外の事は”歯牙にもかけない"状態で、思いがけずに物知らずという事も多いとの事だった。
特に、流行り物といった日頃外出さえしていれば"アルスでも知っている"という事も、たまに知らないという話も聞いている。
そういった世間の噂の情報は、秘書の巫女の女の子がたまに買ってくる新聞を、肉球のついた手で摘まみ円らな瞳を向け、城下街の土産話に長い耳を傾けて、専ら仕入れているという事だった。
("世間話"の情報源がリリィ嬢ちゃん頼りなら、ロドリー様がさっき言った様な情報は、こういう時に、特に大人の噂なんかは、伝えなければ本当に知らなそうだな。
別に知らなくても、困らない事もないんだろうけれども、部下としては気になるという事なのかな?)
「そうなの?、リリィがライさんからこの前借りている女の向けの劇画の雑誌とかでは、月周りの星座と合わせて血液の型で性格やら、相性やらの特集で凄く人気の号だったみたいだけれども。
でも不評というのなら、ロドリーの言う通りにしておこう。
気心の知れた相手位に、物の例えに使う位にしておこう」
賢者が早速、気心の知れた相手として旧友を例え定め、血液の型を絡めて、話しの筋を戻しつつ、口を開く。
「それでだ、相手さんは決定的な証拠にもなりそうな、インクを使って、大らかなで大雑把なこの国の英雄が主体となって行っているカレーパーティーに、調査表をわざわざ持ちかえり、筆跡を変えてまで文句を次回のカレーパーティーに送りつけていた」
シュトもロドリーの割り込みに少々当惑をしてはいたけれども、思いの他順調に話しの流れに再び乗り、こちらも口を開く。
ただし、部下が、世間では不評とされている事を伝えて貰ったのを直ぐに使っている事に、自身は皮肉屋ではあるけれども、軽く呆れてもいる。
『良い薫りのついたインクの事については、部屋の関係やその量の多さにグランドール様の補助のお兄さん達でさえ、気が付きにくい環境だった。
それについては、実は文句を送りつけてきた相手にとってはも、もしかしたなら、同じ様に盲点だったかもしれないと考えています』
「おや?。その言い方だと、まるで相手は"気づいて欲しく て、匂いのするインクを使っていた”という旨の意味を説明している様にも聞こえるけれどもね。
でも、"気づいて欲しい"ならどうして、他に特徴的な物を残しておかなかったんだろうという疑問も出てくるよ。
指紋なんて、結構判り易い証拠だとも思うんだけれども。
一般的ではなくても指紋については、採取方法とまではいかなくても軍隊関係者じゃなくても、"1人1人模様は違う"というのは国の運営する学校で生物に置いて、学べる事は知られている。
良い薫りのするインクよりもインパクトには欠けるけれども、誰でも思い至り易いとも思うんだけれどもね。
それにシュト君のいう犯人の"抜けいる部分"に、その判り易いインクの部分は該当すると発言していたと思うんだが、君もロドリーと一緒で前言撤回をするのかい?」
少しばかり揶揄いの響きを含んだ声に、小さくイラつきを覚えながらも、ある意味では"試されている"のを察しながら、返答する。
『それもある意味で、"見方"によっては、"抜けている部分"に当てはまると思っています。
指紋を残すに残せない"状況が、送った方には当たり前の方達だったという事だと、俺は考えています』
「"方達"ということは、シュト君の中では、今回の事は単独ではなく、"複数犯"みたいな考えになっていると思ってもいいのかな?」
『そうですね、わざわざ筆を跡変えて、長文の調査表が複数あるという話を聞いてそう考えました。
多分、毎年変わらないっていう調査表用紙からして、国の民が楽しみにしているマクガフィン農場のカレーパーティへの向けてだと理解して、書いていると思うんですよ。
その中で、書いた人物が特定できない様にと予め手袋をしていた可能性もあると考えました。
けれど、手袋を嵌めて書いている内に薫りのするインクには書いてる人は、余程風邪で鼻でも詰まってでもない限り、気が付くと思うんです。
手袋をしてまで、若しくは筆跡を変えてさせて書かせた奴が、匂いに気が付かついて何も言わないってのは考えづらいんですよ。
それで何も言わないというのなら、インクの匂いが元で、農場側に書いた自分の事が判ってしまっても構わないかくらいの気構えで、やっている事なのかとも思いました。
もしかしたら、平和ボケという奴や"匂い何かで、書いた自分の事が判る筈がない”や、" 何にしても金がもらえる"からで、やる人もいないことはないと考えもしたんすけれどね。
ですけれど、"日常的に手袋"をしている生活の人物が、そこまで考えを浅くて、それだけで引き受けるとも思えない。
長文の文章は自分で考えないにしても、書き写すにあたって、それを読んで"自分のプライド"が納得が出来る内容でなければ、調査表に書く事を了承しないとも思うんです』
"それで”犯人"に該当する奴らにもそれまで見つかってないから、変に小賢しくてプライド高くて、それで……どこか、"抜けている"事も多かった"
先程、自分が経験した上で抱いて口にした感想と、今回の出来事を擦り合わせ、シュト・ザヘトなりに考えられるだけ考えて、言葉を選んで返答をしていた。
自分が出した答えが、"正解"とまではいかなくても、"良いところはいった"位になっている事を願って、通信機の向こうにいるだろう賢者に向かって自分の見解を更に口にする。
『それに多分、犯人は自分の事を"もう"犯人とは、思ってもいないんです』
「……その理由と、理屈を聞かせて貰えるかな?。"もう"って部分も含めてね」
賢者が否定をされない事に、正直少しばかり安堵したけれど、同時に納得をさせるのはこれからなのだと、少しばかり気を引き締めて更に続ける。
『最初に俺が言っていた、犯人は平穏な日常がつまらなくて、カレーパーティーで悪戯心を起こしたって言った奴、ネェツアークさんなら覚えていますよね?』
「さっき言った内容からしたなら、随分乱暴に纏めたもんだねえ、ああ覚えているよ。
それでシュト・ザヘト曰く、"もう"犯人と思っていない奴が、イタズラ心を起こして最初の頃は、調査表に、簡単な文句を認ただったかな」
『はい、それで、そこら辺から俺の言った言葉を撤回とまではいきませんが、"改めます"』
案の定、鳶色の人は確りと記憶をしてくれていた事を有難く思いながら、皮肉屋の少年はは緊張を保持して、口を開く。
『これまでの話しを聞く限りで、農場の人達の方も度量があるっていうか責任者のグランドール様の影響を受けてしまっているっていうか、調査表に書かれた文句を、改善点すべき点として受けとめてしまった。
で、こっからが"改める"っていった部分の本格的に入る所です。
俺はさっき犯人が農場側の人が、柔軟に文句に対応をした事に、ムキになって粗探しの対抗心って言ったけれど、多分"真逆な気持ち"を抱いたんだと思います』
「真逆の気持ち、面白いね。それで真逆の気持ちを抱いた……ええっと、面倒くさいから、シュト君が言うには違うらしいけれど、代名詞は"犯人"としておこうか。
犯人は今度はどんな気持ちで、調査表を持ち帰って、良い薫りのするインクで文句を認めたんだろうね?。
しかも、マクガフィン農場のカレーパーティーが行われる度に、筆跡を変えて増えていった説明は、どうなんだろうか?」
"犯人の気持ちになって"という言葉が耳に入り、少しばかり、シュトの心に苦みが入ってきていた。
そして、すっかり後見人に懐いてしまった弟を僅かに見つめる。
発達に偏りがある弟は、それこそ手先の器用さや、決まりきった行動の型さえ根気よく身に着けたなら、同世代以上の、時には兄以上の動きをみせたりもする。
でも、日常を送る上での知識の発達は著しく低く、実際の年齢の10以上は遅れている。
背の高さは十分成人並み届いてもいるというのに、釣り合わない幼い思考回路と無邪気な発言と行動は、はっきり言って周囲から、浮くか距離を取られる。
ただ国が平和な事と、その恩恵もあって政において、福祉に力を入れて置いてくれているので、国が設立した学校に通った世代、特に兄弟達同世代はある程度の理解を示してくれた。
しかしながら知識としての理解はあったとしても、障碍は障碍としての受け取り方も、受け入れ方法は人それぞれとなる。
そういった環境の中で、弟は発達の偏りから、一般的に"空気を読む"と例えられる行動は、壊滅的ではあったが、不思議と自分が受け入れられているかどうかに関しては、敏感だった。
相対する存在から"受け入れられない"という雰囲気というよりも、本音と気配をまるで野生の生き物の如く鋭敏に察し、傍には近寄ろうともしない。
危害を加えられないまでも、自分を絶対的に否定される事を本能で理解しているかのように、警戒して信頼できる存在の後ろへと隠れてしまう。
それは、あからさまな物から、一般的に"外面が良い"とされる相手を悉く見抜いてしま うので、兄弟だけで旅をしていた時期の間は、その勘に少なからず助けられた。
ただ"その"逆"もまた然りで、気を許せる相手にはとことん気を許してしまう。
それこそ、これも先程の逆で一見とっつきにくそうな強面の相手でも、弟は信頼したならどこまでもするし、委ねるし、言葉を遠慮なく口にする。
"この人になら、言っても大丈夫、どんな僕でも受け入れてくれる"
弟は決してそんな言葉を生涯口にはしないのだろうけれども、きっと胸でそんな気持ちを浮かべて、信頼出来る人の傍にだけ心も態度も開く。
ただ、そこで自分がしている発言が、相手を信頼をしているとはいえ無邪気に空気を読まなさ過ぎて、軽く迷惑になっている事に、気が付くことが出来ない事がある。
マクガフィン農場のカレーパーティーの調査表の文句の言葉を聞いて行く内に、ふとその感覚がシュトの胸に過っては、引っかかり、自分なりの見解が出来上がってしまった。
やはり"文句を言いたいだけ"ならば、農場のカレーパーティーの場で短い文章で書いてしまえば良い事だと思える。
『わざわざ持ち帰って、長文で細かく書いたのは"カレーパーティーを運営するにあたって、農場の人達に、文句ではなくて、自分の意見……"助言"を細かく記述して、伝わり易くする為だと、俺は考えました。
それが、以前に調査表に、当時はもしかしたら、"こうしたらいいですね"の程度の意味で感想でも、農場側が丁寧に受け止めてくれ、次回のカレーパーティーでは確りと反映された。
その事が思いの他犯人にとっては嬉しくて、変な言い方ですが、マクガフィン農場のカレーパーティーを更に良くする為に"使命感"みたいなのを持ってしまったんではないかと』
そう口にする時も、シュトの視線は弟へと向けられ、安易に重ねるべきではないのかもしれないけれども、重ねて比べて考えてしまう。
弟の信頼出来る存在への執着は、普通の物より強いと思える。
この調査表を認めた人物もマクガフィン農場への信頼は、過去の柔軟に意見に対応をしてくれた事で、同じように"厚くなっている"と考えていた。
ただ、あくまでも弟の場合の尺度なのだが、信頼と執着が厚い分、些か距離感を計り損ねている時があり、相手の都合や気持ちを考えず、それこそ空気を読まずに、自分の気持ちだけを伝えてくる所もあった。
そこについては、弟にはその都度に言い聞かせをしていた。
弟の障碍の特性上、"非情に感じる程はっきり丁寧に言わないと"と伝わり辛い事も知っているし、伝えた事で弟はびっくりはするけれども、特に傷つくこともなかった。
(けれど、この文句……意見を入れてくる人達にはっきりと言った場合は、どうなんだろうな)
シュトが返答している間に、通信機からは賢者からの返事は遠慮なく送られて来ていた。
「成程、文句ではなくて助言のつもりで調査表に認めているということか。
うん、日頃から手袋している様な立場の仮に"貴族"とする人物なら、マクガフィン農場の平民に向ける文章的に自然に高圧的というか、"上から目線"になっているのがあっても仕方がないのかな?。
それにインクの件なんてある意味では、良い薫りがするのはもしかしたなら、マクガフィン農場側への"気遣い"であるかもしれないねえ。
世俗には余り詳しくないけれど、多分"贅沢品"だろうし」
贅沢品という言葉には、一応出自が貴族であるが現在はアトの対応(殆ど"お守り")をしているロドリーが言葉を挟んできていた。
『贅沢品というのなら、インクについて詳しく辿れば、マクガフィン農場の調査表の"犯人"については案外早く辿れる事が出来るかもしれません。
そちらの方面から辿りますか?。
それともスタイナーがもう辿っていますか?』
「うーん、実を言えば結構辿るまでもない状況にもなっているのだけれどもね……」
明らかに何かを含んだ物言いに、蛇の様な眼をした男は、それまでアトの相手をしていた為に、厳めしい面構えながらも比較的柔らかな雰囲気を、再び鋭く固める。
『また、何かしらの確信を既に得ているのに、黙っている御様子ですね』
昼に初対面をしたというのに、夕刻近い現在では昔からの馴染みの様に弟と接してくれている、有難い存在を瞬く間に不機嫌にさせている鳶色の人の発言にシュトは苦笑いを浮かべるしかない。
「まあ、調査表の文句というよりは、助言にしておこうか。
そこら辺の謎というよりは、不思議さは解明できたか ら、序に筆跡を変えて複数枚来た理由も考えてみようじゃないか。
というか、そっちの方の目星というか、シュト君は見当もついているみたいだね」
『ああ、はいそうっすね。えっと、でも俺の目星がついている理由が、"手袋を日頃から嵌めている理由"とさっきネェツアークさんが言っていた、"贅沢品"の部分が関わって来るんですよ。
それと、これも今までの話しを聞いて、さっき思いついた事でもあるんですけれども……』
それから苦笑いの部分から、笑いを取って困った表情を浮かべてロドリーの方を見ると、彼自身にこれまでの話しで、どうやら少しばかり察する事もあったのか、小さく溜息をついていた。
『貴族の御婦人方で、集まる事で話題の1つとしてあがってもおかしくはない事だろうな。
それが、セリサンセウム王国の英雄グランドール・マクガフィンが営んでいる農場で行われているカレーパーティーに"意見"した事で、それが受け入れられた事なら尚更だ。
英雄の催す行事に意見をし農場のカレーパーティーに反映されたというのは、ある種の"自慢話"になるという事は否定できない』
シュトが口に出すには出し辛いだろう言葉を、ロドリーが先回りをする形に出したなら、皮肉屋の少年は実に判り易く安堵の表情を浮かべていた。
「もし、夫人ボリジにそういった話があったなら、ロドリーに真っ先に相談をしているだろう。
だから、入って来ないというのなら、まだその近辺の御婦人方の話しではないんだろうね。
まあ、貴族の人口もそれなりに多いからねえ、そういった集まりの際に話題にして妙齢の淑女達は、
"それなら私もご意見してみようかしら"
"そうですわね、改善点を認めてご意見を認めて出してみようかしら"
"でも、グランドール・マクガフィン様がお目通しになるなら、下手な文章は出せませんわよ"
"それなら、御一緒に考えて文章を送りましょう"
みたいな感じに、それは楽しくやっていたかもしれないねえ」
『ネツさんが、女の人の言葉使ってます!。面白いです!』
賢者の即興劇の様に行われた、淑女語りは、アトには大変面白かったらしく、喜びで声を上げていた。
ただ、はしゃぎすぎといった雰囲気もあるので、"ロドさん"に落ち着きなさいと叱られたなら、少々時間がかかったけれども、沈静化した後に、ロドリーが口を開く。
『伯母上はそれなりに貴族としての社交を熟してはいるが、元来控えめな方です。
マクガフィン農場のカレーパーティーには参加しても、その中でも催し事において文化等を扱う物に参加なさっている。
食事にカレーを出してもらっても、児童文学の読み聞かせ小屋からは、休憩時間以外は、殆ど動かれません。
それに、隊長の調査表に対する仰り様を聞いていると、意見を出すという事は、"独身"のグランドール様に非常に遠回しの接近を試みている様にも聞こえますよ』
※グランドール・マクガフィン氏の参考情報
「うん、まだ断定するには早急とも言われても仕方がないけれど、仮に今回のカレーパーティーに関して"犯人"をそういった淑女と仮定したなら、それも"あり"なんじゃないかなと思ってね。
少なくとも、調査表に書かれている事が、大らかなマクガフィン農場のカレーパーティーの批判みたいに聞こえてしまう意見でも、"印象"には残っている。
ただ、残念ながら、グランドールは自分のカレー作りの方に全神経を注いでいるんだけれどもね」
話の流れが"キナ臭い"から"生々しい"方向に移り変わってシュトは少々眼を丸くしてもいたが、それよりも先程挨拶をした、ロドリーの養母となるチューべローズ・ボリジ夫人が登場してきた事に軽く驚いている。
個人的に言うなら、背格好は違えども厳格な雰囲気も蛇の様な目付きもそっくりなチューべローズ・ボリジ氏とは全く血の繋がりはなく、小柄で気弱そうながらも優しそうな夫人ボリジと甥の方が、血縁と聞かされて大層驚かされていた。
また、夫人ボリジは、生まれついてとても身体が弱いということで、屋外への外出も殆んど控えているという話も併せて聞かせられていたので、蒼天の下で行われているだろう催事に参加しているという話も、意外だという事もある。
ただ正直にそれを口に出したなら、身体の弱い夫人ボリジに対して、失礼という気遣いが出来る頭の回る皮肉屋の少年は、表現を変えて言葉にすることにした。
『へえ、マクガフィン農場のカレーパーティー以外にも、色んな催事があるみたいな話はアルスから聞いていましたけれど、そういった文化的っていうか、学問的なのもやっているんですか。
そ ういうのがあったら、カレーパーティや農場のなんやかんやを楽しむのもあるかもしれないですけれど、外遊びが苦手な子供や、もっと小さい子ど連れの親子で楽しめそうで良いですね』
言葉は変えて表現をしていく内に、思い付きで選んだ内容にしては響き良くを使えたとシュトは思ったが、夫人の甥も、そう感じていてくれたらしく先程上司から不機嫌にさせられた気分はすっかり払拭された様子で、蛇を感じさせる目元を和らげて頷く。
『伯母上自身、身体が弱いだけであって、無理をすれば体調を崩しはするが、決して屋外が嫌いというわけでも、屋内活動派というわけではない。
読書が趣味で引き籠ってばかりるという一般的な印象が固定観念の様になるのも、よろしくないと考えていらっしゃる』
活舌良く、少しばかり血の繋がる伯母を誇らしげにすら語っていたが、直ぐに眉間に縦じシワを刻み、鋭い視線を通信機の方に向けて続ける。
『ただ、国を代表するだろう読書家が、引き籠っているんで、印象の返上するのがなかなか難しいらしい』
「ああ、今は長くない耳が痛い」
わざとらしい言い回しが聞こえた時に、マインド邸の壁越しにも遠くから感じる、王都の城下町の中心にある時計台の鐘の鳴り響く音が聞こえる。
『夕方です、夕ご飯の"こんだて"を決める時間です。お買い物にも行く時間です』
遠くに聞こえる鐘の音と共にロドリーの私室にある置時計をアトが見たなら、これまでそういう風に一日の生活の流れとして根付いた、言葉を口にする。
「おや、思いの外話し込んでしまっている様だ。夏が近づいて日照時間が長くなって、ちっとも気が付かなかったけれど、影の長さからしたなら、本当に夕刻だねえ」
魔法屋敷の中庭にいる賢者の方は、時計も近くになく通信機越しの鐘の音に気が付いたのと同時に自身の影の長さを見て、時間を掌握した様だった。
『アトは、今日からロドさんのお家でご飯を食べます。準備も、お片付けのお手伝いもします』
『本日は―――今日は、アト・ザヘトはお客様だから、お手伝いはしない』
弾んだ声でアトが言葉を口にした後に、ロドリーが落ち着いた声で、それを否定する。
『今日は、お客さん、お手伝いしません、わかりました。でも、アト、お手伝いしたいです』
『うむ、ここのところの"これから"は、家令と話し合ってからだな。
準備も後片付けも、本来なら"使用人"がしなければいけない仕事だが、暫くは屋敷の家族の一員として、シュトとアトを迎え入れるつもりではある』
『すみません、屋敷内の使用人さん達の中で規律を乱す様な形になりそうで』
アトが本日の夕食についての流れを理解を示した返事をしたのを聞き終えた後に、ロドリーは次に兄に向けて言葉をかけると、その返事は恐縮しきった物となる。
ロブロウでは、短期間といえども家令や執事という屋敷内を取りしまる存在の仕事を目の当たりにし、手伝って来たシュトは、その中で"例外"という言葉の厄介さを学んでいた。
そして、自分の弟がどうやらそれに当てはまりそうな事を望んでいるのを察して、謝罪をする。
本来なら、"お客さん"として屋敷に世話になれば良いかもしれないが、弟の様な障碍を持つ家族として簡単にそれを受け入れる事は躊躇われるし、ロドリーの方もそれは判っている様だった。
『折角身に着けた、支度と片付けの身辺自立活動だ、それを"客人待遇"で忘れてしまうのは勿体ない。
これからを考えたなら、従来通り身の回りの事は自分でが望ましい』
淡々とそう口にしていたが、言い終えると肩の力を抜く様に鼻から息を吐き出した。
『しかしながら伯母上は、その生涯をマインド家の女主として、貴婦人として過ごさねばならない。
そこに、必要があるとしても使用人の様な振る舞いを望む客人と、行動を一線を引く落としどころをつける理屈を捏ね上げなければならない。
ただ、伯母上はすっかりシュトとアトとの兄弟を家族のように受け入れるつもりでいて、会話の豊富な食事を楽しみにもしている。
……食卓に会話がないわけではないのだが、どうも私だと食事中弾ませる事が出来ない』
「いやあ、個人的にロドリーが夫人ボリジ相手に、会話弾ませているという話を聞いた方が、状況が一気に凄然とする思うよ、"ワシ"」
これから世話になる立場を弁えている頭の回る少年が、作り笑いながらも
"人には向き不向きありますから"
というフォローを入れる間もなく、悪人面の上司から、矢継早の評釈が、通信機から届けられていた。
(ちょっ、悪人面!?)
『……あれ、今、ワシって言いました?』
悪戯の好きな賢者だとしても、あんまりな言葉に胸の内で非難をしながらも、回る頭で一人称が変わっている事に気が付き、声も同意に出すという器用な事を熟していた。
「ある程度の今後の見通しも出来たし、それに時間も時間だ、アルス君達もいい加減戻って来るだろうからね、つい先程戻らせて貰ったよ。
何にしても内容は殆ど主役は引き籠ってカレー作りのマクガフィン農場の話だったけれども、多方面からの見解が聞けて楽しかったよ。
それでだ、シュト君」
『あ、はい、何ですか?』
ロドリーの怒りの窮まった様な形相も直視できない事もあって、シュトは真直ぐ通信機の方を向く。
「時期はまだ先だけれども、今度のカレーパーティー、君は夫人ボリジの護衛をよろしくね」
『はい、……って、え?』
「ロドリーは基本的な事、軽く仕込んでおいて」
『了解しました、隊長』
『アトも!』
「アト君は、ロドさんのお手伝いだよ~。ん?……どうやら、子ども達が森に入って来たみたいだから、それじゃあ後日ね~」
少々自分勝手にも思える素早さで、賢者からの通信は切れたのでした。