悪魔のように繊細に 天使のように大胆に①
賢者は米を研ぐのであった。
『賢者殿、つかぬことをお尋ねしますが米を研ぐことは出来ますか?』
「フッ、アルス・トラッド君、ワシを誰だと思っているんだい?。セリサンセウム王国、最高峰の賢者だよ?。
このフワフワでモフモフの毛の一本も抜けおたさせることなく、米を研いで、小一時間程に戻って来るだろうアルス君が直ぐに炊ける様に支度をしておいて、進ぜよう」
"ウサギの賢者の声"でもってネェツアークの姿のまま喉元を2本の指で抑えつつ、一応設置している魔法屋敷の風の精霊の通信機に向かって、そう宣言する。
だが、通信機の向こう側にいる新人兵士は、今更ながらに気が付いたという感情と、表情をありありと想像できる声を出してしまっていた。
《あ、でも、そう言えば賢者殿、毛が生えているんでしたね……》
いつもは調理器具を使ったり、爪や本来のウサギならあり得ない肉球の部分で上手く掴んでいたり、直接触れるような場合は、調理用ペーパーを間に挟むという処置をしている。
他には、小さな同僚の女の子と併用が出来るような、鍋掴みなどを駆使して、護衛部隊に配属されてからこれまで、"ウサギの賢者"が食事を作るにあたって、"フワ フワな毛"で以て、不快な体験など全くした事はなかった。
だが、流石に今回の"米を研ぐ"という作業に関していえば、ウサギの賢者のモフモフな体型からして、短くも弾力もその腕を調理の為に突っ込まなければ、任務は完了できない。
これまで、短い日数なりにウサギの賢者の魔法屋敷の厨房で、行動を共にしていた事もあったけれども、新人兵士は、その現場に居合わせた事はなかった。
そこで改めて想像をしたならどうしても、フワフワな上司が水に濡れて、萎んでしまう姿と、賢者は大丈夫というけれど、件の爪化粧以上に毛については、調理に関して気にしてしまう自分に、アルスは気が付く。
《……どうしましょうか。折角アルセン様から、
"カレーの場合はライスで食する場合は水を少なめにして、硬めに炊いた方が美味しいとグランドールに教えて貰いましたから、是非実践してください"
と助言を貰って、東の国の食材に詳しいシノさんが、それならと
"米を研いでから、一時間程おいて水を浸して吸わせた上で炊いたらもっと美味しいですよ"
と、教えて貰ったのですが》
「成程、折角教えて貰った美味しく食べる方法を実践するなら、今の時間にワシが米を研いておく方が良いという事なのだね」
そこまで告げ終えて少しばかり"ウサギの声"を出し辛くなったので、喉を抑えている2本の指先を離して抑え直し、肺に空気を流し込みながら、これからの会話の流れを考えている間に、部下は更に話を続ける。
『はい、本来なら自分が帰ってからでもすれば良いんでしょうけれど、米を美味しく食べるのに、そんな方法があると伺って。
今は休憩時間なので、連絡してみたんですけれど……、もしかしてまだ"寝ていらっしゃいました"?。
その、アト君の迷子の時に午睡をされていたのを中断されたのを寝直したにしても数時間過ぎているから、大丈夫と思って連絡したのですけれども』
もしアルスが本日起こった出来事に関して”人”の事を知っていたなら、随分な皮肉で嫌味な発言となるのだろう。
だが実際には、恐らく全く知らないので、普通に気遣いの言葉であると判っていながらも、好青年な部下の後方に|美人だが相当腹黒い後輩の姿がチラついて、人の姿ながらも、ウサギの時の様に、賢者は眼を線の様に細める事になる。
『すみません、事情があったにしても静かにゆっくり休んでいる所に、今日は2度目まで中断をさせてしまって』
僅かばかりだが無言の間を、実直な新人兵士は"耳の長い上司は寝ていた"と受け取ったらしく、申し訳なさそうな声を通信機から漏らす。
「―――いや、どうせ帰ってくる前に使い魔に目覚まし頼んで置いたんだけれど、今日は色々あってどうやら忘れてしまっているらしい。
だから、"ワシ"としては通信機の呼び出し音がなって事で丁度目が覚めて―――起こして貰って、時間的には良かったから、気にしなくていいよ」
"ウサギの賢者"として話しているだろうと思っている相手に、一人称を気をつけ乍ら、そんな話をする。
話し相手が、ふざけてきたり都合よくこちらを使ってこようとするなら、そんな態度で接してきたことを後悔する様な切り返しはするけれど、相手が気遣いの言葉と態度で接してくるのなら、こちらもそれなりの対応をする。
それは丁度、今応対している部下よりも年若い頃から通してきた姿勢でもあった。
ただ、世間的にはどうしても"後悔するような切り返し"の後日談ばかりが、尾ひれや背びれ、果てには手足まで生えた様な形で横行していた。
なので"ネェツアーク・サクスフォーン"と名乗るだけで訝し気な視線を初対面でも注がれる時期もあったので、それでは鳶目兎耳に差当り支障がであるとして、偽名と職業を国王に頼んで発行して貰う。
折角作って貰った立場でもあるので、オーロクロームと名乗る際には極力紳士として振る舞う様に心掛けていたことで、随分と役に立ち重宝する事になった。
ただ、その数年後に"ウサギの賢者"という姿を取らなければいけない症状に見舞われた頃からは、人の姿を世間に晒さなくなったこともあって、ネェツアーク・サクスフォーンという存在は極一部除き、自然と忘れ去られ、知っている者も少なくなっていったので、偽名の方も使う必要がなくなるだろうと、当人は思っていた。
しかしながら、偽名の方は、当人は思惑あっての振る舞いが紳士的であった為か、"人相は少々悪いですが、丁寧にこちらの話しを聞いてくれる方、優秀な仲介ですよ"と世間の記憶に残ってしまう。
本名と同じ様に、偽名の姿も、"ウサギの賢者"になる事を迫られた頃から、世間から一時失せていたのに、不思議なものだと感じながら、何かしら会った時には便利だろうと残しておくことにした。
不思議と"オーロクローム"という自分が"便利だから"と振る舞っている存在を意識する事で、ウサギの賢者の時もそれなりに"大人としての振る舞い"を取っているが、それ以上に"良い人"の印象を与える。
今は"ウサギの賢者である"という事を留意しつつ、風の精霊の通信機越しに、声を変えて話しているが"偽名"の部分で、アルスに対して接している様な気がしていた。
(取りあえず、"ウサギでない"事を気取られない様に注意をしなくてはいけないねえ。
折角ここまで、バレずに戻って来たんだから。
まあ、勘が鋭いアルス君でも流石にバレないと思うんだけれども)
久しぶり"空"を満喫した魔法の箒は、穂先を二股にして二足歩行をして屋敷の主の前を通過して行く。
(思えば、"コイツ"、どうしてアルス君にあんなに突っかかるんだろうね?)
"魔法の箒"こと、本名ホウキィー・ウラジミール3世の管理をしてはいるが、製作者ではないので、賢者にはどうして好青年の新人兵士に突っかかるのかは、詳しくは判らない。
だが製作者"達"の性格を知っている立場として、その影響は大いに受けいているのは、良く伝わってくる行動―――強気な振る舞いで判る。
(強気なのは"ミュゲ"譲りっていうのは、判るけれど、アルス君を目の敵みたいにするのは、"どっち"の性格から何だろうな。
何やかんや2人とも、少々気難しい所があったからなぁ、ある意味ではどっちも似ているとも考えられちゃうんだよねえ)
"ウサギの賢者"が魔法屋敷に配置している、調度品とも"使い魔"しても活躍している家具達は、製作者が最初造る際に、"性格"をそれなりに設定しているのだが、根幹の部分は、どうしても自分《作り手》に似る。
それはどういうところかといえば、基本に表には出たがらない"引き籠り"の部分が顕著に出ている。
ただ、慣れたなら設定しておいた性格を徐々に表面化させていき、個性を出し使い魔となって、現在は家事総監督のリリ ィの指示を大人しく従ってくれている。
(この屋敷で私の指示を素直に聞かないのは"魔法の箒"と、"ウサギの賢者"の使い魔の金色のカエルと2ついるから、あまり目立たないで済んでいるけれども)
『え、カエル君って、結局帰って来てないんですか?』
話しの流れからしたなら、先程賢者が"使い魔に目覚まし頼んで置いた"という発言をしたので、アルスからしたならごく自然に口にしたつもりだった。
しかしながら、話し相手の賢者の方はいつも用に、思考を脱線しそうになっていた事で、新人兵士の言葉に驚いていたが、直ぐに話の流れを思い出し、合わせる。
「え、ああ、うん、そうだねえ、今日はまだ帰って来てないみたいだねえ。
今日から調整から解放されて自由になって、ロブロウの頃からやけに気に入ったアルス君の所に、すぐ飛んでったりしていたみたいだねえ」
『そうなんですね』
通信機越しには、至って普通に相槌をうつ様に返事を行っていたけれども、アルスの方が、実を言えば通信機越しに今度は少しばかり考え込んでもいた。
(賢者殿は”寝ていた"といった感じで、話しを進めていらっしゃるけれども、本当の所はどうなんだろうなあ)
そう考えてしまうのは、勿論、新人兵士に最も影響を与える言葉を出せる人、恩師が口にした内容によっての事だった。
本日の"迷子捜索中"に突然姿を現し、暫くしてアルスの元から姿を消してしまった"賢者の使い魔である、金のカエル"のその後は知らない。
" ……その使い魔の性能は解りませんが、四六時中意識を繋げているわけではないみたいですね。
もし聞こえていたなら、何かしらこの時点で言葉を挟んでくると思っていましたが、何もしてこない。
いや、もしかしたら”あちら”も、現在進行形で何かしているかもしれませんね……"
聞こえているのを前提で、恩師は賢者にとってそれなりに際どい話をしていた様子だったが、使い魔は無反応だった。
"アルスは"今日は寝ている"と言っていましたが、使い魔のカエルがサブノックの商人と接した際に登場してきたことで、ウサギが"アト君の迷子"以降も起きているという予想はついていましたが……。
でも、"ウサギの賢者がしたなら不機嫌になる”、鉄板でもある研究の話しに割り込んでこないどころか、暴君の 名前すら出したのに無反応。
やはり、使い魔は独立した”意志”を持っているみたいですね。
日頃は管理をしているかもしれませんが、今はそちらに任せきりで状態という事は、余程、今は何かしらに手を取られていると考えた方が良いみたいですね"
(あ、でも嫌がる話でも、聞けない位疲れて、ぐっすり寝ていたならカエル君が自由行動して気が付けないかなあ)
そんな事を考え思い出すのは、やはり恩師の言葉だった。
"アルス、貴方の上司は今日はゆっくり休めていないかもしれませんから、帰ったら労わってあげたらどうでしょうか。
アザミさんの事だから、多分アルスにお土産を貰って帰るでしょうから、定番のパンプキンサラダと一緒にアスパラガスたっぷりのカレーもおすそ分けして貰ったらどうでしょう?。
それにリリィさんは昨夜はキングスと緒に食事作りを頑張ったのでしょう、今日ぐらいは、楽をさせてあげたらどうでしょうか?。
ライスなら、アルスも訓練で炊いた事があるから大丈夫でしょう。
ああ、ただカレーの場合はライスで食する場合は水を少なめにして、硬めに炊いた方が美味しいとグランドールに教えて貰いましたから、是非実践してください"
(あ、でも思えば、リリィもそうだけれども、賢者殿が疲れているというのも、考慮しての今日の夕食だった。
賢者殿が嫌いだけれども食べられないこともないアスパラガスが一杯のカレーは兎も角、米が美味しく食べれるって言葉ばかり考えていて、お休みになっている場合の事は忘れていて、連絡をしてしまっていた。
それにこの様子だと、賢者殿はアルセン様が言っていたみたいに別行動というわけではなくて、本当に連絡するまで寝ていたみたいだ)
「まあ、久しぶりの自由だから、好きにさせてといていいよ。
気に入ったアルス君と少しばかり行動を共にして、今度は適当にフヨフヨと空を泳いで散歩でもしているんだろうさ。
心配することはないだろうさ」
使い魔の"主"であるウサギの賢者が、いつもの調子で飄々として、そう言っているのなら、護衛騎士のアルスがこれ以上言えることはない。
(それじゃあ、カエル君の事はともかく……)
『カエル君が、自分の事を気に入ってくれているのならそれは嬉しいし、賢者殿が心配することはないって仰るのなら信じます。
そでれ賢者殿、米の事なんですけれど、やっぱり帰ったなら、自分が研ぎます。
その、時間を置いておかなくても水を少なめで炊けば硬めの、カレーにあったものになるそうですし』
未だに"カレーの具材の主役は賢者殿が嫌いなアスパラガスです"と告げる事が出来ずにいる、新人兵士はせめて上司を労ろうと決意して、そう告げる。
それにどう考えても、あのフワフワでモフモフとした賢者の毛を濡らさずに米を研ぐ姿が想像する事が出来なかった。
「いやいや、アルス君、折角キングスの弟子のシノさんから教わったという、知った米の美味しい食仕方。それなりに食い意地が張っていると自負していて、尚且つ好奇心旺盛の立場としては、それを知ってしまったならば、実行せねばいかん」
少々芝居がかった大袈裟な物言いで、人の姿となっている賢者は、ウサギの姿をしている時の平常運転の状態で新人兵士にそう告げる。
『はあ、そうなんですか』
(ゲテモノが好きなのは、食い意地と好奇心ってのも関係あるのかな?)
空色の眼を右上に向けながら、思わず呆れた調子でアルスは返事をしていた。
「それにどうやら、アルス君は"ワシ"のモッフモフの毛が水に滴るの心配してくれているようだが、ダイジョーブ。実は、キングスからとっても良いものが送られてきたんだよねぇ~」
そう言いながら、1度喉元から指を外して、体毛の量としては平均的な三十路後半に差し掛かった成人男性でもあ自身の腕を見つめる。
(これなら、幾らなんでもフワフワな毛が入るわけないしね~)
飄々とそんなことを考えながらも、体毛は一般的かもしれないが、腕と指の長さは平均的なものよりやや長く、見た目からして筋力を感じさせる。
ただ、筋力を感じさせる程の逞しさがあったとしても、その持ち主の方は鳶色の眼がある目元を鋭くさせて、見つめていた。
(ロブロウにいる間に怪我したから、筋トレ少しサボってしまったから、 やっぱりおちているなぁ。
明日からでも、時間を作って調子にあわせて訓練しないと)
年齢の部分もあるだろうけれども、1度調子を崩したなら、最良とまではいかないが、通常に持ち直すのにもそれなりに労力が必要となる。
(あ~、こういう時 にそれなりに年を食ったって実感するし、出来ちゃうよね~)
独り言を何とか胸の内で押し留め、再び指を喉元に添えて、"ウサギの賢者"の声を出す支度をしている内に、通信機から予想通りの新人兵士の返事がくる。
『キングス様からの、贈り物ですか?。え、でも、キングス様って確かマクガフィン農場の方に向かわれたいたのではないのですか?。
あ、そうか、時間的にもう仕事を終えて、戻られる際に魔法屋敷に寄られたということになるんでしょうか』
「BINGOだよ、アルス君!。ただね~、ワシぐっすり眠りすぎていたせいで、折角キングスが寄り道してくれていたのに、気がつけなかったみたい、なんだよね。
この通信機の呼び出し音で、目が覚めたならキングスが直ぐに気がつけるように魔法屋敷の入り口に少々細工して、手紙と共においてくれて くれたんだ」
これには演技ではなく、心から残念そうな声を出すことで、新人兵士に苦笑いを浮かべさせることに成功していた。
『それで、キングス様からの贈り物っていったい何だったですか、賢者殿?』
「それはねえ、今度のマクガフィン農場のカレーパーティーの調理係の人が全員が使う事になる、無菌の樹脂の手袋。アルス君は軍学校で野戦料理を作る時に、同じような物を使った事があるんじゃないかな?」
通信機越しに聞こえてくる、おどけたような調子の確認の声に、苦笑いをを引っ込めて、今度は記憶を辿る為に、空色の眼を左上に向け、アルスは答える。
『はい、賢者殿が仰る通りで、軍学校の野戦で食事を用意する係りの時に、使いました。薄手の無菌樹脂の手袋、自分達は半透明の物でしたね』
新人兵士にしてみたなら、自分達が軍学校で使っていた道具の特徴を伝える意味を込めて、半透明という表現を口にしていた。
その特徴に頷き、自分が"留守"の間に届けられていた副官から報告書と共に"参考に"と一筆メモが添えられていた、二種類の無菌樹脂の手袋に、鳶色の眼を向ける。
「そう、"半透明"のものなんだね。そういえばその無菌手袋に最近では色がはっきり着いたもの、少々割高だけれども扱う事があるというのは、アルス君は知っているかな?」
そしてこれまで、手に握って使っていた通信機に少し魔力を込めて、手から外した状態で 使えるようにして、不透明な方を手に取って、部下の返事を待つ。
『不透明のものですか?。いえ、自分は聞いたことがありません』
アルスが知らないという言葉に小さく口角をあげていた。
「そうか、ありがとう。ワシはこの通り、引き籠っているから外の情報に疎くってね。
キングスが運んでくれるお土産話や、こうやって実際に外に出ている若人からの話が情報源だから、有り難い限りだよ。
それにしてもアルス君が知らないという事は、まだそんなに有名な話でもないと考えた方が良いかもしれないね」
『あ、それは言えているかもしれません。自分が"知る頃"には、大抵世間に普及している話題の事が多いですから。
軍学校では、よく流行に無頓着過ぎるのと……あ、いえなんでもないです』
"イケメンは何着ててもイケメンだから、流行にそこまで頓着する必要がないだろう"
と赤裸々すぎる程の正直な感想と、潔すぎる嫉妬を込めて軍学校の同期から告げられたのを思い出したが、それは何とく今口にだしたなら、呆れられると察して、アルスは話を切り上げていた。
「そうか、何でもないんだねえ」
ただ、"ウサギの賢者"は自身は軍隊に所属するアルスの上司として 個人的な情報も実は確り掌握しているので、|其処のところ《イケメンは何着ててもイケメン》も知っていた。
ただ、それなりに気に入っている部下でもあるので、関係を悪くするのもなんなので悪戯心を 抑制して、話を先に進める。
「それでねえ、折角キングスが届けてくれたこの手袋を使って、米を研ごうかと考えているんだ。
薄手だけれども、十分防水性もあるから、ワシのフワフワの毛もこいつを使えば水で滴らないと思うんだ。
大きさも、大人のものだから、モフモフと膨らんでいる部分も含めて包み込んで仕舞えるだろうしね」
そう伝えながら、二種類の無菌樹脂の手袋を見比べて人の姿の賢者は結局、皆が馴染みの深いという半透明の方を手に取っていた。
「と、言うわけで、ワシが米を研いでおくよ。アルス君が前にお世話になっていたという問屋の女将さんがお土産にくれたカレーを気持ち的にも美味しく食べれるように、互いに善処しよう」
『わかりました、それでは申し訳ないですけれども 、米については、よろしくお願いします、賢者殿』
本来なら、部下が上司に家事の手伝いを願い出て、受け入れてもらうなんという事はあり得ない。
ただ自分が配属された賢者の護衛部隊では、護衛対象が望んでいることは、自身の秘書に当たる巫女の女の子を守る事である。
今日は別に"守る"というわけではないけれども、一日がかりの買い物をした女の子に、夕食を作る際に楽をさせてやりたいという気持ちで行動していた。
そして、上司もそれがわかっているので、護衛騎士の提案を受け入れてくれているのだと思っている。
『それではそろそろ、休憩時間も終わるのと、アプリコット様に買い物頼まれているんでそれを買ってきます。
そうだ、魔法屋敷に戻る前に、もう一度マーガレットさんのお店で精霊石の通信機を借りて、連絡をした方がいいですか?』
「うーん、今日はいいかなあ。今はリリィと別行動で、連絡をしてきてくれているんだよね?。
何か、結構騒がしい場所にいるみたいだね。
今日は、買う物は決めていたけれど、購入場所は決めていなかったし、アト君の迷子とかあって色々予定外なのは、わかっているけれども」
これまで、会話の方に集中をしてはいたけれども、それでも途中で何度か拾った人が大勢いることで聞こえる特有の音を、通信機越しに人の耳で拾っていた。
『はい、そうです。自分も東側にあるのと場所は知っていたんですけれど、初めて来ました。
ライさんはとても馴染みがある商店らしいので、案内してもらうことにしました。
ただ、案内してもらっている場所が、例え護衛だとしても男性が一緒に入るのが憚れる場所なので、入り口で待機している状態です。
それで休憩時間を使って、ライさんとシノさんにリリィの事を頼んで連絡をさせてもらっています』
「なるほどね。それにしても最近は、店でも客が扱わせてくれる通信機とかもあるんだねえ」
その時、賢者と護衛騎士の通信機を使っている会話のなかで何度目かのカチリという金属のぶつかりあうような音がする。
『ええ、無料《 ただ》というわけではなくて、距離と時間で料金かかります。個人的には、料金を払う方が気が楽で使いやすいです』
「アッハッハッハッ、そういった所はアルス君らしくて、いいね。
あ、領収証出して貰っといてね、必要経費で落とそうじゃないか。
その方がワシは気楽ということで、よろしく。
―――それじゃあね」
先程の金属音が、どうやら通信の料金を加算していた音だと判断した賢者は、自分の連絡相手になっている少年の性格を考え一言注意を加え、いい加減喉を押さえたまま話すのは何なので、少々乱暴に話をきりあげた。
けれども、精霊石にを使った通信機に注ぐ魔力の量は変えずに、"次"の連絡先へと"信号"を打ち込む。
「さて、向こうは素直に出てくれるかな……って、その前に私は米を研がなきゃいけないよね。
折角手から外した状態で使えるようにしたんだから、それを活かしておかないと。
後は、キングスが仕入れてきた情報を、ロドリー・マインド卿はどれくらい存じあげているか、質問しないとね~」
自身でも諄くて長いと思える独り言を口にし、窓から"帰宅"した際に1度脱いでいた、青いコートを再び身に付ける。
その行動で、自分の"管理者"が、漸く元主の部屋から退出するのだと、魔法の箒は察知した。
相変わらずの穂先を二股にした、2足歩行で昨日新人兵士が片付けてくれた為に、露出した足場を器用に進んで、スライド式の扉の前で待機状態となる。
「……相変わらず、主の部屋では大人しいねえ」
―――この部屋を散らかしたなら、ホウキィーを造ってくれたロッツが困るんだからね!。
後、数年したなら賢者の秘書が、そっくりになりそうな声の主を思い出しながら、指を外した人の声で申し訳なさそうにそう告げた。
多分、この部屋を飛び出したならいつもの様に、ある時を境にこの館に訪れなくなってしまった主達を探しに屋敷中を、何時ものように走り回り始める。
そして代わるように姿を現した主達にそっくりな、女の子を自分と同じ様に"主達"に産み出された女の子に、"仲間"意識をもって接するのを眺めることになる。
―――"人"は無理でも、"ウサギの賢者"なら空を 飛べるように造ってみたのよ。
―――ちょっと……いえ、かなり自我が強すぎるところがあるけれども、ウサギの賢者なら言うこと効くように教え込んでいるから。
―――それでも言うこと聞かない時は、アタシに教えてよ。
けれど魔法の箒は結局、造り出した人達が存在でしている間は、決して周囲が困るまで利かん坊になることはなかった。
「……さてと、何はともあれ私は帰ってくるだろう2人と美味しい夕食を食べる為に、米を研がないと。きっと美味しいんだろうけど、苦手なアスパラガスたっぷりのカレー食べるんだから、ご飯も頑張って旨くしよう」
実は魔法屋敷に戻ってくる前に、ぬいぐるみの状態で、後輩に擽り続けられのついでの様に告げられている。
"子供達の手前、良い大人が好き嫌い何てしないでくださいよ?"
「でもアルス君は、もう知っているみたいだし、少しは動揺した素振りをした方がいいのかねぇ」
そんなことを口にしながら立ち上がり、人の姿では、場所によっては少々天井の低い、現在では"ウサギの賢者の自室"で、注意しながら鳶色のフワフワとした髪のある頭を傾けた。
「おっといけない、下に降りるついでにこれも書斎に運んでおかないと。
見つかって悪いものでもないけれど、ちょっと内容的に、優しいあの子達2人には理解し難い内容だろうし」
そう口にしながら、未だに通信の繋がらない通信機と共に手にとるのは、副官が自分《賢者》が届けてくれていた仕事先からの土産だった。
「賢者の立場としては、全力無視案件なんだろうけれども、国王直轄部隊の鳶目兎耳としては、絶対見過ごせない内容っていうから、面倒くさいし扱いに困るんだよねえ」
それは先程、賢者としての部下である会話にも出てきた無菌樹脂の手袋と、ここ数年のマクガフィン農場のカレーパーティーに寄せられた非常に細かく意見が認められた調査表報告書となる。
長い指で掴み持ち上げたと際、微量であるけれども柑橘類の芳香が舞い上がり、人の姿となっている賢者の鼻にも届いた。
ただ、その爽やかな気持ちにさせる香りと違い、認められている文章には、届けてきてくれた仕立屋や、それに最初に眼を通したという、旧友の部下と同じ様に、辟易させられる効果がある。
「折角、素敵でお洒落なインクをつかっているのに、書かれている内容がどうにも下衆だから、残念至極だねえ」
『……繋がった途端に貴方に"下衆"等という言葉を向けられるのは、甚だ心外でしかないのですが。
私が作った教育課程が、厳格で訓練生から不評なのは十分自負をしておりますが、少なくとも効果はあるにしても、下衆でないつもりでいたものでしてね。
しかも、人の姿から逃げた癖に、国最高峰の賢者から残念とまでと仰られようとは、遺憾につきます。
ああ、でも残念な気持ちにさせれたなら、嬉しいと正直にもうしあげましょうか。
それで魔法の紙飛行機を使わずに、通信機を使っての連絡事は何ですか、鳶目兎耳の隊長殿』
"間が悪い"と例えるの非常に相応しい状況で、先程信号を打ち込んだ部下と漸く繋がり、嫌みを盛り沢山で返事をもらいつつ、賢者は自室の扉を開いた。
「いやあ、ロブロウ行ってから何気に風の精霊石を使った通信が多くてね。
それに精霊石の力を使うということで、魔法が使えない部下とも遠距離ながらに、連絡がスムーズにつけられる。
この利便性を、更に応用できないかと思ってとりあえず使ってみているというわけなんだよ。
あと魔法の紙飛行機に関して言えば、自画自賛になるけれども、大変便利だが、その使用枚数はセリサンセウムの軍隊に必ず記録が残るからねえ。
記録に残ってしまうような連絡でもないかなと思って、風の精霊石を使った通信機を使って、マインド中将に連絡をしている次第でもある」
長々と流暢に言い訳を口から紡ぎだしながら、鳶色の眼で穂先での2足歩行でウサギの賢者の寝室を退場する魔法の箒を見送る。
それから寝室をゆっくりと閉じながら、更なる言い訳らしき文言を紡ぎだそうと賢者が口を開きかけたなら、通信機を通じて"ロドリー・マインド卿"側が、俄に騒がしくなった。
『ロドさん、アトも通信機したいです、お話したいです!。
使い方分かります!、ロブロウでクラベルさんにちゃんと教えてもらいました!』
『アト!、ロドリー様は"お仕事中"だから、邪魔したらダメだって!。
それに、使っているのは領主邸のとは種類が違うから……』
『いや、シュト、基本的に精霊石の通信機の使い方は基礎は同じだから、恐らくアトでも使えるぞ。
……どこかの賢者が変な手さえ加えていなければの話だがな』
『いや、ネェツアークさんがどうこうということじゃなくってですね、ロドリー様』
そんな、シュトの呆れた様な締めの言葉で、一通りのこの会話を聴き終える頃には、人の身体に戻っている賢者は無事に階段を下り一階に辿り着いていた。
「いやあ、怖い副官さんの方から叱られまいと、頭の中で一生懸命に屁理屈を捏ねあげていたんだけれど、無邪気なアト君の前では形無しだねえ。
……"アト君"、聞こえているかな?」
『はい、聞こえています!僕はアト・ザヘトです!。おうとでのお家は、ちゅーべろーず・ぼりじさまのお屋敷ので、ろどりー・まいんどさまがこうけんにんです』
賢者からの確認に対して、呼び掛けられて嬉しさが声からも伝わってくる幼いお兄さんは質問された以上の返答を、現在は書斎の前に辿り着いていた賢者に行っていた。
「おや、ロドリー。
後見人まで引き受けたと、既にアト君に教え込んでしまったのかい?。
でも、そっちの方は確かアプリコット・ビネガー殿が引き受けるような話になっていると、当人が言っていたの聞いていたのだけれどもね」
今回は無意識ではなく、話が脱線しているとわかっていながらも、書斎の扉を横に音もなく開き中に進みつつ、語りかける。
『その方が"良い"と判断したからに他なりません。
淑女アプリコット・ビネガー様は、ネェツアーク様に何と仰ったかは私は存じ上げません。
しかしながら、王都でこれから生活と、ロブロウでの報告書、それにシュト・ザヘトの話を聞いたのなら、淑女アプリコットは、後見人などをしているお立場ではないと、伯父チューベローズ・ボリジとも意見が合致しました。
それで、伯母上であるボリジ夫人と乳母で様々な子育て経験が豊富なシズクにも、助言協力をしてもらえるという有り難い言葉もあって、私が後見人となります。
ザヘト兄弟も既に挨拶を終えて、未成年ではありますが唯一の保護者である兄のシュト、当事者であるアトにも了承を得ています。
もし、何でしたなら淑女アプリコット・ビネガーには私からお話を申し上げますが?』
ロドリーの方も、確認を行う意図は判っているようで、直ぐに通信機から返事を行われた。
「うわあ、王都から逃げ出す事はないだろうけれど、聞いたなら逃げ出したくなるような話だねえ。
後、全く気になんてしないんだろうけれど、初対面でそんな事いわれなら、アプリコット殿のロドリーへの好感度が大暴落しちゃいそう」
『ええ、隊長の言う通り全く気にしないので、私は淑女アプリコット・ビネガーとの挨拶の際には、そう告げるつもりです。
伯父上等は、私が後見人を引き受けると決定した事で、
"アプリコット・ビネガー嬢が御遊学で、王都に留まる内にさっさと求婚の算段を決める為の臨時閣議を開きましょう"
と、進言する為に早速謁見の支度をなさって陛下に御意見をなさるそうです』
いつも自分をやり込める"暴君"が、唯一、"苦手"と認めている元宰相殿が、行おうとすることに不謹慎ながら、賢者の心は弾む。
ただ、心は"いいぞ、国王陛下をとっちめてくれ"と弾みながらも、至極冷静な彼らの(一応)友垣としての心と、(渋々)賢者として責任感が助言という物を口から零れ落としていた。
「私も、アプリコット・ビネガー嬢、ダガー・サンフラワー陛下、両名の友人として2人が、非常に面倒見が良い為に、自身の事が常に"御座なり"になっているのを危惧している。
なので、チューベローズ・ボリジ殿が陛下に対してその進言をする事は、両手を上げて賛同しよう。
是非とも、国王陛下に対し、淑女アプリコット・ビネガーに求婚に関しては、煽って頂きたい。
彼女は、心にしても武力の面しても"強い者にしか魅力を感じ惹かれない"、サンフラワーの伝統の血脈のお眼鏡に叶った稀有な存在でもある。
しかも、田舎ながらも貴族で公爵家、貴族議員は元宰相のチューベローズ・ボリジ殿が後見ならぬ、"後ろだて"となると公言されたなら表立っては、淑女に文句を口にする事はないでしょう。
まあ、喧嘩を売られたなら、買い上げる余裕は武力的にも、社交界的にも十分対応出きるので、心配は要らない。
しかしながら、何気に、好意に対する"推し"には弱い淑女なので、いつもの調子でいけば、時間はそこまで要せずとも、求婚の承諾は大丈夫だろうと、友人兼賢者として断言しよう」
そんな言葉を喋り終わる頃には、書斎の机の中に部下である子供達には、見つかって欲しくない調査表をしまい終えていた。
このまま、食堂に移動をしようかと考えたが、手にしている風の精霊石の通信機と、普段は軍に所属している後輩《アルセン・パドリック中将》と直通回線になっている魔法鏡に鳶色の眼を向ける
「ちょっと、試してみようかな。
―――アト君、精霊石の通信機をロドさんから貸して貰って、近くにある"鏡"に行ってください」
『はい!ロドさん、通信機を貸してください』
『……今しがたまで、伯父上の御名前に陛下まで登場させて、まともに会話していたと思っていましたが、行きなり何です。
アト、鏡はこちらを使いなさい』
はーい、という元気の良い返事が通信機から戻ってきたと同時に、賢者の長い指の手をが、書斎の魔法鏡の縁に触れた。
「……あれ、シュト君とアト君は今はロドリーの私室にいるの?。
部屋の準備が出来てないにしても、その間はマインド邸の客間にでもいると思ったのに。
あ、今日はもしかしてボリジ夫人の読み聞かせの会の日だったかな?。
だったら、悪い事をしてしまったなあ」
ネェツアークという人物にしては珍しく、実に申し訳なさそうに言い終わる頃には、魔法鏡の表面は触れている鳶色の人を映すのではなく、マーブル状になっていた。
その状態の間も、風の精霊の石の通信機から、相変わらず声は届けられる。
『はい!"ボリジ奥さま"とシズクさんはこれから、マインドのお屋敷でえほんのおはなしかいをするそうです!。
今日は準備が出来てないから、おやすみだけれど、アトも今度から、"是非いっしょにしましょうね"、って、ボリジ奥さまとシズクさんが言っていました!』
アトの明るい物言いで、どうやらザヘト兄弟は、後見人となる人物の保護者となる人達から、快く受け入れられたのだと窺えて、珍しい状態の続きなのか優しさを滲ませる笑みを浮かべていた。
『あの、この状態でネェツアークさんの声が聞こえるってことは、この魔法鏡はアルスやリリィ嬢ちゃん達が住んでいるっていう、何とかの森の魔法屋敷に繋がるってことですか?』
かつてロブロウで、同じ様な鏡の状態を体験したことがあるシュトの確認する声が、今度は通信機から漏れ聞こえて、賢者がどう説明しようかと考えている内に、通信側の部屋の主声が響き始める。
『これは普通の鏡で、ネェツアーク殿が魔法と魔力を以て強引に繋ごうとしているだけだ。
鏡という道具自体が、善きにしろ悪きにしろ、東西構わず世界中で魔術という言うものをこの世界に具現化する際に、媒介になりやすい。
いや、"しやすく、使いやすい"という事だな。
それと、アルス・トラッドと巫女リリィ、そしてウサギの賢者が住んでいるのは、鎮守の森の魔法屋敷だ。鎮守の森については、王都近郊に住んでいる者なら殆ど知っている。
ただその鎮守の森の中にある魔法屋敷については、殆どの者に知られていない』
そういい終わる頃に、鏡の上に浮かんでいたマーブルの状態は治まり、軍服のロドリー、ザヘト兄弟の姿が浮かび上がる。
「おや?とりあえず3人は分かるんだけれども……?。んんん?」
魔法鏡の向こう側に写し出された姿は、人物の違いは判別可能だが詳細な姿は、ぼやけていた。
『何か、すごい鏡がぼやけるんですけれど。
えーと、声と無意味にVサインして見せているのネェツアークさんすよね?』
『アト、"ぐー"です、じゃんけん勝ちです!。
……あっ?!、"ぱー"にしたらズルいです、後だしはまけです!』
そして、それは相手側も同じ様子であるのと、賢者が長い指で繰り出す手信号に関して言えば、見分けがついているのが、ザヘト兄弟の言葉で十分伝わってきた。
玩具のような眼鏡をかけている、実際視力の悪いネェツアークでも、直ぐにロドリーが理解出来たのは、緑の色と仕様からして解りやすい軍服を身に付けている為である。
ザヘト兄弟の方も、兄のシュトの粗野な雰囲気の服装と、弟のアトの大人しく品の良さそうな格好と、いつも身に付けている斜めかけの白い鞄の方で何とか識別がつけられた。
「もうちょっと、映像よくならないかな?」
通信機を手にしていない方の手で、厚みのある魔法鏡の縁を軽く叩くという、備品として軍から準備してくれた後輩眉間に縦シワを深く刻み付ける様な"調整"方法を賢者は行ったなら、写し出される姿は一気に鮮明になった。
ただ、どうやらロドリーの私室に設置されている鏡は長方形であるらしく、楕円形の魔法鏡であるウサギの賢者の方には、上下左右が見切れ黒くなっている。
しかしながら、賢者にしてみたなら、映像が鮮明になっただけでも十分で、"ニッ"と口角を上げていた。
「……よしよし、どうやらどちらか片方が魔法鏡なら、互いに風の精霊についてそれなりに情報や知識を共有していたなら、比較的繋がり安い。
そうやって考えたなら、ライさんは魔術の資質が物凄いにしても、やっぱりロブロウで映像ま出来なくても、3つの回線を繋げたことは凄いねえ」
"一介の魔術師で魔法鏡の回線は1本、玄人ならば2本と言った感じなんだのぅ。
不完全ながらも3本も回線を引ける事は、本当に凄い事だし、めったに見れない上級魔術なんだぞ"
先日、ロブロウで同じ場面に出会していた褐色の大男の旧友が評した言葉が、実に的確であったと今になって賢者は身にも染みていた。
「それにしてもロドリー、はっきり見えるようにもなって確信したから言わせてもらけれども、軍服から私服に着替えていない様子だね。
時間の流れ的には私がシュト君を連れて行って、その後、本日私服の腹黒貴族がアルス君連れてやってきた。
まあ、その後起こった出来事は一通り聞いているから、それは時間をつくって改めて話を聞こうか」
魔法の鏡として繋がる前のボヤけている映像でも、軍服姿だと窺えた部下にそう告げた。
鏡の左右から覗き込む形になっているザヘト兄弟を率いるように、中央に佇む姿を魔法鏡に映し出している、屋敷に帰宅しそれなりの時間が過ぎていても着替えを終えていない部屋の主は、腕を組んだ状態で頷いている。
『わかりました。
私も"そのこと"については、隊長殿にじっくり話を報告した後に、これからの御意見を聞きたいと考えております。
そして、"先程書斎の引き出しにしまわれた何かしらの書類"についても、次第の前後は構いませんので話を窺いたいです。
私の耳が衰えていないのなら、先程魔法鏡を強引に繋ぐ前に隊長殿がとった行動はそういう"音"でしたよね』
『はあ?!"音"で、ネェツアークさんがとった行動が分かったっていうんすか?!』
ロドリーが腕を組んだ状態で悠然とそう言ってのけたのなら、シュトだけがそれなりに格好つけてあげている前髪を乱してまで、勢いよく振り返り大きく口を開いて反応する。
ちなみに弟のアトの方は、先程の事が印象に残っているのか姿がはっきり見えるようになった、"ネツさん"に向かって"さいしょはぐー"をして、鳶色の人はそれに応える様に掌を拳にして振りながら、口を開いていた。
「いやあ、一応諜報部隊の鳶目兎耳の副官殿と言うべきなのか、どんな些細な物音からでも、確り情報拾えるぐらいしてもらわないとね。
……む、負けたか」
今回は"敗北のVサイン"となった自身の長い指を鳶色の眼で見つめ、勝利に喜びの声を上げているアトの声を聞きながらさらに続ける。
「ちなみに、端的に言うなら書斎の引き出しにしまったのは、本日午後にマクガフィン農場に、英雄グランドール・マクガフィンの服を引き取りに行った、仕立屋キングス・スタイナーが、持ち帰ったものだよ。
最初は世間話程度にやっていたらしいんだけれど、どうもキナ臭くて私や同僚に感想を聞きたいらしい」
『"キナ臭い"って、そのどんな感じなんすか……って、アト!』
魔法鏡越しに、ネェツアークとのじゃんけんに"勝利"したことで、喜んでいた弟が俄に振り返り、満面に無邪気な笑顔を浮かべて軍服姿の"こうけんにん"に迫った。
ただ、迫られた方は、"蛇のようだ"とよく例えられる眼を、腕を組んだまま僅かに大きく見開く程度で特に驚くこともなく、次の行動をまっていると、それに応える様に無邪気な少年は口を開く。
『ネツさんにじゃんけん勝ちました!、ロドさん、グランさましたみたいに"良い子"してください!』
ロブロウで"|大人の男の人《グランドールやアルセン、老執事》"に誉められた"事が複数回あり、その嬉しい記憶"が、どうやらアトにすっかり残り根付いてしまい、それを"何かあったなら色々頼りなさい"と先程告げた人に、求める。
『……いやいや、流石にアト、止めとけ』
ただ、弟が求めるものと、それを求める相手には無理があると考えた実兄が、遠い眼をして止めていた。
『……何が、"流石に"なのかは敢えて尋ねないが、別に頭を撫でる程度、吝かではない。
アト、来なさい』
『はーい』
呼ばれ、アトはそんなに離れていない距離にいる、後見人の前に立っていたなら、至って普通にその頭を、未だに軍服を身に付けていることで合わせてつけている、白手袋を嵌めた手で撫で始めていた。
頭を撫でられる事で上機嫌になり、落ち着いた少年を確認した後に、引き続きその動作を続行しつつ、ロドリーは蛇のような眼で呆気にとられているシュトを一瞥する。
その後に魔法鏡に映る、書斎から再び移動を開始しようとしている鳶色の上司に向けられ、更に口を開いていた。
『私が軍服なのを不思議がっていたようですが、戻ってから先に屋敷の使用人にまず、アトの発達における障碍の症状と、拘りについて説明や、部屋の配置について助言を行いました。
それに家令にザヘト兄弟への接し方についても、伯父上からの指導の元に、書庫の資料を纏めている内に、"銃の兄弟"が、予想以上に早く訪れたというわけです。
魔法鏡からの通信を1度切断しますか?』
最後に魔法鏡の映像を繋げるのに一役買っている、今は頭を撫でられているアトが手にしている精霊石の通信機の方に眼を向けた。
魔法鏡は互いにその仕組みがあったのなら、最低限の魔力の消費で使用が出来るが、片方にその仕組みがないのなら魔法鏡を所持し、通信を発した側が主に負担をする事になる。
今回の場合、発したのは鎮守の森の魔法屋敷からのネェツアーク側となり多くの魔力を負担を行っていた。
非常に不本意ながらもロドリーの上司となっている存在を助力するべく、通信に消費する魔力に補助の魔力を出してはいるがその対比は圧倒的にやはり通信を飛ばしてきた側にあるのが判っていたので、続けるか否かの確認をする。
そして、どうやら上司の方は部下の提案を受け入れ、頷いた。
「そうだね。この魔法鏡の事も、書類を片付ける為に書斎に寄ったついでに、思い付いて試しにやってみただけの事だし。
それに何より、私には大事な扶養家族の為に、これから夕食の支度の手伝いをするという任務の為、姿の見える通信を切ろう。
と、その前に、宜しくね」
"宜しくね"という言葉をネェツアークにかけられたのと同時に、頭を撫でている少年が握っている通信機に向けられていたロドリーの視線は上がり、魔法鏡の方を向く。
(……あれ、うん、やっぱ"違う"よな)
余りにこれまでの人生ではしてこなかった経験と、出逢った種類のない大人のその行動に呆気にとられて、暫く状況をみようとしていた。
そして、黙りをしながらも、大人が弟に向けていた眼が、魔法鏡に視線を移したらその瞬間に、全く大きさや形は変わらないのに、蛇に似た眼から一気に熱が引いたようにシュトには感じられる。
(ロドリーさんとは、仕事上の付き合いはあっても、私情的には"「ネェツアーク」には一切関わりたくない"って所なのか?)
シュトの思惑を知ってか知らずか、会話は進んで行く。
『了解しました。アト、魔法鏡を見なさい、ネツさんがお話があるそうだ』
それまで律儀に頭を撫でていた手を止め、状況の変化に著しく弱い少年が魔法鏡の映像が"突然消える"という事に対しての、心の準備を促す言葉を口にする。
『はい、わかりました、魔法鏡に映っているネツさんを見ます』
"ロドさん"をすっかり信用している少年は、素直に魔法鏡の方に視線を向けるとそこには優しい笑みを浮かべる賢者がいた。
そしてそれと同時に、賢者は自身が立ち去る為の支度をしている"書斎"という場所であると思いだし、羽ペンとメモ用紙を3枚程長い指の手に取って、認めるのを始めながら口を開く。
素早く3枚程メモ用紙を使い、用意が出来たなら、早速魔法鏡の前に出した。
「"やあ、アト君"
"これからネツさんはお話をします"
"それは、これから起こる事のお話です"」
そうゆっくりと口にしながら、全く同じ文章を書いているメモを順送りに見せる。
"聞く"よりも"見る"方が理解できる少年は、メモに集中しつつゆっくり浅く頷いたのを確認したら、再び手早く数枚、書き物をした。
今度は、話始めると同時に今しがた書き終えたメモ達を見せながら口を開く。
「"アト君、指の弾く音が聞こえたなら、ロドさんの部屋の鏡からネツさんの姿は消えます"
"普通の鏡に戻ります"
"でも、通信機は声はまだ聞こえる状態です、お話はできます"
ここまでは、いいかな?」
メモ用紙サイズに、癖字ながらも丁寧で大きな文字で認めている為、すぐに紙面一杯になるらしく、それだけを先ず確認するとこれにも頷く。
『……"アト君、指の弾く音が聞こえたならロドさんの部屋の鏡からネツさんの姿は消えます"
"普通の鏡に戻ります"
"でも、通信機は声はまだ聞こえる状態です、お話はできます"』
今回は短文ながらも、その内容が込み入っているので少しばかり理解が難しく、内容を先ず"鸚鵡返し"をしてアトは口にする。
『……指ぱっちんしたなら、魔法鏡から、ネツさんの姿は消えます。
鏡は普通の鏡に戻ります。
通信機は使えて、お話はできます。
いいですか?』
それから、自分なりに考えて、理解した内容を言葉に直して再び口にする。
ただ、それでも自信がないのか、少しばかりおずおずとした調子であったけれども、魔法鏡からにっこりとしたネェツアークの笑顔を向けられたなら安心した様子で、つられるように笑顔になった。
「アト君、それで良いです。
それでは、ロドさんの鏡からネツさんはバイバイ〜」
滑舌良く口にしたなら、メモ用紙を手にしていない方の指先で"パチンっ"と音を出したなら、今回は魔法鏡の表面にマーブル状の模様などが浮かぶことはなく、パッと相手側の映像は消えてしまった。
魔法鏡に映るようになったのは、見慣れた鳶色のフワフワとした髪の悪人面が少々寝不足の表情を浮かべているもので、無事に切断できた事に小さく息をついた。
それからつい先程使った、メモ用紙に視線を向け、1度ポケットにしまいかけたが、再び取り出して片方の眉だけをさげ、眉間にシワを作りながら唇を開く。
「本当は書斎では火気厳禁だけれども、今回は仕方たがないよねえ」
そう呟いた次の間には、説明の為に使った複数枚のメモ用紙が指先からふじょうし、一瞬にして燃え上がる。
黒く薄い灰となりそれを確認するように、鳶色の眼が向けたなら、どこの窓も扉も開いてはいないのに、風が吹く。
風は燃え尽きながらも、辛うじて"メモ用紙が燃え尽きたもの"と分かった炭を微塵に散らして、書斎の机にふわりと落ちた。
「これで片付けたなら、証拠隠滅オッケーだね。
ああ、でも机に塵があっても不味いか」
そう言いながら机上に置いてあり、何かと便利に使っている柔らかい塵紙に包んで片付けたと同時に、机の端に置いている通信機から声が響く。
『……映像が消えたと同時に不穏な単語が聞こえたようにも思いましたが、先程の使ったメモを片付けたという認識で宜しいか?』
「そうそう、その通りだよ。
じゃあ、食堂に移動しつつ、鳶目兎耳の隊長はともかく、2名の優秀な副官殿達が仕入れてきた、ちょっぴり焦げ臭いお話を、聞きながら移動しようか。
勉強は嫌だけれども、頭の回る傭兵君も話を聞いて感想文を800字原稿用紙一枚提出ね」
『ちょっ!?冗談ですよね!?』
「うん、冗談だよ」
隊長に厳しい 副官の追撃を撒くのに、部下の親友を巻き込んで、笑いながら賢者は食堂へと向かい始める。
最初に仕立屋の"置き土産"について話した後に、次いでロドリーから掻い摘まみ、マーガレットの菓子店に現れた水晶玉について話していた。
その後の情報は、喫茶店に訪れたアルセンより、ウサギの賢者を擽り倒されてもたらされた情報で補填する。
『その、ネェツアークさんが作った煙幕玉を使った所も含めて、すっげえ怪しいですけれど、積極的に攻撃してきたわけではないみたいですね』
シュトがそんな感想を口にした頃には、随分と久しぶりに人の姿で台所に入った為、その視界の差に賢者は軽く驚いていた。
その驚きの感情が込めつつ、シュトが抱いた感想に対して返答を口にする。
「ああ、アルセンに追いかけられた方も、多分後をつける程度の探りのつもりだったろうから、水晶を使ってわざわざ距離をとっていたんだろうね。
それで以て、いきなり水晶砕かれて、男だけれどもすさまじい美人がつけてきた目的を吐かせようと、物凄い勢いで追いかけて来たことには、実際大いに驚き、胆を冷やしただろう。
いやあ、しかも仕上げの如く細剣を抜かれて、追い詰められたのならそれは、相手にしたなら、随分と怖い事になるだろうな。
どういう理由で持っていたかは知らないけれど、私が造った物で使って逃げられたとしたなら、誰かの窮地を救ったのだとして造った甲斐があった物だよ」
『えっと、ロドリー様が、物凄く複雑な顔してるんすけれど……』
賢者の言葉に、どうやら返事が出来ない程複雑な顔をしている、弟の後見人に代わって、兄が応えた頃、キッチンの調理台に通信機は置かれて、米を研ぐ為の支度を始める。
「さてと、米は確か低温日陰の場所に、錻缶の中に保管していると……うん?」
研ぐ為の調理器具である、棚の上部に片付けてある器や笊は、ウサギの賢者時、リリィと共に活用する脚立を使用せず取れたのだけれども、米を取る為にブリキ缶の蓋を開けるには、しゃがまないといけない状況となっていた。
「ウサギの姿に馴れちゃうと、こういうのが逆に不便に感じちゃうものなんだね」
"よっこいしょ"と、三十路後半には結構似合いになってきた掛け声と共に、それなりの長さがある脚を曲げ、米をしまっているブリキ缶の蓋を開けた。
缶の中にはロブロウから戻ってきてから、注ぎ足した米が入っており、その上に仕立屋から、この穀物専用の計量器である"1号升"が山盛りになった所に、突き刺さる様に入っていた。
「えーと、何合位炊けば良いのかな?。
カレーで私とリリィの時は3合で次の日の朝まで持っていたんだけれども、この調子だと多分またカエルも食べるだろうし」
鳶色の眼を左上に向けた後に、右上に向けて長い指を数度"4・5"の辺りまではすむ順調に曲げていくが、"5・6"の間で迷うように折り返しを繰り返す。
「アルス君、結構食べると言っても昔の私やグランドールみたいに馬鹿みたいに食えれば良いって、感じじゃあないだろうし。
結構食べるとしても、多分アルセンタイプだと思うんだけれどもなあ。
まあ……、取りあえず」
1合升を使って米を4合までは一切躊躇わずに笊に入れる。
「しかし、アルセンでも成長期はアザミ先生にしてみたなら、結構食べている方だよって言っていたし。
私とグランドールが食べ過ぎなだけとも、不思議と嬉しそうに言っていたなあ。
ああ、思えば、お昼もカレーだったんだよねえ……、そうしたら3食連続でカレーライスか。
という事でシュト君、どう思う?」
そこで手が自分が、米の合数を数えている間に、言葉を挟まないでくれている通話相手で、部下と同世代で同じ位の胃袋の活躍に語り掛ける。
『いや、俺もアルスと一緒に食事なんて、まだ数えるほどもしていないですから、胃袋事情までは、わからないですよ。
でも、多めにやっとけば足りないよりは良いんじゃないんすか?。
後、あくまでも俺の価値観ですけれど、飯を用意をして貰う立場なら、余程マズイか3日以上連続しなかったら、文句はつけないんじゃないと思いますよ』
『アト、カレー大好きです!。おかわりは、2回出来ます!』
『本人は落ち着いたと思っている三十路後半の胃袋でも、大皿に一杯米を敷き詰めるのだから、前以て多めに炊いておくの上策だと思いますが。
それに、育ち盛りはアルス・トラッドだけではなく、"ウサギの賢者"の秘書の巫女にも当てはまるでしょう』
部下の親友の返事の他に続いて、自分の部下と姪っ子の友達からの助言がなだれ込んできたので、素直に従う事にする。
「そうだな、足りないよりは足りていた方が良いだろうし、リリィは貧血に気をつけなきゃいけない時期だろうし。
それにライスなら、保冷庫に凍らせる程冷やしておけば保存できるし、ある程度貯まったらまたリゾットにでもしようかな」
それから2合足して、合計6号の米を研ぐべく、立ち上がる。
「それで、キングスが持ってきた話なんだけれどさ」
『元は、マクガフィン農場のカレーパーティーにおいて、消毒等を徹底してはいるけれども、無償参加でもある調理人の御婦人方の爪化粧が気になるという、調査表が発端でしたか。
そしてマクガフィン農場側としては、一応除菌に気を配っていた事もあって、調査表の意見を真摯に受け止め、更に万全を期するべく無菌樹脂の半透明の手袋をする事で、その問題を解消した様に思っていた。
けれども、次回のマクガフィン農場のカレーパーティーの時に再び調査表があって、無菌手袋は半透明ではなく、爪化粧が完全に見えない程の物にしろという意見が認めてあったとか。
だが、その調査表をスタイナーが見てたのなら、色々おかしな点に気が付いてしまったという事でしたか』
「そうそう、それは私が今から行おうとしている米研ぎの話しにも通じるものがあるんだよねえ」
前以て掻い摘んで話した情報で、同僚からの報せを掌握しているロドリーの言葉にネェツアークは、井戸水をくみ上げる為のポンプの柄を久しぶり人の手で掴んで"漕ぐ"。
「それでは手を洗ってから、早速研ごうか。
これからは、ちょっと色々動作をしながら何で反応が遅くなるけれども、よろしくね〜」
『はーい!』
ポンプを漕ぐ音と代表する様なアトの無邪気な声を、今は普通の人の耳で聞き入れながら、特に手入れは何もしていない自分の指先を見つめた。
爪の事を考えたなら本当は鑢で削り整えた方が良いというのは親友に助言を貰っている。
けれども、どうしても人の時もウサギの時も、ある程度伸びたなら爪切り鋏で、必要な長さを残し、容赦なく切ってしまう。
「どうにも、鑢を使っていると、背筋から後頭部にかけてモゾモゾしちゃうんだよねえ……っと」
"柄"を数度上下に動かしたなら、ポンプに口から勢い良く水が出てくるので、コートごと袖を捲り上げ両手を突っ込み、巫女の女の子が調理に前に必ず行う様に、炊事場に置いている石鹸で手を洗う。
数年前に、秘書の巫女として引き取ったばかりの頃に、"生きる為の食事"として教える為に簡単な調理からという事で、準備をする為に一緒に始める前に手を洗った。
その時、巫女の女の子は泡だらけになっているウサギの手を見て眼を丸くする。
人の手を洗う時の様に、且つお手本に丁寧になる様に洗えば洗おうとする程、モフモフとした毛の効果の為か石鹸が泡立って、シャボン玉がふわりふわりと次々と出来ていく。
台所中にフワフワと舞うシャボン玉は、当時はまだ感情や表情に乏しかった少女にとっては、良い刺激で出来事になっていたようで、それらを緑色の瞳で追う。
”賢者さま、シャボン玉だらけになっています!”
"むう、ワシの毛の効果で石鹸の泡が次々とできちゃうねえ"
そして、いつも飄々としている賢者の違う雰囲気も、少女にとっては何かしらの琴線に触れた様子で、次の瞬間には口元に小さな手を当てて微笑んだ。
"……ぅふふふ、賢者さまの手、凄いですね。
魔法じゃなくても、そんな事が出来るんですね"
石鹸で手を洗うという日常生活の当たり前の行動に、喜んでくれる姪っ子との思い出が、不意に記憶の中から掘り起こされた。
思い出し記憶に唆されて、賢者は石鹸の透明の膜を人の状態となっている長い親指と人差し指で輪を作って張る。
「―――――」
そこに少し唇を細めて、ゆっくりと息を吹き込んだなら大きく丸くシャボン玉が1つだけ出来上がって、宙に舞い人の姿が、魚眼レンズの状態で映り込む。
けれど、子どもが遊ぶ為に薬剤を加えて作られていないシャボン玉は、ほんのわずかな間しかその姿を保てずに、直ぐに弾けてその姿をこの世界から消した。
「……あの子が好きなのは、”ウサギの賢者さま”だからねえ」
風の精霊石を使った通信機には拾えない程の低く小さく低い声で、まるで自身に言い聞かせる様に呟いていた。
丁度水道のポンプも最初の勢いで流れ出てくる水量と音量が大きく、相手側に聞こえていないのを確信してから、確りと石鹸の泡となる部分を洗い流した。
「さてと、確り手を洗ったし、それでは米を研ぎますかね」
『長い時間、凄い丁寧に手を洗っていたんすねえ……。
俺なんか、石鹸で使って洗うだけでも十分なんて気がするんすけれど』
"返信が遅れる"とは聞いていたけれども、想像衣以上だったらしい部下の親友の声には少しばかり、呆れを含んだ声が聞こえた。
「ああ、少しばかりシャボン玉造りにハマってしまっていたからね」
『は?』
『しゃぼん玉!アトもしたいです!』
『調理中に、シャボン玉を作ってはいけない、洗剤が食事に入る恐れがある。
外で遊んでいる時か、若しくは入浴中にしなさい』
兄が眼を丸くしているのが伝わってくるような声を出した後に、弟は、賢者の返事に真剣に受け答えをして、部下は全く無視をした反応をする。
『そして、貴方は同僚からの報告に真面目に話し合う気はないのですか?』
「まさか、とんでもない」
部下の冷ややかな言葉に、笑みを浮かべながら、ポンプから汲み上げた水の勢いがある程度落ち着き、器一杯に貯めた後に、笊に入れていたた6合の米を"ザァーッ”と賢者は注ぎ込だ。
「でも、これからは米研ぎ作業を手早くしなければならないから、ほんの短い間だけれども、中断をしようか。
シュト君は兎も角、アト君は聞き覚えがない音を聞いても、驚かない様に。
あ、でもアト君はロブロウでマーサさんのお手伝いをしている時に、結構聞いた事があるかな?」
そんな事をネェツアークが口にしている間にも、笊から流し込んだ米は器の底に沈み、独特な糠の匂いが立ち上る。
それと同時予め水を張っていた器の水面に、糠が浮かんでくるのを見ていたなら、賢者が口にした質問に大いにアトが反応し、ロブロウの領主邸の竃番のマーサ小母さんの料理を簡単ながらに手伝っていた際に教えて貰った事を口にした。
『はい!、マーサさん、"米は早く研がないと嫌な匂いがついてしまうから、早くするのがコツだよ"って言ってました。
最初は、直ぐに米を洗った白いお水捨ててました』
「そうそう、正にその通りというわけで、ネツさんはこれから研ぎ汁を流します〜」
器の縁に指の長い手を添えて、米を1粒でも落とさない様にしつつ、特に目立って水面に浮かんでいた白く濁った研ぎ汁を直ぐに流し、それから再び水道のポンプの柄を掴む。
「それで、もう一度軽く研ぐ前に水で汚れを落とそう」
掴んだ柄の感覚に集中をしながら、いつも少しばかり水量の勢いがあり過ぎるポンプに注意しつつ、漕ぐ。
僅かに残っている水にっ浸っている米が入っている器の中に、水が注ぎ込まれて、その勢いで流れ出さない様に注意していた。
「よし、今回は零さなかった」
両手を使っているので出来ないが、塞がっていなかったなら思わず"ガッツポーズ"を出してしまっている声を賢者は出していた。
『そんなに喜ぶような事っすか?』
「大人になっても、苦手な事が上手に出来れば嬉しい物なんだよ」
シュトに意外そうに言われるのを聞きながら、ポンプの柄を掴んで極ゆっくりで、巧い具合にポンプの水量と勢いに気を付けて、器に水を灌ぐ。
「実を言えば、人にしてウサギにしても"セリサンセウム王国最高峰の賢者"は、何気にこの作業が苦手ででねえ。
余程注意をしないとどうしても、長い指を持った大きな掌でも細かいコメの粒を落としてちゃうんだ。
ウサギの時は最初から前以て笊を受け皿代わりに準備して、流す下に置いておいて米の粒を落とさない様に保険のかけているし。
さて、今回の水も流してから、漸く研ぐ作業だね……やっぱり笊を引いておいて良かった」
縁に手を添えて零れるのを防ごうとしていたが、小さな白い粒は、水の流れにのって人の指を器用に擦り抜けて器から、擦り抜けて落ちて行ってしまっていた。
保健に置いてあった笊の中に、ポロポロと落ちる。
「思い切り研ぎ汁をきりたいと思うと、どうしてもこうなちゃっう……というか、零してしてしまうんだよね」
『マーサさん、米は研ぎ過ぎてもいけないと言っていました。
それに流す時に、零さない方が無理だとも言ってました。
マーサさんも笊を使っていました』
もう"音"でしか情報が伝わらない事を思い出して、詳細を口にしたなら、"米研ぎ"については、通話相手として一番詳しいとされるアトが返事をしてくる。
「へえ、調理の玄人がそんな風に言うのなら、米研ぎって、最初から"零さない方が無理"位な考えがいいって、考えを改めた方が良いのかな?」
笊で受け止めていた米粒を器に戻し、アトの話しを聞いた事で今度は先程より気楽に、水道のポンプ柄を握り漕ぎ、水を注いだ。
注いだ水は、先程2度よりも濁る具合は抑えられていたけれども、まだ僅かに匂いもあり、器の底に手を入れて掻き上げたなら、一気にまた白くなる。
「今回まで、流してから次に研ぐかな」
『……あんまり研ぎ過ぎても、米の持つ栄養が流れてしまうと、栄養学の教本編纂する時に見ましたが。
ああ、でも、時期的に昨年の米なら、よく汚れを落としておいた方が良いですか』
上司については極力関わりたくない姿勢だが、世話をしている巫女に対しては、良好な環境で生育して欲しいロドリーが珍しく口を挟む。
副官が自分にだけ対しては辛辣なのは十分弁えているので、その意見は有難く受け入れつつ白く濁った水を流し、今回は最初から笊に掌を擦り抜けた米を受けとめていた。
笊には結構な米粒の量が落ちていて、網目になっている部分に入り込んでいる所もあるので、それを指を突っ込んで掻きだし落とし器に戻しつつ、返事を口にする。
「米は長期保存出来る穀物だけれども、こっちも一応生物だからねえ。
確か、マクガフィン農場のカレーパーティーもそう言った古米とまではいかないが、新鮮とも言えない米を無料提供して、片付けるという意味もあったかな。
肉やカレーのルーは、王都の城下町の東側の買ってくるにしても、野菜や水は農場の物を使っているからね。
まあ、野菜の見た目は見た目は兎も角、産地や品質については保証をされている。
そして、本日の夕飯のカレーもアザミ先生のお手製だから、味の保証はされている。
米の方も張り切って、研がせてもらいましょうかね」
そう言い終えた後に、長い指を6合の濡れた米の中に突っ込んで、粒同士を動かし回して、小気味いい音を立てて擦り合わせることで、互いの残留物を取り除かせる。
米の調理に関しての手際に関しては、一般的水準だけれども、その行う工程や理屈や理由についての知識については、無駄に詳しい賢者は、そんな事を思い出して、軽く語ってみせた。
「米を研ぐにしても、時期にあった研ぎ方や回数の目安が合ったりするんだよ〜。
今の初夏に向かっている時期なら3〜4回研いで2回すすぐのが目安だったかな」
『へえ、じゃあさっきから聞いていた、爪化粧云々の話は何か見当違いみたいに聞こえますね。
その、研ぐって事は結局米同士がやっている事なんすよね。
清潔なのに、越したことはないですけれど』
勉強は苦手だが、頭の回る傭兵の少年が弟を相手をしている様子を伺わせながら、そんな感想を通信機から返していた。
『口に入れる物に、直に化粧がしている指が触れて欲しくないって事なんでしょうけれど、普段の生活じゃあそんなの殆ど無理っていうか"気にしていられない"のが殆どじゃあないですか。
特に調理するのなんて、最後の盛りつけっていうんですか?、器具を使ってのもあるんでしょうけれど、直接手や指でやっているのとかよく見ますよ』
そのシュトの言葉に、同意した様にロドリーの言葉が続く。
『確かに。実際、一般的に見たなら米を研ぐだけの話しに、結構な文句を調査表に認めて何の意味があるかが計りかねる。
まあ、他の調査表の内容も、似たり寄ったりの内容ということですよね、隊長?』
「ああ、そうだよ。
後は、調理の際に使う手拭いが衛生的ではないとか、何んたらかんたら。
更に、マクガフィン農場の案内係がもう少し上品であるべきだみたいなとか、軍隊上がりで厳ついとか、高圧的なのが多いだとか。
文句として出されて、善処が出来なくもないけれども、普通にマクガフィン農場に馴染みがあるのなら、"そこまでしなければいけないのか?"って感じるの流れの内容が圧倒的に多い。
私個人の言葉で言わせてもらえれば、"お祭りに来てるのに、そんな荒捜して楽しいの?どんな気持ち?"的な事が、調査表に筆跡を変えて……いるわけではないか」
そこで一度目の"研ぎ"を終えて、水を注ぎ入れ笊を使って流し捨て、再び長い指を突っ込んで掻きまわしの作業を開始しながら、話しを続ける。
「キングスの予想にしたなら、ここ数年に行われているマクガフィン農場のカレーパーティーに置かれている調査表を、わざわざ持ち帰って、恐らく同じ場所で集まって、手を替え品を替え……ああ、"人を変え"て文句書いているという事だ」
『あの、言葉を挟んで申し訳ないんすけれど、どうして、同じ場所で集まって書いてるなんて予想が出来るんですか?』
これまでの話しをそれなりに聞いていても、腑に落ちない箇所についてシュトが尋ねると、研ぐ手を止めないまま、賢者は"ああ"と声を漏らす。
「そこは説明不足だったね、ごめんごめん。
えーとね、さっきかい摘んで話した中、キングスが資料にと、魔法屋敷へと置き土産に調査表に文句をびっしり書いてるのを、数枚置いていってくれたってのは、話したよね?。
あ、そうだ、それで、ロドリーはそこの所で口を挟まないって事は理屈は判っているっていうか、察していると事だよね?」
『ええ、それなりに。
でも、説明する為のスタイナーが置き土産の現物があるわけではないので、そのまま隊長殿が説明を引き続きよろしくお願いいたします。
憶測だけで説明するのは嫌なので』
副官に説明を委ねようとして失敗した舌打ちを、米を研ぐことで発生する粒同士が小気味いい感じにぶつかる音の中に混ぜて、仕方がないと胸の内で呟いて説明を始める。
それにあわせるように米の2度目の"研ぎ"を終えて、先程とほぼ同じ動作を繰り返し、最後の動作に取り掛かるべく、再び長い指を突っ込んで掻きまわしの作業を開始しもしていた。
「筆跡も違うのに同じ場所で書いていただろうと判断したのはね、先ずこれはその調査表の実物がなければ判らないだろうけれども、使われたインクが同じなんだよ」
『そんなに特徴的なインクなんすか?。その色が他の色とは違っていたり?』
まるで模範的な疑問と誤答を口にしてくれるシュトの声を胸の内で、半ば有難いと思いながら、賢者は視線は研いでいる米の方に向けたまま返事をする。
「いや、色は寧ろ普通でマクガフィン農場のカレーパーティー会場で、調査表をその場で書ける様にと置かれていたインクと同じ色だ。
他の筆記具として鉛筆もおかれていたらしいんだけれども、そのキナ臭い調査表のインクの色は、農場が用意をして置いた一般的な物と同じだった。
違いと言えば、インクに匂いというよりは、薫りがついていたんだ。
キングスもそれで、筆跡は違うけれども長い文句を書いている調査表を1枚1枚手に取って、匂いを確認したらしい。
そして匂いの種類が全て"同じ"だと気が付いたそうだ」
そう言い終わる頃には、米を研ぎ終わって水を流し最後に浸水させる為に器に水を注ぐ。