2人の独身貴族②
『―――それで、リリィさんに無理をして欲しくなくて、極力ゆっくりしてからマーガレットさんのお店で待ち合わせという訳になったんですか?』
工具問屋を出て、西側の人通りが少ない通り道を選んで私服のアルセンと、アザミが新たに作成した籠を背負ったアルスが並んで歩きながら、通信機で交わした会話を伝えていた。
『はい。日頃はゆっくり話す機会がないリコさんとライさん、それにアプリコット様もいますし。
えっと、ライさんが言う所の"がーるずとーく"というのを、してもらおうと思って。
何にしても話によれば、喫茶店に詰めているのは書類作業を効率よくする為だそうで、ライさんは比較的ゆっくりしても間に合うし、お話をしてくれるそうなんで』
それからルイについては、相変わらず"リリィがいれば万事大丈夫"という感じで、アプリコットはライとリコの護衛対象となるユンフォと話が弾んでいるらしい。
そして、アルスにとっては一番意外なリリィから知らされた情報だったのは、
"アトを迷子にさせてしまった事で落ち込んでいた女性シーノ・ツヅミ"
が、先日のロブロウに向かう途中に一泊した宿場街の夕食をとった居酒屋で働いていた、そして、それなりにお世話になったお姉さんではないか、と強く感じたという。
それは、その当時一緒の時間を過ごしたルイも同じ様に感じているらしいが、シーノに"アトが迷子になった話"を耳に入れたのなら、アルスと別行動になってから持ち直した気分が下がってしないそうなので、そっとしているらしい。
アルスがそこまで話したのを聞き終えた時、アルセンが小さく"そう言えば"と一言口にして、新たな話題を振る。
『アルスの話によれば、今から向かうマーガレットさんのお店に、シュト君とアト君がいるのですよね。
ロブロウでは、アト君は当たり前の様にチョコレート菓子を喜んでいましたが、シュト君も意外と言ってはなんですけれども、偉くその味に感動していましたねえ』
『そうですね、もしかしたら、それがあったからシュトはマーガレットさんの所で昼食をとってそのまま残ったのかなあ。
自分よりも大人っぽいって思っていたけれども、シュトにもルイ君みたいなところあるんですね』
教え子の天然な発言に綺麗に微笑みながら、アルセンはマーガレットのお菓子とシュトについての、ロブロウでの記憶を掘り返す。
―――このお菓子、本当に優しいっていうか、思いやりに溢れた味を出してますね。
シュトが頬を赤く染めなつつ感想を洩らす姿は、よく覚えている。
―――う~ん、美味いって感じるんだけど、何かオレとシュトさんの感じ方が違う気がする。
当時同じ現場に居合わせたルイがそんな言葉を口にしていたけれども、アルセンはその感想が実に的を射たものだと思えたものだった。
(まあ、俗に言う"胃袋を掴まれた"というには気が早いというか、表現としておかしいですかね?。
ただ、何にしてもマーガレットさんの作るお菓子の味が、シュト君と抜群に相性が良かったという事なんでしょうね。
しかし……)
自分の隣を新しい籠を背負って歩き、"親友"との2度目の再会を楽しみにしている教え子を見る。
これから、友人と身近になる生活をとても楽しみにしているのが、伝わってくる表情に水を差すような言葉を口に出すのが憚れた。
(まあ、三十路過ぎて御婦人と縁のない私が話すのはデッカイお世話になりますかねえ。どこかの賢者じゃあありませんけれど、確信が持てていない事に口を挟むのは野暮ですし)
そんな事を考えながら、アルスが話す親友とその弟について話す事に
耳を傾けていたけれども、その途中でふと言葉を止めて自分を見つめている事に気が付いた。
『どうかしましたか、アルス』
『いえ、ふと、思ったんですけれど、シュト達……というよりは、アプリコット様達という事になるんでしょうか。王都に来てから"これから"をどうするんだろうと思って。
そのアプリコット様は貴族だから、数日というかずっと宿屋に逗留をしたり出来るものなんですか?。
というか、するのでしょうか?』
アルスがそう思い至り、貴族でもある恩師に尋ねる様に口にしたのは、友人のこれからを考えた故だった。
軍学校では、話しを聞く側に徹していた少年は、同期の幼馴染がそう言った宿泊施設の従業員として就職したという事を話題にして際に、少しばかり興味を以て聞いていた。
その話によれば、アルスの経済観念からは、とても理解できないものではあるけれども、東側の富裕層の地域建造されている一泊するだけれども結構な値段がする宿屋に、貴族は連泊している方々もいると語っていた。
しかも世話をさせる従者となる使用人を伴って連れてきた場合は、旅費を含めて滞在費も払っているという。
ただ、従業員を宿泊させる場所は、やはり貴族の位というものが関係するのか、上位の方々だったら、同じ宿泊施設になるのだが、そうでもないと近所にある一般向けの宿泊施設になるという。
とはいっても、その同期の友人によれば同じ高位の宿泊施設に従者を泊める方が、珍しいという。
それに同じ宿泊施設でも、主従の区別をつける関係もあるだろうが、泊める部屋の階級が違うらしい。
『えっと、アルセン様は、その貴族ですよね』
アルスが一種の期待と信頼の眼差しを向けてくるけれども、それには申し訳なさそうな表情を浮かべて、アルセンは返事をする。
『……まあ、一応貴族なんですけれどもね。申し訳ありませんが、我が家の場合は、アルスの期待している貴族の例えの"当"にはなりません』
それから、自分には興味を持ってくれてはいるけれども、パドリック家という貴族としての歴史が―――アルセンの父親から始まった浅い歴史の家柄について簡単に説明する。
それらの情報は―――アルセンの父親については、アングレカム・パドリックについては以前屋敷を上司《ウサギの賢者》の指示で以て、リリィと共に訪ねた事もあってアルスも少なからず知っていた。
『それで、母上は―――バルサム・パドリック公爵夫人は、確かに生粋の貴族といえるのですけれども、その』
形の良い唇に白い手袋を填めた手を当て、眉間に薄く縦シワを作って少しばかり口ごもる。
『……息子の私が言うのはなんですけれども、母上は、"一般的な"という表現が当てはまりませんからねえ。
王族護衛騎士隊の方は2名、公用の出張の際には役割で付いて来て下さいますが、私用の際には、些か物騒な場所でも、専属メイドのシュガーさんを伴う事で事足りてしまいますから。
それに宿泊施設広い所をとって、就寝する場所は違えども、"同じ部屋"といった形ですから。
アルスが軍学校で聞いたという同期生の話と比べて、参考にはならないと思うんです』
至極残念そうに口にするのには、アルスは苦笑いを浮かべるしかない心持になる。
アルセンの御母堂バルサム・パドリック公爵夫人については、アルスもそれなりに存じ上げている。
小さな同僚であるリリィはその身をもって、愛情あふれるコミュニケーション体験をし、少々気を失いかけてもいた。
アルスにしたなら、産まれて初めて遭遇した貴婦人であり、アルセンの母親でもあるのだが色々とそのまま受け取って良いものかという疑問を抱いていたのも今になって思いだす。
(アルセン様のお母さまの貴族としての行動の当てはまらない……のかな?)
そんな教え子の微妙な表情を拾い読んで、口元に当てていた手を胸の前で組む形にアルセンは変え、発言をする。
『リリィさんは、特に母上の好みの女の子といえます』
『あ、はい。それはもう、そうだと自分も思います』
教え子が即答した事に、心の内で苦笑いを浮かべながらも、外見はどうみても、20代半ばの淑女、どちらかと言えば、"自分の妹"と言われた方がまだ、周囲が納得出来る実母の外見をふと思い出す。
―――何て、何て可愛らしいお嬢さんなのかしら!。
―――可愛い!可愛い!。
華奢な淑女の姿の母が、自分と再従妹となる女の子を大変気にいり、抱き締め上げたのは、記憶に新しい。
(まあ、母上がリリィさんが健やかに嬉しくて仕方ないのは、しょうがない事でもあるのだけれども)
その諸事情を教え子に、取りあえず"まだ"話す事が出来ない。
(それ程遠くない未来に、アルスには、母上がリリィさんを心の底から大切に思っている真実を、話せる時が訪れたのなら良いのですが)
息子と同い年の従弟の娘が、この世界に産まれた事情を貴夫人話せるようにはなるには、先ずはこの国の国王と最高峰の賢者の許可がなければ、ならない。
少女の母親側の、後見人となった賢者の支援員に息子である自分。
父親側の後見人で、実の兄で少女の伯父となる国王の支援となった母。
それが判ったのも、数年ぶりに母子共々リリィと再会したした先日の時だった。
(まあ、母上は私が秘密裏で支援していたのを、察していて黙っていたようですが)
取りあえず、教え子には"三十路半ばの息子がいるようには見えない程、若々しくぶっ飛んだ貴夫人"という印象を保持してもらう為にの話しを続ける。
『別に母が特別というつもりもないのですけれども、一定の御婦人は可愛らしいお嬢さんが大好きなんですよ。
赤ん坊や子犬や子猫といった、母性本能を擽る系とはまた違った感覚みたいです。
まあ、そこは御婦人特有の感覚なのかもしれませんね。
ところで、アルスがそういった話を振るという事は、貴族のアプリコット殿の事もそれなりにあるのでしょうが、シュト君アト君の今後を心配しているからですよね』
ついでに得意としているつもりはないのだけれども、何かと使う事が多い話術で話をスライドさせる。
ただ、教え子にしても、本当に話したい話はそちらの方だと思うので、アルセンとしても、特に躊躇う事もなく話題をず変更する事が出来る。
予想はやはり外れておらず、アルスはアルセンに出された話題にそのまま乗り、自然な流れで話を始めていた。
『はい、アプリコット様は御自身で、その賢者殿と同じ位強いとも仰っているし、とても賢い御方です。
それで正直に言い過ぎかもしれないですけれども、貴族の仕事というのが自分には良くはわからないのですが、そう言った所を必要としまくてもご自分の力で、生活できそうだなと』
そう告げるアルスの言葉には、似たような思いを同じ様に貴族でもある恩師にも、抱いているのが含まれているのが少しばかり感じ取れる。
(でも、産まればかりは、自分の意志で選んできたものでもないですしねえ)
アルセンからすれば、旧友《ウサギの賢者》も親友も出自は平民という事なので、ほんのすこし寂しさすらある。
それに教え子の発言も貴族であるという事を、全く羨んでいるニュアンスは微塵も滲ませてもいなかった。
『まあ、確かに正直に言い過ぎですけれども、アルスの意見に概ね私も同意ですね。
アプリコット・ビネガー殿なら、別に"貴族"ではなくても自活して生活できそうです。
しかも、粗野な恰好が趣味で、勉強嫌いではあるけれど頭の回る青年と、身辺自立は出来ているけれども、成人した後見人がいない事には、生活に不安を感じてしまう少年の保護者も、初めて訪れる場所でも出来てしまえるでしょう。とても、頼りに出来る良い人です』
『ええ、保護者として、大人としてとても頼りになれる御方なんだと思います。でも、本当に立派で強い方ですから……』
ここで少しばかり言葉に詰まる。
"今、自分が思っている事や考えている事を口に出してしまっても良いのだろうか"
そんなアルスの気持ちが表情から、アルセンには簡単に拾い読め、"出し辛いなら"と自分が口に出す事にした。
『国王陛下が、わざわざ迎えに来られた御婦人に"親友兄弟"の保護者を頼んで良いものなのか?という感じですか?』
恩師が特に周囲を気にすることなく口にした言葉に、アルスは空色の眼を丸くした後、籠を背負った姿で思わず辺りを見回してしまう程少しばかり慌ててしまう。
丁度西側と東側の間の、王都の主要道路で、人は多いけれどもそれでも広いので連れ合いで並んで歩いていない限り、それなりに人と人との間には距離はある。
アルセンが直接的な言葉を口にしたけれども、その声は周囲には聞こえていなかったようでわかりやすく安堵しつつ、恩師の発言を認める様に頷いた
『……そうです。その、今はまだ世間とか世相とか全くアプリコット様に見向きもしていないでしょう。
けれど、先程アルセン様が仰った通りで、それで多分王都に来たという事は、その"そういった未来"を少しばかり考えている所があるからですよね。
王都での生活は、最初の頃は数日宿泊施設に泊まるにしても、いずれどこかで定住して"アプリコット様、シュト、アト君"の3人の生活はする様な感じになるとも予想が出来ます。
けれど、そういったのが言が先にあると判っているのなら、そうやって暮らすのが良い事なのかなって、勝手にですけれど考えてしまって。
"行き当たりばったり"というのが、悪いというつもりはないんですけれども、それは順応力や適応力があるアプリコット様やシュトなら、特に問題がないとも思います。
でも、弟のアト君は環境の変化に順応するのがとても苦手だと聞いています。
今は"旅行"という気持ちで、何にしても"変更が多い"というのが、これまでの"療育"のお陰で根付いているので、負荷になっていないと、シュトがさっき話少し話した時に言っていました』
もし、普通に新人兵士として生活していたなら、こうやって親友に話して貰わない限りは、運良く縁があって子どもでも授からない限り、知らなかっただろう"療育"という言語を使いながら恩師にそんな話をした。
恩師の方も療育の意味―――日常生活を過ごすのに困難な障碍を抱えていたとしても、それを受け入れ幼児期から、それを克服するまではいかずとも、普通に生活できる程度にまで訓練を繰り返し、生活習慣を身に着ける―――を知っていた。
『ふむ、アルスとしてはそんなアト君に関して心配もしつつも、その延長で親友のシュト君の心配もしていると』
『いずれアプリコット様が抜ける生活が待っているのなら、最初からそういった事を想定した生活を王都で始めた方が良いと自分は思うんです。
その方が、結果的にはシュトも楽が出来ると思うし、3人で生活していた時に楽だった―――アプリコット様が支援してきてくれた事が、なくなって兄弟仲が悪くなったりするのも嫌だと思うし。
その自分がしている考えが、先回りをし過ぎている所もあると思うんですけれども』
『いいえ、良い"見通し”だとも思いますよ。でも、シュト君が”それも良い経験だ”と言ったなら、アルスのその助言のつもりのものは、確かに先回りで余計なお世話として受け取る事になると思いますけれど』
アルセンの指摘は決して嫌味ではなく、アルスもある程度、皮肉屋を自称をしている所もある親友が口に出してもおかしくはないと思えるので、確りと頷いて応える。
『はい、それは一番側にいる事が多くなるシュトと、アト君で決めれば良いとも思うんです』
そんな事を話している内に、マーガレットの店に赴く為に、やや北上した場所から主要道路を渡り切る。
アルセンは会話を続けようと思ったが、アルスが王都の城下町に着いてから、ロブロウから来た一行の話も聞いていてこれまでの話を含めて思い出す。
(そう言えば、アト君が迷子の原因……というのは、申し訳ないですね、発端になったポップコーン屋さんが、主要道路にあるんでしたか)
広く大きな石煉瓦『いずれアプリコット様が抜ける生活が待っているのなら、最初からそういった事を想定した生活を王都で始めた方が良いと自分は思うんです。
その方が、結果的にはシュトも楽が出来ると思うし、3人で生活していた時に楽だった―――アプリコット様が支援してきてくれた事が、なくなって兄弟仲が悪くなったりするのも嫌だと思うし。
その自分がしている考えが、先回りをし過ぎている所もあると思うんですけれども』
『いいえ、良い"見通し”だとも思いますよ。でも、シュト君が”それも良い経験だ”と言ったなら、アルスのその助言のつもりのものは、確かに先回りで余計なお世話として受け取る事になると思いますけれど』
アルセンの指摘は決して嫌味ではなく、アルスもある程度、皮肉屋を自称をしている所もある親友が口に出してもおかしくはないと思えるので、確りと頷いて応える。
『はい、それは一番側にいる事が多くなるシュトと、アト君で決めれば良いとも思うんです』
そんな事を話している内に、マーガレットの店に赴く為に、やや北上した場所から主要道路を渡り切る。
アルセンは会話を続けようと思ったが が敷き詰めて作られた、主要道路に緑色の眼からの視線を滑らせる。
(……?)
滑らせた視線が、特徴的な時計台に到達するまでに幾つかの道沿いに出ているいくつかの露店を確認する。
営業時間としても昼前から位から”開店”する店も多いだろう、飲食系を含めて土産物屋や簡単な装飾系といった結構多出ている中に、何処にもポップコーン屋の店はなかった。
(本日の”営業"を終わってしまった?。でも、時間的に早すぎるような気もしますし……。
ああ、でも移動式のお店という事でしたから、どこかに移動した?。
いや、でも、時間的に今からが"稼ぎ時”に移動する意味が……。
もしかしたら、稼ぎ時でもあるから場所の時間的な制約が無きにしも非ず、という事でしょうか?)
『アルセン様?。主要道路がどうかしましたか?』
アルセンの返事が止まった理由が、どうやら主要道路を眺めていただからだと察したアルスがそう声をかける。
『いえ、露店も昼時を過ぎたなら結構店が増えるなと思いまして。
これから暫くマクガフィン農場で、カレーパーティーが終了しない限りは褐色大男のオッサと午前様まで飲み潰れるという、暇つぶしも出来なくなりますからね。
結構暇な時間を持て余しそうなので、今度の休日は露店巡りでもしようかなと思って眺めていたんですよ』
実際の所は軍の執務机に、今回のロブロウの事を含めて書類の山があるので、粛々と片付けを進めても、夏が始まる季節まで到底片付きそうにない様に思えた。
それに午前に、単身で東側の人通りの多い場所を歩いていたなら、元気な子ども達に積極的に、午後からは、挑戦的な御婦人に「アルセン様、遊びましょう♪」と声をかけられる三十路半ばでもある。
アルセンにしてもグランドールにしても、単身なら各々 部類の違うこの国の民に声をかけられのだが、英雄が2人が連 なって歩いていたなら、不思議とそれはない。
4人いる事になっているこの国の英雄の内、名前を公にをしている、どちらかといえば人当たりの良い2人でも、並ぶと何とも言えない圧を発する事になる。
その圧は、褐色大男と顔の整い過ぎた美人の軍人が2人並ぶという事で2倍というよりも2乗を発しているようで、互いに最も気楽に王都の道を歩ける。
そして、もう1人そこに鳶色の人が加わった時、3人がつるんでいるその時間を邪魔したなら厄災が降りかかるというふざけた噂は、もう覚えて知っている存在がこの王都の城下町には、殆どいない―――。
『そうなんですね。グランドール様のカレーパーティーへの意気込みは、本当に凄いんですね』
アルスの声で、自分がほんの束の間ではあるけれど、今教え子が身に着けているのと同じ軍服を身に着け、鳶色と褐色の人は教官の軍服を身に着けでつるんで歩いた事もある、この道の思い出に、耽ってしまったのに気が付いた。
『そうですね、グランドールにとってカレーパーティーというより、カレー作りは、鍛錬を除いたなら唯一の趣味です。他の時間はマクガフィン農場の主、この国の英雄として時間を取られてしまいますからね。
"自分の為に使える時間"が滅多にない大農家にとって、大好物を大量生産する機会。
今年は少々時期が早いですけれど、私が暇だから付き合って欲しいと我儘を言える状況ではありません』
少しばかり早口で親友についてそう語り、出来る事なら教え子に束の間ではあるけれども、自分が思い出に耽ってしまった事を察せられるのを防ぐ為に更に続ける。
『でも、それも半年に1度程度の事ですからね、特に友人として不満な事もないです。まあ、そんな理由で何か面白そうな露店はあるだろうかと思って、眺めていたんです』
『それなら、アルセン様が良かったなら賢者殿のお屋敷に!。
その自分が非番で、自分の居室になりますけれど、暇つぶしで良いですから来てください。
椅子と卓は、この前の非番《休日》に、趣味の休日大工《D.I.Y》で作りましたし、多分、リリィも喜んで迎えてくれると思いますから。
えっと、その、多分賢者殿も喜んで迎えてくれると思います』
話を逸らす程度に己の、休日に置ける親友がいない場合の、暇人具合を露呈させたなら、予想外に強い教え子に誘いに主要道路に向けていた眼をアルスに向ける。
アルスの方も、自分が思った以上に力強く言ってしまったのに、今更ながらに気が付き、珍しく赤面をしていた。
『あ、あのすみません、いきなり』
『いえいえ、気遣って貰って嬉しいです』
(……私が、思っている以上に、アルスは私を兄の様に慕ってくれているという事なんでしょうか?。これは、遠慮なく甘えてくれているという事で、良いのですよね?)
上品に微笑みながら、密かに私服の胸の内で自問自答を行っていた。
親友とはなっているけれども弟扱いにされるのと、教え子の兄の様に振る舞うのはそれなりに慣れているつもりではあるのだが、実際に"兄の様に慕われる"という経験はアルセンは少ない。
ただ、ここでどこかの性格の悪い先輩の様に、この話題を続けたならアルスが困ると感じたので、再び話をスライドさせる事にした。
『そういえば、賢者の鎮守の森の魔法屋敷は、十分部屋が余っていますよね?。
それこそ、そこを貴族のアプリコット殿は兎も角、シュト君アト君の"下宿先"にしたなら良いじゃないですか。
実質1名の"賢者の護衛部隊"で、戦力は足りてはいるのでしょうけれども、増えて悪い事でもありません。
それに傭兵なら、軍の縛りや制約もありません軍隊嫌いとなっている賢者殿とリリィさんも気兼ねなくおけるでしょう。
しかし……』
良い思いつきだとアルセンは思ったのだけれども、弟の様に可愛がっている教え子も、同じ様に考えたのではないのかとも考える。
("友だち"を自分の家というか場所に招きたいというのは、親しくなった相手には1度は抱く想いというものなんですかねえ)
そしてこの事についても、アルセンは感覚的によく分からない。
アルセンの場合は"親友"と思える人と出逢えた時、今では言葉を選んで話す事は出来るけれども、当時はとても話す事は出来なかったし、親友となってくれた人達は"自分の家"というものを持っていなかった。
それに今ではパドリック家の当主となってはいるけれども、あくまでも屋敷は父と母の為の場所だと思っているので、必要に迫られない限り人は招かない。
だから、以前に教え子と再従妹が受け入れたのは賢者としての親友の頼みと、先日ロブロウに向かう前に、王族護衛騎士隊の3人の女性騎士が赴いたの国王の言葉があったからで表情には出さないが正直に言って、アルセン自身は前向きでもなかった。
休めも落ち着くことも出来るけれども、そこには貴族として住む義務としているという意識の方が強い。
そういった旨を、軍学校時代に軽く話したのなら、褐色大男と鳶色の先輩で親友が、王都の西側に隠れ家の様に下宿としてしている建物の鍵をくれた。
位置的には仕事場からしたのなら、東側の最奥にある富裕層の場所にパドリック邸に比べたら、西側の中程にあるその下宿は距離的に近いし、人通りも少ないので、対人的に気を使う立場となった今でも気楽に過ごせる場所となっている。
(でも、私の場合は"友人"になら見せたいですけれど、弟の様に思っているアルスには見せられない場所ではありますね)
それなりに片づけて入るけれども、日頃の軍服姿のアルセンからはイメージし難い程度に乱雑な下宿である。
主に現在乱雑に扱っているのは、褐色の大男で血液の型に関係にあるのかどうかは判らないが、良く言えばおおらか、悪く言ったなら大雑把の性質が多いという"土”の部分にあるとアルセンは考えている。
そんなアルセンは、良く言えば細やかで悪く言ったなら神経質な性質が多いとされている”水”の血液の型で、下宿の清掃や整頓は主に現在請け負っていた。
ただ昔は、まだ鳶色の人も共に使っていた頃は、褐色の大男は許せても、その人物は許せない程の散らかし具合を披露をしてくれたので、”前に比べれば”と片付けも苦にならない。
そしてアルセンが、その散らかし具合に俗にいう”キレ”そうになる前に、フワフワとした鳶色の髪から覗く耳を摘まみ上げ、”回収《引っ立てて》”くれる友人がいたからいつも鬱憤は貯まらずに済んでいた。
勝気なのが印象的な紅いと眼、それと同じ色の髪をした、”姉”の様に思える人が鳶色の人を容赦なく引き釣りながら、口にしていた言葉をよく覚えている。
―――片付けないとアルセンに迷惑がかかるでしょう!
『……その、リリィに負担が掛かるのではないのかと』
アルセンの記憶にある中で"姉"の様に思っていた人が発した迷惑の声と、教え子の迷惑をかけてしまうかもしれないとする、少女の表情が重なる。
髪も眼の色も違うけれど、"勝気"な印象を与える目元は直接の血の繋がりが無くても、本当によく似ている―――とする考えが浮かんだ直後に、直接的に血が繋がっていた人物と"も"似ていたと、胸の内ではっきりとさせる。
どうしても、自分にとって馴染みの深い人と重ねてしまいがちになってしまうが、冷静に残っている記憶が、それだけではないと、親したかったという欲眼を差し引いても、今なら思える。
その記憶が掘り返された時、母の従弟であり、アルセンとは同年の幼馴染となる、今はこの国の法王となっている人が穏やかに微笑んでいる姿も、教え子の気遣う少女の姿とも重なった。
(いけませんね、アルスに気が付かれなければ良いのですが)
先程からどうも昔の思い出が現在の事象の、似た部分から強引に重なろうとしている感触が、アルセンの中で否めない。
だがこの時、良い意味でも天然の新人兵士は、恩師にとっては都合よく沈黙を解釈してくれた様子だった。
『その、本当は男の自分が言葉にするのもアレで、言葉に出したとしても賢者殿が最適かもしれません。
でも、取りあえず今は自分が口に出させてもらうと、リリィはこれから御婦人として成長していくわけですし……』
教え子が計らずも自分から話をずらしてくれた事に、安堵しつつもアルスには年齢的に中心になって話しを続ける抵抗があるだろうという内容を察し、アルセンは直ぐに話題を引き継ぐ。
『そうですね、一緒に仲良く暮らすという話は、リリィさん当人にしたなら、"アルスくん"に加えて新しく、しかも仲良しになれた方々増えるのは大歓迎の部類とも思います。
アルスがもしもその提案をしたのなら、賢者殿に可愛らしく、お願いをすることさえするかもしれません。
でも、これからはこれまでと同じように毎日元気という訳には、いかなくなりますからね』
ロブロウでリリィの迎えた成長をアルセンも承知しているので、取りあえず直接的な言葉でに表現をさけてそう口にした。
そうしたなら、アルスは"恩師が自分の心配している事を理解してくれている"とこちらも安堵しつつ籠を抱えなおしながら、隣で俯きながら話を続ける。
『それでリリィも自分も賢者殿も、これからは毎日元気じゃないとしても、そういった事に関してはそれとなく察して、リリィを気遣う事は出来ると思うんです。
その早速というのもなんですけれど、今日のアザミさんに貰ったカレーみたいな感じにして、夕食は簡単にして楽をしてもらおうとか。
それにリリィは、どちらかと言えば我慢をしてしまう方だから、眼に見える様な変化があったなら自分は積極的に声をかけるようにするつもりです。まあ、その前の賢者殿がなんとかすると思いますけれど』
『……まあ、そうするでしょうね』
ウサギの姿の時は大変"落ち着き大人ぶっている"けれども、人の姿の時の過保護ぶりを目の当たりにしている旧友として、少々笑いたくなる衝動を胸の内で堪えながら答える。
『それに一応あんな姿でもこの国最高峰の賢者殿ですから、そういった系統の痛みを緩和させる薬や体操などをそれとなく教えると思いますしね。
そして、アルスはそれを見逃すという訳ではないですけれど、流し見る事が出来るけれども……』
そこで少しだけ視線を教え子に向けたなら、アルスは小さく決心を決めた様に口を開いた。
『もしも、アト君が何かしらで気がついたり、興味をもつということ。それで、リリィも別に答える事に関して、嫌だとも言わないとも思うんです』
『でも、アルスはそこが"変だ"とも、思うんですよね。当事者達は構わないと、してはいても?』
これには言葉にせずに、教え子は静かにだけれども深く頷いていたので、アルセンは自分で言葉で出す事にする。
『そうですねえ……。もし、アルスはリリィさんの立場がアプリコット殿だったら、やはり大っぴらにしないのを前提にしてなら、アト君に丁寧に教えるのを、構わないと思うのですよね?。
それこそ、療育の様に一般的には丁寧過ぎる位の事をして、アト君が理解出来る位までした方がいい』
『はい。ちゃんとした知識を持っていて、その、年齢的な部分を含めて世間が納得するのなら寧ろ、アト君には確りした方が良いかと思います。
……あ、思えば、案外、もうしているという可能性もあるかもしれませんが』
そう口にしながら教え子が思わず、1度脚を止めて直ぐに歩き出しながら浮かべる、思い切り"しまった"という表情には、敢えてアルセンは触れないでおく。
(まあ、そこまでアルスがリリィさんの事を考えているという事ですしね)
リリィの体調の事をばかりを考えてはいたけれども、すっかりその部分の療育が済んでいる可能性を本当に"今更"になって、アルスは思い至って、親友兄弟への申し訳なさで少しばかり赤面する。
喫茶店で軽く親友から、"これからこちらでの住いをどうしようか"と軽く相談されて、弟の事も併せてある"希望"も告げられていたので、 アルスはそればかりに考えを狭めてしまっていた。
そして、親友の相談事もあるけれど、自分が頼まれている事も併せ、少しばかり耳の長い上司の部屋の様に、考える内容が"ごちゃり"となってしまう。
でも、今、自分の恩師が隣にいる事で、シュトにとっての恩師で師匠と呼んでいた存在を思い出す。
(そうだよ、思えば、自分達《異性》が慌てて何も対処出来ない中で、ちゃんと実地で教えてくれていた。
リリィもお陰で、全く自然の事だと、そこまで動揺する事もなくて、身体の成長を受け入れたんだった)
何故だか少しだけ、自分が恩知らずの様な事を口にしていたような気持ちすらする。
(……でも、これはこれで良かったかもしれない。シュトに言う前でなくて、アルセン様に相談した事で、アト君にも失礼になる事を言う事が防げた。
少なくとも、2人の恩人に対して、失礼に繋がる発言をせずに済んだ)
―――ええ、多分これからも私は、お節介にも自分の弟子の心配をし続ける。
―――でも、"想い続ける"って事は、別に姿があってもなくても出来る事よね。
親友兄弟の師匠が、この世界から旅立つ前に、口にしていたその言葉をアルスは、当時負傷していた親友を支えながら聞いていた。
今横に並んでいる恩師にとっても、ザヘト兄弟の師匠は親友という存在でもあった。
("僕"は魔法も使えないし、精霊を見る事も感じる事も出来ないけれど、きっと"見守って"はいるという事なんだろうな)
孤児となっていた親友兄弟を引き取り、現在でも何かしらに関して教育に携わる事がなければ、正確な情報を理解している者が少ない、発達に偏りがある症状の障碍を、その"師匠"は知っていた。
そして"家族だから"という理由だけで、その全ての世話と責任を負う必要があるという概念を植え付けようとされていた、まだ幼い子どもで兄である親友も守り救ってくれる。
家族にしろ何にしろ縁があったことで、大切に思える存在が障碍を抱える事になってしまったなら、自己犠牲という気持ちを抱かずに連れ立って歩いて行けるような術を、親友にその身を以て学ばせ、会得させた。
その事が、どちらかと言えば誰とでも分け隔てなく接する事が出来るが、年の近い者でも縁が出来ても掘り下げてまで、その縁の結びつきを強くしようとはしてこなかったアルスに、興味を持たせる何かしらに繋がった様にも思える。
出逢った当初は、皮肉屋で粗野な恰好が好んでいるが頭が回り、弟に対して適切に世話をやいている少年が、友人として深い縁を作りたいとい感じる様になるとはアルスには思いもよらなかった。
『アルスは良く気が付くし十分優しい、そしてそれでいて、天然だから"気が付かなくて良い"部分も流してくれます。
今回は結構ごちゃごちゃとしましたし、普通に暮らしてたならアルス位の年齢なら、実際に妹みたいな存在がなければ考えもしなかったでしょう。
それかリリィさんの事を思い遣り過ぎて、親友の弟君の事を少しばかり侮りましたか?』
それなりの付き合いがあるなら、直ぐに判ってしまう作り笑顔を浮かべ、アルセンが尋ねたならアルスは身体全体から恐縮さを滲ませていた。
親友の弟を”下に見る”というニュアンスを感じさせる"侮る"という言葉に、頭を左右に頭を動かし、恩師に比べたならコシは強いけれどもサラサラとした髪を横に振って否定する。
直ぐに、反省と恐縮に申し訳なさを加えた雰囲気で、いつも前向きな新人兵士にしては珍しく俯き、日頃から手入れを欠かさない光沢を持った軍靴の爪先を見つめながら尋ねる。
『侮るですか。アルセン様から、僕はそう見えましたか?』
『そうですねえ。私からしたなら、"アト君を侮るな"というよりは、私の親友でアルスの"親友の師匠を侮るな”という事でしょうかね。
そういった方面では、正式な学び舎ではありませんけれど、この国の第一人者となる方に、友人と共にそれは懸命に学んでいましたからね』
教え子の方には視線を向けず、城下街の東側の方向を見つめながら、思い出を楽しむ様にそう告げる。
『ただ、私も三十路半ばを過ぎて価値感が古い思われてしまいそうですが、必要だとわかっていても、アト君にそう言った事を教えるにしても女性が行うには踏み込み過ぎている所もある感じます。
ただ、絶対に必要な教育だとも思っています。
学び方にも色んな拘りや、方法がありますからね、こういった所は、育った環境や文化によって価値観が異なります。
私とアルスはどうやら何にしても、そう言った方面の教育に関しては"異性が踏み込み過ぎる"所はなんにしても、躊躇ってしまう所があるみたいですね。
いや、アルスの場合は年齢もありますか?』
ロブロウで”旅立ち”を受け入れた親友の名前を口にはせず、けれども今でもなお友として尊敬している気持ちを瑞々しく感じさせる声色で、アルセン自身の意見と考えをを口にし、教え子に尋ねる。
これには下げていた視線を上げて、アルスは確りと頷いた。
『はい、年齢もあってアルセン様の仰る通りに、性別の事もあると思います。
それでも、もしリリィが"どうしてそんな事に教える事に性別をこだわるの?"って直球に尋ねられたなら、自分では巧く返答が出来そうにないです。
年齢については、賢者殿からよく制限をつけられて、リスがぽっぺた膨らませるみたいにしながらも、納得しているのを見かけますから』
アルスによって例えられた、再従妹の可愛らしい納得できない表情を想像したなら、自然と笑いがこみあげてきて、思わず拳にした白手袋を填めた手を口元に当てて堪える。
―――賢者さまの許可が出たなら、絶対に自分の力でしてやるんだから!。
自分の前ではまだした事がない様な、少しばかり"おてんば"な調子で言い切る姿にどうしても心が和む。
(思えば、ウサギの賢者殿―――ネェツアークと彼女もどちらかと言えば、年齢で考慮する事はあるけれど、性別で拘りを示す事が余りなかったですね)
寧ろ、指先が器用だけれども表に出るのが嫌な鳶色の人、力は強いけれど細工事が苦手な眼も髪も紅い2人のは、よく互いに苦手な事を交代していた。
『巧く説明出来なくてもいいと思いますよ。個人的にはそこはもう、”アルス・トラッド許容範囲”の問題だと思いますから。
ただ、許容範囲をじゃないからと、兵士の公務に当たるものを放棄したならそれは懲罰物ですけれどもね。
さて、それでは”ザヘト兄弟をウサギの賢者の魔法屋敷で受け入れる"ことについての、アルスの心配の1つは払拭されたとは思うんですけれども……。
ただ、先程の問題が解決したからと言って、あそこに住むには結構な順応性を求められますからね。
アプリコット殿とシュト君は兎も角、アト君はやはり不向きかもしれません』
つい先日、教え子は知らぬまま終了をしたけれども、配属されて一定期間は新人兵士を監視する決まりがあり、そう言った事を好まない耳の長い上司と腹の黒い元上官は渋々行っていた。
期間を終える前にロブロウの研修等が割り込んで、本来の期間を少しばかり伸びたりしたけれども特に何事もなく終了した。
ただ、現上司のウサギの賢者と順応力があり過ぎる元教え子にしたなら、慣れた"鎮守の森魔法屋敷"ではあるけれども、環境の変化が苦手とするアトには不向きだとアルセンには思える。
特に先住民(?)である魔法の箒に、突進されたり 追いかけられたち、襲い掛かられたりながらも、それを見事に逃げたり躱していた姿は軽く呆れながら魔法鏡を眺めていた。
加えて、絵本の物語の様にウサギの賢者が魔法をかけている調度品が、屋敷の何処彼処にある。
天然で素直な教え子は、"わぁ、魔法ってすごいなあ。調度品、気を付けて壊さない様にしないとなぁ"という具合で、その様々のやり過ごしていた。
逆にある程度魔法の知識と常識に備えていたなら、ここまで自立稼働している魔法の調度品を目の当たりにしたら、混乱をしてもおかしくはない。
(魔法は魔法なんですけれど、あの"場所"は魔力の具合が他所とは事情が違いますからね)
そして何より、その場所にある屋敷にはウサギのぬいぐるみなのに肉球が付いている存在が主としている。
(魔法に全く縁がないし、そこまで興味がないアルスだから、最初こそ驚いたけれども、そのまま流していられるんでしょうけれども、あれは"普通の魔法ではない"ですからね。
それに、何よりアト君がこれまで折角培ってきた常識が壊れかねないし、そうなったら親友として私が顔向けできない)
この世界にはもうういないのだけれども、はっきりとその姿は覚えている親友が、もう弟子であるシュトとアトに譲っている、2丁の銃を構えて綺麗に妖しく微笑んでいるのを想像してしまう。
(取りあえず、貴女を思い出す時の姿が、"銃口"を向けられたものにならない様にしましょうか。
少なくとも、私とグランドールに、それにお姉さんも、これまでのシュト君もありますがアト君が努力して療育で身に着けた事が、王都での生活で無駄にならない様にしますよ)
アルセンがそんな事を考えている事も露ほども知らないアルスだけれども、やはり続ける話題は親友についての事だった。
『はい、シュトは出来る事なら王都で、城壁で囲まれている方が有難いって言っていました。そうしたなら、今回みたいな迷子になっても困らないからと』
『―――?!、おや、それならグランドールの所もダメという事になるんですね。マクガフィン農場なら、寮の部屋もまだ余裕があると聞いていたのですけれども』
親友の事を考えながらも、並行してザヘト兄弟の王都付近での下宿先を考えていたアルセンは、自身の中では最有力候補としてあった場所が、あっさりと除外され、思わず両眉を上げ、綺麗な緑色の眼を大きく見開いていた。
それから、直ぐに王都の城下に住む為の条件も思い出し、シュトの希望は中々実現不可能だという事も気が付く。
『……シュトも、簡単に住めないという知っているみたいです。あくまでも希望ですから』
シュトが王都の情報を既に彼なりに調査を行っているのと、アルスも少しばかり話しているの告げるとアルセンは上げていた両眉を下げる。
『じゃあ、そういった王都に住居を構える為の方法の情報は既に知ってはいるという事ですね?』
『はい、それにさっきも言った通り、"王都でこういう風に暮らせたらなあ"みたいな、あくまでも希望です。
実際、今回迷子になったけれど、王都の城壁の外からは出ていないという事で、捜すのにそんなに困難ではない状態になりました。
それを考えたのなら、自分もアト君の為だけではなくて、シュトの為にも王都に住んだ方が結果的には2人の為にも良い様な気がして。
それに、シュトとアト君が、賢者殿が許可を出して屋敷で下宿をする事になったとしても、もしもあの森で迷子になったならとか、そちらの方が大変だと思うんです』
配属当初、アルスは迷子にはならなかったけれども、アルセンが前以て渡してくれた地図がヒントとなり、森から屋敷に通じる道の入り口を捜すのに助かった。
そこまで地図を見るのが苦手というつもりはないアルスでも、その場所は些か判りにくく、小さな同僚が言うには、別に魔法も何も使っていないらしい。
"騙し絵"の要領で、判りづらくしているそうで、1度判ればそこは入り口にしか見えなくなるのは、アルスも身を以て体験している。
『一応、あの森を含め、魔法屋敷も賢者殿が管理をしています。
だからあの森で迷子になったのなら、賢者殿なら直ぐにその居場所は解る事が出来るのですが……だが、話しはそう言った事ではないのですよね。
もし、何かの拍子に森で迷子になったのなら、アト君の性格したなら怖がるし、拘りも出してしまうでしょうね』
アルセンから初めて聞く森の説明の箇所に、今度はアルスが両方の眉を上げる事になるのだが、その後の解釈 には大いに同意する。
『それとグランドールのマクガフィン農場も、アト君の性格では、寮に住み込みで働くのは少しばかり難があるでしょうね。
農場で昼間働くのは、ジッとしている事が苦手なアト君にはあっていると思いますが』
『え、でもシュトが言うには、マクガフィン農場で、アト君の様な障碍を抱えている人でも、まだまだ数は少ないですけれど、結構働いていると聞きましたよ。その、寮に住む事が何かしらあるんですか?』
恩師が働く事ではなく、住むという事で難色を示しているのは、その語り口でアルスはそれなりに察して尋ねる。
『そうですねえ。こういったのは、実際生活してみないと判らない部分が多いでしょうから、言葉だけで説明しても伝わりにくいですからね。
どちらかと言えば、私的時間に関しては共に過ごすのは、シュト君やアト君の場合は、抱えている障碍に理解が出来ている方でないと、きついでしょう。
マクガフィン農場の寮にはグランドール、ルイ君。
それに私の副官のピジョン曹長と同じ役割を行っている、両腕と例えられているシャムとシエルという名前のフクライザという双子のお兄さんが、生活をしていますから、大丈夫とも思うんですけれどもね』
突如として名前の出てきた、アルスにも馴染みがある軍学校で訓練兵にとっては"お兄さん"的な役割を熟している、恩師ののっぽな副官となるロマサ・ピジョン曹長には驚いたけれども、例えとしてなら十分納得出来る人選だった。
アルセンが国の英雄で教官というという事で、余り目立たないがピジョン曹長自身は軍人として結構優秀だという事は、軍学校の間では結構知られている話ではある。
幹部階級の昇任試験を受けないかと勧められているらしいが、"今の職場が気にいっていますので"と笑顔で断っているという噂話あったとも、訓練兵の中では有名だった。
(朝にルイ君が話してくれていた農場の双子のお兄さんてピジョン曹長と同じ位優秀なんだ。
ん?"フクライザ?")
朝にやんちゃ坊主から聞いたシャムとシエルとはまた別に恐らくはピジョン曹長と同年代の青年達との苗字に、他の誰か達を思い出しアルスは胸の内で首を傾けたけれども、結局誰かは思い出せない。
仕事や任務なら長文等も極力覚えられるアルスだが、どうも人付きあいの方となるとその記憶力は鈍くなる。
ただ、アルスの方は相手から覚えられている事の方が多いので、軍学校の最初の方は笑顔で挨拶を交わしながら、訓練服の胸元に縫い付けられている階級と名前を確認するという失礼を密かに行っていた。
しかしながら、教え子のそんな面は確り見抜いている恩師は僅かに眉を潜めたが、話しを続ける。
『でも、グランドールを筆頭として、仕事の時間が終わっても更に仕事に励んでくれている事が多いみたいです』
『決して暇ではないと思っていましたけれど、やはり日頃からグランドール様、それで補佐をされている方も忙しいんですね』
(農業って、決まった時間で作業終了とか出来ない場合も多いだろうし、グランドール様はそれを取りしまって管理をする。
それで農作物だけではなくて、雇っているというか働いてくれている農夫や農婦への給金とか、多分そういう会計の部門もあるだろうから、そちらの方にも眼を通さないといけないだろうし。
軍学校とか、体力的にきついのは否定できないけれど、時間だけは確り守っていたし、仕事の分野は確り別れてる。
確か、アト君は"決まっている事を守る事は得意"だけれど、急な予定な変更が苦手だっていっていた。
でも、マクガフィン農業で寮で住み込みで生活をしたなら、農作物相手ならそう言った予定の変更だったり、"融通を利かせたり応用する事"に参加はしなくても目の当たりにする。
マクガフィン農場の方にお世話になるとしたら、そういった事は連続する。
それに付き合わなくても良いという配慮を、グランドール様はしてくれるだろうけれど、周囲の人がどうかな?。
多分シュトがグランドール様に話で聞いたのは、日中はそう言った障碍に理解と認識のある、支援員が入って、そこの所の配慮もして貰えるという話なんだろうな。
だろうけれども、寮生活になったなら、多分まだそこまでいかないだろう。
それにマクガフィン農場はお世話になるにしても、アプリコット様の今後が決定した後。
そんなに急には決まらない、全てが希望通りいくものでもないだろうと考えていたけれど、予想以上だ。
何にしても、今日はまず宿屋に泊まってから、先ずは雇い主であるアプリコット様の事も含めてから、話しは明日はになる感じかなあ)
アルスとしては出来る事なら、親友とその弟に王都に来た初日に迷子で逸れた事は、これからの生活で、最初に起こった笑い話になったらいいなというような希望も抱いていた。
『―――そうですね、グランドールを含めて仕事は早い位なのですが、フクライザの兄弟は中間として上と下の調整が多いですから、どうしても待ちが多くて、時間が取られてしまいますから。
ただ、昼間にマクガフィン農場でアト君が働くとしたなら国の試験を合格した支援員の方々いますから、理想的とも言えるでしょう』
アルスが親友について考えている様に、今は調味料集めに奔走しているだろう親友の事を考え、本来なら貴族の邸宅として使われなければならない"寮"に、もう1人の親友の教え子たちを住まわせる考えを、アルセンは断念する。
(さて、それではグランドールがシュト君アト君を引き取る気満々でしょうから、それを凌ぐ下宿先を考えなければいけませんね)
現在は大好物のカレーを作る為の材料を集める事や、ロブロウからの一行が王都に向かってくるにしても、ウサギの賢者の使いであるアルス達が向かうという事で、大農家にしては珍しく大いに"油断"をしている状態でもある。
調味料集めの本日は兎も角として、翌日にはロブロウ一行と接触して好漢は、これからの事が決まっていなかったなら、きっとマクガフィン農場の寮に誘う事になると思われる。
(それに、アルスよれば見習いパン職人のオッサン兄さんも、アプリコット殿の為に動いているみたいですし……。思えば、グランドールは"あの事”―――シュト・ザヘトを王族護衛騎士隊に入れるつもりという事は、既に陛下に伝えているのでしょうか?)
まだ先回りしすぎだとも思うのだけれども、忘れてはいけない事案を教え子との会話の中でアルセンは思いだしていた。
(考えてみたなら、最初からそこを含めて”銃の兄弟”の下宿先を考えていた方が良いかもしれません。
そうでないと、キルタンサス・ルピナス殿にアルスをウサギの賢者の方に斡旋した事を人手不足の度に、幹部食堂で笑顔と共に恨み言言われてしまいます)
現在の所、先ずは王族護衛騎士隊に入る為には、一般的に国によって認められた実力と智勇、そして保証人・後見人を請け負ってくれる貴族から推薦状を2通とされている。
(武力の方は、身体能力の方は元々悪くないでしょうから、王都で生活を落ち着いたなら軍学校に入って貰って、剣術と体術の方は暇をみて直々に指導しましょうかね。
そうすれば、少なくとも一般的レベルは達する事は出来るし、銃の事を巧い具合に利用して、シュト・ザヘトの武勇として国に認めさせればいいですし。
貴族の後見人と推薦状はは私とグランドールがすれば、何とでもなります)
"外堀"を着実に埋める考えをしながら、顔では如何にもザヘト兄弟の心配をしていると言った面持ちで、アルセンは再び唇を開いた。
『取りあえず、この後、アト君を保護してからのロブロウからの皆さんの本日の課題と言うか問題は、宿泊場所ですね。
本来ならアプリコット・ビネガー殿さえ、ちゃんとした宿泊施設に泊まれれば良いのでしょうが、ロブロウから赴いた御一行の皆さんでは性格上そういった事は出来ないでしょう。
何にしても、出来れば迷子防止となる城壁がある城下町で、アト君の障碍について本当の意味で以て理解のある宿泊施設か、若しくは家主のいるお宅へのお世話になるのが望ましいのですよねえ』
申し訳ない事だが、最初から自身が主となっている"パドリック邸"に関しては除外している。
どちらかと言えば、自分の母親は、この話をしたなら現役の少女であるリリィ以上に、それは夢見る乙女の様にして、
"アルセンさんのグランちゃん以外の仲の良いお友達のお弟子さん!"
と、家族で揃いの緑色の眼を輝かせるに姿が容易に想像できた。
(シュト君は兎も角、アト君のおっとりした感じというか、幼い感じが多分女性の母性本能的な物を的確に突いてくるというか、母上の庇護欲を擽るというべきでしょうか……)
"まあまあまあ!お名前は何て言うの?。私はバルサム・パドリック公爵夫人、アルセンさんのお母さんですけれど、バルちゃんと呼んでくださいな"
"アト・ザヘトです!バルちゃん!可愛いです!"
自分の母ながら可愛らしい面持ちで、普通なら戸惑う要求にアトが笑顔で答えて、序に母に懐いている"魔"も興味をもって、周囲の空気を蠢めかせ、専属メイドも機嫌のよい主に、いつもは冷徹な面持ちに薄く笑みを浮かべる―――そんな中で、自分とシュトが放置された状態で話が進んでいく。
(でも、これだと多分、シュト君が恐れ慄く事になるでしょうし、アト君には夜は絶対に母上の"魔"の方が悪戯を仕掛けるでしょうね)
前回の騒ぎの時にも軍の警邏隊は調査に来なかったけれども、流石に"銃"という武器は世間に知られていなくても、夜中にその発砲音が富裕層の地域から出たなら流石に誤魔化せない。
(力になれなくて、申し訳ありません)
そんな事を考えながら、自分の母親並みとはいかないけれどアトを自然に受け入れてくれそうな人物を考える。
『ああ、そういえばアルスはキングスとは、面識が出来たのですよね?』
考えたなら、思いの外早く思いついたのは、物腰柔らかい、普段の対人交流には面を着ける程の恥ずかしがり屋の、アルセンにしては珍しい年下の友人仕立屋のキングス・スタイナーだった。
接客も生業の1つとしてはいるが、基本的に優しい仕立屋のキングスなら、自分の様な腹黒い計算なしに、初対面の相手でも"仕事"と割り切れば、面を外し自然に穏やかな微笑みを浮かべ、相対する者の心を和ませる事が出来る。
アルスは唐突に出された賢者の親友でとても気に入っているという、"面"の姿には驚いたけれども、それを取ったなら艶やかとたおやかさを兼ね備えた仕立屋の名前に少しばかり驚くけれども、恩師が名前を出した意味をそれとなく直ぐに理解する。
『はい、自分は昨日初めてお逢いしました。でも、シュト達はまだ会ってはいないと思います。
ただ名前の方は、喫茶店で今日の行動をするにあたって、少しばかり話しました』
(あ、思えば"あの人"も行動を一緒にしていたから、シュトはもしかしたなら自分よりもキングス様の事をしっているかもしれない)
ただ、シュト達、ロブロウ一行に国最高峰の仕立屋の情報を伝えたかもしれない人物―――シノ・ツヅミをアルスが最後に見たのは、迷子のアトを捜す為に喫茶店を慌てて駆け出しながら見た姿だった。
喫茶店の予備に置いてある丸椅子に、店の邪魔にならない様に十分配慮した場所に座って"落ち込んでいた"。
(で、確かシノさんが落ち込んでいる理由っていうのは……アト君の迷子なんだよね)
アルスが気まずい調子で思い出しているのだが、恩師としては丁度良い"下宿先を見つけた"と機嫌よく話を続けていた。
『キングスなら、確りと障碍について十分理解をしています。
普段は王都から少し離れた場所にある、工房で過ごしていますが、東側の富裕層地域の迎賓館の隣に"スタイナー家"の屋敷がありますからね。
迎賓館は貴族しか原則として泊まれませんが、色んな手続きをすれば泊まれない事もありません。
でもその手続きを今始めたとしても、これから数日は日数を要するでしょう。
アプリコット殿は最初から、迎賓館、シュト君とアト君にはキングスのお屋敷に。
それでもその間、お世話になるとして、シュト君やアト君が、屋敷の中でお手伝いや頼まれ事を熟したなら、キングスならそれで充分だとしてくれますよ……アルス?』
教え子も同意するとばかりに思っていたが、自分の隣にいる空色の眼の少年は少しばかり申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
『……アルセン様、実は』
それから、アルスはこれまで無意識ではあるけれども、比較的ぼかして話していた、アトが迷子になってしまった原因についての詳細をアルセンに話す。
『成程、直接ではないのだけれど、そのキングスのお弟子さん、シノさんという御婦人は、御自分がアト君が迷子になってしまった原因になってしまっていると考えているのですね』
『考えているを通り越して、思い込んでいる、自分が失敗したから申しわけがないと決めつけている様な気がします。
自分は見ていなかったですけれど、アト君が迷子になるまではそれはシャキシャキとして明るいお姉さんだったらしいんです。
でも、アト君が泣きながら予想以上に素早い動きで逃げちゃって、シュト君でも追いつけなくてその変な例えですけれど、そこから暗雲立ち込めて、ずーっと落ち込んでいますから。
今は、もう保護されているという連絡があってから、安心はしているそうなんですけれど、表情はまだ暗いみたいです。
そ、それで、ですね……もしシュトやアト君がキングス様の所でお世話になるとしたのなら、そのシノさんもご一緒になりますよね?』
アルセンに尋ねながら、弟子の事を心配し語っていた仕立屋の性別を意識させないたおやかで、優しい声がアルスの中で、響く。
―――私の弟子は"シノ"という名前なんですけれど、ある程度武芸を嗜んでいるから、護衛の方も、正直に言ってそこまで心配はしていないんです。
―――ただ、シノは良い子で面倒見が良いですけれど、その張り切ると空回りをしてしまう事があって。
―――そちらの方を、とても心配しているんです。
その心配が見事に的中をした時には感心もしたけれども、師弟の繋がりの強さも感じてしまえる物があった。
(多分、アルセン様にウサギの賢者殿が、シュトとアト君を工房ではなくて、城下のスタイナー家のお屋敷で預かって欲しいと頼んだなら、きっと受け入れくれるだろうけれど……。シノさんにとっては、辛い事になる)
―――私は自分より弱い人に守ってもらわなくても、結構ですよ。
何の繋がりもないはずなのに、鳶色の人が口にした言葉がアルス中で仕立屋の声と連なるように響く。
(……どうしてだろう。自分は、シノさんの心がこれ以上落ち込まないか配しているだけなのに)
疑問に思う心と同時に、あの言葉と声を思いだしてしまっただけなのだが、鋭い刃物で思いもよらず、深く指先を斬ってしまった疼く様な痛みの感覚をアルスは覚える事になる。
でも、その疼く痛みと鳶色の人の声と共に思いだした事で、落ち込めるまで落ち込んだ面差しをしていた、シノという人の心境がそれとなく判ったような気持ちになった。
シノ・ツヅミにとって、キングス・スタイナーから予想された心配事を的中させてしまったのは本当に悔いし、情けなかっただろうとアルスは想像する。
(僕が、ネェツアークさんから、"自分より弱い人に守ってもらわなくても、結構"と言われた位に、自分なりに精一杯やっていた事が、最後の所で台無しにしてしまったのは応えただろうな。
しかも、多分アト君はシノさんの中でも、特に護らなければいけないのと思えた相手だろうし、何よりは先ずは打ち解けてくれただろうな。
迷子は突発的な出来事だったとしても、もう少しで初めての仕事を終えようとしていただけに、やはり悔しさが大きいだろうし)
どんな結果でも努力を認めてくれる場所もあるけれども、アルスがネェツアークから言われた事も、シノがキングスから心配された事も、結果が出せて初めて、その努力の過程も視線を向けて貰える類のものだった。
"その時"ダメだったなら、もう取り返しはつかない。
見返したい、認めてもらいたい相手は、自分の前から姿を消してしまっている―――。
『そうですね、仕立屋の弟子として多分内向きもことも、そのシノさんは修行の一環として、担う事になるでしょう。
すると当然スタイナー邸の管理もあるでしょうし、ただ汚名を返上をさせる為に、敢えてスタイナー邸にシュト君とアト君を預かり、シノさんが頑張る姿を見せる……というのも、私は悪くないとは思うのですが……。
今は、まだ塞がっていない傷口に、塩を刷り込むような感じになってしまいますかね。
私は恨みがある人物や、嫌な奴が自業自得で苦しむ姿を見るのは大好きですれど、今回は違いますからね。
そのシノという御婦人は、力が入り過ぎて、張り切り過ぎただけみたいですし』
アルスがシノについて軽く説明を行った後、疼くような痛みと共に沈黙なってしまったが、構わずアルセンは、 話を続けていた。
"恨みがある奴や、嫌な奴が自業自得で苦しむ姿を見るのは大好きです"
という綺麗な恩師が口に出した時、新人兵士の中では自然に耳の長い上司のモフリとした姿が過り、ある意味このような発言が行わられる度に思い浮かぶ、
"賢者殿、本当にアルセン様に一体どんなイタズラしたのだろう"
という、感想及び疑問がスッと浮かんで消えていった。
ただ今回はその事よりも更に印象に残る言葉が、先に口に出されていたので、そちらの方に意識を向けてもいた。
"汚名を返上をさせる為に、敢えてスタイナー邸にシュト君とアト君を預かり、シノさんが頑張る姿を見せる……というのも、私は悪くないとは思うのですが……"
という、恩師の活気溢れる言葉に、驚きつつも疼くような痛みが和らぐ。
(アルセン様って、どちらかと言えば綺麗で優しいし、細かい所にも気が付きそうだから、繊細って印象が強いけれども、実際は考え方が頑丈だよね)
痛みが和らぎ引いたのと同時に、これは決して思っていたとしても口にしたら、流石のアルスも不敬になると判っているのでださない考えが、頭の中で浮かんでいた。
その恩師の方は、教え子の気持ちを知ってか知らずか更に話を続ける。
『最近というのか、繊細な方が増えたというべきなのでしょうか。
失敗したのなら、挽回すれば良いという風に考えずに、失敗した事ばかりに囚われて落ち込み過ぎる訓練生が増えたと感じるのは、やはり私も、考え方が少しばか古い方になりますかねえ。
最近では直ぐに挽回しようとする事は、頭の中身までも筋肉で出来ているやら、軍隊だから、そんな脊髄反射みたいな考えだとも言われている風潮まであるみたいですし。
勿論、失敗に落ち込んで反省は必須だと思います。
時間や余裕があるのなら、落ち込める所まで落ち込んでも良いでしょう。
けれど、落ち込んだままでいても周囲に気遣われてしまう事に、不甲斐なく感じる位逞しくあって欲しいと、兵士―――東の国で言う"兵"にはあって欲しいですね。
……と、シノさんは御婦人で、アルスは任期契約の兵士でした。
すみません、いきなり軍人としての私見をごり押しする様な言葉を口にしてしまって』
作ったと判る綺麗な笑顔で、そんな事を流す様に口にして教え子を一瞥していた。
『……いいえ、アルセン様の私見というか、考えが聞けて良かったです』
("いくら最近の国が平和だからと言って、軍に残る気持ちがあるのなら、それ位の気構えがあった方が良い”と言う事なんだろうな)
そういう風に"念を押されている"のだとアルスは受け取った。
(きっと、アルセン様は僕がシノさんの事を話ながら、ネェツアークさんに言われた事を思い出している事に、気が付いたんだろう)
鳶色の人に、はっきりと告げられた現場に恩師は"一緒"にいた。
ロブロウで起こった出来事で、一時的に恩師は恐らくは何らかの必要があって、セリサンセウムという国に対して相対する側と一時共に行動をしていたけれども、その中身が変わっているという事はなかった。
―――私は自分より弱い人に守ってもらわなくても、結構ですよ。
―――兄の様に慕うアルセン様に慰めて貰うのも、いいかもしれませんね。
―――ネェツアーク、言葉が過ぎます。
本来ならアルスが護衛しなければならない人物からの、挑発するような言葉の連続に、思わず硬直するアルスを庇うように言葉をかけてくれていた。
それまでは、どうして相対する側についているのかという疑問があったけれども、その口振りは、アルスも知っているアルセンでしかなくて、疑問は更に膨らみながらも心は落ち着いていた。
(強要はされないけれども、アルセン様とこの国の兵士として過ごしていくのなら、先程言われてくらいでないと、きっと容赦なく置いていかれる)
ただ、アルスにしたならまだ国の兵士として残るかどうかは兎も角として、今いる居心地の良い”場所”の為なら、恩師の助言に従おうと思った。
話に一区切りがついたと師弟の間で無言の了解の間が過ぎたなら、アルセンが話を再開する。
『さて、それではどうしましょうかねえ。アルスは出来る事なら、親友のシュト君の全ての希望を叶えてあげたいでしょうし、最終的にはそうしていた方が、国のお役所的にも手続きが簡略化される事になると思うのですけれど。
やはり、数日は宿屋という事になるのでしょうかね』
『そうですね、キングス様の他に障碍に理解があって、王都の城壁内に居住されていて、暫く下宿をさせてくれそうな広いお家の方なんて、早々いませんよね』
アルスが"シュトとアトにとって最上の生活を始まりが切る為には"を考え抜いて、抜粋した条件を口にする。
その頃には丁度、オッサン兄さんダン・リオンが指示するバロータ爺さんのパン屋、そしてその斜向かいにはアトが保護されているというマーガレット・カノコユリの菓子店が、アルスの空色の眼の視界に入っていた。
『もうすぐですね―――あれ?』
思わず声をだして、アルスは脚を止めたのは、自分と並んで歩いていた筈の恩師の姿が、横にいないに他ならなかった。
少なくとも、視界となる前方にその姿はなく、横にはいない事で気が付いたので消去法でアルスは振り返る。
すると恩師は、口元に曲げた一指し指をあてて"それは良い笑み"の表情を浮かべ佇んでいた。
この"良い顔"は数度、新人兵士は目撃しているけれども、その後にモフモフした耳の長い上司が、小さな鼻の頭に寄せられるだけのシワを寄せて、人でいえば思いきり、目付きを悪くし、しかめ面をしている様子になっていたのを思い出す。
そして本来のウサギにはないはずのプニプニの肉球がついたフワフワな手で、
"ぬぅ、久しぶりにアルセンにやられたねぇ"
と、そんな事を言いながら、鼻の辺りに出来たシワを伸ばすように何度も撫でながら、髭を揺らしながら口にしていた言葉も記憶に新しい。
"アルセンはまず自分で考えて、無理な事は命令しないのはわかっているつもりだよ。ただ時々、おっとろしい思考回路で、ワシでも予想外のとんでもない作戦を練るからなぁ"
(賢者殿が予想外なら、自分はどれだけ斜めに考えてみても、思いつかないような事を考えているのだろうな)
ただ、思いつかないながらも兄の様に慕ってている人物に対するの"勘"というのだろうか。
今回、綺麗な恩師が"おっとろしい思考回路で、賢者でも予想外のとんでもない内容"と思われる思惑が向けられる標的は、これまで最も向けられてきだろう存在とは別物だと察する。
(アルセン様が賢者殿以外で、酷い……とんでもない作戦を向ける相手?。グランドール様……は絶対にありえないし、他には誰かいるのかな?)
でも、恩師があの綺麗な笑顔を浮かべてまで活用しようとしている人物に、アルスの人脈では予想できる人物はいなかった。
『アルセン様?』
"恐る恐る"と言った感情を何とか表情に出さぬ程度に滲ませて、教え子が見つめる恩師はやはりまだ良い笑顔を、その整い過ぎた顔の上に浮かべている。
『そうです、アルス。何も、私の友人、ウサギの賢者殿の御友人でなくても良いのです。
"障碍に理解があって、王都の城壁内に居住されていて、暫く下宿をさせてくれそうな広いお家の方"だったらいいんですよね』
どうしてだか、鳶色の人を思い出させる綺麗ながらも凄みのある微笑みを腹黒貴族は称え、教え子が思わず慄いた時。
―――ヘックシュン、クシュン!。
何処からか恐らくは、屋内から誰かしらの"くしゃみ"の様な声が、漏れ聞こえ、しかもどうやら連続している。
アルセンとアルスが歩いている、もうすぐ到着するマーガレットの菓子店が並ぶ場所は、東側でも賑やかというよりは、穏やかな感じで煩さからは遠い商店の集まりで、今は何処も昼休憩中の為に閑静という表現が合う位だった。
その静けさの為なのか、聞こえてきた"くしゃみ”は恐らくは屋内からの物だろうが、とても良く聞こえ、そして、それだけでも”男性”と判別できる音程の低さも伴い響き、通った。
ただ、アルスにしたなら、良く響く声もあるけれども、2回という回数で行われたくしゃみの回数の方が、ほんの少しだけ興味を持ってしまう。
最近妹のような小さな同僚が読んでいたのを片付けるのを忘れていた、少女向けの”お呪い”の本を何かしらのついでに片付けようとした時に、開かれていた頁に書かれていた文面に丁度"くしゃみ"の事が認められていた。
見開きの状態だったのと、リリィが読みかけだったら、片付けるにしても勝手に閉じたら悪いなと考えて、アルスは考えて頁数ははっきりと、内容は軽くを覚えている。
(確か、連続2回は、"くしゃみをした人にとって、余り良くない"噂話"をされているかも?!"だったかな。
それで、確か連続3回が"もしかしたなら風邪かも?"だったような。
お呪いの本に書かれている事は、当たっているのかなあ―――って、こんな事考えるんじゃなくて、アルセン様がさっき仰っていた事をお聞きしないと―――て、あれ)
『おや、もしかしたら、もしかするんですかねえ』
くしゃみについてのお呪いを思い出している内に、アルセンが件の微笑みを浮かべたまま意味深と取れる発言をしつつ、いつの間にか自分の隣に佇み、そして口を開く。
『アルス、もう一度確認します。予想以上に早くアト君は発見されていて、しかも、保護していた相手が賢者殿の"知人"。
それで、保護した相手と場所がとても信頼できる場所―――マーガレットさんのお店で、このまま暫く預けていても障りないという事でしたね』
『はい、そうです』
確認にアルスが答えたなら、そうですか、と短く返事をしてアルセンはツカツカと石畳を歩き始めていた。
慌ててその後ろについて行きながらも、先程からの恩師の綺麗な微笑みも気になるけれども、確認された内容についても気になる所があった。
(思えばアト君を保護したしてくださった賢者殿の知人って、まだマーガレットさんの店にいるのかな?)
―――賢者殿の友人……ではなくて、知人というだけあって、出来る事ならやっぱり表に出たくはないというタイプの人なのかな。
―――でも、アト君が保護されたという事は、きっと人当たりとか良い、優しそうな人なんだろう。
最初にアトの保護の一報を魔法の紙飛行機でもって知った時には、今日は城門で集合するまでそのまま別行動になると思っていたので、シュトにその人物の話を尋ねよう位に考えていた。
だから、自分の予想を改めて思い返しつつ緊張している内に、マーガレットの店の前に恩師と籠を背負った教え子は到着する。
『まがれっとさん、おかわりしても良いですか?』
扉越しながらも、声を抑えるという事が苦手だという、アルセンとアルスにしたなら久しぶりとなるアト・ザヘトの声が漏れて聞こえてくる。
『―――――よ』
次に恐らくはマーガレットが喋ったのだろうが、地声も大人しめな影響もあるのだろうけれども、店の壁の阻まれて、何を言ったのかは聞き取れなかった。
ここで、入り口の前で並んで座っている形になっているのだが、脚を止めている恩師にアルスは空色の眼を向ける。
するとまるで幼子にサインを送るように、人差し指を唇の前に縦てウィンクをされた。
一般的な御婦人ならドキリと意識してしまいそうな仕種だが、それなりに見慣れている教え子は瞬きをしたけれども、素直に"静かに"という意味で受け取った。
それから菓子店内から新たな声が聞こえてくる。
『仕方がない、私のを分けてやるから、これが本当に最後の1個。もう"ケーキのおかわり"はおしまい、約束だ、良いな?』
『はい!、ロドさんありがとうございます!』
アルスは初めて耳にする声ではあるけれども、先程耳に入れたくしゃみの声と同じ物だと不思議と解った。
それと横に佇んでいる恩師が唇に当てていた指を下し、唇を開く。
『これから、私が許可するまで、口を閉じていてください。良いですね、アルス?』
『―――』
アルスが無言で頷いた時、マーガレットの菓子店の店内から会話が途切れて、聞き慣れている足音がして、少しばかり驚く。
(確か、マーガレットさんの菓子店の床は木製で、それでこの足音は軍靴の中でも独特の物だから―――)
そして、その独特な音がする軍靴―――貴族と軍人を兼ね備えた存在に、軍から支給される特別設えの靴で、アルスが知っている中では、今隣に立っている人物の者しか聞いた事はない。
ただ、恩師と同じ様に、貴族で軍人という人物は軍学校でも名前だけは幾度となく、名前を聞いていたし目視もしていた。
ただ、アルスがその人物の名前を思いだす前に、"ツカ、ツカ、ツカ"とした例の足音が止まり、マーガレットの菓子店の扉が大きく開かれ、そこには見慣れた特別な軍服を着た人物がいた。
アルセン以外では初めてみた貴族と軍人を兼ね備える軍服姿で、手には同じ様に白い手袋を填めたオールバックの髪形の人物。
『どうして貴様がいるのだ?!、アルセン・パドリック中将!』
『非番をどう過ごそうと、私の自由ですし、仕事場から寄り道ですか。ロドリー・マインド卿、いえ、そのお姿だとロドリー・マインド中将の方が良いですかね?』
初対面ではあるけれども、恩師が名前を呼んだことで、名前は知れたしアルスにも直感的に不思議と"蛇"の様な鋭さを感じさせ面差しをしていた。
『それに、まだ昼休憩中かもしれませんが、そんな大きな声を出したなら、迷惑ですよ』
『―――!』
恩師の澄ました声に、本当に判り易く眉間に"ロドリー・マインド"と名前を呼ばれた、貴族独特の軍服に身を包んだ人物は縦のシワを刻んでいた。
(マインド中将とアルセン様は、何かしら確執でもあるのかな?!)
だが話が進んで行くにつれて、綺麗な恩師と蛇を感じさせる軍人貴族には確執どころか、因縁めいたものを新人兵士は感じ始めていた。
些か大きな声でもあったので、マーガレットが出てきて
『取りあえず店内でお話を……!』
と、口にした瞬間に眼を大きく開いて、アルスを見つけて真っ赤になって固まる。
アルスはアルスで、それなりにマーガレットの事情を知ってはいるのと、軍服を身に着けている事で、失礼な態度は取るまいと考える。
(あー、えーっと、取りあえずアルセン様から声を出さない様にと指示を出されいるから……。
ちょっと、籠を背負っている格好が失礼かもしれないけれど、取りあえず挨拶の意志を示す為に、頭下げて挨拶をしておこう)
どうしても、アルスにしてみたなら、向けてくれているマーガレットからの好意よりも、ただ"リリィと初めて友達になってくれたお姉さん"や、ウサギの賢者も認めている菓子職人で、親友もその味を認めているという、ある意味では"尊敬"の念の方が強い。
序に言うのなら、王族護衛騎士で治癒術師のリコリスや、魔術師のライもマーガレットのお菓子は凄いと褒めてい事もある。
なので、アルスなりに軍服の襟を正して深く頭を下げたが、アトの
『アルス!久しぶりです!まがれっとさんのお店、入ってください!ケーキも一杯あります!。
アルスのせんせ―、アルセンさまもいます!こんにちは!』
と、底抜けに無邪気な声と姿が、ロドリー・マインド卿の背中からひょっこりと出して、正しく脱力するといった感じになる。
『はい、アト君、久しぶりでこんにちはですね。家主のマーガレットさん、お客様のアト君の言う通り、取りあえず中に入って話をしましょう』
アトに"子供向けの笑顔"を向けた後に、アルセンがこの場の指揮者の言い回しに、ロドリー・マインド卿は眉間の縦シワを更に深く刻み込んで、両方の口の端を下げていたけれども、言葉に従う様に下がった。
そして厳めしい蛇の様な面ながらも、途中、アルスを見つめたまま赤面し固まってしまっている店の主であるマーガレットの肩を優しく叩き、声は聞こえないが2・3言葉をかけていた。
すると店主は、ハイ!と返事をして慌ただしく店の奥の方に姿を消し、アトとは躊躇いなく手を繋ぐという行為を躊躇いなくしていて、アルスは十分驚く。
『正直に言って、あの方と私は相性は悪いと思います。
けれど、私と同年で中将という階級にいる事、そして軍学校の教育課程に置いては、現場の要望と、上の希望を纏められるよいう、卓越した才能を持ち主です』
その恩師の声は平坦で抑えたものながらも、未だに眉間に縦シワを刻み、口の両端を下げて”苦虫を噛み潰した"手本の様な顔をしているロドリー・マインド卿を認めているのが、感じて取れる。
そして軍学校で且つて、教本の改訂作業の際に、恩師も、認めているという旨の発言をしていたのが前方にいる人物だという事も、アルスは思い出した。
(あ、でも、アルセン様は確か―――)
―――もしかして、この教本の改訂やカリキュラムに取り組んでいる、”ロドリー・マインド”という方は、アルセン様のご友人なんですか?。
―――いいえ、違います。
恩師が認めるような事を口にしていたので、軽いつもりで尋ねてみたなら即答というよりも、”秒殺”と例えるのが妥当な位の速さで、恩師は否定をしていた。
更に後に、その際に共に改訂作業をしていた軍学校の教育隊では、アルセンの副官で訓練生の”お兄さん”であるのっぽでも有名なロマサ・ピジョン曹長が、恩師の視界に入らない後方で激しく頭を左右に振っている姿も目撃していた。
”アルス、それ以上その事に触れてはいけない!”
普段は天然なアルスなのだが、人の良さそうな恩師の副官殿の必死の訴えには何とか気が付いて、その時限りの様な雰囲気となった。
ただ、魔法はダメな分、学科で成績を稼いでいた少年は、この人物の名前を知ったと同時に教本の裏表紙で幾度も見かける事となる。
軍に兵士として在籍をしていたなら、いつか会うだろう、そう新人兵士は考えていた。
―――考えていたのだが、この様な形でのロドリー・マインド卿との初対面になってしまった事は、日頃は肝が据わり過ぎている位の天然の新人兵士は、十分座っている肝が抜けてしまっていた。
(アルセン様、凄く良い笑顔浮かべているけれど、これは反応が既に分かった上での作り笑顔だ。
でも、理由は知らないけれど、ロドリー・マインド様がアト君を保護したって流れなんだよね?)
そんな事を考えながら、アルスは菓子屋の扉を閉める、と同時に声を抑えながらも恩師が口を開いていた。
それからは、アルセンとロドリーの激しい口論(アルスからしみれば、ロドリーが噛みついている様にしか見えなかったが)、間にアトが入って落ち着く―――そんなやり取りが繰り返されているように見えた。
だが、そんなやり取りの繰り返しの間に恩師の方は、ロドリー・マインド中将が反論する余地を、外堀を埋める様に着々と埋めて行く。
そして、外堀の仕上というべき時期になってアトを巻き込む発言が入ったように元教え子には思えた。
「そうですか、まだ、おともだちではないのですね。それではアト君はシュト君と一緒に、ロドさんのお家にお泊りをしたくはないですか?。
そうしたら、いっぺんに仲良くなれますよ」
「!、したいです!、アトはシュト兄と一緒に、ロドさんのお家にお泊りしたいです!」
(アト君、ロドリー・マインド様の事、そんなに気に入ったんだ……)
どうやらアトは、アルスの予想以上にロドリー・マインドに懐いているらしく、これまで2人の軍人貴族のやり取りが行われている間にも、幾度がとなく"仲良くなりたい"と口にしていた。
失礼にはなるが、一般的には強面という顔で(悪人面代表とは、またニュアンスが違う)、どちらかと言えば子どもには懐かれないし、蛇を連想させる顔立ちは、怖がられて距離を置かれるものだと思える。
ただ、その長めの前髪を後ろに全て撫でつける様にまとめ、ぶっきらぼうというよりも、軍隊特有の、高圧的雰囲気ながらもはっきりとした口調、それで質問されたなら即座に反応する様子。
(これは種類が似ているという事になるのかな?)
背の高さはロドリーの方が若干高いし、年齢相応に落ち着いた雰囲気ではあるが、あと十数年、年齢を親友が重ねたなら似てなくもないかもしれない。
(どことなく兄であるシュトに似ている所があって、凄く懐いているアルセン様と同じ軍服姿なら、アト君にしたならとても安心出来る存在になるんだろうなあ。
それに、迷子から助けて貰ったのなら、それで信用もアップするし、ロブロウであんなに憧れていたマーガレットさん店にも連れてきてもらったわけだし)
それから話は更に進み、ロドリー・マインドの家に泊まるという言葉をアルセンは発言する。
アトにとっては魅力的過ぎる言葉に、眼を剥いているロドリーの背後から、子犬の様に黒目が大きくして輝かせる。
「でも、人のお家だから良い子にしなければ、いけませんよ」
「アト、良い子にします、お夕食に、お野菜が出てもちゃんとたべます!」
「―――!」
(うーん、これが俗に言う、言葉が出なくなった状態という奴なのかな)
口をパクパクとしている様子を、アルスは背中に工具問屋のアザミからもらった竹細工の籠をその背後から、見守っていた。
ふと考えてみたなら、マーガレットの菓子店に入ってから一言も言葉を発していない。
(えーっと、そもそも、どうしてこうなったんだっけ?)
ざっと、アザミの店からの事から振り返り、シュトとアトの下宿先を決める事に難航している内に、保護されているという菓子店が見えてきた。
そして、自分が喋っていない理由は、菓子店に入る直前に恩師から、
―――これから、私が許可するまで、口を閉じていてください。良いですね、アルス?。
と、念を押す様に言われた事を思い出す。
(そうだ、アルセン様に言われていたからだった)
ただ、店内に入ってから行われた恩師のある意味では見たことはない側面に、圧倒されてそして親友兄弟の下宿先が落ち着きそうな事に、安心もするというような気持ちになっていた。
だが、ロドリーの足掻きはまだ続く。
「"仲良し"という言葉で例えるなら、そちらも、そうだろう!。そちらで、泊めれば―――」
「おや?、じゃあアト君が、私の家に泊まってもいいんですか?。アト君は素直な子だから、母上も喜ぶでしょうね」
だが、ロドリーは途中で言葉を止めて、上辺では"受け入れても構わない"表情を浮かべている綺麗な上司の顔を睨みつけていた。
(マインド中将、途中でアルセン様の家を進めるのを止めたのは、お母様の事を性格を知っているからだろうなあ。それで、アルセン様もそれを判ってて、やっているよね。
あ、マーガレットさんも、気が付いたっぽい?)
今まで赤面して固まっていた菓子職人も、流石に恩師とロドリーのやり取りに苦笑いの顔を造る事になったのだが、不意に真顔になる。
それから、まだ何かしら言い返そうとしている ロドリーの方を見つめていた。
(―――あ、アト君も?)
未だにロドリーの背に貼り付く様にしているけれども、眼をパチパチとした後に、先程アルセンがアルスにしたように、人差し指を唇の前に縦てる。
ただこちらは、幼子向け絵本の中の、登場人物が行う様に口の形を"しぃ?"としていた。
(え、何?。一体どうしたんだ?)
「大体、貴公はいつもそうなのだ!。軍学校でも、配属先を勝手に変更したり!」
「考えを柔軟にしなけば、いざという時に生き残れませんよ?」
口では口論を繰り返しながら、ロドリーは唇に指を当てたままのアトの頭を撫で、身体を動かさず、視線だけを後方にいる店主に向ける。
アトが小さく頷いて、身体を引っ付けるようにしていた事で丁度しゃがんだ形になり、ゆっくりと離れ振り返ると、マーガレットも判り易く"おいでおいで"をしているのを見つけて、それに従う様に、そちらに移動を始めた。
「そこにいるアルス・トラッドが良い例だ!」
「一応英雄という役割を担っている立場として、軍学校の訓練兵を指導する事で、人事に関して融通してもらうのが特権といううのは、国王ダガー・サンフラワー陛下ににも認められている権利なのですがね」
そしてこの国で、現在では2人しかいない事になっている軍人で貴族は同時に胸元に 、利き手を突っ込んだ。
ただ、アルスの立ち位置からは、恩師が手をいれる動作しか確認できない。
そして、私服のアルセンの何を取り出したかはわからないけれども、少なくとその肩越しには見えるのは、ロドリーが取り出した、何かしら折りたたんだ"筒"を束ねた様な物だっと判る。
(あれは―――)
"何だろう"思う前に、新人ながらも兵士であるアルスの空色の眼は、店の入り口に向く。
『滅多にないらしいけれど、マーガレット姉さんの店にも武器を持った人がお客さんに来るらしいから』
マーガレットの店の武器の安置場所には、何もなかった。
アルセンとアルスは未だに帯剣をしたままで、アトの武器である銃は服に隠れてはいるが、胸元の彼用の鞘に納まっているだろう。
(じゃあ、マインド中将の武器は今さっき取り出した物?)
アルスが視線を戻した瞬間に、ロドリーが取り出した筒状に束ねられて纏っていた物が、彼が手をはらうようにすることで、一気に伸びた様に見えた。
(あ、違う、"伸びた"じゃなくて、”繋がった”んだ)
それは音もなく、アルスが感じた様に伸びる様に繋がっていく。
実際は、纏まって束ねていた筒の端が、繋がる箇所となり"節"になっていたらしい。
(確か、軍学校の武器の教本に載っていたので、東の国で槍や矛の始まりにもなった棍という武器。
それを改造したのが多節棍というもので、携帯するのに便利ではあるけれども、武器としてとても扱うのが難しい。
余程修練を積まないと、扱う方が怪我をしかねないから、極めようと考えない限りは、一般的な兵士や騎士には向かない武器って、載っていた)
軍学校では戦場で扱われるとされる一通りの武器の実地訓練を行い、一応基礎の動きの試験もあった。
その中に棍とそれから派生されたとする槍と矛もあり、実際に手にも触れたけれども、本物の多節棍は見かける事はなかった。
(でも、ロドリー様が手にしているのは、棍の様に全体的に棒という形状ではない)
今アルスが見ている、ロドリー・マインドが手にしている多節棍は、本来ならない刃が、下に向けている棍の端についている。
だから正式に言うならば多節棍の機能を兼ね備えた、鉾というべきなのだろう。
そして"鉾"という事を表現するために、必要な棍の先についているのは刃の部分は、今まで見たことのない形をしている。
率直に表現するなら"ジグザグ"なのだろうが、初対面のアルスを筆頭に、多くの人々にロドリー・マインドという人物が与える印象と相俟り、棍の先端に着く鉾の象徴となる刃の部分は"蛇"を連想させる。
丁度その時、口論を続けていた2人の軍人で貴族の間にほんの僅かの間が出来る。
アルスはその間に、ロドリーが音もなく取り出し利き手に構えている武器にだけ向けていた視線を、全体に戻す。
正式には違うけれど、"棍"という東の国から来たという武器の先入観の為か、ロドリーが現在身に着けている貴族専用の軍服とはそぐわない様に、アルスは感じる。
どちらかというならば、先日出逢った仕立屋で、東の国出身というキングス・スタイナーが身に着けていた服装に、似合う様な気がした。
"―――蛇鉾"
その僅かな静寂の間に、ロドリーの唇が声を出さずに動いたけれども、その動きで何を言っているのかが不思議とアルスには伝わった。
(……じゃぼう)
相変わらず恩師から言われた事は守り、声を出さずに胸の内でロドリーが唇を動かし伝えてくれた、恐らくは武器の名前を繰り返した時、何かしら紙が裂ける音が小さく響く。
そして恩師が振り返りもせずに、白い手袋を填めた二本の指に一切れのメモ挟み、後ろ手に回し―――アルスに向けて差し出していた。
(これを読めと言う事ですね、アルセン様)
アルスは素早く受け取り、メモに視線を走らせる。
「特権にしても、度が過ぎる!。何だ、鳶が横から獲物を攫って行くように、直前に配属先を変更するというのは!」
「その方が、良いと思ったからに決まっているでしょう?。
昨今では折角訓練した兵士達を、平和故でしょうか、その性格に合わせるのではなく成績優秀者から、軍部中央に引き抜く様な形ばかりにしている!」
ロドリーとアルセンが口論を続けている中で、アトがマーガレットの傍に行き―――それまで、幼子の様な動きで菓子職人の元にしゃがんで辿り着いたが、到着すると即座に胸元に手を入れた。
そして、口論とそんな親友の弟の機敏な動きを見ながら、アルスは恩師の走書きながらも、その顔と同じ様に整った文字に眼を通す。
"アルス、単刀直入に書きます。
どうやら、私達はつけられていたらしいし、ロドリー殿によれば見張られてもいたらしいです。
当初は、ザヘト兄弟の下宿先を巡っての口論をしていましたが、互いに非常に不本意ながらも本当に必要性を感じ、口論始めてから声を交わしていました"
(……非常に不本意……ですよね、うん)
現在も進行形で行われている、やり取りがとても演技には見えない新人兵士は東の国の諺である"腑に落ちる"凄く納得出来きていた。
何気なく気が付いたが、今も相変わらず口論をしているけれども、恐らくは日頃大っぴらには言えない軍内部《職場》の不満に話題が移行しようとしている。
「大体なんのだ!国最高峰かどうかは知らないが、割り込みで成績優秀者を奪ってウサギの様に逃げるやり方は!」
「仕方ないでしょう!一応あれでもこのセリサンセウム国の賢者なんですから!」
(あ、ここは気が合っているみたい)
"敵の敵は味方"という言葉を身を以て、体感しながら次の文章を読み進めて行く。
"アト君とマーガレットさんには、声で伝える事が可能なので、ロドリー殿が2人に連絡してくれています。
多分、このメモがアルスが読んでいる頃には、2人とも行動が終了しているでしょう。
ロドリー殿も、軍部、しかも全ての教育課程教本の関係者ですから、銃についてもそれなりに御存じです。
なので、一応「マーガレットさんの所に移動して、悪い人が入って来たならやっつけなさい」としています。
加えて、アト君が混乱しない様に、細かく判り易く、ロドリー殿が指示を引き続き声で指示してくれています。
なので、アルスはこれから私が認めるの指示に従ってください"
(これからに指示ーーー)
それからアルスは、恩師の整った文字が伝える内容を頭に叩き込む。
アルセン・パドリックとロドリー・マインドの2人の口論はまだ続いており、その声はマーガレットの菓子店の外にも、耳を澄ませば聞き取れる程である。
「国最高峰の賢者が何だというのだ!、ただの職権乱用、我がままでしかない!」
「仕方がないでしょう、彼には国の英雄以上の権限が与えられています!」
そこで蛇の様な眼と共に、鋭いロドリーの視線が恩師の肩越しにアルスに注がれる。
「"アルス・トラッド!"」
「"はい"」
"私との口論をメモがアルスに渡ったならロドリー・マインド中将は、貴方に何らかの質問をするでしょう"
「"いったいお前の上司となる賢者は、兵士であるお前に秘書と共にお使いなどをさせて、今何をしているんだ?!”」
(それには、アルスが知っているまま、正直に答えてください)
「"ここ暫く忙しかったので、本日は鎮守の森で、お休みになっている筈です"」
("次に私が―――")
「"待ってください!、外に誰かがいます!"」
その言葉と共に、アルスとアルセンはしゃがみ込む。
ロドリーの背後の位置にいるマーガレットとアトも更に一層身を屈めた。
それと同時に蛇の眼の男は大きく蛇鉾を大きく振り上げる。
"「待ってください!、外に誰かがいます!」と言ったと同時にしゃがみなさい。でないと、「首」が本当の意味で飛びます"
丁度店内の中心の箇所に近い位置にいる、軍人で貴族が振り上げた鉾が本来の長さより 倍近く伸び、店の中で弧を描く。
本来なら棍という直線でしか動かぬ武器が、曲線を描くその姿は一種の曲芸の様にもアルスには見えた。
(まるで"鞭"みたいだ)
恩師と共に、指示通り頭を下げ身を伏せ、しゃがみこむ姿勢で"棍"から"鞭"の動きになった、ロドリーの武器をアルスは更に空色の目で追う。
特に尖端となる、蛇の印象を与える刃の動きを追っていたならば、恩師が、"首が飛ぶ"と表現した理由が判る。
そのジグザグとした刃の旋回の軌跡を描く位置の高さは、マーガレットなら頭部で、その他の背の高さにあまり差がない3人にしてみたなら、丁度喉元でそのまま佇んでいたなら一撃で切り裂かれていた。
そして刃の尖端が、旋回し"円"になる前にその動きから逸脱し、直線の動きとなる。
それは"棍"の形に戻るた為に縮むわけではなく、更に伸び、尖端はマーガレットの菓子店内へ光を多く取り込む、外開きの今は閉じている窓の方へ突進していた。
(―――あれは)
蛇を連想させる刃が迫る事での風圧で、マーガレットの店の窓のカーテンを膨らみ、窓硝子は大きく震え、外開きの窓の開閉させる起点となる窓枠の中心へと伸びて行く。
ただ、その精密な動きに視線を奪われたいたアルスの空色の眼の視界には、刃が向かう先にある物を見る。
それはしゃがみこみむ―――"見上げる姿勢"を取ることで、透明な2つの球体が菓子店の窓硝子を隔てて一般的な人の背の高さよりも高い位置に浮遊するのが見えた。
(シャボン玉?)
そうアルスがそう考えた次の瞬間には、菓子店の両開きの窓の木の縁を、ロドリーが"繰る"真っ直ぐに伸びた蛇鉾の刃の先端が、微かな音と共に、抉り、削る。
そして勢いは落とさずに、最小限の損傷に抑えた状態で、大きな音と共に窓は左右に大きく開いた。
そのまま更に伸び続け、空に浮かぶ"シャボン玉"の1つを蛇鉾の尖端は、涼やかさすら感じさせる澄んだ高い音と共に突き刺さる。
本来なら視界に留めるのにも困難なはずなのに、不思議とアルスにはその時間がゆっくりとした動きに感じ、シャボン玉が突かれたその場所から、細かいヒビを作り蛇の鉾は、内に入り込み進み、中程で進行止めた。
そこからは一気に体感する時間の流れは戻り、"シャボン玉"は粉砕する。
ただ粉砕されたことで、外の日の光を浴びる事で輝きながら飛散するその様子で、シャボン玉だと思っていたものが、球体の何らかの"鉱石"だったのだとアルスには漸く認識出来た。
先日、ウサギの賢者の魔法屋敷で、"リリィに持たせるのには重いから、お願いするね"と、アルスでも結構重かった鉱石が入った瓶詰や、箱を手伝い片付ける時にして貰った話を思い出す。
―――色や、形で補助出来る魔法や、魔力の増幅量も違うんだよ。
―――ちょっと乱暴な纏め方だけれども、鉱石の色が濃いものほど個性が強くてね。
―――透明なものほど、癖がなくて使いやすい。
―――だから、透明な水晶なんかは、初心者向けでもある。
―――でも、単純に使いやすいから攻撃魔法や精密な魔法を事を行う際にも適しているんだよ。
小さな鼻をヒクヒクとさせ髭を揺らしながら、そんな事を簡単に説明してくれた事を思い出し、今しがた起きた出来事に当て嵌める。
(じゃあ、さっきロドリー・マインド中将が破壊したシャボン玉―――みたいに見えたのは、水晶?)
その直後に、金属の重なるような音が耳入りに、そちらをアルスが向けば蛇鉾が、元の長さとなってロドリー・マインドの手の中に戻っていた。
「アルセン・パドリック!」
ロドリーが呼び掛けた時に、恩師は既に菓子店の床を蹴り、その身体は店の扉を開けるために白い手袋を嵌めた手を、ノブにかけていた。
「言われなくても、わかっていますよ、ロドリー・マインド中将殿。
―――アルス、後はロドリー殿に従いなさい、少なくとも間違った判断しません」
「"少なくとも"はいらん!」
ロドリーは蛇鉾を既に折りたたみ、軍服の袂に仕舞い込みながら胸元に、憤慨しながら言い返すが、私服の恩師は、振り返りもせず、菓子店の扉を颯爽と開いて行ってしまった。
「あ、そういえば―――」
("シャボン玉"、じゃなくて、多分水晶の球体は"2つ"あった。アルセン様は、多分残りの1つをそっちを追ったんだ)
「ロドさん、出ても良いですか?」
アトがマーガレットが同じ様にしゃがんだ儘の態勢で尋ねる。
「―――ああ、もう構わない。マーガレット済まない、最小限に抑えたつもりだが、窓の縁の木枠を損傷した。
修繕をしたい場合は、遠慮なくマインド邸に請求書を送りつけてくれ」
一息を吐きだしてから、未だに気を抜かずに周囲を警戒しているのが伝わってくる。
(普通はあの勢いでぶつけたなら、窓が吹っ飛んでも仕方がないと思ったけれども、あの一撃は、マインド中将、そこまで配慮していたんだ)
それから先程自分の武器で、派手に開いた窓をからロドリーは身を少し乗り出し、左右を確認し、最終的に"東"の方角に見つめ暫く観察している様だった。
(東側に、あの水晶が多分逃げて、そちらの方向にアルセン様は向かわれたんだろうな。
アルセン様は"後はロドリー殿に従いなさい、少なくとも間違った判断しません"って、仰っていたから、それに従えば良いのだろうけれども)
そこでロドリーは振り返り、今まで恩師を肩越しに見ていた人物をアルスは始めて正面で見る形になる。
背の高さは、アルスの知っている中でも最も大男である、本日は香辛料集めに余念がないというグランドールには及ばないまでも、アルセン以上はある。
そこにアトが後ろから飛びついていたが、ロドリーは多少身体は揺れるが、その場から足をずらすような事はなかった。
アトの背の高さはアルスに及ばないまでも、結構な高さもあるしその体重もあるだろうに、全く動かない事に新人兵士は感心する。
(体幹が凄い確りしているのかな……教範や教育課程を考案する仕事が、主な仕事の筈の方なのに、鍛錬も欠かしていないんだろうな)
ただアルスの観察する様な視線に気が付いていないのか、それとも気にしていないのか、ロドリーは更に振り返り、マーガレットの動揺はしているが無事な姿を確認して、今度は安心した様に息を吐いた。
「ロドさん、アト、頭の中で声が響いても驚きませんでした、良い子でした。悪い奴こなかったら、銃は使いませんでした」
「ああ、そうだな約束守ってくれて、ありがとう」
再び小さく息を吐き出しながら、位置的に撫でやすいのかアトの頭をロドリーは手を置いていた。
「ロドさん!今日から、アトとシュト兄はロドさんのお家でお泊りです!」
その言葉に苦虫を数匹は噛み潰し、砕いた様な表情を浮かべていたがそのまま頷く。
「……そうだが、我が家ではアレルギー以外の食べ残しは許さないからな覚悟をする様に」
仏頂面ながらも、屋敷に泊めるという事をロドリーは肯定しつつアルスには聞き覚えのある約束事を口にしていた。
しかし、アルスにしてみたなら、それ以上に関心を持ったのは、ロドリーの纏っている軍服だった。
(本当に、アルセン様と同じ軍服なんだなあ)
これまで見かけた事がなかったし、恩師以外の人物が身に着けているのが正直に言って珍しいので、無自覚に繁々と見てしまう。
「―――そんなにアルセン・パドリック以外の者が、この軍服を身に着けているのが、珍しいか?。アト、約束は守るから、離れなさい」
もうすっかり付き合い方に慣れた調子で、ロドリーが声をかけるとアトは素直に聞き、未だに開いている窓の方に身を乗り出していた。
「あ、その、すみません。でも、はい、そうです。アルセン様……パドリック中将以外にその軍服を見かけたことがなかったので」
「まあ、2人しかいないからな……」
考えてみたなら先程の指示を除いたなら、初めて個人として会話をする事になる。
ただ、どちらかと言えばアルス・トラッドとロドリー・マインドは、交渉能力は低い。
「……」
「……」
互いに言葉を出せずに沈黙をつづけながらも、観察し合う視線を送り合う事になっていた。
(これが、アルセン・パドリックの気に入っている、うちの隊長が強引に護衛騎士にアルス・トラッドか。
実際に見るのは初めてだが、確かにマーガレットも気に入っている事もあって、顔は整ってはいるか。
眼の色以外を除いたなら、年は離れているが、アルセン・パドリックの見た目があれ弟と例えても障りもないかもしれんな)
(うわ~、何か凄い見られているけれど、籠を背負ったままって失礼になってしまっているかな?。
それに絶対に口に出してもいけないんだろうけれど、さっき使われた多節棍の"じゃぼう"って、蛇みたいな刃をもった武器みたいなのと一緒で、似たような印象を持っている方だな。
でも、アト君はシュトに似ている部分や、アルセン様と同じ服装もあって凄い懐いているし、少なくとも絶対に悪い方じゃない)
そして同時に思い、考える。
(これからどうしよう)
(これからどうしよう)
暫く固まりそうだった状況は、アトの一言で動き出す。
「ロドさん!道がキラキラしています!」
その一言で先ず動き出したのはロドリーで、アトが覗き込んでいる窓の傍に再び向かい、上から被さるして見つめながら、口を開く。
「ああ、そうだな。先程水晶を砕いた。
魔力を流してもいたから、極力細かくしたつもりだが……。
マーガレット、済まないが掃除道具を貸してくれないか、簡単に清掃をしておこう」
「あ、でも、そろそろ周辺は昼休みが終わって、周辺の皆さん店を開くので、ロドリー様の恰好で、お掃除をされると……」
アルスがいる事で相変わらず緊張はしているけれども、菓子職人でもあるけれども、店を構える商人として"客人"の呼びかけには、確りと答える。
「どうせ昼前の清掃で、私がこれからお掃除しますので、気にしないでください。
それよりも、その、アト君とシュトさんをお屋敷に泊めるなら、マインド大奥様とシズクさんにご連絡をしておいた方がよろしいんじゃないんですか?。その、実際にはどうか兎も角なんですけれども……」
マーガレットの赤面しながらも、冷静な意見にロドリーはこの窓から辛うじて見る事の出来る時計台を見上げたなら、確かに昼休みを終了し、営業を再開する時間が迫っていたその一言で先ず動き出したのはロドリーで、アトが覗き込んでいる窓の傍に再び向かい、上から被さるして見つめながら、口を開く。
「ああ、そうだな。先程水晶を砕いた。魔力を流してもいたから、極力細かくしたつもりだが……。
マーガレット、済まないが掃除道具を貸してくれないか、簡単に清掃をしておこう」
「あ、でも、そろそろ周辺は昼休みが終わって、周辺の皆さん店を開くので、ロドリー様の恰好で、お掃除をされると……」
アルスがいる事で相変わらず緊張はしているけれども、菓子職人でもあるけれども、店を構える商人として"客人"の呼びかけには、確りと答える。
「どうせ昼前の清掃で、私がこれからお掃除しますので、気にしないでください。
それよりも、その、アト君とシュトさんをお屋敷に泊めるなら、マインド大奥様とシズクさんにご連絡をしておいた方がよろしいんじゃないんですか?。その、実際にはどうか兎も角なんですけれども……」
マーガレットの赤面しながらも、冷静な意見にロドリーはこの窓から辛うじて見る事の出来る時計台を見上げたなら、確かに昼休みを終了し、営業を再開する時間が迫っていた。
それにマーガレットの言う通り、この姿で掃除をしていたなら好敵手(?)で美人のアルセン・パドリックなら、客寄せになるかもしれないが、自分では遠ざけてしまうのは十分弁えている。
(確かに、マーガレットの店の営業妨害になりかねないな)
そう考えて、自分の眼下を見れば、
「キラキラひかる~♪」
と、何かしらの童謡を口ずさんで、自分が先程粉砕した水晶を眺めながらご機嫌になっている少年がいる。
(これだけ期待させて―――拘らせておいてから、もう泊まれないとなると、相当の負荷になってしまう。取りあえず、準備はしておく事にしよう)
「そうだな、何にしても私は一度引き上げて、受け入れる支度をしておこう―――。ああ、そうだ、アルス・トラッド」
「あ、はい!何でしょうか、ロドリー・マインド中将!」
フルネームで呼ばれ、思わずフルネームで呼び返して、籠を背負ったままであるけれども踵を合わせ姿勢を正す。
「堅苦しいのは苦手だが、軍服を身に着けている事もあるからな、マインド中将で構わん」
「はい、わかりました、マインド中将」
また幾度となく聞き覚えのある文言をロドリーは口にして、蛇の様な印象を与える上官は下僚に当たる少年の凛々しい響きを持つ返事に、小さく頷いて向き直る。
「私は今から自分の屋敷に1度戻り、こちらの兄弟の受け入れる支度をしてこようと思う。
因みに、こちらのアト・ザヘトの兄にあたるシュト・ザヘトは、その武器の特殊な機能を買われて、"傭兵稼業"もしているというので、短時間ではあるが、私の上官に当たる方に今護衛として、雇われている」
「あ」
(そう言えば。いけない、すっかりシュトの事を忘れてしまっていた。ごめん、シュト)
ロドリーが淡々と語る話の中に出てきた親友の名前に、短い反応をした後に胸の内で謝罪する。
ただ、菓子店に着いた途端に、恩師とロドリーの口論が激しく始まったと思ったなら、この騒動で、日頃優秀な新人兵士でも一時忘れてしまっても仕方がない。
ロドリーの方も、実に判り易くアルスが空色の眼を丸くした後に、気まずそうな表情をしたので、蛇の様な鋭い眼元ながらも、軍服の胸の内で、密かに同情していた。
「まあ、仕方がないだろう。こちらに着いた途端に、"芝居"ではあるが、あのの騒動で尋ねる暇もなかったからな」
「はい」
(芝居だったら、本当に役者さんみたいで凄いと思うけれども)
ロドリーの励ましの言葉を有難いと思いつつアルスは素直に返事をするけれども、どうしても芝居には思えなかった新人兵士は、色んな感情を抑えつつに真面目な顔をしながら返事をしていた。
それからごく自然に胸に浮かんだ疑問を口にする。
「えっと、その、それではマインド中将の上官という方は、シュト・ザヘトを連れて行った……ではなくて、雇った方はどなたなのですか?」
アルスからしたなら、幹部階級の中でも"中将"も俗に例えられる"雲の上の人"という位、上位であるのに、更に上となると見当もつかない。
ただ新人兵士のこの発言には、"兄を連れていった人は誰?"という意味が理解出来たアトが、窓枠外を眺めていた状態から、くるりとおやつか玩具をだされた子犬の様に機敏に反応する。
「アト知っています!シュト兄は、"ネ"―――わっぷ!?」
そして、子犬がまっしぐらに反応する様に答えようとするアトの口を、ロドリーが白い手袋を填めた手で抑えていた。
暫く"むー!むー!"と声にならない声をロドリーに抑えられた、白い手袋を填めた手の中であげていたが、急にパチパチと瞬きを繰り返すとその動きを止めた。
それからアルスに顎を向ける形になって、アトは口元をロドリーに抑えられたまま首を延ばし、顔を上に向ける。
それは魔法の才能がないアルスから見ても、アトがロドリーの上司の名前を口にするのを防ぎ、何らかの指示をテレパシーで送られているのが窺がえる物だった。
(えっと、つまりこれは)
アルスが考えを纏める前に、ロドリーがアトの口元から手を外し、先に口を開いていた。
「……ああ、初めてのポップコーン屋さんにも付き合うのを約束しよう。
だから、"ロドさんの上司が「いいよ」というまで、内緒"にしておいてくれ、ちゃんと、時期が訪れたのなら、話してくれるそうだから」
そこまでロドリーが口にしたなら、アトも見上げる形から顎を下し、アルスに視線を向けた後ぶ非常に申しわけなさそうな顔をし、
「アルス、ごめんなさい、アトはまがれっとさんと、お店の前のお掃除をします」
と、言って新人兵士に頭を下げ、既に昼の開店前の掃除の支度を始めている菓子職人の方に向かって行ってしまった。
「―――という訳だ、アルス・トラッド。これまでのアト・ザヘトと私とのやり取りで大方気が付いたと思うが、シュト・ザヘトを雇った私の上司は、まだ暫くは表には出たくないらしい」
そう言って、ロドリー・マインドは前もって"ネタばらし"を新人兵士に行う。
アルスの方と言えば、ネタばらしを行っている段階で大方の事を察していたので、自分にはまだ知らされない事情があるのだと理由があるのなら、気にしてはいなかった。
「はい、マインド中将も、その上司の方から命令をされていたなら、従うの軍属としての義務です。
でも、アト君は大丈夫なんでしょうか?。
その、自分もそこまで詳しいわけではないのですが、強い拘りがあってそれを我慢させるというのは……」
ロドリーがどこまでアトの事を理解しているのかはアルスには判らない。
でも、これまで軍学校で彼が作って来たという教本や教育課程に関わって来たアルスが受けた印象は、とても思慮深く教養もあるということ。
(もし、マインド中将が一度でも何かで、関わる機会があったなら心配は要らないのだけれども)
「……アルセン・パドリックから先程の声のやり取りで、一通りアト・ザヘトとの関わり方の情報を聞いているから、そこまで心配する事もない。
ああいった口論の形になったが、必要とあれば、そちらの方に学識のある方から、ご教授願おうとも考えている。
取りあえずいまは、拘りを持っている様に見えたかもしれないが、それを解消する方法を代わりに提示したつもりだ。
それで納得もしてくれたから、引いてくれたと思うがどうだろうか?」
(こういっておけば、アルス・トラッドも、うちでザヘト兄弟を預かる事になっても、安心するだろう。
淑女アプリコット・ビネガーについては……こちらが心配するのが野暮というものになるだろう)
本来ならばアトの様な障碍を抱えたものについてなら逆に、教える事も出来る立場でもあるのだが、そこは隠さなければならないのは声を行う前から、アルセンと視線を交えて決定した事でもあった。
アルスの方は、ロドリーのその言葉で十分安心が出来たので、"はい"と凛々しく返事をした、それと同時に、マーガレットが持ち帰り用の箱の中でも一番大きな物に、一通りの品物を入れて持ってきてくれる。
その後ろで、先程マーガレットの言っていた掃除する為の道具をアトが抱えていた。
「ロドリー様、こちらお土産に。料金は、お昼のスープ代金から差し引いても、まだ余りますから」
「ありがとう、伯父上伯母上や使用人達も喜ぶだろう」
(思えば、元々土産を買う程度に立ち寄るつもりだったのだがな。だが、シュトは兎も角、アトの方は伯母上やシズクが喜びそうだな)
掃除道具を抱えて、今は"ポップコーン"という言葉を何度も嬉しそうに繰り返すアトを見た後に、箱を受け取り乍ら、店の扉の方に向かう。
「それでは、1度、私は屋敷に戻るとしよう。
……恐らくは、色々収束沿た後に、この菓子店に人も色々な情報が集まるだろう。
アルスは本来の職務とは違うが、緊急措置として護衛として、代わりにここに留まって置いてくれ。
水晶の事も含めて、君の上司にあたる賢者には、私から連絡をしておこう」
「あ、賢者殿の事を御存じなんですか……て、あ、その失礼な言い方ですみません」
アルスが慌てて謝るが、その意味と心境が判るのでロドリーは小さく息を吐き出した。
「アルス・トラッドの配属先……、先程アルセン・パドリックと言い争いを"演じる"為に、色々とやっていたが、内容は概ね真実で大体の成り行きは知っているつもりだ。
ただ、直接会ってその姿を知っている人物は、正直に言って私を含めて殆どいない。
でも、それだけの我儘が通る活躍をしているだけの事もあるというのも事実だ。
向こうが此方を知っていても、此方は向こうは精々連絡先ぐらいしか知らないという事だな。
恐らく私が連絡する事で、例の紙飛行機で連絡がくるだろう―――それに、アルセン・パドリックの方からも、程なく連絡がくるだろう」
ロドリーが扉を開けながら口にする恩師の名前で今更ながら、どうなっているのかが、少しばかり気にかかる。
ただ、"戦う"という意味での心配は中将も新人兵士も、殆どしていない。
「アルセン様はどれくらい、時間がかかるでしょうか。多分、こちらに戻って来るのですよね?」
そこで殆ど扉を開いた事で、逆光の影の中でロドリーは振り返りもせずに答える。
「それは判らないな。
……素早さに関しては、国を代表する運動競技者にも劣らぬから、追いつけてはいるだろうから。
まあ、心配するだけ"無駄"だろうから、気にしない事だ」
そう言葉を残して、ロドリーは菓子店を後にした。
「―――これ以上、戦っても"無駄"だと思うんですけれどもねえ」
東側でも、人通りが少なくなる城壁付近の裏道で、愛用する細剣で、幾つかの水晶の球をアルセンは砕いていた。
緑色の眼に映っているのは、路地裏の薄闇でも、異国の民族衣装と解る色鮮やかな極彩色の、頭には目深にフードを深く被っていて、顔は見えない。
けれど既に、その衣装を揺らすほど肩で息をしている―――消耗しているのが眼に見えて判る。
「どうして私達の後、いいえ、"アルス"と"アト"君をつける様な真似をしたのですか?。今なら、まだ穏便に―――」
「―――――」
極力穏やかに語りかけたけれども、新たに水晶の球体が、ローブを纏った人物の背後から数個音もなく浮遊して現れ、魔術を行おうと構える。
「―――平和ボケをしているかもしれませんが、セリサンセウムの英雄も舐められたものですね」
仲間には決して向けない冷たい眼差しで、アルセンは細剣を構え直した。