2人の独身貴族①
ロドリー・マインドさんとアルセン・パドリックさんの場合。
「どうしていきなりそう言う事になるのだ!アルセン・パドリック!」
「野暮ですねえ、ロドリー・マインド中将というものなら、"どうしてそうしなければならないか?"位の情報は、これまでの状況で処理出来るとは思うんですけれどねえ」
菓子職人マーガレット・カノコユリの営む菓子屋の店内。
セリサンセウム王国の中でも、珍しく軍人と貴族という両方の役職を兼ね備える2人の人物が、互いに名をフルネームで呼び合いながら、久しく"対峙"をしていた。
どうしてこんなふうになったかのか説明をするには、中々困難なものになりそうだが、ロドリー・マインド氏はアルセン・パドリックの姿を確認する事で、異様に高揚しているのは見て取れた。
一方の軍人で貴族であるが美人である事でも有名な、本日非番の為に私服であるアルセン・パドリックどこか冷めた様子で、本日は勤務なのか貴族専用の軍服を身に着けているロドリー・マインドを見つめて上記の様な事を口にする。
だが直ぐに、オールバックにあげている髪が乱れているのも構わずにロドリーは頭を振って、この店に到着した途端に、アルセンから、提案された事を否定した。
「いいや、わからない!。いきなり傭兵の銃の兄弟の”下宿先”が、我がマインド邸決定みたいな話となっているのだ?!。
それに、屋敷は確かに私を当主として継いではいるが、実質的な主は伯父上であるチューベローズ・ボリジ博士が主!。
伯父上、ひいてはその伴侶でもある伯母上の許可を取らない事で、私の独断で、用心棒という素性のはっきりとしない者を預かるわけにはいかない!」
「素性、そう言われたなら確かにそうかもしれません。しかしながらロブロウ領主……いえ、現在は元ロブロウ元領主でしたか。
淑女アプリコット・ビネガーの遊学へと王都に向かう道中の暴走《安全》を心配して、再びロブロウ領主となられたバン・ビネガー公爵が、元々用心棒に雇っていたのを再契約をして、護衛につけた。
ビネガー家はかつて国が傾いていたと言わえる世相でも、先々代のピーン・ビネガー公爵の見事な内政によって全く動じなかったという領地です。
その教えを継いだ親子が2代に渡って契約をなさっているんですから、素性ではありませんが、その実力は保証をされている様な物です」
大層綺麗な笑顔を整い過ぎた顔の上で浮かべつつ、そう言ってのける腹黒貴族。
大抵の者なら、その綺麗な笑顔に性別問わずに魅力と迫力を兼ね備えた圧力に押し切られてしまうかもしれないが、幾許かの付き合いのある人物なら、それは計算尽くの代物だと感じ取れた。
実際、アルセンと共にマーガレット菓子店に一足先に赴いていた教え子で2年程付き合いのある教え子のアルス・トラッドは
"あ、アルセン様、これはわざとやっているな"
という心で考えている事が、実に読み取り易い表情で以て浮かべ、後方から空色の眼で対峙する2人を確認する。
出逢ってから2年程度のアルスが判るなら、出会いからしたなら30年近く付きい時間が過ぎようとしているロドリー・マインド氏にしてみたなら余裕で、自分が軽くおちょくられているのも容易に見破れる。
眉間にこれでもかという程の縦シワを刻みながら、口を再び開こうとしていた所、数時間前と同じように軍服の為に仕様で嵌めている白手袋を填めた手をぐいと引かれ、振り返る。
「……ロドさん、アルスのせんせ―、アルセンさまとケンカしていますか?」
そして、アルセンの後ろにアルスが従う様に、現状ではロドリーの後ろには迷子から保護されたアトが、野菜のスープを飲んだご褒美に貰った、ガトーショコラの欠片を口の端につけた状態で、見上げていた。
アトの明らかに怯えを伝える声と面差しにそれまでアルセンの行った|勝手な提案《下宿先をロドリーの屋敷にしろ》に対して怒り心頭に発する勢いは、明らかに制御がかかっていた。
「いいえ、安心してください喧嘩はしていませんよ、アト君」
「だから、何故そこで、お前が答えるのだ!アルセン・パドリック!」
だが勢いが落ち着いた状態でもあったのに、新たな燃料となる良く乾燥した薪を突っ込んだ上にそこにまるで油を炉に吹っ掛けるように、腹黒貴族はロドリーを無視して、アトに言葉をかけていた。
勿論、炉に燃料をくべられる様に無視された方は、脊髄反射の勢いで言葉を返したので、ロドリーには誠に不本意ではあるけれども、アルセンによって声をかけられ、折角落ち着いた様子になったアトが再び怯えてしまう。
「……くっ!、違う、喧嘩ではない。それに、チョコレートが口の端についているのは拭きなさい」
声量を抑えてそう告げると、アトの方は最初から強面が通常状態であると、"ロドさん"と出逢った瞬間から認識しているので、比較的簡単に落ち着きを取り戻す。
更に見た目が粗野な恰好を好むが、世話焼きな兄のシュトからいつも注意されるのと同じように、自分の口元が汚れていたから、"叱った"のだと納得した心の幼いお兄さんは、ハンカチを取り出して口元を拭いていた。
「いいですか、ロドさん?」
「……ああ、大丈夫だ。それで、先程の話だが、どうして我が家なのだ?。
アルセン・パドリック私は"まだ"事情は良くは知らないが、素性の保証がされているというのなら、それこそ街の宿屋でも良いのではないか?」
思い切り口角を下げ、複雑な心境になっているロドリーに腹黒貴族は、再び品の良い笑みを浮かべて話を続ける。
「一々、私の事をフルネームで呼ばなくてもいいでしょうに、ロドリー・マインド殿。
確かに王都の宿屋も安全に関しては折り紙付きです。
が、田舎の宿場町の宿屋ならともかく、王都での宿屋では護衛する淑女アプリコットとは、異性という事もあって必ず別室になり、護衛ができません。
それでは護衛の意味がありません」
「……」
そこまで話を聞いて、取りあえずロドリー・マインドはアルセンが語る内容に癪ではあるけれども、腕を組んで耳を傾ける事にする。
今まで頭の隅に、王都に赴いてきたロブロウの一行が、これからどうするかが、特に自分の後方にいる幼い青年を保護していたこともあって、見た目に反し世話焼きな性分の人は、正直に言えば、気にかかってもいた。
アトの兄であるシュトに少しばかり話を伺おうとも考えていたが、それは突如として現れた鳶色の上司が、連れて行ってしまっていた為に時間が作れなかった。
戻って来てから話をすればいいとも、考えを切り替えようとも思ったがアルセンと、名前とその肖像だけは知っているアルス・トラッドが、こちらに来た事で時間がないかもしれないと考える。
「ロドリー殿がどのくらいご存知かは、存じ上げませんが、そちらのアト君は初めての場所には非常に負荷が、かかります。
加えて騒がしい場所となると、どうしてもその影響を受けがちで、興奮して動きが大きくなります」
淡々とその事を語りながらも、その綺麗な緑色の眼がテレパシーを使わずとも伝えてくるのは
"貴方にアト・ザヘト説明なんて本来は、不要でしょうけれどもね。少々茶番に付き合って貰いますよ、「互いの為に」"
という意味を含んでいるのは、ロドリーには感じて取れていた。
(そんな意味ありげな視線を送られずとも、弁えている!)
それでも美人な貴族が、行うだろうアト・ザヘトの抱えている障碍について、わざわざ説明をする事は、後方に控える様にいる新人兵士がいる為だと、留意する事を忘れない。
今から行われるだあろう会話を聞かれるという事は、直接に彼に関係するのではなく、新人兵士の縁を伝って、唯一の同僚である巫女の女の子に伝わる事になる内容が、重要だった。
(アルスの事でしょうから、多分この後合流するリリィさんにも”いなかった間に起こった出来事”として、話すでしょう。そして、多分逆に、リリィさんの方から、自分が不在の間にあった出来事の話を聞きたがる可能性は高いですからね)
(アルセン・パドリックが吹っ掛けてきた話で偉く、まだるっこしい手順だが、踏まずにいることで万が一にでもがあったなら恐ろしい。
私が障碍についてそれなりに学んでいる話があの娘の耳に入って、その後の情報に結びついたなら厄介だからな)
互いに、互いの頭の中に声を響かせるのは”真っ平御免”と考えながらも、危惧している事は、アルセンもロドリーも殆ど一致している。
特に美人な貴族に腹をたてながらも頭に熱を帯びながらも、アトを思い遣っている同じ片隅の場所で、冷静に大切に扱わねばならないと決めている存在として、3年前に姿を見たきりの少女の姿が過る。
その当時の姿は大変痛ましいもので、ロドリーは柄でもないが胸を痛めたが、己に以上に柄でもない者が、心を痛めているのを間近で見つめた。
”姪の幸せの為だから”と、その小さな手を一度でも手放した事を心から悔恨し、もう離すまいと決意しているのも見届けた。
(思えばあの頃の影響として残ったのは、信頼する”ウサギの賢者への依存”程度か。それに、その依存も一般的な子どもが保護者によせる信頼と同じような物だ)
幸いというべきなのかわからないけれども、発達については少々勝気な性格が気にはなったが、経過観察を行った学者と共に気にする様な偏りはないという結論が出た。
(まあ私の外見と役職では、余程鋭くない限りそちらの方面について学歴があるとは気がつかないとは思うがな)
ロドリー・マインドにはアト・ザヘトの様な障碍を抱える存在については、実は人並み以上の知識と理解があって、現在も時間があったなら復習も怠らない。
その知識と理解を得る起源となった英雄殺しの英雄に殺されたかもしれない、少女には英雄《伯母》に当たる存在の情報が流れる事だけは、絶対に防がなければならない。
そこだけはアルセン・パドリック、ロドリー・マインド、互いに受け入れる事は生涯ないと互いに思いながらも、一致している意見でもあった。
(―――それで以て、あの情報が漏れない様にすることと、うちの屋敷を”銃の兄弟”の下宿にするという事では、話しは別だ!)
恐らくは、シュト・ザヘト、アト・ザヘト兄弟を屋敷に下宿にさせようと思えば十分可能な状況である。
だが、敬愛する親代わりになってくれた伯父伯 母に許可も取らずに、ロドリー・マインドには承諾出来るはずもない。
(いや、そもそも数日泊めるなら、まだ伯父上伯母上や使用人に話を通しやすいだろうに、"下宿"とはなんだ下宿とは!。
そのままの流れは、見様によっては長らく逗留しそうな形ではないか!?)
腹黒貴族に腹を立てつつも、冷静に言い返す言葉をロドリー・マインドなりに繰り出そうと、少々乱れたオールバックの頭の中で考える。
ただ、如何せん彼の性格をそれなりに掌握している悪人面の上司によれば、
『色々な事情で様々な劣等感を、尊敬する伯父が腹黒貴族の父でもある悪魔の宰相に抱いていたのをまるで引き継ぐ様に、ロドリーも抱えてしまっているからねえ。
どうしても、アルセン・パドリックに関わるとロドリー・マインドは”三枚目《道化》”の様な感じになってしまう』
という事らしい。
だから、反論としても普段のロドリー・マインド中将からしたなら随分と不格好にも思える言葉吐き出す事になってしまう。
「そこは……そうだ、アト・ザヘトの保護者となる兄であるというシュト・ザヘトがそれこそ面倒を見ればいいことだろう!」
「何、当たり前過ぎる事を仰っているのですか。それは勿論責任を以て、お兄さんがお世話をするに決まっているでしょう?」
多少言葉につっかえるという、普段の舌鋒鋭いロドリー・マインドの知っている者なら眼を見張りそうな振る舞いに、色んな諸事情を存じ上げているこの店の店主であるマーガレット・カノコユリは控えているカウンターから、何とも言えない表情を浮かべ、この状態を眺めていた。
本来なら店の中でアルセンとロドリーの口論が起こる前に、店主として巧く立ち回り、菓子職人は、止めるべきだったのだろう。
けれども憧れの新人兵士の登場に赤面し、菓子職人の中では時が止まってしまう事態になり、気が付いた時には美人貴族とお得意様の睨み合いと口論は始まっていて、割り込む機会を完璧に失っていた。
そんな中で、悪人面の先輩や、周囲から聞いている日頃の立ち振舞いとは全く違うと話に聞く、軍学校に強引に編入するまでは殆ど背丈は変わらなかった、本来なら幼馴染と言っても過言でもない同期を、緑色の眼を半眼にして、少しばかり呆れを含んだ面差しで、僅かに見上げ話を続ける。
「王都の宿屋は確かに、質は良いです。
けれども、泊まる場所によっては相性が悪い場合がありますし、それに利便性を考えてどちらかと言えば、騒がしい場所に建造されてますからね。
先程も言いましたが、アト・ザヘト君にとっては大きな音は大きな負荷になります。
しかも、 その上で、シュト君は淑女アプリコットの護衛があります。
そうなると、王都の宿は護衛がしづらいというという事になり、いっそのこと淑女アプリコットは、上級爵位なら随時宿泊出来る、貴族や富裕層の地域にある迎賓館に停泊して頂いた方が良い。
あそこは城と軍施設の近くであることで鉄壁の警備ですから、すくなくとも迎賓館にいる間はシュト君の護衛もいらない。
それに富裕層の地域は、夜は東側でも夜会の盛んな時期に以外は、どちらかと言えば閑静ですからね。
アト君にも良いでしょう」
アルセンは実に滑らかに、淑女アプリコット・ビネガーに対しての"護衛の件"について述べてはいるが、実は内心で結構不毛な会話だと思い、口にしていた。
アプリコット・ビネガーの外見は、祖父ピーン・ビネガーの伴侶で、彼女の祖母にもあたる、内面も領主夫人に相応しくしとやかで、淑女の冠に相応しいカリン・ビネガーと、とても良く似ている。
アルセン自身も、ロブロウでは肖像画でもって、丁度今のアプリコット・ビネガー同年齢の頃の、カリン・ビネガーの姿を拝見し、良く似ているものだと感心していた。
そんな中で違いと言えば、結婚し"夫人"という事を表現する髪型で結い上げている為に伸ばしている髪の長さぐらいしかないと思うほど、良く似ている。
ただし、それは本当に外見だけに限定され、その内面―――中身は祖父側の方の血を確りと引き継いでおり、良く言えば"文武両道"という言葉で表現が当てはまっていた。
だが、その文武両道という表現が後方に控えてしまうほど、その性格と行動は不貞不貞しい所があり、これが男で髪の色が鳶色で 悪人面なら、旧友が双子か、若しくは生き別れの弟でもいたと言われても信じて良いくらいである。
そして、何より強く思ったのは文武両道と旧友の性分と著しく似ているという所で
"アプリコットは遊学に王都にやって来るとして、監視は必要だとは思うけれども、護衛はいらない"
という気持ちだった。
これはアルセンの経験上の話であるのだけれども、良く似ていると思われる旧友の鳶色は、単独行動をさせたのならばそれはもう、"寄り道"が多いのである。
この鳶色は、責任感という物も人並みに携えてもいるのだが、単独行動を任されたその中途に興味を持つ物があっても、その責務を全うする。
しかしながら、責務を果たした次の瞬間にはそれまで抑えていた己の好奇心に、貪欲な程正直になり、寝食構わず追究する為、その姿を世間から消し、近親者を心配させた。
現在はその好奇心の対象が、"知識"方面になっているので例え寝食を忘れていても、自分でかけた禁術の影響でモフモフとしたウサギの姿で、住居としている魔法屋敷の廊下で行き倒れて、秘書に女の子に叱り飛ばされる程度である。
(ただ、これを"王妃候補"である淑女にされたなら……)
ほんの僅かな時間ではあるけれども、アプリコット・ビネガーが護衛をつけず、現実にはあり得ないと判っていながらも、単独《1人》で王都に赴こうとしていた状況を模擬想像を、アルセンはしなくてもいいのに、してしまっていた。
それまで故郷のロブロウから出たことが殆ど無い、好奇心の塊の様な御婦人が、遊学の為に1人旅立つ。
一応、貴族でしかもその中でも先程口にした通り上級爵位の、西の大きな領地をを任せられている、公爵の爵位を持つ領主ビネガー家の身内で"貴婦人"として、登録されている立場ではある(筈である)。
そういった行動予定の連絡は、情報を収集する日報の記者に嗅ぎつかれる事がない限り公にはされないが、恐らく王都には速達で、前以て届けを出されるのが常套だった。
そうしたなら、ロブロウを出立した翌日の昼に到着してもおかしくはないのに、2日過ぎてまだ到着しないとなったなら、そう言った事柄を管理する部門から、内密に軍部の中で捜索隊を編成され、迅速に先発隊は派遣されるだろう。
だが、恐らくこの淑女も旧友と同じ様にその捜索を掻い潜り、紆余曲折を行い本来なら宿場街で一泊すれば辿り着く筈の事に、たっぷり3日以上の時間をかけて無傷で到着し、その見た目からは推し量れない行動に、兵士達は奇異の視線を注ぐことになる。
だがそんなのをお構いなしに、それまでの人生で必要に迫られて仮面を身に着けてきた事で、ある意味で物珍しそうに見られる事になれている本人は、ちっとも反省という物をしない。
(何にしてもアプリコット殿は、奴並みに悪目立ちするところしか想像が出来ません)
少しでも模擬想像してしまった事を、美人な貴族は、猛烈に後悔をした。
(それに、代理であったとしても領主を辞めた事を日報の記事として載せられるぐらいなのだから、その存在は知れているし、軍部や貴族議会の間では機密扱いで、王都に向かうという情報は回っているでしょうね)
ただ後悔しつつも、今は対峙するどことなく蛇を感じさせる、自分と同じ貴族で軍人が言い返す言葉を待っているだけなのも何なので、迷子になっている所を保護した事で距離をつめたのか、彼の傍に引っ付く様にいるアトについても考える。
(何にしても、今回、アト君が正式な診断を受ける事、それにシュト君の新しい就職について考える為、真直ぐ王都に向かう事が、立場上護衛とされるけれども、"保護者"として責務感じて真直ぐに来てくれたのでしょうね。
それに1人で行動させているよりは、今回はアト君が迷子になるという程度の事で、済んでいるので良しとしましょう)
そしてデリケートで究極的に個人的な問題であるので、アルセンは触れない、関わるまいしてはいるけれども先程自分自身でも浮かべた"王妃候補"という言葉について、考える。
(賢者の要請もあったのだろうとは思いますが、アプリコットを王妃にまで考えていたから、あの王様《暴君》が、わざわざ西の果ての領地まで、やって来たのだと思いますし。
普段なら真っ先に、姪の保護に行ってもおかしくはないのに、わざわざ彼女の元に向かっていた。
それに"ウサギの賢者"の鎌鼬《風の精霊》を使ったあの悪戯も、意表を突かれたとは言えるかもしれませんが、互いに避けようと思えば避けれた事です。
それを全く両者と良く拒まなかったのだから、まあ、意識はしてはいるんでしょうけれども……。
でも、現状では"それ以上"の進展具合が、どうにも想像出来ないのが先行き不安とも、思えなくはないですねえ。
ただ、淑女アプリコット・ビネガーが、”貴族”であることはある意味では一番最初の壁になりそうな事を、パスをしているから運が良かったといえばそう言えるのかもしれませんが)
そこでテレパシーも交わしても、互いに人の心を読むという高等な闇の精霊を使った魔法をしているわけでもないのに、何の因果かアルセンとロドリーの頭に浮かんだ言葉は一致していた。
「―――だが、迎賓館に泊まれるのはあくまでも"貴族"だけだ。
淑女アプリコット・ビネガーは、その証明書を持っているだろうが、護衛となる2人ザヘト兄弟はもっていないだろう。
申請するにしても、許可が下りるのにどんなに早くても、有力者に口利きでもして貰わない限りは、日数がかかる。
……ああ、思えばアルセン・パドリック”殿”は、この国の英雄でいらっしゃいましたから、そこの所を融通して、許可証を作らせるおつもりですか?」
これまでのロドリー・マインドという人物からにすれば、多少嫌味を感じさせる物言いでそんなこと口にする。
だが、日頃腹黒いとこの国の耳の長い賢者に言われたりもするが、褐色の大男共々天然な所もあるアルセンは、ロドリー・マインド氏的には嫌味を込めていったつもりの言葉でも、少々違う受け取り方をしてしまう。
(そう言えば、こういった所でたまに英雄の特権を偶には使った方が良いのでしょうかね?。
というよりも、有力者というのなら英雄というよりも、見習いパン職人の振りをしている国の王様に頼んだなら、許可証をものの数分で融通をしてくれそうな物ですが。
ただ、迎賓館はアプリコット殿には良くても、アト君にも、それに高価な調度品が沢山置かれていることで、気楽や気が休まる事が一番のシュト君にも、緊張が連続してしまいそうですしね。
やはり、一番最初に考えた通り、ロドリー・マインド殿を使って……ではなくて、預かって貰った方が良いと思うのですけれども。ああ、そういえば特権というのなら、こういった使い方はどうなんでしょう?)
ウサギの姿をしている賢者曰く、"おっとろしい思考回路で、予想外のとんでもない作戦を練る"その頭で、アルセンの頭の中で銃の兄弟をマインド邸で下宿させるのに、最も手軽な方法を思いついた。
「"英雄の特権"ですか。それを使うと言うのなら、私はセリサンセウム王国の英雄アルセン・パドリックとして、国王ダガー・サンフラワー陛下に、ロブロウ領主の子女アプリコットの護衛、シュト・ザヘト、アト・ザヘトをロドリー・マインド邸に下宿させる事をお願いしましょう」
「―――なっ?!」
それはまるでお手本にもなりそうな”目を剥く”という表情を浮かべ、両方の眉をぐいと上げて、眉間に縦シワを更に深くし、思わず一歩下がりそうにもなっていたが、アトが貼り付く様にして後ろにいるので、ロドリー・マインド中将は何とかそれを堪える。
「さっきの話から、どうしてまた”そっち”の話になってしまっているのだ!。アルセン・パドリック!」
「そっちの話も何も、そちらが"この国の英雄でいらっしゃいましたから、そこの所を融通して、許可証を作らせる”みたいな話をなさったから、特権のについて私なりに考えただけですよ、ロドリー・マインド中将」
それは品の良い笑顔浮かべて、ロドリーの後ろに引っ付いているアトに微笑みかけると、仕留める為の《とどめとなる》言葉を、引き出す為に形の良い唇をアルセンは開く。
「アト君は、ロドさんと仲良しのお友達になりましたか?」
ロブロウでも幾度か向けて貰った、褐色大男曰く"子守専用"の笑顔を作って話しかけたなら、未だに"ロドさん"の背中に引っ付いたままだが、にっこり笑顔を浮かべて頷いた。
「はい、アトとロドさんは、なかよしです。でもまだ、おともだちになりましょうのお話はしてないです。
アトはロドさんともだちになりたいです、それから親友にもなりたいです」
にっこりと笑いながら、”ロドさん”の背後にいる為、眼を剥いた表情は見えないし、元々”空気”を読むという事が苦手である少年は、後ろから引っ付いて、白い手袋を填めた手を握りながら、はっきりとアルセンに向かって答える。
「―――!」
(おのれ!アルセン・パドリック!)
ここで直ぐに否定をする事は可能だったけれど、それをする事でアト・ザヘトに必要以上の負荷を与えるという事は解っている。
何より新人兵士に、自分《ロドリー・マインド中将》がそちらの方面の知識があるのがばれない様にというのもあるかもしれないが、ここで先ず否定する事が大人気ない状況である。
そこに、発達に関して知識があるだの、巫女の女の子に知られてしまうかもしれないだの配慮は関係ない。
けれども、だからと言ってこの流れ―――アルセン・パドリックに主導権を握られてしまうのは、これまでのこともあって、素直にロドリー・マインドは従う気にはならない。
ただそれ以上に、腹黒貴族にロドリー・マインドの心情なんて全く関係ない。
ロドリーは自分を良い様に使おうとしていアルセンを睨まずにはいられないのと、自分の憤怒の表情にアトを怖がらせてはいけないと、振り返らずにいるのを気遣うのをお構いなしに、腹黒貴族は更に語り掛ける。
「そうですか、まだ、おともだちではないのですね。
それではアト君はシュト君と一緒に、ロドさんのお家にお泊りをしたくはないですか?。
そうしたら、いっぺんに仲良くなれますよ」
「!、したいです!、アトはシュト兄と一緒に、ロドさんのお家にお泊りしたいです!」
小さい子どもにとって、仲良しの”ともだちの家に泊まる”という事は、結構大きな行事だと承知した上でのアルセン・パドリックの発言だった。
子どもにとっては魅力的過ぎる提案をアルセンがした事で、眼を剥いている蛇の様な面構えの人物の背後から、子犬の様に黒目が大きい眼をアトは輝かせていた。
「でも、人のお家だから良い子にしなければ、いけませんよ」
「アト、良い子にします、お夕食に、お野菜が出てもちゃんとたべます!」
「―――!」
ロドリー・マインド中将は、ついに言葉が出なくなった様子で口をパクパクとしている様子を、アルスは背中に工具問屋のアザミからもらった竹細工の籠をその背後から、見守っていた。
ふと考えてみたなら、マーガレットの菓子店に入ってから一言も言葉を発していない。
(えーっと、そもそも、どうしてこうなったんだっけ?)
アザミの工具問屋を出る辺りから新人兵士振り返る。
『さて、鐘も鳴った事だし昼休憩も終わるけれども、アルスにアルセン、あんたたちこれからどうするんだい?。
それに、思ったんだけれども、アルス……あんたはさっきの迷子君を捜すにしても、最初から"西側"のうちの店に用事があったから、こっちに来たんだろう?。
その用事は良いのかい?。
アルセンの方は私服だし、散歩がてらに寄ってくれただけのなのかい?』
『あ、そうだ、自分は女将さん分けて欲しい物があったんでした』
『そうでした、私は、アザミさんに少しばかり相談したい事があったのでした』
アルスにしてみたなら、最初の出会いと、この前ウサギの賢者の護衛騎士として配属された翌日と、そして今回の3度目となる、私服姿と”相談したい事がある"という言葉に空色の眼を思わず丸くしてしまう。
ただ、恩師の方もアルスが分けて欲しい物があるという事で、その事に少しばかり驚いた様子で丸く口を開いていた。
それは偶然意識をしたわけではないけれども、似ている動作をしている2人に工具問屋の女将さんは笑っていた。
『あ、えっと、そのじゃあ、アルセン様からどうぞ』
『いえ、私の相談というのは、そのアルスがいる前でする事ではないのでって……こういう言い方をしたなら、気になりますよね』
アルスとアルセンが、慌てつつ殆ど同じタイミングで口を開いた為に、言葉が被ってしまった為に、再び少しばかり変な間が出来てしまったが、そこはまた女将さんが笑う事で治まった。
『で、アルスは何を分けて欲しくて、アルセンは何を相談したいんだい?』
アザミが最初にアルスの名前を出したので、先に分けて欲しい物―――アザミが作ったという、帯剣するのにも使っている、特殊なゴム紐について述べた。
その理由がロブロウで出来た、今回の迷子になった少年の兄となる存在の武器を収納する為の鞘だと聞くと、快く了承してくれる。
『ただね、材料がないから少しばかり時間がかかってもいいかい?』
『はい、シュトもそこまで急いでいないみたいでしたし』
アルスの返答に女将さんは応接室の見易い壁に貼り付けてある、一年の季節表を見つめる。
それに釣られる様に、空色と緑色の眼が揃って動いたなら、丁度前日の日付に赤い文字で"隊商王都に到着"という文字が記されていた。
元従業員と教え子が、それを確認したのを察してからアザミは更なる説明を続けた。
『そうかい、でもそれなら、時期的には丁度良かったよ。
王都に材料の一部を扱っている南国からの隊商が来ているから、買いに行けば簡単に手に入るからね。
自分で作れない事もないけれども、手間や時間がかかるから、買った方が早いからね。
これで隊商が来ていなかったなら、あと半年、運が悪かったなら1年は待たなければいけなくてはなっていたよ』
『わあ、それは良かったです。あ、でも……そこまでして貰って、"分けて貰って"てで、良いんですか?』
アルスが思っていた以上に手間がかかるという事が判った事で、若干申し訳なさそうに尋ねたなら、掌をヒラヒラとさせて、笑顔で口を開く。
『そうだねえ、正直に言ったなら金がかかってはいるけれど、まだ売り物に出来る段階でもないからね。
試作品のお試しの感想をくれればそれで構わないよ。
色んな使い方をしなければ、作った道具が生活の中でどのように役に立つのかが判らないからね。
でも、そうだね、それで心苦しいっていうのなら、次回からは従業員の割引料金で売る事にしようか。
そのアルスの親友っていうシュト君には、初回サービスで無料にしておこうか。
その代わりに、私が作った道具での感想を、今度一緒に来た時にでも、聞かせて貰おうじゃないか』
『はい、じゃあ、それでお願いします』
女将さんの提案が納得出来るものだったので、アルスはそれで承諾する。
シュトの方は、傭兵稼業が最近は閑古鳥鳴いているとしてはいるけれども、こういった所では吝嗇らないとも思ったので、アルスはそう返事をする。
(初回は無料だし、従業員割引なら、シュトのは鞘だから整備にしても、そんなに買い直す事もないだろうから大丈夫かな。
年に数回位の調整なら、自分が今回買った分で余ったので、してもいいわけだし)
随分とお人好しでもあるけれども、趣味の休日大工《D.I.Y》に新たな項目に、"親友の装備の調整"が加わりそうな事に機嫌を良くしていた。
『……ゲコ?……ゲココ!』
アルスが新たな趣味の広がりに、眼に見えて表情を明るくしていたなら、昼食にアスパラガスがふんだんに使われたカレーライスを満腹になるまで食べた後、新人兵士の左肩で眠る様にしていた、ウサギの賢者の使い魔である、金色のカエルがパチリと眼を開き、鳴き声を上げた。
『……ゲコー』
鳴き声でしかないのだが、"渋々"といった感情が十分伝わってくるものをその小さな体から出したと思った瞬間、休んでいたアルスの左肩からピョンと跳ねた。
『あれ、カエル君?』
アルスが呼びかけた頃には、空間を波打つ様に揺らしてその中に飛び込みその姿を消していた。
『―――これはどうしたんだろうね?』
『恐らく、主である賢者殿が、使い魔である金色のカエルを呼び戻したのでしょう』
アザミが不思議そうに突如として姿を消した、金色のカエルが姿を消した空間を見つめていたなら、それに説明を補うように、アルセンが説明を行う。
一応"ウサギ"である事は、伏せる配慮をしてくれてはいたが、どことなく何かしらを考え込んでいる様子が、アルスには窺がえた。
(でも、アト君も保護されたし、単に戻って最終の調整するのかもしれない)
先程のサブノックの英雄でもあるという商人であるスパンコーンと自分の間にも、突如として姿を現した事もあったので少しばかり気にかかる。
『さて、じゃあ、アルスの要件は片付いた模様だし……。
アルセンは、私に何を相談したかったんだい?、先程の言い方じゃあ、アルスにも関わりがあるみたいだったけれども。
もう知れちまったんだから、言ってしまったらどうだい?』
『そうですね。まだ公になっていない情報なんですが、まあ、いずれ知れ渡る事ですし、もし漏れても処罰する事になっても、始末書で済む事ですから。
取りあえず話すので、聞いてください。
今日は、この手紙をアルスに届けようと思っていたのですよ―――』
アルスの空色の眼を丸く、アザミの顔に苦笑い浮かばせる前提を形の良い唇から語り、胸元から一枚の書状を取り出しながら、話しを始める。
春の区切りをつける季節祭の中に行われる、例年通りなら、新人兵士の総当たり戦われる物の仕様が、大幅な変更がありそうだと告げると、アルスとアザミには2人とも揃って両眉をあげていた。
併せて行われる女性騎士の武闘大会の方は、大きな変更はないらしく、例年通りセリサンセウム王国において、武芸に励む御婦人達の大会が行われる事も告げられる。
この説明をする際に、アルセンは先王グロリオーサ・サンフラワーから始められた、春の季節祭に行われる様になった婦人部門初代優勝者をちらりと見つめたが、女将さんはただ笑顔を浮かべていた。
(もう30数年近く前、御婦人の部門で優勝者になった方が直ぐ傍にいるとは、そういった方面に興味がなさすぎるアルスは、何かしらきっかけでもない限り気が付かないでしょうね)
本人が望まない限り、肖像画も優勝した翌年の大会の時までの期限付きでしか残らず、更に10数年前に軍を退役してもいるので、軍人になって半年で、最近の若者であるアルスがその過去を知る筈もなかった。
二年前にアルスを"拾った"際、工具問屋の女将は
―――昔、軍の中で働いた事があるから、それでアルセンとも顔見知りなんだよ。
と、話したけれども、どうやら"兵士"として働いていたとは受け取らなかったらしいし。
ただアザミ自身も、かつて兵士・騎士として働いていた自分を大っぴらにはしたくないらしく、退役してからはある意味では、自慢にも出来そうな己の過去を語っていない。
(考えたなら当時のアザミ"先生"を知っている方が、最近では少なくなってきてもいますね。アルスは大方アザミ先生が、軍施設内の売店で働いていた御婦人と思っているのでしょうね)
軍の施設内には、軍学校の見習いの訓練兵、王都の軍施設に勤務する幹部でもない一般兵独身兵の、寮を兼ねた住居もあるので小さいながらも売店もある。
外出が可能な同僚に買い物を頼んだりもするが、勤務によっては頼む暇も外出もままならない、訓練生及び一般兵士達は小規模ながらもその売店の世話に頼りざる得ない。
そこに販売員としているのが、外部から委託された売店で、それなりの実績を持つ、大体が子育ての一段落のついた愛想の良い、さっぱりとした御婦人が多い。
軍の施設内という事もあり客人の殆どが"軍人"であるので、物怖じしないというのも店員の条件でもあるので、ある意味では”工具問屋の女将のアザミ”がそのまま当てはまるので、教え子がそう思ってしまっていても仕方がない様に思えた。
(まあ、必要がないなら知らなくても大丈夫な内容ですしね)
改めて話を続ける為に、仕様の変更になった”新人兵士の剣術大会”について説明を、アルセンは続けた。
『新人兵士の方は今年からは時間短縮と政治的方面からの圧力がありましてね、ある程度の実力がある者と本人の意志が合致して、その上で参加者を募るという形式になります。
幹部学校、一般任期の軍学校を合わせた新人兵士の中で総合的に成績が上位だった者に参加の有無を確認してから、参加者を無作為に勝ち抜き戦に試合を行うそうです。
まあ、早い話が本当に時間短縮だけを目的にした感じですねえ』
『で、アルセン。どうしてその事で、わざわざ私に相談してから、アルスに聞かせようと思ったんだい?。
別に普通にアルスに聞かせて、尋ねればいい話じゃないのかい?。
まあ、アルスの性格からしたなら、前の新人兵士の剣術大会みたいに”全員参加”が義務の形なら、嫌でも素直に参加もするだろうね。
でも、今回の大会はアルセンの話によれば、本人の意思が第一みたいに言ってはいるけれども、こうやって”断りづらい”相手が届け人となっているから、断りづらいっていうのは確かにあるだろうけれどさ。
あんたは、アルスが参加を促す事で嫌そうな表情を浮かべたなら、あっさり綺麗な笑顔でその手紙を隠滅位しそうなのに』
『アザミさん、隠滅はしませんよ。一応国王ダガー・サンフラワー陛下の参加許可の署名に、教育隊の教官の推薦状―――まあ私の署名入りの書状ですからね』
工具問屋の女将さんと恩師のやり取りが終えた後、アルスが少しばかり首を傾げてから口を開いた。
『あの、これは、自分が参加するしないの前に、賢者殿に、意見を聞かなくても宜しいのですか?。
その参加するにしたなら、賢者殿を護衛をする時間に空きが出来てしまう事になりますよね?。
普通、こういった事って、現在の直属の上司に話しがいくってという物ではないのですか?』
そう言ってアルスは、少しばかり行儀が悪いと思いながらも、右隣に立っている恩師が取り出し、開封している手紙を見つめる。
そこには昨日、耳の長い上司が見せてくれた、走り書きで国の王様が書いたとされるメモと同じ書体で署名がされているのが印象的な書状があった。
ただし、こちらは朱色で、国旗にも主題として描かれている獅子と向日葵の花が組み合わされたデザインに印鑑も名前の最後の箇所に重ねるように捺されているので、更に立派な印象を受ける。
(でも、あの走り書きのメモの様に書かれた文字でもあそこまで威厳を持っているのもある意味、王様ならではのカリスマっていうのかなあ)
昨日、小さな同僚と共に見せて貰った走り書きのメモを見た時のやり取りの記憶がが軽く掘り起こされる。
(そう言えば、リリィが王様の文字について何か言っていたような)
┌────────────┐
│そろそろ、報告書が読みた│
│いから、宜しく頼む。 │
│ │
│セリサンセウム王国 │
│王様 │
│ダガー・サンフラワーより│
└────────────┘
"……あれ?この文字?”
”王様の文字が、どうかした?"
"えっと、どこかで見た様な気が……?”
それから賢者が考え込む時と同じ仕種で、小さな手を後頭部に当てて、柔らかい桃色の髪を揺らして掻いていた。
(リリィの言った言葉から考えたなら、”王様とそっくりな文字を書く人”がいるという事だよね?。
……ああ、今はそれよりも、剣術大会の時の話だった。
本当、考えてみたなら、自分が旧式にしろ今回の新しい形にしろ、新人兵士の剣術大会に参加したなら賢者殿護衛というか、リリィの護衛ってどうなってしまうんだろう?。
そういった兼ね合いがあるなら、やっぱり先ずは最初に賢者殿に連絡が行く事になると思うのだけれどもな)
普通に考えたなら、アルスが季節祭の剣術大会に参加してしまった場合は、リリィはウサギの賢者と共に魔法屋敷で留守番という事になる様に思えた。
(うーん、でも、それもなあ)
職場ではあるのだけれども、現在の兄妹の様な関係が定着しつつある、アルスとリリィの関係ではそれは薄情な様な気もする。
巫女の少女は"賢者と一緒にいられたならそれでも良い"というのはあると思うのだけれども、配属されてから日々を共に過ごして判ったのは、リリィもそれなりに好奇心は持っているという事。
それに季節祭という"祭"でもあるので、普段とは違う城下町にも興味をもっているとも思えるし、今まで"保護者"がいなかったら、参加を諦めていたような話も魔法屋敷を出発する前に聞いていた。
(自分が新人兵士の剣術大会に参加するとしたなら、きっと一日がかりだろうし。
アルセン様に頼んで、リリィと一緒とも考えてみたけれども、アルセン様も軍属だから、何か仕事があったなら頼めるわけないし、寧ろ、仕事の確率の方が高い)
他に頼めそうな人物として、リリィと仲良しの王族護衛騎士で現在行動を共にしているだろうライヴ・ティンパニーやリコリス・ラベルを思い浮かべたが、こういう行事なら、一層多忙になっていそうなのが、簡単に想像出来た。
(だったら、グランドール様に頼む……というのは、厚かましい事になるのかな?)
恩師の親友で、ウサギの賢者とも旧友でもある、褐色の好漢の人に頼もうかとも考えてしまう。
でも、ただの新人兵士であるアルスが頼む事は、明らかに厚かましいという気持ちもあるし、国の英雄という事もあるから、もしかしたなら国の行事には忙しいという事があるかもしれないと思い至った。
(あ、でもグランドール様は無理でも、ルイ君にに"護衛"を頼んだのなら、それはもう喜んでしてはくれそう。
うーん、でもそれをウサギの賢者殿が許してくれるかなあ。
ルイ君はルイ君で、すっごい喜んで、それはそれで心配な気持ちが……)
やんちゃ坊主を信用はしているのだけれども、無自覚の"兄"としての気持ちで先の事まで考えてしまっていると、元教え子が脱線気味な思考に陥りそうなのを見越したアルセンが口を開いていた。
『ええ、普通は直属の上司の賢者殿に、今年から新人兵士の剣術大会の仕様が変わった事を先ずは連絡が行きそうな物でしょうけれどもね。
しかも、賢者殿が配属されるにあたって希望した、
・剣の腕前は、新兵の中で出来れば強い者
・あまり出世欲がない者
・魔法が得意でない者
に当てはまるアルスは、魔法と出世欲は兎も角、剣の腕前は優秀という事は、軍学校の最終試験の御前試合で、幹部一般を合わせて2番目の腕前の折り紙付きです。
剣術大会が選抜の仕様になったなら、必ず声はかけられる位置になります』
そこで小さく一息を入れて、小さな同僚と同じ色の綺麗な緑色の眼を、左側に向ける。
現在の直属の上司《ウサギの賢者》の影響を受けているかどうかは定かではないが、話しの流れが脱線しかけた元教え子が、自分が戻した流れに、ついて来ているのかを確認するように視線を注いでいた。
見つめられた方は、恩師の視線で、自分の考えがすっかり”参加する”事前提で考え込んでいる事に気が付いた。
何より、今までの自分の性格とアルセンが説明を行ってくれた事を鑑みて、新人兵士の剣術大会に"積極的"になっている自身に驚く事になる。
そして、教え子が積極的になっている事に恩師でもあるアルセンも内心驚いてはいたけれども、取りあえず当初の目的である”新人兵士の剣術大会への参加の確認”の書状を己が持っている理由を口にする。
『ただ、昔から賢者には"政"に関しては関わってはならないという、決まり事あります。
今回の新人兵士の剣術大会の仕様の変更については、少なからず為政者の意見が通っている―――政治が関わっている為、賢者殿は連絡先から除外されたのでしょう。
あ、前以て言っておきますが、その事についてですが、私は詳しい理由は知りませんし、これからも特に知ろうとは、考えてません』
自分が知っている事実で、教え子が尋ねてきそうな質問に前以て牽制すると、アルスの方は空色の眼を丸くし、アザミの方は苦笑いを浮かべていた。
それから付き合いのあった人物なら、直ぐに察せられる様な少々芝居かかった動きをで、休日でも嵌めている白い手袋を填めている指先を眉間に添えて、美人な貴族は更に続ける。
『でも、想像してみなさい、アルス。あの口が回る賢者殿が、政治に意見を出したなら不貞不貞しいまでに、自分に都合の良いように、行政を利用しつくそうという意見を髭を揺らしながら、その口から紡ぎだす様が、ありありと想像できませんか』
『あははは』
(どうしよう、全く以て否定出来る気持ちが起きないし、アルセン様の言う通り、賢者殿が自分の都合の良いように本当に政治改革しかねない所が、余りもにも簡単に想像出来てしまった)
アルスが乾いた笑いと共に、自分のウサギの姿をした上司が、円らな丸い眼を意味あり気に糸の様に細めて、逆三角形の小さな鼻をヒクヒクさせながら、それこそ不貞不貞しく笑っている姿を想像出来てしまった。
ただ"髭を揺らす"という表現に、少しばかりドキリともしたのだが、工具問屋の女将さんが腕を組み、先程の苦笑いを浮かべたまま新たな意見を口にする。
『アルセンはどうやら賢者殿を良く存じ上げているみたいだねえ。
でも、そんな髭を揺らす程伸ばしているのなら、結構ずぼらというか、細かい事は面倒くさがる方なんじゃないのかい?。
髭は、毎日剃るよりもある程度伸ばしていた方が、手入れが楽だとうちの旦那が言っていたからねえ。
アルセンは元々生えにくい質なのかもしれないけれど、伸びやすい人は毎日整えるのも大変そうだものね』
女将さん髭に対する解釈の言葉に、今回は辛うじて顔に出さないで、新人兵士は心の底から安堵をする。
(良かった、女将さん、さっきのアルセン様が仰った賢者殿の"髭"の件はそういう風に受け取ってくださったんだ。
……というか、普通はそうか)
一般的な人々の考え方からしたなら、"賢者"という存在はどうもそれなりに年齢を重ねた、壮年の男性という想像を抱くらしい。
実際、アルスも配属されるまでは全てが髪が真っ白という訳でもないが、幾筋か白い物も混ざった、顔にはシワを刻み髭を生やした、人付き合いが苦手そうな人物を想像していたものだった。
(でも実際は、ヒゲというか、全身モフモフとした、アルセン様の2つ先輩で、グランドール様と同期というからなあ。
……賢者殿は名前を伏せているからわからないけれども、もしかしたなら軍隊時代にはアザミさんに会っているかもしれないな)
護衛騎士もそして小さな同僚も、自分達の上司となる存在の本当の名前は知らない。
でも、はっきりとした名前がないからと、それで困っている事は今の所ない。
多分、この世界では”ウサギのぬいぐるみ姿をした”、しかも本来のウサギならありえない肉球をつけた賢者なんて、この世界に1人―――1匹しかいないから。
だから、そのまま”ウサギの賢者”を名前の様に使っている。
(でも、アザミさんの言う通り、ずぼらっていうか、"面倒くさがり"という部分はあたっているかも。
賢者殿は悪戯について、模擬実験を凄く綿密に考えはするけれども、必要のない限り決して行動には移さないような気がするし)
―――とりあえず、誰にも迷惑かけないズルはしちゃうよ、ワシ。
よく耳の長い上司が、常套句の様に口にする言葉を思い出したのなら、先程恩師が口にしたような
"不貞不貞しいまでに、自分に都合の良いように、行政を利用しつくそうという意見を髭を揺らしながら、その口から紡ぎだす"
までは実際するにしても、決して多分行動には移さない。
(でも、賢者殿の言葉を真に受けて―――実際真に受けてもしょうがない様な口ぶりで、聞く人によっては影響を受けてしまう筈だし、賢者殿もそこはきっと弁えていらっしゃる。
もし、口にすとしても、昔からのご友人や、自分がした意見を真っ向から否定してくれる様な―――アルセン様みたいな、それとグランドール様といった信用も信頼も出来る方だけなんだろうな)
それから、不思議と小さな同僚の女の子の姿も自然にその中の1人して、その姿がアルスの胸の内に浮かんできていた。
『ところで、アルセン。
これまでの話を考えたなら、ただアルスに、新人兵士の剣術大会に参加する事についての参加する為の書状を見せるかどうかで悩んでいる為に、相談でうちに来たみたいな話にきこえるけれども……』
『ええ、正しくこの参加の意志を確認する書状を、どうアルスに見せようかなと考えて、アザミさんに相談しようと思ってお店に赴いたんです。
決して昼食だけを頂こうと、考えていたわけではないんですよ』
『え?』
アザミとアルセンの両方から自分の名前が出た事で、アルスは思わず声を漏らしながら意識はそちらに促される。
『今回の剣術大会は、これまでの様に全員参加ではなくなりますからね。
これまで通りだったなら、"頑張りなさい"とただこの書状―――まあ、例年どおり、複数の書記官が流れ作業で国の印鑑が捺された書状が入った手紙として届くはずだったのですがね。
今年から、あくまでも任意となりました。
その事で、私なりに考える事があったのですけれど―――どうやら、私の独りよがりだったかもしれません。
アルスはどうやら、剣術大会については、参加する事に前向きな意志を持っているみたいですし』
そう言って手に持っていた書状をそのまま教え子に、横に流す様に渡した。
だがその様子には工具問屋の女将さんはどうやら納得はしていないらしく、左手は拳にして腰に当てて、右手は掌を指先から向けて、催促をする。
『独りよがりだなんて言い方はよしなさい。
だいたい、アルセンの考える事は、大体あんたが思う中で一番力ない人を思い遣った上での言葉が多いんだから、それをアルスに話しておいて悪い事をではないと思うからね。
私も相談される予定だった話を聞きたいから、今ここで言っちまいな』
『……そうですね、私が心配していた事を話しましょうか。
幸いにも、アルスも、もしかしたなら、私が話したとしても特に気にしないかもしれませんし』
そうして、アルセンは心配していた事として、ロブロウで旧友《ウサギの賢者》と親友に聞いていた話を、かい摘みアザミとアルスに告げる。
ウサギの賢者の秘書の女の子で、アルスは妹の様に思っているリリィが、著しく"ケンカ"というものを嫌っているという事。
それを目撃した時に、殆ど拒絶に近い反応を示した事で、アルスが新人兵士の剣術大会に試合としながらも参加する事で、どういう気持ちを抱くかわからないという事。
アルセンの見解では、アルスの性格ならもしもリリィの心が傷つくような可能性があるのなら、参加を控えるだろうという考えを持っている事で、自分の意志をあっさりと引っ込めてしまう事を危惧している事。
ただ、アルスがリリィと初めて買い物をした時、人攫いを退けた時には、平気だった事。
それらを総合的に鑑みて、アルスは剣術大会に参加するかどうかを、考えて欲しいという事。
工具問屋の女将さんは興味深そうに頷きながら聞き、アルスは"ハッ"とした表情を浮かべて少しばかり考え込む様にして、俯いてしまう。
だが、その俯いている時間は傍で見守る形になっている2人が思っていた時間より短かく、直ぐに上がった顔の上がったその表情は、真剣さを感じさせるものだった。
アルスは女将さんと恩師の中間を空色の眼で見つめ、ある程度考えを纏めていたのは窺えたけれども、最後にもう一度己に念を押す様に、小さく頷いてから口を開く。
『そうですね……でも』
『でも、"試合"なら、リリィさんは大丈夫そうですか?』
教え子の台詞を奪うような状況になったが、その表情から浮かんだ言葉をアルセンが口にしたなら、アルスは嬉しそうに笑って答える。
『はい。リリィは意味がない喧嘩が嫌いなだけであって、多分試合みたいな形になったなら、最初は緊張しながら眺めると思います。
けれど、ちゃんと理由や決まりがあるのなら、寧ろ熱中すると思います。
それで少なくとも、自分はリリィが見たくないような、試合はするつもりはありません』
リリィについては、これまでの付き合いで"試合"を行う分には、怯えるような事はなく、大丈夫だろうとアルスには思えた。
そして、初日の朝の訓練では武芸としての剣術については、興味を持った発言をしている所もアルスは見ている。
ただ、"剣術を学びたい"という気持ちは敢え無く耳の長い上司から、あっさりとその場で保留扱いされる。
”ワシ的には"まだ"、リリィには剣術に縁がなくていいと思うよ。
とりあえず、"魔法の先生"としては精霊術の基礎をしっかり完璧にみっちり、究めてからにして頂きたい”
アルスの眼から見ても巫女の女の子の魔術に腕前は中々のもので、ウサギの賢者が口にした基礎を確りしてからという言葉も、少女の才能を伸ばす為に最もだとも感じた。
けれども、耳の長い上司が大好きだけれども、負けん気の強い女の子への剣術への興味は途切れていないし、途切れさせるには不向きな環境に現在はなっている様にも思える。
『それに、リリィの周囲には"強くて、恰好良いお姉さん"がここ最近で増えすぎたので、喧嘩を怖がるのは兎も角、剣術に憧れるなというのが無理な話だと思いますよ』
アルスが苦笑いを浮かべながら、現在リリィと一緒にいる王族護衛騎士に元領主の貴族を思い出していた。
アルセンも教え子が考えている事をそれとなく察して、"ああ"と小さく声を漏らしてからリリィの憧れの原因の一部になった人―――アザミをチラリと一瞥をした。
《何だい、アルセン。さっきもアルスが魔法が使えないと言った時に、似たような視線をよこしたけれども》
《いえ、もし、アルスにリリィさんの憧れの源の1人が側にいますよと話したなら、どういった反応をするのかと、好奇心が湧きまして》
アルスには使う事が出来ない声で、先輩で親友達よりも短い期間ではあったけれども師弟関係であった、元王族護衛騎士隊の隊長にそんな言葉を伝えていた。
《リリィさんが、憧れているのは、現在ユンフォ・クロッカス様の護衛騎士となっているリコリス・ラベル、ライヴ・ティンパニー。
それに、法王ロッツの護衛騎士デンドロビウム・ファレノシプスでしょう。
後は、一番最近に加わったのは、元ロブロウ領主の、賢者と同じ位強いと口にしている淑女アプリコット・ビネガーでしょうかね。
まあ、淑女の件は置いておくとして、私が見た所と、ウサギの賢者の見解によればリコリス・ラベル、リコさんが憧れたのはデンドロビウム・ファレノシプス、ディンファレ殿。
そのディンファレ殿が憧れたのが"彼女達"姉妹です》
そこで一度だけ、綺麗な緑色の眼と声の調子に翳りを伴うが、直ぐに調子を戻して、アルセンはアザミに続ける。
《その姉妹が女性でありながら剣士として憧れていたのが、アザミ先生になりますから。
縁とは不思議な物だと思いましてね》
その頭の中だけで響く声には、いつもの捌けている工具問屋の女将さんの印象からは離れてしまう、少しばかり斜に構えた声で、アザミは一応最後の教え子となるアルセンに返事を行う。
《その不思議さの理屈で言うのなら、私が憧れたのは今の王様の御母堂に当たる、トレニア・ブバルディア・サンフラワー様さ。
結局リリィちゃんが憧れる元を辿ったら、それは御祖母ちゃん……には、ならないのかね?。
伯父様の母親で、お祖父さんの奥さんになるといったなら、アルスは一層混乱をしてしまうかねえ》
勿論、そんな事《真実》を伝えられるわけはなかった。
どこかで気が付かない所で、何かしらで繋がっている縁に理屈や理論をつけるとしたら、きっとウサギの姿になっている賢者にだって困難だろう。
そう考えてけれども自分が急に黙ってしまった事で、不思議そうな視線を空色の眼から注いでいるアルスに気が付き、恩師としてというよりは年の離れた弟を見るような感覚で微笑んだ。
(いや、捻くれているから存外、また変な屁理屈を捏ね上げるかもしれませんね)
それから微笑みを更に、笑顔の形にして"にっこり"という表現が相応しい物にして、話しかける。
『アルスの意志は判りました、それにリリィさんの事に関しても問題はない様なので、なによりです。それでは、"新人兵士の剣術大会に参加"するという事で良いですね?』
最終確認としてアルセンが尋ねたなら、教え子は"はい"と凛々しく返事を行ってから、あ、と小さく声を漏らしたした後、自分より背の高い恩師を見上げ、少しばかり言い辛そうではあったけれど、はっきりと口を開いた。
『―――でも賢者殿が政治に関われないというのは、仕方がないにしても、やはり一度話を持ち帰って、上司から許可というか、その事について予定の確認を取らなくて良いのでしょうか?。
季節祭で新しくなった新人兵士の剣術大会の期日もまだ知りませんけれど、その日に自分が賢者殿の護衛をしなければいけないような任務が、実は前以て予定されていたり……。
その本当に、そういった事はないと思いますけれど』
『ええ、あの賢者殿が剣術大会の当日に、無意味にアルスに護衛の仕事を差し込むなんて事はしないでしょう。
アルスの心配というよりは、配慮は最もでしょうが、こちらは国王ダガー・サンフラワー陛下の直筆の参加の確認の書状ですからね。
あの気難しい賢者殿が、例えアルスを参加させまいと思っていても、そんな事をしたらこの国の王様から御叱りを受けます。
アルスの現在の上司は賢者殿ではありますが、その賢者殿の上司―――というよりは、配下として仕えているのは国王陛下ですからね。
国王の意志が絡んでいる事に関しては、流石にあの不貞不貞しい賢者殿でも我儘は言えませんよ』
"賢者でも逆らえない王様"に関して述べる時には、綺麗な印象を強く持ちながらも少々人の悪さを感じさせる笑顔となっていた。
だが綺麗な顔から直ぐに人の悪さというものは失せ、純粋に少しばかり考え込む表情を浮かべる。
『でも、リリィさんに剣術に興味があって、見学したいとなると大会当日が少しばかり困った事になるかもしれませんね』
『はい、そうなんです』
アルスは先程自分でも"どうしようか"と思った考えを、恩師と女将さんに一通り述べたなら、揃えた様に"そうだよねえ"という表情を浮かべていた。
腕を組んだアルセンが、思い返す様に視線を右上に向けたまま唇を開く。
『アルスの考えた通り、まだ正式な日にちは決まってはいませんが、その当日となったなら、確実にグランドールは英雄という事もあって、外せない仕事も入ってくるのを知っています。
私も恐らく当日は王族護衛騎士隊長のキルタンサス・ルピナス殿もつきますが、英雄として国王陛下の護衛になります。
剣術大会の会場となるのは、軍の戦技場でその試合を観戦をなさることになるでしょう。
あそこは屋根が特殊な織物を使って風の精霊との併用で、開閉できはしますが、基本的に開いている"屋外”として使っていますからね。
開放的になる分、護衛と警護を厚くしなければ剣呑です。
それに併せて、王族護衛騎士隊の皆さんも一層多忙になることでしょうから、仲良しだとしても、やはりリリィさんと行動を共にして欲しいとリコさんライさんに頼む事は、迷惑に他なりませんね』
恩師からはっきりと”迷惑”という言葉を使われた事には、流石にアルスも肩を落とす。
『そうですよね』
肩を落とす元従業員に女将さんも申し訳なさそうに声をかけていた。
『うーん、私も店の留守番があるからね。旦那もそういった季節の催事の時は、店の付き合いがあってリリィちゃんのお世話を頼めないし。
内の若い衆とかはどうだい?。
それなりに、皆客商売だから、人当たりも面倒見もいいと思うけれど?』
アザミが提案する意見は、アルスも考えていなかったので良い物だと思えたのだけれど、小さな同僚と、これまでの季節祭の事振り返ってを頭を左右に振った。
『……それだと、リリィの方が緊張すると思うんです。
慣れて、心を開いてくれたなら、それはとても打ち解けてくれるとは思うんですけれど、時間がかかるし。
それに、店の皆も季節祭催事を楽しみにしていると思いますし』
言葉は悪いしリリィには決して言葉に出すつもりはないのだけれども、結局は"子守"という表現が一番良く当てはまるのだとアルスは思ってしまう。
でも決して、小さな同僚が手がかかる子どもというものでもなくて、寧ろ"良い子"なのだと自信をもって宣言出来る。
(これまでは、季節祭はの時は1人で少しは回っていたみたいだけれど、いつも賑やかになる前にいつも通り買い物を済ませて帰っていたみたいだし。
折角季節祭をじっくり楽しめる機会がきたのに、自分が剣術大会に参加したなら、興味を持っているのに我慢させる事になるよね?)
これまでは"お祭りの時は賑やかだな~"程度のもので、リリィもそれほど興味も執着を持っていなかったから、特に参加出来なくても残念という気持ちを抱いていないのが見て取れた。
(自分も兵士になるまでは、そんな感じだったから積極的に、工具問屋の留守番を女将さんと一緒にやっていたものなあ。
やっぱり、ルイ君に頼むのがいいかなあ。
ルイ君なら、グランドール様がお仕事だってアルセン様がおっしゃっていたから多分自由な筈だし、リリィと一緒に行動できるというだけで、十分喜んでくれそう)
何にしても出来る事なら、リリィと共に行動をする事を心から喜んでくれる人物に頼みたいし、そうなると真っ先に浮かんでくるのは、グランドール・マクガフィンの弟子となっているやんちゃ坊主、ルイ・クローバーだった。
(ただなあ、さっきも考えたけれども、ルイ君がはりきり過ぎないかが心配なんだよね。それに、ルイ君もリリィといるだけで楽しいかもしれないけれど、普通に楽しみたいって所ないかな)
最後の方のアルスの気遣いは、リリィに惚れ込んでいるルイには余計なお世話かもしれないけれども、誰かしら―――出来る事ならこの2人ともに心を許せる大人がいるのが一番良いとも思えて仕方がなかった。
(やっぱり、成人した保護者がいれば、それが一番なんだろうけれども……それならいっそロブロウの時みたいに出来ないかな?)
不意に浮かんだ考えだけれども、アルスの中では結構良い物だと思えた。
(うん、そうだよな。思えば、ロブロウの時みたいにするのが一番良い様な気がしてきた)
小さな同僚が一番楽しむ為には、一番必要とされているのは、大好きな"ウサギの賢者さま"と一緒に祭りを回ること。
(今は、女将さんがいるからアルセン様には話せないけれども、話してみても良いはずだし)
言葉に出さないまでも、心情が表情に出やすいアルスを見て”何やら良い考えを思いついたのだろう”という事をアルセンは察する。
だが、直ぐに言葉に出さない所と、”アルスがリリィの為に考えそうな事”を、2年の付き合いながらも、兄の様に接してきたことで会得していたアルセンは、アザミがいる事で口に出せないという事も、考え及ぶことが出来た。
《アルセン、何だかアルスの顔が明るくなっているんだけれども、何か良い考えでも浮かんだと思うんだけれど、どうして口に出さないのかねえ》
どうやらアルセンが考えたのと同じように、アルスの表情が感情を拾い読みやすい事もあって、女将さんも気が付いた様だった。
アザミが気が付いた事を察したアルセンは、声で自分の予想ではあるけれども、その内容を告げる。
《……多分”賢者殿”、ネェツアークを巻き込んだ形で、アルスは考えているんだと思います。
アルスからしたなら、アザミ先生は賢者殿は知ってはいるけれども、ウサギなのは知らないわけですから……》
その説明に、得心がいったように直ぐにアザミから元教え子に返事を返していた。
《ああ、成程。そうだったね、だったら天然だけれども、確りしているアルスがうっかり、ネェツアーク……というよりは賢者殿の名前を出さないし、出せないだろうねえ》
アザミも元教え子から、2年間程預かり半ば息子の様に世話をしてきていた、アルスの性格と傾向を掌握しているので、浮かべている表情の理由もそれとなく察した。
《まだ私の憶測の域ですけれども、多分アルスは”ウサギの賢者”を巻き込もうと考えているのだと思います。
賢者という事は公にしているけれども、詳細は余り口にしない様にアルスはしているみたいですからね。
それで、その巻き込みの仕様が私の考えが間違っていなければ、多分、ロブロウの時と同じようにしようと考えていると思うのですよ、先生》
そう声で伝える腹黒貴族の表情は、非常に綺麗で良い笑顔ながらも不穏な雰囲気を孕んでいた。
『まあ、季節祭にまでに時間はあるからねえ、ゆっくり考えたならいいんじゃないかい?』
《ロブロウの時……、先日陛下が"気になるだろうから、教えてやるぞ"ってそれなりに教えて頂いたよ。
確か報告によれば、調査の際には、自由に動けないからとアルセンの提案したウサギのぬいぐるみ作戦とかいうのを、していたんだろう?。
当初は、ウサギの姿をした賢者殿は、リリィちゃんに本物のぬいぐるみの如く抱えて貰って、一応護衛代わりにグランドールが養子に考えている男の子と一緒に連れ回されたんだっけ?》
昼の営業再開の時間も迫っていたので、この場での話し合いの切り上げの言葉を口にしながら、声を綺麗な不穏な笑みを浮かべる教え子に向けた。
《いえいえ、私は”ウサギの姿のままでグランドールを補助する様に、ロブロウ調査に行きなさい”と、国王ダガー・サンフラワー陛下から命令書を作成を命じられて、作っていただけですから。
それをウサギの姿をした賢者を、ぬいぐるみみたいにして扱うと解釈したのは、あくまでも命令書を読んで判断した自己責任ですよ。
別に付いて行く方法としては、”ウサギの姿のまま”ならば、木箱に放り込んで、荷物の一部として扱っても良かったんですから。
とても可愛い女の子に抱っこされるぬいぐるみ扱いなんて、賢者殿にとっては結果的に大変な幸運ですよ。
最初の方は、少しばかり窮屈みたいだったですが、私がロブロウについた頃には、当時の領主が許しを得て、大丈夫な場所なら結構好き勝手やっていたみたいですよ。
ここ数年はウサギの姿の時には、鎮守の森の屋敷に引き籠っていたから、リリィさんに抱っこされてルイ君と一緒に、田舎を探検できた事は丁度良かったんじゃないですか?。
まあ、その後に何らかの事情で人の姿を戻されて、ロブロウの中を走り回る事態になったみたいですが》
先生が、それなりに先日のロブロウの農業研修の内情を知っていると判ったアルセンは正直な気持ちを述べ、女将さんがギリギリ表情に出させないくらいの驚きを与え、呆れさせていた。
そういった声の結構な長いやり取りは行われたのだけれども、顔立ちも質は違うけれども整った違うのは空色と緑色の眼の色位で兄弟の様にも見える2人は、アザミの呼びかけから顔を上げるタイミングは同時だった。
アルスは、短い間にアザミとアルセンが行ったやり取りは、勿論全く知らない。
けれども、女将さんの言葉は最もだと思えたし、考えて見れば見る程、自分の考えは悪くはないのだと思う。
ただ、ここで気がついたのは、そういった方法をとった際に、一番の当事者であるウサギの賢者の都合の事を全く伺っていない事だった。
(でも、賢者殿なら、リリィの為になら動いてくれてくれると思うんだけれども。
それに、ロブロウの時とは違って調査でもないから、身体を軽くすることでリリィを守れなくなるなんて事は、それこそ心配をしなくていいし。
賢者殿が一緒なら、王都でも危ない場所も判っているだろうから、決して行かないだろうし)
耳の長い上司が表に出ないのを好まないのは知ってはいるけれども、秘書の巫女の女の子を可愛がっているのは、アルスは良く知っている。
(何にしても、女将さんが言う通り、まだ新人兵士の剣術大会までは時間はあるんだから、今日帰ってから話しても遅くはないだろうな)
不思議と"アルスが剣術大会の参加を辞退をして一緒に祭を巡る"という考えは、その頭の中に浮かばない事に、その時アルス自身は気が付かない。
以前の"アルス・トラッド"なら、もしリリィが剣術に興味を持ったというのなら、自分の戦う姿を見せなくても、他の人物が戦う姿を見せて、それを説明してあげよう―――そんな考えをしていた。
―――私は自分より弱い人に守ってもらわなくても、結構ですよ。
あの言葉が根をはるように新人兵士の心を縛り上げているのを、自覚するにはまだ時間がかかるようだった。
『はいそうですね、帰ってから皆で相談しようと思います。それじゃあ、昼からの商売にこれ以上しても悪いので、そろそろお邪魔します』
『そう言えば、アルスはここを出る前に、一旦リリィちゃんに連絡をするんじゃなかったかい?』
アザミの提案に快活に返事をしたところに、すっかり忘れていたリリィへの連絡を思い出し、眼と口を丸く開けてしまう。
『ああ、そうでした。
それじゃあ、これから一旦どういう風に行動するか、確認する為に連絡してきます。えっと……』
そこまで淀みなく応えたアルスだったけれども、恩師の方に視線を向ける。
『私は、本日は非番ですからね。屋敷は東側ですから、良かったら途中までご一緒しても良いですか?』
『はい、勿論です。それでは、リリィに連絡をしてきます。女将さん、通信機をかります』
『ああ、連絡しときな』
それからアルスは連絡する為に、工具問屋の応接室を出て行き、昼食後で店のカウンターで少しばかりうつらうつらとしている"大将"に声をかけ、通信機を借りる。
喫茶店"壱-ONE-"の店主のウエスト氏は、呼び出しのベルが受話器から二回程なったなら直ぐに取ってくれた。
どちらかと言えば、店主がリリィに繋いでくれるまでの方が時間がかかっていたので、"まだ向こうは食事中なのかな"とアルスは思った。
(まあ、確かに自分やアルセン様と女将さん、食べる速度が早かったからなあ。
それにリリィ達は、自分が喫茶店に戻ってくると思っていたから、食事を取る時間が送れたのもあるかもしれないし。
出発する時には連絡するとは言ってしまったけれども、急かしてしまうような事はしたくはないな。
それに、リリィは確か今日は……)
小さな同僚が出発前に慌ただしくしていたのは、良く覚えていたし、身体の調子が万全ではないのは知っていた。
(ゆっくり、無理をさせないに限るかな。それに、今日は寂しいとは皆無の状態だから、最後に城門で落ち合ったならそれで大丈夫なわけだし)
《もしもし、アルスくん?。この連絡が来たって事は、ご飯が終わって、これから出るの?。こっちはも食事はさっき終わったよ》
《やあ、リリィ。そうなんだね。それで、これから何だけれど―――》