とある治癒術師の悩み①
「あの、ライさん」
「なんかにゃ~、リリィちゃん」
リリィが眺めていたメニューから顔を上げて尋ねる。
「スパゲッティーとパスタって、どう違うんですか?」
あと数十年は縁がなさそうな瑞々しく、張りのある"おでこ"に無理やりシワを作り、メニューとにらめっこしながら、一緒に食事をとる事になるお姉さんの1人に尋ねる。
アルスがアザミの工具問屋で昼食を取ると連絡があったので、リリィは喫茶店"壱-ONE-"で昼食を取ることになっていた。
これまでも城下の市場をしてこなかったわけではないけれど、喫茶店という場所で食事をとるのは初めての事となる。
リリィには例えるのが難しいのだけれども"大人の雰囲気"も初めてだし、料理の内容もメニューを眺めるだけでも、これも初めての物が圧倒的に多い。
とりあえず、外は日差しが強いと熱いぐらいなのだが、屋内の風通しのいい場所は涼しいし、リリィは暫く待つ事になりそうなので、"温かい物を取った方が良い"という事になった。
喫茶店の店主であるウエスト・リップ氏に温かい物でお薦めを尋ねたなら、ランチタイムには全てサービス料金で温かいスープをつける事が出来るらしい。
「それなら普段食べないっていうのどうですか?。パスタの種類は多い方ですから、この機会に楽しんでみてください」
そう進めてから、稼ぎ時の為にウエスト氏は厨房に戻って行った。
そうしてメニューを開いたのだけれども、、リリィが知っているのは賢者が作ってくれた事のある"ミートソース"と"カルボナーラ"、それに"マカロニのグラタン"程度だった。
喫茶店の店主さんは"気軽に尋ねてください"とは言っていたけれども、今は時間的に忙しそうだし、他の大人達は
話していたり(アプリコット・ビネガーとユンフォ・クロッカス)、
途轍もなく落ち込んでいたり(リコリス・ラベルとシーノ・ツヅミ)
しているので、尋ね難いので、ウサギの賢者から"届け物"の書物を読みながらも、リリィの横に座ってくれているライヴ・ティンパニーに尋ねたのだった。
真剣に読んでいたなら、自分で判るメニューで我慢していようと思っていたけれど、鼻歌を歌いながら読んでいたので、気軽に尋ねる事が出来た。
「にゃ~、パスタっていう大きな括りの中に、スパゲッティーがあるって感じだにゃ、判るかにゃ?」
仕立屋と同じ様に化粧をしている爪―――ライの方は同じ黒でも不思議と柔らかい感じで、艶をわざと消している仕様―――で、2つの丸を空に描く。
"パスタ"と口にする時は大きな円を描き、次に"スパゲッティー"と口にした時は先程の円の内側に一回り小さく円を描いた。
リリィは"おでこ"に出来ていたシワを、後にも残さずパッチリと伸ばし、ついでに両方の眉を大きく上げて、嬉しそうに小さな口の端も上げる。
「私、同じものだけれど、違う名前で呼ばれていると思っていました。カレーライスと、ライスカレーみたいな感じでしょうか」
つい先程アルスから連絡があって、どうやら昼は匂いからしてカレーのようだと話して貰った事で、少女の中で思いついた例えを言葉にする。
するとライは、いつもパッチリ開いている眼を、猫が瞼を閉じた時の様に線の如く細め、先程縁を描いた指先を左右に振って、"チッチッチッ"と舌を鳴らす。
「にゃあ、それはちょっと厳しくて小うるさいこと言うみたいだけれども、違うんだにゃ~。
それだとパスタ=スパゲッティーになっちゃうんだにゃあ。
色んなパスタがあって、その中にスパゲッティーっていう種類があるって事だにゃ~。
あ、あれだニャ~。
リリィちゃんに判り易く言うのなら、パスタが苗字でスパゲッティは名前みたいなもんだにゃあ」
「パスタが苗字で、スパゲッティーが名前、ですか?」
そこまで言われても、少女には余りピンとこないのを見越した、王族護衛騎士隊の魔術師として、有能な猫の鳴き声みたいな語尾をつけるチャーミングなお姉さんは、更なる例えを口にする。
「ほら、あれだニャ。アルセン様と母親の天才魔術師のバルサム・パドリック公爵夫人は、同じ"パドリック”とい苗字だけれども、似ている所はあるけれど、”別物”という感じだにゃ~」
”我ながら良い例えを見つけた!”という口ぶりで、ライが言ったならそれが伝染する様にリリィにも感覚的に伝わる。
「あ、それなら判ります!、えっと、それなら……そうだ、シュトさんとアトさんも同じ様な感じなんですよね?。違いますか?!」
思わず、魔法屋敷で耳の長い賢者と勉強している時みたいに挙手をしてしまいそうな勢いで、自分が描いている想像が合っているかどうかを尋ねる。
するとチャーミングとお茶目を合体させ、語尾に猫の鳴き声をつけるお姉さんは、眼は線の様に細めたまま瞑った状態で、口の端はそれこそ猫の口角を連想させる形にする。
そして仕上げの様に、親指を上に上げ"good"の印を作った。
それから直ぐに小さな自分の顎に、グッドサインを作っていた親指と人差し指をあて、フフンとわざとらしく笑みを浮かべ、艶やかな唇を開く。
「まー、ワチシからしたならパドリック公爵夫人はアラビアータ(結構辛め)で、腹黒貴ぞ……アルセン様はイカ墨(黒い)パスタみたいな感じだにゃ~」
ライが例えに出したパスタソースの名前はまだどちらもリリィは食べた事がないので、味は想像がつかない。
けれども、ライが少しばかり、イタズラをしている賢者を想像させる雰囲気を醸し出していたので、それなりに(新人兵士よりは)空気の読める女の子は笑顔を浮かべておくことにする。
すると、少女の大人びた笑顔を敏感に察した護衛騎士で魔術師は、ハッとした様子で照れ笑いを浮かべた後、思いだした様に言葉を足した。
「そうにゃ~、別に間違いを指摘するとかじゃにゃいし、正確なことでもないらしいにゃけれど、ワチシが知っていること教えとくにゃ~。
さっきのカレーの話しにゃんだけれど、カレーライスは、"ライス とカレーが別々になっていて、ライスカレー は、"ライスとカレーが一緒に皿に盛られている状態"なんだにゃ~。
ワチシ達が馴染みがあるのは、名前はカレーライスでも、見ている状態はライスカレーなんだにゃあ~。
まあ、絶対的に正しい情報でもないけれど、そこそこ定着しているこういう話だにゃ~。
こんなカレーの一例がある位に覚えとくと良いにゃ~」
ただ、お料理が好きな女の子として、リリィには少々その"常識"ともとれる事を知らなかったのは、恥ずかしかったらしくポッと頬を紅くしてしまう。
「え?!、そうなんですか?。どうしよう、私今まで間違って使ってました、ずっとライスカレーをカレーライスっていっていました!」
ライの指摘に先程まで嬉しそうな顔から再び、紅く困った表情を作り激しく瞬きを少女が繰り返す事になる。
それにはライが先程から丸を描いたり、横に揺らしていたりと色んな表情を作っていた、爪化粧を施している指を全て揃え、掌の形にして柔らかい薄紅色の髪をポンポンと優しく撫でた。
「まあ、食べ物は先ず美味しく食べれる事が一番で、それで良いんじゃにゃいかにゃ~。
とりあえず、今日は店主のウエストさんが進めてくれたみたいに、色んなパスタがあるみたいだから、珍しい感じのを食べてみたらいいにゃ~。
さっき言ったみたいに、パスタが苗字になって、色々な名前の仲間のお料理に広がっている感じだにゃ~」
それから改めてリリィが手にしているメニューを眺める。
ライ自身は料理作るよりも、食べる専門という事を自負している。
今回のこの喫茶店に決めた理由は、諸事情で"思い出の場所"としての理由が第一で後は"職場"となる護衛対象のユンフォ・クロッカスの城の執務室に近い事もあった。
ついでに少しも小洒落た場所での食事に興味がなくて、食事の内容を決定するのが苦手な相棒の為に喫茶店"壱-ONE-"のメニューを全制覇をして、明確な好みを見つける事を目論んでいた。
今日から暫く世話になる昼食に関しも、メニューの"最初から2つ"と、"本日のお薦め"を合わせて、ライ、リコリス、ユンフォの3人分で全制覇しようという考えで、翌々読んではいなかった。
なので、リリィから見せて貰った事で料理の種類で分類されているのはもかく店主の言っている通り、パスタは結構な種類があった。
メニューも他の料理は頁は、多くても半分に満たないのだけれども、パスタはそれだけで一頁を埋めていた。
「丁度メニューのパスタ欄の下の物は全部その仲間なんだにゃ~」
「え、じゃあ、マカロニもパスタなんですか?」
"マカロニグラタン"はパスタの欄でも一番下にあったので、余白の都合で、一纏めに記載している位に少女は考えていたので、純粋に驚いていた。
「私、マカロニはマカロニって、独立した物だと思ってました。
それじゃあ、マカロニの仲間だと思ってたまにサラダを作るのに使っていたのも、パスタの仲間って事になるのかな?」
東側にある食料の市場で、マカロニの仲間だと思って買っていた物を思い出す。
「良かったら、味見にスープもどうぞ。スープに合わせてパスタの味を選んでも良いですよ。
基本的に、何にでも合うように作っていますけれどね」
「わあ!?……あ、ありがとうございます」
いつの間にか、店主がごく小さなカップに、少量のスープを持ってきてくれていた。
それともに、新たにメニューと同じくらいの型紙を水に濡れても大丈夫の様に、透明な樹脂でコーティングした物を持ってきてくれた。
それには大まかなパスタの種類が記された物と、どういったソースに合うのかも記されている。
リリィが先程口にしていたマカロニについても数種類の形や、その形にあう料理や味付けが載っていた。
「話に聞こえている限り、お嬢さんは料理に興味があるみたいでしたので。少しは参考になると思いますし、良かったら、どうぞ」
それから店主のウエストは周囲を見回し、他の客に気づかれない様に少しだけ声を潜めて身を屈めて、リリィとライの傍にまで来て、口元に手を添える。
「あのやんちゃ坊主の癖っ毛で八重歯のお兄さんがお肉を買って帰るのには、もう少し時間を使うでしょうし。食事は御一緒の方が良いののでしょう?。
どうぞ、時間までパスタの豆知識でもゆっくり楽しんでください」
「あ、ありがとうございます」
二度目の礼を口にしたなら、店主は試食のスープを運ぶついでに盆に載せていた、先に出来上がった他の客の注文を運びに行ってしまう。
「にゃ~、思えばルイ坊遅いにゃ~。あれだけすばしっこいのに、買い物に結構時間を使うってるにゃ~」
ライが王族の護衛騎士という事で装備品の一部として支給されている時計とは別に、私物で持っているい猫がモチーフとなっている懐中時計を取り出して開いて見てみる。
勿論、リリィもその時計を覗き込んだで見ると、ライの私物の時計は思っていたより時間んは進んでいなかった。
「あれ?」
「にゃ~、こっちの私物の時計は記念があって、ちょいと遅れているんだにゃ~。本当の時間はこれにプラス30分なんだにゃ~」
リリィが疑問の声を出したならライが直ぐに応えて、その説明された分を足したなら、現在の時刻として、十分納得が出来る。
ライがどうして時計の時間を遅らせているのかは判らないけれども、理由として"記念がある"という言葉があったので、これ以上はリリィはそれについて尋ねない事にした。
それから今度はライの方が小声になって、リリィの小さい耳に内緒話をする様に語り掛ける。
「思えば、ルイ坊はアルスちんが戻るかもしれないと考えて、その分も買っているかもしれないにゃ」
巫女の女の子と王族護衛騎士隊のチャーミングなお姉さんを含めて、喫茶店の店主までが声を潜めて"ヒソヒソ声"になっていたのには、訳がある。
それは先程から話題に出ている、"八重歯で癖っ毛でやんちゃ坊主"事、ルイ・クローバーが喫茶店の食事にもう一品加える為の買い物に行っている為であった。
ルイはシュトと当初2人組で東側に向かっていたのだけれども、そこで"運が良い"のと"タイミングが悪い"のが重なるという状態になっていた。
先ず"運が良かった"のは迷子捜索の3組が、捜し始めて喫茶店を出発して程なく、アトがウサギの賢者の知人によって保護されているという事である。
その報せが、ウサギの賢者の紙飛行機によって、ある程度魔術が使える者には直ぐ連絡が届けられた。
ただここで、タイミングが悪いという物があって、迷子の捜索で別れたグループが
"シュトとルイが東側"
"アルスとダンが西側"
"リリィと残りは留守番"
と、なる。
西側のアルスとダンの組は、新人兵士は魔法がからきしだったけれども、見習いパン職人が幾らか魔法が使える為、連絡の魔法の紙飛行機は難なく届けられた。
喫茶店"壱-ONE-"で留守番になったリリィを初めとする面々は、店主も少しばかり魔術を使える程であるので、全く問題なしで届いている。
寧ろ、迷子捜索で出発をしたばかりで、喫茶店"壱-ONE-"で手紙を代表して受け取ったアプリコットが、内容を確認したなら思わず「あらら」と言葉を漏らした程だった。
結局、巧く魔法の紙飛行機を受け取る事が出来なかったのは、出来たばかり親友の新人兵士と同じ様に魔法がからきしの傭兵のシュトと、素養はあるけれども勉強を全くできていない為に、勘すらつかめていないルイだった。
ただ2人はそんな魔法の紙飛行機の連絡がないながらも、やはり巡り合わせが良かったというべきなのか、アトが保護されている先の家主、マーガレット・カノコユリに出逢う事が出来ていた。
そこで、ルイとシュトは、何にしてもアトが無事であるというのを報告しようという事になって二手に分かれた。
そして別れたやんちゃ坊主が喫茶店"壱-ONE-"についた頃、漸く東側に飛ばされていた紙飛行機が癖っ毛の頭の上に、まるで意志を持っている様に"やれやれ"といった風に止まったのだった。
それからは迷子になったアト・ザヘトの居場所も判明して、縁のあった一同は取りあえず安心したところで、紙飛行機に記されている通り、各々食事をした後に、最終的に集合する場所は城門という話になる。
それならば、そのままでここでという流れなのだが、喫茶店"壱-ONE-"は店内で購入した飲食物のみが、食べる事が可能という具合になっている。
持ち込みについては、"他店の商品を持ち込んで飲食お断り”という文句は店の何処彼処や、メニューの最後に、実に判り易く記されている。
けれども、喫茶店"壱-ONE-"の提供する食事は店主自身でも思っているけれども、食べ盛りの17歳の新人兵士や、14歳のやんちゃ坊主には少量すぎるのが現実である。
元々が軽食や飲み物を提供する店で、”がっつり”と食事をしたいのなら、もう少し東側に入ってそれなりの食堂に頼んだ方が、金もかからない。
それこそ前にリリィとルイが初めて出会った汁物屋のイースト・マウス氏が営む"ココノツ"の様に汁を一杯購入して他の店で購入した方物を食べた方が経済的でもある。
けれども、リリィは今回は昼食の時間までは喫茶店"壱-ONE-"で過ごす予定となっているので、ルイはそれに付き合う気満々であった。
ただ、それだとルイは普通に満足する量を食べる為には結構な金額を支払う事になると、商売ながらも店主の方も心苦しい。
ルイが成人していたなら、幾ら金のかかる食事をしようが金さえ支払って貰ったなら、それは自己責任として構わないという気持ちにもなれるのだけれども、一応は未成年である。
それに何よりも、リリィという女の子が初めてこの店に入ってきた時に
"……え、ジュースが一杯が銅貨4枚?!高くないアルスくん?!"
という発言に、やはり子どもが利用するには高い料金なのだろうと、店主も苦笑いを浮かべてしまっている。
なので今回は、特例として"副菜"として、喫茶店では扱われない肉料理を一品持ち込みを店主のウエスト氏自ら、他のお客にはばれない様にという、箝口令を敷いた上で許可をした。
幸い昼時という事もあったので、喫茶店の方でも軽食を扱っていることもあり、他所の料理でも、持ち込んだとしても匂いの方はばれないだろうという少しばかり、楽観的な面もあった。
ただ、ルイが肉料理を買いに出発してから、直ぐにアルスが城下町の商店で繋いでいる通信機から"食事はアザミさんの所で取る事になった"と連絡が入る。
そこで、西側の新人兵士と見習いパン職人に当てられた、ウサギの賢者からの紙飛行機には、
"本日はこのまま当初予定していた事を行う。
最終的な集合場所を城門にして時間を合わせて、各々単独行動で行うという流れにする"
という旨が記されている事を知る。
その事で、リリィが不思議がっていると、アルスが通信機越しに小さな同僚に思いついた事を口にする。
《朝の時から自分はアザミさんの店に前以て行くと賢者殿には報告していたから、それで配慮をしてくれたのではないかな?。
西側に行って、一々戻るのも正直に言って体力も、時間がもったいないし。
本当なら自分はリリィの護衛をしなければならない。
けれど、喫茶店の方にいる限りはライさんやリコさんがいるのなら、自分1人よりも余程、安心だと思うよ。
それに今は更にアプリコット様もいらっしゃるしね》
アルスが明るい声で言う通り、身辺の安全の意味ではいないのは正直に微塵も心配はしてはいないのだけれども、アルスの不在はリリィには寂しく思えた。
けれど、アルスは既にアザミの店についてもいるし、ウサギの賢者の指示に従っているというのなら、今更どうこう出来るものでもないというのも、判っている。
素直に従う返事を通信機越しにしようとした時、今度はアルスの方がリリィの方にある疑問を尋ねてきた。
《あれ?思えばダンさんは、喫茶店の方にまだ戻っては来てないのかな?。
多分、1人で戻るんではなくて、2人で戻っているはずなんだけれども。
そのもう1人……方って言った方がいいかな。
その方は、リコさん……は、今は兎も角、ライさんなら会ったなら直ぐに判る筈だよ。
2人の上司に当たる方で王室護衛騎士隊隊長の、キルタンサス・ルピナス様なんだ。
ダンさんとは友達?なのかな、とても親しい感じで、迷子の事が解決する前に出逢ってね、一緒に凄く心配もしてくださったんだ。
それで結局アト君の迷子が心配なくなったなら、御家族が東側で待っていらっしゃるという事で、ダンさんは用事があるって事で、一緒の筈なんだけれども》
普通なら少しばかり勿体付けて紹介する様な人物であってもおかしくはないのだけれども、空気読まない新人兵士は、あっさりと告げる。
あっさりと告げられたリリィの方が、アルスの口にした人物の意外さというか、"リコやライの上司”という言葉に、通信機を使用しつつ緑色の瞳をパチパチとしてしまう。
だが、見習いパン職人の眼帯をした大男どころか、2人のお姉さんの上司になる人を見かけてもいないと返事をすると、アルスの方が「あれれ?」と珍しく戸惑う声を出していた。
ただ、見習いパン職人については"神出鬼没"というのが、リリィが出逢った頃からの”特徴”だそうなので、いきなり現れたり消えたりすることは珍しいことではないと告げると、アルスの方が笑っていた。
《それじゃあ、アザミさんのお店を出る前に、もう一度通信機を借りて連絡するね。
最終的には城門の近くで落ち合う筈だけれども、それまで一緒に行動するか、別々にした方がいいか、ルイ君や他の皆さんと話しておくといいよ。
実は、アルセンもアザミさんのお店で偶然あったから、もし時間があったなら、今度のマクガフィン農場のカレーパーティーの事も含めて色々聞いておいてみたい事があるんだ。
それに今日はお休みのアルセン様とも店で偶然あったから、もしかしたらご一緒するかも。
じゃあ……、ああ、でもルイ君に悪い事してしまったかな?。お肉、自分の分まで買ってくれてるんだよね?》
そこは"ルイの事だから、喜んでアルスの分まで平らげる"と言う風な事をリリィが口にしたなら、お兄さんのような新人兵士は笑って"それは、そうかもね"という言葉で、通信機でのやり取りを終えた。
店主に、後でもう一度連絡があると告げたなら、快く返事をしてくれた。
それから肉を買いに言ったルイ戻って来るまでに、喫茶店でリリィが食べる昼食を決めておこうという話になり、リリィは、喫茶店のメニューを眺め、パスタの種類の流れになる。
「パスタにするのなら、麺の種類で茹でるのにも少しばかり時間もかかるものがありますから、さっきの一覧表と料理の内容で比べてみてから、注文してくださいね。
お肉を買いに行った癖っ毛のお兄さんは多分、お嬢さんと一緒に食べようと考えている様に見えましたが、食べる内容まで一緒にしますかね」
先に昼食を取る為に、喫茶店に訪れていた客人からの注文を一通りこなしおえた終えた店主が再びメニューを見ているライとリリィの元にやってくる。
ルイがリリィと食べる物を一緒にするかどうかという事について、少女はメニューと自分の好みと、これまで数回共に食事を共にした事を考えてから、小さな口を開いた。
「どうなんだろう?。ルイは自分が好きな物選んで、それで食べると思うんですけれど……」
それにリリィはどちらかと言えば、野菜の料理の方が好みで、ルイの方にしてみれば"何においても先ずは肉!"と言った具合であるので、一緒とは思えなくて正直に口に話す。
「にゃあ、店主さん。
ルイ坊は、リリィちゃんの事は好きだけれども、何でもかんでも一緒という訳じゃないにゃ~。
一緒に食事が出来れば、それでいい感じだニャあ~」
「若い方なので余計な気を回してしまいましたかね、了解しました。じゃあ、お嬢さんの食べたい物が決まったなら、教えてください。
それに肉が好きというのなら、戻って来てからは買って来た肉を食べている間にサラダやスープと一緒に食べている間に、こちらの作りましょう」
リリィの言葉とライの説明に店主は納得して頷いた。
「それでは、ティンパニー様達御一行のメニューは、前以て頼まれていた通り、メニューの"最初から2つ"と、"本日のお薦め"を合わせてで。
ロブロウからのお客様にもメニューを伺ってきましょう」
そう言って店主のウエスト氏は、店の奥にいる未だに落ち込んでいるシーノと、ユンフォと何やら話し込んでいるアプリコットに注文を取りに行く。
シーノは落ち込んでいながらも、どうやら食べる物を既に決まっていたらしく直ぐに答えていた。
アプリコットの方はメニューを見てから、少しばかり考えたけれども"じゃあ、本日のお薦めで"と決めている声が聞こえた。
「私も、そろそろ決めなきゃなあ……」
リリィが少しばかり慌てて、メニューのパスタの欄を緑色の瞳で上から下まで丹念に眺める。
どうやらパスタにするのは、決定事項ではあるのだけれども、種類が色々あってどれにするのかが決められない様になっている。
「にゃあ、味が判らなかったら、店主のウエストのオッチャンが味を教えて貰えるから、遠慮なく訊けば良いにゃあ」
ライの遠慮なくという言葉に、リリィはメニューとパスタの種類の一覧表をチャーミングなお姉さんに見せながらおずおずと口を開く。
「えっと、あの実はカルボナーラは、前に賢者さまに作って貰った事があるんです。美味しかったです」
「にゃあ、あの賢者、そんな洒落た物作るのかニャ?!」
リリィの言葉というよりも、どちらかと言えば賢者の姿を知っている上で、賢者が作ったものが結構意外だったらしく、ライが猫が驚いた時の様に、背筋をピーンと伸ばしていた。
「えっと、その、カルボナーラ自体はそんなに材料は使っていませんでした。
確か、アルス君が来る前で、雨が続いていて買い物があんまり出来なくて、ありあわせで作ろうみたいになったんです」
一方のリリィはそこまで驚かれる反応をされる物とは思っていなかったので、作られる様になった経緯を口にした後、使っていた材料をメニューを見ながら思い出しつつ口にする。
「パスタ、オリーブオイル、にんにく、ベーコン、卵黄、何か本当は生クリームを使うらしいんですけれど、無いから牛乳、粉チーズに、玉ねぎのスライスしたのと、黒胡椒……ぐらいだったと思います」
「あにゃ?、ワチシも何回か食べた事があるけれど、思ったより材料は少ないんだニャ~。こってりしてたから、ワチシは色々使っているかと思ったにゃ」
今度はライが、黒い眼をパチパチとしながら感想を口にしたなら、リリィが更に続ける。
「それで、それだけでも十分美味しかったんですけれど、賢者さまが言うには―――その時に使ったパスタが、屋敷の厨房に残っている一般的な丸い麺みたいなもんだったんです。
その麺でも、十分私はは美味しかったです。
ただ、賢者さ仰るには『平たいパスタで食べたらもっと、美味しいんだ。
けれど、茹でる時間とか煮汁とかもっと技術がいるらしいからね、ワシは面倒くさくて丁寧には、作れないからリリィは何か機会があったら食べてみたらいいよ』
って、教えて貰って。
でも、これまで食べる機会もないし、商店にいっても普通のパスタしかみかけた事が無くて……」
そう言いながらリリィが緑の瞳で見つめる先には、パスタの一覧表の中でも"フェットゥッチーネ=平たく薄い麺"という説明文が認められている。
正確な情報ないので、賢者が言っていた物と同じかどうかはわからないけれど、近い物の様な気がするので、リリィは真新しい物より、そちらに興味が向いた様だった。
「にゃあ、それじゃあ賢者殿が言っていたカルボナーラが美味しく食べられるフェットゥッチーネにするといいにゃあ。
初めての物も良いけれど、改めて本格派みたいなのも知っといて人生損はないにゃあ~」
ライが明るく提案したと同時に、"スン"と彼女のチャーミングな印象を与える小さな形の良い鼻を鳴らした。
「にゃあ、肉の匂いがするにゃあ。ルイ坊が戻って来たみたいだにゃぁ」
喫茶店"壱-ONE-"の匂いを大体掌握しているライは、鼻に入ってきた肉の焼ける匂いが、この店ので作られる料理とは違うという事も十分わかる。
ご飯を用意された際に、まっしぐらに向かう猫の様にリリィと隣り合って座るソファからしなやかな身体を伸ばし身を捻り、店の入口の方を向く。
リリィがそれに続くように、華奢な身を捻って同じ様に振り返ったなら、確かにルイは戻って来ていた。
喫茶店の入り口にいるルイは、やんちゃ坊主なりに配慮をしたのか、店のサービスなのかは知らないけれども、恐らく肉だと思える物は、大きな植物の葉に包み、紐で縛られた物を右手に、掴む様にしていた。
どうやらまだ随分温かいらしく、湯気が漏れているけれども、ライの様に喫茶店と使っている違う肉の匂いまでは、リリィの小さい鼻ではとても無理だった。
肉を買って帰ってきたやんちゃ坊主の方と言えば、先に自分を見つけたのはライなのにそれにも関わらず、遅れて振り返ったリリィの姿を確認したなら、八重歯を見せて笑顔になる。
「にゃ~。相変わらず、リリィちゃんへの好意がはっきりしあけすけ過ぎて、寧ろもう壮快な域だにゃ~」
ライが先程数度見せている、猫が線の様に細めている眼をして呆れながらルイの方に猫の様にチョイチョイと招く手の形をしていたなら、リリィが頬を紅くして小さな口を開いていた。
「そ、そうすなんですか?」
年の近い年齢の異性との付合いが、ルイしかいないので"基準"に捉えつつあることに、"ライおねえさん"は少しだけ危惧をする。
(まあ、基本的にリリィちゃんは可愛いし、性格も悪くないし、周囲も特別扱いをするというよりは、一般常識的な女の子への接し方だから、まだそこまで注意することもないかにゃ~)
「リリィ、ただいま!。あれ、アルスさんまだ西側から、戻ってきてねえの?。
肉の店混んでいたから、遅くなってしまってわりいなあって、思って急いで来たんだけれどな」
「あ、その事なんだけれどね」
リリィがアルスとは暫く別行動になった旨を伝えると、最初に眉を上げた程度で特に驚くこともなくその話を聞いていた。
「そんじゃあ、肉の量が増えるけれど俺がアルスさんの分食べて、こっちで2人分食べるつもりだったのを1人前にすれば大丈夫だろうな。
リリィは何食べるのか、決めたのか?」
ルイの2人分食べるつもりだった発言に驚きつつも、リリィは自分の食べるつもりのメニューを説明する。
「私はね、カルボナーラにするつもり」
メニューとパスタの種類の一覧表を見せながら、ウサギの賢者との話をしたなら興味を持ったのが目に見えて判る程、八重歯の見える口角を上げる。
「へえ、賢者の旦那、それなりに料理出来るってイメージだったけれど、そんな洒落たもの作ったり食べてたりするんだな」
賢者が料理を作る事を否定はしないけれども、スパゲッティーならマクガフィン農場のミートソースぐらいしか食べた事がないやんちゃ坊主は、メニューの挿絵に乗っている白いクリーム色のソースは"洒落た物"になるらしい。
「にゃ~、そうだにゃ~」
ライも大いに賛同すると、これには"賢者贔屓"の巫女の女の子はムッとする。
「賢者さま、昨日や今日こそ、キングスさまがいらっしゃったから、そんなに作らなかったけれど、結構お料理はするんですよ。
それにルイ、前に賢者さまと一緒に普通にご飯食べたのに、それでもどんな食事のイメージ持っているのよ?」
ムッとする顔が"可愛らしく"見えるやんちゃ坊主は、もう少し見たくて少しばかりからかうつもりで、”賢者の旦那”の姿を思い浮かべながら言葉を口にする。
「えー、生のニンジンをボリボリ食べているイメージ?」
「……巫女のお嬢さんがお世話になっている、賢者様は菜食主義なのですか?」
話しに夢中になっていた少年と少女は気が付かなかったけれども、注文を承ろうと喫茶店の店主が何時の間にか、メモを片手に側に来ていて、声をかけた。
「わあ?!」
「わぁ?!」
「にゃあ、店主さん、リリィちゃんはパスタはフェットゥッチーネでカルボナーラに決めたそうだニャ~。
ルイ坊は来たばっかりで、メニューもあんまり見てないみたいだけれど、何かもう決まっていたりするかにゃあ?。
決まってないにゃら、リコニャンとユンフォ様とアプリコット様のさらに奥の席の方に、先に荷物は運んどけにゃ~」
一方、一応護衛騎士でもある魔法が得意なチャーミングなお姉さんは子どもが驚いている横で、確り注文をしていた。
「フェットゥッチーネでカルボナーラですね、承りました。そちらのお兄さんはどうしますか?」
読み上げ確認しながら、ウエスト氏はルイの方に視線を向ける。
やんちゃ坊主の方は既に求められている内容は"もう決まった物はありますか、それとも後できますか?"という旨だと判る。
「リリィ、見せて貰っても良い?」
「あ、うん、どうぞ」
リリィからメニューを受け取り、片手ながらに器用にをさっと流して見て、結局パスタの頁を開いている。
どのメニューにも丁寧なイラストと共に、料理の具材の説明にアレルギーに関しても少しばかり記されている。
―――詳しくは店主にお尋ねください、利かせられ融通は可能な限り聞きます。
〆(しめ)の店主の言葉に、やんちゃ坊主なりに好感を持って、大きく口を開いた。
「腹空いてるから、不味くなかったら何でも良いって感じなんすけれど、メニュー見たならどれも美味しそうすっね」
「それはどうも」
「ルイ!」
グランドールがいたなら容赦なく拳骨が飛んできそうな生意気な言葉に、リリィが怒るがそれはやんちゃ坊主にとっては、寧ろ機嫌を良くする事となる。
店主は流石商売人と言った所か、やんちゃ坊主の生意気な言葉にも、余裕で感じの良い笑みを浮かべていた。
「うーんと、一緒のメニューにしたなら早く出来たりしますか?」
「そうですね、それは早く出来ますね」
あっさりと店主が答えたなら、ルイもその返事で気持ちが決まったらしい。
「それじゃあ、オレもリリィと同じので2人前で。カルボナーラだっけ、野菜も少ないみたいだし」
「ルイ!」
ちゃっかり自分が嫌いな野菜が少ないのもあって、決めた事を口にしたなら、再びリリィが叱る様に声を出す。
店主が引き続き笑顔を浮かべていたが、これまでとはどことなく違うものであるのを子ども達は察する。
「それじゃあ、大皿で出しましょう。その方が料理が冷めにくいし、長い時間美味しくいただけますから。
お客様は2人前ですので、ランチサービスでつけるスープはともかく、サラダも2倍……いえ、"2乗"にさせて頂きますね」
「!?、ちょっ、2倍じゃなくて、2乗ってどんな量になるんすか?!」
最近この国の西の領地で、ばっちり復習させられた数学で学習した2乗3乗の法則の単語にやんちゃ坊主は反応したが、店主はスタスタと厨房に戻って行った。
ルイが軽くあしらわれ、ライが笑い出し、リリィも店主さんと年上の友だちの間で行われたやり取りは判らなかったけれども、"ウエスト・リップ氏の方が一枚上手だった"と判ると小さな口を抑えた。
「にゃッはッはッはッ、王都のど真ん中で店を切り盛りしているんだニャ~。美味しく食べられる物は提供しても、性格は食えないって言っていたのは正解だニャ~」
ライが楽しそうに言ってから少しばかり表情から笑顔を引かせ、"大人"の顔付になり、ルイが手にしていたメニューを手に取り、店の奥の方を指さした。
「それじゃあ、そろそろルイ坊は買って来たのを店の奥に持って行くにゃ~。ワチシみたいに匂いに敏感な方が、いらっしゃらないとも限らないにゃ」
ライの口調は変わっている所はないけれども、他店の物を持ち込むという"特別な事"を許してくれた店主への配慮を無碍にしない様にという、意識は察しの良い子ども達には直ぐに伝わった。
「あっ、そっすね。奥に運んでおきます……って、運ぶのというか、皆で食事するの”あそこ”ですよね」
最初はきびきびと答えていたルイだが、確認する為のライの指さした方向を見たならば、徐々に調子を落としていく。
奥の方では、アプリコットとユンフォがやはり店の配慮で"涼しくなり過ぎた"際に使って欲しいと配られている膝掛けを肩に乗せて、湯気の出ている紅茶を飲んで語っている。
同じ物を迷子から相変わらず落ち込んでいるシーノも、肩にかけている。
その更に奥に、朝から書類作業に励んでいた治癒術師が、所謂”取り憑かれた”様に今度は打ち込んでいる状態が、遠目から見て取れた。
しかも魔法の素養のある人々には、リコリス・ラベルの心情に添うように呼び寄せられている氷の精の粒子が周囲に漂っているのが見て取れる。
そもそも、ライが大好きな相棒で親友の傍を離れているのは、リコリス・ラベルが敬愛して止まない、デンドロビウム・ファレノシプスが見合いをするという話を聞いてから、動揺の為に魔力の調整が少しばかりうまく出来なくなったためである。
日頃は、何があっても彼女の傍を離れまいとするチャーミングなお姉さんだが、寒いのだけは本当に苦手なので、同じ様に身体を冷やさない様にしているリリィと一緒に座っている事になった。
「にゃ~リコにゃんが落ち込みつつも、報告書の執筆に逃げて……励んでいるから、邪魔しないようににゃ」
ライのわざと間違えた言い方で、マクガフィン農場でも"仕事に逃げる"大人を数人見かけた事がある、やんちゃ坊主は承知した。
ルイが見た傾向でしかないが、そういう人は、落ち込んでいるけれども仕事は異様に早い。
仕事内容の精密さで言えば個人差も出るけれども、リコリス・ラベル女史なら大丈夫だと思える。
(まあ、多少字は粗ぶっているかもしれないけれども、あのお姉さんならそれでも綺麗な字を書いていそうだしな)
やんちゃ坊主なりに"大人なりに悩みは色々ある"という情景は、たまに見ているし、一番の親友らしき人物が"そっとしている"している処置をしているので、それに従う。
「昼食は温かい物頼んでおいて良かったっす。というか、気にするのは解るんですけれど、今、あそこに持って行ったなら冷えませんか、これ?」
ルイがまだ湯気を出している、買って来た肉料理を指さしながら尋ねると、ライが少しばかり考えたが、直ぐに笑顔を作って人差し指をピンと立てる。
「ワチシは猫舌だから、少し冷ましたぐらいがいいんだにゃ~。
というのは冗談で、その時はワチシが魔法で温め直してやるにゃ。
まあ、他の料理が全部熱々でまとめてくるだろうから、少し冷めたぐらいは気にしなくていいにゃ~」
ライの温め直してやるという言葉をきいて、安心したルイはいつもの様に身軽に店の奥の方に行った。
道すがらに会う、シノやアプリコットと、初対面となる筈のユンフォにはやんちゃ坊主なりに丁寧に挨拶を行う。
今回、一番の難関と思われるリコも、言葉をかけたなら、片手を上げて挨拶を返していた。
「えっと、その、リコさんは大丈夫なんでしょうか?」
実を言えば今の今まで、リリィには気にしている事がある。
―――アトが迷子になったと発覚した時に、既に誰かが保護をしてくれていたならという話の流れになった際、東側に詳しい見習いパン職人が
『もし東側にいるなら、そこまで心配もしてはいないんだがな。
西側は男ばっかりだからな、そこら辺が心配だ。乱暴な事はないが、見た目にも威圧的になりがちだからなあ』
という事を言ったなら、西にそれなりに詳しい新人兵士が
『もし、運良くうちの工具店のアザミさんが保護してくれていたならいいんですけれど。アザミさん面倒見るの巧いから』
という言葉を口にしていた。
アルスの面倒見が良いという言葉に、この場にいない人の姿がリリィの小さな頭に浮かぶ。
前にアルスが世話になっていたと紹介して貰ったアザミさんも、確かにアトの様なお兄さんと接するのが巧いと思ったけれども、その人は実際に上手に接しているの間近で見た。
『それなら、ディンファレさんもアトさんと仲良しですよ!……、あ、でもお仕事中で、法王さまの護衛ですよね』
気が付いた時には名前を出してしまっていたけれども、ディンファレはとても忙しい立場の仕事をしている事を思い出して、直ぐに言葉を萎ませる。
リリィの覚えている限り、その時のリコリスはいつも冷たいという印象を与えてもしまう綺麗な顔に、優しさを含ませてとても魅力的お姉さんの顔をしていた。
だが、次に見習いパン職人によって行われた発言で、一気にその形を崩す事になる。
『うむ、今日は無理だろうな。確か今日は公休日で、ついでに"見合いの打ち合わせ"とか噂で聞いたぞ』
見習いパン職人が笑顔でそんな事を言った次の瞬間。
巫女の女の子の知っている常識で言うのならば、綺麗で優しそうな顔が、ライが貸してくれる女の子向けの劇画で、ショックを受けているヒロインの様な顔になっていた。
次の瞬間には、手の内でカップが激しい音と共に粉砕され、大いに動揺しているリコの気持ちに呼応する様に周囲に、"色恋"の話しが好きな風の精霊を呼びよせてしまう程の騒ぎになった。
店内で風が吹き荒び、厨房から店主が何事かと、昼のランチの仕込みの仕上げをしていたのだろう、包丁を片手に飛び出してくる程になる。
直ぐに、ライと、リリィには判らないが、喫茶店で合流してから顔を赤くしているアプリコットが、ここは正気付いて巧みに落ち着かせて事なきを得た。
そして、ある意味動揺しているリコリスを物珍しそうに見ていた、主に男性陣には"親友"でもあるライから、
『余計なことくっちゃべっている時間があるなら、アトちんを捜しにとっとと行け、にゃ~』
と、彼女の個性でもある語尾を付け忘れそうな程の様相になって、これ以上更に余計な事を口にしそうな人々(主に見習いパン職人)を、喫茶店"壱-ONE-"から見送り(?)出していた。
男性陣が慌てて喫茶店から東西に分かれて、迷子捜索に出て行った後は、風の精霊からリコの心情に添ってか、温かい日中には珍しい氷の精霊を無意識に集ってくる。
『……取りあえず、ここはそっとしておいてあげた方が良いかもしれないわね。
―――あ、どうも、お騒がせしてしてすみません。
ちょっとした行き違いがありまして、少しばかり気持ちが昂ってしまいましたの。
御心配ありがとうございます、もう大丈夫です』
"あ、どうも"の辺りから、アプリコット普段の声ではあるのだが発音や調子もに変わっていてが、喫茶店のランチタイムに赴いた馴染みの客人に向けられたものだった。
普段の"素"の彼女を知っている人物なら、彼女の淑やかな振る舞いと声に、思わず時間が止まってしまった様な態度を取ってしまっても仕方がない。
この時の場合は、留守番に残ったリリィとライとシノ(ただ相変わらず椅子に座り落ち込んだままだったが)に当てはまる。
リコリスは、未だ敬愛する上司の見合い(の支度)話に動揺している。
従って、動きを止めてしまった人数の方よりも、普通に動ける方の人数が多かったので特に不自然な事はなくそのまま時は流れていた。
喫茶店の店主は、客がカップを落として割ってしまう事態は少なからずあるので、慣れた調子で、片付ける為の道具の一式を運んでくるのをアプリコットが如才なく受け取る。
『ありがとうございます。後は、此方で片づけておきますので、お気遣いなく。
カップの弁償も含めて、こちらにご連絡くださいな』
そう言って掃除道具を手にしつつも、アプリコットは腰に付けている鞄から、現在している旅行者の恰好からは想像し難い淑女の仕種と、品の良い白銀のカードケースを取り出して一枚名刺を差し出した。
『セリサンセウム、西の領地ロブロウから、遊学で王都に参りました、アプリコット・ビネガーと申します。
こちらは階級を気にせずに気楽に楽しめる喫茶店だと、友人から伺いました。
お恥ずかしい限りの田舎者ですので、暫く王都にお世話になる事になります、良しなにお願いします』
"素"のアプリコットを知っている一行は、相変わらず時を止められている様に固まっていたけれども、ライが一番に気がついて、リコの指に残っているカップの取っ手の部分を回収する。
『アっちゃん……アプリコット様、ここのお店本当に良いからお薦めにゃ~』それから、片付けならワチシに任せるにゃ~』
そう言って"友人"の手から、掃除道具を受け取って、素早く片付け始めていた。
『ありがとうライヴさん、"よろしくね"』
最後の”よろしくね”の箇所だけはいつものアプリコットの調子になり、リコリスがそれに反応したかどうかは判らないが、動揺がおちついたのか、ライの方を見ていた。
ライは”にゅっ”と口の端を上げ、頷いたなら極最小限の音で手早く片付けを終えてしまいそうな勢いで素早く動く。
それを見たなら、店主の方は自分が動く方が客人に厭な思いをさせてしまう事を察し、片付けようと出していた身を潔くを引いて、アプリコットの言葉に返事を返す。
『ああ、ティンパニー様の御友人でしたか。その、よかったら贔屓にしてください。
朝は早いの特徴ですけれども、閉まるのも早いので、ご注意ください。
こちらが営業時間となります。
朝は簡単な軽食セットの弁当もしていますが、商店の通信機で連絡していただければ、ご予約もして貰えたなら承りますので。
休日は不定期ですが、必ず前もって店内にてご連絡いたします』
そう言って店主の方も、店の営業時間が書かれた名刺を差し出し、アプリコットはそれを受け取って微笑えんだ。
『早朝に営んでいらっしゃるのは有難いですわ。
私、読書が趣味でして、うっかり徹夜をしてしまう事があって、せめて少しでも眠る前にお茶を頂きたいのだけれど、使用人に迷惑になるから自分で淹れていましたの。
でも、王都ではこちらにお世話になったならプロのお茶がいただけますのね―――』
『アっちゃんじゃなくて、アプリコット様、片付け完了にゃ~』
アプリコットが対応している間に、ライはすっかり片付けを終えてしまっていた。
『お疲れさま~。―――それじゃあ、お道具、ありがとうございました』
『ウエストさん、ありがとうニャ~』
そう言って、ライが道具を店主に差し出す。
流石に王都の廃棄物の分類までは把握していないので、そちらの方は頼むしかない。
『……ライちゃん、ありがとう』
そこで静かに、リコが礼を述べたなら、ライがフルフルと今朝も親友に整えて貰った黒髪の頭を左右に振る。
『気にしないでほしいにゃあ~。昔、ワチシがおばあちゃんの実験器具のフラスコを、イタズラで盛大に割っちまった時に、証拠隠滅をしてくれて、怒られないですんだ恩返しだニャ~』
ライがそう言ってウインクをした頃に、リリィの時間の止まるような現象は漸く治まったのだった。
それからリコの気持ちが落ち付かないのが窺がえたところで、それまで沈黙を保っていたユンフォが落ち着いた声で話に加わる。
『それなら、昼食になるまで仕事に気持を向けた方が良い。余計な事を考えないで、自分の役割に没頭して置く事だ。
でも、無理に気持ちを落ち着かせようとしなくてもいいからね。
幸い私も―――そちらのロブロウから遊学にいらしたという、お嬢さんも魔術は扱えるから、周囲に影響を与えずに、リコリスが強張らずに仕事が出来る様に側にいてあげられるからね。ライちゃんは、入り口のお嬢ちゃんと一緒に座ってあげなさい』
"寒いのが苦手"というライヴを特徴をよく知っている上司はそう告げると、ライが挙手をする。
『はーい、にゃ』
『はい、ユンフォ様』
ユンフォの穏やかながらも、"命令"の感情を含んだ物言いに護衛の2人は従う。
穏やかな笑みを浮かべてた後に目を伏せ、視線を淑女の状態から脱して、息を吐いている田舎から出てきたばかりだという婦人に向ける。
《―――少々、お話をしたいがよろしいか?》
王都では本来なら使用不可能のテレパシーなのだが"嘗て上司だった英雄"に特別に教わった方法で、件のロブロウから遊学に赴いたという貴族に伝言を送ってみた。
彼女の情報は簡単に纏めた物を、かつての軍学校の教え子から"懐かしいでしょうから、ユンフォ様には特別に優先的にどうぞ"と上げて貰っている。
その情報が確かなら彼女もこの伝言の方法で伝わる筈で、どうやら、ユンフォの考えは当たっていたらしい。
《こちらこそ、よろしくお願いいたします。悪魔の宰相と呼ばれた、用心深いアングレカム・パドリック様が信頼した副官のユンフォ・クロッカス様》
そう返事をして口の端を"ニィイ"と上げる姿は、微笑む顔はどことなく鳶色の教え子と通じるものを感じさせる。
《―――?》
そして、鳶色の教え子を含めて、そのアプリコットの顔がまた誰かを"思い出させる"のだがそれが誰かが、判らない。
ただ"感覚"だけで言ったなら、随分と霞がかかりながらも、自分がまだ本当に"若造"のアングレカム・パドリックの副官だった頃の記憶が引っかかる、ビネガー女史の笑みとなる。
結局、記憶は掘り返される事はなく、ライが自分の命令に従い立ち上がる音で、思い出を辿る様に延びていたきっかけは、やはり霞の様に消えてしまった。
ライが護衛騎士の鎧を外している事もあるのか、普段以上の身軽さで、それこそ本当の猫の様にスルリと、先程アルスと2人でかけていたソファに並んでちょこんと座る。
『リリィちゃんにくっついて、ご飯できるまで丸くなっているニャ。にゃ~、思えばリリィちゃんはここのお店の飲み物以外のメニューを見たことあるのかニャ~?』
『あ、飲み物以外はまだ見てません―――』
リリィが正直にそう答えると、ライがいつの間にか手にしていたメニューを取りだし、広げ、ゆっくりと捲り、料理に興味のある女の子は説明文まで一通り読んだ時、店内に紙飛行機が入ってきていた。
それはユンフォと話していたアプリコットの元で止まって、彼女がそれを開いたと同時に眼で速読し、「あらら」と言葉を漏らし後に、直ぐにアトが保護された事を知らされる。
その報せに眼に見えてシノが安堵していたけれど、「……もう少し、反省しておきます」と言って、大人しく椅子に座りなおしたところに、アプリコットが膝掛けを差し出していた。
それに続いてルイが戻ってきて、連絡の行き違いを知り、やんちゃ坊主が肉を買いに行っている間にアルスから連絡があったりと、昼食にいたるまで結構色々とあった。
その結構色々ある間も、リリィは気にしてはいたけれど、自分が気にしたら周りが更に気にすると解っていたから、出来るだけ顔に出さないようにしていた。
でも、ルイが戻ってきて、みんなで昼食を取ろうという事になって、やんちゃ坊主もリコの仕事に打ち込む様子を気にしていたなら、今まで隠していた気持ちが溢れでる。
―――自分がディンファレの名前を出してしまった事で、思ってはいけない事だとは思うけれど、見習いパン職人が"余計な一言"をってしまったのだと、考えてしまっていた。
「あの……私が余計な事を言ってしまったから、ダンさんが悪気はなかったけれど、リコさんにショックを与える様な事を言ってしまったんじゃないんでしょうか。
そのリコさんは大丈夫でしょうか?」
昼食を取るために、ソファから立ち上がろうという時、ようやくリリィは小声ながも口に出して、ライに尋ねる事ができた。
「にゃ~、大丈夫かどうかで言えば大丈夫じゃないけれど、今は仕事に向かっているから大丈夫にゃ感じだにゃ~。
それに、リコにゃんは落ち込んでも"大人"にゃ。大丈夫にゃ」
3度程"大丈夫"という言葉を繰り返す事で、いつもは明るいチャーミングなライのイメージから少しばかり遠ざかる印象を与えられる。
けれども、繰り返されることでこれ以上心配することが、リコリス・ラベルという人にとっては余計なお世話になりかねないという事も、察する事が出来た。
(……そうだよね、前に賢者さまがいなくなっただけで泣いてた私が、王族護衛騎士のリコさんの心配するのって、お願いでもされない限り、失礼だよね)
でも、いつも冷静で優しくもある、治癒術師のリコリスがショックを受けている事実を目の当たりにもしているので、少しだけ緊張しつつリリィは皆で食事ととる事になる食卓へと向かい始める。
ただ、巫女の女の子の決意した様な面差しに、未だに反省して落ち込んでいるという仕立屋の弟子に、気持ちを切り換えようとしている親友を見て、ライは形の良い小さな鼻から息を吐く。
「にゃ~、それにしても、あのアッちゃんが連れてきた"シノ"ちゃんも、落ち込んでいるからにゃ~。
これは、ワチシが起爆剤をぶちこまなきゃ、事態は明るくなりそうにないにゃ~」
ちなみに、ルイとアプリコットは店主が運んできた料理を手際よく配膳し、老年の風貌のユンフォは"動いていた方が不自然"な感じな雰囲気だったので、食卓の最奥の席に座っていた。
ただ、ライの張り切りの発言は聞こえていたようで、興味深そうな視線は一斉に猫の鳴き声の語尾をつけるチャーミングなお姉さんに注がれる。
「あら、ライさん。
その起爆剤なんて魔術師なのに、化学で使う言葉知っているのね。
あ、さっき言っていた、おばあちゃん?」
「そうにゃ~、おばあちゃんがリコにゃんの誕生日に、火傷しない花火を作ろうとしていた時に、教わったにゃ~。まあ、失敗して結局リコにゃんに迷惑かけちゃったんだけどにゃ~」
アプリコットがにこやかながらも、好奇心のこもった声で質問したなら、ライはそれをあっさりと認めながら、身軽に配膳の手伝いに向かう。
「まあ、この話題は食事の時に突っ込むとして……。リリィちゃんどこに座るにゃ?。
ルイ坊と一緒のカルボナーラだから、正面にしても隣にしても席は近い方が良いにゃあ」
「オレはリリィの近くなら、どっちでもいいぞ!」
好きな子と共に食べれるという事が、確定しているやんちゃ坊主は1人上機嫌である。
その余りに上機嫌なやんちゃ坊主の態度に、リリィは頬を染めることになる。
けれども、その事が寒々しい状況(雰囲気及び、精霊の力で物理的)にも少しばかり、明るく、暖かくなったのも感じとっていた。
(……こういった事で、雰囲気って良くなるものなんだ)
リリィにとっては初めての体験で、上機嫌でルイが笑っている事で暗かった雰囲気が明るくなることに、素直に感心する。
加えて、自分が"女の子が照れている"という状況が大人には微笑ましく思えるものなのだとも実感する。
(でも、それなら、皆が喜ぶ方にした方がいいのかな?)
多少、自分の気持ちに"嘘"を重ねたとしても。
そんな事を考え、やんちゃ坊主の"友達"を見たなら、それまで笑顔だった物が硬くなって真面目に見える顔になったのが、リリィには判った。
それから再びまるでリリィを安心させる為の様に目元には笑顔を浮かべるけれども、先程の声よりも幾分か落ち着いたもので、ルイの話は続けられる。
「あ、えっと、リリィが本当に食べやすい方で良いからな?。オレは近くに座れるだけで、十分嬉しいから"周り"に変な気を使うなよ?」
「―――え?」
まるで念を押されるようにそう言われて、思わず瞬きを繰り返していたなら、店主が湯気を出している3人前のカルボナーラの大皿を抱えて、厨房から姿を現していた。
「―――じゃあ、隣がいいでしょう。それで、お兄さんの方が中心になって、お嬢さんに取り分けてあげたら良いでしょうし。
パスタは何気に重いですから、お兄さんの方が上手に出来るでしょう。
美味しく、食べやすくが一番です。サラダも、ランチタイム終わりで余っていますから、お代わり沢山ありますからね」
「サラダのお代わりは、良いっすよ……」
少しばかり冗談めかしてそんな事を口にしたなら 、ルイが目に見えて口を"へ"の形にして、それには誰も自然に笑っていた。
「まあ、何にしても食事を取ろうか。多分、迷子を保護した東側も、単独行動になったという西側も、食事はとっくに始めているだろう。
特に、西側のアルス・トラッド君はアザミが女将をしている所で食べているというのなら、きっと食事の時間は早いぞ」
ユンフォがまるで指揮を取るように言って、昼食を促したなら、護衛である2人の女性騎士が真っ先に"はい"と凛々しく返事をして、並んで席につく。
一緒に食事を取る人数が増えたこともあって、椅子の数を増やす。
元々テーブルの方は書き物の資料を置く為に、人数に対して多く広くとっていたので、リコリス、ライ、ユンフォの荷物を片付けたなら、椅子を足すというより、戻すという事になった。
喫茶店で唯一6人掛けの大テーブルに、ユンフォから奥になって次にリコ、一番通路側になってライ一列で座ってその正面に加わった4人が加わる。
その4人はアプリコットを最奥にして次にシノ続いてリリィ、最後に余るような形でルイになる。
7人になってしまうが店の最奥の箇所にある事もあって、通路側にルイはt店主が運んできてくれた丸椅子に座る事になった。
ただ、いざ座り、皆の料理の配膳具合から見たなら2人の主な食事が大皿に入った山盛りのパスタ皿の影に買って来た肉を隠す様に置いたり、通路側に座るルイが衝立の様になっている。
「肉を隠してカルボナーラ食べるなら、寧ろこの方が良いかもな」
「あ、本当だね、これの方が腕もぶつからないね」
肉料理を隠しながら、隣り合い座っていたならばサラダの小鉢やスープとカルボナーラの取り皿を、腕を動かした時に必要以上にぶつかりそうになっていたのが想像出来る。
ルイの武器も店主が出してくれた籠の中にしまってから、今回はやはり自然と、ユンフォが"いただきます"と代表して口にしたなら、各々の食事を取り始めていた。
最初こそ静かだったが、子ども達が美味しそうに食事を進めて行くと、自然と空気も明るくなっていく。
最初に大皿に入ったパスタの山を分けるところからして、楽しそうにやっている。
ルイは肉も堪能しつつも、カルボナーラは気に入りがっつきたいけれども、リリィのいる手前、口元にクリームを残さない様に苦戦しながら食べていた。
リリィは賢者に教えられた通りゆっくりと丁寧ながらも、美味しそうに食べているのはよく伝わってくるので、見ている方は何故か微笑ましい気持ちになる。
「白いクリームのってのも美味しいけれど、麺が平たいのって、食感違ってソースが絡んでいておいしいけれど、珍しいなあ。
パスタかスパゲッティーだかよく判らんけれど、マクガフィン農場の食堂で食べるのは大体細くて丸いのしか食べた事しかねえや。ミートソースも美味しいけれど、こういった味も良いなあ、腹に貯まる感じ」
いつも何かしら食べても3時間も過ぎれば"腹減った!"として公言している少年にしてみたなら、こういった食べ物は有難い。
「何だ、パスタかスパゲッティが知らないけれど、こんな味もあったんだなあ。これまでミートソースしか食べていなかったのは勿体なかったな」
「ルイはサラダ、折角2人前あるんだから、食べないと」
いつもの様に、野菜には注意をしないと、全く意識を向けようとしないやんちゃ坊主に、勧めながらも、ルイの方がきっと色んな物を食べているんだろう思っていた少女は驚く。
驚いた事と、その理由としてルイの方が年上であるし、グランドールにいつも連れだっているなら、その先で色んな種類の料理を食べた事があるとばかりに思っていたとリリィは、そのまま告げた。
「あー、オッサンはバランスよく何でも食べるのと、その料理で出来れば辛い物が好きで、ついでに酒に合えばいい位の考えだからな。
色んな所に行っているのは事実だけれども、そこまで色んな料理を食べているわけっていうじゃあないんだ。
農場の食堂も、基本的に自分とこで取れた野菜の余った奴を使っている感じだし、栄養の方もオッサンの方針で、調理師と栄養士で相談して基本的な料理とか、味付けのほうもそんなもんばっかりだからな」
ルイはリリィに言われたなら、自分がそう思われていても仕方がないといった事を弁えつつそう答えた。
それから”リリィも確り食べろよ”と、丁度取り皿分を食べ終わった少女に、小さくお代わりのカルボナーラの山を盛りと、普段ならありえない、肉料理のを一切を載せた。
「ありがとう。そうか、そうなんだね」
食が細いわけでもないけれども、ルイから見たなら十分少食に見える少女は、自分の2倍以上のお代りをついでいる年上の友達に、驚きながらそう答えた。
「でもさ、パスタかスパゲッティってさ、小麦粉使った長い奴?の料理って、あんまり見かけなくないか?。この喫茶店きて、ソースに色んな種類があるのは知ったけれども」
食べ慣れてきた少年は、大き目なフォークの刃先に綺麗にパスタを巻き付けて口に運ぶ。
「私は、"おうどん"ならあるよ。
キングス様の故郷の場所で、食べられているんだって。
材料は凄くシンプルだけれども、作るのが気温を計ったり、熟成を2回させたり時間もかかって結構大変だったかな。結局一日がかり。
とっても楽しかったけれど」
リリィが思いだして楽しそうにそう口にしたなら、ライが楽しそうに会話に加わった。
「にゃあ~、おうどんでいうなら、途中までピザ生地と殆ど同じだニャ~。
おばあちゃん、ピザ作る時に"こういった醗酵させること旨みが増す料理は、異国にもあるんだよ"って教えてくれたにゃ~。
まあワチシは、何回もチーズを盗み食いしようとして、おばあちゃんの魔法の罠にあって真っ白になって叱られたほうが、楽しい想い出にゃ~」
ライは本日のお薦めの魚料理を食べつつ、そんな事を言って大分落ち着いてきたらしい、横にいる相棒に声をかける。
「その度にリコにゃんに"丸洗い"して貰っていたんだニャ~」
「……全身真っ白だったし、あの頃のライちゃんはリリィちゃんよりも、年も身体ももっと小さかったから。
ライちゃん、可愛かったし、良い子だったからお世話も全然嫌じゃあなかったわ」
声もいつもの様に落ち着き優しい物でリコが答えたなら、それまで子ども達のお陰で随分和やかであったのだけれども、明るさが更に増した様に思える。
「思えば、リコさんとライさんって、どんな関係?。
とっても仲が良いのが判るけれども、ライさんが"おばあちゃん"っていう人とも、リコさんは知り合いっていうか、何か親戚みたいなものなわけっすか?」
人間関係という物に、殆ど興味がないるいだけれども、"おばあちゃん"という言葉を介してリコとライが強い繋がりを持っているのは、これまでの付き合いで十分に窺がえた。
ルイがそんな事を考えながら何度目かの大皿のから取り皿へのカルボナーラのお代りしながら、尋ねたなら、ユンフォ・クロッカスの護衛騎士でもある2人は食事の手を止め、口を閉じて、横目で見つめ合う。
それから揃って―――護衛対象でもあるユンフォを見つめ、見つめられた方は泰然としてスープを口に含んでいたが、飲み終えた後にゆっくりと頷いた。
「ああ、2人が大丈夫と思える程度で、話しても構わないよ」
(……何かしら、話す事については、上の方に許可がいる事だったのかな?)
その様子を見て、ルイに貰った肉をゆっくり噛みながら、リリィには少しばかり思いだした事がある。
巫女の女の子は、耳の長い上司が何かしら大掛かりな研究をする際に、魔法の紙飛行機を飛ばすのを偶に見ていた。
"返信"も同じ様に紙飛行機によって送られてきて、何度もそのやり取りが行われて、ヒクヒクさせている鼻から息を吐き出し、漸く研究を始める上司を見て、色々あるのだろうなと子どもながらに思った。
自分の秘書である巫女の子が、興味を持ったのに気が付いた、ウサギの姿をした賢者が説明してくれるには、国の機関に特別な"情報"を使うにあたって許可を取る必要が、あるそうだという。
『一般的に"普通に話しても良いんじゃないか"と思える事でもね、扱う人物によってはとても危険な物になったり、思わぬ所で人に迷惑をかけてしまう事もあるんだよ。
もしかしたら、こちらの不手際でその情報に携わる―――関係のある人に、体にも心にも思わぬ傷を負わせてしまう事もあるかもしれない。
ある意味では情報は、"形のない道具"みたいなものだからね。
見えない分、取り扱いに注意しないといけないから、何度も責任者になる人や当事者になる人に許可を取って扱わないといけないんだ』
(賢者さま、アトさんが迷子から保護されているって判ったから、お休みしているのかな)
そんな事を考えている内に、"情報の取り扱い"の許可が下りたライが、ルイの質問に答え始めていた。
「まあ、軍の王族護衛騎士の身辺表の閲覧を申請して調べたら直ぐに判ることニャンだけれども、ワチシはリコニャンの大叔母さんの養子って事になっているんだニャ~。
法律的には、"子ども"にゃんだけれども、年齢的のは"おばあちゃんと孫"位離れているから、おばあちゃんってワチシは呼んでいたんだニャ~」
「ライちゃんの言う、大叔母というのは、私の祖父のシトラス・ラベルの双子の妹のシトロン・ラベルです」
「……」
ルイとリリィと言った子どもを除いた、食卓を一緒に囲んでいた大人達がアプリコットが食事を進める手を一瞬だが止めたのに気が付いたけれども、誰も口を挟まず、リコリスは話を続けた。
「シトロン大叔母様は、生涯独身だったんですけれど、大分ご高齢になってから何かしら思う所があって、養子……というよりも、養女にライちゃんを迎えたんです。
大叔母なんですけれども私は、叔母様とも短くして呼んでいる事も多かったですね。
勿論正式な場所では大叔母様ですけれども。
私が言うのは何ですけれども、正直に言って多少気難しい所がある方でした」
少しだけ、申し訳なさそうに"大叔母様"の事をそう紹介したリコリスの横でライが明るく笑って、掌を左右にヒラヒラとする。
「にゃあ~、確かにそうかもしれないけれど、ワチシやリコにゃんには、口ではキツいこと言うけれど、とーっても優しいんだにゃ!。今でいう"ツンデレ"にゃ!」
「「「ツンデレ?」」」
ライとしては、的確に"シトロンおばあちゃん"の性格を説明したつもりだったのだけれども、どうやらそれは約3名には通用しない。
通用しなかった面々はユンフォ(まあ判る)、ルイ(リリィ以外の女の子は本当に眼中にないから、そういったスラングを知らない)、リコリス(「ツンドラ(※地下に永久凍土が広がる降水量の少ない地域。凍原、寒地荒原)かしら?」と勘違いしている)である。
「ああ、ツンデレね。ここ数年で定着している、若者言葉よね.
確か、講義的には東の国の天邪鬼みたいな例えだった思うけれど、実際に使われる意味としては違うのよね~。
初めは敵対的だったものが、何かのきっかけで過度に好意的状態に変化する。
普段はツンと澄ました態度を取るけれど、ある条件下では特定の人物に対しとても甘える。
好意を持った人物に対し、甘えた態度を取らないように自らを律し、澄ました態度で天邪鬼として接するみたいな定義だったかしら」
アプリコットは文字があれば隅々まで読んでしまうので、日報の文化欄で近年定着してきた語録の1つとして、"ツンデレ"を読んだ事があったものを語る。
ただし、少々学術的に捉えすぎていて、一般的に使われる意味とは違っているというのは本人も自覚していて、この会食の席において発言者のライ以外で、"ツンデレ"を正しく知っているだろう2人を見た。
とは言っても、その2人は横に並んで座っている形になっているので、アプリコットの視線には気がついてはいないのだが、理解しているだけあって普通に語り始めてくれる。
「……表面的には心を閉ざした様な対応ですけれど、ライさんとリコさんだけにはとても優しいおばあ様だったという事でしょうか」
日々様々な所で日雇いの仕事などを、修行も兼ねて情報を集めているシノがこれまでの話を聞いて、一般的に浸透している"ツンデレ"の言葉を当てはめて口にする。
「えっと、リコさんの大叔母のシトロンさまは、ライさんとリコさんにだけ甘えん坊だったって事ですか?」
一方、リリィの中でのツンデレは、ライから貸して貰った少女向けの劇画で載っているお話から学んだものである。
ただ、ライから借りた劇画のお話の中でのツンデレは、リリィからすれば年上のお姉さんの、恋人になるお兄さん(不思議とアルスやアルセンみたいなタイプが多い)の前だけ、甘えるという物語だった。
そのお話の中で、日頃澄ましたお姉さんが、格好いい優しい―――何よりも恋人として信用しているお兄さんにだけ甘える事が"ツンデレ"という行動なのだと解釈をしている。
なので、巫女の女の子の中ではどちらかというと、"劇画の中での恋愛"で、若い人がするものだと思っていたので、ライの言う、"おばあちゃん"に当てはまっている事に驚いていた。
ただ年齢や性別の枠にさえ考えを捕らえられないのなら、リリィの"ツンデレ"の考え方が合っている様に思えたので、ライはリリィ使った言葉を拝借し、話を続ける。
「どっちかというと、ワチシの方がおばあちゃんに甘えん坊になっていたにゃあ。
隙あらば、抱っこしてもらったり、椅子に座っていたら、膝の上にのせてもらって頭と喉撫でて貰ったりしてたにゃ~。
でも、おばあちゃんはワチシ以外にはそんなことはしなかったにゃ~。
あ、でもリコにゃんと一緒にお昼寝している時、こっそり頭を撫でたりしていた時はあったかにゃ」
「え、そんな事あったの?」