断章6
少なくとも、公には新しくなったセリサンセウムの新国王と、王を支える立場となる宰相と王妃、そして世界的な宗教の頂点に立つ法王のお披露目は、恙なく行われたと正式に公表された。
そして"交友の印"として、サブノックとヘンルーダの代表的な工芸品としての極彩色の絨毯を贈答する事になったという。
但しそれは随分と大きな物で、新政権のお披露目の行われた謁見に使われた箇所の床を全てを覆うような大きさで、これまでにサブノックとヘンルーダでも同じ様に、王宮の大広間に使われているものと同等であった。
これまで、贈答品として極彩色の絨毯を扱うにしても、そこまでの大きさの物は、隣国で兄弟の様にしてきたヘンルーダに贈るものぐらいの物しか、暦の中でも記録にない。
ただ、"新政権のお披露目の行われた謁見に使われた箇所の床を全てを覆う大きさの絨毯 "という話を聞くだけでも、何らかの含みを感じはしたけれども、追及するのは止めておいた。
新政権となったセリサンセウムという国へ、サブノックとしての代表としての"使者の役割"に関しては、確りこなして戻って来た将軍殿は、毅然とはしていたが色濃い疲労の色を見せていた。
サブノックの中でも、侵略に関しては極一部の、実行に関わった者しか知る事ではないとしながらも、彼の抱えているき矜持と責任に関しては、良く知っているつもりではあった。
ただ、その疲労を労わり支える事は、賢者より数段上の手管を持っている数多くの妻達がいる。
特に正妻殿にしたなら、心の機微を見逃す事はないと思えた。
(それに比べて、私が口にした言葉と言えば―――)
【過去から何も学んでないの?】
【一度、失敗を学ばないと解らない事もございましょう】
サブノックという国に置いて、"仲間"である筈の人物の失敗するであろうと思える行動を止める事も出来ない。
『―――これでまた、サブノックの賢者は、この国の将軍殿から嫌われてしまったわけだ。だが、向こうの新しい宰相も頑張っているみたいじゃないか』
気持を切り替える様に、侵略に失敗した概ねの内容を思い出すしたなら、セリサンセウム側の、少し前には決起軍の参謀でもあった宰相殿が色々と、此方側の出方を見抜いていたらしい。
『暗愚と共に旅立った"癖っ毛と八重歯のやんちゃ坊主の宰相"の辣腕に追いつくのも、そんなに遠くはないかもしれないねえ』
そして随分と前に、その癖っ毛とやんちゃ坊主宰相から届いた、今回は侵略の内容は知ってはいたが留守を預かる事になっていた、スパイク共に見た手紙を思い出す。
┌─────────────┐
│次の血と繋がるまで │
│ │
│娘の事をよろしく。 │
│ │
│ 対価は絵本だ。 │
│ │
│ S・トリフォリウム │
└─────────────┘
以前スパイクに頼んで調べて貰ってた時は空振りだったけれども、平定を終えたという情報を得てから、もう一度賢者個人で調べたけれども、やはり"娘"は見当たらない。
『やれやれ、意味深な言葉と共に、厄介なものを押し付けて。
"娘"なんて、この世界の何処にいるっていうんだい。
こちとら、"カンレキ"間近のババア賢者だっていうのに』
そう呟いたとき、伝令の兵士が賢者に速達の手紙を配達してきたので、受け取り開くと、そこには縁があって、友人となった南国の王が、"帰り道"に自分を尋ねてくるという。
(……まあ、私は私で、出来る形で情報を拾っておこう)
少しでも自分なりに情報を集めて、この国の為に取って有益にに繋がる様に事になる様に努めることにする。
南国の王と話し目新しく興味を引いた事は、セリサンセウムという国が"英雄"という仕組みを半ば強制的に強いたというという事だった。
(もしかしたら、侵略の―――奇襲事が無くても、あちらさんは強気に出ていたかもしれないね)
もし、サブノックとヘンルーダの2つの国が奇襲をせずとも、新しく大国を納める様になった者達は、自分達の国の宰相要求を通す為に手荒な方法を取ったかもしれない。
そんな考えを頭の隅に置きながら、久しぶりに言葉を交わす事になる、友人に酒の酌をしながら話を進める。
流石に王宮の賢者の部屋に異国の王を招くのは憚れるので、今回の奇襲では将軍の副官ながらも、どういう訳か同行をせずに、留守を預かったスパイクに軍の天幕を用意を頼んでいた。
南国の王は、そんな場所でも気楽に話せるに越したことはないと、喜んで天幕での歓迎を受け入れてくれる。
それから、南国の王は新しくセリサンセウムという国の宰相になったという、褐色の美丈夫がどうやら余程気に入ったようで、酒の力もあっただろうが、雄弁に語る。
先ずはサブノックとヘンルーダの奇襲の失敗を短く簡潔に話してくれたなら、セリサンセウムの新しい宰相アングレカム・パドリックの事ばかりを口にし始めていた。
ただ、どうやらアングレカム某はその態度を見る限り、生涯独身を貫きそうな勢いらしく、酒を含みながら、その事をを不満そうにの口に出している。
『……それで、今回のセリサンセウム王国の"新しい宰相"も、結婚する気はないと豪語していたな。
まあ、子どもを作らんとは言っていなかったし、あの色男ぶりなら、相手に苦労はしないだろう。
ある意味、次世代を1つも残さないのも勿体ない話でもある。
"四ツ葉の血"も、途絶えた事が誠に残念よ』
恐らくは偶然なのだろうが、立場的には"先代"となる宰相の事を軽い調子で、南国の王が軽く口に出した時に、内心少しばかりどきりとしたけれども、出さずに済んでいた。
『……ふん、色気のない話だが、賢者として賛同しようかね』
次の話題を考えつつ、今回奇襲が失敗した事で、サブノックの賢者は、奇襲の失敗の現場に居合わせていた、友人に気になっていた事を尋ねてみておくことにする。
『―――それで、うちの国と、ヘンルーダの国は、少しばかり仲違いをしている様子はなかったかね?』
するとそこでは、南国の王はシワの蔽い顔の中に、更なるシワを作り露骨に表情を曇らせ口を開いた。
『ああ、互いに責任を押し付け合っている―――とは、残念ながらいかない』
だが直ぐに曇らせた部分を引かせて、晴れやかな愉快そうな笑顔を浮かべる。
それから酒とつまみになる豆を口に運び、更に続ける。
『サブノックもヘンルーダも、”誇り高い武人”が国の中枢ともなっている国だ。
今回のセリサンセウムについても、互いの見る目の無さというか、力量が計れなかったのだと納めている。
かつて、昔話の時代の様な頃、猛威を振るい自分達の国から土地を奪っていった"大国"相手に、叶わなかったのは、己の力が不足だったからだと、ある意味潔いものだよ』
奇襲は失敗としながらも、充分評価の感情を込められた南国の王の言葉と、"昔話"という部分に懐かしみを感じながら、相槌をうつ。
『―――そんな昔話を覚えているのも、こんなババアの賢者と、ジジイの王様ぐらいなもんじゃないかねえ。
それに、こちらから見たら"奪った側"も"奪われた"も、その暦を紐解いたなら、どっちもどっちで、一概に相手が圧倒的に悪いというのが、少ないからね。
まあ、そんな事情で、国同士が喧嘩になるのも馬鹿らしい』
本当に、手に武器を取って戦わないといけない理由があるから、覚悟をもって戦った。
人にや、周囲には"そんな理由で"と思われたとしても”国”として、その場所に住む者として他所の場所を手に入れる事で家族や仲間の生活が守れるなら、それでいい。
でも時間が過ぎたなら"守りたい"という気持ちは無視され、諍いを仕掛けた方が悪となる。
『それでは、馬鹿らしいと断ずる、"賢者殿"に国同士で喧嘩にならない為に御知恵を拝借したい。
サブノックという国が、我が南国を植民地とまでは行かないが、狙っているという噂が流れている。
本来なら、今回のセリサンセウム王国で"やらかした"後に、勢いにのって国の保養所にでも考えたのだろう。
大国でさえ従ったのだから、南国の戦士はいるけれども、軍隊を持たぬ国など軽いと考えたかもしれんなあ。
だが、そんな事をせずとも、我が国は如何なる客人だとしても、最高のもてなすというのに―――。
おや、酒がきれた―――』
南国の王の、"南国に兵を向ける"という自分の国の軍の情報は、サブノックの賢者の額に深は舌打ちと伴い、掌を白と黒の髪の生え際に食い込ませる。
南国の王が、自分の護衛騎士に酒がなくなった事を訴えている傍らで急いで、考えを巡らせていた。
(……思えば、うちの軍も、ストラス殿を中心にしてはいるけれど、一枚岩ってわけでもないんだよねえ)
サブノックという国を纏める枢機の一族は元は、個々に成り立つ武人の縁戚の集まりで、ストラス家自身はその成立ちは代表する一族の中では一番遅く"若造"でもある。
ただ、"初代の王様の頼まれ事"を代々口伝ではあるが、引き継いでいる一族であって、その為に一番王の傍にいて、賢者の言葉を見張る際に口を挟む事が多かった。
"言った者が勝ち"というわけではないのだが、意見を率先している(実際には、ストラスの一族としては、賢者の意見の後に、忠告をしている)姿は、勇ましく人を引きつける力はある。
しかも、国王も賢者の話を遮るように意見をするストラスの姓を持つ代表の者を、特別煩そうにするわけでもなく、素直に聞き入れている。
これも実際は、初代の国王からの口伝で"賢者の意見に傾き過ぎないように"という、意味を込めての部下からの勧告だと承知していればこその事だった。
国王に、賢者に、ストラス家の三者で互いに"見張り合う事で、武人の誇りを忘れず、理屈に偏らず均衡を保つ”事を了承している。
ただ、特にストラス家と賢者が激しく口論を交わしても、違う場面になったなら普通に会話をしているという事は、少しばかり周りに困惑を与えているという出来事も建国されてからの歴史の中であった。
なので、賢者がその前の旅人の状態で、ストラス家の"家長"を継ぐと定まった時点で次の者に事前に打ち合わせの様な会合があり、その時に互いに親しくし過ぎない事も了承していた。
(案外、奇襲に成功した事でセリサンセウムの土地をストラスの派閥の軍が耕している内に、勝手に一軍を抜いて、"サブノック"の名前を使って南国に攻めいろう位を考えていたのかもしれないねえ。
でも、攻め入ったなら逆に酷い目に会うことになるだろうからなあ)
早々と廃業し、呪術師となると宣言をした南国の同朋を思い出す。
【賢者諸君、オレは賢者をやめるぞっ!】
セリサンセウムの賢者になった者も、それなり変わっていたけれど、南国に旅人して渡って早々に賢者になった彼にとって、最後の賢者の網で、高らかにそう宣言をしていた。
("アイツ"は、誇り高いし、賢者を辞めた事で好戦的な性格が更に調子に乗っているだろうからなあ)
サブノックが植民地目当てに戦を仕掛けたなら、戦以上に面倒な事を拵えるような気がしてなくて、溜息を吐き出す。
『"毒を以て毒を制す"しかないかねえ……』
そんな事を言いながら、南国の王が自分を護衛する褐色の美女の騎士を気にしながら、声を潜めて口にしていた事を思い出す。
(どうやら、南国のレナンセラ王は随分とセリサンセウムの、新しい宰相を気に入っている)
サブノックの賢者の方は、前の宰相の手紙の事もあってそちらの方に意識を向けていたが、確りと、古い友人が気にしていた事は確りと胸に留めていた。
―――それはそれは、見た目麗しい青年―――というには、少々年を取り過ぎていたかな。
―――まあ、見た目は新しくセリサンセウムの英雄となったイキガ(男)の中じゃ、一番男前だった。
―――うちの”ニービチ(結婚)はしない”と豪語する護衛のミルトニアですら、少し見惚れたぐらいだ。
―――それと、うちの国の者かと思うくらい、肌が褐色色をしていたな。
酒豪ではあるけれども、南国の王となった友人は大分酒が回り始めていたが、それでも、彼に命じられて美しい護衛騎士の運んできた、"おかわりのお酒"には嬉しそうに口を運び飲み干していた。
その語り口や、お代わりを運んでくる褐色の肌を持った女性騎士のやり取りを見たなら、国王の護衛ながらも実の娘の様に思っている所が感じ取る事は十分出来る。
老王に頼まれて、お代りを運んできた女性騎士の方も、父か祖父かは判らないがそれに似た想いを尊敬と共に南国の年老いた王に抱いているのが、眺めているだけでも伝わって来ていた。
この老王と、美しい褐色の美女の騎士は互いに自身の暖かく緩やかな国の安寧を一番に願いつつも、次に願っている事は"真逆"なのだと判る。
そしてサブノックの賢者は、南国の老王の方の希望が通る様に策を練る事を決める。
(どんな形であれ、"子ども"のように思っている存在には、幸せになって欲しい物があるよねえ。
まあ、娘と息子で、親としては思う気持ちが少しばかり違うかもしれないが、私流で友人の"娘"の幸せを願いをかなえて見せようじゃないか。
どうせ、暫くは国の動きもないだろうしね)
そんな事を考えをした後、やがて天幕から、南国王の王を運び出す女性騎士と軽く口論をした後、ある手筈を済ませたならそれから、数年先まで特に大きな出来後が起きる事はなかった。
季節が2周りをした後、独身を貫くと思われたセリサンセウムの宰相が、貴族の小娘を伴侶に迎えたという布告が広がった後、南国の王から"感謝"の手紙が届けられた。
┌─────────────┐
│ありがとう。お陰様 │
│で娘の希望が叶える │
│事ができた。 │
│ │
│サブノックの植民地 │
│も避けられた。 │
│ │
│(この手紙は読んだなら │
│ 焼き捨てる様に) │
│ │
│この礼は改めて │
│必ず行おう。 │
│ │
│サナンダも"息子君"と │
│良い時間を。 │
│ │
│ レナンセラ │
└─────────────┘
『……デッカイお世話だよ』
"息子"の文字を読んだ後に思い切り毒づいて鼻から息を吐きだし、煙草を吸うべく袂に手を突っ込んで、喫う為の一式の道具を取り出した。
煙管の雁首に煙草の葉を詰め込み、火を点して1回で煙草の葉を灰にして入れ替えても構わない、そんな勢いで煙を吹かす。
それから改めて送られてきた手紙と、和平協定を結んだことで送られて来ているというセリサンセウムのからの布告の書状、"宰相アングレカム・パドリック結婚"を見比べ、口を開く。
『しかしながら、"父親の思う娘への幸せ"と、"母親の思う息子への幸せ"は違うものかねえ~』
南国の王から贈られてきた手紙に添えられていた、2枚の小さな肖像を見比べて煙管の雁首に新たな煙草の草を仕込み始めた時、相変わらず将軍の副官を勤めるスパイクがやって来た。
(―――おっと?!)
机の上に投げ出すように置いていた、南国の王の空の手紙と2枚の肖像画を纏めて片付けようとは思ったが、最近の元護衛はやたらと気配を消してやって来るので、軽く慌てる。
『おや、賢者殿。また、煙草を始められたのですか。それに肖像画付の御手紙は珍しいですね』
煙草に関しては、遠慮なく顔を顰められて軽い非難の視線すら向けられるが、手紙の方を見たなら直ぐに笑顔に戻る。
賢者の方にしてみたなら、手紙の内容をスパイクに見られるのが都合が悪いので、肖像画の方を提供して、手紙の方をそそくさと懐ににしまい込んだ。
『……南国の方のご友人ですか?』
スパイクの方も、賢者が手紙に関しては深追いして欲しくないと察して肖像画の方を見る。
そこまで彩色は加えられてはいないけれども、特徴的な褐色な肌と、少しばかり波がかかった肌より濃い髪で、南国の人だと直ぐに判る。
ただそれ以上に、印象的なのは褐色の肌の中にある大きな緑色の大きな瞳に、それを囲う整い過ぎた顔立ちの幼児の肖像だった。
これで肌の色が白かったり、髪の色が金色ならスパイクは間違いなく"天使"という例えを使っていた。
『うわあ、これは可愛らしいお子さんですね。えっと、でも髪は短いですし、男の子何でしょうか?』
とりあえず、肖像画を見る限り一般的な感想と疑問を口にしたのなら、賢者は煙草を始末をしながら頷いた。
ついでに最近煙草を吸っていると何かと煩い、元護衛の意識を逸らす為に追加情報を口にする。
『ああ、男の子で―――南国における将来の"英雄候補"に育てるつもりらしいよ』
"英雄"という強制的に同盟を結ばされた異国の宰相提案の仕組みに、少しばかり表情を顰めたけれども、賢者の方でお構いなしに、話しを進める。
『ほら、もう一枚の肖像画の方があるだろう?』
そこには老人が、可愛らしい幼児を抱えて微笑んでいる姿を描かれていた。
『これは実はお忍びだけれども、この子に逢いに来ている、この前隠居した南国の老王だよ』
これにも、少しばかりスパイクは困った様な表情を浮かべる事になる。
南国にサブノックが手を伸ばそうとしたことは、結局表沙汰になる事はなく片付けられた。
それに関して、スパイクも賢者も互いに何らかの形をもって関わったけれども、それを口外をする事は、決してない。
『ああ、確かセリサンセウムの宰相のアングレカム・パドリック殿が、2年程水軍と基準とした軍を作ったから安心して、引退なされたと聞いています。
それで、アングレカム殿もセリサンセウムの方に引き上げて、この度かねてからご縁のあった、グロリオーサ・サンフラワーの姪に当たる御婦人と成婚なされたという訳ですよね。
皆さん、良い縁を紡いでいる様で何よりです』
『……スパイク、それは皮肉かい?』
『?』
賢者が苦笑いを浮かべるけれども、当のスパイクには意味が通じないらしく、きょとんとしていた。
それを見たなら、本当の意味で笑いを浮かべて、賢者は幼児の方に視線を向ける。
『何だ、本当に偶然ということか。それにしても、可愛いねえ』
肖像画に描かれている幼児の容姿が良いというのもあるけれど、賢者はどうやらその存在自身を愛でているのが、スパイクには伝わってくる。
『賢者殿は、子どもが好きですか?』
『……子どもは好きだけれど、子供は嫌いだよ。で、赤ん坊は私に余裕がある今なら、結構好きだねえ』
通常運転の様に回りくどい例えを使い、そう応えて手紙をしまった場所と同じ袂に肖像画と、ついでに大国からの書状も仕舞い込む。
スパイク・ストラスが幾らアングレカム・パドリックと直接面識がないとしても聡い青年でもあるので、万が一にでも気が付かれたなら面倒くさい。
(政から一番遠い様で、近い事をしてしまった事がばれたなら、将軍殿から怒号が飛ぶ)
だから、話しをとことんずらす為に、賢者にしてみたなら諸刃の様な質問を口にする事にした。
『まあ、子育てはとても大変な責任を負う事だから、子どもやガキと向き合って子育てをなさっている御婦人方を、ババアは尊敬するよ、うん。……ところで、スパイクは誰か良い人はいないのか?。
そろそろ、ババアを本格的に"ババア"にしてはくれないのかい?』
『……!』
かなり際どい詰問をしている自覚は、賢者自身でもあった。
出来る事なら、スパイクの方が気まずくなってこのまま自主的に部屋を出て行く事を望む。
けれども、青年は立ち去らないことで、賢者は今更ながら気が付いた事があった。
(……ああ、思えばスパイクは今日は何らかの用事が、私の部屋に来たんだったね。いつも最初に、暇つぶしならそう宣言をする物ね)
"暇つぶし来ました"
"休憩時間だから来ました"
快活な口調で訪ねてくる度にそう宣言する姿を思い出したが、当のスパイクの方が困り顔をしながら口を開いた。
『……そうですね、サブノックが旱魃の心配から解消されて、世界中が落ち着いていたなら、私も父上か義母上に、どこかのお嬢さんを紹介してもらう位の考えでしたが……。
旱魃の方は、父上がセリサンセウムに縁戚がある商人の方に話しをつけて、こちらの工芸品の高級なものを少々融通する事で、そちらの保有する土地を通じて、灌漑工事を行う事で話がついてしまいましたから。
私が、どうこうすると言うものではなくなってしまいました』
困った顔というよりも、スパイクが浮かべていた表情は申し訳ないといった雰囲気の物になっている事に、賢者は気が付いた。
親しい賢者が自分が"身を固める"事を望んでいるのに、それが出来ていない事に、青年はその表情を浮かべている。
(余計な重圧になっていたかな)
だが、このサブノックという国では嫁を娶って一人前とまではいかないがある程度認められる為の、社会的地位の一部となっている。
個人的に気にいっているし、贔屓目なしに優秀だとも思っている青年が、独り身という事で"遅れをとっている"という訳ではないけれども、下に見られるのは気に食わない。
己は"変わり者の独身賢者(女)"と見られようとも、「知ったこっちゃない」どこ吹く風なのだが、スパイクがそう見られるのは腹に据えかねる様で話を続ける。
『……将軍の副官を立派にやっているお前だから、ねだるというか、頼んだなら幾らでも世話してくれるだろう?』
『そうですねえ。正直に言ったら、幾らか進められている話はある事はあるんです。
賢者殿の耳には入りませんか?』
それは本当に、初耳だったので思わず眼を丸くしてしまうけれども、"賢者(自分)に情報が届かない"という事で、直ぐにある事に考えが至った。
『生憎と、賢者なんかをやっていると、政に話が関わると全く話はこちらにはこないんでねぇ。
という事は、政がらみではもうそれなりに、御縁の話しが来ているという事になるのだね。
ああ、でもストラス家に娘を娶らせるという事自体が、サブノックの政権の枢機に少なからず関わりを持つという事か。
それなら、私の耳にはスパイクの結婚話は届かないわけだねえ』
何となくつまらない気持ちになって、懐に手を伸ばして再び煙草を吸おうとしていたなら、それを遮るように、馴染みの青年は口を開く。
『ストラス家の事もあるのですが、その本当に申し訳ないのですが、私と賢者殿が、仲が良いという事で縁談をという方々もいらっしゃるみたいです。
もし、子どもを授かったならきっと賢者殿が直々に教育をしてくれるだろうからって。
その、賢者殿が前に私に言ってくれた事が嬉しくて、一度だけ宴席で口にしてしまった事があったんです。
本当に、すみません』
思わず、懐に手を突っ込んだまま賢者の動きが止まり、その次の瞬間には笑いだしていた。
『そうかい、スパイクにはその事を宴席で話してしまうくらいの話しになったかい、こいつは良いねえ』
自分が何気なく口にした言葉が、普段は控えめな青年が、その事を自慢話の様に扱ってくれたことが嬉しかった。
賢者が嬉しそうに笑う事で、スパイクが赤くなって困っている事も判るけれども、止める事が出来ない。
"……スパイクの子供なら、少しぐらい面倒を見せてもらえたなら嬉しいねえ。簡単な、勉強ぐらいなら見てもらわらせたなら、どんな感じになるのだろ―――"
それは賢者にとっては、叶わなくてもいいけれど、幾度か胸に浮かべた細やかな夢でもあった。
(これは、私にとって生きている内に、叶う夢になるのかねえ)
【サ、サナンダ、夢を叶える為には口に出したなら良いらしいよ】
今はこの世界の賢者の纏め役になっている人が、修練の1つとして造った"絵本"―――彼が、好きな動物だというウサギを題材にしたものを、何気なく贈った時に、お礼と共に教えてくれた言葉を不意に思いだされた。
(でも、それじゃあ自分でも図々しいとも思うんだよ)
生涯を通して研究だけを続けられたなら、それ以上を望まないつもりだった。
(ここまで、"こう"だと、少しばかり、怖くなるね)
今の自分の心情を言葉で表現するのが怖くて、それを誤魔化す為に急いで更に言葉を口から吐き出す。
『でも、言っとくけれど、多少の血の流れや、周囲の環境の関係ははあるだろうけれども、才能がどう活かせるかどうかは、結局は本人の努力次第だよ。
そりゃ、このババアは、多少人よりはその子の持っている才覚を見抜く自負はそれなりにあるけれどもね。
スパイクの場合は、優秀と周囲が評価するのは、父親譲りの武術のセンスがあったのと、お前が賢者の監視と警備の仕事の間でも、怠慢せずに鍛錬していたからにすぎないよ』
『……それと何より、母親が私を生んでくれたからだと思います。
産まれてこなければ、こんな気持ちというか、経験をする事が出来ませんでしたから』
賢者が誤魔化しでもあるけれど、本音でスパイク当人を褒めた後に、青年スパイクの方は己を産んでくれた母に感謝を口にして、一度話が途切れる。
顔からは笑みが消えて、賢者は再び煙草に手を伸ばす。
元々は成人をしてからも、嗜んではいなかったけれども"研究"が一段落ついた後に、寂しくてそれを紛らわせる為に無意識に手を伸ばしていた。
賢者が煙草に手を伸ばそうとするのに、スパイクが少しばかりムッとして、"思いついた"と言った調子で、口を開く。
『……ただ、今の人生でも、不満に思っている事もあるんですよ。
先ずは賢者殿が、煙草をやめてくれない事。
異国ではありますがセリサンセウムの貴族でもありますが治癒術師で医師でもある、シトラス・ラベル卿が煙草についての健康被害について、それは判り易く論文を纏めてくれています。
サブノックの医術機関にも、近日講演会を行ってくれるとか』
青年が少しだけ不貞不貞しさを感じさせる表情で、そんな事を言われたなら、流石に賢者も煙草に伸ばす手を止めた。
『……何だ、煙草が嫌だったなら早く言ってくれれば、お前の前では喫わないのに。
ああ、あとはこれでも子ども前でも吸わないんだよ』
賢者がそう言うと、"そういう事ではない"といった感情を体現する様に、スパイクは深く溜息を吐いた。
『出来れば、私がいてもいなくても、子どもが側にいなくても賢者殿が煙草を止めてくれたなら、嬉しいと思います。
―――父上も、少しばかり煙草を吸うと知って、気にしていましたから』
『……そうかい。まあ、泣く子も黙る将軍殿の怒声で引っ込まないババア賢者が、煙草で身体の調子を崩したなら、確かに拍子抜けだろうしねえ。
それで、スパイクの不満て言うのはそれだけかい?』
『いいえ、もう一つ。
実を言えば私は、"弟"が欲しかったんですよ』
そこで賢者は完全に煙管を掴むことを諦めた手を懐から抜いて、腕を組んで首を傾げる事になる。
『……スパイク、あんた、弟妹はいないにしても、殆どそう言ったのと変わらないような甥や姪はいるんだろう?』
『ええ。でも、やはり派閥というか、所属といいますか―――こういう例えは、御婦人には失礼かと思うんですが、何か違うといいますか。
幼い頃の話になりますが、義母は分け隔てなく、他の夫人達の子ども達とも同じ様に育ててくれました。
けれども、やはり夜眠る時は"母"の元に子ども達は戻ります。
私は義母や、兄達と戻って寝ていましたし、少しも寂しくもなかった。
でも、甥や姪が特に兄が弟か妹の手を引いてお世話をやく姿が、とても羨ましかった。
世話をやこうと思えば、"やかせて"貰えたんでしょうけれど、母が違ったなら、どうして何か見えない"垣根"みたいなものを感じて』
そのスパイクの返事を聞いた頃には、賢者は何とも言えない表情を浮かべ、反対方向に首を傾けていた。
それから、賢者と言う存在にしては本当に珍しく、"ああ"や"うう"という言葉にならない声を出し、傾けていた中心の位置に首を戻して、不満について語った青年の方に視線を向ける。
それから傍から見たなら"無駄な力が入っている"のが一目瞭然の調子で、賢者が口を開く。
『……でも幾らなんでも、スパイクの年とその生い立ちでは、例え"母親"が生きていて、再会できたとしても、その、父上の将軍殿は大丈夫でも、その、弟なんて絶対に無理だろう?。確か私が知っている限りでは、母親殿は結構なお年になっているだろうし』
サブノックの賢者として、ストラス家から、賢者の護衛で監視の役割を担っているまだ少年とも呼べるスパイクを寄越された時、義母の手によって詳解を認められている書状を受け取っていた。
一応彼の"母親"となる存在は"やむを得ない事情"があって、彼を物心つく前に手放し、それ以降は第一夫人で正妻が、責任をもって養育をしているとある。
"母親の詳しいことはわかりませんが、スパイクの父親ともなる旦那様と、そう年齢も変わらないと伺っております。
あまり自己主張をしない、飄々とした性格の息子ですけれども、武人としては優秀だと育ての親として保証します"
と、書状には数少ない"母親"の情報と共にスパイクの性格について記してあった。
そして現在のスパイクの父親の齢は、二十代後半から三十路始めに授かった子供なら、もう十分成人していてもおかしくないものとなっている。
書状の情報に違いがないのなら、賢者も言葉に出している通り母親となる人物もそういう年齢になっている筈だった。
『ええ、絶対に無理でしょうね。確か父上に教えてもらった所によれば、母となる人は父上と同じく60間近ということらしいので』
『……5年近く猶予がある場合は、間近という表現はどうなんだろうね?。いや、年齢については個人的にないきなり頭に浮かんだ感想だよ』
賢者が眉間に縦シワを刻みながら、そんなことを言ったなら、今度はスパイクの方が堪えきれないと言った調子で笑いを漏らしていた。
『五十半ばにしても還暦間近にしても子供を授かるのは、到底無理な年代ですよね。それに義母達にしても、私が知っているのでも一番最年長でご出産なされても四十位までですからね』
『ああ、経産婦でも、体力的にもそれまでぐらいにしておいた方が良いだろう。
……それじゃあ、何にしても、スパイクの"弟"の世話をやいてみたい不満は解消されそうにないねえ』
"それ以外の感想を口にする事が出来ない"
そんな様子で賢者が組んでいた腕を解いて、髪が乱れるのも構わずに後頭部を掻きながら更に続ける。
『まあ、そんな話を聞いたなら、私も今更ながら、子育てをしてみたかったという"欲"が出てくるねえ。
……調子の良いことだと思うけれども、スパイクみたいに良い子に育ったのを見ている"今だから"、思える事なんだろうけれどね。
あ、勿論、スパイクが良い子に育ったのは、ストラス殿第一夫人殿の教育の賜物のだと弁えているからね』
そう言って後頭部から手を引き抜いたのなら、掻きむしった為に指に絡まって抜けた髪が巻き付いていた。
それを渋い顔をしながら、散らからない様に指で摘まんで取って片付ける、そんな少しばかり、実年齢に比べたなら大人気なく見える所作に、スパイクは再び吹き出す。
『ええ、私も厳しくて優しい義母だから、まあまあ確りとした、真面目な振る舞いが身についたと思っています。多分、本来の私はもう少しふざけたり、賢者殿の様に少しばかりイタズラ好きだと思います。
だからこそ、義母の"和"を保つ為に行っている努力や、規律の正しさを間近に見れた事は、良かったと思っています。そうでないと、多分もう少し周囲に迷惑をかける性格になっていたでしょう』
『ああ、そうだね。スパイク・ストラスは、きっと、それで良かったんだよ』
―――きっと、"やりたい事"を抱えたままの自分なら、こんな良い子に育てる事は出来なかった。
"彼"と再会して、自分の手から放してしまった事を後悔しそうになる度に、そうやって言い聞かせてきた。
『それに、年の事を言うならスパイクなら、もう弟よりも嫁さん貰って、子どもを授かった方が余程垣根を超えて面倒を見る事も、世話をやくことも出来るだろうよ』
『"それはそれ"、"これはコレ"。弟と自分の息子は違いますよ』
そんな話をして、弟の事は縁がなく済んだ物と思ってまた季節が数度巡っていた。
スパイク・ストラスは父親の副官から更に出世して、1人の武将になった報せを賢者が耳に入れた時、彼は青い髪の、少し垂れ眼の子どもと手を繋いで姿を現す。
入り口の無い自室の部屋の扉の前に、2人が並んで姿を現した時。
もう表現をするのに"老"の字が欠かせなくなる位の年代になっていた賢者は、それは大道芸の、"時間が止まった"場面を表現したが如く、機敏に動きを止めた。
『……スパイク"おにいさん"、けんじゃさまはどうしたんですか?』
だが、見慣れた青年と手を繋いでいる青い髪の幼い男の子が"おにいさん"という言葉を口にしたことで賢者の止まっていた時間を動かし始める。
『賢者殿、研究のし過ぎでとうとう時間を止める魔法でも編み出して、好奇心の余り御自分に魔法をかけて、時間を止めてしまったその瞬間に遭遇でもしたのかと思いましたよ』
そう口にしたなら、賢者に向けている和やかな雰囲気な目元を引き締めて"サブノックの武将"の物となり、振り返る。
賢者も自室の外の気配だけは感じ取っていたけれども、思っていた以上に結構な人と荷物が動いている様だった。
隣室は空室という名の、資料や研究途中の道具の置き場となっていたが、どうやら片付けが始められている。
その様子視界の隅で確認しながら、賢者は親しいサブノックの武将に語り掛ける。
『生憎と私の研究は、時間には関するものもあるのだけれど、そっち方面ではないんでね。
それにそんな術を使うとしたなら、先ずは国に報告しなけりゃいけない。
時間に関係する魔法は、この世界では禁術扱いだ。
それで、どうやらババア賢者はまだ"お祖母さん的"、ババアにはなれないようだね。
というか、そっちの坊やがスパイクの事をお兄さんと呼んだって事は―――あんた、今更ながらに"弟"が出来ちまったってことなのかい?』
『ええ、まあ、そういう事になります』
再び武将の眼から、馴染みのある青年の瞳に戻って、スパイクはそう告げる。
サブノックの賢者は、呆れながらその返事を聞きながらゆっくりと立ち上がり、思い出すのは手を繋ぐ年の離れた"兄弟"の父親となる人物の姿だった。
『……私の所に全く話が流れてこなかったという所を加味して考えたのなら、この子の産まれは"政"が関係していると考えても良いんだろうか?』
そう言い終える頃には、手を繋ぐ兄弟の正面にたち、先ずはすっかり自分より背が高くなってしまった武将の青年を見て微笑んだ後、しゃがみ込んで手を繋いでい男の子に視線を合わせる。
青い髪の垂れ眼の男の子は、どうやら人見知りはしないらしく、興味深そうに視線の高さを合わせてくれる賢者の顔を観察していた。
先程の質問からのスパイクの返事はまだだが、男の子が初対面である自分に怯えていない事に機嫌を良くした、賢者は更に口の端を上げた後に自己紹介を始める。
『こんにちは。私はこの国の賢者という仕事と、役割としてやらせて貰っている。
ババア……は、流石に言葉が悪すぎるか。
"けんじゃ"ということ位をわかってくれていればいいよ。それでは、あんたの名前を教えてくれるかい?』
『……ぼくのなまえは、スパンコーン・ストラスですけんじゃ"さん"』
青い髪の男の子が"さん”付けをした事にスパイクが多少慌てていたが、構わず”初見の挨拶"を賢者と男の子は続ける。
『そうかい、じゃあ私は、あんたの事をスパンコーンと呼ばせてもらうね』
賢者が確認する様に見つめたなら、"兄"と手を繋いだままの男の子は素直に頷いていた。
(年齢は3才を過ぎたか、過ぎていないかくらいかな。年齢の割には、確りしていそうな感じの子どもだね)
近年身罷ったセリサンセウムの王妃が、筆頭して著したという丁寧な育児書を最近流し読んで得た知識で、スパンコーンと名乗る少年を観察してそんな感想をもつ。
賢者と弟の会話が一段落がついたと見えた事で、スパイクもしゃがみ込ん小さな弟に視線を合わせて、口を開く。
『スパンコーン、賢者殿には"さん"ではなくて"さま"をつけないと』
だがその注意を促す言葉には、賢者の方が噴き出してしまう。
『スパイク、そういうあんたが、先ず賢者私のことを賢者"殿"って呼んでいるじゃあないか。まあ、スパンコーンの呼びやすい方で、どっちでもいい』
そう言ってから賢者が立ち上がったなら、スパイクもそれに続く様にしゃがんでいた姿勢を元に戻した。
『スパンコーンは、政のどの部分に関わっているんだい?。青い髪に眼は、ストラス家の血を引いた者に関わらず"運の良い証"ってやつだよ。
確かサブノックの最初の王様が青い髪に眼で、その血を濃く引き継いだ娘をストラス家をきにいった娘を娶らせて貰った事で、ストラス家には稀に産まれるそうじゃないか』
スパンコーン少年は賢者の話を聞きながら、"王様"の言葉を聞いて激しく瞬きを始めてしまう。
瞬きを繰り返す弟をスパイクが抱き上げ、心配しなくていい、と言葉をかけて話を続ける。
『それでは先ず、"弟"が産まれた事情なんですが……以前に私がこちらに赴いて、旱魃についてお話したの覚えていますか?』
『ああ、あんたの父上が乾燥地帯の事を解決する為に、セリサンセウムの方の商人と話をつけたみたいな、流れになった奴だねえ。
こちらの工芸品を融通する事で、話しが巧く纏ったみたいな話で聞いた記憶があるねえ』
無駄に興味があった事への記憶力は良いので、数年前の事を頭の中で思い出した。
―――旱魃の方は、父上がセリサンセウムに縁戚がある商人の方に話しをつけて、こちらの工芸品の高級なものを少々融通する事で、そちらの保有する土地を通じて、灌漑工事を行う事で話がついてしまいましたから。
『……その商人が"女"だったという事かい?』
『えーと、父上や、一緒に交渉に行った兄上が仰るには、そこも一族で商人の生業をしているとのことでして。
商人の1人として活躍される、利発な御婦人がいらっしゃって、更に灌漑工事の融通を利かせてくれるという事で。それで……』
『それで、"子どもが出来てしまうもの"なのかい?』
賢者も、武将となった、青年も張り付いた様な笑顔を浮かべている。
けれど、賢者の方は何とも言えない怒りを孕んだ雰囲気の微笑みで、武将の青年の方は諦めに近いような無条件降伏の様な笑顔になっていた。
そこで何とも言えない空気をだしている、大人2人を見比べ、童が言葉を挟む。
『スパイクにいさん、けんじゃさん……さま、怒るか困っているみたいになっていますか?。
他の、サブノックのお義母様達と同じ様に、困っていて怒っていますか?』
その言葉に、何とも言えないこの沈黙のやりとりは、スパンコーンの発言から鑑みるに、どうやら他の夫人達との間では、既に済ませている様式であることを賢者は察する。
(……まあ、他の御婦人方は何やかんや言いながら皆さん母性が強いし、サブノックのストラス将軍殿の妻という事を誇りに思っている。
決して、将軍殿を責めるような事はしないだろうけれども、正直に言って"面白くはない"だろうね。
しかも、この子はスパイクの話によれば異国の女性が産んだという事が、はっきりとしている)
一夫多妻でもその家庭が巧くいっているのは、その文化が根差した歴史や伝統があって、それを秩序を守ることで保たれているからでもある。
国境を越えての婚姻をするにしても、似たような文化圏や、特に隣国のヘンルーダなどでは寧ろよくある事でもあった。
実際、ヘンルーダのから迎えた側室も数名いるが、それこそ文化や伝統を自国の者以上に、サブノックの流儀を弁えている所もある。
だが、スパイクの"抱っこ"しているスパンコーン少年は、文化的のは馴染みという物は全く持っていない様に思える。
(でもこの子は、そんな文化や伝統とか差っ引いたとしても、本当に青い髪を除いたなら、"似ている"んだよねえ)
抱え上げられている事で、正面と向かい合う高さの位置にある幼子の顔を見る。
(少し垂れていて、一見人は好さそうなのに、"鎌"の様な鋭さを感じさせる目元なんて特にねえ……)
禁術の中でも、時間に携わる物で究極とされるもので"遡る"という能力である。
スパンコーンという男児は、髪が青い事を除いたなら本当に父親となる存在が時間を遡ってしまい、この時間に現れてしまったのではないかと思えるくらいよく似ていた。
それは父親となる人物の昔の姿、若い頃を知っていればいる程、そう思うだろうというのが、賢者の考えである。
(これは、極幼い頃から将軍殿の事を知っている正妻殿は、何とも複雑な思いを抱えているだろうねえ)
その間も、空き室になっている筈の隣室の改造は進んでいるので完璧な静寂とはいかないけれども、"寝台"やら"箪笥"という言葉で、何が進められているのかがおおよそ予想は賢者には出来た。
けれども、その前に"最もな疑問"と"その疑問の答えらしいもの"が同時に賢者の頭の中で浮かんだ。
(取りあえず話を一回纏めて進めよう。そうでもしないと、この状況が落ち付かない。取りあえず先に進まないと―――と、その前に)
『スパンコーン、賢者殿は特に困っているわけでも、怒っているわけでもないよ。それは、さっき会っただろう、沢山のお母さん達も同じでね。実はとても、ある事で驚いているんだよ』
『おどろいている?』
どちらかといえば、ぶっきらぼうな物言いが多い賢者にしては、まるで絵本の物語を読み上げる様に感情を込めて、幼い青い髪をした垂れ眼の男の子に向かって言葉を紡ぎだしていた。
『スパンコーン、あんたの顔は、あんたの父上にそっくりなんだよ。とはいっても、今は"父上の小さい頃にそっくり"という事になるだろうけれどね』
『父上に、そっくり……』
幼いスパンコーンにはあまり落ちない様子で、スパイクに抱えられた腕の中で垂れた眼をパチパチとして、考え込む様に華奢な首を傾けていた。
『……父上の顔は……まだ2回しかあった事が無いので、お顔をよく覚えていません。
でも、父上の顔を良く知っている皆さんがそう言っているのなら、そうなんでしょうね』
"2回"という数字を聞いた途端、賢者は腕を組んで笑った。
『アッハッハッハ、あの御多忙の将軍殿とあった回数を覚えているだけでも、上等だよ。良い子だ、スパンコーン』
そう言って頭を撫でる。
(……さて、今からの話をこの子に聞かせるのも何だしねえ)
笑い乍らそんな事を考えていたなら、賢者の思惑を察した様にスパイクが振り返ったなら侍女の1人に、幼い弟を渡していた。
『隣の部屋も大分片付いているだろうから、そちらで遊ばせてあげなさい。私が賢者殿と話をつけるから』
『どんな話をつけられるんだろうねえ……』
少々大人げないと思いながらも、武将になった青年の揚げ足を取る様にして、賢者がそのような言葉を口にしたなら、スパイクは目元に和やかさを戻さないまま向き合う。
少しばかりふざけすぎたかとも反省するが、もし自分が予想している事が当たっているのなら、少しばかりふざけても良いとも思えた。
そして幼いスパイクの弟が姿が見えなくなったなら、賢者の方から口を開いた。
『スパンコーンを授かったんだというのなら、その御母堂と、サブノックの将軍殿の御縁が、灌漑工事の時にでも紡がれて、出来ていたのだろうさ。
……スパイク、1つ尋ねたいんだが、そのスパンコーンは今日から私の部屋の隣に住むみたいな作業が、先程から粛々と進んでいるみたいなのだけれども、どうしてなんだろうね?。
普通なら、その、サブノックの文化に馴染ませる為にスパンコーンを実母から引き取ってそだてるにしても、この場合は正妻殿だろう?。
ああ、言っとくけれど、私がその子の事を嫌いとかそういう物じゃないからね』
『これは、父上、義母上、それとこの子の産みの親となる方が望んだ事でもあるんです、賢者殿。
それで、このスパンコーンの教育係もお願いしたいとの事です』
この国の将軍は兎も角、正妻や実母にあたる存在が自分に教育係を頼みたいという言葉に、口を丸く開けて賢者は動きを制止する。
それを告げた武将の青年の方も、賢者の色んな表情は沢山見てきたつもりだけれども、一般的に言う"まぬけ"な面は初めて見たので、先程の幼い弟と同じ様に激しく瞬きをしてしまっていた。
ただ、その"まぬけ"にも見えた表情に、徐々に哀しみが滲み込んでいるのに、今度はスパイクが驚くことになる。
『……スパンコーンの御母堂は、それで納得しているのかい?』
『ええ、一切の了承は得ているという事です。
サブノックではあまり考えられませんがそのセリサンセウムは平定をされてから、職業婦人として忙しいそうですので。
日雇いの乳母を雇うよりも、"家族"として落ち着いているこちらで育てた方が良いだろうという事になりました。
後は馴染みがある私が賢者殿に頼んで来いということで、役目を承りました。
……賢者殿がそこまで驚かれる事が、私にとっては結構な驚きになりますね』
説明をしながら、自分の中で浮かんでいた予想が外れた事に戸惑いをスパイクは鎮める。
"はあ~、しょうがないねえ"
そんな風に溜息をついて、軽く引き受けてくれる程度の事だと思っていた。
―――まあ、そんな話を聞いたなら、私も今更ながら、子育てをしてみたかったという"欲"が出てくるねえ。
そんな事を言っていたから、きっと、喜んで引き受けると、ある意味で変に、信じている所でもあった。
『そうか、御母堂が納得されていて、そう考えているのなら、それでいいのかもしれないね。
ああ、でも、幼いとも言えども、スパンコーンはあんなに将軍殿によく似ている。
それなら、尚更、正妻殿、第一夫人殿が育てた方が良いんじゃないのかい?』
きっと、誰よりも将軍の伴侶であることを"誇り"に思っている、気高い婦人。
その夫にそっくりな、丁度かわいい盛りだし、スパンコーンという男の子は大人しく利発な男児なら、老齢に差し掛かってきつい事もあるかもしれないけれども、手元に置きたいと思わないのが不思議だった。
彼女が育てたなら、ある意味では自分が馴染みにしている正面にいる青年よりも立派なサブノックの武人になる事さえ、十分可能の様な気がした。
(ああ、でも、スパンコーンが立派に育ちすぎても今度はストラス家の跡取りとかの問題が出てくるかな?)
最期まで"家族"という物とは縁がないであろう、自分の人生の中では起こらない問題について考えていたけれども、スパイクから語られる言葉を賢者の予想をはるかに超えていた。
『……義母は、"子ども"を育てる自信はあるそうです。
けれど、"英雄"を育てる自信はないから、スパンコーンをサブノックの英雄とするのならその一切合切は、賢者殿に委ねるそうです』
『……はあ?、何を言っているんだい?!』
"英雄を育てる"という発言を聞いた瞬間、賢者自身も思いがけずに、大きな声を出してしまった事は周囲―――隣室の模様替えを行っている近習や侍女たちまでの動きを止める力があった。
『――――構わない、続けろ』
だが、スパイクが武将としての声を出したのなら、直ぐに支度はそのまま続行される。
その少しばかり傲慢にも思える態度と、見上げる程の背丈を伸ばした武将の青年を賢者は睨んだが、スパイクは当たり前のように怯まない。
『"政"には、賢者殿は関われません。
けれども、教育や文化に関しては発言力をどの国においても認められています。
ある程度育てて頂いたのなら、あとは"こちら"で引き受けます』
今まで賢者には向けた事のない眼差しで、サブノックの武将にまで成長をしてしまった元護衛で監視の少年はそう言い切った。
『……どうして、今頃になって英雄なんだい?。
何年か前にセリサンセウムからごり押しされた時には、渋々了承するだけして、突っぱねていただろう?。
何かい?スパンコーンという、父親の将軍そっくりな顔が産まれたから、気まぐれかい?』
"気まぐれ"という発言には、スパイクは険しい表情のまま頭を左右に振って話を続けた。
『……いいえ、違います。ただ、隣国のヘンルーダの方でも、セリサンセウムに押し付けられた"英雄"の仕組みを取り入れる事を決めたそうです。
それに、賢者殿も覚えていらっしゃるでしょう、つい数年前に南国の方でも"英雄"なるという男児の話。
あれは賢者殿の方が、私に教えてくださった事です』
『だから、どうして今更なんだい?!』
そこで正しくスパイクは言葉に詰まった。
『すみません、人払いをします―――スパンコーン、こちらにおいで。お前も一緒に話しを聞いておきなさい!』
相変わらず武将の調子ではあるけれども、少しばかり柔らかみのある声で弟を呼ぶ。
そうして、まだ幼い弟を侍女から受け取り賢者の部屋で、決まっている自分の場所に腰を据えた。
人払いがされ、少しばかり片付けられた部屋で、賢者も自分の場所に座ると、早速スパイクは話を始めようとする。
『ああ、ちょっと待ちな』
賢者が軽く指を弾いたなら、その指先から透ける緑色の微粒子が小さな旋風を作って、霧散する様に広がり消える。
”情報”を司る風の精霊を広げ、これから始まる話をこの部屋だけに留める様にした。
『ご協力、ありがとうございます。安心して、お話しできます。
それで父上が、今更ながらに英雄を育てようとしているのは、"国"の為だそうです』
”国の為”という言葉には、賢者は片眉を上げ、眉間に立派な縦シワを刻んでいた。
『……別に、英雄なんていなくても、サブノックもヘンルーダもそれなりにやって来ただろう?。
それにどちらかといえば、自分が賢者の身で言うのがなんだが、国に必要なのはそっちなんじゃないのかい?』
そう言ってから無意識に袂に手を突っ込み懐を探って、煙草を取り出そうとしていたが、青い髪の男児が、自分を見詰めている事にきがついて、口元を"へ"の形にし、賢者はムスッとして、諦める。
すると、”賢者が煙草を諦める”一連の流れを見たスパイクが堪えきれないといった調子で、笑い声を漏らした。
『……すみません、実は”どうして今更ながらに、英雄を育てるつもりになったか”の理由は、私も知らないんです』
『はあ?!、じゃあどうして、人払いまでしてしまったんだい?!』
思わず手を拳にして、いつも研究の為に使っている座卓を”ドン”と音がする程叩く。
胡坐をかいている上に座る小さな弟の方はびくりとするけれども、兄の方は誰に似たのか飄々としたもので涼しい顔をして話を続ける。
『それは父上が時間を追って、賢者殿にお話をするそうです。
その、色々込み入っているらしくて。
あと人払いをしたのは―――
”スパイク・ストラスも、英雄を育てる目的を知らないのを知られない為”です』
『……、そう言う回りくどい言い方をするという事は
”スパイク・ストラスは、サブノックが英雄を育てようという事になった事情、若しくは目的を知っている”
と、一定数の輩が思っている、いやこの場合は”思わせている”っていう事に受け取ればいいわけかい?』
日頃自身の性格もあるのだろうが回り諄い事ばかりやっている為、馴染み深い人物のその言い回しも直ぐに察した。
『ええ、その通りです。そうすることで、父上に英雄を育てようという事に、直に言及しようとする輩は少しは減るでしょう』
『ふん、口を割らせようというのなら、頑固で怖そうな将軍様よりも、和やかな飄々とした青年将校、武将というわけかい。
それで、縋られたほうも、情報出し惜しみしているふりをしながら、英雄の情報に食い下がろうとする輩を、父上にお知らせするって言うのも兼ねている所もあるといったところかね』
煙草が喫えなくなったので、手持ち無沙汰になって耳の下から顎にかけて、軽く掻いていると情報を補足する様にスパイクが言葉を続ける。
『他に過去に父上の副官を勤めた事がある兄上達も、同じ様に知っているという事になっています』
『……その兄上達の方も、スパイクと同じ状況なのかねえ。まあ、スパイクの父上の将軍殿が、追々お話してくれるだって言うのなら、それを待つとしようかね』
そう言いながら、煙草は吸えないので何かしら口に含む物の支度を、人払いをしてもいるので賢者自ら始める。
普段ならスパイクが何も言われずにやるのだが、今は膝に弟を乗せているので動けない状態でもあったので、ごく自然に行っていた。
『……子ども向けの菓子なんてあんまりないんだよねえ。茶うけに単純な、しょっぱい菓子しか最近食べてない。
最近甘いもんは、糖分補給の錠菓ぐらいなもんだよ。スパンコーン、あんた錠菓食べれるかい?』
『ラムネ、食べれます』
賢者が振り返りながら尋ねたなら、スパンコーンが幼い声だがはっきりと返事をした。
『じゃあ、錠菓を出しておこう。食べれそうなら、こっちのババアが良く食べている菓子も食べると良い。硬いけれど、お前位の年には、歯硬めに丁度いいだろう』
そう口にして、盆に菓子や飲み物を一式を乗せて戻って座卓の所まで戻って来たなら、幼い弟を抱えたスパイクは再び笑っていた。
『スパンコーンを育てるのも色々事情があって賢者殿に任せるって事は決まったそうなんですけれども。
その他の理由もあるんです。
これは父上が言った事ですが「小さな子供がいたなら、煙草を吸わなくなるだろう」って事でした』
スパイクから笑いながら言われた事で、賢者はまた口を"へ"の字の形にしたが
『ふん、それは、大当たりだよ。ほれ、スパンコーン、菓子を食べな』
と、あっさりと認めて、鮮やかな色紙に包みに入った菓子を差し出したなら、スパンコーンは小さな手にとって、素直に「ありがとうございます」と口にして食べ始める。
その様子を見て、賢者が手を伸ばして青い髪の頭を撫でても、スパンコーンは別段嫌がるという事をしなかった。
その反応を含めて、この子どもをすっかり気に入っている自分に、内心呆れながら話を続ける。
『まあ、私が育てて英雄になるかとか、どんな目論見があるかはどうかは兎も角、実家の方か、商人の方には向いているんではないかね?。
父親そっくりながらも、頭が回る愛嬌があるのは母親譲りで、それにサブノックに来たというのなら、どちらにしろ武芸の方が優先じゃあないのかい?』
幼い子どもが賢明に物を食べる仕種に、何とも言えない充足感を感じながらも、冷静に浮かんだ意見を述べると、スパイクが納得する様に頷く。
『勿論、こちらに預けられたという事は万が一のことを含めて、ストラス家の男児としも、他家に"婿"に望まれた際にも、恥ずかしくない様に武芸については稽古を、私がつけます。
それで、教育としての勉学の方面に育てるという事に関しては、これを伝え忘れていました。
家族という関係の事も含めて、賢者殿にスパンコーン育てていくうえで学んで欲しい欲しいと、強く望んだのは御母堂の意志でもあるそうです。
何でも御母堂の義妹殿に当たる方が、大層聡明な方で、しかもお子さんの扱いが巧い御方だったそうです。
スパンコーンを産んでから直ぐに商人の仕事に戻った御母堂は、乳母よりも巧い扱いに、しかもごく短い時間でしか接しないながらも、息子に行われている育児が素晴らしいと感じたそうです。
下手な乳母を金で雇って教育を任せるよりは、義妹殿に任せた方が良い。
ただ、義妹殿にも義妹殿の家庭や、何より彼女が優秀で商いとしての戦力にも望まれていた。
だから、義妹殿に尋ねたそうです「貴女はどこで、そう言った育児や教育について学んだのと?」。
そうしたなら、その義妹自身は「父から弟と共に厳しく躾けられたので、その賜物に過ぎないのです」と答えたそうです。
それでですね、その義妹殿の御父上が、"賢者"なのだそうなんです』
『……ああ、それじゃあ、その義妹殿っていうのは、ピーン・ビネガーの所の長女って事かい』
数年ぶりにそう言った方面の関係の、情報を耳に入れた様な気がした。
(いや、実際それ位久しぶりな感じになるのか)
頭の片隅に置きっぱなしにしていたので、少々懐かしむ様にその名前を引っ張り出して、口にする。
そこまで重要とは賢者の中では位置付けてはいないけれども、直ぐにひっぱり出す事が可能な情報である。
スパイクの方といえば、賢者の反応が予想以上に"薄い"ので呆けた後に少しばかりわざとらしく、空咳をして更に続ける。
それには先程"空振り"した、「スパンコーンの叔母が賢者の娘だった」という情報を挽回したい気持ちが籠められているのを、賢者は何処と無く察するが、気がつかないふりをしておいた。
『それと、少しばかり信じられないかもしれないかもしれないけれども、スパンコーンはこうやって落ち着いて見えますが、実は結構な人見知りなんですよ』
『おや?そうなのかい?。ちっともそういう風には見えないけれども』
サブノックの賢者としては、こちらの方が本当に予想外の情報で眼を丸くしていた。
イタズラ好きな性分でもあるので、スパイクが口にすることが、予想の範疇であったなら再び素っ気ない態度でもとってからかうつもりでいた。
だが青年武将の膝の上で大人しく錠菓を食べている男の子は、そう言った風にはとても見えない。
『今、スパンコーンが落ち着いているのは、私や賢者殿の雰囲気が多分、その世話していた叔母にあたる方に似ているからではないかと。
その、実を言えばスパンコーンを引き取るに当たっては、わざわざ私は呼ばれたのもあるんです。
やはり、子どもは繊細に気遣わなければいけないところもあるとの事でしたので。
実を言えば義母上達に逢った時には、結構緊張をしていて賢者殿の部屋に近づくにつれて落ち着いてきたようにも思えます』
『……ふうんを賢者の父親にもつ"叔母"さんと、賢者と仲の良いお兄さんは似ているのかねえ』
ここで少しばかり、沈黙が訪れた。
口にはださないけれども、スパイクも賢者も察している。
スパンコーンの叔母という人と、スパイク・ストラスの共通している所。
"賢者の血縁者"、そして特に強い直系血族という事。
(……この子には、賢者の血縁を見抜くというか、察する何かがあるとでも言うのだろうか?)
"単なる、偶然かもしれない"という考えを浮かべながらも、その偶然を立証する方法を頭の中で既に、幾つも摸索している。
俄かに自分の胸の内に、沸き立つ"興味"を感じていた。
『―――解った、スパンコーン・ストラスの教育、サブノックの賢者サナンダが承ろう。
まあ、英雄と並行して御母堂の出自が商人というのなら、そちらの勉強もさせといてやるよ。
で、スパイク・ストラスには、一応国に賢者として認められているババア賢者としては、失敗はしたくないのでね。
英雄を育てられるように、手伝って貰おうかね』
『……ええ、賢者殿のお手伝いを、喜んでさせて頂きます』
そう言われて、数多くいる腹違いの兄達の中で、唯一"母親が判らない"兄の膝の上で優しく頭を撫でられた感触を、三十路を超えた今でも覚えている。
国の賢者が口にした通り、スパンコーンは"商人の母"と"武人の父"を意識して、そして"賢者"と兄の教育を受けて、サブノックの英雄となれた。
けれども、自分に武芸を仕込んでくれた兄と、数度しかあった事がない父は"英雄"になる姿は見る事は出来なかった。
「―――サブノックのアチョウドゥ(商人)は、こちらが頼んでもいないのにオーエー(喧嘩)まで、押し売りをする様になったのか?」
整い過ぎた顔立ちの褐色の肌をした南国の、自分と同じ様に"父親とそっくりな国唯一の英雄"となる人も、父という存在に己が英雄になった姿を見せる事は叶わなかった。
そして今は、褐色の肌の中でも、異国のセリサンセウムという国の、商談の為に借り上げた店の屋内でも翠玉という宝石のように澄んで美しく見える目で睨んでくる。
"商人"としてのスパンコーンは、髪と同じ青い眼に南国の英雄の姿がが視界に入ったなら、座ってもそこまで休んだ気持ちになれない、椅子から立ち上がり、恭しく頭を垂れた。
「ヒャッハー、誤解なきように。
私はお買い上げいただいた情報、品物を売り付けておいて、その質を忘れてはいないと証明する為、その詳細を申し上げただけの事」
少なくとも、南国の英雄は"腹違いの弟"については明らかに敵意持っていて、その人物が"弟"の様に思っている少年にも、良いと呼べる感情を抱いてはいなかった。
スパンコーンがかつて年の離れた兄を無条件に信じて、敬っていた様に、先程接触したアルス・トラッドという少年は血が繋がらないながらも、この国で英雄でもある美しい青年を信じている。
そしてそれが、実際に血の繋がった兄からしたなら"無性に面白くはない"。
(確か賢者殿が言ってましたか、"僧侶が憎ければ、法衣まで憎い"という言葉。そんな感じなのでしょうか)
―――その人や物を憎むあまり、それに関わるすべてのものが憎くなることの例えだよ。
―――無駄な力を使っているよねえ。
―――でも、そこまで想えるって事は情が厚いって事なんだろうね。
一般の教養として、諺や慣用句を教わるとともに、そこに込められている心情も共に教えてくれた。
国の英雄としては兎も角、"商人"として人と言葉と思惑を交わす時、それは十分役に立っている。
―――でも、"道具"として使うもんには気をつけなよ、スパンコーン。
―――道具の使い方を誤れば、痛手を負うの使った自分自身だからね。
そんな事を思い出しながら、自分でも危ういと思いながらも更に弟の話を続ける。
「アルスという新人兵士にとって、アルセン・パドリックは"兄"の様に慕い、敬愛もしている存在というのは、価値のある情報です。
けれども 、あの新人兵士"君"は弟の様に思ってくれている事を知っていながらも、自分が恩師にとって一番でないことも、同時に弁えている」
ある意味確認の為に、剥き出しの刃物を差し出すような気持でその言葉を向けたなら、南国の英雄となっている人は見事に、その切先を自分に向け返すようなに口にする。
「ああ、それで、そのアルセンとやらが、今のところどんな意味をもっては知らないが、一番気にかけているのが、同じくこの国の英雄のグランドール・マクガフィン。
サブノックのアチョウドゥ(商人)で英雄であるスパンコーンが、詫びても詫びきれない相手だな」
「ヒャッハー、貴方も中々仰いますねえ、南国の英雄殿」
最近、漸く繋がった販路で"得意先"ともなり、友好的でもなければならないから、"この国にいない筈"の南国の英雄からの、血の繋がらない義兄の名前を聞きながらスパンコーンは、斬り付けられるような痛みを堪えた。