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大農家 大いに嘆く④

そして2回目の接触は、思わぬ形と予想外の―――国王ダガー・サンフラワーの言葉からという形になった。


(表から姿を(くら)ますと言ってはいたが、陛下は"英雄ネェツアーク・サクスフォーン"とは、連絡を取り続けいたとうことなんだろうな)


ただ、風の精霊の能力を借りて言葉を聞く限りでは、英雄殺しとも言われる人物なのにダガーが語り掛ける言葉は、友人としての物にしか聞こえなかった。


(―――あれ?)


そこから急に、ダガーの声が途切れて、風の精霊が消えたのだと判る。


("恋"に関しての話では、なくなったということなのか?)


そこで考え至るのは、ネェツアーク・サクスフォーンという人物が出てきたことで、ダガー・サンフラワーと、ロブロウの領主のアプリコット・ビネガーの恋路を邪魔をしているという事。


(……英雄の殺しの英雄(ネェツアーク)が話の話題に出てきただけでも、恋の助勢者でもある風の精霊には、不況をを買っているらしいな。

もしかしたら、風の精霊の長のラファエルにも嫌われているんじゃないのか)


ダガーの話が聞こえなくなった事に、軽く八つ当たり気味に、最近娘の絵本に出てくることで知った、天使の名前を口に出しながら扉に添えていた手を離す。


それとタイミングを合わせた様に法王ロッツの護衛を、同じ様に徹夜でしている筈のミストと繋がっている通信機が瞬いた。


『隊長、ロッツ様が起きた模様です。御寝所の方で、動いている気配があります』


音量は最小限にしているが、常に通信が出来る状態にしている通信機からミストの声が漏れて聞こえる。


辺りが静寂に包まれている物だから、懐に忍ばせる様に入れていても声が良く響いた。

ダガーのいる部屋とは立派な扉と壁の隔たりがあるから、聞こえていないのは判っているが、しまっている場所を上から抑えた。


『わかった。もしかしたら単に御不浄かもしれないから、動きがあったら連絡をまた頼む』


『わかりました』

キルタンサンスは風の精霊を使っても、国王の私室の中での言葉が聞こえなくなっているので、部下の言葉の方に集中する。


『って、え―――?』


戸惑うミストの声に続いて、扉が響く様な音を通信機が拾って届けられる。


『どうした?』

集中した途端に早速異変があった事に、少し驚きながら確認の言葉をかける。


(起きて、ミストの方にいらっしゃったという事なのか)


『……ディンファレの護衛騎士の代わりのミストさん、兄上の護衛騎士隊のキルタンサンスさんとお話し出来てますか』


『ほ、法王猊下、あ、はい、出来ています』


取りあえず、数日側にいて"ロッツ様"とのやり取りにそれなりに慣れた、ミストの答える返事が聞こえてきた。


『そうですか、キルタンサンスさん。

私のイグが、今から兄上の方に飛んでいきます。

兄上の大切な御話が終わったなら、部屋に通してあげてください。

それから、私も兄上とあうので、私はお着替えをしてきます。

法王のお着替えは難しいので、"花屋のロップ"で行きます。

法王のお洋服は持って行って、そちらで、"先生達"に着せてもらいます』


『え?』

『は?』


"言いたい事だけを言う"

そう表現するしかない口調で、ロッツに告げられたなら再び扉を閉まる音が、通信機越しに聞こえてきた。


『隊長、何だかそういうことらしいんですけれど……』

声だけでも、ミストが途方に暮れているのが伝わってくる。


『ああ、判った、取りあえず先に法王猊下の鷲が、陛下の中でのお話が終わったならやってくる。

それから……法王猊下もどうやら"変装"してやってくるらしいな』


変装については、ディンファレから報告を受けている。


"法王ロッツ"になる前から、法院の僧として、前の法王であるサザンカから直に教育を受けている時に、社会勉強として一般人に変装して、城下町の出ていた事もあった。

それが法王となった今では、法務が予想外に早く終わったり、教義に則り"休息"と定められた日に、それこそ息抜きに変装して外出している。


勿論ディンファレも私服となってそれに付き合うが、ディンファレは美人だし、ロッツは変装して抑えているが母親譲りの、甘さを感じさせる優美な顔立ちで、それに加えて2人とも長身であるので、どうも目立ってしまう。


という事情で現在は法王を引退し、還俗して生家でもある花屋で、昔から行っている研究を続けているサザンカの元で働く"見習い花屋のロップ"として、城下町の繰り出す事が多くなっていた。

それらを簡単に纏めてミストに伝える。


『はあ、でも流石に深夜でも"宮殿"内も、"見習い花屋のロップさん"がいたなら、メイドとかには逢わなくても、近衛兵が見たなら 驚きませんか?』


最もな疑問を通信機から返されて、キルタンサスは頷いた。


『ああ、実際見たなら驚くだろうが、そこは法王猊下だからな……』

『チョット!ディンファレノ代ワリノ人、ロッツが行く時は、アンタモツイテクルンデショウ?!』


説明を続けようとした所に、先日聞いた氷の精霊の独特な声が割り込んできた。


『わああ?!、驚かせないで欲しいんですけれど!』

『ロッツカラ、"女の子は男の人の着替えを見てはいけません"ッテ言ワレテイルンダカラ、仕方ナイデショウ!』


(どうやら、法王猊下の部屋の扉を、氷の女帝ニブルが擦り抜けて出てきてミストの度肝を抜いたらしいな)


自分の部下と精霊の会話のやり取りを聞いただけで、キルタンサンスは状況を把握できた。

更に、法王が口にした所は如実に判る氷の女帝の口真似に、感動していたなら、通信機を通して扉の開く音が再び聞こえてくる。


『ケエ』

たまにロッツからダガーに何かしら手紙を届けにくる、聴き慣れた鷲の鳴き声と羽音が確認できた。


『おや、先程仰られた通り、本当にイグが此方にくるんだな。それでは、もうすぐ陛下の大切な話も終わるということか』


(どうやら"始まり"の状況に一区切りがつきそうだ)


時間的に常識に外れた物があるけれど、近衛兵と近習達も、今夜から起こすダガー・サンフラワーの行動についてはキルタンサンスと同じ様に

"知らないけれど、承知している"

状況の筈なので、イグの動きは見逃してくれることだと思う。


(ただ、"法王ロッツ"様に関しては法院の―――宗教の方も絡んでくるからな)


今の所、国教と政治は、表だってとやかく言われている事はないけれど、確りと絡みあっている。


法王が国王と腹違いといえども実の弟であるという事で、利権がらみで何かと確執でもあると思われがちだけれども、幸いにもダガーとロッツという兄弟に関しては、縁がない問題となっている。


何かしらの煙をたたせようとする動きがあるけれども、法王の側には、"大切なロッツ"に良くない事を焚きつけようとする存在には、人間の都合など関係なく容赦ない攻撃的な氷の精霊がいる事もあって、防がれている。

それを面白くないと捉えている考えもあるし、自分の感情に素直過ぎる精霊でもある氷の女帝に、頼りすぎるのはどうかという心配をしているものもある。


加えて、今は理由が判らないけれど氷の女帝ニブルが、法王ロッツに心酔しているかもしれないが、いつ何があるかが判らないから、引き離すべきだという意見もあった。


過去には"何かあった時には遅い"からと、即刻引き離すべきという動きもあったらしい。

けれども、"直ぐに引き離す事に拘らず、慌てなくとも、可能だ"と、この国の賢者がその方法を明言したことで、無理やり引き離す事は取りあえず取りやめられたと、ディンファレから報告を受けていた。


(だが今回、ロッツ様が時間外に行動することで、何かしら難癖をつけられないと良いのだが―――)


予想外の所で法王ロッツの応対に一番長け、何かと因縁をつけてくる、法院の騎士達のあしらいに慣れているデンドロビウム・ファレノシプスの不在が、障害(ネック)になりそうだった。


(―――あ、思えば法王の装束先生"達"にも着せて貰うとか、仰っていたけれど、複数形って事は2名以上?。

それとも、陛下が旅立つ前にくるということなのか?。でも、それならわざわざ"見習い花屋のロップ"にまで変装する必要もないとも思うんだけれども……)


色々思いを巡らせていると、柔らかい風が頬を撫でた事で、考え伏せていた顔を持ち上げた。



そこに風の精霊の雰囲気を感じて、再びダガー・サンフラワーの私室の扉に手を触れる。

法王ロッツがこちらにやって来るという事で、色々手筈を整えなければならないと考えるが、もう少し先の事でもある。


(今は、こちらに集中しよう)


『……陛下と、ロブロウの領主殿との会話を風の精霊を通じて、再び聞けるようになった』


一応ミストにも伝わる様に、声に出し風の精霊の力を委ねて、協力を得る様に魔力を注いだ。


(さっきは英雄殺しの英雄(ネェツアーク)のせいで、折角陛下が、本当に珍しく私情を優先させようとした会話を聞けなかった)


先程途切れてしまった2人の声が風の精霊の能力に乗って、まだ正確にではないが小さく耳に届き始める。

こうやって再び聞けるようになったという事は、これから行われる会話に、ダガー・サンフラワーの"恋"が含まれているのだと十分予測出来る。


"ロブロウ領主は中々面白い人物だと聴いていたのだが、初見ではその面白みは見せて貰えないのかな?"


先程王様が口にした言葉も、ここ数年ダガー・サンフラワーの護衛をさせて貰った中でも、女性に向ける物では初めて聞いた様なものだった。


(どうか、何とかして繋いでほしいご縁だ―――)


姿を見たこともないけれど、自分の護衛する王様が想いを寄せる婦人に、願う様な気持ちで更に会話を聞く為に、風の精霊の能力を扉に触れている手に注ぐ。



《いやいや、キルタンサンス。

そこは思い違いというものだ。アプリコット・ビネガーはもう十分努力を重ねてくれた。

だから今度は俺が、彼女を迎えに行かないといけないって話なんだよ》


『んなっ?!』

『隊長、どうしました?』


ミストの声にも応える事が出来ない程、自分が動揺しているのを自覚しながら、頭に国王の声が響いて、どうして今まで忘れていたかという事を思い出す。


(そうだ、陛下は―――)


《どうして忘れたかはわからないが、人の心を拾い読めるんだよ。

ただな、聞こえる範囲は声量とは違って、"想いの強さ"で聞こえる範囲の幅が広がるんだ。

だから、キルタンサンスが私の―――俺の"恋"を身内贔屓で応援してくれているのも、寝室の壁を越えて聞こえていたぞ》


動揺する忠臣を宥める様に、ダガーは言葉を送りながらも、器用に"会話"も続ける。


『改めて、知っているだけでなく、救うためにこんなに時間がかかってしまった事、本当に申し訳なかった』


風の精霊の能力を使わなくても、はっきりと扉を超え、ダガー・サンフラワーの声は、誓いを立てる騎士の宣言の様にしてキルタンサンスの耳にも届いた。


『今度こそ、かっさらう勢いで助けよう』


それから、室内で動きがあるのを感じ取り、一歩後退する。


もしかしたら聞こえているかもしれないけれど、通信機の向こう側にいる部下からの質問する声は不思議とそれ以降続かなかった。

部下の返事がないのを心の隅に気にしながらも、今はこちらに向かってくる国王の気配に、緊張する。


少しばかり変わったダガーの私室―――昔、彼の父親が使っていた部屋の、横に滑らせる形状の扉が、音もなく開くと、そこに寝間着のシャツ一枚とズボン姿のダガーが立っていた。

先程まで寝ていた様な姿ではあるけれど、紫と黒の瞳は確りと覚めているのを感じ取る事が出来る。


(……陛下は、考えている以上に、もしかしたら私や、昔から付き合いの長いと言われる人達よりずっと前から、アプリコット・ビネガーという存在を気にかけていたのだろうか)


昔から、この国の民として知ってはいるつもりでいたけれど、ダガー・サンフラワーという存在が印象的なったのは、キルタンサンスにとっては彼が"王様"になってからだった。

特に、鬼神と謳われた父親でもある先王グロリオーサ・サンフラワーが身罷(みまか)ってから、その存在は漸く表に出される。


静かにそんな事を考えていたつもりだったけれど、心を拾い読める人は薄く笑った。


《ああ、そうだ。小っ恥ずかしいから、昔、弟のロッツにしか話した事はないけれどな。

察しの通りまだ王子だった時分に、俺はアプリコット・ビネガーと出逢っていた。

その当時、互いに同じ様に子どもだった彼女は自分の力ではどうにもすることが出来ない環境の(しがらみ)に苦しんでいた。

そんな時に、社会勉強の名目で、この国を旅していた"ダン・リオン"とロブロウで出逢った。

ガキだった俺は、当時の俺なりに色々やってみたけれど、その柵から彼女を助けたかったけれど、助けられなかった》


『まあ、どっちにしろ"白馬の王子様"じゃあないが、"ガキ"じゃあ、助けたい相手もろくに助ける力も持っていなかったってことだな』

聴かれたにしても、静かに考えていたつもりの事を、拾い読まれたのには思わず赤面をする。


ダガーもそれ以上は"若い自分の至らなさ"を露呈させる事になるので、語らずにいつもの様な闊達(かったつ)な笑顔を浮かべていた。


『言い訳を許して貰えるならな、もうそろそろ彼女を迎えに―――一度は、尋ねようと準備はしていたんだ。

だが、予想外に王様になってからの仕事に時間を取られてしまってもいた。

普通ならとっくに見切りをつけられてもおかしくはないのに、待ってくれているかもしれない相手を不義理にも出来なかった』


切り上げる様にそう言った時、静寂だかよく響く羽音が聞こえたと思った瞬間に、高い天井に羽根を広げて、イグが飛んできた。

時間を弁えているのか、鳴き声を出さずにダガーが上げた腕に降りた。


『イグ、ちょっと支度をするから待っていてくれ。懐かしい"荷物"もあるんでな。

それを先にお前に運んで欲しい』

その言葉に、今度も鷲は鳴かずに小さく頷いて、腕から離れて部屋の中に飛んで慣れた様子で飛んで行ってしまった。


『と、いうわけでそろそろ、着替えて"行ってくる"。多分無事に帰って来るとは思うから、心配はしないでくれ』


『―――はい、影武者ともなるマクガフィン大将もいませんから、早い帰還を待っています。

期限は明後日の夕刻という事らしいですので、よろしくお願いします』

ダガーが先程浮かべた笑顔に、いつもの調子(ペース)を保という意志を感じ、キルタンサンスもそれに付き合う。


『さて、それでは準備をするから"知らない振りをしながら"、手伝ってくれるか?』


そう伝えると、返事を聞く前に部屋の中へと戻り始める。


『了解しました。―――ミスト、陛下の部屋に入っているからな』


『了解しました、こちらも法王猊下の変装が終わったので、そちらに向かいます』

『兄上―いきまーす』


ミストの声に続いて、のんびりとした"見習い花屋のロップ"に変装をしているだろう法王の声が返ってくる。

キルタンサンスが通信機を使っているのを理解したダガーが振り返ったので、如才なく取り出し、ダガーに向けた。


『ああ、静かにして、闇の精霊に協力して貰ってここまで来ておくれ。

もしかしたら、兄上は仕事でもういないかもしれないが、その時は"先生"達の言う事を良く聴くんだよ』

『はい、兄上』


『隊長、取りあえずそちらに辿り着くまで、通信機をきっておきます。

ロッツ様には、これに携わっている精霊石の動きがどうも気になるみたいです』

『風ノ精霊ノ能力ナンテイラナイ、私ガロッツヲ護ル!』


通信を切断する理由と原因が伝わって来たので、苦笑いを浮かべながら返信をする。


『了解、法王―――"見習い花屋のロップさん"をこちらに無事に護衛をし、お連れしてくれ』

そう伝えてキルタンサンスの方から通信を切った。


『ところで陛下、法王猊下も仰っていましたが、"先生達"というのは、2人以上の方がこちらにいらっしゃるという事なのでしょうか?』

『ああ、多分俺が出て行った後に俺の"秘密の抜け道"、いつも城下に逃げ出す時に使っている穴から、来るはずだ。

1人はキルタンサンスも知っている筈だぞ』


『ええ、法王猊下が先生と呼ばれる方は、今は還俗されたサザンカ様は存じ上げています。

というか、そんな抜け穴がお部屋にあったのですね』

万が一の為に脱出路がある事は、護衛騎士としても有難いと思いつつも首を傾けながら、再びダガーが進み始めるその後ろに続く。


『ああ、父上―――グロリオーサ・サンフラワーもよくお忍びで出かけるときに使っていたらしいぞ。

それと"先生の1人"はそれで正解だ。

後1人は、会った事はないかもしれないが、名前は聞いた事が必ずある筈。

ただ、どうやら遅れてやってくるらしいから、私―――俺は逢う事が叶わないが、その先生、俺は"師匠"と呼んでいる方がきたなら、例え国王が不在だとしても、上手くやってくれるだろう』


『はあ、サザンカ様と違う、もう1人の方がですか……。

陛下がそこまで言うのなら、随意分と頼もしい方なのでしょうね』


もう1人の"先生"を誰だろうと考えながらも、キルタンサンスは久しぶりに会う事になる、還俗した高僧を思い出す。

法院と世間の方でも、先々代の法王でダガーの父親グロリオーサと共に"平定の英雄"となるバロータと、現在法王であるロッツという、2人の偉大な法王の"繋ぎ"の認識をされている存在が、サザンカでもあった。


例え法王を引退し、世俗に戻ったとしても、本当ならチューベローズやユンフォと同じ様に、大きな発言権を持つことにはなるだろう、1人の貴族議員として残る事も十分可能だったのに、それをせずに生家に戻り、慎ましやかに暮らしている。

更に法王ロッツの息抜きとして、役割と場所を提供している。


その傍らで、研究―――特に子どもの発育発達の方が、並みの学者よりも知識が豊富で、国の学院においても、一線を(かく)すものがある。


キルタンサンスは、幼い子の親として、実はどちらかと言えばそちらの方でのサザンカと馴染みがあり、数冊の著作も拝読させてもらっている。

年に1度の頻度で国が行う子供の発育検査の場に来訪し、直接診察してもらえる時は列が出来る。

それでも見て欲しいという親心で、細君の後ろから診察の様子を見守っていたが、サザンカの容姿にこれと言った特徴はないが、全体的に優しいという印象を与える佇まいでもあった。


ただ頬に一筋、傷跡の様な物もあったけれど、それもよく見なければ気が付かない程で、優しい雰囲気よりも個性を主張するものにはならなかった。


(ああ、でも"特徴的"になるかどうかは判らないが―――)

優しい雰囲気に合わせたような、柔らかく高くも低くもない"中間"の声がとても印象に残っていた。


『ほお、そんなに印象に残る声だったか。

で、サザンカ、夜も遅く―――いや、早すぎる朝にも関わらず、もう来てくれていたか、ありがとう』



そう言って寝室の前に辿り着き、扉を開いたなら、それまで闇に包まれている様な状態だったのが、室内は精霊の能力を使った灯を使われており、一気に明るくなる。

その光の強さにと明るさに、キルタンサンスの視界は眩む。


『お久ぶりでございます、陛下。

それとそちらは、国王陛下の護衛騎士でいらっしゃる方ですね。

本来なら謁見の申請を通さなければいけないのに、緊急事態ということで、ご容赦ください』


眼が眩みながらも、年数を跨いでいないが、随分久しぶりに聞こえる声を耳にした。


漸くぼやけた視界が確りとしてきたなら、長いローブを纏ったサザンカが、ダガーの椅子の背を止り木代わりにする鷲の側に、やはり優しい雰囲気で佇んでいた。


『陛下、僭越ながら先にイグの(あしゆび)の所に頼まれていた荷物を、仕立屋殿から預かっていたという2着のコートと、紋章も入れておきました』

『おおそうか、それなら早速イグを飛ばそう。

イグなら人の足なら丸一日かかる距離も、数時間で着くことは出来る』

そう言いながら、ダガーはまだカーテンを閉めている窓の方に向かい、手をかけた。


(―――陛下?)

キルタンサンスの気のせいでなければ、まだ暗く、夜空と例えるしかない景色を見上げるダガーの顔が著しく緊張していた。

だが直ぐに安堵する様にして小さく息を吐き出し、大きく広い窓を開く。


(ああ、そうか思えば"星空は苦手"と前に仰っていたな)


護衛騎士が納得していると、少しばかり土の匂いとぬるい温かさを感じさせる、空気が流れ込む様にして入って来る。


『―――曇り空の様ですね。西の方は随分と天気が悪いと聴いていましたが、こちらではまだ雨が降っていなくて良かった。イグ、それでは頼みましたよ。"賢者"殿の事は、知っていますね』

『ケエ!』


直ぐに納まったダガーの変調に気をかけながらも、サザンカと鷲の声で、キルタンサンスはそちらに振り向く。


ダガーは既にいつもの調子を取り戻した様子で、腰に手を当てて頷いていた。

鷲は大きな羽根を広げて、数度羽ばたいて、ダガーの立っている窓際の縁に今度は止まる。


『よし、それでは頼んだぞ』


ダガーの呼びかけには鳴き声を上げずに、趾に荷物を結わえた鷲はそのまま旅だった。


『イグは、私には挨拶や返事の鳴き声は余り返してくれないな』


ダガーが少しだけ残念そうに飛んで行った方向を見送っていると、サザンカも窓際によって闇夜の曇天の空を見上げる。


『巣から落ちた殆ど瀕死の雛のイグを拾って、治癒術をかけたのはロッツ様ですから。

私もお手伝いはしましたが、思えば間もなく12年程時間が過ぎます。

瀕死でしかも雛であったから、育つか不安でしたがロッツ様が、それは大層大切に可愛がられましたからね』


サザンカが懐かしそうに眼を細めながら、教え子で法王が可愛がっている鷲が飛んで行った方に視線を向けていた。


『雛の頃からは聞いていましたが、そんなに弱っていたのなら大変だったでしょう。

それで12年も一緒なら殆ど"親"の気持ちと変わらないでしょうね』

サザンカの話を聞き、思ったままの感想を述べた時、何か小さい物がダガーの手から落ちるのがキルタンサンスの視界に入った。


床に引かれている絨毯が、上等な為に、その落ちた衝撃と呼べるものでもないだろうが、音は吸い込まれるようにしてなかった。

多分、視界に入っていなかったなら落ちてしまった事にすら気が付かなかったと思える。


(陛下が落としたのは……あれは……手鏡?)


鈿細工(らでんざいく)に、睡蓮・鈴蘭・白百合が施されている美しく可愛らしい手鏡の様に見えた。


『―――陛下、落とされましたよ』


サザンカが直ぐに身を屈めて、それを拾い上げる。

ただ長いローブを身に着けている為に、拾い上げたなら手鏡に見える物は全く見えなくなった。


『ああ、ありがとう、サザンカ』


それはとても自然の流れにも見えたけれども、あれ程優しさを纏っていた様に見えた人の視線が、刃物の如く鋭くなるのを、護衛騎士は見逃さない。


(どうして?)


そんな疑問を浮かんだ時には、手鏡を手にしたサザンカの手が、ダガーに触れようとしていた。


『おおい、キルタンサンス、どうした?。剣の柄に手がかかっているぞ』


ダガーに声をかけられた時、剣の柄を握り、居合の踏み込みに身体が重心を傾けていた。


そして、その言葉に正気付いた様になったのは、サザンカの方だった。

それから直ぐに自分が手にしている螺鈿細工の手鏡に、視線を落とし、眼に見えて哀しそうな表情を浮かべる。

これには今度は剣の柄から手を外しながら、キルタンサンスの方が途方に暮れる。


(……何だ、前の法王とダガー陛下に何らかの確執の話なんて、諜報部隊の鳶目兎耳からすら聴いた事がないぞ)


ダガーに呼び止められる事がなかったなら、元僧侶で、自分の妻も尊敬している学者を斬り捨ててしまっている状況に、王を護衛するのが役割ながらも、なおも困惑する。


『ああ、これは鳶目兎耳ですら知らない情報だから、仕方がない。

というか、最も私情(プライベート)で、繊細な、護衛騎士のライヴ・ティンパニーの言う所の"バリケードな問題にゃ~"という奴だから、例え王の護衛だとしても、気にしなくていい』


心を拾い読める王様は、明快にそう口し、それから、サザンカの手にある螺鈿細工の手鏡を時分の方から、手に取った。

サザンカは小さく身体を揺らしたが、それ以上の反応は見せなかった。


『サザンカ、ありがとう、本当に大切な物だから、これはさっさとしまってしまおう。

それで、俺は苦手な星空が見えない内に、出発するとしようかな』


そう言うと、部屋の寝台の方に向かったなら、既に旅支度の道具が並べられていた。

ダガー・サンフラワーが星空を苦手な理由の詳細は、キルタンサンスも聴いている。



彼の生母であるトレニア・サンフラワーは、平定をしたその数年の後に原因も掴めない不治の病にかかる。


そして、最期の時を父であるグロリオーサと息子であるダガーの3人で、今は空室となっている王妃の寝室のバルコニーで、星空を見上げながら、その"旅立ち"を見送った。


その時から、ダガーは星空が苦手に―――"嫌い"になった。


丁度、月も新月の夜で流星群の時期。

母親の"旅立ち"を父親と共に見送りながら、流れ星が闇夜に沢山流れていくなか、幼い子供らしく涙と鼻水を垂れ流していた、と話して貰った。


―――まるで、流れ星が母を連れて行ってしまったみたい、あの時の俺は思ってしまったんだよなぁ。

―――それから、皆が季節の星空の風情を楽しんでいるのに、俺は楽しめなくなった。

―――星空を見る度に、どうしても大好きな母親を、連れ去られてしまったように思えて、仕方がなかった。

―――だが、折角皆が綺麗だという物が嫌いだというのも何だか悪い気がしてな。

―――結局、30数年を過ぎた今は、嫌いから何とか"苦手"になったんだ。


(この話も結構、私情で繊細(デリケート)な事だと思っていたが、あの螺鈿細工の手鏡の方が、陛下にとっては口に出して話せることじゃないというのか……)


拾い読まれても構わない気持ち胸に気持ちを思い浮かべていると、寝台に向かっていると思われたダガーの足先が向く方向を変える。

紫と黒の眼から視線を向けられてもそらさずに、見つめ返していた。


『キルタンサンス、この手鏡にかんしては、俺の独断は行えないんだよ。

例え、この国の王様でもだ。

俺が苦手な星空の話は"ダガー・サンフラワー個人"で済む話だろう。

だが、こいつについては、俺も当事者の関係者としての1人、そしてサザンカは傍観者として―――色んな関係者の繊細(デリケート)な部分を含んだ話なんだよ』


ダガーはそう告げ、手にした手鏡を自分の机の中に仕舞った。


『俺の独断で話す事で、傷つく者が出てくるかもしれない。

そういった話は、一般的にみても、例え"親友"だったとしても、何かしら状況に巻き込みそうにでもしない限り、簡単に話して良い物じゃないだろう』


ダガー・サンフラワーという人にしては、随分と理屈っぽい言い回しで、そう断言する。

それから旅支度の道具を置いている寝台の方に向かいながら、その途中にいるキルタンサンスの鎧を身に着けている肩を、寝室に音を響かせ叩いた。


『―――まあ、でもそんな込み入った情報は鳶目兎耳でも"隊長"(クラス)だったら、拾うんじゃなくて、匂いを嗅ぎつけて仕入れているかもしれないな』


鎧越しにも関わらず、英雄グランドール・マクガフィンとほぼ変わらない体躯をした国王から受けた打撃は、訓練において竹で作った模造刀で撃ち込まれた物より重く、痛みも伝えてくる。


『それは、私も未だにあった事のない、鳶目兎耳の隊長殿は先程の手鏡の事を知っているという事ですよね?』


身体の芯に届く様な痛みを、剣の柄と拳を握る事で堪えながら確認したなら、既に寝台に辿り着いた王様は寝間着を脱ぎ捨てていた。

そして褐色ではない以外は、自分の上司と非常によく似た筋肉のつけ方をした身体を晒す国王に訊ねる。

ただ訊ねた後、セリサンセウム王国の国王ダガー・サンフラワーの影武者である自分の上司のマクガフィン大将の方が"似せて"いるのだと自分の考え違いに気が付いた。


(守るべき、陛下の方が真似をしているなんて、失礼な事を考えてしまった)


自分の考え違いを反省していると、そこも拾い読んだ王様は、音で聞える程の苦笑いを浮かべ、口を開きながら旅支度を始める。


『人間、世話になって過ごした時間の長い、気の合う人を優先するのが、当たり前だろう?。

しかも仕事を片付けたなら、そそくさと理由も告げずに抜け穴から逃げ出す王様よりも、頼りがいのある褐色の大男。

ダン・リオンでも、オッサン兄さんと好漢の褐色大男なら、褐色大男の方を選ぶぞ。

後、影武者の身体造りについては、どちらが優先という物ではない。

治癒術師や医術の指導員(トレーナー)が互いの身体を見て、鍛える上で似た様に筋肉をつけているだけの話だ。

互いにどちらも、合わせやすい方にあわせている。

それで、似たような身体を造っている―――まあ、肌の色が決定的に違うから、一見同じ様には見えないけれどな。

ああ、それで近いうちに、王族護衛騎士隊、隊長殿にはそこの所の諸事情を話そうと考えた上での、"伏線"という事だ』

そうして言葉を口にしている間、着替えの手を一度も止めずにいたなら、ダガーの旅支度はすっかり整う。


『おっと、アレを忘れたらいかん!』


そう言って寝台の飾りでもある掛け布団を大きく捲っていた。

キルタンサンスの方と言えば、ダガーが身支度をしながら、色々と語られた内容を頭の中で纏める事に手一杯になっている。


("諸事情"を話すって、まだあった事がない、鳶目兎耳の隊長のことか?。

それとも、手鏡の方の事を言っているのか?。

それか、その2つの事を含めて諸事情って、事なのか?)


心の声を拾い読めている筈の王様は、考え込んでいる部下の声には触れずに自分の支度の仕上げにかかっていた。


『あれ、ないな?。こっそり持ってきて、取りあえずここに隠したからなあ……』


それなりに豪勢な刺繍が施された掛布団を、更に捲った先に、黒い毛の塊の塊があった。


『お、あったあった』

それは公務の時にはいつも身に着けている、長髪の装いになる為のかもじ)で、無造作に置かれてあった。


『ある意味、こっちが"セリサンセウム王国、国王ダガー・サンフラワー"の本体みたいなものだからな。


国の大半の者が、これを着けた姿じゃないと、王様の時の私―――俺がわからんだろうし、信用もしないからな』


そう言って、短髪の頭に、黒く艶やかな長い髢を乗せて、馴れた仕種で外れない様に装着し、手櫛を通す。

更に仕上げの様に既に身に着けている、背に斜め掛けにしている革の鞄から、"ダン・リオン"に変装をする際に使っている眼帯を身に着けて、紫の色を眼を覆い隠す。

眼帯には何やら魔術の仕掛けがされてあるらしく、心を拾い読める能力は、身に着ける事で抑え込まれてしまうと聴いていた。

だから、先程キルタンサンスが抱えた疑問には応えず、眼帯を着けたということは、


"心を拾い読める力を使ってまで話すつもりははない"


と、暗に伝えられているのと同じだった。

だが反応が冷たいともいう物でもなく、信用されている故に"自分で考えて欲しい"という気持ちを察する事が、数年の付き合いで出来る様になった。


(少なくとも、私という人が"考える事が出来る"と思われているなら、その信頼に応えなければならない)


『―――じゃあ、キルタンサンス、それに"サザンカ"』


もう一つの名前でこの場所にもう1人居たことを、キルタンサンスは素で思い出す。

先程、ダガーが手鏡を受け取った後から、イグを見送った窓辺で俯いたままでもある。


今回は名前を呼ばれた事で驚く事もなく、ゆっくりとやはり哀しく申し訳なさそうに、前法王は、今の国王に視線を向ける。

それから恭しく頭を下げ、"お気をつけて"、と短く見送りの言葉を口にした。


護衛騎士が、思わず手に剣をかけてしまう程、抱えていた"敵愾心(てきがいしん)"は、先程のダガーの言葉から、見事にこそげ落ちてしまっている。

それが見て取れたので、キルタンサンスはそのまま王様の旅立ちを見送る事にした。


(サザンカ様があの様子なら、もう必要以上に警戒をする必要もないだろうしな)


『それでは、ロブロウまで行ってくる。

今日は"抜け穴"を使えないから、昔みたいに窓からだ。

サザンカがいれば、ロッツも私が居なくても落ち着くだろうし、確か休息日があるから、その時は"見習い花屋のロップ"にして息抜きを頼む。

って、これは"サザンカ先生"が弟の為の考えてくれた事だったな』


窓の縁に、使い込んだのと手入れを行っている事で良い色を出している革靴の靴底をかけて、身軽にあがった。


『……いえ、私がそう言うカリキュラムを組めたのは、こういう風な対処をロッツ様が行えるのは、そのご家族が協力をしてくださった故です。決して、1人では行える物ではありませんでした』


少しずつ、元の優しさの中に佇む様なサザンカを取り戻しつつ、頭を下げている時、旅人の姿をしたダガー・サンフラワーはそのまま行ってしまった。


そしてキルタンサンスとサザンカの2人だけが、王様の私室に残される。

先程の出来事もあるので、場の空気という物は気まずいを通り越し、不穏と例えるしかない状態になっていた。


だが空気が悪い場所に居座るくらいなら、平然とこなせる護衛騎士は少し居心地が悪そうなサザンカを見つめて先程言われた言葉を考える。


(決して、悪い人ではないのだろうし、寧ろ良い人としか表現のしようがない御方でもある。

何より、子どもという存在に対して向ける慈しみは、疑いようのない物)


妻と共に、子育ての忠告(アドバイス)を拝聴した時、それを素直に受け入れる事が出来たのは、それまで培ってきたサザンカの自信と誇りも含まれているのを感じ取れる事が出来たからでもある。

だが国王を何が何でも護るという役目を担っている以上、先程、鋭くダガーに向けていた気持ちの"正体"も気になった。


"サザンカは傍観者として"


つい先ほど聞いた言葉が頭に巡った。



(あの螺鈿細工の手鏡に関しては、サザンカ様の事を含めて、慌てずに、時間をかけて知っていた方が、いいと判断したから、陛下はあの様な物の良い様をしたのだな―――)


幼い頃、コミュニケーションが不自由だった腹違いの弟の為に、自身の研究の為もあっただろうが自分の自由な時間までを削り、ロッツや国の子どもの教育の充実させるためにサザンカは努めていた話は、キルタンサンスも知っている。

ロッツの生母で、ダガーの母親であるトレニアが身罷ってから王妃になったスミレなどは、サザンカに対して涙を流す程感謝を抱いるという話もあった。


(ダガー陛下は、兄として"家族"として関わっているのだろうけれども、お子様の時代は互いに多忙で深く関わる時間などなかった。

更にご成人し、直ぐに大戦が起こり、それに対処していたから、その後もまたご多忙だった。そんな、ダガー陛下とサザンカ様のお二人に揉める様な時間を捜す方が難しい)


先程の光景を思い出す限り、サザンカはダガーに対し理性的に振る舞っていたが、もし俗に言われる"魔がさした"と言った状況になったなら、万が一という出来事が起きても不思議でない。

それくらいの気迫を感じ取れていた。

だから、気が付いた時には"魔"がさす、ささずに関わらず、無意識にキルタンサンスは、剣に手をかけていた。


("ダガー・サンフラワー"に向かって、とてつもなく大きな怒りを抱いていた)


ただサザンカがダガーに対し、怒りを抱いている理由を聞ける機会は当分取れそうにもなかった。


(次の状況に移るまで、サザンカが自分から口を開くことはないだろうし。

陛下も性急にするのは、避けた方が良いとの判断をされて、この場を後にされたしな)


だから、これまでの状況を自分なりに纏めておこうと考えていたのだが、その"黙っているだろう"という予想はあっさり裏切られる。


『―――あの、キルタンサンス殿。

もしかしたら、通信機を切断しているのでしょうか。

その、相手側からどうも応答を求められている様にうかがえるのですが……』

遠慮がちにではあるけれど、随分と調子を取り戻した優しい雰囲気の、例の柔らかい中間の声にそう語りかけられた。


『え?、ああ、本当だ、ありがとうございます』

慌て仕舞っている胸元に手を差し込み、取り出したなら、音は無音であるが、通信機填め込まれた、緑の色をした風の精霊石が、激しく瞬いていた。

『サザンカ様、ありがとうございます。少しばかり考え込んでいていました』

急いで、瞬き続ける通信機を作動させる為に、取り出しながら礼を口にする。


『……いいえ、どうやら護衛隊長殿を考え込ませてしまったのは、私の不徳が原因みたいですので。

お気になさらずに』


気まずそうにしながらも、自分よりも、元法王だった人は、実は調子を乱すようなことはまるでなく、心を落ち着いているのが伝わってくる。


(英雄であった法王と、英雄の息子で法王になる人の中継ぎが役目。

それだけの方と思われがちだが、仮にも英雄であった法王が、多くいる宗教家の中から、直々に指名するほどの実力は、持ち合わせていらっしゃるという事なんだろうな)

自分の浅慮さに溜息をつきたいのを堪えながら、通信機を始動させた―――。


『た、隊長!ちょっと大変なんですけれど!。

氷の精霊さん!ニブルさん!いきなり消えちゃったんですけれど!』


少しばかり感傷的になりそう気分を、吹き飛ばすようなミストの慌てふためく声が聞こえてきた。

それも随分近い場所で、実際聞こえている様な気もする。


『ロッツ様、デンドロビウム・ファレノシプス様に代わって、護衛をなさっているミスト・ランブラー様。

寝室の向こう側からお気を使わず、入って来てきてください』


『何だと?!』


サザンカが呼びかけた通り、実際ミストとロッツは声が聞こえる距離―――ダガー・サンフラワーの寝室の扉のすぐ側にいたらしい。

通信機を握りしめたまま、扉の方に振り返ったなら、先ずノックが響いた。


『サザンカ先生、ロップです、兄上のお部屋に入っても良いですか?』

見習い花屋のロップ―――一般人に変装している際に、振る舞う様に教えられた、礼儀正しい態度でロッツが"サザンカ先生"に尋ねる。


『はい、どうぞ』


サザンカも馴れた調子で返事をしたなら、"見習い花屋のロップ"に変装しているらしい、法王が自分で扉を開いて入って来た。

一般的な花屋の姿などキルタンサンスには判らないが、洒落たエプロンと大きな帽子に眼鏡をかけた"見習い花屋"が入ってくる。


ただ、"普通の花屋"では持っていないであろう、大きな飾りのついた杖を手にしていた。


『ああ、思えば"法王ロッツ"となるには、この杖は必須だったな。

で、ミスト。氷の精霊がいきなり消えたとは、どういう事なのだ?』


『どうもこうも、本当にいきなり消えちゃったんですけれど!』

杖を持った"見習い花屋のロップ"の後ろから、通信機を手にしたまま、ミストが大いに慌てながら、再びそう告げる。


『取りあえず、通信機を切れ。慌てているのはわかるが今喋っているのと、通信機を通じて聞こえてくるのが重なって、喧しい』

『あ、はい、わかりました!』


慌てながらも、ミストが通信機を切断している内に、見習い花屋の方は、落ち着いて"サザンカ先生"の方へと杖を手にしたまま進んで行く。


(法王猊下の方は、慌てている様子もない。ディンファレの言っていたとおり、そういった事が前にもあると予測出来ていたのだろうな)


王族護衛騎士で、唯一護衛対象を1人で守っている女性騎士は、"法王ロッツ"の家族と同等の理解を持ち合わせているのは、隊長として掌握している。


―――"初めて"の事には大抵気持ちを乱されます。

―――ですが、前以て予習をしておいたなら、大体は大丈夫です。

―――ただ、やはり少しばかりストレスにもなるみたいなので、その後に解消の処置も必要です。

―――最近は、ご自分でも少しばかり対処の仕方が判ってきているご様子で、前以て解消の準備は出来る様子です。


隊長についたばかりの頃、"法王ロッツ"についての"背景"についてまで、よく知らなかったキルタンサンスが尋ねたなら、日頃冷淡と噂される美女は気持ち言葉も柔らかく感じる程、丁寧に話し、説明してくれた。


―――最年少で王族護衛騎士隊に入隊した当初は、彼女の実家が国の経済の一部を担う程の富豪であるから優遇されている。

―――だから対人関係は苦手だが、性格が穏やかな法王の護衛になれたのだ。


そんな"陰口"を叩かれているのを知っているで、"隊長"としてはそちらの方を心配していたので、彼女の凛とした姿に、直ぐに杞憂にすることが出来た。

単純に"優秀"だから、国王の弟にあたる法王の護衛騎士に選ばれたのが良く判った。


彼女の逞しい気持ちに信用と信頼を抱きながら、ロッツの日常の過ごし方を聞いていた。


そして突発的な出来事に対する対処の話を聞いた際に

"前もってストレス解消の準備が出来るなら、その原因が起こる前に、取り除く事は出来ないのか?"

という意見を思いついたけれども、言葉には出さなかった。


もし、出来る力が備わっていたなら、きっとしているという考えが追いかける様に頭に浮かんだからだった。

そうする事が出来ないのが、一般的なコミュニケーションの不得手な法王なりの、精一杯の対処なのだと浮かんだ考えと、共に理解する。

そんな中で周りに迷惑をかけない様にと、その後の事を、自分で出来る限りの能力で懸命にこなす。


個人的にキルタンサンスは、それで充分だと思えた。

"やれば出来る"という言葉が、使いようによっては、必要以上の無理を相手に強いる事になるのを、理解しているつもりはある。


少なくとも、行っている努力を感じさせる人に、それ以上の要求はする必要は、当人が望まない限りないと考えている。



―――隊長は、今もでしょうが、これからも良い親御さんとなっていくのでしょうね。


そんな考え事をしつつ、一部意見をしたくなるような箇所があったけれども、一度も言葉を挟まず、ディンファレの"法王ロッツ"の説明を聞き終えた時、キルタンサンスはディンファレにそう言われた。


(まあ。とりあえずあの時、ディンファレに"褒められた"様に、ミントの話を最後まで聞いてみるか)


幸い、ロッツの方はサザンカの方に気持ちを集中させている。

少しばかり耳を澄ませたなら、背はロッツの方が高いながらも、まるで幼い童の様に、"先生"に尋ね事をしている。


『先生、今の時間の挨拶は"こんばんは"でしょうか、"おはようございます"でしょうか』

『もうすぐ日も昇りますから、おはようございますでいいです。

……ここに来る前の、御散歩に行きますのカードを、ちゃんと机に置いてきましたか?』



はっきりと短く内容を纏めて、ロッツが理解出来る答えで、今度はサザンカが質問をする。


『はい、ちゃんと兄上の部屋にいるとしてきました。

それと、法王の仕事の服を持ってきました。

着るのを手伝ってください』


そう答えたなら、ミストに振り返ると、代理の護衛騎士の方も気が付いて、帯剣している箇所に隠れる様にひっかけていた風呂敷包を外して、献上する。


サザンカがそれを受け取って、見習い花屋のロップに"着替えましょう"と告げた。


『それでは、私はロップ様を"ロッツ様"に戻してきますので』

『またお着替えします。洗面室に行きます』


2人が王の私室を後にした後、キルタンサンスは取りあえず部下が一番気にしている不安を取り除く様に口を開く。

『とりあえず、氷の精霊に関しては、我々は管轄外だから、気にしなくていい』


はっきり断言すると、一応王室護衛騎士隊では、ディンファレに次ぐ剣の腕前を持っている女性騎士は大きく息を吐き出して安堵する。


『こういったことが、責任が連帯責任とかにまでならなくて良かったんですけれど……でもどうして、いきなり消えちゃったんでしょうか?』


一番の心配が消えたなら、ミストとしてもやはり突如として消えてしまった氷の精霊の事が気になっている様子だった。


『部屋をこっそり出て、あの"法王"様の衣が入っている風呂敷包も"ワタシガ持ツ!"って、張り切っていたんですけれど。

何か、ロッツ様がこちらに来ると決まった時から、私にもそれなりに打ち解けてくれたみたいで、通信機が使えない間は色んな事を話してくれたんですよ』


急激に縮まった精霊との距離は、元々面倒見の良い、女性騎士の間で何かと相談されるミストの心配を沸き立たせていた。

部下が情に厚いのを知っているキルタンサンスは、その気持ちに同調して、更に情報を引き出す為の言葉をかける。


『成人した女性の姿見に反して、中身がとても幼くて、意地っ張りみたいだからな。

でも、打ち解けたならとても素直になりそうな印象は強かった。

で、消えた時のその詳細を話してくれ』



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