断章3
”賢者という存在になる前は、「旅人」と名乗るといった話は、聞いた事はあるのだろうか、旅人殿?"
これまでにない、平坦な声の調子でそう訊ねられた。
"ええ、私の故郷では有名な事です。まあ、殆どの者がある条件がそろわないので、気楽に"旅人"のままで終わるという話でもあります"
ずぶ濡れになって戻って来たサブノックの王の客人である旅人は、王宮に入る前にある程度絞って本来なら王宮の近習が纏う装束を、客室で脱ぎ、背面だけではあるけれども素肌を晒し、不貞不貞しく、けれど少しだけ寂しそうにそう語る。
ただ薄暗くなった部屋の中では、友達に自分の背は見えたとしても、表情は見えていないだろうと旅人は思った。
(ある意味では、これまでの"ツケ"が巡ってきたようなものなんだろうな)
出来る事なら、自分が賢者のきっかけになるだろう想いに、気が付かないまま旅人のままで、後ろに佇む人と友人でいたかった。
(国の産まれる瞬間もこの眼で実際に拝んだ事だし、早い内に、何やら理由をつけて、
いつかまた必ず訪れるから、それにもし何らかの形で連絡をくれたなら、何としてでも連絡を寄越すから、
となんて、適当な言葉を並べて、この国を旅立つことも出来ていた筈なのに。
実際は無意識に自分に"まだ調べられる事がある、興味がある"終わりの時を誤魔化して、育っていた気持ちから、視線を逸らしていただけなんだろうけれど)
興味を持ったならとことん調べるけれども、満足してしまったなら、相手には残酷だと感じてしまえる程あっさりとその身を翻して、次に興味がある物にしか、眼を向けない。
それは対象が人であったのなら、興味が尽きるまでは無二の親友のように関係を続けていたのに、それが"終わって"しまったなら、向けていた情熱が冷めて行く。
興味を持っていた事への熱も、その興味に付き合ってくれていた感謝の情もある。
だからこそ、「終わって」しまったなら、自分の冷めたその態度が相手を傷つけない内に、その場所や対象から、感謝の言葉を豊富な言葉で綴って離れてきた。
見方によっては、逃げるように離れて行く自分がとてつもなく冷たく、恩知らずと言われても仕方ないと行動を相手にとっているのも理解している。
終わりがくるその時まで、旅人自身も本当に楽しいと思えるし、出逢った事の感謝はあっても、後悔も微塵もない。
でも、終わりと同時にその気持ちをまるで裏返す様に、"興味が無いし、続けたい縁とも思えない対象に、どうしてこれ以上一緒にいて、接しなければいけないのかが判らない"という気持ちを抱えてしまう。
けれど、その理屈を受け入れているのは自分だけである事が殆どで、旅立ちを告げたなら相手から注がれる視線は、いつも物悲しい物になる。
相手はこれまでみたいな―――旅人がその場所で研究をするに当たって、親密になるような付き合いを何を求めるわけではない。
ただ一緒にいるだけでも良いと、深く関わりを持たなくて良いから、様々形でもって伝えられた。
そして、よく言われるのが「貴方の事を、家族のように思っていたのに」という言葉だった。
性別が相手に伝わっている時は同性、異性に限らず、姉のように、妹のように、そして相手が年嵩の人だったなら娘のように、という言葉を語り掛けられる。
不思議と今陥っている想いを抱くような、そういう対象には見られることはなかった。
(ああ、でも、"そういう事"だから、旅人はという存在が暦の中で際立って残ったという事もあったのかもしれない)
決してどこにも、馴染んで溶け込む事はない。
その旅先で誰にどんなに気持ちを告げられ、もしかしたら自分がその想いに受けいれ、その土地に残る事になったなら、旅人はそこで旅人でなくなってしまう。
(じゃあ、賢者はなんだと言うのだろう?。
どこで、その土地で馴染み溶け込んでしまう事もなく、旅人いう"括り"をなくして、賢者という存在を確立しているんだ)
"……今日、ヘンルーダの国王から、国となったなら賢者を迎えた方が良いと忠告を頂いた"
それから少しだけ、小さく喉を鳴る音が薄暗くなっている来賓室の中に漏れる。
"……私は、旅人が賢者になれるというのなら、是非とも貴女にその賢者になって欲しいと考えている。
もし、貴女が、"ある条件"がそろわないので、気楽に旅人のままで、人としての生涯を終えると事を望んだとしてもだ"
平坦だった声が、話しを進める内に熱がこもって行くのを不思議と感じ取って、ずぶ濡れだった近習の服を着ていた為に冷えていた身体から、冷えが引いて行っていた。
"―――中々、物騒な事を仰いますね。
いつもの貴方というか、武人を基にしたサブノックの王様にしては穏やか過ぎると評されているのにも、関わらず本当に物騒だ―――?!"
少しだけ意識して、飄々とした雰囲気を滲ませながらからかう様な口調で脱いだ衣服で、胸元を隠しながら、旅人は振り返ると、いつの間にか距離を詰めたこの国の王様が立っている。
"……どうして、賢者がいた方が良いという事を、旅人は賢者になれるという事を隠していた?"
正面で近距離に迫っているのに内心驚きつつ、辛うじて表には出さずに飄々とした雰囲気を崩さない様に努めながら、立ち上がったなら見上げる形になる友人に、隠していた理由を口にする。
"……私は、「友達」だからといって、そこまで腹を割って話すような性分ではない。
それに賢者になるというのは、様々な諸条件が揃わないといけない事だ。それにいつも穏やかな人が、珍しく強引に迫ってきたとしても、なれるかどうか判らない物を進める程、私は無責任にもなれないんです”
それは、旅人の本人が生来、抱えている性分でもあった。
短く説明された性分ながらも、納得できるものがあったのか、この国の王様の声を通してでも感じていた熱も、僅かに冷ます効果の手応えを得た旅人は、更に言葉を紡ぎ出す 。
"私は、自分の荷物や課題はというものは、自分で背負っておくか、自力で片づけないと気が済まない質だ。
それが重すぎて、うっかり話して手助けでもされたなら、達成感を奪われてしまったと思うような、偏屈者の自負もある。
それに、友達である王様になった貴方に、
「旅人は賢者になれる、賢者は国を長く続く為に必須の存在だ」
だなんて告げたなら、まるで私が自分で売り込む商人みたいになってしまう。
それも、嫌なんです"
友達だからと思うから、"嫌だ"と考えていることをはっきり答えて口にする。
"私は、旅人であって商人ではない。ただ、別に商人を批判している訳ではない。
私が研究をしてその成果を買って貰うのも、商人が仕入れた商品を売り込んで品物を買ってもらうのは、結局は同じ業だ。
違いがある云々の話じゃあない。
でも、一緒にしてはいけない事でもあると思っている。
だから尚更、私は出来ないかもしれないけれど、国を代表する存在になっている友人に言葉を使って、なれるかもしれない程度の自分を売り込むような事は、できない"
早口にそう言いきり、「私は気楽にずっと友達の関係でいたかった」という言葉を、口には出さない。
あの絵本の"見えなかった頁"が見えるようになってしまった今となっては、その気持ちも嘘になってしまうのは自覚出来ている。
そして、何よりもあと一歩でも距離を詰めたなら、触れそうな位置にいる友人に対して限りなく意識している。
"私は出逢ったのは最近だとしても、旅人としてやってきた貴女と、友人としての時間をそれなりの関係を築けたと思っていた。
性別に関しても、伏せる事で私を信じて臣下になってくれている者や、一族の長である父親に進められた妻達を、結果的に謀る事になっても、貴女と私の関係が強くなるような気がしたから、続けられた。
私は、不公平な事が本当に嫌いだ。
だけれど、貴女と秘密を共有するのは楽しんでしまっていた。
多分、この秘密を抱え続けても、外からやって来た友達である貴女が相手なら、この国の民に対して平等に旅人の性別を伏せているだけだと、勝手な解釈をしているところもあると思う。
旅人として、貴女と秘密の約束を共にする事に躊躇いもなかったし、後悔すらしていない。
そして、秘密もそんな大それたことをしているものではなくて、幼い子ども同士がする約束みたいなものだ。
―――それは今でも、同じだ"
薄暗い中で、珍しく口元を歪めて穏やかな人が、自分の方針を打ち消して戸惑い動揺しながら、「らしくない事をしている」旨を、友達に伝えているのが旅人には判る。
(……ああ、もしかしたなら)
王様になってしまった友人も、どういう因果化しらないけれど、恐らくは旅人と同じ様にヘンルーダの国の人と話した事で、”気が付いた"ばかりの状況だと旅人は考えている。
(戦ではなく、芸術のアプロディタという女神に守られている国の人と交わした言葉で、私も王様も琴線を弾かれたという事もあるのかな)
そして、その弾かれた衝動のそのままに、友人である自分の所にやって来た。
(でも、互いに琴線を弾かれて気が付いた所で、最初から立場が違い過ぎるよ、王様)
友に対して胸の内でそんな事を思っている間に、夕立で冷えきっていた身体は、迫っている友人の言葉で温まり、そして落ち着いたなら自然と唇が開いていた。
"―――私も性別を伏せて、貴方と同性と周囲に勘違いさせることで、この国で王様の友人として行動をしやすくなると思ったし、実際にそうだった。
だから、貴方が賛同してくれるのは本当に有難かった。
けれども、少なくとも公平を好み、不公平な事を嫌う人にその事を貫き通せみたいに、"強要"をしていたつもりはない"
"―――!、私だってその事を友達である貴女に恩に着せるつもりはない!、着せるつもりはない。
だけれども―――"
薄暗い中で、友人である自分に向けて動かしている口元の形が哀しくも、"愛しい"と見えて仕方なくなった瞬間、旅人は胸元を抑えていないの方の手で抑える。
身体の芯の方は熱が戻っている様に思っていたけれど、末端の指先は冷えていたらしく、張りのある肌を覆うように触れたなら温かさが伝わって来た。
対して、友人にはその指先の冷たさが伝わった瞬間に、唇を含めてすべての動きを止めてしまったが、青い眼からいろんな感情が合わさった視線を注がれているのに気がつく。
旅人の見上げる位置にあるその目に向かって、旅人は小さく口の端を上げていた。
(……思えば、私の方から触れるのは、初めてだ。とは言っても、直に触れたのは前は行き倒れて、抱えられて貰った時以来かな)
そんな事を考えながら、拾い読んでいた友人で王様である人の気持ちを、口の端を下げぬままその先を口にする。
"恩に着せるつもりはないのだけれども、友人という関係なら何にしても
「どうして、ずっと傍にいてくれる方法があるのなら、冗談にしてもどんな形だとしても話してくれなかった」
という、悔しいような気持ちが、抑えられないという事なんですね"
そう旅人が"友人の気持ち"を言葉に出したなら、口元を抑えられたまま、王様になった友人は頷いたのを確認したのなら、「失礼しました」と返事をして直ぐに手を降ろした。
サブノックの王という立場となる友人は、自分の口元を抑えていた旅人の手を見つめつづけ、揃える様に視線を落としたのを確認して話を続ける。
"その事を口にしなかった理由はさっきも言った通り、賢者になれるという確証がないからです。
そして、賢者になれない私は、恐らくそのまま旅人でいて、サブノックという国の誕生を見終えた事で、その研究をまとめたなら新たな研究対象を捜しに旅立ちます。
旅人である以上、同じ場所に留まるという事はどうしても出来ない。
けれど、取り合えず、自分が「死ぬまで」くらいは、相手が―――貴方が許してくれるなら、図々しい友人の関係でいるつもりはあるんです。
それで、もし相談をされたいというのなら、例え離れたとしても、これまでの知恵でと魔術でもって連絡手段を確立して、この国を旅立ちます。
ただ話を聞いて欲しいのなら、頻繁ではありませんがこのサブノックという国に戻ってきて、話しを伺うのは吝かでもない"
何にしても側にいて欲しいとい友人の我儘と、出来る事なら縁を途絶えることなく、けれども自由にやりたい事をやらせて欲しい自分の性を口にしながら、そ更に伝える。
"貴方が病や落ち込んでいるというのなら、それこそ世界中を歩き回り旅した事で培った智恵で、貴方と―――貴方の国を助けましょう。
けれど貴方は私に出来る事なら、ここに留まっていて欲しいという。
そこは互いに少しばかり、価値観や認識のズレはあるにしても、友人として支え合いたいという気持ちは同じだとお思います"
でも、少なくとも貴方がこの国の王となる事で最初に喜んだのは、私の様な旅人が安心して訪れる事が出来る国だったのではないのですか?。
それとも、私の語った国の魅力だけでは、もうもの足りませんか?"
その言葉にどうしてだか傷ついた表情を浮かべたなら、それに伴って旅人の友人のしている格好に漸く気が付いた様に、視線を取りあえず正面からは逸らし、自分の足元を移した。
そして、自分より一回りの小さい、極彩色の絨毯の上にある足を見比べたなら、サブノックの王となる人は俯いたまま口を開く。
"今でも、嬉しいし、この国の王として、貴女が「空っぽの鞄」を見せて言ってくれたその言葉が、この国が「安全」という言葉は、この国の王となった私にとって誇りになっていると思う"
―――私は安全は旅をする上で、十分魅力的な要素だと思う。
―――こんな食料を持たずに旅をするうっかり者ではあるけれど、加えてこの手荷物を見てほしい。
―――武器らしい武器も、持ってはいないだろう?。
―――前以てこの国は、旅を楽しむに最低限な道具だけ持って行けばいい、誇り高い武人が国を造ろうとしている。
―――下手な悪漢などいない大丈夫、そう考えて身軽にやってこれた。
出逢った旅人が評してくれた言葉を思い出しながら、そんな返事をする。
"でも、その言葉は―――「外」からやってきてくれた、旅人が口にしてくれたから、私は心の底から、安堵で来た。
国の臣下になってくれた、何かしらで縁が繋がってしまっている存在ではなくて、私の知らない外の世界からやってきてくれた人が口にしたからこそ、"サブノックの王"としての自分が信用出来た―――?"
そこまで口にした時、不意に何かにサブノックの王はどこからか、視線を感じ、俯いていた頭をあげる。
"……どうか、しましたか?"
旅人も急に王様の様子の変わった事に気が付つき、声をかけたたなら、その視線が自分の肩越しに薄暗い部屋の奥の方を見ている事に気が付く。
"……あ"
そして、その視線の先がつい先程自分が置いた物の場所に旅人が気が付き、思わず声を漏らしたのなら、友人に素肌でもある肩に手を置かれた。
"―――わっ"
手を置かれた事にも驚いたのだけれども、武人の国の王に選ばれるだけあるので、1人旅を続けられる程度の体術を心得ている旅人でも、何も抵抗もする間もなく簡単に身体を反転させられる。
だが、身体を反転させられた旅人も王様も、それよりも様子の見た眼は何ら変化がないのに、何かしらを―――サブノックの王には、視線と例える物を発している絵本の方に注目を注いでいた。
その絵本は、旅人が先程安置した極彩色の絨毯の上に置かれたままであった。
"あれは確か、……空っぽの鞄と言いながらも、入っていた―――何かの書物というか、絵本ですよね。
……今までのような話をした後に時になんですけれども、あれは、魔法の道具か何かなのですか?。
確か、初めて出会った時も、貴女の数少ない荷物の中に入ってたのだから、それなりに重要で大切な物なのでしょうか?"
幾ら安全だからといっても、食料すら携えずに訪れた旅人の鞄の中に入っていたから、サブノックの王となった人も心の隅の方で少しは気になっていた。
けれども、衝撃が強すぎる行き倒れの旅人との出逢いと、その後の語らいの楽しさに気持ちは向いてしまって、頭の隅の方に置き去りにしままになっていた。
一方の旅人は、肩を抱かれている状況に以上に、絵本のについて友人が気がついた事に緊張と動揺をしつつも応える。
"……詳しくは私も、判らないのです。ただ、私―――ヘンルーダの王様にあったなら、お聞きになったかもしれませんが、あちらの国の賢者と私は同郷の集落の出身で……。
そして「賢者になる為には」、必要な道具なのだと昔から伝えられています―――わっ"
『賢者になる為に必要な道具』
その言葉を聞いた瞬間に、今まで見せたことのない俊敏な動きで、サブノックの王はつい先程は抱くようにしていた旅人の両肩を正面に掴むようにして、体を正面して向かい会う。旅人は向きあった瞬間に思わず見上げていた。
ただ見上げて、友人のその顔を見た瞬間に、「貴女にその賢者になって欲しいと考えている」という気持ちを、強く感じ取ってしまえて、その直後に口を開いていた。
"でも、必要な道具という事だけで、それ以上はわからない。
「この絵本をどう使う事で、賢者になれる」のか知らない。
そして、【賢者はなりたくてなれるものではない】とも言い伝えられいる"
自分が賢者になれるだろうという、予感はしているけれど旅人は、まだ口に出す事は出来ない。
同郷で信頼も出来るヘンルーダの賢者となった人から、『十中八九貴女はサブノックという国の賢者になれるだろう』と告げられていたけれども、その『賢者になれる時期』までは明言されてはいない。
もしかしたなら、"友人が王の在位である内には、賢者になれないかもしれない"という可能性が自分の中で否定で着なくて、言い出せない。
ヘンルーダの賢者は年齢的には、数年年上ぐらいだが、彼は旅人以上に飄々として不貞不貞しい人物でもあったけれども―――群を抜いて故郷の集落と、その一族の中でも優秀な人物でもあった。
だから彼と彼の一族が、故郷の集落の離れ、そして"絵本の仕組み"を読解しヘンルーダ国に召し抱えられるように賢者になった事に、不思議はない様に思えている。
ただ、その彼を除いた"賢者"となった人達は、もう何十年と旅人を続けて、やっとその"極み"にまで辿り着いた者しかいなかった。
だから、『賢者になれる』という言葉をかけられても、直ぐには信じられないしそれは"今"もそうだった。
そんな言葉には出来ない複雑な気持ちを込めて、一気に言い終えた瞬間に、肩を掴むサブノックの王の力も旅人の自分に注がれる視線の強さも弱まった様な気がした。
"―――それは、本当の事なのですか?。賢者に、サブノックの国の賢者になりたくないからと、嘘―――"
サブノックの王が「賢者になりたくないから」と口にした瞬間に、旅人は眼を開き、胸元抑えている手を離して、正面にいる友人の頬を叩いていた。
そして叩いた方も叩かれた方も、暫く互いに見つめあって呆ける。
寧ろ叩いた方が、茫然として激しく瞬きをしていたので、叩かれた方が心配をする程だった。
"……手は大丈夫ですか"
"私は、貴方に、友人に嘘をつくにしても、そんな嘘をつかない"
されている心配を押し返す様にして、晒を巻いている胸元を隠さずにそう言い返す。
頬を叩いてしまった衝動に乗せて、今まで押し留めていた、自分の情けないと思える部分を旅人は一気に晒すことにする。
"ただ、貴方が望むとおり私が賢者になれたにしても、この国の―――武人から集って始まったこの国に、相応しいのかもどうか。
産まれたばかりではあるけれど、武を元にして成り立っているという誇り高い国の王になる貴方を支える、賢者に仮になれたとしても、小賢しい私は逆に足を引っ張りかねない。
それが、賢者になるのが厭どうこうよりも、"友人"として嫌なのです"
ただ衝動の勢いの方は持続せず、最後の方は少しばかり声が窄んでしまったが、友人の耳には届くように、旅人は振り絞って言葉を出し終え、相手を見上げた。
するとそこには、毒気を抜かれたという例えが合っているのかわからないが、偉くスッキリとした様子の、少しばかり旅人が頬を叩いた痕の残る、サブノックの王の顔があって旅人の方が、面食らう事になる。
"……貴女が賢者になる事で、高い確率で私が王となる国に、迷惑をかけるかもしれないのに、安請け合いはしたくはない。
そういう事で、貴女は私が王となった国の賢者になりたくはないと考えていたという事なんですか"
旅人にとっては、人の良すぎるような王の 自分の「泣き言」への解釈に、思わず小さく丸く口を開けた後に、脱力する様に小さく息を吐き出してしまっていた。
けれどもその王の好意的な解釈を反芻したなら、"その通り"だとも思って頷いて、「サブノックに相応しい賢者」についての自分の意見を口にする。
"個人的な考えですが、サブノックの王の賢者になる人には、幾ら親しいとは言ってもヘンルーダの国の賢者に比べられて、力不足になるような存在ではいけない。
優劣をつけるものでもないのですが、彼は本当に賢い。
決して、敵ではないだけれども、気を抜いて相手をしてもいい存在でもない"
"同郷だというのに、結構な仰り様だ"
旅人の意見に、今度は王の方が少しばかり気圧される様に感想を述べた。
"一族の派閥こそ違いますが、同郷なればこそ、尊敬しているし―――恐れてもいます"
同郷の隣国のヘンルーダの賢者になった人は、決して誕生したばかりのサブノックという国に対して、不義理はしない。
けれども、徹底的に利用する事も躊躇わない。
ただ、ヘンルーダの国の王様の為に、自分がどういう風に評価されようとも構わないくらいの覚悟が、その腹に座っており、考え及ばない搦め手でサブノックに不利益を与えずに、利益を捻出すり同郷の者の想像できた。
"それでは貴女がうちの国の賢者になるかどうかは、置いておいて、良かったらヘンルーダの賢者殿の話を少しばかり聞かせて貰えないだろうか。
ヘンルーダの王の方から彼の話は簡単に聞いたが、詳細は知らないんだ"
”私も、同郷といいうだけで、そこまで知っているわけではないのですが―――”
そこで旅人は、時間的にはさほど前ではないけれどもヘンルーダの賢者と交わした文言を含め友人となる王に、人となりを報告すると、何かしら感じるところがあるのか、よく相槌を打っていた。
一通り聞き終えてた後に、仕上の様に頷いたなら、徐に上着を脱いだので、旅人の方が俄かに緊張するが、普通に「冷えるといけないから」と肩にかけた後に、話しの感想述べ始める。
"―――成程、ヘンルーダの王は建国されたばかりのサブノックを気遣う様に仰っていた上で、国に賢者を迎える事は薦めてはいたとばかりに思っていたが……。
貴女からの賢者の話を聞くにつれ、思うのだが、恐らくは御自身の国の賢者の自慢の意味も込められていたのだろうな”
旅人の方と言えば、緊張した自分がどうしてだか気恥ずかしくなりながらも、「友人は6人の夫人を娶っている」という事実を思い出しながら、冷静を努めながらその言葉に頷き、去り際の発言を思い返していた。
―――私とヘンルーダの王の関係は臣下である前に友達でもあるという事を強調させて貰おうか。
―――政を挟まないという条件の上でなら、一番気楽に言葉を交わせる相手だと、国が公認で認めくれている様な王と賢者の友人の関係だ。
―――誰にも、文句は言わせられないいや、「言わせない」かな。
"貴女を相手に、性差の話をするのはするのはなんだけれども、「男が男に惚れる」といった感じで、ヘンルーダの王と賢者殿はどうやら強い繋がりがある様だ"
上着を脱いだサブノックの王が、一応異性である友人にそう語ると、旅人の方は確りと頷いていた。
"―――仮に私が賢者となったなら、サブノックの国で誰にも文句を言わせないという事が、先ず無理ですからね"
"―――やはり、気が付いていたのですね"
自分の言葉に直ぐに申し訳なさそうな反応をしめす王様に、旅人は苦笑いを浮かべて頭を左右に振って口を開く。
"特に、何を言われるわけでも、被害を受けているわけでもないです。
けれど「旅人が不信そうに見える程」、前は荒んでいた王様が「落ち着いてきた」事の証拠でもあったと思うから、ある意味では正常な状態だと思います。
私は、本来はサブノックという国に紛れ込んだ旅人、格好つけた言い方をするなら異分子ですから"
異分子という言葉に、この国の代表ともなる人が、哀しそうな表情を浮かべたのにも関わらず、旅人の方は飄々と続ける。
"ただ、私も近習の装束を身に着ける以外は、この地域の文化に溶け込もうという努力もせずに、性別を敢えて伏せて行動している所もあります。
幸い性別は誤魔化せているし、貴方のその態度で周囲は変な見方をするという事は無い様ですが、胡散臭いという部分を私自身でも禁じ得ない。
王となる貴方が友人と称して連れて帰らなかったなら、国に訪れた旅人してある程度の逗留は許してはくれるでしょうが、出来れば早く旅立って欲しいでしょう。
武人が集って建国され、誇りとするサブノックという国です。
私は、自惚れではなく、ある程度自分がそれなりの知恵を蓄えているのは弁えているつもりですが、同時にこの武を尊ぶ場所にはそぐわない所もあると、自覚しています。
俗な表現となりますが、女のくせに小賢しいというところです。
仮にもし、私が女であることが慎ましやかな女性であること一般的な文化として根付いているこの場所でばれてしまったのなら、その後が冗談抜きで恐ろしい"
旅人が苦みを思わせる表情を浮かべていたなら、サブノックの友人は確りそれを感じ取って頷く。
"―――それは、確かに、否定できない。
私も、貴女が異性でありながらも、こういった会話が出来るのも、やはり「外からやって来た人物」だからという部分が多きい。
多分、もし自分の国の御婦人が貴方の様な振る舞いを見せたなら、やはり怪訝な表情を浮かべてしまうでしょう"
この返答には思わず声を漏らす形で、旅人が苦笑いをしてしまっていた。
"正直ですね、でも、それは仕方ない事だと思います。大人になるまで身近で培った価値観は、簡単に変えられないものです"
そう言いながら、サブノックの王が見る限り器用に見える両手の掌を見せながら、旅人は話を続ける。
" 私なりの例えですれども、ずっと右利きだったものを左に変えて同じ様にしろ言っているような感覚に近い物です。
物凄く器用な人物なら、どちらも同じ様に出来るんでしょうけれども、大方は利き手とは比べ物にもならない程、不細工な結果となるでしょう。
訓練を積み重ねれば、何とかなるかもしれませんが、それには時間も手間もかかる。
その手間をかける時間に、利き手からより多くの素晴らしい物を産み出すかもしれない。
それなら、利き手でない方を訓練をするの時間の方が無駄になる"
不細工という例えに、今度はサブノックの王が声を漏らして吹き出してしまったが、直ぐにそれを引っ込めた後に、眼前にある旅人の手を改めて見つめて口を開く。
"偉く遠回しに、「サブノックは変わらなくても良い」という例えをありがとう。
だが、国の王としてはやはり「万が一の時の為」、無駄に使っても良いと思われる時間に訓練を行おうと思う。
例え結果的に無駄になったとしても、「取り組んで行わなった」という後悔をしないだけの糧になる"
"―――そう言った心構えがあるからこそ、サブノックという国は貴方を王様に選んだのでしょう"
―――だからこそ、例え自分にこの国の賢者になることが出来るとしても、叶うならその前にもっと素晴らしい賢者に、この国と、その王様を支えて欲しいと思う。
旅人が黙った事で、何かしら考え込んでしまいそうな雰囲気だと察した王がそれを遮る様に口から、先程の話しで考えついた言葉を口にする。
"ところで貴方の様な旅人や、ヘンルーダの賢者になったという方は、きっと、"利き手"でなくてもそういった―――違う価値観も受け入れてしまいそうだ"
"それは、ある意味では、私達の故郷の集落で済む者には"必須"の性質なんです。
加えて、拘らない、執着しない、でも否定も肯定もしない。
ただ、目の前で起こる事象を起こった出来事として受け入れて、川の流れ見る様に見届ける。
そうして最後には、浄らかな河のほとりと樹の木陰の涼しい場所に座って瞑想に入ると次第に求める思想が明らかになってきて、"暁の明星の輝き"を見た刹那、ついに覚りを開いて、「旅人」となると言われています"
そう言いながら、旅人はどうせならと絵本を友人に見せてみようと、身を屈め手を伸ばす。
必須の性質という言葉に軽く驚きながらも、自分の上着を羽織った友人が絵本に手を伸ばす、こうやって見ると小柄なその背に、サブノックの王は声をかける。
"覚りを「得る」というのですか?、しかも話を聞く限り最終的には「賢者」ではなく「旅人」という事ですよね。
でも、それだとこれまでの話しの流れからしたなら、個人的には賢者という存在の方が立場が上というか、覚りに近づいている印象を受ける。
それでいて最終的の目標は、賢者ではなくて旅人なのですか?。
その、今でも一応貴女は賢者ではないが旅人ではあるのだから、もしかしたなら目標に届向かっているという事はないのですか?"
友人のその言葉に、絵本を触れる直前になっている指先を旅人が止め、少しばかり考えながら口を開く。
"……確かに、私は旅人ではあるし、先程ヘンルーダの賢者殿共々お褒めに預かった様に、どちらかと言えば器用に受け入れる事が出来ている方だと思います。
けれど、それは研究や、探求対象という目的があってこそ。
受け入れないと、研究の「先」に進むことが出来ないからという、完成させたい研究への執着があるんです。
それに、受け入れるのに拘りはしないのですが、研究を続けるという事自体がある意味では、謎を紐解きたいという拘りになっていますから。
そうです、それで思い出したのですが、今までの話を聞いたなら、この絵本は、どうやら異国の宗教が関わっている所があるみたいなんです。
西の方にある大国である―――セリサンセウムという国、ご存知ですか?"
そう口にして、再び絵本を手を伸ばし始めながら尋ねると、国の王でもある友人は、頷きながら知っている事を口にする。
"ああ知っている、サブノックが国になるにあたって、各国の名前だけは覚えた。
とはいっても、他所もうちと同じ様に国なろうとしていたりなったとしても、日も浅くして滅んだりしたりもするから、中々厄介だった。
そんな中で、とても肥沃な土地を持った大国という話は聞いてもいる。
確かそれで何度か周辺の諸国に、領土を狙われたりもしたらしいが、全て返り討ちにされて、更には攻めてきた方の土地を更に奪って拡大をしているという話を聞いた。
国の民や性格は、土地と同じ様に穏やかなものだと聞いているが、一度戦を始めたなら、特にその国の王を筆頭に凄まじい武をみせるという話もあったな"
それなりに聴き慣れているつもりだけれども、今しがた耳に届いたのは、サブノックという国に訪れてからの間、初めて聞くような友の声だった。
穏やかながらも、耳に入れた瞬間に鋭さと共にヒヤリとした感触を受ける。
(幾ら、穏やかな性質だからといっても、王として選ばれる程の武人の血は流れているという事なんだろうな)
もしも機会があるのなら、その国―――、凄まじい「武」を見せつけるという国の人と戦って見たいという気概が、声に滲んでいた。
自分が未知の存在に興味を抱く様に、友人も強い者相手に大きな興味を持っても何ら不思議はなかった。
―――早めに賢者を据える事の必要を教えてやらんと、"大地の女神"に勘付かれるぞ?。
指先が絵本に触れようとした寸前に、ヘンルーダの賢者の言葉を思い出す。
国となったサブノックに、前以て遠回しにだけれども近づけるべきでは無いと、正しく忠告してくれてもいたのだ判る。
(確か故郷の集落では、"戦ってはいけない相手がいる事"を教える事が出来るのは、賢者だけだとも言われていた)
―――若しくはあの場所は―――大地の女神に愛されているあの肥沃な大地を持つ国に、王様は自分から気が付いてしまうかもしれない。
(もう気が付いて、知っている場合は、どうすればいいのだろう)
そして戦ってみたいとも、思っている気持ちも先程の一言で感じ取れてしまった。
(思えば、ヘンルーダの賢者殿は、既にそこまで予想していたというのに)
―――もしかしたなら、”女神に愛された大地の国"を、武人の国に相応しく戦いで以て。
―――止めて、やめてくれ。
あの時同郷の友人が続けようとしていた忠告は、賢者になる覚悟も方法も判らない自分が潰してしまっていた。
(……仕方がないじゃないか、これ以上は怖かったんだ)
故郷となる集落では、皆が自分に興味にある事に―――研究にばかり執着するばかりで、他人に興味が無いも人々の集まりのお陰で、殆ど性別など意識した事はなかった。
勿論集落ではあるのだから、一定の人の集まりで、一般的に恋愛と呼ばれる物はあり、縁があったなら家族という集まりも出来る。
これは旅に出るまで気が付かない事であったのだけれども、家庭を持って子どもを儲けたなら、その責任は男女共に公平と平等を徹底されているという、今となっては不思議な場所でもあった。
だから故郷を旅立ち驚いたのだが、自分達の集落の方が少しばかり俗にいう"一般的に"と例えに使われるの物ちは違うのだという事にも気がつく。
「どちらが正しく間違っている」という事もないのだという事も、旅の中で見ていて感じた物があった。
時にはその土地独特の文化で、男女のどちらかの負担が偏っているという部分を、見かける事もあったけれど、旅人は助けを求められたなら困窮する箇所を解決する知識を与えた。
ただそこにその地域の性差を持ち込んで、解決策を講じるとなると問題の難度は一気に多様化したのを思い出していた。
そしてサブノックという国が産まれた地帯は特に、男女の役割がはっきりとしている文化が根付いていた。
その文化は既に伝統として、確りと根付いていて、他所からやって来た者が口を出す事でもないのだと、旅人として弁えている。
しかしながら、その文化を"外からやって来た者"に強いるという事もないが、他所の文化を持ち込まれたなら許容する事もない苛烈で誇り高い部分も、短い滞在期間で、性別を誤魔化して拾った情報でもあった。
ただ、最近では"王と親しすぎる”というところで、友人は執務に忙し過ぎて気が付かないが、旅人としては僅かだけれども動きずらい所も出始めている。
見張られたりすることもあるが、その度に今の所は旅人の方が撒いていた。
性別をぼかしていても、王に限らず権力者存在と近づきすぎるとこういう風な"心配"をされても仕方がないというのは、暦の中でも記されている事実にある。
(誇り高い文化と、武人である血が、肥沃な大地と兵への興味を、抑え込めるような説得をする為には、王様に意見が出来る「立場」を確立しなければいけない―――)
そういった意味では、"賢者"という存在が"妥当"の様に思えた。
(もし、私が賢者になってもならないにしても、国という存在にとって"長生き"をさせる為に、周囲を納得させるために、ヘンルーダの賢者殿力を借りるのが、一番簡単なのだろうが―――)
それでは、誇り高い武人が集った国の人々を抑えるには力が弱いと思えた。
(この国の王の臣下に、煙たがられ疎まれても、王の傍らに賢者としていて忠告をする存在がいないと)
"今"ではないにしても、いずれ遠い未来かもしれないけれども、この武人を集って出来た国は、肥沃な女神に愛された土地を求めるかもしれない。
けれど、「それだけは止めておいた方が良い」と、知っている者として告げなければならない。
女神に庇護される土地は、旅人が最後に辿り着いたという場所を、外からやって来る者を拒みはしない。
けれどその場所を、奪おうとする存在は決して許さないし、容赦はしない。
そんな逸話が後付けができてしまいそうなほど、旅人の故郷では知られている話。
そして、千に近い年数で歴史がある集落では、その肥沃の大地に巡る周辺と、"滅びた国"の関係の研究は進んでいる。
(何にしても、まだ決定打のない確率の話でしかない。
でも、折角産まれたというのに、目先の欲望に囚われて、それが国を滅ばすような選択になるという記録が揃っている。
それなら、友人として一言告げなければ不義理という物だ。
それに、少なくとも、友人は私の話を聞いてはくれる)
そこで漸く絵本に指先が触れ、慣れた古い厚い紙の感触を確認して持ち上げる。
(でも、そんな国の為よりも何より、特別な感情なんてなくてよかった。家族に無いにしても、今の様な距離感で、ただ側にいれたなら)
"とりあえず、賢者になるのに必要だとされる絵本を読んで見ますか―――え?"
晒で抑え込んでいる胸の内にそんな想い思い浮かべてを、絵本を持ち上げ、振り返って"友だち"の顔を見た瞬間に、鈴がなるような声と共に、言葉が頭に響く。
《あなたが そばに いるだけで それで よかったんです。
わたしの "せかい"は あなたが くれたような ものだから》
"―――どうしたんですか?"
王となった友人が、急に言葉が止まった旅人に話しかけた次の瞬間に目の前の光景が歪む。
《ねえ、君、大丈夫ですか?》
歪んだ光景が霞んだ情景に移り変わったと思いながらも、友人が急激に若返って、青い髪の男の子が、倒れている"自分"を見つけて語りかけてくる。
《―――、この子大丈夫だと思う?》
そして振り返り、誰か知らない名前を呼びかけながら、やはり自分を心配してくれる言葉を幼くなった声で、語りかけてくれていた。
それから暫く、幼くなった友人の幻影は語り続ける。
《"セリサンセウム"――――、僕の立場をよくする為に証明を書いてくださった方がいる国だ。
えっと、確か―――さまだったかな。ああ、それよりも……ねえ、君大丈夫ですか?》
《―――何かあったのかい?》
そこに新たに声が加わる。
落ち着いた、それでいて自分の同性だと判る。
その人の姿は、幼くなってしまった友人よりはっきりしない。
でも、不思議と見た事もない蟷螂と紫陽花が、胸元に大きく刺繍された衣を纏っているのが良く見えた。
更に判る事は、自分よりも結構な年上の人物なんだと思えたが、老人と呼ぶには語弊がありそうだった。
(私も、もう少し年を重ねられて、これくらいの落ち着きがとれたならいいのに―――)
そんな事を考えたなら、再び幼く見える様になってしまった青い髪の友人が、その人に語り掛ける。
《"賢者"様、こちらに来てください》
(―――この人は、女性の賢者なのか)
女性でも賢者になれる世界がある―――その事に心から安心をしたのなら、旅人の頭の中であの鈴なるような声が響いた。
《"匣"からは慎重に、「貴女」に要るものだけを取り出して》
その言葉と共に、幼かった友人は一気に成長して―――旅人の知っている元の姿に戻った。
"大丈夫ですか?、一体どうしたんですか―――何だ?!"
一方の友人の方は、自分に絵本を差し出した旅人の眼の焦点が合わなくなり、けれども小さな唇が数度開閉させて、言葉にならないながらも、何かしらを呟いていた。
それが自分が呼びかける事で、旅人の眼の焦点が戻ったと思ったなら今度は、自分と友人が立っている極彩色絨毯の足元を中心に、三角形を2つ重ね合わせた六芒星が白い光の粒子を伴って、線となって浮かぶ。
"これは、なんだ魔法陣か?!"
そういう事に詳しそうとも思える友人の旅人は、眼の焦点は戻ったようだがまだ意識がはっきりとしていない。
そう判断し、絵本を互いの身体に挟み込む様にして、庇う様に旅人の身体を引き寄せたなら六芒星から、来賓室を揺るがような白い粒子を伴った旋風が巻い上がる。
荷物はそこまで多くはないのだけれども、調度品や旅人が集めただろう資料が風に乗って舞い上がり、更にサブノックの王となる人の帽子も吹き飛ばし、いつもは纏められている青い髪が乱れる。
その内、六芒星の内側に、今度は黒く光る線で五芒星が浮かんだなら風はうねりをあげた。
黒い五芒星の線は、白い六芒星の線と同じように、黒い粒子を旋風に伴うけれども、白と黒の粒子は混ざり合うことはない。
風の渦巻きが白と黒の縞模様となりサブノックの王と、その国を訪れているの旅人を包み込みこんでいた。
"一体、どうしたというんだ?。これは一体、何が起きている?"
白と黒の渦の内側で、サブノックの王となる人は、引き続き旅人を庇い包み込む様にして周囲を見回すが、白と黒の旋風に包まれている状況に変わりはない。
ただ、その頃には、抱え込まれる旅人の方は混濁していたような意識が大分はっきりとし、どうやら、少しばかり不味い状況なっているのを感じ取っていた。
《……このままでは、あなたの ともだちをまきこんでしまうかもしれないけれど どうする?》
抱き締められながら、耳から入ってくるものと、頭に響く鈴なるような声に揺さぶられるような感覚に、旅人は懸命に考えを巡らせるつつも、「まきこむ」という言葉への返答は直ぐに出される。
"……勿論「まきこまない」に決まっているでしょう"
自分を守り、包み込む事に懸命になっている友人の腕の力や息遣いを感じながら、聞き取られない様に言葉に出した。
"こんなところで、私の友が王となる国の誕生に、ケチをつけられるわけにはいかない"
今も尚、自分を庇っている人の背負っている、重責も思い浮かべ、それを少しでも手伝えたならとい気持ちは、変わらずにある。
いつもは飄々とした雰囲気を作り出している目元の瞳を大きく開き、頭に響く鈴の鳴るような声に"宣言"をした。
そして絵本を抱えた事で見えてしまった光景と、大切な友人によく似ていた、髪色に至っては全く同じの少年が口にした発言を、旅人は頭中で吟味する。
【"セリサンセウム"――――、僕の立場をよくする為に証明を書いてくださった方がいる国だ】
(いつの時間の流れは判らないけれど、見えたのは多分、今よりも"後"の時間。
私の友達の血を引いた少年が、セリサンセウムという国に住む人物に助けられる事になる。
だったら、尚更、私はこの国の王様にセリサンセウムという国に対して、サブノックからの不義理があってはいけない。それに、多分後の時間にもサブノックという国は残っている筈)
"大丈夫ですか?!"
自分の考えが決まったと同時に、自分を包み込む様にしている友人から、耳元で声をかけられた瞬間に顔をあげる。
"大丈夫とは断言できませんけれど―――すみません、サブノックという国の意志を幾許か、私に委ねてくれませんか?"
"―――え"
"その代わり、私は、貴方の国の―――サブノックの賢者になります"
自分が賢者になる事が、交渉の道具になるかどうかまでは考えていなかった。
でも、少なくとも友人は自分がなる事を望んでいて、「使えそうな言葉」だから躊躇わずに口にし、それと同時に頭に響いた声に鈴が鳴るような声に呼びかける。
《あなたが言う"匣"は、何処にあるの?》
これも相手が答えるかどうかは判らないけれども、取りあえず聞こえた時と同じ感覚で質問を思い浮かべたなら、運が良いかどうかはわからないが、返事は予想以上に直ぐに響く。
《……貴女のあしもと "鍵"がかかっているけれど、それをひらくには、"ゆび"をパチンとはじけばいい。それが、「かぎ」になるって、風の天使さんが教えてくれた》
これまでと違って、一段と幼く聞こえる鈴のなるような声が伝える内容に、旅人は眉間に軽く眉間に縦シワを刻ませた。
(風の天使?。四大精霊の長の事を天使に例えるという話も確か、どこかの土地で聞いた事もあったか。
まあ、今は取りあえず―――)
頭では、それなりに落ち着いて考えているつもりではあったけれども、どうやら気が付かない内に許容量を超えていたらしい。
"わかった―――あ"
気が付いたなら、先程と同じ様に頭に思い浮かべる様にして、鈴が鳴るような声に答えるべきなのだろうが、返事を気が付いたなら声を出して答えてしまっていた。
"え?"
当然、聞こえている友人に新たな疑問を与えてしまう事になり、疑問の声を漏らさせてしまう。
―――国の意志を幾許か、私に委ねてくれませんか?。
その問いかけの返事はまだしてはいないのに、友人が突如として承諾の言葉を口にした事と、その後に"パチン"と指の弾く動作に驚き、庇う様にしていた、密着していた身体に少しの隙間が産まれる。
その事で旅人と王様の間に挟まれている様にあった絵本が、魔法陣らしきものが浮かぶ極彩色絨毯の上に落下音を殆ど吸収されて落下した。
それと同時に、サブノックの王と旅人を包んでいた白と黒の粒子の旋風が、一気に拡散する。
ただ未だに、足元に浮かんでいる六芒星が白い光と、その内側にある黒く光る五芒星の魔法陣はその形を絨毯の上に刻み込んでいる。
"―――すみません、こちらの答えがまだで出ないのですけれども、でもまだ終わってはいないのですよね?"
旅人に確認する。
”はいそうです"
そこ応えてから、器用に身体を捻らせて、友人の腕の隙間から、自分が世話になっている部屋を見て更に口を開く。
"悪いんだけれど、もう少しこの状況に付き合って貰えますか。
不可抗力といえ部屋をこんなに散らかしたままで、大変申し訳ないんだが”
白と黒の風の渦が消えた事で、先程吹き荒んだ風で乱れた室内が見える。
恐らくは2人の間に落ちている絵本原因なのだけれども、旅人が申し訳なさそうに尋ねたなら、未だに自分を頭から包み込んでいる友人に頭の上で頷いた。
"痛ッ"
"あ、すまない、大丈夫ですか!"
身体の方は少し距離が空いたが、頭の方は密接した状態だったので、見事にサブノックの王の顎と、旅人の脳天が結構強めに激突した。
予想外の事と、やはり王といえども執務の合間に鍛えている人の顎は頑丈で、「思った以上に痛い」という状態で、旅人は思わずしゃがみこむ。
先程指を弾いた手を広げ、掌をべたりと落ちてしまった絵本の上に置く形になる。
"大丈夫だけれども、大丈夫でない感じです……って、わ?!"
正直に現状を口にした後に、痛さの余りに眼が眩んだとばかりに思っていた視界が、実際に見えている物だと気が付く。
とはいっても、そこまで具体的に見える物でもなくて、眩んだと誤解できても仕方のないような物ばかりだった。
それは何かの影の様な物体であったり、形ははっきり見えるのだが透けているのが判る。
(何だろう?、これは?)
影の様な物ではなく、形まで良く見える物は数点しかない。
しかも、その見え方は絨毯の上に浮かぶ魔法陣の下に"沈んで"いる様に見えていた。
旅人に確認できるのは、精々魔法陣の浮かび上がる"水面"の上の部分に沈んでいるものぐらいである。
特によく見えたのは、丸く薄い金属の縁に囲まれた白い盤に、12の数字がぐるりと囲うように記された何かしらの道具を連想させるものである。
どうやらご丁寧にその数字の面を覆う金属の蓋もある様だった。
ただ、それだけだったらそこまで気を引かなかっただろうが、その蓋の内側の面を見たならそこに、見知った顔と見知らぬ2人が肖像としてあった。
(少し髪形が変わって、見慣れない紅黒いコートなんか着ているがあれはヘンルーダの賢者と、その隣にいるのは誰だ?。
可愛らしい顔しているけれど、男だろうな。ああ、思えば―――)
【ヘンルーダで待っている弟子―――というよりも秘書という扱いになる子どもがいてな、何かしら土産を買って帰る約束もしているんだ。
カメの面だけでは、あれだし、お菓子が好きだと言っていたから、先程走って行った子ども達が手にしていたの買って帰ろう。
あれなら揚げ菓子だから、日持ちもするだろうからな】
同郷の隣国の賢者となった人が去り際に口にしていた、彼の"秘書"の少年という存在を思い出す。
(ただ、この良く判らない物の蓋に描かれているのがヘンルーダの賢者とその秘書の男の子だとしても、どういった理由で描かれているのかが、それでどうし"今"こんな形で、私に見えているのかが、判らないねえ。
でも、2人ともいい顔をしている肖像だ)
そんな事を考えている内に、その薄く丸い、蓋に肖像画書かれたは道具は水中を揺蕩うように動いて旅人が気になった肖像の部分が見えなくなってしまった。
そしてそのまま沈んで行き、やがて影しかわからなくなる。
(ほかに、よく見える物はないかな―――)
どうしても近くにある物しか旅人の視界に捉える事が出来ないけれども、注意深く観察する。
ただそれでも見える物は、先程のように旅人に何かしら縁づいているものでもないので、ただの透ける物体として数点の物が見えた。
何やら革細工の、楓模様が刻まれた小さな容器の様な物。
衣服の装飾ににも使われるだろう南京玉を糸を繋げて作っただろう小さな指輪。
子犬を模した、恐らくは翡翠と呼ばれる鉱石の文鎮。
螺鈿細工で、睡蓮・鈴蘭・白百合が施されている美しい手鏡。
それらの物も、先程同じ様に沈んでやがて影となってしまった。
(……うーん、これは見えても意味が判らない。こういった経緯で見える様になったなら、賢者になるのに、何かしら関係はあるのだろうけれど……ん?)
今度見えてくる物は、今までと違って随分と大きな物体となる。
これまでの物と違って、不意に姿を現すのではなく"底"から浮上してくる。
(……これは"ウサギ?"。ああ、でもこれは、人形って奴だね)
少なくとも旅人は見た事がない部類の人形で、水面を思わせる魔法陣の下にいる為か全体的にフワフワとした毛並みが良く判る。
(しかしながら、これは作り手が悪いね。ウサギに肉球なんてありゃしないのに、あの人形にはついている)
でも、その他の造りはとても丁寧で、立派なものだと判る。
おおよそ幼児くらいの大きさで長い耳に、青の洒落たチョッキとコートを着せられた、フワフワな薄茶色の毛が印象的な小さい丸い眼鏡をかけた、横たわり寝ているウサギの人形だった。
それ等の状態が判る程浮上し、絵本越しに旅人の手が触れそうになった時、"パチン"と指の弾ける音が旅人の頭の中で響く。
《……ごめんなさい、【匣】の中でも、そのウサギさんは取れないの》
指を弾く音に続いて、再び鈴の鳴るような声が若干痛みの残る旅人の頭に響いたと思った瞬間に、ウサギの人形が先程サブノックの王と旅人を包んでいたような、白と黒の渦に包まれた。
(おや、何が起こるんだろう?)
一度は見たもので、しかも魔法陣の下にある為か風が吹き荒ぶという事もないので、驚く事無く興味赴くままに頭を下げて覗き込んだ。
白と黒の渦はウサギの人形がを包み込んでいた時よりも、その2倍近くの長さになったと思ったなら、もう一度"パチン"という音が、旅人の頭の中で弾ける。
次の間にはウサギの人形を包んでいた2倍近くになっていた白と黒の渦は長い耳のあった方―――頭の方から、晴れていった。
けれどもそこから姿を現したのは、ウサギの人形ではなく水面の中で鳶色の髪をフワフワとさせているそこそこ長身の人だった。
(……眼は閉じてるから良く判らんが、これは眼を開いたならまあまあの悪人面になりそうな顔だな)
これまでも旅先で一瞬で変わり身をする"曲芸"なら見慣れているので、旅人は人ではない物が、たちどころに人に変わったとしても、そこまでは驚ず、落ち着いていた。
その落ち着きのままよくよく観察をしたならば、ウサギの人形からフワフワとした鳶色の髪の人物が纏っている人物は、纏っている物は大きさは違うけれども色も仕立ても殆ど同じ物だと気が付く。
(この人とウサギは同じ存在で見ても障りはない?)
鈴なるような声に質問するつもりで、響いた箇所で質問の言葉を思い浮かべたのだけれども、返事はない。
その代わりという事ではないのだろうけれども―――鳶色の人の方が突如として眼を開く。
それなりに豪胆でもある旅人も、これには驚き、しかも―――鳶色の人物が自分を見て不貞不貞しく笑った。
"うわあ?!―――あいたっ"
"痛ッ!"
驚きの余りに掌を絵本と床から外し、旅人は頭を上げた。
すると丁度先程とは逆の状態―――旅人の頭突きがサブノックの王の顎に激突し、今回は互いに痛みに疼く箇所を手で抑えて、少しばかり距離を開き、両者蹲る状態となる。
勿論、旅人の絵本に広げて触れていた掌は離れてしまったが、絨毯に刻まれるように浮いている魔法陣が消える事はなかった。
ただ、フワフワの鳶色の髪と青いコートを纏った、ウサギの人形と同一と思える存在は、浮かべていた不貞不貞しい笑顔を消し、再び目を閉じた。
そして瞬く間に沈んで行き影となっていくのを、再び激突した脳天の痛みの中で確認する。
(でも、髪が鳶色だったのに、眼は青―――というよりは、空色だったのは意外だったな)
痛みの中でも印象に残った事を、痛む脳天を抑えながら考えていたなら、更に上の位置から友人から声をかけられた。
"アイタタタタ、結局どうしたのですか?。最初にぶつかった時からは、しゃがみ込んだなら、何やら考え込んでいる様子だったから、そのままにしておいたのですが。
それに、どうやら魔法陣も消えてはいないから、終わったという事ではないのですよね―――"
"ああ、そういった気遣いをしてくれていたのか、それはすまない、ありがとう。
それで、「頭突き」をかましておいて何ですけれども、先程の私の質問の答えは出ましたか?"
頭を抑え、顔を上げながら旅人が尋ねたなら、痛みに疼く顎から手を離し、膝に手を置きながら申し訳なさそうに言葉を濁す。
"―――それは"
―――サブノックという国の意志を幾許か、私に委ねてくれませんか?。
旅人の言葉を思い出し、考えて決断した事を口に出す。
"私1人で決められる事なら、「委ねます」と言えるのですが、やはりみんなの意見を聞いた上ではないと、断言はできません―――って、どうかしましたか?"
自分なりに結構大真面目に答えたつもりなのだが、友人の旅人は自分の頭部を見ていた。
"……貴方なら、臣下の意見を聞いてからという返事をすると思っていました。
その場合、委ねる様に賢者になった私が説得をすれば良いだけとと思っていましたが―――。
帽子、飛んでしまっていたんですね"
長い青い髪が垂れているのを見て、今更ながらに友人の帽子が飛ばされているのが気が付いた旅人は、絵本に触れていた手をその頭に伸ばしていた。
手をのばし見上げる様に旅人が頭を上げて、大丈夫だと答えようと王の顔が俯いた。
旅人の指が青い髪に触れたと同時に、王の膝に置かれていたいた手がそれに添うように重ねられる。
"――――"
"――――"
その状態で、少しばかり時間が止まったような感覚に2人で陥った。
《"匣"からは慎重に、「貴女」に要るものだけを取り出して》
再び旅人の頭に、あの鈴なるような言葉が響き渡る。
匣のなかに、あるかどうかわからないけれども、"帽子"が欲しいと思った。
自分に要るものがうまく思い付けないが、今この時は、強くそう思う。
私の大切な人が、産まれたばかりの国の王様である事を象徴する様な物ではなくて、
貴方は、1人の人でもあって、何処までも自由にこの国を好きな早馬で駆ける為の帽子。
友人で大切な人を産み出した、乾燥地帯で容赦なく降り注ぐ強い日差しから、目が眩みそうになっているのを守ってくれそうな、鍔が拾いそんな帽子が良い。
首を傾けてなら、今"ともだち"だと、互いに言い合っているのに、行ってしまっている事が、その広い鍔の翳りで隠せてしまえるような物が良い。
"―――"
"―――"
互いに長いか短いかわからない時間に、絡めたものを離して、青い髪の人はうつむき、旅人は見上げてほんの僅か産まれた距離の中で見つめ会う。
"……この機会がなければ、貴女とこうする事は決してなかったし、この時じゃなければ、貴女も赦してくれないような気がしました"
"……そうですね。この偶然でなければ、私は貴方を突き飛ばしていました"
互いに苦笑いを浮かべたけれども、行ったしまった事に後悔等はせずに、胸がすくような想いを抱き、"これ以上は進まないのだ"と視線を交わすだけで2人は理解した。
そして旅人は未だに浮かんでいる魔方陣に、再び掌を広げて絵本の上から置いた。
すると今までに見られなかった、まるで水面に雫が一滴落ちたようなかの様に丸く波が広がる。
(私の為の物なんていらないから、友の為に、役に立つものが欲しい。そして、役に立つために、私は"賢者"になる)
もし、先程見た光景出た女性の賢者が、自分がこの国の祖となる賢者になる事で生まれるというなら、"迷惑になるかもしれないから"と怯えるわけにはいかなかった。
青い髪の友人も俯き、魔方陣と絵本に手を添える旅人の手を見つめる。
すると、そこから浮かんでくるのは、自分の国ではあまり見かけた事のない、仕立ての帽子だった。
サブノックに併せて、隣国のヘンルーダも男性が頭に被る帽子はどちらと言えば、筒のような形状に色鮮やかな刺繍を施された仕立てが多い。
だが友人が魔方陣と共に絵本に触れて、極彩色の絨毯の波紋の下にに浮かぶのは、広く大きな鍔の濃い緑の帽子だった。
そして青い髪のこの国の王となる青年は、俄かには信じ難い光景を目にする事になる。
友人の手が、絵本を貫き、絨毯の上に浮かぶ魔法陣の波紋を更に揺らし広げ、沈みこむ。
沈み込んだ友の手は、現実ではありえない現象を印象付ける様に、沈み込む指先からその肌の色を褐色に変えていく。
それが肘の辺りまで沈み込んだ時、褐色の旅人の手は帽子の頭部の部分に届く。
最初は「天井」という一番上の平たい部分に触れ、次にその側面の"クラウン"と呼ばれる場所を、優しく慈しむ様に褐色に変わった腕で友人は撫でる。
先程、時間が止まったような感覚に2人で陥いる様に触れ合った時以上に、旅人を"異性"なのだと感じさせる所作だった。
でもそれはあくまでも、魔法陣の水面の中に沈む友人の"褐色の手”に対してだけでもある。
”―――あら、もう「帽子」を被ってくれている”
”え?”
不意に腕を魔法陣に沈め、そちらを見つめている旅人がそう口にしたので、釣られるように"帽子を被っている"存在をを見る為に、覗き込んでみる。
大きく広がる鍔の下から、揺れる長い青い髪が見えた。
気のせいで自惚れでなければ、それが自分の髪とよく似ていると思えた瞬間に帽子の鍔が動き、旅人で友人の手が魔法陣の水面を揺らして抜かれる。
それと同時に褐色の色は抜け落ち、旅人の腕は元の色に戻っていたけれども、2人の視線は鍔の広い帽子の動きの方に注がれいた。
鍔が大きく広い為に、動いてもその帽子を被る人の姿は"上”から見る2人には、良く見えない、少しばかり焦れるような気持ちになった時。
”―――あ”
”―――笑って、いるみたいに見えますが……”
被っている存在が上を見上げる事で、持ち上がった鍔の下から漸く見えた口元にある唇の端は、結構な角度をつけて上に上がっていた。
"……何だか、貴方の不貞不貞しさに対抗する様に、不敵に笑っている様に見えますね"
そこまで青い髪のサブノックの王が口にした時、"パチン"と指が弾ける音がする。
それは正面にいる友人が弾いたものだとすぐに判るが、不思議と「旅人」という言葉がそぐわないという印象を受ける。
"……雰囲気が変わったように見えますか?"
そのサブノックの王の気持ちを拾い読んだ様に、友人が口にしたと同時に、絨毯に浮かんでいた魔法陣は消えていたし、勿論水面に様になっていた状況は嘘のようになくなっていた。
"ええ、「旅人」と貴女を呼ぶの事が、不思議としっくりと私の心の内で来ないのです。それで―――"
自分のかけた上着を羽織った、胸元を晒で隠している女性を見つめながら、正直な気持ちを口にすると、友人はクスリと笑う。
"ええ、私はもう「サブノックの賢者」ですからね"
晒を巻いた胸元の上に、先程魔法陣の水面に沈めて、指を弾いた手を添えながらに更に話を続ける。
"この国でない存在と絡めて考えたなら、不思議な感じがするでしょう。
特に、「サブノックの王」となる貴方は特に顕著にそう思える。
私の存在は、もうこの国の者ですから、外して考えようとする事に違和感を感じない方がおかしい事になります"
"そういう事が、賢者にはあるものですか―――"
少しばかり、淡々とした調子で話す友人に話しかけようとした時、背後に気配を2人同時に感じて、入り口の方に背を向ける形になる王の方が青い髪を揺らして、身体事振り返る。
そうしたらなら、身体の大きさの具合もあって、丁度旅人―――賢者になってしまったという友人の顔以外の部分を隠せた。
するとそこに夕刻の日の差し込みで先程の、魔法陣に沈んで行く様々な物体のように影の形で扉の無い部屋の入り口に姿を現した。
"―――ああ、陛下、やはりこちらにおられましたか"
"その声は、ストラスだな"
最近、王の近衛になったと聞く、中々に優秀な若い武人で賢者も名前を聞いた事もあった。
"はい、そうです、もうすぐ晩餐の時間ですから、部屋に戻ってご支度を。
―――「奥様」方達もお待ちです"
”―――”
"―――"
そこで揃えるように、王と賢者は息を飲みこんだ。
サブノックの王の"伴侶"であるの女性達の存在を、若い近衛兵から強調されたのが、伝わった。
"―――判った、戻ろう。わざわざここまで、迎えご苦労"
そう言って、王となる人は近衛の若い兵士の更に背後を見ると、影の長さからしてこの部屋に訪れてから、結構な時間が流れているのを察する。
ヘンルーダの王から得た情報で以て、この国に訪れている旅人である友人を、この国の賢者として"定住"させる為、説得に結構な時間を使うつもりでもあったけれど、予想以上に使っていた。
ただ、自分の中で"説得"という言葉が浮かんだことで、胸の内で苦笑いを浮かべる。
(……説得というよりも、賢者になって欲しいと、それと賢者になれるかもしれないとしっていたのに、どうして教えてくれなかったと駄々を捏ねただけだった)
今は顎の痛みや、その後に起こった出来事で忘れてしまっていたけれども、旅人から平手打ちを頬に受けていた事も、今更ながらに思い出し胸の内の苦笑いを継続させていた。
忘れてしまえる程の事なので、頬が叩かれた事で、腫れているという事は無いように思われるがこの部屋を出たなら直ぐに、治癒術をかけておこうと考える。
少なくともこの後の晩餐と、着替えの支度を手伝ってくれる6人の妻達にこんな姿を見せるわけにはいけないくらいの気配りは、賢者を手に入れる事の出来たサブノックの王なら出来る。
(もし平手打ちを目撃したなら、勤勉なストラスの事だから、来賓部屋でも構わずに入室してくるだろう。
……という事は、その後でに言い合いのようになった後、絵本を通して魔法陣が浮かび上がる前くらいに、こちらに到着していたのだな)
それから改めて、来賓の入り口の扉のない部屋を精霊石の力を使って点されているのを見渡す。
二重の魔法陣が浮かぶことに併せて、この部屋を吹き荒んだ尋常でない旋風の勢いで乱れた部屋はそのままとなっていた。
それは幾ら部屋が薄暗いにことになっても、十分よく判る。
(部屋を初見で見たとしても、ここまで散らかっているというのに、全くに触れずに、色々の事が落ち着いた事で、私に呼びかけたという事か)
現ではないような現象を、近衛の兵士と呼ばれる青年は恐らく一部始終を見ていたにも関わらず、その声は落ち着いていた。
(という事は、私と彼女―――賢者殿が行ってしまった事も恐らくは見ていたのだろうな)
だが、部屋に戻る様に呼びかけるのと妻達が待っていると口にする以外、若い近衛兵は何も口にしなかった。
"それでは私は、戻るとしよう。ところで、貴女は晩餐会には出ますか?。
旅人殿は参加しない手筈になっていると報告は、上がっています。
だがこのような流れなら、賢者として出てしまった方が良いかもしれない。
賢者の話はヘンルーダの王との会食の時に既に話題も上がっている"
入り口に佇む近衛兵に再び背を見せて、正面にいる賢者に話しつつ、乱れてしまった青い髪を手櫛で整えながら尋ねる。
"私としては、その席で貴女をサブノックの賢者として臣下に紹介をしたいと考えています。
―――性別も込みで、それで構わないだろうが?"
敢えて最後に性別の事を印象づける様に口にしたならば、賢者となった女性はさして動揺もせずに頷いた。
寧ろ部屋の入り口にいた近衛兵の方が、堂々と言われた事に今までは確りとしていた近衛の兵士の青年の方が、僅かにビクリとしているのを視界の隅に捉えながら賢者が口を開く。
"必ず色々な問答が行われるでしょうけれども、賢者として認められる様に努めましょう。
それに今日で、全てを認めさせる事は考えてません。
私個人の努力でどうこう出来るものでもないですが最終的には、お隣のヘンルーダの国から御協力を願いましょう"
賢者の提案されたタイミングでサブノックの王は頷きながら立ち上がり、賢者もそれに従う様に肩に国王の上着を羽織ったままで、立ち上がる。
"国として「先輩」のヘンルーダの賢者が、私がこの国の賢者になった方が都合が良いとも言っていたので、認めて貰う事へ、助勢を頼んだのなら協力を惜しむ事はないでしょう"
"そうか、それならそこの所は賢者同士で疎通を頼もう。ヘンルーダとの渡りは近日中につけるから、後はよろしくお願いする。
何にしても、私は貴女以外、サブノックの最初の賢者として受け入れるつもりはないけれども。
それじゃあ、ストラス戻ろうか"
青い髪を揺らし、賢者に背を向けて来賓の部屋をでて行こうとするのを、上着を羽織ったままの女性がうす暗い中で笑みを浮かべて見送っている。
―――どうして、こんな状況でそんな風に不貞不貞しく笑っていられるのだろう?、近衛の兵士が考えていたら、部屋から出て行こうとする王が長い髪を揺らし、踵を返して振り返った。
"……思えば服装はどうしますか?。正式ではありませんが、何か、適当な物を支度しましょうか?"
近衛兵もつられるように振り返ったなら、先程の出来事を目撃するまでは同性とばかりに思っていた、旅人でもあった人に視線を向ける。
肩に背の高い国王が身に着けていた上着をかけていたが、胸元は晒で見事に平らに固めているけれども、婦人がここまで肌を曝け出しているのはこちらの文化では先ずない。
しかも、未婚でもある近衛兵の間近に見るのも初めての出来事で、俄かに赤面して視線を逸らした。
ただ賢者の方はそんな事を気にはしないで固めている胸元の前で腕を組みながら、ごく普通に質問に答える。
"そうですね。性別をお公にするという事でしたなら、女の私が選ぶよりも、王様が勧めたという仮の賢者の装束を纏っていた方が周囲は納得がしやすいでしょうから、適当にお願いします。
でも出来れば、殿方の服装の方がいいです近習の仕立ての服"にすっかり慣れてしまった。
それとこの上着はどうしましょうか?、随分と丁寧に刺繍や仕立てもされているようだが"
そう言いながら、不貞不貞しい笑みを消しつつ赤面している近衛兵の青年に気が付いたなら、漸く気が付いたといった調子で、「済まない」と口にする。
それからサイズは大きすぎる為に合っていないが、肌を隠す為には十分な役目を果たせる友人の上着に袖を通して、肌は確りと隠しておいた。
近衛兵と賢者のやり取りに俄かに鋭い視線を注ぐけれども、青い髪の王は直ぐに鋭さを潜めて、頷きその提案を受け入れた。
"判った、晩餐会の方は、適当な物を近習に運ばせよう"
それから上着を羽織っている賢者の肩を軽く撫でた。
”その上着は……差し上げよう。
国王と賢者の「友愛」の証という訳ではないけれども、記念みたいなものだ。
幸い仕立てのはヘンルーダの仕立屋が、こちらの文化をアレンジした際に予想以上に良く仕上がった物を私が気に入って来ていた。
だが、これからは妻達が仕立てた物が、次々と仕上がっている。
日で回して、全ての物を着なければ"
”そうですね、6人いらっしゃいますから、あと2回も季節が過ぎれば、その様になります。
貴方の事だから、きっと公平に御召になるのでしょう。
それでは、後程。私は―――晩餐に呼ばれて装束が届くまで、部屋を片付けておきましょう”
そう言って上着の裾を翻して、賢者は部屋の中へ戻って行った。
王族の住まいとなる後宮と、この後行われる晩餐の場となる宮殿とはそれなりの距離があって、今はその支度の為勤しむ、使用人や特に給仕とすれ違う事は多かった。
すれ違う度に、恭しく頭を下げようとする前に国王が手を上げて、それを止めて「ご苦労」と声をかける。
後宮の近くになる程、人とすれ違う事がなくなってから、国王が口を開く。
”―――あの女性は、片付けるとは言ってはいたけれども、そういった事は出逢い当初から苦手と言っていたから、余り整頓具合は期待できないな。
晩餐会の装束を持たせた近習に、着付けを手伝わせた後はそのまま片づけを指示しておこう。
それに、いずれ賢者に護衛をつけなければいけないのなら、片付け上手がいいかもしれない。
それに、性格的にも穏やかな者がついた方が良いな”
来賓室から王の住まいとなる後宮にまでは距離がある中で、後ろから付いて来ているストラスに向かってサブノックの王はそんな事を、語り掛けていた。
随分と楽観的な物言いに、近衛の兵士は眉を潜めていたが、尊敬もしている王に、決意をしたように意見を口にする。
”国王陛下、あの方は旅人殿を、今はもうサブノックの賢者殿というべきなんでしょうか"
"ああ、そうだな。もう彼女は、サブノックの賢者となってくれた"
"―――賢者殿というよりも7人目の奥方に迎えたらどうですか?”
あの出来事を見てしまった事もあって、自分の意見も強ち間違っている所もないと自信を持ってストラスとい姓を持つ青年は、注進する。
注進をされた国王は、特に大きな反応はすることなく、後宮への足をとどめる事もなくてその事について返答をする。
"そうだな、お前は見てしまっていたんだよな。
普通に見たなら、男女で、隠れる様にあんな事するくらいなら、いっそそうしてしまった方が良いのかもしれない。
私はこの国の王様で、そうするくらいの能力もあるし、彼女も振る舞いは兎も角、妻として向か入れたなら、公式の場でして欲しい所作は完璧に出来るだろう"
国王が少しも躊躇わずに口にする話に、近衛兵の方がやはり赤面する。
"でも、あの人という存在をを女性と見立てて、後宮の花瓶に活けたとしても、きっと長生きはしない。
それに私が好きでも―――愛したとしても、王の妻として迎えるには、異国の人を周りが認めないだろう"
"それは、そうでしょうですけれども"
近衛兵が顔を赤くするのを懸命に抑えながら、聞こえてくる王の声は抑揚や感情がなかった。
"それでいて、あの人もあの人で、私が国王を辞められるわけがなくて、不公平なのが大嫌いなのを知っている。
今の6人の妻達なら、私は公平に扱う事が出来る自信はある。
でも、あの人が加わるのなら、あっという間に公平に扱うことが出来なくなるだろう。
妻達は皆「出来た人」だから何も不満を漏らしはしないだろうけれども、それは互いに言葉にださないだけで実際には、不満を抱えるだけの事になるだろう。
そういう結果が見通せるのに、あの人が妻になってくれと言われても、受け入れるわけがない。
それを互いに判っている"
"―――でも、それはそれで、私には変だと思います。
失礼を承知で申し上げますけれども、私の様にあの場面を見ていなくても、これからの陛下と賢者殿の2人を見ていたのなら、それとなく察してしまう関係ではないのですか?"
関係という言葉には、先を歩く脚をピタリと止めた。
"……男のストラスがそうやって気にする位なら、そういう事に鋭いとされる女性などから見たなら、これはもっと責められそうな関係になるんだろうか。
だが、彼女に関しては決してそういう事をしないと、信頼もしているんだよ"
振り返り、穏やかに微笑みながら、心配をしてくれる近衛の兵にそう告げながら、まだ旅人の頃の賢者に告げられた話を思い出すしていた。
―――何にしても、私は王様の友人として傍にいる事を約束はするけれども、もし、君の立場が悪くなりそうな時は、自分から距離を取ろうとする事は宣言して置こう。
―――距離を取る事が、王様と旅人が友人……友達として長く付き合う為に必要な事だと、考えているから。
―――それでこうやって宣言しておかないと、また友達に拗ねられそうだ。
上着を羽織らずに逞しい両腕を曝け出している、青い髪の国の王から滲み出る賢者への信頼に、気圧されそうになるけれども、近衛兵士は堪えて更に意見を続けた。
"わ、私には男女の機微は良く判りません。
でも、国の王と賢者が親し過ぎると、政にしても、何にしても影響を受けていいる事を言われるという事を、心配してはいます"
"賢者に関しては、政には口を出さないという事なんだが……言葉だけで言っても納得は出来ないか"
"……"
返事は無言となるが少なくとも、自分に覚悟を以て注進する近衛兵には、今の自分と賢者の関係に何かしら不安を抱いているのは、王にも伝わった来た。
でも不安を抱かれる事に、不思議と嫌というよりも「仕方がない」という感情の方が青い髪の王様には大きかった。
(多分口にする事は無いだろうけれども、賢者になってくれたあの女性に対しては、これまでのこともあるし、他所の場所から訪れた事もあって、更に不安を抱いているんだろう)
自分と賢者の関係を信じて欲しいという気持ちが、通じなくても仕方のない場面をストラスという近衛兵の青年は目撃をしてしまった。
見てしまった人には、本当に「あれ以上」は進まないという保証をしてやりたくも出来ない物だとも、サブノックの王には判る。
(彼女が、ギリギリで旅人で「人」の間際であった時だから、互いに行えたこと。
ただ、この国の賢者という役割を受け入れた今では、もうあり得ないと言っても、意味は理解出来ないだろうしな)
出来る事なら、2人だけの師の時だけの出来事にもしたかった。
(まあ、入り口に扉が無い部屋でやった互いの不注意でもあるが。さて、どうしよう)
見えない物を信じる。
それを行えるのは余程繋がりの力が強く、相手を信じる力を持っているかどうかとなる。
でも、信じる力を揺るがす場面を、見せてしまった。
(なら、臣下を代表して、最もこの国の武人の精神を携えているだろう青年に「見張って」貰うことにしよう)
それで、王と賢者の繋がりを信じて貰えて、これからもこの国が続いていく為に丁度良いというのなら―――。
少しばかり辺りを見回して、人がいないのを確認してから近衛の兵士に話しかける。
"なあ、ストラス。不安が拭えないというのなら、1つ提案―――というか、頼みがある"
"陛下から頼みなら喜んで伺います"
何気なしに口しようとしている提案に、近衛兵の青年は直ぐに了承の返事をする。
"……ストラスは、先程の場面を見ても、私に王を退けとは思わないのだね?"
"……陛下が今いらっしゃる奥様達が皆さん、懐妊されたなら新しい奥様を後宮に迎え入れるという考えを持っている話は、私も聞いた事があります。
私は、陛下が―――サブノックの王として必要な事、「後継」を絶やさぬ様に動く事に何ら反対は致しません"
自分とあの女性が行った事で、その後はどうしても男女の認識の延長で取られしまう事に、少しばかり寂しそうな笑みを浮かべ、頷いた。
"そうか。それで、自惚れだったら遠慮なく正して欲しいのだが、私が6人の妻達を娶らせて貰っておきながらも、「好み」ということで新しい妻を迎える事には、ストラスは何も反対は無いのだね?"
その確認の言葉に近衛の兵士は直ぐに頷いた。
"陛下は穏やか公平な気質であることも承知していますが、何よりこの国の中でも屈指の武人です。
その血を多く残す事に繋がるのなら、例え異国の血を取り入れることになっても私は何も文句はありません。
それに、あの異国の方は文化の違いは兎も角、とても賢いというお話はとても評判になっています。
あと子どもの世話、勉学の教え方もとても上手だという話も、聞いています。
でも、あの方が御婦人というのなら、子どもの世話が巧いというのは納得が出来ました"
余りに力強く言い切る近衛の兵士の青年の瞳に、少々気圧されそうにすら青い髪の王は胸の内でなる。
"―――そうか、そういう話も聞いているから、七人目の妻として迎えたらどうかという発言もしたのだね。
でも、それだと今第一夫人となってくれている、妻の立場はどうなるだろう?。
あのような場面を君に見られておきながら何だけれども、第一夫人はそれは見事に後宮の規律と温和を維持してくれている。
そうやって維持をするには、君が7人目の妻に迎えれば良いという人の賢さだけでは補えない才能だ"
ストラスも、今日建国されたばかりの国ではあるけれども、その基礎となる文化の仕組みは、身を以て知ってはいるのでそれまであった勢いがそこで止まった。
男性が表に立ち、妻達は控えるという文化ながらも、子育ての一手を引き受けているのはやはり婦人達である。
本格的な武芸を教えるのは父やその縁戚ともなるけれども、基礎の基礎となる部分を子育てを役割とする婦人達が教えるという事も表には出ないが、根付いている文化であった。
"優秀な後継は望ましいことだけれども、無用な不和は産まない事も一族の長の役目だとも思う。
だから、私の6人の妻達の間に娘が産まれたなら君に娶らせようと思う"
国王の唐突過ぎる話の流れに、ストラスは激しく瞬きを繰り返す。
"えっと、その、どういう事なのでしょうか"
瞬きを抑えて漸くそんな言葉を、口にすると尊敬もしている王様はにこりと微笑むけれども、優しさといった物は、その中に含まれてはいない。
"そのままの言葉の意味だ。
ストラスは優秀だから、私が6人の妻の間に子供を授かって娶らせるまでの成長の間に、恐らくは2人か3人は既に妻に迎えている事になるだろうが、構わないだろうか?"
まだ自分の国の王様が何を口にしているのかが、理解が出来なくて戸惑いながらも、言われた言葉を消化するように、自分の身に重ねて、言葉にする。
"その、万が一にも、陛下お子様をご縁があって、迎え入れる事が出来たなら、この国の民としては最高の誉となると思います。
でも、「無用な不和は産まない事も一族の長の役目だとも思う。
だから、私の6人の妻達の間に娘が産まれたなら君に娶らせようと思う」
という言葉は、何処にかかってくるのでしょうか?"
"……ストラスは昼の宴席にはいなかったのかな?"
"はい、宮殿の入り口の方で警備を行っていました"
それを聞いたなら、納得する様に青い髪を揺らして、サブノックの王なる人は納得する様に頷く。
"そうか、宴席でのヘンルーダの王の発言を耳に入れていないのなら、王と賢者が親密にしようとするのは、少しばかり危うく感じても仕方ないかもしれない。
では、遅かれ早かれ耳に入れるとは思うのだが、そもそも国に賢者を迎えた方が良いという助言をくれたのが、ヘンルーダの王自身なのだよ"
その言葉に大き眼を見開いたので、どうやら宴席で行われた隣国の王の助言の話は、まだあの現場にいた者達にしか、広まってはいないという事実を察する。
(……旅人が賢者になれるという話を教えて貰って、彼女にその話を一言もされていなかった事に頭に血が昇って、問い詰めようと考えていたから、それどころではなかったからなあ)
賢者に迎合するような雰囲気になっていた実情に、驚いている近衛兵が、発言したのが隣国の王と知らなかったとはいえ、友好的な国に対して無礼を口にした事に、狼狽えているのを見ながらそんな事をサブノックの王は考えていた。
"そうだったんですか。
それなら、その、賢者を国に迎え入れるという話は枢機の一族の方々も、了承はしているのですね。
じゃあ私が申し上げた事は、不敬でしかありませんでした、申し訳ありません"
"いや、今は友好国のヘンルーダの王のお墨付きのような発言があって、国に賢者を迎えた方が、良いという雰囲気に傾いているとなっているだけの状況でもある。
サブノックという国は、武人が集って建国された背景から考えたなら、最初は受け入れる姿勢だとしても、ストラスの様に、智恵だけに頼る姿勢は、胡散臭く感じてしまう者も出てくるだろう。
しかも、この後の晩餐で私の口で直々の発表するつもりだが、女性の賢者ともなれば、即座に反対意見が、出てくるかもしれない"
尊敬する王様がそう口にした事で、近衛の兵士の青年がハッとして、先程迎えに行った部屋で、不可思議な魔術の影響で、この国の賢者になったという婦人を思い出していた。
"……そうでしたね、「賢者殿自身」が、そう仰っていました"
―――必ず色々な問答が行われるでしょうけれども、賢者として認められる様に努めましょう。
―――それに今日で、全てを認めさせる事は考えてません。
―――私個人の努力でどうこう出来るものでもないですが最終的には、お隣のヘンルーダの国から御協力を願いましょう。
―――国として「先輩」のヘンルーダの賢者が、私がこの国の賢者になった方が都合が良いとも言っていたので、認めて貰う事へ、助勢を頼んだのなら協力を惜しむ事はないでしょう。
近衛の兵士が、思い返すことで俯き恥ずかしさで黙り込んでいる所に、落ち着いた声で青い髪の王様は更に語り掛けていた。
"この国の賢者となってくれた存在を、友好な国の紹介を受けたとしても、それでも簡単に信じる事は出来ないというのは、これまでの性差文化の中であっても仕方はないと思う。
裏返せば、それ程慎重という意味にもなるだろうし、あの人―――賢者殿も、この国で簡単に信用される事を望んではいない。
多分、どちらに―――知恵にも武力にも、傾き過ぎてはいけないという考えが、根底にあると思う。
でも、サブノックは武人が集って建国された国なのだから、傾かないまでも表に出るべき部分は「武」という事になる。
それが国としての、象徴だ。
だが、今は大きな争いもない事と、正直に言って賢者という「親友」という存在の影響を受けて、私の考え方は知恵の方に傾いている。
その流れを押し留める為に、ストラスには「見張り役」になって欲しいと提案している"
"私はこれ以上、「賢者」殿が、陛下の考えに影響を及ば差ない様に見張るという事ですか?"
近衛の兵士がやや厳しい面差しでそう口にしたなら、これには最初は眼を丸くするという状態になったのをそのまま苦笑いの表情で、青い髪の王様は肯定も否定もしない。
ただ自分の言葉で尊敬する国王が、心の底から困っているのが不思議とその苦笑いの表情で伝わって来たので、近衛の兵士の青年は再び狼狽えた。
"ストラス、私の事を随分と買ってくれているのは有難いが、見張る対象は賢者殿ではなくて私、"サブノック王"だ。
私が、賢者殿の―――知識に惹かれすぎて国の政に、その影響を受けるにしても、傾いてしまわない様に、頼みたい"
知識という言葉を使うけれど、その意味の真意を察する事が出来るけれども近衛兵は敢えて触れず、頼まれている事の詳細を確認をする。
"傾いてしまわない様に……という事ですか?"
その言葉に腕を組み、困った様子は表情から引かせたものの今度は考え込みながら言葉を続ける。
"出来るだけ、素早く注意して欲しいと、考えている。周囲から見たなら、小うるさい程に言って貰って構わない。見様によっては損な役割となる事でもあるのだが、頼めるだろうか?”
"それが陛下の望みでしたら、私は従います"
確りと頷いてしくれた事に、まだ成人して間もないだろう青年の近衛兵に向かって笑顔を作り頷いた。
間違いなどは、したつもりはない。
だけれども、友人が親友になる様に、旅人が賢者になってしまった関係を、そのまま続けたなら、その余りに親しい様子を突き砕く様に、何等かしらの批判を浴びせられる事だと思える。
ならば批判をされ、誤解する様な状況を見てしまったうえでも、自分を王だと慕ってくれている近衛の兵士の青年にその役割を頼みたかった。
"―――済まないな、頼もう。その内に、詳細なと事を話し合って決めよう"
その指示にも近衛の兵士の青年は、素直に頷いてくれた事で、もう1つ頼みごとをする事にする。
"それでストラスが見てしまった事があるだろう。
その事も、この頼んだ役割を引き継ぐ代表の物にだけに対する口伝みたいな形にして欲しいのだが、頼めるだろうか"
"残して、しまうのですか?"
口伝にする―――秘密の形ながらも「残す」という王の選択に、頷くのを近衛兵は躊躇う。
"意見をする役割を代々引き継ぐにしても、その事については私一代で終わってしまう事の方が良いのではないのでしょうか?"
目撃してしまったのは、本当に偶然の出来事で、本当なら異性である国王と賢者の間で行われた、"戯れ"の様なものだと、近衛の兵士の青年は思ってしまいたかった。
(自分の役割からは決して逃げ出さないけれども、その事がなかった事にしてしまえるという事は、出来ないという事なのですか)
―――まだ時間はあるけれども、早めの晩餐の衣装の支度をしたい。
―――宮殿にはいるはずだから、後宮の侍女から国王を捜し欲しい。
そう頼まれて、第一夫人から「きっと、旅人殿の所にいますという事です」という言伝を聞き、近衛の兵士の青年はその場所に赴いていた。
そして、これまでに出くわした事の無い、大きな魔術の気配を、夕立は降りやんだけれども、まだ濛々とした雲が幾らか残っている、曇天の為に薄暗くなった宮殿の通路で察する。
走り、駆け寄ったけれども自然の現象ではありえない、大きな白と黒の縞模様の旋風が来賓室の中央で渦巻いていた。
それから旅人の来賓室となる、扉の無い部屋の入口の影に、余りにも大きい魔術の煽りを受けぬように隠れ、旅人と国王の姿確認出来ず、戸惑っている内にそれが「終わった」。
産まれて初めて見る、余りに強大な魔術にの魔力に当てられて、それなりに武芸の腕に覚えがある近衛の兵士の青年はが呆けているうちに、あの現場に出くわしたしまった。
同性だと思っていた客人の旅人が異性として認識したなら、もう、そうとしか見えなくなってしまった。
【サブノックの青い髪の王様と、行き倒れていたのを助けて貰った不貞不貞しい旅人】とその時まで見えなかった2人が、そういった関係の者同士にしか見えなくなる。
それは正体の判明してしまった"騙し絵"の様なもので、少なくとの近衛の兵士の青年にとっては、もうその構図にしか見えて仕方なかった。
そして、出来れば"なかった事"になってしまえば良いとも思えた。
"「幸い」にも見たのは私だけです。
賢者と国の王が親しくならない様に見張るのは、決して吝かではありません。
でも、私が見てしまったことは―――"
"―――私にしたなら、第三者の誰かに「見て貰った事が幸い」なんだよ、ストラス"
幸いという言葉を聞いて、気が付かないつもりでいたけれども、「本気」でもあるのだと察する近衛兵は、幼い子どもの様に唇を噛んでいた。それでも青い髪の王様は構わずに、"見張り"を引き受けてくれた青年に本心を打ち明ける。
"きっと、私とあの人のこの様な関係は、ストラスに注意を頼んだけれども、決定的な証拠はない状態で、そんな噂があるという形では伝えられて、残ってしまうだろう。
それくらい親密で、心を開いている関係に多分現状でも見られているのも、少なからず感じてもいるし、第一夫人などは多分気が付いているが、気が付かない振りをしてくれている"
自分自身に呆れているという雰囲気を滲ませながら、上着が無い為に晒されている逞しい腕を組みながら、眼を伏せて話し続ける。
"お前の様に、頑なに私の事を立派な王だと信じててくれようとしてくれようとする者は、「誰も見たことなどないから、噂でしかない」と論破もしてくれる者もだろう。
そういった者が現れてくれるように、私はこの国の執政に王として取り組みたいとは考えている。
だけれども「もし、何もしがらみがなかったなら、進んでもみたかった道」でもあるのが、「賢者殿」との事だ。
そして多分、賢者殿―――賢者になってくれた女性も同じ様な気持ちではあると思う"
そこでゆっくりと閉じていた眼を見開いて、自分より幾分か背の低く年若い青年に向かって至極残念そうに微笑んだ。
"でも、それだけでもある。
これ以上は、決して進まないだろうというのが、互いに判っているし、そのつもりでこの「王様と賢者」関係を続けていくのだろうと思う。
変な所で、互いに頑固で潔癖で自分勝手と「親友」としてわかっている。
もし、仮に結ばれるなら互いに独り身で、私は新しく産まれる国の王に据えられるような武人ではなくて、彼女が好奇心旺盛で研究熱心な旅人でもない、そんな状態の時にだろう"
"……そんなの、殆どあり得ないことではないですか"
2人関係を最も否定したい筈なのに、当人からそれを受け入れる言葉には思わずそう返してしまっていた。
"そう、ありえないことで、どうしようもない事。
でも、だからといって自分達の役割を忘れて、「背徳的で素敵な悲恋の物語」という後宮で婦人や侍女の達の間で流行っているような、物語で終わらせたくもない。
だから、ストラスの様な信頼できる者だけに知っていて欲しい"
そう口にして、少し垂れ眼な事を気にしているという話を聞いた事のある近衛兵の青年の頭を、まるで弟を褒める兄の様に頭を撫でた。
"よろしく、頼むぞ。これが一番、この産まれたばかりの国の為になると思うから、賢者殿と私で選んだ道だからな―――"
告げたと同時に、宮殿の中で一斉に灯りが点いて、いい加減戻ってくるのが遅いこの国の王を侍女達が迎えくる姿が、宮殿と後宮を繋ぐ通路で見えた。
"さて、着替えてから、賢者殿の紹介の仕方を考えなければいけないな。
まあ、あの方なら紹介されて質問されても、倍返しで相手が返答に困る言葉で答えを返しそうだが"
そうして、王の予想が的中したというべきなのか、賢者の紹介を以て建国の夜の晩餐が恙なくという状況とは程遠い形で終了する。
ただ、それでも時間は過ぎて行く。
それから十数年が過ぎ、サブノックの王はストラスという若い近衛兵に約束した通り、6人の妻達の間に多く授かった子の中でも、自身と同じ青い髪を持った娘を彼に娶らせた。
その事で、ストラスの姓はサブノックの執政に携わる枢機の一族に加わることになり、その頃にはすっかり不貞不貞しい賢者が女性という事はサブノックの国の中で受け入れられ、認められた。
その理由の1つとして、サブノックの建国の後に、幾つかの周辺の集落や地域と民族を以て建国され、そして消えて行った事にある。
消えてしまった周辺諸国は「更なる発展を」と、隣国のヘンルーダも併せて西の方にあるという大国 を共に攻め入ろうと、建国の披露も兼ねた会食の席で持ち掛けた。
元々、その建国事態が集落や民族の結束を固めるものと、侵略を終えた後の事を考慮した思われると暦には記されている。
そして、その後に認められている事は、それを二の句が継げぬ勢いで、サブノックとヘンルーダの王が双方断った事だった。
断った当時は、それが賢者の助言故であるという事は公表はしなかった。
攻め込んだ国々が返り討ちにあい、建国されたという直後に消え去ったとサブノック、ヘンルーダの両国の暦に刻まれた後に、双方の国王の口から賢者の意見だと知らされる。
その際に、ヘンルーダの事は解らないが、ストラスは勿論頼まれていた通り、王に賢者について反発を行ったが、事後の出来事なので、この時ばかりはどうにもする事は出来なかった。
加えて、西の大国に侵略をけしかけておきながら、返り討ちにあい、剰え国が消えさる様な無様な戦に参加させなかった功績に関しては、隣国ヘンルーダを含めて自国でも、賢者という存在は評価を得た。
これ以降、具体的な事例や決定的な事はないが、サブノックをヘンルーダを含めた、「賢者が滞在した」という暦の記録の残っている国だけが、世界に名前を残す事になる。
ただ、世界に名前を残す国とはなったが、そこに「賢者がいたから国が残った」という明文が、暦に刻まれる事はなかった。
賢者はあくまでも国に滞在し、国の文化や教育の発展の手助けをしたという事だけがそれぞれの国の暦に刻まれる。
やがてサブノックが産まれて30数年が過ぎ、確りと世界にも祖は武人の集った、武器の製造や極彩色の織物や絨毯が名物といあると、世界に確り広まった頃。
1人の人物がサブノックから、旅人して旅立とうとしていて、それを追いかける人の姿が国の端の方であった。
ただ、追いかける人は決して引き留めるわけではなく、旅立つ人物にある話を伝えておきたかったためである。