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新人兵士とオッサン兄さん

「ダンさんって、西側には余り行かないのですか?」


自分よりも頭1つぐらい大きい、見習いパン職人と名乗る、アルスが知っている中では国の英雄で、上司の親友でもあるという大農家グランドール・マクガフィンと同じくらいの背丈の男を少し見上げる形で訊ねた。


結構な有名人ではあるらしいのだが、アルスは元々自分が積極的に人と関わろうとはしない性分もあって、有名な噂話や人物であっても知らない事が多い。

それは東側では知らない人がいない者はいないと言われているオッサン兄さん事ダン・リオンにも当てはまる。


その名前と風袋(ふうたい)は、リリィにきいていたけれども、それ以外の事はを良くは知らないので、何かしらきっかけにでもなればと、話しかけていた事もあった。

そうすると、尋ねられた方は力強く頷いて応えてくれる。


「そうだ、アルスの言う通り行かない事もないが、必要以上には俺は西側には行かん。

やはりバロータ師匠がパン屋で、俺はその弟子なのだからその周辺での動きが多くなるかな。

あと西側は、俺が歩いていると、何かと力仕事のスカウトがかかるんだ。

俺は善良な見習いパン職人だと言っているのに、過去に武芸者をやっていた関係で、やれ森の奥に盗賊がでてきたとか、どっかの魔法で失敗した生物を、軍に内密にやっつけ欲しいとか。

前にパンの配達の途中で1度、森で熊を倒したのがどうやら広まっているらしくてな。

それが尾ひれや背びれつけたこともあって、勇ましい者が多い西側はでは、俺をやけに戦いの場の仕事を進めてくるんだ。

だから最近では用事や配達、ああそれとペットに陸ガメのカルマンドーレというのを親の代から飼っていてな。

そいつを捜しに行くのも兼ねない限りは、行かない様にしているかな」


「そ、そうなんですね」


年の割には肝が据わっていて、物事にも動じない方のアルスではあるけれども、初めて耳の長い上司に出逢った時の事の程ではないにしても、オッサン兄さんには、結構驚かされていた。

雄弁な語り口もあるけれども、発せられる声に含まれている響きに籠っている何とも言えない重みは、アルスの人生の中では余り体験した事がない物だったこともある。


"余り体験した事がない"と思うのは、実は月が一回りするほど前に、同じ様に声に力があってしかも人の心拾い読めるという存在に、遭遇したからでもある。


でもその人物の素性は、とても高貴なもので同じ様な印象を受けたのだけれども、一緒くたにしてもいけないと思って黙っている事にした。


(それに、いきなり今日初めて出逢った新人兵士に、"この国の王様に似てますね"なんて流石に"何を言っているんだ"って思われそうだし)


姿にしても、王様の方は"見た"けれども大分距離があったので、髪の色こそ同じだが、この国王であるダガー・サンフラワー黒く長い髪しているのにたいして、ダンは短髪である。

何よりの違いは、この元武芸者だったという見習いパン職人は左目を過去に負傷していて、大きな眼帯をしているという事もある。


(ダンさん、とても強そうに見えるけれども、やはり世の中には強い人が自分が思っている以上に、沢山いるんだろうな)


そんな考えをしながら兵士としての軽装をしているアルスと、元は武芸者だったというダン・リオンは、王都の大通りを一本ずらし、人通りにに少ない道を並んで歩いている。


昼前にかけて、中央と東側に向かう人の大波は十分に予測出来ていたので、そこの具合を分かっている2人は、迷子のアトの捜索に、喫茶店"壱-ONE-"を出てから互いに何も言わずにそちらの道を選んでいた。

アルスは、リリィやパン屋のバロータからそれとなく聞いた事のある、"見習いパン職人"を間近にして、先程の会話の内容も含めて軽く緊張もしている。


色々、小さな同僚から随分と親しいという事で、話は聞いているので、最初から信頼出来る人物ではあるけれども、今までのアルスには縁がなかった部類(カテゴリー)の人物にも思えた。

ただ、喫茶店を出てから気にかかっていた事もあり、多分ダンも気にしている部分があると思い、再びアルスの方が話題を振ってみていた。


「ところで、リコリスさんは大丈夫でしょうか」

「ああ、護衛騎士で、日頃から金を使っている様子もないから、喫茶店"壱-ONE-"のマグカップは店主の選りすぐりの物だとしても、弁償は出来るだろう」


ダンが逞しい腕を組んで、"眼帯をしているので、見えない方向のフォローを頼む"と言われて左側に立っているアルスは自分の求める返事ではない事に、多少慌てながら口を開いた。


「あ、いえ、掌で粉砕したカップの値段の事ではなくて……。

その、物凄く尊敬している上司のディンファレさん―――デンドロビウム・ファレノシプスのお見合いの話を聞いての事です」


「ああ、そういった事か。俺は、ただの見習いパン職人だから、配達の途中で噂で聞いた程度だからなあ。

詳しくは知らないぞ」


「あ、はい、そうなんでしょうけれど……」


(そうだった、ダンさんも噂で聞いた程度でしか知らないんだ。

でも、パンの配達とかで知ったんだろうから、それくらい有名な話なんだろうし―――)


アルスの記憶にあるディンファレの姿は凛々しく、自身の見合い話などを隠している様子など想像も出来なかった。


(特に理由がなくて隠す事は絶対にしないだろうから、知らない自分が世間に眼を向けなさすぎなのかもしれない。

やっぱり、もう少し世間に興味をもった方が良いのかな)


今朝も日報を読んだことで、興味がないけれども新たに知った事もあった。


(そう言えば、自分と一緒にしてはいけないのかもしれないけれど、リコさんも仕事第一な雰囲気だった。

世間の事を必要以上に興味が無いというか、自分の仕事に向き合ってはいるということなんだろうけれど)


本日喫茶店"壱-ONE-"に訪れていたのも、ロブロウで、アルスの恩師であるアルセン・パドリックの代理となって行った大役のに関しての報告書を、仕上げるためだという。


(でも"あの事"を、現場に見てない人にも伝わる様に書くのって、本当に難しそうだものな。

ディンファレさんの事は、本当に大切だけれども、リコさんも王族護衛騎士としての矜持と責任があるだろうから、どれもこれも興味がある事に眼を向けていたら、身動きが取れなくなる)


アルスがリコの事をそれなりに考えている間、ダンは構わずに話し続けていた。


「まあ、心配する気持ちも分からないでもない。

だが心配はいらないだろう、あのリコリス・ラベルという女性騎士の相棒らしき、語尾に猫の鳴き声を着けていた騎士が側にいた。

それに上司に当たる老紳士もいたし、リリィとあのロブロウから出てきた御婦人もいる。

心の中は穏やかではないかもしれないが、自身で自制気持ちをかけて、これ以上取り乱す事もないだろうさ。

話しを戻すようだが、カップも破壊したのも結構効果はそれなりにあったと思うぞ。

"無駄な力"が入っていると、自覚するのに丁度良かっただろう」



「無駄な力というか、やはり騎士さんだけあって握力も凄いんでしようね。

普通はその、握るだけで陶器のカップを割るなんて、出来ないですもの」


ごく自然に感想を漏らす様にそんな言葉を口にしたなら、ダンがアルスに合わせていた歩調を止める。

アルスの方は一歩ばかり先に進んで、脚を止めて振り返ったのなら、ダンの唯一残っている右の黒い瞳を激しく瞬いている姿が眼に入った。


「アルスは握力だけで、ああ、ええっと、あの眼鏡をした女性の騎士がカップを粉砕をしたと思っているのか?」

「え、そうじゃあないんですか?」


ダンが戸惑う様に口にする言葉に、アルスは空色の目を丸くしていると、見習いパン職人は小さく"ああ"と言葉を漏らした後に、声を出さずに唇を動かす。


(え?)


唇の動きを見て、言葉の意味を知るという読唇術をアルスは学んだ覚えはないけれども、ダンが動かした短い言葉は読むことが出来た。



"すっかり忘れていた"


アルスの読みに間違いがなければ、見習いパン職人の唇の動きはそう読めた。


(何をすっかり忘れていたんだろう?)


読めはしたけれども、言葉の意味が判らない内に疑問に思っている内に、再びダンの方が歩き始め、慌ててアルスはそれに続く。


「もしかして、アルスは魔法が苦手だったりするのかな?」

「あ、はい、正直に言って全くできません」


ダンから尋ねられて素直に答えたなら、"そうか"と短く応え、2人はまた並ぶようにして歩き出していた。


「……アルスは魔法と精霊術は違う理屈みたいなのは、知っているか?」

「あ、はい、それは軍学校でも習いました。それに、今の上司に当たる"ウサギの賢者"殿に少し丁寧に教えてもいただきました」


軍学校で学びもしたのだが、上司である賢者が話してくれた精霊術はアルスにも馴染みやすく、よく覚えていた。

その事を伝えると、眼帯をしている為眼は見えないが、その上にあるキリリとした黒い眉を上げ、大きな口を開きながら反応をする。


「ああ、あのウサギが穴に潜るみたいに、屋敷に引き籠っている、鎮守の森に隠居をしている賢者な。

俺は用事あって、リリィを迎えの行ったりして声を聞いた事があっても、姿を見た事がないんだが。

部下ではあるアルスには、そんな話もするんだな」


これまでにない、対外的な表現に使っている"ウサギの賢者"の表現を聞いて、自分の上司が本当に外には出ていないのだと感じながら、アルスは頷いた。


「その、精霊術の方は使用者の性格や感情に同調したりとか、個性豊かみたいな話も」


"アルス君、精霊を"扱う"なんて"傲慢"だ。精霊術は、精霊に助力して貰ってるに過ぎないんだよ"


円らな一般的には可愛らしいと言われる眼に見据えられて、そう告げられた。


"心"を持つ存在だったら大抵同じ。

"気が合う奴"に力を貸したいものだ。そして精霊術の場合、それが一番顕著に現れる"


"精霊達が興味を引くような言葉で語りかけ、引き寄せる"


"アルス君は精霊達にも"種類もあって性格もある"という事を知っておくだけでも、役にたつんじゃないかな"


"ウサギの賢者の護衛部隊"に配属されてすぐ、朝の基礎訓練の時に、小さな同僚である巫女の女の子と共に受けた、簡単な精霊術の講義を思い出しつつアルスは眼帯に左眼が覆われている横顔にそう告げる。


(リコさんだったら、強くもあって優しくもあるから"水"と"火"とか、本来なら相対している力でも、興味のある事を理解して、両方の精霊から助力を受けていそう)


アルスがそんなことを考えていたなら、再び見習いパン職人は、逞しい首を捻り顔の正面を新人兵士に向け、残っている右の黒い眼でまるでのぞきこんでいる、力強く頷いた。


「そう、正にそこだ。精霊を伴う事になる魔術は感情に左右されやすく、ある意味では調子の波に乗り易い特徴のある魔法でもある。

それで、リコリスという名前の女性騎士は、よっぽどディンファレという騎士を慕っているので、"見合い"という言葉に相当なショックを受けたんだろう。

色んな感情が体内に巡って、日頃制御も出来ているだろう精霊も俗にいう暴発状態になったんだと、俺は見た。

元々の性質もあるだろうが王族護衛騎士に配属される位だ、魔力は潤沢にあるだろうし、それに引き寄せられる精霊もいるだろう。

で、それを踏まえてだ。

それで最も人の力が意識し、出てしまうのは身体の部位は何処だと思う、アルス?」



やや大袈裟に身振りと手振りを加えて、見習いパン職人が説明する隣で、新人兵士は精霊術の魔法の理屈よりも、現実的につい先程見た現象で答えを口にする。



「その話の流れからいったなら、"手"ということになるんでしょうか。


リコさんが、カップを握りつぶしたというか、粉砕をしたこともありますし。


じゃあ、ダンさんの話に習ったのなら、ディンファレさんの見合い話を聞いて、興奮してしまった力が掌を通じて、精霊力が出てカップを粉砕させたという事になるんでしょうか」


アルスの答えを聞いて、ダンは口の端をグイと上げてニヤリと笑う。



「うむ、アルスは中々飲み込みがいいな!。

全くもってその通りだ。

うちの国の最高峰だがなんだが知らんが、後輩に無理を言ってまで我満通してと噂にまでなっている、引き籠っているく賢者が欲しがったのも納得だ。

こちらの与えた情報を素直に受け入れた考え方が出来るというのは、良いことだ」


「あ、ありがとうございます」


褒めて貰った事には、律儀に反応しながらも、アルスの心の内で考えている事は、この話題を始めている時から、変わってはいなかった。


「―――では、何にしてもやはりリコさんは"ディンファレさんのお見合い"に、平常心を保てなくなるほど、ショックを受けていたという事なんですね

その、自分の掌から日頃慣れ親しんでいる力が溢れてカップを粉砕をさせて、ダンさん曰く"無駄な力"が入っていると、自覚する様な力の調整(コントロール)が出来なかった」


アルスがそう言い終えると、隣に並び歩く見習いパン職人は顎に生やしている、無精ひげを撫でる。

その仕種のまま、堂々とした印象が強い人物にしては、珍しく"遠慮がち"という印象を与えられる声を出し、アルスに語り掛け始める。


「そうやって"リコリスがショックを受けた事に"拘って入る所を見ると、もしかして"アルス"の方も、ディンファレの見合い話に、実は結構なショックを受けていた事になるのか」


すると半年間の新人兵士の基礎教練で、屋外が多くて元はどちらか言えば白い肌ではあるけれども健康的に日に焼けている少年は、その上に"赤み"を上塗りする様に赤面する

新人兵士の雰囲気も何をしているわけでもないのに、高揚しているのが見習いパン職人にも判る。


("そんな事はないです"位には言うと思ったが、アルスもディンファレに憧れている部分をちゃんと認識はしているという事なのか)


"アルス・トラッドがデンドロビウム・ファレノシプスに負けた時から、彼女を意識をしている"という報告は、ウサギの賢者から報告が上がって見習いパン職人となっている"王様"は掌握している。


ただ、照れているアルスからは、中々言葉が返ってこず、この機会に"姪がお兄さんの様に慕っている兵士"の話を聞いてみたかった伯父として考える。


心を拾い読む能力を、眼帯に覆われている左目に持っていたとしても、言葉としてアルスの口から聞いてみたかった。


(相手にばかりに出させるも悪いから、こちらからも何かしら情報はださないとな)

そう考えた見習いパン職人は、自身の経験を話すことにした。


「一緒にするものでもないかもしれないし、アルスと具合は違うかもしれないが、俺にもあったぞ、年上の異性に憧れる時期」

「え、ダンさんもですか?」


"年上の異性に憧れる"というのは、アルスにとっては相談するか話をするにしても、相手がいない事だったのでこうやって振って貰えるのは、意外な事だった。


最近出来た親友が、折角王都に訪れたので機会があればしたりもするのだろうが、今日は弟のアトが迷子という事もあってそんな、話しどころでもない現状でもある。


取りあえず今は、西側については詳しいのと、社交的でもあるアルスが前に下宿していた工具問屋の女将であるアザミに会いに2人して進んでいる。

向かう道すがらに、軽く話すには悪くない話題の様も気もしたし、アルス自身は自分の胸の内に浮かぶこの気持ちを、人生経験はそれなりに豊富そうなこの人物の話を聞いて考えてみたかった。


「まあ、俺の場合は年が些か離れすぎていて……という事もないのか。

世の中には10歳以上離れて夫婦になっているご夫婦もいらっしゃるからなあ。

出逢った時期が"悪かった"と表現するべきかどうかわからないが、俺が年齢が一桁で、相手がそれは綺麗な、しかも貴族のお姉さんでな。

だから、一般人の俺が眺めることが出来ても、何がどうこう出来るって事は、全くなかったな。

でも、側にいるだけで気持はちびのガキなりに"ドキドキ"していたよ。

ただ、向こうは俺のことを"年下の男の子"としか見ていなかったけれども」

「それは……どうしてもそうなるものなんでしょうか」


偶然なのだろう憧れる人との年齢差は、アルスとディンファレも同じ様なものだし、年下の男という部分も当てはまる。

ただディンファレは年下の男子というよりも、どちらかと言えば後輩の兵士として見られている部分が強い気がした。


「そこは自分と身近な人物に置き換えたなら、判り易いだろう。それこそ、リリィをそういう対象にみれるか?」

「全く、見る事ができません」


ダンの確認には、アルスが即答をしたならば、無精ひげを伸ばした顔に苦笑いを浮かべて頷いていた。


「まあ、アルスリリィの接し方から見て、そうだろうな。

俺は今でこそ、昔からの親しい親友からは"暴君"などと言われてはいるけれども、これでも幼い頃はそれなりに大人に結構気を使うほうでな。

相手が、子どもの様に見てしかいない相手に、好きです何てアピールなんて全く出来ずにいたんだよ。

しても、向こうが何らかの迷惑が掛かるのが嫌だったし、生意気に、自分が好きだという事を口にする事で、相手との関係が壊れるのが嫌でな、この位の関係が良い。

ガキがそんな風に考えているうちに貴族は輿入れというか、結婚もはやかったから、俺の初恋みたいなものは、そこであっさりと終わったよ。

ただ、嫁いだ場所が近所だったこともあって、寧ろ会える機会も増えた事もあって失恋と例えるのも何だか変な感じの代物になった。

まあそこは、好きだと伝えていないから、そのまま"仲良しの男の子"として見てくれていたんだろうな。

そんで俺は、武芸の方に少しばかり才能があったんでな、それを活かして旅に出たわけだ」


重ねるわけではないけれど、ディンファレと自分もそんな感じになる物だと思えて仕方がなかった。


"憧れて、慕ってもいる"、距離が近くなるなら、それはそれで嬉しい。


けれど、相手を困惑させたり煩わせたりするようなら、自分の気持ちは決して伝えたくはない。

そして積極的に自分が動いてはいないのだから、相手が誰かに嫁ぐ事になっても、自身で驚くほど"仕方がない"と諦める事も出来る。


(それに、"僕"がディンファレさんに憧れるている気持ちは、きっとリコリスさんよりも強くはない物だし)


眼に見えず、形が無い相手を想う気持ちを比べるというのも難しい事だと思うけれど、あの理知的な印象は強いけれど、天然な所もある治癒術師の女性騎士には、アルスの憧れの気持ちは及ばない。


(でも、自分はどちらかと言えばダンサンと同じことをしてしまいそうだな)


自分から距離を広げる様にしてその場所から旅立つーーー。


「……その初恋の方とは、旅に出たきりなんですか?」

「いや、今でもたまに会うぞ。パンの配達だってしているぞ、ああ、今日も逢った」


至って当たり前の様に、見習いパン職人は言ってのけたので、アルスは思わず脚を止めていた。


「……へ?あっているんですか」


ダンは足を止めたのには付きあわずに振り返らずに行く。



アルスが慌てて置いついたなら、そのまま横並びになり再び歩き始めると、見習いパン職人は話を続ける。



「相手に気持ちを伝えていないことが大きいかも知れないが、逢って特に支障がある訳でもない。

それに俺はさっきも言った通り"仕事で逢わなければいけない"状況もあるのでな」


見習いパン職人が口に"仕事"という言葉に、アルスは不思議な重みを感じさせられたのだが、その正体が判らない内に更に話はつづいて行く。


「何にしても、戻ってきた一番の理由は現実的なものだ。一応両親の墓があるんでな。

それに何やかんやで王都は物流豊かで便利。

加えて今は家族以上に家族になっているバロータ師匠もいる。

その師匠が、孫娘みたいに可愛がっているリリィとたまに遊んだりする。

のんびり過ごす日常も、それなりに年を取った事もあるだろうが、初恋をしていた時間と同じくらい良いもんだと思えるんだ。

それで、その人とも思い出があった上での今だとも思うしな。

俺からすれば初恋に破れたかもしれんが、避けるというか、"逃げる"理由もない」


"逃げる理由もない"という力強く頼もしくも響く言葉に、理由の判らない、チクリとした痛みを覚えながら横ならびに歩く少年はゆっくりと口を開く。


「そうなんですか……。

その、自分はてっきり距離を開けたのなら、"そのままで"、縁がないのなら、もう2度と出会うことはないくらいに考えていました……ってわあ!?」


アルスが思わず溢した感想に、に、パン職人が思い切り背中を叩かれていた。


軍学校でも、滅多に体力的にも"へばる"事はなかったアルスだけれども、軍隊の中で限界を知る為の訓練の時には、身体が流石に()をあげる事もあった。

そんな時、教官にあたる上官から"励まし"の形で力強く背中を殴打する如く、掌で叩かれる事があった。


パン職人が見舞った背中の一撃は、奇妙な事に同じような効果をアルスに与えていて、空色の眼をダンに向けたなら、力強いキリリとした眉の下にある漆黒ながらも、頼もしい眼が笑みの形を作っていた。


「"逃げなかった"事で、向き合える面白い事を、ついでに教えてやろう。

その俺の初恋の人、相変わらず綺麗だけれども、年相応の"おばあちゃん"にもなっている」


「あっと、えっと、その―――」


アルスが言葉が続かず、その戸惑いに合わせる様に少し遅れ始めている歩みに構わずに、ダンはその大きな体躯に合わせた歩幅と声で、進みながら話を出し続ける。


「"ある程度"の時間が過ぎしまえばな、"その程度"のことだと思える様な事もあるんだよ。

その時、胸が張り裂けそうな程好きだった相手とかでもな、逃げないにしても、時間を置いたり距離を挟めば静まる事もある」


追いかける様にして見習いパン職人の話を聞いていたアルスは、最後の言葉のニュアンスに少しばかり引っかかる物があったので、"失礼になるかもしれない"と思いながらも、眼帯で隠れている部分の左側の顔に語り掛ける。


「"静まる事もある"って、そんな言い方をするって事は、静まらないこともあるのでしょうか?。

その、時間や距離をおいたとしても」


眼が眼帯に覆われている為、見習いパン職人の表情の動きがいまいち良く判らないが、口の端は僅かに上がった事で、自分の言葉に"当たり"があったのが分かる。


「流石、軍学校のアルセン・パドリックの秘蔵っ子と噂されていただけの事はあるな」


「あ、アルセン様とも面識があるんですか?」

「ああ、あるぞ、しかも生まれた頃からだ」

 

今回は驚きに歩みを止める事はなかったが、ポカンと丸くした形のままで暫く並んで歩みを進めていると、アルスの声が続いて出てこないので、見習いパン職人が話し続ける。


「俺が初恋をしていた相手のお姉さんは、貴族だといっただろう?。

で、俺は親の仕事の都合で富裕層の地域の近所にいたからな、何やかんやでパドリック家とも縁があるんだ」



「そう、なんですか」


(ダンさんは元は武芸者だと言っていたから、もしかしたら親御さんもそういった関係の仕事につかれていたのかもしれない。確か、高官の方の護衛専門兵士や騎士は、富裕層の地域に国が官舎に住む義務があるはずだし)


ダンから説明をされたわけではないのだが、これまでの会話の内容から推し量り、アルスはそんな風に考えながら話を聞いていた。


「それで、初恋の時期は、俺も今のリリィの半分以下の年齢だったからな。武芸者になって旅立つにしても、そんなガキの内から出来る訳もない。

ある程度の年数は必要だし、子供の年齢が低い内はどうしても母親との行動を共にする事が多くもなる」

そう語り、今は負傷して損なわれているという左目を覆っている眼帯を撫でながら見習いパン職人は続ける。


「そんなガキの年齢の時、小さい頃は母親そっくりの美人なアルセンが産まれて、親同士の交流に加わったわけだ。

普通なら身分とか拘るんだろうが、アルセンの御母上は良い意味で変わり者だからな。

全く拘らずに、出自は平民の俺のうちの母親とも随分と親しく交流をしてくれたよ」

「アルセン様のお母様……!、え、あ、そ、そうですね」


見習いパン職人が、どの程度アルセンの母親であるバルサム・パドリック公爵夫人の現状を知っているかはわからない。


ただアルスの知っている貴婦人の姿見は、尊敬する上司の母親というよりも、妹と紹介される方が納得出来る美しさと、可愛いらしさを瑞々しく携えている女性である。

そんな貴婦人の性格の面で言ったのなら、見習いパン職人の言う通りで"良い意味で変わり者"という言葉は、アルスの中ではとてもしっくりきていた。


(それにしてもダンさんて、西側はともかく、貴族の方についても話す事が出来るなんて、本当に顔が広いんだなあ)


アルスが自分では到底持つことが出来ないだろう、コミュニケーション能力に感心している間も、見習いパン職人の朗々とした語りは続いていた。


「あの頃アルセンは、女の子かどうか判別もつかなかったが、現在は肌と髪を別にしたら親父さんの方に、外見も中身も似てきたな。

父親と母親の共通する緑色の瞳も見事に引き継いで、2人の子供だと一目みて判る」


「アルセン様の御父上は、アングレカム・パドリック様ですよね。平定を終えてから、最初にこの国の宰相になられた方」


アルスはアルセンの父親に存命中に出合ったことはないけれども、在りし日の姿はパドリック邸に飾られている肖像画で拝見したことはある。

その姿は見習いパン職人のいう通り、肌と髪色さえ除けば、アルスの敬愛する上司とほぼ瓜二つというものだと記憶している。


(あ、それに"髪の長さ"も違うかな。たしか、アルセン様の父様は先王のグロリオーサ陛下や、今の王様がしているみたいのに合わせていたかどうかはわからないけれども、長髪だった)

ただ、彼は恩師であるアルセンが随分と幼い頃に、"事故死"したのだという話もアルスも知る所である。


「御父上の方も、"事故"で亡くなられる前までなら、幾度かあった事がある」

アルスなら幾らか言葉にしづらい事も、ダンはあっさりと口に出していた。

でも、正直にいうのなら"恩師の父親"に興味もあったから、新人兵士は下手に言葉を差し込まず続きをまった。

パン職人の方もその事を察しているのか、話しを続ける。


「傾ききった国を平定した後で、私利私欲に塗れた腐敗政治を立て直すという事もあって、それは厳格に"法"という物を新たに作る事に、向き合っておられる方だったよ。

自分の時間という物を、全て国の立て直しに繋げる為に使おうとしていた方だったと、俺より付き合いの長かった、"俺のオヤジ"に聞いている。

でも、子どもの俺からしたら、凄く家族想いの本当に優しい方だった。

宰相の仕事に忙しくて、滅多に見かける事もなかったけれども、赤ん坊のアルセンを抱き上げている時なんて、男なのに慈愛に満ちているって感じの顔してたな。

元々、家族をもつとい気持ちはなかったらしいから、何と例えたらいいか、結構難しいが、凄く戸惑いながらも、家族を持てた幸せを大切に抱えている方だった。

だから、"事故"に関しては本当に残念でならん」

「あの、"家族を持つつもりもなかった"っていうのは―――」


亡くなったのは知っていたけれども、そう言った話はそれなりに親しくさせて貰っている恩師のアルセンからもアルスは聞いた事はなかった。

ただアルセンがもし知っていたとしても、教え子でしかないアルスに自分からする様な話でもないのも分かっているつもりだったので、見習いパン職人の言葉を待つがそれはあっさりとしたものだった。


「そのままの意味でしかないと言えないな。結婚はせずに、仕事に生きようとしたそうだ。

ある意味じゃあ、今のアルセンも仕事にしか興味が無いみたいだし、そんなに大差はないと思うぞ」


「じゃあ、何でアングレカム様は、バルサム様とご結婚を―――」


と、疑問を口にしながらもアングレカムの妻で恩師の母堂となった人物と、その"性格"を思い返したなら、瞬く間に"どうして?"という気持ちが萎んでいっていた。

リリィがかつて気に入られて、それは熱烈な愛情表現をバルサムから受けているのを見ていたので、それが想い人に変わった所を想像したら理屈は浮かばないが、アルスは納得した。


「バルサム姉さん……バルサム奥様がそれは熱烈に"好きです"と、猛アピールして、その想いが実ったとしか言い様がないなあ」

「そう、なんでしょうね。だから、アルセン様がいるって事なんでしょうし」


三十路の半ばになる息子を持ちながらも、まるで乙女の様な振る舞いを目の当たりにしているので、"猛烈なアピールをして、実った"と言われたならそれも納得が出来た。


(きっと、リリィを可愛いって抱きしめて気を失わせてしまうのとでは、比べ物にならない程に、アルセン様のお母様は、御父上になるアングレカム・パドリック様をお慕いしたんだろうな)


そんな事を好意的な笑顔と共に考えていた場所に、先程のやり取りがまるで冷えた影が伸びて射した。


―――"ある程度"の時間が過ぎしまえばな、"その程度"のことだと思える様な事もあるんだよ。

―――その時、胸が張り裂けそうな程好きだった相手とかでもな、逃げないにしても、時間を置いたり距離を挟めば静まる事もある。


見習いパン職人が"前向き"と、明るく捉える事の思える言葉を連ねる中で、新人兵士はその後に"後ろ向き"な言葉を口に出していた。


―――"静まる事もある"って、そんな言い方をするって事は、静まらないこともあるのでしょうか?。

―――その、時間や距離をおいたとしても。


(それで、自分がそう"言ってしまった"後で、ダンさんはアルセン様の名前を出して、そのまま、今さっきしていた話になったんだった)


どちらかと言えば、"明るめ"の話しの流れになっていたし、その話の中心はアルスの恩師であるアルセン・パドリックの実母がいつの間にか中心に来ていた。


彼女に関してはその性格と容姿から、翳りという物と結びつける事が先ず難しいと思える。

けれども、彼女の過去起こってしまった悲劇を知ってしまったなら、敢えて判り切っている矛盾から周囲が眼を瞑っているのだという事も察してしまう。

眼を瞑っている―――"知らないふり"をしていたのに、その歪みにアルスは原因の様なものに気が付いてしまって、先程の自分が口にしたことが重なってしまう。


"時間や距離をおいたとしても、静まらない想いある"


頭の中で、自分が口にした言葉が(ブロック)になって置き換え浮かんできた文書が、最愛の人を喪った事で、静まらない想いを御する事が出来ず、最愛の人を喪った時から、時間に置いて行かれた貴婦人の姿になる。


「バルサム奥様の場合は、彼女自身が生まれ持った魔力の量が尋常でない事もあるから、その作用もあると学者っぽい奴が見解を述べていたな」


不意に黙り込んだアルスの代わりの様に、見習いパン職人が口をひらいて、まるで新人兵士の心を拾い読んだ様にそんな事を口にした。

露骨な物言いではなかったけれど、"時間や距離をおいたとしても、静まらない想いある"の現象として貴婦人の事を見習いパン屋は、例えの様にして使ったのを察した。


(もしアルセン様が側にいたなら、とても話せる内容じゃない)


でも、恩師と本当に親しい間柄ならば、一度は向き合う事になる現実だとも思えた。


(それに皆、不思議には思うんだろうけれど、きっとその事―――、どうして"年を取らなくなってしまった"かを軽々しく訊くことが出来ない。

あ、でもパドリック家と昔から関わりがなかったなら、アルセン様のお母様はとても凄い魔法使いだから、"そっち"の方面から、考えている人もいるかもしれない)


ただ、それを知ることが出来る事になるのは、"人が老ける"という時間を近い距離で過ごしてみていなければ判らない事でもあると思えた。

そして、見習いパン職人の場合は殆ど"幼馴染"という立場もあって、その一部始終を見ていた事になるのだとアルスは判る。


「"静まらない想い"っていうのは、やっぱり良い物では……、少なくとも普通の事ではないという事になるんでしょうか」


魔法という物とは縁がないアルスは、巧い言葉を見つけられずに何とか出した言葉に、ダンは否定する事はなく、頷いてくれた。


「そうだな、"強い想い"ではあるから、"普通の想い"とは違うだろう。

けれど、普通ではないだけで、"悪いもの"ばかりでもないという事になると、俺は捉えているがな。

そう言った"驚くような事"が起きてしまう程、相手を想っていたという事にしておけばいい。

それで、話しはようやっと戻って来るが―――。

アルスは自分では"時間"を置いて、距離は2度と逢えないくらい開けておけば、例えディンファレがお見合いで結婚しとしても、耐えられそう。

そう今の所は考えていると、俺は捉えてもいいだろうか?」


少し回り諄く感じる位の前置きに、耳の長い自分の上司を語り口を思い出しながら、アルスはダンの直接的過ぎる表現に再び赤面をしていた。


「あ、いえ、その距離を取るって言っても、ディンファレさんは法王様の護衛騎士でもあるんですから、そんなに逢うとかまずないですから!」


(それに、自分の場合は置き換えたとしても、ディンファレさんは年下云々よりも、覚えていたとしても後輩の兵士としてしか見ていないだろうし)


"自分の思い込みだけで勝手に気持ちを固める物ではない!"


だが捲し立てる様に言いながら、ロブロウでディンファレに随分と強く叱責をされた事を自分が口にしているような気もして、更に赤くなりながら俯いた。


「……まあ、今回の見合いで結婚する可能性はとても低いと思うぞ。

それよりもファレノシプス財団の長が、娘との見合いを許すって事と、その結果はどうであれ、何らかの深いご縁を相手側と結ぶ事を望んでいるという、"見方"をした方がいいだろう。

見合いをするぐらい、仲が良いという周囲のアピールには十分使える。

巧く行かない所を想定した上での、商人には欠かせない、"それはそれ、これはこれ"みたいな、感情に揺らがないという裁量があるという面を世間に見せるのにも、使うのもあるかもしれないな」


どうもディンファレの見合い話になると落ち込むか、赤くなってしまう新人兵士を気の毒に思えたので、見習いパン職人は違う側面について話を展開してみる。

加えて、先程なれないながらも親友の様に少しばかり回りくどく説明を行ったこともあって、あっさりした説明をしたいのもあった。


すると、早速効果はあった様で俯くのと赤くなるのが同時に引っ込ませ、ダンの眼が眼帯で隠れている左側の顔面に空色の眼から注がれる視線を感じる。


「えっと、その、それじゃあ、ディンファレさんは"御実家"の都合の関係で、形だけの見合い話というものなんですか?」


そうであって欲しいという気持ちを眼帯に覆われた上からでも、十分に感じ取れる事が出来た事に、ダンの性格にしては珍しく胸の内で苦笑いを浮かべながら、話しを続ける。


「そういう受け取り方も、出来ないわけではないかな。でも、俺はディンファレ某の事は良くは知らないが、噂によれば凄くはっきりした性格の方の様だな。

だから、結婚はする気はないにしても、"無理やり"でもなく、自分の意志で"というのもあるんじゃあないか。

確か御実家があのファレノシプス財団の長の直系だろう?。

下手な貴族なんか相手にならない程の、富豪の所の家って噂じゃなくて、事実として有名だ。

そんで、ディンファレは美人なのは見習いパン職人の俺でも知っている」


「……そうですよね」


本来なら言われる前に気が付くべき事なのかもしれないが、今までそう言った意味で話が出てくるような人付き合いや、社会環境ではなかったので、アルスが直ぐに結びつける事は難しかった。


ただ、短い期間ながらも、"ウサギの賢者"を通じて出来た、これまでの友人とも仲間とも例えられない関係の中では、"尊敬出来る綺麗な女性の騎士"として、近くで無いにしても"ずっと"憧れている事が出来るような気がした。


「……これまでだって、そういった話があったというわけですよね。寧ろない方が変だって思える位ですし、って、ああ、そう言えば?!」

「おわ、いきなりどうした?」


ダンは久し振りに心の底から驚きそれに伴った表情を浮かべ、アルスを見たなら見習いパン職人どころではない様で、ある人物が口にした事を思い出していた。


"一度はディンファレさんを"王妃候補"みたいな話もあったんですよ"


鳶色のフワフワとした髪と眼をした、丸眼鏡をかけたその人は、最初は紅黒いコートを着ていたのに、途中から"衣更え"をしていたしていた。


"このコートは大切な親友に仕立てて貰った私の"勝負服"ですから。それなりに、精霊の加護もしてもらっていますからね"


そんな台詞と共に誇らしげに、アルスからすれば、耳の長い上司と細部を除けば殆ど同じ様な仕立緑色のコートに着替えていた、この国では国王の直轄の部隊に所属しているという人物の言葉だった。


「そうだ、すっかり忘れていた」


先程見習いパン職人は無言で唇を動かしている程度だったけれども、アルスは確りと口から言葉に出していた。


「どうした、いったい何を思い出した、アルス」

「ああ、いきなりすみませんでした。

その、実は似ているって言うわけではないんですけれど、関連するっていうか、そういった話を、前にもしていたのを思い出したもので」


(そうだ、思えばディンファレさんの事で凄くショック受けていたけれど、ネェツアークさんの言っていた事や、"あの後"起こった事を思い出してみたなら……)


「何だ似たような事を話していたのに、またショックを受けていたということなのか?」


ダンがやや呆れた様に口にする言葉に、アルスは大きく頭を左右に振る。


「いえ、前の時はショック受ける前というか、別にもっと凄い話があって……」


その"別にもっと凄い話"があった事で、今しがた新人兵士とパン職人の間で行われた自分の気持ちを正直すぎる様な恋愛話は、起きない、乃至(ないし)は起こせない状況でもあった。


(それにあの時は、話しの流れとというか、主導権をネェツアークさんが握っていたようなものだから)


発言をするにしても、あの鳶色の人の采配があって始めて発言が出来た様な調子だったので自分の意志で会話をしていたという人は、殆どいなかったように思える。

そんな風に考えているアルスが、すっかり忘れてしまう程と口にした"別にもっと凄い話"という言葉に、見習いパン職人のキリリとした両方の眉がグイと上に上がった。


逞しい首を捻らせて、わざわざ顔を正面にして、黒い右目を笑みの形に向けられる。

ただ、形は笑みのなのだが、それは図鑑でしか見た事の無い、この国の国旗のデザインにも使われている"百獣の王"と呼ばれる黄金の(たてがみ)を携えた、猛獣を新人兵士に連想させた。



しかし、新人兵士の性格から、その猛獣の様な眼力に怯えるというよりは、"どうしよう"と困っている内に、笑みを浮かべた見習いパン職人の方が口を再び開く。


「ほう、勤勉実直なアルスが、好きな人の話をすっかり忘れてしまっていた程驚く話というのも、個人的に、とても興味深いな。

良かったなら、その"別にもっと凄い話を”このオッサン兄さんに、アルスの口から詳しく話して聞かせて貰えないか?」


「え"ッ」


明瞭に困り、"話せない"という雰囲気で狼狽えて見せるアルスなのだが、ダンの方は一向に引く態度は見せない。


(ど、どうしよう……。ネェツアークさんは特に秘密みたいな言い方はしてはいなかったけれども、多分これって大っぴらにしてもいい話でない)


"別にもっと凄い話”は元を辿れば、ロブロウであった国王直轄部隊だというネェツアークと、諸事情により出張してきていたディンファレの間にあった諍いの延長に判った事でもある。


そしてその話は、今までアルスとダンがしていた程露骨な恋愛話ではなく、結婚の価値観という少々硬いものからの流れとなっていた。

そこから鳶色の人ことネェツアーク・サクスフォーンと、アルスの小さな同僚のリリィが行っていた、ロブロウでのやり取りの延長に偶然にその話となったに過ぎない事である。


(それを自分の主観からして、話してもいいものだろうか。それに―――)


ダンに"詳しく"という注文も付けられているのでそうなると、アルスのした失敗の部分も恐らく話さなければいけなくなる。


(特に隠すつもりもないけれど、自分から進んで必要もない?のに自分の恥をさらす事もないわけだし……)


"詳しく"という注文が付いているという事もあって、その話に至るまでを、簡単に思い返してみる。


(えっと、先ず始まりは……)


―――表向きには仮にも農業研修にロブロウに行ったというのに、気晴らしにと早朝に中庭でふざけた罰に、新人兵士とやんちゃ坊主が揃って領主邸の廊下で正座をし、


そこをどうやら自分達が暴れたための早くに眼が覚めてしまった小さな同僚に見つかり、そのまま散歩に行くというので見送り、


その後を理由は判らないが激昂した体験した美しい女性騎士が、正座をする2人を見向きもせず走り抜けたので、ただ事ではないと思いその後を痺れる脚で追いかけ、


その先で恐らくは鳶色の人に向けられた剣を、ロブロウの(元)領主が受け止めていた。


(どうしよう、"前半"と思える部分で、十分思い切り長いし、そこまでをダンさんに説明するのに、自分だけじゃなくてルイ君の失敗の部分もあるし。

そこから、ダンさんにとってはさっき喫茶店で会ったばかりの、アプリコット・ビネガー様について説明しないといけなくなるし。

それこそ、アプリコット様の了承なしに勝手にしてはいけない。

ロブロウ領主を辞めたしても、一応貴族の身分は変わらない筈だし、それに―――)


そして"勝手に話してはいけない"という決定打という形で脳裏に、ネェツアークとリリィの会話を思い出す。


"ところで、私は異国の魔術を調べるのが仕事といいましたが―――実は、最近、もう1つ仕事を国王陛下から預かったんですよ"

"ネェツアークさま、もしかして―――強い女の子、王様のお嫁さんを探す事ですか?!"


(勝手に喋ったら、多分これはネェツアークさんから強く注意を受けてしまいかねない)


きっとアルスの想像でしかないだが、背後から鋭い鳶色の眼で射抜かれる様な視線すら感じる。


(かといって―――)


前方を見たなら、片目ながらも百獣の王と例えても障りない黒目から、視線を向ける元武芸者の見習いパン職人がいる。


「―――どうした、アルス?。俺には、話してはもらえないのかな?」


語り口こそ穏やかだけれども、低い声は威嚇の効果を十分持っていた。


(ああ、何かこういったどっちにやりすごしても、直ぐにまた難題がくるみたいな慣用句を学科の課業中に教わった様な気がする……)


若干現実逃避気味に笑顔の見習いパン職人を見つめていたなら、現状を助けてくれる訳ではlないのだが、アルスの疑問に答える様に、学科の教官をしていた美人な恩師の記憶の声が甦る。


『前門の虎、後門の狼。

これは、一つの災難を逃れても、またもう一つの災難が襲ってくることを例えですね。

そして似たような例えに"一難去ってまた一難"がありますが、前者は虎や狼といった具体的な"物"でありますから、

前門の虎、後門の狼は形のハッキリとした形のある物や人災。

一難去ってまた一難は、形をもたない災難が連続しておきる。その様に使い分けたなら、相手に自分の困難な現状がより伝わりやすいかもしれませんね』


(自分の場合は、"前門の虎(見習いパン職人)、後門の狼(鳶目兎耳)になりそうです、アルセン様)


思えばロブロウから戻って1度もあっていない美人の恩師の顔を思い浮かべながら、心のなかで項垂れて、アルスは肝を据える事にする。


(仕方ないかーーー)


アルスはごく真面目に考えた後、答えるにしてもこたえないにしても、どちらにしても気まずい思いをするというのなら、"自分だけがする"という方を選択する。

人の良さそうな、それでいて強そうなオッサン兄さんとの関係が気まずくなって仕方ないと覚悟して、無視はしないにしても返事を誤魔化して脚を進めようとした時、アルスの知らない声が、ダンにかけられた。


「へい……"ダン・リオン"さん!。貴方、こんな所で何をしていらっしゃるんですか?!」


最初の"呼び掛け"に少し変な物を感じたが、見習いパン職人に言葉をかけるにしては、丁寧すぎる言い回しの響きの声を出している人物に、アルスはやはり見覚えはなかった。

でも、普段着ながらもアルスと同じ様に帯剣しているその人物がとても強いという雰囲気が、その姿を視界に捉えたと同時不思議と伝わってくる。


(元々武芸者だった、ダンさんの知り合いの方になるのかな?)


その人物はアルスが視界に入ってはいるのだろうが、"見習いパン職人"がこの場にいる事に大層驚いていた。


「よお、王室護衛騎士隊隊長のキルタンサス・ルピナス。今日は公休で家族サービスだろうに、どうして"西側"に、しかも1人りきりでいるんだ?」


そんなアルスの疑問に答えつつ、度肝を抜かれるような、帯剣している人物の"紹介"を見習いパン職人がしたなら、キルタンサスの眉間に深いシワが出来る。


"貴方、こんな所で何をしていらっしゃるんですか?!"


という、キルタンサスの疑問には答えていないから機嫌が悪くなるのもあるかもしれないけれども、"悪くなりすぎている"印象をアルスは受けてしまう。

ただ、折角"前門の虎(見習いパン職人)"からは、逃れられるチャンスだとも思えた新人兵士は、初見の王室護衛騎士隊隊長だという人物に申し訳ないと思いながらも、話の(ほこさき)をそちらに向けさせてもらう。


「ダンさん、そのこちらの方は、王室護衛騎士隊隊長ということは―――」


「ああ、リコリスやライヴ、それにディンファレの"直属の上司"。

アルス・トラッドにしたら、上司の"ウサギの賢者"みたいな立場の人だ。

物凄く家族想いで有名な人物でもあってな、折角の公休日に家族で過ごしているとばかりに思っていたのに、剣なんか帯剣して1人でいる物だから驚いている。

俺はパンの配達の関係でな面識はあるんだ」


すると今度は見習いパン職人の方が、(いささ)か慌てた調子で、眉間に縦シワを刻んだキルタンサス某の詳しい紹介を始めた。

先程までの鋭い視線がすっかりなくなってしまった事は有難いと思いながらも、どうして見習いパン職人がやや慌てているかが、流石にアルスも気になる。


「それに、キルタンサスの奥方はさっきから話題に出ているディンファレという護衛騎士と幼馴染みたいなものだったか?。

ああ、そうだ、キルタンサスは上司なら、ディンファレの"見合いの話"は噂話みたいなものじゃなくて、確り聞いているんじゃないのかな?」


「……代休日が貯まりに貯まっている為に、飛び飛びですが休む事になっているのは、確かに報告が上がっています。

消化も兼ねて"親孝行"をすると、先日代休消化の初日に妻の所に遊びに来てくれた時に言っていたそうなので、恐らくそれが"見合い"という事でしょう。

で、君は―――」


まるで"諦める様"に見習いパン職人にそう告げたあと、一気に間合いを詰めながら、王族護衛騎士隊隊長はアルスの目の前にたった。


「あ、はい、自分はダンさんが先程言ってくれた通りーーー」

「ふむ、金髪に空色の眼に、爽やかな凛々しい姿、噂以上に"好物件"」


「"こうぶっけん"?」


初対面の人にかけられるにしても想定外過ぎる言葉に、空色の眼を激しく瞬きを繰り返す。

ただ"強い"と伝わり、間合に入った時から条件反射でアルスは剣の柄に手をかけていた。


そして王族護衛騎士隊隊長の方も、アルスが恩師から贈られた革手袋を嵌めた手を、自身の武器の柄にかけている事に、口に両方の端を上げる。


「……しかも"勘"も良い。アルス・トラッド君、もしも、万が一にも私が此方にいる"見習いパン職人"に斬りかかったなら、どうするかな?」


「え、ダンさんを突き飛ばして、貴方の前に立ちますけれど」

「それでは想像し難いだろうが、そちらのごっつい見習いパン職人が、見た目麗しいお嬢さん、若しくは御老体だったら?」


再び"いきなり"な質問だったけれども、アルス淀みなく応えると、また質問が続くので物怖じをしない性分の新人兵士も、僅かに戸惑う。


(もしかしたら"護衛騎士"という職種だから、護衛に関して自分の力量を計っておられるのかもしれない)


新人兵士の基本教練や、その後に行われる職種別の教練でも"護衛"の基礎は教わるけれども、更に専門的な教練は行われない。

そこを学ぶ為には職種として護衛を選択し、尚且つ現在の"任期契約の兵士"ではなく、正規の軍隊の兵士になる為の試験を受けて合格しなければならない。


王室護衛騎士を隊含め、要人や理由(わけ)あって一般の人物を護衛を行う事を主とする部隊は、勿論仕事として守る事が主となるのだが、不定期にその守り方の仕様が変わる。

これは情報の漏洩を配慮している事も勿論なのだが、"様式(パターン)化"した部分を掴まれ、言わば"弱点"を突かれたなら、護衛を主とする部隊としても眼も当てられない事態になる。


そうならない様に、護衛を組む同じ部隊の仲間と打ち合わせをし、不定期に変わる護衛の様式を当てはめ、日々護衛の任務当たっているという話はアルスも聞いた事がある話である。

実際状況によって対応が変わる中で、"形の決まった答えがない"中から、瞬時で現状を把握し、護衛対象を無事に窮地の場所から抜け出す判断行い、自分自身の責任を以て動かなければならない。


「もし味方がいるか、若しくは見た目麗しいお嬢さん、若しくは御老体を守ってくれる人の良さそうな方の方にに、やや強引ですが突き飛ばし、そちらに委ねます」


(この方相手に、僕くらいの力量じゃあ"誰かを守りながら戦う事"なんて出来るわけない)


だから護衛対象を守る為には、少々乱暴にも思えても少しでも剣の切先が届かない距離を先ず造り、加えて逃げる為の時間も稼がなければいけない。

その為には自分が間に入り、盾になる覚悟は必須だった。


そんな事を考えつつも、その間も事態は動いているのを想定するのを忘れず、新人兵士はこの国での剣術大会で優勝をした事のある剣士が、自分と対峙したのを想像しながら口を再び開く。


「新人兵士の王室護衛騎士隊隊長のキルタンサス・ルピナス様に勝てるつもりはありません。

ですけれど、護衛をしている方が、大丈夫と思える場所まで避難出来るまでぐらいは何とか、"剣"で持ちこたえたいと思います」


そう言いながら、今は意識しては強く剣の柄を握りしめ、少しだけ見上げる形になるキルタンサスと口のが、前とは違った意味合いでまた上がる。


「"様"なんぞ、言われ慣れてないから、こそばゆいな。それじゃあ、アルス君が剣で"持ちこたえたなら"、それから?」


そうキルタンサスが言われると不思議とそれまで張りつめていた空気の様な物が緩んだを感じ取ったアルスは、互いの間合いに入っているけれど自分の剣の柄から手を外していた。


「これも"出来たなら"前提ですけれど、自分も逃げて、護衛対象の側によります。

勝負云々よりも、守る事が自分の仕事ですから。

……その、護衛を守る事が仕事になっている護衛"兵士"になっている場合ですけれども」


唐突に語りかけられて、最初は戸惑いながらも応えていたのに、キルタンサスに質問を連続して受けている内に、真剣に考えて応える"自分"にアルスは気が付き、これまでと違った意味でまた赤面する。


「す、すみません新兵の自分が、こんな口をきいてーーー」

「いや、こちらからいきなり尋ねたのを応えてくれたんだ。非礼は何もない」


それからキルタンサスは少し惜しみつつ、将来有望な若人から視線を外し、大きな身体をどう人混みに紛れ込もうと思案をしている見習いパン職人の方に向けた。


「それに、個人的には元々は"何とか話を誤魔化した"みたいな顔をしている、私の家も世話になっている見習いパン職人で"知人"が、今日は仕事だと聞いていたのに、今日ここにいる理由を尋ねたい。

確か今日は仕事と聞いていて、もし休みなら少し話してみたい事もあったのだがな」


王室護衛騎士隊隊長が護衛する対象は、流石にその部隊の長だけあって、王室の頂点でもあるこの国の国王である、ダガー・サンフラワーであることぐらいはアルスも知っている。


(やはり、陛下のスケジュールに合わせて行動とかなされいる事もあるだろうから、忙しいだろうし、何か余程ダンさんに話したかった事があったんだろうな)


キルタンサスは剣に手をかけているわけでもないのだが、その形が拳になって、力が入っているのがアルスには判る。


アルスは先程自分が緊張していた事もあって気が付けていなかった部分もあるのだが、理由は判らないけれども、先程見習いパン職人ダン・リオンと王室護衛騎士隊隊長のキルタンサス・ルピナスの間には、ただならぬ空気という物が流れていた。


ただ、アルスも出逢ったばかりの見習いパン職人に口に出してはいけない話があって困っている所で、キルタンサスが会話に入った事で助かったところもある。


ある意味では、自分が"無傷"で済んだのは"物凄く家族想いで有名な人物でもあってな、折角の公休日に家族で過ごしているとばかりに思っていたのに、剣なんか帯剣して1人"でいるキルタンサスのお陰である。


(とりあえず、キルタンサス様は、ダンさんがこの場所にいる事に"こんな所で何をしていらっしゃるんですか?!"、と呼びかけるくらいに驚いていた。

でも、それは自分の自己紹介みたいなのを聞いた後で、"こうぶっけん"という意味が判らない言葉を仰られてから、理由は判らないけれどもこんな感じになったから……。

と、とりあえず、キルタンサス様とダンさんが揉めない様にするには―――)


「あ、ダンさんが今こちらにいるのは、そのお仕事だったかもしれないんですけれど、その自分を含めて上司の賢者殿の知り合いが、王都の城下街で迷子になったこともあって、捜すのを手伝ってくれているからなんです。

決して暇を持て余しているとか、そう言った理由ではないんです!」


上司にあたる"ウサギの賢者"の名前を"ダシ"の様にするのも悪いと思ったが、日頃国王と直に接しているキルタンサス新人兵士の都合で、付き合わせているという言うよりは、 相手も納得し易いだろうと思って咄嗟にだしていた。


「―――王都で迷子だと?!、それは、警邏巡回をしている軍の兵士や詰め所にはもう連絡はしたのか?!」


家族思いの護衛騎士隊隊長―――奥方は元より、娘2人を肖像画を3枚持ち歩き暇があれば嫁娘自慢をして(部下に苦笑いされて)いる程、情の深い人なので、他人ながら心配したらしい。

ただ少しばかり大きな声を出してしまった為、人通りが少ない道を使っていたにも関わらず、僅かばかりだが注目が集まってしまう状態になる。


「あ、その、確かに迷子なんですけれど、そこまで心配をしなくても多分大丈夫なんです」


予想以上の心配にしてくれることに、アルスは思わず空色の眼を激しく瞬きを繰り返し、迷子の内訳を伝えようとしたけれども、キルタンサスはそうはいかないらしい。


幼い我が子に"迷子"を少しばかり重ねてしまってもいて、真剣そのものを伴う声で、休日という事もあってラフな状態にしている前髪を左右に振り、先程とは違った意味で拳を作っている。


「いいや、王都だからと安心してはいけないぞ。

気の大人しい素直な子どもなどは、大人を大抵信じてしまって、ついて行ってしまう事もあるのだからな。

子どもに疑うという方が難しいからこそ、大人の方が確りしなければいけないんだ」


今度はキルタンサスの勢いにアルスが動揺をしていたなら、今まで同行者である新人兵士を盾の様に使っていた見習いパン職人が、間に入る様にズイッと前に出てきた。

キルタンサスは結構な剣幕で言っていたのだが、ダンが特に慌てる様子もなく、大きく頑丈な口を開く。


「いや、それが諸事情があってな。

探す側の要望で、警邏の兵士に何れ話すにしても今の段階では、世話になってまで大事にしたくない感じなんだ。

それにキルタンサスが特に心配をしてくれている様な"攫われたり"、多分簡単につれいける"サイズ"でもないから、安心して欲しい」


「は?サイズ?」


見習いパン職人軽い言葉で出された例えは、王室護衛騎士隊隊長のキルタンサスの意表を突いていたようで、それまでの勢いを止めるのに成功する。

子煩悩で家族想いな人物の勢いが止まったのを確認してから、アルスやキルタンサスから唯一残っているという黒い右眼を、愛想の良い笑みの形にして僅かだが注目の集まっている周囲に向けた。


「―――と、迷子だなんだお騒がせしていますが、ご心配なく。探す方法の宛はついていますから」


更に左の掌を見せ、"大丈夫"という仕草(ジェスチャー)をキルタンサスを含め、周囲にも行う。


"オッサン兄さんダン・リオンは、城下街でそれなりに有名で、信頼されている存在にである"


小さな同僚から聞いていた例えの的確さを、アルスはこの時初めて目の当たりにする。

昼時の混雑を避け、人が少ない道を選んでいたが、最近は"人攫い"に関する法の締め直しもあって、"迷子"という言葉にそれなりに注目を集めてしまってもいた。

更にキルタンサスが少々大きな声も出した事もあり、騒ぎが更に大きくなるかと思われていたのに、ダンが先程口にした内容を周囲に集まってしまった人々の耳に入った注目が集まるのが"止まる"。


(え?)


アルスが驚いている内に、見習いパン職人の言葉に、"迷子"の一言に心配や興味で止まっていた周囲が、順調(スムーズ)に動き出す。


―――ああ、ダンさんが関わっているなら心配ないか

―――アイツが言っているなら大丈夫だろ

―――機会があったら、後で話を聞かせてくれ


そういった旨の内容の声が、老若男女問わずちらほらと漏れて聞こえて、迷子に言葉は口にはしないが気にかけ、足を止めてくれていた人々も"オッサン兄さん"の言葉と姿を確認し、離れて行く。


(ダンさんはキルタンサス様に対して行ったみたいな、丁寧な説明を周りの皆さんに行ったわけでもないのに……)


アルスは当惑をしながらも、先程ダンが行った説明を思い出す。


『迷子だなんだお騒がせしていますが、ご心配なく。探す方法の宛はついていますから』


(―――あれだけの、極短い言葉だったのに)


元武芸者だという所は、あるけれど、現在は見習いパン職人でしかない人物の言葉と仕種に、周囲は納得し、各々目的のある場所へと行ってしまった。

大した時間は過ぎずに、その場には見習いパン職人と新人兵士、そして新たに加わった王族護衛騎士隊隊長だけとなった。


(誰も、ダンさんの言葉を全く疑わないで、迷子の事もどうにかなるって信じているっていう事なんだよね……?)


アルスが少しばかり(ほう)ける様な気持ちで立ち尽くしている間に、見習いパン屋は今は右手を自分の(たもと)に突っ込みながら、顔見知りうだという王族護衛騎士隊隊長に一枚の紙きれを差し出していた。


「それで捜している迷子は、"アト・ザヘト"16才。

騒がしかったり大きな音は苦手だったりするらしいから、キルタンサスはこっち側の道を俺達より前にいたなら、見なかったか?」


ダンが差し出したのは喫茶店"壱-ONE-"でアトが迷子になったと知ったなら、絵が得意なライヴ・ティンパニーがササッと描いた似顔絵だった。


以前も何かと役に立っていた、ライの画力は今回も力を発揮しており、劇画調ながらもアトの特徴を良く捉えていて、実兄と一番の"ともだち"である巫女の女の子からのお墨付きもついた出来栄えである。

ルイとシュトの組(ペア―)は、実の兄がいるという事で、この似顔絵はアルスとアトの顔を直には知らないオッサン兄さんへと提供されていたのだった。


ダンから差し出された似顔絵よりも、見習いパン職人の口にした"迷子の年齢"にキルタンサスは思わず両方の眉をグイと上げていたけれども取りあえず、一度アト・ザヘトの顔を注視する。


「その年齢で、迷子と表現する事もないんじゃないのですか?。……ああ、これはライヴが描いたものですね」


どうやら上司も部下の似顔絵の腕前は掌握をしているらしく、じっくりと眺めたが、やがて申し訳なさそうに頭を左右に振った。


「ライヴの似顔絵の技術と、実際の人物の誤差は巧い具合に頭で調整を出来る自信は持っていますが、この少年は少なくとも、私は見てはいません。

絵からしたなら、おっとりとした幼い印象が強いけれども、16才というのなら、アルス君とそう背も変わらないのだろう?」


まだ先程起きた現象に少しばかり呆けているアルスだったが、兵士として上官に当たるキルタンサスからの質問には確りと応える。


「あ、はい、自分より少し低い位です。そうです、キルタンサス様の仰るとおり、物凄く幼い印象は強いんですけれど、アト君は結構背が高くて」

「ふむ、それで具体的にはこれくらい?」


そう言いながら、アルスの空色の眼の上にある髪の色と同じ眉に、休日という事もあって素手の掌を水平の形にして間近にまで寄せる。


「―――はい、そうです」


王室護衛騎士隊隊長の具体的な質問に答えながら、水平の形の掌でも判る程の剣を握る事で出来るタコに感心しつつもアルスの頭のなかは、先程の現象が疑問として残っていた。


(キルタンサス様は、ダンさんがたった一言二言の説明で周囲を、納得させた事を全く不思議には思っていないのだろうか?)


「傍目から見たなら、西側に買い物に来ているだけの男の子に見えるかもしれん」


ダンが更なる注釈を加えて、自分達よりも前に城下町の左側にいたらしい知り合いの護衛騎士騎士に尋ねるが、新人兵士の眉の辺りにあてていた掌を自分の腰に当て、再び左右に髪を揺らした。


「やはり、少なくとも、私は見かけてはいませんね。それに、アルスとそんなに変わらないというのなら、確かに簡単に攫わられたりする心配はしなくても良い"サイズ"だ。

日頃、娘と相性の良さそうな優しい感じの若者は注意(チェック)して見ていますから、この少年は見かけたら見逃さないと思います」


一瞬、アルスはキルタンサスに鋭く見つめられたような気がしたが、見習いパン職人に話しを続けていた。


「それにしても、それならどうしてこの少年を、迷子などと言葉を言う使って表情をしたのですか?。

絵からも、確かに少しばかり甘えん坊な印象は受けますが、優しそうな普通の少年にしかみえませんが」


「ああ、それはだな、少しばかり丁寧な説明が必要となるんで、取りあえず簡単に言うと―――」


シュトやアプリコットから前以て説明を受けていたらしいダンが、簡潔にアトの事をキルタンサスに説明しをしているのを、アルスは黙って眺める。


やはり王室護衛騎士隊の隊長をするだけあって、教養もあるらしく見習いパン職人の説明に1度も言葉を挟むこともなかった。

それに兼ねてから発言から、子育てには積極的に参加しているのが窺がえるので、ダンがアトに関して説明する言葉にも、確りと理解をしている様だった。


説明はキルタンサスの呑み込みが早かった為に、ダンやアルスが思っていたよりも早く終了したなら、そのまま護衛騎士隊長は新人兵士の方へ視線を向けていた。


「アルス君どうかしたか?。どうも、さっきから眼に迷いが浮かんでいるが?」

「あ、その……」


(いけない、また顔に出ていた)


「アルス、キルタンサスに隠し事は難しいぞー。日頃、国王を護衛もするけれども、"見張り"も兼ねているから、些細な心情の変化にも気づいて、"見逃せない"と思ったら、答えが納得出来る反応しないと容赦なく突っ込んでくるぞ」


思わずアルスが顔を抑えていると、見習いパン職人が実際にそのような体験をした事があるのか、実に実感の籠もった口調と声でそう断言する。


「というわけ、アルス君が先程からつっかえている気持ちがあるのなら、出して貰えるかな?」


そう言い、腰に当てていた手を胸の前で組みなおしつつ、この国の王様を護ることを主な仕事とする騎士は、悠然と新人兵士に向けて笑みを浮かべていた。



(これは誤魔化して、当たり障りのない事を言ってもあっさり見破られてしまうんだろうな)



"笑み"という表現でしか言い表せない表情に、威嚇の雰囲気を漂わせ、アルスが抱えている迷いを言葉にするのをキルタンサスは待っている。


(折角、さっきは"(ダンさん)(ネェツアークさん)からの難から逃げられたと思ったけれど、何やかんやで、また言い難い事を言わなければならない状態になってしまった。


でも、考えたら、ダンさんとネェツアークさんを相手にするよりも、キルタンサス様に自分の疑問というか、不思議に思っている事を口にする方が、全然気楽だ)


少なくとも虎や狼の様に、予測がつけられない動きをする存在よりも、まだ剣を交えるという感覚を想像出来る騎士なら、翻弄をされるだけという情けない事態は避けられるとアルスは考える。


「なあ、アルス。キルタンサスが言う、抱えている困惑を話せばいいんだ。まるで戦に挑むみたいに、覚悟を決めて身構えなくてもいんだぞ?」


アルスが話をする覚悟を決めた時、見習いパン職人は少々苦味ばしった顔で古傷でも疼くのか、左の眼を覆う眼帯を似顔絵を手にしていない方のてで撫でながら、そんなことを口にする。



「あ、いえ、身構えているんじゃなくて、緊張してしまっているんです。

そのキルタンサス様は、王様と直に接して護衛をされている方でもあられます。

今日は知り合いで、ご友人のダンさんがいたから話しても貰える様な、本来なら軍部でも雲の上で"幹部"となる方ですから」


正直に言って、これもアルスがキルタンサスに話すのを躊躇う部分でもあるが、それを言われたキルタンサスの方は苦笑いを浮かべてしまっていた。


「まあ、階級的に言えば確かに幹部だが、それは仕事上ならざる得ないの"資格"みたいなものだ。

後は、剣術大会で優勝した事での報奨として上がった階級でもあるから、年功序列縦社会の軍隊で私の階級と年齢は、寧ろ不格好(アンバランス)だからな。

ただ、それで言うなら、アルスの尊敬して師事しているこの国で英雄であるアルセン様や、今は大農家として有名なグランドール様も当てはまるのだぞ?」



その言葉には、アルスも深く頷いた。


「はい、それは判っているつもりなんですけれど、アルセン様は軍学校の"教官"で、グランドール様は仰る通り農家としての印象(イメージ)が強くて。

その"軍隊"での階級での付き合いというのが、想像し難いんです。

それに御2人とも"堅苦しいのは嫌いだ"と、憚らず仰っている事が多いので。

礼節を守っていたなら必要以上の礼儀を使ったなら、寧ろ気分を損ねる様な所もあります」


それは、ロブロウで農業研修を含めて、その後結局月が一度満ち欠けする手前程逗留した時に、強く感じた部分でもあった。


特に現在は農家に専念している褐色の大男などは、それを顕著に表現をしていた。

国の王が許可を出さなければ仕立てることが出来ない最高峰の仕立屋が作った衣装を、"着心地は最高"と評しながらも、それを纏う事で発生する自分の役割に辟易していた。

それに軍学校も、軍隊の基礎としながらもやはり"学校"という側面が強く、年功序列で縦社会とは頭では判っても実感する事は少なかった。


「だから、自分にとっては軍隊での階級という物で強く意識をするのは、キルタンサス様が実際初めてなります」


アルスが少しばかり申し訳なさそうに言って王室護衛騎士隊の隊長に視線を向けたのなら、どうしてだか今度は、苦笑いの中に同情されるような表情を浮かべられ、さらに言葉をかけられる。


「いやあ、確かにあの御2人が側にいたのなら階級を意識辛いのは、私にも少しばかりは判るつもりだ。

私も2方が英雄業務や必要な連絡事項を熟す時に、同じ様に堅苦しくない様に頼まれる」


つい先日、王族護衛騎士隊隊長の"指揮官"であり国王の影武者を熟すグランドール・マクガフィンと、その影武者の国王の際には必ず護衛業務についているアルセン・パドリックの"茶番"を見たばかりでもあった。




『時期が悪かったのです、グラン。

近年では、マクガフィン農場で半年に一度行われる慰労や団結を深める為に食事会が行われていますよね。

その都度、天幕を張ってこっそりと作っている辛党の貴方ぐらいしか食べられない通称、"マグマカレー"。

それが残り一食でしか残っていなかった所で、冷凍保存の役目を担う、法王猊下の氷の精霊ニブルが不在になった為に、解凍されてしまった。

最近の温かい陽気の為に、気づいた時には痛んでいたと報告も上がってきています』


大好物が全滅してしまった事で、落ち込む褐色の大男の親友を励ますのも含めての振る舞いであったとも思う。


(あの時、随分とふざけていたけれど、きっとそういった"面"をアルセン様は、アルス・トラッドには、まだ見せてはいないのだろうな)


そして(おおやけ)にはしていないけれども、自分の上官である世間では殆ど"昔英雄だった農家"と認識されている褐色の大男も、ごく親しい間柄だろうから、落ち込みながらも大いにふざけているのも見て取れた。

グランドールが影武者業務を行う時にのみ、護衛として通常は軍学校で"勤務"しているアルセンが登城するのは、護衛騎士隊長の役割を受け継いだ時から話に聞いている。


これまでその際には、キルタンサスはアルセンが登城する日に合わせる様にして公休となっているのが殆どだった。


グランドールとアルセンは互いに"影武者"と、"王の護衛としての英雄"の勘を鈍らせない為に、1つの季節が巡る内に数度は国の軍人としての訓練として行われている。


護衛訓練としながらも、影武者とその護衛で行われている仕事は、国王の終えた書類仕事の二重確認(ダブルチェック)だったり、国王本人でなくても行われるものに限られてもいた。


更に護衛が国の英雄だという事で、"稽古"として2人で武術の訓練も行ったりもしている。

何より、最も多い業務は本来の王の護衛隊の指揮官として、不定期に変えている護衛様式(パターン)の草案を親友ともなる英雄と練ることにあった。


しかしながら、仕事を終わらせたなら、影武者となっているのを掌握している極一部の近衛兵を除いて、英雄2人は王宮の国王の"私室"で雑談するなり読書をするなりして、それは緩やかに過ごしているという。


それこそ仕事さえなければ、友人の部屋で寛いでいるのと変わらないとも、恐らくはからかいの意味も込め、指揮官の上司は例えていた。

そこに先日、護衛騎士隊に望んでいた新人(アルス)を横から攫われた事で、キルタンサスからのアルセンへの接触と、ロブロウの出張の際の事があって、初めてグランドールを含め"3人一緒"となる。


そしてグランドールの大好物だというマグマカレーが全滅しているという事態で、何やら変な方向に気持が高揚している所もあって、キルタンサスは寸劇でも見た様な気持ちでもあった。

ただ、一日の課業が終わり、一緒に幹部の更衣室で共に着替えていた美人の英雄の方は綺麗に微笑んで、”今から既にカレーについて楽しんでいる”と教えてくれた。


(それで、「明日からは"マグマカレー"を作る為、香辛料を集めに奔走するでしょう」と昨日の退勤時刻に、マクガフィン大将のことなのに楽しそうに仰っていたが―――)


キルタンサス自身すら、気を付けないと上司でこの国の英雄でもある存在達に軽口とまではいかないが、失礼は無い程度の友達の様な口を聞いてしまいそうになる。

その人達自身は、親しげに語りかけられる事を望んでいる。


余程失礼な口を聞かない限りで怒らないし、必要以上の礼儀を向けられたのなら逆に堅苦しいと苦笑いを浮かべられるし、気楽に語りかけてくる事を求められるのは感じとっていた。

だが、この国の軍人である以上はその節度をしっかりと守らなければならないし、キルタンサスの目の前で、言葉を選びながら話している少年も同じであった。


(しかしながら、アルスが配属されている"賢者の護衛部隊"だって、部隊というのは名前ばかりのみたいなものだ。

確か今期の新人兵士で一番最初に届けられたという、賢者の護衛部隊とされている着任証明には、職場と居住地となる”施設”には、上司になる賢者とその周囲の世話をする同僚の巫女の娘が1人。

"職場の環境"は(すこぶ)る良いみたいだが、恐らく、アルスの性格からして念頭に”兵士”として生活を送ってはいるからだろう。

けれども、気を抜いたなら一気に分別がつけられなくなって、"家族"の様になってしまう恐れもある)


慎重で実直な性格、そして恩師のアルセンが気を使っているだけあって、アルスはまだ"護衛騎士"として、自分を律している。

打ち解けすぎて"家族の様に"なった時の、薄らとした危惧と余計かもしれない心配を先輩として僅かに持っていた。


(だが、兵士としてのこれからの生活を、アルスが少し心配しているのも判るが、今私に最も相談したい事は、"この事ではない"みたいだ)


「―――礼節を大事にしようとするのは、軍隊にいる限り有効な心構えだ。

それにアルス君は元々友人相手だとしても、言葉を崩して話す事はしないから、そこまで心配をしなくていい。

それよりも、私に尋ねてみたい事というのは、何かな?」


キルタンサスの"心配しなくていい"という言葉に、空色の眼と同じ様に、アルスは表情を晴れやかなものにして頷く。


その爽やかさに釣られるようにキルタンサスも笑みを浮かべていたが、胸の内では"これだけの笑顔なら、少しばかり人見知りを始めた下の娘も大丈夫だろう"と既に考えてもいる。


(私という幹部に出逢うことで、アルスの兵士としての気概が、確りとするという理由をつけて、これから直接逢う機会を設ける提案をしても、いいかもしれない。

そうして、ついでに私の可愛い天使(むすめ)達とも、繋がりが作っていくというのも悪くはない)


穏やかな上司の笑みを作っているキルタンサスが自分を、将来の婿物件として益々チェックが入った事にはに、そういう方面には、極めて鈍いアルスは勿論気がつけない。

そんな中で新人兵士は先程から、感じていた不思議を漸く口にし始めていた。


「自分は,キルタンサス様が言った様に"迷っている"と例えるのが妥当かどうか判りませんが、不思議に思っている事があります。その、少しダンさんに対して、失礼になるのかもしれないのですけれど」


「んん?何だアルスは、俺の何かに気になることがあったのか?っと、言葉を挟んですまない」


アルスの口から自分の名前が出てきた事に、見習いパン職人は思わず言葉を挟んでしまった後、直ぐに詫びを口にして、現役武芸者と例えても障りのない逞しい掌で自分の口を塞いだ。

だがそれにはアルスの方も、"すみません"と詫びるように、金色の髪を左右に振っった後に意を決した様にキルタンサス、ダンへと視線を移し、大きく口を開く。


「前以て言わせてもらいます、すみません、もしかしたらご本人を目の前に、ダンさん名前を出したのは、失礼な事は解っているんです。

でも、正直に言ってしまうなら、自分が不思議に思っている事はさっきの迷子の説明で、ダンさんが一言で周りの皆さんが納得出来てしまえた事なんです」


「俺が言った事で、皆が納得してしまった事?。それが不思議な事?」

「ああ、そういう事か」


アルスがそれなりの勇気を使って、言葉にした内容に、見習いパン職人が、新人兵士の記憶にある限りでは褐色の大男と良く似た筋肉のつき方をした逞しい首を傾け、心の底から不思議がっている。

だが、王の護衛騎士である人物の方は、直ぐにアルスの不思議の詳細に気が付いた。


「キルタンサス、どういうことだ?」


騎士は"知人"と見習いパン職人の事を言っていたが、ダンの方はまるで年下の友人に語り掛ける様に尋ねる。


キルタンサスは心の底から困った様な表情を浮かべた後、自分の左目を目元を先程アルスが感心する程目立った"剣のタコ"がある親指で、新人兵士の気のせいでは無ければ、わざとらしくなぞった。


その後、直ぐに見習いパン職人と新人兵士の間に今度はキルタンサスが割って入り、アルスはダンの姿が見えなくなる。

新人兵士が何事かという風に戸惑っている間に、キルタンサスは考える様に腕を組み、眉間にシワを作りつつ視線をアルスの方に向け、大きく口を開く。


「こういった場合は、説明が多少ややこしいが、答はもう出ている事でもある。

アルス君、どうして周囲が簡単に納得したかと言えば一言だ。

外見的にも逞しい見習いパン職人、僅かに高圧的ながらも周囲へ与える説得及び影響力、ひっくるめて端的に言ってしまえば、これは所謂"カリスマ"という物だよ。

言葉の意味は解るよな」


"国の兵士として一般教養として知っていて当然"


そんな無言の圧を軽くだがはっきりと感じつつ、幸いというべきかアルスは前に1度確りと調べる機会があったので、確りと頷いた。


「あ、はい、一般的なのは、昔辞書で引いて調べた覚えがあります。

でも、確か、本来はもう堅苦しいというか、凄い意味で使われている言葉だって読んで、流行りと本来の意味が違う言葉があるんだなって、思いました」


アルスがまだ孤児院で世話になっており、国の学校に通っている位幼い頃、"カリスマ"という言葉が時勢に乗って流行った時がある。


その当時は、ある種の職業や技能を優れているからと、もてはやす意味での褒め言葉として使われている様な所もあったけれども、本来はもっと重々しい感じで使われている事だと、幼いアルスは辞書で知る。

そして記されていた、意味を思い出したのなら、本来のカリスマという言葉の意味で、見習いパン職人が周囲の人々を納得させたのだとアルスには判った。


「……ダンさんの、ああいう周囲を納得させるのは自分が良く知らないだけで、よくある事なんですか?」


疑問の形で言葉を漏らすけれども、何とも例え難い、判らなかった不思議な気持ちは、感覚として少なからず馴染んでいた"ダンのカリスマ"という答えは直ぐにアルスの中で落ち着く。


アルスがカリスマという言葉に納得をしたかはどうかはわからないが、少なくとも空色の眼に浮かんでいた様に見えた大きな曇りは取れたと感じるキルタンサスは、小さく息を吐き出す。


「良くある事かどうかはわからないが、そういう能力(ちから)を持った人はいるのだと表現するのが、妥当だと私は思う。

それと、私は知り合いという立場では、今回似た様な場面に数回遭遇をした事がある。

加えて、私は妻から、見習いパン職人のオッサン兄さんが、城下街の困りごとを良く解決する話を聞いているので、それもあるのかもしれないな。

付合いの長さというか、経験の差と言った方があっているかもしれない」


キルタンサスはアルスの確認に頷いてそう応えてくれた後、組んでいた腕の上で今度は苦笑いを浮かべて、後ろを振り返る。

そこには逞しい首を指でかきながら、少しばかり眼帯の位置がずれた見習いパン職人が何とも言えない表情で立っていた。


「それでな、アルス君。これはカリスマを持っている当人、多分本人では気が付きにくい事だとも、私は思うんだ。

そして見習いパン職人のダン・リオンさんも、当てはまると思う。

百聞は一見に如かずという異国の諺にもあるが、当人としては自分なりに正直に丁寧な説明を行ったうえで、周囲が納得したと思っているんだ。

というか、まあ、産まれてから大体"ずっと"そんな感じだったんだから、アルス君が自分の説明でどうしてこんなに不思議がっている事が、今度は見習いパン職人の不思議になったりする」


「いや、もう大丈夫だ。

俺の説明が短すぎたのに、アルスが呆気に取られているというのは判った。

普通はもっと、説明がいる事だっていうのを、思い出した」


キルタンサスがアルスに行う説明を行っている内に、オッサン兄さんの方の"何とも言えない表情"はすっかり払拭をされていた。

それから首にあてていた手を、キルタンサスと同じ様に組んでアルスに向かって頷いて見せる。


「それにアルスが不思議に思った事を考えて見たなら、ある意味では、俺と真逆のタイプでもある賢者が上司で護衛だからかもしれん。

まあ、実際こういいった時に俺の言葉が足らないのがある事を、バロータ師匠にも注意をされるんだが、つい忘れてしまっていた、ガッハッハッハ」


豪快に笑う見習いパン屋が不意に出した自分の上司の名前に、アルスが"ああ”と小さく声を漏らす。


「賢者殿が、ダンさんと真逆のタイプ……そうだ、そうですね。自分が、凄く不思議に感じてしまったのは、多分そこだと思います。

いつも、賢者殿はその長いって言うか、何かしらの行動を起こす時には丁寧な説明をしてくれます。

それで自分も結構細かい所があるんで、そういったところをわざわざ言葉にしてもらう事が性に合っているというか、納得して行動が出来るんで」


まだ日は浅いけれど、護衛部隊で配属されてから疑問をもったなら何にしても、耳の長い上司が朗々と語る言葉で大体の事は解消をしてくれた。


状況的にはっきりと答えの出せない場合でも、出せないなりの理由や背景を説明をしてくれる。


(思えば、賢者殿は何にしても理由を言わずに、肯定も否定する事はしない。

軍隊の事は嫌っていうのは公言はしているけれど、性に合わないって自分には納得出来る理由も、ちゃんと話してくれている。

さっき自分があんなにもダンさんの言葉に不思議だと反応してしまったのは最近人攫いが心配されている中で、"理由"を確り説明もしないで、周囲の人が納得してしまったことだ。

皆さん、これからしなければいけない仕事や用事があって、忙しいのもあるかもしれない。

けれど、でも、普通に心配をしてくれていた優しそうな人まで、ダンさんが大丈夫って言うだけで、迷子に関心がないというわけじゃない人まで、納得していた事で、"僕"は驚いた。

でも僕は―――"自分"は、賢者殿の説明とか長いかもしれないけれど、やはり話を聞くと、何かしらあっても疑問とかあったとしても、取りあえず落ち着くことは出来る)


何にしても"話して貰える"という事が、アルスは自分にとっては重要になっている事に気が付いた時に、再び見習いパン職人の大きな地声が耳に入ってくる。


「ははは、細かい所があるか。まるでアルセンみたいだな、もしかして血液の型も同じ水の型だったりするか?。

それにあの賢者の話は、長い丁寧じゃなくて、"(くど)い"という表現の方があっている様なきがするけれどな」


「なっ、ダンさん、諄いのが本当の事でも幾らなんでもいきなり失礼ですよ!。

その血液の型は確かに、アルセン様と一緒ですけれど!」


少しばかり揶揄う調子で、ダンが口にした内容にアルスにしては珍しく顔を赤くしながら、言い返すという所に再びキルタンサスが間に入る。


「私がアルス君に尋ねた事で、城下街で信頼されているオッサン兄さんダン・リオンと、軍学校のパドリック中将のお気に入りのアルス・トラッドが喧嘩をされても困ります。

代わりに、折角の休日に家族大好きな私が1人で、東側ではなく西側にいるか疑問と不思議に答えよう」


「え、キルタンサス様が此方にいる理由ですか?」


唐突なキルタンサスの提案にアルスが空色の眼を瞬きしていると、丁度間に入っていた護衛騎士隊隊長の身体を回り込む様にしてダンが姿を現し、左の掌に右手の拳をしたものを強く叩く。


「お、そうだそうだ!。家族大好きの王族護衛騎士隊隊長のキルタンサス・ルピナスが折角の公休日に、どうして西側にいるのか、これも結構大きな不思議だなあ。

その理由を教えてくれるなら、教えてもらいたいなあ。

このまま別れても支障はないにしても、友人がいつもと違う行動をしているのは引っかかるし気になる」


アルスは初見の王族護衛騎士隊隊長ではあるけれども、見習いパン職人は接触した当初から"キルタンサスが休日に1人"でいる事に、大層驚いていたのを思い出す。

豪胆で小さな物事に拘りダンが知りたいというのなら、自分と喧嘩(とキルタンサス思われている反論)をするよりも、そちらの方が有益だとも思えた。


(自分も国一番の腕前になった剣士が、西側に1人で訪れている理由には、興味があるかも)


迷子のアトの探索もあるけれども、アルスとダンがいる前から西側の方面にいたというキルタンサスが、それらしい話を見たとも聞いたとも口にしないので、恐らくこちらにいる確率は低いと思われる。


("迷子"にも特に気を使ってくれているし、キルタンサス様はアト君みたいな障碍を抱えている事への知識もあるみたいだし。

この後別行動取るにしても、多分何等かの協力はしてくれそう……というか、キルタンサス様はアト君の安否が気になって、最後まで付き合う事はないにしても、結果は知りたいだろう。

でも、東側を迷子探索に行ったシュトとルイ君も、直ぐにアト君を発見をしたとしても、戻ってくるのは少し時間はかかるだろうし)



「何かしら期待しているような雰囲気ですけれど、大した理由ではないですよ。

単に新しい武器を仕入れたという贔屓にしている武器屋から葉書がきたので、"ひやかし"に行ってきたんですよ」


そう言ってキルタンサスに送られてきたという、私服の懐から武器屋からの手紙を取り出す。

それはアルスの予想した者よりも、結構カラフルな色合いの葉書、その隅に"ファレノシプス財団"の文字が小さくではあるけれど、読み取り易く記されていた。


(―――"サブノック王国の武器展示に販売")


葉書である事と、キルタンサスが別に隠そうともしないので、アルスでもその文字や広告に合わせた挿絵が見て取れた。

キルタンサスは今はアルスに正面、ダンに背を向けている状態になるので、真横に一歩進み、2人の間を抜けて葉書は見習いパン職人に渡し、説明を続ける。


「次の夏の特別配当金(ボーナス)で家族サービスをして残った分で、新しい武具か装具を買おうと思って下見に行ったんですよ。

でも、武器屋ですし、むき出しで展示している所もあるんで、幾ら大好きでも娘を連れて行くのには、危ないと思いましてね。

まあ何より、やはり西側は物騒なところもありますし、それに"俺"も、仕事道具となれば手に取ってじっくりと品物を見たいですから。

―――嫁さんと娘がいたら、その可愛さと輝きに心が奪われてしまって、武器なんてどうでも良くなってしまう」


「がっははははは、確かにキルタンサスなら武器よりも、家族だろうしな」


家族の"惚気"に見習いパン職人は嬉しそうに笑い、アルスは苦笑いを浮かべながらキルタンサスの口から出てきた、これまでにない"俺"という言葉が、少年の琴線に触れる。

これまでは何度も聞く、キルタンサスという人物の家族への"愛"を語る柔らかみからは、真逆の鋭さが、"俺"に込められている様なそんな気がした。


(本当に家族思いの優しい人なんだろうけれども、でも、"それだけじゃない"って事なんだろうな)


「ほお、最近異国の―――特にサブノックやヘンルーダの物が良く入ってくる様になってきたな」


アルスの"重い"考えを全く意を介さぬ様に、見習いパン職人が葉書を手にして、そんな言葉を口にすると、キルタンサスが呆れた様に続ける。


「……春の初めに、国王ダガー・サンフラワー陛下が、

"もうすぐ大戦から20年くらい過ぎそうだから、消極的にも見えていた交流を活発にしてもいいだろう。

最近は昔は植民地扱いにしようとしていた南国も、サブノックと仲良くしているから、うちももっと仲良くしないとなあ"

と、貿易に関しての書類に目を通して、サインをしていましたからねえ」


少しばかり湿り気を帯びた"ジトっ" とした目線で見習いパン職人を見てから、葉書を取ってそれを今度はアルスに渡す。


「アルス君は武器とかに興味はあるかい?。良かったなら見てみるといい」


「あ、それなりにあるつもりです。けれど……」

「けれど?」


色彩豊かな葉書に記された異国の武器を、少しばかり興味を持って眺めつつ口を開き、正直に自分の興味を持っている事を答える。


「自分は武器よりも、物を"造った"りする方が好きです。

武器も兵士として、守るために欠かせない道具だとは判っているんですけれど、どちらが好きと言えば"造る"方になります」


そう答えつつ、親友のシュト・ザヘトにホルスターの修繕を王都に訪れてから行う約束していた事を思い出していた。


(そうだ、この後アザミさんの所に行くから、ついでに材料のゴムを頼んでおこう。

アザミさんに代金を出したなら、多分わけて貰えるだろうし。

でも、思えばホルスターは全体的に古いけれど、結構お洒落なデザインの(レザー)を使っていた)


シュトは身体に接触する部分がサイズが合わないという部分だけを、気にしていた。

だがサイズを変更するとなると、思い返してみたならその箇所を少々弄る事になる。


(出来ればある物をそのままを使った方が良いんだろうけれど……。

強度が下がったままで、そのまま使わせるというのも、個人的には嫌だなあ。

取りあえず手を付け加えるかどうかは、シュトに許可を貰ってからだけれども)


葉書を眺めたなら、色鮮やかに染め抜いた革も扱っているが、普通に(なめ)した状態のシンプルの物を扱っているとも書いている。


(アザミさんのお店は、革も扱っているけれど、現物そのままだからな。そのまま使ったら、直ぐにそこだけ修繕したと判ってしまう)


アルスはそう言った所に拘らない方でもあるのだが、そう言った所に気を使った方が良い時もあるのと、親友の性格的に多分気にするだろうと思えた。


「……造るほうが気になるか、それで先程からサブノックの工芸品の方に視線を向けているのだな?」


キルタンサスに指が伸びて、アルスが注視していた箇所を迷わずに指さされて、ビクリと驚く。


「あ、はい、そうです」


(いつの間にか眼の動きまで追われていた)


「……そうだな随分先の話しとなるが、夏の特別配当金が出た時にでも一緒に買い物にでも行くか?」

「え?」


アルスが驚いている内に、キルタンサスが新人兵士が手にしていた葉書を自分の手に取り戻す。


「この葉書があれば、幾らか向こうも"勉強"をしてくれるらしい。

気に入ったものがあったなら、私と一緒に購入をして自分の分だけ代金を払って貰えたなら、それで構わない。

それとも特別配当金の使い道は、もう決めてあるのかな?。

新人兵士達同士で、最近流行りの南国に旅行に行ったりとか……」


「あ、いいえ。その半分は貯蓄をして、何かあった時の為に用意しておこうかと。

後は日常品の買い直しをしたりして、それで余ったなら少しだけ出来る範囲の贅沢をしようかな位に……って、わあ!」


堅実その物の新人兵士の言葉に、自分の手にしている割引の機能が付いている葉書が潰れるのも構わずにアルスの手をキルタンサスが握っていた。


「気に入った、益々気に入ったぞ、アルス・トラッド、君!」


キルタンサスが俄かに興奮した口調で、しかも少しばかり最後に"君"とつけられ、大きく空色の眼を開いたが、どうやら幹部階級の軍人から"気に入られた"との発言に礼を述べる事にする。


「え?、はあ、まあ、どうもありがとうございます。

あの、それで実はこちらの革の方が特別配当金が入る前に、ちょっと要り様になりそうなんです。

料金とか気にしないんで、良かったらお店だけでも教えて貰えませんか?」


「承知した!、それでは店は今から案内するから、特別配当金が入ったなら、俺と―――私の家族と一緒に、買い物に付き合って貰おう!」


「はい、わかりました!……って、え、キルタンサス様の御家族と?」


キルタンサスの物凄い勢いと流れを伴った誘いの言葉に、アルスが思わず了承の返事をしたのだが、そこに彼の大切な家族が同伴するという良く意味の分からない状態だった。


(え、でも、確か武器屋は危険だから、キルタンサス様は1人でこちらにいらしていたという話を聞いていたのだけれども。

それとも武器屋のサブノックの工芸品の時は、武器とかはしまわれているという事なのかな?)


空色の眼なのだけれども、思わず色を白と黒に変えそうな勢いで戸惑っていたなら、アルスの手を葉書を潰しながら握りしめている、キルタンサスの手の上に"白い紙飛行機"がふわりと舞い降りる。


「おや、こいつはウサギの賢者からだな」


それまで空気の様に身を潜めてていた見習いパン職人が、紙飛行機を手に取る。


「えっ、賢者殿からなんですか?!。もしかしたら、アト君の事が何かしら解ったんでしょうか」


アトが迷子になった際、アプリコットが、現在鎮守の森の魔法屋敷で"二度寝を(むさぼ)る"と公言したウサギの賢者に、連絡をしていたのは、新人兵士と見習いパン職人は知っている。


(やっぱり賢者殿は何やかんやで、動いてくれていたんだ)


いつも不貞不貞しい態度で、大体の事は面倒臭がっている様に見えるけれども、"何やかんやで"、面倒を見てしまっている様な気がする。


(こういうのって、器用貧乏というのだっけ)


少々失礼と思いながらも、そんな事を思ってしまう。


長い耳を折り曲げながらも、ロブロウから帰ってきてから連日夜遅くまで、国に"農業研修"を表向き、一般的に理解しやすい形にまで、言葉を(ほぐ)して認めていた。


昨日、それが一段落ついたという事で今日は部下が買い出しに行った後、屋根裏部屋に引き籠り、これまでの睡眠不足を解消すると、ヒゲを揺らしていた。



「迷子が"解決"したなら、それはそれで良い事だ……おっと、いきなり悪かったね、アルス君」

「あ、いえ、大丈夫です。そうですね、本当に解決したなら」


迷子については一応心配をしてくれているキルタンサスの方も、まだ迷子が保護されたとは確定はしていないが、アルスの言葉に握り締めている手を離し、潰れてしまった葉書のシワを丁寧に手で伸ばして、私服の袂に戻す。


ただその視線は、"かつてない、自分とも相性と価値観も合いそうな、可愛い娘に好物件"を見つけたと興奮したものではなく、冷静に黒い片眼で自分の"護衛対象"を見つめるものだった。


紙飛行機を開いて、黒い眼が動いて文面を追っている間にダン・リオンの"左側"の方の眉が大きく動いたのをキルタンサスは見逃さない。


「……ああ、どうやら予想以上に早くアトは見つかっていて、しかも、保護していた相手が賢者の知り合いだったみたいだ。

それで、保護した相手と場所がとても"信頼しても大丈夫"だから、このまま暫く預けていても障りないという。

なので、"ウサギの賢者組"の方は、本日はこのまま当初予定していた事を行う。

最終的な集合場所を城門にして時間を合わせて、各々単独行動で行うという流れにする様にと、指示されているな。

アルスは元々アザミさんの店に行く予定だったから、そのまま行くって事になる」


ダンの"手紙に指示された耳の長い上司"の言葉に、アルスは確り頷く。


「アト君が見つかって、安全だという事で、賢者殿の指示がそういうことなら、勿論従います。

思えば迷子の事がなかったなら、本当に今頃は喫茶店"壱-ONE-"で、ライさんに賢者殿からのお使いを終えた後に、アザミさんの店に向かっていたと思いますし。

それにしても、アト君を保護していたのが、賢者殿の"知り合い"の方なんですね。

賢者殿、何気に王都の方にはお知り合いが多いって事なんでしょうか」


(でも、保護した方が"友人"ではなくて知り合いである"知人"って言うのが、何とも賢者殿らしくもあるかなあ)


日頃天然で、素直過ぎる鋭い言葉を吐き出してしまう事もあるアルスだけれども、不思議とこれは言葉に出さずに胸の内に納めていた。


もし"友達"という表現をされたのなら、アルスは直ぐに恩師を思い浮かべたし、ダンの方もアルセンの名前を出したとも考える。

ただ知人という言葉で表現されて、名前が出てこないという事は、少なくともアルスは知らない人物という事になる。


(もしかしたら、ダンさんが自分が知らない方だから、配慮して名前を伏せくれているのもあるのかな)

 

「―――アルスも、読んで見るといい。実際に読んだ方が納得出来るだろう」


新人兵士のそういった気持ちを拾い読んだかの様に、見習いパン職人は口の端をグイと上げ、開いた紙飛行機を差し出していた。


「ありがとうございます」


渡された紙飛行機の形に折られた跡の残る手紙の文字は、アルスもここ数日で随分と慣れ親しんだ物だった。


ウサギの賢者が報告書の紙に、肉球を着けた指でペンを握って書かれただろう、同じ癖字で"アトが保護された詳細"が記されていた。

ただ、癖字ながらもアルスには不思議と馴染みやすい親しみ易い印象を受け、その内容もすんなり受け入れることが出来る。


「―――賢者殿の報告によるとアト君、昼過ぎには保護されてはいたんですね」


ざっと読み終えたアルスは、安堵しながら感想を漏らす。


耳の長い上司の手紙によれば、二度寝を貪っている最中にアプリコットから

"アトが迷子になった"

という手紙と、

"迷子を保護したが、賢者殿の知り合いではないか?"

という2通がほぼ同時に届いていた、と(したた)めてあった。


「アト君は自分の事は言えるし、賢者殿の事は"ウサギの賢者"さんという通称は確り覚えている。

だから、保護したと書いている、賢者殿の知人さんは直ぐに判ったという事なんでしょうね。

連絡した方法はやっぱり何らかの魔法何でしょうか」


手紙には一貫して、アトを保護した人物については"知人"と書いてはあるけれど、名前は記されてはいなくて、アルスにはどんな人物なのか、皆目見当がつかなかった。


(賢者殿の友人……ではなくて、知人というだけあって、出来る事ならやっぱり表に出たくはないというタイプの人なのかな。

でも、アト君が保護されたという事は、きっと人当たりとか良い、優しそうな人なんだろう)


アルスの頭の中では、顔は想像できないが、口元の両端が上がっている、雰囲気の優しい人物がシルエットで浮かび上がる。

出来れば逢ってみたいとも思うけれども、耳の長い上司の指示に従うならば、アルスから逢いに向かう事は出来ないし、保護をする事になる親友にシュトに訊いてみようと考えた。


新人兵士がそんな事を考えている間に、パン職人は賢者からの手紙を読んだ上での自分の感想を口にする。


「どうやら、色々入れ違いで、タイミングがずれてしまっていたらしいな。

賢者が喫茶店"壱-ONE-"に、アトは既に保護されていると手紙を飛ばした時には、迷子捜索隊は既に出発してしまっていた。

で、出発してしまった後で喫茶店に残っている組に、保護されていると賢者から報告を受ける。

そこでロブロウから王都に来たという、アプリコットという魔法もそれなりに使える貴族の御婦人から、


"シュトとルイが東側へ"

"アルスとダンが西側へ"

"リリィと残りは留守番"


という、迷子捜索の分けられた人選を、賢者に再び連絡をしたんだろう。

それで再び賢者の方から、その分けられた3組あてに時間を無駄にしない為にのこの連絡という解釈になるのかな」


「そうですね、今日は結構色々回る事になってはいましたし。

順番はまだ決めていませんでしたけれど、東西どちら側も回る予定でしたから。

でも……結果として、今日はこれで良かったかもしれません。

リリィは軽い運動で東側ならともかく、人の多い西側は、今日はきつかったかもしれません」


アルスは気が付かない振りをしていたけれども、小さな同僚の身体の変調に気が付いていた。

体調が悪いわけではないのだけれど、無理はさせない方が良いと思えるそんな状態にリリィはあると、ウサギの賢者の魔法屋敷から、王都の城下街に向かう間に思えた。


王都に向かう途中、ルイと楽しそうに話しながらもいつも使っている軽い麻布の鞄を肩に通した細い腕の先にある小さな手が、華奢な自分の腰を頻繁に撫でているのを目撃する。

リリィは多分無意識に撫でている、というよりは庇っている様にもアルスには感じられたと同時に、小さな同僚が出発前に少々時間がかかっていた事を思い出す。


(ああ、そういえば―――)


やんちゃ坊主と勝気な少女の会話を眺めながら、ロブロウの出来事から、月が一回りしていると思い至る。


(個人的には、もうそんなに時間が過ぎてしまったという感じだ)


小さな同僚の身に起きている事はおおよその予想はついたけれど、本人から言われない限り、職場の異性の同僚としては踏み込めない部分だと思えた。

もし"お兄さん"の様に頼られたなら、遠慮なく手を貸すのだけれけれども、どうやらそこまでの物でもないのは、小さな同僚の性格と体調から推し量れる。


だから喫茶店"壱-ONE-"についたなら、アルスが知っている程度の知識ではあるが、身体が冷えない方が良いという事を思い出し、さり気なくそうする様に努めた。


リリィ当人もそれなりに自覚があったからだろう、アルスの勧めにも素直に従ったし、迷子の捜索ではなく"留守番"に割り振られた時には、少々不満そうにしてはいたがその役割を受け入れた。


その後、件の"見合い話"でリコが片手でカップを粉砕でそれどころではなくなる。

加えてダンがからかいの対応をしそうなところを、ライがアイデンティティともいえる、猫の鳴き声の語尾を忘れそうになる勢いで牽制をかけられて、"西側"の2人は出発した。


「よし、それじゃあ迷子の事は解決をしたみたいだから、俺は所用を思い出したので、ちょっと喫茶店"壱-ONE-"の方に戻るとしよう。

アルスは此処から、アザミさんの所まで1人でも平気だよな?」


「あ、はい、そうですね」


(そうだ、ダンさんは思えば偶然アプリコット様達と出逢って善意で、迷子探しに付き合ってくれているだけだった)

その事を思い出して、確りと頷く。


「それでは、私も大事な家族がいますので、東側の方に戻ります。御一緒しましょう、見習いパン職人さん」


革靴爪先から身体の正面を東側に向けていた、見習いパン職人の逞しい肩を、この国の王様を専門に護衛する騎士の手が、そんな事を言いながら"ガシリ"と掴み置かれている。


「いやあ、これ以上家族サービスを邪魔してはいかんし、俺は寄り道しながら帰るつもりだしなあ……」

「そこは寄り道しないで、御一緒しましょう」


肩を並べる様にして、2人で横に並んでアルスに背を見せてキルタンサスが押すような形で進み始める。


「いや、ちょっと最後に喫茶店の方に用事があるんだよ。それが済んだなら、本当に今日の用事は終わるからさ」


そう言いながら、今はアルスの手元に移ってしまった、魔法の紙飛行機に逞しい首を捻り黒い右眼で、ダンは見つめる。

肩をがっしりを掴んでいる護衛騎士は無言で、その少しばかり情けなくも見える見習いパン職人の様子を観察する様に視線を注いでいた。


「……」


先程、眼帯に覆われている左側の凛々しい黒い眉が、額に縦のシワを作りながら上がったのは、キルタンサスも確認している。


表向きには声に出す事が出来ない内容で、人の心が拾い読める紫の色の左眼の力を使うことで、告げられる内容が賢者によって、魔法の紙飛行機に込められていたのだと察した。



(アルス・トラッドを暫くの間、喫茶店には戻さない様にしつつ、国王陛下を使って何かを調べさせようというわけか)


"使える物は、自分の国の王様でも使う"


自分の国の賢者は、不貞不貞しくもそんな言葉を口にした事もあるというのは、キルタンサスも1度は耳にしたことがある話でもある。


「……判りました、それならば喫茶店までご一緒しましょう」


そんな言葉と共に"仕方ない"と言った、意志が含まれていながらも、何にしても、"これから一緒に行動する"という、キルタンサスの考えを改めるつもりは微塵もない。


そんな護衛騎士のの声の勢いに、豪胆な見習いパン職人の方も、苦笑いを浮かべて観念した。


「おう、喫茶店で一服したなら、キルタンサスの話したかった事を確り聞くからさ」


アルスはアルスで、今しがたダンが言った様に"キルタンサス様は、最初に言っていた通り、何か話したい事があったんだろうな"と考えていた。


すると、その当人が振り返り、口を開く。


「それではアルス君、先程の葉書の店、住所は見て覚えたかね?」

「え、はい、その、アザミさんの店の途中にあったので、自分も下見がてらに少しひやかして行こうと思っています。

その、もう迷子の事も解決したみたいなんで、紙飛行機に書いている時間も、そんなに急がないで良いみたいなので」


アルスがそう言ったなら、どうしてだか見習いパン職人と国王の護衛騎士で互いに肩を支え合いながら、"ヨシッ"と言った感じで拳をぶつけ合っていた。


「それじゃあ、アルス、特別配当金が入る頃、何らかの形で連絡をする。じゃあ、ダン・リオンさん行きましょうか」

「ああ、そうだな。アルス、俺とは今度はいつ出逢うか判らないけれども、元気でな!」


そう言って、肩を組むのは流石に辞めたが、2人並んで東側に歩いて行ってしまう逞しい背面をアルスは見送った。

大通りをずれて歩いてはいた為もあってか、体格の良い2人の後ろ姿は中々見えなくなるまでの時間がかかる。


「……一体、どうしたっていうんだろう?」


そして、漸く見えなくなってからアルスは紙飛行機が届いてから、妙におかしなテンションにも思える2人に対して、そんな感想を漏らしたのだった。


「それに賢者殿、連絡をするならカエル君を使うと仰っていたのに……って、もしかしたらリリィの方に、行っているのかもしれない」


そんな事を考えながら、大通りの方へ足を向ける。

アトの迷子の心配をせず、アルス単身というのなら大通りを通った方がアザミの店に早くつけるし、キルタンサスの紹介してくれた店も入り口がそちら側にあるのを記憶していた。


場所的でいうのなら、かつて世話になったアザミが女将を勤める工具問屋より前に、その武器屋はある。

この武器屋も、アルスにしてみれば喫茶店"壱-ONE-"と同じで、少々敷居の高い大人の店で、工具問屋で何らかの品物を卸す為に店の前まで来たことはあったけれ、入った事はまだなかった。


「―――って、あれ、しまっている?」


そんな思い出と共に訪れたのは良いけれども、武器屋の入り口は閉じられ、アルスは人混みを器用に避けながら立ち尽くす。


「昼休みの休憩中にしては、早すぎるよね……?」


アルスの記憶が確かなら、武器屋などは昼休憩中に店を訪れる客もいたりするので、普通の店よりも休憩時間を遅くずらしている事が多かった。


「ヒャッハー、"護衛騎士のお兄さん"、こちらの武器屋さんに御用事ですか?」


無意識に剣の柄を掴んで、アルスは身を捻りながら振り返った。


(……どうして、自分を"騎士"ではなくて"護衛騎士"として、呼びかけるんだ)


それだけでもアルスにしたなら警戒をするのに十分な理由になるが、今聞こえた声しか知らない相手の顔は、振り返っても見えない。


恐らく、"ヒャッハー"という声を出した人物は、アルスよりも背が高いのだけれども、深緑色の随分と(ブリム)が長くて広い帽子を被り、俯き加減の為顔は隠れ見えなくなっていた。

帽子の他に身に着けているものは、襟が大きく身体全体を隠すような、袖のついてないマントの様な、帽子の色と合わせた深緑の長い衣だった。


(あれ?!2人いる?)


しかも予想に反して、アルスが更に驚くことになったのは、新人兵士が気が付けたのは手前にいる鍔の広い帽子を被った人物だけで、更にその後ろにいるもう1人いる事だった。


そちらの人物は、帽子こそ被ってないが一目で異国の装束を全身で纏っていて、しかも顔全体が婦人が使うストールの様なもので、巻いており見えるのは目元のみ。


けれど、その唯一覘き見える目元だけでも、アルスが良く知っている人物を思い出す事が出来る。


(アルセン様?!……じゃ、ない。違う、肌の色が違い過ぎる)


帽子を被っている後方にいるその人物は、視界に入ったならば本当に目元とその瞳の色は恩師のアルセン・パドリックその物と例えても障りはない。

けれど僅かに隙間をぬって見えるその肌の色が、アルスの知っている中ではこの国の英雄で大農家としても有名なグランドール・マクガフィン並みに日に焼けている、褐色の色だった。



その2人はアルスと同じ様に、人混みの中に立っているのに、アルスの様に器用に避けるわけでないにに、流される様な事もなく周囲の人の方が避けて過ぎて行くようにも見える。

新人兵士が2人との遭遇に驚きに、特に肌の色が違うけれど目元は瓜二つ恩師と似ている人物か特に目を奪われ、固まってしまう。


もし、肌の色がアルセンと同じ物だったら、躊躇わずに"アルセン様"と親し気に名前を呼んでいてしまっていたと思う。

そしてアルスが凝視してしまう、褐色の肌と緑色の人物がその瞳に"不快"の色を浮かべたのが覗き見える眉間に縦のシワを作った。



(いけない、見つめ過ぎた)


アルスが謝罪の言葉を口にしようか迷った瞬間に、鍔の広い帽子を被った人物が俯き加減の頭を上げる。

そこには最近のセリサンセウム王国では見かけなくなった、長髪で青い髪をした垂れた眼元が印象的な、年齢的には三十路を僅かに超えたばかりに思える人がいた。

恐らくは異国の人物なのだろうが、セリサンセウム王国という国でも見かけておかしくはない顔立ちではある。


"愛想は良い"そういう風に受け取ってもいい面差しなのだけれども、それと同時にアルスの中に備わっている天性の勘が、油断をしてはいけないとも訴える。


この鍔の広い帽子を被る人物は絶対に初見ではあるのだけれども、後方にいる、まだ見えるのは目元だけだけれども恩師を感じさせる人物と同じ"何か"を感じさせられる。


(誰だろう、この感じ)


ただ、感じさせるものはあるけれども、姿は違う物らしく、いつもなら俊敏に記憶の中から掘り返す事が出来る事が、今は出来ない。


(……アルセン様に似ている方の印象が強過ぎて)


恩師に似ている人は、アルスが見つめる事で不快の表情を浮かべさせてしまった事が何気にショックな出来事にもなっているのに、今更ながらに気が付く。

そんな迷いがある内に、今度は"ジャラリ"という、昔工具問屋に下宿していた時に訊き慣れた音がアルスの耳の中に入って来ていた。


音の出所は、帽子を被った青い髪の人物ので、長い深緑コートの下に"十露盤(そろばん)"を飾りの様に首から下げている為に、出てきたもののようだった。


「ヒャッハー、どうやら武器を手にさせてしまう程、驚かせてしまったご様子で、申し訳ありません。

こちらの店に御用事だったようですが、午後から店が閉まっています。

本日商談に使う為に、私が貸し切りにさせて貰っているんですよ」


「貸し切り、ですか」


(貸切るのって、それなりにお金がかかるし、貸す側が商売をする時間をを譲っているわけだから、結構なお金を使っている筈だし)



「……何かしら御用があったのでしたら、折角脚を向けてくださったのに申し訳ありません」

「いえ、その、異国のサブノックの工芸品や珍しい素材が入って来たという事で下見に来ただけなんです―――あ」


正直にアルスが帽子を被り、青い髪と垂れた眼をしている人にそう伝えている内に、恩師と大農家を感じさせる人は2人の間をすり抜けるようにして、無言で店の中に入って行ってしまった。


(あれ、何だろうこの甘い匂い)


アルスの気のせいでなければ、仄かに甘い匂いはさっさと店の中に入っていってしまった恩師に似た人物からの残り香の様に思える。



余り甘い物には詳しくないので、これにも具体的な答えが出せずにいる内に、特に言葉を交わす事はなく、残った新人兵士と帽子の人は、人通りを避ける為に店の入り口あるスペースに身体を移す。



そこで帽子を被った青い髪の人物に、再びアルスは語りかけられた。


「ヒャッハー、どうも私の連れ合いが無愛想で申し訳ありません。


朝から用事を片付ける為に奔走していて、つい先程、それが終わった事への安堵と共に、どっと疲れが出てしまった様で、口数が極端に少なくなったみたいです。


普段はどちらかと言えば、愛想は良い方なのですが……」



「あ、いえ、疲れているのなら仕方ないですよ。


早く店で休憩されるつもりだったのに、自分が店の入り口につっ立っていたなら邪魔になっていたんでしょうし、申し訳ありませんでした。


えっと、連れ合い―――ご友人の方も、その休憩した後に、これから商談に参加されるんですか?」



青い髪の垂れ眼の人から、"連れ合い"と説明される恩師に似た人物が、自分に向けた"不快"の視線に、それなりの理由があることに安心しながら、アルスは剣の柄から手を外して訊ねる。



(いきなり話しかけられたから、警戒しすぎたかな。

でも、どうして自分が護衛騎士だとわかったんだろう?。

訊けるなら、そこを出来れば確認しないと)


そんな疑問を考えつつ新人兵士が武器から手を離したなら、青い髪の人は垂れている目尻を更に下げ、口の端をグイと上げ、これまで以上に愛想の良い顔を作る。


「ええ、そうですよ。ただ連れ合いは、商談には"付き合い"で、参加するだけです。

先程も言ったどうしても片付けなければいけない用事があるからと、慣れない異国のセリサンセウムに赴いて、色々見回って疲れたと口にしていましたから。

それに彼は南国出身なもので、急に変わった環境にどうも喉を痛めてしまったらしく、冷やしてはいけないと、初夏の陽気だというに、あのように顔全体を保護しているんです。

でも、あの肌の色では直ぐに南国出身だとわかってしまいますがね」


訊かれてもいない事についても、帽子を被った青い髪の人物はアルスに語り聞かせてくれる。


「あ、そうなんですか?」


ただアルスは肌の色云々よりも、恩師にそっくりだと感じた人が異国の人というのが、意外でもあったので、そちらの方にも反応をしてしまっていた。


「……おや、異国の方とは思いませんでしたか?」


垂れた眼の上にある眉が上に上がって、意外そうな反応をする。


「服装が違うので、それはもあるかもしれないと考えましたけれど、最近はお洒落というか、様相で異国の服をつける方もいますから」


"自分の知り合いに、とても似ている方がいる"


その情報を口にしても良いと思えたのだけれども、喉元まで出かかった言葉は無意識に抑え込んでいた。

普段のアルスなら、どちらかと言えば扱うのが難しい"当たり障りのない言葉"で、その時をやり過ごす。


―――チッ


(あれ?)


先程の甘い残り香程はっきりではないけれども、舌打ちの様な音が聞えた様な気がしたけれども、その音が出た方向にいるのは、とても愛想の良い笑みを浮かべている青い髪の垂れ眼の人がいる。


「……そうですねえ、セリサンセウムは世界各国から多様な方々が集まっている。

確かに、異国の服はお洒落の延長、自分の感性や個性を表現する一部分として使われる事も増えているのかもしれませんね」


そう言って再び、胸元にある十露盤をジャラリと鳴らしたのなら、青い髪に垂れ眼の人物は、身体全体を包む様にしている深緑コートを広げた。

するとそこには、アルスでも一目で判る"サブノック"という国の民族衣装を纏っている身体あった。


「ヒャッハー、自分の国の誇りを以てその装束を纏っているとい方々も一定数いらっしゃることは、最近の若い方には判りずらい感性なのかもしれませんねぇ」

「自分の国の、誇りですか」


青い髪の人物の言葉に、少しばかり気圧される様な気持ちになりながらも、そのサブノックの装束を纏う青い髪の垂れ眼の人の身体は、自分と同じ様に"鍛えられている"のが布の上からながらも判った。


(……思えばこの人は、一体誰なんだろう?)


つい先程、偶然出会ったはずなのに、青い髪の垂れ眼の人物が口にする絡め取られるような(ほだ)された言葉で、ちょっとした知り合いの様に言葉を交わしている気分になっているに事にアルスは気が付く。

でも、気が付いた事で先程の記憶の掘り返しで、油断をしてはいけないと思ったけれども明確に出来なかった部分が、はっきりする。


(そうだ、ネェツアークさんに似ているんだ)


見た目の姿は、先程店の中に入って行った人と恩師に比べたなら、全くと言って良い程、青い垂れ眼の人と、鳶色の眼付きの悪い人は似ていない。


けれども姿が似ていない分、雰囲気というべきなのか纏っている与えてくる印象が良く似ている様に思える。

アルスがそんな事を考えている間も、青い髪と垂れ眼の人物は初対面のこの国の軍服と軽装備している少年に愛想の良い笑みを浮かべていた。


(でも、どことなく決定的に違う所もある様な気もするんだよね)


今度はその違いが判らない事に、心に靄がかかった様な気持ちになり、無意識にそれを晴らす方法をアルスは模索し、口を開いたいていた。


(……そうだ、ネェツアークさんと言えば)


ついでに自分が尋ねたかった旨を、それに重ねる事にする。


「あの、1つ尋ねても良いでしょうか?、どうして自分に最初語りかけてきた時に、その、僕の役目が護衛騎士だと判ったんでしょうか?。

その、確かに自分は軍服を身につけてはいるんですけれども」


髪も眼も鳶色の人は、"情報を拾う"という例えを良く使っていた。


(それなら、この青い髪の人はどうやって僕の"護衛騎士"という情報を、手に入れたんだろう)


不思議と"拾った"という表現が青い髪の人物にはそぐわない様な気がした。

突然のアルスの言葉に、垂れている為にどちらかと言えばいつも閉じている様にも見える目元を、鍔の広い帽子を被った青い髪の人は、大きく眼を見開く。


それ迄も、この人物の眼を開いた所は見ていた事はある筈だけれども、この時初めて髪と同じ青い色だとアルスは確りと認識する。


アルスも”空色”という表現をするなら、その色を使うけれども、垂れている眼の中にあるその色は深く、新人兵士と帽子を被った人では全く違う物にも思えた。

ただ確認できたと同時に、見開かれていた眼は垂れた愛嬌の良い笑顔の線の内に隠れてしまう。


「そうですね、簡単に言ってしまえば、君がつけているその腕章です」


そう言って、アルスが左の腕につけられている腕章を指差され、自然と空色の眼はその指されている指の形を見て、記憶している鳶色の人と比べていた。


(形というわけではないけれど、長くて"節"が確りしている所も、ネェツアークさんと同じ)


そして何らかの武器を使い込み、修練は欠かしてはいないだろう、先程別れた元武芸者とこの国の王の護衛をする騎士と同等の"タコ"が出来ている。


(この人は、武芸者ではないと名乗ったとしても、確実に一般という表現を超える以上の腕前を持っているんだろうな)


アルスの思惑と注視に気が付いているかどうかはわからないが、青い髪の垂れ眼の人は更に"護衛騎士だと判った"説明を続けていた。


「君がつけているその腕章に、セリサンセウム王国の"向日葵と獅子"の国家の印が記されているのと、そこにさらに付け加えられている紋章です。

"楓の中に鎮座する金色のカエル"

つい最近ですが軍隊嫌いのこの国の最高峰の賢者殿が護衛騎士を着けた。

その賢者が、自分の護衛部隊の紋章として使っているのが、それだという情報を”買い上げ”ました」


「……”買いあげた”、ですか?」


思っても見なかった、青い髪の人の情報の取得の方法に思わず鸚鵡返しの様にアルスは、その言葉を口にしていた。


「ええ、私は”商人(あきんど)”ですから、所謂、商人です。買って”得”だと思える情報は、言値で買い上げる事もあるんですよ」

商人(あきんど)……」


その言い回しが、先程から掘り返しているアルスの記憶の中でつい先日、まだ埋もれる前の物にあった。


―――大丈夫ですよ、今回は生地の買い付けに、新たな販路(ルート)が出来たので、暫くは王都で"あきんど"の方と商談が主なお仕事になると思います。


それは耳の長い上司の親友でもあるという、丁度この青い髪に垂れ眼の商人(あきんど)とは逆の、やや釣り眼の(たお)やかな仕立屋が口にした内容。

その商人の意味の方は、いつもの様に耳の長い上司がヒゲを揺らしながら、新人兵士と秘書の巫女の女の子に教えてくれた。


―――でも……商人さんと同じ意味なら、どうして"あきんど"とキングスさまは仰ったのですか?。


ただ意味は、判ったにしてっもどうしてその呼び方をつかうのか、小さな同僚同様にアルスも気になっていた。

けれど、その意味は結局判らないままで終わった。


―――今回、長引いたサブノックの、最大手の商人(しょうにん)さんが、どうも呼ばれ方に拘りがあるお客様でしたので。

―――出来ることなら、商人の事は"あきんど"と呼んで欲しいとの事でした。


(もしかして、この人が、キングス様が言っていた)


―――それで、呼び方を"商人(あきんど)のスパンコーンさん"と改めたなら、"お勉強"してくださるとの事だったので。


「貴方は、もしかして"スパンコーン"さんなんですか?」


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