Lost properties(拾得物)②
(まあ、ネェツアークさんもいないなら、丁度いいかな)
そして、シュトにしてみたなら、賢者がいたなら少々訊きづらい事を尋ねるチャンスとも思えたので、尋ねる事にした。
「……あの、さっきの話しなんですけれど」
「出来れば、具体的に言って貰おうか。さっき行われた話は複数あるし、殆どが国の機密級の話となるのでな」
行儀作法の手本の様に、今出ている食事を進めながらロドリーが言ったなら、シュトは人に不快な感情を与えない程度の作法で食事を進め乍ら自分の質問を口にする。
「じゃあ、一番つい最近の物にしておきます。マーガレットさんみたいな状態になった人の扱いに慣れているんですか?」
「慣れているという物ではないが、2人目というだけだ」
シュトの質問が、"そちら"の方に行った事に、スープを飲む手を止める事はなかったけれども少しだけ眉をあげ、ロドリーは答えて障りのない部分を口にする。
「前以て言っておくが、名前は言えない。ただ、ウサギの賢者である状態と、ネェツアーク・サクスフォーンという人で両方の状態を晒しただけあって、親しい間柄であった存在だ」
「そうですか」
手にしたやけに葉野菜の比率の高いサンドイッチを噛み千切り、シュトは相槌を打ちながら考える。
("親しい間柄であった存在だ"だから……過去形か。でも、別にこの"ロドさん"が、言い間違えてミスをしたという感じでもない。
だとしたら、その親しかった人が、この世界から"旅立っている"って事は、既にウサギの賢者の旦那の本名を知っている俺が知っていても、障りが無いって事だな)
これ以上、この事に関しても余り意味がないような気もするのだけれども、興味の方がまだあったので尋ねて見る事にした。
「じゃあ、名前は良いです。それじゃあ、その人が"ウサギの賢者がネェツアーク・サクスフォーンだと知った時"のどんな感じだったか、せめて話して貰えませんかね?。
その、マーガレットさんみたいに、腰を抜かしたのは判るんですけれど」
シュトがそう訊ねたなら、先程は尋ねられても止めなかった手をロドリーは止め、スープを口に運ぶスプーンを"中断"を知らせる場所に一度置いた。
それから腕を組み、右手は拳にして顎に当てて考え込んでいるというのが十分窺る雰囲気を醸しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……いや、思い出してみたなら、マーガレットとの場合とは齟齬があったな、"逆だ"」
「逆って……、その人は、ネェツアークさんが人の姿からウサギの姿になった事に驚いて腰を抜かしたって事になるんすか?」
シュトが確認する様にかける言葉に、今度は考え込む状表情に眉間に縦筋を加えた後に、再び口を開く。
「……その人が腰を抜かした原因は、"ネェツアーク・サクスフォーンがウサギの姿になった"事で、驚いたのも確かにあった。
だが、それがショックというよりも、やはりあの白黒の旋風の魔力の煽りを喰らった事が、主な原因だったな。
何せ原因を作った張本人に腰を抜かしつつも、ウサギは可愛いから狡いだの盛大に文句を言っていたがな。
逞しい人だった」
「へえ、気の強い"女性"っすね」
相変わらず、過去形を使った物言いは変わらなかった。
だけれども、その人に対してウサギの賢者も親しい面があった間柄かもしれないが、それはロドリーも同じ様に思えたし、シュトは半ば、無意識に感想を漏らす様にそう返事をする。
すると、位置的に正面に座っていた貴族で軍人は、口元に当てていた手を、眉間に縦筋を残したまま食卓の上に降ろし尋ねる。
「……どうして、女性だと思った?」
「え?、ああ、それは―――」
そう訊ねられ、シュト自身は、突き詰めて考えてみても、ロドリーから聞いた話から感じたままを口にしていただけに過ぎない。
だから性別を含めて言葉にしたのは、純粋にそう感じ思っただけの事だったのでもあるけれど、ふと自分でも疑問に思い、何故口にした理由を自分の中で更にほりさげてみる。
そうすると、思いのほか直ぐ早めにその答は"登場"してきてくれて、その人はシュトの人生の中で、つい最近出逢った女性というよりも女の子だった。
その女の子は不貞不貞しい振る舞いをする事はともかく、ウサギの賢者の姿を"可愛い"と豪語する、親友の妹の様な、強気な目元の巫女のリリィである。
そのリリィは今、連絡場所になっている喫茶店で迷子になっていた弟の無事を聞いて、安心をしているだろうと思う。
ただシュトの勘が当たっていたなら、喫茶店で彼女は少しばかり顔色が悪い様に見えたので、僅かに心配しながら、女性と思った理由として口にする。
「……ウサギを"可愛いのに狡い"っていう言い回しが、女性っていうか、女の子っぽいって感じがしたんですよ。
それで、そう考えるきっかけになった、知り合いの女の子を思い出したんです。
ああ、ロドリーさんはネェツアークさんの"ウサギの賢者"の状態を知っているんなら、リリィの事も知っているんですよね?」
確認に一瞥したなら、ロドリーが小さく頷いたので、シュトはそのまま話を続ける。
「それでリリィの性格までご存知かどうか知りませんけれど、俺の知っている限り凄く気の強い雰囲気で、それでさっきロドリーさんが言った"逞しい"ってのも入るんじゃないかな。
でも、まだ小さいのに弟のアトが懐くくらい、優しい面倒見の良い子です。
目元がちょっときつい感じもしますが、結構可愛い女の子でもありますかね。
そんで、リリィの生い立ちについてまでは、俺は詳しくはよく知らないですけれど……」
そこまで語りながら、シュトの頭に過るのは、ロブロウで少女について語る"人の姿をした賢者"だった。
少女の抱えているだろう背景については、一切を語る事はなかったけれども、賢者が少女に抱いている想いは聞かせて貰った。
『私が恥を晒して生きているのも、2度も死ねと言われて笑っていられるのも、あの子がいたからだ。
2度も壊れかけた心を、こうやって保っていられるのも、あの子がいるから』
『今の私が"マトモ"なれたのは、あの子がいるからに過ぎない。
そしてマトモだから、大切にしたい人や友達が"歯止め"となってくれる』
(このロドリー・マインドって人も、まだ良く知らねえけれど、ネェツアークさんの言っていた"歯止め"の1人なのかな?)
口に出して話す事と頭では別の事を考えているという、頭が回るシュトならでは器用な事を行いながら、ロドリーに求められた疑問に応え続ける。
ただ、密かに注意深く一瞥をしてみたけれど、傭兵の見る限り貴族で軍人である人の表情の動きは殆ど見られなかった。
「―――リリィも俺達兄弟みたいに、教会から引き取られて、親代わりみたいにウサギの賢者殿にお世話になっている影響もあるんでしょうけれど、ウサギが大好きですよね。
その印象が凄く強く残っていて、”ウサギは可愛いから狡い"っていう言葉が、リリィがもう少し大きくなって、何かしら賢者殿と喧嘩をした時に"そんな事言いそうだなぁ"位に思えたんです。
そういったのがあって、俺の中じゃあロドリーさんの言った、マーガレットさんと似た様な状況にあった人。
その人が、女性……というよりも、もっと正直に言ったなら"女の子"に思えたってことです」
結構長くなってしまったが、シュトがロドリーの言葉から女性と思った理由を語り終える。
語っている間、シュトは自分の中の記憶を随分と掘り下げ考えていた事もあって、一切れのサンドイッチをの食べ終えた後は、無意識の内に腕を組んで、俯き考え込んでしまう態になっていた。
一方の正面に座るロドリー・マインドを見たならば、机の上に置いていた白い手袋を填めている手を再びスープを飲む為に、スプーンに伸ばして掴んでいた。
「……成程、シュト・ザヘトも中々情報を拾うのが巧い。新人がいないのと、マクガフィン卿が気に入っていなければ、鳶目兎耳に誘おうとも考えも浮かんだが、今回は縁がなかったと諦めよう」
「えんもくとじに誘う?マクガフィンきょうが気に入る?」
シュトが驚きで言葉が続かない状態になってしまったが、ロドリーの方は、意に介さずにスープを啜り続けていた。
ほんの僅か、逡巡してからシュトも立ち上がり、スープが入っている青い琺瑯鍋の蓋の、何とか素手で掴める熱になったつまみを持って開ける。
「俺もスープ頂きます」
「ああ、折角温めなおしたんだ、食べるといい。評判なのも良く判る、素材の旨みを活かした、美味い味だ」
食事の断りには自然に応えて、先程の間の抜けた様なシュトの物言いには、すっかりなかった様な雰囲気で、食事をロドリーは楽しんでいる様に見える。
(こりゃ、下手な訊き方をしても、応える気はないって感じの態度だ)
"お玉"からスープを掬い、シュトは今は生真面目そうな雰囲気が強くなった貴族で軍人である人物を視界の端に入れながら、具と共に皿に注ぐ。
(―――本当、美味そうだな)
暖かな湯気ともに、根菜が良く煮込まれた時の匂いが鼻に入って、今回は鳴らなかったが胃袋再び刺激され、今度はロドリーの前で鳴ったら、何とも恰好が付かない。
だから、取りあえずシュトも食べる事にする。
「いただきます」
食事の挨拶にロドリーの反応もないけれども、染みつくように身に着けた事でもあったのでシュトは気にせずに、スープを掬って呑む。
そして味の方は、シュトからしたなら目前で驚異的な"早飯"の速度でスープを飲み終えようとしている貴族で、軍人の言うう通り確かに旨かった。
不思議と胃袋に食べ物が入ると、シュトの気持ちも落ち着き、自然と"考え方"も空腹の時の自分とは思えない程、すっきりする。
そして、ロドリーの口にした言葉の意味をそのすっきりした頭で考える。
(俺を鳶目兎耳に誘うって……、そんでもってマクガフィン卿って、グランドール様が貴族の時の呼び方みたいなものだよな)
ここ暫くで怒涛の勢いで出逢った人々が、この国の枢機に携わる人物ばかりで、元々頭が回る少年は、眼前にいるこの人物も、その類の人なのだと考え至る。
(単刀直入に尋ねるか)
腹にスープに入った為かどうかは判らないが、不思議と肝が据わった様な感覚となり、スプーンを置いて口を開く。
「"ロドリー・マインド中将"。鳶目兎耳に俺を誘いたいって口にする事は、貴方はそれ位の権限を持っているって考えても良いんですか?」
「そうだな、そういう意味で言うのなら、"誘える程度"の権限は持っているつもりだ。
私は鳶目兎耳において、隊長を補佐する"副官"という役割になっている。
だから、隊長の役割を担うネェツアーク・サクスフォーンに部隊に相応しい、向いていると思える相手を推挙する事は出来る」
"肝の据わったシュトの直球の質問に応える"
そんなつもりでもないけれども、これからの"シュト・ザヘト"が進むだろう道を考えたなら、話しておいても障りは無いと考えたロドリーは、事実をあっさりと告げた。
「へ?、ロドリーさんが、"鳶目兎耳"なんですか?。というか、そんな本格的な諜報する部隊みたいな役割で本当にあるんですか?」
ただ、その反応はロドリーとしては、実に不本意に近く、シュトが驚愕という堅苦しい言葉で表現するよりも、"びっくりした"といった純粋な驚きを、幼い子どもの様に顔に浮かべている。
そして驚きの比率としては、"ロドリーが鳶目兎耳である"という事の方が比重があるようだった。
「―――私自身、地を這う蛇の目つきに顰め面の生真面目そうな雰囲気、"鳶目兎耳"らしくない事は、弁えている。
それに鳶目兎耳も、ここ数年殆ど表に出る事はないが、実在している」
食事の間は潜められていた、眉間のシワを深く刻みながら、ロドリーは素気なくそう答えていた。
特に今身に着けている軍服の時などは、重々しい雰囲気が更に増し、鈍くはないしにしても、部隊の"銘"にも使われている、素早さや諜報力が優れている動物達の印象と自分がかけ離れていると思う。
量の多い髪も香油でオールバックで纏め、ロドリーが扱う"武器"の見た目からしても重々しさを醸し出している。
軽んじられる事は決してないが、重々しくみられ過ぎる事が稀に煩わしく感じる時もある。
そんなロドリーの心を察した同僚で同じ立場で副官でもある、この国最高峰の仕立屋は、この職に就いた時、それぞれが担うイメージを活かしつつ、新たに鳶目兎耳全体の装束を仕立ててくれていた。
ただその衣装は戦闘の際に、効力を最大限に発揮する仕立でもあるので、その姿を公で見た者はいないに等しい。
それは、平和なダガー・サンフラワーの御代を象徴している所もあるので、過去に諜報部隊があった事はしっていても、現在は実際にあるかどうか知らない者が殆どだった。
そしてシュトの心境もそちらに近かった。
シュトが知っているだけでも、ネェツアークが名乗っていたのと、ロブロウからこちらにくる宿場町の途中で、シノ・ツヅミが"鳶目兎耳"の勲章をもっていた事。
それにこれは、シノが口を滑らせたにすぎないのだが、ネェツアークの親友でもあり、この国最高峰の仕立屋であるキングス・スタイナーが鳶目兎耳であるという事。
(それで、ロドリーさんが鳶目兎耳だとして、1人は正式に認められていない合計4人位の部隊なんてあるのか?)
自分の親友が、1人でこの国の賢者の"護衛部隊"であることは、頭の隅にある棚の上に放り投げて、シュトはそんな事を考える。
ロドリーもシュトの表情で、大体の彼の抱えている"鳶目兎耳"への疑問察して、小さく頷いた。
「どうやら、シュトのその口振だと、鳶目兎耳という物については知っている。
けれども"部隊で機能している"という事を、そこまで詳しくは知らなかったという解釈をしてもいいだろうか?」
なのでロドリーも、彼が鳶目兎耳をどのように思っているのか、少しばかり探りをいれる言葉を投げかけた。
シュトの方も、自分が思っている"鳶目兎耳"と、実際の諜報部隊という物の違いが分からないので、ここで話を聞いてみたいと考えていた。
ロドリー・マインドという人物は、例えるなら賢者がウサギでも人の姿でも、折に触れて口にしている"堅苦しいのが苦手"が、人の形になっている様な雰囲気を携えている。
でも、その硬さと"鳶目兎耳である"と告げられても当初は信じられない、生真面目さと重々しさが、返ってシュトの中では信頼できる部分に繋がっていた。
だから、投げかけられた言葉を丁寧に受け止め、粗野な恰好や態度を取る事が多い少年は、意識して礼儀正しく口を開く。
「はい、そうです。その、今でも部隊でもある事を否定するつもりはないです。
ただ、俺的にはネェツアークさんが、"ウサギの賢者になる前に"やっていた、仕事の1つぐらいに思っていましたから、過去の事なんだって思っていて。
それで、俺が鳶目兎耳について初めて関わったきっかけは、ネェツアークさんというより、賢者殿が、ウサギの姿から人にの姿に強制的に戻された事でした。
魔法が分からない俺には理由は知りませんけれど、ウサギには戻れるけれどもその状態を保つのが難しいみたいな話を、ロブロウでの俺の雇い主にしていました」
"ネェツアーク殿、やはりウサギの姿になる、"戻る"のは難しいの?"
アプリコットがそう訊ねて、人の姿になった賢者は面白くなさそうに、鳶色の頭をガリガリと掻いて応えるのを聞いていた。
"ああ、"ちびっ"となら可能だがな。
リリィの前で、ウサギの姿を保てる自信は正直ない。
だから、領主殿。この姿のままロブロウで動かさせて貰っていいかな?"
それ以上の詳しい理由は聞くことが出来なかったけれども、"ウサギの賢者の正体を、リリィにだけは決して知られたくはない"という事は、当時執事見習いをしているシュトにも判った。
でも、ウサギの姿を保つことが難しい状態で、リリィの側にいる事も出来ない、そこで取った策が"鳶目兎耳のネェツアーク・サクスフォーン"になっての登場という事だった。
「ウサギの姿になれなくなったからと、緊急的に"鳶目兎耳のネェツアーク"になるという事については、王都にも国王陛下直通で連絡があったので私も知っている。
それがあった事で、宝物庫にしまっている、鳶目兎耳の"雛型"になったという人物が身に着けていたという、古いコートと、予備にと彼自身の昔のコートを引っ張り出す事になった。
コートについては、お前達兄弟の方が詳しいだろう?。
どのように使われたかの報告はウサギの賢者からロブロウでの件が片付いてから、直ぐに国王陛下に上がっていて、私も見ている」
"詳しいだろう"という言葉をかけられたと同時に、シュトは頷いていた。
「俺が鳶目兎耳について聞いていたのは、賢者さんはウサギにしても人にしても着ている物が一緒なので、
"兎に角リリィにウサギの賢者とネェツアークを結びつけるような印象を与えてはいけない"
って事でロブロウに、前の仕事の時に使っていた紅黒いコートを、鷲の"イグニャン"に運んで貰っている、そんな言い方をしていました。
でも、リリィと別行動になった時には、2着のコートは俺達兄弟に割り振られて、また緑色のコートに戻していました。
アルスやルイ君は、"ウサギの賢者のコート"似ている事に気が付いていたけれど、ネェツアークさんが前以て何かしら言いくるめられていて、必要以上には突っ込まなかったみたいですけれど。
それで、俺達兄弟に割り振られたコートもロブロウの事が終わった時に、グランドール様を通じて回収されていて……。
思えば、それ位しか鳶目兎耳についての、話はしてないんすよね」
何にしても、"鳶目兎耳"の情報は全てネェツアークを通して初めて知った、国の諜報部隊の名前でもあった。
ただ、前からある物なのだと信じられる裏付けは、十分であった。
それはグランドールや、今はロドリーの手前、決して名前は出せないけれども、アルセンもロブロウで鳶目兎耳のネェツアークの姿を現しても前々から知っていて、その役割も十分に理解しているのが見受けられるのもあった。
なので、決してリリィを騙す為に拵えたものでもないと、シュトなりに信用は出来ていた。
「でも、正式にある諜報部隊って言っても、ネェツアークさんは個人での活動ばかりをしているものだと思っていました。
その、自由に動けない王様の代わりに色んな情報を集めたり、代わりにして欲しい事をしておいてもらうとか、そんな位置で考えていたんですよね。
後は恐れ多いですけれども、鳶目兎耳っていう国王直轄部隊を建前として造っておけば、王様とネェツアークさんが合う適当に理由も作れるから、使っているだけみたいな」
そこで言葉を一度区切って、ロドリーを見たならば、それまでシュトが口にした内容を肯定する為に、一度小さく頷く。
「シュトの考えていた予想は概ね正解だ。特にその"友達の代わりに調べ物"という考えは、本当にその通り。
ただ、今回のロブロウの事は、国王となる前から、ダガー・サンフラワーとしてアプリコット・ビネガーの事を随分と気にかけていながらも、一切話してはいなかった。
先日の人攫いの法の締め直しで、動きがあって漸く表面に出せるとっかかりがつかめた様な状況だ。
そして結果を見て、今回のロブロウで起こった事の顛末を考えたなら、友人同士だからこそ話さなかった部分もある様だが」
軍人が蛇の様な眼を細めながら言う、"ロブロウで起こった出来事"については、シュトも"友人だからこそ話さなかった部分"については直ぐに思い当たる。
「……国王様は物凄く、豪胆な印象が強いですけれど、それなりに恥ずかしかったって事なんですかね?」
何気なく口にしたなら、ロドリー・マインンドという人物ににしては、きっと珍しい事だと思える"愛嬌のある苦笑い"を浮かべていた。
「じゃあ、やっぱり部隊とはいっても、個人的で行う活動が多い部隊なんですね」
「一応、月の一回り一度は3人で顔を合わせて会議はしているがな―――」
そこまで話した時、店と家を区切る暖簾の向こうから、騒がしい声が表現するのに相応しい声が響いてくる。
「ウィンナー沢山出来ました。スープも飲んでサンドイッチ食べたら、まがれっとさんのチョコレート食べます!」
「ウインナーも美味しそうだけれども、折角人の姿に戻ったから、この後東側のどこかでイナゴの佃煮でも、買って帰ろうかな~」
「"ネェツアークさん"、その姿でリリィちゃんに出逢って気まずいっていうのなら、早く魔法の箒に乗ってバロータさんの家の煙突から、鎮守の森の方に戻らないと。
魔力がないというなら、うちのお菓子を差し上げます。
それに、リリィちゃんがこの後来るのなら、お土産にも持たせますから」
アト、ネェツアーク、マーガレットと3人が連れ立って特徴のある内容を口にしながら、こちらにやってくるのが、店側にいるロドリーとシュトの耳に入った。
弟が、食べかけのスープを見たなら拘りを出すお恐れがあるので、シュトはスプーンに手を伸ばし、少々行儀悪いがかき込む様に飲んでしまう。
「どうやら、マーガレットの方への"ウサギの賢者"と”鳶目兎耳のネェツアーク”についての根回しはご自分でなさったようだ」
ロドリーの方は暖簾を超えて聞こえてくる会話で、自分の上司が菓子職人にこれからの対応について、確りと打ち合わせている事を察した。
(―――なんやかんやでマーガレット・カノコユリは、随分とこの国の重鎮の”秘密”を知っている事になる)
少しばかり眼を細めそんな事を考えた後に、正面にいるスープを飲み終えたシュトに向かって口を開いた。
「それと報告によれば、シュト・ザヘト、アト・ザヘト、お前達2人の兄弟は王都の方に生活を移すらしいな?」
「あ、はい。とはいっても、今日、まだ泊まる所も決まってはいないけれど、アプリコット様、どうするんだろうって感じです」
ロドリーの質問に直ぐに返事をするが、正直この後の事までは、まだ考えてはいない事を素直に告げて、これまで話していて、思い至った考えも口にする。
「多分、アプリコット様と暫く行動を共にするにしても、そう遠くない内に”別行動”に必ずなるから、3人で部屋を借りるってのも、早計な気がするんですよね」
そして話しが終わる前、暖簾を潜って弟がまず最初にやって来ていた。
「シュト兄、ごはんたべましょう」
これまでのロドリーとシュトのそれなりに重さ感じさせる雰囲気だしてはいたのだけれども、弟はいつもの状況を読まない様子でやって来て、すっかり払拭されてしまう。
そして手には新たに”お手伝い”としてシンプルなデザインの可愛らしい取り皿数枚と、数種類の調味料が収納している籠を抱えていた。
「サンドイッチ、スープ、ウインナーたくさん食べます」
そう言って距離的に一番近い場所、ロドリーの横にごく自然に腰を掛けて、運んできた食器を配り始める。
先に座っている事になる、隣のロドリーは両方の眉を上げたが、この少年とのコミュニケーションの取り方は掴んでいたので、反応はその程度になった。
シュトの方は斜向かいに座った自分の弟が、口ではご飯と言っているが、気持の方はその後に待っている”まがれっとさんのお菓子”に気持が向いているのが良く判った。
「ああ、そうしよう。但し、ちゃんとしっかりご飯食べた後に、マーガレットさんのお菓子だからな」
「はい、ご飯食べた後にまがれっとさんのお菓子です。シュト兄、アトが皆のスープ注ぎます、お皿ください」
一度スープを飲み干したけれども、まだまだ十分腹には余裕があったので先に食べていた2人は、計ったわけではないけれど同じタイミングでスープの皿を差し出していた。
「ああ、じゃあ、先にロドリーさんにしな、アト」
「はい、”お客さん”が最初です」
ここでは、兄弟は全くためらう事もなくこれまでの生活で決めてきた”決まり事”で、順番をロドリーに譲った。
「じゃあ、私はシュト君の隣に座ろう♪」
次にやって来たのは、ネェツアークで皿にボイルしたウインナーを山盛りに近い形に載せている皿をテーブルの中央に置きつつ、必然的に最後に余ったシュトの隣に座っていた。
「私は、昼からの店の支度を先にしますからどうぞお話しながら、食べてくださいね。それに私少し猫舌なんで、スープを冷ましておいてください」
「まがれっとさん、わかりました」
マーガレットの言葉をうけて、ロドリーからアドバイスを受けながら、新しい皿にスープを注ぎながらアトが答えた。
「……隣が私で、ごめんね?」
そしてネェツアークがウインナーをアトが運んできた取り皿にとりわけながら、意味あり気に口の端を上げ、シュトに謝る。
正直胸の内では”この野郎"とこの国最高峰の賢者となっている存在に対して思いながらも、"何のことがさっぱりわからないが笑顔を浮かべる”形をシュトは取った。
ただネェツアークーーー”ウサギの賢者”がいる事で、弟が至って上機嫌でもあるのだが、この王都に来ているのにまだ一度も名前を出していない仲良しの女の子を思い出し、申しわけなく思った。
(考えたならルイ君は本当によくここまで、見越していたよなあ)
こうやってマーガレットの菓子店に来る前、やんちゃ坊主と別行動になる際に、店に保護されているという弟がなっているだろう状態を見事に言い当てていた。
"―――シュトさん言っていた事じゃないっすか。
アトさんは迷子になってしまった事……というよりは、鳩にたかられた事で、頭の中で考えていた事、"王都での楽しみになっていた予定"が一度吹き飛んでしまったってことっすよね。
それにオレ、アトさんが考え出して拘ってしまったなら、それが解消されるまではどうしても気になってしまうのは、ロブロウで身を以て体験しているんすよ。
一回全部吹き飛んでから、真っ白の中にその拘りで一杯になってしまったなら、アトさんは、それを切り替えるのは、一度それを解消するのが一番なんすよね"
先にシュトが幾らか説明していた事もあっただろうけれども、今の状態はほぼ合致している。
(折角ルイ君が当ててくれているんだから、せめてその通りにしようか)
シュトはそんな風に考えていたのだが、2度寝を阻まれたこの国の賢者が、マーガレットへの説明やら、この場での自分の熟すべき役目を終えた為か、少しばかり羽目を外した様な調子で多弁になっていた。
「―――それで、キングスにブラッシングをちょっとしてもらって、屋敷の鍵もかけてくれるっていうから、一眠りしようとウトウトしていたら、"魔法の紙飛行機"が2通。
しかもアプリコット殿とロドリーから。
仕方がないから、ウサギの姿なら使える、本当なら"お仕置き中"のホウキィーを使って、城下街まで一っ飛びできたわけだ。
そしたらいざ着地しようとしたら、パン屋の煙突の所で、思い切りくしゃみしてして、自分で言うのもなんだけれども、人の姿に戻ってしまって。
そのまま落下ですよ、どういう理由かわからないけれど、アト・ザヘトさんに随分と懐かれている、ロドリー・マインドさん」
「説明が長い。シュト・ザヘト、20文字で纏めろ」
そんな上司に常日頃から辟易している部下ロドリーマインドは、赤裸々に嫌悪感を出してつい先程であったばかりだが、それなり打ち解けた少年に話しを投げた。
「ええ?!どうして、そこで初対面の俺なんですか?!。
つか、ネェツアークさんの話は脚色とか絶対盛ってあったり、違う意味に解釈してしまう様な言い回しを使っているから、ここで判断しない方が良いっすよ」
一方、ロドリーに悪い感情は持っていいなかったが、"20文字でまとめろ”の発言はあんまりだと思うので、反抗的な言葉を口にする。
しかも鳶色の人の発言で、こういった旨の発言をしている時に、まともに取り合った方が愚かしい事は知っているし、そもそも纏める必要もない事にも気が付く。
「シュト兄、スープ持ってきました~」
そして弟は”お客様から配る”という拘りが終わって、兄の分を配り、そうして自分の分を注いで改めて、ロドリーの横に座る。
それから鳶色の賢者がふざけて喋りながらも、栄養バランスを整えて取り分けておいたサンドイッチとウインナーを盛りつけた皿を見つめて、”いただきます”と小さく声を出し、食べ始める。
アトが食べ始めた事もあって、保護者達となる3人も今度は比較的落ち着き会話を交わしながら、食事を進めていく。
その客人達の和やかな様子に、店の主人であるマーガレットも再び声をかけていた。
「皆さん、顔合わせは無事に済みましたか?。
まだでしたら昼休みが終わるまでですが、昼食を食べる時間はあると思いますから、どうぞ店を使ってくださいね」
状況は兎も角、初対面となるザヘト兄弟とは顔合わせという部分については十分に出来たと思ったロドリーがマーガレットに応えるべく返事を口にする。
「これで私はアトを引き渡して、土産を買って家に帰ることが出来る」
元々最初から、アトの出会いを含めてこういう流れになる予定だったので、ロドリーの言葉に、昼からの店の支度をしているマーガレットも笑顔を浮かべていた。
「あ、ごめん、アト君とロドリー、一緒にいてて。ちょっと、シュト君とオジサン、このあと"デート"してくるから。
眠りたかっただろうけれど、そこは一緒にIt's not going to be that easy. よろしく」
だからネェツアークからあっさりと、希望を却下され、ロドリーが愕然として匙を落としていた時にはマーガレットも思わず顔を上げていた。
ネェツアークの発言にロドリーを筆頭にシュトもマーガレットも言葉が出てこないので、アトが落ちた匙を気にしながらも、ネェツアークに話しかける。
「シュト兄とネツさん、デートしますか?。そんなに仲良しでしたか?!」
"デートというものは、性別に関係なく仲良しの2人がするもの”
そういう風に”せんせ―”から教えて貰っていたアトが更に尋ねたなら、普段はリリィ用に使っている”優しい大人の笑顔”を浮かべて頷いた。
「そうそう、折角ここまで来たし、この姿をしているから、シュト君と仲良く調べ物をしたいんですよ。
私が昼間からこの格好でいるのも、王都にいるのも珍しいし、いい機会だと思うんでね。
どうせなら、時間を巧く使いたいと目論んでいます」
アトに応えている様で、言葉が出てこない様子になっている他の3人に聞かせる様に、人の姿になっている賢者は口を開いていた。
「だから、シュト君だけ借りて行く形になるんだけれども、そこはロドリーとマーガレットさんで、上手く口裏を合わせて置いて欲しいんだよね」
「私は、それでも構わないんですけれども―――」
マーガレットがある程度、昼の店の準備に目処が付いたので飲食のスペースの方に出てきていた。
それからロドリーが落とした匙を拾い、眉間の縦シワを随分と深くしてしまっている軍人で貴族に気遣う視線を向け乍ら、更に口を開く。
「ロドリー様が”優しい方”で、アト君が保護者になる方に引き渡すまで側にいるというのも、無理はないことと思います。
でも、シュトさんがいなくなってしまうというのは、些か無理がある様な気もしますよ。
それに、アト君は"ネェツアークさんにあった"という事を口に出してしまうと思いますし」
リリィがネェツアークの事は知っている話と、それに”仲良し”だというのは、先程ウインナーをボイルしながら、本人と側で一緒に温めていた小さなお兄さんから聞いていた。
「ああ、別に”鳶目兎耳のネェツアーク”は王都にいる事自体は、おかしくはないんでいいですよ。
リリィにも”王都にいる事あっても、同じ場所にいる事が少ない”というのは、最初に会った時話している」
リリィに対して不誠実ではあるつもりはないけれど、接触は極力避けたいという硬い意志があるのをこの場にいる全員に鳶目兎耳となっている賢者は、感じさせた。
ただ意志を感じはしたけれども、素直に受け入れる気はないのと"出来ない"のが、賢者の正面と斜向かいに座っている2人、ロドリーとアトである。
"出来ない"方のアトは、野菜スープをもうすぐ完食間近という事もあって、そう言った意味で賢者の意志を完璧に無視である。
「忙しいので王都にいたとしても、逢えるかどうかわからないと、予防線は既に張っているというわけですからね。それでは、迷子を迎えに来た兄をかっさらって、何を調査するつもりです?」
素直に受け入れられない方のロドリーは、今回も軍人生活で身についている"早飯"で早々にスープを飲み終えていて、腕を組んで蛇の目で上司を見据える。
"鳶目兎耳が、特殊な銃という武器を使う傭兵の少年を伴って調べたい事がある"
この後、これまで会う事をロドリーも極力接触するのは避けていたけれども、流れの上で会うなら仕方ないし、はっきりとした理由を使えるというのなら、ロドリーは使うつもりでいた。
リリィの性格―――というよりも、少女に縁があった人達の性格からして、物事を誤魔化したり隠したりするよりも、理由があるのなら言って貰えた方が受け入れられる事が出来る。
その事を関係者の1人としてよく知っているので、上司に調査の内情を求める視線を、よく蛇に例えられる目元から向けていた。
けれども、上司は部下の望みに応えるつもりは毛頭からないらしいのが、視線の返事の様に浮かべられる、不貞不貞しい笑顔で察せられる。
「ん~、まだ不確かな事でしかないからね~。"結果"が出たなら、鳶目兎耳を通して絶対に報せるから安心してよ。
出来れば空振りに終わって欲しいと思っている案件でもあるんだ。
でも、早めに調べなければと思っていた事でもあるから、今日の出来事は私にしてみたなら、良かったかもしれない」
あくまでもで調査する内容には今の所は応えるつもりはなくて、ただ自分の都合だけを口にするネェツアークに"副官"だというロドリーの眉間に、もうだいぶ見慣れたシワが深く刻まれた。
「随分と気を持たせるような言い方しますね。でも個人的にはとても、イライラ出来る言い回しですよ」
そんな事を言うのは、賢者の横に腰掛けるシュトだった。
別にロドリーの肩を持つわけではないけれども、調べ物をするにあたって”する事だけを伝えてその内容を一切伝えない”というのは、シュトも好きか嫌いかで言えば、はっきり言って嫌いである。
これは”常に見通しをつけてからの行動”が多いから、自分には馴染めないだけという事もあるだけの事でもあるから、賢者のやり方に批判というよりも意見している位のつもりのシュトの発言であった。
ただ、シュトの粗野な面相と普段の口調からでは、とても意見をしているという感じではなく、とっても判り易い表現で言うならば”喧嘩を売っている”状態に見える。
賢者の方はそこは経験豊富というべきなのか、海千山千ということもあって横にいる背の高い少年の意見にも、相変わらずの不貞不貞しい態度を崩さず浮かべていた。
けれども、まだ出逢って間もない菓子職人にはシュトの言い様は、特にそう見えてしまったらしく、少しばかり慌ててトレイにお菓子を乗せてやってきた。
「その、ネェツアークさんは最後に全てがはっきりしてから、その調べ物に関係をした人にお話をしようと考えているんですよね?」
「まがれっとさんのケーキきましたぁ!」
それは丁度アトが最後の野菜スープを食べ終わった後で、タイミング的にはベストの物となっていた。
ただ、マーガレットの運んできたものを見て、アトは大きく首を傾げる。
「シュト兄、何個食べてもいいんですか?」
マーガレットが運んできたのは、店の売り物という形ではなく、試食にして大きめにカットした物が、店のショーケースに飾られている分の種類あった。
シュトも不貞不貞しい賢者との会話の途中であったけれども、菓子職人が運んできたトレイを見たなら弟と同じ感想を抱いていた。
「あの、マーガレットさん、これは?」
「あ、その、アト君は初めてだから、うちの店のケーキを一通りを食べて貰おうと思って。
元からそこまでうちの店は種類が多い方でもないんですけれど、最初は”お小遣い”を使ってまで食べたがっていてくれたので。
これからも御縁があって、自分の稼いだお金でうちのお店のお菓子を食べてくれるんだったら、味を知らずに買って、食べたい味が”気分じゃない”物だと勿体ないと考えたんです。
今日は、アト君のお陰でスープをご馳走にもなったお礼も兼ねて」
マーガレットが説明している内に、ネェツアークが長い指で、カットされているチョコレート系にケーキを一気に2つ摘まんで、口に放り込んでいた。
「あー!」
「うん、美味い!」
勿論文句を口にするのは、アトでそんな事を気にはしていない不貞不貞しいのはこの国ので賢者である。
ケーキの数自体はマーガレットの細やかな性格もあって、試食にしても全員分に加えて、アトがお代りもするだろうと、数自体はあるので2個減っても大した事はなかった。
「これは一般的な行儀作法の話になりますよ、"鳶目兎耳のネェツアーク殿"」
アトがいる手前、もう"賢者"と呼ぶのを避け、ロドリーが注意を口にすると、その隣で半分涙目でいる少年が頷きながら、文句を続けた。
「ネッさん、お行儀悪いです、まがれっとさんがテーブルに置いてから、取らないといけません」
「ああ、ゴメンね、確かにお行儀が悪かった。でも、ネェツアークさんは急いでいます。
この後、シュト兄をつれて、鳶目兎耳のお仕事で調べ物をしますから、マーガレットさんのケーキを食べる暇がありません。
それにネツさんは、野菜のスープもご飯も、好き嫌いをしないで確り食べています!。デザートは食べてもいいのです!」
「……アト相手に、大人気ないっすよ」
顎に指を当てるという無駄に大人気なさを冗長させるポーズをとっている鳶色の人に、シュトがやや呆れた調子で言いながらも、自分も菓子に手を伸ばして摘まんで食べてしまっていた。
ロブロウでチョコレート系のお菓子は食べたので、今回は色が付いていない―――一般的にチーズケーキと飛ばれるものだと思える物を、摘まんで口に放りこむ。
「あ、これはさっぱりしていて、美味いですね。で、アト。シュト兄も、野菜スープもサンドイッチとウインナーを確りと食べました。
シュト兄も急いでいるから、今もうデザートを食べてしまいました。
本当は座って、お皿にとって食べないといけませんが、急いでいるので仕方がありません。
オーケーですか?」
「ううう、急いでいるから、オーケーです。でも、お行儀悪いから、本当はいけない事です……」
いつもの様に、弟に話す時には区切って丁寧に説明をする様に口にすると、アトの方も自分に言い聞かせ、納得が出来たらしい。
兄が弟を説得している間に、鳶色の男の方は手馴れた手つきで、食事の終了した食器を隣分も含めて片づけていた。
「じゃあ、私とシュト君は食事も終えた事だから、サクッと調べ物をして早く帰ってこれるように努めるよ。
それとマーガレットさん」
マーガレットに呼びかけ、片づけてしまった食器をテーブルの端の邪魔にならない場所に置いて、自分が座っていた場所に、猫舌だという彼女の為に覚ましたスープを置く。
「あ、はい―――あ」
それから、ケーキを乗せているトレイも取ってスペースが出来た場所に置き、ついでに今度は先程シュトが手にしていたケーキを摘まんで口に放り込みながら、短く咀嚼し、椅子から立ち上がる。
それから視線をシュトの方に向けたなら、頭の回る少年の方は既に次の行動を察し立ち上がるのを見たなら、再び菓子職人の方に視線を向け、長い指のついた手で口元を隠しつつ更に喋る。
「シュト君は、日頃からこんな格好で口のきき方で乱暴者に見えるかもしれないけれども、さっき私に聞いた口は特に喧嘩に発展する様な物でもないから、安心してね。
"お兄ちゃん"は、自分の趣味でこんな格好をしている所もあるが、おっとりとしたアト君がいる事で、そこを付け込まれて利用されるのも防ぐ意味もある。
一種のパフォーマンスの意味も込めて、威圧的な印象を与える恰好をしている所もあるんだよ。
アト君は人を疑わない分、それは優しい顔をして、障碍者に理解している様なフリをして近づいてきて利用するゲスもいるからねえ。
それでも保護者にこんな背が高くて、目付きの悪いお兄さんが後ろにいたなら、親切を行うにしても信念を持っていないと、心に疚しい物を持っていたなら、引き下がる。
ある意味じゃあ、いつも大抵気を張りつめている。
でもそれが行き過ぎて私と話している所を心配して慌てて、お菓子を此方に運んで、乱入してきてくれたみたいだから」
「あ、あの……」
「へ?そんな風に見えていたのか?!」
マーガレットはネェツアークの言葉で、シュトの方はマーガレットの恐縮する態度で、互いに誤解とまでは行かないけれども、認識にズレみたいなものがあるのに初めて気が付いていた。
「最初のズレが、後々大きくなりそうと思えていたなら、手入れをしておかないのも悪手だとも思えてね。
まあ、これから時間もあるから、互いにゆっくり"友情"でもなんでも育んでいけば良いだろうさ」
そう言って、口元を隠していた手が伸ばした先には、ポップコーンが入った袋があった。
友情という言葉に、マーガレットは素直に頷き、シュトはつまらなそうな表情を浮かべる。
「アト君、余っている使っていないスープの皿をください」
「はい、わかりました」
ネェツアークがそう指示をだしたなら、アトはいつもの通り素直に余っている皿を取って差し出したと同時に、ポップコーンが入っている袋を開封する。
それと同時に、甘い薫りが店内を閉めている菓子店という場所に、"しょっぱい"と舌に味を思い出させる匂いが広がった。
「はい、じゃあ、"半分こ"にしましょうね~」
フワフワとした中身の軽いポップコーンを、器用に一粒も零す事はなく皿に半量を移した後に、紙袋の口を折る事で閉じて、一度店の中を点検するように見回す。
そして最終的には"部下"となる、美人な親友とはまた違う、軍人で貴族の人物を見つめる。
「それじゃあ、後は適当によろしく」
「……承りました」
ネェツアークがそう口にしたなら、非難的な態度や雰囲気は兎も角、言葉は素直な了承の返事が来ていた。
その返事を聞いて、いよいよ店を出ようとしているネェツアークに声をかけたのは、マーガレットである。
「―――あの、リリィちゃんが此方にくるというのなら、何か一言でも伝えないですか?。
逢えないにしても、シュトさんがいないのに状況を説明するのにネェツアークさんの事を話す事になると思いますから」
多分この後の店で起こるだろう出来事を考えたのなら、口を挟んでいた。
"ウサギの賢者"とネェツアークは別物であると思わせておきたいという希望とともに、大まかな理由は台所で聞いている。
でも、リリィの親友という立場だとしたなら、少女の事を大切に考えているのなら、何かしら伝言でもあったなら伝えたいとも考え、声をかけていた。
「うん、何もないかなぁ」
けれどそれは、先程、部下が"家に帰って眠れる"と希望を口にしたの否定をするのと同じ様にあっさりとした声だった。
「鳶目兎耳のネェツアークは、忙しくて出張先で出逢った可愛い女の子の事を覚えてはいても、気の利いた言葉をかけられる程余裕がある人でもない。
ああ、でも、好きなお菓子を買って帰ってくださいと言って、小金貨1枚位は出したかもね」
そう言ってポップコーンを掴んでいない手の方で、青いコートの懐に手を突っ込んで、小金貨を1枚を取り出して確りとマーガレットの手に握らせた。
「それじゃあ、私は帰る前にまた寄るから、よろしくね~」
それからは振り返りもしないで、店の扉を大きく開いて出て行くので、シュトも慌ててそれに続こうとする。
「じゃあ、俺もなんかついて来い見たいな感じなんで行ってきます。
アトの事、よろしくお願いします。多分一緒に戻って来るみたいな感じになるとは、思うんですけれども」
「シュト兄、行ってらっしゃーい」
本当はもう少し愛想の良い言葉を、マーガレットや弟の隣に座るロドリーにもかけようとも思ったのだが、ネェツアークが思った以上に素早い。
だから弟がいつもの様に、言葉をかけてくれたのを聞きつつ、慌てて追いかけてので挨拶もそこそこについて行った。
「よし、さっさと情報を拾って帰ろうか!。私もこの格好の時に、リリィや天然騎士とやんちゃ坊主に出逢ったなら拙いしね」
無言で後ろなど全く見ずに進んでいたくせに、突如として振り返り比較的愛想の良い言葉を口にするので、追いかけていたシュトとしてはムッとした表情を作る
「だったら、1人でいったらどーっすか?。つか、あのアルセン様と同じ軍服?着た人、アトを保護してくれた人!。
マーガレットさんの店から出て行く時、すっげぇ怒っているの隠しもしないで、蛇みたいな眼をしてネェツアークさんの事睨んでいたけれど、本当にいいんすか?」
"ロドリー・マインド"という名前は確りと覚えているが、出さない。
馴れ馴れしいのを自重というわけではないのだけれども、初対面の弟が余りにも懐いているので、せめて兄として落ち着いて接したいという考えもあった。
それについて行く度方向に進む度に、路地裏らしい道で昼下がりの人の喧騒は聞こえるのに、背の高い2人が通る道は、まだ誰ともすれ違わない事に軽く緊張もしていた。
「睨まれる程度で、気持が済むなら幾らでも睨んでくださいってね。
でも、あの現状で私がシュト君を連れて行って、後の事を巧く纏められるのも、ロドリーしかいないから仕方ないよ。
それに意地を張ってというか、リリィに会おうとするのをいつも拒否ではないけれども、逃げようとするのだもの。
もうそろそろ、いい加減に逢ってみてもいいと思うんだけれどもねえ」
"リリィの事は知っている"というロドリーの反応は菓子店で見ていたので、逢った事はないというネェツアークの言葉はシュトには意外だった。
(まあ、リリィとロドリーさんの事も気になるけれども……)
ネェツアーク・サクスフォーンとシュト・ザヘトの2人きりだから、遠慮なく出来る話もあると思い出して、青いコートを纏った賢者の後ろ姿に語り掛けた。
「……あのロドリーさんも、ネェツアークさんの"奥さん"を知っている数少ない、1人って事です?」
「そうだねえ。簡単に説明をさせてもらうのなら、ロドリーは、私の奥さんを姉の様に慕っていた。
ついでにロドリーの所は"家族ぐるみ"で、私の奥さんと縁がある。
彼の義父と言っても過言でもない、この国で最も長く宰相を勤めたチューベローズ・ボリジ殿は、私の奥さんだった人を、教え子の1人としてとても可愛がってくれた人だ。
あ、チューベローズ・ボリジ殿は元教師でもあったから、私の奥さんが勉強というか、仕事にしたかった事とも関わりがあったから、自然と縁づいたんだよ。
あの時勢は、学校なんかまともに通える時期でもなかったんだ。
けれども、チューベローズ殿が、私の奥さんが"学びたい"という気持ちを持っていたから、殆ど無いに等しい暇な時間を使って、一般的な勉学に付き合ってくれていたみたいだ。
あと、奥方のボリジ夫人、ロドリーの義母に当たる方は、国が認めた"絵本の選びの熟練者"として、今でも現役で活躍されているよ。
ただ、少しばかり控えめな方―――シュト君が"知っている人"で言うなら、カリン・ビネガーという人とタイプが似ている。
凄く引っ込み思案であったのだけれども、うちの奥さんが活発な所もあったから、丁度いい感じでもあったらしい。
実を言えば、奥さんは料理以外は女の子らしい事は苦手でもあったらしいんだけれども、ボリジ夫人とロドリーの乳母となる人に教わったとも話してくれたなあ。
マインド家は、貴族だから為政者の一族と思われがちだけれども、元は研究者や学者、総じていうのなら"教育者"を輩出する一族だと、暦にもあったよ。
ただ、平定の折には一時没落寸前までいっていたんだけれども、チューベローズ殿が"苗字を変えない"事を条件に婿入りをして、宰相になるまで出世したから見事に立て直した。
そして、現在跡を継ぐロドリーも34歳で中将で出世街道驀進で、軍の枢機に携わる立場でもあるし、国王直轄の部隊の鳶目兎耳の副官。
後はお嫁さんか、人生を共に過ごしてくれる伴侶を募集中って所かな」
「―――そう、なんすか?」
想像以上にシュトには大量の報を軽く投げ寄越す様に渡されて、シュトは逆に言葉に詰まる。
同時に弟が無邪気に懐いている人物に、大変申し訳ないと思いながら、マーガレットが彼を"先生"だと感じると語った事の、疑う余地の無い裏付けを聞かされたような気がした。
(と、いうか、どうしていきなり俺にこんなに話すんだ?)
大量に渡された"ロドリー・マインド"にまつろう情報の多さに言葉に詰まっていると、今度は前を進むネェツアークの方が、振り返りもしないで語りかけてきた。
「おや、何をそんなに驚いているんだい?。私的には、ロブロウでシュト君が、教えてくれた、"ジュリアン・ザヘトの話"に、比べたのなら、まだ"おつり"がくるものだとも、思うのだけれども」
やけに区切りながらの発言が増えた賢者が、漸く振り返ると、好きな味だという"ソイソース・バター味"のポップコーンを食べていた。
「……あの話の"御礼"が、今日出逢って、アトがお世話になっているロドリー・マインドさんの個人的情報の話しですか」
シュトは鼻から小さく息を吐き出しながら、そんな事を言っていると、勧める感じで開いたポップコーンの紙袋の口を向けられたので、手を突っ込んで数個摘まんで口に運んだ。
「俺からしてみたなら、ネェツアークさん……"ウサギの賢者殿"にしたのは派生の話程度に思っていますよ。
あのロブロウの儀式で起こった一連の出来事には、直接関係の無い話と思っている。
でも、ウサギの賢者殿に報せた方が良いと思ったから、一応知らせた程度の事なんですけれどね。
その、傭兵の銃の兄弟だって、この世界に"銃が4丁"あるって話は知らなかったし、その回収を賢者殿が担っているなんて、知らなかったすよ」
本当にシュトにとっては、ロブロウで起こった出来事と向き為にと、この国の先人達が少々常識外れの信じ難い方法で、語り残してくれた"伝言"で知り得た情報でしかなかった。
でも、頭の回る少年は、ロブロウで起こった出来事が何とか無事に終わった後に、今一度自分の中に残された情報と向き合う。
そうすると、自分には価値が見いだせない情報だけれども、ロブロウで大仕事を終えて、巫女の女の子の客室でウサギの姿で、伸びて本ばかり読んでいる賢者に話した方が良いと思えて仕方がなかった。
だから、同じ様に執事見習いをしていた弟が、お客様である巫女の女の子をもてなししている間(リリィがアトと遊んでくれている間ともいう)、シュトは、賢者に自分なりに話しを纏めて伝えた。
勿論、リリィがいたなら、それなりに際どい内容にも思えたので、本当に1人と1ッ匹となっている間にだけ話せた内容でもある。
しかしながら、自分達"銃の兄弟"が所持しているのを含め、本来はこの世界に4丁あるという話。
そんな重要にしか思えない話も、ロブロウの儀式からその"後始末"と向き合う為に材料のオマケ話の様に"伝言"で知ったのは、実は結構なショックな事でもあった。
しかも、親友であるアルスを含めて王都からの一行は、ロブロウに赴く前に宿を取った宿場街でその話を知っていたというの事実に、二重に衝撃を受けた事でもある。
だが衝撃を受けたと素直に話すシュトを後目に、賢者の方は長い耳をピピッと動かした程度だった。
"気にしない事だよ。だって、君達の"師匠"だって知らなかった事だろう?"
そして、ロブロウの貴賓室のフカフカ過ぎる寝台でコートを脱いで、ウサギの身体の半分くらいある書籍を腹這い状態で読みつつ、視線も向けられずにそう言葉をかけられた。
"銃の回収は、元々"私の師匠"から弟子のワシ―――”私"への遺言みたいなものだからねえ。
作った"人"側の責任でもある。
正直に言ったなら、君達の初代のジュリアン・ザヘトさんには、捜しに行こうと旅立つ現場に居合わせたから、話したついでに、軽い気持ちで頼んだのもあったと思うよ。
……丁度、何しら動いていないと気持ちが落ち付かない時期っていうのも、見抜いていたんじゃないのかなあ"
その賢者の言葉は、シュトが伝えられた伝言を聞いた上でのウサギの賢者の、ジュリアン・ザヘトの気持ちの推測に過ぎないが、当たっていると思えた。
"それに初代のジュリアン・ザヘトさんがシュト君へしてくれた伝言に寄れば、銃は一度【凶事】に使われた。
ただそれ以降は、銃の消息っていうのは、正直に言ってぱったりと途絶えているんだよ。
ワシの所に銃に関して情報が入って来るのも、定期的な傭兵としての銃の兄弟の活躍ばかりだ。
そして最後の情報は"ロブロウ領主の用心棒に、代替わりをした3代目の銃の兄弟"という位だしね。
言い換えればその一度きりで、少なくとも凶事には使われてはいないって事だからねえ"
"賢者"という存在の考え方は判らないけれども、取りあえず自分の国最高峰の賢者については、どんな存在何にしても"悪い事"にさえ使われていなければ良い。
かなり大雑把な言った指針と言うべきか立場を、シュトは感じ取っている。
「まあ、銃を捜す仕事は担っているんだけれど、"正直そこまですることなのかな~?"と最近は考え始めているんだよねえ~」
「はあ?!銃を"野放し"にしておくって言うんですか」
ネェツアークの全く面倒くさそうな雰囲気を隠そうともしない発言に、横並びに歩きながらポップコーンを摘まんでいた銃の使い手は、素っ頓狂な声を出す。
「そりゃあ、結構な長い時間、凶事をずっと起こしていないからって、"捜す事を諦める"って考えは、余りにも剣呑じゃあないですか?」
自分でもらしくないと判ってはいるけれども、"銃"という武器の能力を信頼し、弁えているからこそシュトは口にしていた。
「ほう、シュト君から剣呑なんて言葉が出てくるのは、これもまた予想外だねえ。
ついでに、ここは路地裏だけれども、声は潜めておこうか。
まあ、そう考えるだけの裏付けが取れたわけではないんだけれども……」
「そのネェツアークさんの"裏付け"っていうのも、長い間使われていないだけって事ですよね?。
1度使われただけで、それ以降は使われていないだけって事じゃないですか。
もしかしたら、調子が悪いかもしれませんけれども、現物はまだ残っているなら、捜しだして、国のどっかで保管や、壊すまでもいかなくても、武器としての機能を失くすとか―――」
銃は驚異的な殺傷能力を持っている武器でもあるけれども、綿密な整備が必要な道具でもある事は、知っている。
"長い間使われていない"
その時間が銃という武器に対してどれ程の影響を与えているかはわからないけれど、もし、"どこかにしまわれている"程度のことなら、使えなくなるほど壊れているという状態の可能性は低い。
(いや、寧ろ、整備もろくすっぽされてねえなら、"暴発"とかの方の危険を考えた方が良いかもしれない―――)
シュトなりに色んな事に考えを巡らせている間も、ネェツアークはポップコーンを摘まみ口に運ぶ。
「うーん、”アルセン2度目の暗殺"には銃を使わずに、ナイフだったから銃はもう使えない状態だと思うんだけどな。
やっぱり失敗したけれどもね~」
そう言い終わる頃には、早くも空になったポップコーンが入っていた紙袋をひっくり返して、路地裏の暗い中でも判る残念そうな表情を浮かべていた。
ただ、流すには十分聞き捨てならない内容だったので、シュトは確りと食いついていた。
「……は?、”アルセン2度目の暗殺"?、そんで失敗?。アルセン様、いつの間に暗殺されかかっているんですか?!」
「何をそんなに驚いているんだい?。
1回目の暗殺失敗の話は、シュト君がジュリアン・ザヘトからの伝言の中に入っていたじゃないか―――。
まあ、実際に亡くなったのは父親だし、シュト君が産まれる前の話しだし、原因は私かもしれないんだけれど」
「ちょっ、待ってくださいよ」
(ああ、そう言えば、そんな話でもあったんだろうけれども―――。でも、原因はネェツアークさんかもしれないとかって)
空になったポップコーンが入っていた紙袋を丁寧に畳みながら、ネェツアークから淡々と伝えられて、シュトは慌てながらも、ロブロウで伝えられた"伝言"の1つに、賢者に話した内容を思い出す。
(でも、それなら失敗してから何十年たって、またどうして"暗殺"なんだ?。しかも、相手も同じアルセン様なんだ?)
"―――銃がアングレカムの命を直接奪った訳じゃないんだ。
だって、僕達兄弟と共に造られた銃を"拐った"奴が本当に狙っていたのは、アングレカムの子供。
シュトの親友の"先生"だったんだから"
(親友の先生って、言ったなら俺にとってはアルセン様しかないし)
この"暗殺の話"を聞いた時、諸事情があってジュリアン・ザヘトは己の立場を偽り、特殊の立場を装い、孫弟子に接し語ってくれていた。
ただ、話してくれた当初は驚きばかりで、ただ聞くばかりだったけれども、十分琴線に触れる物だったので、記憶に残しておき、後に賢者に纏めて"聞いた話"として報告する。
それに自分が産まれる前の過去の話し、時間に開きがあり過ぎる内容で、終わった事の1つとして、そこまで注意を払っていたわけでもない。
それを再び、横並びに歩く賢者が口にする事と、自分のせいかもしれないという発言に、シュトは思わず口を開いていた。
「それに賢者殿が原因だっていうのも、おかしいですよ。
でも、何にしても正式な記録に残っている事じゃない、"不慮の事故"だってことで一般的にも片付けられているんですよね」
慌て、戸惑っている少年に構わずに、再び路地裏という暗い道を進み始めたネェツアークは口を開く。
「ああ、その通り。国の図書館に納められている、昔の日報の記録にも"不慮の事故"として認められている。
"小さな不幸が重なってしまった事故"は、パドリック父子が共に外出をしていた際に起きた、悲劇としても、よくある話ありふれた話なのかもしれない。
記事によれば、恐らく何かのきっかけが分からないが、夕方の時間という事もあって、街灯魔法を燈す火の精霊が暴発して、大きな音が出た」
(大きな、"音")
シュトはネェツアークが留める様に口にした"音"という言葉に、眉間に縦シワを刻んでいた。
「その大きな爆発する様な音に、荷物を運搬する馬車の馬が驚き暴れ、休日を過ごす父子に突っ込んだ。
そういう風に記されているね。
そして事故が起こったその時、当たり前のように、父は愛する妻にそっくりな可愛い幼い息子を、命をかけて護った。
起こった事実は、表向きそういう風に片付けられている」
そこまで言われたなら、丸いレンズの眼鏡越し鳶色の瞳でシュトを見た。
「そして、実際にはジュリアン・ザヘトが君に語ったという話の方が"真実"だろう」
「俺に伝えた事が、ですか」
親友のアルス程の暗記力はないけれども、記憶に残った事であったので、大まかに思い出す事も出来る。
"賢者さんの"弟子"が、下調べをして王都で不穏な動きがないか探っていた。
それで、アングレカムの周りがなんだか穏やかではない事。
それに銃を奪った奴等が関わっているらしい事。
その2つの情報を拾ってきて、賢者さんに報せて届けていたんだ。
賢者さんは情報を手に入れたけれど、その頃はもうかなり高齢で、身体の自由が効かなかっ
たし、"お弟子さん"は優秀ではあったらしいけれど、まだ若すぎた。
ついでに調子に乗っていて、アングレカムに面が割れてしまっていたし、説教も受けていた"
シュトの表情で、"先輩のジュリアン・ザヘト"が自分をどう話していたかを思い出したかを察し、ネェツアークは苦笑いを浮かべていた。
それからそれまで進めていた脚を止めて、路地裏の道に視線を、巡らせながら答える。
「……まあ、自分で言うのも何だけれども本当に、"クソガキ"だったからねえ、当時の私は。
それで、先輩ジュリアン・ザヘトが、陰ながら護衛に着いてくれたみたいなんだけれど」
「あ、はい、でもそれでも―――」
不幸は防げなかった。
ジュリアンは密かに王都に入って、この国の宰相となっていた親友の周りを張っていた。
賢者の弟子―――少年期のネェツアークが報告していた通り不穏な奴等いたにはいたけれど、動きのないまま張り込み続けて数日過ぎた。
”その時"は、いつもアングレカムの様子を伺っている奴とは違う輩が側にいたという。
そしてパドリック父子も、いつもとは様子が良い意味で違っていたとその光景を実際見守っていたジュリアン・ザヘトも感じていたという。
"天使みたいだな"
気障だと自負していた傭兵が、思わず言葉にして漏らしてしまう程、可愛らしい幼少期のアルセンを連れ、"悪魔の宰相"と例えられていた父親にあたる親友も、幸せそうに散歩をしているところだった。
けれど、その光景を物影からの見守り目撃したと同時に悍ましい感情が、その父子に向けられるのを傭兵は感じてもいたという。
そして消音器が予め付けられていた銃を躊躇わずにホルスターから引き抜いて、ジュリアンはその"悍ましい"存在に対し、引き金を引いた。
「けれど、初代の銃の兄弟ジュリアン・ザヘトも誤算をしていたし、当時クソガキのネェツアークがいたとしても、きっと相手の狙いを間違っていただろうね。
さて、今から路地裏から出る。
日陰ばかりを歩いていたから、多分眩しくなるよ、気を付けて、あと、話の"内容”もね」
「―――はい」
”話しの内容”という言葉の意味を理解し、少しばかり言葉遣いをシュトは改めると、賢者は口の端を上げて進んで行く。
ネェツアークの言う通り、路地裏を出たならば、今まで何かしらを距てて聞こえていた街中の喧騒が直に聞こえて、頭上には晴天が見える。
そして先程菓子店の中に入ったのと逆の現象が起き、少しばかり目の前が明るさで白く眩んだが、直ぐに眼は慣れた。
「ここって城下街の東側のどこら辺ですか。
マーガレットさん暮らすの小さな商店や民家の近所に比べたなら、何だか上品っていうか、綺麗な造りになっていますが」
「方向で言うのなら、所謂王都の極東側だね。もう少し行けば、富裕層だけが暮らせる地域があるよ。
アルセンや、ロドリーの家―――というよりは、”お屋敷”もそちらの方にあるよ」
ネェツアークの説明を補う様に視界に入ってくる建造物の造りは、王都の中心部に比べて質素ではあるけれども、豪華で頑丈なのが伝わってくる物だった。
そして更に視界に入るのは城下街の大通りの1つらしく、中央の道は定期便の馬車が人を乗せる交通機関として行き来している。
それと同時に、個人用と思われる小ぶりだが、立派な馬車、恐らく貴族の"私用車"も走っていた。
「……"こっち側"って人はあんまり歩かないんですか?」
シュトが思わず尋ねてしまう程、大通りと同じ様に、歩道も立派に整備され舗装されているのだが、鳶色の賢者と粗野な恰好の傭兵の少年の周辺辺に人はいない。
視線を巡らせたなら、やや離れた、定期便の馬車が停車する場所に、数人佇む人がいる位で、後は離れて数人いる。
全くいないというわけではないけれどもm歩いている人が珍しい様に思えた。
「"歩くよりも便利な交通機関"があるから、それを使って移動しているというのもあると思うよ。
まあ、今日は平日で、今はもうすぐ終わってしまう昼休中だからね。
活動時間になったなら、それなりの人は増えるけれども、私がシュト君を連れてきたのは、人影は少ないのはこの時間帯狙って来たのもある。というわけで、人がいない内に、こっちに来てもらえるかな~。
銃を使えるシュト君だから出来る、ちょっとした検証事があるんだよ」
「銃を使える俺だから、出来る事?」
(さっきの話が―――アルセン様の暗殺未遂の話しが終わっていないんだけれども、ネェツアークさん、何だか少し考え込んでいるみたいだし。取りあえず、従っておくか)
「うん、そうなんだ―――ちょっと"当たり"をつけるから、待ってもらってて良いかな?」
「判りました」
シュトの返事を聞いてから、ありがとうと短く言うと、親友に仕立てて貰ったという青いコートの裾が石畳につくのも構わずに、ネェツアークはしゃがみこんで、石畳に膝を着けた。
「―――出ておいで、サラマンデルにノーム」
短く呟くように言って、指を弾いたなら膝を着いたその前に、赤と黄の2色の粒子が赤ん坊の拳程度の大きさで現れた。
「ちょっと面倒な注文だけれども、"前払い"をしておくから、よろしく頼むよ」
そう言って、コートの胸元から赤と黄の色の鉱物を摘まんで取り出し、それぞれの色の光に向かって放り投げた。
すると投げた鉱物は、それぞれの色に光る粒子に吸い込まれるようにして消えた。
もしそのまま落ちたのなら、足元の石畳にぶつかり、跳ねるような音がしそうなものだが全くしないので、取り込まれたのが魔法が使えないシュトにでも判る。
次の瞬間には赤と黄の光る粒子の塊は一瞬大きく輝き、赤は壁建造物の側面、壁の方に這うようにして飛んでいき、黄色い方は染み込む様にして石畳の中に沈んだ。
「さてと、ではちょっと調べるのに時間はあるから、ロブロウ帰りにグランドールから分けて貰った煙草でも……。
あ、シュト君は煙草は大丈夫?」
「俺は平気です」
返事を聞いている頃から、既に青いコートの内側からネェツアークは慣れた手つきで煙草を取り出して、火は今回指を弾いてつけた。
ゆっくり吸い込んで、シュトにかからない様に煙を吐き出す。
「ネェツアークさん、タバコを吸うんですね」
「減らす様にはしてはいるんだが、"人"の姿に戻って、時間持て余すとどうにも吸いたくなってしまうかな。
別に吸わなくてもいいんだろうけれど、考えが幾分か纏め易くはなったという実績といいわけもあるけれどね。
あ、でも、リリィの前じゃあ絶対に吸わないし、このコートは特別な仕立てだから、煙草の匂いも残らないからね、躊躇わずに喫えるんだよ」
言葉の調子と態度から、シュトの考えた事も察してネェツアークは先回りして応えると、シュトは苦笑いを浮かべる。
「そんな俺の考えを察して牽制しなくても、賢者殿がリリィ嬢ちゃんを大切にしているのは知っていますよ」
"リリィを大切にしている"という言葉に、珍しく少しだけ照れた表情を浮かべたなら、意図的に煙草を指に挟んで、唇から外して話題を変える。
「シュト君は魔法の素養は無いけれど、テレパシーは大丈夫なんだよね」
「そうですね、何か本当はもっと、丁寧というか慎重にしなければならないとか、ライさんととリコさんから、ロブロウの儀式の終わった後に言われました。
でも、テレパシーという魔術との相性が悪くない事に、越したことはないって教えて貰いました。
まあ、あの時はテレパシー送られてくることで、別に身体の何処が悪くなったとかいうのは全くなかったから、やっていたという事もあると思うんですけれど。
身体に影響があるって知ったなら、最初は遠慮をしていたと思います」
シュトの方も、人の姿になった賢者が巫女の女の子に関しては、"らしくなくなる"のは判っていたので、そこを深追いはせず、実直に返事をしていた。
「うん、その通りだよ。それで、魔法の才能が無いのにテレパシーを使えたのは、初代さんのジュリアン・ザヘト氏も同じだ。
まあ、正確には使えたというべきかどうかは、判らないけれどね。
魔法が出来ないだけであって、相性というものは良かったという、何とも例えに難しい状況だった様だ」
「うわ、本当に判りづらいっすね。でも、確かにそんなもんですよね」
ジュリアンの声とされる、ものは"シュトだけにしか聞こえない"状態でもあったので、それがテレパシーと呼べるかどうかと言えばそうではない気がする。
(魔法の基礎も勉強した事がない俺が、どうこう言える物でもないか。ああ、でも―――)
「確かに、ロブロウの"あの時"は俺限定で、散々頭の中に語りかけてきましたからね、師匠の師匠。
アルスやグランドール様やアルセン様は、銃が頭に語り掛けてくるのを信じてくれましたけれど、”自分にしか聞こえない”っていうのは、テレパシーとは言えないってことなんですか?」
そう言いながら、シュトはベルトに挟み差し込んでいる、自分の武器を見つめるとネェツアークもそれには頷いていた。
「厳密にいったならね。私も鳶目兎耳の権限で、先王グロリオーサ・サンフラワーの私物を調べてみたんだが、ジュリアン・ザヘト氏は、魔法の才能はからっきしみたいだけれども、"受け身"というのかな?。
そちらは、とても秀逸だったそうだ。
魔法の理屈や理論やは、とてもよく理解出来ていたそうだ。
だが、魔力がないという事では、やはり決定的に違うと判断される」
「へえ、理論や理屈を理解出来ていたのに使えないっていうのは、そこは何だかアルスっぽいですね」
ある意味で"その言葉"を待っていた節もある賢者はそこで、携帯の灰皿を取り出して半分程を吸った程度の磨り潰し、煙草を消して頷いて見せた。
「ただねえ、アルス君の方は"テレパシー"との方はとことん相性が悪いらしい」
「そうなんですか?」
携帯式の灰皿を胸元にしまい込み、シュトが驚いた表情を浮かべたなら、ネェツアークの満足そうに薄く微笑んだ。
「多分、あの儀式を行う前に頭痛を起こしてしまったのは、そこにあると思うんだけれどね」
「"誰かが"アルスにテレパシーを飛ばしたって事ですか?。
それで、一旦意識を失う程になってしまったとしても、でも、誰がそんな強烈なテレパシーをアルスに?」
シュトがそう言った時、先程路地裏にネェツアークが、何事か頼んだ赤と黄の光の粒子の"精霊"が、先程姿を消した時の動きをそのまま逆した様な形で戻って来た。
ただ先程は光っているだけあって、球体の形に見えていたものが、今はシュトでも名前を知っている生き物の形に、色と光度はそのままにして変えていた。
(火の赤い蜥蜴に、黄色のこれはモグラって奴か)
シュトはつい、姿を変えて戻って来た精霊に気を取られてしまったけれども、先程話していた親友の"テレパシーが苦手"の話題を忘れてしまったわけでもない。
賢者も戻って来た、姿を変えた精霊に気が付いてはいたが、取りあえず先程の自分がシュトにふった話題を片付けるべく声をかける。
「うん、当然"誰がアルス・トラッドにテレパシーを送ったんだ"っという疑問が出てくるよねえ。
でも、あの時現場にいた面子では、誰が使った何て全く思いつかない。
それに新しい領主邸の方は、あの時間帯はまだ風の精霊石の力が働いていて、"テレパシー"を使った連絡は使えない状況だった筈なんだよねえ。
使える状況になったのは、シュト君が"安静にしているアルセンをお見舞い"にいく為の、あの秘密基地を抜け出した後。
"私は理由を知らないけれど”、何らかの力が働いて、新領主邸に組み込まれていた先々代領主ピーン・ビネガーの大掛かりの”屋敷の中にいる誰もを眠らせてしまう”仕掛けが作動した後だ。
ああなったのを見ると、屋敷の中精霊石を仕掛けていたのは、"テレパシーを使わせない"より、あの仕掛けを作動させる為だったからだろうね。
まあ、どうしてそんな仕掛けがとか、結局、誰がアルス君にテレパシーを飛ばしたかなんて、今はそれを考察するのにはまだ情報が足りないから、今は、もう一つ他の情報を進呈しておこう。
テレパシーを偉く苦手だった、超有名人がもう1人いるんだよ。
飛ばされたら、気絶するまではいかなかったけれども、酷い頭痛に悩まされたらしいよ」
「誰ですか?」
シュトは、ロブロウで起こった出来事の諸事情を最も掌握している立場の1人でもある。
だから、色々突込みどころがある発言をネェツアークがしているのを分かってはいたが、今はその部分は聞き流し、"その人物"を尋ねると、少しだけ小さく賢者は笑ったが、隠さずに話してくれた。
「聞いたなら凄く驚いて、実際そんな痛みを堪えるシーンを見たなら笑っちゃうかもね~。それは、先王グロリオーサ・サンフラワー陛下だよ」
どういう意味合いを以てふざけてそう言っているかは意味不明だが、言い終えたと同時にネェツアークは指を弾いていた。
するとその音と共に、壁に貼り付いていた赤いトカゲ、石畳から姿を出していた黄色いモグラの姿になっている精霊が宙に浮き、鳶色の眼前にくる。
その2つの精霊に手を翳し、ただでさえ鋭く見える目元を細め、一種の凶悪さを感じさせるものになったなら、トカゲとモグラの形をした精霊は風に溶け込む様にして消えた。
それからシュトの居る方に身体を向けてその顔を見たなら、ネェツアークにしてみたなら、少々期待を外した表情を浮かべていた。
特に驚いた様子もなく、ただ"きょとん"としている、そんな顔でシュトはいて、口を開く。
「へえ、特に俺はどう驚くのかわからないっすけれど―――今の王様はテレパシー全く平気じゃないですか。
ああでもそれは、"テレパシーが苦手な父親"じゃなくて"テレパシーが大丈夫な母親"の方に似ていたから、大丈夫って話でもあるんですかね」
アルスが苦手なのと同じ位か、それ以上に前の王様がテレパシーが苦手と聞かされても、シュトには、所謂、"ピンと来る物"がなかった。
賢者もそれは視て取れたらしく、それと同時に
"実際の鬼神を目の当たりにしていないなら、そこまで驚ける事でもないかな"
と自分の中にある常識が少しばかり古くなったのを実感する。
「個人的に"両親のどちらかに似ているから大丈夫"って考え方は少しばかりナンセンスに思うけれどもね。
でも、平気っていうのは、やっぱりテレパシーの事についてはやはり母親の素養を継いでいるというのはあるんだろうね。
―――さて、精霊達が戻って来て判った事があるから、結論が出ない話から、一旦こちらに話しを移しても良いかな」
「あ、はい。えっと、その俺はネェツアークさんが、今まで教えてくれた情報を、覚えておけばいいって事ですよね」
意味もなく、賢者が自分を連れてきて、誰もいない場で先王や自分の師匠に当たる存在のテレパシー事情のをしたわけではないのは弁えているつもりだった。
「そういう事。いざこの事について話そうって時に、一から話すのは正直に言って面倒くさいし、人によって状態が違うみたいだしね。
あと、特に一名のネームバリューがデカすぎるから、取り扱い要注意だ」
そう言って、再び先程とはまた違った薄暗い、路地裏の方にネェツアークが進み始めるのでそれに続く。
「うわ」
だが大した距離も進まずネェツアークは止まったので、気を付けておかなければ青いコートを纏った背後にぶつかる所で、シュトは声を出してしまっていた。
「どうしたっていうんですか?」
「ああ、急に止まってごめん。
さっきの調べ物ね、地面の方は追う事は難しかったみたいだけれども、壁の方は大丈夫だったみたいだ。
路地裏で暗い場所って事もあって、誰かに発見される事もなく確り残っていた」
振り返りもしないで、ネェツアークが謝った後、青いコートの袂に再び右手を突っ込み、左手は煉瓦の壁をなぞっていた。
その仕種で、賢者が先程飛ばした精霊を何かを調べて結果を得てこういった行動をとっているのだと判った。
「大丈夫で、何が残っていたっていうんですか」
「20数年前、ジュリアン・ザヘトが、最初はアングレカムを守る為、次はアルセン・パドリックを守る為に、今はシュト君のベルトにある銃から放った2発の銃弾だよ」
特に勿体ぶる事もなくそう言ってから、コートの懐に入れていたネェツアークは右手にナイフを手にして取り出していた。
「まだ、銃弾が残っていたんですか」
シュトが驚いてそんな事言っている内に、ネェツアークは右手にしているナイフの切先を左手添をえている、煉瓦の壁に捩じ込ませた。
小さな、カリカリという削る音と共に塵が路地裏の薄闇の中で散りを落としながら、シュトの質問にネェツアークは頷いていた。
「銃という武器が、この世界に広まっていないお陰で、今シュト君のベルトに挟まっている銃から、発砲されても誰も気が付かないままだったみたいだからね。
というか、鳶目兎耳の隊長であるネェツアーク・サクスフォーンさんだって、ロブロウでシュト君にこの話を聞いて初めて知りましたから……ねっ、と。
さて、まず1個取れた、次に行こう」
そう言って、壁に左の掌を擦りつけながら殆ど横歩きをして先程より低い場所を、同じ様にナイフの切先でネェツアークは掘り出し始める。
シュトは掘り出しているその背中を見ながら、取りあえず自分の役目は周囲を見張る事もあると思ったので、警戒をしながらふと思いついた事を賢者に語り掛ける。
「ちょっと考えたんですけれど、アルセン様は、"この事実"を知っているんですかね?」
「んー、多分知らないんじゃないかなって、私は思うんだけれども」
シュトの質問には作業の手を止めずに、そして間も置かずにネェツアークは応える。
「"自分がいたせいで、馬車の暴走事故に巻き込まれて父親が庇って貰って命拾いをした"って言う一般の認識と同じのままだと思うんだけれどな。
私もシュト君から聞いて、初めて知った話だからねえ。
それとも、シュト君は私以外にも、話したのかな?」
「いや、それは無いですよ!。そりゃ、機会があったなら、グランドール様ぐらいにしてたかもしれませんけれど、魔力が殆ど尽きてしまったアルセン様に掛かり切りで側にいましから。
殆ど1人の時なんてなかったし。
それにアルセン様の居る前でしてはいけないくらいの分別はありますから」
慌てて賢者の言葉を否定した後に、"もしかしたならあったかもしれない"という正直な気持ちは素直に告げて、シュトは更に続ける。
「この話自体は俺もロブロウの出来事が無ければ知らなかった話で、特に、師匠の師匠があんな形で伝えてくれなけば、知り得なかった真実だとも思います」
そしてこうやって話した事で、回る頭の中に急浮上してきた考えを、"拾うのが巧い"と自負している人物に伝えたくなっていた。
(というか、伝えていた方が良い考えだよな、これは)
自分の頭に浮かんだ考えは、シュト自身は離したり思い巡らす事は出来たとしても、それ以上の事はどうにも出来ない事でもある。
だが、この賢者に伝えておいたのなら、悪い状況にばかりに傾きそうな何らかに、最悪にならない為の予防線を幾筋か引いてくれそうな気がして口を開く。
「魔法がからっきしの俺に、こうやった何らかの工夫で1代目に伝えられた事が、魔法がとても得意なアルセン様に伝わってはいないんでしょうか?。
あと、その"2代目の銃の兄弟"は、親友でもあるアルセン様に事実を知ったなら伝えないでしょうか?」
そうネェツアークに伝えた時、薄暗い"カツーン"という音と共に小さな硬い粒が、賢者の足元に落ちて跳ねる。
どうやら、"転がる"形状ではなかったらしく直ぐに止まったが、ネェツアークは掘り出した時の恰好で動きを止めていた。
「俺が、拾っておきます」
(もしかして俺、結構重めことを言ってしまった可能性が高かったりする?)
しゃがみこんで、20数年前に撃たれたという銃弾を手にして立ち上がる。
本来なら、暗殺未遂や、直接的には出逢った事の無い"師匠の師匠"が撃ったという弾に感慨深い想いや気持が湧いてもおかしくはないのだけれども、動きを止めている賢者を眼前にしてそれもない。
表向きでは冷静に振る舞っているが、自分の口にした一言が、不貞不貞しい賢者の行動を止めてしまう物なってしまった事に、シュトは軽く動揺する。
一方の賢者はどうやらシュトの言葉で"熟考状態"に突入した模様で、銃弾を掘り出したナイフは確りと懐に戻しつつ、薄い唇からぶつぶつと言葉を零し始めている。
「思えば、その可能性は考えた事がなかった。と、言うか、個人的に考えるのを無意識に避けていた気がする……。
それに、真実を伝える伝えないは"2代目銃の兄弟"と親友のアルセンとの友情の在り方だろうし。
ああ、でも、2代目さんがあっち側に"戻った"理由の根本を考えるとなあ―――。
いや、もしかしたら話していなかったとしても、何らかのきっかけで"銃"という道具の特性と、自分の過去を重ねていたなら、アルセンなら気が付いても、おかしくはない。
えー、そうしたら、貯まっている有給をもぎ取って、自分が狙われていたのにもかかわらず父親の仇に、お礼参りをしかねないよね~。
だったらグランドールに話しておいて、少しでもストッパーにしといた方が良いかもしれない。
いや、その前にバルサム・パドリック公爵夫人に何としてもバレたからいけない系統の話しだよね?。
万が一にでも、犯人と接触しようもんならこの世界から、自分の魔力を総出力で消し去りかねないし、シュガーさんはストッパーどころか、"お嬢様の気の召すままに"とか言いかねない。
うわーい、どうしよう」
最後はふざけているのだか、そうでもしないとやっていられないという気持ちの象徴なのか判らない、平坦な声で言った後に、再び煙草を取り出し、咥えて吸い始めていた。
今回は配慮もせずに煙草を吸っているので、シュトはその煙の匂いで、愛煙家でもある褐色の大男を思い出し、ネェツアークのほうも、熟考から連なる発言は止まっているようなので言葉をかける。
「そんなに大変になりそうなら、ネェツアークさんの言う通りアルセン様の事に関係しそうな事は、グランドール様にこの際任せてしまったらどうですか?。
その、アルセン様の"お母さん"については、逢った事もないから俺には良く判りませんけれど、凄く旦那さんを愛していたっていうのは、聞いて知っているつもりです。
だったなら、全部が本当にはっきりするまで黙っている方が、個人的には良いと思います」
シュトのその言葉で煙草を口に咥えたまま振り返り、自分の護衛騎士とは違い、殆ど視線の高さが変わらない少年に、少しばかり気の抜けた表情を浮かべた後、咥え煙草のまま、フワフワの鳶色の髪の後頭部を掻く。
それから、携帯灰皿を取り出して今度は煙草一本を吸えるところまで吸って、片付けた。
「いやー、父親絡みになると、今度はあの褐色のオッサンの方にもそれなりに複雑っていうか、例えるのにややこしいコンプレックスをもってて、"拗ねる"ところがあってね。
アルセンが元々というか、グランドールに興味を持ったところの理由の1つに、"父親とよく似た褐色肌"という所なんだよ。
そこは、アルセンの拘りでもあるんだよね~。
今でこそ外面は若い頃のアングレカム・パドリックに似てきたけれど、やっぱり肌の色や髪の色は"お母さん似"って奴だからね。
父親を敬愛する美人さんとしては、出来る事なら父親に全て似たかった位の気持ちがあるかもしれない。
それでグランドールもその部分は知っているし、シュト君達位の年頃にはそれで一度大げんかもしていて、友人関係を解消しようとしていたこともある」
"友人関係解消"という所には思わずシュトが両方の眉を上げた時、ネェツアークから掌を差し出され、シュトは慌てて拾っておいた銃弾を、渡しながら自分の感想を口にする。
「喧嘩をするのはロブロウでもみてましたけれど、友達辞めるっていうんですか。そこまでいきましたか」
「あの2人、喧嘩が激しいからねえ。慣れてない人が遭遇したら、少々気の毒だ。
まあ、絶対仲直りするって判っているから放っておいているけれど」
シュトが拾っておいてくれた銃弾を確認し、ネェツアークはコートにしまった。
「まあ、伝え方さえ間違わなければ大丈夫だろうから、グランドールにこの事は一度相談して頼んでおこう。
何やかんやで、普通の時に一番アルセンの宥めるのは上手だから。
シュト君の言葉が無かったら気が付かないままで済んでいたかもしれないけれど、気が付いてしまったなら、みすみす見逃す事も馬鹿らしい。
出来る予防は、面倒かもしれないけれど、しておかないとね」
そう言って先に薄暗い路地裏の道を戻って行き、早速顔に当たる日差しにネェツアークは眼を細める。
「……何だか、褒められているんだか、アルセン様の事に関しては、"気が付かなきゃよかったのに"って、言われているのか判んねえ言い様っすね」
シュトが続いて出て行くと、こちらも日差しの眩しさに半眼になってはいたが両手をポケットに突っ込み、一応"目上の者"に対するネェツアークに対し、少々態度が悪い。
加えてある意味では、軽く喧嘩腰でにも聞えても構わない調子でシュトが言ったなら、ネェツアークの方は、大層人の良い笑みを浮かべて振り返っていた。
ただそれは、ある程度親しい間柄か、若しくは勘の鋭い御仁なら"作った笑顔"物だと判る物で、シュトは前者のどちらにも当てはまっていた。
「もしかして、余計なお世話というよりも、”お荷物"増やしたみたいに感じましたか?。
確かに、俺が言っている事は本当にアルセン様が気が付かないで、それか師匠から話を聞いていなければ、それまでの事なんですけれど」
態度も、口調も悪くはしていたけれども、自分が行った発言が、問題を提起するだけで、"解決"の方は賢者という存在に丸投げにしている事に、頭の回る少年は気が付いていた。
解決する方法も思いつけないのに、これからも仕事も含めての考え事もあるだろう賢者に、繊細な上に、個人的な感情が大きく絡みそうな問題を出した事になる。
特に、この国の英雄に関して語る時の口調はネェツアークという人にしては、"面倒くさい"と口にしながらも、相当な気遣いと配慮を行っているのは、間近で聞いていて分かった。
(俺も間違った事を言ったつもりはないけれど、ネェツアークさんの立場からしたなら、特にまだ大きな問題が起きているわけでもないのに、更に仕事をおっ被せた様なもんだ)
"なんか気の利いた言葉をかけたい"
そう考えた時、ネェツアークは作った笑顔を浮かべ振り返っていた姿勢を、戻して口を開いていた。
「私のシュト君への態度が余所余所しいのは、いつもは誰よりも"勘が鋭い"って言われている自分が、気が付けなかった、気が付けた相手のへのやっかみだと思ってくれ。
後は"荷物増やしやがってこの野郎"って感じかな」
最初の方は聞き様によっては、真面目に聞こえもしたけれども、最後の方は抑揚で冗談だとシュトには直ぐに判った。
そして僅かに振り返る事で見える口の端が角度をつけていて、さっきの人の良さそうな笑顔とは違って、シュトにとっては馴染みのある、納得出来る不貞不貞しい表情でもあった。
(もしかしたなら、さっきの事はネェツアークさんでも、言った後で大人気ないって思ったってことかな)
それならと、これ以上はこの話題をひき伸ばしても悪いと考え、シュトなりに話しを進めようと考える。
「ネェツアークさんは、やっかみとかそう言ったのを気にしないタイプかと思っていましたけれど。
そんで俺も"荷物を増やして悪い"って考えたんで、別の荷物になりますけれど、減らす方向でお手伝いをします。何かすればいいですかね?」
「話が早くて助かる」
シュトの言葉を受け、賢者は先程出てきた路地裏から大通りを、まるで一筋線を引くように視線を動かした。
「ここにきてやっと"銃を使えるシュト君だから出来る、ちょっとした検証事"だよ。
今、私達がいる居場所は、過去にパドリック父子というよりは、幼いアルセン・パドリックを狙撃した者がいた場所周辺になる」
「そうっすね。ジュリアン・ザヘトが撃った弾も出てきたんだから、そうなんでしょう」
先程、ネェツアークが煉瓦の壁にめり込んだ物を掘り出し、取り落とした物はやや年数の劣化はある物の、いつもシュトが使っているものと同じものだと思えた。
「ああ、一応銃弾にも人の指紋みたいに、銃にもそれぞれ"線条痕"ていう物があるから、後で調べるよ。
4丁の銃の線条痕は、銃を造った時の賢者が控えているから、君達兄弟から借りなくてもいいよ。
けれど、シュト君はさっき拾ってもらって、直に手に取った瞬間に違和感も何もなかったみたいだから、ほぼ間違いはないみたいだね」
「……そんな意味もあって、俺に拾わせたってって事すっか?」
苦笑いを浮かべながら、ネェツアークの横に並び大通りの方を見つめる。
(ネェツアークさんが、弾を掘り出していた位置と高さから考えたなら―――)
先程、鳶色の眼が見つめていたのと同じ方向を見つめると同時に、馬車が数台連なって進んで行く。
中型の馬車は結構な速さで過ぎて行き、その幌"マクガフィン農場"という名前がはっきりと明記されている。
どうやら富裕層の住む地域に、農産物の配達を行ってそれから帰路の様子だった。
「うーん、相変わらず儲かっているみたいだねえ。でも、農場の大将殿は、今頃大好物のカレー作成の為に香辛料集めに奔走しているだろう」
「グランドール様、カレー好きなんですか。結構意外かも」
「うん、普通のカレーだったらそんな感じだろうけれどね」
「……?」
青いコートと纏った鳶色の賢者と、胸元を覗かせた服装をした粗野な印象が強い青年は並び立って、穏やかに会話を交わしているけれどもその目付きは、2人とも鋭い物になっていた。
それに馬車が通過した事がきっかけになり、どうしても、過去に実際に起こった事を想像してしまう。
「検証する為とはいっても、小さな子どもを標的にした現場で、自分がやっている所を仮定でも想像するっていうのは、胸糞悪いっすね」
シュトの口調は先程と変わらず、世間話でもする様な物だったが、声には嫌悪が滲んでしまっていた。
「一応大きな人身事故が起こった場所になるから、調査した上で整備を重ねる様に行われているお陰で、この道はそれ以降事故らしい事故は起こってないよ。
ついでに検証で測りづらいなら、当時の標的の高さだけでも言おうか。
必要があるかと思って、調べてはあるよ」
それは大好きな父親と手を繋いで歩いている、幼い男の子の背丈という事になる。
それまで仕方なく、出来る限り具体的に考える事を避け、薄い影の様に考えていたけれども、その一言で父親を慕う、小さな男の子の姿が容易に具体的に想像できてしまっていた。
「いや、大丈夫です。丁度いい、馬が通ったんで、逆にどうしたら馬車が暴走する撃ち方になったのか考えます」
頭の回る少年は発想を変える事にした。
でも頭の隅に、諸事情が合って"銃のフリをしたジュリアンが語った当時の話"が、記憶の中から掘り返された。
《さっきも言ったけれど、銃を奪った奴はアングレカムを狙っていたんじゃない。
その子供、"天使みたいな子供"を狙っていた。
でも、本当に情に厚い人だったから、まさかそいつが子供を狙うなんて思っていなかったから、撃ち抜く箇所を誤った》
(そんでも、初弾は"当たった"筈だ)
「ネェツアークさん、ジュリアン・ザヘトが撃った弾は、最初のは当たったそうだそうですけれど、そう言った痕跡は、壁の方は兎も角、土の精霊の方はどうだったんですか?。
その、難しいみたいなことを言っていましたが、何でもいいですから、判りませんでしたか?」
それまで事故現場となる場所を見つめていたけれども、視線を外して横にいる賢者の横顔を見詰めて尋ねると、賢者の方は小さく息を吐いて、首を左右に振って薄い唇を開いた。
「やはり20数年雨ざらしになっていると、そういった流されてしまっていて、とても薄れていてね、後を追う事が難しい。
現場に出来た血だまりがあってそれが路地裏の大通り入り口から、城下街外れの、城門の近くまで続いていた。
そこで途切れていて、精霊でもそれ以上の情報を拾う事が不可能だった。
それに多分途中で止血も行われていたし、恐らくは狙撃が成功にしても未遂に終わったとしても、撤収の手順は決められ、逃走経路も前以て念密に計画していたんだろう。
―――ロブロウで、銃のジュリアン・ザヘト氏がシュト君に語った程度の情報しか現在でも出来なかったよ」
「……そうっすか」
(仕方ない取りあえず、馬車が暴走するっていうのならどんな個所を撃ち抜いたかを考えるしかないか)
そう考えて、再び視線を前方に向けようとした時、賢者が多少わざとらしく指の長い指のついた掌を、"パン"っと音を鳴らして重ね合わせていた。
当然少しばかり集中をしようとしていた少年は、眉を上げて音を鳴らしたネェツアークの方を見たなら、口の端を上げている賢者がいた。
「ああ、でも精霊が言うには、恐らく銃を使ったのは"男"という情報もあった。
精霊に性別の概念はないけれど、血に残っている雰囲気から、そう感じたらしい。
薄っすらとしか言わなかったから、拾い忘れるところだった」
「そうですか」
少しばかり驚いたけれども、シュトにとってはそれなりに有益な情報になる。
「それなら、狙撃に使ったのが弟のアトの使っているのじゃあなくて、俺の使っている銃の型かもしれません。
アトの銃は"武器になる"って知ってはいても、小ぶりなんでその実際の威力を目の当たりにするまで、"頼りになる"って感じるのは俺の方のだと思いますし」
そう口にしながら思い出すのは、銃を扱うにしても慣れ過ぎてしまっている事で忘れがちになってしまっていた事。
(先ず銃を扱うにしても、他の武器と同じ様に基礎を学ばないといけない。
"この時銃を使った奴"は、そういった基礎を持っていたのか?。
それに、何よりも師匠みたいな存在がいないと、自力で学ぶにしても随分と苦労はするはずだよなあ)
シュトの表情を見て、考えている内容を察した賢者も少しばかり、考え込む様の曲げた人差指の側面を唇にあてていた。
そして口にしているのは、今はたらふくお菓子を沢山べてご機嫌だろう、横にいる少年の弟がベストの内側に隠す様に持っている銃の姿だった。
「アト君の銃は、確かに見た感じがからして小振りだしね。
それでも、ロブロウで魔法がかけられたイノシシを仕留めたり、邪龍の動きを抑えたりと結構な活躍してるんだけれど。
見かけに騙されてはいけないっていうのを、ある意味では体現してくれてもいるよねー」
ネェツアークの言葉にシュトも頷き、横を向いたなら先程まで顔に当てていた手を新しく仕立てたコートに突っ込んでいた。
「確かに、実際撃ってみないと銃の反動の大きさはやら、音とかは判りませんから。
それで、ネェツアークさん。
現場の方に、俺も行っても良いですか?。
というか、もう今から行くつもりですよね?」
そう話しかける相手は、既にフワフワとした鳶色の髪を揺らし、横断する為に左右を丁寧に確認していた。
もう少し歩けば、国が定めた大きな通りを安全に横断する為の歩道もあるのだが、この国の賢者は自己責任で以て、確認をしてそのまま渡ろうとするのが、シュトにも目に見えて判った。
「別において行ったりはしないから、安心しなさい。
私が過保護になるのは、リリィに関わる事だけに限るから。
寧ろ動ける者や働ける者は、自分の国の王様でも使うのが、賢者界隈では有名なお話だよ」
そして鳶色の眼の視線を注がれて、馬車が通っていない"今"、渡ろうと告げられているのが分かったので、シュトは頷きながら動き出す為に腿に力を入れた時、ネェツアークは既に進み始めていた。
「賢者の間で有名って言われても、一般人の俺には皆目見当がつきませんよ!」
もし、弟がいたなら絶対にしないだろう、大通りを突っ走る行動を、随分と慣れている様子でする賢者に続く。
長い距離とはいかないけれども、荷馬車が6台程並走の可能に整備されている大通りは、全力疾走をしたなら、軽く息が弾む程度の運動にもなる。
ただ目的地に到着する当たって、三十路と若人が走った勢いが落とすペースを少々見誤って急停止したため、互いに互いの身体を支えようする珍事にもなっていた。
「年寄りを労わろうという気持ちはないのか!」
「先のある若いもんを支えてやるのが、大人ってもんだろうが!」
周囲に人がいないのを確認した後に、それぞれ自分の立場にあった主張を半分ふざけながら終えた後、短い時間で互いに態勢を立て直す。
「そんでネェツアークさん。"大体ここら辺"でいいわけなのか?」
そして、若さの力かの為に先に立て直したシュトが、少し弾む息で尋ねる。
高い背で周囲をぐるりと見まわしても、大通り合わせて作られたであろう歩道は、殆ど先程までいた場所との差異はない。
「ああ、ただし本当に"大体この辺"でしか、判らない。
パドリック父子が時間が出来た時に、夕方の散歩の途中で、それはよく使う決まった道だった。
それで、シュト君に聞いたジュリアン・ザヘト氏の話しによれば、使う道は前もって知っていたから、"先回り"をして、パドリック父子を陰ながら警護をしていたんだろう」
「そうっすね。それで、多分うちの師匠の師匠が先回りをしていたのは、この先にある路地裏の方だ」
シュトが視線をもう少し進んだ歩道の方に向け、視界に入る大通りとは逆の方向にある横の細い道を見つめまま口を開く。
「そしてそこから、2発撃ったんだと思います。さっきの場所に銃の弾が路地裏の壁に入る形で撃つには、ある程度の角度があった筈ですから」
「うん、私の考えも、概ね同じだよ。それじゃあ、ついでに尋ねるけれど、"アルセンを狙った弾丸"は何処にあるか、検討はつくかな?」
そんな事を話しながら、靴底を鳴らしながら歩いて長い指のついた掌を歩道に面した建造物に触れていた。
「ここの通りの建物は何気に年季が入っているっすよね」
「ああ、少なくとも"あの事故"が起きてから、新しい建造物は出来てはいない。
王都の城下街自体は、平定が終えてから殆ど立て直されたような形だからねえ。
歴史的に言ったなら、"浅い"建造物ばかりだよ。
まあ、私よりは年上だけれどもね」
冗談を含んだネェツアークの表現に軽く呆れたけれども、シュトは先程の歩道の視界になかったものが視界に入ったのでそれを絡めて返事をする。
「じゃあ、その建物の側に設置されているあの"ゴミ箱"ってのは、ネェツアークさんよりは年上ですかね?」
「ゴミ箱?、ああそう言えば……彼等の年齢はどのくらいになるのだろうね」
シュトがジュリアン・ザヘトが発砲したという場所に視線を向けてい途中にある、この王都の城下街に定期的に設置されている、ゴミ箱の質問に賢者も興味を持った。
設置されているゴミ箱は"箱型"で、背丈が同じくらいの2人の傭兵と賢者の腰当たり高さがあり、側面の上の様に横に長い長方形の投入口が付いていた。
「そうだ、思えば―――」
そしてそんな事を言いながら、賢者は再びコートの懐に手を忍ばせて取り出したのはマーガレットの菓子屋から出てきた道すがらに食べてしまっていた、ポップコーンの空の袋だった。
「ゴミはゴミ箱へってね。後、ゴミ箱の年齢だけれども、設置場所にもよるが雨ざらしに置かれているから、この場所だと、5年周期位でデザインも兼ねての交換かな。
これは劣化具合から3年位かなあ。
設置場所は、決まっているけれども、正確にではない」
自分の要件を片付けるのも兼ねて、シュトの質問に答えつつゴミ箱の方に既に向かい始める。
「ネェツアークさんって、思い切り低そうでいて、なんか思いもよらぬところで倫理が高いですよね。そうっすか……これって勝手に動かしたりした拙いっすかね?」
「私のモラル低い事の方は認めるけれど、言い方に気に食わないものがあるねえ。さてゴミ箱に関してなら、"動かす理由"があればいい」
柔い皮肉を軽く受流し、ネェツアークはポップコーンの空袋を手にしていている上で、器用に親指の爪に水平にしたその上に、何時の間に用意したのか銀貨を乗せていた。
(……もしかして、最初からゴミ箱は動かすつもりだった?)
そんな疑問を持ったシュトの視線を受け流し、賢者は銀貨を弾く。
「あ、銀貨がゴミ箱の裏っかわに落ちてしまった。シュト君、悪いけれど拾ってくれるかなあ」
演技力で言うのなら、限りなく低い部類の"棒読み"と呼ばれる代物で、ネェツアークはそんな事を言う。
そして銀貨の飛ばすコントロールの方は、演技力と反比例する様に見事にゴミ箱と建造物の隙間に侵入して 金属音を響かせて、石畳に着く。
「……声にだして言っている事と、やっている事が順序が逆になっていますよ。
そんじゃまあ、俺も。"銀貨拾う為の動かします"っと」
賢者に習うように、棒読みの台詞を読み上げて、シュトは金属の盤と木の枠で出来たゴミ箱を横にずらす。
(多分、ここだとネェツアークさんも考える筈)
"ゴミ箱の裏側"にかつてアルセンを狙った、低い位置の撃たれた銃弾が隠れてしまっている。
(昔は事故って思っていた筈だから、多分めり込んだままだと思うんだけれども……おや軽い?)
どうやら、昼にでもゴミを1度回収したらしく、ゴミ箱はとても軽く悪臭も覚悟していたのに、全くなかった。
ゴミ箱の大きな口からは、紙袋が1つだけ垣間見ることが出来る。
「そんじゃあ、回収……あれ、どういうことだ?」
どけた先の石畳の上に、銀貨が"2枚"あった。
「ネェツアークさんのと、前に誰か落としたという事なのか。……ああ!?え、どうなってんだ?」
銀貨に気を取られていたけれども、最初の目的である"壁"を見たならば、シュトにも判るほど、小さくではあるけれど"新しい"抉れた痕跡があった。
思わずしゃがみこんで、その部分を覗き込んで見たならやはり抉られた痕跡が残っているだけで、その奥には何もない。
「弾が、"先に掘り出された"ってことなのか?」
「そうだね、どうやら、先客がいたらしいね。本当につい最近ということらしい」
驚愕しているシュトの後ろ、賢者は"ゴミ箱"の中に長い腕を差し込んで、先に捨てられていた紙袋を取り出す。
「しかも歴史に埋もれて、隠れている"真実"に気が付かない内に、片付けたい輩がこの王都に入り込んでいるって考えた方が良いのかもしれない。
さて、鳶目兎耳として動くか、それとも賢者として動くか、どちらにしようかねえ」
両手に同じ印、"カリタスの櫓"という記された、大きさの違うポップコーンの紙袋を手にして、ネェツアークは口の端を上げて楽しそうに笑う。
"イタズラ好き"の風が吹き、先に捨てられていた紙袋の方から、僅かではあるけれど柔らかく甘い、黒糖の香りが2人の鼻孔を擽る様に過ぎて行った。