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大農家 大いに嘆く③

『ああ、そう言えばあの時、ロッツ様が教会に入ることも宣言されてもいたな』


その時に、まるで時期を見計らっていたように隊長室の扉をノックする音がして、返事をすると丁度考えていたロッツの護衛をしているミストが入ってくる。

本来なら公務の時間も過ぎ、通勤様の軍服に着替え帰り支度をしていてもおかしくないのに、隊長であるキルタンサスと同じ様にまだ鎧姿であった。


『どうした?』


どことなく予想がついてはいたけれど、部下の言葉を待っていると、新しい勤務表を出しながらミストが今後の予定を口にする。


『改めて作成した勤務表を届けに、来たんですけれど。

後、私本日残業します。

何となく何ですが、法王猊下が本日動きそうな気がしてならないんですけれど……』


『そうか、奇遇だな、私も本日、国王陛下の見張りを徹夜でする予定だ』


それから、自分が隊長をさせて持っている王族護衛騎士隊の"指揮官"の事は伏せて、バルサムが造った通信機に(まつ)わる考えた事を口にして、自分が行おうとしている徹夜の残業の事を話した。


ミストは最後まで静かに聞いた後、小さく頷き今度は彼女が同じ様に自主的に残業を行う理由を口にする。


『そうなんですか、私の場合は隊長みたいな具体的な例えは、ないんですけれど。

さっき言ったみたいに、勘でしかないんですけれど。

国王陛下と夕食を一緒になさり、本日は王宮の私室の方に停まると仰られて、私の感覚なんですけれど、法王猊下がどことなく落ち着いてなくて。


傍目(はため)には何時もの穏やかな調子で、法院の方の騎士の方達はもう引き上げたんですけれど……雛の頃から飼っているという、大鷲のイグは夜間はいつもどこかに行っている筈なのに、寝台の上で速めに休んでいますし』


『氷の精霊の方はどうだ?』

『そっちは、いつもの調子で、ロッツ様の上で浮いています。

でも、雰囲気が違うのには気が付いているみたいです。

ただ、私がディンファレじゃないから、何かしら伝えたいみたいですけれど、伝えられないみないな感じです』


少しばかり芝居かかった動作で肩を竦めて、困った表情を浮かべていた。


『ミストの方から、何かしら尋ねようと……したけれど、その様子だと、無視されたか?』

『無視……というよりは、"人見知り"でしたけれど。訊こうと声をかけたなら、姿は消してしまいます。

ただ、魔力と気配はあります』


"人見知り"という表現に、キルタンサス思わず苦笑いを浮かべてしまう。

3才の娘は漸く落ち着いてきたが、1才の娘は絶讚人見知りの最中で、初対面の人物には先ず泣き出してしまっている。

姿は成人しているが、心は幼いと聞いている"氷の女帝"の扱い難しさを察していた。


『それじゃあ、聞きたくても訊けない状態だなぁ。

しかし、何かしら氷の精霊が情報を持っているのなら、出来れば仕入れておきたい』


上司が自分の状況を理解してくれた事に感謝しつつ、一応浮かんでいる打開策をミストは口にする。


『法王様が命令してくだされば、一発なのでしょうけれど、そこも何か、話しかけづらいっていうか、ニコニコしていらっしゃるのですけれど、さっき言った通りですし』


ミストが語り難いといった調子で述べていたなら、これにもキルタンサスは頷いてくれた。


『法王様は、そういった腹積もりというか、思惑には乗りたがらない性質の方というのも、ディンファレから聞いている。

ただ、"必要"な時はこちらから聞かずとも、自分から口にしてくれる事が殆どらしいから、国王様にしても法王猊下にしても、これは待つしかないな。

思い出してみたなら、ロブロウへの農業調査の命令書を作製された頃から、前倒しに書類業務を行って"時間"を作っていたから、もしかしたらそれを、今夜使うつもりなのかもしれない』


そう口にし、椅子から立ち上がった。


"うちの国の王様が、自分にしか使えない通信機を使って、何をしでかすかは、正直判らん"


上司の正直すぎる物言いには不安もあるが、家庭をまもることを第一と自負としておきながらも、安分守己(あんぶしゅきという国王陛下から、国の剣術大会で優勝した時に賜った言葉を思い出す。


"安分守己の意味は身の程をわきまえて、高望みしない事だという。

だが、高望みをしないということと、目標を高く持たない事も意味が全く違う"


剣の腕が認められれば、日々の生活を賄う日銭を稼げる、それでいいと思っていた心を見透かされ、実際、"読まれて"、その上で、更に言葉を続けてかけられた。


"平民だからと、自分の才能を留める事がないよう。

人が成長するということは、出自という出発地点に多少影響を受けるかもしれんが、そんな中で登っていく内に出会う矛盾と向き合い、克服し学ぶものがあるだろう。

それを、安分守己の言葉を与えるお前に覚えていて欲しい"


それから、黒と紫の眼を細め、笑顔の形を作って素早く言葉を繋げた。


"ま、安分守己の言葉に関しては、私の―――俺の親友の言葉の影響を受けて、考えた言葉で、キルタンサス・ルピナスという人と直に出逢って感じた、お前に対して抱いた本音だよ。

お前が優勝した事で、英雄はいるもいるが、この国一番の剣の使い手という存在も出来た。

多分、その事で何かしらの縁は、お前とこの国の王様という役割の俺の間に出来ただろうから、これからよろしく頼む"


そんな事を言われて眼を丸くしている間に、その当時護衛隊長であった、紺色の英雄の衣装を纏った褐色の大男に護られながら、王宮に戻って行く。

本当なら、国の定めた任期契約で入隊していた2年で辞め辞めるつもりでいた。


けれど"縁が出来た"という言葉が、かつて今の王様の父親が口にした時と同じよう様に、胸に残り、何となく契約を更新し軍に残る。


そうしている内に、グランドール・マクガフィンに、"ワシの代わりをしてくれんか"と声をかけられ、当時恋人だった妻に相談した上で、引き受けてしまっていた。


(考えようによっては、その縁続きでこの件で、国王陛下が起こす行動は、私の―――俺の"力量"が測られている様な事態でもあるかな)


国王も英雄も、居なくなる王都で、それをどう"誤魔化す"かを、知らないふりをしながら自分を筆頭にして任されそうになっている。

キルタンサスとっては、隊長職についてから初めての出来事でもある。


その誤魔化しをキルタンサンスに任された時間の長さは、

"今夜、恐らく白を抜け出すダガー・サンフラワーが通信機を使って何らか行って、戻ってくるまでの時間"

若しくは、

"ロブロウ領主への"謝罪"として向かった一行が、グランドールの養子に迎えるという少年の"治療"が終わって帰ってくるまで"

だと考える。


(国王陛下が今夜抜け出し戻ってくるまでか、それともロブロウに行っているパドリック中将―――この国の英雄である人が戻ってくるまでかだろうが)


現実的にもロブロウの沛然としているという天候では、後数日は戻ってくるのは難しい。

ダガー・サンフラワーが、王宮を抜け出しある事をやり遂げて戻ってくるのを待っていた方が建設的に思える。


(出来れば、(キルタンサス・ルピナス)許容量(キャパシティ)を超えない様に頼みますよ、ダガー・サンフラワー陛下)


"あの"人"は自分と繋がった縁は、余程の事情がない限り、粗末にはせん"


(マクガフィン大将のこの言葉を信じられるかどうかでも、王族護衛騎士隊、隊長に本当の意味で相応しいかどうかも推し量られているのだろうな)


『―――ミスト、とりあえず互いの軍の通信機を持っておこう。

それで常に通じる様にしておいてくれ。軍の用具所には私から連絡をしておくから、ここから出たら取りに行って欲しい』


『判りました、それでは早速取に行ってきます。でも、ダガー陛下は今夜から王宮を脱け出すにしても、何の目的があってでしょうね』


軽快に了承しながら不意に部下が口にする言葉に、キルタンサスも同じ様に疑問と興味をもった。


『さあな……だが、"自分の為"ではないとは思う』


まだ護衛騎士隊長になってから、そんなに経っていない2年ばかり前の頃、その時期も頻繁に王宮での仕事を済ませた上で、抜け出していた。


あの時は隊長を始めたばかりという事もあり、色々と戸惑うし、自分に職を委ねたグランドールも何かと調査があるからと、国を出ている事が多く、尋ねようにも出来なかった。

しかし、ある意味で王様がいないだけで


"騒がなければ大丈夫"


という事を、以前からダガー・サンフラワーという人物の世話に慣れている近習の方々から、婉曲に教えて貰う。


"何かしら抜け出している間にするにしても、異国の諺の因果応報という言葉に当てはまる様な行動しかしないから、心配しなくていい。

何にしても、誰かの役に立っている事があるみたいだから"


そんな説明を受けたが、キルタンサンスより先輩で長く、ダガー・サンフラワーの側にいる事で出来る、信頼している故の"気にしていない"という振る舞いだとも思えた。

だから正直に言って、"王様を護る"という仕事で、王様不在は落ち着かないキルタンサンスは、ダガー・サンフラワーを知る先輩方から、忠告(アドバイス)も与え貰う。


"ただ、王族護衛騎士隊は仕事として"捜す"振る舞いをしておかないといけない。

緊急の時には、本当に捜さないといけない。

だから日頃から、"捜す訓練"位の気持ちで護衛の隊長殿も、ダガー陛下が、仕事をこなした上で不在の時に、捜しに城下に行ってみるのも良いかもしれません"

という、何とも納得出来るような出来ないような忠告をされて、最終的に納得をした。


そして忠告に従い、護衛騎士隊の鎧を外し、王様の後をつける"訓練"を行う事にする。


脱け出しルートこそ掴めなかったが、国王陛下として公務の時には、身に着けている(かもじ)は外し、ダガー・サンフラワーの特徴的な左眼に眼帯をつけて、"ダン・リオン"となっている姿を、城下町で早速目撃する。



そこで自分が護衛する人物が、城下町にあるパン屋の老人に弟子入りをしていて、近所では"神出鬼没の弟子"みたいな扱いになっているのも掌握する。


パン屋の主の老人(というよりも、何かの武術の師範と紹介された方があっている様相)バロータは、"ダン"の事情を承知しているのか、普通に弟子として扱っていた。


どうやら、何かと用事を与えているから、弟子だけれどもパン屋を不在にしているという"設定"らしく周囲の店も、住民もそれで納得しているらしい。

ただ斜向かいにある、この国の秋祭りに行われる菓子の品評会で優勝したというまだ婦人というより、菓子屋を営む少女は"ダン・リオン"を見て少しばかり緊張した顔をしているのを確認する。


(どうやら、あの少女はダン・リオンの正体には気が付いている)


この菓子屋を営むマーガレット・カノコユリの顔は、キルタンサンスも"王宮"で、祭事がある度に、招かれてその腕を振るっている見覚えがあった。


それに自分の奥方からも、マーガレットの菓子店については、娘達も含めて"大好き"なのだと聞いた事がある。

ただ娘2人が小さいので、人通りが多い城下では移動も大変で、中々買いに来られないともいう。


(今度、"訓練"で追いかけてきた時に"休憩時間"になったら、土産に買って帰ろう。それで、ダン殿は?)


短髪の眼帯をした、大農家のグランドール・マクガフィン並みに大きい身体のダン・リオンは、周囲の住民から"オッサン兄さん"という珍妙な(あだな)をつけられて、商店街の雑用を熟していた。


たまに"見習いパン職人"事をするが、殆どが困っている人の世話ばかりをしている。

特に、師匠に当たるバロータと縁があるのという、巫女の姿をしている女の子の世話をよく焼いているのを見かけたのを覚えている。


(ん?"巫女の女の子"?。ああ、さっき、マクガフィン大将が言っていた、賢者殿も巫女の世話をしている話をしたから、既視感があっただけか)


ミストに"国王の宮殿抜け出しが、自分の為ではない"と説明してから、短い時間にそこまで連想したのに気が付いて苦笑する。


ただ、部下の方は"自分の為ではない"という上司の言葉に、好奇心の色が浮かばせながらも、剣の稽古の際の様に視線を鋭くさせつつ、笑みを浮かべている。


ミスト・ランブラーという部下の余り見たことのない表情に、思わず(いぶか)しげな視線を注いだなら、部下もそれに気づき、口角の端を上げる笑顔を造り、自分の考えを述べる。


『じゃあ、国王陛下は"誰かの為"に、わざわざ自分専用の通信機をパドリック公爵夫人と元魔術師のメイドに造らせ、それが使える距離まで抜け出そうって事ですよね。

それで、その相手の性別についていえば、まだ判明はしていませんが、それが"女性"って場合もあるのですよね』


ミストの解釈に、キルタンサスは軍の用具所に連絡する動作を止め激しく瞬きを繰り返し、口を丸く開いたが、彼女の論理(ロジック)は間違ってもいないと感じ、そのまま小さく頷いた。


『ああ、思えば、陛下の相手はそういう方になるって事に、とれないこともないのか。え、でも、そうなのか?』



国王としてのダガーが婚姻を方々から迫られているのは、傍らで護衛していて良く見かける光景で、そしてそれを見事に躱しているのも知っている。


ただ傍目で見ている限り、軽くあしらっている様にも見えるが、"釣書"とそれを持ち込んだ人物をそれなりに観察しているのも見て取れる。

そしてさり気無く母親譲りの左の紫の眼の能力(ちから)を使い、"本質"を覗き込んでいた。

拾い読み終わったと同時に造り笑顔浮かべ、いつもの様に躱してやり過ごす。

そんなことを繰り返し眺めていたなら、自分の護衛騎士が、紫の眼でしている事を察しているのに気が付き、王様は笑いながらその能力を使う事の釈明にもとれる言葉を一度だけかけてくれた事がある。


"キルタンサスを見ていると、結婚というものは、本当に良いものだと思うのだけれどなぁ。

ただ、私と一緒になった場合、"自分とその相手の意見を尊重するだけの家庭"というわけにもいかんだろう。

そういったの、一切合切承知してくれた上で"ダガー・サンフラワー"の伴侶になってくれる。

それでいて、一緒に歩いてくれる強い人がこの世界にいてくれたなら、こちらから迎えに行くのだがなあ"




『―――もしかしたら、陛下は"好い人"でも出来たんじゃないのですかね?。その方に逢う為に、時間を作っているとか』

更に進んだ解釈に、言葉を返せない内に、部下は隊長室の扉のドアノブに手をかけていた。

ドアノブが回る音がした時に漸く丸に固まっていた口を動かし、自分の経験だけでは確信が持てない事を尋ねようと動かした。


『ランブラー、その、それは』

"お前の憶測でしかないのだろう?"


そう続けようとしたけれど、優秀な騎士が集められた王族護衛騎士隊で、デンドロビウム・ファレノシプスに続くとされる女性騎士は、音もなくその姿を扉の向こう側に移していた。


『結婚直前の"恋人"を喪って、一生を騎士で過ごそうとしている、女の勘を舐めて貰っては困りますよ、隊長』


顔の半分だけを隊長室に戻し、ニコリと造った笑顔を向けた後に、


『―――うわ、何これ、結構凄い事になりそうなんですけれど!。

それじゃあ、通信機を取ってきますね、隊長。先に陛下の御寝所の方に行っていてください』


語尾にいつもの口癖をつけながら、通信機を取りに行く為、今度こそ本当に隊長室を退室して行く。

部下の経歴を把握はしているけれど、その過去を今まで微塵も感じさせた事がなかった女性騎士が見せた、まるで寸劇の様なその振る舞いに、内心で舌を巻いていた。


(私も、まだまだだなあ……)


声には何とか出さずに、敗北を感じながら、事務的に軍の用具室に、緊急に通信機の貸出を依頼する。


それから自分の胸元に仕舞っている、結婚の際に夫婦で揃えて造った、蓋の内側に小さな肖像画を填め込む形になる懐中時計を取り出し、開いて眺める。


時計は高級品であるので、求婚する時の金の指輪も値が張ったが、更に特別注文もしているのでその当時のキルタンサンスにとっては、本当に己の身の丈に合わない物だった。

でも、今なら"合っている"と少しは思う事も出来る。


『それに、さっきのミストの"読み"を聞かされた後になったなら、"陛下の脱走が、俺の許容量を超えないで欲しい"だなんて、格好悪いの一言に尽きる』


自分はダガー・サンフラワーという王様がいるお陰で、安心してこの国で暮らせている。

それならその王様が、(もしかしたら)想う相手に会いに行くぐらいの時間の留守を任される役割はこなしたいとも思った。


『まあ、それでも長丁場にならない事を祈るしかないな。

……確か書類業務は3日位閉じこもってやったぐらいの量はしてくれてあるから、それ位の時間は誤魔化せるか』


そうして部下に指示し、最後には自分が指示された国王様の御寝所の方に向かった。

現在の時刻と、ダガーの国王としての"平日"行動予定を照らし合わせたなら、既に夕食と風呂への入浴は終え、後は寝るまでの間は比較的自由な時間となる。


ここ数日、ロブロウへ農業調査の一行を送り出してからは前倒しの書類業務に、睡眠時間を削って励んでいたと、夜間に夜食の差し入れをしていた近習から聞いている。


『さて、今日はどんな感じになっている―――おや?』


国王の寝所にも繋がる、私室の入り口の上に仕掛けられている精霊石を見あげる。

この王宮に出入りする事が登録されている人物がいるのなら、緑色に輝く。


『……多分、ここにも何らかの仕掛けをしては行くのだろうが』


(思えばパドリック中将の母親に通信機を頼んだのなら、この国の賢者にも、何枚か噛ませて、"在室"に見せかける仕掛けを作らせていても、不思議じゃない)


そんな事を考えて精霊石を見上げたなら、緑色になっているので"在室"しているのは判る。

だが、その精霊石が既に国王であるダガーはもう寝ている事を示していた。


『……幾らなんでも早すぎる。いや、それとも"仮眠"というわけなのか?』


それから直ぐに気配を感じ、そちらの方を向いたなら、ミストが宮殿の近衛兵を後ろに引き連れ、通信機をもってやって来る。


『隊長、通信機をお持ちしました。それと、長年の近習の方々から"差し入れ"ですよ』


そう言って振り返ったなら、一緒に来ていた近衛兵は肘置きが付いた、見た目にも座り心地が良さの伝わってくる椅子を運んできてくれていた。


『これに座って、"始まる"まで待っていろということなのか?』


自分が見張る定位置に近衛兵達によって椅子は確りと据えられるのを眺めながら、尋ねたなら、通信機を渡しながらミストが頷く。


『さっき私が隊長に言った様なことを近習頭の御婦人に"仄めかした"なら、直ぐに察してくれました。

それで、ダガー陛下が今夜行おうとしている事が是非とも成功して欲しいそうです。

あくまで、私が予想をしている事だけとちゃんと伝えたんですけれどね』


敢えて詳しい内容は伏せているが、椅子を運んできてくれた近衛兵も目深に金属の兜を被っているが、宮殿の通路の灯の明かりでも表情が柔らかいのを伺う事が出来た。


『うーん、皆口にしないだけで、それなりに陛下の、その、心配しているんだなあ』


直接的な表現は控えたが、キルタンサンスが話しかけたなら、椅子を運んできてくれた近衛兵は、肯定する様に静かに頷いてくれる。


『皆さん、身近にいて、ダガー・サンフラワーという人柄を知っている分、余計に心配しているみたいです。

それに、やっぱりそれなりの"お年"ですからね。

"いきおくれ"と陰口叩かれている私が言うのもなんですけれどね』


口早に説明をしてくれたのは有難いとも思ったが、些か後半の部分は上司としてあまり聞いていて気持ちの良い言葉でもなかったので、一応戒めを口にする。


『何もそうやって、己を卑下する言葉を入れる事もないだろう。

嫁いだ年齢をどうこう言うのなら、先々代の王室護衛騎士隊の隊長殿も御婦人で、今は大農家になられた先代のグランドール・マクガフィンにその役割を委ねた後に、御結婚されたそうじゃないか。


そう言ったのは時期(タイミング)と相手と自分の意志があった時にするものだから、行き遅れなんぞ勝手な意見の押し付けでしかない』


『―――アザミさんの事なら知っていますけれど。

今は城下町で工具店の女将さんをやってらっしゃる。

それにパドリック中将が拾った、隊長がお嬢さんの婿養子に狙っていた新人兵士のアルス・トラッドもアザミさんが世話をしていたのも知っていますよ。

ちなみに、直接面識もありますし、前に相談に乗って貰った事もありますから。

それじゃあ、戻ります。

動きの連絡があったなら、時間に関係なく遠慮なく連絡して来てください。

私の方も、連絡をしますので』


やはり早口にそう言って、(きびす)を返し、王宮の中に設えられている法王の私室となる場所に戻って行ってしまった。


『……"藪蛇"だったと思うか?』


長丁場になる為に、椅子の差し入れを運んできてくれた"近衛兵"に何気なく尋ねると、立ち上がりながら答えてくれる。


そしてその答えてくれる相手が、目深に被った金属の兜を上げたなら、そこで漸く"女性騎士"なのだと気が付いた。


『そうですね、いつも和やかなランブラー少尉にしては、きつい言葉でしたけれど、"蛇"程でもなかったと思います。

でも、自分でもネガティブになっていると判っているから、早めに話を切り上げたのかもしれません』


今のミストの事を同性側みた冷静に見た意見だと思えたので、ありがたく拝聴し、礼を口にする。


『それは、貴重な意見、それと、椅子もありがとう。

どうやら"抜け出す"前に仮眠してらっしゃるみたいだから、私も起きるまで、こちらで休ませて貰うよ』


『いいえ。それでは、騎士隊長殿にこちらの"門番"は任せます。

近衛兵は本日から、王宮と城の入り口の方に、重点的に配置させて貰います。

それと明日、明後日は謁見の公務は入っていません。

ただ、明々後日の夕方に謁見が一件だけ。

それまで、誰もこちらの扉の方には食事以外は、近習を含めて近衛騎士の私達も訪れません。

ただその時がきたなら、"通常"の勤務体系に戻らせて頂きます。

それでは私も失礼します』


宮殿を警護するだけあって、機能性もあるが、装飾もそれなりに豪奢な鎧を身に着けた女性騎士も、会釈をして行ってしまった。

王の私室の前には自分しかいなくなったのを確認したなたら、一度眼を閉じ、深く息を吐き出した。


(ダガー・サンフラワーは、やはり3日程しか時間はない。

でも、動きだすにはまだ時間が迫ってないというわけか。

それとも、通信機を使う為に、動き出す前にこの"場所"でまだする事があるということか)


新たな疑問を思いついた時に閉じていた眼を開いて、折角用意して貰ったので、少しでも体力を温存出来る様、椅子に腰かける。

肘置きもあるが、そこには手をかけず、椅子の座面の手間に腰をおろし、腰に帯剣している武器を外して、自分の正面に立たせる様にして置き、柄の頭となる部分に、両手を重ねて置いた。


(私も、"仮眠"するかな―――)


人によっては、仮眠とは言えないという状態で、薄く意識を保ち、気を張って浅く呼吸を繰り返す。

体力の消費は抑えられるが、精神的な消費は著しくなるけれど、これなら直ぐに察知できる。


(自分の疲労で役割が果たせるなら、それで十分。"3日"が終わったなら、休みをもぎ取ろう)


だから、その3日の間に、ダガー・サンフラワーかダン・リオンか知らないが、女性の部下が言う様に"好い人"の為に動いてくれる事を願った。

そうして、数時間が過ぎる。

日付は変わり、さらに数時間後に国王の私室の寝室の方に動きがあるのを察して、立ち上がる。



精霊石の輝きを見たならその強さが増して、起床しているのが判った。

静まりかえっている宮殿でも、防音の処置が確りしているので中で動きがあるのが判るが、音は漏れてこない。


(恐らく気配も何も1人きりでいるから、"喋って"はいないという事なんだろうな……ん?)


部屋の精霊石の輝きが更に強くなり、室内にいるダガーが本格的に動き出したのが判った。

手にしていた武器を再び腰に帯剣し、様子を伺う。

声は漏れてこないが、国王の私室では、何かしら会話を行っている雰囲気が窺がえた。

それが止まったと思ったなら次は、室内で何やら動く気配は察する事が出来る。

どうやら、ダガー・サンフラワーは本格的に動き出し始めていた。

音を漏らさない様にして胸元に忍ばせている懐中時計を取り出す。

時刻は夜半を少しばかり過ぎていて、宮殿内でも一番に起きると言われている厨房の方でも、動き出すにはまだ早い時間。


静寂の中で、今まで張りつめていた気持ちを緩めて、今の状況に対し自分の中に浮かぶ正直な気持ちと、上司に贈られたと言葉と向き合う。


"指揮官としての忠告(アドバイス)は、鎧を着たまま何も知らんふりをしておきながら、次の動きがあると思えるまで寝室の前で見張っておけ。

あくまでも何も知らない態ていを崩さずに、護衛騎士として国王の"脱走"に気がつかれない振りを、付き合えばいい"



(私が"知らない"ふりをしていれば良い事)


常に使える状態にしている通信機にも反応されない様に、純粋に風の精霊に呼びかけ"助勢"を仰ぐ。

自分の胸に湧く好奇心を素直に受け入れたなら、考えていた以上の"風の精霊"が、"国王陛下の好い人と関係する情報を知りたい"護衛騎士にその力を委ねてくれた。


(風の精霊にとっても、これは興味深い事なのだろうな)


"情報を司る"精霊の能力を纏わせ、国王の私室の扉に触れる。


(これなら、情報があったとして、もし聞こえたとしても"恋"に纏わる部分しか風の精霊が拾ってくることはない)




『なかなか、興味深いし私にとっては"懐かしい話"をしているな』


風の精霊が聞こえる様に調整してくれた王様の声は、聞き慣れたキルタンサスにも珍しい、幾ばくか緊張をしたもの。

ただ、初見の者には十分緊張感を与える威厳は備わっていた。


(でもこうやって風の精霊が、声を拾って聞こえてくるという事は、陛下が話しかけている相手は"好い人"という事なんだろうが……)


キルタンサンスの好奇心と興味に乗る様に、風の精霊も聴きとる力を貸してくれる。


『りょ、領主様。そっ、その魔法鏡にどなたかが映っておられます』


『―――っつう』

思わず、扉に触れていない方の手で口元を抑えたが、驚きの為に声が漏れたる。


(この声は―――)


精霊が運んできてくれた声は予想外に"男性"ものだった。

とはいっても、その声や口調や声の質から、まだ年若いのが感じ取れる。


最初こそ動揺したが、その声が"領主様"と呼びかけた事から、"もう1人"国王陛下が語りかけている相手がいるのだと判って、口元に当てた手を外した。

恐らくダガーが、魔法鏡を使って語り掛けている"好い人"の関係者なのだと考え至る。


(年齢的には、"アルス・トラッド"位なものかな。


それでこの少年が"領主様"と言っていたのが、陛下の"好い人"という事になるのかな)


"領主"という言葉に、ついては、頻繁に最近聞いている言葉でもあった。


(そうか、あのロブロウの人攫いの処罰の報告を受けてから、陛下は慌ただしくしているとは思っていたが、その実、直結していたのか―――ということは)


『こっ、国王陛下?!』


まるで抱えた疑問に答えてくれる様に、今度は風の精霊が高く優しくも響く、可愛らしい声を運んできてくれた。


(ロブロウの領主殿は、"女性"だったのか)


自分の奥方以外は女性として意識をしない、王族護衛騎士隊の隊長は人攫いの咎を犯した貴族の処断行った、ロブロウ領主の名前を思い出した時、再びダガーの声が聞こえた。



『こんな時間に済まないな。ロブロウ領主、アプリコットビネガー。

そして、ロブロウの地に魔法鏡を繋げるという事は、初めての事だ』


(―――陛下)

緊張と威厳の中に、今度は"心からの安堵"がダガー・サンフラワーの声の中に含まれているのが伝わってくる。


(そうか、この方アプリコットビネガーというロブロウの領主を、陛下はこれまで想って、縁談話などに取り合わなかったという事なのか)

だが、陛下の想い人であるだろう、可愛らしい声の持ち主でもある領主の声は堅い。



『本来なら、先代、そして私が領主の役目を拝命した折に王都まで挨拶に参らねばならないのに、先代国王陛下の配慮に甘えて、書簡のみの御報告、誠に申し訳ありません』


口にする内容も儀礼的で、それはどういうわけかキルタンサンスの心を歯痒くもさせていた。

そして武と学と勘もある人は、その歯痒さの正体には直ぐに気が付く。


(なんの事はない、悔しいのだな)


ダガー・サンフラワーは望みさえすれば、20数年前からこの国の"美しい"と称えられる婦人を王妃でないにしても、側室に迎える事も出来た。


でも、それもせず"セリサンセウム王国の良い王様"であり続けて、たまの息抜きに仕事を終えてから宮殿を抜け出し、城下町で"オッサン兄さん"という渾名のダン・リオンで、小さな人助けの日々を過ごしていた。

それをどういった事情があるかは知らないが、時間を作ってまで語り掛けているダガー・サンフラワーに対して、限りなくよそよそしいのが、嫌だった。


("白馬の王子様"とはいかないが"立派な王様"ではあるのだから、もう少し喜んでくれてもいいのにな)


そう考えたなら自分が考えている以上に、国王としてもだが、ダガー・サンフラワーという人物の人柄に惚れ込んでいるのにも気が付いた。


『頭を上げよ、ロブロウ領主。私も、先程賢者に進言され、父、先代の回顧録を見て初めてその土地の謂われ、あやふやで確固たる確証はない。

しかし、注意を逸らしてはならない事情が、あるのが初めてわかった。

先代も気がつかねば、気がつかなくて良い事として私に黙っていたのだろうが、ロブロウの領主一族にのみ、苦労をかけていた事を申し訳なく思う』


どうやらキルタンサンスは知りえない過去に何らかの理由があって、ロブロウ領主は硬い口調にならざるえず国王に、懇切丁寧に言葉を返しているのは、このダガーの返事で理解出来た。


そしてそんなロブロウの領主アプリコット・ビネガーの頑なな気持ちをまるで和らげ解す様に、言葉をかけるダガーの声も風の精霊の能力で聞くことが出来る。

だが、それでもロブロウの領主は慇懃な返事をしていた。


(陛下、どうしますか?)


いつも護衛しつつ、表情には出さずに見ている王様の返答を待った。


『"ネェツアーク"からはロブロウ領主は中々面白い人物だと聴いていたのだが、初見ではその面白みは見せて貰えないのかな?』


ダガーから随分と呼び馴れた語調で出された名前も、風の精霊が運んできてくれたが、その意味を理解した瞬間に短い間だけれども、キルタンサンスの思考は止まる。


それまで拘る様に考えていた、ロブロウの領主の国王へのぎこちなさも、その名前を聴いた事への驚きで打ち消されてしまった。

名前だけは聞き覚えがある、この国の"英雄"だという人物。


(陛下がおっしゃっていたのは"ネェツアーク"。多分、小刀のネェツアーク・サクスフォーンの事なんだよな)


思わず自問自答しながら、上司に当たる褐色の大男と、その親友にあたる貴族の渾名も釣られる様にして思い出す。


"大剣のグランドール・マクガフィン"

"魔剣のアルセン・パドリック"


その渾名は、平和なここ十年近く、世間話の話題にも上らなくなった。

英雄としての名前を日常の中で全く使う必要もなく、渾名に至っては子ども達の暦の学習で、教科書の文章の一行としてある位の物だった。


そして、"小刀のネェツアーク・サクスフォーン"という名前は、そこには現在記されてすらいない。

キルタンサンスが彼の名前を知ったのは、グランドールから隊長職を引き継ぐ際に、眼を通しておくように言われた、隊長の日誌を見た事にある。

それはグランドール・マクガフィンの前に護衛騎士隊の隊長だったという人物が、丁度、平定の四英雄の治世が落ち着いた事で始められた日誌でもあった。


その日誌に記された文字がグランドールの文字の物に切り替わる直前に、


"4人揃っての英雄おめでとう"


という文字の下にアルセン、グランドールの渾名のその下にその名前はあった。

ただ、その名前は何本もの斜線があって殆どが潰されている状態。


それが印象的であったから頭に刷り込まれるようにして残った名前。


更に決定的になったのは、その(ページ)の"下"が、塗りつぶされたその下から、明らかに破り取られていたからでもあった。


そしてその前にあった、グランドール前の隊長だった人物の

"4人揃っての英雄おめでとう"

という言葉から考えたなら、その破り取られた箇所にもう1人の英雄の名前が記されている筈だった。

ただ、そこに気が付いたけれども、キルタンサンスはグランドールに詳細を訊くことは出来なかった。


"隊長の日誌"をあっさりと渡した事で、グランドール・マクガフィンとしては知られても構わない、もし、キルタンサンス・ルピナスに尋ねられたなら答える覚悟はしていたと思われる。


だが、気を利かせるつもりもないけれど、塗り潰された名前と破けた箇所について尋ねたなら褐色の大男の古傷を抉る事になると、自ずと察していた。


ただ、疑問を抱えたままでいる事は、自分の中に確実に良くないもの事案という事も弁えている。

だからグランドールに訊ねずにその疑問を解消するべく、行動した。


すると、この国の詳細な歴史書を記した資料を、軍属にしか調べられない場所ではあるが、自分で考えていた以上にあっさりと塗り潰された名前の正体は判る。


"護衛騎士隊の隊長の日誌"の日誌に"4人揃っての英雄おめでとう"という言葉がある様に、ネェツアーク・サクスフォーンは、この国の英雄とされる人物だった。


ただ、ネェツアーク・サクスフォーンという人物の英雄と認められた以降の、足取りを辿る事は出来ない。


それ自体は、"本人が望んだ"なら名前を世間に伏せる事が出来るので、ネェツアーク・サクスフォーンがそうしたなら納得も出来る。

ただ、ネェツアークの塗り潰された記述があっても日誌の頁が破り取られた以降の記録―――"もう1人"いる筈の英雄の記録だけは、どれだけ捜しても、見つけ出すことは叶わなかった。


日常的には十数年前は随分と昔の事でも、歴史的に記すにはまだ"浅い"出来事で、新たに編纂された歴史書も少ない。


その中でも捜せる限りで捜したが、結局4人目の英雄についての記述を見つける事は出来なかった。

グランドールやアルセン、ネェツアークが英雄と認められる活躍をしたのは、セリサンセウムへの侵略戦なのだが、どちらかと言えば認知度が国を超えて世界に知らしめたのは、防衛を成功した後の事。


それこそ、世界規模で起きた天災で、その原因と解明にセリサンセウムの英雄達の活躍があったからという表向きの歴史はキルタンサンスも知っている。


ただ当時その時代の流れにいた身としても、国が英雄を定めるという発表や政策を行っていても、"(じか)"に彼等を見た事はない。


平定の英雄に続いて"大戦の英雄"とされた若人達は、広大な大陸を侵略から守る為に、常に動いている状態だった。

結局その英雄達の姿は、天災の調査と原因の解明を終えた後に漸くはっきりする。


そんな中で、セリサンセウムという国の英雄として出てきた名前がグランドール・マクガフィンとアルセン・パドリックの2名のみ。

ただ、英雄としてこの国に登録されるのは"4人"だと登録されている事も伴って公布されていた。


けれど、その矛盾に天災が落ち着いた直後でもあって、英雄の名前や立場が公表されたとしても自国も含み、いずれの国も情報として処理する位となっていた。

世界中が各国の英雄の活躍に感謝しつつも、先ずは自分の生活を安定させる事が第一だった。

キルタンサンスが軍に入隊したばかりでもあったけれども、半年の基本訓練が終わるやいなや、一般的な部隊配属ではなく、大隊を編成に組み込まれて災害派遣に向かわされる。


天災の被害の少ないセリサンセウムに、難民として来ていた異国の民を護衛し、それぞれの国に送り返したり、その土地で仮設ではあるけれど居住地を作ったりしながら、安定するまで駐在した。

途中で兵は本国から派遣されてくる大体と交代を挟んだりしながら、どの国の場所も年単位で駐屯する。


それらの全てが落ち着き、最後の軍が国に正式に引き上げるまで、4年程時間を費やした。

そんな自分達の事に精一杯の日々で、"戦争"において活躍した英雄の事など、日々記憶から薄れていく。


それでも"英雄"の名前が再び表に出始めたのは、王族護衛騎士隊の隊長としてグランドール・マクガフィンが勤め、アルセン・パドリックも、国の季節の催し事に国王の護衛として姿を、"国の英雄"を肩書にして現したからだった。


だが"それ以上"の活躍は特になく、グランドールの方はキルタンサンスに隊長職を委ねる形で、"第一線"という場所から遠のいていた。

完璧には消えず、人の記憶にそれとなく残っている。


それが"大戦の4英雄"の現状だった。


そして、英雄について調べていたキルタンサンスに、

"英雄殺しの英雄(ネェツアーク)"

について教えてくれたのは、小刀のネェツアーク・サクスフォーンについて丁度調べていた時に、資料室で"かちあった"のは、ロドリー・マインドという、蛇の様な眼をした貴族で軍人だった。



縁戚に、アルセン・パドリックの実父であるアングレカム・パドリックの急逝に伴い、宰相の仕事を名指しで引き継ぎを命じられていた、辣腕を振るったチューベローズ・ボリジがいる。

同年のアルセン・パドリックを好敵手(ライバル)視しているのは、有名な話で、それはキルタンサンスも知っている。


ただ張り合う相手が余りに整い過ぎている容姿と、英雄という高すぎる性能(スペック)を持っているので、何処となく滑稽な様子になるのも否めない関係に見えた。

ただ、ロドリー・マインド個人で見たなら非常に優秀な人材という評価も伴って知っている。


そしてその優秀な人材でもある蛇の様な眼をした人は、資料室にいるキルタンサンスと彼が手にしている本で直ぐに、何をしているか見抜いて口にする。


―――おや、これは先達てマクガフィン大将に王族護衛騎士隊の隊長の職を委ねられたルピナス少将、この国の英雄についてお調べなのですね。


―――私は伯母上の御伴に、図書館に訪れています。


ついでに己がどうしてこの場にいるかも説明をする。


諸事情は知らないが、ロドリー・マインドは、実の両親ではなく、殆ど伯母の伴侶となったチューベローズ・ボリジと共に育てられたらしく、そして育ての親である2人を敬愛していた。

そしてどちらかと言えば、社交事が苦手な、読書家の伯母の"御供"に図書館に訪れる事も有名な話でもあった。


キルタンサンスも"ロドリー・マインド"と偶然遭遇しただけにも関わらず、その諸々を理解しているのだと察した、蛇の眼をした男は幅を細める。

それが彼なりに微笑んでいるのだとは、直ぐに理解するが、決して場を和ます為に浮かべているのではないのだと、察した。


本当の蛇なら不可能な瞬きを一度し、今度は口に端を上げながら開いた。


―――その英雄となっている人物の事を知りたいのなら"小刀のネェツアーク・サクスフォーン"よりも、"英雄殺しの英雄(ネェツアーク)"として、私の伯父上にお尋ねになられた方が、時間を無駄にせずに調べ物が済みますよ。

―――それでは、私も調べ物がありますので、その先を失礼します。


そう彼がキルタンサンスに告げて、前を通り過ぎる時になって浮かべていた顔の意味が"威嚇"と呼べるものだと判る。


その威嚇を向けていた相手は、自分が手にしている、この国の最新の暦に記されている、キルタンサンスが名前だけを知っている英雄に向けられているという事も察した。


(どう言った人なのだろう?)


そして、"チューベローズに訊けば判る"と伝えられたなら、手にしていた暦を本棚に戻し、資料室を後にしていた。



宰相職を長年務めたチューベローズ・ボリジは、3年前にその職体力を理由に勇退していた。

それでもまだ(まつりごと)への発言力は十分ある老人は、何かと相談される事も多く、議員としての席を置かれている。


だが託された以上の仕事と口出しはせずに、若い頃に研究していた魔術と掛け合わせた建築の学問に再び取り組んでいた。


それを国の学院で講義する事もあって、その縁で現在は弟子入りしてきた学生をそのまま秘書にしている。

チューベローズの執務室を赴くと、応対する秘書の学生が、王族護衛騎士隊の隊長の姿に驚き、僅かに口を丸くしたが、直ぐに卒なく案内してくれた。


部屋の奥に、如何にも気難しそうな面相をしたチューベローズが、随分と重量がありそうな本を執務机の上に置き広げ、記された文言の方に視線を向けていた。

そして視線を上げないままで、シワに囲まれた口を開く。


―――ロドリーから、今しがたルピナス殿が訪ねてくるだろうと連絡があった。

―――少しばかり政の話をするから、君は休憩してきなさい。


そこまで秘書に告げてから、漸く視線を上げた。

血は繋がっていない筈なのに、甥のロドリー・マインドとよく似た印象を与える蛇の様な眼で"睨まれた"。

秘書の青年が"それでは、お茶の支度だけ"と口にすると、チューベローズは白髪の頭を左右に振る。


―――茶を飲みながら、和やかに話せる話ではない。

―――そして、君には益にもならない不必要な話だから、直ぐに退室しなさい。


きっぱりとそう言ったなら、秘書は恐縮しながら"失礼しました"と言葉短くし返答し、客人であるキルタンサンスにも頭を下げて直ぐに執務室を出て行ってしまった。


―――私にとっても嫌な話だ。手短に済まそう。

そして、音を立てて重量のありそうな本を閉じ、そのまま執務机の上に置き立ち上がる。


―――暦に名前がのっていない英雄と、英雄殺しの英雄の話を調べているそうだな。

無言で頷いたなら、更に大きく息を吐かれた。


―――マクガフィンは隠すつもりもないらしいし、"王族護衛騎士隊の隊長"になったなら、遅かれ早かれ知る事になる。

―――端的に言おう、"英雄殺し英雄"の真実は判っていない。

―――そう言われているのは、"殺した英雄"が、勝手にそう(のたま)わっているからだ。

"ネェツアーク・サクスフォーンは、大戦の4英雄の名前の残されていない英雄を、自分で殺したと言っている"

そう言う風に受け取るしかない言葉を告げられた。


(でも、そんな風に仰るという事は、殺した様に見えるけれど、実際には殺してはいないみたいな取り方も出来る仰り方だ)


すると甥となるロドリー・マインドと同様に、表情だけでキルタンサンスの疑問を察した、この国の元宰相は今度は、小さく鼻から息を吐き出した。


―――"ネェツアークが英雄を殺した"という立証が出来ないだけの話だ。

息を吐き出しておきながら、更に吐き捨てる様にそう言った。


それから"手短に済ませる"為に、更に息を吸い込んで言葉を続ける。


―――誰も英雄が英雄を殺した"現場"を見てはいない。

―――殺された方の英雄の(むくろ)、も残っていない。

―――そして、殺した時に使われたという凶器もない。

―――凶器とされているのは、"小刀のネェツアーク・サクスフォーン"と呼ばれるようになった所以の武器だ。


―――はっきりと言えることは、現在はネェツアークの殺したという言葉しか、名前が暦に残らない英雄の存在を証明する術がこの世界には無い。

キルタンサンスには言葉を挟ませず、チューベローズ・ボリジは畳みかける様に一気にそう口にした。


―――そして、私は"ネェツアーク・サクスフォーンが名前を残されなかった英雄を殺した"事と変わらない事をしたと思っている。


―――判りました、ありがとうございました。


言葉を何とか絞り出す様にして、返事をしたなら半眼にした眼で睨まれた。


―――……自分で短く済ませると言っておいてなんだが、この言葉だけでルピナス殿は、表に出てこない英雄と、暦にも残されない英雄について納得が出来たのかね?。


正直に言って、キルタンサンスは納得出来てはいない。けれど


―――"英雄殺し英雄"の真実は判っていない。


そう口にして、やはり自分の上司に、ネェツアーク某と名前の記されていない英雄について、訊ねなくて良かったと安堵をしていた。


―――状況証拠ばかりで真相がはっきりしないのなら、それで仕方ないですから。

―――それに、ボリジ様にとっては"名前の記されていない英雄"という方は、中々大切な方であったという事も判りました。


多分それはグランドール・マクガフィンとアルセン・パドリックにも当てはまる。

そして、今も共にこのセリサンセウムという国の英雄となっている人達は、親友同士でもある。

それなら、表に出てこない、暦に名前を残せていない英雄達ともそういう深い間柄だとしても、何らおかしくはない。


真実が判らないというのなら、迂闊に入り込んでいい問題でもないという事はキルタンサンスも弁えている。

そんな中でも、"慎重"になれば触れても構わないだろうと思えた事を、尋ねてみたくなった。


―――あの、それでは1つだけ尋ねてもいいでしょうか?。


―――私が答えられる事なら、答えよう。ただ、私が真実を語るどうか保証はせん。

―――それでも構いません、それに"誰も現場にいなかった"と仰っていた事を尋ねようとも思っていません。


許可を貰った事で、キルタンサンスも具体的に浮かんだ疑問を言葉に纏める。


(4人の英雄がこの国にいるとして、2人が出てこない真実を確定は出来ていないけれど、大まかな理由は判った。ただ、それが"何時"だったかは明言されていない)


訊きたいのはそこだった。


―――暦に名前を記されていない英雄と、ネェツアークという方が、表舞台から姿を消すきっかけになった出来事は、一体何時起こったのですか?。


英雄から役割を委ねられた、そこそこ優秀な男は、大方の予想はつける事は出来ていた。

そして、自分と同じ様に"英雄に役割を委ねられた"人の考えが、どのくらい重なる物なのか確かめたかった。


―――ある意味では絶妙なタイミングではあった。


それまで睨む様にしていた蛇の様な眼を伏せ、口にした言葉は、キルタンサンスの予想と重なった。


―――自分の国の英雄が2人消えても、それ程驚かない……というよりは、気にしている状態ではなかった時期でもあった。



―――それまで自分達の胸を占めていた、天災という不安が解消されて、漸く人心地が付いた時期ですね。


"大きな出来事があったとしても、全てを有耶無耶に出来るタイミング"


侵略戦がセリサンセウム王国の大戦の4英雄の活躍で退けた後、起こった天災は国の垣根を超え、世界中が混乱に陥る。


領土を広げると息巻き結束していた国々が、セリサンセウムを諦めると終戦の案を受け入れる程、疲弊している時に起こった天災が及ぼした影響は、甚大となった。


だが、そんな状況でも大戦の勝敗に関係なく、国の政を担う役割となる為政者達は、動かねばならない。

常日頃、(まつりごと)には口を出さないとされている各国の賢者も、事が"世界"となると助言と協力を僅か乍らに出してくれた。


"何とかして、今度はこの天災を乗り越えなければならない"


国々の首脳の呼べる為政者達が集まり、まともに動けるのは侵略を退け、セリサンセウム王国の英雄達で、当然の様に働く事になった。

そして彼等が主体となって調査に行って暫くして、天災は落ち着き、治まり始めた。


―――危険は大いに伴うが、あくまで、先ずは調査だけを行っただけだったのだがな。


眼を細めながら、チューベローズ・ボリジは自分が掌握している"事実"だけで、その時の英雄達の状況を伝えてくれる。


―――人々が不安になっている事もあって、希望となる英雄達の活躍は逐一報じられていた。


原因を突き止めて、しかも英雄ならその災害を止められるかもしれない。

どうか、普通の日常を取り戻して欲しい。

人々は、英雄に(いにしえ)に活躍にして、この世界を救ったとう"旅人"を重ねて祈るような日々だった。


―――ただ、1つ留意して置くべきことがある。

―――何でしょうか。


―――あの"大戦の4英雄"となった若人達は、英雄と認知された当初から、マクガフィンとアルセン・パドリックが表だった行動で、残りの2人の英雄は当人達の意向もあって名前を表に出す事を控えていた。


―――ああ、そうなのですか。


そこはキルタンサンスも知らないけれども、思い当たる情報でもあった。

振り返り思い出してみたなら、主だった情報は紙面であって、活躍の全ては英雄の2文字で表現され、名前やその姿は余り記憶に残っていない。


だが、情報が伝わりにくい状況ながらも、当時のアルセンの整い過ぎた容姿ながらも幼さが残る少年の姿や、グランドールの褐色の大きな身体と大剣を振るう姿は、判り易かった為かそれなり浸透していた。



その旨を話すと、チューベローズは頷いた。


―――軍学校時代は、ネェツアークの方はそれなりに優秀で有名だったが、目立つのを生来好まない奴でもあった。


―――それから、遅れて英雄候補として、パドリックの息子が加わった時は尚一層、裏方に勤めていた。

"パドリックの息子"という表現が、アルセンの事を言っているのだと気がつき、そのような呼び方をすることは、当時"宰相と国の英雄"としての関係以上に、踏み込んだ感情をチューベローズが持っていたのを察する。


(そう言えば、パドリック中将は年齢も年下だから、軍学校自体も遅れて、入ったんだったよな)


キルタンサンス自身は、英雄達より年下で、軍学校に入った頃には、既に英雄候補として活躍し、学校を抜けていた優秀な褐色の大男と、親が"平定の英雄"だった美少年の話なら聞いた事がある。


グランドールとアルセンの仲が当時から、先輩後輩を超えて良かったというのも、彼等が英雄になってから、風の噂程度に聞いていた。


(ボリジ様の言う通り、"目立つ"のを好まない方か……、それとも意図的に避けていたのもあるかもしれない)


それともう1つ、ある事に気が付いた。


ネェツアークを語る際、チューベローズは厳しい面相ながらも僅かに、口調を緩め、言葉も心なしか柔らかくなっていた。

キルタンサンスは、自分のその勘を信じる事で、新たな側面を見つけた気にもなっていた。


(この方は、名前が残っていない英雄を殺したと言っている、"ネェツアーク・サクスフォーン"という人を怒ってもいるのだけれど、認めてもいる)


厳格そうな印象は、不思議と為政者よりも、学校としての"先生"としての与える老人はそこで、息を吐き言葉を切った。


キルタンサンスは自分が勘付いた事で湧いた、ネェツアークとチューベローズの本来の関係を尋ねたい衝動に駆られたが、それを抑える。


それはグランドール・マクガフィンに尋ねるのを止めておこうと気遣うのと同じ物。

尋ねる事で、古傷に触れてしまう。


(後は、自分で暇な時に調べるとしますか)


―――成程、そのネェツアーク殿は元々"目立たない"様にしていたというわけですね。


話を切り上げるつもりでそう口にする。


―――ああ、その"甲斐"があったかどうかは判らないが、その存在が有耶無耶になっても、平和な時世になったなら、英雄という言葉は残っても、その名前は目立つ2人を残して、上がってくる事はなくなった。


ただ天災の"原因"と思われるこの世界の西の最果てにある土地に、英雄が到着したと報告を行ってから、情報操作なども国がしたわけでもないのに、それは自然と"英雄の活躍"があったからだと、世間に広まった。


そして、一般の人々は日常に戻ろうと懸命に動き始める。


英雄達に感謝を十分にして、それまででもあった。

良くも悪くも表に出てこない英雄に関しては、


"英雄になっただけで、それが済んだなら静かに暮らしたいのだろう"

そんな解釈が浸透して、今日(こんにち)まできているという。


―――"英雄殺し"という言葉も、その際に(じか)に関わった経緯のある縁者にしか伝わらない言葉だ。


そこまで言い終えたなら、チューベローズの方も話を切り上げようとしているのが、雰囲気で伝わってくる。

再び椅子に座り、随分と重量のありそうな本を音を立てて手に取り開き、視線を落とした。


―――もし、その言葉を知っている存在がいたなら、王族護衛騎士隊の隊長としては一応気に留めておくと良いと、忠告して置こう。


―――もしかしたら、"今"のネェツアーク・サクスフォーンと縁がある人物かもしれん。


そうして、キルタンサンス・ルピナスの初めての"英雄ネェツアーク・サクスフォーン"との接触は、終わった。




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