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こんにちは!ロドさん!

「……アルスのせんせ違いますか?」

「……どちら様だろうか?」


いきなり、貴族で軍人しか身に付けられない仕立ての軍服から出た、白い手袋を填めた手を掴まれ、ロドリー・マインドは思い切り眉間にシワを作ったのでした。

挿絵(By みてみん)



「カメさんの名前は、"かるまんどーれ"です。

セリサンセウムの王都の商店街で一番の長生きさんです。

良い子です!」



そう言って、しゃがみこんでいるアトの目の前に、結構な大きさの陸ガメがいる。

名前は"カルマンドーレ"といい、餌として与える様にと貰ったレタスを今はアトが千切って差し出したものを、悠然としてモシャモシャと食べている。


因みにその飼い主はダン・リオンという名前で、商店街のパン屋のバロータ爺さんの所で修行中の見習いパン職人であった。

過去に左目を負傷したという元武芸者で、左眼を全体を覆い隠す様な眼帯を身に着け、商店街では、"オッサン兄さん"という愛称で親しまれている、キリリとした眉が印象的な人物である。


ただ、如何せん神出鬼没な御仁であるらしく、大体数日おきに見かけられる事が多い人物でもあった。

そこの所は師匠であるバロータ爺さんも承知しているので、文句は言わない。

現状はそれよりも、結構ないい年になっていても弟子が独り身であることを、パン屋を贔屓にしてくれている巫女の女の子に嘆いている事が多かった。


そんな弟子が"親の代から"飼っていることもあって、アトが餌としてレタスを与えているカルマンドーレという陸ガメは、恐らくはこ王都の城下町では一番の最年長という事で定着する。


そんな"最年長"に敬意を払っているわけではないのだろうけれども、独特な響きが功を奏したのか、名前を覚えるのが困難なアトでも、カルマンドーレは聞いて1度で覚えてしまったのだった。


「……どうして"カルマンドーレ"というややこしい雰囲気の名前をフルネームで覚えられていて、私のロドリー・マインドは、"ロド"さんと省略されて覚えられるのだ」


その餌をあげているアトの背後に、どういう因果関係があってか判らないが"保護者"の様に腕を組んで立っているのが、ロドリー・マインド中将が、大いに名前について不満そうに口にする。


「まあ、色々あるお兄さん……"お兄ちゃん"みたいですから、仕方ないじゃないですか、ロドリー様。

1人にしてはいけないと思ったから、わざわざ保護して、この"アト・ザヘト"というお兄ちゃん、王都では唯一知っているっていう私のお店まで、連れてきてくださったんですよね」


そんな労りの言葉をかけるのは、アトが王都で唯一"知っている!"という店の主人だった。


その店主の声を聞いたなら、アトが残ったレタスを陸ガメが食べやすい大きさに千切ってしまってから、全部その口元ににおいて、立ち上がり、振り返る。



言葉遣いこそ幼児の様な喋り方だったけれども、アト・ザヘトは背の高さは長身の軍人のロドリー・マインドに及ばずとも、その店主の頭を軽く超えていた。



「"まがれっとさん"!、セリサンセウムで一番のお菓子屋さんです!」



"セリサンセウムで一番"という言葉に俄かに、赤面するが敢えて否定をしないで置く。



それは、少しばかり"アトの様な人"について知識があるロドリーが、保護してこちらに連れてき際に、そう忠告した為であった。




『段階を踏んだ"見通し"がつけられない形で、これまでアトの中で確りと固まっている価値観を崩すのは厄介だ。

今回の場合は"まがれっとさんはセリサンセウムで一番のお菓子屋さん"という観念を覆す事は、アト・ザヘトに大きな不安を与えて、パニックを起こさせると思われる。

しかも、本当は"迷子"になっているから不安が募って仕方がない筈なのだが、大好きなお菓子が傍にあり食べられるということ。

それに、一般的には見かけられない珍しいカメを見かけて、それに好奇心を持っている事。

加えて―――私の今日の服装が、もしかしたら"迷子の原因"になっている恐れがあるかもしれないが、パニックを抑える役割も果たしている事もあるかもしれん』


結構極端な例えに聞える話なのかもしれないが、"まがれっとさん"事、マーガレット・カノコユリも、それなりに知識がある為、ロドリーのこの説明を聞いて納得していた。

ただ、最後に付け加えられた内容には、ほんの少しばかり気にかかる所があって思わず尋ね返してしまう。


『ロドリー様の恰好?その本日御召になっている軍服ですか。でも、その軍服は身に着ける条件は"貴族で軍人"であるという珍しい仕様で、王都でも身に着けている方は、極限られているのですよね』


本当は(ダイレクト)に、ロドリーが身に着けている同じ型の軍服を着ている人物に心当たりがあるのだが、その名前を出すと今度はマーガレットの前にいる貴族で軍人が拗れるので、敢えて伏せた表現をした。


『その事に関しても幾許(いくばく)かの、心当たりがあるから、そちらに連絡をしておくので、騒ぎにならない様に、"アト・ザヘト"を保護してこちらに来たのだ』


マーガレットが気を遣って、その人物の名前を出さない事が判っているロドリーは小さく息を吐き出し、

『まがれっとさんのお店!、とっても大きなカメさんもいます!』

と、恐らくは迷子になりながらも、比較的落ち着いているアトの手を菓子店の側で離したのだった。



そもそもロドリーがどうやってアトを"拾った"かと言うと、本日は午前中勤務、昼からは代休をとっており、無事に昼までの勤務を終え、軍の施設を出た時から、出逢いの話は始まる。

昨夜は仕事で午前様の上に、頭部をぶつけてちいさな(こぶ)をつくるという、アクシデントにも遭遇していた。


瘤はともかく短かかった睡眠を補うべく、屋敷に帰って午睡と考えていたが、昼という時間なのでいつもは縁がない店が賑わっているのが、蛇とも良く例えられる眼に入った。


(折角だ、伯母上と、シズクが気に入っているマーガレットの菓子を手土産に帰ろう)


そんな事を考えながら、姿勢よく歩いていると気のせいでなければ、城下街の象徴的な役割をこなす時計台の辺りから、誰かにつけられているを感じた。


(厄介ごとをカノコユリの店に持って行ったなら、"あの娘"にも迷惑がかかるやもしれんな)


マーガレット・カノコユリとは初見となる2月程前の際、途轍もなく深い溝が出来たとロドリー・マインド自身が思っていた。


しかしながら、それは深さはあるけれど、幅自体は相当狭い物だったらしい。

そして、その小さな幅を人知れず埋めたのは、ロドリーが敬愛する伯父であるチューベローズ・ボリジの妻である伯母と乳母のシズクであった。


この事実は情報収集を専門とする部隊ですら、全く気が付かない内に行われていた事で、和解を取り持たれたロドリーとマーガレット自身が、思わず口を丸く開けてしまう出来事であった。

ただ、その溝を埋まった時期は色んな出来事が重なっていて、当人達以外も知らない現状である。


マーガレットとしては初見の際に一緒にいてくれた2人の女性の騎士と、ロドリー・マインド氏が名前を聞いただけで、好敵手(ライバル)視する、美人な貴族には報せておきたいとは思っている。

しかしながら、その方たちは何やら随分と忙しく、出張に西の領地にも赴いたりもしていいて、その機会を得られずにいた。


『焦らずとも、その内に向こうも知る事になるし、その時に正直に伯母上とシズクが取り持ってくれた言えば良い』


溝を埋めた功績は伯母と乳母のお陰であることを、隠そうともしないロドリー・マインドの姿勢に、"プライドが高いだけの貴族"でもないのだと、菓子職人は認識を改める。


―――アルセンとリコとライに、自分の作る"菓子"について相談事し、彼等がリリィの元に行くというので、張り切って作った多数の土産と、1つ特別に作って欲しいと頼まれた菓子を渡して送り出した数日後。


マーガレットの店に、ボリジ夫人から仕事の話が寄越される。

数日前からも"最初の出会いは最悪"に近い物があったのに、焼き菓子の注文があったりしたので、不思議に思っていた矢先でもあった。


"溝を埋める為、是非”

そんな最初は意味が理解できない一筆の手紙と共に、菓子店の一日の収入を超える給金を前払いされ、断る間もなく、菓子を振る舞って欲しいと屋敷に招かれ、ボリジ夫人にと謁見した。


マーガレットが作った菓子をゆっくりと食べながら、初見にあれ程ロドリーが、マーガレットに腹を立てていたのは、自分の仕事に"ケチ"をつけられただけではないのだと、物語を朗読するような落ち着いた声で告げられた。


『ロドリーさんは、私の旦那様のチューベローズ様と血が繋がっていない筈なのだけれど、大切な相手に向ける思いはを表現するのは、とても不器用な所がそっくりなんです。

それに、今回は表沙汰に出来ない事もあったから、尚更貴女にきつい言葉にぶつけてしまったと思います。

それでいて、貴女の怒りを心頭発する様な言葉も仰っていたしまったと話を伺っています。

貴女にそんな言葉を投げかけてしまったのは、ロドリーさんが大切にしたいと思っている、貴女が親友とも思ってくれている、女の子に対する思いが拗れてしまったからだと思います』


そう"伯母"の立場であるボリジ夫人が、マーガレットも"親友"だと思っている強気な目元の女の子が危険に巻き込まれる事を、甥であるロドリーも何よりも危惧している事をしらされた。



そして、ボリジ夫人は、親友の女の子の出自を知る立場にもなっているマーガレットに、ロドリーが、親友である女の子―――巫女のリリィを、守ろうとしている気持ちの背景を語る。

その話を聞いた時、自分が冷静ではなかったとしてもやってしまった事で、ロドリーが自分と同じか、それ以上に"リリィが人攫いに襲われた"という話に、どれ程心配したかも、あれ程激昂した気持ちが十分理解できた。


『そこで、ロドリー坊ちゃまの良き好敵手も登場したので、話はさらに拗れた具合になった様だと、クロッカス様が護衛騎士様達から伺った仰っていました、奥様』


元はロドリーの乳母で現在は、侍女をしているという異国の風貌をしたシズクが、更にそんな話を付け加えると、ボリジ夫人は嬉しそうに微笑んだ。


『2人は昔から好敵手で仲良しだから、仕方ないわね。でも、そのお陰でロドリーさんは、軍の定期訓練や記録会にも張り合いが出るみたいだから、それはいいことよね、シズクさん?』


『ええ、アルセン様もロドリー坊ちゃんも、切磋琢磨できる素晴らしい御関係です奥様』

シズクも満面の笑みを浮かべ、優しさに満ち溢れている雰囲気に


『……そうなんですね』

"何かとてつもなく、違う様な気がする"

と心で思いながらも、菓子職人としてもそうだが商売人としての心得も十分成長していた、マーガレット・カノコユリは涼しい笑顔で話を合わせていた。


最悪にも思えた初見の時、マーガレットは確かに激昂に怯えていたけれども、アルセンの登場にロドリーが必要以上に意識していたのは、直ぐに判った。


だが、この2人の婦人が思っている様な物とは、友情という方向性が違うとも思えたが、あくまでも現状は"客人ともてなす菓子職人"でしかないので、余計な事は口にしない。

しかしながら、自分を招き、溝を埋める話をてくれた2人の婦人に大いに感謝をする。


もし、この事がなかったなら、生涯誤解をしていたかもしれないと言っても、過言でもなかった。

それからはボリジ邸に招かれる事はないが、注文も増え、それを届ける時間が店が終わってからなる事もあって、仕事帰りにロドリーを見かけた時に、挨拶を交わすぐらいになる。


それに、どういう経緯なのかは知らないが、心配しているだろうと"リリィの安否"も詳しく話してくれる。

マーガレットが小さな親友を気にしているのは、ロドリーも判ってはいるだろうが、リリィの出自を考えたなら、その情報は機密級の扱いを受けてもいいと思えたけれども、彼が"関われる場所"にいるとしたら、知っている事も納得できた。




―――そんな機密情報を、互いに共有しても良いと思える程、菓子職人を信頼をしているのに自分の後を付き纏う存在を、連れて行くまいとロドリーが足を止めた瞬間、


『……アルスのせんせ違いますか?』

と、思い切り手を掴まれていた。


(アルス……の"せんせ"だと!?)


直にあった事はないのだが、その名前を持つ少年の情報は十分に持っていた。

ただ、ロドリーにしたなら、アルスの"せんせ"の方にどうしても意識が向いてしまい、ついでに眉間に縦シワを作るが、同時に自分の手を掴んで、安心した表情を浮かべる少年が気にもなる。


この自分に信頼しきった態度と向けるまなざしに、少しばかり覚えがあった。

全く同じではないけれど、似ている、"同じ(カテゴリー)だ"と、経験者として断言が出来る。


(いや、"そうだとしても"そんな事よりも前に―――)


『……どちら様だろうか?』

いきなり手を掴まれて、訳の分からない言葉を口にされた時にされた"正しい反応"をしながらも、往来の邪魔にならない様に、掴まれた手を降ろしたが、離さないまま、道の端に移動をしていた。


相手の少年も、素直についてくるが、首を傾げながら"どちらさま?"とロドリーが発した言葉を鸚鵡(おうむ)返しをしている。


(言葉の意味を理解出来ていない、というよりは"難し過ぎた"か)


『"名前を教えてください"』

『……!、"ボクはアト・ザヘトです。16才です"』

今度の質問の意味は直ぐに意味が判ったのか、安心した表情に笑顔を加えて浮かべて素直に答えた。


(アト、"ザヘト"……、この少年、ロブロウでの関係者か)


西の果ての領地で起きた出来事の、詳細な情報をまだロドリーは聞いてはいないが、主要な"登場人物"については名前は話を聞いており、その中に複数"ザヘト"の姓を持っている者がいた。


(……それで"ザヘト"の姓で最も注目するべきことは)


『アト、"銃"を持っていますか?』

『はい!持っています!』

確認の為に尋ねたのなら、また"自分が判る事"を尋ねられて嬉しいのか、素直に返事をし自分の胸元を"アト・ザヘト"はポンポンと叩く。


可愛らしいデザインのベストに見えたけれども、その叩いた場所の生地の下に"硬い"形が浮き上がって見える。

軍学校の資料でしかないが、その形と大きさは把握している。


(さて、それでは)

『……アトはどうして、ここにいるのですか?』


『アトは王都に、シュト兄とアプリコット様と、シノちゃんと来ました。

シノちゃんが近道を教えてくれて、"思ったより早くついた"とアプリコット様は言っていました。

アトは、まがれっとさんのお店のチラシを見つけました、拾いました』


そう言ったなら、器用にロドリーと手をつないだまま、肩から斜め掛けにしている、白い麻のカバンをゴソゴソとし始める。


『これ、アトのバックです。

大好きな執事のロックさんが、アトに作ってくれました。

ロックさん、遠い所に"旅立ち"をしました。

長い間、会う事が出来ません、でも、バックの中に色んな沢山の物が入ります。

だから、寂しくありません。

チラシを、この中にしまいました』


一文一文をアトに出来る簡潔な説明は、ロドリーが軽く知っているロブロウの情報と、最後のチラシ以外は全て合致していた。


『……そうか』

そしてその事よりも、アトの会話で、この少年の抱えているだろう症状についても考えを巡らせていた。


"視界に入ってくる物や、存在のを、頭に貯蔵(ストック)している自分の情報として結び付けて、言葉に出しているの。

私達も、重要なことや失敗したくない時、指さし声出し点検をするでしょう?。

それと同じ様なことなのよ。

そして、確認したなら周りに間違って迷惑をかけることもない。

自分の為でもあるけれど、コミュニケーションを取って入る相手に迷惑をかけない様にしていることでもあるの。

ただ、そのいちいち言葉に出すやり方を、馬鹿にするのではなくて、感性的に合わないと思う方もいるかもしれない。

そこは、一般的なコミュニケーションの感覚の違いで、「合わない」と考えれば済むところなのかもね"


過去に尊敬する人が、一生懸命に考えながらその症状について、ロドリーに説明してくれた事。

"普通"なら、アト位の年齢の少年が行うには幼過ぎる、奇行として見える行動と言動ではある。


けれども、もしロドリーが予想している症状が正解なら、その行動にはそれなりの理由があり、"周りに迷惑をかけずに自分の情報を整理している"だけであって、"彼女"が言っていたように馬鹿にする事では、決してない。

手を繋いだまま、アトがチラシを差し出して、ロドリーが受け取りみたなら、確かに最近マーガレットの店で扱いを始めたマドレーヌのチラシだった。


『アトはそれ拾ったら、シュト兄や、アプリコット様、シノちゃんはいなくなっていました。

アトは困りました、迷子なりました。

シュト兄が、迷子になったなら、大きな声でシュト兄の名前を呼べと言われていました』


『……どうして、"シュト兄"の名前を呼ばなかった?』

すると再びにっこり笑って、アトは元気よく口を開く。


『"アルスのせんせ"が、ロブロウで教えてくれました。

王都の城下町で迷子になったら、アルスやアルスのせんせ―みたいな服を着た人に、「迷子になりました、保護してください」と言えば、大丈夫。

アト、アルスのせんせの服を見つけました、追いかけました。

それに、アトは身体の大きいお兄さんだから、大きい声を出したなら驚く人がいます。

だから、大きな声は最後にしましょう言われました』



『そうだな、アト・ザヘトは大きいお兄さんだから、大きい声を出したなら驚く人はいる』

アトはが教えられた事を忠実に守っている事を認めながら、何とも言えない"怒り"と共に、自分の眉間に力が入るのを止められない。


(おのれ、アルセン・パドリック)


今、自分がこのような状況にあるのは、結果的にアルセン・パドリックという、軍の階級や年齢も変わらない人物の"発言"の為であると判明する。


(どこまで、私を翻弄する!)


"嫌ですねえ、結果論で私に文句も言われても。それに、迷子を保護するのは国の軍人、兵士として当たり前の行動でしょう?"


頭の中で文句を言ったなら、想像でありながらも憎らしい程覚えている綺麗な顔で鼻で笑われながら、正論の反論をされる。


そしてその怒りの為に、眉間の縦シワを刻めるだけ深くしたならば、その為に皮膚が伸びたのか頭部に出来た"コブ"に繋がった。


『痛っ』

それよって引き起こされたのは予想外に強い痛みで、ロドリーは思わず声を漏らした。


『……!、痛いですか?!えっと、アルスのせんせの』

『―――"ロドリー・マインド"、私の名前はロドリーだ。"アルスのせんせー"は止めなさい』


これ以上"好敵手"を連想される単語を耳に入れるのも嫌だったので、自分の名前を口にして、コブが出来ている場所に、チラシを持ったまま手をそちらに手を伸ばした。

オールバックにあげている髪では全く目立たないが、どうやら少しばかり腫れているらしい。


(こんなに痛みが長引くなら、あの時スタイナー卿の進める治癒術を拒むのではなかった。

それに、思えばこのコブの原因も、新入りというシノの失態に、隊長に性格がそっくりだという、このアト・ザヘトと共に、王都にやって来たというアプリコット某の、ふざけた手紙の為だ)

痛むと判っていながらも、思い出して更に眉間にシワを作ってしまう。


『はい、止めます、"お兄さん"は"ロドさん"です!』


するとそのロドリーの表情に驚いているのもあるが、"アルスのせんせ―"はやはり"アルセン様"としての"拘り"を持ってもいるアトは、直ぐに目の前に人物の名前を覚える。


ただやはりフルネームで覚えるのは苦手で、短くして覚え口に出したが、ロドリー・マインドはそこまで拘らず、更に三十路を超えてから"お兄さん"と、呼ばれた事に小さくではあるが動揺する。


『……ロドさん、頭が痛いですか?』

チラシを持ったままロドリーが手を伸ばしている場所に、アトも流石に気が付いて尋ねたなら、先程起きた小さな動揺を抑えるのも兼ねて、息を吐き出し応える。


『ああ、少しな。昨夜ぶつけた』


"この子どもの前で、繕って強がっても無意味だ"


そんな風に自然に思え、正直に痛みの事を述べたら、再びアトは白い麻のカバンを片手でゴソゴソと漁り始める。


『アト、傷薬持ってます、ロックさんが作ってくれました。使ってください』


"それは、”アトが大切な時に使ってください”


"シュト兄"から昨日、宿場街で言われた事を合わせて思い出しながら、迷子になったのを助けてくれようとする"ロドさん"を助けるのが、大切な時だと信じ、アトが薬を取り出し、差し出した。


薬は大きな"貝"の形をした容器に入っていて、ロドリーの鼻先に突きつける様に差し出され、いつもは"蛇のようだ"と例えられ、人によっては避けられもする眼を丸くした後に、苦笑いを浮かべる。


『ありがとう……それなら、取りあえず、アトの知っている場所に移動しよう。知っている場所は―――』

アトの直向きな言葉に、いつもは厳めしい面構えで冷徹な言葉ばかりを吐き出してばかりいる軍人も、少しばかり気持ちが(ほだ)される。


『"まがれっとさんのお店"です!』

だが、絆される余韻を味わうと表現するべきなのかはわからないが、それを終えない内にアトの顔からは"ロドさんの心配"より"まがれっとさんのお菓子"という、自分の気持ちに正直すぎる感情に溢れていた。


そういった"症状"もあるものだと―――、"切り替えの早さ"に心が付いて行けない時もあるものだと判っていながらも、アトに薬をしまう様に指示し、ロドリーはアトと手を繋ぎマーガレットの店まで連れて行ったのだった。

そして店についた頃、"本日は仕入れの関係でパン屋を休むから、カルマンドーレの餌を頼む"とレタスを託されたマーガレットが、昼の中休みでもって店先に出て、陸ガメを捜していた。


『あら……へ?』

三十路を超えた軍服姿の貴族に、背の高さは結構ある少年が連れ立って歩いている事に驚いたが、よくよく見て見れば、手も繋いでいた。


どういった理由と関係と状況で、手を繋いでいるのかが本当に分からなくて、菓子職人はすこしばかり呆然としていると、足元に何かしらの気配を感じて視線を降ろす。


『きゃ?!、カルマンドーレ、何時の間に?』

ロドリーと知らないお兄さんが手を繋いでいる姿にも驚いたものだが、飼い主の性格によく似た"神出鬼没"の巨大な陸ガメが何時の間にか足元に、のっそりと姿を現していた事には声を出して驚いた。


レタスを抱えて驚いていたなら、今度はロドリーの手を引っ張る形で見た事がないお兄さんが走り出して、マーガレットの目の前にまでやって来ていた。


『大きなカメさん!、カッコイイです!』

そして巨大な陸ガメに憧れの視線を注ぎながら、背の高さの割りに幼い印象を与える姿見を裏切らない口調で、ロドリーと手を繋ぐ、名前も知らないお兄さんもは喋る。


『ロドリー様に……そちらのお兄さんは?』

『"迷子"だ』

マーガレットが尋ねたならロドリーが簡潔に応え、迷子の名前と恐らく担っている症状と、これからの事を口に出して説明した後、ロドリーは状況的に大丈夫だろうと手を離す。


迷子―――アトがカメのカルマンドーレに興味を持っているのが、良く判ったので、ロドリーから聞いた忠告を参考に、"餌を上げてみますか?"とマーガレットが尋ねたなら、"はい!"と返事をする。

ただ、それから直ぐにそれから"見た事がないお姉さん"にアトは首を傾げる。


『お姉さんは、お名前は何ですか?』

『私はマーガレット・カノコユリ、このお店のーーー、アトさんが"知っている"、そのロドリー様が持っていらっしゃるチラシに載っている、お店の人です』


ロドリーの説明と、これまでの経験でアトの様な症状を担っている接し方を結構弁えているマーガレットが自己紹介をする。


『"まがれっと"さんですか』

アトの方は、"美味しいお菓子を作る人"出逢えたことに、俄かに興奮する。

ただ、側に興味のある陸ガメもいるので、どちらに気持を集中させていいのかが分からない状態にもなる。


『取りあえず、アトさんはそのカメさん……名前は"カルマンドーレ"と言います。最初にカルマンドーレのにお昼ごはんになる、レタスを上げてもらえますか?。次に、マーガレットがお菓子の準備をしておきますから』

『はい、わかりました!アトが"かるまんどーれ"のごはんを上げます』


それから、マーガレットがアトにカルマンドーレが食べやすい様にとレタスを適当に千切り、餌を与える要領を丁寧に教えていた。


ロドリーはその間に胸元に手を入れて、白い洋紙を取り出し、マーガレットの店の入り口の扉の硝子を"台"にして、何やら素早く記し、その紙を折る。


『やれやれ、昨日はあの娘の元から極力離れたくないからと、"屋敷"から出ずに済む様に配慮したのに。結局、こちらに出向いて貰わないといけない事になるとはな』


―――明日はリリィとアルス君は久しぶりに王都の城下町に行くんだよ~。

―――ちょっと王族護衛騎士隊のライヴ・ティンパニー女史に、届け物をしてもらいたくてね~。

―――だから、ワシもキングスと朝はまったりした後に、屋敷で昼寝を楽しもうってね~。


昨日ロドリーが、頭を天井にぶつけた後に、仕立屋の膝枕の上で、そんな事を不貞不貞しく言っていた上司に向けて、"紙飛行機"を飛ばした。

それから"カルマンドーレ"という名前を一度で覚えたのに対し、自分の名前を略された事にロドリーが憮然としているうちに、アトの餌やりは終了して、立ち上がる。


「"まがれっとさん"!、セリサンセウムで一番のお菓子屋さんです!」


その言葉に赤面しながらも、ロドリーの忠告通りに"迷子のお兄ちゃん"を刺激しない様にマーガレットは言葉を敢えて訂正をせず、照れ笑いを浮かべながら、ロドリーに語り掛ける。


「それに、ほら、私は"マーガレット"なのに、"まがれっと"さんですから。

子どもは、動物の名前は好きだし、カルマンドーレは陸ガメで珍しいですから、一度で覚えられたんですよ。

それに確か、花屋のサザンカさんの所の、アルバイトの"ロップ"さんも、人の名前を覚える事が苦手で、コツがあるとご友人である方に話を聞いた事がありますから」


アトの症状とよく似た貴人の偽名をマーガレットが出した時、"グうううう"というそれは見事な腹のなる音がした。


ロドリーもマーガレットも腹を鳴らしたアト・ザヘトの方を見るとちっとも恥ずかしがる様子もなく、腹を押さえていた。



「アト、お腹が空きました、お昼ご飯をまだ食べていません。


まがれっとさん、チョコレート買わせてください」



「え、でも、ご飯を―――昼食をまだ食べてはいないのですよね?」


菓子職人が尋ねると、返事はせず、気まずい表情を浮かべたなら、肩から下げている"大好きな執事のロックさんが、アトに作ってくれた"白い麻のバックに手を突っ込んだ。



「アトね、お金持ってます。ロブロウ出る前に、御館さまに"おきゅうきん"、マーサさん、クラベルさんからおこずかいも貰いました。

"おでかけの時"はアトは、銅貨3枚で好きなもの買えます、だから、まがれっとさんのお店のチョコレート買います」


「だが、アト・ザヘト。君は昼食を取ってはいないのだろう?」

今度はロドリー・マインドが、フルネームで名前を呼び厳しい"教官"の口調で尋ねた。


アトは"軍人"というものを正確に理解は出来ない。

けれども、オールバックに髪をかき上げている姿勢の良いその姿は不思議と、少年の人生の中で逆らえない"せんせー"と読んでいる存在を感じさせて、今度は素直に返事をする。


「はい、ご飯をまだ食べていません。アトはお腹かが、空きました。お菓子を食べたいです」


それでも希望を込めたその返答に、ロドリー・マインドは腕を組み、自分より幾分か背の低い少年を、蛇と例えられる眼で見つめると、アトは眼に見えて項垂れる。


「マーガレット、こういう場合はお菓子を与えるにしても、食事が済んでからが常套だな?」

「はい、ロップさんの場合も、ご飯をちゃんと食べた御褒美に、召し上がられるようになさっています」


アト・ザヘトにとって、ロドリー・マインドとマーガレット・カノコユリに、初めてきた王都で迷子になって、保護してもらったのは、奇跡と呼べるくらい僥倖といっても過言ではない。

例え普通の16才だとしても、初めてきた場所で迷子でないにしても、仲間とはぐれたなら、幾ら治安のよい王都でも1人で行動することは、微かな危険と不安はあると思う。


ただ、もしそれが時間が昼時で、ある程度自由に出来るお金があったなら、昼食はバランスも考えもせずに、自分の食べる位の自由は許されるだろう。

しかしながら、 保護された上にアトが抱えている症状について、詳しい2人は"アトのワガママ"をについては寛容ではなかった。


「うう、お菓子はご飯の後にします……」


アトは直ぐにお菓子は食べれないと観念したのか、白い麻のバックに入れてある自分の財布を取り出すのを諦めて、先生を含めて菓子職人が話す内容に注目を始める。

その視線を受け、保護した立場としてロドリーとマーガレットが視線を交え、困った表情を浮かべ、先にロドリーの方が口を開いた。


「食事とはいっても、私も帰ってから、適当に食べるつもりだったからな。

伯母上とシズクに土産を買いに、こちらには来るつもりではあったけれど、食事の事までは考えていなかった」


ロドリーは一食抜くぐらいは平気だが、アトは空腹である事に、それ程堪え性がないのは先程からのやり取りから判明している。

このまま近くの商店街の飲食店の方にに連れて行けばいいかもしれないが、今は昼時であるので込んでおり、また逸れてしまったなら厄介である。


「それに、アト・ザヘトについての待ち合わせの場所については、マーガレットの店を指定してしまった」

あの不貞不貞しい自分の上司が直ぐには来ないだろうが、万が一にもすれ違いは、避けたい。


「仕方ない。私が適当に食事の持ち帰りを買ってくるから、マーガレット、昼の休憩の間、場所を貸してくれないか?。勿論、お前の分の昼食代もこちらが出そう」

ロドリーがそう提案すると、マーガレットが少しばかり考えた後に、意見をする。


「あの、それでしたら、一緒に召し上がりませんか?。

実は、パンをバロータさんから沢山いただいたのと、レタスも自宅用のもあるし、ハムもありますから、サンドイッチを数日分纏めて作るつもりでしたから。出来れば早めに使ってしまいたいんです。

それで汁物は、美味しいって評判の"ココノツ"さんの所に鍋を持って行けば、そのまま売ってくれます。

軽い昼食で構わないのでしたら、それで充分ではないでしょうか。

食事のバランスも取れているでしょうし」


「成程、マーガレットなりに献立の予定を立てていたなら、それに付き合わせて貰おう。それでは、その汁物屋の代金は私がだそう。鍋を貸してくれ、私が買ってこよう」


マーガレットが立てていた予定があるのなら、それを邪魔をしては悪いだろうと思い、賛同する。


「いえ、私が行きます。ロドリー様は軍服ですし、私とアト君で残ったら、お菓子くださいって言われたなら、甘やかしてしまいそうで。

それに美味しいって、評判なので、明日の朝の分まで買っておきたいんです。

"独り暮らし"だと、自分の分だけ作るのもコストが悪くて。

あ、ちゃんと夜と朝のスープの料金は自分で出しますから、安心してくださいね」


「そういう事なら、そこは気にせずに、買いなさい。こちらも店を待ち合わせの場所として使わせもらうのだから」


さらに語られるマーガレットにの予定に、ロドリーにしては珍しくごく自然の笑みを浮かべて、懐から財布を取り出し、小金貨を差し出した。


「独り暮らしだと、健康を保持できれば良いと、食い合わせはともかく、栄養のバランスしか考えないからな。こういった時ぐらい、旨くて栄養がある物を取りなさい」


その言葉に、今度は笑顔を浮かべて、礼を述べて代金を受け取りマーガレットは丁寧なお辞儀をした。

過去に短い期間ではあるけれど、ロドリーも1人暮らしを行った経験があるので、食事の煩わしさはそれなりに知っている。

同じ様に、纏めて日持ちする食べ物を作ったり買ったりする事はよくあったので、懐かしむ気持ちも込みでの代金だった。


「それじゃあ、鍋を取りに行きますから、店の中に入って待っていてください」

笑顔を浮かべながら、マーガレットが自分の店の中に向かう。


「お店は入ってもいいですか?」

アトが確認すると、ロドリーを見るので頷いたので、表情を明るくして菓子職人の後ろについて行く。

店の扉には"昼休憩"という小さな木の看板が、かかっていて、午後の営業再開までは結構な時間の余裕があった。



多分、先程不貞不貞しい上司に向かって飛ばした魔法の紙飛行機への返答も、菓子店の営業再開までに十分間に合うと思える。

店の扉が開いたなら、菓子店だけあって"甘い"芳香が鼻を(くすぐ)り、すぐに、カウンターも兼ねるガラスのショーケースがあって、その中に生菓子が飾られている。


この一月の月周りで、数度伯母のエスコート役として店に付き合った事があるので、店内の事はそれなり判っていた。

店内にはもう一か所スペースがあり、そこでは購入したケーキが直ぐに食べれるように丸テーブルと椅子が、3組程ある。


「あちらにかけて、お待ちください」

「……ケーキ、チョコレート」


マーガレットがそう声をかけたけれど、甘い匂いとショーケースから見える、代表的なこの店の菓子にアトが思わず言葉を漏らしたのは、仕方がないのかもしれない。


「帰って来てから、確りご飯を食べたなら、サービスをしますからね」

「はい!良い子で待っています!」


恐らく、常日頃"良い子で待っていなさい"といった言葉を、かけられているのがアトの言葉から伺えて、マーガレットは微笑んで店の奥に1度姿を消した。


ロドリーの方は、既にテーブル席の方に移動をしていて、慣れた手つきでセルフサービスになっているアイスコーヒーを継いでいた。


「……アト、コーヒーは飲めるか?」

「アトは、甘いコーヒー牛乳しか飲めません」


自分の物を用意しつつ、いつも一緒に伯母や乳母に飲み物を出す要領で、アトに尋ねたなら、そう返事を返される。


「そうか、じゃあ、食事前だから甘いものは控えて、アトは麦茶にしておこう。それから、こちらに座っておきなさい」


アイスコーヒーの横に置かれている冷えた麦茶注いで、椅子に腰かけて、店の窓から景色を眺める。

本日はしまっているが、斜向かいのパン屋が良く見えた。



(今日は思わぬ形で、ここに来ることになった)


そんな事を考えながらも、視界に入ってくる"パン屋"に連なって思い出すことは、3年前に痛々しい姿で"伯父"の立場となる賢者に引き取られた、女の子だった。


時間はかかったけれども、今はすっかり回復して今視界に入っているパン屋に3日と置かずに姿を出していたらしい。

ロブロウに赴いていた間は、暫く見せなくなったが、本日からは王都の城下街にも、来ている。

ただ、ロドリー自身は一度も直にその少女の姿を見てはいない。



「―――サンドイッチも、既に作ってある分がありますから、良かったら、摘まんでいて下さい」


考えている内に、そんな事を口にしながらマーガレットが片手に大皿に載せたサンドイッチと、もう一方に空の鍋を手にして姿を現した。


「アトさん……ああ、でも私より、年下だから"君"でいいかしら。

留守番をしていてくださいね、お茶も、お好きにどうぞ。

それでは行ってきます」


普段は優しい大人しい雰囲気ではあるけれど、動き出したら見た目からは想像しにくい機敏な動きでマーガレットは、鍋を片手に店から出て行った。


「まがれっとさん、行ってらっしゃい」


アトがまるで見送るお手本の様に、手を振って送り出すのを眺める。


(普通なら迷子なら、パニックになってもおかしくもないのに、こうやって落ち着いてくれているのは有り難い。

それ程、マーガレットのお菓子が食べれるというのが、楽しみなんだろう。

だが、多分、保護者となる兄や、ロブロウから同行しているという、元領主も探してはいると思うのだが、何も動いていないというのも不思議だな。

もしかしたら、何かしら騒ぎになるの防ぐ手立てを、隊長殿は行っているかもしれない。

何しろ、"王妃様になるかもしれない"人の同行者だからな)

そんな事を考えながら、ロドリーが再び視線を外に向けた。


マーガレットやパン屋のバロータが店を開いている地域は、今は店側が"昼食の休憩時"という事もあって、賑わう時間に比べたなら随分と人通りは少ない。


どちらかと言えば、この一体が賑わうのは家事の一段落した昼前と、そして昼食の休憩を終えた、夕飯の材料や明日の朝食を求めるといった形で訪れる客人が多いと、話に聞いていた。


マーガレットの店は、昼休みを除いたなら満遍なく客は訪れている様子で、ショーケースの中に見える菓子でも、人気の品物はもう残りが少なかった。


(昼から、焼き菓子は追加すると前に言っていたから、土産には出来るな。まあ、その前にアトを保護者に引き渡さないといけないが)


そんな事を考えていたなら、不意にロドリーの視界をそのアトが佇む事で遮られる。


「どうした、アト。お腹が空いたなら、マーガレットはサンドイッチの食べていてもいいと、言われただろう」


喋る言葉や、振る舞いは幼いけれど、身長に関しては十分成人男性に及んでいる少年は、椅子に座っているロドリーを見下ろす形で見つめていた。


(……私を見てはいるのだろうが、何か興味がある物があったか?。迷子のきっかけになった、軍服を見ているわけでもない)


ただ、その視線は自分の顔も見ているわけではないと、その面差しで気がつく。


「アト?どうしたんだ?」

再び尋ねたなら、相変わらずロドリーの身体の一部を眺めながら口を開く。


「……ロドさん、頭、痛いのどこですか?。ロドさん、薬塗るのは"アトの知っている場所に移動しよう"言いました。

まがれっとさんの店に移動しました、薬をぬりましょう」


そう言いながら、アトが白い麻のカバンを漁り始め、ロドリーは暫く口を丸くして、固まっていたが、それから肩を揺らし、久しぶりに声を出して笑う。

笑ったなら皮膚が延びて、打ち付けた部分の痛みが再びきたが、構わず笑い続けた。


「ロドさん?、笑っています、痛くなくなりましたか?」

カバンから、今度は比較的早く"ロックさんからの薬"を取り出したアトが、笑い始めたロドリーに首を傾げながら尋ねたなら、オールバックにしている髪が降りるのも構わず頭を左右に振るった。


「いや、痛いから、有りがたく使わせてもらおう」

先程まで、王都に来る前から楽しみしていたマーガレットの菓子に、空腹の為にお小遣いを使って、ワガママでお菓子を食べようとまでしていた。


(すっかり、忘れていると思っていたのにな)

出逢ったばかりの自分が口にした痛みの事を覚え、心配しているのが有り難くも不思議で笑ってしまう。


「薬を貸してくれ、自分で塗ろう」

何とか笑いを治めて、ロドリーが手を伸ばすと取り出した薬を、アトは持ち上げる。



「ダメです、アトが塗ります」

「だが、頭で髪があるから痛い所は、判りづらいだろう?」

「痛い所、おしえてください!」

まるで小さな子供の様に、またはリスが頬袋を脹らませるように顔を丸くして、そんな事を言う。


(兄弟、"弟"という存在は、こういったものだろうか)

驚くほど素直なようでいて、いきなりとても頑な感情を向けられる。


(もし、本当の兄妹ならここは感情的になって叱り飛ばすのか、それとも年下の弟に聞き入れられるような言葉を口にするべきなのか)


少しばかり考え、"回り諄い"と思いながらも、アトにも伝わるだろう説得の言葉を口にする。


「じゃあ、お手本になる場所にそこに薬をつけるから、アトがそこに塗ってくれ。

それとも、アトは"ロドさん"の頭の痛い場所が直ぐに判るかな?」


「わかりません、つけてください、それでアトが塗ります」

ロドリーの言葉に納得をして、貝の器に入った"ロックさんの薬"をアトは差し出した。


「ありがとう、じゃあ、かります―――と、その前に手袋を外すから、待ってくれ」

「はい、待ちます」

ロドリーが"貴族で軍人"という立場の為に、常時身に着ける規則となっている白い手袋を外す。


「ロドさんは、"指輪"をしていないのですか?」

アトが見つめ口にしているのが、手袋を外した自分の左手だと気が付いて、小さく鼻から息を吐く。


「ああ、私にはこの場所に指輪を填めるような意味での大切な人はいないんでな―――」

正直にそう答えながら、ある疑問に辿り着く。


"ロドリー・マインド"と同じ様式で、現在この貴族で軍服の様式(スタイル)で身につけられているのは、極々限られている。


そして、自分とほぼ同じ条件の人物でアト・ザヘトが接近している人物は、幾ら考えても1人しか思い当たらない。


(アトが、"こういった質問をする"という事は、多分以前に、私と同じ様な格好をしている存在が左手の薬指に指輪をしているのを、知る機会があったからだとは思うのだが)


「"大切な人"が出来たら、ここに指輪をするのですか?」


考え込むロドリーが色々と尋ねる前に、アトの方から左の薬指の付け根を指挿された。


「ああ、まあ、一般的にはそう言われている」


(……何にせよ、"この子"を質問攻めにしてまで、聞き出す事でもないし、相手がいようがいまいが、"そこの所"は、私には関係のない事だ)


「アト、シュト兄、大切な人です。アトもシュト兄も、指輪つけないといけません?」

そして、アトの方も"指輪"に関しては、填める填めないではなくて"大切"という言葉の方が、重要な意味をもった様だった。


今も"大切?指輪いる?"と口にしながら、右手に"ロックさんの薬"を持ち替えて、何もつけていない自分の指を広げて、左手を見つめる。


「―――いや、大体ここにつける指輪は、贈り物として貰った物をつける場所だ。

それで、贈る相手も、貰う人も家族ではない、それでいて"大切"な人から貰った指輪だ」


「……家族ではない、大切な人からもらう、"指輪"をつけるところですか?。友だち?ですか?」


「最初は友達かもしれないが、友だち以上に大切に思える相手に―――」


"恋人"という例えを使おうとして止めた。


(これ以上、アトに説明するのは、私にはとても難しい)







『ねえ、この子は"恋"の意味は分かるの?』


強気な目元の、髪も眼も紅い、"あの人"の妹が、かつてアトの症状とよく似た、今はこの国では"法王"という立場になった少年を指さし、"ウサギの姿をした賢者"にかつて尋ねた。


『それはワシにも、わからない。

でも、"好き"や"大切にしたい"って心は―――気持ちは、ちゃんと持っている』

"好き"や、"大切"という部分をあっさりと認めながらも、"恋"に関しては、随分と難色を示し、肯定は最後までしなかった。


『じゃあ結局、この子は"恋"は判らないの?』

自分と手を繋ぐ、薄紅色のフワフワとした髪をした綺麗な顔に柔和な笑顔を浮かべる少年を見つめながら、残念そうに口にする。


『ワシの知る限り、こういった症状を持った方々が、"恋"という気持ちを理解していたという研究報告は聞いてはいないねえ。

ただ報告がないだけで、"判らない"と決めつけるのもなんだと思うけれどもね』


紅い髪と瞳の女の子が否定的に確認するのを、ウサギの姿になっている賢者は今度は否定する事に難色を示していた。


『何よ、結局オッサンがよく言う"可能性があるなら、出来るだけ諦めない"って奴なわけ?』

『そういう事だね~』

強気な目元の女性は、ウサギの姿になってしまった賢者の伝えたい気持ちをそれとなく、拾い読み、確認したなら、あっさり認められて、軽く呆れて笑っていた。


『でも、確かに"好き"や"大切"も判っているのに、"恋"が判らないのは、勿体ないわねえ』

『そう思うだろう?、それで思うんだがだったら、"ミュゲ"が、わかる様に挑戦してみてはどうだい?』


当時のロドリーは"姉"の様に思い、尊敬していた人を喪ったショックとその原因となった存在を監視しと、それでいて国最高峰の賢者となったその身が体調が万全でないので、護衛として側にいた。

同時に、その姉の様に思っていた人が、懸命に探していた妹が見つかり、何の因果か"姉"と同じ仕事を志している事に、複雑ながらも最終的には喜び、見守る形でやはり、側で見ていた。


『そんなの事で"恋"って始めるものなの?。でも、恋する相手が"ロップ"―――”ロッツ”なら、いいかもね。良い子だから』

不思議と、前に世話をしていた"姉"以上に、やがて法王になると言われていた人は、その妹に懐いた。


そして、最終的に"恋"という物を、本当に紆余曲折と例える様な出来事があって、アトの様な症状の持ち主の標本(サンプル)ともいえる人は"判った"と、ロドリーは信じている。

けれど、わかった後に待っていた出来事は、"知らなければ良かった"様な現実だった。



「―――友だちいじょう?友だちの上は、"しんゆう"だと、前に絵本でよみました」

アトの声で本格的に意識を戻されてたロドリーは結局、微笑みを浮かべ誤魔化した。


「アトが読む絵本には、親友という言葉も載っているのか」

誤魔化しの微笑みながらも、アトが口にするには難しくも感じる言葉に感心しながら返事をした。


「"しんゆう"は難しい言葉ですか?」

「そうだな、子どもの頃は精々"友だち"で、お兄さんお姉さんになったなら、使う言葉だ」


ロドリーが、尊敬する伯父夫妻が随分な読書家で、特に伯母のボリジ夫人は国の教育を携わる機関から、幼い子どもに読み聞かせに際して、本を選定する役割を貴族の役職として担っていた。


いつも控えめで自己主張などしない伯母も、この与えられた役割には矜持を持っているのは、幼い時分に読み聞かせをしてもらっている時から、甥として十分に感じていた。


その経緯もあって、成長に合わせた物語の内容や、使われる文章の長さや言葉の種類に、ロドリーもそれなりに堪能に育った。

アトの心はロドリーが見る限り、その成長は5、6才位に感じられ、"しんゆう"は(いささ)か難しい様な気がしないでもない。


(だが、アトは心は幼いかもしれないが"銃"の1丁は扱え、整備も含めて任せられている)



一般的な16才として日常を送るには、頼りないはあるが、傭兵"銃の兄弟"としての役割を求めたなら、彼は十分役割を果たせる。

その傭兵として実力と知識と、日常を過ごすには不便となる理解力のアンバランスさは危うい。


(心は幼いかもしれないが、その手でこなせる事は、一介の兵士の能力より強力だ)

一概に"障害"という言葉だけで片づけてしまうには、剣呑な存在。


(だから、隊長はこの子の兄だけでなく、この子も王都に招いたという事もあるのかもしれない)


「"しんゆう"は難しい言葉、アト、身体の大きなお兄ちゃんだから、使えます」


"しんゆう"という言葉を使った事で、どうやら"褒められた"という風に感じ取った少年は、ニコニコと上機嫌になっていたが、ハッとして右手に握っている物を見つめる。


「ロドさん、頭が痛いんでした、薬を塗りましょう」

「ああ、塗る場所を教えよう――――」


改めて"ロックさんの薬"を塗ろうとした時、外から何かしら、例えるのに難しい音がして、2人揃って、マーガレットの店のガラス窓越しにそちらの方に視線を向ける。

すると、しまっている筈の"バロータ爺さんのパン屋の扉"が、やや乱暴に開き―――青いコートを纏った、髪も眼も鳶色の人物が、仏頂面で出てきたのでした。


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