喫茶店"壱-ONE-"にようこそ
セリサンセウムの城下町は、城門を入って時計台を中心として、東側が生鮮市場や飲食の市場が並んでいます。
そしてその時計台に近い箇所に、飲み物と軽食を扱う、日が昇る前から営業をしている喫茶店がありました。
画像で向かって左側、酒の酌をしているのが、喫茶店、店主ウエスト・リップ氏。
ちなみに、グランドールとルイが贔屓にしている汁物屋の主人は、右側のイースト・マウス氏。
どうやら、この2人の店主は至って普通のつもりなのですが、訪れる客人は色々と"個性"の強い方々が多い模様です。
喫茶店、"壱-ONE-"の店主であるウエスト・リップ氏が日が昇る前に開店し、接客するのは、王都の城下町で"早番"として働く方々が多い。
店を開いてから、十数年。
店主は朝日が昇る前に、職場では一番に労働に勤しもうとする客人達に、活力となる軽食を調理しふる舞う。
まだ日が昇る前、夜と見分けがつかない様な時間に開いている明るい店内に入ってくる客人は、そのまま食べていく客人もいれば、持ち帰りもいる。
そして、十数年店を開いていると、自分の店を贔屓にして訪れてくれる客人の時間帯から、日にちの間隔は把握した上で、店主は品物を用意していた。
ただ控え目なところもあって、決して"このお客様はこれだろう"言う風に、ある程度の予想が出来たとしても、注文が入らない限り余計なことをしない。
1年以上、毎度同じ物を頼んでくるお客様でも、その時の"気分が変わるかも知れない"と注文を待ってから品物を用意する。
ただ、明らかに寝過ごしたという慌ただしい雰囲気で、店に走り込んでくる客人もいる。
その場合は、ウエスト氏の方でも"遅れている"と判っているので持ち帰り用の紙袋に、飛び込んできた客人がいつも注文する品物を用意していた。
そしてその品物の横に、大きく口を開いた同じく持ち帰りの袋を支度している。
やがて、例え寝坊しても朝食は出きることなら取りたいお客様が、"いつもの"と口にされたなら、支度してあった持ち帰り用の袋を即座に差し出す。
もし注文が違った場合は、隣にある用意した空の紙袋に頼まれた注文の品を手早く詰め込んで、差し出す。
客人から"投げる"と呼ばれる動作で差し出されるこの国の硬貨を、店主が見事に受けとるという行為は、少しばかり時間に余裕のある店内にいる客人から拍手を貰った。
そんなやり取りが店主と客人の間で、1つの季節が一巡りする間に幾度かある中で、それ以上に"印象に残る客人"という方もいらっしゃる。
特に印象に残るのが、十数年前に店を始めた時から、月が満ち欠けをする間に大体1度の頻度で通ってくれている客人だった。
いつも訪れる時間は開店と同時であって、たまに愛用のコートに手を突っ込んで開店を待っている時もあった。
「私好みの、クルミのパンとコーヒーを準備してくれているのは王都でもここだけだからね」
肌寒いと感じる冬の始まりから春先までは緑の、幾らか薄着でも大丈夫になる夏先から秋の終わり位までは青いコートを纏っている。
寒い時期は携帯用の灰皿を片手に、煙草をふかして開店を待っている時もあった。
髪も眼も鳶色をしていて、髪はフワフワとしていているが、目付きは随分と鋭い。
それを鼻に載せるようにしてかけている、愛嬌を与える丸眼鏡でごまかしている様にも見えた。
「パンは、城下町の、あの有名なお菓子屋さんの斜向かいにあるバロータさんの所で作られているものですよ」
偉く気に入ってくれているみたいなので、仕入れ先のパン屋の名前を教えた事もあった。
「うん、知っている。だから、ここに寄って食べてから、帰ってるんだ」
日中にパン屋に買い物にいけないくらい、遠方に住んでいるのだろうか。
そんなことを考えながらコーヒーを差し出したなら、鳶色の人は店主の顔から考えを読み、"ニィ"っと笑う。
「勿論、昼間に私が買いにこれないから、壱さんにお世話になっているのはありますよ。
でも何よりの理由は、バロータさんはいいけれど、あそこの店の見習いパン屋のオッサン兄さんに見つかったなら、とことん絡まれるから。
それにこちらなら、旨いコーヒーを好きなように飲めますからね」
そう言って飲むコーヒーは、その時の気分によって、ミルクを足したり砂糖を足したり、またはそのままブラックでという自由な飲み方をしていた。
そうして食事を楽しみながらも、王都をぐるりと囲う城壁から朝日が少しでも差し込み、その姿を見せたなら、鳶色の人は身軽に椅子から立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
そう言葉を残して、城下町や王宮で勤める者の為に、一時的に開かれた城門の方に向かって行く後ろ姿を眺めたものだった。
その月が一回りする度に訪れるに客人が、先月は1度も訪れなかった。
とは言っても最初は、"大体この日くらいだろう"と考え、クルミのパンを1つだけ多く仕入れている数日過ぎてから漸く気がついた。
クルミのパンがそれなりに人気があるので、ウエスト氏の店で仕入れている分は大体売り切れるので別に問題はなかった。
しかしながら、備えているのに客人が訪れないというのは、どこか落ち着かない。
「ウエストも、そんな事があると落ち着かないんだな。まあ、ウチも似たような事は最近あったよ」
そう言うのは、この王都で店を持ちたいという夢を持った時分から、知りあった人物である。
年齢の話は互いにしないが、年が近いというのは、会話の調子で判り、こちらも城下町で汁物屋"ココノツ"を営むイースト・マウス氏。
ウエストが朝から店を開店させ、夕刻には閉め、イーストは昼から開けるという事もあって、汁屋の店主は市場に買い出しのついでに、朝食を食べにくることもある。
その際には、互いに近状や世間話をよく行う。
そして、ウエストの何気ない世間話の延長にイースト氏の方も、日頃定期的に贔屓にしてくれている、客人が不意に来なくなった話に繋がった。
それはマクガフィン農場の主とその弟子であるやんちゃ坊主で、唐突に2回程月の満ち欠けが行われる間、来なくなったそうだった。
「まあ、ウチの場合は農場の従業員の兄さんが事情を話してくれたから、原因は直ぐに判ったけれどな。
マクガフィン農場の大将は国の英雄でもあるから、弟子の坊主を連れて、国王陛下の勅命で国の西にあるロブロウって領地に、農業研修に行っていたらしい」
「……"農業研修"ねえ」
日が昇る前から営業している喫茶店の店主は、店に置く目的もあるが、国や、それに準ずる、報道を商いとする一般の機関が出している日報を数種類とっている。
朝の忙しい時間が一段落し頃合いをみて、小一時間程休憩をとる。
その時は"休息中・注文承りますが、対応が遅れます"の木札を、店の入り口にメニューを置いているイーゼルの端にぶら下げている。
自分の為に作った砂糖を多目に入れたカフェオレを飲みながら、客がいないに等しい状態の店内で日報を一通り目をとおすのも、ウエスト氏の日課でもあった。
その中で、ココノツを贔屓にしているという国の英雄が、国王に命じられて農業研修に向かったという領地は、つい最近法改正が行われた事で、その土地の領主が、"重罪"である人拐いに関わったとし、貴族を4人を処断した事を記載していたのは、記憶に新しい。
喫茶店の店主の、斜に構えた見方でもないと思うのだが、国の英雄が"貴族の処断"が行われたという領地に、農業研修というそんな温な理由で、わざわざ行くものかと考えた。
法改正が行われた事で、締め直しが行われたとはいえ、重罪を犯し1度に4人もの命が絶たれたというのは、平民の身の上でもやはり衝撃的である。
だがこれは友人のイースト氏からすれば、ウエスト氏の"ひねくれた"見解らしい。
「そりゃあ、マクガフィンの旦那は国の英雄でもあるから、賢いだろうから、そんな調査を頼まれたならするだろう。
けれど、その前にこの国最大の農場の主で、おおらかな性格でもあるから、そんな調査なんて、向き不向きで言ったなら不向きだろ。
国王陛下に命じられたのも、偶然時期が重なったという事も、あるんじゃないか。
それに、そんな裏をかくような調査なら、軍に残っている英雄殿の方が向いているだろう」
「まあ、それはそうかもしれないな」
汁物屋オヤジの言葉に、喫茶店の店主も腕を組みながらも、頷けるものがあった。
昼から開店をする、大衆向けの汁の物屋の"ココノツ"には縁がないかもしれないが、早朝から営業している喫茶店、"壱-ONE-"の方には、そのもう1人の英雄は数度贔屓にしてもらっている。
それは男性でも”美人"という表現がしっくりくる、英雄で"魔剣のアルセン"としても有名な軍人で貴族である御仁だった。
別にとっつきにくいというわけでもないのだが、整い過ぎた顔に少しでも愛想という物が含まれなければ、その顔が浮かべる表所は冷たいものだと判断されるだろうと、十分思える。
ただ、接客業を生業としている喫茶店の店主は、毎朝通勤する際に見かけるその整っている無表情の意味に"寝起きでボーっとしている"という物だと、気付の様にハーブ茶を注文される事で気が付いた。
だがそれでも、必要な気を張っているのは通勤に際に、その容姿の為に付きまといをされているのを見事に煙に巻いているのを、目撃した時に判る。
この美人で軍人で軍人である人物が住んでいる区域は、貴族や豪商などの富裕層の居住地とされている場所で、それなりの税金を納めている。
その見返りに、区域の入り口は大きな門と鉄柵があり、番をする兵士も槍を手にして立っていた。
屋敷の入り口にも軍から派遣された衛兵も立っているので、付きまといの被害など全くない様に見えるが、区域を区切る鉄柵を抜けて通勤退勤の際には、当たり前の様に御婦人が、整い過ぎた貴族で軍人の背を追っていた。
"特に実害が出ないまでは、放っておこうとは考えているんですけれどね"
朝の付きまといを撒いて、一息つくように自分の店に紅茶を頼む美人に、店主は一度だけそう零された。
もし、アルセンが一般人であったなら、付きまといの被害は世間的には甚大と判断される物でもあるのだろうし、もしかしたら、その身に危険すら及んだかもしれない。
しかし、その災いは整い過ぎた顔の所為でそんな綺麗な顔である、アルセンも悪いといった様な、声に出せないような、空気は醸し出されているのが現実だった。
ただ、"アルセン・パドリック"という人物を少しでも詳しく、そして実際に身近に知っているなら、付きまといなど出来ないと弁えるものだと、喫茶店の店主は考える。
そう考える理由の1つは、店が王宮の側にあるということもあり、国の貴族が待ち合わせに気まぐれと暇潰しに喫茶店を使ってくれる事で、耳にした貴婦人達の"愚痴"にあった。
それはアルセンの実母である貴婦人バルサム・パドリック公爵夫人が、王族の血を引きつつ国を代表する魔術師でもあり、その魔力が凄まじい事もあり、様々の"魔"を引き寄せるという体質が端を発する。
彼女の側に寄ったなら、その膨大な魔力に引き寄せられた魔が、それは様々な世間一般的に"悪趣味"としか判断されないイタズラを、行ってくださる。
その為に、バルサムと貴族として繋がりを保てる方々は、否応なしに心が豪胆な人物が自然と集まる形になっている。
そして、そんな彼女と血を分けた"家族"で、自宅からの徒歩通勤のアルセンは、必然的に巻き込まれる。
だが、彼は両親譲りの尋常ならぬ魔力で、そのイタズラをもたらす"魔"を往なし、影響は皆無だった。
そんな"魔"達は、美しい貴族で国の英雄にである紳士に、お近づきにはなろうとする貴族の淑女にも容赦なく"イタズラ"というコミュニケーションをとろうとする。
アルセンと長い付き合いになりそうな、雰囲気になると彼の実母に集う魔が、直ぐ様に寄って来る。
その度、淑女達は美しい貴族の前では何とか悲鳴を押さえ、恐怖の為に歪んだ唇の形を豪奢な扇子で隠し、何とか礼儀に則った挨拶の言葉を口にし、颯爽と距離を空けるのだった。
そういう旨が判る断片的な話を、喫茶店の店主は貴婦人達が愚痴で店で行っているのを、幾度となく聞いている。
ただそんな中でも、近寄れない原因になっている美人で軍人で英雄である英雄の御母堂がいなくなればという発言は、一度も聞いた事はなかった。
そこは一応育ちの良さなのか、もしかしたのなら、バルサムを"慕う"魔達がそんな発言を行った者を"どうにかした"かもしれない。
口さがない貴族が、そういった話を全くしないのも、そんな理由があったならウエストには納得が出来る。
また、午前の休憩中に店を利用してくれる騎士達の話によれば、パドリック家の使用人から、国から王族の血縁であるが故に義務付ける様につけられる護衛騎士も、先ずはバルサムとの"魔"との相性を考えてから決められているという。
そこでウエスト氏の"付きまとい"に関する勝手な推理ではあるのだが、恐らく"行動力"のある、"アルセン・パドリックに詳しくないご婦人"はこれ迄もいたとは思う。
素敵な軍人で貴族の暮らす入り口なる場所に、槍を持った兵士が門番が立つ区域に、何とかして入りたい、それ程想いを寄せた者もいただろう。
付きまといの延長に、富裕層の暮らす区域に侵入する方法は、法を犯さずともあった。
その区域で求められる使用人を含む仕事は、様々に勿論あるわけで、職に就き堂々と区域に入り、休憩時間にパドリック邸の付近に行く事は、決して不可能な事ではなかった。
だが、"それ以降に繋がる"話を聞かないのは、パドリック邸の主たる住人の貴婦人に集う"魔"が、その息子に"近づきたい"と屋敷に赴いてくる人間達に、彼等なりのコミュニケーションをはかっている為だと考える。
そして、そのコミュニケーションはやはり、一般的には"悪趣味"なもので、憧れの貴族の屋敷に接近するという究極の緊張と興奮の中で、"魔"なりの親愛を体験をしたなら"二度と近づきたくない"。
そんな思いをしてもおかしくはない。
アルセン・パドリックに"しつこい付きまとい"を行なわない、"行えない"と思えるのは2つ目の理由。
それは開店当初によく通ってくれた、"黒い子猫"を外出用のバスケットに入れ連れて散歩に来てくれた老婦人が行ってくれた、"バルサム・パドリック"の体質の話を、それまでやり取りで思い出したからだった。
体力をつける為に散歩をしていると口にする老婦人は、黒い子猫を膝に乗せて、どういう関係かは語らなかったが懐かしむ様にしてくれた、昔話にその一説があったのだった。
その老婦人は、出逢った時期に既に随分な高齢だと判る様相で、半年もせずに姿を見せなくなる。
理知的雰囲気で必要以上は語らない老婦人と、喫茶店の店主も控えめな性格の為に、訪れなくなった理由も、その後はどうなったは知らない。
自分の店でよく覚えている風景は、散歩の休憩ということで、バスケットから出された黒い子猫が、椅子に腰かける老婦人の膝の上にいる姿だった。
老婦人は何かとよく話しかけていて、子猫の方も問いかけに絶妙なタイミングでは、"にゃ~"と、鳴き声を上げていた。
黒い子猫は成長が遅いのか、それとも黒い毛並みで身が引き締まって見えるのか判らないが、通ってきてくれた半年の間は、老婦人の膝の上でずっと同じ大きさにウエストには見えた。
飲食店なので動物は飼ってはいないが、実は結構な猫派の喫茶店の店主は老婦人の許可を得た上で、数度だけ"猫舌"に合わせ、温めのミルクを子猫にサービスしたこともある。
すると美味しそうに飲み(舐め?)終えた後に、老婦人の問いかけに答える時と同じように、"にゃ~"と愛嬌たっぷりの鳴き声を出してくれた。
老婦人は、その風貌と"体力がめっきり落ちた"と寂しそうに口にもしていたので、"推して知るべし"なのだろう。
けれども、あの黒い子猫はどうしたのだろうと気持ちを、今更ながらに抱く。
少しだけ自分の控えめな性格を、残念に思いながらも、あの理知的な老婦人なら自分が"旅立った"後の事は、確りとしているだろうと考えたなら、直ぐに自分の杞憂だと思える様になった。
(それに、あの子猫は飼い主の御婦人に似ていて、賢そうだったから、何処かで上手くやれているだろう)
美人な貴族の軍人の付きまといについて考えることで、喫茶店の店主は随分と昔の事まで思いだした事に、苦笑する。
取り敢えずアルセンが実害を受けていないし、本人が店主の見かける通勤の際にも、困っている様子でもないので静観をするしかなかった。
(当人が望まないのに、距離を無視して近づこうとする奴のあしらい方まで、気を遣う事もないと思うのだけれどな)
"付きまとい"に関しては、"店が利用出来そうならどうぞしてください"と、老婦人と子猫の時、声をかけなかった後悔があったので、思いきって注文をされた時に声をかけた。
最初こそ驚き、緑の瞳を激しく瞬きをしていたが直ぐに綺麗な笑顔を浮かべ、丁寧な礼を告げられた。
軍の仕事の関係で、数日朝に姿を見かけない時もあったけれど、心配というものをする事なく、喫茶店の店主は美人な貴族の通勤姿を日々見送っていた。
ただ"利用してください"と言った言葉を受け入れてくれたらしく、丁度"角"の場所にある喫茶店を使って擦り抜けていく事や、死角にしてやり過ごす事もあった。
そんな細やかな、自分に執着して追跡する様な輩を翻弄するアルセンなら、確かに大柄で好漢んと呼ばれる褐色の大男よりも、貴族の処断という事の"裏"がある調査を上手くできそうだとも思える。
「と、思えばアルセン様も、つい最近見かける様になるまで、暫く王都で朝の通勤の時もお見掛けをする事がなかったな」
不意に思い出し、ウエスト氏がそう口にする。
「もう、これ迄通りよく見かける言うになったし、先日も朝のハーブティーを購入してくださったから、気にしなかったが、暫く姿を見せないというのなら、アルセン様も同じだった」
姿を見せなくなる前に、挨拶などをする間柄というわけではないのだが、見かけなくなった期間は月が一度満ちて欠ける位の長さだったので、軍の訓練にしても長い物だと思えた。
ただ、姿を見せなくなった実質的期間はウエスト氏が、最初に気にかけた"鳶色の人"の半分でしかなく、アルセンを見かけなくなる前に、実はある印象的な出来事があったからでもある。
その日の朝の通勤も例の如く、アルセンはどちらかの御婦人に、"付きまとい"を行われていた。
そして付きまとわれている当人は、全く相手にもせずに、今日は眼が冴えているらしく喫茶店に寄らずに、只一瞬、朝の接客をしていたウエスト氏にと視線を交えた瞬間に目礼し通勤を続行する。
ウエスト氏の方は、店を切りまわしながらも接客業の性で頭を下げて挨拶をし、上げた瞬間に剣呑な情景が視界に入って少しを身を固める。
("きっかけ"を作るにしても、強引だな―――)
"付きまとい"を行っていた御婦人が、王都の石畳を蹴って、一気に距離を詰めて軍の出勤用のコートを纏ったアルセンの背後に激突しようとしていた。
『―――アル』
もしかして察し、自分で何とかしてしまうかもしれないけれど、店主が声をかけようとした瞬間に、アルセンの背後の空間が、波打つような波紋を広げ、歪み、そこから何かが出てくる。
(あれは、金色の―――カエル?!)
ただ金色だったの物は、一瞬で直ぐに色と姿を変え、粒々とした"表面"に泥の色をした身体―――一般的に、"疣ガエル"と呼ばれる姿になってしまった。
そして軍の出勤用のコートを纏ったアルセンの背後に、ぺたりと水掻きの着いた手で貼り付く。
『―――?!』
この瞬間、"付きまとい"には気が付いていたかもしれないが、自分の背面に出現した金色のカエルから、泥色の疣ガエルになった存在に気が付いていなかった、美人な軍人で貴族は、ビクリとする。
次の間には、朝の出勤時間という喧騒を一旦止めてしまえる"悲鳴"が、城下町を通り抜けた。
勿論、それはアルセン・パドリックに"付きまとい"を行っていた婦人が発したもの。
その悲鳴が発生した原因は、例え両生類が好きでも、好きになるのには結構難易度の高い疣ガエルが眼前に現れた事で、叫び声をあげても仕方のないものだった。
そうやって発せられた、声量と威力は大したもので、喫茶店の店主は、その響き渡った女性の悲鳴が、俗に言うソプラノボイスで、近くにいたならそれは正しく"耳を劈く"状態になったと例えても、差し支えないと思える。
実際、アルセンは常日頃から白い手袋を嵌めている手で耳を押さえ、固く眼を閉じ眉間に縦シワを刻んでいた。
どちらかと言えば耳がいい喫茶店の店主は、その女性の声の高さに"キィン"という頭の中に金属が張り付くような音に、こちらは片眉を使って眉間にシワを刻み、片眼を閉じてしまっていた。
ソプラノボイスの余波は、 その周辺にも広がる。
近辺にいる者は、その衝撃と不快さに顔を顰めるか、アルセンやウエストと同じ様に耳に少なからずダメージを受けていた。
少し距離のある場所にいる者達は、凄まじい悲鳴がする方を振り返ったなら、美人で有名な軍人で貴族でこの国の英雄である人物が耳を塞いでいる姿を目撃し、こちらは疑問で首を傾けていたりした。
そして、ダメージや疑問を受け、浮かべたりしてい入る間に、通勤中の貴族に接近付きまといをしていた婦人は、疣ガエルの姿に驚いたのか、そのまま逃げてしまう。
その逃げ出す様子を、片目だけを開いていた喫茶店の中からウエストは目撃する。
未だに喫茶店の店主の頭に響く金属音が再び響き、アルセンの背後にいる婦人は足を突っかけ転びそうになりながら、少し周辺を見回す。
それから、自分が悲鳴を上げた原因となった疣ガエルがまだ、"付きまとい"の対象である、アルセンの軍の出勤用のコートに貼り付いているの見たなら、束の間怯む。
ただ疣ガエルが貼り付いている先―――アルセンの背が動いたと思ったなら、直ぐに、顔を隠す様にして、そのまま走り去って行ってしまった。
(……"出逢う"って意味じゃ、突撃をするよりは、今の方が余程自然だとは思うがって、何を考え
ているんだか)
そんな事を頭に未だに響く金属の様な音に、僅かに足元をふらつきを感じながら、喫茶店の店主は思う。
(それより、御贔屓にしてくれている"お客様"達の心配をしよう)
独り身は侘しい自覚はあるのだが、こういった"災害"染みた事を体験をした際、自分が怪我や災難を被った時以上にするだろう、伴侶や子供の心配をしなくても済むのは、有難かった。
生計を立てる為には、欠けてはならない客人の心配を、家族を気にせずにかける事が出来るのもまた、有難かった。
"折角いないのだから、自分の気持ちに正直に"
喫茶店の店主は、先ずは店内にいる客人達を見回す。
発生源から、比較的近距離の店だったけれども、朝の繁盛記は開放する形の店の扉だが、店内という事もあって、聴力が並であろう客人達は、精々"大きな声に驚いた"位の反応だった。
そして店内にいる客人達も、どちらかと言えば悲鳴の爆心地の方を向いたなら、白い手袋を填めて耳を抑えて佇んでいる通勤中の金髪の軍人の方に視線を集中させている。
その姿を見て、それがこの国の英雄ではあるけれど、最近は普通に"セリサンセウム王国の国民"として、日常を過ごしている人物だと気が付き、心配の表情を浮かべていた。
店外の方は、やはり悲鳴の威力の方に気を取られた通勤中の人物の方が多く、最も近くにいた人物に気遣うという物は、向けられていない。
(これは、俺が言っても良いな―――)
"控えめ"を信条にはしているけれど、ここも出ても良い所だと、慎重な性格なウエスト氏は逡巡もせずに、解放している店の扉を抜け、耳を抑えている軍人の元に向かった。
そして店主が未だに耳を塞いでいるアルセンの後ろ姿を見た時、その背に貼り付いている存在が、姿を金色のカエルに戻している事に気が付いた。
『―――あのイタズラ好きの賢者は、もっとマシな方法があるでしょうに』
そのアルセンの発言で足を止める。
耳の状態は殆ど戻っていたので、貴族が口にした言葉の意味は理解出来た。
(流石に国の英雄ともなると、賢者の知り合い―――というか、あの口ぶりだと友人がいるのか)
賢者という存在が、この世界にいる事は知っているけれど、俗世を好まないという話は昔からよく聞いている。
ある意味では、子どもに読んで聞かせる昔話に登場する様な、存在にも思えもする。
だが現実にいるという事は、日々取っている日報が、冬の季節の終わりに紙面を何枚も使っ記事にする国の予算の決算報告書に、確りと"賢者"に関する箇所もある事で確認する。
大体が毎度国が定めた予算内にきっちりと合わせていて、増減は全くない。
他の部署や機関は多少なりとも変動があったなら、矢印の上下が記載され数字で明確にされている。
少なくとも喫茶店の店主が、店を開き日報を取り始めてからは、賢者の予算の部門は確りあって、その欄の文字が動いた事は一度もなかった。
(もしかしたら、色と々言われたくはないから、決められた予算で、増やしも減らしもしないで、きっちりこなしているのかもしれない)
ウエストがそんな事を考えている内に、語り掛けようとしたアルセンの方が更に動いた。
『"ゲコっコ"』
『何カエルの鳴き声出して、誤魔化そうとしているんですか―――』
まるで人が下手くそな物真似をしたような、カエルの鳴き声のがした後に、喫茶店の店主が聞いた事がい、アルセンの批判を含んだ声が響く。
それから、耳を抑えていた白い手袋を填めている手を背に伸ばす。
どうやら自分の背に貼り付いている、空間を移動して突如として現れた金色のカエルを掴まえようと伸ばしたが、金色のカエルは蹼の着いた手で、その背面をペタペタと移動して逃げた。
『あっ、こら動くんじゃありま―――せん……』
アルセンの身体は軍人の動きとして機敏ではあるのだけれども、柔軟の方は意識をしていなかったので、身を反らせて振り返り、その動きの大きさに店主が驚く。
もしカエルが移動してなかったら、通勤途中の軍人は金色のカエルを掴むことが出来ていただろうとウエストが考えた時に、視線が合った。
『あ、その大丈夫でしたか?』
『ええ、……それで、どうもご心配をかけたようですね』
身を捻っていた状態なのを、そのまま脚を動かし"回れ右"の動作で、アルセンは心配して側に寄っていた喫茶店の店主に、身体の正面を向けた。
『どうも、申し訳ありませんでした』
『いえ、勝手に心配しているのはというか……災難でしたね』
店主の災難という例えに、綺麗な貴族が"残念"という感情が十分伝わってくる表情を浮かべていた。
"付きまとい"がぶつかる"若しくは、その"ぶつかるのを避け、婦人に何かしら注意の言葉"をかけるか。
もし、金色のカエルが疣ガエルに変身し、姿を表さなければ恐らくは、その2つの内の1つになっていたと予想が出来る。
『そうですね、街中でこういった積極的なのは初めてでしたので、本当に驚きました』
それから眼を伏せ、半眼でも十分大きく見える綺麗な緑の瞳に陰りを作る。
"耳は痛かったけれども、あの御婦人と縁が出来てしまうよりは、余程良かった"
そんな感情が、滲み出ているのを喫茶店の店主は確りと感じ取っていた。
『ゲコッ』
少しばかり間が空き、言葉が続かなくなったと思った瞬間に、頃合いを見ていたように、アルセンの背面に貼り付いている金色のカエルの鳴き声が響く。
今度は、先程のわざとらしい人の声による鳴き真似の声ではなくて、立派(?)なカエルの鳴き声だった。
そしてアルセンの軍の出勤用のコートの肩の上に、攀じ登って姿を現したのだった。
『それは、その先程仰っていた、"賢者"……様の魔法か何かなんでしょうか』
『ああ、愚痴を零していたのを、聞かれてしまいましたか。ええ、魔法です。
一般的かどうかはわかりませんが、魔法としての伝達の役目を担っている"使い魔"という存在です。
ここ暫く、少しばかり特殊な個人的な事で、この使い魔の主と連絡を密にしなければならない状況ですので。
現在、出張で"距離"があるので、使い魔を飛ばしてきたという事は、緊急の連絡があるからだと思うのですが。
もしかしたら、先程の御婦人の事で私が何らかのことで巻き込まれて、時間を取られたら嫌なので、イタズラというよりも"邪魔"をしたのかしれませんね』
呼び捨てをするには、失礼になる相手だと口に出してから気がついて、急いで"様"をつけたが、アルセンの方は全く気にしている様子はなかった。
それに、どちらかと言えば、友人でもあるという賢者に関しては、やや厳しさの感じる発言内容に加えて、最後の一言には思わず眼を丸くする。
『"邪魔"をしたかったんですか。その、アルセン様にぶつかろうとしていた御婦人の、邪魔という事ですよね?』
眼と同じ様に口を丸く開けて、ウエストが思わず確認し繰り返すように口にしたなら、緑色の瞳で自分の肩に鎮座する、賢者の通信手段で使い魔だという金色のカエルを一瞥して、アルセンは頷いた。
『ええ、そうです。基本的に相手の気持ちを無視する行動する方々には、性別に関係なく平等に"おちょくる"性格をしていらっしゃいますから』
『おちょくる性格、ですか』
再び繰り返しながら、その言葉から国の英雄とも友人だという人物を想像してみたが、上手くは出来なかった。
ただアルセン・パドリックと友人ともいう賢者は、店主が考えている姿―――"白髪に髭の伸びたお爺さん"よりも、随分と若返りはしたけれどもの明確な姿にはならなかった。
世俗との関係を断絶している様な賢者の感覚は、一般市民としては判らない。
でも、どちらかと言えば、先程の金色のカエルがしたことは、結果的にみたのなら
"友人の望まない関係を(アルセン曰く)イタズラ好きな賢者流のやり方で、助けた"
と受けとることも出来なくもなかった。
喫茶店の店主の思い浮かべている事を、その表情で察した通勤途中の貴族で軍人は少しばかり恥らった表情を浮かべて、形の良い唇を開いた。
『正直に言ったなら、"助けられた"とも判っているんですがね。余計なお節介というつもりはありません。
ただ、この賢者は年上の友人でもあって、こういった出来事があると、何かと"年下扱い"というか、私がしなければならない事で先回りで処置されてしまう事が多くて。
それが友人として、腹立たしくもあったりします』
『そうなんですか』
国に英雄として認められている上で、貴族であり軍人でもある人物が、 そんな事に劣等感を抱いているというのは、意外ではあるけれど、少しばかり親近感や好感も抱く。
『でも、今はそうまでして使い魔を使ってアルセン様に連絡をしたいことが、あるという事ですよね?』
ウエストの言葉で、整った顔に浮かべていた恥じらいや劣等感拭いさり、そして自分の請け負っている役割を思い出したといった雰囲気で、顔を上げる。
友人に自分の"優柔不断"を指摘されたけれども、自分のいたらなさに拘っている状況でないと弁えている人は、自分の肩にいる金色のカエルを見つめた。
『そう言えば、そういう事になるんですね。それでは、個人的な情報でもありますし―――』
"大っぴらには出来ない事"で、急ぎ連絡をしたいついでにアルセンを助けたが、少なくとも、使い魔を通して伝えたい事はこの場では開示は出来ない。
もしかしたなら、何らかの形で"支援"を求められているかも知れないけれど、個人情報を往来で晒すような事は出来ない。
『それでは、"一応"通勤中ですので。心配をしていただいて、ありがとうございました』
『はい、それでは気を付けて、"行ってらっしゃい"』
馴染みの客人が、店を後にする時にかける言葉をかけて互いに踵を返そうとする時、軍のコートの裾が大きく翻る―――と思ったが、予想より小さい動きで止まる。
『と、その前に―――』
それに揃える様にアルセンが口を形の良い唇を再び開き、自分の肩に鎮座する、金色のカエルを、手に白い手袋を嵌めている事もあるのだろうが、躊躇いなく"ムンズ"と掴んだ。
『肩にカエルを乗せるにしても、童話の登場する人物でもなければ、おかしいですからね。軍の方に入る時に、警衛の門番の当番の方々に怪しまれたなら面倒くさい』
そんな事を言いながら、自分の顔の正面、丁度喫茶店の主との間に摘まんだ金色のカエルを移動させる。
摘ままれている事で、四肢を揺らしている使い魔に、少しばかり睨みを利かせて言い聞かせるような言葉に、ウエストも胸の内で"それもそうだ"と思う。
ただ、先程の結構な衝撃的な出来事で、人の意志を無視する存在より、友人を気遣う魔法を使って姿を現した金色のカエルの方が"マシ"に思えた。
『"ゲッコッコ"』
すると最初に聞いた様な、"わざとらしい"人が真似をしたようなカエルの鳴き声を使い魔が出したなら、アルセンは諦めた様に、鼻から小さく息を吐き出し、金色のカエルを軍のコートの懐に移した。
『それでは、"行ってきます"』
先に告げられた喫茶店の店主の見送りの言葉に応え、美人で貴族の軍人は残り少ない通勤路を進んで行った。
それから翌日は、通勤の際に会釈をされた記憶は確かにあったのだけれども、その次の日はタイミングが悪かったのか会わない。
もし客人が承諾をしてくれたのなら、個人情報はともかく、距離があるにも関わらず、使い魔を通してまで美人な軍人に、頼んだ事が上手く行ったかどうか教えて貰いたいと考えていた。
そんな風に思いながら、アルセン・パドリックに出逢う事がないまま月の満ち欠けが一回りする。
(もしかしたら、アルセン様自身もあの後何かしら仕事で、出張で王都を離れたのだろうか)
そんな風に考えた頃には、朝の繁盛期に愛用してる調理服兼仕事着での、長袖は暑くなる気候になっていた。
喫茶店の店主の印のような、白いシャツに裏地に青い布地にストライプ模様の袖の捲りをどうしようかと思案していたなら軍服姿で、アルセンが来店する際に起こす小さなざわめきと共に訪れる。
『どうも、お久しぶりです』
"お久しぶり"という丁寧な挨拶と共に、店に訪れてくれた客人はやはり長期出張だった為か、少しばかり疲れが残っている表情を浮かべていた。
ただ疲れの中に"迷っている"、"困っている"という感情が一切感じられず、ある意味では清々しい様子が見て取れる。
少なくとも"友人に頼まれた事を熟せなかった"という類の後悔などは一切している様には、喫茶店の店主には見えなかった。
『もしかして、あの使い魔だとかいう金色のカエルが来た後に、出張でもありましたか』
いつもの様に眠気覚ましのハーブティーではなくて、スタンダードな"本日お薦めの紅茶"を注文され持ち帰りの用の紙カップに注ぎ蓋もして、紙袋に入れて手渡す。
『ええ、あの翌日出勤した後に、夕刻から緊急の出張で。
そして出張先で、少しばかり体調を崩してしまったので、代休も貯まっていた事もあって、消化する為に、無理をせずに休息を取らせてもらいました』
不在の間の話を、料金と共にを白い手袋を填めた手から渡さた様な気がして、ウエストは小さく頷いた。
『そうでしたか、お疲れが残っている様にも見えますが、"出張"の方のお仕事は、確りとこなせたご様子ですね』
本当にそう感じて、思えたから言葉を口にしたなら眉の形を"ハ"の形にして微笑まれる。
『接客業で人を沢山拝見しているだろう店主にそう見て貰えるというということは、そうなんでしょうね』
それから、まるで"踏ん切り"がついたとも言った調子で笑顔をいつもの"整った形"に戻し、客人の御婦人達の"今日は朝から、アルセンを拝めて幸運だった"という視線を受け流して出勤をしていった。
それからはいつも通り、数日に1度冷たくも見える、"寝起きでぼうっとしている"表情を浮かべて、店を贔屓にしてくれる。
なので、アルセン・パドリックの暫く不在の理由は当人からあっさり、"急な出張"で原因が解明されたので、店主の記憶の中では日常の記憶の棚に保管されていた。
なので"急に訪れなくなった客人"という話題を、友人で汁物屋の店主のイーストと話していても、直ぐに話題に上らなかったのだった。
「思えば、出張の内容は窺わなかったけれど、もしかしたらイーストの言っている通りの調査だったのかもしれないな。
そして、もし調査内容が予想していたみたいに"貴族の処刑の詳細"だったなら、直ぐに表沙汰には出来ないものかもしれない」
それにパドリック家自体も父親の代からと歴史は浅いが、貴族で、母親は元王族である。
貴族の処刑を調査をするにしても、思慮深い貴族は、その詳細を知る事で心労を積もらせることもあってもおかしくはない様に思えた。
「だから、2月周り程姿を見せない、その鳶色某殿も、今正に調査をしていて、その美人の貴族で軍人さんみたいに姿を現したなら、クルミのパンを食べながら事情を話してくれるだろうさ。
何せ、時期によっては開店前から、待っていてくれるんだろ?」
「それも、そうだな」
店主仲間で友人との間に、そんな結論を出した翌日。
いつもの様に休憩時間の合間に日報を読んでいたなら、先日話題にしていたこの国の西の領地名前が出ていて、思わず暫く凝視した。
┌─────────────┐
│ │
│ 日報セリサンセウム │
│ 国内 │
│ ロブロウ代理領主 │
│ アプリコット・ビネガー氏│
│ 領地において不信任案可決│
│ │
│ 4名の貴族の処断、 │
│ 加えて先々代領主の遺品 │
│ である 魔術の道具を紛失│
│ が不信任案発生の原因か。│
│ │
│ アプリコット氏は退任した│
│ 後は、前領主でもあった │
│ 父バン・ビネガー氏が引継│
│ 模様。 │
└─────────────┘
(やはり、アルセン様はロブロウの方に、調査には赴かれたといたのだろうな)
胸の内でそんな事を思い、もう一度記日報の記事内容にを眼で追って、眉を顰める。
「ロブロウの領主殿……だった方は、名前からして女性だったという事か。それで不信任という事は、殆ど罷免と変わらないって事だろうけれど」
記事が伝えている領主を解任する内容は、貴族の処断のみならず、先々代領主の遺品である魔術の道具を紛失したという事も記されている。
「何だか、"難癖"をつけて辞めさせられたような感じだなあ」
ここは思わず口に出して、他にこれに関して記載がないか探したが、載っていなかった。
記されている部分でしか推し量れないけれども、4人も貴族を処断した事を端を発して、"先々代領主の遺品である魔術の道具を紛失"を無理やり理由にして辞めさせてたのではないかと、深読みしてしまう。
「だが、アルセン様が調査に向かったとして心労はあったかもしれないけれど、仕事に関しては"やり遂げた"といった調子だった」
"出張先で、少しばかり体調を崩してしまったので、代休も貯まっていた事もあって、消化する為に、無理をせずに休息を取らせてもらいました"
もし出張先として、ロブロウに赴き調査をしていたとしたなら、休息を取ろうと思える程随心をゆるしていた事になる。
アルセンなら、"仕事"と"休息"は別物だと割り切る事も、出来なくもないと思う。
ただ自分が調査をした先で、その結果が領主に罷免に繋がる結果を出したなら、例え体調が芳しくなくても早々に引き上げて王都で身体を休める―――そんな気遣いは出来ると思えた。
(それとも、領主殿自身がもしかしたなら"領主"を実は辞めたがっていたから、アルセン様の"罷免されるような調査結果"を、喜んで受け入れてとかあるかもしれないな)
少し斜に構えた、口に出しずらい意見を胸に思い浮かべた時に、ふとある事を思い出す。
「ああ、とはいっても、もしロブロウに行っていたなら、イーストの所を贔屓にしてくれている大農家の英雄殿が、農業研修で一緒に行っているわけだから、御一緒なら安心は出来るのか。
多分英雄同士なら、友人以上に繋がりは強いだろうし、イーストが言うには大層な好漢らしいからな」
喫茶店の店主自体は実は、グランドール・マクガフィンと面と向かって話したことはない。
王宮に近い場所の立地条件なので、褐色の肌に腰に帯剣をしている大男は何度も見かけた事はあるけれど、忙しそうに移動をしている事が多かった。
「英雄に、国一番の農場の経営者だから、飯ぐらいは座って食べるかもしれないが、ゆっくり茶を飲む暇はないのは仕方ないか」
だがアルセンからコーヒーが好きだという話を聞いていたので、機会があったなら振る舞ってみたいという、喫茶店の店主の欲はある。
「っと、その前に本日からの"御贔屓さん"の為の支度をしないといけないな」
自分の好みを味付けを詰め込み作った、少々量の多い賄い料理の枝豆パスタを早々に平らげて、次にコーヒーを飲み干し、食器を片付る。
歯磨きを丁寧に行った後に、店の前に出しているイーゼルにぶら下げている"休息中・注文承りますが、対応が遅れます"の木札を、店の入り口にメニューを置いているイーゼルから外した。
すると直ぐに背後に気配を感じ、笑顔を浮かべて振り返る。
「いらっしゃいませ、"ユンフォ・クロッカス"御一行様」
そう挨拶を述べて頭を下げた先に、王族護衛騎士隊の鎧をまとった2人の女性の騎士と、その後方に頭1つ背の高い、地味ながらも高級さが伝わってくる衣服を纏った、帽子を被った老齢の紳士がいる。
「本日からお世話になりますにゃ~♪」
「すみません、場所をおかりします」
猫の鳴き声の語尾をつけてライヴ・ティンパニーが、元気よく挨拶をした後に、リコリス・ラベルが申し訳なさそうに且つ丁寧に当たを下げていた。
今回は王族護衛騎士隊の鎧の他に、共通して小脇に筆記具と数冊の書籍を抱えている。
次に老紳士、ユンフォが帽子を手に取り、ある程度年齢を重ねているにも関わらず、殆ど白髪だがそれは豊かなふさふさとした髪を表に出した。
喫茶店"壱-ONE-"を見上げ、頷きライの方を見つめてニコニコとして口を開く。
「うむ、ここなら王宮にも近いから、見つけられて文句つけられても適当に誤魔化せるだろう。
流石だな、ライちゃん」
「にゃはははは、リコにゃんが提出する報告書で、未だに派閥に拘る魔導研究所の奴らから文句つけられた嫌だからにゃ~。
美味しい飲み物で糖分を補給しつつ、且つリラックスできる状態と、腹黒貴族がくるかもしれないという適度で素敵な緊張感の中で、執筆出来る状況をワチシがセッティングしてやったんだにゃ~」
ライの発言に一番反応するのは、その横にいるリコリス―――リコだった。
「え、何?!、アルセン様ここを通るの、ライちゃん?!」
「そうにゃ~、通勤路なんだニャ~」
(……"腹黒貴族"って、アルセン様の事なんだな)
ライの言葉だけならば"腹黒貴族=?"だったのだが、リコが先程までは白かった肌を即座に紅くさせて反応"アルセン様"とする会話で、直ぐにその正体が判明した。
(でも、"腹黒貴族"というのも表現はともかく、外と内では考えている事が確かに違いそうだ。
それにしても、こちらの騎士のお嬢さんは最初は至極冷静そうだったのに、アルセン様の名前を聞いた途端に―――)
それまでは物凄く理知的な御婦人に見えていたのに、瞬間的に紅くなってあたふたとしているその姿に、認識を喫茶店の店主は改める。
(こちらの今は真っ赤になっている青い淵の眼鏡の美人さんは―――確か、ライヴさんの事前情報によれば"クール・ビューティーのリコリス・ラベル"……愛称は"リコさん"か。何気に天然のお嬢さんかもしれないな)
その天然の騎士の御婦人がある作業をしやすい様にと、喫茶店"壱-ONE-"を捜したのは、今は真っ赤になっているリコを揶揄っている、ライだった。
数日前、通常通り朝の営業に一段落がついて、休憩の木札をメニューを乗せているイーゼルにぶら下げて、賄いを食べている時に彼女がやって来た。
『ニャ~、"最初の頃"と変わってないニャ~、良かったにゃ~』
(最初の頃と変わってない?、という事は開店したての頃に店に来てくれたという事だな。でも、どうして猫の鳴き声みたいな語尾をつけているんだろうな)
それに聞こえてくる声自体は、随分と若く感じる。
(昔、親御さんに連れてきて貰ったという話なんだろうか。
でも、うちの店は、子どもがくるような店でもないし、コーヒー頼むにも一般的な小遣いでは割高になってしまう)
コーヒーや紅茶、それに合う軽食等には王都の"この場所"で商売を行う為のそれなり儲けが必要な料金設定をしている。
勿論ウエスト自身でも、それは自覚しているが、そこは営業をしている場所によって王都では価格設定という物がされていた。
ただ、何にしても"自分で作った方が安い"状態ではあるけれど、そこは金を出して貰う分には、満足とはいかなくても、納得出来る品物を提供する自負はある。
ただいつも"同じ"ではメリハリという物がないので、そこは王都の城下町の商店街で地域によってグループを作り、気候や年中行事に合わせて、安売りや特別な品物等販売する等を行っていた。
また"季節限定"など、その時期にしか仕入れられない食材を使って店主の性格を現した様な、あっさりとした甘さのデザートと共に、提供したりすると、いつもは入らない客人がきてくれたりもする。
ただ基本的に茶に合わせる菓子は、バロータのパン屋でクルミのパンを仕入れをするついでに、斜向かいの、王都の貴婦人たちに人気の菓子職人のマーガレット・カノコユリに日持ちをするお菓子を頼んでいる事が多かった。
しかしながら基本的に軽食を提供するのが主であり、場所的に人が多いのが避けられず、"静かに楽しみたい"という事に関しては不向きな場所であった。
『すいません~、休憩中にお話させて欲しいにゃ~』
(にゃ~?と語尾をつけるのが、若い者の間に流行っているのか?)
『あ、はいどうぞ。店にいますんで、入ってください』
読んでいた日報を手際よく畳みながら、解放している入り口の方に呼びかけたなら、そこから、上手い具合に癖っ毛を可愛らしいく整えた黒髪の女性が、猫を感じさせるしなやかで静かな動きで店に入って来る。
そして、ライからこの喫茶店の奥のテーブル席のを数日"貸し切りにさせて欲しい"という提案をされた時に、ウエストは戸惑いに激しく瞬きを行う。
そこには先程やってきた時に、"懐かしい"という言葉を口に出した事も含まれていた。
"にゃ~"という語尾も含めて、尋ねてきたのは姿見も中々チャーミングな御婦人で、これだけ個性的且つ印象が強いなら、開店した当初の十数年前に出逢っていたなら、十分記憶に留められると思う。
(でも、この様なお嬢さんは来店してくれた記憶はないなあ……。ああ、もしかしたなら、学校の通学や何かの際に見たとかかな)
店主がそんな事を考えている内に、猫の鳴き声の語尾をつけるチャーミングな女性は、衣服の懐から、身分証を取り出す。
"王族護衛騎士隊所属 ユンフォ・クロッカス専属護衛騎士 ライヴ・ティンパニー"
『おや、お嬢さんは護衛騎士ですか』
『にゃ~、歌って踊れる王族護衛騎士隊員ライヴ・ティンパニ―だにゃ~。と、今日は真面目な話をしに来たんだったにゃ』
陽気な雰囲気でそんな事を言ってはいるけれども、身分証明書に描かれているライの詳細な上半身の肖像は、キリリとした表情を浮かべ、軍服を身に着けて腕には蝶の腕章を身に着けている。
『後にゃ~、"認番"を確認して欲しいにゃ~』
『"ニンバン?"、ああ、下の方に書かれている番号ですね』
何かの略語だと気が付き、丁度身分証明書の下の方に番号の羅列を発見して見つめ、喫茶店の店主が口に、視線を向ける。
ライを"チャーミング"と表現するのに役立つ口角の上がっている箇所を、更に上げて頷いた。
『にゃ、正式名称は認識番号だったにゃ~。後、一工夫もあるんだにゃ~』
そう言いながら、細かい細工の爪化粧を施しているい指を自分の肖像画の胸元にあてたなら、そこに新たに"222"という数字が、浮かび上がる。
『こちらが、正式な番号だというわけですか?』
『にゃ~、厳密に言うならワチシが今、"心"に浮かべている番号だにゃ~、猫の鳴き声"ニャンニャンニャン"だにゃ。
でも、"これが出来る事が"王族護衛騎士隊の正式な身分証明書という事を、店主さんには覚えておいて欲しいんだにゃ。
最近兵士のふりしたり、語ったりする奴がいるらしいんだにゃ~』
屋内にもあるにも関わらず、黒い瞳が鋭さを含み輝いた様な気がするのに、小さく息を飲みながらも、店主は飲み込んだものを肝に命じ、口を開いた。
『そういう事でしたか、解りました。もし王族護衛騎士隊を名乗る方がこちらに赴いて、身分を明かして尋ね事をする際、怪しく思えた時には、その事を確認すればいいのですね。
それで、そこまでそちらの事情を審らかにされて、うちの店に、どういった御用があるのでしょうか?』
自分の喫茶店を、"王族護衛騎士"の仕事に関する事で、それでいてライヴ・ティンパニーが個人的に使いたいという意志を察し、ウエストは自分の方から尋ねる。
その声の"調子"に、自分の提案に喫茶店の主が前向きなのを感じ取ったライヴは、本日はお出かけ用に化粧をしている唇を開いた。
『結構時間のかかる、書類作業をワチシともう1人の護衛騎士、それと護衛対象である貴族の小父さまを含めて、こちらの喫茶店でしたいんだニャ~。場所は出来れば、店の奥で人眼から着かない場所がいいにゃ~』
『……書き物をうちの店ですか?』
昼の休憩中、軽い昼食と共に茶を飲みながら、雑務やプライベートの書き物をする客人は結構いた。
何しろ王都の城下町の中心で、少しばかり歩くことになるけれど役所もあるので、昼食ついでにという客人は結構多かった。
『でも、うちの店は夕方で閉めてしまいますから、そんな時間一杯は使えませんよ?。それに、人通りははっきり言って多いし、静かとはいえません』
『だから、良いんだニャ~。それにワチシもリコにゃんも、ユンフォ様も、集中してしまえば音は気にしない方だから、オッケーなんだにゃ。
そりゃ、ガラスを鉄の爪でひっかいたなら、3人揃って悶絶するけれどにゃ~』
少し芝居かかった様子で、自分の小さな顎に拳にした手を当て、眼を細めながら言うのには思わず、店主は吹き出した。
『済みません、笑ってしまって。でも流石にそんな音はしませんし、時間が短くて構わないのなら、昼食や飲み物を此方の物を召し上がっていただければ、それで充分です』
一応喫茶店の店主という"商売人"でもあるので、自分の店を使うという条件も提示した。
『笑わせた事なら、"ウケ狙い"でやったから気にしないで欲しんだにゃ~。
後、食事と飲み物方はこちらでばっちりお世話になるつもりだから、よろしくにゃ~。
喫茶店"壱-ONE-"のメニューを全制覇してやるつもりにゃ!。―――でも』
"全制覇"の所まで、随分と威勢よく口にた後に、店内のカウンターの上に掲げられているメニューに黒い瞳を向けて、ライは何かを捜していた。
それから、今まで浮かべていた賑やかで楽しそうな雰囲気を潜ませ、メニューを追う眼を細めた。
(―――?眼が潤んでいる?)
黒目が濡れている様に見えた瞬間に、ライは猫の様に素早く口の端をまた上げて、眼を細めて―――笑顔を作る。
『でも、お詫びをするというのなら、新しくメニューを加えて欲しんだにゃ~。"ホットミルク"を追加できるかにゃ?』
少しだけ間が空いた後に、ウエストは頷いた。
『……ええ、"オレ"や"ラテ"を作るのに必要で、ミルクは常備してますから、大丈夫です』
ホットミルクで、喫茶店の店主は随分と懐かしい"何か"を思い出そうとしたけれど"そんな事があるわけがない"という、無意識の常識が、"もしかして"という言葉を抑え込む。
魔法が存在する世界でも、自分が考えている事が常識外れなのだと思いながら、店主は新たなメニューを請け負った。
その様子にやはり少しばかり寂しそうな表情浮かべたが、直ぐに陽気そうな雰囲気を醸し出しながら、庶民派で有名な貴族の護衛騎士は笑顔を浮かべる。
『ワチシがミルクす好きなのもあるんだけれども、小さな女の子の友達がいるんだニャ~。
多分ここで待ち合わせをしたりするだろうから、お姉さんとして奢ってやりたんだにゃ!。
メニューに載っている果物のジュースも良いんだろうけれど、子どもにはミルクが成長にも一番ばにゃ~』
結構平らな胸を張りながら、ライが"お姉さん"ぶりながらそんな事を言う。
『そうなんですか、小さなお友だちというのは、おいくつですか?』
喫茶店のマスターは、客人求められたなら、品物を代金と引き換えに提供はするけれども、相手の健康を損なう事に繋がるのだけは避けたい。
『えっと、確か11才って言っていたにゃ~』
『11歳ですか……その失礼ですけれど、目方の方は?』
続いて喫茶店の店主は、具体的な数字を出して尋ねたなら、ライはその重量に関しては癖っ毛の頭を振って否定する。
『"リリィちゃん"は小柄だからにゃ~、身長もワチシの肩まであったかにゃ~?』
実際その場にはいない"友だち"を思い出しながら、掌を水平にして自分の比較的平らな胸元辺りにやってい、頭の位置で背の高さを思い出し、体重を考え答えた。
ライの予想を聞いて、予想ではあるけれど随分と小さなお友だちは予想以上に身軽で、喫茶店の店主は小さく頷き、返事をする。
『そうですか、それでは"リリィちゃん"という、ライさんのお友だちのお客さんにがお越しいただいたなら、一般的に成人極力お客様に出すコーヒーの類は出さない様にしましょう。
それでも、飲んでみたいという事もある時は、極力薄めて提供しましょう。
成人していない小さい身体の方には、少々刺激が強すぎるかもしれませんからね』
控えめな店主の"儲けも大事だが先ずは客人に、飲食を楽しんで貰いたい"という変わらない心構えに、ライはにっこりと笑う。
『眠気を飛ばすには良いかもしれないけれど、取り過ぎは良くないからにゃ~。じゃあ、明日から頼むにゃ~』
丁寧にお辞儀をして、ライはその日は去って行った。
「じゃあ、ワチシはお決まりのホットミルク、猫舌専用にぬるめに頼むにゃ~」
そして、今日はその店を使おうという1日目になる。
「私はカプチーノで」
「うちのは、ミルクの泡の上にシナモンパウダーをかけてますがどうしますか?」
リコの注文を聞きながら確認をする。
「あ、じゃあ、抜いて下さい」
"飲む前に判ってよかった"と言う表情を浮かべ、心から安心して胸元に手を当てる。
リコのその仕種と顔は、喫茶店の店主の理知的から、天然に塗り替えられた認識を更に"魅力的"を上乗せしていた。
(こんな面を見せたなら、並みの殿方はクラリとくるだろう)
ただ職業柄、接客態度は平等でもある喫茶店の店主は、その好印象の感情を微塵も出す事もなく、直ぐ最後の客人の注文を取りに行った。
「それでは、ユンフォ様はいかがしましょうか?」
「私は、本日のオススメのお茶をを貰おうかな。多分、直ぐに書類作業をしてお代わりを頼む事になると思うがね」
「承りました。どうぞお申しつけください」
恭しく頭を下げ、厨房の方に戻ろうとす所に、ライから声をかけられた。
「にゃ~、店主さん、武器の安置場所は何処かにゃ~?」
「ああ、そうでしたね、それと荷物―――というか、騎士の方々は鎧も外されますよね?」
「えっと―――どういたしますか、ユンフォ様」
当然外す物だと思っていたけれど、リコが困った表情を浮かべて、ライの方は身に着けている白銀の鎧を"すっかり忘れていた"と言った調子で撫でている。
店主の言葉に、リコが先程の安堵から今度は戸惑った表情を浮かべ、自分と相棒の護衛対象を見つめた。
(ああ、もしかしたら、護衛騎士は任務中はいかなる時でも、鎧を脱いではいけないという決まりなどがあるのかもしれない)
ある程度の事を察した店主は、この3人の客人で最終的な決定権と責任を担っている老紳士の貴族に伺いの視線を向けた。
ユンフォは僅かな時間、年相応のシワが浮かんでいる顔にある眼を閉じ、直ぐに開いて頷いて結論を出した。
「鎧を着たまま書き物の作業は、身体に負担がかかるだろう。
鎧を外す事を命令しよう。
ただし、直ぐに身につけられる様に側に置いておくのと、喫茶店の外に出る際には必ず武器と一緒に装着をすること。
これなら、大丈夫だと思うがな」
「判ったにゃ~」
「命令、従います」
「じゃあ、これを使ってください、一応用意をしておきました」
そう言って、先日市場で買っておいた、結構な大きさである角形の麻の籠を取り出した。
「店主準備いいにゃあ~、ありがとうにゃ~」
「いやあ、こちらは外して書き物をするとばかりに思っていたので。
後、籠の中に剣の安置場所になる、壁に取り付け型の金具を入れてあります。都合の良さそうな所に、つけてください。
でも……思えば、ライさんは、帯剣はなさっていないのですね」
ライが早速ウエストから麻の籠を受け取り、その1つをリコに渡しながらそんな会話を行う。
「ワチシの武器は、鉄爪だからにゃ~」
そう口にして、籠を抱えていない方の手をまるで舞の振付の様にしなやかに振るったなら、冷たさを感じさせる音と共に、5本の銀色の鉤爪が籠手から姿を現した。
「まるで猫の爪みたいですね」
「にゃはははは、ワチシの猫真似は声だけじゃないんだにゃ~」
感心しきりで眼を丸くするウエストが、感想を漏らしたならば、ライは満足にそう答えて笑顔を作り、さっと腕を振るったら鉄の爪は直ぐに元の場所に引っ込んだ。
「とりあえずワチシ達の特等席に移動しようにゃ~」
「そうね、店の入り口に近いし他のお客様も、いらっしゃることもあるでしょうし」
女性の護衛騎士2人は麻の籠を抱え、護衛対象の老紳士も頷いた。
「ああ、ユンフォ様。ライさんの籠の方に"衣文かけ"もあるので、そちらに上着をかけるなら、使ってください」
「おや、お気遣いありがとう。
それでは、リコリス、ライヴ、支度を終えたら早速作業に取り掛かろうか」
「はい」
「はいにゃ~♪」
王族護衛"騎士"というだけあって、"上"からの指示があったなら機敏にリコもライも動き始める。
ユンフォ・クロッカスも、元は軍学校の"校長"の役割を勤めただけあって、その動きは一般の若人と変わらずに機敏なものだった。
喫茶店"壱-ONE-"で唯一6人掛けの大テーブルに置かれてある椅子を2脚減らし、リコとライが並んで座り、ユンフォは1人で座ってその横にある椅子の座面に書き物に必要な資料を置く。
ただ、それでも女性騎士達の方も、資料を大テーブルの上に広げたなら直ぐに埋まってしまっていた。
ウエストが頼まれた品物を持ってきた時は、既に各々が自分必要とする資料と向き合っている。
そしてそんな中でも一番険しい顔をしているのは、理知的、天然、魅力的と印象を次々と塗り替えているリコであった。
眉間にまだまだ縁遠そうな、つるりとした肌なのに、そこにわざわざ縦のシワを作りこの国の魔導書を何冊も広げ、必要な箇所には付箋を貼っている。
相当集中しているのは、まるで眼前にいる敵を見据える様に魔導書を睨みつけ、身だしなみの為に塗っている口紅の唇を僅かに動かしながら、ペンも動かしている事で伺えた。
「おおっと、これでは置く場所がない状態だ」
そして、声をかける前に気が付いてくれたのは、ユンフォ・クロッカスで、どうやら仕事的には彼のものが一番"簡単"なように見える。
ウエストも日報で見かけた事もある経済の冊子、貴族の間で読まれている最近の情報誌、そして随分と使い込まれた辞書が広げられて彼の側にある。
「ライちゃん、場所を作ろうか」
そう自分の護衛騎士に呼びかけるユンフォは、年齢もあってか老眼鏡をかけており、今まで老紳士だったイメージが、その"アイテム"の効果もあって、一気にお爺ちゃんっぽい雰囲気を加速させてもいる。
もし、老眼鏡をかけている、かけていない、それぞれの状態でユンフォ・クロッカス氏と最初の出会いを行ったなら、印象は違うものになっていると、店主は思う。
呼びかけられたライの方も、結構な集中をしていたらしく少し行儀悪く見えるが、実に器用に且つ素早く回していたペンを止めて、自分の耳の後ろにひっかけた。
そして手早く中央に置いてある、自分の分の資料を片付け始める。
「にゃ~、ユンフォ様ちょっと待ってにゃ~。直ぐに場所つくるにゃ~」
リコリスは1度視線を上げたたが、直ぐに視線を己が取り組んでいる報告書の方に落とし、そちらの方に集中を再び始めた。
(どうやら、"取り組み方"については前もって御三方で決めているのだろうな)
ここだけの振る舞いを見たなら、リコが随分な態度を取っているものにも見える。
しかしながら、これは彼女の高まり始めた集中力を妨げないように、協力をしているのが最初からの流れを見ている店主には伝わり、邪魔をせぬ様に場所を作っている2人の返事を待つ。
「にゃ~、ここに置いて欲しいにゃ」
「判りました」
ライが指さす部分に、湯気を登らせているそれぞれの注文した品物と、頼まれていた砂糖を一杯に詰めたポットを置く。
ライがその蓋を早速開き、ティースプーン山盛りの砂糖を相棒のカプチーノに注いでいた。
更にその動作を2回ほど繰り返し、合計3回で止めて、用意されていた混ぜ専用のティースプーンでミルクの泡を潰さない様に混ぜ、相棒リコリス・ラベルの側に寄せる。
するとリコの方は、そちらに視線を向けもしないで、利き手ではない―――左の人差し指をカップの取っ手に引っかけて、静かに口に含んで、そのまま意識を途切れさせずに、自分の仕事と向き合っていた。
(物凄い集中力だな)
感心する様な、少しばかり申し訳ないけれども、呆れるような気持ちも込みで、ポニーテールに髪を結い上げている青い淵眼鏡をかけた女性を眺めている。
「にゃ~、それじゃあ店主さん、あと一時間半ぐらいしたら、昼食を運んで欲しいにゃ~。
注文の内容は、最初に頼んだ時の様に頼むにゃ!」
「はい、了解してますよ。メニューの"最初から2つ"と、"本日のお薦め"を合わせての3人前の食事ですね」
ウエストが確認したなら、ライが親指を立てて可愛らしいウインクを向けてくれた。
「ばっちりにゃ、それでお願いするにゃ~」
先日、店の奥にある唯一の6人掛けの卓を貸し切りたいと言われた時に、昼食の注文も前以て受けていた。
今の集中しきっているリコリス・ラベルからは想像しにくいが、元来彼女は日頃から初見の印象からの見た目そぐわず、理知的な行動と発言をするのだが、1つだけとても不得手にしている事がある。
それが 食事のメニューが複数あった場合、自分で選択する事であった。
最初から決められているのならば、そのメニューのままで食べようと思うのだが、選択がある場合は困る時が多い。
半世紀近く前、平定の争いという国が傾いた時にもその指針と誇りを揺らがせず、乗り越え、残った数少ない貴族の名家のラベル家の"長子"として随分と厳しく躾けられた。
名家に恥じぬ様にと、物心がついた頃から詰め込み式に、お稽古事の日常でそれに従い、日々を過ごす。
普通なら反抗期等があるのかもしれないが、リコリスの"集中力"と、その学んだ事が貴族実際に役立っていると、素直に感じ取れる性格でもあった為、反抗する気もちが芽生えなかった。
ただ、その為に"自分で選ぶ"という機会がその成長の中で著しく減ってしまって、彼女自身も自分でも直したいと思う"癖"なのだが、中々自分では決められないという性格になってしまう。
そんな中で、貴族の中でも"本当に優秀"でなければ入隊できないという王族護衛騎士隊に入隊し、後から入隊したライとペアとなった時、"自分で選択する"訓練という物を相棒は勝手に始める。
別にリコが頼んだ事でもないのだが、
"自分で選んだ食べたい物、欲しい物を使った方が人生楽しいにゃ~"
"それは、そうね"
と、説得されたなら、例の素直な性格と、自分が好きな物を食べた時の事や、数少ない自分の意志で取った治癒術師の資格で充足感を思い出したなら、訓練を受け入れる。
ただ基本的に"相手に気を遣った方が気が楽"という性格でもある為に、自分の意見を通すという事が、気を遣わずに気楽に選択できるのは食事が殆どとなった。
衣服に関しても、自由はききそうな物なのだが、"ラベル家の息女"という立場と彼女の容姿から、既に身に着ける物のイメージが確立されている。
リコ自身もラベル家の贔屓にしている仕立屋や美容師が、"リコリスに合っている"と指導してくれた事で、時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分けは正しいとも思える価値観を培ってきた。
そしてそれを崩したなら、社交界という場所においては余計な噂やただでさえ名家という事で、足を引っ張られそうな事が起きかねないので、それはライの方も諦めた。
"リコにゃんが、"リコリス・ラベル"として産まれてきて頑張って積み上げてきた評価を壊してまで、貫く自由も馬鹿らしいにゃ~"
あくまでも、リコリス・ラベルの親友として、彼女にとって"益"になる様なことしか行わないと、ライが決めていた。
ただ、ライが訓練を始めるまで本当に"自分の自由意志"で決めてきたことが少なかった為、食事の度に、不得手ながらも楽しむという事を、選択する場面に遭遇する度に繰り返す事になる。
そんな日常も馴れ始めて、ここでライが"次のステージに行ってみようにゃん"としたのが、今回の出来事だった。
丁度報告書作成という移動をしない仕事をすることもあったが、色んな種類の料理を食べてみて、リコの中にある"好み"というものを確立しようという算段である。
これまで食事に付き合ってきたので、それなりにリコの食事の好みを掴んだのと、前に1度だけアルセンと一緒にした際に口にしていた味付けの好みを聞いて、この場所を選んだのもあった。
そしてライの個人的事情も含み、この喫茶店に使わせてもらう事にした。
(まあ、何にしても報告書作りのついでに、喫茶店のメニューを制覇して、一般的な"話題"の少ないリコニャンのコミュニケーションの糧にするにゃ。
あの腹黒貴族、何気に自分の家が株主になっている店や、グランドールのおっちゃんの"息"がかかった店ばっかりしか使わないからにゃ~。
出来れば何も影響がない場所で、素の2人で話して貰わんといかんにゃ~)
魔法の研究に余念もないけれども、"お洒落な事が好きな若い御嬢さん"として城下の商店街についても何かと調査していると、直にグランドール・マクガフィンに接した事で、改めて知る事が多く出てくる。
生鮮や食糧事情の市場占有率については、マクガフィン農場がダントツで、飲食に関係する店なら、殆どの店が何らかの形で関わっている。
ライは実を言えば、それまで褐色の大男が城下町をやんちゃ坊主を連れて歩いて見て回るのは、グランドール・マクガフィンが英雄という役割を担ってもいる自負があって、警邏みたいなものをしていると考えていた。
ただ現実的に見たなら、農場の主として取引先に挨拶に回り同時に、"経営者"として現場を見ているのが目的なのだと、改めて調査をした時に気が付く。
しかも、国最大の農場は城下街のどこかしこに関わっているので、もしも仮にライの大切な親友と顔は整っているが腹黒い貴族が密かにデートをしたとしても、その情報は洩れ、あの褐色の大男の耳に届くと思われる。
客人の個人情報を守ると謳っている店でも、アルセン・パドリックという人がグランドールと親しいというのは、広く知られている事なので、"悪気なく"伝えられる可能性が大いにあった。
そして、そんな中で唯一、この喫茶店"壱-ONE-"は直にマクガフィン農場と取引をしていない数少ない店の1つという事も判明する。
勿論、ウエスト氏が調理する為に野菜を買う商店街の生鮮市場の野菜は、殆どがマクガフィン農場の物だが、直に繋がっているわけではない。
それに加えてもう1つ判った事は、グランドール・マクガフィンは自分が経営する農場が直に関わっている店には、何らかの形で姿を現していた。
だから、その理屈でいえば直に関わらないこの喫茶店にだけには、姿を表さないと考えられる。
それに、この店の店主も、"ライの記憶にある限り"変わっていない様にも思えた。
多少、良い方への変化はあるのは感じられたが、そこに男女の恋愛事が絡んだのならこの店主なら、例え今後グランドールと知り合いになったとしても、良い意味で控えめな行動を取ってくれると思えた。
(にゃ~、腹黒貴族の親友のグランドールのおっちゃんには悪いけれど、恋愛の奥手で興味なしのリコニャンに、すこーしでもそっちの方面を意識してもらわなければいかんにゃ!。それには、腹黒貴族とリコニャンだけの空間を作らなければならんにゃ!)
先程と同じ様に、下手をすれば物凄い遠心力でかなりの飛距離をだしそうな速度で、ペンを指先で回転させながら、ライは黒目の瞳を細め、思考する。
(流石に出勤時間は合わないからにゃ~。
そもそも騎士の寮と、腹黒貴族の屋敷、方向が違うし同じ軍の敷地にあったとしても、軍学校と王族護衛騎士隊の詰め所の場所が、距離があり過ぎるからにゃ~。
昼食のランチタイムも、腹黒貴族が軍の幹部食堂使うから、接点もてないしにゃ~
絶対に在り得ないけれど、朝の通勤の時に寝坊してパンを口に咥えて、腹黒貴族とぶつかってみたいな、わっかりやすい出来事がなければ、意識しないだろからニャ~)
「―――ライちゃんは、さっきから手が止まっているみたいだけれども、どうしたんだい?」
正面に座っている、護衛対象の老紳士―――というよりは、今は"お爺ちゃん"の様相になっているユンフォが、自分の仕事が一段落がついたのか、先程からペンを 勢いよく回し続けるライに尋ねる。
「にゃあ、実はワチシは今は資料待ちなんだにゃ~。それがこないと、進められないんだにゃ~」
そう口にしながら邪魔にはならないとも判ってはいるけれど、自分の横で資料と向き合って唯一筆記作業を続けている相棒を見つめる。
カプチーノが入っていたカップは既に空になっていたが、リコはまだまだ集中力が途切れてはいないらしく、複数の資料に目を通してはそれらの情報を元に自分の言葉に仕立て直して、報告書に記載する作業を繰り返していた。
ユンフォもカップも空になっていて、ライは勢いよく回していたペンを止めて立ち上がる。
「と、いうわけで、ワチシがお代りの飲み物を貰ってくるにゃ~。店主さん、昼のランチタイムの準備を始めたみたいで、忙しいにゃ~」
昼に、あっさりめの昼食を求めてそれなりに多い客が訪れるらしいのは、場所を貸して欲しいと頼んだ時から聞いている。
「ユンフォ様、飲み物は何にするにゃ?」
「食事の前に腹が膨れるのもなんだから、匂いを楽しもうか。紅茶のダージリン、確かヘンルーダ産の茶葉を扱っているのがあるとメニューに書いてなかったかな」
そう言いながら、卓上の端に移動させられたメニューに書かれた小さな衝立に老眼鏡越しに視線を注いで確認する。
「にゃ~、ちょいと高めだけれどいいかにゃ~?。経理に文句言われないかにゃ?」
「それでは、ここは私個人からだそう。
それにポットで頼んだ方が、お得だ」
そう言って、懐から財布を取り出して小金貨を取り出し、丸い銀の盆を抱えているライに手渡した。
「にゃ~、ありがとうございますニャ~♪」
ライとユンフォがこんなやり取りを行っている間も、リコリスのペンは止まる事はなかった。
いつもなら、真っ先にお礼を口にする彼女が、集中の余り、周りとの空気を遮断し真剣に打ち込むその姿に、自分の恩人の姿を重ねて静かに微笑んだ。
ユンフォはライの出自の詳細な事情を知る数少ない物として、いつもは騒々しいくらいチャーミングな"女の子"が、誰を想って リコリスをみつめているのか、気が付いた。
「―――えっと、賢者殿が仰っていた、ライさんが待っているっていう喫茶店はここだな。すみません、こちらにユンフォ・クロッカス様はいらっしゃいますか?」
「わあ、いい匂いしてるなぁ。
リリィ、軽くなんか食っていくか?ジュースとか、軽食も扱っているみたいだし。
奢るからさ♪」
「ルイ、あなたキングスさまの作った朝ごはん、殆ど平らげておいて、またお腹空いているの?!。
……え、ジュースが一杯が銅貨4枚?!高くないアルスくん?!」
「リ、リリィ、ほら、ここ、お店の内だし、店長さん苦笑いを浮かべているから」
だが、のんびり思い出に浸る間もなく、賑やかな声が"壱-ONE-"が響く。
「ユンフォ・クロッカス様なら、店の奥にライヴ・ティンパニーさんとリコリス・ラベルさんに"護衛されて"、お仕事をされているよ」
ライに"もし自分達を尋ねてくる者がいたなら述べて欲しい"とされる口上をウエストが口にするのが、聞こえた。
「にゃ~、待ち人と"資料"が来たりだにゃ~」