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日常から、催し事への誘(いざな)い⑦

(ああ、この感じは―――)


気配はないけれど、"お茶を運ばれてくる"という状況で誰が来たのか、直ぐに判った。


『リリィさんも、アルス君も本当の兄妹以上に互いを思い遣って、微笑ましい限りですね』


そんな声と共に、爪化粧を施している指先が、アルスは見た事がない食器―――小さな木製の皿の上に"口"の広い取っ手の着いていない器に、湯気を昇らせる茶が入った物が差し出された。


『あ、ありがとうございます、キングス様』


(あれ、匂いからしてコーヒーとばかりに思っていたけれど、これって)


礼を言いながら、馴染みがある種類の薫りなのだが"温度"が違って嗅ぐ事になるのは初めてとなる、仕立屋から差し出された茶を、アルスは見つめた。


『温かい麦茶です。温かいのは余り馴染みがないかもしれませんが、気持ちが落ち着きますし、何より栄養があります』

『やあ、キングス。片付けが早く終わったみたいだねえ。

ここにお茶を運んできてくれたって事は、今はリリィが今日は生ごみを捨てに行ってくれているって事だね』

仕立屋は丸い食卓の先程自分の座っていた席に腰掛けることなく、ウサギの賢者とアルスの間に佇む。


『はい、リリィさんはどうやら"大人の難しい話"と察してくれたらしくて、自分から生ごみを捨てに行ってくれました。

後、お茶は賢者様は、もういいかと思いまして、運んできませんでした』


『うん、正しい判断だよ、キングス。生地汁でワシのお腹パンパンで、あと一時間もしたら強烈な睡魔に襲われそうだ。

でも一眠りする前に、王様にロブロウでの報告書を仕上げなきゃいけないし、軍の会計隊にロブロウの領主邸へ弁償代金も送金の書類も作成しなきゃいけないんだよね~』


"ロブロウの領主邸へ弁償代金も送金"という言葉に、温かい麦茶が入っている為に熱が浸透している器を摘まんだままアルスの動きが止まる。


(ーーーそう言えば!)


そして掘り起こされる記憶は、今は生ごみを捨てに行っている為に、不在となっている同僚の小さな女の子の声で読み上げられた、ロブロウでしてしまった失態だった。


"ぼくたちは、調子に乗って日が昇る前に中庭で遊びました。

そして代理領主アプリコット・ビネガー様の安眠を妨害した為、反省の正座をしています。

朝食まで、そっとしてあげてください"


西の果ての領地農業研修で数日逗留している際、目覚めの悪く、しかもかなりの早朝だった。


そして、早起き過ぎて時間が余り、アルスに釣られるように起きてしまった同室のやんちゃ坊主が提案してくれた、息抜きに乗って行ってしまった事。


(そうだ、安眠妨害をして、それでその妨害の被害が安眠だけではなくて)


そうやって続けて掘りこされるのは、その"安眠妨害"を共に行った、八重歯がトレードマークなるやんちゃ坊主が、リリィに行った的確な説明だった。


"オレとアルスさんが、遊ぶ―――つうか、息抜きで中庭で模擬試合をして、アルスさんが力余って、確かオレが吹っ飛ばされてさ。

中庭にある調度品の椅子やらテーブルにぶつかって、壊しちまって"


(そ、それで結構立派な中庭の家具を結構激しく壊してしまって)


"オレはちゃんと貯金してるから、オレの金で弁償するもんね"


『―――自分も積み立てから、出します!賢者殿!』

『え、積み立て?』


これまでどちらかと言えば、アルスを翻弄する様な行動や言葉が多かった仕立屋だが、今は夜空に浮かぶ月の様な丸い眼を激しく瞬きする。

それから、相当な熱を持っている茶の器を握り続けている新人兵士を、心配そうに見比べていた。


『アルス君、かれこれ10秒ほど過ぎているけれど、指先は大丈夫かい?』

ウサギの賢者が尋ねたけれども、新人兵士はその事よりも自分がしでかした失態を忘れていた事に気持を動転させていた。


『だ、大丈夫です!それよりもロブロウでの弁償を、すっかり忘れてました。

自分も明日軍の会計隊に行って積み立ての貯金を下ろしてきますから、送金して―――』


『まあまあ、落ち着いて、アルス君。あと、指先真っ赤だから、摘まむ手を交代して、お茶を飲んだらどうだろうかね?。それからワシの提案に、アルス君の耳を貸してくれたなら有難いんだが。

一応これは、命令だから、よろしくね』

『す、すみません、従います』


それから、直ぐに新人兵士は命令を聞き入れて、お茶を慌てて一口含んだ。

指先では熱く感じても、飲むのには程よい熱と、麦茶独特の柔らかい麦を炒った薫りで、不思議なほど気持ちは落ち着いた。

ただ、どんなに落ち着いても、責任感の強い少年の頭の中には、"弁償しなければ"という気持ちは不動に残っている。


『"弁償しよう"という気持ちがあるのは、大いに結構』

耳の長い上司は、部下の顔から零れ落ちるその気持ちを拾い読み、その気持ちを了承している事を伝える。


『ただ、個人的に弁償は、ワシの個人資産というか、賢者としての必要経費で落とそうとも考えているんだ。

そもそもは、王様の命令で行った先で起こった出来事で、アルス君を連れて行くのを決めた責任者はワシだからね。

責任はアルス・トラッドの上司であるワシであるし、更にその上で命令した王様にある。

で、相手は王様だから、ある意味じゃあ"必要経費"として落とす事はできるんだよ』


『でも、それこそ、税金の無駄遣いじゃあ―――』

賢者の理屈に言葉を挟もうとしたなら、それには長い耳が(なび)くほど賢者の頭が左右に触れる程、否定された。


『いやあ、それはない。アルス君とルイ君の、やんちゃを目撃したお陰で、ルイ君も意識がないながらも、参加して行う浚渫の儀式の概念(コンセプト)を思いついたと、領主殿から、報告を受けたからね。

で、概要を使った儀式の"結果"は、あの領地を救った―――は大袈裟でもない』


回り諄い物言いだけれども、賢者が言っている意味はアルスは理解出来た。


それに、言葉や文章で表現するには複雑で難解すぎる出来事であって、それが解決する鍵になったというのなら、あのやんちゃは随分と役に立ったというのなら、無駄ではなかったと思える。

しかしながら、真面目な性根の新人兵士はそれでも、自分が物造りを趣味とする者として、"壊した調度品"への申し訳なさから食い下がる。


『自分と、ルイ君がした事が、あの大掛かりの儀式のアイデアに繋がっているという事は、判りました。

でも、それに責任を取る必要がないとしても、あの壊れた調度品を弁償するというか、償う為に何かできないでしょうか』


出来る事なら自分が直接関わる形で、壊してしまった、時間をかけて使い込まれた故の年季が出ていた調度品に対して、新人兵士は何らかの形で詫びたかった。


『償うなんて言葉を使って、調度品相手に対しても優しいねえ。

ワシ的にアイデア料というか、あの結果を出す為にあのやんちゃが繋がっていたなら、領主殿に"ロハ"にしてよと言いたいけれど。

まあ、確かに話に聞く限り中々年季の入った家具だったらしい。

しかも、領主殿の御母堂の御実家が家具の店を営んでいて、そこから取り寄せていたというから、思い入れもそれなりに、あったかもしれないねえ』


『嫁ぐ時に、輿入れの道具として、家具は持たせる風習がある地域もありますからね。

家具屋の娘となったら恐らく持たせるし、もしかしたら領主様の家では贔屓にはしていたでしょうね』

賢者の発言を補う様に、先程のアルスの発言に軽く驚いたが持ち直した仕立屋が言葉を添えた。


『そんな話を知ったなら、尚更です。何らかの形でお詫びを』

物造りが好きで、休日大工が趣味なアルス・トラッドとしては何としても詫びたくなってしまっていた。


『詫びるか……しかしながら、アルス君、形あるものはいつか壊れる。

キングスの出身の東の国でも、盛者必衰という言葉があるじゃないか。

この世は無常であるから、栄華を極めている者も必ず衰える時が―――』



『賢者様、話が幾ばくか逸れ始めています』

仕立屋が再び言葉を挟んで、ウサギの賢者がやっていた話の本筋のズレを修正させた。



『ああ、ゴメンゴメン、それでだ。

壊れる程の激しいやんちゃを見なければ、"アイデアを閃いた"という、どうにも形にならない物につける値段の相場が、ワシは商売人じゃないから判らない』

『はい、そうですよね』


口には出さないけれど、賢者であるのだから、全てに通じ詳しそうにも思えるのだが、金銭関係に関しては知識はあるけれど、無頓着というイメージを部下として受けていた。

そのウサギの賢者は部下の賛同を受けてから、今度はきっちりと話を進め始める。


『なので先ず、物を壊したという事で、その元々の値段の分だけお金を返すのが筋だと思うので、まあ弁償はしておく事にしてこう』


『でも、弁償に自分の積み立ての貯金は使って貰えないということですよね』

『そこは、ワシの上司としてのプライドを尊重していただこうか』

フン、と小さい逆三角形の鼻とヒゲを盛大に揺らし、専用の椅子で耳の長い上司はふんぞり返る。


『……それでも』

『何だか外出先で食事でもして、支払いをどちらかにするか揉めている、上司と部下みたいですね』


アルスが拘っている所に、仕立屋がやんわり言葉を挟みこんで、アルスの方は"え"と小さな言葉を漏らし、1人だけ立っているキングスを見上げる。

視線が合っている事を確認してから、品よく微笑んで唇を開いた。


『ただ、私なりに"ウサギの賢者"様という方を親友させて貰っている身として言わせてもらえるなら、賢者様は余程相手の事を気に入っていなければ、"割り勘"なさる方ですよ。

アルス君も、それとなく感じているのではないのですか?』


『はい、それは―――』


軍学校、そして軍学校に入る前にそれなりに社会経験を積んでいるので、場の状況において"奢られる"事も、コミュニケーションの一部なのだとは弁えているつもりである。

それを拒むことは、失礼にモ値するというのも、知っているつもりでもある。


『でも、奢られるにしても―――いや、奢って貰うわけでもないのですけれども、自分の不始末を経費で落として貰うには、金額が多すぎる様な気がして』


その料金はもしかしたら、自分の積み立てた貯金では足りないかもしれないけれど、それにでも一部は負担したいと、新人兵士は考える。


『成程、そこが気になるなら、条件を出して奢られてくれるのはどうだろう。

というか、最初からそのつもりでアルス君に有り余る代休の事も含めて、話そうと思っていたんだよねえ』

『もしかして、賢者殿はそれを含めてさっきまでの"貯まった代休お買い上げ"の話をしていたという事になるのですか?』


『そういうことだね。ワシの気持ちと言うか、目論見を汲み取ってくれて、ありがとうね~。

ついでに合わせて言わせて貰えるなら、アルス君とルイ君のお陰で出てきた、"浚渫の儀式のアイデア"。

それと、年季の入った調度品を壊してしまって申し訳ないという"(あがな)い"の気持ちで、具体的に"金額"という形に換算出来ない物を相殺。そうして気持ちを納めて貰うと、有難いんだけれどね』


肉球と硬い爪のついた指先を立てて、茶目っ気たっぷり(だと賢者は思っている)仕草で、言い切った。

その要求に、アルスは恩師が時折に浮かべる困った様な笑顔を浮かべ、頷き了承する。


『"壊してしまった事"は、アプリコット様の儀式のアイデアが"産まれた"という事で、そう考えるようにします。それで、納得する代わりにと、上司に向かって取引みたいな事を口にして恐れ多いと思うんですけれど』


顔に浮かべた"笑い"の表情の部分を完全に引き戻し、"困った"の部分を決意に変えて、真面目な顔と精悍な眼差しをウサギの上司に向かって、新人兵士は躊躇いがちに言葉を口にしていた。


『ふふふふ、ワシが堅苦しい事を苦手だからね、そう畏まらずに取引を言ってごらん。アルス君の事だから、そんな無茶な事でもないだろうし』


"無茶な事"なら、新人兵士の恩師や、その親戚にもあたるこの国の王様から何気に押し付け馴れている賢者は、円らな眼を細めながら、

(アルス君は、きっと無茶な事は言わない)

と、自分を説得する様に心で己に言い聞かせて頷いていた。

その上司の複雑な心の内は読めないが、許可は出たのでアルスは口を開く。


『……?はい、ありがとうございます。それで取引というか、お願いに近い物なんですけれど……。

代休は万が一の事を含めて、それなりの余裕をもって、出来る事なら常に7日位を保持している様にと習いました。

それで自分は、その日数ぐらいまで消費しなければならなくて、賢者殿がその計画練ってくれていて、それを今から教えてくれようとしているのですよね?』


『ああ、そのつもりだよ。キングス、ワシは今の軍の状態に疎いから良くは知らないけれど、そんな感じだよねえ?』


賢者に確認する様に尋ねると、仕立屋はまるで上官の予定を預かり知る、軍では副官、一般には"秘書"と呼ばれる立場の人物の様に頷いた。


『そうですね。それで"代休を消化しなさい"という紙飛行機は代休が20日以上程貯まった頃に、届けられます。あ、因みに有給はまた違う形で、消費を人事が要求する時もあります。』


(どうして、仕立屋のキングス様が、軍のそういった事を知っているのだろう?)


新人兵士の為もあるが、休暇の仕組みもそこまで把握していないので、疑問の表情を浮かべてしまうアルスに、仕立屋は直ぐに気が付き微笑む。


『私は国の"英雄"を仕立てる事を、国王陛下から命じられています。

それを含めて、この国の英雄であるアルセン様の御職業が軍人であらせられるので、伺っても良い時間を前もって調べる延長で、軍の代休の仕組みも掌握しているのです』


そう言うと、重ね合わせる形の衣服の袂の前で、それまで下げていた腕を上げて爪化粧をしている長い指の手を拳にして、微笑みを浮かべる。

だが、微笑んでいる筈なのに不思議な"凄み"を感じて、アルスは無意識に唾を飲み込んでいた。


『―――ちなみに、アルス君は、余裕で20日超えているからね』


新人兵士が少し狼狽えている様に見えた所に、耳の長い上司が飄々として声をかけて、現在所持している代休の日数を教えてくれた事で漸く場が和んだ。


『20日ですか――じゃあ、それを平均的な7日ではなくて、12日位余裕が残る様に、代休を残しておいて欲しいんです』

『おや?もしかして、休みを利用してどこか出かけたい場所や、したい事でもでもあったのかい?』

長い耳をピピッとさせ、予想外な発言だったことをそれで表現していた。


『はい、でも、使うのは随分先になるとは思うのですけれど―――』


そうしてアルスが語るのは、やがてこの王都にやって来るという、傭兵"銃の兄弟"シュトとアトのザヘト兄弟が生活が落ち着いたなら行いたいという事に、付き合う事だった。

それは丁度今、彼らが旅立っているだろう、この国の西の果てにある領地ロブロウで世話になった老執事の"墓参り"だった。


『その"先程"の自分とルイ君のやんちゃで思いついたという、ロブロウ領主様のアイデアから齎された"儀式の結果"の出来事は、弁えているつもりです。

物凄く印象が強くて、情けない事に調度品の弁償を、自分は賢者殿が口に出すまで忘れる程の事でした。

でも、そんな中でも、あの執事さんは普通に"旅立った"と、弟のアト君は信じています』


『うん、そうだねえ。多分それで言えば、リリィもそうなる―――普通に旅立っていると思っている』


『あ、そう言えばそうですね』

賢者が話を聞いた上で、その事実を告げると、アルスもその事を思い出す。


『あの子も墓参りをしたいとはいっていたけれども、執事さんの遺言に極力静かにという言葉もあったみたいだし、あの時は客人の立場だったから、余り動けなかったからね。

そうだ、ワシもあくまでも予定で希望なんだけれども、もしアルス君が大丈夫なら、"その時"にはリリィも連れて行ってもらえるかな?』


『え?自分はリリィさえ良くて、賢者殿が許可を出してくれるのなら、一緒に行くのは全く構いませんが』


それで、親友の弟に続いて小さな同僚も気持ちが落ち着く事に繋がり、アルスは一言、調度品への謝罪を行えたなら、一緒に連れていく事は(やぶさ)かでもない。


『じゃあ、その方向で話を纏めようか。そうすれば、アルス君も再びロブロウに行く事になったその時になって、連続して休みを取ったとしても、リリィと離れなくて済むし、護衛も何も心配しなくていい』

『あ、それはそうですね。でも、その際、"賢者殿"はどうなさるのですか?』


不思議と話のニュアンスから、ウサギの賢者が再びロブロウに向かうおうとする際には、同行するといった印象を受けなかった。


『もし、一緒に来られない場合、自分は、"ウサギの賢者"の護衛騎士なので、その時休みを申請して、軍の上の判断を仰ぐことになると思うのですが―――勿論、リリィの事は何が何でも守りますけれど』


そう口にしながらも、"この賢者に護衛としての自分は必要なのだろうか?"という疑問も胸の内で当然の様に浮かんだ。


(自分なんかよりも、キングス様の方が―――)


丁度自分と賢者の間に立っているどちらの性も兼ね備えているという、優しく力は褐色の大男の英雄とも比類するという、武芸にも長けた仕立屋を僅かに見つめる。

それから、小さく頭を振ったなら、直ぐに視線をウサギの賢者の方に戻した。


(キングス様は"仕立屋"であって、護衛騎士ではない)


『まあ、その話は、それが決まった時にしようか。随分先になるだろうし、シュト君達が、まだこちらに着いているわけでもないのだし』

『―――そうですね』


考えが先走りすぎているのは、自分が代休の消費の提案をしている時から、感じていたアルスは、賢者の言葉に素直に引いた。


『じゃあ、代休の減らし方に関しては、アルス君の提案通り、余裕を少し多めにして残して消化する形にさせて貰おう。

それで"代休"を消化している時間を、リリィがお裁縫を学びにアトリエ・スタイナーに向かっている時間にあててもらおうと思う。

それで、アルス君はキングスに魔法の基礎を実地で教えて貰ってね。実地で手取り足取り―――ううん、これは羨ましい』


『―――賢者様、もっと他の仰りようがありますでしょうに』


最後の方は明らかにふざけているのは、仕立屋にも新人兵士にも判って、取り敢えず親友にあたる方が顔を赤らめながら諌めを口にした。


だが親友が恥い、赤くなっている表情が"お気に入り"でもある賢者は小さな口の端を上げ、寧ろ喜んでいたが、取りあえず詫びの言葉を出して、具体的な話を続ける。


『ごめん、ごめん。アルス君が羨ましいのは本当だからさ。

それでさっきも言ったとおり、リリィがお裁縫を教わっている間は、アルス君は時間を持て余す。

その間にキングスに、初歩的な魔法の事も含め、気持ちを冷静に保つ事をアルス・トラッド君に学びとり、会得して欲しいなぁと上司として、思う訳なんだな。

丁度、他の部隊と同じ様に、"ウサギの賢者の護衛部隊"として、大仕事と片付けを終え、暇になっている代休を使わせられる時期に、スキルアップをして欲しい』


”軍隊嫌いのウサギの賢者"の護衛を熟す事で、魔法は苦手だけれども有能な少年が、同期で一般部隊に配属された新人兵士達に比べて、遅れをとる様なこともさせたくはなかった。


(まあ、剣の腕前は新人兵士の中では、当分"一番"だろうけれどもね)


穏やかに部下に上司として時間の有効活用を提案しながらも、"姪っ子の気に入っている兵士のお兄さん"に頑張って欲しいという、自覚のある贔屓の心でウサギの賢者はそんな事を考える。

だが、賢者の提案に、アルスはこの魔法屋敷に訪れてから顕著になってもいる自分の特徴について、少しだけ不安そうに尋ねる。


『気持ちを冷静に保つ事―――"気持ちを落ち着かせる"というよりは、自分が思っている事が、顔に出やすいのを抑えた方が良いという事ですよね』

耳の長い上司は、自分の護衛騎士の言葉に深く頷く。


今まである意味では揶揄(からか)われる様に、上司には"顔に出ている"とも言われていた。

ウサギの賢者が心配してくれているまではいかなくても、アルスのその部分を気にかけてくれているのを有難く思っている。


(護衛騎士なのに、まるで賢者殿に小さな子供の様に気にかけて守って貰っているような所があるのも情けない)


『やはり、兵士というのは冷静で沈着でないといけませんよね』

俯き、量も減った事で大分熱の引いた、麦茶の小さな波紋を見つめながらアルスは呟くように言う。


精悍な眼差しを携える、傍目には誇りも高そうな凛々しい少年の外観ながらも、その自尊感情はウサギの賢者が見る限り、著しく低い。


後輩の教え子も、教官として気にしている部分であると申し送りの書類に記されていたし、ロブロウでは少年にとっては先輩で憧れに当たる女性騎士に、叱咤もされた。

叱咤された後に起こった―――"浚渫の儀式"の一連の出来事の後に、苦手な事とも"出来ないから"と向き合う事すらしようとしなかった心構えは、向き合う形となった。


けれども根底にある自尊感情の低さは、未だに泰然とてアルス・トラッドいう少年の心の底に居座っている。

そんな自分の部下の胸の内を円らな瞳で見据えて、モフモフとした毛に覆われた胸の内で賢者は小さく息を吐く。


(取りあえず、何が差し迫っているわけでもなんいだ、焦らずに行こう。

"ウサギの賢者"殿)

己にそう言い聞かせる。


"人"の自分は相変わらず大嫌いで、そして伴侶を愛してくれた人達から、瑞々しい感情で以て憎まれ、この世界でその姿を晒したなら、傷つけてしまう。


けれど少なくとも、ウサギの姿をしているなら、賢者であったとしても伴侶の大切に思ってくれていた人達を傷つける事はない。


どんな時でも、ウサギの姿を見たなら、頑なになった心でも、

"ありがとう"

と微笑みを浮かべ、手を差し伸べてくれた。



(人を元気づける"ウサギの底力"、アルス君にもみせつけないとね)


『個人的に"判り易い事"というのは、とても良い事だと思うけれどね。


それに、アルス君は顔が整っている事もあるけれども、優しい印象を与える事は、この国の軍隊の印象を良くするのには一役買っていると思うんだけれどね~。

少なくとも、我が家の軍隊嫌いの女の子は、優しい天然のお兄さんのお陰で、意識は改めたよ』

口の端を上げ、円らな瞳を細めて笑顔を作る。


『ワシが、ふざけるのが好きだから、からかい過ぎて嫌になってしまったかな?』


『いえ、からかうのではなくて、仰っている事は事実ですし。

それにリリィが意識を改めてくれたのは、気は強いけれど、元から良い子だからであって……って、あれ思えば』

ここで新人兵士がある事に気が付いた。



『ああ、そう言えば……リリィさん遅いですね』

アルスが顔を上げたなら、仕立屋も気が付いた。


『今日は自分の代わりに、生ごみを捨てに行ってくれて―――。

それで最近熱くなってきたから、腐葉土を作る為の穴にかける土の量が増えたとして、ここまで時間がかかるのは変ですよね』

アルスが機敏に立ち上がろとするのを、ウサギの賢が肉球のついた手で、落ち着かせるように手を伸ばす。


『心配しなくても、大丈夫だよ、アルス君。

この魔法屋敷、警備(ホームセキュリティ)は、万全だから。

ワシが認識してない存在が近づいたら、敷地内に入ろうとする側からかつての最初のアルス君みたいにこけるか、若しくは逆さまに吊るし上げていくから。

それに、リリィに危害を加えようとでもしたならあの子にも、荊の鞭で遠慮なく戦っても良いと―――』


『―――ホウキィー!、待ちなさい!早く屋敷の納戸に戻りなさい!』


"噂"をしていれば、話題の張本人の威勢よく鳴り響く鈴の様な声で、この魔法屋敷の"問題児"を追いかけて居る事を伺わせる声が、屋敷の壁越しに響いた。


『……どうやら、あの魔法の箒が納戸から脱走していたらしいね。

それでリリィが、生ごみを捨てに行った時に見つけて、今は捕獲する為に追いかているという按排に聞こえるねぇ。

よし、アルス君、リリィを手助けするべく"餌"になっておいで!、因みに上司命令!。

帯剣はしなくていいから!』


『え、あ、はい!』

ウサギの上司の言葉に新人兵士は、今度こそ機敏に椅子から立ち上がる。


『どうせ、箒にいつもの様に、襲われ汚れても、今日はこの後お風呂に入るから気にしなくてもいいよね~。ワシが上げた"入浴剤"もきっと気持ちいい感じだよ~』


耳の長い上司が"のほほん"としてそんな事を口にした瞬間に、新人兵士の身体の機敏な動きが一瞬とてつもなく鈍くなったけれども、直ぐに元に戻る。


『い、行ってきます―――!』


そして新人兵士の姿が見えなくなったなら、仕立屋が小さく息を吐く。


『"ネェツアーク様"、少しばかりイタズラが過ぎるんじゃないんですか?』


困り顔ながらも、綺麗な笑顔を浮かべて賢者専用の椅子から、キングスにとっても"上司"に当たるウサギの姿をした賢者を抱え上げる。

その仕立屋の腕の中で、賢者は座りなおしながら、小さな口を開く。


『ふふふ、ウサギの賢者という存在に"嘘"をつくというリスクを、少しばかり味わってもらわないとね。

でも、キングスが二重に手を回してくれたから、アルス君も入浴剤程ではないけれど、昼間に十分運動もして、日光を沢山浴びて"麦茶"のお陰で、今夜はぐっすりだろう。

ただ、入浴剤の闇の精霊ほど力が強くはないから、何が何でも目覚めないって事はないか。

もしかしたら、ロドリーが屋根裏の天井に頭でもぶつける位の気配でもしなきゃ、眼は覚めないだろうしね』


賢者が"ネェツアーク"という人の姿の際には、同じ副官の立場となる、蛇のような眼をした人を揶揄する発言に、仕立屋は引続き苦笑を浮かべる。


『そんな事は、ネェツアーク様―――賢者様がイタズラでもしかけない限り、ロドリー殿は脳天をぶつけたりは致しませんよ。それにしても、アルス君は、どんな考え事があるのでしょうね』


そう言って、小さな同僚を手助けするべく飛び出す様にして出ていった、実直な新人兵士の姿が消えた食堂の入り口を見つめる。

ウサギの姿をした賢者も、仕立屋の腕に中からちらりとそちらの方に視線を注いでいた。


『ある意味、色々考え込むお年頃ではあるのだろうけれどね』

そうしてウサギの小さな頭の中に思い出すのは、先程聞いてしまった部下達の内緒を思い出いていた。



"あ、そうだ。リリィ、良かったら自分が貰った入浴剤、貰ってくれるかな。

今夜、ちょっと考えたい事があるんだ。

でも明日賢者殿に効能とか、薫りを聞かれたら困るから、リリィが使ってその薫りを教えてくれたら有難いのだけれど"


素直で真面目そうなアルスが、リリィにそう頼みこむ事を、魔法屋敷に仕込んでいる魔法―――"いたずら精霊"の能力を役割を担う、風の精霊が耳の長い屋敷の主に届ける。



『やれやれ、嫌な義務から漸く解放されるその日に、こんな興味深い内緒話を子供達はしてるんだもんなあ。ウサギのオッサンだけ仲間外れにされて、さーびーしーいー』

『寂しいかもしれませんが、ここは大人しく、"大人らしく"、知らない振りをしておきましょうね』


仕立屋が慰めるように、賢者のフワフワとした体を撫でて、軽く抱きしめたなら賢者は直ぐに上機嫌になっていた。


『何にせよ、性に合わない義務を無事に終えた事、ご苦労様でした』

『そうだね、そう考えるようにするよ、キングス』


―――新人兵士を配属された先の上官は、"監視"をする義務があり、そしてされる側は、監視されている事実を知らない。

アルス・トラッドを部下として迎える際に、軍部と交わす誓約書にいやいやながらにサインをして、判子を捺した。


プライバシーも何もないと感じられる事ではあるが、"国の貴重な人材"である上官となる存在を護る為に、軍上部が機密に作った命令。


"興味が無いものを、見せつけられる事ほど苦痛な事はない"


そんな言葉を吐いて、リリィが人攫いと思われる兵たちに絡まれるまで、護衛騎士をつける事を要請を退けていたウサギの賢者でもあった。


ただ監視の義務期間は、やはり護衛する側の個人情報も尊重することもあり、護衛される上官感が"認めた"なら一定の期間をしたなら解除も出来る。


最短が1ヶ月間で設定されており、それが過ぎたなら、後は必要に迫られない限り監視をすることはない。 


『でも、リリィはやっぱり子ども同士で遊ぶというか、やり取りするのは楽しそうだったね、キングス』


"ねえ、これって賢者さまが良く言っている、『誰にも迷惑かけないズル』になるのかな"


仕立屋に抱えられ屋根裏の私室に戻りながら、先程の子ども達のやり取りで聞こえた自分の姪にも当たる少女の明るい声を思い出しながら、また少しだけ寂しそうな声を出す。


これには少しだけ、呆れた声を出しながらも腕の中で、モフモフとした姿になっている賢者の小さな額を爪化粧のしている指先で優しく撫でた。


『リリィさんは、まだまだ賢者様を必要とする年なんですから、そんな事で拗ねていたらこれから、大人になるまで身が持ちませんよ。

それに、子どもばかりではなく、"大人"の話しもしませんか?』

『おや、何か艶っぽい情報でも、仕入れているのかい?』


元々好奇心旺盛な賢者は耳をピンと伸ばすと、同時に仕立屋は小さな額から手を離して、賢者の私室の扉の入り口に手をかけ、綺麗に微笑む。


『ええ、鳶目兎耳ネェツアーク・サクスフォーンが肩を負傷したのは話に聞いていましたが、"背中に爪の痕"があるのを、先程コートを還す時に見つけまして』


笑顔であるが、自分を抱きかかえる仕立屋のその背景に怒りを伴う炎の形をしたオーラの様な物が立ち上っているのを、ウサギの賢者は想像させられる。



そして足音もなく、1っ匹と1人は寝室の中へと入り込むと自然に部屋に灯りも点った。



『もしかして、コートとの特別な契約を着る為に人の姿に少しだけ戻った時に、"見つけた時"から、既に怒ってはいたのかな?。

それなら、流石キングス。

ワシ、怒っている事、ちっとも気がつかなけかった。

アルス君の感情を抑える術を学ばせる事を頼んで、正解だね。

というか、まだ背中に爪の痕残っていたんだ~』


『ええ、しかもあの爪痕の着き方は、抱きしめ合ってというよりも、まるで寝台の上で肌でも重ね合わせた時に着いたような、角度でしたよ、賢者様』


『そこまで判るなんて凄いなぁ~、アッハハハ』

『お褒めに預かり、光栄ですフフフフフ』

同時に笑い声を出している内に、仕立屋は足の踏み場の出来た寝室を進み、寝台の上に腰掛ける。


(うーん、アルセンが、ロブロウでの浚渫の儀式に参加出来ない憂さ晴らしに、"背中を貸した"ばっかりに。

にして、ワシもアルス君に人の事言えないな~。

儀式の前の浄め禊の背中に疑惑を産み、嵐を呼ぶような爪痕が、腹黒貴族によって作成されていた事を、完璧に忘れていた……)


そして、忘れていた理由と言えば、これも護衛騎士と全く同じで、浚渫の儀式を含めその後、あの領地で起こった出来事が色々とありすぎて、見事に忘却していた。


(というか、アルセン、憂さ晴らしっていうか別サイドから確り"参加"していたんだから、ワシ―――"私"の背中の爪痕って、本当に無意味というか)


ウサギの姿となっている自分を抱える、親友が笑顔ながらも怒りのオーラを纏いながら、座った寝台の上で、抱えられた格好から向き合う形になる。


(今日は、夜の会議の後にキングスと"まったり"出来ると思ったんだけどなー)


本当に"確り"と掴まれているので、ウサギの姿の時には得意技とも、(のたま)っている"脱兎"が出来る状態ではなかった。


―――ところで、貴方のとても大事な"仕立屋さん"から、平手打ちを食らうのと、疑われて泣かれるのどちらがいいですか?。

―――それとも胡桃を粉砕する指先で、ほっぺた捻りあげられるのもいいですね。


(取りあえず、浮気を疑われて泣かれる事はないかな)


美人で腹黒い後輩に、浚渫の儀式の支度の手伝いを受けながら、言われた台詞を思い起こし、フワフワな胸の内側で小さく息をつく。


(でも、ひっぱ叩かれるのも、つねりあげられるのも嫌だなあ。それと、こんな"面"をつけているような笑顔も)


笑顔だけれども、その内側に感情をひた隠すのが窺がえる親友を、膝の上に乗せられ掴まれている状態で見上げる。


(仕方ない、取り繕っても色んな意味でもう心配をさせてしまっているから、ここは潔く行こう。

でも、話を進めるにしても、とりあえず、穏便を念頭に置きたいから―――)


笑顔を上手に作ってくれてはいるけれど、零れ落ちそう感情は微かに震える口元でわかった。


『親友に要らぬ心配をかけてしまったにワシは、どうしたら許して貰えるのだろうねえ』


素直にそう言い告げると、作った笑顔はスッと表情から消えた。

寝台が屋根裏の大きな窓に貼り付き添うように配置されているので、仕立屋を見上げる背景に、窓越しの夜空が見える。


月がそろそろ満ちる周期に入ったけれども、まだまだ位置と時間の関係で、寝台の窓辺からは拝むこと出来ない。

ウサギの賢者にしてみたなら丁度自分を確りと抱き抱える親友の瞳が、夜空にある月の様にに見立てる事が出来た。


『話はちょっと変わるけれど、キングスの故郷を含めて、東の国では"ウサギ"は月にいるらしいね。

月が、ウサギにとってのお(うち)なんだろうね。

と、言うわけで、"ただいま"。

それと、何の傷にしても、怪我を負って戻って来てしまった事で心配かけてごめんね』


本来ならいつも回り諄く、遠回しに言葉を口にするのを好む賢者だと、親友として知っている。


でも、それを"長い"、"意味が長くて判らない"と好まない人もいるので、いつも判り易く、伝わり易い言葉を考えて言葉にする。

ただ、そうしたなら"自分の言葉"ではなくなってしまうのだと、ぼやくのを知っている。

なので"2人きり"になって、賢者らしい言葉で、漸く戻って来た挨拶を親友にした。


『とりあえず肩の傷の詳細と、理由があるなら背中の爪痕の正体について、教えてください。

納得出来る理由だったなら、その事に関して、私はもう何も言うつもりはありませんから』


そこまで言ったなら、肩を細剣で貫かれたと知った時から堪えていた、心配の涙を一筋だけ仕立屋は流した。









―――星灯りのみが照明の状態になっている魔法屋敷の中庭に出たと同時に、新人兵士のアルスは直ぐに魔法の箒と発見する。


そして"発見する"という気持ちは魔法の箒事、ホウキィー・ウラジミール・3世氏も全く同じようで、正しく一目散と言った様子で駆け寄ってくる。


『……賢者殿は、自分に"餌"になれって言っていたけれども、捕まえるリリィがいないとなあ。

あっ、でも別に自分が使えてしまってもいいのかな?。

捕獲すれば後は、リリィに譲渡すれば納戸にしまってくれるよね』


そう自己完結し、迫りつつある魔法の箒を空色の眼で捉えながら、武器となる剣を置いて来てしまっているので、軍学校で習った体術で迎える事にする。

背を伸ばし腰を落とし、軍靴の靴底をつけたまま、砂煙を上げて構えようとした時、小さな同僚の声が響いた。


『ホウキィー!待ちなさーい!、いい加減にしなさい!』


結構走っているだろうに、息切れを全く感じさせない鈴なる声で、リリィが"躾け"の責任を任されている"家具"に向かって呼びかける声が聞こえる。

だが声が聞こえるだけで会って、その姿は見えないが、箒を追いかけている事もあって、声が聞こえてくる距離も確実に近くなっている。


『―――もう、容赦しないんだから!』


そして、大層怒っているのを感じさせる声と共に、屋敷の角を殆ど減速せずにターンする形で、アルスの小さな同僚は、フワフワとした髪を(なび)かせながら姿を現した。

次の瞬間には、いつも腰に付けている、一見すると何かの装飾品のようにも見える、荊の鞭を小さな手を伸ばして、握り、しならせた。


『あれ?!アルスくん?!』

自分が追いかけている箒の正面に、お兄さんの様に思っている兵士が立っているのが視界に入った。


『リリィ、こっちで捕まえよう―――って、っわああ』


魔法の箒が移動する術は、掃く際に使われる"穂先"と呼ばれる部分を二股にして、まるで脚の様に前後に動かしている為だった。だが、それがアルスの直前に1つに纏まり、中庭の大地を蹴り、跳躍する。


『嘘?!箒が飛んだ!』

思わず声を出した瞬間には、その高さは新人兵士の背を超え、アルスのこしの強い金髪の上に、降りてくる。


『ぬわっ!』

魔法の箒の、掃く箇所に部分になる"穂先"がバサバサと、まるで飛び立つ前の水鳥の様に暴れて、アルスの髪を乱した。


ただ一般人なら、"私は飛ぶことが出来る!"といった、自我を持った魔法の箒が頭上に降って来たのなら、そのまま倒れてしまう物を、髪を乱されながらも倒れずに受け止めているのは、流石兵士だと言えるかもしれない。


『ホウキィー!いい加減に観念しなさい!』


そして、アルスの頭上という高い位置にある事で巫女の女の子が荊の鞭を振るったなら、見事に動力となる、穂先の部分に巻き付く。

直ぐに"ピンッ"という手応えと共に力強く弾力性抜群の伸びと、それに輪をかけたような拘束力で、荊の鞭は自然に少女の手から離れて、魔法の箒を全体を縛り上げた。


日頃の動力を発揮させている場所を縛られたなら、それまで暴れていたのが嘘の様に、普通の箒を手から滑り落とした時の様な音と共に、新人兵士と巫女の女の子間に落ちる。


『アルスくん、大丈夫?わあ!』


箒が身動きをしなくなってから、漸くまともに同僚の新人兵士のお兄さんを見上げたが、アルスと初めてであってから、寝癖でもこうもいかないというぐらい髪が乱れていた。


『うん、頭部―――というよりも、リリィの驚いている様に、髪の毛以外大丈夫……』


そう言いながら、自身でも乱れているのが判るので、アルスは手早く手櫛を通して簡単に髪形を整える。

『ごめんね、いつもなら直ぐに捕まえられるのに、今日はやけに元気が良くって。頭も凄い大変な事になっているみたいだし』


『乱れただけで、変な髪形にならなかっただけ、マシと思う様にするよ。それに、どうせこの後直ぐにお風呂に入って寝るだけだからね―――』



"ああ、そう言えばもしかしたなら、自分の分の入浴剤をリリィに渡したことが、ウサギの賢者殿にはばれているかもしれない"

その事を伝えようと考えたが、アルスは思いとどまった。


"どうせ、箒にいつもの様に、襲われ汚れても、今日はこの後お風呂に入るから気にしなくてもいいよね~。

ワシが上げた"入浴剤"もきっと気持ちいい感じだよ~"

食堂を"命令"で駆け出す前に、のんびりとそう言われた。


(あんなことを言うぐらいだから、多分十中八九、自分がリリィに入浴剤を上げた事には勘付いている。

それでも―――)


"ねえ、これって賢者さまが良く言っている、『誰にも迷惑かけないズル』になるのかな"

それは嬉しそうに笑っていた。

大好きなウサギの賢者と同じことが出来ると喜んでいた女の子の気持ちを、アルスの不手際で無くしてしまうのが、申し訳ない。


正直に話なら、小さな同僚は直ぐにでも、あの星型の入浴剤を返してくれるだろう。

それでも、ここ暫く夜中に目を覚ましてしまうという小さな同僚の安眠出来る日数が、自分の与えた入浴剤で増えた方がやはり望ましいと思えた。



(それに、決して悪い事をしているわけではないわけだし。

賢者殿はふざけているのか本気なのかどうかわからないけれど、"セリサンセウム王国お風呂推進委員会"というのを作るのに、自分を勧誘する為にくれた"オマケ"みたいなものだったし)


もし、この『誰にも迷惑かけないズル』をリリィとアルスが貫くとしたなら、"(マイナス)"の面があるとしても、それは賢者が勧誘の際にくれた入浴剤を譲ったことくらい。



(自分の為に、賢者殿が選んでくれたのだけが、申し訳ない―――)


"さて、アルス君はこういった事に無頓着なのは予想できたけれども、本当にどんな薫りが良いのやら~。

この選択は、セリサンセウム王国お風呂推進委員会会長としての沽券こけんに関わる……!"


少しばかりふざけていたけれども、国の最高峰が自分の為にその"商売道具"になる思考の部分を使ってくれたというのなら、それは本当にありがたいと思うのだけれども―――。


(あ、だめだ)


そんな自分の思考が、とてつもなく"鈍って"いるのが解って、その邪魔をする物が手櫛で大分落ち着いた頭の中に、波の様に押し寄せ満たす。


そこで、堪えきれなくて、アルスは大きく欠伸を(あくび)をした事で、荊の鞭が巻き付いた箒を抱え上げる小さな同僚が、激しく瞬きを繰り返した。

それにどちらかと言えばいつも確りとしている兵士のお兄さんが、大きく口を開いて出す姿は本当に珍しくて、思わず見つめ上げた。


『ごめんね、リリィ、物凄くだらしない所見せてしまって……』


そうやって謝るのだが、空色の眼は眠気を抑えるため、大きく口を開けて出てきた欠伸によってつくられた涙をこぼさぬ様に、ぎゅっと閉じられている。


『アルスくん、そんなに眠たいの?』


小さな同僚から、そんな質問が出るのも仕方がないと思いながら、再び出てしまいそうな欠伸を堪えながら、アルスは何とか返事をするべく頷いた。


『うん、今日はリリィとキングス様の合同制作の夕食が美味し過ぎて、腹八分目を超えて食べてしまったからなあ。

あと、さっきまで軽く緊張して、賢者殿と仕事に関する話をしていたから。

仕事仲間のリリィに会ったから、凄くホッとしたのかもしれない』

不意に頭の中を占領する眠気と、耳の長い上司と行った話は真実でアルス本人が考えている以上の現実味(リアリティ)を持って、リリィにその話は伝わる。


『ふわっ』


ついでに欠伸も伝染(うつ)ったようで、全力疾走をした直後にも関わらず、アルスの眠気はリリィも眠りへと誘っている様子だった。

箒を抱えながら小さな小さな唇を精一杯開いて、アルスと同じ様に欠伸をした後に、少しばかり照れる。


『……賢者さまが前に"あくびはうつる"って言っていたけれど、本当だね』

そして、照れながらも、楽しそうに少女はある事を思い出し、眠気に少しばかり瞬きをしながら堪えつつ、確か"アルスは知らない筈だ"と思い出した話を、口にする。


『へえ、そうなんだ。賢者殿がいうなら、ちゃんと理屈や、研究とかしてそうだね』


少女の記憶は当たっていたらしく、アルスは知らないが、同じ様にウサギの賢者を尊敬する者同士だからこそ出来る反応をしてくれた事に、リリィは笑みを浮かべた。


『うん、ちゃんと研究はしているんだって……えっと、ほら、前にロブロウに向かう時に、馬車の中で聞いた夢の話、覚えてない?』


どうやら眠気はリリィの小さな頭にも影響を与えているらしく、いつもの快活な口調とは違い、おっとりとしたものになっていた。


『ああ、あの"死ぬ夢を見たけれど、死んでいなかった、逆に良い夢だった"って話だったかな』

『あの時ね、物のついでだからって、眠りに関して調べていたりもしたんだって』

アルスもリリィも互いに眠気に押し寄せるけれども、興味を持った事と懐かしい事を糧にして堪えていた。


『取りあえず、戻りながら話そうか、リリィ?』

『うん、そうだねアルスくん……』

アルスが提案すると、リリィも素直に受け入れた。


『箒は自分が持つよ、荊の鞭が巻き付いていたなら、動けないみたいだし』

『うん、不思議と賢者さまから貰った鞭に巻かれると、暫く大人しくなるの……』


『へえ、そうなんだ……、そう言えば、あの荊の鞭も、ロブロウでは大活躍していたから、何かしら力があるのかもね』


リリィの小さな手から受け取った箒は、これまでの動作を見たなら中々信じられないほど、不動になっている。


『うん、ロブロウで賢者さまにお手伝いに渡してから、魔法で形を変えた後も、儀式が終わるまで随分活躍したのは簡単に話して貰った。


けれど、詳しくは聞いてないから教えてね……。


それで、"あくび"は移り具合には度合いがあって、"仲良し"な程うつってしまうんだって』


眠そうな雰囲気の笑顔で、その事を伝えてくれる。


『へえ、そうなんだね。じゃあ、ウサギの賢者殿が"欠伸"をしたなら、2人揃ってしてしまうかもしれないね』

『それ、いつか、ならないかなあ』


(……おや)

小さな同僚はアルスが箒を握っていない方の手を伸ばしてを握り、自然に繋ぎ並んで立っていた。


(リリィにはどうやら眠気まで、移ってしまっているみたいだな。多分この手も無意識で手放す理由も、必要もないからこのままでいいか)


ただもしこの手繋ぎの姿を、リリィの事を大好きだと公言する八重歯が特徴的(トレードマーク)なやんちゃ坊主が見たなら、文句はつけられそうな気がした。


(まあ、上司である賢者殿に言われない限りそこまで気にしなくてもいいか。あれ、思えば―――)

中庭から、先程リリィの追いかける声が聞こえた食堂の方を見たなら既に灯りは消えていた。


(夕食後片付けも済んでいたし、賢者殿もお腹が一杯だって言っていたし、先に上に上がってしまったんだろうな)


そう考えて、食堂の方から本日の昼の時間は殆ど過ごした、この魔法屋敷の主の部屋を見上げると、アルスの予想通り灯りが漏れていた。


『……賢者さまとキングスさま達ももう戻ったんだね』

リリィもアルスと同じ事に気が付いたらしく、小さな頭を上げていた。


『じゃあ、屋敷に戻ろうか。リリィの部屋まで送って行くね、自分は剣を食堂に置いたままだから取りにいかないと』

『うん、判った』


眠気の為に言葉が短くなっている少女は、再び素直に返事をする。

そんなリリィの手を引き、すっかり大人しくなった魔法の箒を手に握りアルスは屋敷の中に戻った。

そのまま掃除道具入れとなる納戸の向かい、今日は荊の鞭を捲いたままで言うというのでそのまま魔法の箒をしまった。


(そう言えば、リリィの部屋の方にまで行くのは初めてだな)


屋敷の中では一番の新参者で、正直に言って自分の居室や用事のあって赴いた部屋ぐらいしか、アルスは良く知らない。

ただ仕事としては、賢者の護衛が主で、最初に配属された時には耳の長い上司から屋敷に関しては簡単に説明をされていた。


この屋敷で"機能している"しているのは、生活している人々の部屋と、食堂と賢者が"仕事"として使っている書斎、そしてアルスが一度だけ荷物運びを頼まれた地下室ぐらいの物らしい。


―――まあ、実質ワシとリリィの1ッ匹と1人の生活みたいなものだったからね。

―――部屋を使い過ぎても、整備がしきれないからねえ。


(確かに、魔法屋敷で調度品や家具達も魔法で動かしたとしても、整備が大変だろうしなあ。

それに自分には魔法の具合は判らないけれど、"魔力"というものを少なからず使っているだろうし)


そして場所だけは知っているけれど、初めて向かう居室の主である小さな同僚が、出逢って間もない頃に、口にしていた言葉を思い出す。


―――昨日のアルスくんみたいに、初対面の方にはバンバン"魔法"を使っているように見せてるけど、実際、魔法はあんまり使ってません。

―――賢者さまは、魔法を使わないで、出来るような事は、全部自力でやってます。それは、私も見習うようにしているの。


(それに何より―――)


その後に続けられた会話を思い出す。


―――リリィ、もし応えられるなら教えて欲しいんだけど。ウサギの賢者殿の研究ってなんなの?


アルスが、"魔法を使わないようにしている"という上司の話に疑問を持って、尋ねたなら、既に自分を信用してくれていた女の子は話してくれる。


―――賢者さまは、特に隠しているわけじゃないから、アルスくんには、はっきり言うね。

―――"魔法がなくなった世界の在り方"

―――この世界から、魔法を消す方法を賢者さまは、研究しているの 。


(でも、そんな研究をしていながら、自分には魔法の事を少しでも理解する為に、心を落ち着かせる方法として、キングス様の紹介してくださるなんて)


―――"それはソレ"、"これはコレ"だよ、アルス君。

ウサギの賢者が、想像の中ではあるけれど、至って普通にそう告げた時に、食堂に近いリリィの居室に辿り着いた。


『リリィ、部屋についたよ』

部屋の鍵はついているけれど施錠されてはいなかったので、アルスが扉を開く。


『うん、ありがとう、アルスくん、それじゃあ"おやすみなさい"』


挨拶をして、小さな同僚が扉を開けると同時に室内の明かりが灯った。

あまり眺めるのも良くないとも思うのだが、自然と視界に入る分には、アルスの居室と作りも、広さもほぼ同じ。


(というか、思った以上に"さっぱり"しているかも)


一応美少女という認識を与える様相で、巫女の服もフワフワとした可愛らしい様子の服を身に着けているのだが、その姿から連想していた"可愛らしい"という物ではない。

床の中心にやや大きめの桃色の縁の中の色は白い、やや大きめなラグマットがある以外は、精々カーテンやが桃色位の、本当にアルスの部屋と変わりない。


(何か、可愛らしいぬいぐるみのお人形の1つでも―――あ、でも賢者殿がいるから、リリィには、そういったのは必要ない?。それに賢者殿なら、動くし喋るから)


上司に対して、中々失礼に近い事を考えている内に部屋に入り、"アルスからの挨拶"を待っていた女の子は、華奢な首を傾けていた。


『……アルスくん?』

『ああゴメン、それじゃあ、おやすみなさい』


だが"予想と違っていた事"に少しばかり衝撃を受けて、動きが止まっていたらアルスは、リリィに呼びかけられてハッとして動き始めていた。

少しだけ慌てるアルスに、リリィは微笑んで居室の扉を閉める。


(ーーーあ)


小さな同僚の扉が閉まり鍵がかかる音に安堵すると同時に、改めてドアをみつめたなら、自分の居室と同じ様にデザインされているのに気が付く。

これが大層可愛らしいくアルスには感じられるものだった。


("睡蓮"に"鈴蘭"、それに"百合"の花)


どれも写実的ではなくて、子供向けの絵本の挿絵のような作風(タッチ)で、それぞれが調和がとれていて、不思議と"仲良し"という印象を与えてくれる。


(描かれている花の大きさもそうだけれど、睡蓮に鈴蘭に百合の花も皆白い花だから、それがさらに纏っている様に見えるんだな)


アルスの部屋の扉も、"星空"をデザインされた物だったけれども、それはデザインというよりも、風景をそのまま当てはめた仕様で、それはそれで素敵なものだと思える。


(でも、これには優しさも籠もっていて、何より、誰がこれをデザインしたんだろうな)


そんな事を考えている時、水が管を通過する独特の音が響いた。

(眠くてもちゃんとお風呂に入ろうとしている、やっぱり確りしているんだなあ)


『ふわぁ』


既に歩き出しながらも思わず声に出し再び盛れた欠伸を手で抑えながら、剣を回収する為、食堂に向かう。


"リリィを無事に部屋に送り届けた”と思ったら、抑えられていた眠気が再びアルスの頭に襲来していた。


屋敷の中は、移動するのには困難にならないくらいの常夜灯が、精霊の能力で働いていて、確りとカーテンを閉じられた屋敷の廊下をアルスは進み、無事に剣を回収する。


(自分も、今日はシャワーのみじゃなくて、風呂に入らないと。

でも、本当はその後教本でも読んで、魔法の基礎を復讐しようと思っていたのに、これはもう無理だろうなあ。眠くて、眠くて仕方がない)


自分の居室に戻る前に、再び小さな同僚の居室の付近を通り過ぎたなら、まだ水を使う音が響いていた。

そして、丁度この屋敷の主の部屋が頭上となる、玄関を過ぎた広間の頭上でも同じ様な水の使われる音がする。


(賢者殿とキングス様も、入浴なさっているんだな。自分も、早く戻ろう、それで風呂に入って眠ってしまおう)


本来なら、入浴剤に仕込まれていた眠りを誘う闇の精霊の能力で、アルスに、眠気が襲来する筈だった。

ただ、それはアルスがリリィが暫く安眠できていないと心配して譲った事で、世界中を旅する仕立屋が、機転を利かせて、闇の精霊を招く能力を含ませた温かいお茶を飲ませたことで、無事(?)に眠気に襲われていた。


そして、眠気と戦いながら新人兵士は実にこの魔法屋敷に来てから、初めて湯船をはって入浴をし、”鳶目兎耳”の会議(ミーティング)を行いたい大人達の思惑通り、深い眠りにつく。








しかしながら、新人兵士の意地もあったのか、深夜とも呼べる時間に、驚きの余りに脳天を低い屋根裏でぶつけてしまった、鳶目兎耳の隊長の副官の音で一度目を覚ましていた。



「昨日の夜、何か物音がしなかったリリィ?」


なので、朝食が出来たとに迎えに来てくれた、調理の為にフワフワとした髪を三つ編みにしているリリィに一応尋ねてみる。


「昨日の夜?。わたし、昨日の夜はとってもよく眠ってしまって夢も見なかったの」

「ああ、そうなんだね」


(確かに、無理もないかもしれないなあ)

昨夜の寝る前に起こった出来事を思い返していた。


(夢も見ない程寝たなら、賢者殿が心配したような、"夜眼が覚める"って事もなかっただろうな)


「あ、でも、アルスくんから貰った分の入浴剤はちゃんと使ったよ。

グレープフルーツ香りがして、眠たいけれど、不思議とすっきりとした気分になれたよ。

それに湯船の色がね、アルス君の眼みたいに空色をしていたの。

お湯の肌触りも滑らかだったよ」


正直に言って、リリィは部屋に戻った後は、眠そうなあの様子から、本当に"何とか"入浴してから、直ぐ部眠ってしまったとも思っていたのでこんなに詳しい話が聞けるとは思っていなかった。


「わ、ありがとう、これで賢者殿に話を聞かれても、答えられるよ。

その、昨日は凄く眠たそうだったから、実は無理かなとも思っていたんだ。

でも、リリィはちゃんと自分が頼んだ事の為にしてくれてありがとう」


人によっては、"言わなくてもいい"と捉える内容かもしれないけれど、アルスはリリィの努力に感謝の言葉を送る。


そして、やはり感性が似ている為かその感謝の言葉は、リリィにとってはとても嬉しい物だったようで、アルスが伝えたと同時に、照れながらも笑顔を浮かべていた。


「―――あ、それはそうと、賢者さまね、新しいコートになったんだよ」

「へえ、そうなんだ。確かキングス様の言葉を借りたなら、

"仕立て直すと言っても、特にデザインが変わるという物でもないんですけれど、日中が暑い時期は愛用なさっているコートの色カラーを変えさせてもらっています。

あと、特殊な生地を使っているので、どうしても使用期限が限られてしまいます"

だったかな」


恩師から教わった、暗記の方法で記憶していた仕立屋が口にしていた言葉をアルスが(そら)んじると、その特技に幾分か馴れているけれど、やはり少しだけ驚きながらリリィは、頷いた。


「うん、だから秋の終わりの方か、冬の始まりの方まで今着ているコートの色になると思うよ。今回はロブロウの方で大きな魔法とかたくさん使ったから、いつもより早かったみたい」


「ああ、そういう意味で"使用期限"というのも、関係をしてくるってことなんだね。

"禁術なんてもの使っているから、着ている服にもちょいと"負荷"がかかってしまうんだよね~"とも賢者殿は仰っていたけれども」


使用期限の捉え方に、"魔法の使用量"が関係するとは知ってアルスはしみじみと呟いた。


「それと、今日の朝ごはんはキングスさまが手伝ってくれたから、私のよりも豪華で美味しいよ!。昨日のロブロウの根菜の煮付も、少しだけ味見をさせて貰ってたけれど、味が染み込んでるの」


小さな同僚は謙遜するし、アルスはまだ上司の親友が造った朝食をまだ食べてはいないけれど、リリィが普段作ってくれる朝食も、十分美味しいと思う。

けれど、少女はたおやかな仕立屋の作った食事に尊敬の念を抱いているので、敢えてそこに言葉を上乗せする事もないと、アルスは黙っている事にする。


「ただ、煮付の味が濃ゆくなったから、主食のライスは味付けは何もしてないの。

あ、それで、アルスくんなら、平気だと思うんだけれど今日の食器は"お箸"があるんだけれど、大丈夫?」


「ああ、大丈夫だよ。軍学校の入る前にお世話になっていた、工具問屋の女将さんのアザミさんの料理に、何気に箸を使う料理が多かったんだ。

あれって、最初が使うのは難しいけれど、慣れたら便利だよね」


それから箸について色んな話をしながら食堂に辿り着いて、いつもの様にアルスが扉を開いた。

食堂の扉を開いて直ぐに、この屋敷の主がいつもの様に自分の椅子に座って、フワフワな毛に包まれた短い腕を笑顔で振っている。

そして、昨日から聞かされている通り、"衣替え"を無事に行った様子で、アルスは初めて見る事となる青いコートを纏っていた。


「アルス君、おはよ~。昨日はよく眠れたかな?。そしてどうかな、新しいコートのワシ?」

自分専用の椅子の上に立ち、髭を揺らす程、鼻をヒクヒクと動かしながら耳の長い上司は、自分の衣替えの感想を求める。


「あ、はい、途中一回何かの物音で起きましたが、夢も見ないでぐっすりと眠らさせてもらいました」


先ずは最初に、昨夜の眠りの感想を述べた後に、帯剣している剣を定位置の武器の安置場所に置いた後に、左手を腰に、右手を口元に当て、ウサギの姿をした上司氏をじっくりと見つめる。

それから小さく頷いて、頭の中でまとまった感想をウサギの賢者は口にする。


「緑色も似合ってましたけれど、青い色のコートも素敵ですね。

それに、心なしか賢者殿の毛並みも良いみたいです。いつもより、フワフワしている様な気がします、特に顔の辺りとか……」


「ふふふふ、流石アルス君、本日はキングスにブラッシングしてもらったんだよ」


親友にブラッシングしてもらった事に気が付いて貰ったのが、余程嬉しかったのか、ウサギの賢者は部下と同じ様にフワフワの口もとにモフリとした手を当てていた。


「そっか、賢者さま、"どこか違うな~"って思ったのは、顔の周りがふんわりしていたからだったんだ」

いつも傍にいる女の子も、大好きなウサギが少し変わったところには気が付いていたけれども、具体的な所が判らず、アルスが具体的な部分を言ってくれた事で気が付ける。



「顔の部分を入念にしてもらったから、特にフワフワして広がって見えるでしょう?」


「はい、とっても膨らんで見えます」

「可愛いです、賢者さま!」

「ふふふふ」


(何とか、なったね)

ウサギの賢者は飄々としながら、新しいコートを纏いつつフワフワの毛の内側で、実は昨夜のミーティングの後に、仕立屋に捻り上げられ、腫れてヒリヒリとする頬を誤魔化せた事に安堵していた。


(しかしながら、"無自覚に弱点"を容赦なくつくという所は、相変わらずみたいだから、そこは有難いねえ。

気が付かないなら、素直な子ども達だから、悪意のない誤魔化しなら、受け入れて納得してくれる)

もし"弱点"―――頬が腫れている気が付かれたなら、"親友"と宣言している仕立屋にどういいった経緯で、捻り上げられたかも説明しなければならず、もし"間が悪い"事が重なれば、今の生活すら破綻する。



(まあ、ワシの考えも極端だろうけれども、頬っぺたが戻るまで人の姿にはならないように注意をしないとねえ)


「リリィさん、食事を運ぶの手伝ってください―――」

「あ、はーい!」

リリィが再び厨房の方に向かい、すっかり馴染んだ台車を押す姿で現れて、1ッ匹と3人での朝食が始まり、順調に進んで終わろうとしていた。



「さて、本日からロブロウから帰って来てからの片付けも終わって"通常業務"だね~」

愛用のカップから、仕立屋から注いで貰ったお茶を啜りながら、ウサギの賢者がそんな事を言うと、他の3人がタイミングを合わせた訳ではないが同時に頷く。


「キングスさまは、どうなされるんですか?」

「はい、所用でマクガフィン農場に向かおうかと―――」


リリィが尋ね、キングスが答えた時、

「リーリーィ!カレーパーティーの招待状もってきたぞー!」

と、仕立屋が向かおうとする先に住んでいる、やんちゃ坊主の声が屋敷の外から響いたのだった。

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