日常から、催し事への誘(いざな)い⑤
『……本当に疲れたのですよね』
『うん、疲れたんだ~』
少しばかり賢者がリリィへ"ご機嫌取り"を行っているのを、それとなく感じ取っていたけれども、それが厭らしいものとは、アルスは全く思えない。
ロブロウからこちらに戻ってからからは、ウサギの賢者をぬいぐるみの様に抱き上げる必要がなかったから、当たり前だと言えばそれまでなのだけれども、リリィが直に触れる機会は減ってしまった。
(今日はキングス様が沢山抱きかかえている姿を見たから、リリィの気持ちがぶり返してもおかしくはないし)
アルスが振り返る形で見つめたならば、小さな同僚少しばかり悩んだ末に、決断を口にする。
『じゃあ、エプロンをとってきます。生地汁の生地を作る時に、沢山粉がついてしまったので、抱っこする時に賢者様に粉が付いてしまいますから』
『うん、ありがとう、リリィ。ワシは良い子でここで待っているよ~』
この言い様にはさすがにアルスも苦笑いを浮かべたが、自分も戻る必要があるのを思い出す。
『じゃあ、自分も一緒に降りるよ。一応課業中だから、食事の時間は上着に剣を帯剣しないといけないから』
持ってきた筆記具と、賢者に貰ったリリィと共に造ったという入浴剤も居室の方に置いておきたいと思ったし、階段に降りる途中で少しだけ同僚に話しておきたいこともあった。
(ネェツアークさんと賢者殿の事、少しだけ話しておいた方がいいよね)
ウサギの賢者はともかく、あの鳶色の人物があの優しい仕立屋に御執心という事は、軽く報せておいた方が良いと思える。
先程、賢者に鳶目兎耳のネェツアークからの伝言を伝える時間の確約は取れたので、リリィにも、少しだけなら話しても大丈夫という確信が、アルスの中であった。
『賢者殿、それじゃあ、さっきの話の続きは食堂で皆でしますね』
『うん、そうだねえ、そうしよう。その方が、話が一遍に片付く』
リリィに向かって差し出していた腕を降ろしながら、上司は頷くと、小さな同僚は強気な目元に隣接する綺麗な緑色の瞳で、アルスとウサギの賢者を見比べる。
”さっきの話の続き"は気になるけれど、どうやら1ッ匹と1人はこの場所でするつもりがないらしい。
でも、食事の時にしてくれるというのならそれまで十分待てる。
『じゃあ、アルスくん、行こうか』
ただ、早く知りたい話でもあるので、少しばかり急かす様に言葉をかけた。
『そうだね、ああ、そうだ賢者殿。
リリィに先に入浴剤、"バスボム"でしたっけ、渡しておいた方が良いんじゃないんですか、居室に戻るみたいですし』
『うん、そうしよう、リリィ、懐かしい物あげるから、今夜使ってごらん』
フワフワとした胸元にしまっていた三日月の形をした入浴剤を取り出したなら、リリィの方も"懐かしい!"と声を出して喜んだ。
部屋の入口から浴室の入り口にの側に座り込む、ウサギの賢者の元まで駆け寄った。
それから2人の部下が、自分の私室で寝室から退室するのを見届けてから、小さく息を吐く。
『―――部屋はこれで片付いたから、ロドリーから文句は言われないだろう。
あの入浴剤を使ったなら、リリィもアルス君も夜中に目を覚ます事もないだろうねえ……多分』
『―――今夜の"会議"の御仕度、お疲れ様です"ネェツアーク様"。
足の踏み場が出来ていれば、片付ける事が何よりも苦手な、賢者という役割を熟すかたにしたなら、十分な整頓です』
胸元に貼付いている金色のカエルが、眼を瞑り口だけを動かして出す声は、厨房にいる仕立屋のものだった。
その労いの声に、ウサギの姿をした賢者は丸眼鏡の奥にある円らな瞳を細め、口の端を上げる。
『更に、アルス君とリリィさんに、さり気無く闇の精霊を招き寄せる仕掛けが含まれた、入浴剤を渡せたのは、何よりです』
『リリィは、ここ暫く実際眠りが浅かったからねえ、今日はちょっとばかり強引にぐっすり寝て貰わないと、それこそワシはウサギなのに、"蛇に睨まれたカエル"状態になっちゃうからね~』
肉球の着いた手で撫でると、使い魔は漸く薄く眼を開くが、その眼は視点が定まっていないが、主のほうはそれでも構わない調子だった。
『それにしても、キングスがロブロウ料理を作れるなんて知らなかったなあ。スタイナー家に養子入ってから、西に向かうにしても、あちらに行く用事とかあったっけ?』
『いいえ、ロブロウの郷土料理とされている料理が、著しく私の故郷の"東の国"物と似ていました。
リリィさんが向こうで竃番さんに習ったという調理法を、ちゃんとメモして、私にみせてくれたんです。
それを元に一緒に作らせて貰ったんですが、調味料然り、下ごしらえも似ていましたから、顔に驚きを出さないのに苦労をしました。
食材も、極力似た根菜や葉野菜を使っています。
まるで、長い旅先でどうしても故郷の味を食べたくて、何とか似た物を造ろうとしたその名残の様にも思えましたよ』
仕立屋の告げる仮定の話に、その声を伝える使い魔を撫でていた指先を一度止め、賢者は円らな瞳を細める。
『うーん、それはこの時代にまでに残った”旅人の名残"という扱いになるのかなぁ。まあ、何にしても"昔話"と"暦"を紡ぐかつなげるにしても、まだまだ情報が足りないねえ』
この国の"賢者"としてもだが、一応"学者"という役割も担っている存在は、親友の報告を有難く受けめた。
『ああ、それと―――随分と鳶目兎耳のネェツアーク・サクスフォーンさんにも世話になったという御話に併せて、その食べっぷりも、伺いました』
そして話題を切り替える様に、リリィの内情を仕立屋は伝え始める。
ただ、これはウサギの賢者側から、それとなく自分の秘書が、旅先で出会ったネェツアーク・サクスフォーンについてどう思っているのか、情報を引き出して欲しいと頼んでいたことでもあった。
『あの時は諸事情で、連日"冷や飯"続きだったからねえ。三十路後半に差し掛かろうというのに、育ち盛りの子どもみたいに食べちゃったんだ。
お恥ずかしい限りなので、今は穴でも掘って隠れたいよ』
ウサギの賢者がそういう言葉を出したのが面白かったのか、使い魔を通して仕立屋の笑い声が漏れ出る。
『"鳶目兎耳ネェツアーク"の事に関してのお話は、食べっぷりが殆どなのと、"いつか”王都で出逢った時に、好物を出してあげたいですと、張り切っていました。
私は相槌程度の聞き役に徹したので、ネェツアーク様の交友関係の話云々にはなっていません。
ただ、その時がきた時の為に、考えておくのは今からでも決して遅くはないと思います。
なのでロブロウ料理に加えて、本日の夕食にはネェツアーク・サクスフォーンの好物という事になっている、練習として造った半熟のゆで卵もありますからね』
一応、鳶目兎耳のネェツアークの時に、"王都で出会える可能性は殆どない"とは、美人の軍人から後頭部に平手で叩かれ叱られるぐらいまで、リリィに対し告げてはいた。
その事も、仕立屋には話しているにも関わらずに、巫女の女の子は随分と頑張って、何れ会える時の練習に勤しんでしまったらしかった。
『……今頃アルス君が、上手い事話すというか、ネェツアークという人物の性悪さや気難しさを、リリィに少しでも伝えている事を願うよ。
さて、じゃあ改めてきくけれど、キングスはロブロウに関しては、そこまで情報は持ってはいないのだね?』
『はい、正直に言って、私も詳しくは知らないのです。
しかしながら、ネェツアーク様―――賢者様もご存知の様に、あの西の果てにある領地は先代のシャクヤク様もご存知でしたが、この国が平定をされる前から、東の国を贔屓にして、その魔法を研究をしているのですよね?』
『うん、私―――ワシもあそこの領主さんと必要があって、血の契約を交わして、時間の許す限り情報を漁らせてもらったんだけれどねえ。
まあ、辿れて契約者のお祖父さんまでだったけれども、もう"ずーっと"そうだったみたいとしかいえないね』
血の契約を交わした相手の祖父ピーン・ビネガーも、ウサギと同じ"賢者"でもあった。
けれども、どの時代や場所に置いても定住を好まず、旅人の末裔と例えられる賢者の役割を担いながらも、その生涯の時間の殆どをロブロウという土地に縛られる。
多くの家族に恵まれ、その土地の領主として領民に尊敬もされ、優しく思慮深い伴侶と、影の様に寄り添う親友も得た人生。
しかしながら、留まる事で派生した様々な事案に、悩み苦しむ時間を多く含んでいた生涯とも見える面が多く感じられた。
それが血の契約という、本来なら国王の許可なしでは使う事を禁止された魔法を使い、互いに了承の上で、記憶と情報を晒しあい、ロブロウのビネガー家の血の歴史を覗き込んだ"ウサギの賢者"としての感想だった。
歴史という形で見ると100年にも満たない程度だけれども、その間に起こった出来事は結構な量と濃さで、拾い読むのにも時間がかかる。
一応重要なもの、ウサギの賢者なりに気にかかった物を選別して拾い読んだが、全てを読み込むのには時間は限られた状況下だった。
そんな中でも、ロブロウで起こった出来事は収束させる事に成功する。
そして収束をしてから、西の最果ての土地で起こった事を総合的に鑑みて、ウサギの賢者が個人的に抱いた感想は、"旅人"なのに、留まってしまった事が、何らかの良くない縁に絡め取られてしまった印象も受けた。
(まあ、"それならお前はどうなんだ”って、ピーン・ビネガー殿が生存してたら突っ込まれそうだがな)
まだウサギの賢者個人の"妄想"の域を出ない考えを、猫の額よりも小さくなりそうな頭で考えて、取りあえず現状を親友に使い魔越しに伝える。
『血の契約の魔法を緊急とはいえやってしまったけれど、あれ以上探るためには、国王陛下の許可も要るから、出来るところまでで止めといたけれど。
とは言っても、もう2度と血の契約の魔法は使えないから、読み込むことも出来ない。
いつか時間をとって、ロブロウにお邪魔して文献を読み漁って予測をつける事しか出来ないけれどね。
その時は、御一緒しようね~キングス~』
『そう出来ると良いですね。さて、そろそろリリィさんがお迎えに行くようですから、使い魔君を使った交信を終了しますね。
私は、配膳をしておきますので』
大好きな仕立屋に、西の果ての領地で逢引の主張をしたつもりだったが、”聞き流された"感じがしないでもない。
ただ、キングスが使い魔越しに伝えてくる様に、座り込んでいる事で床から慣れ親しんだ、巫女の女の子の足取りが感じられる。
『うん、それじゃあねえ~』
そう返事を返して数秒もしないで、エプロンを外した姿で自分の秘書が飛び込んできた。
『お待たせしました、賢者さま!』
そう言葉を出す頃には、賢者の両脇にリリィは小さな手を差し込み抱えるが、直ぐに華奢な首を傾げる。
『何か変な事でもあったかな、リリィ?』
『えっと、賢者さまの抱き心地……"抱っこ心地"になるのかな。少し変わったような気がするんです、ちょっと失礼します』
そう口にしたなら、向かい合わせに抱っこしたり、後ろから抱えたり、横抱きにしたりする度に、薄紅色のフワフワとした髪を揺らし、小首傾げる。
ウサギの賢者が覚えている限りでは、それはロブロウでぬいぐるみに扮した時に、巫女の女の子に"携帯"してもらう時に行った、一通りの恰好だった。
最終的に、仕立屋が抱えていた様な横抱きに耳の長い上司を抱えながら、やはり巫女の女の子は小さく、うーんと呟いている。
『違いは判ったかな、リリィ?』
少しばかり目が回る勢いで、抱っこの姿勢を変えられたが、その事を察せられない様に平気な振りをして、秘書に尋ねる。
『重さじゃあ、ないみたいです。何かなあ?、フワフワして可愛いのは変わっていないのに。
あ、とりあえず、キングスさまとアルスくんが待っていますから、先に降りますね』
そう言うと、新人兵士に自慢した浴室の扉を閉めて、身軽に足場が復活した賢者の寝室を退室する。
『うーん、グランドールと同い年で可愛いと言われるのはちょっぴり複雑……』
『嫌ですか?』
『嫌じゃあないんだけれど、ワシが調子に乗っちゃいそうでね。イタズラ心が擡げそうでねえ』
『じゃあ、調子に乗らなければ良いんですよ、賢者さま』
そんな会話をしながら階段を下りたなら、上着に帯剣をしたアルスが待っていた。
リリィが早速"抱き心地が違う"という疑問を口にしたなら、アルスは空色の瞳を少しだけ瞬きをして耳の長い上司の腹部辺りを指さす。
『それ、コートを着てないからじゃない?』
アルスが軽い調子でそう言ったなら、小さな同僚は"ハッ"とした表情を浮かべ、何度めかの正面で向き合う形で、賢者を見詰めた。
『本当、そうだね、アルスくん!』
季節に移り変わりと共に、衣替えをしている賢者のコートは身に着けていない事で、違和感を抱くとは思いもよらなかった少女は、大きく瞳を見開いていた。
自分の秘書が、戸惑う原因が分かった事に"良かったねえ"と口にしながらも、続いて思い出した様に賢者が言葉を続ける。
『おやあ、それなら、次の冬の頭になるまでは、リリィはこれまで覚えているウサギのぬいぐるみ状態の感触と似ている物には、出会えないって事だね』
『あ、そうなるんですよね……。そうなるなら、賢者さまにお願いをしてでも、もっと確り感触を覚えて置く様に抱っこをお願いをしておけば、良かったです』
リリィが残念そうに言った時に、丁度食堂に到着し、草原をモチーフとした草花が綺麗に細工の装飾をされている扉を、アルスが代表して開く。
それと同時に十数日前に、覚えのある芳ばしい、胃袋を刺激する匂いが食堂を満たしている事に気が付く。
丸いテーブルの食卓の、白のクロスと若葉色のクロスを重ねてかけてある上には、既に料理が湯気を上げる状態で、配膳されていた。
『わあ!、"生地汁"だ、懐かしい……という表現であっているのかな?』
ロブロウでは、育ち盛りの八重歯が特徴的なやんちゃ坊主変わらぬ程お代わりをした、新人兵士は、自分の表現に戸惑い首を傾げながら、安置場所に再び自分の武器を置く。
『―――リリィさん、取り皿はどれを使いましょうか?。教えてもらえますか?』
アルスが剣を安置したと同時に、厨房方からキングスがリリィに声をかける。
その場に降ろしても何も障りはないのだろうけれど、ぬいぐるみの様な状態の上司を、床の上に置くというのが何となく躊躇われて、年上の同僚を見上げる。
『あ、はい、直ぐに行きます。アルスくん、賢者さまを―――』
そういう頃にはリリィは既にウサギの賢者を抱えて、差し出し、アルスの方は受け取っていた。
『うん、判った―――預かるじゃあ、失礼ですかね?』
取りあえず落とさない様に抱えた上司を覗き込む様にして、尋ねる。
『いやあ、この場合はいいんじゃないかな。じゃあ、リリィはキングスのお手伝いよろしく~』
『はい!』
新人兵士の腕の中ら賢者が秘書の女の子に呼びかけたなら、リリィは元気よく手伝う為に厨房の方に駆けて行った。
『で、アルス君は抱き心地が、コートを身に着けていない時と違うと感じるかな?』
『自分は、どちらかというと賢者殿が軽くなっている事の方が印象が強いんで、何とも言えません』
リリィの姿が厨房に消えた所で尋ねると、新人兵士は不思議そうな表情を浮かべ、ぬいぐるみの重さの上司を確りと抱えなおした。
それから、先程はあった仕立屋の武器と安置する為の留め金は無い事にもも、何とも不思議の印象を受けていた。
『思えば、キングス様の武器はどうされたんですか?』
『ああ、持ってきた荷物も含めて、ワシの部屋の寝台の所に置いているよ。
丁度物陰に隠れてしまう形になっていたから、アルス君には見えなかっただろうね。
ゼリーを作る為に、部屋に上がらずに、厨房に行ったからね。
さ、ワシらは、リリィとキングスが仕事を終えた時に直ぐにご飯を頂けるように、大人しく座っていようか』
『はい、わかりました』
賢者に従い、自分達の席に着くと、厨房の方で何やら話し合っている声が聞こえるので、まだ時間があると判断したアルスは、気が付いた事を尋ねる。
『それでは、緑色のコートはどうしたんですか?。仕立て直すにしても、前の古い物は?。
何だか、特別な仕立てとは最初に会った時に、キングス様が仰っていましたけれど―――』
"仕立て直すと言っても、特にデザインが変わるという物でもないんですけれど、日中が暑い時期は愛用なさっているコートの色カラーを変えさせてもらっています。
あと、特殊な生地を使っているので、どうしても使用期限が限られてしまいます"
今になって思えば、随分と不思議な言い回しをしていた様に思える。
『使用期限がどうとか、まるで食べ物というか、変な例えになりますが"生もの”みたいな仰り方をなさっていましたよね』
思い浮かんだままを口にしたなら、ウサギ専用の高い椅子に座った、耳の長い上司は深く頷き、口を開く。
『ああ、前のコートはもう“還って”しまったねえ。
ワシがロブロウで姿を隠し、調査をした時に、随分と無理をしてしまったから。
造り手のキングスに触れ、感謝の祝詞を口にしたなら、あっという間だった』
『かえった?のりと?』
『賢者様、予備知識も何もない状態でそんな説明をされても、アルス君にはさっぱりですよ』
湯気の昇る大皿を抱えながら、厨房から姿を現した仕立屋の後ろに、台車を押しながらリリィが続いて現れる。
『ああ、そうだねえ。ごめんよ、アルス君。今日はキングスと沢山専門話したから、ついつい必要な説明省いて、話したいように話してしまう。
それにしても、夕食ははロブロウ尽くしで、皆と一緒に食べられなかった身としては嬉しいねえ』
仕立屋に注意をされた事を素直に聞きつつ、賢者の興味は運ばれてくる食事の方に奪われてもいる。
『"ウサギの賢者様"は生地汁だけは、食べれなかったとリリィさんに伺っていたので、多めに作らせてもらいました』
既に食卓に乗っている、大きな土鍋を見つめながら仕立屋が説明を口にする。
『それで、こちらはリリィさんによればグランドール様の弟子のルイ君が好んでいたという、根菜の炒め物です。
本当は一晩おいた方が、味も落ち着いて染み込むと思うので今日の所は半量にして、鍋に半分を残しているので、朝食に頂きましょう。
それと、一緒に運んできたのは、これもロブロウの名物料理で小麦粉を水や卵と混ぜて、鶏肉揚げたものです』
キングスは続けて自分の抱えている大皿に盛られている、献立について説明をしてくれる。
『ああ、それもロブロウでいただきました。確か、王都の城下町で流行っている揚げ物とはまた違って、味が柔らかい感じで美味しかった。
そうか、卵を使って衣をつけていたから、あの食感だったんだ』
アルスも耳の長い上司と同じく、懐かしく感じる料理の方に、興味を奪われ、調理法を聞くことで、ロブロウでは気が付けなかった食感についての謎が解明されていた。
『それと出汁と鶏肉を合わせて炊いたライスを握った、ライスボールです』
大皿を食卓に置きながらリリィの方に振り返って微笑むと、少女はトングを手にして取り皿を持っていた。
『賢者様、先ず何個を食べますか?』
秘書の女の子に尋ねられて、短い指を2本立てて賢者は個数を示す。
『じゃあ2個でお願いしようかな。今日のは大きさが揃っている所をみると、手で握らないで型を使ってライスボールを作ったんだね』
『もちろんですよ、私じゃキングスさまみたいに、綺麗に握れません』
別に恥ずかしがることもなく、リリィは2つ取って、皿に盛って賢者の前に運ぶ。
次にキングスに数を聞いて、賢者と同じ数を聞いて丁寧に配膳する。
『私も、今日は爪化粧をしているので、裁断等はしましたが、手で直に触る調理は控えさせていただきました。
その代わり、リリィさんが頑張ってライスを研いでくれたり、生地汁の生地を捏ねてくれたんですよ』
『そうなんですか』
調理に関してそんな気遣いがされていたとは知らないアルスが、リリィの視線に気が付いて指を3本立てたなら、直ぐに了解して3個ライスボールを運んでくれる。
『別にワシもアルス君も、そこら辺は気にしないけれどね~』
『そうですね、調理前に手さえ消毒していただいたなら、それで。作ってもらうだけでも、十分有難いですし』
賢者と新人兵士が思わず顔を向き合わせて、当たり前の様に言葉を交わす間に、巫女の女の子はアルスにライスボールを差し出して、受け取る。
『ありがとう、リリィ』
アルスがやはり当たり前の様に、年下の女の子に礼を言う姿に、仕立屋が品よく微笑えみを浮かべていた。
『ね、キングスさま、アルスくんも気にしないって言った通りでしょう?』
最後に自分用に、ライスボールを1つだけを皿に盛りながらリリィが仕立屋に確認する様に言ったなら、生地汁の入った土鍋の蓋を開け、"お玉"で中を軽くかき回しながら、キングスは頷いていた。
『ええ、リリィさんがそう仰るとおりですね。
でも、アルス君とは初めて食事を一緒にするのと、これは私自身のケジメみたいなものでしょうか。
ただ、こうやって構わないと仰るなら、今度から化粧をしたままでも調理させていただきますね。
はい、賢者様』
生地汁の注がれた椀に、小口切りのされた葱を散らして、差し出した。
一通り配膳が終わった後で、ロブロウで食べた物が並んでいる中で、1つ見た事がなかったものがある。
『あれ、これは湯気が出ているのは茹で卵ですか?』
最初は"生"かと思ったけれども、湯気がでているので茹でてあるのだと気が付いた。
『でも、茹で卵なんてロブロウの料理であった―――ああ、うん、そういう事か』
アルスが独り言の様に言って、そのまま自己完結したけれど、その場にいる誰もその発言を追及しない。
(賢者殿も、それでキングス様も、ネェツアークさんが"茹で卵"が好物って事は知っているんだな)
先程、ウサギの賢者の手伝い終えてリリィと共に3階から1階に下りた時に、ロブロウでの鳶目兎耳のネェツアークについて、"キングス・スタイナーと、とても仲良し"という事について、軽く話してみた。
その時はまだエプロン姿の少女は、華奢な小首を傾げていた。
"?、それで、それがどうかしたの?アルスくん?。キングスさまと、ネェツアークさまが仲良しだと何かあるの?"
少女の反応はある意味ではアルス・トラッドの期待を全く裏切らない物だったので、この話をする前から考えていた例え話を行った。
"えっと、急に変な話なんだけれど、リリィはウサギの賢者殿が大好きだよね"
"うん、大好き"
少しの間も置かずに少女は頷いた。
"そうだよね、それでね、自分もまあ、賢者殿を尊敬しているから好きなんだよ"
それを口にすると、小さな同僚はアルスの方が照れてしまう様な嬉しさの伝わってくる笑みを浮かべてくれた所に、続いて言葉をかける。
"それでね―――考えて、というよりは、想像してみて欲しいんだ。
もしも、アルス・トラッドとリリィがお互いをそんなに知らないままで、ウサギの賢者殿を好きだったなら、どんな気持になると思う?"
その言葉には瞬きを繰り返したけれど、直ぐに質問された事を少女は考え、そのまま口にする。
"私が、アルスくんの事を知らないままで、ウサギの賢者さまと仲良しだったのを見たのならって事だよね。
それが、どんな気持ちって言われても……知らない事にしなきゃならないかもしれないけれど、アルスくんは見た目からして、親切だし、良い人だから。
賢者さまの優しいお友だちかお知り合いなのかな~て、感じかしら"
思った以上の自分の高評価に新人兵士は、頬を赤くしながら恩師が微笑時の様に、眉毛の形を"ハ"の形にしながら、眼は笑顔の形にして取りあえず礼を口にする。
"……それは、ありがとう"
(さて、困ったな)
少女の中に"ウサギの賢者とアルス・トラッドが仲良し"であることは引っかかる物は特にないらしく、ここで少しばかり表現を改め、例え話をする。
"じゃあ、「アルス・トラッド」じゃなくて、全く知らない、リリィは相手の名前ぐらいは知っている人が、賢者殿ととっても仲良くしていたら、どう思う?。
しかもウサギの賢者殿と仲良しのリリィも側にいるのに、それに気が付かなくて賢者殿と仲良くしているんだ"
やや強引と思える言葉で例えると、今度は、ええ?!、と可愛らしい声を漏らして考え込む。
"……それは、寂しいかな。私だって、賢者さまがお仕事の邪魔や、迷惑じゃなかったら、お話したい"
小さな薄紅色の頭の中で考え込み、辿り着いた答えを言葉にして、素直にアルスに教えてくれる。
同僚が、引き出したかった言葉を口にしたので、アルスが安堵の溜息をついたなら、それに同調しながら、頷いた。
"そうだよね。それで実をいうと、もしかしたネェツアークさんが丁度今、リリィが思った様な気持ちをしているかもしれないんだ。
えっと、それでネェツアークさんがお話したい相手は、賢者殿じゃなくてキングス様なんだ。
だけれども、キングス様はウサギの賢者殿とも親友で、賢者殿はキングス様が大好きでずっと話していて、ネェツアークさんは仕事で忙しくて……"
(こんな例えじゃ、リリィにネェツアークさんが、キングス様に執着というか、"一番の親友だと思っている"っていうのは、伝わり難いだろうなあ)
己の自信の無さが、伝染し、話す言葉尻は無意識に小さくなる。
耳の長い上司や、美人の恩師の様に、上手く言葉を出せない事をもどかしく思いながらも、懸命に説明を続けようとするが、それはリリィの
"え、ああ、そうだったんだ、それでなのかな"
の言葉で、呆気なく止まった。
そして今度はアルスの方が当惑する形で、何かを物凄く"納得"している小さな同僚を見つめ、口を開く。
"リリィ、もしかして、この話で思い当たる所でもあるの?"
"うん、実はね、さっき夕食をキングスさまと一緒に作っていて―――"
小さな同僚は、自分1人では作るのに自信がなかったロブロウの郷土料理を、一緒に作って欲しいと、裁縫や料理といった内向き(家事)が得意な、仕立屋に頼んだという。
そして、そのロブロウの料理を共に作る中ではリリィはどうしても鳶色の眼と髪をした人の話は欠かせなかったので、出会いの部分も含めて仕立屋にも話したそうだった。
"キングスさま、私の話を確りと聞いてくれてはいるんだけれども、ロブロウで、マーサさんに教わって書いた調理ノートを見つめながら、物凄く考え込んでいる様な感じだったの。
それでも、野菜を切ったり、炒め物したり、とっても手際は素敵だった"
"そうなんだ……"
そこから、小さな間が出来て、ウサギの賢者の部下達は顔を見合わせた。
そこからまず動いたのはリリィで、見た目にも考えているのが伝わってくる、小さな口元に三角巾を握っている手を当てながら、口を開いた。
"えっと、アルスくんが話してくれた事と、私がキングスさまにネェツアークさまについて話したのを合わせたなら、
「ウサギの賢者さまと鳶目兎耳のネェツアークさまは、仕立屋のキングスさまを大好きです。
でも、ウサギの賢者さまとネェツアークさまはお互いを、よく知りません」
という事になるんだよね、アルスくん。
あ、でも情報を集める仕事をしているなら、ネェツアークさまは"ウサギ"の事は知らなくても、賢者さまを知っているという事になるのかな"
まるで、学校という場所で読解力を計る為にある試験の文章題において、
『ウサギの姿をした賢者と鳶目兎耳のネェツアーク・サクスフォーンと仕立屋キングス・スタイナーの3人の関係を、これまでの話を聞いて、短く纏めて答えなさい』
の、模範回答を聞いている様な気分を味わいながら、アルスは深く頷いた。
"うん、そんな感じになるんじゃないのかな。
ネェツアークさんは確か、面識はないけれど、知っているとは仰っていたから。
多分立場としては、軍の方にも融通を利かせて貰える、賢者殿の方が上だとは思うんだけれども。
ロブロウの事も、賢者殿がいたなら、賢者殿が指揮をするみたいな話をグランドール様は仰っていた。
で、それらを合わせて考えたなら、ネェツアークさんはキングス様とは親友だけれども、国王様の命令で国中を駆け回っているから、仲良しだけれども逢えない状態なんだ"
"それは、寂しいですね"
先程、アルスが例えに出した"ウサギの賢者殿と仲良しのリリィも側にいるのに、それに気が付かなくて賢者殿と仲良くしている相手がいる"という複雑な気持ちを思い出して俯く。
"あ、でも、じゃあ賢者さまとネェツアークさまが、仲良しになればいいんじゃないかな、アルスくん"
"あ、それは、無理"
"へ?どうして、アルスくん"
いつも優しいお兄さんみたいな同僚が、珍しくあさっりと否定の言葉を出した事への驚きで、口元に当てていた手を外しながらリリィが尋ねる。
アルスも、反射的に否定してしまった事に、内心しまったと思いながらも、小さな同僚が納得出来る言葉を捜していた。
"えっと、その、ネェツアークさんは忙しい方だから、その仲良しになる為の時間を作る事は難しいかな~と思うんだ。
それに、仲良くする為にネェツアークさんが賢者殿に会うっていうのも……"
ウサギの賢者の名前を出した途端に、リリィは再び直ぐにその自分が簡単に口にしたことが、"大好きな賢者さま"にとっては難しい事を思い出した様子だった。
"あ、そうだよね、賢者さま、人付き合いが苦手だから、ウサギになって、それでこのお屋敷に住んでいるんだし……"
そう言って、リリィは夕刻という事もあって、茜色の夕日が射しこむ自分の住居にもなっている魔法屋敷を眺める。
もう随分と茜色の中に"暗さ"も混ざってしまって、そろそろ明るさが欲しいと思っていたなら、魔法屋敷の家具や調度品は、”同居人”の気持ちを察し、カーテンはレールの音を一斉に鳴らしてしまり、廊下には明かりが灯る。
そして、自分の正面にいる、軍人らしからぬ優しい護衛騎士のお兄さんを見上げる。
(思えば、アルスくんが来てから、魔法屋敷はちょっと賑やかになった。
アルスくんの”先生”みたいなアルセンさまや、昔の友だちのグランドールさまともあっているし、もう賢者さまは、寂しいって事はないんだろうな)
決してウサギの賢者を蔑ろにするわけではないけれど、いつも国中で調べ物をする為に独りでいるという、鳶色の人をの事をリリィは気にかけていた。
”じゃあ、どうしたら、ネェツアークさんはお仕事で、キングスさまに会えなくても、寂しくなくなるかなあ、アルスくん”
”そうだね、どうしたら、いいかな”
リリィが純粋に、鳶色の人の寂しさを―――孤独を想って口にする言葉を聞きながら、アルスが思い出すのは、その人物が賢者に伝えて欲しいと口にした言葉だった。
―――"キングス・スタイナーの一番の親友はネェツアーク・サクスフォーンという人物だ"という事を、トラッド君の護衛する賢者殿に伝えて欲しいだけです。
(リリィは、誰かを好きで、それに順番みたいなものがあるなんて、考えた事はないんだろうな)
アルス自身は、人の好き好きに順番をつける事なんて、状況と場合に必要に迫られなければ考えもしない。
そこの所は、この小さな同僚も同じだと勝手ながらに思っているが、間違ってもいないと感じている。
これまで姿が似ていなくても“兄妹”に間違われる事が多かったのは、その感性が揃っているからという気がしている。
"取りあえず、寂しい事に関しては、自分達はどうにもできない事だよ。
でも、ネェツアークさんは大人で、何より賢者殿の代理を出来るくらい賢い。
確かに、大好きなキングス様に会える時間は少ないかもしれないけれど、それでも自分で会える時間を作ってしまうくらいの事は出来る。だから、心配はいらないんじゃないのかな?"
ネェツアークが、ウサギの賢者の代わりになるくらい賢いという言葉を聞くと、それは予想以上に効果があった様で、リリィの表情は幾分か明るくなる。
"そうだね、ネェツアークさまは忙しいかもしれないけれど、自分でどうにかできるよね"
明るくなった表情に、アルスの心も自然と軽くなって、ついでに耳の長い上司が気にしていた事を思い出していた。
―――うーん、杞憂だとは思うんだけれどもね。
―――最近、リリィは眠れてはいるみたいなんだけれども、どうもその眠りが浅い様な気がしてねえ。
(もしかしたら、眠りが浅かったのは、ロブロウではちゃんと別れの挨拶も出来なかったネェツアークさんを気にしていた事も、あったかもしれない。
でも、こうやって具体的に、判るまでもなく話す事で、リリィがネェツアークさんについて心配している事は、少しは治まっただろうな)
"あ、そうだ。リリィ、良かったら自分が貰った入浴剤、貰ってくれるかな。
今夜、ちょっと考えたい事があるんだ。
でも明日賢者殿に効能とか、薫りを聞かれたら困るから、リリィが使ってその薫りを教えてくれたら有難いのだけれど"
よく眠れるようにと貰った入浴剤だけれども、アルスは元々眠れていない事もない。
勿論2つあれば効果が倍増するかどうかも判らないけれど、自分が持っているよりは、眠りの浅い少女が2つ持っていて、翌日も使った方が良い様に思えた。
(使う機会は、きっとまたあるだろうし)
"え、でも、折角賢者さまがくれたのに……でも、今日は考えたいことがあるんだよね?"
どちらも大切に思える存在からの質問や頼まれ事に出来れば応えたいというのが、リリィの面差しに浮かぶ。
"うん、そうなんだ。
それでも、明日に朝食の時にでも、話題にされたら、答えられないと困るから頼んでもいいかな?"
重ねて頼まれた言葉に考えた後、リリィは頷き、了承したので、アルスは軍服のズボンから星形に固められた入浴剤を取り出し、小さな手に渡した。
先程賢者から貰った三日月の形をした入浴剤も、手に三角巾を持っていない方の手にリリィは握っていたままだったので、2つ丁度並べた様な形になる。
"ねえ、これって賢者さまが良く言っている、『誰にも迷惑かけないズル』になるのかな"
月と星の形をした思い出の品でもある入浴剤を、緑色の瞳に映しながら、そんな言葉を口にする。
"賢者殿のするズルよりは、とっても簡単なズルだけれど、誰も困らないのは、一緒だろうね。それで、年上の後輩を助ける事になる"
不意の形で尋ねられたけれども、アルスが"一緒"という言葉と助かると口にすると、リリィの顔は嬉しさに綻び、アルスの胸の内にも安堵が広がる。
(多分、これでネェツアークさんに関しては、これからリリィがそこまで心配する事もないだろうな。そうだ、これは杞憂って言う奴かもしれないけれど)
"ねえ、リリィ。キングス様もネェツアークさんの事は知っていて、リリィが名前を出したら、考え込む事がある様な関係というか、親しいみたいなんだよね?"
アルスはネェツアークが堂々と仕立屋が親友であると、ロブロウでの浚渫の儀式の支度の最中に公言している所を、参加する一行と共に聞いていたが、リリィはそれを知らない。
リリィと仲の良いやんちゃ坊主のルイ・クローバーも公言する現場にいたので、彼から何らかの話を聞いているのかとも考えたが、先程の小さな同僚の発言からはそんな様子は窺えなかった。
"うん、最初はマーサさんに教わって書いたレシピのノートに驚いていた感じだったけれど、それからは料理を教えてくれながら、私の話を聞いてくれていた。
それでね、その話の中でネェツアークさまは、実はロブロウで朝ごはんを一緒に食べた時に、とてもお腹が空いていたみたいで、生地汁を3回お代わりしたから、4杯食べた事になるのかな。
その話をしていたら、笑って「目に浮かぶようです」って、一言だけ仰っていたの。
それって、一緒にご飯を食べる様な関係だから、知っているから言う言葉だよね?"
何気なくキングスが出したであろう短い言葉で、仕立屋と、国王直轄の諜報員の関係を見抜いたリリィに、アルスは空色の眼を丸くする。
そして食堂でロブロウの郷土料理でもない、茹で卵が出てきたことで、ほんの少し食堂の一同の動きが硬直する。
(確かライさんがけしかけて―――"励まして"、儀式が始まる前に、リリィとネェツアークさんがもう逢えなくなるからって、それならって、逢える約束を作ったんだ)
最初儀式に関する真面目な質問をする流れで、王都一行が待機する部屋で通信機越しに、儀式の指揮者となるネェツアーク、引率のグランドールと、体調不良で安静のアルセンの控えている貴賓室に、リコリスが連絡を取ったのを、ライが利用したのだった。
ライがリリィを励ましながら、通信機を小さな口元の側に添えているのは、アルスも見ている。
―――にゃ~、リリィちゃん、ガッツ出すにゃ~
―――ロブロウでは儀式が終わったらすぐ帰るから、もう会えないのは分かりました。
―――でしたら、いつか王都であった時に、中庭で転けそうになった時の助けて貰ったお礼をさせてください。
―――私、それまでにネェツアークさまが好きだって言う"半熟の茹で玉子"を練習してます。
―――だから、いつか食べてください。
(でも、ネェツアークさんは、丁寧な言葉だけれども、リリィの申し出を何度も断っていた)
―――お嬢さん、私も仕事がそれなりに忙しいので、先程もいいましたが、王都で会えるという、確約や、ましてやご馳走を頂ける保証は出来ないんです。
通信機越しに、鳶色の人が断わりの言葉を告げるのは、アルスも聞いていた。
リリィが挫けそうになるのを、猫の鳴き声を語尾をつける女性騎士が、無言ながらも応援するように、華奢な方に手を添えて、今一度通信機に小さな同僚は声を出していた。
―――はい、さっきもお聴きしました。でも、練習していたらダメですか?。
そして、アルスの気のせいでなかったなら、小さな同僚の前にある通信機から息の様な物が漏れる音が聞えた。
それは、再び出逢う事を願っているリリィの気持ちに、根負けしたという、鳶色の人の溜息の音だとアルスには不思議と判った。
―――じゃあ、いつか王都であう事があったのなら。
―――ただし、会えるかどうかは本当にわかりませんからね。
―――2度と会えないぐらいの、可能性を。
リリィと逢う事を嫌がっているわけではないけれど、逢わない方が良いと考えている。
そんな思いがネェツアークの返事の言葉に滲んでいる印象をアルスは受けた。
(でも、キングス様に会うのは良くて、リリィにはもう逢わない方が良いって思っている、ネェツアークさんの理屈は何なんだろうな)
あの時はそこまで考えられなかったけれども、何とか"再会"する事の了承を得た小さな同僚の顔は、綻んでいた。
―――はい、ありがとうございます!そう言って貰えるだけでも、嬉しいです。
―――お仕事の話の間に入ってすみませんでした。
あの時のリリィの明るい声と顔は、ロブロウから戻り月の満ち欠けが一回りした今でも、思い出す事が出来る。
(今日はキングス様に手伝ってもらって、ロブロウ料理を作っていたなら、自然に思いついて作ってしまったという事なんだろうな)
別にこの場にいる誰もが、1つだけロブロウ料理に当てはまらない物を出したとしても、特に文句も疑問も口に出さない様に思えた。
(ただ、自分の独り言みたいに口に出してしまった事は、明らかに失敗だった)
―――でも、茹で卵なんてロブロウの料理であった―――ああ、うん、そういう事か。
(ネェツアークさんの好物だって、一回は聞いていたのになあ)
もし、誰も側にいなかったなら自身の頬を捻り上げたい新人兵士には、数秒も過ぎていない状態でも随分長く感じられた。
(自分で、キングス様がいる間は"ネェツアークさんに繋がる話題は避けよう"と提案した様な物なのに、リリィごめん―――あ)
そこでアルスの視界に、配膳を終えて腰掛ける仕立屋の姿が入る。
いつもの食卓では、新人兵士の正面には誰も視界に入らないのだが丸い食卓で4人が腰掛けるとなると、自然とそうなる事なのだと、今更ながらに気が付いた。
『私はアルス君がさっき言った、"そういう事"が、どういうことなのか判りませんがーーー、茹で卵と言えば、法王猊下の好物でもありますね。
とりあえず、食事をとりながら話の続きを始めませんか?』
『ああ、そうだね~。ワシはお腹空いたし、ロブロウで食べれなかった生地汁を早くたべたい。
なので、キングスの言う通り、食べながら話そうか。
リリィも配膳終わったなら椅子に座って、皆座って手を合わそう~』
『は、はい、賢者さま』
賢者に促されて、巫女の女の子も慌てて動き、アルスが止めてしまった流れを、仕立屋と賢者で一気に加速させるように進められる。
そして、いつもの様に屋敷の主であるウサギの賢者が代表して言葉をかける。
『はい、じゃあ、皆で手を合わせて"いただきます"』
『いただきます』
『いただきます』
『いただきます』
1匹と3人の声が食堂に響いたき、食事が始まる。
各々が食器を手に取ったり、汁を啜ったりする中で、仕立屋は食卓の中央に置かれている茹で卵に手を伸ばす。
『賢者様、私が卵の殻を剥いても宜しいでしょうか?』
キングスが微笑み尋ねると、顔の半分ほどある椀をフワフワとした手に持ち、生地汁を咀嚼しつつウサギの賢者が、大きく頷いた。
『賢者さま、そんなに生地汁食べてみたかったんですか?』
巫女の女の子が尋ねると、ウサギの賢者は再び西の地の郷土料理をかき込みながら頷いている。
(まるで、ロブロウの時のネェツアークさまみたい)
勿論声にも出さずにそんな事を思いながら、リリィは無意識に近い状態で練習に作った、ゆで卵を手にして、アルスも釣られるように手を伸ばした。
リリィとアルスが食卓の平面にぶつけ、卵の殻に最初の"ひび"を入れる中で、仕立屋は器用に手で包み込む様にしたのと同時に、その内から卵の殻がひび割れる独特の音が響かせる。
それから卵を包み込んだ手の指先が、今一度卵を包み込む様に指が滑らかに握る様に動いたなら、まるで手品の様に、綺麗に殻が剥かれて、白くつるりとした卵が拳の上に乗る様にして姿を現した。
『うわあ、凄い御上手ですね』
初見となる新人兵士は、両手で包み込む様にして最初に入れた箇所から、卵のヒビを小さな乾いた弾ける様な音を、広げながら感想を口にする。
小さな同僚は、平らな食卓の上に最初にぶつけて出来た卵のヒビを、そのまま小さな掌と平らな机上の上で抑えて挟み込み様にして、ゴロゴロとさせていた。
『キングスは、とっても器用だからね~、卵を片手で剥いてしまうなんて、流石だね。
それと生地汁のお代わり頂戴~。とっても、美味しいから、何杯でも食べれそうだね~。
ただ、こうなるとロブロウで食べれなかった事が、返す返すも残念だねえ』
『それでは、卵とお椀をお代わりの交代しましょうか、賢者様』
ウサギの賢者が、ロブロウで生地汁を食べれなかったという言葉は、何故だかわざとらしくも聞こえたのだけれども、仕立屋の殻剥きの妙技にアルスは未だに驚いていた。