日常から、催し事への誘(いざな)い③
それまで親友の仕立屋といつもよりも声を低めにして話していたウサギの賢者が、2人の部下に近い方の片方の耳を動かし、俄かに言葉を差し込んだ。
アルスもリリィも、瞬きを激しく繰り返す中でウサギの賢者は、更に自分の使い魔の現状を報告する。
『浚渫の儀式の時に、異国の神様の代わりをさせたり、主でもないのにアプリコット殿や鳶目兎耳の人を一時的に主に設定したから、使い魔なりに疲れたみたい。儀式中に強烈な魔力の影響を沢山受けたみたいだしねえ』
最後の方はアルスの方に、ウサギの円らな瞳を"ギョロリ"とした形で向けたなら、新人兵士は少しばかり恐れ入りながらも、確りと頷いた。
『はい、それは使い魔のカエル君は、大活躍でしたから』
そう返事をしてから、アルスはある事に気が付いた。
『思えば、あの儀式に参加をしたのはこの魔法屋敷のなかでは、自分と使い魔のカエル君だけなんですね』
結構な王都からの人数で参加をしたとも思っていたが、こうやって元に戻ってみると、アルスの生涯の中で大きく影響を与えたと思える出来事を共有できるのは、この屋敷の中では金色のカエルのみだった。
耳の長い上司は、気が付いた事で当惑したような表情を受けべる新人兵士の心の機微に気が付いたようで、小さく頷き続ける。
『うん、そういうのもあって、使い魔は気持ちの共有出来るアルス君の側に寄りたいみたい。
でも、沢山魔力を使ったから、身体も休めたいみたいのもあって、布団とアルス君の所を行ったり来たりを屋敷に帰ってからしているんだよ。
アルス君は動いている所ばかりを見ているから、リリィみたいには思えないだろうね』
『はい、本当にそんなに疲れているなんて思いもしませんでした』
『―――じゃあ、賢者様のカエル君にも、梅ゼリーを差し上げましょうか。梅には、疲れを取れる成分も沢山入っているんですよ』
アルスの感想の言葉に続いて出てきたのは、仕立屋で、ややつり眼の金色の眼は、リリィ専用の台車の上にある梅ゼリーが入っている器の方に向けられていた。
『じゃあ、カエルに梅ゼリーを運ぶついでに、皆でこれからはワシの寝室へ、移動しようか。
それで部屋を片付けついでに、本を整頓しつつ最初に話していた、キングスのお家のスタイナー家の家紋の詳しい図解も見せてあげよう』
良い事を思いついたという風に、ウサギの賢者専用の椅子からぴょんと飛び降りる。
それから直ぐ隣にいる仕立屋の脚に、身を寄せるようにぴったりと凭れかかり、空いている方手で人差し指をピンと立てて、円らな目を細めた。
そこに冷静に言葉を挟み込むのは、ウサギの賢者に世話になった当初は、同じ部屋で生活を共にしていた秘書の女の子だった。
『賢者さま、また書斎から本を持ち込んで、寝ながら読んだり、枕にしたりなさっているんですね。それで"面倒くさい"からって、書斎に戻すのを忘れて積み本の状態に、なっているんですね』
どうやら図星らしいのか、キングスの片方の脚に凭れかかっている状態だったぬいぐるみのような身体を、そのまま両脚の後ろに隠れてしまった。
『いつもため込んでも、3冊までにしてください!って言っているのに!』
『あ、思えばアルス君はワシの寝室に入るのは初めてだねえ』
"秘書"からのお説教から逃れるべく、ウサギは眼を細めたまま、仕立ての両脚を壁にして新人兵士に尋ねる。
『そうですね、部屋の場所は知っていますけれど、お邪魔した事はありませんね。確か、このお屋敷の3階の屋根裏でしたか』
『そうそう、ぬいぐるみサイズのワシにぴったりのお部屋~♪―――ん?』
そこで仕立屋が身体を捻りつつ曲げるという、随分と柔軟な仕種で自分の後ろに隠れるウサギの賢者を抱え上げる。
『賢者様、リリィさんが"お説教"している時にそうやって新人兵士君を巻き込んで、逃げるのは狡いですよ』
抱え上げ正面に見据えて、そう説教をしたなら長い上司の耳が根元の位置から曲がる。
『だって、ここ数日報告書が立て込んで、本を戻すのも疲れてたんだ。でも、片づけなくてゴメンね、リリィ』
ウサギの賢者が自分の秘書に謝罪をする時、まるで最初から打ち合わせていたように、仕立屋が、抱きかかえている、ぬいぐるみの様な身体を反転させていた。
今度はリリィと真正面になる形で、"シュン"とした姿を見せつける。
『えっと、忙しいのは判ってますから、言ってくれたなら私、片づけを手伝ったのに』
長い耳を垂れた状態で落ち込む姿が、"ウサギ好き"を公言している少女の心を見事に掴んだ様子で、先程までの強気な言葉遣いを、秘書の女の子は一転させる。
そして椅子に座ったままの状態で、フワフワとして自分の巫女の服をぎゅっと握りしめていた。
つい最近まで、"必要があったので"上司にあたるウサギの賢者を、本当のぬいぐるみの様に扱っていた事もあって、その名残が出ているのだと、丁度食卓を挟んで中間にいるアルスには判り苦笑いを浮かべる。
(リリィ、出来る事なら賢者殿を”抱っこ"したいんだろうな)
ただ、暫くは"ぬいぐるみのふり"をするような必要なさそうなので、リリィが抱きしめるチャンスは当分訪れなさそうなのは、ウサギの賢者が大好きな小さな同僚にとっては気の毒に思った。
(多分、当分は賢者殿がぬいぐるみのフリをする予定もないだろうしなぁ)
少なくとも、王都の付近の魔法屋敷に戻ってからは、ロブロウの時の様に抱きしめる機会などはなかった。
アルスが気の毒に思っていると何かしらの視線を感じ、その方向を見たなら仕立屋に抱えられた、賢者の円らな眼から注がれている物だと気が付く。
そして気のせいでなければ、普段から上がり気味であり賢者の口端が更に上がる。
(え?)
軍服の胸の内の中で疑問が浮かんだのと同時に、賢者が髭を動かしながら、今度はアルスに向かって口を開いていた。
『いやあ、今回は本の量が凄まじくてね。リリィに手伝ってもらうにしても多いんだ。
それに一段落つくまでに並行して数冊の本を並行して資料として使っているんだよね。
というか、今も使っているんだ。
それで、今度は印はつけているからそれをノートに纏めたいんだよねえ。というわけで、アルス君は、座学も得意だったよね?』
『あ、はい、苦手ではないです』
"というわけで"という言葉の意味は判らないけれども、上司から尋ねられた事に応えたら、根元から曲がっていた長い耳が、真直ぐに伸びた。
『それでは、本日の午後の"ウサギの賢者の護衛部隊"の課業は、ワシの寝室にて今回のロブロウでの報告書を纏める総仕上げの仕事をしたいと思いまーす。後ついでに、本を片付けてお部屋のお掃除~』
仕立屋に抱えられた腕の中で、賢者が短いモフリとした片腕を伸ばし、そう宣言をする。
『あ、はい、判りました』
"護衛"が仕事ではあるけれど、ウサギの賢者が実質的に上司であるので、そう命じられれば護衛騎士のアルスは素直に従うのみである。
リリィの方も、同僚のお兄さんが返事をしたのと同様に従うつもりである。
ただ、その中に主に自分が担当する"掃除"の部分があるので、その小さな頭の中で早速段取りを考え始めていた。
『賢者さま、掃除をするならホウキィーは連れていきますか?』
ウサギの賢者の魔法屋敷の中には、"魔法屋敷"だけあって、自分の意志を持って動く家具や調度品が数品存在する。
その中でも、どういう経緯で"誕生"したのかは知らないが、自分の意志をもって掃除を行う、"ホウキィー・ウラジミール3世"という御大層な名前がつけられた菷がいる。
リリィがウサギの賢者に引き取られるまでは、"家具"の中でもリーダーだったらしく、新しく"リーダー"と家主に任命されたリリィに反抗を今でもする事があった。
そんな、"ホウキィー・ウラジミール3世"は専ら魔法屋敷にとっては"新入り"のアルスを"手下認定"していて、発見する度と追い回すが、アルスは軍学校でも優秀だった運動神経で、難なく避けてはいたが、不意打ちなどはたまにくらっていた。
だが、掃除に関しては確かに抜かりなく、綺麗に仕上げてくれる。
『いや、アイツがいるとアルス君を狙っちゃうだろうからね。
荷物運びもあるけれど、筆記作業もちょっと手伝ってもらうので、邪魔をするといけないから。
取りあえずは、一度国王陛下に報告書を出さなければいけないんだよ』
そう口にして、コートを纏っていない為に、チョッキだけ纏っているウサギの賢者はフワフワとした胸元に短い腕を突っ込み、固い爪の先で小さな手紙を摘まみ取り出してみせた。
┌────────────┐
│そろそろ、報告書が読みた│
│いから、宜しく頼む。 │
│ │
│セリサンセウム王国 │
│王様 │
│ダガー・サンフラワーより│
└────────────┘
『手紙っていうよりは、走り書きのメモって感じみたいですね』
『うん、アルス君の言葉が概ね正解。多分執務の間に、適当に思い出したように書いたんだろうね~。
で"ちび紙飛行機"を作って、ワシの所に飛ばしたんだと思うよ。良かったら、読んでみる?』
ぬいぐるみの様な姿で持っているから、その大きさの比較から、普通の手紙にも見えるが実際には賢者も認めている通り、随分と小さい紙切れだった。
以心伝心でもしているように仕立屋が、抱えているウサギの賢者の身体を腕を伸ばして差し出してくれたので、アルスはそのメモを小さく会釈をして、受け取る。
『ありがとうございます』
(普通の軍隊の配属先なら、余り体験することはない出来事なんだろうなあ)
本来、正式に王様が書いた書状なら、羊皮紙という紙でも立派な物を使って送り届けられてくるものだろうが、恐らくは私的なものだと思える。
(こういうやり取りを王様と出来るって所が、国最高峰の賢者というべきなんだろうな)
一般的になら、大いに驚くところなのだろうが賢者を抱えている仕立屋も直々に国王陛下に謁見する事の出来る立場の為か、手紙に驚いていない。
アルスの同僚であるリリィも、こういった事に慣れてはいるのか、"王様の手紙"にそこまで驚いている様子もなかった。
(慣れてるってこと自体が、自分には驚きだなあ)
そんな事を考えながら、改めてウサギの賢者の宛の国王ダガー・サンフラワーからの手紙を空色の眼で見つめる。
恩師であるアルセンが、書写の師範の免状を持っているので整った字を見慣れているが、この国の王様の文字も走り書きにしても中々綺麗な字だった。
ただ、見ただけで感想を言うなら、癖というものはないのだけれども、とても”力強く勢いのある文字"という物を感じさせてくれる。
『アルスくん、私にも見せて』
『ああ、そうだね、一緒にみようか』
椅子から身軽の降りて、リリィが傍に寄ったので見え易い様にメモを差し出したなら、強気だが可愛らしくも見える緑色の瞳で興味深そうに覗き込む。
『賢者さまに、色んな方からお手紙が来るのは知っているんだけれど、読むのは初めてなの』
恐らくアルスの顔色を読んだのかわざわざ説明をしてくれた事に、思わず笑っていたならアルスの手にしているメモを見て、リリィが華奢な首を傾げた。
『……あれ?この文字?』
『王様の文字が、どうかした?』
『えっと、どこかで見た様な気が……?』
まるでウサギの賢者が考え込む時と同じ仕種で、小さな手を後頭部に当てて、柔らかい桃色の髪を揺らして掻いた。
自分の秘書の言葉に長い耳を、ピピッと動かし賢者が小さな口を開く。
『王様直筆だよ~。一応、書いたなら処分しない限り公的に"残ってしまう"。なんで性格は暴君でも字は練習したらしいから、それなりに立派な綺麗な字だろう?。
ちなみに持っていく所に持って行ったなら、それなりの価値が出るんじゃないのかな~』
そう言ったなら、"ふふふふふ"と不貞不貞しく笑った所を、仕立屋に頭を撫でられたことで止める。
『―――賢者様、その手の冗談は未成年の前では控えましょうね』
『はーい、キングス』
日頃からでは信じられない程、素直な反応をする賢者に、アルスは眼を丸くしてリリィは思い出すのは止めて、笑っていた。
仕立屋は優しく微笑んで、ウサギの賢者と会話をする部下の都合を考えてか、抱え上げている状態から、再び"抱っこ"の状態にしていた。
(リリィ、さっき王様の文字を"見かけた事がある"とかいっていたけれども、何かで見たのかも。手紙では初めてでも、何かの公布の文章で読んだ事がないとは言いきれないし)
『じゃあ、皆でワシの部屋に移動しよう。アルス君は一回居室に戻って、剣は置いてきて軍服の上着は脱いでおいで。あと、筆記用具も自分のが良いだろうから、持ってきた方がいいかな。
ええっと、朝から引き続き"3種"で、よろしくね』
仕立屋の腕に抱えられたまま、むっくりとした首を曲げながら、久しぶりになる軍隊用語を、ウサギの賢者は口にする。
賢者が言った軍隊用語を正式に言うならば、"平常課業の3種"で、武器である剣を安置場所に保管し、軍服の上着を脱いだ状態での格好となる。
"平常課業の1種"が日頃アルスがしている格好―――軍服の上下に軍靴、そして帯剣している姿なる。
"2種"が上下軍服姿で帯剣を外した状態で格好となり、数字が増えるごとに身軽になるという、覚える時には何とも不思議な軍隊の用語だった。
午前中の薪割りもこの"3種"の格好で、アルスは行っていた。
『はい、それじゃあ、自分は支度してきます』
『リリィは、ホウキィーがアルス君と接触しないようによろしくね~』
そう言いながら、普段はフワフワの毛の中に隠れている肉球の着いた掌をアルスの方に向ける。
直ぐに意味を理解した部下はメモみたいな手紙を、仕立屋に抱えられている上司に返した。
『はい、それじゃあ、洗濯物の見張りと中庭の木の葉を拾って置いてもらう様に頼んでおきます。
アルス君、ちょっと言いつけてくるから、ホウキィーが屋敷を出て行くまで、食堂で待っていてね』
屋敷の中で発見されると、"魔法の箒の視界から外れる”まで、もれなく新人兵士は追いかけられる。
なので新入りと先輩は、大体が入れ替わる様にして魔法屋敷で、日々行動していた。
『わかった。それじゃあ食器は自分が片づけておくから、リリィは箒を誘導したなら、そのまま賢者殿の部屋に行きなよ。賢者殿の部屋に梅ゼリー運ぶのに、階段を3階登らないといけないのは、大変だろうから』
台車の上に乗っている、梅ゼリーが入っている大きな器を見つめながらアルスが提案すると、それには小さな同僚は戸惑うように小首を傾げた。
『運んで貰うのはとても助かるけれど、その器事運んでしまうの?。カエルさんの分だけで、小さなに盛って、器だけ運べばいいんじゃない?』
『あ、そうか、そうだね』
どういうわけだか、アルスはいつの間にか頭の中で、器事運ぶつもりになっていた。
ゼリーは入っている大きな器に半分以下になっているけれども、この場にいる3人と1匹が十分お代わりが出来る量は残っている。
『そうだね、小分けの器一杯に入れて運べば――――』
『いや、器事運ぼう。ワシの使い魔は何気に大食いだし、器に残っている位は飛び込んで食べちゃうかもしれない。
カエルもキングスの事が好きだしねー』
片腕で抱えられたままウサギの賢者が、頭をあげて親友を見上げると、仕立屋は品良く微笑んだ。
『使い魔さんに好かれるのは喜ばしい限りです。ですけれど、ゼリーの中にダイブするというのは、お行儀が悪いのはご遠慮願いましょうか。
それでは、私がこのまま賢者様とゼリーを運んでいきましょう。
アルス君、申し訳ありませんが、厨房の方に行って使い魔さんにゼリーをとりわける為の新しい器だけ、運んできてもらえませんか』
『え、キングス様が、あ、はい、わかりました』
仕立屋の提案を了承しながらも、自分が同僚の為に造った台車の上に乗る陶器の器を見た。
陶器で深く広い器であって、しかも蓋もついている、見た目からしても"重そう"という印象を与える。
『"一緒に"運ぶんですか?』
『ええ、"一緒"に運びます』
笑顔ではっきりそう口にすると、仕立屋は静かアルスの横を通り過ぎ、リリィの台車の前に移動した。
綺麗に爪化粧が施されている手を、梅ゼリーが入った陶器の器に手を伸ばしたけれども、それが寸前で止まる。
『そうだ、寝室に行くなら弓をも持って上がらないといけません。
アルス君、重ね重ね申し訳ありませんが、先に安置場所に置いてある私の武器を持ってきてくれませんか?。リリィさんには、重たくて無理ですから』
食堂の入り口付近にある、武器の安置場所を黄金色ので見つめ、賢者を抱えていない方の手で指さした。
教本に載っていた弓という武器ととても良く似ている、ただ全体的に長さが短く見えた武器を改めて、アルスは見つめる。
『わ、判りました』
初めて見た形の武器であったけれども、"重そう"には見えなかったので意外だったが、手にしてみたいという考えはあった。
少し声を上ずりながら返事し、直ぐに椅子から立ち上がり、頼まれた弓を取りに行く。
『ああ、留め金は武器を取ったなら、摘んだなら自然に外れますから。頑丈な造りですから、扱いを気にする事はありませんからね』
キングスがそう呼びかける頃には、アルスは仕立屋の武器の前に辿り着いて、仕立屋の武器に利き手である右腕を伸ばす。
教本には、矢をいる時にも掴む、"握"と説明が記されてい箇所を強く握り、片腕で持ち上げようとする。
(うわ?!)
留め金と"弓"みたいな形をした武器が、微かに触れ合って冷えを感じさせる金属を響かせてアルスが持ち上げると、それは予想を上回って重かった。
兵士としての役割を果たす為に国から与えられている、軍の剣の丁度倍ほどの重さを感じつつも、軽い"意地"みたいなものもあって、平素を装いながら腕一本で持ち上げる。
(この、キングス様の弓みたいな武器は、弦の部分以外は金属で造られているんだ)
その時後ろからの視線を感じ、振り返ると自分の上司である賢者を抱えている仕立屋が、優しそうに笑みを浮かべていたけれども、黄金色の瞳から鋭さが孕んでいるのも感じとれた。
『―――確かに、リリィにはこの武器を持つことは無理ですね』
思ったままに口にしたなら、それまで感じていた鋭さが緩んで、更に仕立屋から声をかけられた。
『ええ、両腕でもリリィさんには無理でしょう。アルス君も、護衛騎士という事で役割に誇りもあるでしょうが、意地を張りはしないで、両手で抱えても構わないんですよ』
例の高くも低くもない、響きの良い声で挑発でもない"事実"でそう告げられる。
素直な新人兵士は、続けてかけられた声に不思議少しも反発や、"ムッ"と例えるような感情は起きず、直ぐに仕立屋の武器を両手で確りと支えた。
『そうですね、そうします』
『そんなに重たいんだ……』
小さな同僚の驚きの声を聴きながら、スタイナー家の紋章がデザインされているという、専用の留め金を武器抱えたまま摘まんだなら、こちらは想像以上に簡単に外れる。
(こちらも、"見た目"と違って少しばかり仕掛けがあるってことだったのかな。という事は、これは"魔法"ってところか)
武器を抱えつつ、摘まんで留め金の壁に接してい部分を観察したなら、平面で壁に差し込む形ではなかった。
『これは、魔法か何かでで着けていたんですね』
『うん、それはアルス君のお察しのとおり、魔法でくっつけていたんだよ』
今度のアルスの質問には、仕立屋に抱えている賢者が答えてくれる。
『キングスの武器を支える留め金は、魔法でくっつける物にしないと、逆に留め金の方がごっつくなって、荷物になるくらいだろうね。
それでいて、普通に取り外しが出来るようにするのなら、そのたび壁に留め金専用の大きな穴が空を開けないといけなくなる』
『そうですね、しかも留め金につける差し込みの部分は、とても工夫がいる物になりそうです』
休日に大工の真似事をするのが趣味である少年は、武器を抱えた時から、留め金の大きさと仕立屋の武器の重量を考えたなら、普通に設置させるのは随分難儀だと考えた。
自分の護衛騎士の趣味を掌握している賢者は、小さな鼻をフンフンと少し動かし、親友の武器を抱えた上でアルスの摘まんでいる、"自分が造った"留め金を見つめる。
『そうだねえ、もし普通の留め金の作り方で造って使ったなら、下手なお家なら、壁がべりっと抉れてもげてしまうだろうねえ』
『え、そうなんですか、そこまで重いんですか?!』
賢者の親友の武器は、今まで"お客様の持ち物"であることから、リリィは本当に眺める事しかしてこなかった。
なので、今まで見慣れてはいた物が、そんなにも重い事に大層驚き、緑色の瞳で2人と1匹を代わる代わるに眺めて、小さな口を丸く開けていた。
『うん、もしかしたら、リリィよりも重たいかもしれない』
『そ、そんなに?私より重たいの?』
そんな事を言いながら、11歳にしてはどちらかと言えば小柄な少女は自分の身体を見つめる。
『私より……重たい?』
アルスは何となく、リリィにも伝わりやすい例えのつもりで出したけれども、自分の重さと言われても、感覚は掴めない様子だった。
『えっと、それじゃあこうい言ったら判るかな。賢者殿が1人と、それに更に半分位の賢者殿が加わった重さかな』
今度は"具体的に"と考え、巫女の女の子の人生の抱え物をした中で、恐らく一番重いと思った”物"で共通する例えとして、仕立屋の腕の中にいる上司を出した。
『ああ、判りました、そんな感じの重さなんですね!』
以前に、ウサギの賢者を何とか抱えた事があって、何とかリリィが抱っこは出来たが動き回る事はとてもできなかった。
それに、もう半分でも重さが加わるとなったなら、少女には抱えられる自信はない。
アルスの判り易い言葉に笑顔になり、リリィは頷いていけれども、また小首を傾げる。
『……あれ、それじゃあ、賢者様って、私の身体よりも重たい?。それとも、同じくらい?』
アルスが先に言った言葉思い出し、今度は仕立屋の腕の中にいる賢者と自分の身体を見比べる。
『あ、そうか、賢者殿は抱えた事があっても、自分はリリィを抱えた事がないや。
でも、リリィの見た感じと、賢者殿を実際抱えた重さの感じだと……』
リリィの言葉に今度はアルスが、健康的に日に焼けた首を傾げながら自分が抱えている仕立屋の武器と、小さな同僚と、抱きかかえられている耳の長い上司を空色の眼で見比べた。
『……っっフフフ』
そこで堪えきれないといった調子で笑い声を漏らしたのは、仕立屋で、空いている方の手で口元を抑えている。
『すみません、リリィさんとアルス君は血の繋がりもないと伺っているのに、似たような事を不思議に思い、考え拘っていらしているのを見たら、どうしても抑えられなくて。
でも、その考え方をするのが、賢者様にも似ていらっしゃるとも思えてしまって』
『ああ、ワシの悪い癖だね、うん』
"似ている"対象とされた賢者は、仕立屋の腕の中で円らな瞳を"線"の様に細め、仕立屋の口にする"悪い癖"については、素直に認める。
しかしながら"賢者に似ている" と言われて、秘書の女の子は眼に見えて嬉しそうな顔をして、新人兵士は心から驚いた表情を浮かべていた。
取りあえず、話の流れを元に戻すのは自分の発言が必要だと弁えた賢者は、己を抱えている親友を見上げる。
この状況を楽しんでいる様に見せる笑みを形作る、紅をひいた唇の端が少しだけいつもよりも角度をつけて上がっていた。
その形で親友は、"ウサギの賢者"の護衛騎士の少年を現在進行形で、会話を楽しみつつも"観察"しているのを察する。
(うーん、どうやら"アルス・トラッド"は、ウサギの賢者の護衛騎士やリリィのお兄さんとして、気に入ってくれたけれども、完璧に認めてくれるというわけではないか。
まあ、元々"リリィ"を護る事を最優先として、緊急に暴君と決めた、荷物持ちを兼任する護衛騎士だからねえ)
控えめな仕立屋は、決して不満を口にすることはないだろうけれど、"親友"と宣いながら、一言も相談なしに決めた重大な事には、これから確りと関わる様子は伺われる。
(そうでなきゃ、わざわざお面をつけて、"抜き打ち"で、うちに来る事なんてしないだろうし)
アルスには申し訳ないけれども、どうやら少しばかり"試されている"状況はまだまだ続いている。
ウサギの賢者としては、身勝手ながらに幸いと思うのは、アルス自身が微塵も今が自分を試されているとは考えていない事。
ただ、今自分を抱えてくれている親友が、新しい護衛に対しての感想は、殆ど及第点を超えてはいる事は感じ取っていた。
(本当は、活躍を見せる場所があったなら、良いんだろうけれど、王都でも人攫いの法令を締めなおしたついでに、治安の方に力を入れるから暫く落ち着いているだろうし。
さっきの"似ている"の反応にしても、現状ではあれくらいの反応が妥当なのは判っているだろう。
アルス君は信頼する相手としての比重は、"ウサギの賢者"よりも、まだまだ"アルセン・パドリック"の方が上なんだというのは、キングスも知っているんだろうけれどもな~)
『―――考えている事をどんどん繋げていってしまって、最初に考えていた事を忘れてしまうんだよね~。本当に悪い癖~』
(とりあえず、魔法以外は非常に有能であるのを、見て貰う事としよう)
『それでは、体重の謎については、ワシの身体は、ぬいぐるみみたいでも俊敏に動く為に色々な仕組みが詰まっているとでも思っておくれ。
あと、愛と夢と希望と適当が詰まっているから、それで重く感じているのかもね』
賢者が仕立屋の腕の中、そんな事を言ったなら、今度は護衛の騎士も秘書で巫女の女の子も、"またうちの上司がふざけている"という、揃って呆れた表情を浮かべていた。
そのウサギの賢者の部下の調子が揃っている事に、先程よりは仕立屋の唇の角が緩やかになったのを確認してから、引き続いて話を続ける為に口を開く。
『それじゃあ、アルス君。話を戻して、キングスの武器の重量の話も"オチ"がついたみたいだし、こちらに持ってきてくれるかな?。
ワシの1.5匹分は重たいだろう』
『いえ、そこまで重たいって程ではないです。でも、確かに話を伸ばしてすみません、運んで欲しいと頼まれ事をされていたのに』
"考えている事をどんどん繋げていってしまって、最初に考えていた事を忘れてしまう"
正しく賢者が口にしていた悪い癖という物を実感しながら、結構な重みのある仕立屋の武器を、いつもの様な身軽な身のこなしではないけれども、アルスは運ぶ。
そして新人兵士が運んできた、自分の武器を仕立屋は賢者を抱きかかえて居ない、片腕で持ち上げる。
『すみません、直ぐに”装着"しますから、留め金はもう少し持っていてもらえますか』
『装着ですか、はい、判りました』
片手でも握り易い様に、弓の中心でも"握"の箇所を掴み易い様に差し出したなら、
『―――気遣いありがとうございます』
落ち着いた仕立屋の声を耳に入れながらも、武器の”重さ”を知ってしまったウサギの賢者の部下達は持ち主が自分の武器を扱うその様子を、注目して眺めていた。
ただ持ち主の手が、"握"を掴み、手元に戻ってからのその武器は、新人兵士が両手でもって抱える程の重さのあるようなものには見えなくなる。
"金属"だと感じていたものが、普通の弓の様に、木材に変わってしまったのかの様にも思えた。
『―――え?』
そこからは”早業"という表現しか出来ない様な光景が、空色と緑色の眼に映る。
黒い爪化粧が施された、指先が"握"を掴んだまま、恐らく"矢"を番える事になる武器の弦の箇所に伸びて、弾いて音が鳴る。
音が"始まった"場所を起点として、仕立屋の武器は小さく振動を広げていって、そして広がる度に振れ幅は大きくなって端にまで到達した。
そこまでの時間もごく短い。
だが次の瞬間には、更に短い時間で以て、仕立屋の武器は変形し、まるで生き物のように、仕立屋の腕の、肘の巻き付き見た目には少々重厚な防具にも見える物にもなる。
『わっ』
その様子にアルスは驚きの為に声を漏らしたけれども、リリィは興味深そうに見ているだけだった。
『リリィは、キングス様の武器がこういう風になるの、見た事があるんだね?』
付き合って日が浅いけれども、それとなく性格を察してる少年は少女の反応で幾度か見た事があるのだと察して確認したなら頷いてくれた。
『うん、キングスさまが装着するのは帰る時に何度か見た事はある。でも、何度見ても凄いなあって思うの。
賢者さまが造った仕組み……というか、魔法と合わせた"カラクリ"らしいんだけれど、私にはまだ難しくてわからなくて。
それで、本当は凄く重たいんだっていうのは、さっき初めて知ったから、また興味を持って見てたの』
『え、賢者殿が造ったの?』
アルスがリリィの造ったという言葉に反応して仕立屋の肘から手首に装着した、武器から装具の様な形になった物体を見た後に、丁度対照的に反対側の腕にいる賢者を見たなら、直ぐに小さな口を開き、説明を始めてくれた。
『造ったというのは語弊があるかな。元々キングスが、故郷から持ってきてたの―――古くて、使用不可能だったのを、改造して、"弓"みたいな武器として、使える様にしたというのが、正解』
『ああ、やっぱり“弓”みたいな、って事なんですね』
最初に留め金に置かれているのを見た時から、弓だとは思うのだけれど、アルスの中では、はっきりと断定する事が出来なかった。
アルスはリリィ以上に魔法の事など判らない。
けれども、それでも"ウサギの賢者"が何らかの手を加えているというなら、拘りとも、引っかかりともいえる物は、”改造した”という言葉で、納得に繋がってしまう。
『―――そうですね、基本的には武器として"弓"の形で使います。
武器として使いもしますが、芸事で舞踊を舞う時にその時の道具として使う時もありますから』
『キングスさま、中庭で舞の練習だからって、片手でクルクル回していましたよね』
リリィの"クルクル"という表現に仕立屋は優しく微笑んでいたけれども、小さな同僚が補う言葉を口に出してくれた事で、アルスも思い出した事があった。
"キングス様は弓の名人でもあられます"
(そうだ、ディンファレさんが、浚渫の儀式の際に確か話の流れで、キングス様の事を話していたっけ)
元々記憶力も良い事もあるが、アルスが密かに憧れている(若干名にはバレている)、女性騎士が、キングス・スタイナーについて語ってくれた事が、頭に浮かぶ。
(確か、浚渫の儀式の時に、併発する雷を納める為に、"弓"を使った儀式があるとか、ネェツアークさんが、変わった独り言で言ってて。
それで、"キングスは確かに弓の名人だけど、危険な事に巻き込みたくないし、まだ暴君に頼まれて出張中だからね"とかも、仰っていたんだ)
その話を思い返すだけでも、鳶色の人が仕立屋に執着している事と、アルスが初めて仮面姿の仕立屋と出逢った時に、
"キングス、サブノックへの長期出張、お疲れ様~。何時もより長い時間会えなくて、ワシ、寂しかったよ~"
と、口にだして言っていた意味が繋がった。
(もし、あの儀式であの場所にキングス様がいたなら、"雷鳴の陣"という弓を使った儀式が、見る事が出来たのかなあ)
アルスが思い出している横で、リリィもかつて中庭で見た事があるという、仕立屋の舞についてまだ話している。
どうやら、小さな同僚―――というよりは、"女の子"には大層素敵な舞であったらしく、軽く興奮しているのに、仕立屋は照れていた。
『―――ええ、そうですね。弓舞の型の振付に、色んな所作がありますから』
『でも、あんなに重い弓を、ちっともフラフラしないで綺麗に回しているなんて、キングスさま、本当は物凄い力持ちなんですね』
"力持ち"という言葉には、仕立屋は恥じらった様に釣り眼の目元を赤くしていたが、自分の武器を見つめながら、少しだけ困った様な表情を浮かべていた。
『私は馴れているから、賢者様が造ってくれていたものを使用しますが、本当は本物でなくて、舞う為の装飾で造られた物でも構わないんですけれどもね。
もし、リリィさんと賢者様が良かったなら、いつか簡単な舞は教えて差し上げますよ。
宜しいですか、賢者様?』
腕に抱えているウサギの賢者に、尋ねたなら細めていた眼をリリィに距離の近い方だけ、パチリと開いて見つめる。
『そうだねえ、リリィもアルス君が朝の訓練している時に、舞踊の基本ぐらいは取り組んでみようか。
いつもジッとしている魔法の訓練とかばっかりじゃ、つまらないだろうしね。
あ、でも、キングスにリリィにお裁縫も教えてもらう約束もしていたんだったねえ。どっちか1つにしないと、教わる時間が足らなくなっちゃうかなあ』
そう言って両方の眼を開いて見上げ、鼻を小さくヒクヒクさせながら、尋ねたなら、まだいくらか赤みの残る目元でにっこりと笑った。
『大丈夫ですよ、今回は生地の買い付けに、新たな販路が出来たので、暫くは王都で"あきんど"の方と商談が主なお仕事になると思います。
忙しい時は、アトリエに来て頂く事になると思いますが、それはアルス君が護衛でついてきてくれればいいですしね』
キングスが視線で確認すると、護衛騎士は僅かに空色の眼を丸くしたが直ぐに目元を引き締め、力強く深く頷いた。
『わあ、ありがとうございます!……ところで、"あきんど"という方はどんな人なのですか?』
キングスに"舞"を教えてもらえるという言葉に、喜んでいたが、聞いたことがない単語に、少女は仕立屋の腕の中にいる賢者を見つめる。
『商人と、商売する人、"しょうにん"の事だよ、リリィ。
大雑把にいうなら、リリィのお友達のマーガレットお姉さんはお菓子屋の商人。
バロータお爺ちゃんはパン屋の商人。ワシのキングスも、言うなれば服の商人だね』
いつの間にかまた円らな瞳を、糸の様に細めながらウサギの賢者が仕立屋の腕の中から、答えた。
『説明ありがとうございました、賢者さま。でも……商人さんと同じ意味なら、どうして"あきんど"とキングスさまは仰ったのですか?』
いつも通り賢者さまが、小さな口から滑らかにリリィにとって判りやすい言葉で教えてくれた事に礼を述べた後に、リリィが仕立屋を見上げる。
リリィがキングスに尋ねたなら賢者を抱えていない方の手を、自分の頬に手を当てて眼を細めた。
『今回、長引いたサブノックの、最大手の商人さんが、どうも呼ばれ方に拘りがあるお客様でしたので。
出来ることなら、商人の事は"あきんど"と呼んで欲しいとの事でした。
私も、良い品物にお金を惜しむつもりはないのですが、削れる経費は出来るだけ押さえたくて……』
(ん?賢者殿?)
リリィとキングスを中心に話が進んでいる様子なので、アルスは言葉を挟まないで黙っている。
それは仕立屋の腕の中にいる、賢者の毛も同じ様に思えるのだけれども、フワフワとしているのはいつもの事なのだが、気のせいか膨らんでいる様な気がした。
(特に口の周りが……何だか……)
そんな賢者の様子を知ってか知らずか、仕立屋と巫女の会話は進んでいた。
『それで、呼び方を"商人のスパンコーンさん"と改めたなら、"お勉強"してくださるとの事だったので―――』
(あ、また膨らんだ)
アルスが見る限り、商人の名前が出てきたあたりで、物凄く膨らんだ様に思えた時、それまでリリィと楽しそうに会話をしていた、仕立屋の言葉が止まった。
『と、いけません。リリィさんとのお喋りは、楽しくて時間が過ぎていくのを忘れてしまいます。
アルス君は、リリィさんが魔法の箒のホウキィーを屋外に誘導しないと、賢者様の部屋に向かえませんから、頼みますね。
私は、先に賢者殿の部屋に行っておきますね』
そう言ったなら、リリィ専用の台車乗っている陶器の、梅のゼリーが入った器に手を伸ばして抱える。
厨房で台車の上に乗せる時、少女は両手で抱えたなら腕が振るえる程の重さで会ったのだけれども、仕立屋はまるで小さな器を持つようにしていた。
『あ、はい、そうですね。じゃあ、アルス君、行ってくるね、台車と器を戻して置いてください』
仕立屋の"力持ち具合"に再び驚きながらも、これからの行動を思い出し、自分が動かなければ始まらないとリリィは、小柄身体に相応しく身軽な動きで食堂の外に行ってしまった。