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日常から、催し事への誘(いざな)い②



共に休憩している恩師が、何かしら懐かしむのを察し、アルスは黙する。

ただその回想は素早く終えたらしく、教え子と共に改訂した教本を緑色の綺麗な瞳で見つめていた。


"―――あの頃は時勢もあって、軍学校に入ったのはアルスより年下でしたけれど、それでも今の教本より内容が難しくて、文章が固かった。

先程改訂作業しながら確認しましたが、あの頃とはまた違った時勢に添って解りやすく、伝わり安い内容に作り変えているみたいですね"



アルセンが言うには、兵士になるべく入校している軍学校の教本には、"揃える"という言葉だけでは説明し難い事を学びとる術が、当時比べて更に詳しく丁寧に載せられているという。


出来ない者、上手い者を合わせて真似るのではなくて、教本基本の動きだけを先ずは、徹底的に覚えさせる。

基礎が個人で身についた所で、全体練習で再び"揃える"。


そこで初めて互いに、基本に揃えるという、軍学校の中で共同生活を行ったことで培われた協調性を使う。



"ただ、最終的に揃える為に必要な"協調性"は一朝一夕で身につくものではありません。

軍学校という場所で寝食を共にして、やはり相手を知って馴れていく事から、身につける方法が妥当でしょう。

それに兼ね合わせて、全体練習をした時に、個人で行っていた基礎を練習したという"下地"が活きてくる。

ずっと一緒に生活して培った協調性と、"出来栄え"ではなくて"出来る事"目標とする事で個人で行っていた努力を、無駄にしない形で融合させる"




"……どうして、国の兵士カリキュラムを練り、教本を作る方はそこまで丁寧な事をするんでしょうか。

自分は、任期契約の兵士でもしかしたらそれが終わったら、恩給をもらってやめるかもしれない。

それなら、兵士としての使える様に、最低限の教育で良い様な気もします"


素直に感じるままに言ったなら、教官は今度は品良く微笑んでいた。



"個人的見解ですが、それは、この国を守る仕事が大変なことでも、それでもこの仕事を続けたいと心から思える様にとした、基礎訓練の作製している方の信念かもしれません"


"信念ですか"


その言葉はアルスの中で、自分にはあまり縁がなく、思わず呟く程度の反応しか返せなくなる。


2年前にアルスを”拾って”何かと世話をやいてきたアルセンも、優しいながらも、何処か冷めた―――というよりも”熱くなれない”部分は見通しているから、浮かべていた笑みを薄め、話を続ける。


"人は、好きな事なら頑張り続けようと思う事が出来るし、実際やり続けるでしょう。

この教本を編纂し、カリキュラムを練った方も先程言った信念もあると思いますが、根底にあるのは、“好き”でやっているんだと思います。

なので、私はアルスも軍学校で暇や材料があったらなら、木工細工などをしているのと、大差はないとも思うのですが”

”差はありますよ、アルセン様”

大差がないという言葉には、声は小さいけれどすぐに反論してしまう。



”自分がやっているのは”作りたいから作る”自己満足であって、この教本を編纂された方の様な、アルセン様が仰った信念はありません。


編纂を行っている方は、民間から兵になろうと志す人が、窮屈な規則で縛られた軍隊の生活の中でも、訓練や仕事に充実感がある事を見出(みいだ)させる、良い事だと思います。


教本だけではなくて、カリキュラムとして行う訓練も努力を無駄にさせない、それで協調性を培う工夫をしている所は、国の為に働く兵の事を考えてくれている”


改訂の作業に進んで手伝ってきたことと、こうやって休憩の時間に恩師と話すことで、教本の編纂に込められている信念は感じとるだけではなくて、理解出来たとも、アルスは思っている。


そんな気遣いに溢れた事と、自分の趣味が同じとされたなら、編纂とカリキュラムの責任者に申し訳ないとも思う。

丁度、改訂の見本として新しい教本を手にしていたので、そこに記されている責任者の名前を、空色の眼で見つめた。


(”ロドリー・マインド”……中将か。階級は、アルセン様と一緒なんだ)


兵士という時代によっては戦地に赴く事になる仕事を、選んだだけの価値がある様に感じさせてくれる。

軍学校という半年間という制限(リミット)がある中で、その気持ちを芽生えさせるのは難しい事だと思う。


”好きだから、やっているという言葉で片づけるのには勿体無い”仕事”だと思います”


あった事もない”ロドリー・マインド中将”に、アルス・トラッドが心の中で抱いた尊敬は、顔の表情に漏れていて、アルセンにも直ぐに判る。

そこで、弟の様にも思っている少年が、何かと自分をライバル視してくる年代だけで言うなら、同期生に尊敬している事が、自分にとっては大いに面白くないのを自覚する。


(私の方は、一方的にライバル視されてる程度のつもりだったんですが)


だが、ここでそれを表に出したなら”大人気ない”という事も判るし、何よりアルスはアルセン・パドリックとロドリー・マインドの間にある何とも例えの難しい関係を全く知らない。

肌は白いが腹が黒いとも噂される、美人で貴族で軍人でもある人は、抱いた腹立ちの感情を表情には全く出さずに腹の内に納め、冷静を自分に言い聞かせる。


(今話したとしても、必要のない混乱を訓練生のアルスに与えてしまうだけの事です。

それに、この子の言う通り、彼の仕事に関しては私も評価をしているし、敬意を払う物がある)


取りあえず、今回の”面白くない”という腹立ちは、この改訂作業が終わったなら、2日程連続した休日が続くので、既に酒を吞みに行く確約をしている親友の褐色の大男に愚痴る事で解消する事に決める。


(連休が終わった後に始まる3か月の総合的な演習訓練と、最後の一般兵士・幹部候補生混合の剣術大会に向けて、この子の自己評価が低いのも何とかしておきたいものです)


元々、何かしらの形で良いから、自身と誇りを持って欲しくて、持ち出した改訂に関する話でもあった。


”好きだから、やっているという言葉で片づけるのには勿体無い”仕事”というのなら、私はアルスのやってい休日大工や、木工細工も十分それに当てはまると思います。

貴方が造った木工細工の小物入れ、アザミさんは大層喜んで、他にも欲しい人がいると聞いています。

ただ、残念なことに貴方が私に唆されて軍学校に入校を決めていたので、追加注文は取れなかったそうですけれど”


”……ありがとうございます”

少しだけ、顔を赤くして俯く教え子に、教官であるアルセンは続けて言葉をかける。


”いつも謙遜が多いアルス・トラッドも、ここでそれをしないで、礼を口にするという事は、少しは自分が造った物には自信があるという事ですね”

”あ、その、すみません!生意気を―――”


言葉を遮るようにして、アルスの頭を再び撫でる。


"いいえ、生意気ではありません、実際に評価は高いのですから。

アザミさんは、もし私が軍隊に唆していなかったなら、アルスをそういった商いの方に紹介しようとも考えていたそうです。

ただ、工具店の前で起きてしまった争いを、店の前にある"つっかい棒"で喧嘩両成敗おさめてしまったのを見て、剣術の才能もあるのもわかったそうですから"

"才能ですか"


今まで上手や巧いという言葉で、自分の休日大工の趣味が誉められるのはあっても、"才能"があるとまで言われた事がなかったので、純粋に嬉しかった。


剣術に関しては、軍学校の方に入る前にアルセンからも筋が良いとは言われていたけれども、アザミからも認められていたのはアルスは知らなかったので、やはり嬉しい。


"「どっちにしたって、アルスが選んだ方を、親代わりとして預かっている立場として応援する」と言ってました。

すみません、アザミさんの言葉については、私が伝えるのを遅らせてしまいました"


無事にアルスが身体検査や体力試験を終え、軍に入隊した事を報告した時に、何気無く話された話でもあったのと、最初の内は集団生活や基礎を身体に叩き込むことで流石にアルス大変そうなので、話すことを控えていた。


そういった"いいわけ"も込みで謝罪をしながら、教え子の頭に置いていた手を下ろすが、教え子は全く気にはしていないようだった。


"そうなんですね。それと、アザミさんの伝言は大丈夫です、アルセン様。

自分も含めて、下宿人の店子の人達には「無謀でない限り、やると決めたことは応援する」とは言われていましたから"


それから、少しだけ躊躇うが"思いきる"と表情を浮かべてアルスが改訂の教本を握りしめながら、アルスも今まで黙っていたことを口にする。


"何にしても、1度アルセン様に進められた任期契約の兵士という仕事をやってみたいと思ったし、入隊の試験を受けた時には絶対入りたいとも思ってました"


はっきり言って争い事は苦手だけれども、恩人が"恩師"になるという機会があるなら、兵士を続ける続けないに関わらずに、先ず入隊してみようという気持ちになっていた。


"そう言ってもらうと、助かります。正直に言うなら、アルスが好きなものと才能が合致したものが、見つかったかもしれないというのに、邪魔していたのではないかと思っていたので"


邪魔をしたかも知れないという恩師の言葉には、アルスは頭を直ぐに左右に振った。


"それはないですから、安心してください。それに好きなものと、才能の合致しているかも知れないことには、1人では気がつくことなんて、自分性格からして多分出来なかったですから"

"……そうですか、それなら良かった"


互いに言い出せずにいた話を出せた事に、(はか)らずもと同じタイミングで息を吐き出して、金色の髪をしている師弟は顔を見合わせて笑った。


"それで、アルス話を戻すのですが、アルスの剣術も休日大工も、このまま続けてその腕を磨いていったなら、私には十分"好きだから、やっているという言葉で片づけるのには勿体無い仕事"になる様な気がします"


いつも謙遜ばかりする訓練生のアルスが否定をしなかったことで、表には出さないけれど、自信にはなっているのだと確信が持てたから、アルセンはこの際にはっきりという事にする。


"物凄い物を造ったつもりや、これ迄にない記録を樹立させるつもりはなかったけれど、好きなものだから、懸命に突き詰めてやった自覚はある。

その上で出来た作品や記録が評価されるということは、自主的に才能を持った方がやることで結構あることで、それが世間に認められるきっかけにもなるとも思います。

私の尊敬する親友の一人も、"判らない事を調べるのが好きだから"と"読書"を兼ね合わせている内に物凄く博識になって、国が認める学者の一人になっています。

でも、当人は"楽しいから"という気持ちで、取り組んでいるだけなんです。

ただ、そればかりを主張して繰り返していたら、周囲に歪みを与える事があるから、気を付けなさい"

"歪み、ですか"


気がついたなら、アルセンもアルスの手にしている改訂の教本を、緑色の綺麗な眼で見つめていた。


"才能というものは、誰でも持っているわけではないのは、アルスならわかりますよね?"

"それは、自分は魔法が全く使えないですから。使える方は尊敬します―――あ、アルセン様は自分の中ではその筆頭です"

"それは、ありがとうございます"


教え子は全く恥じる様子もなく即答することに、改訂の教本に視線を向けたままアルセンは苦笑いを浮かべながら続ける。


"では、そんな私が、私が使う魔法なんて凄くないですよ!と言い続けたらどう思います?"

"それは一般的に見たなら、嫌味に見えるという事なんですよね。

それで、自分は剣術や、そんなに見せる機会もないでしょうけれど休日大工の事に関してこれからは、必要以上に謙遜するべきではない。そういう意味を仰っているのですよね、アルセン様"


恩師が意図的にした質問の(むね)が判るから、直ぐにアルセンが求めているだろう言葉を口にしたなら、ニッと笑みを浮かべる。


"そこまで判っているなら、私からもう殆ど言う事はありません。

そうですね、付け加えるとしたら、剣術の腕前についての振る舞いは基本教練の締めともなる、一般兵士・幹部候補生混合の剣術大会での成績で決めたらいいでしょう。

嫌味にならない程度に、謙遜し奢らずにいる姿勢でいれば、それで良いと思います"

"はい、わかりました。どこまで成績を伸ばせるか判りませんけれど、自分なりに頑張ろうと思います"


剣術については同期生からも凄いと褒められ、練習相手を特別にアルセンが勤めてくれてもいる。

軍学校に入る前に比べて、争い事が苦手ながらも、"仕事に繋がることだからと"大分前向きに取り組めるようにもなっていた。


(言われた通り、出来る所までやろう)


”あとは、大好きな休日大工についてですが―――、これは配属先で個人的に必要とされたら、存分に腕前を披露してさしあげなさい。

軍の部隊にも施設科はありますが、多分アルスの場合はその剣の腕前を見込まれて兵士としての役割をこなす事が第一になると、思います。

もし、配属先で施設科の方がいたなら、そちらの方にまかせなさい。

自分が働く場所で、任せて貰える分、任せるべき分、進んで学びに行く所、協力をする所、それらを見誤ることがなければ、仕事ではそれなりに上手く行くでしょう”

"はい、わかりました"


基本教練の返しの時期に、互いに気が早い気がしたけれど、話が出来た事は良かったと思いつつ、教本の改訂作業を仕上げようと立ち上がる。


丁度、休憩する時に席を外していたピジョン曹長が戻ってきていた事もあって、改訂する為に纏められた資料を再び教官と訓練生は見つめる。


それは本来なら平な書籍の筈の物が、その教本の数ページ事に何か所も付箋が貼り付けられ、その数の多さに丸く膨らんでいる。

表紙やページは何度も捲られている為に、反り返りの癖もついていて、本の部位で”小口”と呼ばれ箇所と背は見事に斜めになっていた。


”数年ごとに、教本は新しく刷られ直しますが、そうなる迄にこの改訂用の資料となる教本は、何度も膨らむんでしょうね”

"本当に、凄いと思います"


民から兵に変わろうとする糸口の1つとなる教本を、訓練生が眼を通す事で理解し、受け入れる事が出来る様にと、何度も読み込んでいるのが良く判った。


”凄いと自分が感じた事については、それをなし得ている人が才能もあるのでしょうが、相応の努力をしているのだという事を忘れないでください”

"はい、アルセン様"


まだ新たに刷りなおす為のサイクルが数年時間があるのに、資料としての教本は既に2倍近くに膨らんでいる。


(でも、こうやって膨らむまでページの端が反るまで読み直して、付箋を貼ることは、改訂やカリキュラムの仕事に誇りを持っている事もあるんだろうけれど、本当に"好き"でないとやっていられない。

それと―――)


才能と好きが合致したなら、際限なく人の努力を行う力が湧き出てくるだろうとも思うけれども、それだけでもないような気もする。

それがいまいちよくわからずに、判らないままになるのかと思いもしたけれど、恩師が多分何気無く発した言葉でアルスの抱いた疑問は氷解する事になる。


"本当に、この教本やカリキュラムに対する熱意は凄いと"認める"所なのですがね―――、ピジョン曹長、それでは引き続き読み上げお願いします"

"あ、そうか、認められるという事か"


今回は表情に伴って声にまで気持ちが出てしまった事で、戻ってきたピジョン曹長とアルセン共々に不思議そうな視線を注がれて、訓練生のアルスは俄に赤面し、自分の考えた事を口にしたなら、恩師の方は直ぐに頷いた。


"成る程、それはあるかもしれませんね。

密かに努力をしているつもりでも、結構ばれてしまうというか、努力の継続が才能だけでは出せない領域まで出してしまうことはあると思います。

その出てしまう箇所は、判る方には直ぐに知れてしまうこともあるでしょう。

編纂とカリキュラムに成果と結果を求めてはいますが、評価を求めているわけではないのでしょうけれど、どんな形でも、認められた声があるならばやはり嬉しいものなのかもしれませんね。

それに、教本に関しては、教育現場からの評価は高いし、同じ軍部でもあるから編纂して造った本人にも届きやすい事でしょう"



教え子の言葉に、非常に感じ入ったように朗々とアルセンがそんな言葉を、口にする。


この時アルスはまだ知らなかったけれども、アルセン・パドリックという人も随分と"密かに努力"をしていた時期があって、自分が口にしたような認められた過去があった。


その"認められた"時の事を、美人な教官が思い出していたのだというのを、後に知る事になる。


そして、アルセンが実に感慨深く自分の言葉に応えてくれるので、アルスの中である考えが浮かんでいた。

先程から会話も続いていた事もあって、少し気持ちは浮付いていた部分がある訓練生は、珍しく調子に乗るという感覚で、質問をする。


"もしかして、この教本の改訂やカリキュラムに取り組んでいる、”ロドリー・マインド”という方は、アルセン様のご友人なんですか?"

”いいえ、違います”


”即答”というよりも、”秒殺”と例えた方がその場に雰囲気が伝わる、恩師の返答だった。


本当なら、”瞬殺"かアルスの発言を途中で遮る事も出来たのだろうけれども、一応教え子が"友人"という勘違いをしている事が確定をしてからのアルセンの否定だった。


"そうなんですか"


(てっきり、友だち同士で謙遜に誓いつもりで、あんな話し方をしていたのかと思っていたんだけれど)

キョトンとした顔で、素直な感想を漏らしたなら、恩師は整った顔で綺麗な笑顔で浮かべて再び頷いた。


"はい、そうなんです"


(あれ?)


そんなやり取りを終えた後に、強烈な視線を感じたので、アルスがその方向に空色の眼をそちらに向ける。

軍学校の教育隊では、アルセン・パドリックの副官で訓練生の補助を行う”お兄さん”の役割を担っている、のっぽでも有名なロマサ・ピジョン曹長が激しく頭を左右に振っていた。


(アルス、それ以上その事に触れてはいけない!)


アルセン・パドリックがロドリー・マインドから、理由は判らないが眼の仇という形で、ライバル視がされているのは有名な話でもある。


だが訓練生の”お兄さん”の役割をしている、ピジョン曹長は、アルス・トラッドが世間に余り興味が無い事を知っているので、本当に”ライバル”の名前を悪気なくだしてこの話をしているのだと判る。


(休憩中の間に、一体何を話していたんだろうか。パドリック中将が、アルス・トラッドの事を気に入っていたからって、2人にしといたのは気を使い過ぎかなあ)


教官用の軍服の胸の内で涙を浮かべ、肝を冷やしながら軍学校で勉学と体育の成績は優秀で、魔法だけが著しく苦手だと掌握している訓練生に、必死にジェスチャーで訴える。


幸いにも、素直で察しの良い訓練生は直ぐに"これ以上この話を続けてはいけない"という意図は直ぐに汲み取って」くれていた。


(判りました、ピジョン曹長)


ただ、基本的に天然でお人好しの訓練生は、”アルセン様が休日返上で改訂作業をしてくれているわけだから、邪魔をしてはいけない”と訴えている方に受けて取っている。

周囲に認知されている程、世間に興味が無い少年は勿論、これまでアルセンが人間関係でややこしい縁があるのだと知る由もなかった。


"……じゃあ、アルス、改訂作業を早く済ませてしまいましょうか"


結局、ピジョン曹長が自分の事を目の敵にしている相手の名前を出たことで、大いに気遣い、教え子は良い方向に"勘違い"をしているのを察してアルセンが、困った様に帆微笑んで、そう口にした。


この時、話はそんな形で終了をしたけれども、アルスの中では相手を思い遣る事も含め、好きな物に対してなら、人は傍目には大変に見える努力を出来てしまえる事があるのだと知った出来事でもあった。

ただ、出来る事なら真直ぐな気持ちで軍学校の基本教練の最後、訓練の総仕上げとなる御前試合に臨みたかったけれども、それが叶わなかった。


相手方に腕前に自信があったか、将来的に幹部になるという誇りがあった為なのか、"認められる"事に固執した幹部候補生の側の軋轢があったかどうかは判らない。


けれど、同期生が応援をしてくれる決勝戦で、声援に答えるべく、戦う事が苦手ながらも、その事に向き合っていたアルス・トラッドは、最後は判定負けとなった。

判定の結果が出た瞬間には同期生も、審判になっていた軍学校の教官も数名思わず非難の声があがったけれども、"国王の御前"という事もあって"負け"を告げられたアルスは素直に下がる。


その日、恩師であるアルセンは国王の"護衛"という役目があって、近くにはいなかった。

試合を同期生や教官達と共に見たいと口にしていたが、御前試合の行われた国の闘技場の国王の貴賓席―――一番よく見える場所から、試合を見ている筈としかアルスは知らない。


御前試合が終え、判定で負けてしまった己の不甲斐なさや、試合の最中にあった相手の反則染みた行為や、審判の見逃しに見えた行為は、直向(ひたむ)きな少年の気持ちを見事に踏み躙る。


負けの判定を耳に入れた時、これまでの努力を嘲笑い無駄にさせられるような御前試合に、嫌悪感すら抱いた。


特に、決勝の相手が軍学校の幹部候補生と、アルスにははっきり判別できなかったが反則染みた行為を行う時。

必ずと言って良いほど、身内の審判がいる傍で行っていた事に、判定の終了後に多少の非難の声が上がりながらも、一切触れないのも落胆する。


"勝った"とされる人達を、模擬試合用の剣を鞘に納めて、手にしたまま見つめた。


(この人達は何の為に、軍学校に入って、この国の兵士になろうとしているのだろう)


人にどうこう言える程、忠義や忠誠の心をアルスは持っているわけではないけれども、そこまでして"勝ち"に固執する様子が嫌で仕方がなかった。



御前試合で勝ち進んでいく度に、”関係者”しか入れない国の闘技場で、アルスは興味のない剣術の流派の"お偉いさん"が、主に幹部候補生の方の訓練生の応援に来ているのも眼に入る。


(そこまでして、勝って嬉しいものなのかな、勝ちたいものなのかな)


酷く冷めた表情と眼を、剣術の大会が終わってから暫くしていたと思う。

その為か同期の訓練生も教官も、一度は慰めや励ましの言葉を口にするけれど、それ以上の言葉は口にしなくなる。


恩師はただ一言、大会が終了した直後に、”頑張りましたね”と国王の護衛の為に、普段とは違った礼服の軍服を纏った姿で言葉をかけてくれて、それだけだった。


”民”から”兵”に変わる為に行われた、基本教練の締めとともなる御前試合は、アルスの中でそれで終わった。


この出来事で少なくとも、アルスの中でかつて恩師が口にしていた”歪み”という物が、違った姿になって努力と共に出てきてしまったのを、目の当たりに学んだの思い込む事にする。


そうでもしないと、やっていられなかった。


勝ちを反則に見える行為までして取る様な、大会での出来事は嫌な気持ちというなら、十分になったけれども、兵士になる道を選んだ後悔にはならない。


一緒に学んだり訓練した事は、孤児院で育ちで理由(わけ)あって逃げ出した先で、アルセンの気まぐれに拾われて、それまで”何となく”生きてきたアルスにとっては、軍学校の出会いは良い物だと断言できる。


それをたった一度の落胆で、ひっくり返してしまう事は勿体ない。

ただ、自分が好きになりかけた剣術が上を目指せば、御前試合の様な事に繋がるのなら二度とそういった大会には出ないと、決心もしていた。



配属された先で、兵士として国が護衛を命じた国の貴重な人材でもある"最高峰の賢者"をただ守ろうと心に決め、軍学校の教育を終えたアルスは、恩師から言葉も貰って送り出される。

その配属先も、尊敬する恩師が軍の上層部で”それなりに揉めて、強引に”決めてきてくれた場所だと聴いていた。


だから不安と言ったなら、その配属先の場所に持つよりは、”アルス・トラッド”が護衛騎士として、確り役割をこなせるだろうか”という気持ちが強かった。


しかしながら、いざ配属先に到着と同時に、待っているはずの賢者はウサギの姿をしていて、度肝を抜かれる事になる。


加えて軍人や兵士は”苦手で嫌い”といった、意志を同僚の気の強い女の子から、向けられてしまって、役割をこなそうどうこうよりも、先ずこれ以上嫌われないように努める事になる。


ただその小さな同僚の"きつい"態度のお陰で、"ウサギの姿をした上司"に対しては、そのぬいぐるみみたいな姿の効果もあってか、不必要な緊張をしなくて済んだ。


やはりそんな姿をしていても、中身は"賢者"であるという事は数日共に過ごす事で直ぐに感じられるし、恩師の親友でもある事に驚かされることになる。


同僚の女の子の方は、元々勝気で気の強い性格であると賢者から説明を受け、初めての夕食の後に、小さな悶着がきっかけで女の子自身から、兵士に対してきつい態度の理由も、予想以上に素直に話してくれた。


以前に城下の街で買い物をしていたなら、どこの所属の兵士か判らないけれども、からかわれて嫌な目に合ったという話は、アルスも兵士に対して警戒するのも十分理解出来た。

そして、女の子はもう1つ嫌いなものがあって、それは"貴族"と呼ばれる階級の人々。


けれども、その嫌いなものを小さな同僚は―――リリィは、アルスと出逢って数日過ごすことで、限定ではあるけれどあっさりと、克服してしまった。


しかも、そのきっかけになったのは、アルス・トラッドとウサギの賢者だとわかり、驚きもする。

それが具体的に判明したのは、ウサギの賢者の護衛騎士として配属されて3日目の事。


諸事情と国最高峰の賢者のウサギの賢者の”人間関係”でアルスとリリィは、鎮守の森の魔法屋敷を一時離れ、恩師のアルセンの世話になる。


今でこそ、アルセンの母親を含めて”家族ぐるみ”に近い付き合いをするような関係になってしまっているが、その時がアルスの小さな同僚と、美人の恩師の初対面となった。


だが、アルスはリリィがアルセンが軍人であ事は知っていても、血を辿れば王族にも繋がる貴族であることを伝え事を忘れていたのを、出逢ったしまった後に思い出す。

それでも黙っているよりはと、緊張しつつも小さな同僚に伝えた。


だが”リリィは貴族が嫌い”のはずなのだが、拍子抜けするほど"貴族である"という報告を落ち着いて受け入れ、アルスの方が不思議に感じ、思わず空色の眼を激しく瞬いてしまう。


てっきり、これまで見てきたように、怒ったなら頬っぺたを膨らませて、しかめ面ぐらいするものだと、思っていた。


だが全く膨らませずにいたので"貴族が嫌いではないの?”と、確認の為に尋ねるてしまうと、少女は、強気な印象を与える目元を和らげ、微笑み、教えてくれた。


―――私、"嫌いな貴族"はいる。

―――でも貴族や軍人が、みんながみんなそうじゃないって、”アルスくん”の話聞いて思ったから。


自分の話を聞いてからという、この回答に思わず赤面をしたけれども、リリィはそんなアルスには気が付かず、話を続けていた。


―――それに賢者さまが"頼りなさい"っていうアルセンさまなら、きっと"嫌な貴族"なんかじゃないって、信じられるから。


そう言って、明るさと魅力溢れた笑顔を少女は浮かべてくれる。

その時は色んな事情が立て込んでいて、気が付けなかったけれども、アルスは小さな同僚を少なからず、尊敬する事に繋がっていた。


”嫌だ”と自分が思っていても、信頼する人の言葉なら、素直に受け入れることも、自分の考えを改める事が出来るの心が凄いと思えた。


一度、嫌な目にもあっているなら、再び関わる事になるとなった時、アルスは自分は表面的には穏やかではあるけれども、多分拒否を選択する。

特に、剣術の関連の試合の参加など誘われたなら、その時は日頃は絶やさぬ穏やかさを打ち消してでも、断る。


(リリィは凄いなあ)


間接的に聞いた話でしかないけれども、小さな同僚はウサギの賢者が引き取り、秘書となるまでは、それまで身を寄せていた教会で貴族と関連することで、随分と辛い境遇にあったという。


けれども年齢の5歳も離れた女の子は、自身の体験した辛い経験よりも、"信じる事が出来るから"と、アルスや耳の長い上司の話を受け入れ、尊重していた。


もしアルスなら、アルセンに頼まれたなら出来ない事もないけれど、どこかで断る為の理由を捜す。

心のどこかで嫌だという気持ちを恩師に察して貰って、引いて欲しいすら考える。


(もしかしたら、アルセン様はそこを見越していたから、御前試合の後"がんばりましたね"位の言葉だけを自分にかけたのかもしれない。

"僕"が、あの判定に、落胆した事に、納得のいかない事に、頑なになっている所を見越していた。

戦う事は嫌いだけれども、それを理由にして納得いかなかった事に"拗ねて"いるのも誤魔化していることも、判っていたのだろうな)


アルスの試合が一番見える特等席にいたから、恩師は一連の出来事はきっと掌握している。

優しいけれど、厳しい所がもある人だと、拾われて世話になっている時期から感じ取ってもいた。


(多分、これからは剣術の試合に関しては、自分で気が付けるまで"突き放された"んだ)


でも、あの御前試合の結果に文句をつけて、食い下がる事が"正解"だとも訓練生の時分のアルスには、とても思えなかった。


"何が正しい"という答えの出ない問答にも思えたけれど、判定負けという結果は出てしまっている。


(自分は気にしていない様で、気にしている)


だから闇雲にその事ばかりに答えを求めず、過去に辛いことあったからと、それに心を腐らせず、"良いな"と思える未来を素直に信じられる強さを持っている、同僚の女の子を尊敬した。


そう思えたと同時に賢者の護衛騎士であるにもかかわらず、この巫女の女の子事を先ずは守らなければいけないという気持ちが、強く芽生える。

その為には、自分が強くなければならないという気持ちと共に、ロブロウでの出来事もあって、今まで避けていた魔法と向き合う決意を固めた。


(でも、そう思えたのは、やっぱりリリィのお陰で、そんなリリィになったのは賢者殿の側にいたからだろうな)


そう考えながら、"お代わり"として食べた、梅ゼリーの最後の一口を口に運んだ。

アルスを"前向き"にしてくれる影響を与えてくれた女の子は、柔らかいゼリーでも、ウサギの賢者の"躾"に従って、ゆっくりと噛みながら食べている。


リリィはその視線に気がつき、小さな唇からスプーンを外してアルスの空になった器を眺めて感心したような呆れた様な視線を注ぐ。


『アルスくん、やっぱり食べるの早いね』

『うん、柔らかいし、何よりも美味しいから、どうしても早く食べてしまうね』

そんな言葉を交わすと、自然に2人は笑っていた。


初めての食事の時には、"もっと、ゆっくり噛んで食べないと体に悪くないですか?"と心配をされたけれども、それはウサギの賢者が"兵士は早飯"なのも仕事のうち"だととりなしてくれた。


"まあよく噛んだ方がいいのは、確かだけれどね"


そう言って、部下となる少女と少年の2人立場に合わせて、落としどころのある言葉を口にして、その場を穏やかに納めてくれた。


リリィの思い遣りも、アルスの兵士としての義務の両方を考え、賢者は部下の互いの立場を考えた上練って、言葉を口にしている。


それを日々を大好きな”賢者さま”ともに過ごす事で身に染みている少女は、相手の気持ちを考えて、その中に自分の思いも重ね、誰の心も出来れば犠牲にならないようにして、言葉を選んでいる。


『うん、私も美味しいからすぐに"ツルン"って喉を通り過ぎちゃいそうで、噛むのが難しい』


リリィの発言にまた笑みを浮かべながら、いつも考えて言葉を選んだり、相手に理解をし易いように説明の言葉を口にすることは、”大変ではないにしても手間ではないかな”という考えも、アルスにはあった。


子ども達に"程度"を合わせて話をしてくれるのは有難いけれど、それだと賢者殿はどんな時に自分の調子(ペース)で話をするのだろうなという、勝手な心配を抱く。


そう思うのはアルス自身が、ロブロウで年の近い親友―――シュト・ザヘトが出来た事もあって尚更だった。

気を遣わずに話せる気楽さを知ってしまうと、それが出来てしまえる親友との時間が非常に懐かしくなる。



そして、ウサギの賢者にとって仕立屋キングス・スタイナーとの会話を眺めて"親友"と会話をしているのだと、互いに言葉を受け渡しを繰り替えす事で漸く分かった。


ただ、アルスの知っている限りでは、恩師であるアルセン・パドリックも、この前ロブロウに共に農業研修に行ったグランドール・マクガフィンも、"ウサギの賢者"とは"親友"と表現しても、過言でもない関係に見える。


美人の恩師も、褐色の大男も、ウサギの姿をしている賢者と話している様子は、アルスは見ていて、昔から友だちであるから叩ける軽口を使える関係なのだと判った。


けれど、今話をしている仕立屋程、ウサギの賢者は"甘えて"はいなかったと思う。


(ウサギの賢者殿が、アルセン様やグランドール様に甘えるか……)


―――嫌ですよ、あんなオッサンウサギに甘えられても。

―――アルス、昼間に寝言を言えるようになったかのう。


"ウサギの賢者が甘える"という言葉を浮かべて、アルセンとグランドールを考えたなら、新人兵士の金髪の頭の中で想像する前に、アルスの記憶の中から形成された、美人の恩師に褐色の大男から”甘える”を仮定することすら、即座に拒絶される。


多分あり得ない光景だと思うのだが、2人揃って、”甘えようとするウサギの賢者”に向かって、笑顔を浮かべながら、親指を下に向けるという振る舞いすら、アルスの想像の中でしてくれた。


(ああ、違うんです、アルセン様にグランドール様……)


『……アルスくんどうしたの、頭を激しく振ったりして?』


先程まで笑顔を浮かべて自分と話してくれていたと思っていたら、急に考え込んで金髪の頭を激しく振るうので、リリィが強気な目元をパチパチとする。


ウサギの賢者の”奇行”やイタズラに付き合わされたているけれども、真面目で優しいお兄さんの様な”後輩”の、突如の動向に思わず声を出して尋ねていた。


『いや、ちょっと考え事をしてしまって……』


けれど、アルスが上手い誤魔化しの言葉も浮かべる事が出来ないでいると、それが困っている状態なのが判る少女は、少しだけ華奢な首を傾け、今度はリリィの方が話題を提供する事にする。


『考え事と言えば、アルスくんは最近賢者さまの、使い魔のカエルさん見ていますか?』

『―――え、自分はさっき薪割りの時に、賢者殿がカエル君を使って、伝言にきたけれど?』


リリィの新しい話題に助けられたとも思いながらも、意外過ぎる事を尋ねられて、今度はアルスの方が激しく瞬きを繰り返す事になる。


『そうなんですか?。


私は最近賢者さまの寝室で見かけても、キングスさまが拵えてくれたカエルさん専用のお布団にもぐって、昼寝をしているか、窓際で考え込む様に日向ぼっこしているだけだったから。


アルスくんも考え込んでいたから、何か似ているなって思って』


『え、そうなんだ、でも、似ているって』


アルスは賢者の使い魔である金色のカエルが動いている姿ばかりを、鎮守の森の魔法屋敷に帰って来てからよく見ていたので、"昼寝をしている"という言葉は意外だった。


そして考え込んでいる姿が、両生類に似ているというのも少しばかり複雑な気持ちになる。


『―――ああ、実はロブロウから帰ってから"調整"中なんだ』



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