前夜祭Ⅳ⑤
加えて、時期が"一掃"という貴族や王族に関しては戦々恐々の時期に、他の側室達が怯え緊張している中で、王位継承権に微塵も興味がなく、子どもが不義を疑われることもないと安堵して、飄々としている実母と立場が同じ筈の御婦人に安心感を覚えて、さらに王族の血を継ぐ子ども達に更に懐かれました。
正直にいって、この時点で何かしら妙な雰囲気を本来は王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室は感じ取ってはいましたが、敢えて空気を読めていない態を貫きます。
けれども、嫌な予感と例えるのもなんですが、出きれば距離をおきたいと考えているもの程、妙に距離を詰められるというか、思いがけず執着された上に、相手の方が一枚上手で外堀を確り埋められ、気が付いた時には、黒髪と黒い瞳の我が子を抱えて、国王と王妃と、個人的な謁見をすることになっていました。
そして告げられたことは、"一掃"後の一新として、王太子殿下を、本来は王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室の息子に《《頼みたい》》という"通告"になります。
ただ、側室からしたのなら、頼みたいとしつつもそれはもう断れるような話ではなく、国王や王妃に国の議会の中でも決定権を持っているような御仁達の中では決定しているような話であるというのは、十分に察することの出きる話でもありました。
一般的な貴族なら、それは実に名誉であり一族の誉れといったことになるのでしょうが、この王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも興味もない側室からしたのなら、状況が許されるのなら口許をへの字にしたい程の決定となります。
しかしながら、それなりの母性を抱きつつも"自分と子どもは別の人格である"という理性的な思考が強い人物でもある側室は、とりあえずの質問として、許可を得た上でどうして自分と国王陛下との間に授かった息子が、王太子殿下として選定されたのかを尋ねました。
その理由については、やはり先ずは黒髪と黒い瞳のことについても触れられた上で、これまで上位の位置にいた継承権を《《持っていた》》いた、母親違いの兄となる存在が、"一掃"に関わっていたことで、議会をもってその継承権を剥奪されたことが起因していると伝えられます。
その中には、国王と王妃との間に誕生した、《《前》》王太子殿下も含まれてもいました。
ただ、前述もした通り国王と王妃との間に誕生した《《前》》王太子殿下は、長子ではありません。
長子は側室の間に授かった、継承権こそ上位ではありましたが王太子ではなく、庶子という位置付けでもありました。
この2つの要素だけでも、王位継承権と自分には関係ない所で、「読み物だから」という事で結末も決まっといてすっきりと楽しめる心置きなく楽しめる書物で跡目争いの物語だったのなら、実に興味深い所でもあります。
書物の物語でも登場人物達は、随分と葛藤したり愛憎の派閥のやり取りと、楽しませては貰えた上に、目を通して読み終えたのなら、一定の充足感が得られそうでした。
けれども、これが自分の生活に影響を及ぼすような所になると、やはり話は違います。
それに王位継承権に関して言えば、実際には更に他にも、人数で言えば指の本数を軽く越えるほどの兄がいたし、継承権の順位は決まっていて、もう余程の事がない限りは変動はしない筈でした。
ただ、その余程の事が起こってしまってもいて、その事は承知をしてはいますが、自分から誕生した子どもよりも、数年でしかありませんが年上で"一掃"にも関わっていない国王の庶子は数人いるのも承知しています。
その数人の兄達の存在を飛び越えて自分の子どもとなる存在が、王太子殿下に選定されてしまったのか、出来ることなら納得の出来る理由を、母親としてというよりも、保護者として欲してもいました。
もう、断れるという段階ではないので、そこは諦めてしまうことにしても、その諦めを受け入れる為に出来ることなら、その理由を尋ねます。
勿論、その理由を告げるまでもないとされたのなら、一応王族の"臣下"でもある側室としてそれまででもありますが、それでも食い下がるという感情と共に尋ねていました。
その尋ねるという本来は王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室の行動についての、謁見の場所に個人的な物であったので、少数ではありますが、一堂に会する人々の反応は、綺麗に割れることになります。
それは「どうして自分の子どもが王太子に選定されたこというのに、一に二にもなく喜ばないのだろう」というものと、「やはり理由を聞きたがるか」というものになりました。
しかしながら、2つに割れている感想ではありますが、内容としては対極というわけではなく、話の分類としては纏められるものでもあります。
貴族の価値観からすれば、基盤となる財力も必要ではありますがその家の繁栄が名誉が第一となりました。
極端な話でいえば、名誉の為にその命を賭せるかどうかともなります。
その命を賭すという事に関しても、勝負の一瞬にかけるものというわけではなく、時間の流れで言うのなら、その対象によってかける期間は異なりました。
平穏と安寧のセリサンセウムという国の世相では、競技としての運動や武術に剣術、学問では新たな発見に、魔術では高度なものを使えるようになること、芸術なら感動を与える作品の発表といった活躍の場所が、限られたものになります。
もし、天災等の災害の際に私財をなげうっての迅速な救済支援や、それまで解明がされていなかった病の治療法の確立が出来たのなら、確実に評価には繋がりますが、それは計画的に絶対に狙える物でもありません。
結果を確実に出すにしても、元々の素養や才能に努力といったものが必要ともされているものでもありました。
そんな結果を模索してだすという中で、自身の家から国王の王妃となる淑女を輩出することは、婚姻が成立さえすれば、最も手っ取り早く王族の権威の恩恵に預かれる手段の1つとも言えます。
しかしながら、手っ取り早くとも表向きには見えますし、言葉では簡単に口に出せますが、そうやって表現する、その"手っ取り早く"の中に苛烈な権力争いも含まれていました。
勿論取っ組み合うような争いではなく、それこそ次世代の王太子が誕生決定する前の、優雅な物言いをするのなら、前菜の前哨戦とも言えました。
ただその前菜の内容も、時代や世相においては軽いものではあるのですが、種類や様相は様々で、その後の内容を十分に推し量れるものとなります。
そして例えそこで、王妃としての争いに脱落してしまったとしても、側室という空きの枠があることで、負けてしまった立場の淑女の概ねはそこに滑り込むことになるのですが、どうしても王妃に比べたのなら立場としては一段低いものとして扱われることになります。
けれども王妃という立場につけたとしても、権力争いとしては有利ではありますが話はそこで終わりではなく、やはり国王の子どもを授かり誕生させるということが、社交界においての権力の磐石さに繋がっていました。
更にセリサンセウムという国の文化では長子である男児が後継者となる、というのが法でこそ定められてはいませんが、文化的に根付いていることで、側室だったとしても"王太子殿下"の母堂になれる《《かもしれない》》という可能性については否定は出来ません。
それに年齢的には僅差の場合は、王妃との間に授かった子どもが優先させているのが、セリサンセウムという国の《《習い》》でもありました。
野暮な話でもありますが閨房についても、子どもを授かる《《配慮に順番》》というものがあり管理されてもいるという情報を、王族に入り先輩の耳から入れた際には、王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室は、やはり間違ってはいないのでしょうが、内心で口許をへの形にすることになります。
そういった管理の中に、王妃の座こそ権力争いについては、側室に敗退しましたが、手を回すことで優先したとかされないと、ここはまことしやかに噂程度の情報で耳に入ってきてもいました。
ただ、世継ぎ問題でいうのなら、多すぎて困るのと、世継ぎが全くいないので困るとのどちらかで比べるのならば、国の民としては後者の方が、困るのに合わせて"不安になる"という部分も含まれていて、子どもを出きる限り多く授かろうという方針と閨房の管理については、王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室も、民意に応えるというところで、肯定的な気持ちになれます。
そして国王陛下の子どもを授かり、無事にこの世界に誕生させるというのも"命を賭しての名誉の獲得"という目的に対しての手段と方法で間違ってはいないとも、当事者の一人として王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室も確かに思います。
けれども、その手段と方法が"貴族として命を賭しての名誉の獲得"の正解かどうかでいえば、両手をあげては出来ませんでした。
否定はしませんが、そこは違う方向であって欲しいと個人的な主観としては思うところになります。
勿論、自分も側室の一人で、自身も上流貴族の婦人という立場で人生の生き方の1つとして納得した上で、子どもを授かったことに後悔もありません。
そして、ここで差がでるのは「国王陛下の子ども」を授かったということで、満足してしまう(王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室は《《こちら》》に当てはまります)のと、あくまでも、目標は我が子の王位の継承というところでは、温度差がありすぎて、生活の場所は同じ筈なのですが、どうにも感じとれる空気は違うものとなります。
そんな空気の中で磐石な権力の地盤の上に、更に出自の貴族の権力を強固にしようということで、限られた場所での陣取り合戦が日常的に繰り返されていましたが、そこで"一掃"という政的な動きを以て、貴族として王族に嫁いで子どもを授かったという事実以外は取り払われました。
ある意味では王太子殿下の争いは"ふりだし"に戻っていたのですが、その場所に残っていたのは王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室を筆頭に、その考え方に同意をしていた面々となります。
ただ、一掃が行われてしまったことで、王位継承権の競争が、これまで控えめであった筈の面々が「自分達でも望めてしまうかもしれない……?」という、それまでの自分達の立場からしたのなら、魔が差したとしか例えようのない、考えが出やすくなってしまったのも、否定ができない状況でもありました。
併せて、"一掃"をしてしまったことで、新たな第一の王位継承権を持つ存在を、国王の庶子とされていた王子達の中から《《選らばなければいけない》》という状況となってもいます。
それは、国の民が、"一掃"という政については、然るべくして行われた膿出しの様なものだったのだと、承知もしていました。
その膿出しの内容も、貴族は国の代表として、日頃は国の税として集められた資金から、煌びやかな生活を送ってはいますが、その代償として失敗をしてしまったのなら、平民の価値観からしてみれば厳しすぎる処罰を受けることになります。
育ってきた環境で培った価値観に起因をするのでしょうが、平民からしてみたのなら、政で不正が行われたとして、そこに人の"死"の様な出来事が絡んでいないのならば、どんなに厳しくても同等の様な"死"を以て償うという、貴族の考え方はどうにも推し量るのも難しい所でもありました。
けれども、そういった煌びやかな生活も、政に携わる貴族達の生活が、国中から徴収された税で営まれているという事に対しての責任感を自覚させる為の物であると、セリサンセウムという国が建国された時期から、幾度となく練り直された国としての方針となります。
時間の流れと共に、国として成り立っていく為の過程として、定着させていった価値観でもあり、目を背けてはいけないという側面ともされていました。
それはセリサンセウムという国の政に携わる貴族が、時世の流れを見誤らずに国としての方針を日々討論をして日常の生活の指針として示して、国を支えてくれている柱となる民が、各々《おのおの》の才能を活かし、役割に打ち込めるように力を尽くすという、誓約と例えられるものでもあります。
自分の発言が、民の生活と人生に影響を及ぼすという責任を負っているのを自覚し、私利私欲の為に権力を使うことは、禁忌とされていました。
"一掃"をされてしまった、王族に貴族という役割を熟してきた人々はその禁忌とされている所業をしてしまった、または関わってしまったことで、何にしても、直接的に政に影響を及ぼす立場からは、先ずは物理的に距離を距離を取られ、その究極の所が、"死"となります。
そして、その"死"の全くの逆というところで、王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室から、誕生した、本来なら庶子となる男児が、新しいセリサンセウムという国の王位継承者としての選定《《理由の1つ》》として、説明されました。
更に、付け加えられるように理由として説明されたのは、側室が上流貴族の一族の派閥から権力の基盤の為に捻じ込むように王族に嫁がされ、役割としてではありましたが、自身の希望もあったからこそ子どもを授かることを希望をし、無事に授かりつつも、王族としての王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった態度を、"一掃"後も貫いたところにあるからとなります。
重複にもなりますが、"一掃"という政に携わる立場の王族や貴族にとっての不祥事でしかない出来事の起因の一部として、王位継承権の事が関わっていたことは確実で、それならば再犯することが無いように徹底をするのが、一掃後の、国としての課題になっているとも説明されました。
そして、そういった課題として、政を委ねてくれている民を納得させる背景をもつ国王の庶子を、新しい王太子殿下に据えるべきかという話になった時に、先ず上がった意見として、一番の保護者でもある親が王位継承権に興味もないというよりも、権力として魅力的に感じてはいない存在から、選定するべきだという意見が持つ上がります。
この権力に興味がなく魅力的に感じないという所については認めざるえない、王族としての王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もない側室は「それならば自分と息子以外にも国王の庶子の方々が当てはまります」という旨を、今更無駄と思いつつも一縷の望みをかけて丁寧に意見として述べましたが、その主張を認められた上で、改めての説明が重ねられました。
説明の内容としては、確かに王族としての王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もない側室と同じように、"一掃"後も、政、というよりも王位継承権に関しては積極的ではない側室や
庶子がいることは認めますが、その後が《《どうなるかわからない》》という返事となります。
その後《《どうなるかわからない》》という返事は言い方こそ柔らかいですが、その先に控えているのが、"一掃"の様な出来事には及ばないにも、やはり権力を私利私欲に使ってしまうという可能性を、否定できない物言いだと感じ取れました。
自分の子どもが後に国王になるという王太子殿下になれるかしれないという希望と、そういった事態になったのなら手中に納めることが出来ることになってしまう、一度はかつて妄想で済ませていた権力への欲望が表裏一体ということについては、王太子殿下の母堂になるつもりはなく王位継承権にも興味もない側室も、言われるまでもなく、起こりえると想像は出来てもいます。
そういった想像が、王太子殿下の母堂になるつもりはなく王位継承権にも興味もない側室の頭を過ったのを、心を拾い読むという精霊術を使うまでもなく、拾い読めてしまった、謁見の場所に居合わせた、自身の子息が"一掃"に関わってしまったことで、処断をされてしまった、嘗ては宰相という役割に任官をしていた為政者は更に話を続けました。
その話の内容は、一般的に見てみれば、"一掃"が国の民にとっては「そこまでしなくても」とも思える程に、政に携わった為政者達に処罰が執行されたことで、もう同じような過ちを起こさない様にと、現状努めてはいるのですが、それと同時に今後の新たに権力を委ねられた存在が"一掃程のこと起こる出来事をするわけではないのだから"という、油断の感情が既に芽生えていてもおかしくはないということになります。
そして、"一掃"という出来事が起こってしまったその起源も、やはり油断をしていたからに他ならない、けれども、起こしてしまった当事者達も、自身が犯してしまった咎と向き合った時、「一掃程のこと起こる出来事をするわけではないのだから」と、その発端の当時は思ってしまっていたのだと、ほぼ同じ様な言葉を同じような気持ちで口にしていたと、断言をされました。
禁忌を犯したことで、一斉に処断されたことを"一掃"という表現をしたのは、偶然の一致でしかない筈でしたが、こうしたある程度の時間を挟んで行われたことでも、「禁忌を犯してしまったのなら、《《一掃》》をされてしまう」という認識についても、やはり同じものとなります。
そもそも、"一掃"という言葉の意味事態は、"好ましくないものをすっかり払い除くこと"で、その好ましくないものは、セリサンセウムという国とその民にとっての存在に対して向けられたものでした。
禁忌が行われてしまえば、国の行く末を任せられているという位置づけの為政者となる立場の人々は、「今度こそ、一掃のを行うような出来事が起きないようにしなければならない」と、その都度考えているのと同時に、「絶対に起こさないというのは無理」というのも頭の片隅で思い浮かべてもいました。
そういった考えを総じて纏めたところで、打開ともいかずとも妥協として思い付くのは、出きることなら長い期間一掃という事態を起こさないように、という案が出されます。
加えてどうしても権力が絡んでしまうことだから、出きることならそういったことを全く魅力に感じない人物が望ましいと、本来なら"一掃が行われたことで機会が訪れた"と考えてしまいそうなところも、内心では口元を"へ"の形にしてしまうような人物が望ましい、と元宰相が口にしたところで、王太子殿下の母堂になるつもりはない王位継承権にも同様に興味もなかった側室は、諦めがついたといった調子で、この食い下がりを終えました。
ただ、食い下がりを終えたのは、あくまでも自分と国王陛下の間に授かったこどもが王太子殿下になってしまうということについてであって、その後に「それならば」という形で願い出たのは、先程の食い下がりと同じような勢いで訴えるのは、子息は王太子となったとしても自分はあくまでも数多くいる側室の一人という扱いを、継続して欲しいということになります。
これには、数少ないながらも謁見に同席をしていた、いわゆる本当に立場的に国の政の枢機卿に携わる人物達、特に先程は選定が告げられて「どうして自分の子どもが王太子に選定されたこというのに、一に二にもなく喜ばないのだろう」という反応の面々に「自意識過剰だ」とされながらも、そういう風に自分を敢えて権力から遠ざけようとしている行動が、貴族としてもやはり理解が得難い発言でもありました。
そして特に顕著に出てしまったのは、国王の隣にいるその当時の王妃となります。
ある意味では、信じられない存在を見つめるような眼差しを向けられることで、王太子殿下の母堂になるつもりはなかった王位継承権にも同様に興味もない側室は、今度は内心で苦笑を浮かべることになります。
社交界の派閥争いには微塵も興味はないし、敢えて距離をおくようにしてはいましたが、側室になって王族に入ると人生の岐路で選択をした際に、降りかかる火の粉については自身の力で振り払わなければいけないのは、重々承知をしていました。
その上で火の粉を避ける延長で、過去は王太子殿下が決定をしてはいながらも、いざ王位継承の際にそれらが、土壇場で覆されたという過去の事象も承知しています。
だから何が何でも、自分の子息を王太子殿下という立場に据えたとしても安心できないのが、"一掃"を行う前のセリサンセウムの王宮の華やかで煌びやかな、水面下の出来事でした。
それは水面下とされていながらも、その水の中で火の粉や火花を散らせるという、何とも整合性のない表現とはなりますが、間違ってもいないような感想を王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも興味もなかった側室は抱きます。
そんな整合性のない水面下で、王位継承権に関しては、最終的の目標として、王太子がそのまま恙無く国王に即位させる、いや、そうはさせるかと、日夜の争いの結末は結局"一掃"がされることで、ついてしまってもいました。
その争いが苛烈になってしまっていったことで、"一掃"が行われ、王宮が水上も水面下も必要な流れや動き以外がなくなったことで随分と安堵が出来たものとなります。
そして、その安堵をしているというところについては、争っていた側から見たのなら、自分達の子息が"一掃"によって、失脚をしてしまったことに対して、当初こそ、その罰の厳しさに恐れ慄いていましたが、時間が過ぎれば過ぎるほど、自分が王宮に国王陛下の"妻"の一人として加わっていた時に、自分が抱えていた希望と野望を、火種として側室達が燻らせ始めているのが解りました。
ある意味では、自分達がかつて希望も野望も燻らせ、そして"一掃"という処罰をされて、消しとんでしまったからこそ判るという具合にもなるのですが、《《そこから》》をどうするべきなのか、わからないところでもあります。
子息が最も重い処罰を受けた立場の側室もいれば、王妃のように継承権だけを剥奪されて、国王の庶子の1人として居住する場所を王都から離されたというのもありました。
そういった処遇の中で、自分達よりも立場が下だと思っていた側室から、新たな王太子殿下が選ばれるということは、耐え難い屈辱とまではいかなくとも、命あっての物種と謙虚に考える心があったとしても、正直にいうのなら余り面白いものでもありません。
それでも、出きることなら自分達と同じ過ちを繰り返して欲しくはないのもありますが、新たに王太子殿下として選ばれることになっている国王の庶子達が、"一掃"に関わっていないということを基準に選定をすることに、先輩として心配をすることになります。
それは率直にいって、その国王の庶子で自分の子息達と、父親が同じ、弟達が随分と幼いことにもありました。
"一掃"に自身の子息が関わってしまったことで、気遣いや心配に関しては、何とも気持ちを例えるのに適当な言葉が見つかりません。
ただセリサンセウムという国では見つけられないということではありますが、学問については幅広く修めていた王太子殿下の母堂になるつもりはない、王位継承権にも同様に興味もなかった側室は、妥当に思える表現を見つけることになります。
それは東の国では"腐っても鯛"という、慣用句で、その意味は今回の王族のセリサンセウムという国の"一掃"後の、子息達は王位継承権を剥奪されてしまった、国王の伴侶という立場にいた、王妃を筆頭に継承権が上位を占めていた先輩方の状況に当て嵌まっているような気がしてなりません。
"鯛"という魚は東の国とっては縁起も良い魚とされていて、高級で上流とも十分に言い換えることが出来ます。
更にそれに準えて鯛が、元々価値の高い魚であるため、仮に腐ったとしても他の魚と同じ価値になることはないという、東の国の慣用句となりました。
これは要約をしてしまえば、立派であるものや、優れているものは、落ち目になったり悪条件の元に晒されたりしても、培ってきた努力の結果や品格までが失くなるものではないという、王太子殿下の母堂になるつもりはない王位継承権にも同様に興味もない側室の解釈になります。
これらを踏まえて、本来は社交界で上流の貴族の中でも特に優れた評価と、一族の期待を担って王族に入り、当初はそれに全て応える形で、王位が継承できる可能性がある男児の殿下を授かり、立派に成長をさせますが、政で権力を私利私欲で使うという禁忌の不祥事を起こしたことで、それまでの王族としての経歴は、入ってきた際と同様の白紙の状況となりました。
ただ経歴は消えてしまっても、「自分の子供を王太子、もしくは王位継承の際にはそれらを覆して、国王へとして、一族の権力を磐石なものに」という希望と野望を実現するために、王妃を筆頭に側室と日々切磋琢磨し、国王との間に授かった子息に愛情を注ぎ、教育を見守り、親子としての交流の姿勢に、嘘偽りはなかったし、方向性として歪んでいるものでもなかったと学問をそれなりに修めていた、側室だからこそ感じ取れていたものもあります。
国の民からは貴族達が社交界でキナ臭い権力争いをしていると感じとれる程でもありましたが、(当時の)王太子殿下に、他の庶子の殿下が国王として即位をしても、不思議ではない程に公務に対して勤勉な態度であったと、評価を出してもいました。
だからこそ、"一掃"が行われた際には、セリサンセウムという国における政で、禁忌を犯したにも関わらず、どちらかと言えば「厳しすぎるのではないか」という同情的な意見も出てきていたという背景となります。
そういった経緯があったからこそ、王太子殿下の母堂になるつもりはなかった王位継承権にも興味もない側室は、内心的な状況を含めて随分と複雑なものとなってしまいました。
傍目からみたその立場としては、国王の伴侶としての階級の最上は王妃殿下として、それに続く世間では自分を含めて寵姫とも呼称される平等な役割の王族の婦人の1人ではありますが一個人としては、折角"一掃"を行うことで《《均された》》、セリサンセウムという国の仕切り直しの政のあり方に、水を差すようなことをしたくはないというのが正直な心境ともなります。
しかしながら、王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権に興味もなかった側室の胸中には、出自の一族としては、これも東の国の慣用句ではありますが、"棚から 牡丹餅"といった、思いがけない幸運に恵まれる形で、縁戚の子息が王太子殿下に選定されたことについては、その権力と立場を強固にできることを喜ぶのが容易に想像できました。
だからこそ、王太子殿下の母堂という役割を固辞することを、謁見の場で明言します。
きっと、新しい上にもうほぼ王位継承の変更が限りなくない"王太子殿下"の決定が公布されたと同時に、自分を国王の寵姫で側室として輩出した出自の一族は、それを如何に利用しようかと考えているのを、前もってぶち壊した自分に随分と批難されることになると思えました。
それでも構わないと、自分が"王太子殿下の母親という事実については受け入れはしますが、その立場をと役割については、これまでと何ら代わりはないと公布したところ、やはり自身の出自の一族の派閥から随分と責められることになります。
これは予想が出来ていたことなので、少しばかり煩いと思いつつも、表情は至極真摯に聞き入れるといった調子で、敢えてその時期には社交界の貴族が誰もが言葉にするのを避けていた"一掃"の話を持ち出しました。
そして貴族の派閥として権力を欲す気持ちは理解できなくはないが、権力に固執をしてしまう姿勢は、"一掃"といった出来事の二の舞になってしまうと、はっきりと口に出したのなら、その処断の厳格さを承知している出自の一族も、それまで喧しく開いていた口を閉じることになります。
その閉口を見届けてから、王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権に興味のない側室は、自身の子息が"王太子殿下"となることを、産みの親として、(既に決定をしていた様なものですが)、承諾をしました。
そこからは、なるようになる、なるようにしかならない、といった調子で、あくまでも国王陛下の側室の1人としての振る舞いで、王族として勤めを果たします。
自分の息子が、"王族の母親"を求めてやってくれば相応の対応をこなしましたが、その都度にその意味が通じるかどうかは兎も角、王太子殿下という立場に自分がなってしまっているのだということを言い聞かせ、そして国王の側室としての振る舞いを忘れることはしません。
当初はその意味が理解することは、王太子殿下となった子息には難しいというよりも、戸惑いの色の方が強く出るところになります。
その戸惑いの理由としては、今まで経緯をもって母親違いの兄であり、次の国王陛下となる存在として教えられていた存在が、唐突といった具合で、共に生活をしていた王宮から姿を消したところにもありました。
しかも、いずれ国王になると言われていた兄だけではなく、子供同士に限らず大人同士でもされていた"ないしょばなし"では、もしかしたらもう一人の兄であり、王太子殿下ではないけれども、国王陛下に《《なるかもしれない》》とされていた兄達もその姿を消してしまいます。
ちなみに、その"ないしょばなし"の時には、いつも飄々としていた(この表現は王太子となって語学を学んだ時に知りました)母親が、珍しく不機嫌になってその話題をするべきではないと、子ども達には窘め、自分よりに立場が上に当たる人々には諌めの言葉を口にしていました。
それから間もなくして、母親が忠告をするまでもなく、その話題を誰も口にすることはなくなり、しかも王宮の雰囲気は随分と暗いものになります。
大人達は、自分が幼すぎて理解出来ていないと思っていたようですが、それまで「久しぶりの赤ん坊でかわいい」といった、旨で"おとうと"という役割にもなる自分を見に来てくれていた兄達が姿が見えなくなってから、尚更だとも感じていました。
それから程なくして、普段は正装をするのが面倒臭いと口にしながら、侍女達に手伝われながら着替える母親が、何とも言えない表情で無口に着替えて、父親である国王陛下に謁見ということで、日々共に過ごしていた部屋を、出ていき、戻ってきていた時、これまで見たことのない面差しを浮かべて、子どもとして大いに戸惑います。
その頃は言葉というものがあるけれども、自分から出すことが困難で、後に知ることになりますが喃語というものを出して、小さな手を伸ばして、反応を起こす程度が精々でした。
それでも、産みの母親には意味が十分に通じたようで、直ぐに抱き上げられて抱き締められて、これからは自分が王太子殿下の役割を担うことになったのだと、改めて確りと口に出して伝えられます。
正直にいって、その頃は王太子殿下という、幾度となく耳にいれたことのある単語の意味を理解ができていませんでいた。
誕生してから、先ず母親が側にいて、その世話をする侍女という存在がいて、更に使用人という人がいて、たまに会いに来る、どうやら母と同じような"そくしつ"という人がいて、自分の誕生を祝ってくれて、大分身体が落ち着いた頃に、父親という国王陛下が来て、抱き上げられます。
そして、顔の造形こそあまり似ているというところはありませんでしたが、どうやら髪と瞳の色が同じ色だったことで、自分と何かしらの繋がりがあるのだと確信しました。
そうやって理解ができるのも鏡という、どうやら姿を写す道具で、母親に抱かれた存在がいて、それが自分だと考えたと同時に、「髪と眼の色が陛下と同じで良かった」という呟きが聞こえたからにほかななりません。
どうやら、顔をの造形は母親に似ているのは、それこそ鏡を見ることでわかりますが、色というものが違うだけで随分と印象は変わるものだと思います。
それに併せて、《《落ち着いてから》》自分に会いに来てくれた国王陛下が、父親だということは、黒という色が鏡で見た時の自分と驚くほどに似ていたというよりも、同じなので、非常に驚いて思わず声に出してしまうし、この時も興味が勝って、両手を差し伸べたのなら、直接抱き上げられました。
実はこれはとても珍しいことでもあったのを、これも後程聞くのですが、大抵の赤ん坊は人見知りをして、幾度も話には聞いていましたが、直接会うのは初めてになる父親である国王陛下相手でも、泣き出してしまうのが殆どというなかで、笑顔ではないものの、上機嫌(に見える中)で"黒"という色が顕著でもある口髭や、髪がある部分に手を伸ばされて、これには随分と気を良くしたという話になります。
そして抱き上げられてからも、母親に抱き上げられても決して体験することの出来なかった、髭のというものの独特の感触や、嗅いだことのない匂いに、更に興味をもって、接しようとするので、自分に懐いているとも思えてしまう印象に、機嫌は良くなったと、これも後に耳に入れました。
ただ、国王陛下は機嫌は良くなったものの、数多くいる子どもの一人に過ぎないという、扱いの域は越えて接してはきません。
それはある意味では、"数多くいる庶子"としての接し方を弁え、自制し、出来ることならもう少し父子として触れ合いを我慢しているといったものが、どこか滲み出ているものとなります。
父親でもありますが、国の王として王宮に余計な火種を王宮に持ち込ませず、起こさない為にも、例え気に入ったとしても、贔屓等の評価に繋がりそうな振る舞いに関しては自重をしている為でもありました。
この自重した振る舞いについては側室である母親も、その滲み出ている交流を惜しんでくれている気持ちを察し、それに十分に感謝をしつつも安堵をしているのを感じ取れることができます。
それは側室でもある、国王である自分が抱えている子の母親でもある人物が、決して王太子殿下の母堂になるつもり等は微塵もなく、王位継承権に関しても同様に興味もないということを、閨で語っていたことを覚えていたためでもありました。
それでも、この父子の初対面は数多くいる庶子の中で、やはり気に入ったという印象を強く残すものとなり、父親でもある国王陛下の記憶には刻まれたものになります。
まるで、その証拠という様に"一掃"という王族の不祥事が起こった後、自分が退位をすることはない代わりに、王太子を含めて、継承権で高位の立場にいる庶子も王宮は元よりも、王都からも離れる事になった時、新たな王位継承権を決めなければならないとなった際、先ず思い浮かんだのは自分に手を伸ばしてきた子どもとなりました。
国王陛下は自分の政を手助けしてくれていた近習であり、為政者にも後継を決める際に、表向きは堂々としつつも内心では恐る恐るといった調子で、口にします。
ただ、口にした理由としては「陛下から、新しい王太子殿下については何かご意見がありませんか?」と尋ねられたからであり、それについて、真っ先に浮かんだ自分の正直な気持ちでもありました。
近習に、為政者達は、"一掃"をされた後に、これまで見ていた限りでは、子どもに対しては、どちらかと言えば必要以上の交流を意識して控えていた国王陛下が、そうやって一人の庶子の名前を出すのは本当に意外な事となります。
けれども、その出された名前については、つい最近誕生をしたというのもあって、数多い国王の庶子でもありましたが、近習や為政者の記憶に残っている
ものとなりました。
それに併せて、国王陛下の口にした名前の庶子の母親となる側室は、社交界の貴婦人でも珍しく学府で学問を修めている立場でもあり、王族の為政者として、それなりの功績を出している人物でもあります。
それと同じくらいの情報量で、政に関する権力にしては出自である貴族の一族からしたなら、歯痒くなるほどに興味がないという態度ということでした。
王族の為政者として功績を出していれば、勿論はそれは王族としての働きで、世間からの評価はではあるのですが、嫁いだ形の姻戚関係があれば、そこから所謂「しゃしゃり出るように」、それは自分の一族から嫁がせた者の活躍だと高らかに、社交界で口にすることになります。
これはある意味では王族、特に国王に王妃であれ、側室であれ嫁いだ立場の息女の宿命の様なもので、国王陛下との間に子どもを授かって欲しいのが第一ですが、それに併せて"王族として活躍をして欲しい、ついでに自分の出自の貴族の家を宣伝して欲しい"という無言の圧力を受けることになっていました。
更に過酷な圧力があるとすれば、それは自身の子どもを王太子殿下にする、若しくは王位継承の際に、諸事情を飛ばして王太子殿下ではなかったものの、国王として据えるというものでしたが、それについては本当に内輪で苛烈なものとなります。
ここは重複するところですが、"一掃"後から鑑みてみれば、そういった圧力の不祥事が原因の一端ともなっていたし、件の国王陛下が口にした名前の庶子の母親に当たる側室などは、《《とことん避けている》》事案も有名な話となっていました。
ただ、母親は避けてはいても、こういった新しい王太子殿下を選定をする話し合いの場で、父親である国王からその名前を出されてしまったのなら、考慮をしないわけにもいきません。
しかも、直接名前を出されてしまったことで、まっさらな状態でもある王太子殿下の候補としても第一に上がってきてしまってもいました。
加えて、やはり国王陛下が名前を出してしまったことが大きいのですが、母親となる側室が出自である貴族の一族からしたなら、歯痒くなるほどに社交界の権力を増大に全くもって興味がないという態度についても、近習や為政者も承知しています。
もし、仮に国王が口に出した庶子の母親である側室が、社交界において権力派閥を大きくしようと熱心だったのなら、例え国王の発言でも難色を示していたと思いましたが、当事者は出来ることなら、極力関わりたくはないという態度でした。
"押して駄目なら引いてみろ"、異国の寓話としても有名な「太陽と北風」といった理屈が当てはまる訳ではないのですが、「出来ることなら権力関係の派閥争いには巻き込まれたくはない」といった側室の振る舞いが、為政者達の「どうせなら、こういった気構えの人物に任せた方が良いのではないか」という印象に抱くことになります。
好印象という訳ではないのですが、王太子殿下の界隈の前任者達が軒並み一掃をされ、欲を出してしまい《《王太子殿下の母堂になれるかもしれない》》となってしまうという思惑を滲み出させてしまったその様子に、そういった面々よりも、その役割を任せるよりは良いだろう、と王太子殿下の母堂になるつもりもない、王位継承権にも同様に興味もなかった側室に委ねてしまった方が良いだろうと、近習の為政者達は考えるようになってしまってもいました。
その理由の一部としては、国王の信頼している近習の為政者達の縁戚者達にも、少なからず"一掃"の処断をされてしまった立場の者もいることになります。
この新しい王太子殿下を選定しなければならないという話し合いを最後に、貴族として政に関しては為政者として引退をするという立場の人々もいました。
そういった背景と影響もあり、決してこれはから自分が抜けてしまうとになる、社交界の派閥争いの足を引っ張ろうといった妬みの心からではなく、自身が政に関われなくなってしまった原因の一部でもあった、派閥争いに対する執着心を持っていない存在を推したいといった心境からになります。
出来ることなら、権力について欲のない人物を王太子殿下の関係者として据えたいという純粋な気持ちと、国王が新しく王太子殿下として、庶子の中から据えるとしたらという心境で口に出した、その名前の持ち主の保護者である側室が合致をして、話すは粛々と進んでいきました。
そこに王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室の気持ちは尊重をされているのかと言えば、全くされていないものとなります。
しかしながらセリサンセウムという国の為政者であり、貴族として国の民が納めてくれた税でその生活と日常を送っている立場としては、断れる立場ではないという認識でもありました。
そういった認識は王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室にも備わっているもので、個人的には嫌なものですが選定をされてしまったのなら、断るという選択はなく、諦めるしかありません。
それに、王太子殿下の母堂になるつもりはない、王位継承権にも同様に興味もなかった側室も何が何でも嫌という訳ではありません。
何よりも、自分が国王の側室、王族の為政者として政には関心があるのは認めるのですが、権力には固執もしてはいないし興味がないという具合が、自分の子息に当てはまる訳ではないというのは、弁えてもいました。
物凄く可能性として低いとは思うのですが、仮に王太子殿下に選ばれてしまった息子が、権力というものに魅力を感じ、またこの国でもっとも責任の伴う為政者である国王陛下としての活躍を望んでいた場合、実母である自分が強く反対をすることで、その人生に対して不利益なことに繋がってしまったのなら、それは保護者としてやりきれないということになります。
それに自分も、上流貴族の一族の婦人の一人として誕生して、本来なら社交界で淑女としての活躍を求められていましたが、学府で学問を比較的自由に学ばせてもらったことについては、恩を感じてはいました。
ただ、短慮でもない王太子殿下の母堂になるつもりはなかった、息子の王位継承権にも興味がなかった側室は学府で学ばせて貰ったというのを恩に感じてはいますが、所謂王族に側室として入る為の"変わり種"といったところで利用をしていたのも承知してもいます。
それは利害が一致していたとすればそれまででもありますが、可能ならば何も気兼ねをすることもなく「好きなものは好き」ということを貫ける人生であって欲しいというのは、これは親としてもありますが、王太子殿下の母堂になるつもりはない、王位継承権にも同様に興味もなかった側室の希望でもありました。
自分は出来たかのか?と尋ねられたのなら、それは不可能であったとしか答えることができません。
けれども、自分の人生が決して思いどおりならなくて不幸であったとも、宣うつもりもありませんでした。
ただ、そこに自分で選べるという自由があったのなら、一番に選びたかった自由については、上流貴族という立場に誕生して、衣食住に苦労はしなくとも、選ぶことは、この立場に誕生したからこそ選ぶことも出来ません。
だから、せめて好きで尊敬する、世にいう初恋というものをしてしまった、国という存在には欠かすことができない、けれども《《政に関わることは許されない》》、国王の友人という立場の御方の真似をして、政に極力興味のない、関わりあいになるのを極力避ける振る舞いを行いました。
そして、その振る舞いが正式に側室となった際に、国王陛下が閨で「 殿に似ているな」と告げられた時、本当に嬉しく感じ、顔を紅潮させることになります。
その紅潮させた面差しが、思いがけず国王の興を誘ったようで、その際に授かったのが、王太子殿下の母堂になるつもはない、王位継承権にも同様に興味もなかった側室との庶子となります。
そういったきっかけと共に授かった国王陛下との子供は、顔の造作こそ母親である側室に似てはいますが、王族の象徴とされている黒髪と黒い瞳は立派に引き継がれていて、社交界で父親の血を引いていないのではないかと、陰口を叩かれるよりもましとは思いつつも、こういってはなんですが皮肉めいたものを感じてもいました。
しかしながら、それと同時《《なりたいと思ってなれるものではない》》という、国という存在には欠かすことができない、けれども《《政に関わることは許されない》》、国王の友人という立場の初恋の御方とどこか似通ったものを連想してしまって、我が子を尚更愛しいと思えるものに繋がります。
このまま、国王の血を継いでいるという証しをもったまま、王族の庶子の一人として、政に関わらないというのは無理だとしても、初恋でもあった国という存在には欠かすことができない、けれども政に関わることは許されませんが、国王の友人という立場の存在が好きな、「飯の種には繋がりづらい小難しい話」等が、たまに出来れば良いというぐらいの希望と共に王族として一生を終えれば良いと、王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室は抱いていました。
けれどもその希望は"一掃"という言葉の"残らずはらいのける"という表現と同様に、不祥事と共に払われてしまうことになります。
不祥事についての責任については、関わった王族や貴族が処断されることで終わった筈だったのですが、国という存在には欠かすことができない、けれども《《政に関わることは許されない》》、国王の友人という立場の存在も、隠居をするわけではないのですが、在籍はするけれども次に役割を引き継ぐ立場の同族が、故郷からセリサンセウムという国に派遣されるまで繋ぎだと公言をします。
それは、"一掃"が行われた後の国王ともほぼ同じ状況でもあり、王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室は、それを知った当初、反応をどういったものをするべきなのかどうかすら、躊躇うことになりました。
ただ、国という存在には欠かすことができない、けれども政に関わることは許されない、国王の友人という立場の存在が、隠居をするという行動は世相に影響を及ぼすものではなく、報せるべき情報として布告される程度のものでした。
国の民も"一掃"という出来事の後のこの布告に、関わりがあるとは思ってはいたようですが、当事者がセリサンセウムという国から不在になるというわけではなかったので、特に大きな反応をするわけではありません。
元々が政に関わってはいけないという制限があり、世相にも直接的な影響を及ぼすということはないというのは前述の通りで、その国の民が情報として知った時、確りと宣言をして引退をする国という存在には欠かすことができない国王の友人という立場の御仁は初めてだ、といったぐらいの感想を抱くことになりました。
そして、新しい王太子殿下が選定され決定をした時には、本格的に引きこもるようになり、政には関係がないところで、国という存在には欠かすことができない、けれども国王の友人という立場の御方に、学問や文化について質問や議論を交流させることは、禁止こそされてはいませんでしたがこれまでの積極的な面は、影を潜めることになります。
それまでは政に関係ないの内容として、相談や質問を持ちかければ、平民に貴族分け隔てなくその質問に対して、答えが決定しているものなら根拠や裏付けを持ち出して説明をして答えていました。
相談なら相手が望む解決の方法を聞き入れた後に、セリサンセウムという国の法と道徳に則り意見を口にした後に、それだけでは補えない事情についても鑑みて、個人としての自分の意思を述べた後に、相談をした当事者に、その状況で現実的に起こりそうな"結果"を伝えた後に、決断については相談者本人に委ねます。
基本的に面倒くさがりで片付けをしない(うるさく注意をすれば多分出来る)、振る舞いは不貞不貞しいのですが、人と交流をする際には、そういった諸々が気にならないほどに、参考になる意見を、これも分け隔てなくしてくれました。
王太子殿下の母堂になるつもりはなかった、自身の子息に対して王位継承権にも同様に興味もなかった側室も、王族に入ったことで為政者としての役割もこなしていましたが、その政の部分を巧く掻い潜って、国という存在には欠かすことができない国王の友人という立場の御仁に、一般的な一人の婦人として、教育や子育ての文化的な背景について、よく語りあっていました。
子育ては教育に関しては、その成長をさせるべき個人に合わせて出来ることならするのが理想なのでしょうが、集団で生活をする際にはそれは随分と難しいという結論はこれまでの国の暦でも出ていて、それでも出来ることなら、可能にするべきだという、少しばかり《《鼬ごっこ》》にも見える議論を重ねます。
こういった話が所謂堂々巡りになりやすいものの場合、国という存在には欠かすことができない、国王の友人という立場の御仁も、そこまで人と付き合いが良い訳でもないので一通り聞き流した上で、繰り返しが改めて始まりそうな時に、言葉を遮り、話を一旦強制的に区切りました。
そして繰り返しが始まっていることを淡々と指摘し伝えはしますが、その繰り返しの部分で、語っている人物自身は無自覚の箇所を更に指摘した上で、時には淡々と心の均整が危うくなっていると判断をしたとも告げて、国という存在には欠かすことができない国王の友人という立場の御仁は、相談に適した然るべき場所を、"紹介と案内"もします。
国王の友人としての"紹介と案内"という建前になってはいますが、国王を筆頭に為政者に関しても、当事者は政に関しては慎重に確実に距離を取って付き合っていました。
その上でその政に直に関わる役割の貴族や、平民代表としての政に関わる人物が、あくまでも文化や学問という態で相談や質問をしに来た際、最初の挨拶で既に感じ取れるものはあるので、そこから然るべき誘導をすることも、公にされてはいませんが、役割の1つとして担うことについては、国王の友人として了承をしています。
勧められた相手は当初は、どうしてそういった相談場所を進める旨を伝えてくるのかと、不可解や、はっきりとしている人物なら寧ろ不快と怒りを浮かべてくるぐらいですが、そこには飄々として、同じ話を繰り返そうとしているのを、まず指摘していました。
相手は勿論そんなことはないと口にしますが、周到に"音源"として会話を風の精霊石に刻む形記録をしておいた物を聞かせて、概ねはそれで当事者が気が付き引き下がります。
国という存在には欠かすことができない、国王の友人という立場の御仁が精神的な面で何かしら"労り"が必要な状況とも告げると、自身が根を詰めていたと自覚もすればそれまでなのですが、それでも納得をすることが出来ないようなら、内心物凄く面倒くさいと思いながらも、相手を刺激しないように、手を回します。
何にしても政には《《直接関わることはない》》ながらも、政に実際に携わりその責任を担う立場の人々が、後々《のちのち》に自分が任せられた役割に後悔をしない様にと手筈をしていました。
そういった中で、行動は分別をつけていた、王太子殿下の母堂になるつもりはない、王位継承権にも興味もない側室は、珍しくも一見堂々巡りではありますが、話の内容としては着実に進めているという部類で、国王の友人としての御仁も楽しく会話をします。
けれども、楽しかった語らいに交流も"一掃"の後には、頻度も下がり、話の盛り上がりに繋がるまで、随分と時間を費やし、新しい王太子殿下の選定と決定と共に、すっかりなくなってしまいました。
だからと言って、相手からは拒絶という雰囲気を醸し出すというわけでもありません。
それまで通り、為政者の政とは《《関係ない》》相談事で赴けば応対し、語り合う内容は盛り上がりはしないが、結論は出すことまでの討論には付き合ってもくれます。
加えて、一応は国王の側室で、当事者は王太子殿下の母堂という立場を固辞してはいますが、事実としては《《認知されてしまっている》》ので、政と関わってはいないという面を十分に弁えつつ、相談事にしても必要最小限にしているつもりでした。
他の、純粋に文化や学問に対して、討論を望んでいる面々も"一掃"の事情を承知しているので、その時期はそれまで比較的に気軽に赴いていた物を、控えるようになります。
これまで政に関係ない文化や学問の討論に関しては、"楽しんでいた"と表現するのは何ですが、熱中をしていた物を、全く以て淡々とした物言いになったことに関してはある種の《《ケジメ》》として、王太子殿下の母堂になるつもりはなかった側室を筆頭に、馴染みのあった面々は受け止めまました。
元々、国王の友人という立場の御仁は物欲や権力といったものに関して興味がない分、何を楽しみにしているんだという風に、物欲や権力に興味も関心もある貴族から言われていましたが、具体的に例えることが難しい、前述の言葉と、為政者として文化や教育の発展の役割を担っている人々の信念を、言葉を交わすことで楽しんでいるとしか例え様のないところだともいえました。
なんやかんやで、これ以降の交流に関しては、為政者として"一掃"までは、比較的気軽に通っていたものは、内容の吟味に慎重さが迫られない限りは、諦めることになります。
ただ、それと同時に、自分の様に学問や文化に教育についての、意見の交流はなくなってしまったとしても、国王の友人という立場の御仁がそれまで行っていた、為政者の相談役という役割は必要なものであると、一同を介して強く意見を出しておきました。
そうして、そんな中で新しい王太子殿下は、母親が自身が権力を持つことを固辞し、あくまでも側室の一人のままで、親として接しつつも、王族の為政者としての役割もこなすといった日々の中で育ち、正直にいって国王の友人という立場の御仁の位置づけがよく、解らないところになります。
けれども、自分がこの世界にまだ誕生をしたばかりの頃で、"王太子殿下"という立場にさせられていなかった時期に、どちらかといえば唯々諾々と真面目に王族として為政者として、日々を過ごしている母が、数は少なくはありますが、実に凛々しく実の父親でもある国王の友人という立場の人物の場所に、赴く際、とても元気という表現も合いますが、特に気合を入れていたのは覚えていました。
それは「必要がある」ということで"国王の友人という立場の人物"の、王宮での滞在場所に赴き、服こそ貴族や王族にしては華美さがありませんが、品格のある衣を纏いで(後に色々と協力をしてくれることになる、王族専門の仕立屋が側室として加わった記念と祝いに仕立ててくれたものだと知ります)、時間にしては、国王の庶子の一人時代の自分の食事には間に合う時間の範疇ではありますが、赴き戻って来ていたことは覚えています。
この当時から母親は、感情や表情に大きな動きこそありませんが、世話をする為に戻ってくる度に、少し疲れてはいますが、興奮冷めやらぬといった調子で、国王の友人という立場の人物の場所で意見をしたことで充実していたのが伝わってくるものがあり、その熱が冷めない内にと為政者としての役割で書面を認めていたのも記憶しています。
貴族でしかも王族としては珍しいことですが、母親としての希望が通り、当時は幼いの王太子殿下になるとは誰も思ってもいなかった時期ということもあって、可能な限り母子同室で過ごすことの多かったので、その傍にいれば、雰囲気だけでもその充実感が伝わってきて、子どもなりに共感も出来ていて"良い事だ"と感じていました。
まだまだ言葉を通わすことのできない、王太子殿下になるとは思いもしなかった庶子の一人である当時の自分にも、母親から伝わってくる充実感に自然に笑顔を浮かべれば、場を和ます効果は相乗となります。
だから、自分が王太子殿下になると告げられると同時に、そういった母の様子が見られなくなってしまうし、王族ではありますが庶子の一人ということで、同じ部屋で生活できていたものが、引き離されることになりました。
母親から強引から離されるという状況で、普通なら泣き出してしまうような年代だったのですが、泣かないことに周囲は「国王陛下から推薦の名前があがる程である」と、所謂高官の面々は口にしてはいましたが、内心は実に立腹をしています。
王太子殿下の母堂になることを拒んだ、側室で母親は息子の様子に気が付いてはいましたが、内心で溜息ついている様な面差しを浮かべつつ、この状況をやり過ごしていました。
けれども、自分がこの世界にまだ誕生をしたばかりの頃で、"王太子殿下"という立場にさせられていなかった時期に、どちらかといえば唯々諾々と真面目に王族として為政者として、日々を過ごしている母が、数は少なくはありますが、実に凛々しく実の父親でもある国王の友人という立場の人物の場所に、赴く際、とても元気という表現も合いますが、特に気合を入れていたのは覚えていました。
それは「必要がある」ということで"国王の友人という立場の人物"の、王宮での滞在場所に赴き、服こそ貴族や王族にしては華美さがありませんが、品格のある衣を纏いで(後に色々と協力をしてくれることになる、王族専門の仕立屋が側室として加わった記念と祝いに仕立ててくれたものだと知ります)、時間にしては、国王の庶子の一人時代の自分の食事には間に合う時間の範疇ではありますが、赴き戻って来ていたことは覚えています。
この当時から母親は、感情や表情に大きな動きこそありませんが、世話をする為に戻ってくる度に、少し疲れてはいますが、興奮冷めやらぬといった調子で、国王の友人という立場の人物の場所で意見をしたことで充実していたのが伝わってくるものがあり、その熱が冷めない内にと為政者としての役割で書面を認めていたのも記憶しています。
貴族でしかも王族としては珍しいことですが、母親としての希望が通り、当時は幼いの王太子殿下になるとは誰も思ってもいなかった時期ということもあって、可能な限り母子同室で過ごすことの多かったので、その傍にいれば、雰囲気だけでもその充実感が伝わってきて、子どもなりに共感も出来ていて"良い事だ"と感じていました。
まだまだ言葉を通わすことのできない、王太子殿下になるとは思いもしなかった庶子の一人である当時の自分にも、母親から伝わってくる充実感に自然に笑顔を浮かべれば、場を和ます効果は相乗となります。
だから、自分が王太子殿下になると告げられると同時に、そういった母の様子が見られなくなってしまうし、王族ではありますが庶子の一人ということで、同じ部屋で生活できていたものが、引き離されることになりました。
母親から強引から離されるという状況で、普通なら泣き出してしまうような年代だったのですが、泣かないことに周囲は「国王陛下から推薦の名前があがる程である」と、所謂高官の面々は口にしてはいましたが、内心は実に立腹をしています。
王太子殿下の母堂になることを拒んだ、側室で母親は息子の様子に気が付いてはいましたが、内心で溜息ついている様な面差しを浮かべつつ、この状況をやり過ごしていました。
それは、王太子殿下となることとが自分にとっての将来の希望に繋がるかどうかは兎も角、何事にも挑戦をしたいと思った際に、金銭的な面では可能性という面では狭めるよりも広めることが出来ると考えたからになります。
王太子殿下の母堂という立場を希望をしなかった母となる側室は、自身が上流貴族の出自で、金銭面では有難いことに不自由と苦労はしてはいません。
ただ、学府に進学を望んだ際には既に側室の候補として、出自の一族から一目置かれていてその内容を吟味されて、辟易としていたのを覚えてもいますし、予算として許されたことも告げられて、実家の財政事情は決して潤沢でもないのだと、初めて意識することになります。
更に王族に嫁いでから、側室同士の会話で解ったことですが、階級的には上流という事で同じように経済的に苦労をしたというわけではないのですが、決して無駄な贅沢をさせて貰えるような生活ではない、似たような環境だとも解りました。
加えて、それは王族も傍目からみたのなら贅沢はさせてもらえてはいますが、そこに無駄という表現が入り込む余地はないというものになります。
特に国王の庶子などは、品格を損なわない程度に教育は徹底的に施されますが、何かしら庶子として学問にしても武芸にしても、優秀以上の評価を得て学びたいとしたのなら、伸びる才能が見受けられなければ、"国"からは費用を出すことはありません。
ただ、嫁いできた貴族の一族からの持参金や、支援で家庭教師がつけられて、学習や稽古事をすることについては一向に構わないという姿勢でもあります。
国王との間に授かった庶子が、何れ王族の為政者として活躍する際に、その見返りとして母親の出自の上流貴族の一族への投資の様な扱いと、先に側室となった先輩から説明をされて、そういったこともあるだろうと、不思議と納得してその話を聞いてもいました。
そういった中、やはりというべきか当然というべきか王太子殿下に関しては最初から、教育の予算に関してはふんだんに組まれているという、話になります。
これは王族に嫁いだ際に、為政者の一人としての役割もある為に王族として組まれている予算について説明を受けていたので、承知していましたが、「側室には関係が無い話」として、捉えていました。
が、件の"一掃"が執行をされ、自分の子息が名前が新しい王太子殿下として選定され出されてしまったことで、説明をされていた記憶を掘り返します。
そういった経緯を以て最初に掘り返されて出てきたのは、自分は王太子殿下の母堂になるは勿論固辞するつもりですが、息子がこのまま即位をするというのなら、学問に武芸に何かしらを費用のかかる挑戦をしようとしたのなら、それは他の庶子よりも、その際の障害は下がるのだろうな、という考えでした。
勿論、王族の庶子と同様に学問にしても武芸にしても、優秀以上の評価を得てからの挑戦となるのでしょうが、経済的に負担をかける状況というのなら、王太子殿下の母堂という立場は固辞した側室で、親として見返りを期待するわけではないのですが、遠慮なく学べる環境は用意出来るのならしてあげたいという親心になります。
出自こそ上流貴族で、学府に進学を希望をした際には、親族で審議が行われた上で、「国王の側室に学問を修めているのは妃殿下だけなので、学府で学ばせ修めることで《《売り込み》》に有利なポイントになるだろう」という話を、実に直接的に聞かされ、そのついでの雑談に、他家の上流貴族の淑女をでもそういった《《売り込む》》為の、営業についての話題は社交界で盛んで扱いやすいものだというのも思い出せました。
当時は"学者系の貴族でもない淑女が学問を修めても意味がない"という所でも、進学を希望する当事者としては悶々とした話ではありますが、王太子殿下の学費とは関係ないところであるので、頭の隅に追いやっておきます。
それに進学費用に関しては、貴族でも本当に必要がない限りは経済的に余裕がないと工面するのも中々大変であるというのは、学府に進学をした後直後に学友との話題としてこちらも頻繁に上ったものでした。
更にそこに平民で学問を得意として学府に通っている同期生が加わり話を聞けば、貴族には適用されない制度ではあるのですが、平民ならば優秀であるのならば学費免除というのもあるらしく、これは貴族の方から心から羨ましいと口にする学友もいます。
何でも話によれば、貴族でも上流なら学問の進学や武芸の修練の費用も"社交界での利益があるのなら融通をする"という形で即決で出せるくらいあるそうなのですが、中流や下流となると、工面をするのも四苦八苦とするという話でした。
しかも、"出来ることなら進学をさせてやりたい"というのは親心もありますが、社交界で成り上がる為にも、それこそ婚姻関係で縁を結ぶ際の営利になるそうで、婿入り嫁入り、平民では貴族との養子縁組までしてから"一族"に取り入れるという手段も行われているという話に、学生時代の王太子殿下の母堂になるつもりはなかった側室は驚くことになります。
それと同時に、興味を向けていなかった自己責任と弁えつつも、自分の世間知らずさに軽く落ち込みもしました。
しかしながら、そこは学府の同期の学生となった身分問わずの友人と揶揄われ慰められ、元々学府に進学するような人物は学問に夢中でその中途で世間を知る必要に迫られてたか、そうでなかったかの違いしかない、と絶妙な按排の結論で落としどころをつけてくれた思い出ともなります。
貴族として当時からそういった部門の為政者を目指していた学友などは、「貴族も成績が優秀なら学費を免除をするべきだ」と、拳を振り上げてもいました。
けれども、「金銭の免除なんて矜持の高い貴族として許容できない」という意見が大多数ながらも、「矜持で飯が食えるのか」と、実に貴族らしからぬ反論を皮切りに、当時の議会にも内容が耳に入るほどの討論が始まったのなら、その内容は兎も角、平穏と安寧の世相のなかでその意気込みは健闘と評されます。
個人的には楽しい思い出であり、国王の友人との交流のきっかけと呼べる出来事でもありました。
そういったなかで、自分が上流貴族の中でも淑女が珍しく進学していたことで少なからず注目を浴びていたことも事実となります。
特に内々にと実家から指示も出されていなかったので、隠すようなこともしてはいなかったのですが、当事者が承知していないところでは、派閥争いでの牽制扱いにもなるので、縁戚は何かしら社交界で話題にされてもいました。
そして当の本人といえば、事情と理由として、当事者は王位継承権に関しては狙ってもいませんが、社交界や議会での権力拡大の為に国王陛下の側室として嫁がせるための、営業として通っていると正直に口にすれば、それこそちゃっかりと、前述の学問の部門の為政者を目指す学友から、「無事に側室になれたのなら、王族として無償考えに賛同してくれ」NARとちゃっかりと頼まれてしまいます。
その当時は随分と政に対して積極的だなとも思いましたが、振り返ってみれば、まだ進学をしたいという弟妹がいる身の上だそうで、学力としては学府に進学をした自分が見てやれても、進学費用に関しては自分一人での稼ぎではどうにもならないから、何かしらの手段を国としてしなければならないと、拳を握りしめていました。
その意気込みは平穏と安寧を世相では随分と気骨のあるものだと随分と関心することになります。
結局、側室として無事に王族に入った後に、この学友は無事に学問の方面の為政者となり無償ではないにしても、奨学金という形で貴族の進学を目指す若人に希望を与えました。
ただ、希望となるだけなら良かったのですが奨学金の制度が作られた施行された当初は、想定していないところで不備がでたり、また、所謂"狡"と例えて触りのない出来事や、穴を突いたが起こってしまったりして、その対応に追われることになります。
同じ頃には無事に王太子殿下の母堂になるつもりなかった側室は、無事に国王に嫁いで王族に入ったという形になり、教育というよりも子育ての分野で政に関わる様になってからは、一応は臣下と学府時代の学友としての態で、赴いてくれて、そういった為政者としての日々対応に追われることに関連の話などで昔話に花を咲かせます。
しかしながら、その時分には確りと"一掃"前の嵐の前の静けさといった具合で、王位継承権のことについては、随分と剣呑な雰囲気が漂っていることもあって、話題は選びにも随分と慎重でした。
そして、"一掃"が行われた後に、奨学金の制度についての法も改めて仕切り直しといった具合で、定められた内容としては随分と厳しいものとなります。
それも、"一掃"が行われる前の奨学金の制度が、学びたいという気持ちについての想いについては随分と考慮をしてくれていたのですが、そこに最後まで履修をし修学するという確固足る覚悟があったのか?といえば、そこまではなかったという、状況でもありました。
一概にいってしまえば、学府に進学するということの障害は奨学金のお陰で下がったものの、その内容についてこれなかったり、貴族ということで、年齢としては殆ど成人と同様の扱いでもあり、社交界の方での活動も本格的に忙しくなる時期でもあったので、学問を修めるにしても並行して行うのが現実的には難しいというのが現実となります。
どうやら学府で奨学金という手段を使うことで気軽に進学を選べるようになったと思いきや、その学ぶ内容が修了したと証明するために、研究をしたり論文を書いたりと、これまでの学問でも行ってきた筈の手順でもあるのですが、1つ踏み込んだような報告や評価の選定が思いの外厳格で、「そこまでして学府の修了が社交界における営利に思えない」と、所謂中退をするという状態でした。
こうなってしまうと、奨学金としての解除の手続きや、その期間での計算等でも一悶着起こることになり、「そんな制度を施行するのが無駄」という話が議題に上り、また、学府に進学するあたり、進学費用ほどではないにしても入学金という、結構な金額を収めたことで、その返金を求めることで揉めたりもします。
ただ、学府という国の運営する"学問や文学で世間に通用する資格や証明をする為の機関"という予算としての成り立ちの仕組みが、この入学金在りきが骨組みとなっていて、学府に入学をしてしまったのなら、返金が出来ないし、してしまったのなら運営が立ち行かない仕組みでもありました。
そもそもが"学ぶ為の機関"であって、商業とは違って具体的な営利的な生産して商売に繋がるわけではない場所で、あくまでも教養以上を習得する場所でもあります。
そういった旨を、奨学金という改革を行う前に説明をしてもいたのですが、「学費を気にせずに進学できる」という所ばかりが先立って、現実に社交界と学府の学業の両立が出来ないとなると、貴族が優先するのは社交界の方となってしまうのは、ある意味ではしょうがないとも言えました。
稀に、研究をすることで発見した何かしらが、経済面で爆発的な影響を及ぼすことがあったりはするのですが、それは地道の努力の結果や、本当幸運な偶然で誕生した、利用価値のある道具や、市場でも利用できる手段となります。
結局、何にしても揉めることについては学費という表現とはなっていますが、「金」という事でした。
貴族や社交界で、何事も尊ばれるのは"矜持"とはされていますが、それを維持する為の持続力として一番必要なのは、経済的余裕だと本格的に考えるのにも良い機会にもなります。
金が全てではないけれども、金は大切なものであって、扱いとしては決して侮ってはいけないし、けれども、そればかりに執着しすぎてもダメだという風に、どちらか頭で考える綺麗ごとに捉えていました。
しかしながら、自分が国王の側室となり王族として少なからず為政に携わることになった時、何にしても予算あってこそ、というこういった話を聞いて実に生々しく感じとれたのは、良い経験になったと思います。
そして自分の授かり誕生した子息も、当初は国王陛下の子息の一人ではありますが、当時に即位していた、我が子の腹違いの兄ともなる王太子殿下に比べられればかけられる予算に関しても、成長の度合いにもよるのでしょうか、それこそ雲泥の差があるもの過去に考えたこととなりました。
為政者となった学友の努力と、国の法整備のお陰もあって、王太子殿下の母堂になるつもりのなかった側室が進学した時期程、学府の進学に関しては同期となった中流下流の出自の貴族達に比べたら、金銭面に関しては厳しいことにはならない様子でしたが、今度は修学の資格を得るまでは厳しい道のりという具合になります。
結局、最終的に「進学を志すのは容易になったけれども、修了するまでが難しい」という形で、セリサンセウムという国の学府という施設は落ち着きました。
入学金の件に関しても「大金が戻ってこなくなるというの覚悟を持って学んで欲しい」という意味合いで、進学費用としての奨学金の適用としての《《覚悟の基準》》という立場で定まります。
それはある意味では進学をしたいという希望をする気持ちについては、否定こそをしませんが、国の最高峰の学問を修める為には、相当の覚悟と努力を兼ね合わせた行動力がいるということを、如実にしてもいました。
また、とても狭き門としてではありますが、試験の成績の良い事である程度の学費の免除の仕組みを今度は、貴族も平民も関係なく設けることで、金銭的な意欲を当事者を含めて、学費支援者も出せるようにと設置します。
これは、貴族に向けての奨学金を制度を作った際、「どうせなら貴族も優秀な学生に対しても、平民と同じように免除してくれ」という声が表立ってではありませんが大いに上がった為でした。
貴族としての矜持で金銭的な"免除"というのは受け入れがたいものがありましたが、それが「学業の成績が優秀であることの国からの褒賞」という言い換えになったのなら、それは喜んで受け入れるという具合なり、物は言いようという表現を貴族の一員として、実体験できた出来事となります。
加えて、人数で免除の制限をするという事ではなく、あくまでも試験の評価での裁定となり、この仕組みであることで少なくとも学友同士の足の引っ張り合いという事は防げていました。
ただ、免除するというだけあって、その裁定はそれなりに厳しいものとなり、かなりの努力と覚悟に、根性を必要とするものになります。
少しばかり賑やかな変革が行われた学府の支援金の話が落ち着いた頃には、王太子殿下の母堂になるつもりがなかった側室からすれば、自分は希望もありましたが、社交界で世間の話題に追われつつ、派閥の動向を探りあうよりも、納得して得手として進んだ学問を修める学府の進学については色々と感慨深く思うことが出来ました。
個人としては確かに課題については大変な時期もありましたが、やはり自分の意志と、やり遂げたいという気持ちが無ければ、向き合うことも難しい物なのだし、正直にいって頭を使うものだと思います。
そして、経済的な意味では金を支払って学んでいるという事に他ならず、それは収入にも繋がりません。
ただその学んで培った内容については、国王の側室として嫁がせたい一族の"教養を《《つけすぎた》》淑女"という触れ込みと目論み通りとなって、癪ではあるのですが、選定される理由の一部とはなっていました。
加えて直接的に動き金銭的な収入を得ているという実感こそないものの、実際には王族に嫁ぎ為政者の一人として、国の方針を定める政について関わり話し合いを進める際には、婦人の立場として相手が殿方だとしても実に堂々と話を進めることが出来ます。
これも学府で経験した討論で、"あくまでも話し合うのは議題に関してのことである"という基礎として培った技術とも思っていました。
議会で反対の意見を出してくる派閥が、論旨を唱えている個人の背景や事情に、はっきりいってしまえば醜聞に性差を不必要に持ち込み、内容と結果をすりかえようとする隙を与えずに、そして怯まず媚びないという姿勢は、社交界で言葉の裏を読んで会話をこなすといった形を主流とする面々には、不興を買います。
けれどもそういったことはお構い無しといった、その堂々と話を進めると《《とうとう》》といった具合で、貴族の淑女や婦人にしては愛想が無さすぎると、所謂言い負かした相手から、あくまでも冗談を絡めて様な物言いをされたこともありました。
しかしながら、「これでも一応《《陛下の側室ですので》》、他の殿方に愛想を振る舞うのは、不敬になりますので」と、作り物の微笑を伴って返せば、セリサンセウムという国の、絶対君主制(君主が統治の全権能を持ち、自由に権力を行使する政体)の形態上、表だって文句をつけられる存在はいません。
それから更に話し合いが重ねられて、施行された自身が王族の婦人の為政者として携わった政策が、国の、主に同性の民から評価と感謝をされるという、評判を耳に入れた時には、漸く自分の役割をこなせたという実感に繋がります。
そして個人的には、王族の婦人としての為政者としてはこなせることが出来ていたのなら、それで十分だと思っていた活躍と状態と並行して、"一掃"という出来事は進んでもいました。
"一掃"という国としての不祥事が起こってしまったとされる時期は、丁度"後の王太子殿下"を授かっ他と判明をした時期でもあって、それこそ、これまでなかった懐妊という違和感に身体がこれまではなかった出来事に反応するように、世相の方も、これまでとは少しばかり調子が違いますが、直ぐに大きな変化はなかった様に記憶をしています。
世間には、新たに授かったとされている国王陛下の庶子はもう王位継承権を狙える《《数字でもない》》としながらも、授かったのが側室でも政に関しては、評判にもなった王族の為政者であることも連なって布告されたのなら、民からは「これは期待できる御子様になりそうだ」という、話を侍女から耳に入れ、それは少しばかり面映ゆい想いをした思い出がありました。
ただ、それはあくまでも国王陛下から授かった命が、胎内の中にいる期間の話でもあります。
強く胎動を感じる時期になると、"自分の子供"とは思っているのと同時に、国王の陛下の子供を預かっているだけという義務と責任といった感覚もありましたが、まだ情の方が上回っていました。
しかしながら、誕生をしてその瞳と髪が、王族の血脈を確りと継いだのを象徴した黒いものであるのを目の当たりにすれば、大切で愛しい我が子ではありますが、国王陛下の庶子の一人であるのと同時に、その個性は別個だと、"母親"である自分に強く言い聞かせる様に考えます。
ただ、そんな中でも個人としては出来ることなら、貴族の派閥などは関係なく王族の一人の青年として、もし親とし保護者として、信用信頼をされて、学問に興味があり、母親と同じ様に進学をしたいとしたときには、相当な努力と根気と行動力は必要だと語るという、青図を恥ずかしながらも描いてもいました。
自分は婦人ということで、限られた学問しか優先して選択をすることは出来ませんでしたが、男児の殿下をとなったのなら、その幅は大きく広がります。
ただ、大きく広がりもしますが、その進学費用に関しても高額なものも出てくれば、数多くいる国王の庶子の一人と、王位を継ぐ(と、当時はされていました)王太子殿下や、その直近の兄達に比べたのなら、王族としての予算は限られたものとなりました。
また《《御古》》というわけではないのですが、先に選択された学府の進学先に、弟妹となる国王の庶子が進学するのも、余り歓迎がされていない状況であると、これは自分の子供が誕生をし、これからの教育方針を定めようと考えた際に、侍女が「閨房の暗黙の了解事項」として、先回りをして仕入れてくれた話となります。
どういうことだ?と、尋ねてもそれこそ「暗黙の了解」という調子で広まっている内容なので、具体的な情報を求めたくても《《侍女には出来ない》》という環境でした。
それなら、情報を確実に持っていそうな人物に尋ねれば良いという発想で、『王都の学府に進学費用の改革を行った為政者となった学友』を、国王の庶子の誕生祝いに寄越させます。
呼び出された方としては、学府の学生時代は上流貴族の淑女が、本当に国王陛下の側室に入るかどうかもわかりませんでしたが、進学した理由が嫁ぐための営業だった為、軽口程度に「無事に側室になれたのなら、王族として無償考えに賛同してくれ」と口にしていたので、正直「出産祝いに会いに来てくれ」と連絡を受け、王宮へ所謂「御呼びだし」をされた時には、その心意を計りかねることになります。
一方、呼び出した当時は数多くいる側室となった、もと上流貴族の淑女の方も、学府時代の同期で学友だとは思ってはいますが、学業の延長で互いに協力を必要な際には惜しみなくしてはいましたが、付き合いとしては世間一般でいうような「友人」のつきあい方してはいないと、自覚をしていました。
これはしなかったというよりも、互いにするつもりもなかったが、出来なかったというのがややこしくも正確な所になります。
上流貴族の淑女は一応は「国王陛下の側室になる」=「王族になる」というのを目標としていて、付き合いとしては、側室になるというのは確定事項ではなかった為、嫁いでしまった後のことを当事者達というよりも、出自の貴族の家の方が双方五月蝿く監視をしているのを承知しているような状態の為だったこともありました。
ただ、互いに当時は進学するのには困難であった学府に進路を決定をし、周囲の圧力も気にしない程の胆力の持ち主であるということは認識をしていたのと、将来的に為政者として「教育」という分野の関わりを持つという選択になっていたので、修了すべき学科や師事する学者が重なり、共に過ごす時間は多かったのも事実となります。
そうなると、学府に属していればこれまで築いていたきた交遊関係の友人よりも共に過ごす時間が増えるのは仕方ないことや、貴族として社交界の付き合いでやむを得ず休講をした場合には、一番都合の良い情報共有者で、協力者でもありました。
そういった友人ではない、情報の共有者で協力者でしかないという学友という関係性は無事に学府で互いに学問を修了した後に、こうやってどちらかが必要がなければ、連絡を取り合うこともない形で終了することで、説明するまでもなく明らかとなります。
ちなみに学府ということで、「学ぶ場所」ではあったのですが、どちらかといえば「最先端の学問を学びつつ、研究及び実験を行う際の無償の助手」というのが、こちらも《《暗黙の了解》》で学生の位置付けの様な扱いでもありました。
有能であれば学者として、国から学府から勧誘があり将来の展望と収入にも繋がりますが、概ねが箔をつけたいといった形で学府へ進学をしていた貴族(殿方)が殆どの為に、その無報酬の助手という役割に不満を一定数抱きます。
しかも、出自によっては金銭面で苦労しなかった貴族の子息や令嬢ということで、社交界の関係なしに上から指示を出されて動くということに関して、不馴れで、そこが不満となって発露するのが殆どでした。
ただ、学府を修了した後に、自分が関わった研究が世間で認められて評価を受けるようなことになった際には、社交界で実に誇らしげに語り、立場の上の人物から目をかけてもらうきっかけには繋がっているので、そういった意味では恩恵を受けることになります。
また、"学府の進学の費用で改革を起こした為政者となった学友"は、この無償の助手についても少しばかり考えるところもあったようで、学費を捻出するのに苦慮している学生については、研究を進めている学者と資金提供をしている出資者に話を持ちかけて、多少ではありますが融通を計りました。
ここで報酬として金銭が発生をしたら、ややこしいことになるので、あくまでも学費の支援として、携わった研究の学部での費用を減らすという方向で調整を行い、それは全面的に賛同をされて受け入れられます。
側室となれた元上流貴族の淑女も、王都の学府に進学の改革を行った学友も、為政者としてそれなりの活躍と評価を出していましたが、それを理由に学府時代を懐かしむ……ということは微塵もありません。
だからこそ、一般的な友人付き合いをしてはいない間柄であったのは忘れてはいなかったので、呼び出しの報せに、「学府の進学先に、弟妹となる国王の庶子が進学する際に、学科や師事する学者が被ることが余り歓迎がされていない状況について何か情報を知っているか?」と一筆を添えるのを忘れてはいませんでした。
一応形式的に、出産祝いを携えてやって来た『王都の学府に進学の改革を行った学友』は、実に明朗な「王族の間で余計な火種を起こさない為」という説明をしてくれます。
そして、更にその発言の詳細を語ろうと側に控えている、侍女や王宮の使用人に視線を向けてから、彼女達は、信用が出来るか?と王都の学府に進学の改革を行った学友が尋ねてきたので、それに関しては後に、王太子殿下の母親となってしまう側室は、指を組んで、少しばかり悩ましげな表情と共に眉間に皺を刻んでいました。
正直にいって、信用や信頼の度合いは王宮などでは派閥の流れによって変わるものだし、ここで人払いをしたのなら、新参の側室がわざわざ学府時代の学友とはいっても殿方を呼んで、尚且つ王宮の使用人を部屋から追い出すという事実が、余計な噂は十分に作れると明け透けに言ってのけます。
王都の学府に進学の改革を行った学友はその返答に、それは尤もだ、と何とも言えない表情を浮かべて肩を竦めて見せれば、「王族の間で余計な火種を起こさない為」という内容の詳細を、諦めたといった調子で語り始めました。
その内容は、王位継承権に関しての牽制しあった上での延長といった調子のもので、もしも学部や分野が国王の庶子同士で被ってしまった場合、成績で優秀な方が比較されることについてはどうしてもされてしまい、それが王族間で揉め事に繋がるということになります。
それは、当時は数多くいる内の一人に過ぎなかった、後の王太子殿下の母堂にはなるつもりのない側室も少なからず考え付いていたことですが、「まさか本当にその程度の話で」と思っていたことが、余りにもそのままで当てはまってしまって、何とも言えない表情を浮かべるという反応となってしまっていました。
余りにもあきれ返ってしまったのが、物凄く表情に反映をされてしまったのは、人払いをされなかった、それなりに信用に信頼も出来る侍女がわざとらしい咳払いをすることで、なんとか気がつくことが出来て、居住いを正すように、王族の側室という立場にいる貴婦人に相応の澄ました顔に戻します。
ただ、王都の学府に進学の改革を行った学友で為政者からしたのなら、その呆れ返ったという感情は、充分に理解をしてくれるようで、ある意味では少しばかり同情をするような雰囲気を滲ませてもいました。
その同情というところでは、自分達が学府の学生時代には先ず資金面からして狭き門でありましたが、学びたいと気持ちも覚悟と根気も持ったばかりの人選だったのですが、改革を行ったことで、卒業は難しいかもしれませんが、進学すること事態については幾分か障害が下がります。
それは進学しやすくなったと言い換えることも出来るわけで、それまでしていた苦労をしなくても良いという具合でもありました。
けれどもそのしなくても良いという隙間に余計な考えを抱く、《《余分な余裕》》が出来てしまったというのは、否定が出来ない状況となります。
そしてその隙間に入り込むことになったのは、貴族ならではの事情といった類いのものでした。
正直にいって、信用や信頼の度合いは王宮などでは派閥の流れによって変わるものだし、ここで人払いをしたのなら、新参の側室がわざわざ学府時代の学友とはいっても殿方を呼んで、尚且つ王宮の使用人を部屋から追い出すという事実が、余計な噂は十分に作れると明け透けに言ってのけます。
王都の学府に進学の改革を行った学友はその返答に、それは尤もだ、と何とも言えない表情を浮かべて肩を竦めて見せれば、「王族の間で余計な火種を起こさない為」という内容の詳細を、諦めたといった調子で語り始めました。
その内容は、王位継承権に関しての牽制しあった上での延長といった調子のもので、もしも学部や分野が国王の庶子同士で被ってしまった場合、成績で優秀な方が比較されることについてはどうしてもされてしまい、それが王族間で揉め事に繋がるということになります。
それは、当時は数多くいる内の一人に過ぎなかった、後の王太子殿下の母堂にはなるつもりのない側室も少なからず考え付いていたことですが、「まさか本当にその程度の話で」と思っていたことが、余りにもそのままで当てはまってしまって、何とも言えない表情を浮かべるという反応となってしまっていました。
余りにもあきれ返ってしまったのが、物凄く表情に反映をされてしまったのは、人払いをされなかった、それなりに信用に信頼も出来る侍女がわざとらしい咳払いをすることで、なんとか気がつくことが出来て、居住いを正すように、王族の側室という立場にいる貴婦人に相応の澄ました顔に戻します。
ただ、王都の学府に進学の改革を行った学友で為政者からしたのなら、その呆れ返ったという感情は、充分に理解をしてくれるようで、ある意味では少しばかり同情をするような雰囲気を滲ませてもいました。
その同情というところでは、自分達が学府の学生時代には先ず資金面からして狭き門でありましたが、学びたいと気持ちも覚悟と根気も持ったばかりの人選だったのですが、改革を行ったことで、卒業は難しいかもしれませんが、進学すること事態については幾分か障害が下がります。
それは進学しやすくなったと言い換えることも出来るわけで、それまでしていた苦労をしなくても良いという具合でもありました。
けれどもそのしなくても良いという隙間に余計な考えを抱く、《《余分な余裕》》が出来てしまったというのは、否定が出来ない状況となります。
そしてその隙間に入り込むことになったのは、貴族ならではの事情といった類いのものでした。
進学という選択が、特に貴族という階級にとって、とりあえず費用としては家が準備することなく当事者が成人して貴族としての報奨からの天引きとなる、手続きの手間は必要とはしましたが、これまでよりも、余程気軽に選べるようになった事実で、決して悪いことではありません。
それに先ず貴族として進学するに当たって、これまで通りの箔付けという目的は達成出来てはいました。
ただその箔付けに関しても、一目置くというぐらいの価値が、国の最高峰の学業が学ぶこと出来るという第一前提ではありましたが、王都の学府に進学の改革を行った学友の、世間一般で認められている活躍でもあったのですが、「以前よりは《《簡単なものに》》なった」という認識にされてしまいます。
別の側面からすれば、困難の第一条件であったような学府のその資金を支度できる程の私財があるという、貴族の財力の象徴でもあったのですが、障害が下がったのと同時に、その価値観が寝下がってしまってもいました。
しかしながら、学府は学府であって国の最高峰の有識者が募り、国を越えて世界の最先端の分か及び技能の情報が集められ、研究されているという場所というのは、覆ることのない事実でもあります。
そして、王族として誕生した子ども達の殆どが、余程費用のかかることのない分野になら、学府に進学をしていて、その際に学友となった貴族の子息・子女とは修了後、社交界も含めて為政者として役割を果たす際の交流については、一般的なものよりは腹を割って親密なものととなっているという話は、以前からされてはいるものでした。
それは学府での日常と生活を送っていれば、学習に研究に発表と、何事も一人でこなすことも出来るのでしょうが、協力をすれば成果がよくなるというのも必然で、そこで人とのつきあい方や、学問の着眼についての違いなど、そこも学びに繋がります。
学府での学生生活を基準とした、切磋琢磨を経ての、至って健全な交流の筈だったのですが、修了は難しくとも進学は楽になったことで、数多くの貴族の子息や令嬢が、これまで限られて枠を越えて入ってきたのなら、派閥の関係で贔屓にしている付き合い等の、新たな流れが出来るのも、ある意味では必然でした。
また、それまで学府に進学しようとも考えもしなかった若い貴族自身も、最初は戸惑いが多かったことと思われます。
加えて出自の親族や縁戚が、ただ社交界の遊軍としているよりはという配慮で、強引に先ずは進学させたというのも実情としてあったようでした。
学府の生活よりも社交界の方が居場所として、物心ついた時期から拵えられ、慣れている貴族の若人達からしたのなら、馴染みの流れに進もうと考えてしまうのは、見方を変えれば仕方のない側面でもあるように思えました。
そしてその側面に関しては、縁戚で血縁に王族と繋がりのある貴族は、それなら今後の社交界での為に協力をしようという具合に、力を持つ王族の庶子達に取り入ろうとなるのは当然といってもしょうがない箇所になります。
これまでは、あくまでも学問での研究の成果を出すに当たっての利害関係で協力をしているに過ぎなかった関係性は違う、大きな流れをここに来て作ることになってしまってもいました。
勿論、王都の学府に進学の改革を行った学友の当初の目論見通りに、「これまで進学したくても出来なかった私財不足の貴族の若人」が、志を通して学問に励み、セリサンセウムという国の文化の発展に繋げたと呼べる功績に成果も出せていましたが、どうにも"社交界の延長で派閥争いとしての別舞台を作った"という評判は、既に容易に拭えない状態にもなっていると、実に残念そうに告げます。
これが現状少しばかり膠着状態とも言える政の態勢に一石を投じるつもりで、為政者としての狙いだったのなら格好良かったのでしょうが、本当に思惑から外れたところで、ややこしくなっているし、自分の学府時代を知っている側室殿からしたのなら、「余計な火種を作った張本人」にしか自分は見えないだろうと、実に大仰に肩を竦めて見せました。
側室としては、この話を耳に入れた当時はまさか自分の子どもが王太子殿下にされるとは想像もしてはいなかったので、国王の庶子として過ごすことになるだろう息子の選択を、狭めた学友に遠慮なく批難の視線を向けます。
向けられた王都の学府に進学の改革を行った学友の方は何も弁明は出来ませんが、少しばかり思案に更け、視線を避けるように、目を左に向けた後に正面を向いて元学友の視線を受け止めて、少しばかり脱力した様な笑みを浮かべました。
それから、国王の数多くいる庶子の一人である学友の子息でもある赤ん坊を見つめれば、「そちらの殿下が大きくなる頃には、少なくとも王族同士で派閥争いのようなことは、学府内では治まっていると思う」という言葉を口にします。
思うという、推測の発言について、もう少し根掘り葉掘りとも考えましたが、それには王都の学府に進学の改革を行った学友が、本当に一瞬ですが、人払いが出来ずに残った侍女達に視線を向けたので、話を打ち切ることに側室はしました。
元々、「人払いが出来ないか?」という提案を断っていたので、踏み込んだ話が出来ないのは、状況を提供出来ない側室側の準備不足となります。
もし、「そちらの殿下が大きくなる頃には、少なくとも王族同士で派閥争いのようなことは、学府内では治まっていると思う」という内容について詳細を知りたかったのなら、払いが完全に出来た状態でなければ、出来ないという事を承知して、了承したという反応で返事をしたことになりました。
何にしても"誕生祝"の言葉と品を運んできてくれていた、王都の学府に進学の改革を行った側室の学友でもある為政者に礼を述べて、これ以上は互いに予定もあるだろうと退室を促します。
その促しに、恭しく王都の学府に進学の改革を行った学友であり、為政者は頭を下げて、当時はまだ数多くいる国王の側室と、庶子の誕生祝という立場で状況だったからこそ出来た、面談を、傍目から見た結果としては中途半端なままで終えます。
これは数多くいる国王陛下の側室の侍女や使用人として仕えてはいますが、あくまでも王族に仕えている立場として控えている、侍女や使用人から見ても、日頃世話をしている側室が、当初のこの王都の学府に進学の改革を行った学友をわざわざ呼び寄せて行った、情報収集の目的の達成には繋がってはいない様に思えました。
しかしながら、この王都の学府に進学の改革を行った学友の、国王陛下の庶子の誕生祝の訪問の時点で答えを出すことが出来なくても、招待をした、数多くいる側室の一人である貴婦人は、自分が授かった子どもの将来の選択の道を狭める憂いは、現状ではあるものの、未来にまでは繋がらないのだろうという手応えは得ることは出来ることになります。
概ねの結論としては直感的に察することは出来ましたが、その詳細な過程についてはさっぱりというところでもありました。
そこを個人として掘り下げて探るべきか、それとも王都の学府に進学の改革を行った学友でもある為政者が告げてもくれていた通り、「息子が大きくなる頃には、少なくとも王族同士で派閥争いのようなことは、学府内では治まっていると思う」というのなら、わざわざ余計なことをせずに、「果報は寝て待て」という選択をしておけば良いのではないかとも思います。
でも、何も考えないでいることが、やはり剣呑にも思えていた頃、どちらかといえば世俗に疎かった側室も、後に"一掃"と呼ばれる出来事の、所謂《《嵐の前の静けさ》》といったものを感じ取れていました。
しかも、《《嵐の前の静けさ》》でも、直前の静けさという具合で、そんな中でも政に関しては、既に身動きが取れるような時期は、とうに過ぎてもいるというのを、どこか無自覚でありながらも、感じ取れていたと、過去を振り返る状況になった際に強く思う箇所でもあります。
加えて元々どこの派閥に属すという考えを持ち合わせてはいなかったのと、数多くいる側室から、国王陛下との間に授かったの庶子でしかなかった子息が、本当に極幼い時期なのを利用して、権力派閥争いから益々距離を取ろうと、既に選択をしていた時期でもありました。
そんな中で、程なくして執行された"一掃"に関して言えば、決して革命や反乱にクーデターといった、一般に暴力的な手段の行使によって引き起こされる変革では《《なかった》》ものの、禁忌であり不祥事でもあり、そのケジメと後始末の為に、確実に血は流れて、それまで王太子殿下という立場や、王位の継承権が十分に狙えていた殿下達は、その継承権を先ずは剥奪をされることになります。
そして剥奪された王位継承の権利は、"一掃"後は継承までの代理の国王陛下となってしまいましたが、その血脈を確実に引き継いだ、自身の子どもに委ねなければいけないのも、セリサンセウムという国の現実であり、そしてその人選と選定は、国の民を納得させるものにしなければいけませんでした。
ただ、その"新しい王太子殿下として納得をさせなければいけない"という存在の中に、親という概念は含まれてはいないというのは、当事者の一人となって、特に母親という立場になった存在は初めて身に染みて理解する所になります。
勿論、新しい王太子殿下の選定の話し合いに、親として参加し、王族として、為政者の一人として、反対の意見を述べることは十分に可能ですが、そこに多数決を持ちだされ、新しい王太子殿下として賛成という意見が多数になれば、反対の意見は却下でした。
それに何より民意に応える政を目指してはいますが、セリサンセウムという国は絶対君主制という国王が統治の全権能を持ち、自由に権力を行使する政体でもあり、新しく選んだ王太子殿下の中継ぎという様な役割になってしまった国王だとしても、その発言に対する威力は絶大となります。
加えて、"一掃"というケジメで後始末という形で行わなければいけなくなってしまった背景の一因には、王位継承権に関して王太子を筆頭に継承権に関して権利の近い庶子切磋琢磨することを大いに認めつつも、そこに"父親"としての国王の希望が無くなりすぎていたからでは?という意見も出されていました。
平穏と安寧の生活の中でも、先ず何にしても跡取りとなる男児が絶えてはならず、それ故に側室という、正妻以外の伴侶を迎え入れる仕組みが、これも暗黙の了解という形で認められています。
セリサンセウムという国の国教に限らず、世界的に布教され知れ渡っている"大地の女神信仰"の中でも、一夫一妻が推奨されていますが、継承者が絶対に必要とされているセリサンセウムという国の王族だからこそ、国の民も寛容に受け入れてくれている仕組みでもありました。
ただ、認められている仕組みで、王位継承者を途絶えずに輩出する機能と役割を果たしているとしても、その活動を担っているのは感情を持っている人であり、そして後継者としての子どもを授かり、誕生をさせるのは、婦人となります。
子どもを授かり誕生させるというのは、言葉にすれば短いものですが、その胎内で育てる期間には、身体は大きく変調を伴い、また出生時は所謂命懸けの状態としか例えるしかありません。
それは、貴族も平民も家族を増やすという事では同じことではある筈なのですが、王族になると、国の存続に直接とまではいきませんが、何かしらの節目には、誕生し育てた子どもが為政者の一人として成長をして、機能をしてもらわないと困るという、何とも合理的な面が出てきていてもいました。
王族として誕生をするという事で、衣食住に関しては不自由はしなくとも、選択することになる未来に関しては、余程のやむにやまれぬ事情でもない限りで、何かしら政に関わるのはほぼ絶対で、そこに才覚があろうがなかろうが、少なくとも成人をするまでには、為政者として最低限の役割が出来るように、育てあげられます。
これは誕生した時からの刷り込みとも言えますが、実際、多種多様な役割や生業が多くある中で、国という多くの民が平穏と安寧の生活を送る為には、政に携わるという役目を専門的に担う存在が、絶対的に必要ではありました。
そういった為政者は、セリサンセウムという国の日常と環境から、貴族と平民から自然と輩出をされるのなら、何も問題はないのでしょうが、実際問題としては、ただ《《なりたいだけ》》では、やってはいくのは随分と難しい役割となります。
勿論、やる気があることは良いのですが、意欲があれば、為政者として何をしても良いというものではなく、また、国の民が納得を出来る政が出来るわけではないというものでもありました。
その根底にあるのは、これまで国として紡いできた暦を学び、そこから世界の大国として、更にどうすれば良いのか改めて為政者として、他の意見や考えを受け入れ、構成する能力を求めているところになります。
国がこれからも繁栄をしていく為に考え行動するという役割を、王族として誕生したことで物心がつく頃から、意識をするように刷り込ませ、志を芽生えさせ、為政者としての自覚と意識を定着させる、これを時勢や世相に沿わせて手を替え品を替えといった調子で、繰り返してきた、セリサンセウムという国の暦でもありました。
こういった王族としての役割を暦の流れとして俯瞰し、長い目で見てみれば、全く同じではないにしても、実に似通った内容を、何してもセリサンセウムという国の為に、理念と志として、王族として誕生した子ども達が、成長し、為政者として国の為の政を繰り返しているということは、十分に分かることだと思えます。
ただ、同じような繰り返しではあるのですが、それでもセリサンセウムという国の貴族として誕生した立場、特に婦人や淑女からしたのなら、王族に嫁ぎ子どもを授かり、国の為政者として育てるということについては、それが社交界が中心の世界で育った背景からするのなら、決して間違った選択でもないし、いっそ正解に近い選択として捉えてもいました。
それは言い換えれば、例え長い暦の中で似たようなことの繰り返しに見えるようなものだったとしても、そういった《《繰り返しはどうでも良い》》と思える程には、王族に嫁ぎ、子どもをを授かり、貴婦人としての階級を磐石にすることが魅力的に捉えることの何が悪いのだという、強い意志の顕れでもあります。
そして、その魅力的に捉えている箇所の最高峰については、出来ることなら正式な伴侶としての妃殿下の立場が望ましいものではありますが、国王との間に授かった子どもが、王位継承権を得て即位をするという、状況につきました。
物凄く乱暴な言い方をしてしまえば「本人としては好きなことをして、貴婦人として社交界での地位獲得と、親の立場として満足しているのに、下手な文句をつけてくれるな」という言葉を、"似たような同じことの繰り返しだ"と忠告をしているつもりの、世間を斜に構えたような意見をする捻くれ者に、王族に嫁ぐこのと出来た貴婦人たちは、応酬してくる可能性も十分にあり得ます。
そして、王族として嫁いで自分の子どもが国王即位は無理にしても、社交界で高い立場につけるということについては、貴族の婦人から母親という立場からしたのなら、これは結構な名誉とも言えました。
更に貴婦人達からしてみれば、子どもを授かり誕生し、育てるということ自体が国を超えて、世界で繰り返していることで、けれども、どれも全てが同じではないと、承知しています。
ただ、同じでないけれども、似通ったことで苦労もしているし、悩んでもいる、けれども、それもやはり《《自分の人生の選択のどこが悪いのだ》》という答えに繋がりました。
そして、セリサンセウムという国の国を営まなければいけない立場の役割を担っている一族で、その代表となる国王は、この選択を心から感謝をしてもいます。
それこそ俯瞰をしてみれば、貴族のしかも有能と社交界で評判の息女が自身の選択で、王族に加わりたい、しかも授かった子どもを王族としての役割を代替わりの形で、共に担おうとしてくれることを、感謝という事でしか表現できない心境でもありました。
王族の当事者としては、一族として担っている重責を、嫁ぐという形で家族として加わり、共にして果たしてくれるというのは、言わば苦労を買って出てくれているという感想すら抱きます。
そういった背景を背負っているセリサンセウムという国の王や王族は、伴侶となってくれた王妃を筆頭に側室となってくれた婦人達が、例え出自の貴族の家が、為政の執務の傍らに社交界で派閥を伸ばそうという、目論見を子育ての中に盛り込もうとも、王族として役割を熟してくれている分には、文句などはありませんでした。
寧ろ、貴族から王族として加わってしまったことで、無様な政を行った存在として暦に刻まれてしまうことが無いようにと、自身を律した上で、且つ自身の出自の貴族の家の恥にならず、矜持に繋がる様にと、その生涯を費やす様に行動する、伴侶達に、国王は自身の意見などは、出せません。
少なくとも、伴侶や、その間に授かった子どもたちが、王族としての自負と覚悟を忘れてはいない限りは《《そう思っていました》》。
そして、自負も覚悟も《《忘れてしまったというわけではない》》のですが、"一掃"という不祥事として世間に民にも、そして"セリサンセウムという国を営み栄えさせていく"という同志までにも、認定されてしまった際には、国王という立場では、責任を取るに取れない状態となります。
端的に言ってしまうのなら、不祥事と評される王族と貴族の利権を私利私欲と判断されてしまう出来事に、《《国王は全く関わっていないこと》》が厳格な調査をした上で、認められた為でもありました。
その私利私欲に関しても、政として、政策を施行するにあたって、担当していた王族と貴族の為政者が進めやすいようにと、内輪で都合の良い様に配慮をしたのが、全て裏目に出てしまったというのが、正確な状況でもあります。
加えて、誇り高く潔くあるようにといった、どちらかといえば母親側の出自である貴族としての振るまいが、ある意味では悪目立ちをしてしまって、責任の荷重の大部分が移ってしまったとも言えます。
"一掃"の対象になってしまった王族に縁付く貴族は、不祥事が露見した際に、その有能さ故に、それまでは集中にし政務として取り組んでいたことで気がつけていなかったことに関して、即座に理解をしてもいました。
その理解力は「これはもう、確りとした形の責任をとらなければならない」というのを即座に察する程になります。
正直にいって、どちらかと言えば直系の血筋となる王族の人々程、政に私利私欲が不注意で混入してしまったこそ無念ですが、そこを悔い改めることで、関わってしまっていた王太子殿下や、それに次ぐ王位継承権の持ち主達を裁くという形での贖いまで考えてはいませんでした。
けれども、王族として貴族として、誇り高くあることを外からの参入で加わってしまった人々程、王族が政に私利私欲を持ち込んでしまったという禁忌に関して、真摯に受け止めてしまった様だとも、裁く立場にならざえなかった王族は感じるところになります。
ただ、今回は不祥事でも禁忌の取り扱いとなってしまうもので、責任の取り方が"旅立ち"を伴う形のものが極少数だったことに加えて、貴族の方では"旅立ち"を伴う責任の取り方が、一種の最高峰の誉れの様な扱いにしてしまったことで、"一掃"の処理が粛々と進んでしまったことも、王族としては無念に思える結末に繋がってしまってもいました。
平穏と安寧が長く続いたことで、不祥事でもあるはずなのですが、責任の取り方の行き違いが悲劇的といった捉え方をしてしまい、ある意味ではまるで劇場の様な出来事として、暦に残ってしまった出来事になってもしまいます。
これは俯瞰して、国の政を眺めていた立場の国王からしてみたのなら、潔すぎて、こういったことなら、いっそ潔く《《なければ良かった》》のかもしれない、そんな呟きを"一掃"が行われた直後、今後は王という役割を、新たに決定する王太子殿下に繋ぐだけとして残る形で責任を取った国王は口にしたという逸話が残るほどになります。
そして、潔いことで、それまで切磋琢磨して継承権を争っていた、仮にも息子とと呼べる立場の子ども達が、母親である王妃や側室が、やはり貴族として矜持を選択した為に、生活の拠点を王都から離れることになりました。
国王からしてみれば、責任を取り方については"旅立ち"を伴うものを含めて、王都から離れるということは、何もそこまでしなくてもという心境につきました。
貴族の派閥争いの為に、王都で火花が散ると例えられるほどに、腹違いでこそありますが、王位継承権に関して兄弟間競いあうことも容認してきたのに、一度のしくじりで、矜持の為にその地位や権利を一切合切手放してしまって、離れてしまうのは、どういう事なのだとも、内心考えてしまう国王陛下となります。
政の枢機でもある人々が王都から離れてしまうことで、その編成が大きく変わり、革命でこそないもの、王都の議会は大改変と例える規模となりました。
不祥事とされてしまったところに関しては、徹底的に処置がされましたが、その他については、前任者で王都を立ち去ることになった王族や貴族議員達が、確りと引き継ぎをしてくれていた(これもある意味矜持にかかっていることもありますが)ので、そういった方面に関しては大きく滞ることにはなりません。
そして引き継いだ方も、それまで王位継承権に関しては、親族の貴族の令嬢を側室や王族に嫁がせてこそいますが、王位継承権に関しては蚊帳の外状態であったものが《《もしかしたら》》《《自分達の一族にも機会があるかもしれない》》状態になる程の期待を抱くことで、随分と張り切ります。
しかしながら、張り切る多くの貴族や王族がいる一方で、不祥事である禁忌を行いさえしなければ良いと弁えていながらも、"一掃"の際に実施された処断について、何にしても"旅立ち"というものもあったことで、そういった事に伴う恐怖を刷り込まれ、積極的に政に関わることに、二の足を踏むという状況も発生し、王位継承権に関しての野心の足並みとしては、揃わないところが出ていたのも事実でした。
加えて何にしても、"一掃"で次期国王になってもおかしくはなかった王太子殿下を筆頭に、数人はいた筈の国王の庶子の座が空席になっていることは、国を支えてくれている民に不安を齎すことに繋がります。
国の民に"一掃"が実施された際に既に、王太子殿下や立場的に王位を継いでもおかしくはない、国王の庶子が王都から離れることについては、既に公布されて承知されていました。
ただ、国の民としての生活自体は脅かされるということもないので、「国王陛下や王族の方々も大変だ」というくらいの捉え方で、《《先ずは禁忌の後始末》》と責任についてと、落としどころを公布し、情報を段階的に流していたので、時間としてはそれなりに稼げます。
そしてその稼いだ時間で、新しい王太子殿下を決定しようという流れで、編成し直された王族と貴族議員での社交界での派閥争いの渦中の中で話は進んでいきました。
ただ、話としては進んではいくのですがやはり足並みは揃わず、国の民の方も「まだ決まらないのだろうか」という、軽い不安が広がってしまった時期に、どこからともなく出てきた意見が、陛下はどのお子さまが新しい世継ぎになって欲しいと思っていますか?という発言になります。
それは不思議とこれまで、どの臣下からも発せられたことのない質問でもありました。
けれども、国王の意見がこれまで求められなかった経緯と不思議としては、これまでのことを振り返れば答えとしては、難なく出てくるような内容でとなります。
父親でもある筈の国王に意見を求める前に、国の王としての後継者としては先ず王妃との間に授かった男児が王太子殿下とされていました。
若しくは暗黙の了解事項で、王妃よりも先に側室から授かり誕生したその当時は庶子では、2人以上になった時点から王太子殿下の候補として、残ることになり、わざわざ国王の意見を聞くまでもないという具合になります。
そうして先ず候補として複数残ることで、先ずは王妃との間に授かった、若しくは側室との間に最初に授かった男児を王太子殿下に据えて、それから切磋琢磨をして競い合うことで、優秀な後継者として、例え国王に即位をすることは出来なかったとしても、優秀な王族の一員として名前を残すことに繋がっていました。
そして国王としては、父親として何かしら催事や、親として個人的に交流があれば、子ども達に声をかけ、国の王として公務に勤めているだけでも良い話となっていた、というこれまでの過程があります。
"父親"の意見等なくとも、周囲から、特に社交界で派閥を広げたい上流貴族から、自分の一族の益となる、王妃との間に授かった王位継承権の順位の高い子どもを筆頭に、もしかしたなら機会があるかもしれないとされている庶子と縁付く立場から実に強く推されていたという経緯もありました。
だから、自分が誰を新しい王太子殿下にしたいかと意見を求められた時、王都から離れてしまった子息達を除いて、真っ先に浮かんだのは、時間的にはつい先日誕生した自分の新しい庶子となります。
初対面時は、どちらかと言えば泣かれてしまうことが多くなる中で、直接会うのは初めてになる父親でも、笑顔ではないものの、上機嫌(に見える中)で"黒"という色が顕著でもある口髭や、髪がある部分に手を伸ばされて、これには随分と気を良くしていました。
ああ、この子は、国王の子どもなのだ、と、これまでに何度も、自分と血の繋がっている赤ん坊という存在については、抱き上げてきたはずなのですが、どうしてだか、この子を抱き抱えて、強く実感します。
その実感は丁度"一掃"という不祥事の出来事のケジメとしての後始末で、自分で思っている以上に心が疲弊していたものの自覚にも繋がりました。
加えて、その自分との間に男児を授かってくれた、上流貴族の出自の貴族の令嬢だった側室も、これまでどちらかといえば接することの多かった、"一掃"以前には、王として即位することが射程圏内にある王太子となっているか、若しくは近い場所にいる庶子がいる王妃や側室など、共通の話題としてでしょうが、王位継承権に関しての希望を口にしていたのが、一切ありません。
ただ、一切ないのは他の話題も同様で、間が持たないという心配をするところに適度に、誕生して間もない数多くいる内の庶子の一人という位置づけの息子が、自分の髭や紙に興味深く手を伸ばす振る舞いをやはり上機嫌に、伺えて改めて気にかける存在となっていきました。
そして、"一掃"後の新しい王太子殿下についての意見を臣下から求められた時に、真っ先に浮かんだのがその赤ん坊になり、そして臣下の方も、よもや国王陛下から、それほど間を置かずに返答されるので、随分と戸惑うことになります。
しかしながら、戸惑いながらも、国王陛下が口にした名前が、数多くいる庶子の中でも最近加わった存在のものであったので、戸惑いが波打つ記憶の中から引き上げるするのは、臣下達にとって難しいことではありませんでした。
そして引き上げるした名前に加えて、その姿を記憶から更に引き上げてみれば、臣下達が連想するように思い出すのは、赤ん坊という事ではっきりとはしませんが、顔立ちこそは誰に似ているかといえば、整った母親側でしたが、確か特徴としては、父親となる国王陛下の王族の血筋の証明である、黒い瞳と髪を確りと受け継いだ男児となります。
ただ、その特徴だけで言うのなら、王位継承権を剥奪される前の、王太子殿下であった人物を含み他の子息も、眼か髪にその証明を引き継いでいたので、国王陛下の名前を出した赤ん坊と、大差はない筈でした。
しかしながら、これまで臣下である自分達が促しておいてなんですが、国王陛下から名前が出てくるというのが、本当に珍しいことでもあったので、随分と印象に残ることになります。
そして残った名前は、これまでどちらか言えば頑なだった"新しい王太子殿下を決定する基準"という価値観に刻み付けられたように、染み込みました。
次いで、これまで"新しい王太子殿下を誰にするべきか?"という問題の答えとして、その名前と存在がその染み込んでいた価値観から浮かんできます。
勿論、直ぐに満場一致というわけにもいきませんでしたが、それでは他の候補として庶子の名前は上がりました。
しかしながら、その名前と同時に他の庶子の容姿を思い出してみれば、王族の象徴としての黒髪に、黒い瞳についてはどちらか片方だけであるという事に、今さらながらという調子ではありますが気がつきます。
正直にいって、国王が名前を口にした男児は、誕生したのが最近ということもあって、完全に埋もれた新芽の様に注目出来ていませんでした。
ただ、その母親となる側室の存在は、この新しい王太子殿下を決定する話し合いの場に参席している貴族議員の縁戚で、同じ立場の側室となっている殿下達から耳に入ってはいます。
はっきりとまでは聞いてはいませんが、その話の内容は主にその側室の人柄で、社交界に対して本当に野心がなく、けれども出自としては同じような立場となる上流貴族ではあるので、派閥を是非とも広げたい縁戚から《《ゴリ押し》》で王族に入れられたというものでした。
《《ゴリ押し》》で王族に加入はしましたが、国王陛下を臣下として決して敬っていないという訳でもなく、礼節も行儀作法も確りとこなしてはいますが、元から社交界への野心や、淑女ならではの恋愛といったものに興味が薄いという御婦人というよりも人物と、性差を抜きにして表現をした方が合っているといった評判を担う存在となります。
加えて、貴族の礼状として珍しく学問が好きということで、学府に進学して、それを営利として王族にも無事に加入したという経緯をもつ、側室達にも変わり種となりました。
ただ、その変わり種の新入りでもある、学府で学んだ人物がいたお陰で、立場としては同様な新入りか、王位継承権争いには縁がない庶子を授かった側室達とその子ども達が"一掃"という事態に巻き込まれるのを防げたといった概ねの話を、議会に参加した貴族議員のほぼ全員が記憶しています。
その話を纏めてみれば感謝であったり、どうして"一掃"のような出来事が予見出来たのだろうという畏怖であったりとしましたが、共通するのは、出来ることならあの側室と、何かしら揉めることにはなりたくはないといった、他愛なく漏らされた本音となりました。
本音を漏らされた側室については、国王陛下が庶子の名前を口に出すまで、気がつかなかった程に、社交界に王位継承権の野心がない人物なので、貴族達は改めて興味なしだったなあと、思うことになります。
その興味なしだった側室の出自の上流貴族の一族については、勿論この新しい王太子殿下を決定しなければならないという議会に参加していました。
しかしながら、こちらの方は思いがけず自分の一族から輩出した王族に嫁がせた人物が、国王の名前の一声から、物凄く驚いている状態となります。
一族の派閥を社交界で広げる為にと、嫁がせた側室とはなりましたが、当事者に《《やる気がなかった》》のは、一族の代表となる、特にこの議会に参加している頭目がもっとも承知をしていました。
嫁がせる以前の時分には、王族に嫁ぐ為には、先ずは貴族として上流であることは勿論、整った容姿に美しい立ち振舞いと品が高いだけでは、王族に加入をするの難しくなっていた、言わば側室に庶子については飽和状態手前となります。
そんな中で王族として、滑り込ませる為にはこれまで側室として王族入りをしてきた淑女達とは一味違う、周囲の貴族議員達が評した通り、《《変わり種》》として学府に通わせ、その策が功を奏して王族への加入は何とか叶ったという背景がありました。
けれども、王族として嫁げた事は、良かったのですが輩出した一族が欲しい報告は、王族に加入してから半年ほどが過ぎてもありません。
王族の為政者として任された公務関しては熱心にこなしている、流石学府を修了しただけはある、と同じく、学府を修了していた王妃様も公務について助けられているという感謝の言葉を、公の場で賜り、一族としても誉れとなりましたし、嫁がせた側室の為政者としての評判は悪くありません。
けれども、輩出した上流貴族として欲しい言葉はそれではありませんでした。
そういったやきもきをしているうちに、尤も欲していた"懐妊"という言葉に胸を撫で下ろし、しかも無事に王族の象徴となる黒い髪に瞳の殿下を授かり、何とか上流貴族としての派閥を広げられそうだとしている時期に"一掃"といった、為政者としての不祥事に、震え上がります。
王族に縁付いた貴族達の、余りの良い潔い振る舞いに王族に加入したての貴族としては、震い上がるしかない時を過ごすことになりました。
確かに貴族として重きをおかれているのは矜持というのは、物心がつくと同時に叩き込まれているので、承知をしているつもりではあります。
けれども、上流貴族でもあったのですが、機会が重ならないことがあって、中々叶わなかった王族に一族輩出の淑女を嫁がせて、王族の象徴を継承した殿下を授かった、社交界での派閥の力を強めるという野望の第一歩出せそうだとも思えていた時期に、その"潔さ"は《《あんまりだ》》と思えるような行動にしか思えません。
しかしながら、それこそ王族入りを果たした上流貴族の矜持ということもあって、そういった《《あんまりだ》》といった不満も表面に出すことが出来ず、事の成り行きを見守るように"一掃"の後始末について関係者の一族として、国で裁く立場となった為政者達の同行を、戦々恐々として見守るしか出来ませんでした。
そして、それまでは盛んに王族に嫁いでいた側室に、もっと積極的に社交界で活躍しろと口酸っぱく伝えていましたが、"一掃"をされてしまった王族や貴族の面々がそれこそ第一線で、王位継承権や派閥の勢力を広げる為に社交界で賑やかし、その延長でついには不祥事に禁忌とも呼べる出来事を起こしてしまい、嫁がせた側室が"怠け者"(と少なくとも輩出した一族の面々は思っていました)であった事に心から感謝します。
もし、仮に活動的であったのなら、王位継承権が近かった立場の殿下や王族に貴族が特に、国の為政者としての咎は重いとされて順に裁かれていっていたので、派閥を広げる為に、側室を急かした過去の自分の頭を叩き、聞き流してくれていた"怠け者"の側室に対して改めて感謝しました。
"一掃"が落ち着いた頃には、今回、関わった王族で貴族の立場として処断されるほどに関わっていないという判断がされて、安堵して息を漏らすことになります。
そして安堵したのも束の間に、今度はこの"一掃"で王位継承権を持つものが軒並み一掃をされてしまったことで、改めて決定をしなければいけないということで、国の議会からの呼び出しとなりました。
どうして呼び出される、と、当初は頭に疑問符を浮かべたものでしたが、「一族から嫁がせていた娘が国王との間に授かった子どもがいる」という情報については、確りと頭の中にあるのにも関わらず、結び付きに動かせていない程、"一掃"の騒動から免れたことが、安堵と脱力に繋がっているのが如実となります。
それに、王族に加わったものの、あくまで新参者であるということは弁えてはいたので、例え子どもを授かっていたとしても、継承権はないものだと思っていました。
だから、国王から聞き覚えがある名前が出された時には、沢山の庶子がいるということもあって同姓同名位だろうと、聞き流すほどになります。
けれども、議会の貴族委員達からの視線は自分に集中をしているし、国王の庶子の母親となる側室の名前は自分達の一族の出身の人物の名前で一致しているし、最終的に学府を修了しているというところで、漸く自身が注目を集めている当事者であると自覚します。
しかも、ここで改めて、自分の一族から輩出した側室となった立場の人物から誕生した子どもが、国王陛下自身から新たな王太子殿下にしたいといった風にも解釈出来る、と推薦とも取れる旨を発言された意味を飲み込み始めました。
その飲み込み始める直前までは、"新しい王太子殿下を決定する"という題目の議会の中では、上流貴族の貴族議員ではありますが、漸く一族から国王陛下に嫁がせて、王族に加入出来たと思ったら不祥事が起きて、これからどうなるのだろうと、幸いにも"怠け者"だったおかげで、輩出した側室と殿下は無事でしたが、これからがどうなるものかもわからず、胸中としてはどちらかといえば不安で一杯だったこともあって、その内容が、思いがけない幸福過ぎる、所謂、勿怪の幸いといっても過言ではありません。
それに意見を求められるとしても、"自分の一族から輩出した側室から誕生した庶子を王太子として選定したい"という言葉に、勿論反対するような言葉を口に出せるわけもなく、けれどもここで即座に光栄です、と答えるのも王族に加わった縁戚を持つ新参の上流貴族としては、生意気が過ぎるという判断が出来る程には、冷静さを取り戻していました。
だから、誓って反対ではないのですが、先ずは母堂の立場となる側室殿の意見を伺ってください、という旨を告げます。
そのお手本の様な返答に、周囲は「最もだ」という反応で、新しい王太子殿下決定についての話し合い自体も、もし国王からの意見がここまで出ていることが無かったら、少しばかり野心を抱いていた、先輩の先に王族入りをした貴族から、匂わせる程度に意見は出そうと思われていたものは、引っ込められました。
しかしながら、勿怪の幸いと思ってはいましたが、自分の一族の出自の"怠け者"が、「お前の子どもを王太子殿下にする」と告げられて、即座に肯定するという人物ではないのを思い出します。
学府を終了する程なので、愚かではないのですが、上流貴族である自覚と野心がからっきしで、矜持が一番という価値観を内心で呆れているという、捻くれ者であったことも、屋敷に戻ってから思い出すことになりました。
そして嫌な予感程的中するもので、王太子殿下の母堂になれる存在の返答としては「自分の子が王太子殿下に選定されたのはとても喜ばしいのですが、私は王太子殿下の母堂という立場については、固く辞退させていただきます」という、輩出した一族からすれば、頭を抱えるものでした。
そして、王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室は、一族からの喧々囂々の訴えを聞き流しつつ、子どもを産んだ親として、真剣にこの提案に向き合います。
子どもを「王太子殿下にしたい」と、謁見の場で伝えられた時から、一側室でしかない立場の自分が、国王自身から告げられたな様を断れる立場の話ではないというのは、十分に承知をしてはいました。
しかしながら、それを受け入れてしまうことで、出自の一族の権力を大きくさせてしまうことに繋がってしまう事を危惧していることを含めて、自分が王太子殿下の母堂になることを固辞するの改めて強く伝えます。
それこそ"一掃"の再来の様になってしまう事を、危惧しているとこちらは侃々諤々と正直に自分の意見を口にしていました。
王太子の母堂になりたくはないという意見については、それを了承することになる王族の枢機の人々が、当然受け入れるものだと思っていたから戸惑いながらも、考慮するという言葉を返され、そして"一掃"が起こるかもしれないという発言したことには、執行されたばかりなのに杞憂ではないかと、こちらは粛々と答えられます。
王太子殿下の母堂になるつもりはなく、王位継承権にも同様に興味もなかった側室からすれば、出自の上流貴族の一族は、自分という存在が側室になったことで、漸く念願だった王族入りを果たして大喜びではあったけれども、"一掃"という、不祥事で随分と心労を重ねたところで、今度は有難くも国王陛下自身の口から、想像だにしていなかった言葉と提案を賜り、それこそ夢見がちになっていて、そこに"王太子殿下の母堂を輩出した一族"という状態になれば、正直に言って正常な判断力を持てているのか?と出自した立場だからこそ、不安になっていると口にしました。
精々、自分が嫁いで王族に加入して国王の庶子を授かる《《まで》》であったのなら、順調に念願が叶う形になり、王太子殿下の母堂になるつもりはない王位継承権にも同様に興味もなかった側室も、相変わらず真面目には王族としての為政は熟しますが、出自の一族の派閥の勢力増加の為に動くつもりはありませんと語ります。
かといって、何も出自の一族の野望を真っ向から否定をするというつもりはないともはっきりと口にしていました。
けれども、やはり、自分の出自でも一族にはまだ扱うのには早い、御せない程になるだろう"王太子殿下の母堂を輩出した一族"という大きな権力が渡ってしまうのを、懸念しているのですと側室は口にします。
そこで議会に参加していた、王族にも縁戚を嫁がせている貴族、表現としては王太子殿下の母堂になるつもりもない王位継承権にも同様に興味もなかった側室の出自の貴族の"先輩"となる貴族から、「それならば、何時になったのなら、そういった権力を持っても構わないと考えている?」という質問をされました。
そして、その質問に対しては前以て考えを纏めて支度をしてあったという調子で表情を動かさずに、王太子殿下の母堂になるつもりのない側室は、一息の間を置いて口を開きます。
「それは何時という《《時間で推し計るものではありません》》。
言うなれば、大きな権力と名声は持っていればそれは諸刃の剣で、勿論武器にもなるし、状況によっては実にで便利なものなのでしょう。
けれどもが、扱いを気を付けなければ、個人的には国王陛下の側室となった私を含めて、一族郎党の命すら危うくなるぐらいに考えています。
出来ることなら《《自分の方から権力から距離を置きたいと思える》》様子になれたようでしたら、私を陛下の下に嫁げるまでに育ててくれた一族の恩と感謝の意味を込めて、王太子殿下の母堂という名声を賜りたいと存じます」
王太子殿下の母堂になるつもりのない側室の返答への返事は、"王太子殿下の母堂の役割を熟した存在を輩出した"という事案が、名誉どころか、まるで《《厄介者》》みたいな物言いだ、とこちらも侃侃諤諤といった調子で行われました。
ただ、この侃侃諤諤の返事に対しては、王太子殿下の母堂になるつもりはない側室は、少しばかり言葉を考え練る様に視線を伏せた後に、その視線を上げることはなく改めて口を開きます。
「厄介者というよりも、魅力を権力といったものに対してそこまで感じることが、少なくとも私は出来ないのです。
社交界に限らず、王宮での側室の方々で、私が余りにも派閥関係の活動には不真面目であったというのは、御耳に入れてくださっていると思います。
ただ、そうであったからこそ、王妃様や、王宮を出られた、残られた側室の皆様とも、巧くやっていけたのだと、自負しておりますがいかがでしょうか?」
それは、その通りであるという反応は、揃えて返されることになりました。
そもそも新しい王太子殿下を決定しなければという際の前に、王族の側室に縁戚があった貴族達は、"一掃"の時期に巻き込まれなくて済んだことに安堵をしつつ、その話題について話せば"恩人"として登場してきたのが、今議会で国王との間に授かった庶子は、王太子殿下という立場に即位することは了承しますが、自分はその母堂という立場を固辞している側室となります。
当初は"恩人"の意味が解りませんが"一掃"という出来事を無傷に切り抜けることが出来たのは、同じ国王の側室となっている仲間ではありますが、その不祥事が起こるまでは、必要最小限の付き合いをしている1人という認識でしかなかったという話も聞いてもいました。
ただ、決して消極的な必要最小限の付き合いというわけではなく、王族として社交界の階級社会の最高峰でもあるわけですので、互いの出自の貴族の派閥に牽制をしているという、ある一定の緊張感の伴う関係性もあります。
そんな緊張感が伴う間柄ではありますが、最終的にはセリサンセウムという国の王族として協力をしなければならないということで、権力争いとしての手段と、セリサンセウムという国の存続と繁栄という目的を見誤ることは、少なくとも"一掃"以前から国王の側室達の結束に揺らぎはありませんでした。
加えて、恩人については掘り下げての説明が付け加えられてもいて、権力争いの手段については全く無頓着どころか不真面目と言える程で、本来なら緊張感や牽制を胸中に抱えつつ、国王の側室同士として、交流を交わさなければならないところだとも思うのですが、どうにもやる気が感じられず、側室同士でも、どちらかといえば、《《心配で気にかけられる存在》》という扱いで、立場であったとも説明されています。
それに王族として側室として王宮に入った時分は、まだ"一掃"という不祥事が起こるような前触れに予兆も雰囲気もなく、王妃様以来の学府の学問を修めた立場の存在として、珍しがられてもいました。
それこそ"一掃"の後には王宮を出て行ってしまっていましたが王位継承権に関しては、上位にいた年長の殿下達は、年代的に選択によっては学府に通った場合もあり、やはり好奇心の対象となります。
貴族が学府に通っていた場合の日常や、生活に興味をもっていたのに合わせて、年代的に近いこともあり、"国王の側室の1人"というよりも"社交界では珍しい学府に通っていた先輩の1人"として意見を求めていたりもしました。
また、極少数でしたが姫殿下となる立場の方々も訪れ、学府に通う殿方はどういった贈り物に品物や、話題についてを好まれるかという事を尋ねられます。
こちらはどうやら学府に通う貴族の若人に意中の存在がいるというのが、はっきりと口にしないまでも伝わってくるものがありました。
王太子殿下の母堂になるつもりはなかった側室は、色恋については全く興味がありませんし、貴族に自由な恋愛は難しい立場なのは承知していましたが、直向きな慕情に合わせて、流石王族ともいうべきか、王族の新参者に対しても礼儀正しく尋ねられれば、協力して貰えたと相手が感じ、感謝される程度の情報を提供します。
独身時代は貴族の間では婦人で学府に進学するのは本当に稀有で、変わり者とされてはいましたが、捻くれていたつもりはありませんでした。
ただ、やはり一般的な煌びやかな社交界での活躍を至上の価値観としている同世代と、どうにも合わないので、そこに浅くではありましたが、距離を感じてもいたし、それは学府に通う同期生で異性である殿方も同じとなります。
それに加えて、殿方の方は学府の学生ではありますが一般的な貴族の紳士という肩書も既に担う立場でもあり、既に婚約を済ませている同期生もいるのですが、婚約者と会話の要点がどうにもずれてしまうという事で、そこが心配な点であるとも口にしていました。
だから、「参考になるかどうかわからないけれども」と前置きをしてから、学府に通っていた同期生の貴族は、やはり勉学をしたかったからこそ、進学したのであり、興味もその進学した方面の学問の話題になると伝えます。
贈り物に関しては、その当人の趣味もあるので何とも言えませんが、どちらかといえば拘りの道具を使っていることが多いので、翌々調査してから渡した方が、互いに無難になると伝えれば、どうやら心当たりがある様で、姫殿下は納得と満足という表情を浮かべ、御礼を言葉をくれていました。
そして立場的には例えるのなら仲間とも呼べる他の側室達は、新しく入ってきた新参者が学府で修めていた学科が、育児や教育だったということで、関心を抱きます。
特に子どもを授かったばかりの側室については、その教育の最先端の情報を、社交界でも十分に通じる話題として、情報を欲していました。
当事者の、後に自分の子が王太子殿下に選定されますが、自身は母堂という立場になるつもりはない側室は、社交界での話題云々は兎も角、学問として修めた内容が活かせることは純粋に嬉しかったので、そちらの方面の情報としては、躊躇いなく融通します。
また、王族では教育に関しては、優秀と評価されるところまでは徹底しますが、それ以上は余程強固な意志が無い場合の為に学府への進学者が少ないことが、勿体なく思えてい当た事で、当時の王位継承権上位の殿下達が、学問に興味をもってもらえたのならと、積極的に質問については答えてもいました。
また、子どもを授かった時期の頃には王位継承権に関しては確りと無関心の態度が王宮に浸透をしていた為に、王位継承権に関して競っている殿下達同士でも、側室の部屋ではまるで公共の中立の場所という扱いの様にもなりますし、久しぶりの"弟"に、歓迎の声も上がります。
更に、当時はまだ国王との間に授かった子ども、というよりも赤ん坊が自分の意志を語るという事は産まれたばかりで、当然出来ないので、親の希望と一番新参者の側室という立場を弁えた上で、将来は王族として兄姉といった殿下達の臣下として、国にも貢献できる人材になってくれることを願っていると口にしていました。
その親として願っている内容も、日頃は競い合っている間柄の兄姉の殿下達には何かしら響くものがあった様で、「この子はきっとセリサンセウムという国に役立つ王族となってくれるだろう」と口を揃えて言ってくれていたこともあります。
そんな穏やかな時間もあったわけですが、それは所謂"嵐の前の静けさ"
というものになり、関わった貴族や王族にとっては嵐の勢いという例えではまだまだ及ばないとも呼べる"一掃"が行われ、そこで掃い吹き飛ばされずに残った面々と、"禁忌"と呼ばれるものに間接的にでも接触をしてしまったことで掃き飛ばされた人々で、王族としての今後の生活の展望は大きくかわりました。
そして《《掃き飛ばされなかった面々》》は、その吹き飛ばされなかった理由や理屈については、この新参者の側室が、"一掃"の最中でも掃い飛ばそうとする勢いと流れを読んで、目の前で弾き飛ばされてしまうかもしれないという緊張感を味わうことになりながらも、下手に動かないことで王族として王都に残る術を見出し、水面下で提唱してくれていたのは、《《生き残れた》》面々は承知しています。
先輩にあたる側室達は貴族から嫁ぎ、継承権とまではいかずとも王族という立場に憧れと野望をもってはいましたが、"禁忌"を起こした不祥事のケジメとして行われた"一掃"に関して、目の当たりにしたことでの処断は、それまで散々王位継承権にも社交界での派閥を広げるのは面倒くさいとしつつも、学府で培った経験でやり過ごしを教えてくれた新参者の、権力の憧れを見出せないといった発言に大いに共感してもいました。
貴族として矜持を尊ぶのは勿論ですが、処断で最も重い咎として裁かれてしまった人々の情報を生々しく目にも耳にも入れてしまったことで、全員が全員というわけではないのですが、誇りを大切にすることに変わりはないのですが、それが全てではないという意識と価値観が芽生えることに繋がってしまいます。
その芽生えてしまった内容に関しては、貴族として、しかも上流という立場になると、何かしら物議を醸し出してしまう内容でもありました。
しかしながら、不幸中の幸いともいうべきか、その物議を醸し出してしまう価値観が芽生えてしまっていたどの貴族も、《《心や頭の内側で思い考えることをしても良い》》、けれども《《決して表に出してはいけない》》、それについては弁えてもいます。
だからこそ、口にはしませんが、これまで"一掃"されてしまった王位継承権の上位陣である殿下や、その母親となる側室に、その側室の出自の家となる貴族程積極的にではありませんが、取り組んでいた社交界の勢力の競い合いについても及び腰になっていました。
権力と矜持の大きさに比例するように、責任も大きくなることは頭ではわかってはいたのでしょうが、"一掃"で責任の取り方の様々を見たことでそれまでの勢いと足並みがそろはなくなります。
折角これまででは到底敵わないと思っていた上位陣がそれこそ"一掃"されたことで空席になったことで、勢いをつけたいと思っていた面々との衝突もあったようでした。
しかしながら、どんなに衝突があったとしても、最終的に今後万が一にも不祥事が起こった際には、責任を取る立場には"一掃"の後に空席が出来てしまったことで、それぞれが繰り上がる形で着かなければいけないのも現実となります。
その避けられない現実の中で、命を懸けられる程の矜持はあるのか、となったところで野心の勢いはなくなりましたが、その火種は燻るという形で存在し、少なくとも燃え上がりはしませんが煙が上る程となりました。
そういった流れの中で、新たに王太子殿下という存在を選定しなければならない中で、「誰かしらの強い推薦があれば、うちの一族のから誕生した庶子である殿下を据えても良いかもしれない」という、表には出せない希望を抱いていましたが、思いがけず国王陛下が一人の庶子の名前をあげ、それに誰もが押し退けてまで王位に執着が出来ていないのが、これも現実になります。
しかも、その話を持ち帰ってみれば、自分達の派閥に属する側室達も、「……確かに、あの方の子どもなら、妥当かもしれない」という言葉を揃えていました。
社交界での派閥・権力の争いには微塵も興味はない、けれども"一掃"の際には率先して活躍(と、当事者は全く自覚も認めもしないと思いますが)してくれた上に、何より王位継承権に関して、欲のなさすぎる姿勢が、この側室の子どもが王位を継承する第一候補となるのなら、自分達は《《諦めることが出来る》》という胸中になっていることを、他の側室達も吐露をしていました。
王位継承権の今後に関しては、正直にいって興味のなさすぎる側室の庶子の成長をしてみなければわからない話ではあるのですが、何にしても社交界での派閥や権力の争いにおいて、殆どの上流貴族の一族の最終的な目標としては、国王との間に授かった子息が、王位を継ぐことになります。
そして、その王位を継承するのは国王との間に授かった子息で、王位継承を引き継ぐ可能性が最もあると世間にも認識されているのが、王太子殿という立場に据えるということでした。
先述の側室の子息が、母親である側室の社交界での派閥・権力の争いには微塵も興味はない姿勢の影響をうけて、同じ様に成長をするとは、はっきりと言って保証はありません。
"一掃"を掻い潜った側室達も、自分達の窮地を逃れる方法を伝えてくれた側室だからこそ"王太子殿下の母堂"になっても良いのではと認めているのであって、その恩の部分を多少は融通する形で、王太子殿下に彼女の子息としても良いといった、中々にややこしい胸中内の承認の仕方でもありました。
加えて、国王陛下から直々から次の王太子殿下にとして名前を上がったことも、国で最も忠実な臣下の上流貴族としては、明らかに反対する理由や理屈が無いのなら、その希望に添うべきであるというくらいの分別の弁えているからこそ、やはり反対する意見が出てきません。
併せてこれまでの暦でも、王太子殿下は確かに一番の王位継承権を持っている位置にされてはいますが、それは絶対的というわけでないことで、そこも融通を利かせてしまおうと考えるところに繋がります。
本来ならば競争相手として、捉えなければいけないのでしょうが、皮肉とも聞こえる調子になってはしまいますが、王都をもう離れてしまってもいるし、王位の継承権も剥奪されてしまった、"一掃"前に存在をしていた、腹違いの兄姉の殿下達が口にしていた「この子はきっとセリサンセウムという国に役立つ王族となってくれるだろう」という、発言がどうにも耳に残っていることで、先ず蔑ろにするという発想すら出てきませんでした。
そして、王太子殿下の母堂になるつもりのない側室の、はっきりとした固辞の明言を汲んで、"王太子殿下"は決定となりましたが、暦でも何かしら軋轢を誕生させやすい、"王妃以外の王太子殿下母堂"という立場の存在はその治世では、暦の記録の上で名前しか登場しません。
更に重ねる様に、注釈として「王太子殿下の母堂としても、後に国王として即位をしても権力を施行することはなかった」と記載されていました。
ただ、純粋に子として親に相談をしたい、甘えたいといった行動をとりたいと、"王太子殿下"が望んだのなら、母親として接することに関しての制限などは一切ないという形に落ち着きます。
この制限がないところについては、側室が学府時代に培った教育としての学問で、我が子が王太子殿下に選定をされたことについては承諾したにしても、選定されるまでは、他の庶子と同じ様に母親が行いたい様式で、育てていたこともあり、急激に変えることは、王太子殿下の成長に良くないと、それは臣下として進言したものが採用をされました。
王太子殿下の決定に関わった周囲も、突然の選定で戸惑いがあるというのは、自分達が"一掃"の後に繰り上がる形で着任せざるえなかった枢機の役割で充分に共感出来るところではあったので、これまでの"王太子殿下の教育は全てが専門機関が行うべきだ"という意見は緩和されます。
併せて、こういった意見が出て通ったのは誕生して王太子殿下と選定されるまでの時分には、それは貴族や王族としては珍しいことに、本当に王太子殿下の母堂になるつもりが微塵もなるつもりがなかった側室が、出来る限り母親として世話をやき、寝所も共にしていた背景もありました。
ある程度年齢が落ち着いたのなら慣例には従って王太子との住居こそ同じ王宮で生活をすることになったのですが、部屋は別となります。
部屋を分けることについては、幼い王太子自身は当初は母親から説明をされて、離されることに不満そうな表情を浮かべていましたが、決して泣くということまではしませんでした。
しかしながら、泣かないことについて感心していたところで、その初日の夜に部屋から密かに抜け出し護衛の兵士や王宮の使用人の見張りを掻い潜り、母親に会いに行くという、中々の強行突破を行います。
結局、それは成功をしてしまって、寝所にいてまだ王族として仕事を行っていた母親が見つけてというよりも、王太子殿下が飛び込んできて驚くという事になりました。
"母親である側室の部屋"に到着するまでに結構な障害があったと思うし、先ず寝ている部屋では、即位をしたばかりとはいっても王太子殿下が不在になれば、時間にしても短くても騒ぎになるのではと思っていましたが、騒ぎにもなってはいません。
叱るよりも前に、どうやってこの場所に戻ってきたかと考え、尋ねてみれば確りと、細工をしてきたという旨を口にした上で、その方法を話してくれます。
先ずは寝台にはクッションを丸めて膨らみを作り、自分が眠っていると思わせるように替え玉を作って、掛け布団をしてきたという事でした。
それから、王太子殿下の寝室は寝る為に照明が最小限にされているので薄暗いこともあって、物陰に隠れて護衛の兵士が寝ているのを確認する為に、定期的に扉を開けて寝台の側までよるので、その間に抜け出してきたと語るのですが、母親がもう少し具体的に調べるべく、経緯を細かく尋ねます。
先ずどうして、定期的に確認しに来ることを知っているのかといえば、それは王太子殿下の寝室で初めて1人で眠ることについての不安を感じているだろうと、王太子殿下付きの護衛騎士が、「眠ってからも見守っているから安心してください」と、王族でもなければ設えられない時計を指さし、「長い針が12の場所に来る度に確認しますから、安心してください」と、安心という言葉を重ねられ伝えられたという事です。
それから、王太子殿下が音で起きない様にこの寝室となっている部屋の床は絨毯を敷き詰めているので、足音もしないし、扉も同じように音がしない様に確りと手入れをされているので、安心して眠ってください、そう告げられたとの事でした。
だから先ず寝室を抜け出すという事については、替え玉を作って足音も誤魔化すことも出来るという判断をして、それからは王宮内の事については、産まれてからそれなりに生活で覚えていたので、王太子殿下の寝室を出てからは、少しばかり冒険となりましたが、覚えのある母親の部屋までは途中から解って、見つからない様に気を配りながらも、やってきたという話になります。
それから先ず王太子殿下の母堂になるつもりはない、側室で、母親ではある人物がしたことは、一人でよく迷わずに、見つからずにこの場所に来れたことへの称賛と、次いで我が子への叱責で、その内容は「王太子殿下の気持ちを安心させようと、護衛騎士が教えてきてくれた信頼を無碍にするような振る舞いをしてはいけない」というものになりました。
まだ幼いこともあって信頼を無碍にするという理屈と意味は難しそうに思えましたが、どうやら感覚的に掴むことは出来ていたようで、王太子殿下となってしまった我が子は素直に謝罪を母親にしてくれます。
そして、それから考える事になるのは《《これからどうやって王太子殿下を寝室に戻そう》》という事になりました。
普通なら、外に控えている従者にでも呼び掛け、王太子殿下が寝室から抜け出して、母親である自分に会いに来たと説明をすれば良いのでしょうが、王太子殿下が《《護衛する兵士を掻い潜って》》、しかもその途中にいたであろう王宮で働く人々にも見つかることなくきたというのは、警護の意味でも、また長い眼で見れば様々な事と連なって、《《問題となりかねない》》と、政の方面ではそれなりに熱心に働いている、王太子殿下の母堂という立場を放棄してはいますが、王族として勤める側室は考えます。
"一掃"後でどちらかといえば政権争いについては、どの貴族の一門も及び腰の現状ではありますが、本格的に落ち着いて改めて社交界の派閥と政権の競い合いが活発になってきたのなら、この"母親を恋しがって部屋を抜け出した"と判断されてしまうだろう出来事は、王太子殿下となった我が子の将来に、望まない影を落としかねませんでした。
自分自身が社交界の派閥や権力に興味は相変わらずありませんが、それでも一般的な母親もそういった考えの持っていてもおかしくはないとは、個人的に思うのは、出来ることなら、授かった子どものその将来に、不必要な苦労は背負うべきではないと考えます。
しかも、産みの母親だからこそ思うのですが、我が子が夜中に母親が恋しいというのも否定はしませんが、それ以上にこれまでの日常が、世間や国の事情で変わってしまって、望まない不満を抱いているのを、一番理解してくれる訴える為に、信頼をしている自分の元にやってきたのだと思うとやりきれないものがありました。
けれども、何もかも自分の思い通り進めたいと思っても進まないのも、生きていく上で幾度も立ちはだかる平等な障害であるというのも承知をしているので、出来ることなら、どこにも角が立つことなく、この状況を治める為に考えを巡らせます。
そして巡らせる上で思いついたのは、どこにも角は立ちませんが、自分が泥を被ってしまうという方法でした。
しかしながら、自分が引被る分には、出自の一族から色々言われてしまいますが、構わないと考え、そして季節がまだ冬という時期であったのを幸いと考えてやや大きめの羽織を纏い、無造作にあるものを掴みます。
掴んだものは、王太子となった子が誕生した時に祝いの品として贈られた、抱きかかえる程の大きさのウサギのぬいぐるみでした。
何でも、子が誕生した丁度同じ日に拵えていたのが仕上げられたということで、それなら同じ誕生日という逸話のウサギでもあります。
王族の側室の子どもに贈られるぬいぐるみということで、ぬいぐるみながらに上等な服を着せられていて、その影響もあるのでしょうが、ぬいぐるみならではの愛嬌もありましたが不貞不貞しい印象が強くなってしまってもいました。
しかも、人間の赤ん坊とは違うので当たり前なのですが、"誕生時"から確りというよりも《《どっかり》》と尻を着いて座っている形状で作られているので、当初は寝ているだけの赤ん坊に寄り添う形で、傍に置くと丁度良い按排となります。
赤ん坊も傍に置いておくというよりも、少しばかり圧される形でウサギのぬいぐるみと接触していると、安心をしてよく寝入っていたという思い出が、まだ王族の側室と庶子と時代にあります。
特に強い思い入れがあると断言こそ出来るものはないものの、その同じ日に誕生したという縁に、惹かれるものがあって、子が王太子殿下となった初日で部屋から離れてしまった際にも、片付けるという考えが微塵も浮かばずに、普段通りに寝室にいたウサギのぬいぐるみでありました。
一方で、母親から先程抜け出してきた寝室から、改めて王宮の護衛の騎士に従者たち見つからずに戻らなければならないと告げられた王太子殿下となった、子は母が手に取った不貞不貞しくも見えるウサギのぬいぐるみを見て、どうやらこちらは思い出したといった調子で、傍に寄ります。
子ども自身も、ウサギのぬいぐるみが大好きというわけではないのですが、誕生部が同じという触れ込みで傍に居た存在に、母親に対する程の信用をよせてはいました。
けれども、このあとぬいぐるみをどの様に扱うかどうかは、まだ幼い頭の中では想像できずにいれば、大きめの羽織を纏った母親の方がまるで包み込む様に、そのぬいぐるみと自分を抱き上げます。
それから説明をされたのは、「これから寝室に戻るけれども、その理由に王太子殿下にこのぬいぐるみを差し上げたいから」という理由にすると、先ず言われた後に、「けれども本当はウサギのぬいぐるみを理由にして、"母親"の私がただ王太子殿下が心配で会いたいと、《《思わせる》》」という、少しばかり幼児には理解をするのに、困難な内容となりました。
これは、段階的に説明する必要があると考えて、先ずは王太子殿下となった子が部屋から抜け出したことから、改めて話を始めようと、その支度の為に抱えていた不貞不貞しいウサギのぬいぐるみを息子に渡した形で、寝台の上に二人で腰掛けました。
そうすると、柔らかすぎる寝台に半ば沈むように座っている、そのウサギのぬいぐるみを抱きしめている息子の姿が、思いがけず可愛らしい姿に目に映りました。
出産をしてから、幸いにも自分にも人並みの母性というものが働いてくれていることに自覚出来る程に淡白な性分だと思っていましたが、寝台にウサギのぬいぐるみと共に座る幼い息子に、普段以上に溢れて出しているのを実感します。
王太子殿下として即位することで、今朝王族として区切りの為に行った抱擁で、当面こうやって抱きしめることもないと思っていたのですが、改めて抱きしめることで、何とも言えない充足感を伴う事に、今更ながら自分の方がもしかしたら、子離れが出来ていなかったのだと、内心苦笑を浮かべていました。
王太子殿下となった息子の方も、ウサギのぬいぐるみを抱きしながら、何かしら思案顔を浮かべていましたが、自分の意見を口にするほどでもないというのが、その雰囲気から感じ取れるので、とりあえず気持ちの区切りをつけるように、「良し」と呟きます。
時間は替え玉の事がばれない限り、起床時間になるまで大丈夫だとは思いますが、早いに越したことはありませんでした。
先ず王太子殿下となった息子は簡単な文字を読めるので、先程まで公務をしていたので筆記具は傍にあったのでそれを使って、箇条書きにしてこれから行う事を説明します。
・母親である側室が、王太子殿下となった息子を戻す為に外套の内側にウサギのぬいぐるみと共に抱えて寝室に向かう。
・寝室の護衛騎士には「王太子殿下が好きだったウサギのぬいぐるみを渡すのを忘れていました」と口にして、寝室に入れるように頼んでみる。
・ここで頼みを聞いてもらえれば、寝室に入るのでウサギのぬいぐるみを傍に置くのと同時に、寝台に王太子は戻って貰う。
・もし、失敗した場合は、寝室に近い目立たない場所で下しておくので、この部屋にくる時とは逆の方法で寝台に戻って欲しい。
この4つの方法を告げれば、王太子殿下となった息子はその意味は理解をしてくれた様子で、何にしても護衛騎士に気が付かれない様に、自分が戻ることが一番の目的であると承知した様でした。
もし、黙って寝室から抜けたことが判明すれば、王太子殿下となった我が子は幼いからという理由で色んな酌量はしてもらえても、大人は違う、叱られてしまうのだと、これも母親に説明して貰えて初めて知るというよりも、実感します。
まだ叱られるということを実感をするようなことが少ない生活を送っていますが、"王太子殿下"となると決定をしてからは、母親となる側室から《《王太子に即位をすればこういった事をしたのなら叱られてしまうのだ》》という内容を前もって教えてくれてもいました。
そして、"夜寝室から黙って不満で抜け出して来る"という内容も、してはいけないけれども教えてなかったから、申し訳がなかったとも告げられます。
ただ、母親側として不思議なことといえば誰に教えられた訳でもないのに"《《黙って》》抜け出す"という行動をとったのだろうとも、王太子殿下の母親となることを固辞した側室は考えるところにもなりました。
まだ王太子に選定をされてしまう前は、何かしら行動をするにしても前以て「してもよいでしょうか?」と、まだ人によっては赤子といっても良い年代で母親からして可愛らしい舌足らずな物言いで確認してから、行動をしていたので、どうしてしてしまったのだろうと考えます。
もし、母親に会いたいというのなら、王太子に選定が決定をした際には幼い年齢を考慮して、王太子殿下の母堂という権力に関わりが及ぼうという事には関われないと線引きは確りしつつも、子供が純粋に親を恋しがるといったことに関しては寛容な対応というのは、王太子としての教育を施す側と調停をして認められている筈でした。
今回の件に関しては、十分に「母親を恋しがって夜眠る前に会いたい」という許容範囲に当てはまると思います。
そのことも前以て、朝の区切りの包容の前に告げていたつもりでしたが、誰にも気持ちを告げずに夜中に抜け出すという行動をとったことで、改めて何かしらの理屈では通らない不満が我が子なりにあったのだと、親として不甲斐なさを感じていました。
加えて、学府では無言の圧力がなかったとは言えませんが、最後には自分で選択をして教育や育児に関して学んでいた筈なのに、自分の子供に対してはその成果が活かせていなかったことについて恥じ入る気持ちになります。
他の側室や、我が子の異母兄弟姉妹となる子達にも頼られて、少しだけ調子に乗っていたところも、振り返って観てみれば尚更恥ずかしくなってしまい、額を押えて盛大にため息を吐いてしまっていました。




