鳶目兎耳
セリサンセウムの王都となる城塞都市を起点にして、幾筋にも伸びる国道の街道の1本を進んで行くと、郊外へと通じるものがある。
その郊外へと続く路を進んでいくと、長閑かな景色の分岐点で、一番細い物を進んで行く。
そこはもう馬車は通らないし、石畳で整備されいないのだけれども、柔らかく短い草の草原が筋になって、辛うじて道として成立している様に見える。
たが、その草の上を進んで行くと、やがて"鎮守の森"と呼ばれる場所に辿り着くが、森と例えられるだけあって、柔らかい短い草の道も終わってしまって、容赦ない木の枝と木々が行く手を遮る。
大体の者が、ここで"行き止まり"なのだと感じてしまって、気まぐれにやって来たものもここで引き返す事になっていた。
だが、あるコツを持ってその行き止まりの路を眺めたなら、"小道"を隠すような魔法も使っていない仕掛けがあるのが判る。
そのコツは、掴む事さえしてしまえば、逆にどんなに木々が生い茂っていても、道が在るようにしか見えなく―――"思えなくなる"という。
現在、その小道を進んで行った先にある、魔法屋敷が"勤務地"となる新人兵士であるアルス・トラッドという少年がいる。
彼はコツを敬愛する上官のアルセン・パドリックに教えてもらった事で掴むことは出来たが、街道からの屋敷に繋がる小道への入り口は、最初は分かり辛かったと、同僚の巫女の女の子に口にしていた。
そして、"もし夜だったら、絶対に気がつけなかった"とも言っていた。
だが、時間が深夜に踏み込もうとしている中で、そのコツのいる小道を音もなく進んでいく者がいる。
「今回は"人の姿に戻れないから"と、この私を鎮守の森の方に呼び出そうとは、相変わらず不貞不貞しい男だ」
足音という物は全くたてないのに、まるで鎮守の森に潜んでいる生物全てに、不満を伝えてぶちまける様に言葉を口にするのは、ロドリー・マインドという、蛇の様な眼をした将校だった。
階級は、何かと好敵手とし口に出している、男性ながらも"美人"という表現が当てはまるアルセン・パドリックに遅れを取ったが同じ"中将"という地位にある。
伯父に、長年国の宰相をとして働いていたチューべローズ・ボリジがいるという後ろ盾があるにしても、国が英雄という認める活躍をしたわけでもないのにここまで上り詰めるだから、優秀な人材ではある。
そしてロドリーは鬱蒼と繁る大きな森の小道を抜けたその先にある、植木で上手い具合に垣根を作り出し、囲まれていた鄙びた印象を与える田舎風の大きな屋敷に辿り着く。
「年月が過ぎても相変わらずの屋敷だな、ここは」
屋敷には明かりが1つも灯っていないように見えるが、表向きには"主"とされている存在の、3階で屋根裏とされる場所に仄かな明かりが見えた。
「あの方は、"ウサギ"だからいいかもしれんが、こちらは天井に頭をぶつけそうになってしまって困るのだがな」
ロドリー・マインドがこの場所に来るのは、随意分と久しぶりになる。
「11年と、8年と、3年か―――」
前に3回訪れた時は、全て宰相となるチューベローズ・ボリジの護衛として訪れていた。
そして今回訪れたのは、本来なら最低でも月の満ち欠けが一回りする間に一度は行われている、国王直轄の諜報部隊―――鳶目兎耳の会議の為。
とはいっても、その部隊の面子は元々は個人で"鳶目兎耳"という称号を国王、乃至は宰相から認められて与えられ賜った物だけが配置される。
そもそもは諜報活動が得意な1人が始まりで、傾いた国を平定に導いた先代国王であるグロリオーサ・サンフラワーの最大の助勢者である人物が雛型になったという。
やがてグロリオーサ・サンフラワーが平定し、国の王となった事で、その人物は"自分の役割は終わった"とその立場から退いた。
だが平定当初宰相であったアングレカム・パドリック、アルセンの実父でもある人物が軍隊とはまた別に、諜報活動を主たる任務にする人材は必要だと、グロリオーサに提案すると、王もこれに同意した。
とは言っても、直ぐに"鳶目兎耳"として活躍を始めた訳でもなく、アングレカムが宰相の激務の間に眼にかけたり、グロリオーサが気にかけた人物に声をかけたりするという、手探りの状態から始まった。
―――だからな、ロドリー。あの鳶目兎耳という部隊は、手探り―――直接"触れ合った"者同士の、"馴れあい"から形成された部隊だとも言っても、過言でもないのだよ。
少なくとも、ロドリーは敬愛する伯父から、そう聞かされていた。
そしてロドリーは、敬愛する伯父ではなくて、 代替わりした国王ダガー・サンフラワーから鳶目兎耳の"頭"となる人物の副官を命じられていた。
―――あの"ウサギ"がこの世界から逃げ出さない様に、見張ってくれ。
鳶目兎耳の頭とさせる事で、自分が治めるセリサンセウム王国に"社会復帰"を強引にさせるとダガー・フラワーが14年前に頼まれて、その副官となった。
「いや、もうすぐ15年前になるのか?」
屋敷をぐるりと取り囲む様にある垣根の様にある植木の根が、記憶を確認しているロドリーの足元に、音もなく伸びてくる。
「―――考え事の最中に邪魔をする癖は、まだ躾け直していないのか。
それとも、屋敷の仮にも主となっている存在の性格に、倣っているのか」
ロドリーが貴族と軍人の幹部を兼ねる物だけが身に着ける、軍服の胸元に手を伸ばす。
すると瞬く間に金属の重なる音が静かに響くとともに、垣根の植木の根は空を切る音と共にロドリーの足元に絡まろうとする。
だが根の先が軍靴を履いた足首に触れる直前に、その進路を距て刃先の部分が蛇のように曲がっている鉾が地面に吸い込まれる様な音と共に突き刺さる。
「絡まってからたたっ斬らなかっただけ、有難く思え」
そう声をかけたなら、昼には新人兵士の足首に絡んで"上機嫌"になっていた、屋敷の主譲りでイタズラの好きな、魔法の掛けられた植物は意気消沈をし、元の場所へと戻って行った。
「無駄な音をたてさせて、お前達の事まで家族の様に気にかけている子供の眠りを妨げるな」
自分の愛用する矛の刃が蛇の形状した武器を、今度は音を立てず畳みそう言い捨てて、魔法屋敷の入り口の方へと脚を進めていく。
"天井に頭をぶつけそうになってしまって困る"
そんな事を口にしてはいるけれど、ロドリー・マインドが本当に気にしているのは、この屋敷でこの時間には完璧に就寝している筈の、女の子の安眠妨害することだった。
『暫く屋敷を留守にしていたからさぁ、今度の会議は"うち"でしたいんだよねえ』
金色の使い魔のカエルが、随分と久しぶりに執務室に姿を現して、ウサギの賢者の声でそう告げる。
『勝手にそちらの都合で合わせられても困る。
鳶目兎耳の統轄は、国王ダガー・サンフラワー陛下です、隊長と言えども、勝手に決められるものでもないはずです』
最初は取り付く暇もなく、使い魔を見ることもせず、書類の上を走らせる羽ペンの手を止めもせずに、そう断っていたが、使い魔の主は恐らくこの返事の予想が出来ていたのだろうともロドリーも予想はつく。
そして、きっと自分が断れない理由を使い魔を通して告げるのも判っていた。
『いやあ、ロブロウへの出張の時に、"ウサギの賢者"が姿を消したらさ、"あの娘"が物凄く泣いてしまってねえ』
その言葉に羽ペンを動かしていた手を止め、本来ならカエルの姿をした使い魔の、天敵とも言える筈の蛇のような目元で睨んだ。
鋭い目元を、横に長い瞳越しの視界にいれながらも調子を変えずに、使い魔は主の要求を自分の口越しに伝える。
『もう落ち着いたし、サブノックから戻ったキングスと新人兵士のアルス・トラッドがいれば、これまでみたいに留守番も大丈夫とも思うんだけれども』
『判りました、"今回だけ"は私の方から、鎮守の森の方に伺います』
使い魔からの言葉を遮って、そう返事をした。
『"ありがとう、ロドリー、助かるよ"』
『心にもない感謝よりも、自分の思い通りにいった事を喜んだならどうですか?』
"棒読み"としか言い様のない抑揚のない声で、礼を伝える使い魔にロドリーはそう返事をする。
『しかしながら、私が向かうのは構いませんが、絶対に子供が起きないように処置をお願いします。
起きてこられて、驚いて、煩くされては会議もままなりません』
『それは任せてー、引き取った3年前とは全く違って、一回寝たらぐっすりだから。
それに"ウサギの賢者"の不在には敏感になっているみたいだけれど、居る分には本当に落ち着いちゃっていられるからねえ。
流石、グランドールの鼾でも眼を覚まさないアルセン・パドリックとの再従妹だ』
『再従妹であるのは認めますが、そのよく眠る習性は、アングレカム・パドリックの方の血筋ですから、"リリィ姫"には関係ありませんよ』
必要以上に陽気さを感じさせる物言いが、自分を腹立たせようと言っているのが判りそこは堪える事が出来たのに、意識をしてしまう相手の名前を出されてしまったなら、己の精進不足と思いながらも、ロドリーは露骨に反応してしまう。
『―――信頼する相手が側にいたなら、その相手を信じる力が限りなく強いのは、リリィ姫の母方の血筋です。
その信じる相手である、"ウサギの賢者"を振る舞っているヒトデナシの、勘違いの返答は聞くだけでも聞くに耐えない』
『相変わらず、手厳しいねえ。大丈夫、安らぎの闇の精霊も招いておくから、新人兵士も含めて、朝日が昇るまで起きやしないさ』
既に何度も聞いている新人兵士という呼称を聞いたなら、その時は気にしない様に振る舞い、再び羽根ペンを握る手を動かし始め、話を切り上げた。
好敵手ほどはないが、この新人兵士―――アルス・トラッドにもロドリーは注意を払っていた。
この少年にアルセン・パドリックが、弟の様に眼をかけている部分は気にくわない所でもある。
けれども、優秀で兵士という職業に就いたにしては、気質が大変穏やかで争い事が嫌いだという性分は、ウサギの賢者の元へ配属されるという情報を仕入れた当初は、安堵したものだった。
そして”国最高峰の賢者”の情報を探ろうとする輩を、ロドリーともう一人の副官であるキングス・スタイナーと共に煙にも巻いてもいた。
アルスが有望な人材という事で、何かと調べようとする相手に、握らせても構わない情報だけを与え、それ以上を追えないようにする。
平和な時世もあって、直ぐに旬な”話題”としての価値も下がり、新人兵士としてのアルス・トラッドの情報も流れていったのは有難かった。
そしてその穏やかな気質のアルスなら、母方の血を強く引いた証明でもあるような強気な目元で、見上げられても―――睨まれても、新人兵士は困りはしても、間違っても敵愾心等は持たないだろうと思えた。
ロドリーも気にかけているリリィという女の子は、世話になっている軍隊嫌いを公言している”ウサギの賢者”の影響も受け、世話になってからの3年間で、結構な軍人嫌いに育ってしまったという報告が上がって来ていて知っていた。
「ただ、それも、アルス・トラッドの影響で軍人嫌いの方は、何とかなったみたいだな」
これまでを思い返し、そんな言葉を吐き出すころには、魔法屋敷の入り口に辿り着いていた。
恐らく魔法屋敷の扉を開けるのは、自分と同じ副官という立場になっている、表向きにはこの国で仕立屋として、国々を渡り歩いているキングス・スタイナーだと判っている。
時間を無駄にしたくないので、今の内に”鳶目兎耳”としての職務についている時にだけ羽織る、紅黒いコートを脱いで腕にかけ、完璧な軍服姿となる。
「軍人を嫌っていても構わないが、天災の時には軍の主導となって動き出す事になるだろうから、いざという時に信頼されていないと、動きに困るからな」
そんな事を口にしながら思い出すのは、珍しい人物の反省する姿でもある。
『こんなに影響を与えてしまうんじゃ、あの娘の前では"軍人は偉そうで嫌い~"とか”力任せで~”とか、ふざけた公言は差し控えておけばよかったかなあ。
それに、ワシ―――私が堅苦しいのが苦手だから、からかう様な意味でも言っていた事もあったし。
真面目に国の為に働きたいと信念を持っている軍人さんには、悪い事をしてしまった』
『何にしても、今まで硬い殻に閉じこもっていたような状態から、外部からの情報や影響を受けるという形の成長を行っているのなら、気にする事でもないでしょう。
それに裏と表を使い分ける大人の、しかも心の底から信じている相手の言葉を勘ぐるなんてことは、まだ11歳の女の子には難しい。
それでも気にするなら、変な影響を与えたのは"ウサギの賢者"の完璧な不手際なのだから、今からその間違ったイメージを払拭出来る様にしてください。
方法は仮にも”賢者”なのですから、ご自分でお考え下さい。
そして、配属されるアルス・トラッドという新人兵士は、ウサギの賢者の護衛の後輩として、先輩の巫女に気にかけ、配慮すればいいだけの事です』
リリィの軍人嫌いが殆ど定着しかけた際に、人の姿に戻らされ、王宮で行われる鳶目兎耳の会議の際に、珍しく反省する言葉を口にする、この国の最高峰の賢者でもあるネェツアーク・サクスフォーンに、ロドリーはそう返事をしていた。
賢者自身は決して、“軍人嫌いになれ”という事を強要していたわけでも、表に出していたわけでもない。
けれどウサギという存在がどうやら”血筋”レベルで好きだと判明している女の子は、自然と感じ取って、“好きな人と一緒の気持ちでいたい”と無意識に行動していた。
「”自分が他人に影響を与える部分がある”という事を、いい加減に理解をしてくださればいいのだが」
本来なら護衛は、ウサギの賢者に引き取られた3年前から必要とも思っていた。
けれども、3年前の引き取り時には人間を信頼できなくなっているリリィに、護衛の"人"を配置したしたとしても、それ自体が少女の負担になると、心を拾い読む王様が言葉にしたことで、1匹と1人の生活が始まった。
「何にせよ、あの子が無事に生活出来ることが、一番だ」
そう呟いた時、扉の施錠が解かれる音が響いたと同時に扉の開いた隙間から、赤い明かりが漏れた。
「お待ちしておりました、ロドリー様」
この屋敷にも灯を点す道具もある筈なのに、仕立屋は自分の屋敷の家紋が装飾されている、ごく小さな提灯を下げて、キングス・スタイナーが恭しく頭を垂れていた。
そしてどちらの性別にも聞える響きを持つ、優しく柔らかい声で魔法屋敷に客人を招き入れる。
"同僚という”相手だけあって面は、人見知りの羞恥心は抑えられるらしく外しており、普段結っている髪も下し、僅かに濡れているのを見ると風呂は済ませてしまっているらしい。
ただ衣服は普段の仕立屋の物で、金色の眼の左側の目元にはいつもの紅をさす化粧姿で、手には手甲をつけており、ウサギの賢者の寝室で私室とされる屋根裏へと場所に誘われる。
屋敷の室内の明かりは“全員就寝”という事で、全て消された状態となっている。
「付き合いで、風呂にまで入ったのですね」
同じ副官という立場の仕立屋の手にする提灯の明かりで、足元を確かめつつ階段を上りながら尋ねると低い位置から、屋敷の壁に浮かび上がる横顔の影が上下に揺れた。
「ええ、リリィさんは私がいつもの様に泊まっていくものと思っていましたから。万が一にも入らない事で、何かしらの不安を煽る事になられるといけないので、頂きました。
寝間着をつけて夕食を済ませて眠る前の挨拶をしてから、いつもの服に戻らせていただきましたけれど」
「―――どうせ本当に泊まるんだろうから、寝間着のままで良いでしょうに」
階段の折り返しに、先に行くキングスが少しばかり振り返りながら、唇の端を上げて微笑みの形を作る。
「いえ、話し合いをしながら少々繕いたいものがありますので。
寝間着では趣味の仕立物はいいですが、仕事の物はやはりこの服でないと。まあ、私自身の戒めですね」
どことなく楽しそうな雰囲気でそう答えながら、同じ速度で三階分の階段を登りきる。
横に並ぶ形で、この屋敷の主の部屋まで進みながら、ロドリーは同僚の今回の長期出張への労う言葉をかけていた。
「そちらも、サブノックからの帰還し、そのままこちらに訪れるているというのに、ご苦労な事ですスタイナー卿。馴れた道筋とはいえ、何度も往復は疲れたでしょう
「ええ、でも深く付き合いをさせて頂いて貰う事で、本来なら高くつく買い付けも、随分と勉強していただきまして。苦労した分の報われは、十分ありましたので、どうぞ気になさらないでください」
ロドリーの労いの言葉に、キングスは柔らかく優しい声と笑顔でそう答える。
その返事と共に浮かべる素顔の笑みには、”喜び”が十分に滲み出ているのを雰囲気を含め十分に感じて取れる。
(言葉では、生地の買い付けが上手く行った事を喜んでいるみたいだが、ネェツアーク・サクスフォーンの―――"ウサギの賢者殿”の久しぶりの出張が無事に終わった事を喜んでいるのが、直ぐに判るな)
仕事になったなら見事なまでの線引きを行える仕立屋でもあるが、バレても影響のない私情になると、とても露骨に表情に出てしまう。
それは決して悪い事ではないのだが、その感情の豊かさを伴った表情は、澄ました印象を与えがちの顔の作りとの差と相まって、老若男女問わず惹きつけるものがある。
特に元来恥ずかしがり屋の事もあって、化粧のしている眼の縁と体温が上がって顔を紅くするのが重なった際には、中々艶めかしく美しい。
それが一般的な仕立屋の商売や、人間関係で差を楽しむ事で済む分にはとてもありがたい潤滑の役目を果たしてくれる。
だが、その表情魅せられ、時にそれを超えた”想い”を告げられることが、一般的な年頃を超えてから、キングスには多々あったと話に聞いている。
それを防ぐ為に、感情豊かな表情を隠すのも含め、日常から面をつける事にしているという。
元々は東の国の出身で、仕立屋として世界中の生地を求めて旅をしていた先代のシャクヤク・スタイナーが、その才能を見抜き結構強引な方法で、名前も”キングス”と改名させた上で、このセリサンセウムに連れてきたという。
その”結構強引な方法”というのは、ロドリーも話の一端に関わっているので、公に出来ていない情報も掌握している。
そして、その情報をロドリーが持っている事が、諜報活動を主だとする鳶目兎耳に入るに相応しい物でもある事の1つでもあるとされている。
―――ロドリー、今度王都にシャクヤク様が連れて帰って来る、国最高峰の仕立屋の後継ぎになる子は、とても恥ずかしがり屋さんなの。
―――でも、芯がとても真っすぐで良い子だから、貴方とも相性が悪くないと思うから、友達になってあげてね。
伯父が"教え子"としても可愛がり、引っ込み思案な伯母もでも気兼ねせずに付き合える、全てを受け止めるような包容力をもった、紅い眼と髪をした女性に、キングス・スタイナーについて、ロドリーはそう説明された。
―――ある意味じゃ、ネェツアークが暴走をしたなら、止められる唯一の人材にも育ちそう。
―――それを含めてシャクヤク様は此方に連れてくるみたいだから、よろしくね。
ロドリー・マインドが密かに心の中で"姉"として慕い、この国で"英雄"であった事を隠されてしまうようにされてしまった人に"宜しく"と頼まれた。
だから、この仕立屋に敵愾心を抱くような事はなく、同じ部隊の同僚として付き合っていられる。
(ただ、キングス殿が何があってもネェツアーク・サクスフォーンの味方であるように、私は何があってもネェツアーク・サクスフォーンは大切な"姉"のような方を殺したと宣う仇でしかない)
「―――賢者様、ロドリー・マインド卿が、お着きになりました」
"仇"に会う前にいつもの様に気持ちを締め直しつつ、階段を上がったなら直ぐにある、一階にある書斎と同じ造りのスライド式の扉の前で、キングスがノックすることなく到着を報告する。
「やあ、遠慮せずに2人とも入ってきてよ。丁度、面白い手紙も届いたところだから」
「失礼します」
キングスの下ろしている漆黒の髪と、オールバックにあげているブラウンのロドリーの髪を揺らして、風の精霊が"クスクス"と小さな笑い声を囀ずりながら、通り抜けて行った。
だが、その風の精霊がすぎて行く様子に、眉間に縦シワを刻んだのは、仕立屋だった。
「……どうやら、"シーノ"が、調子にのって失敗をしてしまったらしいですね」
だが、眉間にシワを刻む仕立屋の金色の瞳に写る扉を開いた先に広がる景色は、童話などが好きな子供がみたなら、絵本の世界がそのまま飛び出してきた様にも思えても仕方のないものに見える。
天井は低いが、横に広い部屋の中は一通りのシンプルだが、どことなく愛嬌を感じさせる家具や調度品が配置されていた。
そのどれもが、子供が"飯事"でもする為に誂えたかのように、一般的な人が扱うには一回り小さいものだった。
だがそんな中でも、2つばかり、サイズの大きいものがありその1つが、扉を開いたら正面となる場所にある、楕円の形をした大きな机。
それは横に広い、"ウサギの賢者"の私室兼寝室の中央の場所を殆ど占領しているのだが、机の役目を果たすべく、しっかりと上に荷物が載せられている。
机の中央に、この世界では少々値の張るものである、塔の形をした置時計をおいてあるのが一番目目立つ。
それから、部屋の主であるウサギの賢者の性格を表したように、その時計を除いて"ごっちゃり"とした様子で、色んな物がその机の上で配置されていた。
その殆どは書物であって、一応分類はされてある様子だが、その置き方が平たく積んであったり、本棚に整頓する様に立ててあったり、あるものは読みかけなのか開かれていて、間に"栞"が無造作に置かれていた。
閉じて置かれている本の上にも、埃避けの為なのか布巾がかけられ、その上に何らかのミニチュアで作られた様々な物が配置されていて、机の上に関しては仮に片づけるにしても、"何処から手をつけて良いのか判らない"そんな状態に見える。
「キングスの怒った顔はレアで綺麗でもあるけれど、まあ、アプリコット・ビネガーの実力を知らなかったなら仕方ないよね~」
そんな机の向こう側にもう1つのサイズの大きな物―――大人でも余裕で2人で就寝できる、寝台が東側の壁に張り付くように設置されている上から、ウサギの賢者の声がする。
東側の壁には大きく外開きに開く窓がはめられていて、今は開放されたその場所から星空から注がれるように風が吹き込んで来ていた。
そして、その開放された窓の縁には、真っ白いミミズクと、フクロウがの2羽が行儀よく並んでいる。
それを背景にして、ぬいぐるみのようなウサギの姿をした賢者は寝台の上に鎮座をしつつ、小さな鼻をヒクヒクとしながら、どうやら、ミミズクとフクロウが運んできたらしい、書面を読んでいた。
「ほら、キングスはワシの横に座って。ロドリーは机の下に、アルス君が良い感じに、丸椅子を造ってくれているから、それに座りなよ。
それなら、この部屋で頭をぶつけなくてもいいだろうからさ」
ウサギの賢者の提案に、キングスは縦シワのあった額を滑らかな形に戻し、金色の眼を伏せ、"はい"と静かに返事をすロドリーは無言で頷いた。
それから仕立屋は手にしていた提灯に、唇を窄めて息を吹き込み、灯を消して部屋の入口に置く。
2人揃って、屋敷の主の部屋の中に入りキングスが扉を静かに閉めている間に、ロドリーはウサギの賢者が口にした通り楕円形の机の下に手を差し入れたなら、一脚の丸椅子があった。
(確か、アルス・トラッドの趣味は休日大工だったな)
椅子を取り出し腰掛けたなら、机のサイズに合わせて造ったのか、成人男性としてロドリーが机を使う上で、丁度良い高さだった。
他の家具や調度品は、ぬいぐるみの様な賢者に合わせた造りなのに、寝台と机は賢者の本当の姿に合わせられているというのが、正体を知っている者だけが、察する事ができる事でもある。
そこに"成人の男性が座っても障りのない高さの椅子が加わった"という事を加味して、ロドリーは考える。
(西の領地では、本来は貴族の処断の調査だけで話が済むはずだったのに、平定の4英雄の過去にまで食い込み、関わってしまったという報告書は読んだ。
浚渫の儀式もあるが、そういった方面についても片をつける為に、国王陛下と法王猊下が秘術―――禁術の使用許可を出した。
そうした上で英雄2人と王族護衛護衛騎士隊の1人が、古の精霊の長として存在する能力をその身に降ろすという、降臨という禁術を行い事態を打開した。
そこまで大まかな報告を受けてはいるが―――)
ウサギの賢者、アルセン・パドリック、グランドール・マクガフィン、そしてロブロウでは緊急事態という形で浚渫の儀式に代理で降臨の禁術を行ったリコリス・ラベル。
1ッ匹と3人から上がって来た報告書には、アルス・トラッドがウサギの賢者の正体を掌握しているという旨が記されている文章は、一行もなかった。
「ロブロウでは、王族護衛騎士隊のリコリス・ラベルとライヴ・ティンパニー、それとまだ名前は上がってきていませんが、数名の者にウサギの賢者が"ネェツアーク・サクスフォーン"という事実をを晒したそうですね。
この人のサイズに合わせた椅子があるという事は、アルス・トラッドにも賢者の正体を教えたか、若しくは誰かが教えたという事になるのですか?」
確認の為に尋ねると、ウサギの姿をした"上司"は鼻の先にある髭を小さく上下に動かした後に、頭を左右に振った。
「いや、教えてない上で、周囲には伏せておくように頼んでいる状態でもある。
そうだね、その内ロブロウの報告書が全て出そろった後に、統括して報せると思うけれど、ワシの―――私の正体はね、今回王都からロブロウに言った者の中では、ちょっと失礼」
声を途中で"人の姿"の時の状態に変えて為に、喉に負担がかかるのか、報告書を手にしていない方のモフモフとした手を、小さな口元に当て、一度咳ばらいをし、ウサギの姿をした賢者は"部下"に話を続ける。
「―――王族護衛隊指揮官のグランドール・マクガフィン大将の養子になる予定のルイ・クローバー、ウサギの賢者の護衛騎士アルス・トラッド、同じく賢者の秘書となる巫女リリィの3名には、当分の間私の正体を報せるつもりはない」
そこまでを"ネェツアーク・サクスフォーン"の声で断言の形で言い切った後に再び咳をし、普段はモフモフとした毛皮の中に埋もれている、人差し指の爪を出して、ロドリーはの座っている丸椅子を指す。
「その丸椅子はね~、アルス君にこれからは"ワシ”の部屋で作業したりするかもしれないから、椅子があった方がいいかなあ~と思って造って貰ったんだ。
折角キングスも王都に戻って来たから、このまま夏は星座観察や、秋になったら月見をしたり”パジャマパーティー”する時に、新人兵士も巻き込んでしまえみたいな感じでね、うん」
すっかりウサギの声に調子を戻してそんな事を言ったなら、ロドリーは蛇の様な瞳を半眼にして、心からの底から呆れた様な表情を浮かべていると、寝台に座る賢者の横に同僚の仕立屋が膝を揃えて腰掛ける。
そして未だに半眼で呆れている”副官”の同僚に、品よく微笑みながら艶の良い唇を開いた。
「アルス・トラッド君は、基本教練を確りこなしたとしても、他の部隊に配属された兵士の様に演習で学ぶという機会が、著しく減ってしまうでしょう。
時に夜間にしか訓練を出来ない事もあるでしょうから、それをリリィさんの学習を含めて、この屋根裏の星が多く見る事の出来る部屋に招く為の口実を、賢者様は作ったのでしょう。
それに、こちらの大開の窓なら、そのまま屋敷の屋根に出る事も可能ですし星の動きを年中観察することが出来ますからね」
耳に程よく響く声とともに言葉を口にし、仕立屋は大きな寝台の端の方に手を伸ばすと、簡易の"絎台(くけだい・布がたるまないよう一方を張ることに用いる道具)"と呼ばれる裁縫の道具を取りだしていた。
折りたたまれている状態の道具を、"L"という異国の文字の形に組み立てる。
それから下の”台座”と呼ぶ部分を寝台に腰掛けたした腿の下に入れ、動かぬように体重で押さえた後に、紅黒い布切れを取り出すのが、ロドリーの視界に入った。
(あれは、鳶目兎耳の証明の役割も果たすコートを仕立てる時に使う、布生地―――でも少しばかり”質”が違うようにも見える)
ロドリーの物は魔法屋敷についたと同時に脱ぎ、腕に抱え、今は丸椅子を座っているので膝の上にある。
この鳶目兎耳のコートの色や形状は、昔の諜報能力を見込まれて個々の集まりであった時から変わらないが、質が格段に上がったのは、国最高峰の仕立屋が部隊に加入してからの事でもある。
それまでは雛型なる人物が身に着けていたもの―――それ自体は、キングス・スタイナーの先代に当たるシャクヤクが仕立てた物を偶然身に着けていたのを、形状と色だけを真似、個人で信頼できる仕立屋に、生地を預けて任せ纏わせていた。
昔から少数精鋭の形をとっていた事もあって、今は正式には”4人”しかいない部隊という事で、“指揮権”のある国王ダガーの計らいで、国最高峰の仕立屋キングスに命じ、その技術を注ぎ、色々な”加護”を施されているコートとなっている。
だが、仕立屋が繕いを始めようとするものは、随分と生地が傷んでいるのもあるが”古く”なっているのも見て取れた。
それを組み立てた絎台の立てた柱の上の方に取り付けてある、”かけはり”という金属の洗濯ばさみの様なものに挟むと、柱の天辺にある針山に差している針を摘まんでいた。
その流れる様な仕種が一段落ついたのを見たなら、ウサギの姿をした賢者は報告書を手にしたまま仕立屋の腿の上に頭を置いて寝転がり、先程の話を続ける。
「ついでに、屋根の上で戦うなんて方法も教えられるし~。
とは言っても、そんなこと教えたならアルス君のお兄さん気取りの美人な貴族な軍人が怒ってしまうこと兼ね合いだね。
それに、アルス君からしたなら、屋根で戦う戦法よりも、修理なら喜んで登りそうだね」
アルセンの名前が出た事に、自分の部隊の副官の目元が半眼から鋭くなるのもお構いなしに、ウサギの賢者は、仕立屋の膝枕に上機嫌となっていた。
それから円らな瞳をキュッと閉じたなら、薄暗い屋根裏ながらも一度で針孔に糸を通した仕立屋に、届いた手紙が見え易い様に、角度をつけて掲げる。
「お屋敷、雨漏りなさっているんですか?―――それでは、修繕しないといけませんね。でも、やはりそこは専門の方に頼んだ方がよろしいのではないのでしょうか?」
耳の長い上司が掲げた、キングスが伝書する際に使役しているミミズクとフクロウが運んできたであろう、文書を一瞥したなら優しい雰囲気を常に携えている人物の周囲の空気が一瞬で冷える。
その冷えは雰囲気でしかないのだが、同僚の副官であるロドリーにも通じ、俗なこととも思いながらも“普段優しい人物を怒らせたなら、とても恐ろしい”という事を如実に体感させるものであった。
それでいて、繕いを進める運針としての指の動きは正確でしかも早くなるのが、また少し例えようのない恐ろしさを与えてくれる。
「……キングス、先代の隊長から、娘さんを預かっている責任があるのは判っているけれど、そのアプリコット殿はワシの”ネェツアーク・サクスフォーンの”女バージョンみたいな強さを持っていた人だからさ……。
それに、ワシも言い訳になるんだろうけれど、アルス君を護衛に迎えたり人攫いの法の締め直しの書類で忙しかったから、暴君がいつの間にか新人の鳶目兎耳を入れていたのも掌握していなかったし。
正体は知らなかったけれど、ロブロウに行く途中で、居酒屋で会った時には、リリィに何かと気を使ってくれる、優しいお嬢さんだったから、本当に助かったよ、うん。
だから、そこまで―――」
そこまで髭をヒクヒクと動かしながら、寝心地は最高なのだが、醸し出して入る親友の怒気に何とか長い耳を曲げずに、ウサギの賢者が告げた時に、仕立屋はいつの間に針から持ち替えていた長刃という糸切鋏を手にしていた。
「だからこそです。指揮官である陛下が、“色々と総合的に学ぶのにいい機会だろう”と、新米のシーノでも危険のない任務を与えてくださったのに。
しかも、前以てアプリコット・ビネガー様の実力に関しては情報を頂いていた筈なのに、それを活かせずに」
”ピッ”とまるで楽器の絃を弾くような音と共に、長刃で繕い終わり玉結びの僅か上の部分の糸を切った。
「仮にも、諜報部隊に所属するという覚悟を決めたのなら、それこそ情報を活かさなければいけないでしょうに。
最初に巧く行ったのはウサギの姿をなさっている賢者様にしても、グランドール様にしても、前以て何も知らされていなかった上に、農業研修の御勤めがあられた。
だから何かと気の回る、居酒屋の小娘の事をあやしく感じても、”放置”してくれたに過ぎない。
それに気が付いてない事もありますが、護衛対象になるお方に、迂闊に近寄りすぎなんです」
そんな事を語っている間も、新しい糸を針孔に今回も一度で通しつつ、紅黒い生地の物を繕っている場所変える為に、”かけはり”で摘まむ場所を交代させていた。
長い耳を曲げはしないけれど、角度をつけて”恐れ入っている”状態にしながら、まだ正式な面談をしていない部下に関し、本気で起こっている”副官”を目の当たりにした“隊長”は同情する。
「いつも優しい仕立屋キングス・スタイナーが怒ると、鬼の副官になるのは鳶目兎耳に所属する者だけが共有出来る秘密だねえ。
ロドリーは、今回の件は知っていたのかな?」
そう言って”ウサギ”の姿に逃げている賢者に話を振られても、ロドリーにしてみたなら、不快でしかない。
しかしながら、いつもたおやかであるキングスがこの状態を続けるというのなら、“やりづらい”という気持ちは正直にいってある。
(今回は仕方がない―――)
小さく息を吐き出して、先程から半眼や呆れの形をとってばかりいる眼を、過去を辿るために深く閉じる。
国王ダガー・サンフラワーが、ウサギの姿に逃げなければ、この世界に留まる事が出来なくなった存在に、月が満ちて欠けの間に1度は強引に人の姿に強制的に戻し、鳶目兎耳の隊長の役割”人”として熟させたいた。
そうすることで世間では風化してしまったネェツアーク・サクスフォーンという名前の存在をこの世界に縛り付け、ロドリーは、姉の様に思っている人をこの世界から消してしまった人への憎しみを絶やさずに済んでいた。
ただ、憎む事に関してはロドリー・マインド以上にその"役割”をこなしていくれているデンドロビウム・ファレノシプスという美しい女傑がいる事もあり、その余力を彼は、“姉”の様に思う人が望んでいた夢に近づける為、使っていた。
そしてキングス・スタイナーという人は、人の姿を晒す事を苦痛にも感じている、賢者を優しく包み込み様に労わる事でこれまでバランスを保ってきた。
少なくとも、ロドリーが未だに勢いを失わない“憎しみ”をネェツアーク・サクスフォーンにぶつけられるのも、姉の様な人と、ウサギの姿に逃げた賢者の関係を知った上で、鳶色の人を受け入れているキングスがいるからだった。
その存在が”癒し”の状態に近い人が、過去に1度見たことがあるくらいの勢いで怒っている。
その時は、心の底から不本意ながらも、今と同じ様に大嫌いな上司の話題に乗るのが上策なのだと素直に思えたのも不思議に思いながら乗る。
「私も隊長殿と同じ様に、新しい鳶目兎耳の人員が“正式”に加算された事を正直に言って、今この場で知った様なものです」
そして、今は“自分のペース”で今回の会議が進ませる為にも、仕方なく流れを―――キングスの怒りの矛先を変える為に、蛇のようだと例えられる眼を開き、自分の拾った有益そうな情報を口にする。
「ただマクガフィン大将が、隊長職を押し付けて国王陛下の護衛となったキルタンサンス・ルピナス殿が随分と前から、その新米鳶目兎耳と接触はしていた節は、軍部の中にいる事で感じられました。
しかしながら、その活躍はどちらかといえば”便利な情報屋”といった様なの物ばかりを扱ってばかりいたみたいです。
恐らくは、国王陛下がある程度配慮―――というよりは、私達に対して秘密裏にされていた様子は、否めません。
ただ、ルピナス殿自身は、“鳶目兎耳”という国王直轄の諜報部隊があることはしっていながら、ロドリー・マインドは“鳶目兎耳”に属しているとは認知してない口振でした。
ああ、でも”小刀のネェツアーク”の事については、護衛隊長の任務に就いてから直ぐに何かしら探っている様子は、伺えましたよ―――」
そこまでロドリー・マインドが口にし、仕立屋の膝を枕にしている賢者を見たなら、仕立屋の方がそれまで淀みなく動いていた仕立ての指が止まる。
金色の眼で自分の膝に伸びた様に寝そべる賢者と、同じ副官にある立場の人を見比べたまま、指は動かなくなってしまう。
「うーん、それも十分魅力的な情報だけれども、今はとりあえず新米鳶目兎耳”シーノ・ツヅミ”……いや、“シノ・ツヅミ”について話を続けようか」
動きの止まってしまった、仕立屋の膝の上で長い耳を"ピピッ"と動かし、ロドリー・マインドを円らな瞳を細めながら見つめ、ウサギの姿をした賢者は笑う。
「さて、取りあえず―――キングスの怒りを一気に鎮火させるのに、"小刀のネェツアーク"の情報を使うのはお見事だよ、ロドリー」
その情報を扱ったなら確実に、ウサギの姿をした賢者の古傷を抉り、その様子に優しい仕立屋は自分の腹立たしい気持ちなど無視し、その傷を癒す事だけに気持ちを向ける。
ただ、今更というわけでもないけれど、事情を知っているなら誰も触れる事を禁忌の様に扱っている情報を、触れようとしている事は見過ごせないが、何を差し置いてという事もない。
ロドリー・マインドが口にしたmのは、優しい仕立屋の怒りを引かせ、それでいて、鎮守の森の魔法屋敷で引き籠っているウサギの賢者には、有益な情報だった。
「やれやれ、ロブロウでも浚渫の儀式ではグランドールに結構裏で色んな事を仕込まれていたけれど、こっちでも実は密かにやっていたって事なのかなあ。
アルセンに話したら、絶対に本人が気が付かない内に"私"に情報を流してしまうから、褐色のオッサンはこれも秘密裏にやっているか、無意識に避けてやっているのかもしれないなあ。
まあ、何にせよこの情報は"助かる"。
ありがとう、ロドリー・マインド中将」
「"お褒めに預かり光栄です、隊長殿"」
前に会議の日時を打ち合わせをした際に、上司が行った"棒読み"で返事をしたなら、今度はフンとウサギながらに小さな鼻で笑う声が返された。
それから、小さく息を吐いてキングスの膝の上に寝そべっていた状態から起き上がり、短い腕を器用後頭部に回して、寝ていたために癖のついた"毛並み"を戻す様に撫でつつ、口を開く。
「鳶目兎耳は一応、軍の部隊の1つとしてあるとは明記されているけれど、その情報は必要のない限り開示されない扱いだ。
だから、ある意味じゃあ暴君ダガー・サンフラワーが"この子が鳶目兎耳の1人なんだよ"と説明されたら、王族護衛騎士隊の隊長殿は実直な人柄だから信じただろう。
それで、鳶目兎耳を諜報部隊として正しい意味で、受け入れ利用しているんじゃないのかな。
鳶の様によく見える目と、ウサギの様によく聞こえる耳。
それを備えた情報を司る操觚者―――は、"綺麗"で格好良く言い過ぎかなあ」
そう言いながら、本来のウサギならありえない肉球の着いている"掌"を見つめ、開閉を繰り返す。
「ただ、確かに情報を持ち帰る為に認める筆を握る事もあるけれど、ワシが"鳶目兎耳"として行った事の中には、総じて"悪い情報”と判断できる物を切り取り、闇に葬っちゃう刃を握る時間があったりもしたからねえ。
まあ、ここにいる皆も、形に残さないだけで、少なからずやってはいるだろうけれどね」
何気無く"隊長"の口にする言葉が、屋根裏部屋に僅な静寂をもたらすが、直ぐにそれはもたらしたウサギの言葉によって消えた。
「しかしながら、鳶目兎耳に関して、ワシやロドリーの名前は出さないにしても、キングスの名前は暴君陛下は護衛隊の隊長殿には出しただろうね。
そして、その上でシノ・ツヅミの名前も出し、連なって御父上のツヅミ殿の事も伝えただろう。
あの娘の御父上は、貴族社会か軍部に関わったなら、現実か文字に拘らなかったら何等かの形で耳に入ったり眼に入ったりする事になる。
まだ部隊でもなかった個々の集団でもあった諜報が得意な、どちらかと言えば"集団行動"が苦手な人の集まりでもある鳶目兎耳の素質を見出された者は、あの方が見事に束ねられた。
それでいて、芸術の面にしては天才の域を超えてはいるけれど、人間関係はある意味孤高を貫いたシャクヤク・スタイナーの従者もこなせる懐の深い方でもある。
ワシは部隊としての隊長の役割は、暴君から押し付けられたけれど、ツヅミさんも前に何気なく誘ってくれていたからね。
文句言いながら引き継いだけれど、それは彼の誘いを無碍にした事へ後悔もあったし、じっくりと一度話したけれど、本当に”出来た人”だったよ、うん。
それに、シャクヤク様が養子にしたキングスのことも、この国に訪れて不慣れな間、とてもよく世話してくれたのを見て知っている。
それで、ツヅミさんの娘の”シノちゃん”の事は、1人立ちが出来るまで本当の妹の様に接したやって欲しいと頼まれているのも、キングスは忘れていない。
そしてキングスが必要以上に怒っていたのは、昨年成人し鳶目兎耳の基礎を身に着けたけれども、妹の様なシノちゃんへの、心配の裏返しといった所なんだろうねえ」
そう言って、自分の横に座る仕立屋を賢者が見上げたなら、例の艶めかしくも見える赤面を針を指に摘まんだまま、浮かべていた。
”妹を心配する”という上司の言葉に図星をつかれ、恥じらって赤くなる同僚の姿を丸椅子に座して見つめるロドリーは、表情には出さないが胸の内で脱力していた。
いつも優しい雰囲気のキングスが、怒っているのは調子の狂う所ではある。
しかしながら、家族の様に思っている相手の為に、心から心配した上で怒っている事はすんなりと受け入れる事が出来ていた。
ロドリーも、もし気の弱い母の様に思っている伯母が、自分の預かり知らない場所で無茶をしたなら、心配と共に小さな怒りも抱くと思う。
何よりも先ず、
"どうして、一言でもいいから自分に相談をしなかった"
という気持ちが浮かぶが、素直な伯母が
"ごめんなさい、ロドリーさんに迷惑をかけたくなかったの"
という謝罪の言葉を口にするのが容易に想像できる。
もしロドリーの立場なら”心配をかける事が既に迷惑だ”という反論も浮かぶが、小心者の伯母に告げても、委縮してしまうので口にはしない。
(しかし、シノだかシーノかは知らないが、スタイナー卿は"保護者"として、無事に再会できたら派手に小言を告げそうだな)
そこから先は、同僚と"妹"の"私事"になるので、口にも出さないけれども、これからの鳶目兎耳に関係するだろう部分で意見を言葉にする。
「それでは、今回の事は、指揮官でもある陛下が勝手に”シノ・ツヅミ”を使い、訓練も兼ねて動かしていたのでしょう。
シノが陰ながら護衛する様に言われていた人物は、前回が、ウサギの姿をした賢者の巫女。
こちらは側にグランドール・マクガフィン大将も傍にいた事ですから、失敗する方が逆に難しいくらいでしょう。
そして、今回の失敗した護衛の相手というのは―――」
そこまでいうと、今は寄り添う様に仕立屋に引っ付いている上司に続きを促す様にして視線を向けると、小さく頷いて、ヒゲがピンと伸びた口を開く。
「ロブロウの領主を罷免された御婦人アプリコット・ビネガー殿。
ワシがさっき言った通り、護衛対象の相手が悪くて失敗してしまったみたいだけれどね」
「隊長と同じ様な具合の存在の方なら、鳶目兎耳としての武芸基本を納めたとしても、赤子の手を捻るようなものでしょう。
それで新米は、失敗具合を良かったら、説明してくださいませんか?」
―――”ネェツアーク・サクスフォーンの”女バージョンみたいな強さを持って”いた”人。
わざわざ過去形にした言い回しを聞き逃さなかったけれども、新米の現状が気になった。
怪我などはしていないだろうが、ウサギの賢者を含めて人の姿をいていた時の、姿と"性格"を知っている者として、五体満足でも、心の方が、心配ではなく”気になった”。
(デンドロビウム・ファレノシプスにしても、アルセン・パドリックにしても、心の負担にならない程度の”トラウマ(イナゴの佃煮を騙されて食べさせられる等)”を、確りと植え付けた実績がある)
そのトラウマを利用して、上司が相手を思い通りに操るというわけではないのだが、何かしら、やり取りを行う際には過去に”してやられた”という意識を根付かせていた。
そこからは、本人の意識の問題なのだろうが、”してやられた”方には良し悪しに拘らずに思考に”癖”の様な物が付いているのが、10数年”知人”としての付き合いがあって見て取れる。
とりあえず、ウサギの賢者に対し信頼はもしてはいるけれども、何気ない信用に関する判断をする時に、警戒心がとても強くなったのが判り易い特徴になっていた。
(ウサギの姿をした賢者―――ネェツアーク・サクスフォーンとよく似ている本人が言うくらいだからな)
「”失敗具合”はね、私の口で説明するよりも、読んだ方が早いよ」
そう言いながらキングスが伝書に使役するミミズクとフクロウが、運んできたであろう手紙をロドリーの方に差し出した。
「私が、先に読んでも構わないのですか?」
ロドリーはそう言いながらも、天井に頭をぶつけない様に丸椅子から立ち上がり、寝台の方に近寄りながら、フワフワとした手から手紙を受け取る。
「うん、どうせキングスはシノちゃんに”指導”する際に読みあげ、確認もするだろうから~。先にロドリーが読んどきなよ」
「……賢者様」
未だに目元を紅くさせ、名前を出されて恥じらっている仕立屋を表情を楽しみながら、ウサギの賢者は再びその膝に頭を寝かせた時、上の方から”ゴン”という音が響いて、小さな塵も落ちてくる。
「―――ロドリー殿、大丈夫ですか?」
部屋にいる面子と、状況で考えたなら”天井に頭をぶつける音”を出せるのは、自分の同僚だけなので、寝台の方から低い天井を見上げたなら、賢者に渡された手紙を凝視しながらぶつけていた。
「あ、ああ、大丈夫だスタイナー卿。
それよりも、この"シノ"と呼ぶことにしようか。
個人的に余り、その叱るにしても、十分反省をしている事になるのがこの手紙から伺えるから、不手際に至った過程を確認する形を提案する」
鳶目兎耳に新米で後輩としても入る相手と仮定し、また姓の方は、知っている者には父親のツヅミを思い浮かべさせる事になるので、名前で呼ぶ。
そして頭部に受けた痛みよりも、ロドリーにそう言わせてしまうその手紙の"内容"に同情が占める気持ちが余りに大きく、ロドリーは保護者の立場となる同僚にそんな事を告げていた。
「ええ?!」
キングスはキングスで、軍学校でカリキュラムを組み立てつつ、幹部候補生の教官も兼任するにあたり、出自がどんなに立派でも、公平で厳格で有名な蛇目の男が、"叱らないでやって欲しい"という発言に驚愕していた。
そして驚きのあまりに、再び繕い物を進めようとして摘まんでいた針を、"パチリ"と音をたて折ってしまったのを見つめ、戸惑いながらも"手紙の内容"が非常に気になる。
「ああ、すみません、賢者様」
「アッハッハッハッハ。
相変わらずキングスの握力は凄まじいねぇ、それにしてもロドリーも同情してしまったかい」
部下2名の驚きの反応にウサギの賢者は、満足した笑いを、仕立屋の膝の上から漏らしていた。
「頑張った事は認めてやりたいんだけどね~、でもワシが言うのもなんだけれども、相手が悪かったね~」
ウサギの筈なのに、仕立屋の膝の上でまるで猫の様にゴロゴロとしながら、賢者はのんびりとしながら、そんな事を言う。
「まあ、もしかしたら"暴君ダガー・サンフラワー"はこうなることを、見越してシノちゃんを、アプリコット殿に接近させたのもあるかもしれない。
でも、シノちゃんからしたなら、キングスに早く認めて欲しかったんだろうね。
成人して、仕立屋の弟子としては受け入れたもらったけれど、鳶目兎耳としてはダメというのが、悔しかったのが1枚目の手紙によく出ているよ」
―――”鳶目兎耳”のシノから、キングス様へ。無事に王妃候補アプリコット・ビネガー様は宿場町に到着なさいました。
1枚目に魔法で記された文字と、2枚目に"アプリコット・ビネガー直筆の手紙"の内容を思い出しながら、賢者は大好きな膝の上で微睡んだ。