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旅立ちの時④

ウサギの賢者を伴って八角形の大地から、アプリコットが放った嘴の形をした炎から逃れるようにして、旧領主邸の秘密基地で待っている女の子の元へ向かってから、こちらに戻ってくるとしたなら、体感した時間が、余りにも短かい。


アルスも夕刻の日の光を見た時から、時間の流れの速さに驚きを感じつつ親友の傍らで、無言で同調するように頷いていた。


そうしている間に、イグは先ず八角形の大地の上の方へと向かい、一番目立っていた趾に着けていた荷物を、国王が帰ってから漸く動き出すアプリコットが受け取っていた。


どうやら荷物の中には、何か手紙の様な物もあるらしく、それを読んでいるアプリコット・ビネガーの姿を見たなら、少年達は改めて時間の流れの不思議さに、視線を交えた。


『"儀式が終わってそれから色々あった“、そしてそれが終わったのが昼過ぎ。

そこからイグがウサギの賢者を運んでから、今が"夕刻"という時間という考え方で、納得はできんかのう?。

とはいってもそういう風にし言えんし、実際に時間は流れておるから、これ以上は”そうなっている”としか、言い様がないからのう―――』


グランドールは逞しい腕を組んで、何とも言えない表情を浮かべて固く眼を(つむ)る。

どことなく”巧く説明が出来ずに苦慮している”のは、シュトとアルスでも判った。


『まあ、先ずは落ち着きなさい。

どちらにしろ、アルスやシュト君が今回の事で感じている”不可思議な時間の流れ”は、もう落ち着きましたから。

それと、シュト君は勉強が嫌いで、アルスは軍の新人兵士の魔術の初級の座学で教わらないので、知らなくても仕方がないかもしれませんが、本当に大きな魔法を使った際、体感する時間と、実際に進んでいる時間の歪みが産まれる事が、稀にあります。

大方は、”心の持ちよう”で辻褄を合わせられるぐらいのズレですが、今回は幾分か大きすぎたみたいですね。

でも、もしこれがイグが時間をおいて、こちらに戻ってきたなら納得―――というよりは、戸惑いは解消できますか?』


そうアルセンが訊ねる視線は、シュトに向けられていた。


『はい、それなら、時間をつかっているわけですから』


シュトがそう返事をしたのを見たなら、次に自分の教え子を方を見る。


『じゃあ、アルスはどうですか?。


浚渫の儀式が昼前―――、いえ、その前に行われた渓流の浄める儀式の時に少しばかり手間取ったと報告を受けていますから、昼過ぎに終わった後。

続いてこの場所に運ばれて、街道を含めて浚渫の儀式で作った八角形の大地のうえで起こった不可思議な出来事。

それらが一段落ついて、国王陛下が姿を現し、今まで姿をくらましていたウサギの賢者が戻って来た。


それから、イグの力を借りてウサギがリリィさんの元に戻って、何らかの連絡の方法を持ってこちらに戻って来た。

先程シュト君は、イグが往復する時間が短すぎるといいましたが、朝から今まで起こったことが、”正しい時間の間隔”で行われていたなら、夕刻という現状はどう思いますか?』


『その、感じている時間の長さはともかく、起こった出来事を”総合的に合わせて”、使った時間が過ぎたならということですよね、アルセン様?』


教え子の確認の質問に、元教官でもある貴族は小さく頷き傾く綺麗な顔を見ながら、新人兵士は今一度、朝からの起きた出来事を振り返る。


昨夜の局地的豪雨や、これまでも豪雨の度に問題とされていたという、ロブロウ自慢の渓流の整備に加え、今回の豪雨で引き起こされそうな天災を未然に防ぐ為に行う儀式の支度。


儀式の支度が終わったその後に起きた、恩師も口にしていた渓流の浄める儀式の時に少しばかり手間取り、昼過ぎに終わった後。


(思えば、そこからは”怒涛”って感じだったな)


それからは新人兵士の魔法が使えない少年には、起こった事は幾度と許容量を超えてしまいそうな出来事の連続だった。


(きっと、1人ではあの"流れ"に堪える事なんて出来なかった)


儀式が終わった直後は、今はもうこのロブロウからは旅立っているという、眼も髪も鳶色をした指揮者がアルスの側にいてくれた。


そして、本来ならこの場所に訪れない筈の、今は眼前にいる恩師が現れ、それに続くように、本来ならリリィを護衛している筈の今は横に立ってくれている親友が姿を現す。


そこから、大きな流れがあったけれども、護衛対象の側で新人兵士は踏み留まる。

けれど、護衛というアルスの役目を果たすために共にいなければいけない鳶色の人は、随分と厳しい言葉でもって、己の護衛となる新人兵士を、乱入してきたアルセンに引き渡していた。


諸事情は今も判らないけれど、その時はどうやら状況的に敵対関係にあったアルセンが思わず言葉を挟むほどの、鳶目兎耳の鋭い物言いで、胸を抉られるような思いをした。


(あの時は、アルセン様と、あの方がいたから堪えられたんだ)


鳶目兎耳と共に、恐らくもうロブロウ―――この世界からは"帰って"しまった、ほぼ最後まで敵対していた存在にも、声をかけられて何とか流されずに済んだ。


―――ネェツアークには秘術使用許可を出して、一緒に渓流に落ちた方を"元の世界"に案内する手配と、絵本を回収する様に告げた。


先程帰ってしまった王様が、今も手にしている通信機越しに、そう教えてくれた。


(それからアルセン様とこの場所にやって来て)


そこからもアルス1人では、堪えきれず流されてしまいそうな出来事の連続だった。


でも、何かしら誰かが側にいてくれたことで、どうにか今に繋がっている。

そして、不在だった自分の本来護衛する筈の賢者が戻ってきて、アルスの職場の"先輩"で妹の様に思っている女の子とも再会してくれた。

再会出来た所を想像したなら、アルスは自分でも気がつかない内に、顔を綻ばせながら続きを考える。


(それで鷲のイグが驚く早さで戻ってくる直前に、夕方になっていることに、アルセン様と一緒に気がついて)


恩師の質問の答えが定まりそうとも思えた時、不意にとても強い徒労感にアルスは包まれた。


(―――あれ?)


『―――アルス、大丈夫ですか?』


中々質問に答えない、教え子の空色の瞳が陰るのを正面に立っているアルセンが察し、声をかける。


『す、すみません、何だか急に疲れたっていうか、その自分は殆ど、今回の儀式やその後起こったことには、何も役には立てなかったのに』


(思えば"ウサギの賢者殿が戻ってくる"という約束をまもってくれたのは、賢者殿自身であるわけだし)


アルス・トラッドは、事情があってその場にいることが出来ないウサギの賢者に代わって、了解も取らずに、ただ言葉に出して勝手に約束をしただけ。


でも、あの耳の長い賢者なら、とても大切にしている巫女の女の子が泣き出してしまうほど不安な様子を見たなら、躊躇わずに約束し、そして守ってくれると無条件に信じ、気がついたらしてしまっていた。


(後で、機会があったら、賢者殿に勝手に約束をしていたことを謝らなきゃ)


そう考えた時、脇に手を差し込まれ、二の腕を捕まれる形で隣に立っているシュトに支えられる。


『アルスは、頭では時間がどうこうって考えているかもしれないけれど、身体の方は"朝から夕方まで十分働いた"って、感じで疲れているみたいだな』


シュトが呆れの表情をうかべながらも 、アルスを見つめる眼の内に確りと"心配"の感情を浮かばせていた。


『護衛って仕事もろくにこなしてなくて、情けないけれど、そうみたいだ。

―――"ありがとう"、シュト』


最初は礼の代わりに、"ごめん"という言葉を口にしようとしたけれど、それが何だか失礼の様な気がして"ありがとう"という言葉を声に出した。


『……アルスからの返答ではないですけれど、身体の方は、一日中訓練をした時の夕方の時刻相応に疲れているみたいですね。

それに、何かしらは疲労が表に見えた瞬間は、緊張の糸が切れたようにも見えましたが、何かそう言ったことを思い出しましたか?』


自分と親友の教え子のやり取りには品の良い笑みを浮かべつつ、アルセンが改めて浮かんだ疑問を尋ねると、それについてはアルスの中でも答えは固まっているので、直ぐに返事をする。


『あ、あの法王様の飼っているイグが、戻って来たって事は、賢者殿が無事にリリィに会えたんだって。

その事に気がついたなら、とても安心してしまいました。

ろくに護衛の役割をこなせなかった自分が、疲れたってのいうのはおかしいんですけれど、安心したら急に疲れが我慢出来ずに出てしまった感じで、申し訳ありません―――痛っ』


そこで、シュトに支えられる様に、掴まれている二の腕を痛みを感じ、アルスが思わず声を出したならシュトは慌てた表情を浮かべ、"すまない"と口にしたが、次に決心したように、言葉を続けた。



『でも、"ろくに働いてない"何て言うなよ。

俺なんて必要があったにしても、リリィお嬢ちゃんの護衛を、美女だけど、偉い気迫のある騎士さんと、猫みたいな語尾つける騎士さんに引き継いでもらって、途中からこっちにきてるようなものだし』


『―――その、自分の言い方で気を悪くしたならゴメン』


アルスが今度は謝罪の言葉を口にしたなら、シュトは舌打ちをしてしまっていた。


『別に気を悪くしてるんじゃない。

アルスは新人兵士で若いし体力もあるんだろうけれど、今は元に戻っているらしいけれど、よくわからない時間の流れになってしまった場所に、最初から最後までいたんだろう?。

国の英雄であるグランドール様や、王様直轄の部隊のネェツアークさんや、ウサギの賢者殿位強いとか言っているロブロウの領主のアプリコット様は体力も気力も郡を抜いているから、比べるのがおかしいんだろうけれど、最初から最後まで付き合えたって事は凄いと単純に思う。

で、多分"後半"からの、途中参加の色々事情をそれなりに聴いている俺より、何もわからないで、この場所に留まっていたアルスは、もしかしたら2倍以上には疲れているのは、仕方ない。

だから、時間の感覚はアルスの身体が感じ取っているくらいが、一番正確なのかもしれない。

何があったにしても、時間の流れがおかしく感じても、今、ロブロウっていう領地は浚渫の儀式の終わった、"夕方"なんだろうさ』


そう、力強く言い切った。


途中からの儀式の"参加"で、人生の区切りとなるだろう自分の師となる存在との、"対決"と別れが、シュト・ザヘトにはあった。


そのどちらも、"その時"は堪えきれないと思えるほど辛い出来事だったが、過ぎてしまった今もシュトは、どうにか心を確りともって残っている。



それは(ひとえ)に、アルスが傍にいてくれたお陰だとも、今は思っていた。

師となる存在との対峙や、別れの渦中に色々な励ましの言葉や支えを親友は与えてくれた。


ただそれらもあったけれど、自分の傍らで星の様な輝きにも見える金色の髪や、曇天の中でも"空"を感じさせる眼が傍にあるだけで、シュトは気持ちを強く持つことが出来ていた。

だから、アルスが己の働きを否定するような発言をすることが、悔しかった。


何かと諦めてしまう事が早いと性分を自覚しているシュト・ザヘトが、珍しく根性を出して踏みとどまった頑張りまで否定している様に感じてしまったから、無意識に強く止める言葉を口にしていた。


一方のアルスはアルスで、自分の悪い“癖“の様な物を出してしまっていて、親友となってくれた少年の心をかき乱していた事に、漸く気が付く。


―――アルスの態度は謙虚を通り越して、そう、卑屈かな。

―――卑屈の中に自分を押し込んでいるようにも、私には見えるんだがな。


シュトが言う”美女だけれども凄い気迫”で、アルスが密かに淡い想いを抱いているの王族護衛騎士隊のディンファレにも、浚渫の儀式に移る前に、似たような事を注意されていた。


―――自分の思い込みだけで勝手に気持ちを固める物ではない!。

―――それにお前は"自分が汚れてでも守りたい"気持ち、そんな"誇り"など考えた事はないだろう。


(僕は、また“優しさ”で誤魔化して、逃げようとしていたのかな)


―――今こうやって話している時も、優しさを盾にして、汚されるくらいなら――相対する者と互いに傷ついて傷つけてしまうくらいなら、"誇り"などいらないと考えているだろう。


―――ただ優しく強い剣を振るって、守りたいものを自分も相手も傷つけずに守ろうと思っている。

―――そうやって、汚れない為の逃げ道を作って"普通"の考えを保とうとしているだろ。

そんな考えなら、軍人など次の任期契約の際がきた時に止めてしまいなさい。

―――でないと、お前が敬愛しているアルセン様がいずれ恥をかき、もしかしたら立場を失う事に繋がりかねない。

そして、今は生まれて初めて出来た親友の心を、自分の卑屈さで傷つけたような気がした。


(でも、”ゴメン”と謝ったなら、またシュトの気持ちを傷つけてしまう)


”どうすればいいか、わからない”


落ち着いて考えたなら、何らかの答えははアルスの中でも出せそうでもあったけれど、親友の気持ちを、繊細な部分で害してしまった事に狼狽えていた。



『それでは、アルスが疲れている事で、シュト君も、不可解ととらえても仕方がない、この時間の流れを納得はしませんが、受け入れてくれたようで何よりです。

次に進みましょう』


そこに敢えて場の雰囲気という物を読まずに、ばっさりと斬る様にアルセンが言葉を差し込んだ。


思わず、呆気にとられて、普段の軍人として身に着けている軍服とは違う、緋色の衣を纏っている貴族は腕を組んだまま、作っているのが一目で判る笑顔を浮かべ、更に続ける。


『貴方達には、まだまだ"親友"でいれる時間が、沢山あると思います。

だから、この話題でこれから友情を深める事も喧嘩する事も出来ますから、今進められることを進めさせてもらいます』


『何やら領主殿を含めて、ネェツアーク共々、バケモノ並みの体力や、物凄い扱いをされたみたいだが、それでお前達がこの状況を受け入れるのなら、ワシは構わんぞ。

まあ、実際体力にはそこそこ自信がある事は確かだ』


『あ、その、物の例えにしても失礼な事を言ってすいませんでした』


アルセンに続いてグランドールも、話を進める事に乗る調子で、頑丈そうな歯を見せて笑うと、シュトは先程"勢い"で口にしてしまった事を思い出して頭を下げた。


そこからは、何とも言えない間が出来て、少年達はいよいよ、言葉が続かなくなり、何とも言えない気恥ずかしさに赤くなって俯いてしまう。

だがその事も含め、雰囲気を読まない姿勢を美人の貴族は崩さずにいると、小さな羽ばたきの音が下から聞こえてきた。


『それではロブロウ領主、アプリコット・ビネガー殿もウサギの賢者殿からの連絡も終わった様です。

それに、どうやらこちらにも連絡事があるみたいですから、私達も、そちらに集中しましょうか』


アルセンがそう語っている内に、羽ばたきの音が大きくなって鷲のイグがアプリコットの元から飛んでくる。


その趾には、先程旧領主邸から飛んでくる際には影で見えていた荷物は無く、手紙の様な紙切れを数枚結び付けられていた。

イグは先ずはアルセンに手紙を取らせた後に、前の時と同じように褐色大男の肩に止まった。

鷲が運んできてくれたのは、状況報告の手紙のようなものだと思っていたが、予想に反し、可愛らしい黒猫のイラストが紙の四隅にデザインされてある、大きめのメモ用紙だった。


『え、アルセン様?』

『何してるんすか?』


アルスとシュトが再び揃って驚いたのは、アルセンがメモ帳を手にして先ず深く眼を瞑ったてしまった為だったが、疑問の声を出した少年達も直ぐに、何か"仕込まれている”事に気が付く。


『ウサギは、何をメモ帳に隠して伝えてきているんだ?』


そして少年達の気持ちを代表する形で、グランドールが尋ねたなら、アルセンは半眼でも十分な大きさを感じさせる、綺麗な緑色の瞳でメモ用紙を捲り、内容を確認しながら答える。


グランドールは後ろから覗き込む形で、そのメモに書かれている内容を確認しながら頷いていた。


『―――どうやら、ウサギの賢者殿方でも、アルスとシュト君の似たような"辻褄合わせ"が、リリィさんやアト君、それにロブロウの前領主夫妻、そして従者の方に対して、行われたようです。

私達が、賢者殿が"辻褄"を合わせに付き合う部分は、このメモ帳に箇条書きに書かれた箇所です。

記された事が、ロブロウで浚渫の儀式で行われたの事実なのだと、今後尋ねられた場合は応えてください。

多分国王陛下にも、表向きの理由の報告書の基礎(ベース)を、このメモ帳に書かれている事にするつもりだと、思います。

―――それと、アルス。

貴方にも少しばかり縁が出来た方が、わざわざロブロウまで頑張って、魔法で“また”いらしていたみたですよ』


そう言いながら、アルセンがまた作り笑いと判る笑みを浮かべて、手紙を支えている方のシュトに差し出した。


『へ?自分にですか?』


今度はアルスが単独で驚きの声を出している間に、黒猫のメモ帳を受け取ったシュトは、その伝達内容の記され方を見たなら、それが自分の弟のアトにでも判り易く書いてあるのだと判った。

そして実際に起こった 出来事と比べたなら、随分と”優しい物語“がそこには、アプリコットの着けていた仮面の最後と共に記されていた。


ただ”紫のかみひこうき“という(くだり)には、最後はウサギの賢者がやっつけたという結末があったとしても、シュトは口を”へ”の形にしてしまう。


『何だあ、儀式をやったこっちは何とかまとまっていたのに、最後の最後でウサギの賢者殿が、アプリコット様の仮面を使った大きな魔法で、バケモノをやっつけるような事まであったのかよ。

しかも、あの“紫のかみひこうき”だって』

『紫の紙飛行機?何ですか、それ?』


シュトには十分通じるけれど、アルスは全く判らない。


『ああ、そう言えば、あの方関連では、アルスは接していませんでしたか』


アルセンとグランドールは軍学校の学生時代の旧友を通じ、関係している逸話を知っているが、教え子には初見なのだという事に気が付き、アルスの”接点”から、簡単に説明した。

そしてその説明を聞き終えた時、アルスは凛々しい印象を与える顔の眉間に、はっきりと縦シワを刻む。


『それでは、アプリコット様やアト君がやっつけた炎のイノシシじゃあ飽き足らず、賢者殿が調査で姿をくらましたロブロウで見つけられないからって、そんな物騒な物をリリィに送りつけていたのですか?!』


アルスは王都でも配属されたばかりの頃、ウサギの賢者の魔法屋敷に急襲してきた炎の矢や隕石(メーティオ)を送りつけてきた相手の話は、アルスも少しだけれども聞いている。


その相手が、ロブロウに仕事で赴いている賢者を執拗に追いかけるのは、昔の確執がそれ程根深いのかもしれないのなら、それは仕方ないのかもしれない。


けれども、”ウサギの賢者”がその姿を見せなくなったからと、力のない巫女の女の子を狙っているという話に、優しい護衛騎士は憤慨する。


『恐らくは調査や儀式の間なら、憎くらしくてたまらないウサギの賢者の隙を狙えるとでも、思ったのでしょう。

私やグランドールも、ウサギとは昔から縁があって、親友として身内贔屓な所もあるでしょうが、ウサギの賢者殿が、相手に”逆恨み”される経緯も知っているつもりです。

ただ、実際あの賢者殿とはっきりとした交流が復活したのは、私はアルスの配属に関してと、グランドールは王都で偶然出会った事と、今回の農業研修からです。

今という時間の流れで、一番付き合いの長いのは生活を共にしているリリィさんです。

どういう基準や魔法を使って、物騒な魔法の標的を定めているかは、憶測になりますが、ウサギの賢者殿との縁が濃い存在を順次狙っている可能性もあります』


それまで半眼だった眼を開き、アルセンは教え子に視線を向ける。

その視線を受けると、教え子の方は縦シワを浅くしながら、小さく頷きつつ答える。


『アルセン様の考えが当たっていたなら、護衛をしている自分も、ウサギの賢者殿を執拗に狙っている相手の標的になるかもしれないということですね』


『確証はありませんが、このまま生活をともしているなら、恐らく。

でも魔法が不得手でも、これからその急襲にアルスが見舞われても、恐れるといった様子でもないのは、頼もしいです』


教え子の面構えをそう評してから、まだ口元を曲げているシュトの方には、優しい微笑みを向けて唇を開く。


『それとメモには記されいませんが、アト君も、用心棒として大活躍したみたいですね。

紫の紙飛行機を、ウサギの賢者殿がイグに運ばれるまでに、ディンファレ殿やクラベル殿の補助もあってスリングショットで相当撃墜した様子です。

それにアプリコット殿の仮面を魔法で槍の形に変え、止めを刺す時は、銃を使って見事なサポートを行ったと、賢者殿も感謝をしていますよ』


優しくて綺麗な親友の"先生"の笑顔を見たなら、不思議と弟の"シュト兄、アトがんばったよ"という言葉が頭に浮かび、曲がっていた口元は戻る。


『あ、その、どうも』

弟が頑張った事と、それを褒められた喜びの方が、シュトの心の中で紫の紙飛行機に抱いていた諸々の嫌悪感を軽く凌駕していた。


『よし、それではそろそろ、戻るとしようかのう。

どうせ込み入った辻褄合わせをするなら、領主殿も交えてやった方がいいだろう。

領主殿も、見える限りでは、メモに書いてあった新しい仮面の調整も終わった様だ。

支度というものの程もないが、準備をしてくれ』


グランドールは場を仕切るように言うと、その場に居る一同は揃って頷いた。

本当に支度という物はそれほどないけれど、シュトにとって今から立ち去る場所は自分の師が“旅立った“場所であって、これから立ち去った後に、訪れるのも難しい場所でもあった。

だからその場所を眼に焼き付けるように―――今は、秋桜の新芽が丸く草原の様になり、茜色の夕焼けのを浴びながら、風に揺れていた。


『―――シュト君、直ぐにではありませんが、今度はアト君もつれて、必ずもう一度ここに来ましょうね』


自分の師匠と親友でもある、親友の恩師がそう声をかけられて、シュトは深く頷いた。


『そうですね、ちょっと来る時に“怖がらないと“いいですけれど』


自分を支えてくれている親友が、感慨深くこの場所に無言で恩師と共に一時の別れを告げている。

そんな中で、アルスはグランドールが何気なく口にした言葉と共に、戻ると告げられてから、改めて気になり始める事が複数浮かび始めていた。


"領主殿も、見える限りでは、メモに書いてあった新しい仮面の調整も終わった様だ"


(新しい仮面がどうやって出てきたかも所も疑問だけれども、思えばアプリコット様はケロイドがあった筈の肌も、滑らかになっている疑問もあったんだった。

でもこうやって、気にしている余裕なんかが、今になるまで、まずなかった)

これまでの“怒涛の流れ”で、疲労困憊ながらもアルスは留まる事は出来た。


この怒涛に留まる為に色んな人の助けを借りたり、自身に負担をかけない為に、拘る必要のない疑問は、その流れに乗せて手放したつもりでいた。




でも今はという時間は秩序が戻り、怒涛という非日常の流れから、日常の緩やかな流れが普通になろうとしている所で、頭の隅に確りと残っているのを見つけてしまった。


まるで激しい流れの為に水底に沈んでいたものが浮かび上がってくる様に、アルスの頭の隅の底に追いやられていた、疑問も浮かび上がって来ていた。

そして先ず浮かんできたことは、”仮面”に絡んだアプリコット・ビネガーへの疑問。


(アプリコット様は、本当は最初から顔にケロイドなんてなかったという事なのかな?。

“お茶目“じゃないけれど、イタズラ好きなのは、ウサギの賢者殿と似た所があるみたいだし。

ああ、でも)

始めて彼女のケロイド顔面を見た際の事を振り返る。


―――本音を言えば、屋内なら仮面を付けない方が私は楽なんです。

―――だけれども周りは仮面を付けてない、私の"素顔"をどうしても気の毒がる。

―――私はこの傷と向かい合っている。

―――けれど、遠慮なく気の毒がるから、もう面倒くさくて。

―――仕方ないから、屋内でも初対面の方々には平素は仮面を付けています。

―――仮面をつけていれば不思議がられますが、気の毒がられる事は少ないですから。


(あれは、嘘を言って、自分達をからかっている様にも見えなかった)


『アルス、どうかしたかのう?』


グランドールはアルスが何やら疑問を抱えたのを察したなら、この場所に共にいるが、意識をずっと失っている状態で、横たわっているルイを抱えあげようとしながら尋ねる。


鷲のイグは"鳥"ながらに人の話に興味があるのか、逞しい肩の上からこのやり取りを見比べるようにしていた。

アルスは片方の肩に鷲のイグ、もう片方にルイを抱える国の英雄に思い切って尋ねてみる。




『領主アプリコット・ビネガー様の"新しい仮面の話"と、ケロイドが消えてしまっている事なんですが―――』


その質問を始めると同時に、アルスを支えているシュトは、それまで見つめていた場所から視線を外し、眼に見えて"ハッ"とする。


支えてくれている親友自身も、自分と同じ様に"小さな疑問に構ってはいられない"という調子で、こうやって疑問をグランドールに口に出して尋ねるまで"敢えて触れず"にやって来たのだと、新人兵士は気が付いた。


そしてアルスが質問するまで、シュトと同じ様に秋桜の若い芽を見つめていたアルセンは、驚きはしなかったが、小さく息を吐く為に、形の良い唇を薄く開けている。


それから自分の教え子に尋ねられている、褐色の大男で親友に、茜の夕焼けの色を含んだ眼を向けた時、教え子は質問を終えようとしていた。


『グランドール様は、何かしらの理由は判りますか?』

『いいや、ワシにはさっぱりアプリコット・ビネガー殿のケロイドの事なんかわからんし、しらん。

そもそも、ワシがロブロウ"代理"領主アプリコット・ビネガーと出逢った時期や、接した時間は、大農家の従者としてついていたアルスと大して変わらんのに、知る筈がなかろう?』


やや乱暴にも受け取れても仕方がない物言いで、あっさりと褐色の大男はそう返答する。


いつもの"好漢"と呼べる柔らかい雰囲気は削ぎ落された言い方に加え、例えるのに難しい無言の圧力を新人兵士を含め、それを支える傭兵で、領主の用心棒となる背の高い少年に与えていた。

そしてその"圧力"の効果が十分にあったのを感じ取ったなら、揃って戸惑う少年達に頑丈な歯を見せながら、いつもの好漢の笑顔を向ける。


『だがな、今まで仮面を身に着けていたアプリコット・ビネガーが、その仮面をこの儀式で紛失した事。

しかもケロイドがなくなった顔で、領民の前に姿を現したなら、大きな動揺を与える事は、想像するに容易いかのう。

それに、女性が領主であることに否定的であった土地柄の者達が、敬愛するピーン・ビネガーの面をなくした事と、ケロイドの顔面がなくなった事で、変な理屈を持ってきそうな気もする』


グランドールがそう語った時に、アルスは自分の頭の浮かんできた疑問の側に、更に小さく浮かぶ疑問があるのに気が付く。


でも、浮かんできたその小さな疑問自体にはアルスにしたなら、気にもならない。


けれども、特にロブロウという場所に昔から住んでいる者には、気が付いてしまったなら本当に気になって仕方がない部類の疑問だと、褐色の大男が遠回しに言っているのを察した。


察した内容を言葉で説明するに事になったなら、アルスの様な性分の性格にはどうしても、疑問自体は気にならないのに、その気にする相手の理屈のが逆に厄介なものに思えた。

それで厄介でもあるついでに、勝手にアプリコット・ビネガーの心配を始めてしまう。


―――女性が領主であることに否定的であった土地柄の者達が、敬愛するピーン・ビネガーの面をなくした事と、ケロイドの顔面がなくなった姿を晒す事で、変な理屈を持ってきそうな気もする。


グランドールが口にした通り、強引な話の結びつきを作り、女性が領主という理由だけで気にくわない社会背景を持った土地の価値観が、代理領主を陥れるような出来事が、これから起きやしないだろうかと、アルスの頭に浮かんだ。


(アプリコット様も仰っていたけれど、周りが気の毒がるからそれを防ぐ為にケロイドを隠す 仮面をつけている。

でも、もしそのケロイドが消えてしまったなら、銀色の仮面をつけていた意味を考えたなら、まるで"騙されていた"みたいな感情が浮かばないかな)


アルスはアプリコットがケロイドに関して、嘘はいっていないと、ケロイドはあったのだと信じることは出来るし、空色の眼で確かに見た。


丁度、隣で支えていてくれる、その時は"見習いの執事"として働いていたシュトも、アプリコットのケロイドとは初見となるグランドールとアルスと同じ様に驚いていた。


出逢って数日の客人と、仮面を身に着け始めて20数年の付き合いのある領民とでは、その間の時間に築かれた信頼の度合いや、濃さが違うのは判っている。


でも”女の領主“への(マイナス)の感情を持っている領民が、アプリコット・ビネガーのケロイドが本当はないものだと知れた時、どんな理由があったとしても、”嘘をつかれた”という気持ちを持つ気がしてならなかった。


その事を考えたなら、紫の紙飛行機の時の様にアルスは眉間にシワを刻もうとしていた。


(でも、仮に嘘があったとしても、顔に大きな傷が本当はなかったことを、喜んであげることはできないのかな)


そして、もしアプリコット・ビネガーのケロイドが本来ないものだとしたなら、国の英雄も驚かせるような"偽物のケロイド"をつけ、仮面をしていた理由をアルスは知りもしない。


けれども、それが"真実"として露呈された時を考えたなら、言いようのない不安が胸を占めようとした時に、目の前が翳り、顔を上げたなら褐色の逞しい腕が伸びて、頭を撫でられていた。


『アルス。恐らく、お前が今頭の中で浮かべている事は、一般的に"外"から見たなら至極真っ当な、意見なんだろう。

だが外から来た者らが、意見をする事はあっても、それは"真っ当"だからと押し付けることは、簡単にやってはならんことだともワシは思うのう』


噛んで含めるような、ゆっくりとした言い方に眉間に刻まれたシワが薄まった。


『それに、込み入った話をするなら、当事者のアプリコット殿抜きで話す事や考えるのは、無意味に近い。

それに、少なくとも"ウサギの賢者"は、アプリコット・ビネガー殿の味方をする気持ちがあるから、ワシらが戻る前に"代わりの仮面"を作って、運ばせたのだと思うのだがのう』


それからアルスの頭に乗せていた手を降ろし、自分の横に立っている後輩で親友である貴族に視線で"戻る"という意志を示したなら、小さく頷き前に出てアルスの腕を取る。


アルスを支えていたシュトもその動きで移動することが判り、親友の身体をアルセンに委ねた。

シュトは、ルイを肩に乗せたグランドールが“抱えやすい“位置に移動して、アルセンは教え子に自分に確りと掴まる様に指示をする。


“戻る“支度が整った所で、グランドールが話を〆るように新人兵士に更に語った。


『ここからの流れは、大切な銀の仮面はなくなってしまったことで、ロブロウでは少々悶着はおこるという事だろうのう。

だが、ひとまずアプリコット・ビネガーが代わりの仮面さえつけてさえいれば、"ケロイドがあってもなくてもどちらでも良い"というワシらと、幼い頃から"酷いケロイドがあった"と信じている領民の心を無駄に騒がせないですむ。

折角、浚渫の儀式は無事に済んだのだから、先ずはそれをこの領地の領民は素直に喜ぶべきだろうしな。

後の成り行きは、アプリコット殿がどういう幕引きを望むかで、ワシらが出来る協力をしてやればいい』


それだけ言うと、褐色の大男は例え魔法が使える者だとしても滅多に見る事の出来ない方法で移動するべく、肩に意識を失ったままのルイを乗せ、もう一方の腕でシュトを抱え、風の精霊の力を借りると共に、大きな風を巻き起こす。



『―――あ、すいません、アルセン様、これ、俺が移動中に落とすといけないんで』


シュトが思い出した様に、ウサギの賢者から届いたメモ帳をアルセンに差し出したら、風が荒ぶるなかで確りと受け取りつつ、"わかりました"と預かる。

受け渡しが確りと終えた後の、グランドールが確りとシュトを抱えた肩に腕を回した後、移動を本格的に開始した。

鷲のイグは続くように羽ばたき、同じ様にアプリコットがいる場所へと飛翔する。


その後ろ姿を見送りながら、久し振りに教え子と2人きりになったアルセンが、穏やかに言葉をかける。


『アルス、銀の仮面の紛失については、貴方の護衛対象であるウサギの賢者がよく口にする、"誰にも迷惑かけないズル"を行う事になるのだと思います』

『アルセン様』


出逢った頃よりも背が伸びて、もう見上げるという事をしなくても、見る事ができる恩師の横顔を見つめる。


浚渫の儀式に続いて起こった出来事で、いつも香油で整えてある金色の髪は大いに乱れ、白い肌は砂ぼこりに汚れていても、綺麗だと感じるを事を不思議に思いながら、アルスは兄の様に思っている人の唇が動くのを見つめ、言葉に耳を傾けた。



『アプリコット殿が浚渫の儀式で、このロブロウの領民が心から敬愛するピーン・ビネガーから与えられた仮面を喪った事は、誤魔化し様の出来ないことです。

そして、喪うに当たっての本当の出来事は表沙汰にしたなら、領民の皆さんは驚き歓喜もするでしょう

何せ、"国王陛下"の御命令でウサギの賢者に委ねられて、前領主夫妻の窮地を救う為に使われたわけでもあるのですから』


先程シュトから託された賢者から届いたメモを、アルスに渡し、アプリコットが待つ場所に親友が、ルイとシュトを抱えながら無事に辿り着いたのをアルセンは見届ける。

アルスは渡されたメモに記された内容が、自分が実際に体験したものと結構な違いがあることに、見るのが2度目ながらも、小さく驚いていた。


ただ、驚きながらも、メモに記された内容が同僚の女の子が受け入れる事実になるとするなら、随分と優しい"物語"の様にも感じる。

特に、2枚目の最後に記されている"そこにウサギの賢者を捕獲したアルセンが姿を現した"という一文には、軽く笑ってしまいそうになる。


(多分、これも誰も“誰にも迷惑かけないズル“になるのだろうな)


アルスは文学の事などよくわからないけれど、3枚のメモに記された内容は上手に“肉付け“をしたなら、子供向けの物語の絵本を一冊をかけてしまいそうな気がした。


(アルセン様は、メモの他に”メッセージ”が込められているというけれど、詳細はアプリコット様と逢ってから決めるだろうから、自分はそれに従うおう)


親友の弟のアトにはともかく、恐らくリリィには、何年後かわからないけれど、真実を伝える気持ちがウサギの賢者には、何処となくこうやって”形”を残している事で察した。

そしてメモ畳みながら、アルスは自分の軍服の胸の内ポケットにしまう。


今恩師が身に着けている衣服には、そう言いた装飾は極力は取り除かれている仕立てなのは、側で見てよくわかったから、自主的に行ったなら、短く"助かります"と声をかけられた。


『自分は喜ばれるなら、仮面を使った方法と経緯をアプリコット様は、領民の皆さんに報せでも、良いと思います。

ケロイドがなかった事も、ウサギの賢者殿なら嘘をつくとかではなくて、上手く話を作れるような気がするのですけれど』


少なくとも、銀の仮面をちゃんと目的があって使われた真実は、報せても悪くないような気が新人兵士はしている。

グランドールに前以て言われていた、"真っ当だからと押し付ける"ことはならないように、あくまでも自分の意見で、恩師に口に出してみていた。


『そこは、やはりアプリコット殿が決めるしかないことでしょう。

でも、そうすることは、このメモに込められたウサギの賢者の"(メッセージ)"から拾い読む限り、進められていませんし、それを先にメモを受け取ったアプリコット殿も感じ取っているでしょう。

国王陛下が御忍びでやって来たこともありますが、(おおやけ)にする事を勧めないからこそ、ウサギは仮面の複製品を造った。

そして時間の乱れを気づかせる、リスクを伴うけれど、贈って来たのだと思います。

アルスも言いましたが、顔のケロイドの事も、あの賢者殿の事です』


そこからやや呆れた表情を作って、恩師は腕を組み、再び半眼になり形の良い唇を開く。


『“素晴らしい領主で祖父でもあった賢者ピーン・ビネガーが、時間をかけて治癒する方法を仮面に込めていたみたいだから、遠慮なくその力を使わせてもらったよ。

その治癒の効果が20数年を超えて、今、浚渫の儀式で大きな魔力を伴って出て、ケロイドは完璧に消えた。

ただ、それと引き換えに偉大なるピーン・ビネガーの細工を仕込んだ銀の仮面は消えちゃったけれどね~"。

―――そんな、最もらしい言い訳と屁理屈捏ね上げる位の事は、出来るはずなのにしないのは、やはりしないなりの理由があるのだと思います』

『はあ、そうなんですか』


アルスにしたなら、突如として始まった“アルセンのウサギの賢者の物真似”という非常に珍しい物を目撃したため、空色の眼を丸くして、そんな返事しか出来なかった。


一方のアルセンの方は己の行った事が、そこまで教え子に衝撃を与えたとは露程にも思ってもおらず、自分の考えを述べ続ける。


『ただ、そんな屁理屈はアプリコット殿の御祖父様だという賢者と、国の最高峰の賢者という肩書の組み合わせだから、通用する芸当だとも思いますが。

でも、”出来るのにしない”というものを事実で、今回はさせないで、激しい儀式の最中で“無くしてしまった”という事にするのが、何らかの意味があるのだと思います』


『”仮面を無くしてしまう”意味があるのでしょうか。

自分には、ロブロウ領主アプリコット・ビネガー様が、亡くなった今でも敬意を集めておられるお祖父様の与えてくれた仮面をただ喪う事は、領民からの批判を受けて、損をしているとしか思えないのですが』


"ロブロウ領主が損をしている"


弟の様な教え子が、この土地の”領主”としてのアプリコットの心配し行った発言を、何気無くその旨を耳に入れた途端に、アルセンは呆れを浮かべていた綺麗な顔の中にある緑色の半眼が大きく見開いた。


『成る程、そういう腹積もりでしたか、"ネェツアーク"』

『へっ?、ネェツアークさんがどうかしましたか?』


"ウサギの賢者"ならともかく、もうロブロウを旅立っているという人物の名前を口に出され、空色の瞳を激しく(まばた)きを繰り返した。

教え子からの視線に気がついたなら、かつて軍学校で軍学校で正解した時の様に、綺麗で優しい笑みを浮かべられて頭を撫でられた。


『いえ、流石アルスです』

『あ、あの、アルセン様?』


物凄く"誤魔化されている"といったものを感じるのだが、綺麗な笑顔の圧力に圧されて、新人兵士は質問も続ける事も出来ない。


『―――ゲッココココ!』

『わあ、あ、賢者殿の使い魔のカエル君?!』


恩師からの"圧"に怯んでいる内に、アルスとアルセンの顔の間に突如として金色のカエルが姿を現し、そこから空をかくようにして、当たり前の様に新人兵士の肩に鎮座をする。


『てっきり、ルイ君と一緒にグランドール様と一緒に降りていたとばかりに』


ずっと意識を失っていたルイを見守るように側にいたので、そのまま一緒にアプリコットの元に行ってしまったと思っていた。


『ゲッコ』


意味の解釈は出来ないが、使い魔はアルスの呼び掛けに鳴き声をあげ、目を閉じてクツクツと上機嫌そうに喉を鳴らし始めるのを見てから、アルセンは教え子の頭から白い手袋を嵌めた手を退けた。


『さて、それでは私達も戻るとしましょう。どうやら、こちらを待っているみたいですからね―――』


そう言って眼下の場所となる、八角形の大地の上をアルセンが見つめるのに続いて眺めるとシュトがこちらが見ているのに気がついたらしく、手を振ってくれるので、アルスも手をあげて振る。


『そうですね、アルセン様』


自分達を待っている親友達が、八角形の大地の上から見上げているのがよく見えた。

グランドールと手を振るシュトが並んで立っているその僅か後方に、ウサギの賢者によって贈られたという仮面を、既に身に付けているアプリコットも、同じ様に立っている。


『早速仮面をつけているのですねえ。

どうやら、アプリコット・ビネガー殿の覚悟は決まっているようです』


そう言うと、先程先に戻ったグランドールと同じ方法を行うためにアルセンが集中を始めると、周囲に風の精霊の力が集まり始める。

2人ともにサラサラとした金髪を、風の力で舞い上がらせる中で、アルセンがアルスを手招く。


アルスは小さく"失礼します"と言葉を口にしてから恩師の懐に納まるように、体を側に寄せたたなら、アルセンの方は抱き抱える様に教え子の体に腕を回した。


『どうせ移動するのに重さは関係ないから、横抱きに抱えた方が安全なのですが―――アルスは"お姫様抱っこ"はどうしても嫌みたいですね』

『申し訳ありません、そのちょっと気まずい思い出が』


"気まずい"と言いながらも、元は白い方だろうけれども健康的に日に焼けている肌の色からでも解る程、教え子が赤くなっているのがアルセンには判った。


(随分と可愛らしい"気まずい思い出"のようですね、アルス)


時間や体力に余裕が互いにある時なら、からかいの言葉も出そうとも思ったけれど、取り敢えず今は当たり障りのない言葉を口にする。


『横抱きがダメで、こうやって、抱きしめ合う形もどうかと思いますけれどね』


向かい合い、正面同士で抱きしめる形で教え子の両脇に腕を差し込んで、アルスの背中でアルセンは手を交差させる。


『でも、脚まで抱えあげられて全部支えて貰うっていうのが、どうにも恥ずかしくて。

わがままを言って申し訳ありません』


実に恥ずかしさの実感が(こも)った物言いであったので、先程からかわなくて良かったと思い胸の内でアルセンは笑う。


アルセン自身はの若い頃を顧みたなら、軍学校で教官という立場であった褐色の人に始まり、鳶色に衛生兵でもあった"紅い"人にまで、散々抱えあげられたり、"おんぶ"されたりもしている。

ただその状況は、形など拘っていられない時でもあったので大人しく抱えられてもいた。


(こうやって"拘れる"内に拘れていたほうが、後で拘る余裕がないときの為に良いかもしれませんね。

でも、アルス。これも、傍目から結構熱烈な抱擁しているようにも見えると思うのですがねえ)


再び胸に浮かんだ言葉は表に出さずに、安全の為に確認を繰り返す。


『それでは戻る途中、"落ちたら"洒落になりませんから、アルスも私の首の方に腕を回して貰えますか?』

『はい、わかりました―――あ、そうだ。アルセン様、鞘に巻いてる剣の着脱防止用のゴム紐を使いましょうか』


『そうですね、アルスを落とすつもりもありませんが、念には念を入れて、一応使っておきましょうか』


そういう事で、一度離れて距離を取り互いに腰に伸縮性のある紐を腰に回して、結びつける。


『確か、工具問屋の女将さんのアザミさんが作った試作品でしたね』

『はい、そうです。何気に結構役に立つことが多いんで、重宝しています。

ああそうだ、シュトにも少し分けるつもりでいるんです』



―――その紐、便利だなぁ。どこで売っているんだ?。



売ってない旨を告げて、アルスが持っている分で良かったら少し分けると伝えたなら、心から嬉しそうに感謝もされた事を話すと、アルセンも嬉しそうに微笑んでくれた。


『……そうですか、これからもそのシュト君とのご縁が、この伸縮性のある紐の様に、伸びたたり縮んだりして、とても良い感覚で続けばよいですね』


含みのある物言いに込められている気遣いを察したアルスは、直ぐに大きく頷いた。


『はい、そうします』


そう答えた後、"大切な縁"の1つを失って間もない恩師と、その縁を手放す瞬間に立ち会ってもいたアルスは、胸に浮かんだ言葉を口にする。


『でも、もしどうしても縁が切れてしまう事があっても、互いに納得出来る形で手放せるようにしたいと思います。

それと、"離れた"方が互いの為だと―――別れが親友の幸せに繋がる時は、例え自分が寂しくても、躊躇う事がない様にしておきたいとも思います』

『―――』


今度はアルセンの方が、教え子の親友に対する決意を込めた真直ぐな眼差しと言葉に少しばかり言葉を失った。


(私も、あの時、こんな真直ぐな眼で伝えられていたでしょうが)


けれども教え子の口にしたことは、丁度過去に一度親友との縁を手放すべきだと思った時、アルセンが自分の胸に浮かんだ決意と殆ど同じで、思わず笑みを浮かべてしまってた。

すると教え子の顔が急激に赤くなっていくのが、緑色の眼に映り込む。


教え子は自分が口にしたことが、恩師の言葉に応える為とはいえ、物凄く照れくさい―――ある意味では"キザッたらしい"言葉なのだと言った後に、思えてしまえて仕方がない様子だった。


しかもアルセンが心から感心した意味で浮かべた笑顔が今回は、曲者となる。


古くからの付き合いのあるグランドールやウサギの賢者なら、理解出来る、“アルセンの本当の笑顔”を浮かべる時は、眉の両端が下がり"ハ"の形になる。

それは視方によっては、"困って笑っている"様にも見える物で、自分の青臭い言葉に苦笑いを浮かべられてしまったのだと、思い込んでも仕方がない状態だった。


顔面を隠す様に両手で抑えてしまったたアルスに、アルセンはまた言葉をかける。


『その覚悟は大変立派だと思いますが、少々性急だとも思いますよ、アルス。

それと―――ケロイドがなくなって、仮面をつけているアプリコット殿は丁度今のアルスの様な気持かもしれませんね』

アルスが、自分の本当の笑顔を勘違いしている事に気が付いたれど、アルセンは"丁度良い"と思い、そのまま利用することにする。



最初の"性急"という言葉には、更に顔を赤くして耳の縁までそれを広げていたが、アプリコットの名前を出しと同時に、アルスは顔面を抑えていた手を外してアルセンの見つめる。



今度は教え子に馴染みのある"教官アルセン・パドリック"の笑みを浮かべたなら、教え子は顔の赤みはそのままだが、気持ちは大分落ち着いた様子だった。


『考えてもごらんなさい。アプリコット殿は、"王様と口づけ"をしている場面を、私達に見られたのですよ』

『はい』


素直な返事をする姿に、微笑みの形を崩さずに浮かべつつ、この機会を活かす言葉を続ける。


『多分、恋愛事に疎いというよりも、“面倒くさい“と考えているアルスには捉えにくい感覚かもしれませんが、とても恥ずかしい事なんですよ』

『あ、でも、自分も恥ずかしい事ぐらいわかるつもりです、アルセン様―――』


自惚れているつもりはないのだけれども、優しさや思い遣りについては、周囲によく感謝という言葉と共に”褒められている”実績もあった。

そして、アプリコットの恥ずかしさもそれなりに判っているつもりで、グランドールも言ってもいたが “弄ってやらんのが”情け”というもの”という言葉にも、大いに賛同した。


『でも、恋愛が事が苦手なアルスは、心のどこかで"口づけくらいの事で"とも、思っていませんか?』

『それは―――』


直ぐに否定することができない、自分にアルスは気が付く。

理解を出来ているつもりだったけれど、恩師の指摘する時にいつも浮かべる優しい“作った笑顔”を見た瞬に、唇を僅かな隙間すら開けずに閉じていた。


その教え子の顔を見たなら、アルセンはそのまま抱きしめられて―――このまま、”戻る”つもりなのがアルスは判る。

だからアルスも安全に降りる為、先程と同じ様にあと数センチで追いつけそうな恩師の身体の背に腕を回した。

そしてその形になる事で、表情が見えなくなったアルセンから語られる言葉を、密着することで感じる心音を感じながら耳に入れる。


『言葉では判っていると口にする事も出来るし、実際に”考える”事もできるでしょう。

優しいアルスなら、自分の身に置き換えて考える事も(やぶさ)かではない』


地についていた靴底が少しばかり浮いた感覚を味わいながら、恩師の言葉を聞き続ける。

恐らく、既に精霊の力を借りて浮いているのだろうが、しがみ付く様な状態になっているアルスの視界に入るのは、風になびく恩師の金色の髪と、初めて纏うのを見かける衣服からスッとの伸びている白い項だった。



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