旅立ちの時①
セリサンセウム王国西の最果てにある領地ロブロウ。
"元"領主アプリコット・ビネガー。
28才にして、初めての旅立ちです。
「別にロブロウから正式に出たことがないだけであって、ちょこちょこ国境とかまでは、行ってたりしていたのだけれどね」
ロブロウから出てくる時に身に着けていた貴族の婦人服を着替え終えたアプリコット・ビネガーは、宿場町の寝台に腰掛けてていた。
仕上げに上等な靴を脱ぎつつ、共に王都に向かう事になる連れ合いにそんな実情を暴露する。
その連れ合いとなるのは、アプリコット・ビネガーの正面に立つ王都までの"用心棒"として、傭兵"銃の兄弟"で、シュト・ザヘトと、弟のアト・ザヘトで並んで立っている。
兄弟ではあるけれど、初見ではまず"兄弟"という事を疑われるのが、常な2人は、雇い主の発言に抱いた感想も全くことなっていた。
「はい、俺もアプリコット様が田舎のロブロウに20数年間も大人しく引っ込んでいるとは、考えてませんよ」
成長期も終わって、身長の方も十分に平均の物を超えた兄の方は皮肉を交えてそう答える。
格好も、長めの前髪を無造作に下げていて、シャツは着ているが前は大きくはだけて、逞しめの素肌が見せている。
「……ちょこちょこ?チョコレート食べにこっきょうですか?。
アトもチョコレート、食べたいです。
白いチョコレートが良いです。
でも、王都の柔らかい、まがれっとさんのチョコレート、食べたいです」
その隣に立つ弟のアトは、兄と同じ色の柔らかそうな赤髪に、柔和な雰囲気にあった品の良い服装を身に着けている。
身長も兄には及ばないながらも、同年の者と比べたなら、高い部類に入る。
それでもアトという"男の子"から醸し出されている雰囲気と、発言は小さな子どもの様な感想を抱かせる。
「アトは、アルセン様がお土産にもってきてくれた、パティシエのマーガレットさんが作ったお菓子に惚れ込んでいるわねえ」
仕上げとばかりに、荷物から履き慣れた靴を取り出し、履き替え紐を結びながら、アプリコットは口元に笑みを浮かべてそう答える。
その口元でしか表情を把握できない理由は、彼女が顔に身に着けている"仮面"が原因だった。
「にしても、アプリコット様、仮面は結局身に着つけるんですね」
シュトがロブロウでは我慢していた"呆れ"の感情を思い切り含ませて雇い主にそう声をかけた。
「いつも着けていたものだからね。逆にないと落ち着かないのよ」
そう言って、"複製品"を靴紐を結び終えた手で、撫でた。
セリサンセウム王国の西の最果ての領地ロブロウで行われた、大掛かりな浚渫の儀式―――。
その儀式が無事に終了した後、一部の"代表"となるものだけで、ロブロウという場所を賭けて"陣取り合戦"が、人知れず、国の暦にも残らない形で、行われていた。
この"陣取り合戦"は、この国の最高峰とされる賢者が、ある道具を使って終局の一手を打って、ひとまず決着はつく。
その一手で勝敗というものはつくことはなかったが、"なるべくしてなった"という形に、失われたと得る物が双方にあって、陣取り合戦は終結した。
その道具こそが、ロブロウで"代理領主"を担っていたアプリコットが、幼少の砌に顔面に火傷を負ったケロイドを隠すために使われていた、銀の仮面。
仮面自体はアプリコットの祖父にあたる、先々代のロブロウ領主でもあったピーン・ビネガーが、孫娘の怪我を不憫とし、特別に旅の商隊から、購入し高等な魔術を施した物だった。
その祖父は賢者でもあり、この世界では"変わり者"の代名詞ともされる存在が作っただけあって、色んな"カラクリ"が仕込まれていた。
その"カラクリ"を紐解いたのが、表向きは農業研修について行った兵士の妹の"大切なお守り"の振りのして"ウサギのぬいぐるみ"としてやってきた、"ウサギの賢者"である。
元々は、農業研修を隠れ蓑にした"4人の貴族の処刑"の真相の調査を国王ダガー・サンフラワーから命じられ、賢者としては渋々始めた調査だった。
ただ調査の甲斐があったという程でもないけれど、貴族の処断の真相は結果として、良い意味で杞憂のものとなった。
国王が心配していた事案も綺麗さっぱりと拭われ、賢者と領主アプリコット・ビネガーは接触して、互いの事情と状況を確認する。
確認することで、この国の法律に則り行った4人の貴族の処断が、皮肉な事に国が法律で"禁術"としているものが発動する"鍵"となってしまっていた事も判明した。
ウサギの賢者は、セリサンセウム王国の"智慧"を務める役割を担う存在として、西の領地を治めるロブロウ領主様にその危険を進言する。
更にロブロウでの天災が重なった事もあって、賢者は"一遍"に解決する方法を提案し、アプリコット・ビネガーはそれに"乗る"。
そうして、大農家のグランドール・マクガフィンや、予定外に王都から訪れていた王族護衛騎士隊の数名の騎士を巻き込んで、件の仮面を使った"一手"で、禁術と天災の危険を、ウサギの賢者が提案したように一遍に片がついた。
それによって、ロブロウ領主ピーン・ビネガーが孫娘の為に拵えた銀の仮面はこの世界から、その姿を消した。
―――しかしながら、アプリコット・ビネガーが、"仮面の代理領主"という世間の認識と、領民の彼女の"素顔"に対しての常識を繕うには、中々面倒な事にもなりそうである。
ウサギの賢者は、仮面が消滅した後に、教会の巫女で自分の秘書となる女の子に後ろから抱えられたの腕の中で、そんなことを考えていた。
『これは、とりあえず、"誰にも迷惑かけないズル"をするところだねえ』
そんな事を言いながら、巫女の女の子に抱っこされたまま時期外れの秋桜が咲いている旧領主邸の中庭で、親友の仕立てたコートの懐に、普通のウサギなら有り得ない肉球のついている手を、突っ込んだ。
『"こっち"のナイフは、まだ残っているから良かったよ。
リリィ、ちょっと火の精霊を呼ぶ魔法使うから、ワシをおろしてくれるかな?。危ないからね』
『―――』
巫女の女の子―――リリィは久しぶりに会うことの出来た"賢者さま"を最初離れることを、無言で嫌がって、逆にギュッと抱き締めていた。
その反応はウサギの賢者は、円らな瞳を細め、懐に突っ込んでいない方の手で自分の頬を、ポリポリと掻いて、長い耳を折り曲げる。
『うーん、じゃあ、一緒にしようか?。でも、危ないし、きっと熱くなるよ?』
『え、いいんですか、賢者さま?』
改めて"離しなさい"と指示されるとばかりに思っていたのに、その提案に驚きの余りに、後ろから抱きついていモフモフとした体を抱えあげて、正面に向かい会う形に反転させる。
『おおうっと』
その反転する勢いに、ウサギの賢者は声を漏らし、長い耳の先に遠心力を感じながら強気な緑色の瞳を持った女の子と賢者は向き合った。
女の子は次に"賢者さま"に"危ないから、離れようね"と言われたなら、今度は素直に離れようと思っていた。
先に1度"離さない"というワガママをしたから、それを許して貰えるだけでも、ここ数日離れていた時間には足りないけれど、再会できたばかりの少女には十分な"甘え"にもなっていた。
ただ、実を言うならウサギの賢者の方も、秘書の女の子を可愛いと思い日々"甘やかしたい"気持ちを抑えて公平に振る舞うのだが、久しぶりの様に感じる少女との再会に、離れがたい想いが強かった。
『正直に言って、本当は危ないから離れていてほしいけれど、リリィは今回沢山我慢したからねえ。
―――それに、王都に戻ってしまった、鳶目兎耳って人から、儀式が終わってから話を引き継いだ時に、リリィが凄く頑張ってお留守番してくれたって、聞いたからね』
『え、ネェツアークさま、もう王都に帰ってしまわれたのですか?』
賢者が離れない事を、許してくれたのは嬉しい本心だけれども、ロブロウという土地で出逢った、髪も瞳も鳶色で、ウサギの賢者と同じ丸眼鏡をした背の高い人が、もういないと耳に入れたなら、少女は目に見えて落ち込んだ。
でも自分の腕の中にいる、ウサギの賢者の姿と温かさを感じる事で、寂しさという物は全くない。
しかしながら、気落ちしているのは"銀色の仮面"が、この世界から消える時に側にいたアトや王族護衛騎士隊のライヴ・ティンパニー、デンドロビウム・ファレノシプスは気が付く。
もう1人、その場所にはアプリコット・ビネガーの父親のバン・ビネガーの従者である壮年のクラベルという男性がいたのだが、"動くウサギのぬいぐるみ"が、銀の仮面を使って行った"終局の一手"の凄まじさに、ただ茫然と状態になっている。
リリィとウサギの賢者のある意味では感動的な再会の状況でもあったので、空気の読める護衛騎士達は言葉を挟まず、アトは最後の一手を行う前に、"用心棒"として、助勢に使った銃というこの世界に数少ない武器の整備を早速始めていた。
巫女の女の子も最初は、久しぶりに賢者さまに会えた事ばかりに気持ちが向いていたが、周囲に人がそれなりにいるのを思い出し、自分のワガママに少しばかり顔を赤くし始める。
ただ、賢者さまにも"仲良くなった人"として是非あって欲しかった鳶色の人いがいない事は、本当に残念でならなかった。
『うん、リリィもその人が忙しいのは聞いていたんでしょう?。
あの人、儀式が無事に済んだ直ぐに帰る事は伝えているみたいな感じで言っていたけれど?』
少々わざとらしい仕種にも見える物言いで、抱っこされたまま賢者が尋ねたなら、少女は素直に頷いた。
『はい、聞いていましたけれど、本当に忙しいのですね』
どちらかといえば、ウサギの賢者の魔法屋敷のある"鎮守の森"でゆったりとした日々を過ごしている少女には、"忙しい"という言葉の意味を知っていても、実感する事は少なかった。
時間にだらしないというわけではないけれど、融通の利かせて貰える立場の"ウサギの賢者"と共に過ごしている子供には、違う文化に出逢ったショックの様な物も感じている。
『じゃあ、本当にもう逢えないのかな』
"お嬢さん、私も仕事がそれなりに忙しいので、先程もいいましたが、王都で会えるという、確約や、ましてやご馳走を頂ける保証は出来ないんです"
"じゃあ、いつか王都であう事があったのなら。
ただし、会えるかどうかは本当にわかりませんからね。
2度と会えないぐらいの、可能性を―――"
今、側にいて自分の爪を見つめて、わざと"知らんぷり"をしてくれているライに"リリィちゃん、ガッツ出すにゃ~"と何度も励まして貰って、何とかネェツアークと約束するような言葉を貰った。
あの時は、"逢えるかも"という返事を貰えただけで十分だったのに、いざ実際に"逢えないかもしれない"という現実に向き合うと気持ちは、落ち込む物があった。
『……うーん、でも、もしかしたら会えるかもしれないから、約束しておいた、半熟ゆで卵の練習しておこうよ。その話、ワシは聞いているよ。その、努力はすると伝えて欲しいって言っていたから』
そう言って肉球のついた手で、自分を抱きしめてくれている女の子の小さな手を撫でたなら、女の子の顔は、途端に明るくなる。
『本当ですか、賢者さま?!』
『うん。それにワシもイナゴの佃煮程じゃないけれど、半熟ゆで卵は嫌いじゃないからね~。
ワシとアルス君を練習にして、美味しいゆで卵をつくろう』
巫女の女の子に提案しながら賢者の頭に巡るのは、後輩で親友に当たる人物アルセンに、説教をするように言われた言葉だった。
"リリィさんに嘘をつきたくないのは解ります。
しかし、敢えて何回も否定する必要はないでしょう。
リリィさんが、貴方にさけられているかもしれないと、傷つくだけですよ。
会えないという可能性をちゃんと一度伝えているんですから、そこら辺の話題を避けて、お話をしてあげれば良いでしょう?。
"いつか逢えるかも"という気持ちが、大事なのが解りませんか?"
(ワシは、出来ないかもしえない約束を、出来ることならしたくはないんだけれどなあ)
でも、親友はそれが"希望"に繋がるならするべきだという。
(どっちが"間違っている、正解だ"という話ではないんだろうけれど、たぶんアルセンの方がリリィの気持ちに添っているんだろうな)
"家族"というものを知らない賢者は、自分の告げた限りなく可能性の低い話に笑顔を浮かべる大切な女の子を見上げながら、自分の不甲斐なさを少しだけ自嘲した。
『―――賢者さま、それで炎の精霊を呼び出して、どうするのですか?。 わたしも、何かお手伝いできますか?』
鈴鳴るような声に、気持ちを解されたウサギの賢者は暫く瞬きを繰り返し後に、小さな逆三角形の鼻をヒクヒクさせながらその下にある小さな口を開いた。
『ううん、今回はちょっと危ないからリリィは、ワシを抱っこしとくだけでいいよ。
それにお手伝いといったら、リリィの武器である荊の鞭は現代進行形で、儀式が始まってから今でも大活躍をしているみたいだよ。
グランドールなんか、特に助かったみたいだと、ワシは報告を貰っているよ』
そう答えながら、先程から突っ込んでいたコートの懐から、ウサギの短くフワフワとした手にナイフを数本握って取り出した。
『じゃあ、リリィ、このナイフをワシ達からちょっと離して並べて貰えるかな』
『はい、わかりました、賢者さま』
ナイフを柄の部分から受け取りながら、頷く。
『アプリコット様を狙ってやってきた、とても大きな炎のイノシシの動きを封じる為に、わたしの鞭に賢者さまが魔法をかけてから、使ってくれたんですよね。
古の神様の動きを縛って止めたという紅い紐に形を変えて、名前も"グレイプニル"というのでしたよね。
それじゃあ、賢者さまがグレイプニルになった荊の鞭をグランドールさまに渡して、儀式に使ってくれていたということなんですか?』
賢者を抱えたまま少、指示されたとおりに距離を開き、秋桜の咲き乱れる旧領主邸の中庭にナイフを並べておきながら、リリィが尋ねる。
そして少女は今更ながら、咲くにしても時期が少しばかり時期の早い花達に気がついて、驚いてもいた。
しかしながら、今自分が抱えているフワフワでモフモフとした賢者が、とても難しい魔法が使えることも知っているので、驚きの方は"賢者さまが何かしたのだろうな"という気持ちと共に、直ぐに落ち着いた。
『うん、大活躍だったみたいだよ。
儀式が終わった後に意識が無くなって、飛んで渓流に落ちそうになったルイ君を、グランドールがあの魔法をかけた鞭で、縛って捕まえたりとか!。
---聞いた話だけれどね』
眼を細めて、鼻をヒクヒクさせながら、聞いた話と強調しながら詳しく巫女の女の子に、少女の武器となる道具の活躍を伝えてくれる。
『ええ!?、じゃあ浚渫の儀式後に、ルイが意識をなくして飛んで、あの炎のおおきなイノシシを縛ったグレイプニルで、捕まえられたってことなんですか?』
正直に言って、リリィは自分が浚渫の儀式に参加できなくて、拗ねるような気持ちをもっていた。
同じ子供であるはずのルイは、その身体と性格が儀式で力を借りたい"やんちゃ坊主の神様"の能力を降ろすのに相性が非常に良い。
その能力―――ロブロウの土地神でもある少名毘古那神を降ろす為の器としての是非とも参加して欲しい。
そういった理由で領主であるアプリコット・ビネガー自ら頼まれて、浚渫の儀式に参加する事になったと聴いて、リリィは心から羨ましいとも思っていた。
だけれども、ウサギの賢者の話を聞く限り経緯は判らないが、儀式の後に飛ばされたり、紐状になったグレイプニルという状態になった武器で、ルイは捕まえられたという状況になっているらしい。
そういった話を聞いて、時期のずれた秋桜の花が咲いていた以上の驚きを少女は感じる事になる。
賢者の事だから、少しばかり話を面白そうに話している部分もあるかもしれないが、やんちゃ坊主の"友だち"は、想像をはるかに超えて、随分な目に合っている事に、少女は心から同情する。
ただ、命の危険や大きな怪我を伴うようなことはさせていないだろうという無条件の信頼も、今回の儀式の指揮を執った人達―――ネェツアークやグランドール、そして領主であるアプリコットに寄せてもいた。
『あ、そうだ、儀式の間は意識がないなら、ルイも怖いとか痛いとか、そんな思いはしてないんですよね、賢者さま?』
『うん、そこは大丈夫。 ただ、どちらにしろとっても疲れているだろうから、リリィから"お疲れさま"って言葉をかけてあげたなら、それだけで喜ぶんじゃないかなあ』
そんな事を言いながら、ウサギの賢者が硬い爪をパチリと弾いたのなら、小さな炎が旋風となって真紅の"うり坊"が、リリィの置いたナイフの挟んだ向こう側に現れた。
『わあ、イノシシの赤ちゃん!』
炎の精霊と言ったなら、トカゲの姿しか目にしたことがないリリィは驚きつつも、愛らしいその姿に思わず声を弾ませて反応する。
『うん、とっても可愛いけれど、融点―――金属が液状に変形する程熱いから、うっかり火傷では済まなくなるから、絶対に触らないようにね』
ウサギの賢者が注意を促す言葉を出している時、リリィの方はイノシシの子どものその愛らしい姿に、顔を綻ばせたが、先程から名前が出てくるグレイプニルに、関する話を思い出し、直ぐに表情を固くしてしまう。
仕方がないとわかっていながらも、恐らくアプリコットを狙ってやってきた巨大な炎のイノシシを、グレイプニルで縛り上げ、もうすぐ銃の整備を終えようとする"用心棒"のアトが銃という武器でもって仕留めた。
仕留めるという結論に至るまで、リリィとアプリコットが命に価値観の相違で喧嘩になりかけ、そのアプリコットの言い様にウサギの賢者が食いついて、その時には結局結論はでなかった。
それでも、アプリコットに言われたキツいと感じたけれども、"その通りだ"とも思える言葉は、リリィの小さな胸にも残っている。
"嘆いて悲しんだって、殺されて死んでく生き物なんて、世界中に溢れている。
どうこうする行動力もなくて、ただ口に出して、"可哀想"なんていうのは欺瞞でしかないよ"
"誰も傷つけないで生きていこうなんて殆ど無理に近い、不可能だよ"
『賢者さま、この炎の精霊って』
『リリィの考えた通り、あの時仕留めたイノシシのお腹の中にいたーーー赤ちゃんだよ』
その言葉を聞いた瞬間に、少女は唇を噛み、ナイフを並べ終えた手でウサギの賢者を強く抱きしめた。
―――ごめんなさい。
声にならない声を長い耳に拾った時に、賢者は穏やかな声で自分に"縋る"女の子に語り掛ける。
『母を理不尽に奪われて、この世に出てこれなかった、うり坊達の心が落ち着くまで、ワシが使い魔みたいな形で使わせて貰おうって考えているんだ。
落ち着いて大きくなったなら、どこか静かな山の自然を守る精霊の様にしようかなって。
それでね、自然の流れで命を落とすのは兎も角、その命を"悪い事"に使われそうになったなら、その能力をもって抵抗出来るように。
農作物を荒らすから狩猟されるにしても、自然に年老いた終わりがあったとしても、今回みたいな事だけはないように』
『……はい、賢者さま。そうですよね、もう、あんなことが起きなければ良いだけの事でもありますもんね』
"仕方なく仕留めた"事に、納得も満足も出来てはいないけれど、賢者の提案の言葉を受け入れる事は出来る少女は、静かに返事をする。
『それに賢者さまが、大人になるまでみてくれるなら、きっと何も心配ないですよね』
『結果がそうなる様にがんばるよ、リリィ』
円らな眼を細めて、少女が特に好きな"ウサギの笑顔"を作って見上げたなら、リリィも笑ってくれた。
ただ心の中で"2度も"失敗している私が口にしていいという言葉ではないけれど"と賢者は己を確りと、嘲笑った。
『---それで、賢者さま、賢者さまの鉄のナイフを溶かして何を作ろうとしているんですか?。
そのいつもみたいに、"誰にも迷惑かけないズル"をするみたいな事を、仰っていましたけれど』
鉄をも溶かす能力を持っているという炎のウリ坊は、小さな丸い鼻をフンフンと鳴らしながらリリィが並べた、ウサギの賢者のナイフの匂いを嗅ぐようにしていた。
その様子が思いの外可愛らしくて、リリィは再び表情を綻ばせる。
『ニャ~、これは可愛いのが大好きなリコにゃんが見たなら、思わず"私が飼ってもいいですか?賢者殿"とかいいそうだにゃ~。それで、思えばリリィちゃんは最後の方は見てはいないんだニャ~』
―――もう言葉を挟んでもいいだろう。
そんな調子と雰囲気を醸し出しながら、ウサギの賢者を抱えて座り込んでいるリリィの横に、ライが猫の様に身軽にやって来て隣身を屈め、話を始める。
『リリィちゃんは知っていると思うけれど、ウサギの賢者殿に嫌がらせしてくる奴いるニャ~』
口の端をあげながらライが言ったなら、薄紅色の髪を上下に揺らしてリリィは力強く頷いた。
『はい、知っています。この前、アルスくんが来たばっかりの頃にも、炎の矢や難しい隕石の魔法を使ってきてて。
でも、賢者さまとアルスくんが撃退してくました―――って、え、もしかしたら』
リリィが思わず小さな手を、口元に当てたなら、ライがこっくりと頷いた。
『そーだにゃ!、儀式が終わってみんながホッとしている所に、やってきやがったんだにゃ~!』
ライがやや大げさに身振りや手ぶりを加えて話す姿に、リリィも頬を紅潮させて起こった。
『ひどいです、皆さん浚渫の儀式で本当に疲れているのに!』
『そうにゃ!酷いニャ!。 それを儀式が一段落して、関所で休んでいるワチシやリコにゃん、ディンファレ様に知らせにきてくれたのが、アトちん兄ちゃんのシュト君と、休んでいたけれど、大分持ち直したアルセン様だにゃ!』
"シュト"という兄の名前が出てきたことで、銃の簡単な整備が終わり、時間の都合でその時、昼食を食べ損ねて"泣きべそ"をかいていたアトが反応する。
側でそれまでアトの補助をするようになっていた、ディンファレとクラベルにアトが"リリの所に行っても良いですか"と尋ねる。
クラベルの方は未だに、大きなウサギのぬいぐるみにしか見えない物体が、"賢者"と呼ばれる事や、しかも言葉を喋っている事に動揺していて、思わずディンファレの方を見つめた。
すると凛々しく美しい女性騎士は、前領主の従者の困惑しているのを十分理解をし、唇を大きく開き、指示を出す。
『アト殿、整備の終わった銃はしまいましょう』
『はい、ディンファレさん銃をしまいます』
ディンファレの言葉をなぞる様に復唱し、言葉に従いつつ、久しぶりに自分の革鞘に、アトは自分の銃を納めた。
そんな形の2人の会話が始まったなら、周囲は自然とアト・ザヘトが聞き取りやすい様に、会話を控えながらその状況を見守る。
『―――ナイフの側は危ないから行くのはいけません。
あの紅いイノシシの赤ちゃんは、もっと危ないから触ってはいけません』
『はい、ナイフ危ない、知っています。 指を切ります、一緒にお料理する以外触りません。
イノシシの赤ちゃん……危ない?から触りません』
最初は直ぐに頷いたけれども、最後の方の指示になると少しばかり首を傾けて、残念そうにリリィやウサギの賢者越しに、呼び出した姿は可愛らしい精霊を見ていた。
ナイフの事は納得出来るみたいだが、"真紅のウリ坊"については、いつもの行動―――"赤ちゃんの動物を見たなら、出来るだけ触りたい"という生来の拘りが出ているらしい。
それを直ぐに見て感じ取れた凛々しい女性騎士は、滑らかな額に縦の筋を眉間から刻んだ。
『さて、どうしようか―――』
そう口にした後に、リリィに抱っこされたぬいぐるみのような賢者の方を一瞥すると、"仕方ない"と口の中で呟いた。
『賢者殿、アト殿が判り、受け入れやすくしてもらうように一手間頼んでもいいでしょうか?』
少々他人行儀にも感じるような丁寧さを含んだ物言いで、女性騎士は賢者に協力を申し出ると、耳の長い賢者の方は、巫女の女の子の膝の上でこっくりと頷いた。
『うん、おっけー。 確かに可愛い姿をしているから、子犬とか好きなアト君は触ってみたくてたまらないだろうからね』
『本当、可愛いですよね―――あれ?』
賢者が軽快に了承した後に、何気なく呟いた"アト・ザヘトは子犬が好き"という情報については、"ウサギの賢者さま"が知る機会があっただろうかと、秘書の女の子は小さく首を傾けた。
『ああ、うん、リリィの用心棒を"銃の兄弟"を正式に頼む前にね、鳶目兎耳の人に聞いたんだよ。
信用してはいるけれど、傭兵を用心棒として雇うに当たって、ちゃんと情報は知っていた方が良いだろうと思ってね。
確か、アルセンも一緒に子犬のお世話をする時にアト君と会っていたらしいね。
リリィがお母さんで、アト君がおとうさんみたいになって、とても上手にお世話をしていたと話を聞いたよ』
自分の秘書の女の子の不思議そうな声に、賢者の方は長い耳を"ピピっ"と動かしたのちに、短い人差し指をピンと立てて、円らな眼を糸の様に細め、早口に応える。
確かに言う通りの事なので、"ああ、そうでした"とリリィが口にした直後に、それ以上巫女の女の子の言葉が出てこない内に賢者は更に続ける。
『それじゃあ触るまでもなく、あのウリ坊に触れる事が"危ない"―――よりも痛いが良いかな。
それが、感受性が全体的に鈍いアト君でも判るようにしておこう。
というわけで、リリィ、これからする事で結構熱くなるけれど、いいかな?』
『あ、はい、わかりました、賢者さま』
リリィからの承諾を得ると、ウサギの賢者は"パチリ"と堅い爪を弾いたら、その途端に熱風が真紅のウリ坊を中心に発生し、少女の薄紅色の長い髪はフワリと浮いた。
熱い風がその周囲にいる人々の肌を、張り付くように撫でて、通り過ぎて行く。
ぎりぎり"熱い"という感覚で、少しでも超えてしまったなら熱さが"痛み"に代わってしまうに様な熱風だった。
『本当は、これくらいの能力を、あの炎のウリ坊もっているという事ですか、賢者さま?』
顔を撫でる熱気の強さに思わず緑色の瞳を細めて、未だに殆ど瞑った様な状態の賢者に尋ねる。
『そう言う事だね。 大体"人に見える形"になってくれているのは、向こうがこちら側に合わせてくれているから、意志の交流がしやすいんだよ。
こうやって、それを少しでも"合わせている能力"を緩める様に魔法を使ったなら、途端に交流が取れにくくなる間柄という事を、忘れないようにしないとねえ』
ウサギの賢者がそう答える頃には、"可愛い紅いウリ坊"から痛みの感覚に近い熱風が、見習い執事の服の上に仕立ての新しい紅黒いコートを纏っている、用心棒の弟に届いていた。
明らかに不快の表情を浮かべ、紅色のウリ坊から離れる様に距離を取る。
『ううう、可愛い動物の赤ちゃん火みたいです、熱いの火傷します、アトはヒリヒリ痛いするの嫌、きらいです。 可愛い、でも、触りません、痛いの嫌です』
心に思った事をそのまま口に出し、自分の"可愛いものに触りたい"という拘りの感情と、これまでの経験で学んでいる"危険"という気持ちと折り合いをつけている。
その姿を見て、ディンファレは小さく安堵の息を漏らし、ウサギの賢者はリリィの腕の中で改めて小さく頷いてから、再び小さな口を開く。
『うん、"拘り"よりも、経験で危険と学んだ物が上回った様で、何よりだ』
ウサギの賢者が口にするように、姿に比べて心は幼い少年が、自分の感情や拘りを優先してしまって、炎のウリ坊に触れてしまいそうになる事はが見受けられなくなった。
その事に確信を得て安心し、ディンファレはアトに次の行動を口にする。
『アト殿、リリィ嬢とウサギさんと、ライお姉さんの側に行ってもいいです。
でも、ライお姉さんのお話が終わるまで、アト殿のお話をしてはいけません』
『はい、判りました、ディンファレさん、アト行きます』
距離はそんなにないけれど、少年が寄り道もせずに、辿り着いたのを見てから、それまでぬいぐるみの様な賢者や、アトという少年の接し方にも戸惑いがあったクラベルが、女性の騎士に語り掛ける。
『聞いたところによれば、ロッツ法王猊下の護衛騎士様という立場ながら、アトの様な子どもの扱い―――接し方に随分と詳しいご様子ですね。 感服致します』
喋るウサギのぬいぐるみという存在には、話題に扱うにしては、前領主の従者のクラベルには許容範囲を超えてしまっている。
何よりも、かつてこの領地を治めていた領主の祖父で、今のクラベルの主の父に当たるピーン・ビネガーという"賢者"という存在は、子どもの頃からの憧れも含めて、恐れ多くて話題にも出来ない。
それに加えて、俗に選良である王族の護衛騎士の女性が、手間暇をかけて一言一言区切る様に、判り易く、そして少年が意味を納得した上で行動するのを根気強く待っている行動。
それが"理解出来ない"とまではいかないが、その根気強さが"無駄な手間をかけている"と、思ってしまう自分は狭量を省みながら言葉をかけていた。
ディンファレの方は、直ぐの距離であるのにも関わらず、少年がライやウサギの賢者の側に辿り着いたのを見届けたなら、小さく微笑みながら口を開く。
『そういう"付き合いの仕方"が、私の人生の中で、交流を取りたい相手との間に必要であっただけの事です。
人というものが、"普通の成長が出来るのが当たり前"という先入観は、私自身の成長の妨げ繋がるから、排斥しただけの事。
私は交流に一手間が必要だと感じたなら、その方法を進んで学んだだけのことです。
それらを含めて、大切思える相手を護りたい為に剣術にも励んだ。
よく"努力"と例えられるものが運よく認められ、今、法王ロッツ様の護衛騎士という立場でいることが出来ます。
そして、私自身がその立場に執着していて―――いえ、"大好き"なった。
だから、その場所にいたいと思うから、苦にならない努力を続けているだけのことです。
その延長にアト殿と、スムーズに交流出来る事が、年上の殿方であるクラベル殿から尊敬に似た感情を抱いて頂けるという、"旨み"もたまにあります』
結構な饒舌にも関わらず、滑らかに耳に入り心に染み込んでくる言葉ばかりだったが、最後の方に聞こえてきた"大好き"や"旨み"といった言葉には、クラベルは思わず両方の眉をあげる。
ただ確かに、"旨み"という言葉の例えには、納得できるものがあった。
アトという少々手間取る交流が必要とされる相手とも迅速に気持ちを解釈し、的確の行動出来る事を、表現を言い換えたなら、"自分が巧くできない事を、見事に熟した女性騎士"となる。
そして、その従者の心を見透かした様に、女性騎士は薄っすらと笑う。
『ただ、あそこにいる"ウサギの姿に逃げた"人は、自分の成長や、周囲の評判など全く気にしないで突き詰め過ぎたら、"賢者"になったそうですが』
そこで話を切り上げる様に、ディンファレはウサギの姿に"逃げた"という賢者の方に視線を向けた。
クラベルもディンファレは"王都からの客人"という立場なのは十分に弁えているので、これ以上尋ねるのを控える。
それよりも"ウサギの姿に逃げた"という賢者に興味を持って、今は少女の膝の上にぬいぐるみの様に座っている姿を見つめた。
女性騎士とどういう縁があるのかは判らないが、その存在が本来は"人"であると告げられた事で、これまでみたいに動揺せずに"ウサギの姿をした賢者"を冷静に接する事が出来るような気持にもなれる。
(でも"変り者"という事ならば、ピーン・ビネガー様も十分に変わり者だったようには言われていたな。
しかしながら、周囲の評判など全く気にしないようでいて、"ロブロウ領主"という領民に期待された役割は完璧に熟しておられた)
ウサギとは似ても似つかない、背の高い、年齢に比べて若い時期から髪に白いものが多かったされるロブロウの在りし日の賢者を思い出す。
するとごく自然に、その傍らにいつも影の様に佇んでいた、クラベルのもう1つの"憧れ"の姿が頭をよぎる。
その人は、表向きは領主であった賢者と同じ様に、完璧にビネガー家の執事として振る舞いつつも、決してピーン・ビネガーという領主で賢者以外の存在を"主"として頑として受け入れなかった。
(もし、ここにあの方がいたなら、"ウサギの賢者"という存在をどのように捉え、接しただろう)
少しだけ想像したが、あまり交流というものをする時間を作る事が出来なかった、従者には、いつも通りの執事の姿しか思い浮かべる事しかできない。
(もし、聞いて貰えるなら、ピーン・ビネガー様以上の変り者にしかみえない、"ウサギの賢者様"の話を聞いてみてもらおう)
ただ今までとは違って、受け入れないという反応示されたとしても、先程ディンファレが口にした様に、自分も行動したいとも思えた。
"交流に一手間が必要だと感じたなら、その方法を進んで学んだだけのことです″
(私は手間の掛け方を、履き違えていた)
――私は、憧れる人に、ただに認めて、受け入れて欲しい。
――努力を惜しむ事もしないから、どうか受け入れてくれませんか。
(拘り抱えてしまっている相手の、その部分を無視して、自分の気持ちを伝える事ばかりを考えていた)
今は浚渫の儀式の数日前から、体調を崩して寝込んでいるその人を想い浮かべながら、法王の護衛騎士だという騎士に習うように話を再開する、"ウサギの賢者"達の姿を従者も見守った。
『それじゃあ、アルセン様は、あの"賢者さまにいやがらせをしてくる方"の存在に気が付いて、それを儀式をしている皆さんに伝える為に、休んでいたのに無理なされたんですね、大丈夫でしょうか……』
アトが来たことで、改めて"ウサギの賢者の鉄のナイフを溶かして何を作ろうとしている"という疑問に答える為の会話が改めて始まった。
ディンファレに"ライお姉さんのお話が終わるまで、アト殿のお話をしてはいけません"という指示を出された少年は、ウサギの賢者を膝に乗せているリリィを、ライと挟み形で正座をして、口元を自分の手で塞いでいた。
それが、アトなりの"お話をしません"という仕種なのだと、その周辺にいる一同は理解をして、話は進む。
話が再開して、リリィが気にしているのはやはりロブロウに来てから体調を崩しているという、男性なのに"美人"という例えがしっくりくる貴族で、軍人だった。
リリィの唯一の同僚で、兄の様にも思っているアルス・トラッドが、"兄"の様に信頼している、人物で少女も同じ様に信頼している。
ひょっとしたなら、"親子"と表現しても障りのない年齢の差がリリィとアルセンにはあるのだが、貴族の三十路を超えているのに精々20代後半にしか見えない容姿の事も含め、"とても年上の親戚のお兄さん"と言った様な気持ちを少女は抱いていた。
ただ、実際の家族や縁戚の付き合いの類というものは、リリィは知らない。
けれども、ウサギの賢者の魔法屋敷で、物語を読んで言語や、相手の気持ちを推し量る勉強をする時の例えに、家族という単語は沢山出てくる。
そして、大好きな賢者さまに習って沢山の本を読む女の子は、物語の上でのことだけれども、家族というのが様々な形があるのだという事も、確りと学び取ってもいた。
そんなリリィなりの物語の経験を元にして、親戚のお兄さんという表現が、不思議とアルセン・パドリックという人に当てはまるのだった。
勿論、"親戚のお兄さんの様に思っています"という言葉を、直接本人や周囲に告げる事は、とても失礼な事になると判ってもいるので、決して口にしないともリリィは小さな胸の中で決めていた。
そんな"随分年上のお兄さん”の様に思っている、病み上がりとも言えないだろう状態での無茶な行動を心配する。
『なーに、グランドールがいるから大丈夫だよね、ライさん?』
ところが少女の膝の上に乗っているモフモフとしたウサギの姿をした賢者は、全く心配をしていない口調でそう言ってのけ、隣にいる王族護衛騎士を見る。
すると今まで経緯などは聞いた事はないが、至って自然に猫の鳴き声を言葉の語尾につけて喋る、騎士という鎧姿なのに、”チャーミング”という印象が最も強いライも同調する。
『そうだにゃ、グランのおっちゃんがいたなら、例え途中でアルセン様が体調崩して倒れても、大丈夫ニャー。
晩餐会の時にお腹いっぱいで食べ過ぎて体調崩した時のアプリコット様の時みたいに、横抱きの御姫様抱っこしたみたいにして、運んで帰って来るにゃー』
『そ、それって、本当に大丈夫なんですか?。
あ、でも”倒れたら”って事は、まだ倒れてないんですよね?』
ウサギの姿をした賢者も、猫の様な鳴き声を後につける女性騎士も、アルセンと今回の儀式で王都側の引率者となるグランドールに対して結構な事を言っているのは、リリィでも判る。
けれど、1匹と1人からは全く逼迫という物を感じなくて、少女は最初こそ慌てる様に反応するけれど、その理由はいつの間にか”結構”な事を言っている事についてになっていた。
そして、リリィ自身がこの様な状態で会話を交わしている事自体、安心して良い状況なのだと、今更ながらに気がつく。
『―――じゃあ、アルセンさまは大丈夫なんですね』
『まあ、大丈夫だから”ワシ”がいるって、事なんだけれどね。
早い話、ワシがここに来た理由は、例の嫌がらせを止める為にきたんだよ。
何せ、皆が儀式が終了して、ヘロヘロの頃にシュト君とアルセンが”賢者を狙う物がきた!”って事だからね。
ワシはワシで、アプリコット殿から頼まれていた調べ物終わって、丁度合流したような形だったんだよ』
そこまでウサギの賢者が言った時、リリィの横に正座する、口元を抑えるアトが少し身体をシュトという兄の名前を聴いて反応する。
『にゃー、嫌な奴に一番最初に気が付いたのは、何を隠そう、アトちん兄ちゃんこと、銃の兄弟シュト・ザヘトなんだにゃー。
そうだにゃー、アトちんは”視覚的”―――”目で、文字で確認”した方が話が判り易かったかにゃ~?』
アトが兄の事を心配している事が判るライが、少しだけいつもの陽気な調子を潜ませ、黒い瞳を細めてたなら、自分の発言を確認する様にディンファレの方に振り返り視線を向けた。
すると腕を組んで背後から守る様にして、腕を組んで佇んでいる女性騎士はゆっくりと”肯定”の頷きを返してくれた。
『にゃー、じゃあ、ちょっくら紙にかいて纏めるから、待って欲しいニャ。
その方が、今回の儀式は無事に終わったんだけれど、ウサギの賢者殿が急いで戻って来てここにいる理由がわかりやすいにゃ』
そう言いながら、ライは早速腰の後ろに身に着けている鞄に手を突っ込んでメモ帳と、ペンをとりだした。
護衛騎士隊の間では”ライブ・ティンパニーの持ち物”としての、印としても知られている黒猫がモチーフが付いた筆記具を滑らかに動かし始めた。
『えっと、確か順番をつけて、箇条書きにした方がいいんだにゃ~?』
『うんうん、そうだよ』
今度はリリィの膝の上にいる賢者に確認しつつ、儀式が行われている間、留守番をしているリリィ達に起こった事を記していく。
1 シュトが体調が良くないアルセンを心配して、秘密基地を抜け出して領主邸に行く。
2 その途中で、怪しい”紫色のかみひこうき”を見つける。妖しく思う。
3 魔法が得意じゃないシュトは、お見舞いに行ったら起きていたアルセンや、領主邸
にいた前領主夫人の大奥様に、紫色のかみひこうきについて、報せる。
4 アルセンはウサギの賢者の嫌がらせを”知っている”から、知らせたほうが良いと判断する。
5 でも、ウサギの賢者がどこにいるか判らない。
6 シュトが儀式を行っている皆に、”嫌がらせ”を行っている者が近づいているかもしれないとしらせに行く。
7 アルセンは、取りあえずロブロウにいるだろう、ウサギの賢者を捜す事にする。
8 大奥様は心配なので、旧領主邸に向かう。
9 シュト、関所の近くで最初の儀式の前半が終わって関所で休息しているライとディンファレと出逢って、嫌がらせについて話す。
10 ディンファレとライは、嫌がらせがリリィの方に行ったら心配だからと、旧領主邸に向かう。
『にゃ~、取りあえず”10”迄で一回区切るにゃ!』
そう言って書き終えたメモ帳を、軽快な音と共に破いてアトとリリィの方に差し出した。
『リリィ、読みながら一緒に確認してあげなさい』
アトは口を抑える手を外して、ライが書いてくれたメモを文字を指で1つ1つ指で抑えつつ進めているが、少々速度が遅い。
それに声を出さないようにしているが、口は文字の形に動かしているを見て、賢者が自分の秘書に提案した。
器用に長い耳を左右に開き、頭を後ろ向きに下げて自分を膝に載せている、巫女の女の子を見上げる形になって更に続ける。
『さっき、ディンファレが"ライお姉さんのお話が終わるまで、アト殿のお話をしてはいけません"という約束を守っているから、声を出せないんだろう。
"声を出しもいいよ"となっても、確か、急な予定変更―――状況変化が、アト君のような症状の子には、とても大きなストレスで心の負担になるからね。
話が一旦終わるまで、声を出さないという約束を守るようにしつつ、出来る事は迅速に行おうじゃないか』
『はい、わかりました賢者さま。アトさん、わたし―――"リリ"が読んでも良いですか』
リリィの方も、アトの接し方に大分馴れてきて、一人称を"わたし"とするよりも、自分個人の"名前"を出した方が理解できると判って自分の名前を出した。
すると、心の成長がとても緩やかなのだと兄であるシュトから説明されている弟は、笑顔を浮かべて、メモ用紙を差し出した。
ゆっくりと絵本でも読み聞かせるように、リリィがメモを声を出して読み上げると、内容が箇条書きの区切りがつく度に、アトは確りと頷く。
そして"10 ディンファレとライは、嫌がらせがリリィの方に行ったら心配だからと、旧領主邸に向かう"まで読み終えた時に、リリィの中で浮かんだ疑問を小さな唇から溢した。
『あの、リコさんの名前が出てきていませんが、その、やっぱり儀式で疲れておやすみなんですか?。
確か、アルセンさまの代わりの役目をしなければならない、そういう話を聞きました。
それに、執事のロックさんの事も―――』
その疑問の答えは、殆ど予想はできていたけれども、やはり1度確認の為に、少女は言葉を口に出してかけていた。
主にメモ帳を記したライの方に視線を向けていたが、猫の鳴き声を語尾につける女性騎士はチャーミングな目元に鋭さを一瞬含ませたが、直ぐにいつもの形に戻した。
『にゃ~、リリィちゃんの言う通りだにゃ。
ただ、沢山名前が出ても、アトちんが混乱すると思ってにゃ~。
今の状況を説明するのに、必要な分だけにメモに書きだしたんだにゃ。
別に、"仲間はずれ"じゃないから、安心してほしいにゃ』
今度はチャーミングの中に"お姉さん"の色を含ませて、リリィに向かってライが微笑んだなら、巫女の女の子は真っ赤になって、賢者が一瞬息が出来なくなるほど抱きしめ上げた。
“お姉さん“が口にしたとおり、名前が出てこなっ方人達が、ただ出ていないだけのことなのに寂しい想いをしていないのか、気になって仕方がなかった。
『あの、そのすみません』
締めあげられている賢者の方が、僅かに震えているのを気が付かないリリィを見ながら、ライは笑い、続ける。
『にゃ~、リリィちゃんは仲間はずれでないにしても、誰かが1人になったなら、直ぐ気遣える優しい良い子にゃ~。
で、賢者殿が軽く窒息しかけているから、そろそろ抱きしめる力を弱めてあげた方が良いかもしれんにゃ~』
『え?ああ!?、ご、ごめんなさい、賢者さま』
慌てて直ぐに抱きしめ上げている腕の力を弱めたけれども、少女は膝の上に載せているウサギの賢者を放すという事はしなかった。
『―――ちょっと驚いたけれど、大丈夫だよ』
自分の秘書の巫女の女の子に、"気にしなくていい"と語り掛けながら、ウサギの賢者はすぐ隣にいる、魔術が得意な王族護衛騎士にテレパシーを飛ばす。
《ライさん、ちょっとばかし、酷いんじゃない?》
《にゃあ~、リリィちゃんをまた"仲間はずれ"にしようとした報いだニャ~。
執事さんの事、話し辛いにしてもリリィちゃんだけ何にも知らない形で終わらせるつもりなのは、正直ワチシは今でも賛成しかねるにゃ~》
実を言えば、アトに判り易くする為にとメモ帳に箇条書きを始めた頃から、ライはウサギの賢者からテレパシーを送られてきていた。
そしてできる事なら、"ビネガー家に仕える執事"について儀式に関しては、触れないよう、記述を省くように頼んでもいた。
ただ、それだけでは心の優しい女の子は直ぐに気が付いてしまうだろうと、リコリスにも“協力“をしてもらったが、案の定気が付いてしまう。
《それに、リリィは"ひとりぼっち"じゃないよう。
アト君も今回に関しては申し訳なく思うけれど、報せたら混乱をするだけだ》
《―――それは、認めるニャ。
でも、それでもリリィちゃんが”事実を知らないひとりぼっち”ではないというのも、屁理屈だと思うニャ》
アトに対しては配慮、リリィには"過保護"という言葉を思い浮かべるライはテレパシーで賢者にそう告げる。
《いやいやいやいや、これも"配慮"なんだよ》
テレパシーに込められている感情を、賢者は確りと拾い読んでライに意見を返す。
《あの炎のウリ坊を"私"が使役するきっかけになった事に関しても、ライさんは現場にいなかったから、ワシのやり方が少々過保護に見えるのが仕方ないにしても、それなりに揉めてねえ。
魔術を強引にかけているから、イノシシ自体を仕留めるしかない。
それに"人の都合で殺そうとするのですか"みたいな感じになっちゃって、アプリコット殿の仮面を人質の抱き締めて抵抗しようとしたり。
まあ、リリィは良い子だから、一度ちゃんと話したらその時は直ぐに判ってくれたけれどね》
ついでに、丁度ライ達の王都か一行が、離れたこの田舎と例えられても障りない場所に到着する前に行われた、”巫女の女の子と代理領主”のやり取りも、情報として送る。
それはライとしては、あまり見かけた事のないリリィという女の子の一面で、中々新鮮な物だったけれども負けん気の強さが少々気になる。
《にゃ~、リリィちゃんが気の強い良い子なのは認めるけれど、少々"親ばか"されたような気分になるのは何故だニャ~》
どちらかといえば、それなり社会経験を積んでいる”お姉さん”としては、”友だち”だとアプリコットが許しているにしても、領主で貴族で大人に対し、もう少し抑えた方が良い様も思えた。
ライがそんな感想を含めた返事をかえしたなら、賢者からは"アッハッハッハ"とテレパシーのなかで"人の姿の時の声"で返事を返された。
その笑いの意図が判らぬうちに、賢者の方からまたテレパシーを送られてくる。
《それに本当に、今回表に出せない―――正式な暦に残せない箇所に関しては、リリィは王都からやって来た、仲間内でも独りぼっちではないんんだよ。
ルイ君は、リリィと殆ど同じで"儀式は無事に終わった"程度の情報しかもってない。
ただこの場合は、"リリィとオレだけの共通する事に喜んでいる"と言った感じあるけれどね。
まあ、“ウサギの賢者“としては、知らない事になっているから、そこの所のフォローもよろしく頼むよ》
《にゃるほど、"此方に戻ってくる前"に、ルイ坊と指揮者としての"鳶目兎耳のネェツアーク"と、そういった事で話が、既についているってことにゃんだにゃ?》
《そういう事》
賢者も、魔法魔法が得意な護衛騎士互いに視線を交えたりはしないで、巫女の女の子がライが描き上げる新たな箇条書きのメモを待つ演技を見事にこなしていた。
そしてテレパシーでの打ち合わせが落ち着いた頃、ライがもう一度箇条書きで、
"儀式は無事に終わったんだけれど、ウサギの賢者殿が急いで戻って来てここにいる理由"
を、続きではあるけれど、アトが判り易く“1”から黒猫のメモ帳に記し始める。
こうやって“アトの為″としながらも、見方を変えたなら、共に読み聞かせることで、リリィにとっての”儀式の後で起こった出来事”を刷り込ませている状況でもあった。
(それで、リリィちゃんがルイ坊にここで教え込んだ出来事を”伝える”事で、更に上塗りされる。
ロブロウでの記憶は限りなく、賢者殿が仕組んだものとして、2人の子どもと暦に記されるって感じになるのか、にゃ―――)
思考の中で必要のない限り、この世界では”歌って踊れる護衛騎士ライヴ・ティンパニー”の振る舞いを忘れまいとしながらも、魔術師として賢者のやり口に呆れに近い物を感じる。
(それこそ、”過保護”だ″にゃ~″)
そう思いながら、2度目の箇条書きを書き終えた。
1 ディンファレとライは、旧領主邸に向かう途中で、大奥様と出逢って行動を一緒にする。
2 シュトは浚渫の儀式の終るころに、関所に辿り着く。
3 関所は、儀式が完全に終わるまで扉を閉めている事になっていた。
4 関所から浚渫の儀式のやっている場所まで、離れている。
5 終わってから知らせるには、距離が開き過ぎている、時間がかかる。
6 でも、直ぐに報せたほうがいいと思い、時間がかかって遠まわりになるけれど、関所を通らずに儀式を行っている場所に、シュトは向かう。
7 遠まわりをして、時間がかかってついた時、儀式は無事に終わっていた。
8 儀式によって、大きな八角形の大地が渓流に出来ていた。
9 シュトが辿り付いた時には、既に指揮者のネェツアークは王都に戻っていた。
10 そこにウサギの賢者を捕獲したアルセンが姿を現した。
《……さっきから、ワシの扱いが酷いような気がするのだけれど、気のせいかな?》
《気のせいにゃ~、気にすんにゃ~》