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第4話 事務所―図書館

 私は事務所のソファに蹲って頭を抱えた。

 さっきまで向かいに座っていた男が話した内容、そのすべてが突飛で、空想科学じみでいて、とても信用できるようなものではなかった。だが、事実私は過去の一部が思い出せない。加えて思い出せる記憶すら改竄されているとなれば、もはや現在の私さえ架空とも言ってしまえるのだ。現在を形作るものが過去であるならば、虚構の過去をもつ現在の私もまた、虚構であるのだから。

 もはや私にとって、ヘルメスが何者なのか、なぜ彼が私の記憶について知っているのかについては些細なことであった。ただ私には記憶がなく、あるのは謎ばかりであった。

 謎。

 私は半ば自暴自棄じみて、口角を吊り上げた。

 いかにも探偵らしい。それも、追うのは私自身の謎ときた。これほど私好みな展開があるだろうか。どの探偵小説にも劣らない現実、その主人公が私だというのだ。事件を引き寄せる私の性質に、今ほど感謝することはない。

 ヘルメスは二つの選択を私に与えた。一つが、私自身が調査を行い、頭痛を治し、あわよくば記憶をも取り戻すこと。もう一つが、ヘルメスに頭を下げて頭痛を直してもらい、記憶については諦めること。

 私の選択は決まっていた。


 事務所から車を出して十数分、ニューヨーク郊外の中でも一際巨大な図書館に到着した。石壁作りのそのポーチの影へ入ると、木陰のようにひんやりとする。

 紙の本というのは、半ば時代遅れのメディア(デッドメディア)となっていた。私が紙の本を好き好んで購入する理由は前にも言ったとおりだが、この街の半分以上の人間は、もはや一冊たりとも本など持っていないだろう。電子書籍に代わられた今となっては、古書店とはすなわち、全ての書店を指しているといっても過言ではない。

 だが一方で、新聞については利用する者も少なくない。インターネットのニュースは確かに情報の入手から報道までがスムーズなうえ、ジャンルも多岐にわたるが、単純な情報量だけでは世間を語るには不十分であるという自覚が、人々の中にはあったのだ。情報を元に考察し、批判し、議論するためには、上っ面だけをカバーしたネットニュースでは役に立たなかったのだ。すなわち、既にあらゆる事柄に明るい人ならば、その情報収集はネットニュースだけでも、随時自身の記憶中のデータベースと参照することができるが、無知な人間にはそもそもそのデータベースすら危ういために、ネットニュースは誤った認識につながる罠であったのだ。

 そういうわけで、新聞は保存される資料としても多用されている。

 私は2階のカウンターの前でPCと睨めっこしている受付係に、四年前の十月に発生した交通事故の記事が含まれる新聞を探してくれるように頼んだ。


 待っている間、私は探偵小説の書籍が天井まで並ぶ書棚の前で、これまでの流れをまとめてみることにした。

 頭痛が始まったのは二週間前だ。例の二日で片付いた仕事を終えたのち、帰宅した私が、街中に散乱していたチラシを読んだことにより、頭痛が引き起こされたのだ。

 一週間前からは仕事も休んでいたが、昨日、私は薬局の帰りに訪れた古書店でヘルメス・テトラプラシオと名乗る男と出会った。彼は私に名刺を差し出し、用があったらこれを見ろと言って去っていった。

 そして今日の午前、私が名刺を見た途端に、彼は現れた。事務所で話を聞くと、私の頭痛があのチラシで引き起こされたこと、私の記憶が改竄されていることを語り、そして頭痛を治すための方法として、彼は私に二つの選択を与えた。


 ミステリなら、まず一番に疑うべきはあの男ヘルメスだ。突然現れてのべつ幕なしにまくしたてて私を混乱させた上、改竄された記憶という謎を残して消えてしまった。わざわざ私を訪ねてまで謎を与えるからには、彼なりの思惑があるかもしれないのだ。

「なくはない、とだけ答えましょう」

 はっとして振り返ると、再びあの壁が突っ立っていた。

「…どうしてここにいるの」

「先ほどお伝えするのを忘れたものがございまして」

 と、ヘルメスは私に小さな紙切れを差し出した。名刺ではないようだ。私はそれを受け取って、

「それより、なくはないって、一体あなたは何を考えているの。いいえ、そもそもあなたは何者で、どうして私のことを知っているの」

「なんだかさっきよりも口調がつっけんどんになっていらっしゃいませんか?」

「うるさい」

「お答えしましょう。私に関することはいくら調べたって分かりようのないことですから」

 調べても分からないこと?私は腕組みをして彼の返答を待った。

「私、ヘルメス・テトラプラシオは、錬金術師であり、魔術師です。よって私があなたのことについて知っている理由も、ただ私が錬金術師であるということに尽きるのです」

「……」

「おや、驚きませんね」

「少なくともこれまでの話よりは驚かない。それよりも、錬金術師と魔術師って別物じゃないの?」

「こんな言葉を聞いたことはございませんか?『高度に発展した科学は、魔法と区別がつかない』。私が好きなSF小説家の言葉ですがね。つまり、錬金術が臨界まで発展した場合、それは魔術とも言える力を持つのです」

「そう。確かあのチラシにも、錬金術はれっきとした科学だって言われていたか。まさかあのチラシを書いたのはあなたじゃないでしょうね?」

「私ではありません。そんな自作自演、ミステリなら腑に落ちない展開じゃございませんか」

 魔術師がミステリを語るのか、と私は呆れた。

「ともかく、私はあなたにこれをお渡しに来ただけです。それでは」

 私は、背を向けて立ち去ろうとするヘルメスの腕を掴んだ。

「まだ一つ答えていないわ。あなたは何を考えているの」

「…私は単に興味があるだけです。あなたの行動についても」

 しばらく睨み合ったのち――睨んでいたのは私だけだったかもしれない――、彼は去っていった。

 『あなたの行動についても』、とはまた含みのある言い方をしたものだ。私はヘルメスから渡された紙片を手に、そう思った。


 と、館内アナウンスが私の名前を呼ぶ。さきほどのカウンターに行くと、いくつかの新聞が束になって置かれていた。受付係に礼を言って、そばのテーブルに新聞を広げた。一つずつ見て回ったが、私が起こしたという事故については見当たらなかった。近年は自動車の衝突防止に、センサーを利用した自動ブレーキが普及し、その精密さも向上しているため、よほどのことがない限り交通事故は滅多に起こらない事故となっている。四年前でもかなり事故率は低かったはずだ。

 ということは、私は少なくともニューヨーク州においては事故を起こしていない。やはり私は、この街に越してくる前に事故に遭ったのだ。

 ならば、以前住んでいたのはどこか?

 私はついさっきヘルメスから手渡された紙片に目を落とす。折りたたまれたそれを開くとこう書かれていた。

『Robert Winchester,

Baker Street 219, Westminster, London』

 おそらくヘルメスは、私が自分で謎を追うかどうかを見計らっていたのだろう。それでこの手がかりを渡すタイミングをわざと遅らせたのだ。まさかこの紙片の住所が、そのまま私の以前住んでいたところだというほど、親切なことをしてくれてはいないだろうが。

「ロバート・ウィンチェスター」

 ともかく、この男を訪ねてみろということだ。

 家に帰って支度をしよう。いつ帰れるかは分からないが。


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