聖者の謳
備忘録
13部族、閉じた国、魔法に長けた人種?
斎巫女は交代制、隣国との戦争は休戦中
『灯火』=宗教的装身具に近い、実際に機能あり
聖者の謳
あなたは英雄となりなさい。
その時代で、最も多くを殺した英雄となりなさい。
初めはきっと、人々にあなたの存在を否定されるでしょう、排斥されるでしょう。それでもあなたは、どれほど苦しく辛く悲しくとも、人を殺し続けなさい。 そうすればいつかは、世界があなたのことを英雄と認めてくれるでしょう
万の理屈より、一の暴力が雄弁なこの世界なのだから。
彼女は涙を流して懇願した。
俺は、答えを持っていなかった。
そうか、力のない叫びより、力を秘めた沈黙を選んだ方が強いのならば、どうぞこの口を縫い上げて、拳を固く握りしめ、高く高く振り上げて勢いよく、殴りつけてしまおうか。そうすればこの届かない思いも届いてくれるのだから、形を変えてしまったのだとしても。
そう、彼は彼女の願いを聞き入れてしまった。
遮る理由を私は持っていなかった。
痛みでもって理性を制し、悲しみでもって本能を開花する。
これが主より与えられし試練だとしても、これが来世のための苦行だとしても、今というこの時が、あなたや私の生きる時なのだから見知らぬいつかの私のためより、今この瞬間のために止める手を払いのけ耐えに耐え、忍びに忍んだこの思いを唯一つの怒りに添えて、与えられるのではなく与える側になるために。
本当は小さくて柔らかなその手を固く、固く握りしめ、頭上高く振り上げて、
あなたは英雄となりなさい。
(自問の果ての妄想か、あるいは実際の会話の一つ)
―ある日のある庭の四阿での会話―
目の前に座る青い神官服を着た青い髪と目の人は、愉快そうに目を細めながら俺をみてこう評した。
「もしもこの世界に優しい神様がいたなら、君みたいな存在は生まれなかった だろうねぇ」
つまり、この世界に優しい神様なんていねぇんだと言いたかったのだろう。
随分と性格のひん曲がった奴だなと呆れを通りこして感心したのを覚えている。
あまり、というかいいことを言われなかったのは確かだから、なんとか言い返してやろうなんて思い、俺はこの人物に確かこう切り返したんだ。
「そもそも、優しい神様がいたんなら人間みたいな不完全で悲しい生き物は作 らなかったんじゃあないのか?」
青い人はもともと大きい目をさらに大きく真ん丸にして、それからクシャリと笑ってみせた。そうやって笑うと見た目よりも4・5歳は幼く見えるから不思議だ。この人は幼さと、老成した人格が同居しているのかもしれない。
でもそんなことよりも、俺にはその人がそんな風に笑うなんて思いもよらなかったから
ものすごく……ものすごく、気味が悪かった。
「……」
「そんなに嫌がってくれるなよ」
ばれた。呆れた顔をされてしまった。表情がそのまま出ていたようだ。だが、本当に気味が悪かったのだから仕方ない。その実験動物を見るかのような冷めた目も、言葉の内容と乖離した抑揚のない話し方にも慣れきってしまい、いまでは何も感じなくなったっていうのに、今更人間味を帯びた姿を見せられると、逆に虫唾が走ってしまう。
矛盾した感情のように聞こえるかもしれないが、化け物の癖に人間のまねをするな、と言ってやりたくなる。
「なーんて、考えてるんだろうねぇ、君は?」
まさにその通りだった。実は心も読めるんじゃなかろうか、とか疑ってしまったが、それはないと、後で彼が言っていたので信じることにした。ただ、今でも少し疑っているのは内緒の話だ。嘘を付けない彼を疑うのも申し訳ないからな。
あの時、目の前の化け物は俺の答えをにやにやといやらしい笑みで待っていた。本当に虫唾が走る。だが同時に、ここでしか言えない本音があったのも事実だった。二の部族の守り手として、守長の長子として、俺は本当ならばあそこで「なる」べきだったのだ。それなのに俺は、なりそこなったんだ。
そう伝えると、化け物は無感動に笑って言った。
「ふぅん、賢者の問答に答えないとは大胆不敵だね。まぁいい。それで?なに
になりそこなったんだい?」
「英雄だ」
「英雄、ね。そもそも、君は自分が英雄になれると本気で思っていたのかい?
僕には少しもなれるとも、ましてや君は、なりたいとすら思ってるようには見えなかったんだが」
「あんたは人間じゃないから、もうわからないんだ」
俺たちは、どこまでも無力で脆弱で、強欲で、傲慢な、哀しいくらいに小さな存在なんだ。化け物になっちまったあんたたちとは違う。そんな意思を込めていった言葉を、化け物は鼻で笑いやがった。でもやはりそこに感情は見て取れない。だから俺は続けて言ったんだ。
「あんたは、いろいろ知ってるかもしれない、もっと簡単な方法で解決するこ とだってできるかもしれない。でもな、それじゃあダメなんだよ。」
優しい神様なんていない。国護の神ですら国への介入はしないんだ。だから、俺たちは、自分自身の力で守るしかない。ロスティリュルーグは導いてくれなかった。
「ロスティリュルーグを引きずり出したかったみたいだけど、神燈は渡さな
い。これは人世の問題だ。神世の手のあんたらの介入なんて許されないんだよ。神がいないから、救世主は現れない、魂の救済もないかもしれない。だからみんなは、英雄を求めてしまった。でもそれは間違ってた」
理解したんだ。あの場では英雄なんてそんなキラキラしたものは生まれえない。あそこは、戦場は、ただ悲しいまでに強い化け物を生み出す場所だった。
そして俺は、あそこで英雄になり損ね、翼を奪われ地に落ちて、化け物になった。それだけだ。
睨みつけ、吐き捨てるように言葉をぶつけてきた俺を、化け物はわがままを言う幼子を見守るみたいに微笑んで、そして「可哀そうだね」と言った。
かっと瞬時に頭に血が上ったのがわかった。だが、手はあげない。ぐっと左の拳を握りしめた。化け物のお綺麗な顔を睨みつけながら、言葉の真意を問おうとした瞬間、当のその人は俺の目の前に自身の右の掌を突き付けてきた。
拍子抜かれながらも、今度は手のひらを睨むのをやめないでいると、当の本人は肩を小刻みに震わせながら笑っていた。
そして、今度はいたって真面目な顔をして「時間が来た」といって立ち上がり、青い目で見おろしてきた。俺はすっと背を伸ばす。理由はない、なぜかそうしなければいけない気がしただけだ。そんな俺を気にも留めることなく、化け物は真面目な顔をしている。
「さぁ、いい加減、君も僕との会話に嫌気がさしてきただろう?だから、最後
に一つ、問答をしよう。君も知っての通り、僕らは賢者だ。賢者は人に問を
与えることがある。君たち人は、この問に答えてもいいし、答えなくてもい
い。なぜなら答えても答えなくても、何も変わらないからだ」
俺は知っている。その問答は、確かに正解も不正解もなく、あっていても間違っていても、答えても答えなくても、何の罰則もない。だが、問答を受けたものは必ずと言っていいほどに、変化を求められることになる。いや、もっと正確に言えば、変化しようとするものに、問答は与えられるのだ。
こいつは、「何も変わらない」と言ったが、正しくは「問答をしたところで、変化するということに何ら変わりはない」と言いたいのだろう。だから、不変を望むものや均衡を保ちたい人にとって、賢者の問答はその結果がどう転ぼうと、最悪と災厄でしかないのだ。
もちろん、俺にとっても。
「君への問いはただ一つ、英雄になり損ねた君は今、何者なのか?」
答えを、と化け物は口を三日月にする。
俺はそれに、答えた。
「なりそこないだよ」
化け物は、くしゃって笑っていたんだ。