六章
その日から高田は節約生活を強いられる事になった。
一方で、高田は毎夜、テレビや雑誌で気になる女性を探しては、夢の中でデートを楽しんだ。
美人スポーツ選手、トップアイドル、モデル、女優――――現実では一生話すことも出来ないような女性たちと、まさしく夢の時間を過ごした。浜辺で砂遊びをしたり、時には大胆にも繁華街でショッピングをしたりもした。
有名な女性たちを、毎日替えながらデートをするなど、どんな地位や名誉を持っている人物でも、現実世界では到底成し得ないだろう。たとえ秘密裏に行っていたとしても、バレた場合のリスクは計り知れない。
だが自分は、それがノーリスクで出来てしまうのだ。いままで生きてきて、これほど心が満たされることはなかった。
しかし、購入した飴玉がほとんど無くなる頃、高田には不満に思うことが出来つつあった。
それは、どこまで良いムードになっても、これからが本番だという所で夢が覚めてしまうのだ。
高田としては、キスから先の展開を望んでいたが、どうしてもそこから次へは行けずにいた。
おあずけをくらっているようで、これでは逆にストレスが溜まってしまう……。そんなふうに感じ始めていた。
そんな次の雨の日。高田は営業の合間を縫って、少ない貯金を切り崩し、老婆へ会いに向かった。
もちろん、以前と同じ場所に居るという確信はなかったが、相手だってドリームキャンディの魅惑的な効果を知っているのだから、当然こちらがまた買いに来ると読んでいるはずだ。
高田が老婆の行動パターンを直接確認しなかったのは、踏み込みすぎる事で姿を消してしまうのではないかという怖さがあったからだ。
人気商品の売れ切れを危惧するような、逸る気持ちを抑えて、目的地にたどり着く。
雨の向こうに黒い人影らしきものを見つけたとき、高田は安堵の息を吐いた。しかしそれも一瞬の事。
今度は一言文句を言わなければならないという思いに駆られた。
あまり嘗められてもいけない。高田はネクタイを締めなおすと、平静を装い、大股歩きで近付いた。
「いらっしゃいませ」
いつもと同じ口調で老婆が言う。
「本日もドリームキャンディをお求めですね?」
「ああ。だが、その前にちょっと訊きたい事がある」
「……なんでしょう?」
「ドリームキャンディは、自分の見たい夢を見ることが出来る商品なんだよな?」
「左様です」
「だが、肝心な場面で夢から覚めてしまうんだが? これはいったいどういうことなんだ?」
老婆は、はて、と小首をかしげる。
「肝心な場面、と言いますと?」
「それは……い、いいんだよ! とにかく、一番見たい続きが見れないんだ! これじゃ話が違うだろう!」
すると老婆は少しの間を置き、
「それはお客様に原因があるかと……」
含みのある言い方をした。
「俺に?」
「ドリームキャンディの効力は、その人物の疲労具合によって長くもなり、短くもなるのです。つまり、良い場面にもかかわらず目が覚めてしまうということは、それだけ疲労が足りないということなのでしょう」
「……そんな……」
「ですので、就寝前の疲労感が強ければ強いほど、その日の夢の時間は長く、より濃密になるはずです」
「なんで、そんな大事な事を先に言わないんだよ、全く!」
腹が立つが仕方ない。原因が分かっただけでも良しとするしかない。
「……まあいい。とりあえず、ドリームキャンディをくれ。確か三千だった――」
「五千円になります」
「……い、いまなんて言った?」
「五千円になります」
老婆は淡々と、冷酷に繰り返した。
「一個、五千! 冗談だろ!」
「ただいま、在庫が急激に減っておりまして……。この価格となっております」
それは、さも高田が原因だと言わんばかりの口調だった。
「――納得していただけないのであれば、またの機会ということになってしまいますが……」
「ま、待て待て! 買わないなんて言ってないだろ! ……分かったよ。その値段でいい。もう、これであるだけくれ!」
高田は半ば怒り気味に封筒から一万円札の束を取り出して叩きつけた。
仕事を終えて自宅へ帰ると、いの一番にビニール袋に入れた五十個弱の赤い飴玉を鞄から取り出し、空き瓶へ移し換えた。今の自分にとって、これが唯一の楽しみだ。大切に保管しておかなければ……。
高田はカップラーメンで簡単に食事を済ませると、すぐさま寝る準備をする。しかしそこでふと思った。
今ここでドリームキャンディを使っても、いままでと同じ夢しか見られないのではないだろうか。ましてや一個五千円だ……。それならば、より疲労を貯めてから使うべきだ。とすれば、今日は控えて、明日に回そう。
ドリームキャンディを舐めずに眠ることは、今の高田にとって困難極まりない事であった。しかし、より濃密な夢を見るためだと、その日は我慢して就寝した。
次の日、出社した高田は、周囲も驚くほどに仕事をこなした。
その理由はもちろん、ドリームキャンディでより濃い夢を見るためだ。女優やモデル、アイドルと一夜を過ごすためだ。
そう考えると、足を使い、初対面の人間に売り込みを掛ける営業は、疲労を蓄積させるには好都合と言えた。高田は自分の身体が時間と共にどんどん重くなっていくことに嬉しさすら感じた。
営業先には、まだまだ断られてばかりの状態であったが、その都度、自社の製品をいかにしたら、よりアピール出来るのかを考え、次に挑むようになっていた。決して業績のためではなく、ただ、疲労を貯めるために。
照りつける太陽も、今の高田にとっては、ありがたいモノだった。
クラクラになりながら、珍しく一軒の小さなオフィスと事務照明器具の契約が出来たのは、陽が暮れ始めた頃であった。
高田はそこで、パンフレットを用い、照明の効果的な使い方を必死にレクチャーした。
どういう使い方が一番電力を抑えられるのか。また、どうやったら室内をより明るく出来るのか、照明を長持ちさせるにはどうすればいいのかなど、自分の持っている知識を惜しみなく顧客に教えた。
照明器具が長持ちしてしまえば、それだけ買い替えの頻度が少なくなり、長い目で見れば、売り上げに響いてくる可能性もある。しかしそんなことは、もはやどうでもいいのだ。とにかく手を抜かない事が疲労の蓄積につながり、ひいては、濃密な夢が見られると考えていたからだ。
高田にとっては、それが最も重要な事だった。
通常業務時間を大きく超えて自宅に帰ると、久しく経験していない、眩暈がするほどの疲れに襲われた。
――だが、これだけの疲れがあれば、きっと……!
高田は湧き上がる興奮を抑えつつ、簡単に寝支度を済ませると、食事もとらず、ドリームキャンディを口にして、ベッドに寝転んだ。
一夜を共にしたい女性の姿を想像しながら――。




