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四章

 気がつくと、高田はベンチに座っていた。初めに疑問を持ったのは、チノパンにTシャツ姿という自らの格好だった。いつの間に服を着替えたのだろうか?

 ふと周囲に目を配ると、多くの人が行き交い、楽しそうな声があちらこちらから聞こえてくる。

「えっ……なんだ、ここ?」

 ――街中? いや違う。それにしてはやけに賑やかしい。……何かのイベント?

 しかし、そもそもなぜ自分がこんなところに居るのかさっぱり分からない。ここはどこなのか? まさか幻覚? 記憶喪失? 自分はおかしくなってしまったのだろうか?

 すると――。

「あっ、こんなところに居たんだ。もう、探したよー」


 高田の元に小走りでやって来た人物を見て、高田はますますパニックになった。なぜならそれが、あの美人女子アナウンサー、宮倉彩夏だったからだ。

「え……ええっー!」

 口を動かすが、あまりの衝撃にそれ以上の声が出ない。

「どうしたの? そんなに驚いて。はい、これ」

「え、あ、ど、どうも……ありがとうございます」

 高田は差し出された蓋付きのカップジュースを震える手で受け取った。

 ジーンズにロゴTシャツという普段では考えられないリラックスした格好の宮倉彩夏は、動揺する高田のすぐ横に座ると、ジュースのストローに口をつけた。

「あっ、これおいしー。新商品のマンゴートロピカルジュース! さわやかな味の中にマンゴーの深い甘みが広がりますねー」

 そんなふうに宮倉は冗談めかしつつ、飲み物のリポートをした。

 風でなびくつややかなブラウンの髪を耳に掛けるその横顔は、確かにあの宮倉彩夏だった。

「あのー……」

「ん? もしかして、ちょっと疲れちゃった? ごめんね、遊園地って久しぶりだったから興奮しちゃって」

「遊園地?」

 そこでようやく高田は、ここが有名なレジャー施設だと気がついた。見渡すと確かに子供や女性達が、あちこちで黄色い声を上げ、着ぐるみのキャラクターと一緒に写真を撮っていた。

 少しずつ状況を把握し始めた高田は、ここに来る前の出来事を思い出していた。

 ――そうだ。

「ん? もしかして、ちょっと疲れちゃった? ごめんね、遊園地って久しぶりだったから興奮しちゃって」

「遊園地?」

 そこでようやく高田は、ここが有名なレジャー施設だと気がついた。見渡すと確かに子供や女性達が、あちこちで黄色い声を上げ、着ぐるみのキャラクターと一緒に写真を撮っていた。

 少しずつ状況を把握し始めた高田は、ここに来る前の出来事を思い出していた。

 ――そうだ。確か、あの妙な飴玉を舐めたんだ。それで、宮倉彩夏とのデートを思い浮かべて……ということは、これは、本当に夢の中?

 自分の意識もはっきりしていて、指先までちゃんと動かすことが出来る。宮倉から渡されたジュースを飲んでみると、味も感覚も現実そのものとしか思えない。だが現実ならば、そもそも自分が宮倉彩夏と話すことなど出来ていないはずだ。

「えっと、ちょっといい? ……ですか?」

 園内に流れるポップなミュージックを口ずさんでいる宮倉に、高田が恐る恐る声を掛けた。

「失礼ですが、宮倉彩夏さん、ですよね?」

 すると怪訝そうな表情をした彼女は、すぐに大笑いして答えた。

「あははっ、そうだよ。どうしたの?」

「つ、つかぬ事を聞きますが……その……お、私たちはどうしてここに?」

「えー? 忘れちゃったの? 正平くんが誘ってくれたんじゃない。遊園地でデートしようって。ていうかなんで敬語?」

「誘った? ……俺が……」

「正平くん、ホントに大丈夫? 具合悪いんじゃないの?」

 現状を完全に理解したわけではない。だが夢だろうがドッキリだろうが、今はこの瞬間を楽しむべきなのかもしれない。こんなチャンスは、まず無いのだから。とりあえず、これ以上不審がられても困る。高田はとにかく会話を合わせることにした。

「いや、大丈夫です、じゃなくて! 大丈夫。少し休んだから。それで、この後は?」

「じゃあ、アレに乗らない? レインボー・スプラッシャー」

 宮倉が指さした方を見ると、ちょうど、高さ三十メートルくらいに設置されたトンネルから、長いトロッコ型の乗り物が現れ、ほぼ垂直のレールを下るところだった。

 トロッコが真下を向き、高速でレールを走り抜けると、甲高い歓声が響いた。両方向から噴射される霧の中を一気に突っ切ると、貯められた大量の水を周囲に吹き飛ばしながら、トロッコはスピードを緩やかにし、終着点に停まった。

「あ、あれですか」

「うん。すっごく楽しそうじゃない? ねえ、やろう?」

 彼女の反応を見る限り、どうやら絶叫マシーン系が好きなようだ。だが高田は、ほとんどそういうものに乗った経験がなかったため、正直、不安だった。しかし、あの宮倉彩夏に誘われているのだ。無碍に断るわけにもいかない。

「わ、分かった。行こう」

 高田はマンゴートロピカルジュースを飲み干してゴミ箱に捨てると、気合いを入れて立ち上がった。

 国内では随一の人気遊園地にも関わらず、レインボー・スプラッシャーの待ち時間はほとんどなかった。

 宮倉の希望で、二人はトロッコの一番前に乗ることになった。

「ドキドキするねっ」

 隣に座る宮倉が楽しそうに言う。

「う、うん」

 冷静を装いながら同調した高田だったが、表情は完全に強張っていた。

 安全レバーがおろされると、出発のベルが鳴り、トロッコはのそりと動き出した。不気味な笑い声が響き、乗客を別の世界へといざなう。

 トンネルを抜けると、すぐに急勾配のコースが現れた。空へと伸びるレールの先は見えない。車体は恐怖心を煽るかのように、ゆっくりとその坂を上っていく。

 夢だと思っていても、チェーンが回る音や、油圧ポンプの音などが、それを一切感じさせない。

 視界はだんだんと高くなり、ついに天辺に到達した。高田は恐怖から目を開けることが出来ずにいた。風にかき消されて、地上にいる人々の声がやけに遠く聞こえる。

 そのとき、横に座る宮倉の手が、高田の汗ばむ手に重ねられた。

 横目で彼女を見ると、大丈夫? というように微笑んでいる。高田も笑顔を繕おうとしたとき、トロッコが一気に急降下を始めた。乗客の歓声が糸を引くように流れる。

 車体はそこからハイスピードで縦横無尽なコースを巡った。あらゆる方向からの重力が襲い掛かってきて、まるで小さな船で大海原に投げ出されたかのような感覚だった。

 ラストのトンネルにたどり着く頃には、高田は軽い息切れを起こしていた。

「いよいよクライマックスだね」

 宮倉は乱れた髪を直しながら楽しそうに言う。

 出口の光が近くなるにつれて、水の音も大きくなる。そしてトロッコは最後の落下を始めた。

 左右から霧状の水が噴きかけられる中をほとんど垂直に走り抜けると、貯められた水に体当たりするような形で、大きなしぶきを上げながら、ようやく終着点にたどり着いた。

「正平くん、ほら見て」

 トロッコから降りて昇降口前に行くと、モニターに写真が映し出されていた。どうやら落下の瞬間を連続写真で撮ったもののようだ。

 霧のアーチの中、トロッコの最前席で目を固く閉じた高田の顔と、笑顔を弾けさせる宮倉が写っている。その背景にはうっすらと虹も掛かっていた。噴射された霧が発生させたものだろう。

 二人は連続写真の中から一番綺麗に撮れている物を選んだ購入した。

 その後も、二人はお化け屋敷、巨大迷路、コーヒーカップ、たまに絶叫マシーンと、ほぼ全てのアトラクションを楽しんだ。

 やがて陽も落ち、園内には西日が強く差し込むようになってきていた。景色を眺めるならこの時間がお勧めだということで、高田と宮倉は観覧車に乗ることにした。

 肩が触れ合うほど狭いボックス内に隣合う形で座ると、扉が閉められ、外の音が一気に遮断された。

「今日はありがと。すっごく楽しかったよ」

「お、俺も楽しかった。ホントに、夢だなんて信じられないよ」

 高田の言っている意味が分からない宮倉は、思わず吹き出した。

「あははっ、なにそれ?」

「あ、いや、えっと……」

「正平くんて、たまに天然な発言するよね」

「そ、そうかな」

「でもそういうところが良いんだよ。あ、ほら見てみて」

 宮倉は中腰で高田の肩に手を置くと、覗き込むようにして窓の外を指さした。

「私たちが乗ったレインボー・スプラッシャーがあんなに小さいよ」

 純粋にその美しい景色に感嘆の声を上げる宮倉。その笑顔を誰よりも近い場所で眺められることが高田にとっては何にも変えがたい幸福になっていた。

 しばらくして高田の視線に気づいた宮倉は、少し照れたようにその瞳をさまよわせた。

「え、えっと……」

 観覧車が真上の位置にきて、陽の光がボックス内をオレンジ色に染める。

 二人の顔が自然と近付き、やがて唇がそっと触れ合った。

 照らす夕陽が急速に強くなっていく中で、高田はその時間を忘れまいと目を閉じたのだった――。

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