二章
待ち合わせ場所は、高田のアパートの最寄り駅から、電車で十分ほどの場所にある中央駅前だった。
時刻は午前十時五十分。
「高田さん。こっちです」
待ち合わせ時間の十分前であったが、そこにはすでに中村の姿があった。
「すいません。待たせてしまいましたか」
高田は小走りで駆け寄った。
「いいえ。ちょうど所用もありましたので。早く来て済ませた所です」
花柄シャツにチェック柄のロングスカートを身に纏う中村の印象は、普段のスーツ姿とは大きく変わっていた。いつもは後ろで纏めている髪も肩までおろしている。服装や髪型というものは、ここまで違いをもたらすものかと、高田は感心した。おそらく、仮に街ですれ違っていたとしても、同一人物だとは気づかないだろう。
対して高田は、白のポロシャツに紺のパンツという、いたってシンプルな格好であった。ネックレスをつけたり、もっとオシャレをするべきだったのかもしれないが、なにぶん、そういった余計な物は買わない主義だったので仕方ない。
「それじゃあ、行きましょうか」
高田は中村の案内で歩き始めた。
「そのお店は、ここからどのくらいの距離なんですか?」
「すぐですよ。歩いて二、三分ってところでしょうか。ほら、二つ先にある信号の所にビルがあるじゃないですか。その中にあるテナントの一つなんです」
二人はビルの前に到着すると、案内看板を確認した。一、二階は何かのオフィスのようで、三階の部分に、『占いの園』という文字が達筆で書かれていた。
ガラスのドアを押して中に入ると、廊下はひんやりとしていて、人の気配もほとんど感じられない。
「なんか、静かですね」
「ここのビルは複数のテナントが入っているんですが、お互いのお客さんが重ならないように、それぞれの営業時間を、あえてずらしているらしいですよ」
「なるほど」
確かに、占いに来た人は、あまり他人には遭いたくないだろうし、騒がしい声も聞きたくないだろう。逆もまた然りだ。
小さなエレベーターで3階まで上がる。扉が開いて外に出ると、隣接する形で、すぐそこが受付になっていた。続いていると思われる廊下は、紺色のカーテンで仕切られ、見えなくなっている。
「いらっしゃいませ」
カウンター越しに、店員の女性が静かにお辞儀をした。
「二名で予約しました。中村です」
「中村様ですね。ありがとうございます。ご指名の占い師は、マリアでよろしかったでしょうか?」
「はい」
「では、料金のほうが、二名様で一万円になります」
中村は慣れた様子で言われた金額を支払った。
「二人で一万ということは、一人五千ですかね」
高田は財布から五千円札を取り出すと、中村に渡した。
「いいんですよ。私が誘ったわけですから」
「いえ。そういうわけにはいきません。体面というのもありますし。ここは」
「そう、ですか……? では受け取らせていただきますね」
「それでは、紫の部屋へとお進み下さい」
店員によって仕切られていたカーテンが開けられる。
高田は、中村について先へと進んだ。
静かなクラシックが天井のスピーカーから流れている。窓にはしっかりとカーテンが引かれ、光はほとんど入ってこない。
等間隔に並んだ四つの部屋の入り口には看板があり、それぞれ色の名前が書いてあった。
一番手前が赤の部屋。次が黒の部屋。黒の部屋には占い中というランプが光っていた。
二人が指定された紫の部屋は三番目にあった。「それでは高田さんから、お先にどうぞ」
「えっ、俺からですか? しかし何を話したらいいのか……」
「なんでもいいんですよ。自分が悩んでいることや、こうしたいんだけどどうかなとか」
「はあ……分かりました。では、行ってきますね」
「はい。頑張ってください」
何をどう頑張ればいいのか分からないが、高田は一つ息を整えると、ノックをしてドアを開けた。
「失礼します」
室内は更に暗く、よく見えない。ラベンダーだろうか? お香の臭いが少しきつく感じられる。なんだか早くも帰りたくなってきた。
むせ返りに我慢しつつ、高田が後ろ手にドアを閉めると、
「いらっしゃいませ」
小さな声とともに、正面にあった卓上スタンドの薄明かりが点いた。布が掛けられたテーブルの向かい側に、女性らしき人物が座していた。年は四十くらいだろうか。
その人物は、頭にフードを被り、紫色で袖の長い着物のような服を着ていた。カラーコンタクトを入れているのか、紫の瞳が不気味だった。
「マリアと申します。どうぞこちらへ」
促されるまま、高田は正面の丸椅子に座った。
「ご来店は初めてですね」
「は、はい」
「それでは、今日はどのような事を占い致しましょうか」
「えっと……そうですね……では、仕事運を」
「かしこまりました。ではまず、この紙に、生年月日とフルネームをお願いします」
高田は渡されたペンで、言われたとおりに記入した。それを受け取ったマリアは、次にテーブルの端に置いてあったカードを手に取り、一枚一枚、並べ始めた。やや厚みのあるカードは全て裏面が上になっており、それがなんなのかは分からない。
やがて20枚ほどあった全てのカードを縦四列、横五列に並べ終えると、高田に言った。
「この中から好きなカードを四枚選び、めくって下さい。それがあなたの未来を示します」
胡散臭いが、ここは言うとおりにするしかない。
「じゃあ……」
高田は少し迷いながら、まず右上端のカードをめくった。カードにはジャックと豆の木のような植物が描かれていた。よく分からず戸惑っていると、マリアから次を引くように促される。
二枚目は横二列目、真ん中左のカードを選択した。めくると、ドレスを着た大勢の女性とタキシードを着た一人の男性が、教会のような建物の前で並んでいた。続けて引いた三枚目はアーチ型の石橋のカードだった。下にはマグマのようなものが描写されている。
そして最後のカードは、晴れているにも関わらず、傘をさして佇む女性の後ろ姿だった。
マリアはテーブルの上を片付け、高田が選んだ四枚のカードを順番に並べると、その下に生年月日と名前が書かれた紙を置いた。
それらに左手をかざしつつ、引き出しから別の紙を取り出すと、なにやらペンを走らせ始めた。アルファベットや記号のようなものが、あっという間に埋め尽くす。
「名前、生年月日による星のめぐり、そしてあなたがお選びになられたカードとその順番から、占いの結果を導き出しました。それによりますと、残念ながら現在の運勢は底の状態にあるようです」
――底……。当たってはいるかもしれないが、こんなのは心理トリックのようなものでどうにでもなるよな。
そんな白けた高田の気持ちなどお構いなしに、マリアは言葉を続ける。
「……しかし、一枚目のカードから、運気が急激に上がると予想されます」
「急激に?」
マリアは静かに頷く。
「その要因となるのが、二枚目。異性との交流のようです。ただし! 三枚目のカードから推察しますと、深追いのしすぎは危険なようです。決して油断しないことですね」
「はあ……」
「そして最後のカード。これはあなたの運命を示しています。このカードの女性は、いわば大切な人です。絵柄をご覧ください」
高田は示されたカードに視線を落とす。
「この女性は、どういう感情を持っているように見えますか?」
「さあ……。哀しんでいるようにも見えるし、誰かを待っているようにも……」
「ええ。つまりこの女性が最終的にどう見えるかは、あなたの状況次第というわけです」
占いを終え、ビルを出た高田と中村は、駅前の喫茶店に入っていた。時刻は正午を過ぎている。
「いかがでしたか?占いのほうは?」
「うーん、まだ分からないですね。これから運気が上がるようなことは言われましたが……」
「それなら良かったじゃないですか」
「まあ、そうですね。悪くなるよりは」
とは言うものの、高田はがっかりしていた。占いの内容はどれも抽象的で、どうとでも取れるものだったし、はっきり言って予想の範囲内だと言わざるを得なかった。だいたい、悩んでなきゃ占いをしてもらおうなんて思わないのだから、今が底だと言われても当たったとは思えない。未来は自分次第? そりゃそうだろう。そんな適当なアドバイスを初対面の人間に、十分二十分しただけで五千円も取るのでは、ぼったくりじゃないかと思ってしまう。
しかしそんな文句を中村に言うわけにはいかない。選択したのは自分だ。これもいい勉強だったと思うことにして、苦いコーヒーをすすった。
「それで、中村さんはどんなことを占ってもらったんですか?」
「え? えーと、それは……秘密です。占いの内容や結果は言わないほうがいいんですよ」
「ええっ!? 俺には訊いたのに?」
「あはは……ごめんなさい、つい」
中村は誤魔化すように笑って手を合わせる。
「ま、いいですけどね」おそらく似たような内容だろうし、無理に訊くことでもないだろう。そこまで興味もない。
二人は軽食をとった後、店を出た。代金はまとめて高田が支払った。
「すみません。奢ってもらっちゃって」
「これくらい、かまいませんよ。案内してくれたお礼です。ああいう所は、男一人だと勇気が出ませんから」
「そう言ってもらえると、ほっとします。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
やがてお互いに会話が途切れ、どうしようかと迷っていたが、
「それじゃあ、この辺で」
と中村が言ったのをきっかけに、解散する運びとなった。
「はい。気をつけて」
店の前で別れた後、高田は駅へと向かった。
地下に併設された書店に寄って新刊コーナーでで時間を潰すと、改札を抜けて電車を待った。しかし予定の時刻になっても来ない。どうしたのかと思っていると、構内アナウンスが流れ出した。
『お客様各位にお知らせ致します。ただいま、人身事故のため、到着時刻が大幅に遅れております。ご迷惑をお掛けいたしますが、今しばらくお待ちください』
ため息にも似た声が、ざわざわと辺りを満たす。
「こんなときに事故か。ついてないな……」
「だから、電車はいつ来るんですか?」
駅員に詰め寄る中年女性の、イライラした声が耳に入ってくる。
「申し訳ありません。ただいま確認中でありまして。正確なことは……」
雨避け屋根の隙間から空を覗くと、いつの間にか暗い雲が現れ始めていた。
ここから高田の自宅までは三駅ほど。雨が降ってくるかもしれないし、いつやって来るか分からない電車を待つよりは、歩いて帰ったほうが得策かもしれない。
――全く。どうせならこういうことを占いで当てて欲しいものだ。
そんな事を思いながら、高田はきびすを返すと、駅を出て歩き始めた。
営業の性か、立ち続けているより、歩いているほうが苦にならなかった。
高田は線路沿いを進み、事故で停車しているという電車を柵越しに探したが、少なくとも見える範囲には居ないようだった。
「こりゃあ時間が掛かりそうだ。駅を出て正解だったかな」
雨が降り始めたのは、そんなふうに呟いた時だった。
「どうやらそうでもないらしいな……」
急いで家路を目指すも、雨足は一気に強くなる。今更来た道を戻るわけにはいかない。高田は仕方なく周囲を見渡し、雨宿りの出来そうな場所を探した。
すると前方左手に、一件のスーパーの建物が見えた。
高田は狭い街路地を抜けてその建物の軒下に走りこむと、肩や頭の水滴を払い、ほっと息を吐いた。
ふと、静けさを不思議に思い、振り返って店の中を覗くと、真っ暗でスカスカの状態だった。どうやら、すでに潰れてしまっているようだ。 高田の頭上を守る、半アーチ型のビニールで出来た雨避けの屋根は、建物正面の壁に沿うような形で設置されていた。
錆びてはいるが、タクシー乗り場やバス停、障害者用自動車の駐車スペースがしっかり設けられているところを見ると、お年寄りたちにとっては重要な買い物場所だったのかもしれない。
そんな侘びしさを増幅させるかのごとく、ビニールの屋根に雨が叩きつけられる。
しかし、潰れた店というのはあまり気分がよくないものだ。自分の会社も、いつかこうなるのだろうかという思いに襲われるからだ。とはいえ別の場所に移動するのも億劫だ。仕方ないと割り切るしかなかった。 空を見ると、厚い雲が真上を覆っていたが、幸い、その周りは陽が照っている。通り雨のようなもので、すぐに止みそうだ。
「そこのお方」
ホッとしたのもつかの間、高田は突然の声に驚いた。
咄嗟に横を見ると、いつから居たのだろう。ざんばらの白髪を垂らした一人の老婆が、黒い布の掛かった小机を前にして座っていた。
「びっくりした……え、お、わ、私ですか?」
「はい。非常にお疲れだとお見受けします。お会いしたのも何かの縁。いかがでしょう。悩みのご相談、承りますよ」
「はあ。え、えーと……」
――なんだこのばあさん?
正面に降る雨を無表情で見つめたまま微動だにしない。長く縮れた髪のせいでよく見えないが、どうやら、ちゃんとした人間のようだ。
とはいえ、滅茶苦茶怪しい。しかし一方で、なんとなくだが、どこか既視感もあるような気がした。少し考えると、高田はそれにすぐ思い当たった。
午前中に中村と行った占いだ。そこにいた占い師とどことなく似たような印象なのだ。ということは、相談に乗るというのは、まさか占い? こんなところで?
ちゃんとした場所を設けていないところからしても、疑わしさ満点だ。
「申し訳ありませんが、占いなら結構ですよ。あいにく、今日やってもらったばかりですので。持ち合わせもほとんど無いし」
どうせなんだかんだ曖昧な事を言われるだけなのだから、関わらないのが得策だ。財布には、まだある程度の金はあったが、持っていないと言えば、相手から引き下がるだろうという狙いだった。
するとその人物はかすかに笑った。
「ご安心を。占い自体は無料です。それに、ただの占いでもございません」
「……どういうことです?」
「私がやっているのは、夢売りです。差し詰め、夢占い師といったところでしょうか」
「夢占い師?」
「はい。その方の現状や健康状態から、どういった夢を見るべきかを占うということです。夢は人を大きく変える力を持っております。その点において、現実で達成する夢と、眠っているときに見る夢では、なんの違いもないのです。わたしは、睡眠時に見るべき夢のアドバイスをしております」
高田は、思わず呆れてしまう。
「はは、こりゃあとんだぼったくりだ。そんなものアドバイスされたって、実際に見られるかなんて分からないでしょうが」
「いいえ。先ほど申し上げましたが、私がやっているのは夢売りなのです」
「だからなんなの、その、夢売りって?」
すると、老婆が懐から取り出したのは、両手に納まるサイズのガラス瓶だった。中には色とりどりのビー玉らしきものが詰まっている。
「……それは?」「ドリームキャンディです。これを舐めてから就寝することによって、見たい夢を見ることが出来るのです」
「そんな、まさか」
「ふふふ。もし興味がおありでしたら、一度試してみませんか? まずはあなた様にあったキャンディが何かをお占いいたしましょう」
――にわかには信じがたいが……。
「占い自体は無料なんですね?
老婆は僅かに笑みを浮かべ、頷いた。
「じゃあ、とりあえず占いだけ」
雨はまだ止まない。丁度良い時間潰しだ。
「かしこまりました。では、両方の手のひらをお見せ下さい」
高田が言われたとおり手を前に出すと、そこへ重ねるようにして、老婆は自分の手をかざした。錯覚なのだろうが、ほんのりと手のひらが熱くなる感覚がして、心を覗かれている気分になってくる。
決して気持ちの良いものではなかったが、幸い、それはすぐに終わった。
「結構です」
「それで、結果は?」
「端的に申しますと、あなた様に足りないものは……愛です」
――大きなお世話だ。
高田はその言葉を飲み込んで、ため息を吐いた。なんだか、妙に疲れてしまった。
「この結果から、あなた様には、赤い色のドリームキャンディが合うと思われます。いかがですか?」
「いかがも何も……じゃあ、その飴を舐めれば、恋人でも出来るっていうんですか?」「その程度、ドリームキャンディの力を持ってすれば、造作もないことです」
「ふーん……」
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、高田は老婆に訊ねた。
「で、値段は?」
「ドリームキャンディは時価で売っております。今回は初回ですので、千円でお譲りいたしましょう」
「飴玉一個が千円? おいおい……」
「高いと思うか安いと思うかは、その方次第でございます」 見たい夢が見られる飴玉? そんなもの、到底信じられるものではない。
……けれど。
全く気にならないと言えば、嘘になるだろう。
「いかがなさいますか?」
「…………」
結局、高田はズボンのポケットから財布を取り出していた。
「ありがとうございます」 老婆は、しわ枯れた手で瓶の蓋を開けると、中から取り出した赤い色の飴玉を包み紙でくるんだ。
高田は疑心暗鬼に駆られながらも、千円札と引き換えに、その飴玉を受け取ったのだった――。




