穿いてない話
「聞いて。あたし今穿いてないんだ」
彼女の唐突なその言葉に俺は飲んでいたシェーキを盛大に吹き出した。
どろりとした薄いピンク色の半液体状の雫が彼女の制服のブレザーにかかる。
「何よ汚いなあ、もう」
さも嫌そうな顔をしてそれをテーブルに備え付けてあった紙ナプキンで拭う彼女。
しかし俺はそれどころじゃない。
「おおおおお前なあ!!穿いてないってどういうことだよ!?」
あまりの驚きで、思わずここが自分たち以外の客もいるファストフード店だということを忘れて叫んでしまった。
店内中の好奇の視線が俺に集まる。俺の前に座っている彼女さえもジト目でこっちを見ている。
「あー……ゴホン」
恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをし、シェーキを置いて周りの興味が俺から削がれたのを確認すると俺は改めて彼女に尋ねた。
「何で、は……穿いてないんだよ」
「わかんない」
「わかんないって何だ。朝は?穿いてきたのか!?」
「んー覚えてないや」
「はぁ!?」
「いやだってさ、朝って寝ぼけてるじゃん。惰性で着替えてるから頭は起きてないんだよね。体は覚えてるからさ、それに任せるーみたいな」
「なんだそれ」
まったく、意味わかんねえよ。
「それで、いつ気づいたんだ、それには」
「今トイレに行ったとき」
そういえばこいつがこんなことを言い出したのはトイレから帰ってきてからだったな。
「やっぱり最初から穿いてなかったんじゃないのか?」
「そうなのかなー……」
俺の問いに彼女は数秒間考える素振りを見せる。
「あっ違う!体育のときは穿いてた!恵梨香にスカート捲られたから覚えてる」
確かにそのとき穿いてなかったら大騒ぎになるもんな……って。
「何をやってるんだお前らは!?」
「いやー女子同士の友情の確かめあいだよ」
ヒラヒラと手を振って答える彼女。まったく……。女子同士の絡みって怖えのな。
「お気に入りのだったのになー」
しょぼんと肩を落とす彼女。それを見て冷たい態度をとれるほど俺も人として終わってはいないので
。
「どこかに忘れてきた……とかか?」
思わず聞いてしまった。
「でもあたし、脱いでどこかに置いておくみたいなシチュエーションは今日一日どこにもなかったよ?」
「じゃあ盗まれた……とか?」
「穿いてるのにどうやったら盗めるの?」
確かに。
「じゃあもうお前の知らないうちに消えたとしか考えられねえな」
投げやりに言う俺。
「バッカじゃないの!?そんなことあるわけないでしょ!?」
彼女にバッサリと切り捨てられる。
「もしかしたら正樹が盗ったんじゃないでしょうね?案外あり得るかも」
「はっ!?それこそ馬鹿じゃねえのお前!?俺がそんなことして何の得があるんだよ!?」
もうやだこの会話。何なんだよこれ。
彼女——野沢瀬里奈は俺、辻田正樹の幼馴染である。出会いは幼稚園の年中の時。当時泥団子を作っていた俺は、一つ一つ丁寧に作り上げたその七個の力作をすべて水鉄砲で彼女に粉々打ち砕かれたショッキングな出会いを未だに忘れてはいない。その時の俺の反応が面白かったのか、彼女はよく俺に絡んでくるようになった。家が近かったこともあり、小、中と同じ学校に進み、学力さえも近かったため、高校も同じ学校に進学した。いわゆる腐れ縁ってやつである。小学校の頃、瀬里奈は放課後になるといつもこっちの都合などお構いなしに俺を引っ張り出してあちらこちらに連れまわしていた。その頻度の高さはこいつは本当は俺しか友達がいないのではと疑うほどだった。中学校のときは小学校ほど遊ぶ頻度は低くなったもの、それでも一か月に一回は瀬里奈は俺を家に呼んだり、一緒にどこかへ出かけたりしていた。俺たちの親同士も仲が良く、彼女たちはほぼ毎日といった頻度で電話をしている。まったく、それで俺の瀬里奈に知られたくない話を流すんだから世話ないよな。おかげで瀬里奈には俺の弱みをごまんと握られている。まあ、俺もやられっぱなしではないのだが。でもなんだかんだ言って、瀬里奈といると楽しかったりするので振り回されてやっていたりする。
高校に入ってからはお互い帰宅部のため、よく帰りの電車などでバッタリ会ってしまう。今日も学校帰りに遭遇し、お互い暇だからと家の近くのファストフード店によって駄弁っている最中だった。
しかし、軽い会話は今までもしていたが、どうしていきなりこんな露骨な話に。
しばしお互いに黙りこくった後、俺はふと気になったことについて口を開く。
「てかお前さ、何で今まで穿いてないってことに気づかなかったわけ?違和感とかなかったのかよ?」
「そういわれれば……」
すると瀬里奈はモゾモゾと体を少し動かした。
「ちょっと……恥ずかしいかも」
頬を少し赤らめてこっちを見る。
……何だ今のは!?心なしか彼女がすごくエロ……いや待て。落ち着け俺、相手は瀬里奈だぞ。いつも俺をコケにしてるあの女だぞ!?いやでも、最近瀬里奈はすごく綺麗になったとは思う。もともと顔とスタイルは他の人よりは上級のスペックを持っていたのだ。それがここ半年くらいで急に成長を始め、彼女と話しているときに合間見えるふとした女の子らしい仕草などに胸を高鳴らせないこともないわけで……いやだから落ち着けって。平常心を取り戻せ。小学生のときにブランコから落とされたことを、皆の前でズボンを下げられたことを、他にも彼女に施された数々の忌まわしき悪戯を思い出すんだ!!
動揺する心を隠し、平然を装って俺は彼女に言う。
「じゃあもう諦めてさっさと家に帰って穿いた方がいいんじゃないのか!?」
すると彼女はその言葉を待っていたかのようにぱっと花が開いたような笑顔になった。
「あ、そうだね!そうしよう!!……よっと」
そう言って手を伸ばして俺の側にあった飲みかけのシェーキを手に取り、既に飲み終えた自分のカップの乗ったトレーに乗せた。そしてそれを持って立ち上がる。
「あっ、おいそれどうするんだよ!?」
「捨てやしないから大丈夫だって。それより正樹もおいでよ」
反応する暇もなく、腕を掴まれ、俺も立ち上がる。
瀬里奈はそのまま出口の近くに置いてある回収ボックスに向かい、そこに自分の空の容器を投げ入れ、その上にトレーを置いた。
「よし、じゃ、行こう!」
店の外は風が吹いていてブレザーだけでは少し肌寒かった。
「はい、これ飲んどきな」
瀬里奈にシェーキを差し出される。おいおい、この寒いのにシェーキを飲めって正気か!?
内心突っ込みながらもシェーキを受け取り、ちゅーちゅー吸いながら瀬里奈に手を引っ張られ歩く。
いつもより少し速足で歩く瀬里奈。膝より少し上の丈に折られたスカートがその動きに合わせて揺れる。今、この下は……。ゴクリと喉がなる。それは、シェーキを飲んだからではない。
しかしただでさえハイソックスに生足で寒そうなのに穿いてなかったらもっと寒いだろうな。もし、ここで風が吹いてスカートが舞い上がったり、瀬里奈が転んでスカートが捲れたりしたら……。心臓がどきんとした。ユラユラ揺れるプリーツのタータンチェックと、そこから伸びるスラリとした足を眺めながらそんな邪心に身を支配されていたら。
「はい、着いたよー」
いつの間にか瀬里奈の家に着いてたらしい。ハッ!?俺は今何を!?
久しぶりに見るその一軒家は前に来た時と変わらず、どこか懐かしい雰囲気を漂わせていた。
瀬里奈がドアを開ける。
「正樹も入って」
いや待て。何で瀬里奈の家に来たかといえば、彼女が穿いてないからそれをアレでコレして解消するためだろ!?つまり俺がいたら思いっきりヤバいじゃないか。
「だから俺は――「いいからいいから」
抗議をしようとしたが、彼女は聞く耳を持たず、持ち前の強引さで俺を中に引きいれた。こいつ、何を企んでやがる?
ガチャリと背後でドアが閉まった。
「おかーさーんただいまー!!!!正樹連れてきたー!!!!!」
瀬里奈がリビングに通じるドアに向かって叫ぶ。
「あらあらお帰り……あらぁ、正樹君久しぶり。いらっしゃい」
そう言いながら姿を現す瀬里奈のお母さん。俺の母さんと同い年とは思えないほど若く見えて綺麗だ。
「ど……ども、お邪魔します……」
いいのかなあ、これって。もう高校生なんだし、幼馴染とはいえ、異性の部屋に入るというのは何だか複雑な気分だ。謎の罪悪感に苛まれ、素直に彼女の目を見ることができず、斜め下を見ながら俺は軽く会釈する。
「あたしの部屋で遊ぶから。お茶とかお菓子とか構わなくていいよ。あたしたち、今マ●クでいっぱい食べてきたから」
「はいはい。じゃあ正樹君。ゆっくりしていってね」
瀬里奈のお母さんは怪しがる素振りも見せず、にっこりと優しそうな笑みを浮かべ、またリビングに消えていった。これは俺が信頼されていると取っていいのだろうか。
「じゃ、行こうか」
それを見届けると瀬里奈は早々に靴を脱ぎ、俺の手を引っ張る。
「あ、ちょっと待てって」
慌てて俺も他人様の家で行儀が悪いと承知しつつも玄関の角で靴を脱ぎ、瀬里奈に続く。
トントンと二人で階段を上る。まだ手は掴まれたままだ。
「さ、入って」
階段を上ってする右隣にある瀬里奈の部屋へ招き入れられる。
瀬里奈がドアを閉めた。ふわんと石鹸の香りが仄かにする。相変わらず性格のわりにきちんと整理された部屋だ(失礼)。前回来たのが中三の夏くらいだからもう一年以上来ていないことになる。前回の記憶と比較して大きく変わったのは部屋全体の色合い。前はカーテンやベッドなどは黄緑を基調としていたのだが今はピンクが基調になっており、アンティーク調の学習机やクローゼットと相まって全体的に女の子らしい甘い空気の部屋になっていた。
なんだか慣れなくてキョロキョロと周りを見回してしまう。
「じゃあそこに座って待ってて」
そういわれ、瀬里奈が示したのは――ベッド!?
「え!?それはいいのか!?」
「当り前よ。大事なお客さん地べたに座らせられないもん」
昔は普通に小さなテーブルのところにすわらせられていたんだが。こいつも変わったってことか?しかし座るところなら学習机のところにある椅子もあるのになぜベッド?やっぱりこいつ何か企んでるのか?
「えっと……アレはどこかなー?」
はいそうですかと座るにも抵抗があり、未だドアの前で突っ立ったままの俺をよそに、瀬里奈は普段は閉じられているクローゼットを開け、その中に収納されている引き出しを開け始めた。
「おい!?俺から引き出しの中身が丸見えだぞ!?」
「だからベッドに座って待っててって言ったでしょ!?」
見てはいけないものが目に入ってきてしまい、慌てふためく俺にピシャリと瀬里奈は言った。
そういうことだったのか……。
俺はおとなしく瀬里奈のベッドに座った。
ふかふかのベッドに体が沈み込む。
淡いピンクのベッドカバー。コイツめ、いつの間にこんな女子力をつけたんだ?
ここで瀬里奈はいつも寝てるのか……。どんなパジャマなんだろうか。案外オッサンみたいなスウェットだったりしてな。まさか裸……なんてことはないよな……ってだから俺はさっきから何を。なんか今日おかしいぞ?
どうも落ち着かなくてソワソワしてしまう。瀬里奈の方を見るわけにもいかず、下を向いていたら。
「あー疲れたっ!」
瀬里奈がこちらに着て、俺の隣に腰を下ろした。
ベッドが二人分の重みを感じてギシリと音を立てる。
「おまっ……!?ちゃんと穿いたのか!?」
「ふふふ~♪どうだと思う~?」
俺の問いかけに瀬里奈は含みを持たせながら俺に密着してきた。
え!?ちょっと一体なんだこれは!?どういうシチュエーションなんだ!?これではまるで……。
「ねぇ、正樹」
心臓を高鳴らせ、激しく狼狽する俺に瀬里奈は顔を近づけ、耳に囁いてきた。
「あたしが穿いてないって言ったとき、どう思った?」
「ど……どうって、いや……」
「ドキドキした?」
いつもの瀬里奈とは思えない、魅惑的な声。耳に僅かにかかる熱い吐息。頭がクラクラしてきた。
返事をできず、瀬里奈をまともに見れない俺。瀬里奈がふっと笑った気がした。
次に彼女から出てきた突拍子もない言葉。
「あたしが本当に穿いてないかどうか、その手で確かめてみてよ」
はははははい!?
「いやいや何を……?」
しかし彼女は無言で俺の右手を取り、自信のその太ももに乗せた――そう。スカートの中の。
(!!!!!!???????)
何かが爆発しそうだった。初めて触る幼馴染のすべすべの太ももは、弾力と柔らかさを最高のバランスで兼ね備えていて、俺はちょっとでも気を緩めるとコントロールが効かなくなり、さわさわと蠢きだしそうな指を必死で抑えようとした。
こ……この先にはせ、せ、瀬里奈の……。
「ねぇ、正樹」
固まる俺に瀬里奈は最後の爆弾を投下した。
「――好きだよ」
!?
これは――告白か!?
頭はオーバーヒート寸前だった。ええい、鎮まれ!!!鎮まれ俺の理性!!第一下には瀬里奈のお母さんがいるんだぞ!?何をやってるんだ俺たちは!?
そんな俺を瀬里奈はベッドに押し倒す。突然のことだったので抵抗ができなかった。
「正樹は、あたしのこと、好き?」
仰向けの俺に覆いかぶさるように瀬里奈は俺の両側に手をつき、俺の顔を悪戯っぽい笑顔で覗き込んだ。
もう限界だ。俺の中の何かがぶちりと切れた。
「――んなの、」
瀬里奈に向かって手を伸ばす。
「大好きに決まってるだろ馬鹿!!!!」
上半身を半分浮かせ、瀬里奈を抱きしめた。
「きゃっ」
バランスを崩し、俺の上に重なる瀬里奈。二人の距離は0になり、体が触れ合う。
最近瀬里奈にどきっとしてしまうのも、変なことを考えてしまうのも、皆皆俺が瀬里奈を意識し始めた証だった。振り回されても瀬里奈と一緒にいるのは心地良かった。困ることもあったけど、どんなに落ち込んでいてもいつも、明るい気持ちにさせてくれた。
「ほんと……?」
瀬里奈が少し潤んだ瞳で俺の目を見て尋ねる。
「ああ。本当だ」
俺はしっかりと頷いた。
「嬉しい……!」
瀬里奈はそう言って満開の笑顔で笑った。今までに見たどの笑顔の中でも一番可愛い笑顔だった。ぎゅうっと抱きしめ返される。
どうしようもなくうずうずしてしまう。
「瀬里奈」
俺は彼女の頭に手を添え、そっとこちらに引き寄せた。
瀬里奈は俺が何をしようとしたか悟ったようでそっと目を閉じた。
お互いの鼓動が聞こえるほどの至近距離。制服ごしに瀬里奈の心臓もどきどきしているのが感じる。後ほんの数ミリ。数秒後にはお互いの唇が触れ合う―――――コンコン。
突如響き渡るノックの音。
俺たちは咄嗟に体を放す――間もなく、ドアが開かれた。
「いくらマ●クに行ったとはいえやっぱりお茶とか飲みたいでしょう……あら?」
入ってきたのは瀬里奈のお母さん。お茶のペットボトルとプラスチックのカップ、スナック菓子の袋を乗せたお盆を持ったままベッドの上の俺たちに気づいて固まる。
もちろん俺たちも慌てて体を放そうとして乱れた服と姿勢のまま固まる。
「…………………」
気まずい空気が流れた。
「いや、なんか本当ごめんな」
すっかり暗くなった外。
瀬里奈の家を出た俺は家の前まで見送りに来てくれた瀬里奈に謝る。
自分のしてしまったことを後から思い出すともう顔から火がでるほど恥ずかしい。すべてを忘れ去ってしまいたい。しかし、しばらくはあの高揚した甘い空気を思い出してはしかと噛みしめていたいという気持ちもなきしにもあらず。
「お母さんが心広くてよかったねー。お父さんだったら正樹、今頃この世にいなかったかもね」
楽しそうに笑う瀬里奈。いやほんと信頼してくれていたお母様には申し訳ない。「正樹君ならいいのよ」とか言って許してくれたけど、本当にあれは……。
「でも、おかげですぐ公認カップルになれたね」
「あ、その……」
あんなことをしといて何だが、まだカップルというには気恥ずかしさが残る。
少しの沈黙の後。
「……ほんとはね、あたし穿いてないなんて嘘だったんだよ」
瀬里奈が気まずそうに口を開いた。
「え!?」
驚く俺。今日最大のビッグサプライズだ。
「正樹がどんな反応するか見たくて」
申し訳なさそうに、しかしどこか楽しそうにぺろりと舌を出す瀬里奈。
なんてこったい……じゃああれはいつもの瀬里奈お得意の悪戯だったのか。
「ごめんね?でも正樹と付き合うことになれたから結果オーライだった」
「お……おう」
まったく。今回も俺は瀬里奈に振り回されたのか。まぁ、自分の気持ちに嘘はないからいいけど。
「じゃ、正樹また明日ね」
カミングアウトを終えたすっきりした顔で瀬里奈は手を振った。
ずいぶんあっさりだな。
「ああ、またな」
まあ家は近いしいつでも会える。明日は一緒に学校へ行こうと約束をしたわけだし、何より瀬里奈は俺の彼女になったのだ。名残惜しさを残しながらも俺は瀬里奈の家をあとにした。
まだドキドキしている。顔が火照って熱い。明日が楽しみでならない。今別れたばかりなのに早く瀬里奈に会いたい。柄にもなくそんなことを思いながら急ぎ足で家路を辿る。
「ただいまー」
瀬里奈の家からさほど遠くない我が家へ入ると。
「あんた瀬里奈ちゃん襲っちゃったって!?」
……母さん。
それから俺は寝るまでずっと母さんの質問攻撃に付き合わされることになったのだった。
学生の内から性的な感情によって付き合うカップルは基本すぐ別れる傾向にあります。