浜辺の旅館③~危うきかな
親切な老夫婦が切り盛りする浜辺の料理旅館。
流れ者の女がやって来てから大変に繁盛をする。
その活気溢れる浜辺の旅館に横柄な老人がやってくる。
海岸沿いにある村で嫌われ者の庄屋であった。
「よっ御免なさいよっ!旦那はいるかい」
山高帽に紋付き袴の出で立ち。口髭を生やし杖をつき庄屋という名家の威厳が感じられた。
なりあいさは明治大正の紳士という風情である。
旅館の玄関に老紳士が来ると老夫婦が出迎えた。
「いらっしゃいませ。オヤッ珍しいですね。庄屋さんではありませんか」
浜辺の商売はこの庄屋のさじ加減ひとつでどうとにもなる。
「お久しぶりでございます。今日はわざわざおいでくださいまし。あのぅ~どういう用件でございますか」
庄屋と呼ばれた老人はにこりともせず"アアッ"と上の空だけでそっけない態度を見せる。
旅館玄関や居間をじろじろと眺める。何やら捜しをしている様子である。
山高帽を脱いでハゲ頭をハンカチで撫でる。
なぜ旅館に?
いつものように無理難題を吹っ掛けてくるのか
「庄屋さん立ち話もなんですからお上がりください。熱いお茶を差し上げましょう」
居間にあがるように勧める。
うむっ
「邪魔するよ」
何しに庄屋がやって来たのか。
老夫婦にはその真意がわからない。
「オヤジさんに聞きたいがね」
こちらに(美人の)若女将がいると聞いてワシはやってきた。
庄屋は熱いお茶をすすりながら頭を拭く。
「若女将でございますか。かような者はいるにはいるんですが。いかな用件でしょうか」
庄屋はホッとする。
若女将がいるのか。
そうかいるのか
噂は本当だったのか
ようやくニコリとした。
「話は若女将さんにしたいんだ。今出掛けていなさるのかい」
野暮用で出掛けてなさるのかい。
「戻って来るんだね。だったら待たせてもらうよ。なあにワシは暇な身分さ。構わんでくれ」
老夫婦は庄屋にごゆっくりと言い残し席を立つのである。
居間から離れた老夫婦はヒソヒソと内輪話である。
「浜辺の噂だと庄屋はまた選挙に出なさるらしい」
昨年の村長選挙に立候補をして当選確実と意気揚々だった。
「蓋を開けてみたら落選しショゲていなさったが。また懲りずに出なさるらしい」
庄屋としたら当選する見込みの村長選挙を大差で落選し人が変わったのである。
名家育ちの温厚な人柄は昔の話。
若い衆の面倒見もよかった頼りになるご隠居さんがガラリと変わってしまう。
落選をみて多額な借金を抱え凹んだ庄屋である。
叩きのめされて凹むどころか
ことあろうことか国政レベルにコネを見つけ政治家への道を見つける。
長年の庄屋の派閥と経済閥を駆使し村長から一気に国政に打って出る決意を固めたのだ。
選挙のため庄屋が来たのか。
老夫婦は不思議がる。
なぜ若女将に会いに来たのだろうか。
アッ!
おじいさんはハタッと気がつく。
「代議士の"元妾"に相談したいんだよ。蛇の道は蛇というやつだ」
政治家の表の世界は勉強していくらでも学べるが裏の世界は簡単に潜り込めはしない。
「今一番力のあるの代議士さんに寵愛された女をつかめるなら万々歳だよ」
何なりと裏から手を回せば利用価値もある。
居間にいる庄屋を尻目にヒソヒソである。
若女将は所用を済ませて帰った。玄関口でただいまと挨拶をする。
たちどころに庄屋と出くわした。
「おやっ若女将は元気がありますなあ」
代議士の情婦。日陰には明るい振る舞いは似合わない。
「来なさったね。お初ですな。ワシはこの漁村の庄屋でございます」
細長い海岸線は臨海村落となっている。寒村なる漁村である。
村民など僅かしかいない。
この庄屋のオヤジは漁業権をすべて握り村一番の金持ちであった。
庄屋の用件は囲った代議士であった。
国政選挙に出るチャンスがあるが落選はしたくない。
国政選挙に多大な影響力を持つ女の代議士が味方になれば巨万の富となりうる。
「まあまあっゆっくり話しますわ」
庄屋は代議士に寵愛を受けた女に頭を下げた。居間で両手をついて女に頼む。
「若女将さんこのとおりだ。ワシに協力をしてくれないか。浜の村で知らない者がいないワシは有名人なんだ」
されど人望が伴わず(村長選挙に)落選した身でもある。
「もう二度と失敗は許されないんだ。借金も嵩んでしまう」
立候補のあかつきには代議士の派閥に入りたい。
かつて囲ってもらった女のツテで代議士の作る派閥に入れてもらえないかと頼みたい。
庄屋から若女将と呼ばれた女は黙っていたかった。
この庄屋のオヤジはどこから女が妾だった過去を嗅ぎ付けたのか。
まったく油断も隙もないとんでもない奴である。
「庄屋さん御用件はわかりました。手をあげてください」
頭をさげる庄屋をいさめる。
いくらかつての女に熱心さを示しても
代議士頼よりとしても
縁が切れての昔話である。
思い出したくない代議士
その名を蒸し返えされても困るのである。
「私と旦那さんはとっくの昔に赤の他人でございます」
ゆえに選挙を頼む話自体がお門違いでもある。
女は柔らかく断る。
だがこの断り方がまずかった。
プライドの高い庄屋はカチンとなった。
"妾"風情の女に平身平頭をし男児たるもの損をしたと怒りである。
瞬間湯沸かしと化し暴言を吐く。
「おい女!そんな態度を取っていいのか」
老夫婦は昔ながらの知り合いだ。
オマエには忠告をしておいてやる!
「暗い夜道は気をつけよ」
庄屋は頭から湯気をモウモウでもある。タタキを杖で激しく突き旅館を出て行った。
庄屋が帰った後で老夫婦が青ざめた。
「あの気紛れな庄屋さんだからな。なぜお怒りになられたかわからないが」
良からぬことが起きないように。自然と両手を合わせた。
"あにはからんや"
根性の悪い庄屋のしでかした事件はすぐに起きた。
「ちょっと皆さんに聞きたいけどね。孫の声が聞かれないんですよ」
老婆が心配顔で居間に降りてくる。
「どこにいったのかしらね。さっきから姿が見えないね」
最初に老婆が"孫の不在"に気づく。
「えっ息子がいないんですか。昼ご飯を食べて二階でお絵描きをしていましたけど」
旅館が忙しく従業員も孫に目が届かない。
孫が居なくなったとわかり旅館を老夫婦は隈無く探す。
海岸線の波打ち際を従業員たちが探す。
孫は何処にもいないとわかった。
孫は賢い男の子である。黙ったまま一人でそこらにフラフラ出歩くことは一度もなかった。
「なら井戸に落ちたかもしれない」
厨房の井戸と庭先の深い井戸を何度も注意して見た。
若女将は考える。
二階で遊んでいた子供が消えるのはおかしい。
どう考えても不自然でおかしいのである。
他人の手がのびて誘拐されたのではと疑う。
「あの子が井戸に落ちたりノコノコ海岸を出歩き溺れるなんて考えられない」
旅館の従業員は八方手を尽くし探したがいない。
老夫婦は警察に連絡をしようかと相談する。
「孫は誘拐されたんだろうかね。私がしっかり見ていたらこんなことにはならなかった。今頃酷い目に遭っていないだろうね。可哀想な目に遭っていないだろうね。御免ね御免ね、婆さんがいけないんだよ」
警察に電話すると老婆は泣き崩れた。
そのまま寝込んでしまう。
リーンリーン
孫がいなくなり小一時間。旅館の電話が鳴った。
誰かと出てみるとダミ声がガナリ立てる。
先日怒った庄屋だった。
「やあ皆の衆!元気かいアッハハ。おまえの"子供"は元気にしているがね」
孫を預かっている!
駆けつけた駐在所も庄屋の話しを聞いた。
村一番の金持ち庄屋が誘拐に関わるとわかる。
事件にできないとお手上げである。関わりたくない庄屋。
ヘタに逆らってはことである。老夫婦に最敬礼をして駐在所に帰ってしまう。
ダミ声は話を続ける。
「あのなあ。子供はかわいいんだろ。だったら若女将を連れてこいや。ワシの方で話がある」
庄屋はいかように代議士に取り入ってもらいたいと強情を張るのだった。
若女将は折れた。
子供を人質に取るとは!
人後に劣る畜生である。
「庄屋さんのお話はわかりました」
息子は無事なんですね
誘拐など卑劣な行為をする輩などは許せはしないのである
庄屋の横暴さを知り老婆は泣き声をあげた。
高圧的な言いがかりを常に突き付ける庄屋の言いなりになるしかなかった。
「最初から大人しくワシの言うとおりにすればよかったんだ」
庄屋は女を寄越せと厳命をした。
お抱え運転手が旅館に現れた。クルマには大胆に庄屋がふんぞり返って座るのである。
「(代議士の妾は)いい思いをしていたんだろ。ワシにも同じことしてくれや」
思う通りにしたい庄屋はニヤリと笑う。
クルマを出させると女の膝に手を乗せた。
「女将っ。あのガキは代議士の子供だろう」
しげしげと顔をみたら(代議士の)オヤジそっくりじゃあねぇか。
「こりゃあ愉快だな。あのタヌキ。国会では真面目な男気のある堅物で通していやがる」
だが面の皮を剥いだら妾を囲いのスケベおやじ。しかもガキまでいる
「これをスキャンダルと呼ばずになんとする」
庄屋は女に向かい言いたい放題であった。
国政選挙に出るためにはありとあらゆる手段を講じたい。
庄屋は派閥の首領に居座る代議士の弱点を押さえたということになる。
「アンタは貴重な隠し玉だ。ワシが国政に出るためあのタヌキ(代議士)に票を分けてもらって初めて当選なんだ」
「オマエとガキだが代議士が協力を拒否したら覚えておけ。雁首揃えて国会議事堂の前に吊るしてやる」
その代議士は政権下でさらに国政出世をしていた。
人望も厚く大臣の椅子のひとつを狙える位置にまで登りつめていた。
妾の存在が露呈したら大臣の椅子はおろか代議士そのものも危うくなる。
頑固で生真面目なイメージの代議士。1にも2にも国民には潔白が売りであった。
「代議士が一番嫌がるのが不祥事だ。わかるな」
庄屋は女の膝から着物の裾に手をかける。
「スキャンダルの種がいる限りワシは安泰だ」
女が強く抵抗をしないことを見越すとグイッと手を入れた。
代議士の顔がサアッと浮かぶ。
「私の存在が世に出たら迷惑になる」
手切れた昔の旦那を察知する。
さらに恐れるのは影のごとく従う切れ者の代議士秘書である。
あの頭の切れる秘書は女の存在そのものを抹殺しかねない。
庄屋に体を求められた女。やめてくださいと言うが庄屋は聞き分けはしない。
庄屋は屋敷に到着すると車を降りた。
運転手に命じる
「おい(子供のいる)馬小屋に行け」
庄屋の車は女を乗せ海岸線に近い馬小屋に到着をする。
「オマエの子供はここにいる」
運転手は指図させた馬小屋に連れていく。
3歳の子供は泣き腫らして真っ赤な目であった。
「お母さ~ん助けて~怖いよぉ~」
3歳児は母親の姿を見ると泣き声をあげた。
両手を挙げて母親に走り寄る。
「お母さ~ん」
ワンワン鳴き声が響きわたる。
母親は我が子を抱きしめた。我が子を両手に収めると涙が止まらない。
「もう心配はないわ。ごめんなさいね。淋しかったでしょ」
息子をギュギュ抱きしめる。
「ごめんなさい(誘拐された)お母さんを許してちょうだい」
子供も母親もワンワンと泣く。
「もう大丈夫よ。旅館に帰ります。お爺さんお婆さんが待っています」
子供は気丈夫に頷く。
「そうだね。おじいちゃんおばあちゃんの許にいかなくちゃ」
子供の手を引き馬小屋を出る。
こんな酷いことはすぐに忘れたい。
馬小屋の前にお抱え運転手がいた。
「申し上げます奥様。先程までの非礼を御許しくださいませ」
深々と頭をさげる運転手は説明する。
庄屋の命令で誘拐という蛮行をしてしまった。
お詫びをしたい。
旅館に忍び込み二階に寝ていた子供を誘拐したのは運転手である。
「誘拐は親方(庄屋)さまの命令でございました。この通り非礼を御許し願いたいと思います」
膝をついて誠心誠意に謝る。運転手も子供がおり親の心配は痛いほどわかると付け加えた。
村一番の金持ちが庄屋であり権力も乱暴さも一番である。
村一円の土地の権力も庄屋が握る。掌握していないのは海岸線の漁業権ぐらいであった。
庄屋は土地の買収や漁獲高の値つけなどダーティーなことはすべて部下を使い巧妙に指図した。
自らに火の粉が降りかかると知らぬ存ぜぬを決め善意の第三者を演じる。
当然に…
子供の誘拐など本人の手を汚したとは認めない。
犯人は運転手である!
土下座をする運転手が気の毒に思えてくる。
だが子供の誘拐犯人は運転手である。
目の前にいる運転手が自分の意思で誘拐したのである。
「そんなことまでされても。私としては子供が無事でしたから。安心しています」
この土下座に辟易した。
運転手は親子に手をさしのべるのである。
女にお許しを乞うたと思い安心をさせたのである。
"しめしめ"
あの"バカ野郎"のため重罪の子供誘拐犯人とならずに済みそうだ。
"この女は許してくれた"
運転手は納屋から出て親子のために車のドアを開けるのである。
誘拐を詫び旅館に返しますと約束をする。
「さあさっ車にお乗りください。私が責任を持ってお送り致します」
親子はホッとし車に乗り込んだ。
運転手はしめしめとしたり顔になる。
車を出してハンドルを握りしめる。
親子を旅館に返すつもりはなかった。
「さっ急ぎましょうか」
女は運転手を信頼した。
車内では3歳児を抱きしめもう二度とこの子を手放すことのないようにと祈る。
車が動き始め馬小屋から街に出ていく。
「このまま私たちは旅館に返していただけますね」
女は念押しをして尋ねた。浜辺の生まれの運転手と違い道には疎いのである。
運転手は女を無視しハンドルを握った。
車は女の希望する旅館ではなく庄屋の屋敷に向かう。
「あっこちらはどこですか」
女は約束が違っていると気がつく。
「こちらの道?違います。違うわ!」
浜辺沿いに走ると旅館である。
「山に入ったら私たちの旅館へはいけません」
違う道を走ってますと騒ぎ出す。
「あなたは…あなたは先ほど私たちを返してくれると言いました。約束が違っています」
運転手は答えない。
"ぎゃあつくぎゃあつく喧しいぜ"
約束したのだの
旅館に帰せだの
無言となった運転手はひたすら前を向き目的地に走るのである。
「降ろして!降ろしてちょうだい」