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浜辺の旅館①~老夫婦との出会い

近くの駅でぼろ雑巾のごとくポイッと女は捨てられた。


「これからはあなたの好きな人生でございます。代議士のことは今後も一切口外ならさぬことでございます」


あなたひとりのこと。我々はどうとでもできますからね。


女は放心状態のまま代議士の捨てセリフを聞く。


秘書が姿を消すとよっこらっと封筒の中をあらため金の総額を確かめる。


ガサガサ


これが…


妾として代議士に尽くした代償。女の値打ちなのかと思うと涙が溢れ落ちる。


降ろされた駅にとぼとぼといく。


「死ぬのは山か海か。どちらにしようか」


構内に入る。


駅員が尋ねた。


「どちらへ行きますか」


女ははてっと考える。


「切符の行き先は」


駅員は尋ねた。


「楽に死にたいのです。(列車で)極楽に行けますか」


けっ!


駅員は悪い冗談だぜとバカにした。


「お客さん。鉄道は日本にある駅にしか行けませんよ」


真面目な駅員はムッとした。


極楽だと!


死にたいだっと!


冗談にもならない譫言を言われ不愉快になる。


女は問い詰められて小声で頼むのである。


「海へ行こうかと思います。列車は海へ行きますか」

女に精気はない。


生きているのか


幽霊なのか


区別がつかないほどだった。


女は来た列車に乗りガタンゴトンと揺られていく。


二時間ほどで海岸線の見える駅に到着する。


死にたいの


このまま海に身投げをすれば


極楽へ行ける。


駅を出て歩けば海岸線が前に広がる。潮風に白砂青松の浜辺である。


ここから…


女のドラマは始まる。


海岸線をポツリポツリと重い足取りで歩き始める。


高い岩や岸壁を見ると飛び込んでしまえ。


ひとっ飛びすれば我が身は魚の餌にと思う。


夕刻過ぎでなければ飛び込み自殺遂行は人目につきやすい。


女はため息をつく。


海への身投げは宵闇がよいのである。


「夜を待つことにしましょう。そう思ったらお腹がすいたわ」


身籠る女だった。ふたり分の食事が必要。空腹を覚えてしまうと居ても立ってもいられない。


海岸に見えたうら寂れた料理旅館の看板が誘ってくる。


この世の食事を今から済ますのである。人生の末路になると思うと少し贅沢がしたくなった。


「お金はあるんだから。美味しい料理を贅沢に食べておきたいわ」


海岸で目に入る小さな料理屋と旅館はポツポツあった。


営業中の立て看板を探して入ることにした。


「この旅館は営業しているのね。ひとり分ぐらいお魚はあるでしょう」


波打ち際に立つ旅館は海の眺めのよいものだった。


「ごめんください。いらっしゃいますか。お魚を食べさせてくださいませんか」

小さな料理旅館である。


門構えは壊れそうに傾いていた。だが外観と裏腹に店の中は綺麗だった。


「はいっただいま~」


呼ばれて現れた宿主が来た。


老夫婦だった。


夕方遅くに泊客が来るとは珍しいと思う。


「いらっしゃいませ。お食事とお泊まりですか。お連れさまはいらっしゃいますか」


女から食事だけ必要と言われる。


「うーんお食事だけですか」


宿主は申し訳なさそうに断る。


「今からお食事をされましても。すでに今夜の列車はありません」


今夜泊られてはいかがですか。


「料金は泊まり代金から少し安くしておきます」


食事の用意も大変です。


「今から刺し身をひき飯をたくとなると時間をもらいたいです」


老宿主はひとのよい老夫婦であると感じられた。


女は一泊させてもらいますと宿にあがることにした。

ザブ~ン


ザブン


海に面した景色のよい部屋をあてがえられる。波打ちの音と夕闇の中で大自然を感じることができた。


さらには老夫婦のもてなしの温かさがあった。


女の荒んだ心を少しずつ修復していくのに時間はかからなかった。


「ワシらの料理を用意でございます。お口に合いますかどうか心配でございますが」


料理旅館に泊まり客はいなかった。


女は旅館をひとり占めすると話の好きな老夫婦の温かさに触れることになる。


代議士に追い出された惨めな身を(いたわ)る必要を感じた。


「お客様はどちらから来なすったんですか」


宿主のおばあさんに言われてハッとする。


着替えの浴衣と宿帳を持った宿主はごく普通の話しをするのである。


女は宿帳に名前をと言われる。


今から自殺をするような人間が本名を書くことはできない。しばらく考え偽名を書いた。


「お客様。お食事は今おじいさんが刺身お造りをこしらえております。お腹が減っていますでしょがお風呂を先にいかがでしょ。旅館の風呂は温泉でございます」


この一言が女を我に返したのである。温泉と聞いて心が和む。


疲れた体を洗い流しましょうと思う。親切な老婆の案内で風呂場に向かう。


女は細身であるが妊娠の後期に入る妊婦であった。


空腹でお風呂に入るのは自殺行為に等しい。


血圧の高低


体温の急激な変化


血糖値の低下が懸念された。


女に経験豊かな姑がいたら空腹で妊婦を風呂になど入れさせはしない。


女は疲れを取りたいと湯船につかる。


その間に老夫婦はせっせと刺し身を切り魚を煮て料理を用意する。


「さあてっ。お客様のお食事が出来たね。あのお客様はお腹を減らしていらっしゃる。風呂からあがったらすぐにお食事だ」


おばあさんは部屋にお食事の用意がありますと告げた。


返事がない。


もしやまだまだ風呂場であろうか。


「おやっ返事がないね。まだお風呂ですか」


女はお風呂行きます。温泉はありがたいですわっと言っていた。


若い娘であるが長湯かもしれない。


その足で湯船を覗いてみる。


あたっ!


おじいさん~


おじいさん~


老婆は脱衣場の衣服を見るのである。湯船かと見て覗けば女は倒れていた。


宿主は慌てず騒がず病院に連絡をした。


この手の宿では風呂に当たり倒れることはままあった。


老婆は妊婦とわかり心配をする。他人だが一晩病院に付き添うことにした。


「あのお客様は若い娘さんだけど妊娠していなさるよ。流産しなければいいけどね」 


風呂に当たった女は幸いなことに流産ではなく産気づいてしまう。


「エッ産まれるのかい。赤子が出来るのかい」

子供のいない老夫婦である。


医者から赤ちゃんと聞き胸騒ぎである。


フラッと突然現れただけの泊まり客にあたふたとしてしまう。


赤ちゃん誕生というありがたい行幸に振り回されることになる。


「ワシらにもしかして娘がいたら。あのお客様ぐらいの歳だろうか。産まれる赤子は孫ということか」


老夫婦はあれこれと女のことを話す。


今夜に産まれるのか。


妊娠何ヵ月か知らないが未熟児で産まれるのか。


オギャアー


産気づいてから深夜を経て朝にかけ女は苦しみを味わい男の子を産み落とした。

「おじいさん喜んでくださいな。産まれましたよ」


朝方のことだった。


「オチンチンが立派についておりますよ」


産みの母親は難産の疲れから眠るのである。


赤子は玉のような男の子で火のでるような泣き声であった。


人のよい老婆は深夜からかいがいしく付き添いをした。


医師からは娘さんの姑と勘違いをされた。


「おめでとうございます。おばあちゃんになられましたね。お孫さんは男の子ですよ」


老婆は…


姑になりきる。


なんら躊躇いもなく医師にお礼をした。


「お孫ですね。元気な男の子ですね。良かった良かった」


お孫さんでございます!


老婆は嬉しくてたまらなかった。


産後もしばらく女は病院にいる。


退院しても帰っていく家がないためである。


入院中の女と赤ちゃん。


老夫婦は代わる代わる見舞いにやってくる。旅館は暇であったことも幸いした。

「そうかいあなたさまは宿なしなのかい。複雑な事情があってテテなし子を産んだんだね」


老婆は女の手をギュッと握りしめて泣きついた。


老夫婦は女のことを心配しながら身の上を聞いた。


「複雑なんだね」


老夫婦は長年子宝に恵まれなかった。ふたりとしては養子をもらい料理旅館を継いでもらいたいという話も出たことがある。


「こんな小さな旅館に誰が好きこのんで養子に来るもんですか」


結論はいつも同じである。

老夫婦は女にやさしい言葉をかけた。


女は若くて人並み以上の器量が美貌があった。


「見たとおりの小さな旅館です。ワシらのとこに来ませんか」


旅館に来てくれたら


充分に看板娘で通用する。

貴女さえ良ければ


「旅館に来ても構わない。産後の様子をみてから働いてもらいたい」


中居さんや料理の手伝いなど人の手は今はいる。


「急ぎはしないが手伝いをしてくれませんか」


代議士の妾であったことは百も承知である。


特に老婆は頼みたかった。

女という娘が出来たような気持ちである。


娘と孫という行幸を得たいと哀願である。


病床の女は男児の顔を眺め2つ返事をした。


私でよろしければ


「お世話になります」


女の新たなる生活が始める。


世を儚んで身を投じようとした浜辺が目に浮かぶ。


心機一変して男児を授かり新たなる人生が待つことになったのである。


波打ち際の浜辺にサアッ~と飆塵が舞い上がったのだった。


女は生きていこうと思った。


神様から授かり物の男児の顔が誇らしく輝いた。

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