絶望的人生~崖っぷち
浅はかな考えを持つ妾に思う存分怒った代議士である。
短気な男は無用な長居は性に合わないとさっさといなくなる。
すがりつき捨てないでと泣きついた妾は布団に顔を埋め号泣した。
「私のどこが…どこがいけないの。悪いのはあの蛮行医なのよ」
屈辱的な蛮行に及んだ医者が非難をされてしかるべきではないか。
この仕打ちは理不尽なことではないか。世の中は矛盾だらけである。
わあわあっと疲れはて泣き疲れ知らぬ間に寝入ってしまう。
事件翌日の昼。
妾は無情にも安住の地アパートを追い出されてしまう。
「先生からの通達でございます」
(代議士の)秘書は運送屋トラックで現れ有無を言わさず荷物運び出してしまう。
「残念ながらここには住めません。出て行かなくてはなりません」
秘書はテキパキと指示をし女の家財道具をトラックに詰め込んだ。
これらすべて代議士が女のために買い与えたもの。所有は代議士という解釈だった。
秘書は内ポケットから封筒を取り出す。
「ここに当座の生活費があります。これが代議士との手切れ金だと思って結構です」
トラック運転手は荷を積み終わったと知らせる。
「準備が出来たようですね。貴女も乗り込んでもらいます」
トラックはエンジン音を轟かせる。
代議士の関連不動産が経営するアパートは次の借り手と契約をしていた。
家賃を支払わない女を追い出し(家賃を支払う)借り主に明け渡しを急いだのである。
トラックでも女は泣き続ける。
「私はなぜこんな目に遇うの。私のなにがいけなかったのでしょうか」
秘書は黙ったまま横に座っているだけである。
トラック運転手はハンドルを握りしめ泣く女をチラチラみる。
「なんと綺麗な女なんだ」
どういう事情で
こんな美貌の女が泣いているのか。
なぜに所帯荷物を処分されるのか
他人には知ったことではないが…
トラックは荷捌き所(現金換金所)に到着する。
女が長年大切に使った家財道具一式をこの場で売り捌く。
業者は丁寧に使った家財を高く評価する。しかし即金で買い取れの事情を逆手にしてしまう。
「うーん思ったより安く買い叩かれましたね」
秘書は現金を受け取ると札を数える。
「さて。貴女はどうするかですね。最寄りの駅に参りましょうか」
あなたは若いのです。今からいくらでも人生にやり直しが効くではありませんか。
「(代議士より)充分な金もいただいたことです。貴女にしてみたら身に余る金額ですよ」
秘書は運送屋に女を駅まで送れと命令する。
「それから。こちらの件ですが」
女の使った家財道具売り払いの現金を見せた。
「家財道具は全部代議士のご好意でしたから貴女にお金を支払う筋合いはないです」
秘書は現金を確かめると封筒に納めた。
「お腹の子供は始末してください。お願いします」
私どもといたしましては常識的な判断でございます。
妾はじっと下を向いたまま押し黙っていた。
「気でも狂って子供を産むとか酔狂なことを考えていないでしょうね」
ポンっ!
元気なく座る女に現金封筒を手渡した。
"これは中絶代金として手渡す"
秘書は代議士からの意向でございますと強調した。
女は身ぐるみをすべて剥がされてしまう。
次期衆議院選挙しだいで総理大臣の声がかかる"人格者の代議士"に捨てられたのである。
暇を出されその日を境に窈として知れずとなった。
しばらくアパート住民らに噂をされていた。
妾ではあったが元来は明るいハキハキとしたお嬢さまである。
接した住民には人柄のよい印象を与えていた。
アパートの住民。
仲良くしていたのは同世代の妊婦さん。
女の噂は様々に井戸端会議の議事にあがっていた。
「奥さんちょっと聞いたぁ。あの人ってお妾さんだったんですって」
妾だった。
噂の妾はどんどん独り歩きしてしまう。
囲った旦那は誰かと議事は進行した。
「なんでも地元選出の政治家らしいわよ」
近所の噂が流れ何も明るいことばかりではない。
人の口に戸は立たない。
「政治家ですって。そういえばアパートの角地に黒塗りのクルマが止まったりしていたわ」
旦那さんは誰かしら
「居なくなってずいぶん経つわね」
女はこの世をはかなんで崖から身を投じてしまったのかもしれない。
「腹の子供は無事産まれたのかしらね」
母親になるより中絶してしまえば楽になる。女がコブつきで生きるのは苦労である。
日を経るに従い女の噂は街から消えかけていく。
歳月は流れてしまい女のことはすっかり忘れ去られた。
狭い街に住んでいたのである。腹の大きくなった女が近所をウロウロしたらただちに目につく。
アパート近郊の商店街や公共の場から女の噂は徐々に消えていく。
国会は戦後のドサクサと戦勝国アメリカからの横槍で議員の人事混乱から紛糾してんやわんやだった。
世間は戦後のどさくさが収集されず。
人の噂をいつまでもする暇は与えられずである。
女は他所の街に流れたのか。
見た目が抜群によい細身美形な女のこと。知らぬ街に男を見つけひっそりと幸せに生きているのであろうか。
女の噂が消え失せた街。
ピュ~と吹き荒れる冷たく乾いた飆塵風が街にあるだけであった。
代議士の囲いを解かれた女はどうしたのか。
世間体を気にしながらひっそりと生きていく道を選んだことが仇となってしまう。