自動販売
「大したもんだな」
俺はカード越しに自動販売機に手を着いた。会社のロビーに置いてある最新鋭の自販機だ。
喉が渇いていた。一刻も早く喉を潤したかった。
そんな気持ちを察したかのように、その自販機は俺が手を着くや否や商品を吐き出した。
とても冷たいジュースだ。
俺がまさに飲みたいと思っていた炭酸飲料だ。
「ありがたいね」
俺はもう一度感嘆の声をあげる。
商品を選んだ覚えもなければ、お金を入れた訳でもない。
極単純にカードが俺の好みを自販機に伝え、自販機が俺のカードから勝手にお金を引き落としたのだ。全くもって手間入らずだ。
別に今更珍しい機能ではない。理屈も単純なものだろう。
この小さなカードは日常の方々で顔を出す。
これは勤務時間のタイムカードでもあるし、個人のIDカードでもある。健康保険証であり、健康状態を記録したカードでもある。銀行のお金を下ろすこともできれば、クレジットのカードにもなってくれる。
そしてこのカードに日頃の購買パターンも読み込まれている。俺が欲しいジュースなどお見通しという訳だ。
その上決済に使えるから、ルーチンワークとも言うべき買物ならワンタッチで済むのだ。
もし気に入らない商品だったら、取り出し口を開けなければいい。黙って返却ボタンを押せば、なかったことにしてくれる。
感心なのはその種類の多さと、気の利きようだ。
冬の寒い朝にカードをかざせば、温かいコーヒーが出てくる。
夏の暑い昼間にカードをかざせば、今度は今みたいに冷たいジュースが出てくる。
昼飯時が傑作で、ジュースはおろか昼飯すら出てくる。
残業の時間にカードをかざした同僚の女性に至っては、足のむくみをとるシップが出てきたらしい。
同僚は失礼なと文句を言いながらも返却はしなかった。
そう、一番驚きなのは返却ボタンの真新しさだ。滅多に押されないのだ。
誰も返却など考えないのかもしれない。
「なるほど確かに自動販売の機械だな」
売る側の自動化はおろか、買う側の自動化すらする最近の自動販売機。
俺はそんな自販機にもう一度感心して、よく冷えたジュースを飲み干した。
「あれ?」
俺はロビーの自販機の前で素っ頓狂な声を上げた。
いつもの炭酸たっぷりのジュースが出てくると思っていた。
だがごとっという音とともに出てきたのは、天然果汁の野菜ジュースだった。
返却ボタンを押そうかとも思ったが、よく考えてみれば別に喉が渇いていた訳でもない。
ちょっと間がもたなかったので、自販機のジュースでも買おうと思ったのだ。
「野菜不足なんでしょ? 健康診断も近いしね。家族の為に、体に気をつかわないとね」
同僚が俺の後ろから声をかけてくる。間がもたなかった理由だ。
「あ? 養う家族が居ませんでした?」
「うるさいな。どうせ俺一人の体だよ。放っといてくれ。それにシップ買わされる女の子よりはマシだよ」
「誰かさんに残業につき合わされるせいで、私は足にくるんだけど?」
「いつもすいませんね。おごろうか?」
「今度は夜食でも出てきそうだから遠慮するわ」
同僚は俺のカードを出させず、自分のカードをかざした。
「何よこれ? 失礼ね」
出てきた商品に同僚は眉間に皺を寄せる。
「何って? ダイエット食品だな。ぴったりだよ」
「返却」
珍しく返却ボタンが押され、ダイエット食品は自販機の奥に消えた。
同僚は自分でボタンを押して商品を選び直した。
「真似すんなよ」
「別に、いいでしょ……」
「……」
俺と同じ野菜ジュースを選んだ同僚。
その少々顔が赤い同僚に、俺は思い切って今度の休みの予定を訊いた。
「大丈夫かな、私? 最近調子悪いのよ」
同僚は会社の健康診断が終わった後、真剣な顔で呟いた。
「自販機にカードかざせよ。健康診断のデータはもう入ってるだろ? いい薬が出てくるかもよ」
俺達はやはりロビーの自販機の前で時間を潰している。
「もう。人が真剣に相談してるのに」
「調子が悪いって言えば、この自販機もそうじゃないか? 俺、最近野菜ジュースしか出ないだけど。ほら」
俺はカードをかざし、今日もやはり出てきた野菜ジュースを取り上げる。
「いいじゃない。健康に暮らせるわよ」
同僚も自分のカードをかざした。
「ななな……」
だが出てきたものに、同僚は思わず言葉を失う。
なるほどな――
どうやらもう俺一人の体ではないらしい。
出てきたのは妊娠検査薬だった。
次は指輪が自動販売されないことを祈りながら、俺は新しい家族と自身の健康の為に野菜ジュースを飲み干した。