2. 東帝国の第二皇子様
「見て。なんか汚い物体が落ちてる」
「鳥の雛だわ。ほら、あそこに巣があるわよ 。落ちちゃったらかわいそうだけど、しょうがないね」
「もう死んでるんじゃない? 動かないわよ」
「処分しないと……触りたくないなあ……」
メイドの2人が庭園を掃除中に、巣から落ちた雛をつかんで、ゴミ袋に入れようとした。
雛は弱々しく少し体を動かした。
「何してるの?」
背後から幼い少年の声が聞こえた。
メイド達はその声の主に振り向いて、慌てて挨拶した。
「東帝国のラエル第二皇子殿下に御挨拶申し上げます」
2人は深々と頭を下げた。
声の主はこの東帝国の第二皇子ラエルだった。
「その雛はどうしたの?」
「あ、これはその……そこに落ちていた鳥の雛です。種別はわかりませんが」
「もう動かないので、巣に戻さない方が良いでしょう」
「……捨てるなら、僕が育てる」
「……殿下がですか?」
ラエル第二皇子は小さな両手で、雛を受け止めた。
「巣立つまで育ててみる」
「承知いたしました 。 すぐに巣の代わりになるものや、エサを用意いたします」
メイド二人は準備のために、そそくさと立ち去った。
ラエル第二皇子は、手の中の雛を見つめる。
弱々しいが、力を振り絞って鳴こうとしている。
ただ「生きたい、生きたい」ともがいているようだった。
彼は護衛の騎士に付き添われ部屋に帰ると、とりあえず木箱の中に湯を入れた水筒に布をかぶせて、その上に雛を置いて保温した。
湯も少し冷えたら、交換して温め続けた。
練ったエサを口ばしに近づけると、大きく口を開けて一口食べた。
数時間後、弱々しくピイピイと鳴き始めた。
「……僕も命を救えたんだ!」
皇子は興奮して、専属メイドのアリサに照れくさそうに駆け寄って報告した。
アリサは、皇子が久々に笑顔を見せたので、少し驚いたが、安堵した。
一週間前、騎士系家門のシュバルツ侯爵夫人ナーシャ様が亡くなった。彼女はラエル第二皇子が母のように慕っていた夫人であった。
ーーラエル第二皇子殿下の関わりのある人間は、不幸な死や事故に遭うーー
と、貴族達は噂を流し、「不吉な第二皇子」と揶揄した。
彼の幼い小さな心は傷つき、ここ最近は笑うことさえ忘れているようだ。
しかし、今日は自分も小さな命を救えたとはしゃいで、子供らしい笑顔を見せていた。
アリサは部屋を出て、下級メイドに羽毛も用意するよう指示した。
※ ※ ※
~~雛を拾う一週間前~~
「ラエル皇子殿下、 キリアン 、おやすみなさい 東帝国の未來達……どうか良い夢を」
皇宮の低い丘にある大樹の下で、幼い二人の男の子は、シュバルツ侯爵のナーシャ夫人に頭をなでられて、彼女の膝枕で寝息を立てていた。
一人は東帝国のラエル第二皇子、もう一人は彼女の一人息子キリアンだった。
母マリアン妃が三年前に他界したラエル第二皇子だったが、ナーシャ夫人に実の子のように可愛がられた。
年齢が一歳差で兄弟のように仲の良い二人の少年は、よく優しい夫人を取り合った。
しかし、やはりキリアンが実の息子なので、いくらラエル皇子と一緒に遊んでいても、最後はナーシャ夫人と邸宅に帰ってしまう。
ラエル皇子にとっては、二人とは「他人」という事実をつきつけられてるようだった。
そんな中、ナーシャ夫人が突然30歳という若さで亡くなった。
元々心臓が弱かったが、こんなに早くナーシャ夫人の人生が終わるとは想像できなかった。
彼女の葬儀は身内でひっそりととり行われていた。まだ11歳のキリアンは、母の墓の前で父のシュバルツ侯爵レオンに抱きついて泣いていた。
「僕がいけなかったのかな……母上の言うことを聞かない悪い子だったからかな……」
「キリアン、お前は私たちの誇りだよ。ナーシャはいつもお前の側にいる。私の側にもいるんだよ。姿が私たちの目には見えなくなっただけだ」
父のレオンは、キリアンを抱き締めながら優しく語りかけた。しかし、彼もまだ到底現実が受け止められず、葬儀を淡々と行うことが精一杯だった。
(ナーシャ……俺はどうやって強くなればいいのか……こんな悲しいことが本当に「時間」で解決するのか? )
レオンは心の中でナーシャに問いかける。
そんな中、ナーシャの墓前でシュバルツ侯爵家の関係者が、ひそひそと話す。レオンはキリアンを抱き締めながら、その内容に怪訝な表情になった。
「……しかし、これで『エストリニア神の平定』の希望は絶たれましたな」
「キリアンが成婚し子供をもうけるまで、あと8年以上は無理だろう?」
「父のレオン様が再婚されたらどうだろう?」
レオンは愛するナーシャの墓前で、心ない噂話に耐えなければならず、キリアンを抱き締める腕に力が入った。
「お父様……痛い」
キリアンがレオンに訴える。
「あ、ああ……悪い」
「皆、ぼくが女の子だったら良かったと話してるんでしょう?」
キリアンは親戚達の話の内容を察して、レオンにたずねた。
「……それは絶対違う!」
レオンはしゃがみながら、キリアンの肩をつかんで視線を合わす。
「私はお前がいない世界なんて考えられないんだよ。お前は私の側にいてくれ、お願いだ」
レオンは小さなキリアンの体をもう一度抱き締めた。
東帝国には、「エストリニア神の平定」という名の言い伝えが存在する。
その内容は、
ーー皇家が騎士系貴族シュバルツ家の令嬢と結ばれれば、国が繁栄し安定するーー
というものだ。
しかし、シュバルツ侯爵家は200年ほど女児が生まれていない。
その間は、仕方なく別の家門から皇后を迎えている。
そのためか国内では貴族の領地戦が絶えず、国境では西帝国との小競り合いが頻発し、その度に市民が犠牲となっていた。
シュバルツ侯爵家は、代々親戚だけではなく国中から女児の誕生を切望されていた。
親戚達の心ない噂話も仕方のないことではあった。
現在のシュバルツ家も男児しか生まれていない。それが、一人息子のキリアンだ。
淡い緑の目がシュバルツ家嫡子の特徴。彼はその緑の優しい瞳に銀髪の温和な雰囲気を持つ11才の少年だった。
「あれ? ラエル第二皇子様に御挨拶します。いらしてくれたんですね」
遠くから、レオンとキリアンの様子を伺っていたラエル第二皇子を、キリアンが見つけた。
ラエルはとまどいながら二人に近づく。少し離れて侍女アリサと護衛が見守っていた。
「僕もナーシャ様に花を供えてもいいかな……」
ラエルは不安そうにレオンにたずねる。
「もちろんです。ナーシャも喜びますよ」
レオンは、ラエルの心情を思いやる。周りの親戚達がラエル皇子に気付き、頭を下げた。そして、また小声で話し始める。次はラエル第二皇子の噂話だった。
「あの方が、『不吉第二皇子』と呼ばれている……」
「しかし、容姿はおそろしいほど美しいわ」
「金髪に碧眼で……亡きマリアン妃そっくりね」
「マリアン妃にナーシャ様も亡くなって……彼の周りの使用人や護衛まで姿を消すそうよ」
「数年前に、へヴァン第一皇子も一時いなくなったのでしょ? 怪我ですんだみたいだけど」
「怖いわ……なるべく関わりたくないわね。とても愛らしいお姿ですのに」
レオンは彼らが口々に何を言ってるか聞こえなくても、大体察しがついていた。
今度はラエル第二皇子が「不吉第二皇子」と呼ばれている理由だろう。
この度の不幸までラエル皇子に関連づけているのだろうか。
レオンは、ラエルが小さな体で悪意ある噂話に耐えている姿に心が痛む。
「ラエル皇子、私はどんな状況になっても公務がありますよ。明日にでも少し皇居に伺います。キリアンも連れていくので、一緒に遊んでやって下さい」
レオンはラエル皇子を慰めるように話しかける。
ラエル皇子は、ナーシャの墓前で涙を耐えながら、レオンの言葉にうなずいた。
この不幸の一週間後、ラエル皇子は雛を拾ったのだ。
彼は、周りに「不吉」と呼ばれながらも、この小さな存在には必要とされていることに幸せを感じていた。