10_憎悪連鎖
警察病院には警官の方がいた。
倉田さんに頼まれたと言われ、通常は関係者以外誰も入る事が出来ない病室に案内される。
小川さんは被害者とは言え、加害者でもある。
足取りが重くなってるのが分かる。
「どうかされましたか?」
深呼吸し、『すみません。何でも無いです』と返す。
扉の前まで向かうと、扉を開け、中へ入るよう促される。
「何かあればすぐにお知らせ下さい」
……ゆっくりと中へ入り、カーテンを開ける。
上体を起こした状態で、虚空を眺めた小川がいた。
昔に話した事があるとは言え、犯罪者は犯罪者。
立場が違う。
「……久し振りだね。鮎川さん……って言ったかな?」
「今は吉野です」
「ああ、なるほど……」
声が上ずったかもしれない。
気に留めた様子もなく小川は目を閉じ、頷いた。
「なるほど……」
「蒔世さんから、命を狙ってる人がいる事を聞かされた。 ……そうですね?」
「蒔世さんにはヘリの手配だけではない、様々な手助けをして貰った」
「……何故、黒の御使いに?」
「俺は、望んで全てを失ったわけでも、有村君以外に恨みをかってた訳でもない。 ……全てを失った人間が集まる。全てをどん底に叩き落す為の組織がある事を知ったんだ」
「自ら望んで入ったって事ですか……」
「全てを失った人達と力を合わせれば、這い上がれるんじゃないかと期待してね」
……。
だから独自の仲間を集めてたし、蒔世さんに狙われたって事か。
「メンバーを救う為には金がどうしても必要だった。だからあの遺産相続に参加した。 ……事件については蒔世さんから聞いたよ」
「小川さん。貴方は被害者ですが、同時に加害者です」
「ああ。分かってる。 ……けど、俺は殺されようとしてるんだろ? さっきの子の表情を見て確信したよ。 ……恨みをかうって、こう言う事なのかって。今更怖くて逃げてしまったなんて、言い訳にもならない」
「翔太が言ってました。『あの時の俺が、お前みたいな奴だったら良かったのにな』って。何か思う所はあったんですよね?」
小川は力無く笑った。
「吉野君がそんな言葉を覚えてたなんてな」
「翔太にとって、言葉には意味がある。賞味期限は無いんです」
「はは。詩人みたいな事を言うんだな。吉野さんは」
「どう思ってるんですか? 今、この時の感情として」
「……償わせて貰えるなら、償いたい。事故を起こしてから、余計に全てを失った状態から這い上がる必要があった。でも全てを失った奴は簡単に社会復帰なんて出来る訳が無い。目標を持った所で夢が叶うかどうかなんて分からないんだよ。でも複数人でなら。変えられるんじゃないだろうかって」
全てを失った理由は聞かない。
だけど小川にとっての。
失ったものを取り戻す為の行為が。
蒔世さんの恨みをかう事になり。
取り戻す過程で飲酒事故を起こしてしまい、有村君からも恨みをかってしまった。
そして生き残った事で華音ちゃんの中にある殺意に意思を持たせてしまった。
憎しみの連鎖が、どこまでも続いて行くのを嫌でも認識させられる。
「でも。償ったからって。被害者の憎悪は消えない。恨みは無くならない。憎悪、憎しみ、殺意は燃え続ける」
「……」
「自分が悪い事は理解してる。けど、俺は死にたくない。俺はどうすれば良いんだ」
頭を抱える小川に、伝える言葉が思い浮かばない。
自業自得と言ってしまえばそうだけど、あたしが言うのも違う。
「その苦しみが小川さんを生かす糧になるって思うしか無いです。起こった事は、二度と無かった事にできないから」
小川は笑った。
理由は、分からない。
「聞きたい事は、もう無い?」
「ええ」
「……ありがとう」
何故あたしにお礼を言ったのかは、考えない事にする。
「どうして死刑執行日の前日に接見を求めたんですか? 館華さん」
「ただの気まぐれです」
「……」
「冗談です。 ……ただ、有村さんにお礼が言いたかっただけです」
「お礼、ですか?」
「私の事を気にかけて頂き、ありがとう」
「……決して交わらない関係になってしまったんですよね」
「それでも、分かり合う事は出来ました」
「お礼を言う必要なんて、無いじゃないですか」
「言わないなんて事も、あり得ないですよ」
……。
館華さんとの最後の会話を思い出した理由は。
言うまでもない。
犯罪者と決して混じりはせずとも、分かり合う事は出来るかもしれない。
それがいかに事情を無視した事だったか。
あれだけの犯罪を犯した館華さんに。
私と同じ境遇を感じて戻れるとまで願ったのに。
現状の気持ちと面白い程に矛盾する。
モニターを眺めながら、ぼんやりと思う。
桜庭さんは夕食を買って来ると言って出て行った。
……許す?
館華さんに情を抱けたなら。
小川のした事なんて。
……。
そんな事、出来る訳が無い。
個人にとって、大衆よりもかけがえの無い1人の方がいかに大切か。
物事は教科書通りになんか行かないんだ。
『見つかった? 華音ちゃん』
ここにいない未来だったかもしれない。
過去が無ければ今は無いけど。
許してはいけない。
決して。
『華音ちゃん?』
「あ……。 す、すみません。ちょっと考え事をしてて」
『小川の事か』
「……」
『偶然にも、今は俺しかいないぜ』
「……二大事件の主犯、館華星は戻れるかもしれない。私に似てるって思えたのに。自分の事が関わると小さい罪でも許せない」
『……』
「小川を許さないと、前に進めない。そんな事は分かってるのに。それに、この役割を担う事になった時に逃げないって決めたのに。私は弱いからいつまでもくよくよ考えて、悩んじゃってます」
榎田さんは黙って私の話を聞いてくれた。
目を閉じてしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
『翔太も前に言ってたな。変わる事が良いのか。変わらないのが良いのかって』
「翔太さんが……ですか?」
『俺達の故郷に翔太が帰って来た時にな。結局、あいつは変わって無かった。外見とか考え方で変わった部分があっても、芯は結局変わらないんだと思うぜ』
「芯……」
『華音ちゃんは身の回りの人に助けられて来た。だから小川を許せない。それで良いし、悩んで良いと思う』
「でも……」
『それに、女は多少付け入る隙があった方が良いって奴が多いと思うぜ』
「え?」
『寝落ちから目覚めた桜庭さんに言ったら、笑顔でブチ切れてたけどな』
「あ、あはは……」
榎田さんなりの心遣いなんだろう。
周りの人達に救われてばかりの私だから。
……それでも。
翔太さん(おじさんは止めてくれと言われたからこう呼ぶ事にした)に調べて貰ったけど、それらしい情報が見つからなかった。
翔太さんに資料のコピーだけ貰って、翔太さんは捜査があるからと仕事部屋を追い出されてしまった。
由翔君は資料を1枚1枚素早く見ては次の資料を同じように見て行く。
所謂『スキャニング』だ。
僕もさっき済ませ、今は由翔君が同じ事を行っている。
ただ、僕と違うのは。
由翔君は紙を横に4枚。
リビングにあるホワイトボードに並べてから見てるって事。
ホワイトボードは仕事部屋から持ってきたものだ。
4枚並べる事に意味があるのかは分からないけど、由翔君の能力の高さは分かっているから問題無いだろう。
「うーん……」
ホワイトボードから紙を外しながら、由翔君は唸っている。
「気になる情報、あった? 僕は捨て子って言うのが気になったけど……」
「そこもだけど、久遠正義」
「子供がいたって事? 翔太さんはそんな話は無かったって言ってたと思うよ」
「爺の話なんてどうでも良いよ。人間なんて所詮主観でしか語れない。だから他人の情報なんて自分の情報の補完にしかなりえないよ」
「確かにそうだけど……」
8歳の子って事はもう忘れようと思った。
「ただ、他に相当しそうな人はいなそうだけど。ただ子供が出来たって仮定しても、子供がいる自分の奥さんを殺害するなんてしないと思う。だから館華星との子供って事?」
「年齢が合わないよね。だから久遠詩鶴って人との子供かなって思ったけど、そうなると玖芦君の言ってる事が矛盾するし、殺人の時期をずらしたりするんじゃないかなぁ」
「何かあるんだと思う。それが何かは分からないけど」
「何か根拠があるの?」
「うーうん」
由翔君はしれっと首を横に振る。
「俺の勘!」
思わず笑ってしまう。