王とパスタと騎士団長
以前に投稿させていただいた、「ギャルゲーと乙女ゲーが混じっちまった世界に格闘要素を追加したバカは誰だ」に出てくる過去のエピソードですが、そちらを読んでいなくても特に問題はありません。
強いて言うなら、7代前の王様がパスタの作り方を知っていた転生者であったということだけ、予備知識として持っておいていただければ十分かと思います。
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あとがきに、過去作を読んでくださった方向けのちょっとだけおまけはあります。
とある世界に沢山ある国の中の、とある国のお城のテラスで、王様と宰相は夕日を見ながらお茶を飲んでいました。今日も1日朝から仕事を頑張って、たくさんの書類も面倒な会議も無事に片付けた二人は、お城のテラスから夕日に赤く染まった城下町をしみじみと眺めていました。長く続いた平和を守り明日へと繋げていく、そんな代わり映えしないけどとても大切な日々を繰り返してきた成果とも言える素晴らしい眺めです。
そのときです、王様には夕日に赤く染まる城下の家々とその隙間を通る白い道を見て、噂に聞く『なぽりたん』というパスタを思い出してしまいました。王様もいつもならけして口にしないはずなのですが、その日はお仕事が終わって気が緩んでいたのでしょうか、ひょっとして宰相の気が変わるかも……という思いもあったのかも知れません。囁くように、しかし宰相にはしっかりと聞こえるように、こう呟いたのです。
「余もパスタというものを食べてみたいものだなあ……」
もちろん、その言葉は宰相の耳にしっかりと聞こえました。日頃より王様のお言葉を一言たりとも聞き逃さない宰相に油断はありません。お茶を飲んでリラックスしていた宰相の眉間にぎゅぎゅっとシワが寄ります。
「またでございますか、陛下。あれは庶民の食べ物でございます。陛下のような高貴な方がお召し上がりになるものではございませぬと何度も申し上げているではありませんか。」
「うむ……許せよ。しかし、『なぽりたん』というのは赤いソースを白いパスタに絡めたと聞いておるぞ。ほれ、あの城下町を見てつい、な?」
宰相は「はあ……」とため息を付いて王様の視線の先に広がる城下町に目を向けました。なるほど確かに、と宰相も思うのですが、宰相にも立場というものがあります。ですので、いくら王様が食べたいと言ってもそう簡単にご用意いたしますとは言えないのです。国で2番めに偉い宰相ですが、上司と部下に挟まれてバランスを取らないといけないのですから、これもまた中間管理職というものなのかも知れません。
「それになあ、宰相よ。元々パスタと言えば7代前のご先祖様が考案されたものではないか。できた当時は王族や貴族のみが食する高級料理であったと聞いておるぞ?」
「なりませんぞ、陛下。今は今、昔は昔でございます。王宮の料理人たちが聞いたらストライキを起こしますぞ。」
宰相だって王様に意地悪したいわけではないのです。できることなら王様には、好きな食べ物をお腹いっぱい食べてほしい。そう思うのですが、料理人たちは豪華な料理を作りたがるのです。でも、料理人たちも王様のことが大好きで、敬愛する王様にはより良いものを、もっと美味しいものを食べてほしいと思って日々努力していますから、それを知っている宰相は料理人たちにパスタを作れと命じることができないのです。
「うむ……それは分かっておるのだがなあ、今朝も廊下でメイドが『かるぼなあら』なるパスタが美味であると噂していたのだ。余も一度でいいからパスタというものを食べてみたいものよ。」
二人の間に少しの間沈黙が流れました。その後ろでは紅茶のおかわりを準備していたメイドが少々気まずそうな顔をしています。このメイドは先日たまたま休暇のタイミングが合ったメイド仲間たちと街に『かるぼなあら』を食べに行ったのです。噂をしていたのはその時のメンバーの誰かかもしれない、とメイドは気まずい気持ちでいっぱいでしたが、悟られないようにそっと表情をもとに戻しました。
「すまぬなあ、宰相。少々軽率だったか。」
「いえ。とんでもございません。ところで陛下、南方の山沿いの街から献上品の果物が届いたと報告が上がっておりましたぞ。今夜あたりデザートに出るのではありませんかな。」
王様は、無理言ってごめんねーと言わんばかりの雰囲気で、そして宰相はなるべくさり気なく話題を変えました。まだ若い王様は優しくてちょっとおっとりしていますが、宰相が理由もないのに自分の望みを断るはずがないと知っているので、それ以上言うと宰相が困ってしまうと分かっているのです。
さて、お茶を飲み終わった二人はそれぞれ自室へと戻りました。宰相は自分の部屋に着くとドアを開ける前に、慎重に周りを見回しました。そして自分と部屋のドアを守る二人の騎士の他に誰もいないことを確認すると、片方の騎士の肩をゆっくりと軽く2回叩きました。これは2時間後に騎士団長を呼んできてほしいという合図です。有事の際に言葉が出せなくても騎士に指示を出せるようにと決められた合図の1つですが、平和な時代が長く続いているせいでほとんど使われることはありません。そのため、宰相は合図を忘れないように、こうしてたまに使っています。
宰相が部屋に入ると、ドアの前に立っていた騎士の一人は持ち場を離れ、騎士団長のところに向かい、宰相が呼んでいることを伝えました。
それからおおよそ2時間後、騎士団長は人目につかないように警戒しながら宰相の部屋を訪ねました。宰相は団長に椅子を進めると自分でお茶の準備をはじめました。これから話す内容は、宰相と団長と騎士団の団員や関係者しか知らない話なので、メイドを呼ぶわけにはいかないのです。
宰相が二人分のお茶をテーブルに置いて椅子に腰掛けたところで団長が口を開きました。
「お待たせいたしました宰相閣下。」
「いえいえ、夜分によく来てくれましたな団長。して、例の計画の進捗はいかがですかな?」
「はっ!第9回となりました『陛下のドキドキ潜入計画、騎士団食堂で初めてのパスタ体験』の準備は滞りなく進んでおります。」
団長がすごく真面目な表情のせいで、計画の名前とのギャップが凄いことになっていますが、それを気にする人はここにはいません。なにせこの計画名は宰相と団長が相談して決めたものなのですから。何なら宰相も団長も、今どきの若者の好みに合っているとまで思っているぐらいですが、残念ながらこの場にツッコミ役は不在です。
宰相は嬉しそうな困ったようなため息をつきました。
「もう9回目になるのですね……騎士団には苦労をおかけして誠に申し訳ないですな。」
「いえ、我々の度重なる不手際もございますゆえ。過去の教訓から、此度は団員はもとより見習い、下働きに加え、馬とロバ、犬、猫、鶏にも陛下の顔と匂いを教育いたしました。陛下が潜入された折にお声がけはもちろんのこと、不用意に近づいたり吠えたりなついたりしないようしっかりと言い聞かせております。」
「うむ。流石ですな団長……思い返せば陛下の顔を知らぬ守衛に不審者として止められること2回、団員がうっかり陛下と呼びかけてしまうこと4回、下働きに頼まれて洗濯の手伝いに巻き込まれること1回、前回に至っては一体何があったのか……馬と猫に埋もれて一緒に昼寝してしまった、と。次こそは……次こそはなんとしてもパスタを陛下のお口に……頼みますぞ団長。」
宰相は過去の失敗の数々を指折り数えながら振り返ります。
「はっ!騎士団員一丸となって、必ずやこの計画を成功に導くことをお約束いたします!」
「うむ、なんと頼もしい。ところで腕の具合は大丈夫ですかな?火傷をなされたとか。」
「問題ございません。パスタの茹で汁がかかっただけで軽症でございます。」
団長は制服の袖をまくって包帯の巻かれた腕を見せると、そのままフライパンを振るような仕草を繰り返しました。その仕草は一流とは言えませんがそこそこの腕前の料理人ぐらいには安定しています。騎士団の食堂で王様に安全にパスタを食べてもらうため、宰相は最も信頼している団長にパスタ作りの練習をお願いしていたのです。計画が始まる前はパスタを茹でるのも一苦労だった団長でしたが、今ではすっかり上手になりました。最近は休みの日に奥様と息子に手作りのパスタを振る舞っているそうです。
「それは良かった。はあ……料理人共め、大人しくパスタを作ればいいものを陛下にふさわしくないなどとごねよって……あやつらが調子に乗るせいで団長に剣の代わりにフライパンを振らせておるのは本当に申し訳ない。」
「ははは。平和な証拠でございますよ。料理人たちも陛下により良い料理をお出ししたいという忠誠心の表れでございましょう。」
宰相は、団長が制服の袖を戻すところを眺めながらお茶を一口飲み、またため息をつきました。
「分かっております。それは分かっておりますが、その忠誠心故に陛下がパスタを食べられぬとは、全くままならないものです。その点、先代の宰相はうまいことやったものです。」
「宮廷料理人まかない料理コンテストを開催して、そこに先王様を飛び入りの覆面審査員としてねじ込まれたのでしたね。今でも料理人たちの間で語り継がれる伝説になっているとか。」
「ええ、ですのでもう二度と同じ手は使えませんぞ。仮に開催したところで真面目にまかないを作る料理人はおりますまい。王宮が無理なら騎士団の食堂で、と思って団長にお願いしましたが、これほど失敗することになろうとは思いもよりませんでした。」
「全くです。陛下もうっかりばれたところで何とか誤魔化してくださればいいのですが、そうなさらず諦めてしまわれますからなあ。そういった裏表ないところが陛下が慕われる所以でございますよ。」
「そうですな。さて、決行は3日後です。今回もうっかり紛失されて不思議なことに誰も気がついていない騎士団員見習いの制服は無事に陛下が回収され手元に置いておられます。」
「陛下の寝室を守る騎士たちより、陛下から食堂のメニューの予定を質問され3日後がパスタであることを答えたこと、また彼らは今回も陛下から手引と警護を依頼されたと報告してきています。準備は万端と言って良いでしょう。私も『ぺぺろんちいの』と『なぽりたん』の完成度をさらに上げております。妻からも最近さらに美味しくなったと褒められております。」
それを聞いた宰相はホッとした表情を見せました。王様は今回もちゃんと御自分の安全を考えてくださっているようです。変装用の制服よし、食材よし、団長の怪我も問題なし、内通者よし、安全よし、と状況を確認していた宰相ですが、ふと今日の夕方の出来事を思い出して「むっ……」と唸り声を上げました。
「いかがなさいましたか宰相閣下?」
「うむ、今朝陛下はメイドの噂話から『かるぼなあら』の存在を知ったと言っておられたのが気にかかりましてな。」
「なんと!あれは新鮮な卵と牛乳を使うと聞いております。今からでは食材の準備も調理方法の習得も間に合いません。」
団長は、それはそれは困った顔をしました。後3日しかないのですから、寝ないで練習したとしても王様に食べていただけるような『かるぼなあら』を作れるようになるのは到底無理でしょう。
なにせ騎士団の団長なのですから剣を振るうのは得意中の得意ですが、鍋やフライパンの扱いは苦手です。もちろん材料を切るのは得意ですが、そこから美味しい料理を作るのは団長には非常に難しいことでした。騎士だからといって料理をしないわけではないのですが、料理をするのはせいぜい野営のときぐらいです。そうなると味よりも暖かくてお腹がいっぱいになることが重視されるので、基本的に捕まえた鳥やうさぎの丸焼きか、スープぐらいしか作らないのですから、今から新しいパスタの練習をしても間に合うわけがありません。
「ううむ、そうですな……これ以上団長に無理難題を押し付けるわけにはまいりませんな……予定通り陛下には『ぺぺろんちいの』で我慢していただくしかなかろう。だが、もし陛下がおかわりをされた場合は……」
「ええ、『なぽりたん』をお出しする、ですね。それにしても『かるぼなあら』ですか。かつてはかろうじてその材料のみが口伝で伝えられていたとか、失伝していた調理法を知る転生者が見つかって再現に成功したのはつい最近と聞いておりますが、メイドも新しい物好きですなあ。」
「まったく、彼女らはおしゃべりで困ったものですよ。」
宰相と団長はお互いの持っている情報を一通り話し終わると、そのまましばらく雑談したり、祝杯のために用意された宰相の秘蔵のワインのボトルを眺めたりして、計画の成功に向けて英気を養うのでした。
そしてあっという間に3日経ちました。
王様は朝からそわそわしています。今まで何度も騎士団の食堂に忍び込んでパスタを食べようとしては失敗していますから、そろそろ宰相にばれてしまうのではないか、とか、寝室に隠してある制服が掃除のメイドに見つからないか、とか、すっかり気が散ってしまい仕事が手に付きません。
何食わぬ顔で仕事をしている宰相も、準備不足がないか内心とても心配です。それに、王様があんまりそわそわしているので、それを指摘しないのも不自然ですし、王様に落ち着いてもらわないと計画が失敗してしまうかも知れません。意を決した宰相はいつもより厳しい声で王様に話しかけました。
「陛下。何やら先程から仕事が手につかないご様子ですな。」
「あ、ああ。うむ。すまない。」
完全に気が散っていた王様は、急に宰相から厳しい口調で話しかけられてびっくりして何も言えなくなってしまいました。そんな王様を見た宰相は、しまった!と思ったのですが、ここで「何があったのですか?」などと言おうものなら、隠し事が苦手な王様が素直に喋ってしまうかも知れません。なので宰相は勢いに任せて大きめの声で畳み掛けることにしました。
「何があったのか存じませんが、そのようにそわそわしておられたら周りの者も困惑いたします!本日は少々早いですが休憩にいたしましょう!午後から仕切り直しにいたします!よろしいですな!」
「あ、ああ。うむ……」
王様がいよいよ困ったぞ、という顔になってしまったのを見た宰相は、ふっと表情を和らげてこう言いました。
「陛下、私は怒っているわけではございませんぞ。陛下も最近は随分と根を詰めておられましたから、そういう日もございましょう。たまには早めに切り上げてゆっくり休憩をお取りください。」
そして、「私が近くにおっては休まりませんでしょう。それでは陛下、また午後からよろしくお願いいたしますぞ。」そう言って、宰相は部屋を出ていきました。
執務室を出た宰相は、近くにいた見回りの騎士に向かって無言で手を合わせました。これは、基本的には騎士団に協力を要請するときの合図ですが、その時々の状況によって微妙にニュアンスが異なります。今回であれば「騎士団本部に緊急の依頼又は連絡あり、同行求む」といった感じの意味合いです。
そして執務室の扉を守っていた騎士たちに向き直ると、今度は右手を自分の心臓の位置に置きました。こちらは、本来の意味は「陛下に身辺を厳重に警護せよ」という意味になりますが、騎士たちは本日の計画を知っており、また先ほど宰相が執務室の外まで聞こえるように意識して大きな声を出していましたので「この後で寝室に向かうであろう陛下に同行し、なるべくゆっくり歩き時間稼ぎをせよ」の意味であると正しく理解しました。
騎士たちは皆無言でうなずくと、見回りの騎士は宰相を先導する形で、不自然ではない程度の早足で騎士団の本部に向かって歩きはじめました。宰相が騎士に同行を依頼したのは、騎士団と一部の人間しか知らない秘密の通路を使って騎士団本部への移動時間を短縮するためです。もちろん宰相もこの通路のことは知っていますが、少々複雑な道のため、万が一にも迷わないように騎士に先導を依頼したのでした。
宰相が騎士団本部に到着すると、そこでは団長が騎士を集めて計画の最終打ち合わせを行おうとしていました。騎士たちは予定より早く訪れた宰相に驚きを隠せませんでしたが、団長だけはさりげなく動揺を隠して「何かございましたか?宰相閣下。」と訪ねました。
「ええ、陛下があまりにもそわそわしておられましてな。不自然すぎたので午前の業務を打ち切って休憩を早めたのです。執務室の見張りをしている騎士には、寝室への移動で時間を稼ぐよう依頼はしてきましたがおそらく陛下は予定よりも早く食堂に向かうことでしょう。誠に申し訳ない。」
そう言って宰相はぺこりと頭を下げました。通常であれば「頭をお上げください。」と言うべきところですが、団長は腕を組み難しい顔で目をつぶって騎士と王様の動きを頭の中で考えます。
「ううむ……宰相閣下はこちらまで最短ルートで来られたご様子。対して陛下は見習いの制服で変装される以上、通常の通路しか使えませぬ。寝室までの時間稼ぎを加味すれば……」
数秒の沈黙の後、団長はカッと目を見開くと、騎士たちに向かって「到着までは残り45分と想定せよ!予定より早いが最終打ち合わせを開始する!」と言いました。
それを聞いた騎士たちは一斉に動き始めました。テーブルの上に騎士団本部の見取り図を広げるもの、宰相に椅子を用意するもの、鶏を抱えて連れてくるもの、またあるものは見取り図の上に王様や団長の人形を配置し始めます。
わずか数分で打ち合わせの準備は整い、宰相と団長はテーブルを挟んで向き合いました。騎士たちもその周りを取り囲みます。
団長は王様の人形と騎士の人形を見取り図の門の外に配置し、門の前に騎士の人形を2つ配置すると、皆に向かって「これより本作戦の最終確認を開始する。」と告げました。
「まず、皆も認識していると思うが、本作戦における陛下のコールサインがスリーピングダンディーに変更されたことを改めて周知しておく。これは前回の失敗を忘れないための戒めでもある。」
団長は周囲の騎士たちが一斉にうなずくのを確認すると、テーブルの上の見取り図を指差しながら続けます。
「陛下は寝室警護の騎士とともに正門より来訪する。守衛に変装した騎士は不自然にならない程度に、しかし深く問い詰めぬよう最新の注意を払って身元の確認を行え!陛下に直接質問してはならぬ!質問は寝室警護の騎士に対してのみ行うのだ!」
「「はっ!」」
2名の騎士が敬礼し、そのまま外に向かいます。
団長は王様達の人形を本部敷地内の食堂手前の分かれ道まで移動すると、先ほど騎士が連れてきた鶏を、そっと抱き上げてテーブルの上に置きました。
「寝室警護の騎士は陛下を最短ルートで食堂へとエスコートする。前回の作戦では陛下はこの分かれ道で犬に誘われて厩舎の方に移動したものと考えられる。鶏には馬、犬、猫が陛下を誘惑しないようお目付け役をお願いしたい。」
鶏は団長に向かって「コッ!」と短く鳴くと、颯爽とテーブルから飛び降りると、パタパタと可愛らしく外に向かって走り去っていきました。どう見ても人間の言葉を理解しているとしか思えない行動ですが、騎士団員からしてみれば見慣れた光景です。しかし、宰相は久しぶりに見たに鶏に動揺を隠せません。
(あの鶏は確か妹が旅先で騙されて、コカトリスの雛と思って買ってきたヒヨコだったはずだが……妹よ、お前は一体何を買ってきたのだ……そしてなぜそれを団長に差し上げたのだ……)
宰相は2、3回軽く頭を振ると、視線をテーブルに戻します。団長は王様たちの人形を食堂の入り口に移動させると、自分の人形を食堂の厨房に、宰相の人形を食堂の裏口に、そして30体の騎士の人形を食堂内に配置しました。
「団長は厨房で『ぺぺろんちいの』の作成を行う。寝室警護の騎士と陛下がカウンターに来たら無言で『ぺぺろんちいの』を2皿を提供する。食事をする騎士は陛下が食べ終わるまで悟られぬよう周囲を警戒。その後、最も近くにいる食事をする騎士は陛下におかわり自由である旨をさり気なく伝える。おかわりを所望された場合、団長は『なぽりたん』を提供する。」
団長が言葉を切ると、周囲にいた騎士たちは「はっ!」✕30という声とともに敬礼し、速やかに外に移動し始めました。
「そして、不測の事態が発生した場合は食堂裏口より宰相閣下が突入し、食堂に居る全員の注目を集めてください。手段は問いません。そのスキに寝室警護の騎士が陛下を食堂の外へと誘導します。作戦成功の場合も失敗の場合も、寝室警護の騎士が陛下を寝室へとお連れして、本作戦は終了となります。」
宰相は深く頷くと、団長の手をしっかりと握りしめました。打ち合わせに使用した時間は20分程度でしょうか。残された時間はそう多くはありません。
団長は宰相の手をしっかりと握り返し、お互い頷きあうと、二人はそのまま無言でそれぞれの持ち場に移動を開始しました。
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その日の夜、宰相の部屋では宰相と団長がぐったりした様子でソファーに腰掛けていました。テーブルの上にはまだ封を切っていないワインと一冊の本が置かれています。
そうしてしばらくぐったりしていた二人ですが、ようやく気力を取り戻したのか、体を起こしてソファーに座り直しました。
「お疲れさまでした。本当にお疲れさまでした、団長。」
宰相がかすれた声で囁くようにそういうと、団長もまたとても疲れた声で「なにはともあれ、成功でございます。おめでとうございます。」と答えました。二人共、半日以上も城の中を走り回ってすっかりヘトヘトです。
というのも、騎士団の食堂で初めてパスタを食べた王様は感激して、パスタを飲み物かなにかと勘違いしているような勢いで次々と平らげました。あまりのことに見かねた宰相が「誰か!陛下を見たものはおらぬか!?」と叫びながら乱入したことで王様は我に返りましたが、大変びっくりしたため脱兎のごとく食堂から走り去り行方をくらませたのでした。
秘密裏に事を進めていましたから王様を探すのにもあまり人員は用意できず、事情を知っているものの多くは騎士団の食堂にいたものですから、捜索の初動は遅れてしまい、結局王様を見つけたのは日が沈むころでした。
「陛下の食欲を甘く見ていましたな……最近食事の量が減っておられると思っていましたが、この日のために備えておられたとは……」
「ええ、まさか団員向けのサイズのパスタを4皿もお召し上がりになるとは……宰相閣下が止めに入ってくださらねば5皿目に突入されたかも知れません……これが若さ……」
「しかもそれだけ食べた直後に食堂から逃走し、騎士たちを振り切って行方不明になるとは……普段の陛下からは想像もできませんな……」
宰相は、「よっこいしょ」と言いながらソファーから立ち上がると、グラスを2つ用意し、ワインの栓を抜こうとしましたが、ふと手を止めるとテーブルの上の本を手に取りました。
そして、表紙に「騎士団団長引き継ぎ事項」と書かれた本をペラペラとめくり、一番最後に書き足された『ぺぺろんちいの』と『なぽりたん』のレシピをしみじみと読み、ページの片隅に真新しいインクで書かれた小さな文字――このレシピが必要とされる日が来ないことを祈る――を見なかったことにして本を閉じると、ワインを開けて2つのグラスに注ぎました。
宰相は団長にグラスを渡しながら「何に乾杯しますかな?」と訪ねました。
「うーむ。計画の成功に、でも良いのですが……」
団長はしばらく考えるとにやりと笑って「王とパスタと宰相閣下に、でいかがですかな?」と言いました。
それを聞いた宰相もにやりと笑い返しました。
「なるほど。それでは私は、王とパスタと騎士団長に、乾杯!」
それからおよそ20年後のある日のことでした。ふんふんうなずきながら部下の文官から報告を聞いていた宰相は、一通りの報告を聞くとこう言いました。
「ご苦労でしたな。やれやれ、騎士にもいらぬ心配をかけてしまったか。息子が部屋から出てこぬのは婚約者のこともあるだろうが、一番は「皆で昼食パスタ食べ比べ計画」が失敗したせいだろうよ。あれほど自信満々に提案して失敗したのだから仕方ないとは思うが……まったく、なぜ「殿下、一口いかがですか?」程度が言えぬのか……。だいたい私だって陛下にパスタをお召し上がりいただくまで9回も計画をやり直したというのに、一度で成功させようなどとは、まだまだ青いのう……。」
お読みいただきありがとうございました。