1章 ミシェルの味方
自分の馬の様子を確認して鬣を撫でていたラファエルが、同じようにミシェルの馬も確認する。特に綱がしっかりと結べているかは、念入りに見てくれているようだった。
問題ないことを確認したラファエルが、ミシェルの頭を帽子の上から軽く撫でた。
「物憂げな顔に見えたから、気になってね。忙しくしていると考えないようなことも、ゆっくりとしているときには考えすぎてしまうこともあるから」
「……私、そんな顔をしていたかしら」
ミシェルははっと自分の頬に手を当てた。
確かに、ここ最近は社交のために表情を作っていることが多かったため、こうして自由に過ごすのは久し振りだ。公爵邸にいるときも、女主人としての仕事に手を取られ、あまりゆっくりしていない。
まして議会も仕事も多忙なラファエルとは、食事以外で会話をする時間もなかなか取れていなかった。
久し振りにゆっくり過ごそうという日に、ミシェルが暗い顔をしていては、ラファエルも楽しくないかもしれない。
目を伏せたミシェルに、ラファエルは首を振る。
「ミシェルが悩んでいるのは、あまり私も嬉しくないな。一緒に悩んでも良ければ、後で解決策を考えよう」
「ラファエル様……」
「でも、今はエマに無事な姿を見せる方が先かな」
ラファエルが小さく笑って、ミシェルの手を取る。
エマは最後までミシェルがラファエルと二人で遠乗りをすることを心配していた。無事にここまで来ることができたと、安心させてあげた方が良いだろう。
ミシェルも頷いて、コテージの扉へと続く階段に足を掛けた。
扉を開けると、側で待っていたらしいエマが駆け寄ってくる。手にはタオルを持っていて、それぞれミシェルとラファエルに一つずつ渡してくれた。
「旦那様、奥様。お疲れ様でございました」
タオルを受け取って、軽く汗を拭う。
「エマ、ありがとう」
「本当に、ご無事で良かったです……!」
「大袈裟よ。もう乗馬はできるようになったのだから、そんなに心配しなくても」
「します。こればかりは譲れません」
「もう……」
ミシェルが苦笑すると、エマも楽しげに笑う。
エマの意見にも一理あることを認めているミシェルは、それ以上は何も言わなかった。
オードラン伯爵家にいた頃からずっとミシェルの側にいてくれるエマは、侍女として務めながらも、ミシェルのことを妹のように大切に思ってくれている。家族との縁が薄いミシェルもまた、エマのことを特別に思っていた。
だからこそ、こうして心配してくれることが嬉しくて仕方ない。
「すぐにお食事のご用意もできていますが、いかがなさいますか?」
「そうね……少しお腹が空いたかしら。ラファエル様は?」
「そうだね。では着替えて先に食事にしようか」
ラファエルも頷いて、後でね、と言って二階へと向かう。
このコテージは二階建てになっていて、二階にも部屋がいくつもあるらしい。ミシェルの身支度にもその一部屋が当てられている。
乗馬服は土埃もついているだろう。寛ぐならば、楽な服に着替えてしまいたい。
ミシェルは手を洗い、エマの手を借りてさらりとした生地のワンピースに着替えた。軽く化粧も直して、髪も緩く下ろしてもらう。
爽やかな水色のワンピースはアクアマリンと同じ色の瞳を持つミシェルによく似合った。
ふと目を向けた窓から、春の優しい風が吹き込んでくる。
ミシェルはふっと目を細めた。
「……素敵なところね」
「ええ、とても人気らしいです。素敵な休日で、良かったですね」
エマがそう言って、束ねていたせいで少し癖がついていた毛先を湿らせたタオルでそっと直してくれた。
テーブルの上に、いくつかの皿が並べられる。色とりどりの季節の野菜のサラダとスープ、それに湖で取れるらしい魚のポワレだ。
見た目も鮮やかに皿を彩るそれらに、ミシェルは驚かされた。
「私、デジレさんがちゃんと作った料理を食べるの初めてだわ」
バルテレミー伯爵家では、こっそり貰うパンや賄いがほとんどだった。給仕のときに見ることはあったが、食べたことはない。フェリエ公爵家に来てからは、料理長の下で働いているとのことで、正確にはデジレが作ったとは言い切れない。
今日こうしてここに来てくれているのは、ミシェルと気心が知れている使用人として、最低限の人数をラファエルが選んでくれたからだ。
フォークでサラダを取って、一口食べてみる。
味付けも繊細で、適度に塩気があって美味しかった。
ラファエルが頷いて、口を開く。
「ミシェルがデジレを邸にと言ってくれて良かったよ。料理長も新しい料理のアイデアがもらえると喜んでいた」
「そうなのですか?」
「うん。それに、ミシェルの味方も、多い方が良いだろう?」
ラファエルが戯けた調子で言う。
ミシェルは小さく笑った。
「……あら、ラファエル様は、私を泣かせるつもりでもあるのかしら?」
この国では、貴族の婚姻のとき、妻側は何人もの使用人を連れて嫁いでくるものだ。それは嫁ぎ先に自分の味方になってくれる人を連れてくる意味もある。つまり、夫と喧嘩をしたときや、浮気をされたとき、意見が対立したときなどに、使用人を交えてやり合うためなのだという。
フェリエ公爵邸にミシェルの味方を増やした方が良いということは、ラファエルがミシェルを怒らせたり泣かせるようなことを想定しているということになるのだ。
当然ミシェルはラファエルを信頼しているし、今は互いに想い合っているという自覚はあるため、揶揄いの意味を込めた言葉のつもりだったのだが。
「ないよ」
ラファエルは、ミシェルの想像していたどの表情とも違う真面目な顔でミシェルの瞳をまっすぐに見つめていた。




